さて、突然ですが、今日から一週間ばかり、ロンドンに行ってきます。
●早速の夏休みをとって、家族四人のバケーションです。
高校受験を成功させたヒヨコのゴホウビ旅行。
「第一希望に受かったらドコにでも連れてってやる」と言ったらホントに合格しやがった。
●貯金フル出力だわね。


●レコードの買い物は極力抑えないと…。絶対手に負えないコトになってしまう。


●景気付けに、UKロックを聴こう。

KASABIAN「EMPIRE」

KASABIAN「EMPIRE」2006年
●イギリスはキングダムだからエンパイアとは違うんだよね。ガイドブックを読むと史跡に色々な王様の名前が出てくるんだけど、ちっともワカラン。世界史の授業が脳ミソからすっかり抜けた。だから「イギリス王室1000年の歴史」という本を買ってきて読んだ。11世紀のノルマン朝ウィリアム征服王から始まって歴代の王様のプロフィールが全員紹介されてる。今のエリサベス2世はもちろん、そんで孫のウイリアム王子やその奥さんと赤ちゃんまで説明されてる本。これで安心して観光できる。少女時代のエリザベス2世はメチャメチャ可愛かったようだね。今では歴代最長の在位期間記録を更新中。
●さて、このロックバンドだけど、ファーストアルバム「KASABIAN」では驀進するダイナミズムでフロアを焦土にする勢い、特にヒットシングル「CLUB FOOT」とか大好きだったんだけど、このセカンドでは単純な爆走だけでなくて、緩急つけるメリハリでアシッドフォークのようなモヤモヤした音楽もやってる。元からボヘミアン志向の人たちだったのに加え、どうやらソングライターを担ってたメンバーがここで一人脱退してるようで、そこでちょっと雰囲気変わったのかな。やっぱり楽しいのは爆走ロック。ベースがダムダムしてて迫力あるんだよな。00年代イギリスは猛烈なバンドブームで色々な連中が登場しては消えていったけど、彼らは現在でも活躍中の模様。サードアルバムも以前紹介したっけな。

LATE OF THE PIER「FANTASY BLACK CHANNEL」

LATE OF THE PIER「FANTASY BLACK CHANNEL」2008年
●こっちのバンドは残念ながらこの一枚のアルバムだけでいなくなってしまった…。ただ、実はワザありな演出が振りまかれてるユニークなダンスロックになってる!当時は「ニューレイブ」というムーブメントでダンスオリエンテッドなロックバンドがたくさん登場して、ユニークでカラフルなファッションまで提案してたんだけど、このバンドにおいては「ニューレイブ」に括れないと思った。ダンスロック志向のクセしてリズムのアクセントが奇妙に脱臼気味な場面があって、疾走したりツンのめったりと一筋縄ではいかないユニークさがある。ポストパンクなギターやシンセの奇妙な響きも含めて、コード進行も楽曲展開も実験的だったりする。もうユニークすぎて、リアルタイムの10年前から聴いているのに、ブログで取り上げるのは今回が初めて。
●バンド結成時からこのあたりの楽曲のアイディアはリーダー兼ボーカルの SAM EASTGATE が宅録レベルで構成できてたらしいんだけど、まだ未熟なメンバーは誰一人コレを演奏できなかったらしい。最終的にはプロデューサーとしてトルコ系のDJ、EROL ALKAN の手を借りて完成させたとな。

JOHNNY FOREIGNER「WAITED UP TIL IT WAS LIGHT」

JOHNNY FOREIGNER「WAITED UP TIL IT WAS LIGHT」2008年
●なんだかよく分からんけど、ストレートに展開しないでとっちらかった騒がしさがユニークという意味で、LATE OF THE PIER と印象がカブるロックバンド。おまけにコッチは男女のツインボーカルでそこにもう一枚個性が乗っかってるよ。コレは彼らの事実上のファーストアルバム。カワイイイラストに負けない、チャーミングなユニークネスがコレまた楽しい。彼らは現在でも活動中。ここから先は追いかけていないけどね。完全なインディロックだから日本まで在庫が回ってこないのかなー。






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●一連の「オウム真理教」事件の首謀者、松本智津夫死刑囚他全7人の死刑執行が行われた。
●7月6日のコトだった。死刑執行が即座にニュースになるコトが珍しいと思ったが、同じ事件に関わった死刑囚の執行が全国各地で行われる。しかも、朝一のニュースで松本智津夫被告の執行がなされ、その後現在進行形で、各地で他の執行が進むという実況報告が、午後のニュースまで続いた。珍しいニュースだった。

●6月18日には、大阪を中心に最大震度6弱の地震が起こった。
●コレも「阪神大震災」のコトを否応無く連想させる出来事だった。

「オウム真理教」事件の最悪な局面「地下鉄サリン事件」「阪神大震災」は同じ年1995年に起こっている。
●だから、ボクは、あの時代にごく普通の一般人として生きていた立場として、
1995年前後のコトを書いてみようと思う。


1995年当時、ボクは大学3〜4年生だった。
「地下鉄サリン事件」発生の第一報がテレビニュースに流れていた様子はよく覚えている。だらしのない大学生だったボクは、その前日に友人イケダと夜遅くまで飲み屋でダラダラと過ごしており、終電を逃した結果、そのままイケダの住んでたアパートに転がり込んでた。当時は中央線郊外の国立市で一人暮らししてたボクは、都内の便利な場所に住んでる友人の家を渡り歩くようなコトをしてた。毎週2日は誰かの家に寝床を借りてた。
●ただ、イケダは大学の人間関係ではなく、高校時代の旧友とあって久しぶりの再会。しかも結果的にコレを最後にボクはイケダに会っていない。ともかくレアな時間を過ごしたボクら二人はテンションが上がってしまい、結局寝るのもやめてファミコンゲームを始めてしまった。しかも「初代ファミコン」!1994年に初代プレイステーションが発売されたのだが、そんな高価な最新マシンは持ってるヤツは少なかったよ。ゲームは「熱血硬派くにおくん」。2人のヤンキーがひたすら不良の連中を殴り倒していく2人協力プレイ型のゲームだ。初代ファミコンのゲームとあって、この時期においても十分に懐かしゲーム、1987年発売の代物だったよ。
●アホなイケダとボクは、本当にコレを朝までプレイし続け、日も登った午前9時ごろ。さすがに疲れ切ってしまったので、イケダがコントローラを放り出した。もうやめるか、ということでブラウン管のアナログテレビ14型のスイッチを押した。電源を切るつもりが、ふと別のチャンネルに切り替わった。するとワイドショーで奇妙なコトが始まっていた。
ヘリコプターからの中継映像で、地下鉄駅の周辺に数百人もの人たちが横たわって救急隊の手当を受けている。しかもこの怪現象は、地下鉄の様々な駅で同時多発的に起こっているようなのだ。特に霞が関と築地で被害が重たいようにみえた。「なんかヤバイことが起こってるぞ?コレ大丈夫か?」大学三年生と四年生の境目の時期、大学の授業自体は休みだが、就職活動でこの辺りのエリアを動いている友達がいるかもしれない。築地は当時電通が本社をおいていた場所で、スッと広告代理店志望と言ってた女友達の顔が思い浮かんだ。今ならSNSとかで友達全員と安否確認するだろうが、そんなツールは存在しないから、ぼんやり心配しただけだけど。コレが毒ガス攻撃によるテロというコトはこの速報段階で伝わっていただろうか。そこまでは覚えていない。昼頃までイケダの部屋でニュースを眺めた後、JRの路線を使って家に帰ったよ。

そもそも「オウム真理教」は、当時どんな見え方をしていたのか?
●彼らオウム真理教を、一般市民でしかないボクがハッキリ認知したのは、1990年の衆院選挙だったろうか。なぜかこの選挙にオウム真理教は多くの候補者を立てて国政に進出しようとしたのだ。しかも選挙ポスターがユニークすぎる。今の感覚なら「幸福の科学」=「幸福実現党」のようなイメージを連想するでしょう。しかし彼らは、普通にスキンヘッドとカラフルな法衣?という出で立ち、しかも名前も「ホーリーネーム」をデカデカと掲載したのだ。「マハー・アングリマーラ」とか「サクラー」とか。なんなんだろう?インド風というかサンスクリット風というか。とにかく意味がワカラナイ。彼らは東京都のほぼ全域、ソレと神奈川県と埼玉県の一部だけで出馬したので、このヘンテコなポスターを見た人は日本人全体でも限られているだろう。まーともかく奇妙だった。
●しかし、選挙権も持たない当時高校生のボクらにとっては、退屈な選挙ポスター掲示板の中でスゴイ違和感を放っている彼らの顔名前が、とにかくオモシロくて。彼らの凶悪ぶりが明るみになる以前は、彼らはあくまで「お笑い」の対象だったのだ。奇妙なコトをしているオモシロイ人たち。ソレがさらにオモシロイコトを始めた。そんな風に受け止めていた。クラスのいたずら者は、とうとうこのポスターを一枚剥がしてしまって、ボクらの教室の掃除ロッカーに貼り付けていた。ホウキやモップの奥に貼り付けたから、最後まで教師は気づかなかったが、ボクらはロッカーを開くたびにその奇妙なポスターを笑っていたのだ。(選挙ポスターを剥がしたりイタズラをするのは当然法律違反でいけないコトです!)
この時期に前後して、中野駅前でのパフォーマンスも話題になっていたっけ。コレは実際に自分で目撃するコトはなかったけど、選挙運動の延長か、街宣演説の代わりに彼らは駅前で音楽を流しながら踊りを踊っていたという。「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」みたいなしょーもない歌詞の音楽を手作りで作ってカセットテープで鳴らす。そこで安っぽくカラフルに光る「法衣」を着た信者がゾウのハリボテのカブリモノを被って踊るのだ。率直に滑稽だ。笑える。しかも当事者は本気なのだから、なおのことスゴイ。彼らのやってるコトは、インドの古代宗教とか教義に影響されているようで、ドレもコレも全部自分たちで適当な意匠を集めて不器用に再構成してるだけ。なんでも自分たちで作ってしまおうという主義は、その仕上がりの陳腐さを含めて、やっぱり笑える存在だったのだ。ある意味で「DO IT YOURSELF」精神。全て自己調達。彼らの主張には1ミリも関心は持てなかったが、それでも大マジメなので、十分に笑える存在だった。
●凶悪犯罪組織という評価が固まった今の時点では想像がつかないかもしれないが、東京を拠点に活動していた彼らは、中野の街宣活動や、街角の選挙ポスターなどなどで、東京に暮らしていたボクには、ある意味ですぐソバにいる「奇妙な隣人」のような存在に見えていた。彼らが発行する機関紙「ヴァジラヤーナ・サッチャ」も興味本位で入手できるくらいだった。渋谷にはオウム真理教グッズ直営販売店まであって、ヘンテコな自作音楽のカセットテープも購入できたという。ある段階までは、彼らは単なる「無害な変わり者」だったのだ。
●ただし、彼らの名前が有名になるにつれ、出家信者とその家族のトラブルが社会問題として注目されて、もはやただの「変わり者」とは言えない空気が社会全体で熟成されていった。「出家」は文字通り一般社会との接点を完全に絶って、全財産を寄進した上で奇妙なコミューンで暮らすこと。入信して連絡が取れなくなった息子娘を連れ戻そうとする親や親戚と教団は絶えずもめていた。教団に殺害された坂本堤弁護士は「オウム真理教被害者の会」を組織していた人物で、1989年の失踪時からオウム真理教は関与が疑われていた(坂本一家の遺体発見は1995年で、それまでは生死不明だった)。1993年ごろになるとワイドショーは活発にオウム真理教を取り上げその教団の異常さを報じつつ幹部・上祐史浩氏をスタジオ出演させて教団の主張を堂々と発言させていたりもした。
●あれは麻原彰晃の逮捕の前だったか後だったか。山梨県上九一色村という何もない土地に、教団は「サティアン」と名付けた施設を次々と建築。ここを信仰と生活の拠点にしていた。たくさんの地所を買ったのか、村のアチコチに「サティアン」は設置された…確か「第7サティアン」まであったっけ。しかし、宗教施設とは思えないような殺風景な建物、プレハブや簡素なビルにしか見えなかった。そんな様子をワイドショーは連日のように伝えていたので、ある日学生仲間と車を出して、ボクはこの上九一色村までドライブに行った。富士山麓の広々とした草原が霧にけむるような土地、しかし普段なら静かな細い道が、ボクらのような野次馬で渋滞を起こしていた。「第7サティアン」の殺風景な白い壁が印象的だったが、テレビ各局の中継車がゾロリと揃っていたコトも印象的だった。


1995年、麻原彰晃逮捕、それ以降の社会の変化。
●松本サリン事件、地下鉄サリン事件という、毒ガステロ事件の全容が明らかになって、東京の街は一変した。鉄道駅をはじめとした公共の場から、ゴミ箱が全部撤去された。冷静に見渡してほしい、駅のホームにはゴミ箱は今でもほとんどないでしょう。かつては豊富にあったのです、豊富なゴミ箱たちがアジアの大都市として例外的に東京を清潔な街にしていたのです。また、当時はなんと電車の中でもタバコが吸える時代だったが、灰皿の数すらが激減した。サリンのようなモノを想定した「不審物」を置いておける場所を徹底的に排除するためだ。今では空気のように意味が無視されてるアナウンスのフレーズ「不審物を見つけたら駅係員・乗務員にお伝えください」もこの時代から始まった。駅のコインロッカーの上部を確認してほしい。わざわざ傾斜をつけてロッカーの上にモノが置けない工夫が今でもキチンと施されている。これも「不審物」の設置を許さない工夫。他にも曲面や傾斜をつけて物を置けなくしている場所がたくさんある。
●坂本弁護士殺害のキッカケは、TBSのワイドショーが教団幹部に放送前の弁護士の教団批判インタビュー素材を閲覧させたコトとされている。取材元/情報源に不利な情報を利害関係のある相手方に開示するのは、報道倫理として最悪の失敗。事件発生から6年も時間が経ってこの問題が発覚し、社長辞任、担当プロデューサーの解雇へと繋がる。TBSはこれを契機に「ワイドショー」なるジャンルを編成から排除する。1996年〜2014年まで薬丸裕英akaヤックン司会のヌルい生活情報番組つまり非ワイドショー番組「はなまるマーケット」が午前中に放送されてたのはこの方針の名残だった。なお、この影響があったのかなかったのか不明だが、1997年に現・BPO(放送倫理・番組向上機構」の前身組織「放送と人権等権利に関する委員会」が設置されたなんてことも。
あの事件は、テレビの作り方も変えてしまったのかもしれない。1970年代のユリゲラー=超能力ブーム以来、オカルトや超能力、UMAや宇宙人はテレビバラエティの格好の題材だったはず。心霊写真を紹介したり恐怖体験を再現したり。しかし、00年代以降でこの手の番組はほぼ消滅した。
坂本弁護士事件以来、彼の殺害された自宅があった我が東京・世田谷区では、ヨガ教室が賃貸物件を探すのはかなり手こずる状況が現在でもある。オウム真理教ヨガ教室から出発して宗教団体になったからだ。これは数年前までボクが通ってたヨガ教室の先生が言ってたコト。


ボクが大学に進学した1992年頃から数年間は、人のココロに脆さが出来てた時期だったのかな。
オウム真理教に限らず、この時期に「自己啓発セミナー」なるモノが随分流行っていた。今でいう「意識高い系」の「自己啓発」とは意味が違う。セミナーと称して若者を集め「人生の真の意味」とかを滔々と語り、洗脳するかのようなグループがいくらでもあった。ソレが詐欺めいた金銭目的なのか、そこまで深入りしたコトないからワカラナイが、その手の勧誘で声をかけられるコトはしょっちゅうだった。
●大学のベンチでジュースを飲んでるだけでも、年の変わらない男が馴れ馴れしく声をかけてくる。「君に人生の真の意味を教えたい!ぜひセミナーに参加してもらいたい!」悪ノリのつもりでこうした男とアレコレ話してからかったら、怒りのあまりにアゴがガクガク震えだして大声を上げ始めたから慌てて逃げたコトもある。合コンで知り合った女の子がすごく積極的に連絡を取ってくるので、コレはイイ感じなのか?と思って後日会ってみたら、熱烈にセミナー勧誘された。「錦糸町や両国の貸し会議室で真剣に語り合ってるんです!ぜひ一緒に語りましょ!」
●ただ、彼ら熱心なセミナーメンバーにとって「人生の真の意味」はガチで目からウロコの価値があったようだ。だって、本当に真剣に勧誘するんだもん。だから、あの時期は「ボクには価値がないけど、あなたたちには意味があるんだろうね」と考えていて、彼らを全否定する気にはなれなかった。
●なぜなら、拝金主義や物質主義、ブランド主義が世の中のマジョリティにあったバブル文化にあって、そこからアンチテーゼとしての機能が、この「精神主義」にはチョッピリくらいはあるのだろう、と思ってしまう気風はあったのだ。親しい友人には創価学会に入信して一人暮らしのアパートに仏壇を買ったヤツもいたし、後輩にはものみの塔の信者もいたっけ。昭和のトップアイドル・桜田淳子が韓国系の新興宗教・統一教会の信者として「合同結婚式」なるセレモニーに参加し、教祖が指名した人物とそのまま結婚したコトが話題になったのも1992年だ。
●そもそもで、今では想像できないほどのオカルト思想が身近な存在だったと思う。なにせ「ノストラダムスの大予言」で1999年に地球は滅びると予告されてたほどなのだから。そのリミットに近づくにつれ、予言の実現はナンセンスになっていくのだか、90年代の通底音として世紀末=終末思想の気分は漂っていた。そんな人々の不安と苦悶が結晶したかのような物語テレビ東京の深夜にアニメとして放送された。これも1995年の出来事。庵野秀明総監督「新世紀エヴァンゲリオン」だ。


1996年、ボクは会社員になる。
1995年1月の阪神大震災では、発災1週間後にボランティアとして神戸入り、約二週間ばかりを支援物資をワゴンで運ぶドライバーとして過ごした。正直言えば、前向きな気持ちではなくて、就職活動したくないという現実逃避と野次馬根性でフラフラと被災地に潜り込んだダケだった。しかし、本当に苛烈な被災現場の生々しい様子、被災者の方々の声、亡くなった方々への思いは、甘っちょろいボクの意識を入れ替えてくれた。東京に戻り2週間ぶりの風呂に入ってビックリするほどの垢を削ぎ落とした後、すぐにボクはスーツを買い揃えてマジメに就職活動を始めた。ボランティアに誘ってくれた友人はその後ホンモノのNPO法人に入職し、今ではNPO運営のコンサルになってる。彼も死生観のレベルで影響を受けたのだろう。
●1995年にはバブル経済は本格的に崩壊を始めており「就職氷河期」という言葉が登場していた。物質主義や拝金主義も破綻し、精神世界も破綻してしまって、そして物理的に地震が美しい神戸の街を破壊し、6000人以上の人命を奪った。社会全体もボク個人の内面もドンヨリした時期だった。そんな時には1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の小説を読むと心が和んだ。彼の文学は難解だが繊細だった。ある企業から内定の電話を受けたその翌日に祖父が死んだ。就職活動のスーツはそのまま喪服になったよ。その一番最初に内定を出してくれた一社にそのまま就職を決めた。
1996年に就職した会社に今もボクは勤めている。20年以上も時間が経ったから冷静になれるが、当時の環境は明白に今でいう「ブラック職場」だった。「ブラック」という言葉がなかったから気づかなかったダケだ。バブル期は羽振りがよかったようだがその恩恵はボクは受けていない。「ブラック」すぎた結果、メンタルヘルスが根本から崩壊し「精神障害者手帳」寸前まで行った。しかし、それでいい。そこも乗り越えて、それなりの幸せな生活をボクは掴んでいる。優しいワイフと二人の利発なコドモたち。趣味に耽けるチョッピリの余裕。これ以上望むものがあるだろうか。


●音楽も1995年、1996年にしておきます。

GIM BLOSSOMS「CONGRATULATIONS IM SORRY」

GIM BLOSSOMS「CONGRATULATIONS ...I'M SORRY」1996年
●90年代アメリカと言えば、オルタナティブロックの時代だけど、1994年に KURT COBAIN が自殺したりしてて、これまたダークな気分が漂っていたっけ。NIRVANA の登場やシアトルグランジの爆発、ニューヨークアンダーグラウンドのメジャー進出など羽振りのイイロック市場の地殻変動がひとしきり落ち着いたトコロで、このバンドは実直な音楽を鳴らすコトで評価されてきた。目新しいギミックや過激なアティチュードもナニもない。アリゾナ出身の垢抜けない連中で、パワーポップというほどの覇気もない、フォーキーなアレンジとフンワリしたバンドサウンドは取り立ててコメントも用意できない。
●ただ、このセカンドアルバムのボートラとして収録されてる曲「TIL I HEAR IT FROM YOU」という曲だけはナゼか印象深く残っていて。映画「エンパイアレコード」1995年のサントラシングルが初出なのかな。これをラジオで聴いて、その耳馴染みのよさに惚れた。日本のラジオで聴いたわけじゃない、アメリカだ。
●前述の通り、内定と同時に祖父が死んだ後、就職活動を終わらせてヒマになったボクは、一人になってしまった祖母をアメリカに連れて行ったんだ。両親と妹がアメリカで駐在員生活をしていたので、父親の発案でロサンゼルスまで祖母をエスコートした。その旅行の間に聴いたんだ。思い出してきたよ。祖母は夫を失った直後のワリには明るく元気で、初めての海外だというのにラスベガスまで堪能してた。このバンドの出身地アリゾナまで足を伸ばして名所のフーバーダムを見学したっけ。さすが戦中派、人生長く生きてるとブレないよ、祖母を見てそう思った。
「オレは愚か者からアドバイスなんて欲しくない、全てがクールだと思ってしまう、アナタからそれを聞くまで」この曲は、そんな歌だよ。



●ご注意を。この「TIL I HEAR IT FROM YOU」はボーナストラック扱いなので、収録されてないCDもある。確か日本盤はヤバかったような????

●蛇足だけど、1995年は「WINDOWS 95」がリリースされ、家電量販店に行列が出来る大騒ぎが起こった。ナゼOSだけの為に行列が出来るのか意味がわからなかったが、確かにアレは時代の切れ目だったのかもしれない。でも1996年にはバイトしてボクは POWER MAC 8500 を購入して、それ以来ずっとアップルユーザーのママだ。


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「平成30年7月豪雨」
先週末の西日本全域を襲った恐ろしい大雨にこんな名前がついたらしい。
●多くの命を奪った河川の氾濫や土砂崩れ。7月9日19時11分配信の朝日新聞デジタルの記事で伝わる数字では「死者126人、不明79人」。あまりに大きな被害に気分が滅入る。

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●長崎から佐賀、福岡、広島、岡山、鳥取、兵庫に京都、そして岐阜までも、聞きなれない言葉「大雨特別警報」が発信された。気象庁が「これまでに経験したことないような大雨になっています」「重大な危険が差し迫った異常事態です」と、実に率直な言葉で「本当にヤバ過ぎる」というコトを記者会見やホームページでメッセージしていた。「土砂崩れや浸水による重大な災害がすでに発生していてもおかしくない状況です」これも聞きなれないフレーズだ。災害がすでに発生している!?正直、コレをどう受け止めたらイイか?雨が降っている時点ではよくわからなかった。ボクは雨の降らなかった東京に暮らしているし、ピンと来なかった…。

NHKも、雨の当日はずっとこの情報を流し続けてた。雨の降っていない東京でも、頑固に西日本の激しい雨を伝え続けていた。これまたハッキリした表現で「直ちに命を守るための行動をとってください」とアナウンサーがコメントする。そして速報で色々な情報が出てくる。「広島県福山市全域、20万ナントカ世帯、46万ナントカ人に避難指示が出されました。広島県尾道市全域、ナントカ世帯、ナントカ人に避難指示が出されました…」。おお、避難勧告とかじゃなくて避難指示だ、しかも市内全域だ、数十万の人たちが避難しなくてはならない。まるでパニック映画のようだ。
●例えばコレが我が家にふりかかったら?「世田谷区全域、80万人に避難指示が出ました、命を守るために直ちに行動してください」おお、そんなコトになったトコロで、ウチのマンションを出て近所の小学校の体育館に移動しても、本当に命が守れるかよくわからん。しかし、気象庁やNHKが率直な言葉で「直ちに命を守るための行動をとって下さい」という瞬間は、本当に何かしなくては命に関わるというコトだったのだ。ソレを今回の天災では思い知らされた。地震やミサイル、原発事故には敏感になっていても大雨にはまだ被害の想像力が及ばない。そんな危機意識の欠如も突きつけられた。

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しかし、こんな大水害でドコに避難すればよかったんだろう?町中が屋根まで沈む有様だ。見渡す限り高層建築も見えないこの土地で、どこが避難すべき場所だったのか。津波のように高台を目指す?山に向かえば土砂崩れのリスクがあるよね?むしろこんな場面で斜面に近い建物なんて近づきたくない。正解なんて簡単に見つからないよ。

●リビングで一緒にテレビを見てた娘ヒヨコ高校一年生に、思わず言ってしまった。「水害でも地震でもミサイルでも、マジで避難指示が出たら、無理にウチに帰ろうとしないで、誰かその場に一緒にいる人みんなにくっついてろ。たった一人で行動するより高校の先生や友達と一緒にいた方がいい。この家には誰もいないかもしれないからな。少なくともボクはきっと会社から戻ってこれなくなってるはずだから」帰宅難民モードで5時間歩いた3月11日を思い出す…あれが夜の豪雨の中の移動だとしたら…たまらんな、絶対動けないよ。



●大きな災害の後に、陰気なニュースの後に、ボクは少なからずダメージを受ける。
だから、元気なロックンロールは聴けないよ。安定剤が増えるよ。

GRIZZLY BEAR「YELLOW HOUSE」

GRIZZLY BEAR「VECKATIMEST」

GRIZZLY BEAR「YELLOW HOUSE」2006年
GRIZZLY BEAR「VECKATIMEST」2009年
●最近は多忙のあまりに体調を崩していたボク。持病の自律神経失調症がメンタル面まで侵食してきて、うつ病再発の気配さえ感じられて、マジでウンザリした。職場の変化に重たいストレスも感じていた。梅雨明けや突然の高音など季節変化も体調を崩す大きな原因にもなる。ソレでも、新しく仕事でタッグを組むU先輩との交流で元気を取り戻しているトコロだった。ブログの前回の記事で SHEENA & THE ROKKETS を聴いてたことを報告したが、ロックンロールを聴けるレベルまで回復したコトはボクにとっては大切なコトだった。
しかし、もう気分は逆戻りだよ。大勢の人が洪水で亡くなってしまって。オウム真理教事件の関係者7人が一斉に死刑執行されたニュースも気を滅入らせた。彼ら死刑囚が罪を償うのは当然だと思うが、全国各地の拘置所で一件づつ死刑が執行されていく状況をワイドショーが順番に伝えていく様子は、趣味が良いと言えたもんじゃない。ああ、ウンザリだ。

●そんな時に辿り着いた音源がコレだった。00年代中盤にあった「フリーフォーク」という潮流に位置するバンドだと思う。90年代のポストロックが切り開いた、ハードディスクレコーディングで得られる硬質な録音感覚の延長に、フリーフォークの文脈が繋がってたと思う。DEVENDRA BANHART ANIMAL COLLECTIVE、FLEET FOXES などがこうした文脈に組み込まれていたかなあ。DIRTY PROJECTORS もそうかな?
●このバンドにおいても、鳴っている楽器は確かにアコースティック楽器だが、ポストロックの硬質さ、フォークトロニカと呼ばれてたエレクトロニカ文脈の抽象美が不思議な気分を醸し出している。簡単に言えば、60年代から様々なバリエーションでリバイバルされてきたサイケデリック音楽の系譜とも言えるのだけど、新しい技術を前提にした多重録音で編み出された奇妙なアンサンブルやコーラスワークが、ドコにフォーカスが合わせるべきなのかわからないまま、ボクの耳を宙ぶらりんにさせる。か細い声のボーカルが印象的に響くメロディもあるのに、色々な音が主張してくるのでインスト楽曲だったかのような印象すら感じさせる。リズムの取り方にもクセがあって居心地が微妙に悪い。
●ただ、今はとりとめもなくカタチを定めずサラサラと流れていくこの音楽が心に優しい。弱々しいコーラスもメロディも夢や妄想のように儚く、聴こえてはすぐに消え去りカタチを残さない。声高な主張を残さないトコロが今のボクには救いだ。何回聴いても違う表情を見せて、何回聴いても新鮮さを失わない。

●蛇足のような情報を少し。彼ら GRIZZLY BEAR はニューヨーク/ブルックリン出身の四人組。この二枚のアルバムはイギリスの名門テクノレーベル WARP からリリースされてる。WARP からバンドものがリリースされるという段階でもう注目。ただ、こういうタイミングで初めてシックリと耳に馴染んだ、というのも皮肉なモノだ。コレを買った8年前の段階では、エクスベリメンタル過ぎる内容を少々持て余してしまってた音源だったから。







ボクは、北川悦吏子さんという脚本家をあまり知らなくて。
●彼女の代表作といわれる、90年代トレンディドラマの傑作たち、「あすなろ白書」「ロングバケーション」「ビューティフルライフ」も観ていない。だからどんな作風の人なのか、全然予備知識がない。
●そんな北川悦吏子さんが脚本を務めるNHK朝ドラ「半分、青い。」が、中盤のクライマックスを迎えた。
結果からいうと、ボクはこの「半分、青い。」に完全にハマってる。

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●主人公・楡野鈴愛(にれの・すずめ)は高校卒業後、上京して漫画家・秋風羽織に弟子入り。仲間との切磋琢磨や努力の結果、雑誌連載もゲットして好調に進むかと思ったキャリアが……4年ほど時間を進めて1999年になってみたら、連載は打ち切り、アシスタント仕事に逆戻りどころか、足りない部分は引っ越しバイトで補うほどの落ちぶれブリ。再起のチャンスを得るも、すでに才能は枯渇していて、漫画家としての夢を諦めることに。足掛け9年を漫画に打ち込んだ彼女の青春は、何かの実をつけることもなく、グシャリと苦々しく潰れてしまった。

●アレレ?漫画家を目指してた今までの流れ、ちょうどお話が真ん中まで来たところで全部なかったことになっちゃうの?え?この先どーなっちゃうの?お話の筋書きがちょっと場当たり主義っぽくない?そもそも漫画家を目指してく流れも結構乱暴な段取りで半分偶然で転がり込んだような展開だったじゃん(おじいちゃんの五平もちがなければ農協に就職してたとか)。個性的な役者さんが個性的なキャラを絶妙に演じて、その魅力には心底引っ張られてるけど、場当たり展開の中でその個性的なキャラたちが役割を終えて次々と退場していくのが寂しすぎるよ。幼馴染のボーイフレンド・律くんは結婚してしまってどんどん遠ざかるし、漫画を通じて結ばれた仲間や師匠も退場しちゃうのか。どーするんだよ!

●過去の歴史の中に生きた女性をモデルにすることが多い朝ドラは、多かれ少なかれ、激動の昭和史をまたいで、大きな放物線を描きながら人生のお終いまでのゴールに主人公が着地するところまでを描く。だから、実はそれなりの予定調和があってお約束の滑走路があって、少々放送を見逃したところで全然追いつける安定感がある。少女が苦難を乗り越えて大人になって大事な仕事なりをこなし切って優しい晩年を過ごして終わる。安定と安心。朝ドラは安全装置付き。
●しかし「半分青い」は、1970年生まれのヒロインを描いていて、そのストーリー上の予定調和が機能しない。キャラクター造形としても、チョッピリ風変わりな女の子とあって行動に予測がつかない。安全装置ナシ。さらにこの展開に至ってボクは思った、これはこの物語を描いてる脚本家さんの作風がそもそもで予測不能なのではないかと。結果的にこのストーリーテラーによってヒロインの運命もかき乱され、ボク自身も翻弄されてしまう。これはネガティブな印象ではなくて。感情の起伏を隠さないヒロインのその場勝負とも言える生き方は、生命力に溢れる珍獣のようでボクには眩しく見える。悔しくて泣くし、悲しくて泣く。ヒドイ言葉で友人を罵る。岐阜なまりも隠さない。そんな彼女から目が離せない。放送一回もスキップできない。
●……そんなヒロインを脚本に描く北川悦吏子さんが、実はヒロインと同じタイプの人間なのかもと思い始めた。左耳が失聴しているという設定は北川さんの持病と同じだし、出身が岐阜ってのも一緒。北川さんは1960年生まれだけど、ヒロインが駆け抜けていく時代は北川さん自身が脚本家としての下積みを重ねていく時期に近い。毎日の台本を放送と同時進行形で書いていく作業は、他のドラマではなかなかない状況、ただでさえ寡作な彼女には重圧だし、展開が場当たり的になるのも不思議じゃない。ワイフとドラマを見ながら「毎日のドラマ脚本を書くってのはホントに大変なことなんだろうね」と会話してるほどだ。

●そんな北川悦吏子さんの人物像をこのように勝手に想像してしまうのは、彼女の twitter での振る舞いだ。「今週は神回!」とか自分でハードルをあげちゃうようなことを発言したり、脚本に対する自己補完的なコメントを並べちゃったりしてる。賞賛の声にはこまめにリプライ。裏方は黙ってた方が、視聴者にとっては作品世界の読み込みに自由度ができてのめり込めるのにな…。ワイフはわざわざ北川さんのツイートをチェックしてはフラストレーションを溜めてる。twitter なんて見なきゃいいじゃん!

北川悦吏子
(こんなの序の口で、一般視聴者の感想にいちいちリプライしてる。こんなに絡まないでイイのに。)

●ということで、ボクの言ってるコトは、なんらまとまってないんだけど、そんな北川悦吏子さんの場当たり的で、よく言えば自由奔放で、構成うんぬんよりも瞬間のキラメキ重視な気分に対して、今週前半の展開には完全に感服したというコトをしっかりと明言したい。

●漫画家のキャリアを完全に潰したヒロイン鈴愛と、師匠である天才=変人作家・秋風羽織の惜別のシーンにジーンとした直後、軽トラに荷物を詰めて、新しい土地に引っ越しをしていくシーン。漫画家時代の盟友・裕子とともにCDウォークマンのイヤホンを耳に挿して歌を歌う。真っ青な空を見上げて歌を歌う。明るくおっきな声で歌を歌う。「朝靄の湖に水晶の舟を浮かべて ちょっとだけ触れる感じの口づけを交わす それが私のステキなユメ それが私のステキなユメ」夢破れた直後に、晴れやかな笑顔でこんな歌を歌う。それがなんと爽快なことか。青春の全てを夢にかけて、それが全部弾けて何もなくなって、それでも夢を歌う生命力。たくましいヒロインの場当たり的な挑戦はまだ続く。それがなんと感動的だったことか。

●恥ずかしながら、ボクは彼女たちが軽トラの荷台で歌ったこの歌がなんだかわからなかった。調べたら1979年の楽曲、SHEENA & THE ROKKETS「YOU MAY DREAM」という曲だった。

Sheena The Rokkets Best Selection

SHEENA & THE ROKKETS「SHEENA & THE ROKKETS BEST COLLECTION」1978〜1983年
「YOU MAY DREAM」、ボクのiTuneライブラリーを検索したら、きちんと持ってた。コレはこのバンドが80年代テクノポップ系の拠点だった ALFA RECORDS に在籍してた時期の音源で構成されたベスト盤。ロックンロールバンドとして武名を鳴らしたこのバンドの歴史において意外なほどにテクノポップへ接近したこの時期の音楽はその前後と異質すぎて、CD買ったけどロクに聴かずにスルーしちゃったのだ。
●ただ、改めて、朝ドラのヒロインたちが歌った「YOU MAY DREAM」原曲を聴くと、そのテクノポップ感覚と、擬似フィフティーズっぽいアレンジが甘酸っぱくて、まさしく青春。バンドにとっても福岡から上京して来て2枚目のシングル、向こう見ずにキャリアをガムシャラに駆け上っていく時期。テクノポップにアレンジしたのは細野晴臣の仕業。自分の運命がままならないママに駆け抜けていく感じは、「黒歴史」になるかもしれないけど、実は青春の本質は大方「黒歴史」で、誰にとっても奇妙な自意識を持て余して挫折に悶絶したクソな思い出がいっぱい詰まってるはずだ。朝ドラのヒロインたちの挫折、北川悦吏子さんの脚本家下積み時代、SHEENA & THE ROKKETS の向こう見ずな上京、そしてボク個人の「黒歴史」な思い出まで巻き込んで、ロックのグルーヴが全部をグシャグシャにかき回す。朝ドラで受けた衝撃が、真夜中までボクの中で響いて耳から離れない。
●でも1970年生まれのヒロインが知ってる歌じゃないよね…1973年生まれのボクも知らなかったんだし。1960年生まれの北川さん自身の趣味だよねー。ここでもヒロインが脚本家と印象がないまぜになる気分ができるんだよねー。


SONHOUSE「POISON」

SONHOUSE「CRAZY DIAMOND」

SONHOUSE「POISON」1975〜1983年
SONHOUSE「CRAZY DIAMOND」1983年
SHEENA & THE ROKKETS の前身バンドというか、福岡時代の鮎川誠が所属してたロックバンドの音源を聴く。SHEENA & THE ROKKETS のブレイクは80年代直前というトコロだけど、ギタリスト鮎川誠のキャリアは彼が大学生だった1970年からスタートしてた。「めんたいロック」の名で知られる福岡のバンドシーンの中で活躍、1975年にやっとメジャーデビューのチャンスを掴むも、1978年でこのバンドは解散。1976年、同棲生活をしていた SHEENA が双子を妊娠するのをキッカケに結婚。ということは、ここで彼はミュージシャンとしてのキャリアを畳んで子育てに専念するという選択肢もあったのだ。彼の青春はココで終わって、昔はヤンチャしたよなー的な「黒歴史」が残るだけだったかもしれない。
●しかし、SONHOUSE 解散をキッカケに妻 SHEENA を巻き込む形で新バンドを結成、上京して再起に挑んだ。育っていく双子の娘を SHEENA の実家に預けて東京に拠点を移すのだ。コレを向こう見ずと言わずしてなんというのか。しかし彼は彼にとっての青春が終わる瞬間を、そのまま次のチャンスに切り替えた。そして彼は今もってしてロックンロールし続けている。スゴイね。妻 SHEENA さんは2015年に亡くなってしまうが、二人は最後までロックし続けた。こういう人生もあるんだね。
●アメリカ戦前ブルースの巨人の一人、SON HOUSE から拝借したバンド名。男性ボーカリストをメインにして鳴らすは、鮎川誠のザクザクしたマシンガンギターがどうしようもなく野蛮なロックンロール。同時代イギリスのパブロックをすぐに連想するよ。「POISON」はこのバンドのベスト盤で、「CRAZY DIAMOND」は1983年に再結成した時のライブ盤@日比谷野音。シナロケの代表曲「レモンティー」などなど、後々のシナロケのナンバーになる楽曲もすでにココにあるっぽいね。

SHAEENA THE ROKKETS #1

SHEENA & THE ROKKETS「#1」1978年
SONHOUSE の元メンバーも引き連れた形でリリースされたシナロケの最初のアルバム、レーベルはエルボンレコードというトコロ、調べると演歌専門の会社だったみたい。しかし個人的にはコッチの方が思い入れが強い!ALFA RECORDS のテクノポップは時流を捉えたアプローチで当時有効だったとは思うけど、ロックンロールの初期衝動だけで突っ走った最初のアルバムは経年劣化しない純度の高さで今でも説得力を持ってる。そもそもなんのキャリアも経験もない SHEENA さんをいきなりセンターに据えての挑戦だから、後がない青春ってのはマジで向こう見ず。ここで収録されてる「レモンティー」がやっぱり一番カッコいい。

コレはLPで持ってるよ。このレコードを買った瞬間もよく覚えている。
●約20年前、社会人駆け出しの頃、福岡出張したら突然トラブルに巻き込まれて。収拾がつかなくなって、とりあえず先輩たちを東京に返し一人で福岡に残った。で、トラブルを起こした現地の業者さんたちと事後処理をしてたらもう土日。申し訳ないと思った業者さんの社長が一区切りついたタイミングに「福岡観光はいかがですか?」と提案してきた…ボクの身分はペーペーだけど確かに会社の名前だけはデカイから気を使ってくれたんでしょうね。とはいえ、生まれて初めての福岡だったので行きたい所が思いつかない。福岡タワーとかに案内されたけど全然面白くない。そこでボクは「全然お構いナシで結構なんです、ただ、このままボクを福岡で一番のレコード屋さんに連れてってください。そのあとは勝手に東京に帰りますから」と提案。そんなんでイイの?という顔、レコード屋ってドコにあったっけ?って顔、今でもあの社長の複雑な表情を思い出せる。そんで連れて行ってもらったのが、今尚元気に営業している「BORDER LINE RECORDS」というお店。そこで存分にレコードをディグして、見つけてしまったのがこのシナロケ「#1」!ホントに本場福岡にはあるんだホンモノが!マジで衝撃でしたわ。一緒に買ったレコードだって覚えてるよ。ルーツレゲエの古典 BUNNY WAILER 最初のソロ「BLACKHEART MAN」1976年だよ。BOB MARLEY & THE WAILERSシナロケはある意味で同時代人なんだね。スゴイね。そしてそんな鮎川さんは今でもボクが暮らす街・シモキタザワを歩いてるんだよ。



(くっそー!この夫婦、めちゃカッコいいな!)

●とかなんとか、色々言ってるけど、結局は主演の永野芽郁ちゃんが一番スゴイんだよ。彼女の野生がリアルなんだよ!これでまだ18歳、これからも活躍してね!





サッカー日本代表、世界ランク第3位の強敵ベルギーに、実にいいトコロまで迫ったね。
●自律神経失調症が悪化していて、不眠の症状もヒドくなってる今のボクは、いつものように4時台に目を覚ましてしまったので、せっかくだからと思ってNHKを点けたら、ソコは後半の息つまる2対2の攻防戦。なんだ?予想以上に善戦しているじゃないか!しかも最初は勝ち越しモードだったとは。しかしさすが実力国の猛攻、何度もピンチが押し寄せて、GK川島がソレをハジキ返して。みんながガンバってたけど、最後のアディショナルタイムで逆転のゴールを被弾。あああ。
●不眠症の支離滅裂なアタマでも、その苦闘ぶりは理解できる。日本代表も死力を尽くした。ベルギー勢も必死だった。リビングに腰掛けながら、テレビのプレイを見ながら、テーブルをバンバン叩いてしまった。

サッカーは全然わかんないけど、みんなが頑張ったことは理解できる。次の4年後にはもういないだろうベテランたち、今まで本当にありがとう。そしてコレからの才能たち、さらなる研鑚に期待。

Suchmos_The Ashtray

SUCHMOS「THE ASHTRAY」2018年
NHKのサッカー中継テーマソング「VOLT-AGE」が耳タコになるほどのここ数週間でした。「心つなぐのはそのハートビート!ハートビート!」このフレーズが何回もテレビから流れてくる。娘ヒヨコ「ハートビートって普段使う言葉?、ジョジョの「震えるぞハート!燃え尽きるほどヒート!刻むぞ血液のビート!」くらいしか思いつかないんだけど」そんなマンガの名セリフをサラリと言えるオマエがむしろ異常だよ。ハートビートはワリと普通だよ、坂本龍一も1991年に「HEARTBEAT」って名前のアルバム出してるよ、っていうのもわかりにくいかな。
●ということで、最近ハマってるスポッティファイで「VOLT-AGE」収録の新譜を聴いてみる。さすがに iPhone のスピーカーで聴くのは貧弱すぎてシンドイが、iPad のスピーカーで聴くのはナカナカにハマった。小さいスピーカーが高音に偏ったトゲっぽい音を出す。大まかな輪郭はハッキリしてるので、枕元に無造作に置いて鳴らして寝るのが気軽だ。ヘッドホンは使わない。ケーブルで首が締まるし、寝相でヘッドホンを痛めそうだから。

コレは娘ヒヨコと共に検証した結果だが、「VOLT-AGE」はそんなにイイ曲ではない。メロディというほどの起伏がないまま、サビフレーズのワンアイディアで単調に押し切る感じがシンプルすぎる。でもコレはこのバンドを責める理由にはならない。ボク個人の独断的予想では、6人のメンバーがアイディアを持ち寄ってのジャムセッションで作曲が行われてる感じがする…実際、作曲クレジットは SUCHMOS 名義で個人になってないし。彼らの持ち味である疾走するファンク感は、まさしくジャム感覚から生まれる各プレイヤーの相乗効果が様々なギミックとして効果して、バンドの個性になっているようだ。だから、この「VOLT-AGE」も、演奏のテンションから言えば血湧き肉踊るダンスアンセムになってて、コレがダンスフロアやライブハウスで炸裂すればもう暴動寸前でしょうよ。ベースの存在感とか大好きだよ。でもコレを通信カラオケで誰かが歌ったらどうなる?薄っぺらいカラオケ音源の上でワリと淡々としたボーカルが狭いレンジで展開の薄いメロディをなぞるだけになる。娘ヒヨコは高校のコーラス部なので、ボーカル&コーラスワークにはコダワリがある。そんな彼女がコレでアガるかというと、退屈だ、と評価する。
●とは言え、重ねていうけど、ソレでジャム系ファンクバンド・SUCHMOS の評価は損なわれない。アルバム「THE ASHTRAY」では、ジャムの方向性を色々なベクトルに倒してて「VOLT-AGE」のようなドカドカ路線に依存せず、メロウネスなミッドテンポに挑戦したり、ソウルフルなラブソングを歌い上げたりもしている。去年に始まるブレイクスルー〜そして万人受けしたCMソング「STAY TUNE」の路線をそのまま踏襲すればイイのに、敢えてその期待に肩透かしをかまして新境地を探っている模様。とは言え、シニカルを気取った生意気さもリリックに健在。もう一つのシングル曲「808」は痛快ファンクかな。80年代の名機 ROLAND TR-808 を使っているかはよくわからないけど。

●あ、ソレとボーカルの YONCE くんが ADIDAS の3本線ジャージをサラリと着こなす感じは大好き!なぜならボクも ADIDAS の3本線ジャージを普段着として愛用してるからだ。その遠因〜元ネタは、90年代のミュージシャンたち、BLUR や OASIS たちが普通にジャージを着てたコト。ボクも彼も同じ理由でコレをマネして着てる。ボクは会社にもこのジャージで出勤する。…そういうカッコをいつもしてるから、一部の人たちにヒカレルのかな。



●前々回の記事で、セネガルの音楽について触れたんで、蛇足ついでにもう一枚。

PETER GABRIEL「SO」

PETER GABRIEL「SO」1986年
SUCHMOS からの激しい飛躍ですいません。いきなり80年代ポップスです。代表曲で言えば「SLEDGEHAMMER」が普通にヒットしました。率直にボクも普通にこの曲聴きたくてなんとなく買った一枚です。いつも通りユニオンで350円程度の買い物。で、なんとなく聴き流してました。
●ところが、日本と決勝トーナメント出場を僅差で争った好敵手セネガルとこの一枚は深い縁があったのです。前々回の記事で紹介したセネガル出身の世界的シンガー YOUSSOU N'DOUR が、その世界的関心を集めるキッカケになったのが、このアルバム収録の一曲「IN YOUR EYES」でフィーチャリングシンガーとして参加したことだったのです。
PETER GABRIEL のキャリアはプログレバンド GENESIS のアバンギャルドな表現からスタートしており、ソロになっても商業的な成功とは無縁なアングラ気質。しかしこの4枚目のアルバムで試みたアフリカ音楽へのアプローチが彼の世界を広げた。ポリリズミックなアレンジに雄大な大地を連想させるサウンドスケープ。シリアスだけどキャッチーなメロディ。「IN YOUR EYES」はそんな曲なのですが、そのアウトロにトビキリユニークな YOUSSOU のフリースタイルなボーカルがスッと入ってくる。コレが実に個性的。コレをキッカケに YOUSSOU は世界的な活躍を始めるし、PETER GABRIEL も音楽の新しいフロンティアを切り開くための活動=ワールドミュージックへの挑戦を始めるのです(イベント WOMAD のプロデュース、専門レーベル REAL WORLD の設立などなど)。
●ちなみに、この「IN YOUR EYES」はリリース当初はLP-B面の一曲目だったし、ボクが買ったCDでもそのままの曲順で5曲目になってる。だけど近年のリマスターやスポッティファイではアルバムのエンディングに位置付けられてる。それだけ今なお価値があるというわけだし、今なお PETER はこの曲をライブで演奏し続けているという。
●さらに蛇足だけど、「DON'T GIVE UP」というバラードでは KATE BUSH が客演。彼女の声ってやっぱ素敵。