実家・国立市での休養生活四日目。
●今日は一日中家にコモって何もしない。数日歩き回って少々くたびれた。
●最近いろいろ行動しているように見えて、実は連続して歩いていられるのは2時間弱。それだけ活動すれば動悸・息切れで苦しくなり、喫茶店で30分以上休憩を取らなくてはならない。極端な時は200メートルの移動でギブアップして喫茶店に逃げ込んだ。これは病気というより、休養生活で体力・持久力が極端に落ちている証拠だと思う。だから今日は休憩。ひたすら昼寝。

一方で、この実家の中でも自分のルーツを新発見することに。
●ボクの母方の祖父(88年に死去)に今も健在の弟(つまりボクから見ると大叔父)がおり、母の姉(つまりボクの伯母)と活発にメール交換をしているという。CCで転送された二人の往復メールを母に見せてもらった。これがオモシロイ!
●70歳を超えて活発にPCを操る大叔父の文章は、ユーモアに富み含蓄にあふれとても面白い。そこには母方一族にまつわる大昔の由来や、戦時下の様子、祖父祖母の知られざる側面がつづられていて非常に興味深い。詳細は言えないが声上げて笑ってしまったエピソードも。「アハハハ!おじいちゃんもオトコだったんだねえ!」母は「全く冗談じゃないわよ!」とプリプリ。

●88年(ボクが14歳の時)に死んだ母方の祖父は、ボクにとっては尊敬する大きな存在だった。カッコいい!こういう大人になりたい!と思ってた。
●最盛期にはテレビにCM出稿していた北海道のとある企業の三代目辣腕経営者で、孫から見ればちょっと怖いトコロもあった。「コラ!うるさいぞ!」とか。
●しかし一方で、猛烈な多趣味で、無類の新しモノ好き。カメラが趣味で、高級一眼レフや膨大な数のレンズを持っていた。珍しい切手や世界各国のコイン収集も、子供のボクには宝の山に見えてた。自分で油絵を書き、部屋には近代絵画の大判図版本が一杯あった。古いレコードコレクションもあったし、劇画ブームの巨匠、白土三平の名作マンガ「カムイ伝」もあった。祖父の書斎は、ボクにとっては垂涎の宝物殿だった。
●母の実家・函館へ帰省するたびに、大きな屋敷は増改築されてて、暗室やコレクションの収蔵部屋がドンドン増えていった。新しい部屋を作った時は祖父も自慢げに孫に見せてくれる。「ほら、実はここがドアになってるんだぞ、スゴイだろう!」隠し扉風のつくりは、子供にすれば完全に秘密基地で、探検するのが楽しかった。
●しかし、普段は気さくに書斎の中をいじらせてくれるわけじゃない。大事なコレクションを小学生に壊されても困るだろう。だから祖父の不在時にドキドキしながら忍びこんで、ホンのちょっとだけ物色した。書斎中央にあるフカフカのソファに座って、写真集や印象派の画集を眺めた。小学生に芸術ヌード写真や裸婦画は、かなり刺激的だった。劇画「カムイ伝」も夢中で読んだ。色々な本があって最高に楽しかった。

カムイ伝全集―決定版 (第1部1) (ビッグコミックススペシャル) カムイ伝全集―決定版 (第1部1) (ビッグコミックススペシャル)
白土 三平 (2005/09/30)
小学館

この商品の詳細を見る


そんな祖父と会話したエピソードの一つを今でもよーく覚えている。
●当時小学生に流行していたミニカー「チョロQ」とその改造マニュアル「チョロQ空を飛ぶ」という本をボクが持っていて、祖父の前で遊んでいたら、祖父は「おまえ、それはナンだ?」と真剣に聞いてくる。
●小学生なりに面白いトコロを一生懸命説明したら、祖父は大真面目な顔して「なあ、コレをオレに売ってくれ!」 親戚の大人にオモチャを買ってもらったコトはあっても、売ってくれといわれたコトは、人生でこの一回限りだ。ボクは多少ビックリしながらも、定価で3台のチョロQと本を祖父に売った。「おじいちゃんはやっぱりオモシロイ!」

祖父が亡くなり、葬式で一族が函館に集合した。
●ボクは中学生で、音楽に夢中になり始めていた時期だった。主がいなくなった秘密基地に入って、戸棚を開けてみたら、大量のLPコレクションが出てきた。ビックリだ! BEATLES STONES、KING CRIMSON といった60年代物から、VAN HALEN、ROXY MUSIC、TOTO など当時リアルタイムの80年代物まで網羅してた。この人スゴイ、病気を患った最晩年まで新しい知識と情報を追いかけてたんだ…。周りの大人に断って、形見分けとしてこのLPを数枚譲ってもらった。

クリムゾン・キングの宮殿 (ファイナル・ヴァージョン)(紙ジャケット仕様) クリムゾン・キングの宮殿 (ファイナル・ヴァージョン)(紙ジャケット仕様)
キング・クリムゾン (2006/02/22)
WHDエンタテインメント

この商品の詳細を見る

●世田谷区にあった別邸(これも秘密基地みたいな屋敷だった)に訪れた時にもハッとする発見があった。すでに主はいない部屋の本棚に、ボクが売ったチョロQが丁寧に陳列されていたのだ。自分で買い足したのか、台数は随分増えていた。

●経営者としての祖父の辣腕は、ボクにはまるで遺伝していない。が、「ハマるとトコトンまで突き詰める凝り性な気質」「アート志向の性質」は濃厚に受け継いでいる。大きなロールモデルとして祖父の存在は、ボクの性格に強く影響している。小学生の頃、一度だけ祖父が「オレの孫の中じゃ、きっとオマエが一番大物になるぞ」と言ってくれたことがあった。今まで誰にも言ったことはなかったが、最高に嬉しかったので痛烈に覚えている。しかしボクは祖父の死後20年近く経っても小物のままで、祖父の予言を実現できていないのが残念だ。


実家にいると、不思議と色々なことを思い出す。普段は全く振り返ることのない記憶と向き合う奇妙な時間だ。反対に、仕事に没頭していた頃の自分は完全に無我夢中で、そうしたものから自分を100%引き剥がして、前だけを見ていた。「終わったコトはそれでオシマイ、次へ、もっと先へ、もっと遠くへ!」 そういう思考と生活がボクを病気にしたのでしょうね。



●あとはバカな趣味のお話。DVDを二枚観る。

マーダーボール マーダーボール
マーク・ズパン、ジョー・ソアーズ 他 (2007/03/21)
エイベックス・トラックス

この商品の詳細を見る

●DVD「マーダーボール」
●障害者のスポーツ、車椅子ラグビー。一つのボールを奪い合って敵軍陣地の奥まで運んだものが点数を得る。通称「MURDERBALL」。殺人ボールと呼ばれるだけあって、この競技は激しく危険。クルマ同士の激突で転倒続出。戦車のように武装されたクルマが猛スピードでコートを疾走し、ぶつかり合う。そんな競技に燃える選手達のドキュメンタリー。
●肩と足に彫り込まれた大きなタトゥー、挑発的に刈り込まれた金髪と尖った顎鬚、闘志剥き出しの鋭い目。アメリカ代表選手マーク・ズパンは、車椅子に関係なく、関わりたくないヤバいタイプ。「車椅子だからヒくのか?かかって来い、殴り返してやるから!」
●一方、彼の強敵カナダ代表チームには、因縁の監督がいる。ジョー・ソアーズ。アメリカ代表として世界大会3連覇の偉業をなした重要選手でありながら、年齢から代表を外された彼は、祖国を裏切り宿敵チームの監督に就任した。カナダ対アメリカ、この勝負の行方は…?アテネ・パラリンピックを舞台に試合は燃え上がる。
●選手それぞれに、障害を負った事情がある。その障害に悩み苦しめられた過去がある。誰もがその苦い経験を通過して、このコートの上に集まる。そこで生まれるチームの絆と誇り。障害を克服した強さが彼らを「殺人ボール」へ奮い立たせる。
●一度失われたモノはもう帰ってこない。残された自分の力の範囲で一体ナニができるのか。考えろ。アタマを切り替えろ。ボクの病気は命に関わるモンではないが、根治には数年単位の時間がかかる。十数年クスリを飲み続けている人だって知ってる。オマエのカラダは既にポンコツだ、ポンコツなりに何が出来るか考えろ!


ブロック・パーティー ブロック・パーティー
デイヴ・シャペル、カニエ・ウェスト 他 (2007/03/21)
エイベックス・トラックス

この商品の詳細を見る

●DVD「ブロック・パーティー」
●アメリカの人気コメディアン DAVE CHAPELL がブルックリンの街角でフリーのシークレットライブを企画した。出演者は豪華!KANYE WEST、ERYKAH BADU、JILL SCOTT、MOS DEF、COMMON、バックバンドは THE ROOTS。そして最大の目玉は再結成 THE FUGEES!良心的なヒップホップアーティストが結集しピースフルなパフォーマンスを繰り広げる。
●そんな豪華なステージとカットバックしながら描き出されるのは、コメディアン DAVE CHAPELL がイベントを作り上げていくまでの人々との出会い。リラックスしたリハ風景、会場を提供するヒッピーの老夫婦。即興でラップを始めるレストランのウェイター、地元オハイオの大学マーチングバンドを誘ってNYにバスでご招待。
●なんてチャーミングで愉快なイベントだろう。DAVE CHAPELL のフランクな人柄が観る者を陽気にさせるが、仕掛け人はもう一人。監督 MICHEL GONDRY!子供心溢れる映像センスでミュージックビデオを数多く手がけ、映画界に進出した俊英だ。彼にとっても筋書きのないドキュメンタリーは初めてだったが、ただのライブ映像では伝わらない温もりが心に残る作品になってた。


実家・国立市での休養生活三日目。
●今日は、自動車免許の更新手続きで、府中の自動車試験場まで行った。つまらない違反が一個あって、2時間の講習付き。しかも有効期限がたった3年だけになってるぞ。交通法規もどんどん変わってる。免許書もICカードになって「暗証番号決めてください」なんて言われる。ふーん。
●でも自動車の運転は、もうしばらくしません。今のボクが事故を起こせば「抗精神剤常習、薬物依存の男、心身衰弱状態にて子供をひき飛ばす。事故当時の精神状態を鑑定に…」なんて話になる。マジでヤバイ。運転ムリムリ。愛車ビートルは放って置かれてバッテリー上がっちゃうだろうな。

免許更新作業の後、バスで調布駅前に行く。
●ココは、ボクが高校生活三年間(89〜92年)を暮らした街だ。今週のテーマは僕自身のルーツ巡りだ。また思い出に浸りながら駅前を歩く。忘れてた記憶がよみがえる。
●調布駅北口にはパルコ調布店がある。パルコ系列店で一番所帯じみた店舗じゃなかろうか。あんまオシャレな記憶がない。調布じゃオシャレにしてもねえ…。
●当時はココのパルコブックセンターでバイトをしてた。でもレジ打ちができなくて直ぐクビ。本の分類を数字で入力する作業が出来なかった…。マンガは○○番、教育書は××番とかが覚えられなくて。マンガのビニール包みを何百冊もやらされた。現在はリブロブックスと名を変えて存続してた。

パルコの向かいにはかつてダンキンドーナツがあって、やはりバイトしてた。やっぱり出来の悪いバイトだった。
●お客はドーナツの名前を言って注文してくるが、カウンターの内側、店員側にはドーナツの名前がラベルされてるわけじゃない。ボクはドーナツの名前を覚えてないから、お客の注文がどのドーナツを差してるかワカラナイ。しょうがないからデタラメなドーナツを箱詰めにして、テキトーにレジ打って対応してた。箱詰めされてるからお客は自分のドーナツが間違ってると気づかない。お家に帰ってから初めて気づくのでしょう。サイテーだね。あ、指差して注文してくれれば大丈夫でしたよ。
●現在ダンキンは日本で絶滅してしまいましたので、その場所には吉野家が入ってました。ダンキン吉野家は、元から経営母体が一緒の会社なんだよね。

●駅前北口ロータリーをさらに北へ歩くと、「天神通り商店街」というチンケなチンケな商店街がある。この頼りない横丁を毎日歩いて高校に通ってたのだ。ココのコンビニで毎日マンガ雑誌を立ち読みしてた。あの頃はマンガ雑誌9誌、最盛期は16誌くらい毎週チェックしてた(←アホ。読み過ぎ)。でも買った記憶はあんまりない。金ないんだもん。ひたすら立ち読み。足が痛くなるほどに。

!kitarotennjin.jpg

●そんな「天神通り商店街」に奇妙な変化が!なぜか至る所に「ゲゲゲの鬼太郎」の人形がいるのだ。ネズミ男までいた!

!nezumi.jpg

●調布市に作者水木しげるさんが在住しているのは以前から周知の事実だが、なぜ今更「鬼太郎」押しなのか?しかもピンポイントにこのチンケな「天神通り商店街」だけで?ナゾだ!しかし鬼太郎好きの息子ノマドのために、速やかに写メし、バカンス先のインドネシアへ送信した。

!kitaro.jpg

●そんなマヌケな「天神通り商店街」だが、わざわざ行くのは理由がある。この商店街と甲州街道が接する交差点に、中古レコードショップ「タイムマシーン」があるのだ!調布に来たからにはチェックせねば。(←ボクは土地の記憶とレコード屋が必ず結びついてるなあ。バカじゃなかろうか)
●この店は、レコード・CDだけじゃなく、古雑誌やマンガ、変なグッズなどとヘンテコな品揃えが特徴。高校生当時はこの店で T.REX「CHILDREN OF THE REVOLUTION」の12インチ TONY VISCONTI EXTENDED MIX やU2 の初期名曲「TWO HEARTS BEAT AS ONE」の12インチ CLUB REMIX などを買ってた(←ホントによく覚えてるなと自分でも感心する)。
●あの頃はオープンしたばかりで品数も頼りなかったが、甲州街道で調布通過すると絶対目に入ってくるので、ずーっと一度チェックしに行きたいと十数年間思い続けてたのだ。
●実際に行ってみたら、狭い店内に限界まで詰め込まれた膨大な在庫量に衝撃。洋楽だけじゃなく、歌謡曲のドーナツ盤シングルや8cmCDシングルまで大量にある。マンガも古雑誌もクセの強いのばかり。メチャメチャ掘り甲斐があるというもの。この店面白い!しかも割と安め。結局12枚を約5000円で買った。

・「タイムマシーン」:調布市布田1−1−3調布安田ビル2F
           0424−89−1577

●さらに歩を進めて「天神通り商店街」の名の由来である、布田天神社に行った。ボクはこの神社の裏手のマンションに住んでいたのだ。境内の雑木林が懐かしい。当時は気にもとめなかったが、起源は10世紀前半までさかのぼる立派な古社で、毎月骨董市が立つという。初めて知った。
●普段は神仏など興味もないボクだが、今回ばかりはマジメにお祈りしようと思った。財布の中のジャリ銭を全部出したが97円だった…。とにかく全部賽銭箱にブチまけて、手をパンパンと打った。「早く病気が治って、以前のように楽しく仕事ができますように。」