全身が痛いです…。
●ブログ更新するコトすら出来ないほど、カラダがキツいです…。腰と肩と首と目と頭が痛くて眠れません…。もうダメ。ヘコへコです。
 
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昨日は歯医者、今日は鍼灸院、明日は心療内科。
●毎日せっせと病院に通ってます。疲れる。

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●鍼灸院がある東銀座で見かけた新しいビル。キレイに反り返ってる不思議なカタチ。


最近テレビを普通に見ることが出来るようになりました。
●病気療養中は仕事のコトをスッポリ頭から抜け、と医者に言われているので、極力テレビを遠ざけていたのでした。テレビを見るとどうしても仕事を思い出すから。ワイフにも「悪いけど消してくれ」とか言ってた。不思議なことに、朝番組の「ズームイン」だけは見られるんだけど。「ズーム」だけがボクと日本の社会情勢を結ぶ唯一の回路でした。

●でも、先々週と先週の金土にやってた「踊る大捜査線」シリーズ4本の映画、全部見ちゃった。

踊る大捜査線 THE MOVIE 踊る大捜査線 THE MOVIE
織田裕二、本広克行 他 (2003/06/18)
フジテレビ

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踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!
織田裕二、柳葉敏郎 他 (2004/06/02)
ポニーキャニオン

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交渉人 真下正義 スタンダード・エディション 交渉人 真下正義 スタンダード・エディション
ユースケ・サンタマリア、寺島進 他 (2005/12/17)
ポニーキャニオン

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容疑者 室井慎次 容疑者 室井慎次
柳葉敏郎、田中麗奈 他 (2006/04/19)
ポニーキャニオン

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「フジテレビの映画なんて」とか思って、一回も見ようと思ったことないし、もちろんドラマ本編も一回も見たことない。でも不覚にもタップリ楽しんでしまった。スカッとしちゃったんですね。
●ドラマ本編を一回も見たことないから、よくわからないんだけど、映画版のこのシリーズは、事件の犯人にさほどの関心を払ってないんだよね。犯行の動機に深みがないし、配役も適当だし、顔さえ明かさずにお話が終わったりする。
●むしろ「敵は内側にアリ」って感じ。職業として「やるべき事を真っ当にやる」ただそれだけのために、組織内側で猛烈な摩擦が起こる。犯人を追いつめる前に、後ろから足引っ張られて現場の人間が大ケガする。
●公開時期が10年前でおおらかだったのでしょう、湾岸署の凸凹署長さんトリオが、冗談めかして贈収賄を無邪気にしてるのも、現在感覚だとメチャ引っかかる。今の時代が神経質すぎるのかな。社会的ストレスはこの10年で随分増大したってことか。
●組織とは、リーダーとは、どうあるべきか、仕事の中でボクもよく考えていた。基本は苦手ッスよ、組織の中でスイーッと器用に泳ぐなんてコトは。こと偉い人とのお話なんて、いつもビビってる。でも所詮サラリーマンだし、中途半端に中間管理職っぽい仕事もあるし、ヤなコトばっかし。
●でもボクと仕事する人には理不尽な思いをさせたくない、ソコだけは拘っていたかった。権限ないからギャラは出せないけど、経験/スキルと誇りだけは、提供してあげたいと思ってた。まあ、ヤリきれてるかは微妙。


ドラマ「働きマン」も始まりましたね~。

働きマン (1) (モーニングKC (999)) 働きマン (1) (モーニングKC (999))
安野 モヨコ (2004/11/22)
講談社

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●連載でずっと読んでたけど、ドラマ見るのは一瞬躊躇した。これこそ「仕事」ど真ん中を想起させるでしょ。でも結局見てる。菅野美穂さんイイですよ。マンガチックな誇張演出は日テレドラマの常套手段だけど、ハマってると思います。原作の方がシリアスだと思う。
●このドラマの何がイイのかというと、彼女演じる女性編集者が「見苦しい」からです。すっごくカッコ悪い。いつもジタバタして、無駄なアガキでカロリー消費して、すぐキレたり、半ベソ寸前でヘコタレたり。でも職場じゃ限界まで突っ張ってて、自分で訳も分かってないのに仕事に突進する。バカだよね。楽な生き方はもっとあるだろうし。世の処世術本じゃ「上流行けないタイプ」に分類されるよね。
●でも、素朴に彼女と一緒に仕事したいと思った。できれば仲間として。なんでだろ? 器用なヤツ嫌いだからかな? 器用なヤツと組んでも、面白くない。だってそんなヤツは一人で全部こなせるでしょ。別にチーム必要ないじゃん。または、他人に押し付けるのが器用なヤツ。はいはい、全部ボクがやるよ、みたいになる。
●最近、女性の職業観を問うドラマ、増えてますね。「ハケンの品格」「ホタルノヒカリ」などなど。男はナニしてんだ? 語るべき言葉はないのかな。「専務島耕作」なんてのはゴメンだよ。アレ課長時代から読んでるけど、全然たいした仕事してないから。偶然の愛人が助けてくれて実績挙げてる、タダのオヤジ妄想。
●とにかく「働きマン」1クール、楽しみに見させてもらいます。

有閑倶楽部 (19) (りぼんマスコットコミックス (1421)) 有閑倶楽部 (19) (りぼんマスコットコミックス (1421))
一条 ゆかり (2002/11/15)
集英社

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●ちなみにワイフは「有閑倶楽部」の方が楽しいらしい。
●これまた古いマンガを原作に据えてきたね~。ボクはちょっとしか読んだ事ないけど、ワイフはかなりハマってたらしい。25年くらい前に始まったマンガ、今でも時々描かれてるらしい。そして彼らは四半世紀の長きにわたって高校三年生のままという。
KAT-TUN田口くんのムリヤリな金髪、イイです。彼、SMAP草薙くん的ポジションにキッチリ収まりそうだね。トゲっぽい KAT-TUN で一番癒しキャラだし。美波ちゃんという女の子は、今回初めて知りました。カワイイです。表情がよく動く。ボクは元々はちょっとボーイッシュな子がタイプなものですからドンピシャ。
 
 
ヒヨコの見た夢。
●世の中全部が「ぬれせんべい」になってしまった夢を見たそうだ。「ぬれせんべいのベッドがあって、ぬれせんべいのマクラがあって、ぬれせんべいのおウチがあるの。で、ぜんぶフニャフニャしてるの」……醤油臭そうな夢だなあ。ヒヨコの夢はみんな食べモン関係だね。

ぬれせんべい


 
公文式教室で、保護者面談。
●今年8月から通い始めたノマドヒヨコの公文式教室。今日ワイフは先生のトコロへ面談に行って来た。ワイフは、正直一体どんな言い方で怒られるだろう、と心配しながら行ったそうな。
●なにしろノマドはヘソ曲がりで、問題文の「あいている ます に じ を かきましょう」をわざわざ「かきません」とか書き換えてたり、名前を暗号文のような幾何学模様に改造して記入したり、数字の書き取りをわざわざ白抜き文字にアレンジして書いたりするのだ。

のまどの公文数字書き取り
                      (白抜き文字って、こんな感じ)

●ヒヨコは教室で騒がしい。先生とズーッとお話ししながら課題をこなしているという。自分の課題が終わってワイフがお迎えに来るまでは他人の迷惑顧みず、デカイ声でズーッと遊んでいるという。ある年上のお兄ちゃんから「うるさいよ!」と言われたコトも。

●しかし、面談の内容は平穏でホッとしたとか。「二人とも楽しんでるようでとても結構ですよ。最初は楽しいのが一番ですよ」「ノマドくんは、もう少しで数字の書き取りから足し算に進ませようと思ってます」ああ、それは本人喜ぶ。200まで書き取りして、ノマド少々うんざりしてたから。「そして、ヒヨコちゃん、人見知りしなくて明るい子ですね。いっつも楽しそうにおシャベリして」

しかし、ヒヨコはトリアタマです。雰囲気に単純に流されます。
●この前も、プレイモビルのパンフレットを見ながら「コレほしい~、おたんじょうびコレほしい!」とか言って来た。それが三階建ての大型ハウス。単品で2万越え、中の家具&お人形まで揃えたら5万越えするぞ。ワイフは「無理無理!」と無言のブロックサイン。いやいやココで「ヒヨコそれダメ」とか言ってたら野暮。ニッコリ笑って「ヒヨコ、じゃあコレからお店に見に行こう。」

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●下北沢のプレイモビル専門店「プレモランド」にママチャリで直行。「わー、かわいい!」沢山あるプレイモビルに大興奮。「あーワニさんだ~!ガブッ!ユビくわれちゃった」ノリノリ。ヒヨコが沢山の商品を見すぎて、脳ミソの記憶容量がパンクしたあたりで、シレッと提案。「あら、ヒヨコ。こんな所にお姫様セットがあるぞ…(価格3800円)」「シンデレラだ~!ヒヨコこれにする!」はい!一丁上がり!最初の希望は搭載メモリからこぼれ落ちた。ヒヨコ簡単に誘導できるんだよね。

ヒヨコ自身も雰囲気の流れだけで世の中渡っていけると思ってるフシがある。
●この前もノマドに、さも偉そうに処世術を説いていた。「ノマド、みんながハーイってテをあげてるトキは、わかんなくてもテをあげればイイんだよ~」おいおい、ヒヨコそれ違うだろ!先生のハナシ聞けよ。わかって手を挙げろよ。この前もハナちゃんとオシャベリしすぎて先生に怒られて泣きベソかいたばかりだろ。そもそもハナちゃんと何の話してたんだ? 「わすれた、えへ」その程度の話かい。しかも懲りてないし。

しかしヤツの甘え上手っぷりは、かなりのハイレベルである。
●文脈に関係なく勝手に人のヒザの中に入って来てチョコンと座る。つまんない用事でも「パパついてきて」と手を引っ張ってくる。「パパ、ヒヨコのクツシタないの」取りに行けばイイじゃん。「パパいっしょにいこう」え、コドモ部屋だろ一人で行けよ、とか言いながら結果的に付合わされる。この戦法でジジもババも手玉に取っているらしい。
●なんか、末恐ろしい女の子になりそうで不安だわ。反対に、しぶとく生き残る逞しさも感じるけど。

でも、ヒヨコのコダワリセンスには妙なオカシミがある。
●ヒヨコに、ノマドのような知的好奇心は全然ないが、カワイいモノへの興味は素晴らしい。カワイいイラストのチラシを集めたり、丁寧にスクラップブックを作ったり。洋服への関心もかなり高い。喜んでワイフの買い物に付合うし(時にダメ出しもする)、勝手にワイフのキャミソールとか着たりする。
●バレエの衣装についてもスゴいコダワリが。発表会の練習が佳境に入った頃、何気なく「どんな衣装着るの?」と聞いたら、「あのね、ココにリボンがあって、カワイイボタンが2つついてて、おなかのトコロにオハナがついてるの!」とまくしたてるように報告した。その詳細な描写に一瞬ビビった。オマエのザックリさんぶりからは想像できない観察力だな。ビックリ。

ヒヨコの工作もボクは好きだ。
●エンピツの扱いはまだ超ヘタクソで、字もおぼつかない。自分の名前も「ひ」「こ」は書けるけど「よ」は書けない。でも毎日のように折り紙とハサミ&ノリで工作をしている。コレがナカナカの色彩感覚で楽しいのだ。最近の秀作をお見せします。

ひよこ猫と散歩


ヒヨコ作品「ネコちゃんとさんぽするヒヨコ」
●首輪をつけてネコちゃんと散歩しているヒヨコ。中央には大きなお花、そしてお花にとまったチョウチョ。シールを適当にペタペタ配置。クッキリした色彩感覚がマティス風(←大げさに言い過ぎ)。

ひよこ女の子

ヒヨコ作品「オンナのコふたり」
●以前は同じ形態で「ワンちゃん」と言ってたけど、ハサミでシャギーを入れて髪の毛を作り、女の子に仕上げました。
●何も教えてないのに、不器用なりに全部オリジナルで作ってるから立派だわ。どこでこの技術を覚えて来るのだろう。

一方、ノマドも大作を開発しました。

のまどスゴロク

ノマド作品「オリジナルすごろく」
●長い!1メートルはある。しかもマスに仕掛けられたイベントがエグイ。「11コもどる」 え、ノマド1コ戻るじゃなくて11コも戻るの?おお「16コもどる」もあるのかよ。至る所にワープポイントジャンプポイントがあって侮れない。さらに「ジゴクのいりぐち」というマスまである。ノマドココに入るとどうなるの?「ジゴクにおちて、ゲームオーバー!」そんな…。しかもビックリしたことに、終盤行く手が途切れている。ノマドココから先つながってないぞ!ノマドによると「ぱわー」のマスに止まってガケを飛び越えるパワーをゲットしないと、この空白は乗り越えられないという。スゲエな。
しかもこれがドンドン増殖してる。ゲームを重ねる度に新しい仕掛けを書き加えて改良してくる。4~5回繰り返してもノマドは「もういっかい!」もう今日はカンベンしてよ、と言ったら泣いて抗議。ホントに粘着質でシツコイなあ、ボクにそっくりでイヤになる。

そんな二人のお気に入りのCDがコチラ。

OLIVIER CAILLARD「IL COURT, IL COURT, LE FURET」
OLIVIER CAILLARD「IL COURT, IL COURT, LE FURET」2002年
●フランスの子供ならみんな知ってるという童謡を、ジャズコンポーザーである OLIVIER CAILLARD さんがカワイくアレンジ。子供コーラスに合わせて手回しオルガンや楽しい電子音楽を盛り込んでカラフルに仕上がりました。童謡だけに、シンプルでメロディの輪郭がハッキリしてるし、フランス語の語感もユニークだから、インパクトが強烈。ハッキリ言って聴き流しができないほど。脳ミソへ的確に侵蝕して、アタマの論理思考を強制停止する。効きますよ。
●実は、ノマドヒヨコのバレエの発表会で聴いたモノ。ヤツラの先輩たちの演目だから、誰のどんな音楽なのか皆目見当がつかなかったのだが、偶然にも近所の雑貨屋さんのBGMになっていたのだ。

●コレを先日「渋谷系」CDを一杯譲ってくれたヨーコさんに、お礼として贈らせてもらいました。そしたらさらに偶然が。このCD、ヨーコさんも気になりながら、聴くことが出来てなかったモノだったとか。おおナイスファインプレイ!聴いて楽しんで下さい。
 
 
職場の後輩H山のオシャレでカワイイ奥さんからCDの頂き物をしました。
●ダンナのH山ともども、病気で長期休職中のボクを大層心配してくれている様子で、とてもありがたいと思ってます。そんな彼女、ヨーコさんから一月くらい前に、メールをもらったのです。そこで「中古レコード屋に持って行ったら『50円にしかなりません』と言われたCDがあります。買いたたかれるのもアレなんで、もらって下さい」的な提案をしてくれました。CD聴いて過ごすばかりのボクにはとてもウレシい話、是非ということで譲ってもらったのです。
●ところが、届いたCDの数なんと20枚! 50円というからホンの数枚だと思ってたのでビックリ! わーなんか恐縮、ホントにありがとうございます。

そしてお話は「渋谷系」へ。
●彼女自身もメールで伝えてくれましたが、そのCDの内容は、90年代の東京を鮮やかに彩った「渋谷系」的音楽のテンコモリでした。90年代前半に学生時代を過ごしたボクにとっては、非常に大きな意味を持つこの時代、この音楽。一枚一枚CDを聴くごとに溢れかえる当時の思い出。とても簡単に咀嚼できるものではなく、ブログの文章として表現できるようになるまでに一ヶ月もかかってしまいました。ブログとしては非常識に超長文で理屈っぽいボクの文章が、今日は特に冗長になることを、コレ以降を読む方は覚悟して下さい。


90年代の音楽ムーブメント「渋谷系」とは何だったのか?

●時は90年。ボクは高校2年生だった。渋谷にUK系の大型レコードショップ HMV の日本進出第一号店ができる。センター街のドンツキ、クワトロの裏手で、現在ブックファースト(近々つぶれちゃうらしいけど)の隣にあるパチンコ屋さんのある場所。2フロア分をCDで埋め尽くしたショップは当時の感覚ではホントに巨大で、貧乏で無知な高校生のボクには、どんなアイテムでもおいてある夢の世界。
●このお店の一階のイチバン目立つ場所に、当時最先端のオシャレ音楽を集めたコーナーがあった。このお店の敏腕バイヤー太田浩さんという人物が、洋楽邦楽織り交ぜてチョイスしたCD棚。この伝説の人物が持ち込んだ新しいセンスが「渋谷系」の原点となる。「渋谷系」の名の由来は「HMV渋谷店」にあったのだ。

この90年状況をもうちょっと丁寧に考察しよう。
●これに先行すること数年前、音楽界には巨大革命が起こっていた。「CD革命」「LPレコード」という媒体から「コンパクトディスク」という新媒体へのパラダイムシフトが起こったのだ。日本でのCDの生産販売は82年、86年にLPとCDの売上げが逆転し、アナログは一部の音楽マニアだけのモノになる。新譜はもちろん、旧譜も次々とCD化されレコードショップの棚は全部CDに置き換わっていった。
●これがナニを意味するのか。多感な思春期をこの時期に過ごしたボクの目には、このツヤツヤの新製品に、新譜旧譜の区別はなかった。50年代の音楽だろうと、70年代の音楽だろうと、新譜と変わらないピカピカの新品&高音質。それが巨大メガショップに、図書館のように整然とABC順にならんでる。80年代の音楽シーンは旧世代音楽を激しく批判し過去との決別を宣言、NEW WAVE 運動を推進する。でも90年代のボクらにとって、その音楽が古かろうか新しかろうが関係がない、どれも全部CDの新製品なのだから。90年代ならではの新感覚がこの瞬間芽生えたと、ボクは考えている。ボクらはCDという名のタイムマシーンで、偏見なく自由に20世紀全ての音楽遺産をつまみ食いする感覚を備えた第一世代なのだ。

外資系メガショップ進出のもたらした意味。
●渋谷の巨大ショップといえば、アメリカ系の TOWER RECORDS。出店は意外に早くなんと1978年。90年当時は、現在の MANHATTAN RECORDS のお向かい、ジーンズメイトの2階(今はサイゼリアだっけ?)にあった。店内は洗練された今のお店とは違って、いかにもアメリカンな大味さ雑然さに味があった。邦楽はおろか洋楽日本盤すら扱わず、あるのは100%アメリカ直輸入のアイテムだけ。あのアメリカ特有の微妙に甘いニオイが、まだ知らなかった彼の憧れの国を感じさせてドキドキした。
●彼ら外資が扱う輸入盤の存在は、ボクらリスナーに大きな意味があった。まず安い!コレ超重要。現在ではイロんなシガラミで価格が釣り上がってしまったが、当時は日本盤と比べて1000円くらい安かったりしてた。金がない小僧だったボクにはチョー大切な問題だった!
●そして早い!海外の音楽シーンの動きをダイレクトに東京に伝えてくれた。日本のレコード会社というフィルターをかまさずに、マイナー盤インディー盤をドクドクとリアルタイムで供給してくれた。後で触れるが、日本のシーンと、アメリカ/イギリスのシーンが同時多発/同時進行で共鳴共振していったのが「渋谷系」というムーブメントの特徴だ。こうした市場的状況が「渋谷系」を準備したのだ。

「渋谷系」ムーブメントのあり方とは。
●回りくどい説明で恐縮だが、「渋谷系」を説明するポイントは2つ。
●その1。新しいモノがイイ古いモノが悪いという感覚から、解放された世代の音楽だということ。90年代の少年少女は、20世紀の音楽遺産をすべてフラットな目線で審美する感覚を備えた第一世代だった。
●その2。グローバルな情報伝達が加速したため、最先端海外シーンとの影響関係がより濃くなったこと。そして東京発の音楽が世界のシーンへ影響を与えるまでに発展していく。加えて急速に発達したインターネットの技術がさらにハイスピード化を押し進め、現在においてもシーンを活性化する強力なインフラとなっている。
●時間というタテ軸、空間というヨコ軸を、より自由に飛躍することができるようになった世代の感覚を表出したのが「渋谷系」なのだ。


●さて、ここからは、ヨーコさんが譲ってくれた音源を軸に、ボク個人の「渋谷系」時代を綴っていきます。

MENU 100S TRATTORIA

VARIOUS ARTISTS「A MUSICAL SOUVENIR OF TRATTORIA - MENU 100'S MAGIC KINGDOM」1998年
●元 FLIPPER'S GUITAR、現 CORNELIUS小山田圭吾氏が主宰するレーベル TRATTORIA のリリース100枚目記念アルバム。自身のユニット CORNELIUS から、渋谷系を代表する数々のアーティスト(カジヒデキ、KAHIMI KARIE などなど)、そして同時代の英米のアーティスト(PAPAS FRITAS、CORDUROY などなど)、自らが再評価&再発した60年代のソフトロック(FREE DESIGNなど)までを網羅する内容。98年という時代は「渋谷系」終焉の時期だったが、その収穫を振り返るには象徴的なコンピレーションだと思う。時間空間を超えたコンパイル感覚が実に「渋谷系」
●そもそも、「レーベルでCDを選ぶ」という発想をボクに教えてくれたのが、この TRATTORIA であり、小山田圭吾であった。91年に FLIPPER'S GUITAR が解散。その大爆発の衝撃波の中から「渋谷系」はそのムーブメントの輪郭を明らかにしていくのだが、当の爆心地にいた本人が92年に立ち上げたのがこのレーベルだ。
●正直言うと、FLIPPER'S GUITAR をボクは後追いで聴いた。解散するというキッカケで初めて存在を知ったのだ。CDをまとめ聴きしてその音楽の素晴らしさに打ち震えながら、その本丸の不在から「渋谷系」の世界に入って行った。そして小山田小沢両氏の動向をジッと見つめてた(あの時は誰もがそういう気持ちだったと思う)。
●そんな小山田氏がレーベルを始めるという。レーベルってナニ? アホな若造であるボクは、そんな認識だった。「ああ、小山田圭吾おススメの音楽を本人がレコード会社の立場に立って世に出すのね、それはステキだ!」優れたレーベルには個性や主義があり、それがアーティストそのものと同じくらいの意味を持つと知った瞬間だった。
●92年頃にはインディー、メジャー問わず様々な新興レーベルが現れた。瀧見憲司氏の CRUE-L RECORDS、VENUS PETER などがいた K.O.G.A. RECORDS、雑誌「米国音楽」が発足させた CARDINAL RECORDS ……、A TRUMPET TRUMPET なんてのもあったなあ。メジャー内インディーも活発だった。ビクター系の AJA RECORDS、EMI系の POR SUPUESTO、B級メジャー MIDI も存在感のある作品を出してた。もう枚挙に暇がない。テクノ、ヒップホップ系も含めればもっと沢山挙げられるだろう。コレがポスト FLIPPER'S 状況であり、「渋谷系」が巨大なウネリを作り始める時期だっだのだ。

BRIDGE「THE BEST OF TRATTORIA YEARS」

BRIDGE「THE BEST OF TRATTORIA YEARS」1995年
●92年~95年に活動したネオアコースティックバンドで、初期 TRATTORIA の代表選手。FLIPPER'S GUITAR の 1st の世界観を正確にトレースした忠実なる FLIPPER'S フォロワーだと思う。当時はライブも見た。確か2回ぐらい。甘くてカワイイ女子ボーカルに優しいバンドサウンドは、当時のオシャレな女の子にはたまらなかったでしょう。でもロックの粘っこさ泥臭さへの執着から自由になれてなかったボクには、軟弱に聴こえてたのも事実。
●バンドはその後分裂し、音楽的中核だったカジヒデキはソロアーティストになりスウェーデンの音楽シーンに接近、彼の地のアーティストとコラボしていく。彼経由でスウェーデンのポップスシーン(CARDIGANS、EGGSTONE など)がグッと注目された。あんなに遠い北国にボクらと同じような音楽を楽しむ若者がいるなんて、なんてステキなコトだろう。これが「渋谷系」的世界同時多発/同時進行感覚だ。学生時代、一度彼をDJに招いてイベントしたことがある。実にポップで軟弱だった(笑)。
●その他のメンバーは PETE というバンドを作った。PETE のCDはボクの混乱した部屋のドコかに埋まってるはずだが、発見できないだろう。やはり軟弱だったことは覚えている。

KAHIMI KARIE「ONCE UPON A TIME」

KAHIMI KARIE「ONCE UPON A TIME」2000年
カヒミ嬢は「渋谷系」の女神だった。圧倒的にオシャレで、圧倒的にムリ目の女の子。こんな女の子がクラスにいたら大変。野暮ったいボクが話しかけても無視。眼中にない。女子からも当然浮きまくってて、でも一向にかまわない。そんなタイプ。そんな彼女を「渋谷系」の貴公子小山田圭吾がプロデュースする。ほえー、オシャレすぎて親近感もてねえ~。と、いうことで、実は彼女のCDをマトモに聴くのはこれが初めてです! はははは、コレはボクのコンプレックス。あまりにオシャレなモノは苦手。自分がオシャレ的にイケテナイので、引いちゃうんだよね。
●そんな彼女の2000年の作品。当然「渋谷系」時代からは遠く隔たったモノだが、トレードマークのウィスパーボーカルは健在っすね。このミニアルバムでボクが注目したのは、ココでの彼女のコラボ相手。プロデュースがアメリカ・ジョージア州アセンズのバンド THE OLIVIA TREMOR CONTROL だってこと。おおお!ソコ狙ったか!アセンズ(ATHENS)はロックバンド R.E.M. の出身地として知られる街で、00年頃にはユニークなローカルシーンが注目を集めてた。雑誌「COOKIE SCENE」が度々紹介してたなあ。
●ポストロックを通過した新しい感覚で、人の肌触りを感じさせる温かいサイケデリック世界を描くバンドが、この街から沢山登場していた。OF MONTREAL、ELF POWER、そして THE OLIVIA TREMOR CONTROL。この感覚がその後のニューフォークへと継承されたと思ってる。このバンドが持つおだやかなでサイケな浮遊感は、カヒミ嬢の霞かかった存在感とよく調和してる。

ADVENTURES IN STEREO「ADVENTURES IN STEREO」

ADVENTURES IN STEREO「ADVENTURES IN STEREO」1997年
●前述した TRATTORIA のコンピ「MENU 100」に収録されてたイギリス・グラスゴーのバンド。バンドの存在はリアルタイムで知ってたけど、TRATTORIA 経由で日本に紹介されてたのは、今回初めて知った。そしたら先日フルアルバムが100円で投げ売りされてたのを発見。改めて聴くこととした。
●97年頃は、レーベル THRILL JOCKEY に集った「シカゴ音響派」と呼ばれる連中が、ポストロックという新しい表現を切り開いた時期だった。それに呼応するようにUKでは STEREOLAB というバンドも登場。この辺の音は当時大分聴いた。
●で、この STEREOLAB に似た名前のバンドを発見する。同じくUK、同じく女性ボーカル。これも見事なポストロックだろうと、ADVENTURES IN STEREO の7インチシングルを今は亡き新宿 VIRGIN MEGASTORE(当時は新宿マルイ地下一階)で買った。
●しかし、聴いてみたら、ポストロックじゃないんですよ。バカなボクは「ADVENTURES IN STEREO とか言ってるくせして、たいした冒険してないじゃん!」ポストロックは、無機質で聴くモノを突き放すような冷たさが斬新だった。このバンドは、もっと優しくて温かくて柔らかい。当時のボクはモノ足りない気持ちで、このシングルを部屋のドコかにしまい込み、また行方不明にしてしまった。
●今の耳で聴き直すと、彼らの「冒険」の本当の意味が分かる。彼らは BRIAN WILSON「PET SOUNDS」的な冒険に挑みたかったんだなと。ソフトで甘く、耳に優しく。ポストロックとはベクトルが真逆だったんだ。今では楽しく聴けるイイ一枚だ。

想い出波止場「VUOY」

想い出波止場「VUOY」1997年
●これも TRATTORIA からリリースされたアイテムだ。想い出波止場まで「渋谷系」にくくるのかよ!っていう違和感はちょっぴり感じる。このユニットはボアダムスのギタリスト山本精一さんのプロジェクト。ボアダムスは大阪アンダーグラウンドだし、あの時代の中で極北の前衛表現を突っ走っていた狂気の集団だった。
●大学生だった94年、雑誌「クロスビート」 SONIC YOUTH THURSTON MOORE が最近の注目作品第一位としてボアダムス「POP TATARI」を挙げていた。なんじゃこりゃ? あの SONIC YOUTH(ボクにとっては世界一カッコいいロックバンド)が、日本のバンドを絶賛してるぞ!? これがボクがボアダムスを知ったキッカケ。多分コレは多くの音楽ファンも同じ印象じゃないかと思う。ボアダムスは海外の評価が先行し、その後追いで国内認知を広めたのだ。ボアダムス「渋谷系」かどうかはおいといて、この瞬間、日本のシーンと海外のシーンが同時にリンクして動き出したとボクは感じた。日本発のインディ表現が世界で評価された第一波だ!
●速攻レコード屋さんで「POP TATARI」「CHOCOLATE SYNTHESIZER」を買いました。そんでブッ飛びました。禍々しい巨大怪獣が、内から湧き上がる衝動に身悶えしてのたうちながら、汚物や体液をまき散らし咆哮しまくる地獄絵を見たようだ。この経験でボクはノイズへの耐性を身につけ、サディスティックなノイズ系前衛音楽にハマり、トチ狂ったCDに無駄な散財をするような人間になってしまったのでした。
●本作での想い出波止場は、ポップスの体裁をとりはしないが、実にポップ。輪郭のハッキリした明快な音楽で、無駄な歌詞もなくメロディもないが、音そのものの質感をクッキリ見せていて気持ちがイイ。聴き飽きない音楽だ。あ、メンバーにはターンテーブリストの大友良英さんまでいるのね。
TRATTORIA は、ボアダムスの重要人物 YOSHIMI さんのユニットOOIOO もリリースしている。OOIOO もライブで見たなあ。あれもシビレた。ボアダムス本体は伝説の第一回 ”嵐の” FUJI ROCK セカンドステージで見たのが忘れられない。ツインドラムの迫力グルーヴで狂気の祝祭空間を放射していた。そしてボアダムスの主人公、山塚EYE さん。法政大学のアングライベントで、JOHN ZORNEYE さんの一対一ジャムセッションを見た。JOHN ZORN のサックスと EYE さんの雄叫び、ドッチがよりスットンキョウな音が出せるか勝負みたいな感じで、笑うしかなかった。オマケに対バンが灰野敬二。ああユカイな時代だ。


お話は TRATTORIA から外れて海外で評価された「渋谷系」へ。

CIBO MATTO「CIBO MATTO」

CIBO MATTO「STEREO TYPE A」

CIBO MATTO「CIBO MATTO」1995年
CIBO MATTO「STEREO TYPE A」1999年
●このバンドは、2人の日本人女性(本田ゆか羽鳥美保)がN.Y.で結成したユニットで、そのユニークなセンスが偏屈プロデューサー MITCHELL FROOM & TCHAD BLAKE に認められ、そのままアメリカでデビューしてしまったモノだ。音楽的キャリアはほとんどなかった彼女たちが、ポコーンとアメリカデビューだなんて最高だ。ボクには「渋谷系」的世界同時多発/同時進行の象徴に見えた。
●コラージュ感覚で組まれたループミュージックにヘタッピな英語を乗せる不思議な女の子。96年のデビューアルバム「VIVA! LA WOMAN」は、やはり96年発表のBECK「ODELAY」THE DUST BROTHERS 制作)の鮮やかなビートコラージュや、BEASTIE BOYS のレーベル GRAND ROYAL から登場したガールズバンド LUSCIOUS JACKSON のクールなループ感覚とともに、時代の波に乗り高く評価された。ヒップホップの成果が、ロックの文脈の中でネクストレベルへ昇華された瞬間だ。
「CIBO MATTO」はメジャーデビュー以前のインディ音源集だ。曲目も「VIVA!~」と重複してる。でも愉快で遊び心溢れるループコラージュや愛らしい女子声も最初っから変わってないことがわかる。荒削りで時に調子ッパズレなヤケクソ加減も愛らしい。このテの音楽が評価されたのは、90年代の重要な音楽的潮流「ロウファイ」の感覚が前提になってたんじゃないかなーと思う。
●99年の「STEREO TYPE A」はセルフプロデュースの2ndアルバム。本田ゆかさんの彼氏になっちゃった SEAN LENNON(ご存知 JOHN & YOKO のご子息)も正式メンバーにクレジットされてる。ヒップホップ的ループミュージックはより洗練され、バンドサウンドとして熟れている。メロディもチャーミングで楽しい。ただしコレを最後に CIBO MATTO は活動を休止している。
●冷静に考えると、彼女らはたまたま日本人だったけど、終始アメリカのバンドだった。だから「渋谷系」とは関係ないかもね。でもリスナーは「渋谷系」だった(と思う)。

BUFFALO DAUGHTER「WXBD」

BUFFALO DAUGHTER「WXBD」1999年
●彼らも海外から高く評価されたバンドだ。最初は雑誌「米国音楽」のレーベル CARDINAL RECORDS からのデビューだったと思う。しかし、その後に彼らに目をつけたのはあの BEASTIE BOYS だった。
●90年代のビースティーズは自身のレーベル GRAND ROYAL を拠点に目一杯楽しいコトを展開しまくってた。雑誌「GRAND ROYAL」では BRUCE LEE 特集とか LEE PERRY 特集とか趣味色丸出しの内容を勝手気ままに面白がってたし、世界中の若いバンドをフックアップしてはリリースしてた。オーストラリアからは BEN LEE、スコットランドからは BIS、ドイツからは ALEC EMPIRE / ATARI TEENAGE RIOT を発掘。他にも前述の LUSCIOUS JACKSON や、MONEY MARK、AT THE DRIVE-IN、CIBO MATTO のメンバーを含んだバンド BUTTER 08 などなどを世に送り出した。そんな彼らが日本から釣り上げたのが、この BUFFALO DAUGHTER だったのだ。ボク個人としては下北界隈で2回くらいライブみたなあ。QUE だったっけ…いや CLUB 251 だったかな…。あれ渋谷クワトロか?
ビースティーズがこのバンドに興味を持ったのは、ロックバンドという形態でありながら、シツコイほどの反復ループからくる陶酔感と、ダブ/ヒップホップに遠くつながるサウンドデザイン(ムーグ山本さんの立場?)の発想がユニークだったんじゃないのかなーと思う。
●このCDは彼らの代表作のリミックス集ということになってる。彼らの音楽が、ロックバンドでありながらリミックスという手法でより鮮度を増す特殊性を持ってることを証明している。これ結構重要でユニークっすよ。CORNELIUS も一曲手がけてる。時にダウンビート、時にブレイクビーツ、そして本質はロック。彼らはそんなアーティストなのです。


さてさて「渋谷系」を巡る旅、まだまだ続きます。
●次の4枚は、ヨーコさんからもらったモノじゃなくて、ヨーコさんに刺激されてボクが激安ワゴンから50~380円で買ってきたものだったり、他の人からもらったもの。

ホフディラン「はじまりの恋」

ホフディラン「はじまりの恋」2007年
●ありゃ、今年の新譜だよ!復活第一弾シングルだって。もう二人は組まないもんだと思ってた。彼ら一流の青春系キラキラの歌詞を、独特なボーカルと耳になじむメロディで、昔と同じように聴かせてくれた。復活おめでとう!100円で購入!
●フニャフニャした声が耳に残るボーカルギター、シン・ワタナベイビーと、ボーカルキーボード、小宮山雄飛(A.K.A. テンフィンガー・ユウヒ)の2人組。たしか下北沢スリッツ(現CLUB QUE)でライブ活動してたギターポップバンドで、96年メジャーデビュー。なぜかスチャダラパー率いる LB NATION 一派に含まれてたような印象が…(あれ、記憶違いかな…?)。とにかくワタナベイベーのどこか人を喰ったような声が、聴く者の気持ちを脱臼させる。ドコからマジでドコからフザけてるか分からないツカミドコロのなさが、面白い魅力だった。あの声でシリアスな曲をやると、意外な凄みが出るんだよね。さくらももこ原作のアニメ「コジコジ」の主題歌をやるなど頑張ってました(←「コジコジ銀座」結構キャッチーでいい曲ッス)。
小宮山雄飛のバンド、ユウヒーズのアルバム「ユウヒビール」(1996年)も好きでよく聴いた。ワタナベイベーは、竹中直人の映画「男はソレを我慢できない」の主題歌として「今夜はブギーバック」(2006年)を竹中とともにカバーした。

LOVE TAMBOURINES「CHERISH OUR LOVE」

LOVE TAMBOURINES「CHERISH OUR LOVE」1993年
「渋谷系」インディーの代表格 CRUE-L RECORDS の看板アーティストとして「渋谷系」のど真ん中にありました。実際、HMV渋谷店「渋谷系」売り場で長く定番として置いてあった…。金がない当時のボクには「4曲で1600円!?輸入盤なら1680円でアルバム買えるわ!気取るな!」という憤りでプンプン。こんなオシャレ物件一生聴いてやるもんか、と逆恨みしておりました。今や50円…。栄枯盛衰。
●今フラットな耳で聴けば、スムースなアシッドジャズ。90年代初頭の英国で大きな存在感を持ってたアシッドジャズのムーブメントは、日本のシーンにも大きく影響をもたらした。その典型例がこれ。でもやっぱりこのバンドの最高傑作はこの次のシングルの「MIDNIGHT PARADE」だと思う。フロアを煽るボーカル・エリの荒々しい声と扇情的なジャズファンク。このタイトル曲は、ただオシャレなだけだなあ。カップリング収録曲の方が、フォーキーで味がある。
●このバンドは95年に解散、エリ嬢はソロアーティスト ELLIE として活動。そして06年にラブタン時代の盟友・斉藤圭一と再合流。新ユニット GIRL IT'S U を結成している。

COOL SPOON「TWO MOHICANS」

COOL SPOON「TWO MOHICANS」1995年
●ヒップホップ系レーベル FILE RECORDS からのジャズバンド。アシッドジャズジャズヒップホップ的美学を目指したインストジャズ。粘り気の強い、走らないテンポがジワジワ腰に響くんですわ。380円で入手。
●この前にリリースしたデビューミニアルバム「ASSEMBLER!」(1992年)も要チェック音源。最近再発されたらしいけど、永らくレアアイテム扱いで見つからなかった~。当時は友達が持ってて聴かせてもらってたけど、後から探そうと思うと全然ないのよ。しかし、去年のとある日会社で後輩女子のキヨちゃんが、この「ASSEMBLER!」を握って歩いてたのでビックリ。
「なんでコレをキミが持ってるの?!」オシャレだけどキレイ目フツウ女子のキヨちゃんには、随分と不釣り合いな濃い音源よコレ! キヨちゃんボクの気迫にややヒキ気味で「…あの…姉が持ってたCDでして…」そうだよね、年齢差でいうとリリース時キミ中学生だもんね。「で、つまりは、コレ貸して!」先輩であるボクはそのままひったくるように借りて家で CD-R に焼いたのでした。……今思うと彼女、仕事で使うつもりで会社に持って来てたんだよな……彼女の都合を微塵も聞かず有無を言わさずモギ取っちゃったな……彼女何も言わないけど、結構困らせたかも。

STAX GROOVE「WELCOME TO SANCTUARY BLUE」

STAX GROOVE「WELCOME TO SANCTUARY BLUE」2005年
●コイツはDVDです。STAX GROOVE なるダンサーチームの映像集。「ジャズで踊る」を主義に掲げる彼らの華麗なステップは痛快で(前半のヘンに作り込んじゃったイケ好かない映像は無視して)、後半イベントでのフリースタイル・パフォーマンスは見てるコッチもわくわくしてくる。義弟KEN5くんからもらったモノだ。
●で要注目は彼らがステップしてみせるトラックである。フューチャージャズバンド SLEEP WALKER が手がけている。このバンドの中心人物が吉澤はじめというピアニスト。90年代アシッドジャズ時代から、MONDO GROSSO、KYOTO JAZZ MASSIVE、COSMIC VILLAGE といった日本のクラブジャズシーンの重要ユニットに参加して来た人で、ソロ名義でも活動、リミキサー/プロデューサーとしても活躍している人物。
●個人的にはバンド時代の MONDO GROSSO は大好きで(いや大沢伸一さんの俺ユニットになった今でも好きです)、ライブ何度も見た。フランス語のラップを乗せたりしててカッコよかった…。最後には自分たちで学祭ライブに招いてしまった。しかし結果は大赤字で大変な目に遭い、100万円の請求書を突き付けられたり突き返したり。ストレスから胃潰瘍になって大学を一月ほど休んで寝込んじゃった。胃カメラデビューもこの時でした。はははは。バカだね~。ライブは最高だったよ!
「渋谷系」ジャズ表現はイギリスのシーンとシンクロしながら進化していった。レーベル ACID JAZZ から JAMIROQUAI、THE BRAND NEW HEAVIES が登場し、TALKIN' LOUD からは GALLIANO INCOGNITO が登場。音楽ファンにはスリリングで目が離せない状況だった。日本からは UNITED FUTURE ORGANIZATION「JAZZIN'」「LOUD MINORITY」)が出現。そして吉澤氏の盟友である KYOTO JAZZ MASSIVE沖野修也氏(DJ、渋谷 THE ROOM オーナー)などなどが活躍。彼らが GILES PETERSON のようなDJと肩を並べ、海をまたいで活躍していくのが誇らしかった。クラブジャズは、もはや「渋谷系」とは関係なく独自の進化を続け、世界各地のクリエイターと共振しながら多様化している。

●だんだん話がジャズ寄りになってきました。次はヨーコさんからの一枚。

江利チエミ「CHIEMI SINGS」

江利チエミ「CHIEMI SINGS」1951~1972年
●突然ですが、江利チエミさんの登場です。美空ひばり、雪村いづみとともに戦後昭和の歌謡界で活躍した女性シンガー。彼女の全盛期音源からからヒップなスウィングジャズを抽出してコンパイルしたモノで発売は2006年。ビッグバンドを背負って軽妙なジャズスタンダードを英詞/訳詞で歌いこなす。当時の感覚で訳された日本語の歌詞は昭和の風情が漂って楽しい。日本の大衆音楽史にはまだまだ素晴らしい音楽が知られずに埋まっているのだなと改めて感じさせられた。
●さて、これがなぜ「渋谷系」だと言うのか? ヒントは「レアグルーヴ」というキーワード。イギリスのアシッドジャズ発生前夜は、クラブDJによって過去のジャズ音源を「ダンスフロアで踊るための機能」という観点から再解釈/再評価して、古来のジャズファンから駄盤と無視された楽曲を掘り起こす運動が行われていた。それが「レアグルーヴ」だ。
「渋谷系」は過去/現在の音源をフラットに評価するスタイルだ。良いものがあればホコリをかぶったレコードだって引っ張りだす。音楽好きの少年少女は、ギターを持たずターンテーブルを買って、みんながDJになった。そして自分たちの「レアグルーヴ」を探すために、膨大な過去音源の海に漕ぎ出していったのだ。
●そんな目線が、外国の音楽から自分の国の音楽に標準をずらすのは時間の問題だった。日本の60年代/70年代にも立派なレアグルーヴが膨大にある! ボク個人は元 SUNNY DAY SERVICE曽我部恵一さんのDJによって開眼させられた。ある時、仲間で企画したイベントに彼をDJとして招いた。そもそも日本の70年代フォークからの影響を公言していた曽我部さん、英米のグルーヴィーなソフトロックを中心にスピンする中で、ココぞという時にはっぴいえんどダイナマイツをかけてくるのだ。目からウロコの衝撃だった。「ああ DJ するってコトとはココまで自由なんだ。踊れるならばナニをかけたってイイんだ!」ソレ以前の音楽観を完全にひっくり返された瞬間だった。当時ボクは21歳の大学生。まさにコペルニクス的転換だった。
●その日からボクは、グループサウンズ(「GSの”G”はガレージの”G”!」)の発掘、そして沢田研二はっぴいえんどティンパンアレー人脈~荒井(松任谷)由実遠藤賢司、高田渡URC音源、ナイアガラ山下達郎周辺、ピンクレディキャンディーズ、クレイジーキャッツドリフターズヒゲダンス含む)、筒実京平、中村八大とムシャムシャ聴きまくった。
「渋谷系」の眼差しが、江利チエミまで到達するのは自然なことだ。このコンピの選曲者は元 CYMBALS土岐麻子。実父が日本ジャズ界屈指のサックス奏者土岐英史氏とのこと。でもボクは彼女がボーカルを務めた CYMBALS が完全な PIZZICATO FIVE のエピゴーネンであったコトに注目したい。結論、だから本作は「渋谷系」なのです。(ちょっと無茶だった?)


さーてと、お次は FLIPPER'S GUITAR と双璧をなす、あのジスイズ「渋谷系」を語ってみましょうか。はい、そうです。PIZZICATO FIVE
●ボクの音楽経験の中でそれはそれは大きな出会いでした。ヨーコさんの音源に触れる前に、リアルタイムでこのバンドを知った頃を説明します。

●92年。ボクは大学一年生。ターンテーブル2台とミキサーが部室にあるという理由だけで、ボクは放送研究会的なサークルに所属していた。自分でDJ機材揃えたのはかなり後だったなあ。同じ理由で集まるヤツが先輩後輩に結構いて、音楽好き仲間を作るのに都合がよかった。
●そこにいたのがノリピーさんと呼ばれてた2つ年上の女の先輩。華奢で背が高く目が大きな女性だった。彼女からボクは沢山CDを貸してもらって聴いてた。BLUR の 1st とか THE MONOCHROME SET とか EVERYTHING BUT THE GIRL とか。この年に PIZZICATO FIVE が出したアルバム「SWEET PIZZICATO FIVE」も彼女が貸してくれたのだ。

「SWEET PIZZICATO FIVE」

●で、スゴい衝撃を受けたわけですよ。なんじゃコリャ?!(松田優作風に)。PIZZICATO FIVE は完璧な「ポップアート」だった。

●当時のボクは、50~60年代のアメリカンポップアートにかなりノメり込んでました。JASPER JONES、ROY LICHTENSTEIN、ROBERT RAUSCHENBERG、JAMES ROSENQUIST、GEORGE SEGAL ……。彼らの芸術は「ポップ」と呼ばれているが、その言葉が連想させるような能天気な明るい表現ではない。彼らは戦後到来した大量生産/大量消費社会に対して、日常に溢れるモノと情報と記号を画題にとり、人間存在そのものがモノ化/記号化され矮小化していく様子を、悲哀や諦観を込め、または冷笑的に、時に諧謔的に、そして絶望しながら描いていた。そのひんやりとした冷たさに、ボクは強烈に魅せられていた。後期 FLIPPER'S GUITAR のリリックにも、ボクはこのポップアート的なシニカル/アイロニカルな態度を嗅ぎ取り、強烈に共感していた。
●一方、そんな一群のポップアート表現の中で、一人「突き抜けてる」男がいた。そう、ANDY WARHOL だ。コイツだけは別格だ。なぜなら彼は、ポップアートの前提を完全に理解していながら「それで、何か問題でも?」と言い放った。ヤツは記号/情報/イメージを、それ以上ともそれ以下とも捉えず、ただひたすらもてあそんだ。マリリンモンローマリリンモンロー、エルヴィスエルヴィス、それで十分! 写真に色塗ってプリントしようゼ! あとナニが要るって言うの? キャンベル缶? イイねイイね! エンパイアステートビル? 面白いから8時間撮りっぱなしの映画を作ろう。シルクスクリーンでペッタンペッタン作品を大量生産し高額で売っぱらう。そんなアトリエを「ファクトリー」と呼んだのだから徹底してる。絶望すら乗り越えた無感覚状態、ボクはコレを究極のニヒリズムだと感じた。彼はボクのカリスマだった。

PIZZICATO FIVE もある意味「突き抜けて」いた。ダンスフロアを意識したグルーヴ感を前提に、古今東西のあらゆる音楽やオシャレな意匠を、借用し編集し模倣し、ツヤツヤのポップスを鳴らした。パクリのそしりも恐れずに、むしろ元ネタを披露してリスペクト愛を表明した。バービー人形のような女性・野宮真貴をフロントに据えて、着替え人形のように様々なイメージをコピー&ペーストした。この借用編集感覚、サンプリングセンスとDJセンス。「渋谷系」が見出した重要な美学だと思う。
●そして彼らのリリックには全くメッセージがない。あるのは「雰囲気」だけ。敬愛するヨーロッパ映画や美しい女優さん、ファッショナブルなライフスタイルの気分を明確に霧散するが、ホントに100%それだけ。社会的主張も人間臭さもロマンシチズムも激情も生活の匂いも、何もない。その空虚感が「ポップアート」だった。
「SWEET PIZZICATO FIVE」の三曲目「キャッチー」のリリックが最高だった。「新しい洋服と 新しい恋人 新しい私の部屋は 東京タワーが見える とってもキャッチー」「新しいダンスと 新しいゴシップ 新しいレコードは ベースの音が低くて とってもキャッチー」ひたすらキャッチーなモノだけを羅列する感覚。
●この戦略は完全に確信的なモノだし、「渋谷系」が産み落とした重要な時代感覚だ。リーダー小西康陽さんは今でもハッキリ公言している。「雰囲気モノのそもそも何がいけないんだって感じ。逆に雰囲気で聴かないで何で聴くの?」「ミュージックマガジン」07年9月号「特集=渋谷系」から引用)重ねて言うが、PIZZICATO FIVE は完璧な「ポップアート」だった。

●大きく脇道にそれましたが、ヨーコさんの提供音源にお話を戻します。

「READYMADE RECORDS REMIXES」

PIZZICATO FIVE / 5TH GARDEN / FANTASTIC PLASTIC MACHINE「READYMADE RECORDS REMIXES」1998年
小西康陽さんが自らイニシャティブを持つレーベル READYMADE RECORDS********* RECORDS, TOKYO ……すんません、ボク正直この二つの名称の使い分け、理解してません)が97年に発足。そんな勢いに乗って発表された、いわばレーベルサンプラー的なコンピレーション。レーベルの代表アーティスト、5TH GARDEN / FANTASTIC PLASTIC MACHINE の楽曲を、ドイツのDJ LE HAMMOND INFERNO をはじめ国内外のリミキサーに預けてる。もう完璧なハウスに仕上がってます。
「渋谷系」終焉のこの時代、小西氏は新しいキーワードとして「H.C.F.D.M」という言葉を提唱していた。HAPPY CHARM FOOL DANCE MUSIC。楽しくてカワイくておバカな踊れる音楽。この考え方が、どれだけ普及してたかどうかは微妙だけど、小西さんの目指してたモノは何となく理解できる。
●新感覚音楽のゴッタ煮状態だった「渋谷系」時代から、各音楽ジャンルが成熟し、ヒップホップ、テクノ、ロックなどなど、シーンが多様化分断化された時期への移行。その中で、博覧強記の知識と超ジャンル的な音楽ファンである小西さんは、今一度ジャンル横断的なクラブシーンを作りたいと思ってたんだと思う。だから「ただバカみたいに踊れる音楽」というユルいククリをイメージしたのだろう。
小西さんのDJは当時度々聴きにいってた。実に自由でジャンルに制約されないスタイルだった。ある時は50~60年代ロックンロールモータウンばっかりで攻めたりとか。初めて聴いた小西さんのDJは92年の渋谷クワトロ。現 CAFE APRES-MIDI橋本徹さん(この人も「渋谷系」の重要人物)が主催する SUBURBIA NIGHT だった。THE KLF のヒットシングル「JUSTIFIED AND ANCIENT」と前述の「キャッチー」を上手くミックスした上で、次に繋いだのが細川ふみえ「スキスキスー」!ベースを思いっきりブーストしたオリジナルアセレート。最高になんでもアリ、最高にカッコよかった。

FANTASTIC PLASTIC MACHINE「LUXURY」

FANTASTIC PLASTIC MACHINE「LUXURY」1998年
●DJ田中知之氏のユニットが READYMADE RECORDS からリリースしたセカンドアルバム。まさしく「H.C.F.D.M」の思想を体現するニギやかでカラフルな内容。DJのキャリアが大きく目立ってたので、もっとハウシーな音楽をやってるのかと思ってたけど、軸足はフロア対応に置きつつ多様なポップミュージックに挑戦してる。どこかラウンジ感も漂わせてるし。EURYTHMICS のボサ風味カバーとか気持ちイイ。
●この時期のチョイ前から社会人ドップリ生活にハマり込むボクは、クラブ遊びから距離をとることになり、仕事がらみ以外はオールの夜遊びをほぼ辞めてしまう。だからこの人の音楽に触れたことは今までほとんどなかった。勉強になりました。

5TH GARDEN「PANORAMICA」

5TH GARDEN「PANORAMICA」1997年
●やはり READYMADE の所属アーティストであるこのバンドは、コモエスタ八重樫さんという、これまた味のある人物が仕切るユニットだ。このバンドのライブを見たのか、八重樫さんのDJを聴いたのか、記憶が定かじゃない。しかし肉眼でこの人を見た時は「濃いなあ~!」という強烈な印象。ビシッと極めたタイトなモッズスーツに、前髪パッツン、左右のモミアゲからキレイに刈り込まれて繋がったアゴヒゲ。小西さんよりも明らかに年長なんだろうなと思いつつ、その隅から隅まで行き届いた細かいコダワリに、タダモノではない美意識を感じさせた。
●この人は「渋谷系」の中で一番最初から、昭和歌謡和モノレアグルーヴの価値を評価していた人物。モッズ趣味の延長から、60年代日本の大衆文化に興味を持ち、その世界を音楽だけじゃなく、雑貨やファッション、インテリアまでひっくるめて紹介した。
5TH GARDEN は、60年代マンボ再興を目指した東京パノラママンボボーイズ(新傾向盆栽家で有名なパラダイス山元さんとともに結成)の後に作ったユニット。本作は READYMADE から出した三枚目のアルバムで、前述したような昭和の面影はゼロ。彼にとって 5TH GARDEN は昭和趣味を表明するユニットじゃなかったみたい。やはり「H.C.F.D.M」のスタイルに基づくポップなエレクトロ音楽で、カワイイ女性ボーカルあり。そしてどこか漂うラウンジ感。
「ラウンジ」って90年代中盤の世界的なキーワードだった。NIRVANA を輩出したグランジレーベル SUB POP が、ラウンジコンピ出した時に「時代変わったな」と思ったもん。レコ屋のPOPに「グランジの次はラウンジ」なんてダジャレがホントに書いてあったんだよ。クラブ文化が成熟してその楽しみ方が多様化した時期だったんだと思う。チルアウトとかもあったじゃん。
●ちなみにこれはヨーコさんのコレクションではなく、この前100円で発見したモノ。「渋谷系」タタキ売られてます。可哀想と思ったら拾ってやって下さい。

「THE BEST OF EASY TUNE」

VARIOUS ARTISTS「THE BEST OF EASY TUNE」1996年
●コチラは、オランダのレーベル DRIVE IN がシリーズコンピの形で提案していた「EASY TUNE」というスタイルをまとめた楽曲集。60~70年代ポピュラー音楽のエッセンスと現代的表現をブレンドして全く新しいイージーリスニングラウンジ音楽だ。骨格は現代のビート感覚だけど、ヴィンテージオルガンとか金管楽器などの味添えがオシャレで愉快。
ヨーコさんのくれたこのCDは日本盤で、ライナーを小西康陽氏が担当。それによると「EASY TUNE」の中心人物 RICHARD CAMERON とはコラボ仲間で、PIZZICATO FIVE のアルバム「HAPPY END OF WORLD」(1997年)で楽曲提供してもらってるという。READYMADE「H.C.F.D.M」、彼らの「EASY TUNE」、そして前述したドイツのDJ LE HAMMOND INFERNO のレーベル BUNGALOW ROCORDSPIZZICATO FIVE 自身が、アメリカのオルタナティヴレーベル MATADOR から全米デビューしていくのも90年代中盤の時期。世界のアチコチで同じ美学を共有する人々が登場してくる。世界同時多発/同時進行で、日本のシーンがリンクしていくのは最高にワクワクする感覚だった。


●こんだけ思い入れタップリに語りながら、実は92年以前の PIZZICATO FIVE を全然聴いたことがないことに気づいた。下北沢のレコード屋を巡って初期音源を探した。

PIZZICATO FIVE「ピチカート・マニア!」

PIZZICATO FIVE「ピチカート・マニア!」1986~87年
PIZZICATO FIVE は、テイチク傘下の NON STANDARD レーベルでデビューした。細野晴臣氏主宰のレーベルだ。86年に2枚の12インチシングルをリリース。その二枚をまとめたのが本作だ。コレを初めて聴いた時には正直驚いた。これが PIZZICATO…?
渋谷系以前の PIZZICATO FIVE細野さんの影響下にある NEW WAVE バンドだった。ワザと強調したピコピコ感や機械的ジャスト感のリズムが、どうしょうもなくテクノポップ。その後の PIZZICATO FIVE を考えると、正直バンド当事者には不本意だったんじゃないか、というプロデュースワーク。
●でも女性(当時のボーカルは佐々木麻美子さんという人)のか細いボーカルは、その後の野宮真貴さんのスタイルを連想させるし、歌詞の世界も PIZZICATO FIVE らしさがキチンと出ている。
●このレーベルとのお付合いはコレっきり。彼らはCBSソニー(現ソニーミュージックエンターテインメント)へと移籍する。

PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」

PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」1986~1990年
CBSソニー在籍時代には4枚ほどのオリジナルアルバムをリリース。それをまとめたベストがコレ。DISC 1 はスタジオ音源、DISC 2 はライブ音源。管理が悪かったらしく、ライブは結構乱暴な編集になってます。
●この時代の重要なポイントは、ボーカルに田島貴男(現 ORIGINAL LOVE)が加入してたコト。88~90年に在籍。PIZZICATO FIVE での田島氏の声、初体験でした。やっぱり、過剰な色気が迸ってる。ペラペラ雰囲気だけの歌詞なのに、田島さんが歌うとそれだけで強力な説得力が出来ちゃう。メジャーデビューして「渋谷系」のメインストリームに出て行った頃の ORIGINAL LOVEアシッドジャズアプローチと田島貴男の声がスゴかった。本作でも彼はスゴい。
●カセットから起こしたというライブ音源で、より田島氏のチカラを思い知る。ロックになってるんですよ。このまま彼が PIZZICATO FIVE に留まり続けたら時代は随分変わったでしょうね。田島氏自身がステージから脱退のあいさつをする様子もココのライブ音源に収録されてます。
●去年の夏「岡本太郎巨大壁画」特番に出て来てきてしまった田島貴男は、テレビ照明に漂白されて以前のオーラが消されてしまってた。ちょっと寂しい。

PIZZICATO FIVE「最新型のピチカート・ファイヴ」_
PIZZICATO FIVE「最新型のピチカート・ファイヴ」1991年
ソニーの姿勢に不満を持ってたバンドは、日本コロンビア(現コロンビアミュージックエンターテインメント)に移籍。所属レーベルは TRIADカーネーション、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT が在籍し「渋谷系」の一つの軸になった場所だ。メンバーは野宮真貴+小西康陽+高浪敬太郎の三人体制。この年は毎月一枚のペースで5枚のCD(一枚は高浪敬太郎名義)を連射リリース。本作は、PIZZICATO FIVE 名義での一枚目となる。「渋谷系」時代の開花。
●バンドは三代目ボーカリスト野宮真貴嬢を大々的にフィーチャーする。彼女に一問一答のインタビューをしていくトラック「女性上位時代#1」が、彼女のバービー的イメージを戦略的に構築しようという試みとしてユニーク。12センチマキシシングルCDという媒体は、当時登場したばかりだったが、収録時間が長いシングルの利点を生かし、よけいな雰囲気モンを収録させちゃうトコロに、彼ら特有の様々な遊び心を感じる。
●アートワークへの細部へのコダワリもこの時期から健在。アートディレクションに信藤三雄さん登場。ココからCDの特殊パッケージへのコダワリも始まるのだろう。流通泣かせのイレギュラー版型が今後頻発していく。バンド末期はわざわざDVDサイズでシングルのパッケージ作ってたもんね。

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PIZZICATO FIVE「レディメイドのピチカート・ファイブ」1991年
●91年の5連作の4枚目。バブル期の東京ベイサイドを彩った INKSTICK SUZUE FACTORY でのライブ音源を中心にしたモノ。しっとりオーガニックな生バンドで聴く PIZZICATO FIVE もいいですね。芸術家・沼田元気氏のポエトリーリーディングなんてコトもやってる。ジャズと詩のコラボといえば、ALLEN GINSBERG など50年代のビートニクスの連中や、GIL SCOTT-HERON を連想します。スノッブだねえ。
●ボクのバブル時代、INKSTICK芝浦スズエも行かずじまい。芝浦 GOLDジュリアナ東京も行かなかった…。東京ウォーターフロントには縁がなかったなあ。金がない学生にバブルのいい思い出はない。スズエファクトリーが滅びた後に出来たクラブへ一度行った頃がある。オールジャンルのユルいクラブで、ダンクラに合わせて年上世代が踊ってた。チークタイムまであったからビックリしたもんだ。
●以前レコード会社の人と打ち合わせしてた時、ひょんなコトからその人が当時の TRIAD に関わっていたという話題になった。ボク「90年代のトライアドですか!スゴいじゃないですか!ピチカートにミシェルガン!」一方的に盛り上がるボクに対して、その人は遠い目でどこかを見つめながら「いや~ホントに大変でしたよあの頃は。ノベルティひとつにしてもご本人のクオリティコントロールが厳しくてね……」あ、確かに厳しそう。なんか納得。



2001年3月31日。PIZZICATO FIVE は解散する。
渋谷 ON AIR EAST(現 O-EAST)。仕事がらみでこのイベントに行ったボクは、関係者控えがある2階からフロアを眺め、このバンドの最後のパフォーマンスを見た。なんだかお客もゲストもお祭り騒ぎで大混乱、小西さん自身も興奮してるのか、控え室ではスゴく饒舌で驚いた。ボクも大分興奮していたのか、どんなイベントだったか、どんな音楽が鳴っていたかよく覚えていない。ただハッキリと聴こえていたのは、90年代が終わる音。一つの時代が終わっていく音が聴こえていた。90年代は正真正銘に終わりを告げ、ボンヤリと21世紀が始まったのだ。

そして2001年9月11日。アメリカ同時多発テロが起こる。
●21世紀/00年代は新たな戦争の時代として幕明けた。大きなビルが崩れ落ちる音が耳鳴りのように響き、ボクはしばらく新しい音楽が聴けなくなった。自由に出来るお金が増えて、聴くCDの量は増えた。しかし、同時代の音楽から90年代に感じていたドキドキは聴こえなかった。耳にココロに響いてこないのだ。
●これはボクだけの感情だろうか。あの大きな悲劇と戦争へなだれ込む喧噪の中で、世界のポップミュージックは一瞬停滞してしまった。全世界を巻き込む不幸と暴力の連鎖に、既存のポップミュージックは何のリアクションも出来なかった。ダンスフロアを中心に享楽を貪った90年代音楽は、苛烈な現実社会に太刀打ちできなかった。結局これが「渋谷系」~90年代の限界なのだ。逞しい音楽が再び動き出すのには、ボクの耳に新しい音楽が響いてくるのには、数年の時間がかかった。

さらにこの年、ボクは父親になった。
●28歳で第一子を迎えたボク。個人的には大事件だった。91年の PIZZICATO FIVE「大人になりましょう」と歌った。ボクは大人になったのだろうか? 2001年のボクは、「BOSSA NOVA 2001」(1993年)に収録された曲をよく聴いていた。下にリリックの一部を紹介します。

 「マジック・カーペット・ライド」

 きみとぼくは 不思議だけど むかしから 友達だよね
 2000光年を 愛しあってる そんなふうに 感じたりしない?
 そしてふたり いつの間にか 年を取ってしまうけど
 いつまでもふたり 遊んで暮らせるならね
 そしていつか ぼくたちにも 子供が生まれるだろう でも
 いつまでもふたり 遊んで暮らせるなら
 同じベッドで 抱きあって 死ねるならね


●ワイフとボクは、2008年4月、知り合ってから20年目を迎える。二つのディケイドを二人で過ごしてしまった。いつまでもふたりで遊んで暮らせるならね。

「BOSSA NOVA 2001」PIZZICATO FIVE「BOSSA NOVA 2001」




●ここまでお付き合いした方は、よっぽどの酔狂か、ヒマすぎるかのどちらかでしょう。この長い文章を読みきったアナタ自身に対して拍手する意味で、拍手ボタンを押しましょう。
 


職場の後輩M山のオシャレでカワイイ奥さんからCDの頂き物をしました。
●ダンナのM山ともども、病気で長期休職中のボクを大層心配してくれている様子で、とてもありがたいと思ってます。そんな彼女、ヨーコさんから一月くらい前に、メールをもらったのです。そこで「中古レコード屋に持って行ったら『50円にしかなりません』と言われたCDがあります。買いたたかれるのもアレなんで、もらって下さい」的な提案をしてくれました。CD聴いて過ごすばかりのボクにはとてもウレシい話、是非ということで譲ってもらったのです。
●ところが、届いたCDの数なんと20枚! 50円というからホンの数枚だと思ってたのでビックリ! わーなんか恐縮、ホントにありがとうございます。

そしてお話は「渋谷系」へ。
●彼女自身もメールで伝えてくれましたが、そのCDの内容は、90年代の東京を鮮やかに彩った「渋谷系」的音楽のテンコモリでした。90年代前半に学生時代を過ごしたボクにとっては、非常に大きな意味を持つこの時代、この音楽。一枚一枚CDを聴くごとに溢れかえる当時の思い出。とても簡単に咀嚼できるものではなく、ブログの文章として表現できるようになるまでに一ヶ月もかかってしまいました。ブログとしては非常識に超長文で理屈っぽいボクの文章が、今日は特に冗長になることを、コレ以降を読む方は覚悟して下さい。


90年代の音楽ムーブメント「渋谷系」とは何だったのか?

●時は90年。ボクは高校2年生だった。渋谷にUK系の大型レコードショップ HMV の日本進出第一号店ができる。センター街のドンツキ、クワトロの裏手で、現在ブックファースト(近々つぶれちゃうらしいけど)の隣にあるパチンコ屋さんのある場所。2フロア分をCDで埋め尽くしたショップは当時の感覚ではホントに巨大で、貧乏で無知な高校生のボクには、どんなアイテムでもおいてある夢の世界。
●このお店の一階のイチバン目立つ場所に、当時最先端のオシャレ音楽を集めたコーナーがあった。このお店の敏腕バイヤー太田浩さんという人物が、洋楽邦楽織り交ぜてチョイスしたCD棚。この伝説の人物が持ち込んだ新しいセンスが「渋谷系」の原点となる。「渋谷系」の名の由来は「HMV渋谷店」にあったのだ。

この90年状況をもうちょっと丁寧に考察しよう。
●これに先行すること数年前、音楽界には巨大革命が起こっていた。「CD革命」「LPレコード」という媒体から「コンパクトディスク」という新媒体へのパラダイムシフトが起こったのだ。日本でのCDの生産販売は82年、86年にLPとCDの売上げが逆転し、アナログは一部の音楽マニアだけのモノになる。新譜はもちろん、旧譜も次々とCD化されレコードショップの棚は全部CDに置き換わっていった。
●これがナニを意味するのか。多感な思春期をこの時期に過ごしたボクの目には、このツヤツヤの新製品に、新譜旧譜の区別はなかった。50年代の音楽だろうと、70年代の音楽だろうと、新譜と変わらないピカピカの新品&高音質。それが巨大メガショップに、図書館のように整然とABC順にならんでる。80年代の音楽シーンは旧世代音楽を激しく批判し過去との決別を宣言、NEW WAVE 運動を推進する。でも90年代のボクらにとって、その音楽が古かろうか新しかろうが関係がない、どれも全部CDの新製品なのだから。90年代ならではの新感覚がこの瞬間芽生えたと、ボクは考えている。ボクらはCDという名のタイムマシーンで、偏見なく自由に20世紀全ての音楽遺産をつまみ食いする感覚を備えた第一世代なのだ。

外資系メガショップ進出のもたらした意味。
●渋谷の巨大ショップといえば、アメリカ系の TOWER RECORDS。出店は意外に早くなんと1978年。90年当時は、現在の MANHATTAN RECORDS のお向かい、ジーンズメイトの2階(今はサイゼリアだっけ?)にあった。店内は洗練された今のお店とは違って、いかにもアメリカンな大味さ雑然さに味があった。邦楽はおろか洋楽日本盤すら扱わず、あるのは100%アメリカ直輸入のアイテムだけ。あのアメリカ特有の微妙に甘いニオイが、まだ知らなかった彼の憧れの国を感じさせてドキドキした。
●彼ら外資が扱う輸入盤の存在は、ボクらリスナーに大きな意味があった。まず安い!コレ超重要。現在ではイロんなシガラミで価格が釣り上がってしまったが、当時は日本盤と比べて1000円くらい安かったりしてた。金がない小僧だったボクにはチョー大切な問題だった!
●そして早い!海外の音楽シーンの動きをダイレクトに東京に伝えてくれた。日本のレコード会社というフィルターをかまさずに、マイナー盤インディー盤をドクドクとリアルタイムで供給してくれた。後で触れるが、日本のシーンと、アメリカ/イギリスのシーンが同時多発/同時進行で共鳴共振していったのが「渋谷系」というムーブメントの特徴だ。こうした市場的状況が「渋谷系」を準備したのだ。

「渋谷系」ムーブメントのあり方とは。
●回りくどい説明で恐縮だが、「渋谷系」を説明するポイントは2つ。
●その1。新しいモノがイイ古いモノが悪いという感覚から、解放された世代の音楽だということ。90年代の少年少女は、20世紀の音楽遺産をすべてフラットな目線で審美する感覚を備えた第一世代だった。
●その2。グローバルな情報伝達が加速したため、最先端海外シーンとの影響関係がより濃くなったこと。そして東京発の音楽が世界のシーンへ影響を与えるまでに発展していく。加えて急速に発達したインターネットの技術がさらにハイスピード化を押し進め、現在においてもシーンを活性化する強力なインフラとなっている。
●時間というタテ軸、空間というヨコ軸を、より自由に飛躍することができるようになった世代の感覚を表出したのが「渋谷系」なのだ。


●さて、ここからは、ヨーコさんが譲ってくれた音源を軸に、ボク個人の「渋谷系」時代を綴っていきます。

MENU 100S TRATTORIA

VARIOUS ARTISTS「A MUSICAL SOUVENIR OF TRATTORIA - MENU 100'S MAGIC KINGDOM」1998年
●元 FLIPPER'S GUITAR、現 CORNELIUS小山田圭吾氏が主宰するレーベル TRATTORIA のリリース100枚目記念アルバム。自身のユニット CORNELIUS から、渋谷系を代表する数々のアーティスト(カジヒデキ、KAHIMI KARIE などなど)、そして同時代の英米のアーティスト(PAPAS FRITAS、CORDUROY などなど)、自らが再評価&再発した60年代のソフトロック(FREE DESIGNなど)までを網羅する内容。98年という時代は「渋谷系」終焉の時期だったが、その収穫を振り返るには象徴的なコンピレーションだと思う。時間空間を超えたコンパイル感覚が実に「渋谷系」
●そもそも、「レーベルでCDを選ぶ」という発想をボクに教えてくれたのが、この TRATTORIA であり、小山田圭吾であった。91年に FLIPPER'S GUITAR が解散。その大爆発の衝撃波の中から「渋谷系」はそのムーブメントの輪郭を明らかにしていくのだが、当の爆心地にいた本人が92年に立ち上げたのがこのレーベルだ。
●正直言うと、FLIPPER'S GUITAR をボクは後追いで聴いた。解散するというキッカケで初めて存在を知ったのだ。CDをまとめ聴きしてその音楽の素晴らしさに打ち震えながら、その本丸の不在から「渋谷系」の世界に入って行った。そして小山田小沢両氏の動向をジッと見つめてた(あの時は誰もがそういう気持ちだったと思う)。
●そんな小山田氏がレーベルを始めるという。レーベルってナニ? アホな若造であるボクは、そんな認識だった。「ああ、小山田圭吾おススメの音楽を本人がレコード会社の立場に立って世に出すのね、それはステキだ!」優れたレーベルには個性や主義があり、それがアーティストそのものと同じくらいの意味を持つと知った瞬間だった。
●92年頃にはインディー、メジャー問わず様々な新興レーベルが現れた。瀧見憲司氏の CRUE-L RECORDS、VENUS PETER などがいた K.O.G.A. RECORDS、雑誌「米国音楽」が発足させた CARDINAL RECORDS ……、A TRUMPET TRUMPET なんてのもあったなあ。メジャー内インディーも活発だった。ビクター系の AJA RECORDS、EMI系の POR SUPUESTO、B級メジャー MIDI も存在感のある作品を出してた。もう枚挙に暇がない。テクノ、ヒップホップ系も含めればもっと沢山挙げられるだろう。コレがポスト FLIPPER'S 状況であり、「渋谷系」が巨大なウネリを作り始める時期だっだのだ。

BRIDGE「THE BEST OF TRATTORIA YEARS」

BRIDGE「THE BEST OF TRATTORIA YEARS」1995年
●92年~95年に活動したネオアコースティックバンドで、初期 TRATTORIA の代表選手。FLIPPER'S GUITAR の 1st の世界観を正確にトレースした忠実なる FLIPPER'S フォロワーだと思う。当時はライブも見た。確か2回ぐらい。甘くてカワイイ女子ボーカルに優しいバンドサウンドは、当時のオシャレな女の子にはたまらなかったでしょう。でもロックの粘っこさ泥臭さへの執着から自由になれてなかったボクには、軟弱に聴こえてたのも事実。
●バンドはその後分裂し、音楽的中核だったカジヒデキはソロアーティストになりスウェーデンの音楽シーンに接近、彼の地のアーティストとコラボしていく。彼経由でスウェーデンのポップスシーン(CARDIGANS、EGGSTONE など)がグッと注目された。あんなに遠い北国にボクらと同じような音楽を楽しむ若者がいるなんて、なんてステキなコトだろう。これが「渋谷系」的世界同時多発/同時進行感覚だ。学生時代、一度彼をDJに招いてイベントしたことがある。実にポップで軟弱だった(笑)。
●その他のメンバーは PETE というバンドを作った。PETE のCDはボクの混乱した部屋のドコかに埋まってるはずだが、発見できないだろう。やはり軟弱だったことは覚えている。

KAHIMI KARIE「ONCE UPON A TIME」

KAHIMI KARIE「ONCE UPON A TIME」2000年
カヒミ嬢は「渋谷系」の女神だった。圧倒的にオシャレで、圧倒的にムリ目の女の子。こんな女の子がクラスにいたら大変。野暮ったいボクが話しかけても無視。眼中にない。女子からも当然浮きまくってて、でも一向にかまわない。そんなタイプ。そんな彼女を「渋谷系」の貴公子小山田圭吾がプロデュースする。ほえー、オシャレすぎて親近感もてねえ~。と、いうことで、実は彼女のCDをマトモに聴くのはこれが初めてです! はははは、コレはボクのコンプレックス。あまりにオシャレなモノは苦手。自分がオシャレ的にイケテナイので、引いちゃうんだよね。
●そんな彼女の2000年の作品。当然「渋谷系」時代からは遠く隔たったモノだが、トレードマークのウィスパーボーカルは健在っすね。このミニアルバムでボクが注目したのは、ココでの彼女のコラボ相手。プロデュースがアメリカ・ジョージア州アセンズのバンド THE OLIVIA TREMOR CONTROL だってこと。おおお!ソコ狙ったか!アセンズ(ATHENS)はロックバンド R.E.M. の出身地として知られる街で、00年頃にはユニークなローカルシーンが注目を集めてた。雑誌「COOKIE SCENE」が度々紹介してたなあ。
●ポストロックを通過した新しい感覚で、人の肌触りを感じさせる温かいサイケデリック世界を描くバンドが、この街から沢山登場していた。OF MONTREAL、ELF POWER、そして THE OLIVIA TREMOR CONTROL。この感覚がその後のニューフォークへと継承されたと思ってる。このバンドが持つおだやかなでサイケな浮遊感は、カヒミ嬢の霞かかった存在感とよく調和してる。

ADVENTURES IN STEREO「ADVENTURES IN STEREO」

ADVENTURES IN STEREO「ADVENTURES IN STEREO」1997年
●前述した TRATTORIA のコンピ「MENU 100」に収録されてたイギリス・グラスゴーのバンド。バンドの存在はリアルタイムで知ってたけど、TRATTORIA 経由で日本に紹介されてたのは、今回初めて知った。そしたら先日フルアルバムが100円で投げ売りされてたのを発見。改めて聴くこととした。
●97年頃は、レーベル THRILL JOCKEY に集った「シカゴ音響派」と呼ばれる連中が、ポストロックという新しい表現を切り開いた時期だった。それに呼応するようにUKでは STEREOLAB というバンドも登場。この辺の音は当時大分聴いた。
●で、この STEREOLAB に似た名前のバンドを発見する。同じくUK、同じく女性ボーカル。これも見事なポストロックだろうと、ADVENTURES IN STEREO の7インチシングルを今は亡き新宿 VIRGIN MEGASTORE(当時は新宿マルイ地下一階)で買った。
●しかし、聴いてみたら、ポストロックじゃないんですよ。バカなボクは「ADVENTURES IN STEREO とか言ってるくせして、たいした冒険してないじゃん!」ポストロックは、無機質で聴くモノを突き放すような冷たさが斬新だった。このバンドは、もっと優しくて温かくて柔らかい。当時のボクはモノ足りない気持ちで、このシングルを部屋のドコかにしまい込み、また行方不明にしてしまった。
●今の耳で聴き直すと、彼らの「冒険」の本当の意味が分かる。彼らは BRIAN WILSON「PET SOUNDS」的な冒険に挑みたかったんだなと。ソフトで甘く、耳に優しく。ポストロックとはベクトルが真逆だったんだ。今では楽しく聴けるイイ一枚だ。

想い出波止場「VUOY」

想い出波止場「VUOY」1997年
●これも TRATTORIA からリリースされたアイテムだ。想い出波止場まで「渋谷系」にくくるのかよ!っていう違和感はちょっぴり感じる。このユニットはボアダムスのギタリスト山本精一さんのプロジェクト。ボアダムスは大阪アンダーグラウンドだし、あの時代の中で極北の前衛表現を突っ走っていた狂気の集団だった。
●大学生だった94年、雑誌「クロスビート」 SONIC YOUTH THURSTON MOORE が最近の注目作品第一位としてボアダムス「POP TATARI」を挙げていた。なんじゃこりゃ? あの SONIC YOUTH(ボクにとっては世界一カッコいいロックバンド)が、日本のバンドを絶賛してるぞ!? これがボクがボアダムスを知ったキッカケ。多分コレは多くの音楽ファンも同じ印象じゃないかと思う。ボアダムスは海外の評価が先行し、その後追いで国内認知を広めたのだ。ボアダムス「渋谷系」かどうかはおいといて、この瞬間、日本のシーンと海外のシーンが同時にリンクして動き出したとボクは感じた。日本発のインディ表現が世界で評価された第一波だ!
●速攻レコード屋さんで「POP TATARI」「CHOCOLATE SYNTHESIZER」を買いました。そんでブッ飛びました。禍々しい巨大怪獣が、内から湧き上がる衝動に身悶えしてのたうちながら、汚物や体液をまき散らし咆哮しまくる地獄絵を見たようだ。この経験でボクはノイズへの耐性を身につけ、サディスティックなノイズ系前衛音楽にハマり、トチ狂ったCDに無駄な散財をするような人間になってしまったのでした。
●本作での想い出波止場は、ポップスの体裁をとりはしないが、実にポップ。輪郭のハッキリした明快な音楽で、無駄な歌詞もなくメロディもないが、音そのものの質感をクッキリ見せていて気持ちがイイ。聴き飽きない音楽だ。あ、メンバーにはターンテーブリストの大友良英さんまでいるのね。
TRATTORIA は、ボアダムスの重要人物 YOSHIMI さんのユニットOOIOO もリリースしている。OOIOO もライブで見たなあ。あれもシビレた。ボアダムス本体は伝説の第一回 ”嵐の” FUJI ROCK セカンドステージで見たのが忘れられない。ツインドラムの迫力グルーヴで狂気の祝祭空間を放射していた。そしてボアダムスの主人公、山塚EYE さん。法政大学のアングライベントで、JOHN ZORNEYE さんの一対一ジャムセッションを見た。JOHN ZORN のサックスと EYE さんの雄叫び、ドッチがよりスットンキョウな音が出せるか勝負みたいな感じで、笑うしかなかった。オマケに対バンが灰野敬二。ああユカイな時代だ。


お話は TRATTORIA から外れて海外で評価された「渋谷系」へ。

CIBO MATTO「CIBO MATTO」

CIBO MATTO「STEREO TYPE A」

CIBO MATTO「CIBO MATTO」1995年
CIBO MATTO「STEREO TYPE A」1999年
●このバンドは、2人の日本人女性(本田ゆか羽鳥美保)がN.Y.で結成したユニットで、そのユニークなセンスが偏屈プロデューサー MITCHELL FROOM & TCHAD BLAKE に認められ、そのままアメリカでデビューしてしまったモノだ。音楽的キャリアはほとんどなかった彼女たちが、ポコーンとアメリカデビューだなんて最高だ。ボクには「渋谷系」的世界同時多発/同時進行の象徴に見えた。
●コラージュ感覚で組まれたループミュージックにヘタッピな英語を乗せる不思議な女の子。96年のデビューアルバム「VIVA! LA WOMAN」は、やはり96年発表のBECK「ODELAY」THE DUST BROTHERS 制作)の鮮やかなビートコラージュや、BEASTIE BOYS のレーベル GRAND ROYAL から登場したガールズバンド LUSCIOUS JACKSON のクールなループ感覚とともに、時代の波に乗り高く評価された。ヒップホップの成果が、ロックの文脈の中でネクストレベルへ昇華された瞬間だ。
「CIBO MATTO」はメジャーデビュー以前のインディ音源集だ。曲目も「VIVA!~」と重複してる。でも愉快で遊び心溢れるループコラージュや愛らしい女子声も最初っから変わってないことがわかる。荒削りで時に調子ッパズレなヤケクソ加減も愛らしい。このテの音楽が評価されたのは、90年代の重要な音楽的潮流「ロウファイ」の感覚が前提になってたんじゃないかなーと思う。
●99年の「STEREO TYPE A」はセルフプロデュースの2ndアルバム。本田ゆかさんの彼氏になっちゃった SEAN LENNON(ご存知 JOHN & YOKO のご子息)も正式メンバーにクレジットされてる。ヒップホップ的ループミュージックはより洗練され、バンドサウンドとして熟れている。メロディもチャーミングで楽しい。ただしコレを最後に CIBO MATTO は活動を休止している。
●冷静に考えると、彼女らはたまたま日本人だったけど、終始アメリカのバンドだった。だから「渋谷系」とは関係ないかもね。でもリスナーは「渋谷系」だった(と思う)。

BUFFALO DAUGHTER「WXBD」

BUFFALO DAUGHTER「WXBD」1999年
●彼らも海外から高く評価されたバンドだ。最初は雑誌「米国音楽」のレーベル CARDINAL RECORDS からのデビューだったと思う。しかし、その後に彼らに目をつけたのはあの BEASTIE BOYS だった。
●90年代のビースティーズは自身のレーベル GRAND ROYAL を拠点に目一杯楽しいコトを展開しまくってた。雑誌「GRAND ROYAL」では BRUCE LEE 特集とか LEE PERRY 特集とか趣味色丸出しの内容を勝手気ままに面白がってたし、世界中の若いバンドをフックアップしてはリリースしてた。オーストラリアからは BEN LEE、スコットランドからは BIS、ドイツからは ALEC EMPIRE / ATARI TEENAGE RIOT を発掘。他にも前述の LUSCIOUS JACKSON や、MONEY MARK、AT THE DRIVE-IN、CIBO MATTO のメンバーを含んだバンド BUTTER 08 などなどを世に送り出した。そんな彼らが日本から釣り上げたのが、この BUFFALO DAUGHTER だったのだ。ボク個人としては下北界隈で2回くらいライブみたなあ。QUE だったっけ…いや CLUB 251 だったかな…。あれ渋谷クワトロか?
ビースティーズがこのバンドに興味を持ったのは、ロックバンドという形態でありながら、シツコイほどの反復ループからくる陶酔感と、ダブ/ヒップホップに遠くつながるサウンドデザイン(ムーグ山本さんの立場?)の発想がユニークだったんじゃないのかなーと思う。
●このCDは彼らの代表作のリミックス集ということになってる。彼らの音楽が、ロックバンドでありながらリミックスという手法でより鮮度を増す特殊性を持ってることを証明している。これ結構重要でユニークっすよ。CORNELIUS も一曲手がけてる。時にダウンビート、時にブレイクビーツ、そして本質はロック。彼らはそんなアーティストなのです。


さてさて「渋谷系」を巡る旅、まだまだ続きます。
●次の4枚は、ヨーコさんからもらったモノじゃなくて、ヨーコさんに刺激されてボクが激安ワゴンから50~380円で買ってきたものだったり、他の人からもらったもの。

ホフディラン「はじまりの恋」

ホフディラン「はじまりの恋」2007年
●ありゃ、今年の新譜だよ!復活第一弾シングルだって。もう二人は組まないもんだと思ってた。彼ら一流の青春系キラキラの歌詞を、独特なボーカルと耳になじむメロディで、昔と同じように聴かせてくれた。復活おめでとう!100円で購入!
●フニャフニャした声が耳に残るボーカルギター、シン・ワタナベイビーと、ボーカルキーボード、小宮山雄飛(A.K.A. テンフィンガー・ユウヒ)の2人組。たしか下北沢スリッツ(現CLUB QUE)でライブ活動してたギターポップバンドで、96年メジャーデビュー。なぜかスチャダラパー率いる LB NATION 一派に含まれてたような印象が…(あれ、記憶違いかな…?)。とにかくワタナベイベーのどこか人を喰ったような声が、聴く者の気持ちを脱臼させる。ドコからマジでドコからフザけてるか分からないツカミドコロのなさが、面白い魅力だった。あの声でシリアスな曲をやると、意外な凄みが出るんだよね。さくらももこ原作のアニメ「コジコジ」の主題歌をやるなど頑張ってました(←「コジコジ銀座」結構キャッチーでいい曲ッス)。
小宮山雄飛のバンド、ユウヒーズのアルバム「ユウヒビール」(1996年)も好きでよく聴いた。ワタナベイベーは、竹中直人の映画「男はソレを我慢できない」の主題歌として「今夜はブギーバック」(2006年)を竹中とともにカバーした。

LOVE TAMBOURINES「CHERISH OUR LOVE」

LOVE TAMBOURINES「CHERISH OUR LOVE」1993年
「渋谷系」インディーの代表格 CRUE-L RECORDS の看板アーティストとして「渋谷系」のど真ん中にありました。実際、HMV渋谷店「渋谷系」売り場で長く定番として置いてあった…。金がない当時のボクには「4曲で1600円!?輸入盤なら1680円でアルバム買えるわ!気取るな!」という憤りでプンプン。こんなオシャレ物件一生聴いてやるもんか、と逆恨みしておりました。今や50円…。栄枯盛衰。
●今フラットな耳で聴けば、スムースなアシッドジャズ。90年代初頭の英国で大きな存在感を持ってたアシッドジャズのムーブメントは、日本のシーンにも大きく影響をもたらした。その典型例がこれ。でもやっぱりこのバンドの最高傑作はこの次のシングルの「MIDNIGHT PARADE」だと思う。フロアを煽るボーカル・エリの荒々しい声と扇情的なジャズファンク。このタイトル曲は、ただオシャレなだけだなあ。カップリング収録曲の方が、フォーキーで味がある。
●このバンドは95年に解散、エリ嬢はソロアーティスト ELLIE として活動。そして06年にラブタン時代の盟友・斉藤圭一と再合流。新ユニット GIRL IT'S U を結成している。

COOL SPOON「TWO MOHICANS」

COOL SPOON「TWO MOHICANS」1995年
●ヒップホップ系レーベル FILE RECORDS からのジャズバンド。アシッドジャズジャズヒップホップ的美学を目指したインストジャズ。粘り気の強い、走らないテンポがジワジワ腰に響くんですわ。380円で入手。
●この前にリリースしたデビューミニアルバム「ASSEMBLER!」(1992年)も要チェック音源。最近再発されたらしいけど、永らくレアアイテム扱いで見つからなかった~。当時は友達が持ってて聴かせてもらってたけど、後から探そうと思うと全然ないのよ。しかし、去年のとある日会社で後輩女子のキヨちゃんが、この「ASSEMBLER!」を握って歩いてたのでビックリ。
「なんでコレをキミが持ってるの?!」オシャレだけどキレイ目フツウ女子のキヨちゃんには、随分と不釣り合いな濃い音源よコレ! キヨちゃんボクの気迫にややヒキ気味で「…あの…姉が持ってたCDでして…」そうだよね、年齢差でいうとリリース時キミ中学生だもんね。「で、つまりは、コレ貸して!」先輩であるボクはそのままひったくるように借りて家で CD-R に焼いたのでした。……今思うと彼女、仕事で使うつもりで会社に持って来てたんだよな……彼女の都合を微塵も聞かず有無を言わさずモギ取っちゃったな……彼女何も言わないけど、結構困らせたかも。

STAX GROOVE「WELCOME TO SANCTUARY BLUE」

STAX GROOVE「WELCOME TO SANCTUARY BLUE」2005年
●コイツはDVDです。STAX GROOVE なるダンサーチームの映像集。「ジャズで踊る」を主義に掲げる彼らの華麗なステップは痛快で(前半のヘンに作り込んじゃったイケ好かない映像は無視して)、後半イベントでのフリースタイル・パフォーマンスは見てるコッチもわくわくしてくる。義弟KEN5くんからもらったモノだ。
●で要注目は彼らがステップしてみせるトラックである。フューチャージャズバンド SLEEP WALKER が手がけている。このバンドの中心人物が吉澤はじめというピアニスト。90年代アシッドジャズ時代から、MONDO GROSSO、KYOTO JAZZ MASSIVE、COSMIC VILLAGE といった日本のクラブジャズシーンの重要ユニットに参加して来た人で、ソロ名義でも活動、リミキサー/プロデューサーとしても活躍している人物。
●個人的にはバンド時代の MONDO GROSSO は大好きで(いや大沢伸一さんの俺ユニットになった今でも好きです)、ライブ何度も見た。フランス語のラップを乗せたりしててカッコよかった…。最後には自分たちで学祭ライブに招いてしまった。しかし結果は大赤字で大変な目に遭い、100万円の請求書を突き付けられたり突き返したり。ストレスから胃潰瘍になって大学を一月ほど休んで寝込んじゃった。胃カメラデビューもこの時でした。はははは。バカだね~。ライブは最高だったよ!
「渋谷系」ジャズ表現はイギリスのシーンとシンクロしながら進化していった。レーベル ACID JAZZ から JAMIROQUAI、THE BRAND NEW HEAVIES が登場し、TALKIN' LOUD からは GALLIANO INCOGNITO が登場。音楽ファンにはスリリングで目が離せない状況だった。日本からは UNITED FUTURE ORGANIZATION「JAZZIN'」「LOUD MINORITY」)が出現。そして吉澤氏の盟友である KYOTO JAZZ MASSIVE沖野修也氏(DJ、渋谷 THE ROOM オーナー)などなどが活躍。彼らが GILES PETERSON のようなDJと肩を並べ、海をまたいで活躍していくのが誇らしかった。クラブジャズは、もはや「渋谷系」とは関係なく独自の進化を続け、世界各地のクリエイターと共振しながら多様化している。

●だんだん話がジャズ寄りになってきました。次はヨーコさんからの一枚。

江利チエミ「CHIEMI SINGS」

江利チエミ「CHIEMI SINGS」1951~1972年
●突然ですが、江利チエミさんの登場です。美空ひばり、雪村いづみとともに戦後昭和の歌謡界で活躍した女性シンガー。彼女の全盛期音源からからヒップなスウィングジャズを抽出してコンパイルしたモノで発売は2006年。ビッグバンドを背負って軽妙なジャズスタンダードを英詞/訳詞で歌いこなす。当時の感覚で訳された日本語の歌詞は昭和の風情が漂って楽しい。日本の大衆音楽史にはまだまだ素晴らしい音楽が知られずに埋まっているのだなと改めて感じさせられた。
●さて、これがなぜ「渋谷系」だと言うのか? ヒントは「レアグルーヴ」というキーワード。イギリスのアシッドジャズ発生前夜は、クラブDJによって過去のジャズ音源を「ダンスフロアで踊るための機能」という観点から再解釈/再評価して、古来のジャズファンから駄盤と無視された楽曲を掘り起こす運動が行われていた。それが「レアグルーヴ」だ。
「渋谷系」は過去/現在の音源をフラットに評価するスタイルだ。良いものがあればホコリをかぶったレコードだって引っ張りだす。音楽好きの少年少女は、ギターを持たずターンテーブルを買って、みんながDJになった。そして自分たちの「レアグルーヴ」を探すために、膨大な過去音源の海に漕ぎ出していったのだ。
●そんな目線が、外国の音楽から自分の国の音楽に標準をずらすのは時間の問題だった。日本の60年代/70年代にも立派なレアグルーヴが膨大にある! ボク個人は元 SUNNY DAY SERVICE曽我部恵一さんのDJによって開眼させられた。ある時、仲間で企画したイベントに彼をDJとして招いた。そもそも日本の70年代フォークからの影響を公言していた曽我部さん、英米のグルーヴィーなソフトロックを中心にスピンする中で、ココぞという時にはっぴいえんどダイナマイツをかけてくるのだ。目からウロコの衝撃だった。「ああ DJ するってコトとはココまで自由なんだ。踊れるならばナニをかけたってイイんだ!」ソレ以前の音楽観を完全にひっくり返された瞬間だった。当時ボクは21歳の大学生。まさにコペルニクス的転換だった。
●その日からボクは、グループサウンズ(「GSの”G”はガレージの”G”!」)の発掘、そして沢田研二はっぴいえんどティンパンアレー人脈~荒井(松任谷)由実遠藤賢司、高田渡URC音源、ナイアガラ山下達郎周辺、ピンクレディキャンディーズ、クレイジーキャッツドリフターズヒゲダンス含む)、筒実京平、中村八大とムシャムシャ聴きまくった。
「渋谷系」の眼差しが、江利チエミまで到達するのは自然なことだ。このコンピの選曲者は元 CYMBALS土岐麻子。実父が日本ジャズ界屈指のサックス奏者土岐英史氏とのこと。でもボクは彼女がボーカルを務めた CYMBALS が完全な PIZZICATO FIVE のエピゴーネンであったコトに注目したい。結論、だから本作は「渋谷系」なのです。(ちょっと無茶だった?)


さーてと、お次は FLIPPER'S GUITAR と双璧をなす、あのジスイズ「渋谷系」を語ってみましょうか。はい、そうです。PIZZICATO FIVE
●ボクの音楽経験の中でそれはそれは大きな出会いでした。ヨーコさんの音源に触れる前に、リアルタイムでこのバンドを知った頃を説明します。

●92年。ボクは大学一年生。ターンテーブル2台とミキサーが部室にあるという理由だけで、ボクは放送研究会的なサークルに所属していた。自分でDJ機材揃えたのはかなり後だったなあ。同じ理由で集まるヤツが先輩後輩に結構いて、音楽好き仲間を作るのに都合がよかった。
●そこにいたのがノリピーさんと呼ばれてた2つ年上の女の先輩。華奢で背が高く目が大きな女性だった。彼女からボクは沢山CDを貸してもらって聴いてた。BLUR の 1st とか THE MONOCHROME SET とか EVERYTHING BUT THE GIRL とか。この年に PIZZICATO FIVE が出したアルバム「SWEET PIZZICATO FIVE」も彼女が貸してくれたのだ。

「SWEET PIZZICATO FIVE」

●で、スゴい衝撃を受けたわけですよ。なんじゃコリャ?!(松田優作風に)。PIZZICATO FIVE は完璧な「ポップアート」だった。

●当時のボクは、50~60年代のアメリカンポップアートにかなりノメり込んでました。JASPER JONES、ROY LICHTENSTEIN、ROBERT RAUSCHENBERG、JAMES ROSENQUIST、GEORGE SEGAL ……。彼らの芸術は「ポップ」と呼ばれているが、その言葉が連想させるような能天気な明るい表現ではない。彼らは戦後到来した大量生産/大量消費社会に対して、日常に溢れるモノと情報と記号を画題にとり、人間存在そのものがモノ化/記号化され矮小化していく様子を、悲哀や諦観を込め、または冷笑的に、時に諧謔的に、そして絶望しながら描いていた。そのひんやりとした冷たさに、ボクは強烈に魅せられていた。後期 FLIPPER'S GUITAR のリリックにも、ボクはこのポップアート的なシニカル/アイロニカルな態度を嗅ぎ取り、強烈に共感していた。
●一方、そんな一群のポップアート表現の中で、一人「突き抜けてる」男がいた。そう、ANDY WARHOL だ。コイツだけは別格だ。なぜなら彼は、ポップアートの前提を完全に理解していながら「それで、何か問題でも?」と言い放った。ヤツは記号/情報/イメージを、それ以上ともそれ以下とも捉えず、ただひたすらもてあそんだ。マリリンモンローマリリンモンロー、エルヴィスエルヴィス、それで十分! 写真に色塗ってプリントしようゼ! あとナニが要るって言うの? キャンベル缶? イイねイイね! エンパイアステートビル? 面白いから8時間撮りっぱなしの映画を作ろう。シルクスクリーンでペッタンペッタン作品を大量生産し高額で売っぱらう。そんなアトリエを「ファクトリー」と呼んだのだから徹底してる。絶望すら乗り越えた無感覚状態、ボクはコレを究極のニヒリズムだと感じた。彼はボクのカリスマだった。

PIZZICATO FIVE もある意味「突き抜けて」いた。ダンスフロアを意識したグルーヴ感を前提に、古今東西のあらゆる音楽やオシャレな意匠を、借用し編集し模倣し、ツヤツヤのポップスを鳴らした。パクリのそしりも恐れずに、むしろ元ネタを披露してリスペクト愛を表明した。バービー人形のような女性・野宮真貴をフロントに据えて、着替え人形のように様々なイメージをコピー&ペーストした。この借用編集感覚、サンプリングセンスとDJセンス。「渋谷系」が見出した重要な美学だと思う。
●そして彼らのリリックには全くメッセージがない。あるのは「雰囲気」だけ。敬愛するヨーロッパ映画や美しい女優さん、ファッショナブルなライフスタイルの気分を明確に霧散するが、ホントに100%それだけ。社会的主張も人間臭さもロマンシチズムも激情も生活の匂いも、何もない。その空虚感が「ポップアート」だった。
「SWEET PIZZICATO FIVE」の三曲目「キャッチー」のリリックが最高だった。「新しい洋服と 新しい恋人 新しい私の部屋は 東京タワーが見える とってもキャッチー」「新しいダンスと 新しいゴシップ 新しいレコードは ベースの音が低くて とってもキャッチー」ひたすらキャッチーなモノだけを羅列する感覚。
●この戦略は完全に確信的なモノだし、「渋谷系」が産み落とした重要な時代感覚だ。リーダー小西康陽さんは今でもハッキリ公言している。「雰囲気モノのそもそも何がいけないんだって感じ。逆に雰囲気で聴かないで何で聴くの?」「ミュージックマガジン」07年9月号「特集=渋谷系」から引用)重ねて言うが、PIZZICATO FIVE は完璧な「ポップアート」だった。

●大きく脇道にそれましたが、ヨーコさんの提供音源にお話を戻します。

「READYMADE RECORDS REMIXES」

PIZZICATO FIVE / 5TH GARDEN / FANTASTIC PLASTIC MACHINE「READYMADE RECORDS REMIXES」1998年
小西康陽さんが自らイニシャティブを持つレーベル READYMADE RECORDS********* RECORDS, TOKYO ……すんません、ボク正直この二つの名称の使い分け、理解してません)が97年に発足。そんな勢いに乗って発表された、いわばレーベルサンプラー的なコンピレーション。レーベルの代表アーティスト、5TH GARDEN / FANTASTIC PLASTIC MACHINE の楽曲を、ドイツのDJ LE HAMMOND INFERNO をはじめ国内外のリミキサーに預けてる。もう完璧なハウスに仕上がってます。
「渋谷系」終焉のこの時代、小西氏は新しいキーワードとして「H.C.F.D.M」という言葉を提唱していた。HAPPY CHARM FOOL DANCE MUSIC。楽しくてカワイくておバカな踊れる音楽。この考え方が、どれだけ普及してたかどうかは微妙だけど、小西さんの目指してたモノは何となく理解できる。
●新感覚音楽のゴッタ煮状態だった「渋谷系」時代から、各音楽ジャンルが成熟し、ヒップホップ、テクノ、ロックなどなど、シーンが多様化分断化された時期への移行。その中で、博覧強記の知識と超ジャンル的な音楽ファンである小西さんは、今一度ジャンル横断的なクラブシーンを作りたいと思ってたんだと思う。だから「ただバカみたいに踊れる音楽」というユルいククリをイメージしたのだろう。
小西さんのDJは当時度々聴きにいってた。実に自由でジャンルに制約されないスタイルだった。ある時は50~60年代ロックンロールモータウンばっかりで攻めたりとか。初めて聴いた小西さんのDJは92年の渋谷クワトロ。現 CAFE APRES-MIDI橋本徹さん(この人も「渋谷系」の重要人物)が主催する SUBURBIA NIGHT だった。THE KLF のヒットシングル「JUSTIFIED AND ANCIENT」と前述の「キャッチー」を上手くミックスした上で、次に繋いだのが細川ふみえ「スキスキスー」!ベースを思いっきりブーストしたオリジナルアセレート。最高になんでもアリ、最高にカッコよかった。

FANTASTIC PLASTIC MACHINE「LUXURY」

FANTASTIC PLASTIC MACHINE「LUXURY」1998年
●DJ田中知之氏のユニットが READYMADE RECORDS からリリースしたセカンドアルバム。まさしく「H.C.F.D.M」の思想を体現するニギやかでカラフルな内容。DJのキャリアが大きく目立ってたので、もっとハウシーな音楽をやってるのかと思ってたけど、軸足はフロア対応に置きつつ多様なポップミュージックに挑戦してる。どこかラウンジ感も漂わせてるし。EURYTHMICS のボサ風味カバーとか気持ちイイ。
●この時期のチョイ前から社会人ドップリ生活にハマり込むボクは、クラブ遊びから距離をとることになり、仕事がらみ以外はオールの夜遊びをほぼ辞めてしまう。だからこの人の音楽に触れたことは今までほとんどなかった。勉強になりました。

5TH GARDEN「PANORAMICA」

5TH GARDEN「PANORAMICA」1997年
●やはり READYMADE の所属アーティストであるこのバンドは、コモエスタ八重樫さんという、これまた味のある人物が仕切るユニットだ。このバンドのライブを見たのか、八重樫さんのDJを聴いたのか、記憶が定かじゃない。しかし肉眼でこの人を見た時は「濃いなあ~!」という強烈な印象。ビシッと極めたタイトなモッズスーツに、前髪パッツン、左右のモミアゲからキレイに刈り込まれて繋がったアゴヒゲ。小西さんよりも明らかに年長なんだろうなと思いつつ、その隅から隅まで行き届いた細かいコダワリに、タダモノではない美意識を感じさせた。
●この人は「渋谷系」の中で一番最初から、昭和歌謡和モノレアグルーヴの価値を評価していた人物。モッズ趣味の延長から、60年代日本の大衆文化に興味を持ち、その世界を音楽だけじゃなく、雑貨やファッション、インテリアまでひっくるめて紹介した。
5TH GARDEN は、60年代マンボ再興を目指した東京パノラママンボボーイズ(新傾向盆栽家で有名なパラダイス山元さんとともに結成)の後に作ったユニット。本作は READYMADE から出した三枚目のアルバムで、前述したような昭和の面影はゼロ。彼にとって 5TH GARDEN は昭和趣味を表明するユニットじゃなかったみたい。やはり「H.C.F.D.M」のスタイルに基づくポップなエレクトロ音楽で、カワイイ女性ボーカルあり。そしてどこか漂うラウンジ感。
「ラウンジ」って90年代中盤の世界的なキーワードだった。NIRVANA を輩出したグランジレーベル SUB POP が、ラウンジコンピ出した時に「時代変わったな」と思ったもん。レコ屋のPOPに「グランジの次はラウンジ」なんてダジャレがホントに書いてあったんだよ。クラブ文化が成熟してその楽しみ方が多様化した時期だったんだと思う。チルアウトとかもあったじゃん。
●ちなみにこれはヨーコさんのコレクションではなく、この前100円で発見したモノ。「渋谷系」タタキ売られてます。可哀想と思ったら拾ってやって下さい。

「THE BEST OF EASY TUNE」

VARIOUS ARTISTS「THE BEST OF EASY TUNE」1996年
●コチラは、オランダのレーベル DRIVE IN がシリーズコンピの形で提案していた「EASY TUNE」というスタイルをまとめた楽曲集。60~70年代ポピュラー音楽のエッセンスと現代的表現をブレンドして全く新しいイージーリスニングラウンジ音楽だ。骨格は現代のビート感覚だけど、ヴィンテージオルガンとか金管楽器などの味添えがオシャレで愉快。
ヨーコさんのくれたこのCDは日本盤で、ライナーを小西康陽氏が担当。それによると「EASY TUNE」の中心人物 RICHARD CAMERON とはコラボ仲間で、PIZZICATO FIVE のアルバム「HAPPY END OF WORLD」(1997年)で楽曲提供してもらってるという。READYMADE「H.C.F.D.M」、彼らの「EASY TUNE」、そして前述したドイツのDJ LE HAMMOND INFERNO のレーベル BUNGALOW ROCORDSPIZZICATO FIVE 自身が、アメリカのオルタナティヴレーベル MATADOR から全米デビューしていくのも90年代中盤の時期。世界のアチコチで同じ美学を共有する人々が登場してくる。世界同時多発/同時進行で、日本のシーンがリンクしていくのは最高にワクワクする感覚だった。


●こんだけ思い入れタップリに語りながら、実は92年以前の PIZZICATO FIVE を全然聴いたことがないことに気づいた。下北沢のレコード屋を巡って初期音源を探した。

PIZZICATO FIVE「ピチカート・マニア!」

PIZZICATO FIVE「ピチカート・マニア!」1986~87年
PIZZICATO FIVE は、テイチク傘下の NON STANDARD レーベルでデビューした。細野晴臣氏主宰のレーベルだ。86年に2枚の12インチシングルをリリース。その二枚をまとめたのが本作だ。コレを初めて聴いた時には正直驚いた。これが PIZZICATO…?
渋谷系以前の PIZZICATO FIVE細野さんの影響下にある NEW WAVE バンドだった。ワザと強調したピコピコ感や機械的ジャスト感のリズムが、どうしょうもなくテクノポップ。その後の PIZZICATO FIVE を考えると、正直バンド当事者には不本意だったんじゃないか、というプロデュースワーク。
●でも女性(当時のボーカルは佐々木麻美子さんという人)のか細いボーカルは、その後の野宮真貴さんのスタイルを連想させるし、歌詞の世界も PIZZICATO FIVE らしさがキチンと出ている。
●このレーベルとのお付合いはコレっきり。彼らはCBSソニー(現ソニーミュージックエンターテインメント)へと移籍する。

PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」

PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」1986~1990年
CBSソニー在籍時代には4枚ほどのオリジナルアルバムをリリース。それをまとめたベストがコレ。DISC 1 はスタジオ音源、DISC 2 はライブ音源。管理が悪かったらしく、ライブは結構乱暴な編集になってます。
●この時代の重要なポイントは、ボーカルに田島貴男(現 ORIGINAL LOVE)が加入してたコト。88~90年に在籍。PIZZICATO FIVE での田島氏の声、初体験でした。やっぱり、過剰な色気が迸ってる。ペラペラ雰囲気だけの歌詞なのに、田島さんが歌うとそれだけで強力な説得力が出来ちゃう。メジャーデビューして「渋谷系」のメインストリームに出て行った頃の ORIGINAL LOVEアシッドジャズアプローチと田島貴男の声がスゴかった。本作でも彼はスゴい。
●カセットから起こしたというライブ音源で、より田島氏のチカラを思い知る。ロックになってるんですよ。このまま彼が PIZZICATO FIVE に留まり続けたら時代は随分変わったでしょうね。田島氏自身がステージから脱退のあいさつをする様子もココのライブ音源に収録されてます。
●去年の夏「岡本太郎巨大壁画」特番に出て来てきてしまった田島貴男は、テレビ照明に漂白されて以前のオーラが消されてしまってた。ちょっと寂しい。

PIZZICATO FIVE「最新型のピチカート・ファイヴ」_
PIZZICATO FIVE「最新型のピチカート・ファイヴ」1991年
ソニーの姿勢に不満を持ってたバンドは、日本コロンビア(現コロンビアミュージックエンターテインメント)に移籍。所属レーベルは TRIADカーネーション、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT が在籍し「渋谷系」の一つの軸になった場所だ。メンバーは野宮真貴+小西康陽+高浪敬太郎の三人体制。この年は毎月一枚のペースで5枚のCD(一枚は高浪敬太郎名義)を連射リリース。本作は、PIZZICATO FIVE 名義での一枚目となる。「渋谷系」時代の開花。
●バンドは三代目ボーカリスト野宮真貴嬢を大々的にフィーチャーする。彼女に一問一答のインタビューをしていくトラック「女性上位時代#1」が、彼女のバービー的イメージを戦略的に構築しようという試みとしてユニーク。12センチマキシシングルCDという媒体は、当時登場したばかりだったが、収録時間が長いシングルの利点を生かし、よけいな雰囲気モンを収録させちゃうトコロに、彼ら特有の様々な遊び心を感じる。
●アートワークへの細部へのコダワリもこの時期から健在。アートディレクションに信藤三雄さん登場。ココからCDの特殊パッケージへのコダワリも始まるのだろう。流通泣かせのイレギュラー版型が今後頻発していく。バンド末期はわざわざDVDサイズでシングルのパッケージ作ってたもんね。

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PIZZICATO FIVE「レディメイドのピチカート・ファイブ」1991年
●91年の5連作の4枚目。バブル期の東京ベイサイドを彩った INKSTICK SUZUE FACTORY でのライブ音源を中心にしたモノ。しっとりオーガニックな生バンドで聴く PIZZICATO FIVE もいいですね。芸術家・沼田元気氏のポエトリーリーディングなんてコトもやってる。ジャズと詩のコラボといえば、ALLEN GINSBERG など50年代のビートニクスの連中や、GIL SCOTT-HERON を連想します。スノッブだねえ。
●ボクのバブル時代、INKSTICK芝浦スズエも行かずじまい。芝浦 GOLDジュリアナ東京も行かなかった…。東京ウォーターフロントには縁がなかったなあ。金がない学生にバブルのいい思い出はない。スズエファクトリーが滅びた後に出来たクラブへ一度行った頃がある。オールジャンルのユルいクラブで、ダンクラに合わせて年上世代が踊ってた。チークタイムまであったからビックリしたもんだ。
●以前レコード会社の人と打ち合わせしてた時、ひょんなコトからその人が当時の TRIAD に関わっていたという話題になった。ボク「90年代のトライアドですか!スゴいじゃないですか!ピチカートにミシェルガン!」一方的に盛り上がるボクに対して、その人は遠い目でどこかを見つめながら「いや~ホントに大変でしたよあの頃は。ノベルティひとつにしてもご本人のクオリティコントロールが厳しくてね……」あ、確かに厳しそう。なんか納得。



2001年3月31日。PIZZICATO FIVE は解散する。
渋谷 ON AIR EAST(現 O-EAST)。仕事がらみでこのイベントに行ったボクは、関係者控えがある2階からフロアを眺め、このバンドの最後のパフォーマンスを見た。なんだかお客もゲストもお祭り騒ぎで大混乱、小西さん自身も興奮してるのか、控え室ではスゴく饒舌で驚いた。ボクも大分興奮していたのか、どんなイベントだったか、どんな音楽が鳴っていたかよく覚えていない。ただハッキリと聴こえていたのは、90年代が終わる音。一つの時代が終わっていく音が聴こえていた。90年代は正真正銘に終わりを告げ、ボンヤリと21世紀が始まったのだ。

そして2001年9月11日。アメリカ同時多発テロが起こる。
●21世紀/00年代は新たな戦争の時代として幕明けた。大きなビルが崩れ落ちる音が耳鳴りのように響き、ボクはしばらく新しい音楽が聴けなくなった。自由に出来るお金が増えて、聴くCDの量は増えた。しかし、同時代の音楽から90年代に感じていたドキドキは聴こえなかった。耳にココロに響いてこないのだ。
●これはボクだけの感情だろうか。あの大きな悲劇と戦争へなだれ込む喧噪の中で、世界のポップミュージックは一瞬停滞してしまった。全世界を巻き込む不幸と暴力の連鎖に、既存のポップミュージックは何のリアクションも出来なかった。ダンスフロアを中心に享楽を貪った90年代音楽は、苛烈な現実社会に太刀打ちできなかった。結局これが「渋谷系」~90年代の限界なのだ。逞しい音楽が再び動き出すのには、ボクの耳に新しい音楽が響いてくるのには、数年の時間がかかった。

さらにこの年、ボクは父親になった。
●28歳で第一子を迎えたボク。個人的には大事件だった。91年の PIZZICATO FIVE「大人になりましょう」と歌った。ボクは大人になったのだろうか? 2001年のボクは、「BOSSA NOVA 2001」(1993年)に収録された曲「マジック・カーペット・ライド」をよく聴いていた。下にリリックの一部を紹介します。

 きみとぼくは 不思議だけど むかしから 友達だよね
 2000光年を 愛しあってる そんなふうに 感じたりしない?
 そしてふたり いつの間にか 年を取ってしまうけど
 いつまでもふたり 遊んで暮らせるならね
 そしていつか ぼくたちにも 子供が生まれるだろう でも
 いつまでもふたり 遊んで暮らせるなら
 同じベッドで 抱きあって 死ねるならね


●ワイフとボクは、2008年4月、知り合ってから20年目を迎える。二つのディケイドを二人で過ごしてしまった。いつまでもふたりで遊んで暮らせるならね。

「BOSSA NOVA 2001」PIZZICATO FIVE「BOSSA NOVA 2001」




●ここまでお付き合いした方は、よっぽどの酔狂か、ヒマすぎるかのどちらかでしょう。この長い文章を読みきったアナタ自身に対して拍手する意味で、拍手ボタンを押しましょう。
 

 
本日、三軒茶屋にておもちゃ交換会に参加。
●体調の良い午後は、2時間程度の散歩(外出)をすることにしている今日この頃。今日は、三軒茶屋のキャロットタワーで行われた「おもちゃ交換会」というものに行ってみた。その名も「かえっこバザール」。これが面白い仕組みなのだ。詳細は下のサムネイル開いてみるか、公式ホームページをご覧ください。

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「かえっこバザール」HP:http://www.kaekko.com/

●遊ばなくなったオモチャを、そのまま捨ててしまうのは、忍びない。それを持ち寄って、ポイントと交換。そのポイントに応じて、大勢から持ち寄られたオモチャを受け取ることができるという仕組み。コレは面白い!オモチャは誰かにもらわれて、第二の人生を送ることができる。愛着あるオモチャに報いる素晴らしいアイディアだ。
●ノマドの小学校入学をキッカケに、コドモ部屋をモデルチェンジする必要がある我が家。かさばるオモチャを少々処理しなくてはならない事情がある。そこでコドモたちと相談し、いくつかのオモチャを選んで、バスで会場に向かった。

●三軒茶屋キャロットタワー4階、ワークショップホール。想像以上のエキサイティングな状況にビビる。

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●赤ちゃんから小学生までがオモチャの山に群がってワシャワシャ自分のお気に入りを探している。スゲエ。結構壮観ですよ。

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●しかも集まったオモチャの数々が、これまたジックリ味が染みてて味わい深い。結局コドモ部屋からお払い箱になったオモチャたち。UFOキャッチャーの景品、壊れたミニカーや水鉄砲、番組が終了した戦隊メカ、キャラクター電報のヌイグルミなんてものも。それぞれの事情でココにやってきた。新しいご主人が見つかるとイイね。

しかし、ホントの人気商品は、オークションで競り落とされる。
●たまごっち、リカちゃんハウス、ハムタロー系グッズ、バービー人形詰め合わせ、仮面ライダーの武器やメカ、トミカの大仕掛けな駐車場キット、鉄道模型、アンパンマンのキックボードなどなど。これらは、会場奥の陳列棚に並べられて、最後にオークションが行われるのだ。これがエグイ。
●それぞれがポイントを持っている。これを元に挙手してポイントを申告する。我々には24ポイント。さーて、どうやって駆け引きするか…。と、思ったら、司会者「さて3ポイントから…」子供「80!」おいおいイキナリ80ポイントかよ!子供の駆け引き感覚読めねえ~! そこにかぶせて「90!」「95!」コイツら軍資金ナンボ持ってるんだよ。このインフレ状況じゃ歯が立たない。
●時にムキになるお母さんも。「早く30って言いなさい!いや40よ!もっと大きい声で!」親も必死だよなあ~。落札に失敗した子の泣き叫ぶ声も聴こえる。「あ~ん!パパのバカ!パパがしっぱいしたからいけないんだ!」

●ヒヨコの狙いは、「MY LITTLE PONY」のお城セット。まだ日本には沢山入って来てないけど、ボクとワイフの中ではかなりホットなお人形さんシリーズ。すっごくカワイいでしょ!「MY LITTLE PONY」の主役はカワイイ女の子のおウマさん。サイケデリックなパステルカラー、そしてグリッター感。コレ絶対ギャル受けするしコドモ受けもするよ。たくさんあるおウマさんの種類がコレクター魂くすぐるし。トミーが日本での展開を企んでるっぽいけど、絶対クるっすよ。「ヒヨコ、ポニーちゃんのおしろがイイ!」ヒヨコ、これは真剣勝負だ。みんなスゴく沢山ポイントを持ってるんだ…。うまくやらないとダメだ。もし失敗しても、あきらめてくれよ。

My Little Pony Storybook Collection (My Little Pony) My Little Pony Storybook Collection (My Little Pony)
Ann Marie Capalija、Kate Egan 他 (2005/08)
Harperfestival

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「MY LITTLE PONY」はまだ日本で知名度が低い。コドモの関心度は他の重要アイテムより低いはず。そしてオークションの順番。主催者側はザックリと有名商品からオークションにかけている。リスエストをして早く出してもらうコトもできる。これは反対に、オークションの後半まで出品させずに、3ケタ級の高ポイントを持つ小僧ドモを消耗させきるコトが重要だ。ヤツら後先考えずに手持ちポイントをフル出力でエントリーするので、ライバルの没落をひたすら待つのだ。動かざるコト山の如し!
●そしてオークション終盤。周囲のコドモたちが最初の4分の1まで減って来た。動くのはココだ!ワイフにオークション・リクエストを申し込ませる。よし、ヒヨコここから勝負だ!流れを高速インフレに持っていってはダメ。低価格で刻め!
●司会者「さてコチラのピンクのお城…」ボク「はい!3ポイント!」(←ケチ)ドコかで「5」という声が。ボク「6!」刻む刻む。ボクのすぐ隣に立つ小学生の女の子が「10!」おおっ、この子がライバルか?即座にボク「11!」あくまで刻む。女の子「15!」わざとカブせるようにでかい声で「16!」うわ、ボク小学生の女の子に真剣にプレッシャーかけてる。ホントに大人げないね~。女の子「18!」ボク「19!」 ……女の子沈黙。司会者「はい、19のアナタ決まり!」「よっしゃ!」ノマドヒヨコ「わーい!」ワイフまで「やったー」家族一丸になった瞬間であった。

大変な充実感に満たされて帰宅。
●でも冷静に考えると、オモチャを減らしに行ったのに、おなじだけのオモチャを持って返ってしまった。意味ないじゃん。でもコドモたちはホクホク。彼らの収穫を見てやって下さい。

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●ヒヨコの収穫。「MY LITTLE PONY」の大きなお城。高さ40センチを超えるこのお城は、マトモに買えば60ドルを超えるでしょう。

ちなみにノマドの収穫。

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●1ポイントの投げ売りコーナーで拾って来たブロックオモチャ。ノマドらしいね。オマエは自分のアレンジが効くオモチャが大好きだもんな。

●ついでに、今回、我が家のオモチャ箱から退役し、第二の人生を送ることになったオモチャたちの写真を見てやって下さい。今までお世話になりました。ありがどう。

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トラック。ホントは人が乗るモノじゃないけど、軽量級のノマドはコレにまたがって廊下を爆走しまくったものだ。もうお兄さんになっちゃったから、コレに乗ったらトラック壊れちゃうよ。他の子にあげようね。

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消防車。一時期のノマドは消防車&消防隊に夢中だったな。とりれんじゃーのリーダー「とりレッド」は普段は消防士という設定だったから。

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トーマスのオモチャたち。子供はみんなトーマスが好き。何でだろう。結構不気味にも見えない?

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バズ・ライトイヤーの光線銃。ノマドはこの前のディズニーランドでもバズに乗りたがってたな。

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●カワイいけど凶暴なクマさん、グルーミー。ボクが仕事先でもらって来たヤツなのだか、口からしたたる鮮血と血に染まった鋭いツメがヒヨコに大不評。

●おもちゃってコドモにとって大切だから、大切にサヨナラしてあげたいね。

 
息子ノマド5歳、マルバツゲームに興じる。
●先月のバリ島旅行にて、ノマドヒヨコは往復のガルーダ・インドネシア航空機内でオモチャをもらって来た。その中の一つに「TIC TAC TOE」、つまり日本で言うマルバツゲームがあった。コレを親子で対決して遊んだ。

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●赤子の手をヒネルも同然、数回はボクの圧勝だった。そしてさらに大人げなく「二重の手」まで仕掛ける。上の画像の通り、この配置ではバツ側が2通りのリーチをかけてるので、マル側に勝ち目がない。「ノマド、こうなったらどうやってもパパの勝ちだよ。ホラ、どっちにノマドがマルを置いても負ける」ノマド「うー!もういちどショウブだ!」
●偉そうに解説して、余裕タップリにノマドに先攻をとらせたら、その瞬間「二重の手」をノマドに仕掛けられた。ほぼ一分以内の出来事。「ぐお!ノマドにやられた!」コイツもう二重の手の仕組みがわかったのか?ノマド「えへへ。よーし、こんどはさんじゅうのて、よんじゅうのて、ごじゅうのてをねらうぞ!」
●いきなり互角の勝負になってしまった。先攻が明らかに有利なこのゲーム、後攻で受けるボクはノマドの「二重の手」をどう揺さぶるかの戦い。コイツが時々見せる利発さには度々驚かされる。親バカで申し訳ありません。

そしたらノマドが新たなアイディアを出して来た。
●ノマド「パパ、コレふたつガッタイしてやろうよ」ナニ!これは一気にゲームを複雑にする提案だ。コイツ本当にあなどれない。

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●むむむ、今まで思いつきもしなかった。ノマド、このアイディアは面白いぞ。斬新な発想だ。ボク自身もやったコトのないシチュエーション、「二重の手」「三重の手」をドンドン仕掛けられる。ボケーっとしてると負ける。ガチンコの真剣勝負をしてしまった。ノマドがこのゲームに飽きても、しばらく一人でシミュレーションして研究してしまった。やっぱり先攻有利の傾向があるが、むしろ簡単に決着がつく場合もある。
●ノマドは、ボクの父親(つまりノマドのジジ)から「はさみ将棋」を教わって、一瞬で会得したともいう。

質問も高度になって来て、本気で考えたり調べないと答えられないモノになって来た。
朝飯食べながら唐突に「パパ、うみってどうしてできたの?」コレ難しいでしょ!即答できます?「ミッキーマウスって、いまなんさい?」えーと、無声映画の第一作が1928年らしいから79歳…。「なんでアラスカはアメリカなの?はなれてるのに。」えーと、1897年ロシアからアメリカが購入…。「ノマドのぜんそくのクスリにかいてある「50μg」ってなに?」それはマイクログラムと言ってだな……。コイツの知的好奇心にはホントに際限がない。うーむ、父親としてヤツの持ち味を伸ばしてやる術はないだろうか。

ノマドは物語るオトコである。
●意識的か無意識か、ヤツは自分で何でも作る。オモチャも自分で工作して作る。そしてソレに、自分で考えた物語を乗せる。ヤツの妄想から生まれた戦隊「とりれんじゃー」(参照リンクはコチラ)が代表作だが、武器を作れば全部とりれんじゃーの武器になる。
●最近は「ゲゲゲの鬼太郎」に夢中。そこでオリジナル妖怪を考案してる。キッカケはムック「ゲゲゲの鬼太郎 遊BOOK」である。

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●ココにオリジナル妖怪を考えようというページがある。ノマドのインスピレーション、ココに作動する。4種類の妖怪が登場した。

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●左のページ、上から「めメメーメお」「ずール」「ノマママーマ」。変な名前。ノマド精一杯のブキミ表現で目玉が全身にある設定。
●そして注目は右下の「じレーだ」。この5つの目を持つ妖怪は、ヤカンに変身したり、おフロに変身したり、地面に変身したりして、悪さを働く最悪最凶の化け物らしい。

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●なぜヤカンなのか?なぜおフロなのか? 全く意味がわからない。しかしヤツの表現にはキチンとヤツなりの秩序があり、バックグラウンドが構成されている。他の妖怪にもみな属性や得意技があるという。

もう一匹、凶悪な妖怪が出現した。「るるーろ」である。
●以前このブログで紹介したノマドによる「ゲゲゲの鬼太郎」の絵が大変なことになった(以前の絵についてはコチラのリンクを参照)。

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●歯車のようなカタチをした球体(画面下に3匹)が鬼太郎たちの間を猛スピードで駆け巡り、彼らを翻弄している。これが「るるーろ」だ。ノマド曰く「みなみからのたいようのひかりをエネルギーにしてとんでくるんだ」よく意味は分からないが、鬼太郎をココまでいたぶるのはよっぽどのパワーだろう。

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ちなみに、ヒヨコの妖怪作品。沖縄に伝わる妖精「キジムナー」ちゃんを描きました。丸くてカワイイです。彼女は驚異的なトリアタマぶりだが、造形的、色彩的な感性において優れた直感力があるような気がする。それは今後考えてみようと思う。

本日、ノマドヒヨコは「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」を鑑賞。

NIN × NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE プレミアム・エディション NIN × NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE プレミアム・エディション
香取慎吾、田中麗奈 他 (2005/02/02)
ジェネオン エンタテインメント

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●忍者/忍法もノマドヒヨコには強烈なインスピレーションを与えたようだ。実は昨日も見てて今日は2回目。画面の前で、バタバタ暴れながら、デカイ声でオリジナル忍法の名を叫びながら見てる。「にんぽう、おそあるきのじゅつ!」…何の意味があるワザなのか…?「にんぽう、とうめいのじゅつ!」…見えてるよノマド。
 
 
自律神経失調症とのお付合い(その24)~「さらに休職延長です…」編
●今日もセッセと病院。心療内科の診察です。会社に出している診断書は、10月イッパイまでの休職となっていたので、今後のコトを相談する必要がでてきました。以前からハッキリほのめかされていたので、結論は分かってましたけど。

「診断書 病名 自律神経失調症
  右記病態にて加療行っているが 病状は不安定であり
  2か月の療養を要する」

      
●先生「ホントでしたら1月も無理だと思いますよ。でもまずコレで様子を見ましょう。」……休職2か月延長。ああ、これで職場半年空けることになったよ。ふう…。でもしょうがない。ホントにダメなのは自分でもわかるから。カラダはマトモに動いてくれないし、アチコチ痛い。これで仕事に戻ればスグに症状は逆戻りするだろう。ちょっとは良くなってる。ソレは確かだ。少なくともそう思いたい。でもまだ仕事は無理だ。
●コレを週明けに会社へ郵送しよう。そして会社の診療所に電話だ。「もう2か月、時間を頂けますか。ご迷惑かけます。申し訳ありません。」

●先生に突っ込んだコトを一つ聞いてみる。「あの、ボクは、やっぱり、うつ病になってるんですか?」
●先生は丁寧に答えてくれた。古典的、典型的な意味での「うつ病」ではないだろう。unimogroove さんには、気分障害があまりない。ただ身体的症状がハッキリ出ている。こういう状態を、よく最近使われる「仮面うつ病」という名前で説明することもできる。でもそれを今までの診断名である「自律神経失調症」から「うつ病」に言い換えることに、たいした意味はないだろう。
●このテの病気は、患者一人一人百者百様のあり方があるし、それぞれの解決法も治療法も違う。病名を無理に定義づけることに意味はない。とにかく治ればイイのだから。自分が「うつ病」かどうかは、考えるのを止めた。

あと、きちんと自白しました。
●あれだけ絶対行かないと約束した後輩の結婚式ですけど、結局2次会に行っちゃいました…。先生半ば呆れつつ「はあ!行ったんですか!……もうホントに unimogroove さんらしいですねえ。」基本的に同僚に会うのはあくまで禁じ手。ダメ。リスクが高い。すいません、わかってます…。

ただしもう一つ言われたことが。
●不安定な睡眠についてはクスリである程度治療することができる。しかしボクの身体的症状、つまり激しい筋肉の緊張、首、肩、背中、腰、腕、目、足(つまり全身)の異常なコリ/痛みについては、心療内科/精神科には直接治療する術はないとのこと。この話は先週の診察でも言われた。これは自分でなんとかするしかない…。


ということで、昨日は久しぶりの鍼灸治療へ。連日何らかの病院行ってますわ。
●やはり手っ取り早くカラダの痛みに効果を持つのが鍼灸治療だ。しかし保険が効かずコストが高いのが最大の問題。でもしょうがない。キチンと定期的に通うしかあるまい。
●お久しぶりの鍼灸の先生は「あ~ら、またドコもカシコもパンパンね。もっと早く来てくれなきゃダメよ~。」と言って、1時間のはずのトコロを2時間かけて念入りに施術してくれた。スネに電極ベルトを巻き微弱電流を通し、腰に10本ほど鍼をぶち込む。「おうっ!」思わずうめくと、「そうそう、おう!ってくらいにキちゃってるのよ」この先生のカラリとした明るさは好きだ。深刻ぶられるよりずっとイイ。
●腰の鍼にもパルス電流をバクバク流し込み、首にも10本の鍼を立てる。やっぱりパルス電流をバキバキぶち込む。右の肩甲骨の下に4本。背中にも6本。赤外線を背中に照射。このまま15分ほど電撃をくらい続ける。
●お次は入念に全身オイルマッサージ。肩が一番苦しいと言ったのだけど、一番しっかりホグされたのは脇の下。脇の下から肩の上まで筋肉は繋がっているから、ココを伸ばせば上も良くなるという。へえ、また新しいコトを知った。
●最後にヨコから首に鍼を立てて、そのまま首をゴリゴリひねり回す。コレがキツい。首の筋肉の中で鍼が動くのが分かる。
「はーい。今日はコレで終了です。お疲れ様でした」本当にお疲れ様です。施術直後はグッタリしてしばらく動く気になれない。有名スポーツ選手も相手にしているこの先生、合わない人は2日くらい寝込んでしまうほど施術が強烈。でもこのフラフラ感がもはやボクには快感。高い料金分モトとった気分(←ケチ)。あと加えて言えば、ボクはやっぱりマゾヒスティックな体質なんだよな。
●翌日朝、起きてみたら首の緊張が解消されすぎてて、反対にアタマが安定しない。気を抜くとコロコロ前や後ろにアタマが転がってしまう。まっすぐ維持するのが大変。一方で、肩のコリはしぶとく残っている。特に右肩。今も湿布を貼って過ごしている。

しかし衝撃はその治療の直後にありました。
●フラフラになりながらお会計をしつつ、なじみになった受付のお姉さんと話をしてたら、待合室にホッソリとした美人さんが入って来た。………あれ! この人、石○ゆり子さんじゃん!うわ!すぐ隣のソファに座って来た! この鍼灸医院、ギョーカイ関係者がお客に多い気配濃厚だったけど、女優さんまで来てるんだ!スゲエ! ……と動揺しつつもそんな気持ちは静かにしまい込み、おとなしくしてました。美人さんのオーラにしばし癒されました。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html

 
 
虫歯治療しました。
●先日、歯の裏側にくっついて以前から気になってた歯石を取ってもらいに、近所の歯医者さんに行った。ウチのコドモたちが歯にフッ素コートかけてもらってるトコロ。待合室にはお客として訪れたコドモの写真がたくさん貼付けられてる。ノマドもヒヨコも、幼稚園の友達たちもミンナ写ってる。
●歯科衛生士のクールな美人系お姉さんに、なすがままに口の中をイジクられるのは、えも言われぬ感覚だ……。制服系って感じだけでも2割増美人に見える。お互いの顔は超至近距離だがマスクで相手の表情は読めない。コッチは身動きできず口を間抜けに開いて、キタナい歯を見られる…。なんか微妙にマゾヒスティックな関係だな。
●衛生士さん「丈夫な歯でらっしゃいますね…歯周病もありませんし…虫歯も奥歯にちょっとありますが治療するほどのモノでもないですね…」そうです、実は歯は丈夫なんです。なぜかは分からないけど。「では超音波で削っていきますね」はーい。…しかし歯石を落としていたら、その下から割と根深い虫歯が出て来たのであった!「あーこれは、治療しないとマズいですね」え……!

●一気にビビるボク。歯が丈夫なボクは虫歯治療とか全くしたことないし、カブセモノとかもやったことがない。小学生のように不安になる…。あの、カブセモノってどんなモノなんすかね…? 衛生士さんはパタパタと事務的にレストランのメニューのような価格表を持って来る。「保険適用範囲のモノですといわゆるフツウの銀歯ですけど、他にも金やセラミックなどイロイロな種類を揃えております」うお!50000~80000円とか書いてあるよ…。歯医者の世界にもラグジュアリーマーケットがあるんだ…。でも非セレブであるボクは「あー、フツウのでイイです…」その場はそこまでで撤退。後日予約を取り直す。

そして本日、虫歯治療。
●受付には例のクールビューティ衛生士さんが。ボク「あの、3時に予約した…」衛生士さん「診察券お願いできます? …ここにも書いてありますけど unimogroove さんの予約、昨日だったんですよ」 うお!曜日まちがえた! アホかボクは。クールな衛生士さん、一際ツーンとした感じ。「…すいません」「でもちょっとお待ちいただければ、今日でも大丈夫ですよ」「…すいません、お願いします…」
●タダでさえコドモのようにビビっているのに、よけいなトコロでパンチを食らった。既に相手ペースだ。分が悪い(←何の勝負だ?)。やっぱ別の日にしたほうがよかったかな…。
●しかし治療が始まると、あっという間であった。歯科医の若い男性の先生と、クールビューティに囲まれて、麻酔をプスプス、奥歯をカリカリ、粘土みたいなジェルで歯型とって、穴ぼこにナンカをヌリヌリして以上終了。この先生、腕がいいわ。痛くなかった。本日ワタクシ見事に大人の階段を一歩登ることができました!

歯医者にビビった告白ついでに、もう一つカミングアウトを。
●ボクは30歳過ぎるまで歯磨きの習慣ありませんでした!めんどくさいから一週間に1~2回程度しか磨かない。これで虫歯にならないのだから、立派なほど丈夫な歯でしょ。ワイフはあきれ果ててたけど。人間、なくて七癖ナントヤラ。人に言えないクセがけっこうあるんですよね。
●しかし、やはり虫歯一本なかったボクの父親が、激しい歯槽膿漏でボロボロ歯が抜け出した、という話を聞いて改心。歯槽膿漏/歯肉炎予防の薬用歯磨きで毎日磨いてます。磨き始めた最初の頃は、突然の刺激に口の中が驚いたのか、歯茎から大量出血(スプラッター寸前)、口内炎が同時に6つできた。歯磨き始めたときも、大人の階段踏みしめたと思いました。


その歯医者に向かう道でギョッとするものを見つけてしまいました。

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●コレ、タイのバンコクとかで走ってるオート三輪のタクシーじゃないか。たしかトゥクトゥクっていうヤツ…、バンコクで乗ったことあるぞ。なんでこんなトコにフツウに路駐してんだ? あ、ちゃんと日本のナンバープレートまでついてる。トゥクトゥクのくせして品川ナンバーだよ。……下北沢あなどれない街だよ。


昨日、ノマド&ヒヨコ&ワイフでディズニーランドに行ってきました。
●幼稚園ズル休みして、ヒヨコの親友ミユちゃんと妹ユナちゃんと一緒に、ハロウィンキャンペーン中のパークを平日に堪能するのが目的です。えー当然ながらボクは不参加です。最初っからミソッカスで、そんな計画があることを知ったのも前日のコトでした。ワイフ「ゴハン、朝昼チーンしてくれればいいから」はーい、イッテラッシャイ。
●ワイフはハードコアなディズニーマニアで、学生時代はホントによくデートしに行ったモノです。大学4年間で年越しカウントダウンを4回パークで過ごしました。彼女がパークで遊ぶ中、極寒に耐えひたすらパレードの場所取りをした覚えがあります。幼稚園ズル休みしてまで…なんて思いますが、まあ珍しい状況ではないです。だって今年だけで舞浜4回目くらいだし。
●先生には「家の事情で休ませてもらいます」と断ったトコロ、「ええ、ヒヨちゃんから聞いてますよ。「ナイショのおハナシだけど『デズ』からはじまるトコロにいくの」ですって」と返されたらしい。ヒヨコ、正直者でヨロしい!ウソつくやり方なんて覚えるな。

●ちなみにノマドはパークの中での予定を自分で計画書にまとめてました。

20071017222133.jpg

●さて、なんて書いてあるでしょう?難易度は結構高いです。
一行目:1 いすすもわるろ (→訳:イッツ・ア・スモール・ワールド)難しい!
二行目:2 れんしんぐかー (→訳:レーシングカーの意
三行目: かくれみきさがし (→訳:隠れミッキー探し
四行目/五行目:バずらいといーーか (→訳:バズ・ライトイヤー
●ボクもワイフも楽しむだけで、直したり間違いを指摘したりはしません。だってヘンテコリンで面白いじゃないですか!ヤツは自発的に自分の構築力&表現力の限界に挑んでるんですから、手伝ったら意味ないでしょ。
 
●ハロウィンの季節、パークはお客さんもハロウィンコスプレで楽しむのが流儀という。ホーンテッドマンションのゴス風メイドさん(髪飾りにコウモリ)などが大勢出る時期。子供たちもお姫様になったりと賑やかです。
●ワイフは今年もフルスクラッチ、100%手作りでヒヨコの衣装を完成させました。テーマは「リトルマーメイド」アリエル。ヒヨコ自身の希望で、ヒヨコ自身がデザイン案まで描き起こしました(参照リンク)。かなり忠実に仕上がってますが、写真のアップはハロウィン当日までお楽しみに。代わりに去年のハロウィン衣装をご覧ください。これもワイフ渾身の手作り作品です(参照リンク)
アリエルヒヨコとお姫様ドレスのミユちゃんは、パークでも一際目立つコスプレになりまして、周囲のお客にも大評判。「カメラ撮らせて下さーい」とギャル風女子がヒヨコとミユちゃんの2ショットを撮影していきました。

ワイフのもう一つの狙いはスペースマウンテンです。
●最近微妙にリニューアルしたと言います。ウェイティングレーン部分がモデルチェンジしたとか。これを一人で楽しみにしてました。しかしこのアトラクション、乗車に身長制限あり。103センチ以下は不可。コレ微妙!ウチのチビ共はギリギリ。ノマド105センチ。ヒヨコ100センチ!アウト!でも無理矢理乗せたらしい。
●だが、やっぱり早かったらしい。ヒヨコ号泣、断末魔のような悲鳴を上げて泣き叫んだという。宇宙好きのノマドですら「コワいからメつぶってシタむいてた。」じゃあ宇宙見られてないじゃん。やっぱ無理よ、幼稚園児には。ワイフ「だって乗りたかったんだもん」
「ヒヨコ、コワかった…」とボクに報告するヒヨコ。ボク「ヒヨコ、これナイショのお話だけど、実はパパもスペースマウンテン怖くて乗れないの。パパは子供の頃一回乗って、ママとデートした時もう一度乗った。でもやっぱり怖くてもうソレから一回も乗ってない」これリアルな話。ボクは絶叫マシーンが全然ダメで、ジェットコースター乗れません。ディズニーランドともかなりドップリ仕事してるのに、スプラッシュマウンテンも怖くて一回しか乗ってない。タワー・オブ・テラーは一生無理。「パパとヒヨコのナイショの話だよ」
●その後ワイフがどんなに問いつめても、ヒヨコはこの内緒話を絶対バラさなかったそうだ。「うふふ」と笑うだけだったという。
 


 
自律神経失調症とのお付合い(その23)~「今度は尿酸値が…」編
●今日も病院。白金の呼吸器科。ふう、遠いぜ。同じ病院なのにドンドン遠くなってく気がする。移動がツライのよ…。
気管支ぜんそくは安定しているが、二回目の血液検査の結果、尿酸値が高くなってることが判明した。自律神経失調症ともぜんそくとも関係なく悪くなってる。なんでやねん…。なんでこうもボクのカラダはボロボロなのよ…? お医者さんによると一応治療をはじめた方がいいレベルだとさ。先生「コッチのクスリも飲みます?」ボク「既に大量にガブガブイッてますからね、もう一個二個増えたトコロでビビリもしませんよ」こうなったら、なんでもかんでも全部治して、復帰する時には完璧な健康体になって戻ってやる!

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●えー、これにてボクの飲んでいるクスリは、
デパス(精神安定剤/穏やかな鎮静作用、抗不安作用):一日3mg
メイラックス(精神安定剤/特に穏やかな鎮静催眠作用):一日1mg
ウインタミン(強力な精神安定剤/統合失調症など精神疾患向け):一日50mg
コンスタン(精神安定剤/穏やかな鎮静催眠作用):頓服薬として適宜服用
ジェイゾロフト(抗うつ剤/うつ症状やパニック障害の改善):一日75mg
サイレース(不眠症の治療薬/鎮静催眠作用、筋弛緩作用):一日2mg
ミオナール(筋弛緩剤):一日150mg
ソランタール(消炎・鎮痛剤):一日300mg
シングレア(気管支ぜんそく治療薬):一日10mg
フルタイド(吸入ステロイド剤):一日400μg吸入
セレベント(吸入気管支拡張剤):一日100μg吸入
キュバール(合成副腎皮質ホルモン剤の外用薬):一日4回吸入
サルタノール(気管支ぜんそく治療薬):頓服薬として適宜吸入
アロシトール(痛風、高尿酸血症の治療薬):一日100mg
            以上14種類となりました。パチパチパチパチ!(やけくそ)

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html


帰り道、白金の商店街で味のある古本屋を見つけました。
●ホコリっぽーい昔ながらの古本屋さん。陽に焼けまくったダメ本を店頭にさらしてて、中も数年触られてないような希少本がわさわさおいてある。習慣的にこのテの店を見つけたら一応チェックするのがボクのルール。すると一冊いい本を見つけました!

矢玉四郎 文/絵「はれ ときどき ぶた」

矢玉四郎 文/絵「はれ ときどき ぶた」
●コレ小学校の頃読んだわ~。懐かしい!これはノマドヒヨコに読ませたい。最高にマヌケな絵が出てくるのですよ!

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●イイでしょう~。癒されるなあ、この光景。ああ美しい。

●現在ノマドヒヨコがママに読み聴かせてもらってるのはこの本。

わたなべしげお 文/やまわきゆりこ 絵「もりのへなそうる」

わたなべしげお 文/やまわきゆりこ 絵「もりのへなそうる」
●これも古典。ワイフがコドモの頃に感銘を受けた本をそのままコドモたちに継承しているわけである。このお話は、2人の兄弟が森のなかで、「へなそうる」という優しい怪獣に出会うのです。ヤツらコレ読むの2回目なのにフトンの中で大爆笑。そして楽しくスヤスヤ眠るのだ。イイなあ。ボクも普通に眠りたい。

●もう一冊。これは数年寝かせてから小学5年生くらいで読ませたい本。

舟崎克彦「ぽっぺん先生と帰らずの沼」

舟崎克彦「ぽっぺん先生と帰らずの沼」
●小学生のボクはこの「ぽっぺん先生」シリーズが大好きだった。偏屈でちょっとヌけてる動物学者のぽっぺん先生が、不思議な出来事に巻き込まれる物語。様々な生き物のカラダにタマシイが乗り移ってしまうぽっぺん先生、食物連鎖を巡る旅に迷い込む。下北沢の古本屋で発見。ゆっくり熟成させておこう。


今日のお昼ゴハンの一幕。
●コドモたちのランチはカレーライス。ぺろりと平らげた娘ヒヨコ「ママのカレーはいつもおいしいね!」あらら、カワイイこと言うね。そうだね、ママのゴハンはいつもおいしいぞ。
●しかしそこで息子ノマドが水をさす。「ちがうよヒヨコ!このカレーはね、ふくろにはいってて、あっためるだけなんだよ!おミセのアジといっしょなんだよ!」おお、痛烈批判!たしかにレトルトの「アンパンマンカレー」でーす!
●なんでそんなコト知ってるんだよノマド。「だって、ママがレイゾウコから、(冷凍食品の)ヤキおにぎりをだしてるのみちゃったもん!」「ママ、オオゼキ(駅前のスーパー)でかってきて、あっためるだけのごはん、いっぱいかってるもん!」ノマド、よーく観察してるなあ~。見事な観察眼と分析力に感心するわ。
●それでもヒヨコ「でも、おいしいからイイんだもん。ママのごはんは、おいしいからイイんだもんね!」ヒヨコは優しいな。ヒヨコもいい子だよ。パパもママのごはんは何でも大好きだよ。



2007.10.14 おめでとう。
 
昨日は職場結婚する後輩カップル(Y口&Mキョン)の結婚式だった。
●先月末の結婚式に出席して、ボクはその後一週間激しく体調を崩してボロボロになってしまった。今回の結婚式も絶対出席したいと思っていたが、医者的には絶対出席はするなと。ボクも自分の体調を考えたらムリと納得していた。3日前に新郎に電話して欠席を伝え、ドタキャンを詫びた。電報(今ネットから打てるのね、知らんかった)だけでゴメン…。そういうつもりだった。

●でも夕方、体調が落ち着いてきた。午前中の最悪ぶりから見れば幾分回復した気もする…。奥さんもコドモも出かけてて誰もいない。…ああ今頃二次会盛り上がってる頃だな…。音楽もテレビもついてない静かなリビング、大の字に横たわって考える…。ん……。……で、ついフラフラっと東京無線でタクシー呼んじゃった。自爆は承知。「運転手さん、渋谷にお願いします」

●着の身着のまま、スニーカーに迷彩シャツ、スタジャンはおってそのまま会場入っちゃった。「あ!unimogrooveさん!どうしたんですか!大丈夫ですか!」久しぶりの後輩たちの顔が見える。着飾った女の子たちをかき分けて、新郎新婦に駆け寄る。できちゃった婚の彼らの間にはカワイイ女の子の赤ちゃんが。おめでとうおめでとうおめでとうおめでとう。結婚おめでとう、無事出産おめでとう、仕事も立派になってきておめでとう、この世界に生まれてきておめでとう!

●やっぱり立ってるのがシンドイほどだったので、無理矢理イスをもらって座ってた。でも後輩の元気な顔見てたら、なんかスゴく元気が出た。まだ当分帰れないけど、よろしくよろしくよろしく。

●後輩がなんと帰りのタクシーの手配をしてくれてた。なんて気が利くんだキミらは。ホントいいヤツらだ。……と思ったら目を疑う事態が。初乗り660円のつもりが、6600円になってる。はっ?ヒトケタ違うよ! 実は呼ぶのが早すぎて、一時間半も待たしてたという。ほえー! …ま、ご祝儀です! 現金もチョッピリしか持ってなかったからギリギリだった~。

●そして今日。またカラダがボロボロになるのかな、と思ったらダメージはさほど深刻じゃなかった。ホッとした。早く治っておくれ、このカラダ。
 
2007.10.12 どんぐり。
 
ノマド&ヒヨコ、本日遠足。
●羽根木公園まで徒歩で散策。たんまりとドングリを拾ってきました。秋がやってきましたね。

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●自分たちの収穫を、おフロのお湯で洗いドロと砂を落とす兄妹。洗っているうちに、枝と実をつなぐ部分がポロリと外れてしまった。ソレを見てヒヨコ「ドングリさんたち、おフロにはいったら、あつくなっちゃって、おボウシぬいじゃったのかなあ」

ヒヨコの工作。
●お手製のマイクです。おウタを歌います。最近のお気に入りはアンジェラ・アキ「たしかに」です。「たしかに~ たしかに~ たしかに~ あいはある! ららららら ららららら ららららら~!」ヒヨコはこの「ららららら~」の歌い回しがダイスキ。

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たしかに たしかに
(2007/07/11)
エピックレコードジャパン

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「たしかに傷ついて たしかに苦しくて 動けない 話せない そんな日もあるけど 朝焼けを見つめて心でつぶやいた ここには 今日には たしかに愛がある」
 
 
自律神経失調症とのお付合い(その22)~「季節の変わり目がキツい」編
●今朝も左肩から首筋の激しい痛み、アタマの偏頭痛で目を覚ました。いてええ!ベッドから立ち上がると肋骨の間の筋肉が軋むように痛む。目覚めの苦痛を考えると眠るコトさえがの怖くなってくる。朝起きて死にそうな気分になるのはウンザリだ!ワイフも「あらら、これ肩全体が腫れ上がってるみたい。コチンコチンだね。」
●本来は、会社の診療所でカウンセリングの予定なのだが、もうそんな遠いトコロまで電車乗って行くなんてムリ!絶対ムリ!電話かけてキャンセルしよ~う(泣きベソ)。
●いつも世話をしてくれる看護師Nさんが快活に電話に出てくれた。ボク「すいません、申し訳ないんですが今日はキャンセルさせてもらってイイですか? カラダがイタくてダルくて動かないのです…。」Nさん「いえいえ気にすることはないですよ。unimogrooveさんが安心する話を一つ。今日は、カウンセリングのキャンセルがこれでもう5人目なんです。先週くらいから一気に季節が秋めいてきたでしょ。自律神経失調症の患者さんは気候の変化に大きく影響を受けるから、みんなが具合悪くなってるのよ。調子崩しているのはunimogrooveさんだけじゃないし、unimogrooveさんのせいでもない。むしろ、体調が悪くて今日はダメと冷静に判断できたコトを良かったことと考えた方がいいわ。」
●なるほど!ホントに安心しました。ココのところの激しい症状の辛さは、季節の変化という理由があったのか。「なんでこんなにまで苦しいんだ」と悩んでた気持ちが軽くなった。でもカラダは痛い!動けない!助けてくれ~!

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html



最近、過去10数年でやってきた仕事の数々を振り返る作業をしている。
●それぞれの仕事には膨大なVTRがあるので、それをVHSからDVDに保存し直すことをコツコツやってる。ただし残念ながら管理がとても杜撰で、思い入れのあるVTR資料が全然残ってない。まるで歯抜け状態。これまでいかに自分の過去に関心がなかったということを示している。会社に復帰したら社内で探してみよう。
●こんなことをしているキッカケは「自分の過去を整理して見つめ直すコトが治療上有効だ」との医者の提案だ。「著しい自己評価の低さが、自暴自棄的なワーカホリック衝動の根底にある」ので、「過去の業績を確認して自己評価を見直す」のが目的だ。

●まだ3分の1も整理できていないが「こんなコトもやったっけ」という出来事がイッパイ出てくる。
美容師見習いの青年に3ヶ月密着しまくるとか。ヘアショーに参加するためセッセと努力する見習いMくんと、それをセッセと追いかけるボクら。あれほど清い気持ちでやった仕事はない。美容院が茨城県にあって行くだけで超大変。先方も仕事があるから会うのはいつも夜の23時過ぎ。そして3時くらいまで語り込むとか。それを2~3日に一回のペースで続けた。最後にはハプニング発生で大騒ぎ。しかしあの事件がなければボクの仕事は成立しなかっただろう。直撃を受けたMくんには気の毒だが、あれは真面目に仕事に取り組んだボクたちへの、カミサマがくれたサプライズプレゼントだったと思う。この仕事でタッグを組んだ後輩Yの男気にも感心した。
中国・広西チワン族自治区の奥地まで行った仕事もあった。ベトナム国境まであと100キロくらいの南の端。少数民族の言葉は北京出身の通訳では歯が立たず、日本語→北京語→チワン族語の二重通訳になった。先方の差入れに、生きたガチョウを4羽竹カゴに入れて持って行って、その日の晩、皆で鶏肉料理を食べた。簡素な家の中には、人間もニワトリもブタも一緒に暮らしているんで、どうも落ち着かない。イスに座って談笑してると足の間をメンドリが歩いて行く。
長野県の伊奈地方への仕事では、地元で多くのお年寄りと話をした。話の流れでイナゴやハチノコを食べるハメになったのはしんどかったけど。中央高速を度々長野まで走らせているうちに、見事オービスに引っかかり一発免停になった。オービスの写真ってモノクロだけどすっげーキレイに映るんだなと感心した。お巡りさんに「この写真もらえませんか」と言えば良かった。
●会社の中庭に、高さ12メートルのイントレを組んでワイヤーアクションの実演をした。「あんなケッタイなもの作って」と皆に呆れられた。おまけに設営費で大赤字だった。直前になって「大物政治家(党首級多数)が大勢来社するから、このバカバカしいモンどかせ!」と言われてアワ食った。夕方5時までには完全撤収しますから!カンベンして下さい!お願いします!
信州の温泉巡り企画では、雪山でニホンカモシカに出会った。生まれて初めて熱気球に乗り、見渡す限りの雪原を楽しんだ。深夜の移動バスの中ではゲイの人がボクに声をかけてきて、色んなトコロをナデナデ触られた。
クラブイベントの企画・運営にも色々携わった。今は亡き六本木 VELFARRE(関係者駐車場に停めてあった真っ赤なフェラーリMAX松浦さんのモンなんだってさ) や表参道にあった THE ORBIENT、並木橋方面の AIR によく行った。電撃ネットワークのライブを実現させるために、彼らの使う爆竹やロケット花火の子細な資料を消防署まで持って行って、なんとか許可を取り付けるなんてことも。


クラブ系の仕事に携わっていたのは2000~03年ごろだった。
●当時は日本のシーンにユーロトランス/エピックトランスが移入され、全盛を極める時期だった。先行して注目されてたゴアトランス/サイケデリックトランスは、神秘主義的な思想性やヒッピーの流れを汲むライフスタイルと結びついたサブカルチャーとして定着しつつあった。しかしこれとは全然別の文脈からエピックトランスは到来したのだ。
●ボクらのビジネスパートナーだったエイベックスは、自らのトランス音楽を「CYBER TRANCE」と言う名でブランド化し、イメージを一新して旧来のゴア/サイケ系を無視。六本木 VELFARRE などを舞台に全く新しいフィールドを切り開いた。ヨーロッパ全域で猛威を振るっていたテクノカルチャー(巨大化するベルリンの「LOVE PARADE」やスペイン・イビザ島のゴージャスクラブ、大麻合法のオランダのシーンなど)を、ファッション面なども含めて紹介し、より享楽的で衝動的な部分を強調した。これがギャル系の若者に支持され、たちまち大きな市場に発展する。さらに追い打ちで、浜崎あゆみ EVERY LITTLE THING をトランスにリミックスし、一気にポピュラリティを持たせる。それでいて、同時並行でパラパラシーンも熟成させていたのだからご立派だ。
●その様子を間近に見て、この会社はスゴいわ、と素朴に思ったものだ。スタッフの人種もなんか特別。「エイベックスの社食」とも言われた VELFARRE でお酒を飲みフロアを眺め、そこに集う女の子男の子と話をしてる。ストリートに密着してるというか。ダンスフロア直結の皮膚感覚が、机上マーケティングとは一味も二味も違う戦略戦術を編み出す。フロアの感触を知ってるから、市場が求める音を探す耳も早い。

●そんな時代を思い返していると、またまた下北の激安ワゴンで発見を。

GOURYELLA「GOURYELLA」1

GOURYELLA「GOURYELLA」1999年
●オランダはロッテルダム出身、当時一世風靡していたトランス貴公子 SYSTEM F ことDJ FERRY CORSTEN とやはり当時のダッチトランスの重鎮だった DJ TIESTO が合体して作ったユニット。一体 GOURYELLA って何語?なんて読むかも自信なかったが「グリエラ」って呼んでた。調べたらアボリジニーの言葉らしい。購入価格100円でーす。
●この曲に代表されるようなエピックトランスの醍醐味はダイナミックな曲展開。強靭でメカニックなビートに揺さぶられつつ壮大なシンセの展開に身を任せていると、唐突にブレイク/ノービート状態になり、そこからまたジワジワと荘厳なシンセフレーズが否応もなく爽快感と多幸感をあおり立て、さらに分厚いビートの襲来を誘い込む。友人は、これを「日の出がみえる」と表現した。アサ~!ビートの緩急とダイナミックな荘厳さで、ダンサーに絶頂を何度も味あわせる。それがトランスだ。
「VELFARRE - CYBER TRANCE 06 - BEST HIT TRANCE」
「VELFARRE - CYBER TRANCE 06 - BEST HIT TRANCE」2002年
●エイべックスのトランスコンピ「CYBER TRANCE」の一枚。これが上記 GOURYELLA のヒットシングル「LIGAYA」(←これも何語?)を一曲目に据えているので買ってしまった。480円。
エイベックスのダンス系コンピって、トランスに限らずパラパラでもユーロビートでもご存知の通り賞味期限が極端に短いので、曲名として記憶に留めるほどの印象を残さない。自然とタイトル数も増え、彼らの商売繁盛につながる。
●それでもVTRで振り返ってみると「ああ懐かしい、またコレ聴きたい」という曲が沢山でてきた。しかもミックスCDじゃなくて FULL LENGTH VER. や ORIGINAL EXTENDED VER. で聴きたい。GOURYELLA には他にも「TENSHI」(←おっ日本語!)という名曲があるし、SYSTEM F 名義でも「TOGETHER」「DANCE VALLEY THEME 2001」などのビッグアンセムがある。ちょっと探してみたくなったぞ!
 
 
自律神経失調症とのお付合い(その21)~「カラダがダルすぎる」編
●先日の小学校見学で、カラダが疲労困憊。身動きが取れません。
●とにかく歩けない。たかが3時間程度の見学、しかも小学校と自宅の距離は徒歩5分ほど。これでもカラダが持たない。翌日朝は、不自然な足の筋肉の緊張で朝4時に目を覚ましてしまう。ストレッチと朝風呂でしのいだが、砂袋を筋肉に詰め込まれたようなダルさは抜ける気配がない。立ち上がるだけで一苦労だ。今現在も、足がツラクて眠れない。なんでこんなコトになるのかは、さっぱりわからない。長期の休養生活で足の筋力が衰えたのか、自律神経の不調なのか?
自律訓練法で、全身の筋肉をリラックスさせる暗示をかける。腿から尻の筋肉が意識と関係なく痙攣するのがわかる。ピクピク動いて緊張をほどいていくのだ。これで少しは癒される。もちろんケミカルも目一杯頬張る。コレ一番大事。
●医者には「一時間程度の散歩で、徐々に体力を回復しましょう」と言われてる。でも週一の心療内科、隔週で会社のカウンセリング、そして呼吸器科や鍼灸院への通院。おまけに虫歯が発見され歯医者にまで通うことになった。さらに人間ドックに行けと言われている。これもうキャパオーバーです。病院巡りだけでヘトヘト。

一方で、今日数ヶ月ぶりに、空腹感を感じた。
●仕事をしていた6月あたりから7月に休養生活に入って以降、ボクは空腹感も満腹感も感じなくなってしまっていた。それが今日、久しぶりに「ハラが減っている」という感覚を感じた。最初はハラの具合が悪いのか、なんて錯覚したり。それぐらい忘れてしまっていた感覚だった。「ああ、これで一個普通の人間の感覚を取り戻した」と感じた。
●しかし嗅覚は全く機能しない。繊細な香りは全然感じない。花の匂いなぞは全くわからない。納豆もどんな匂いがするのかよくわからない。マツタケもタダのキノコにしか思えない。まあ、これは病気以前からのコトだからしょうがないけど。

●早朝4時5時に目を覚ますのはツライ。疲れを癒すためにはもっと眠らないといけないのに、その疲れそのものが睡眠を妨げる。しかしカラダを動かすのはもっとツライ。フトンの中でただ身悶えるだけだ。
●すると、息子ノマドがスタスタとベッドを抜け出してリビングの方に歩いていく。コドモは基本的に早起きだ。休日でも6時に起きてオモチャで遊んでいる。
●ある早朝、ノマドが誰もいないリビングでおウタの練習を始めた。TVアニメ版「新世紀エヴァンゲリオン」のテーマ「残酷な天使のテーゼ」を歌うのだ。なぜか最近この歌が超お気に入り。そこで5歳児には難しいこの歌詞を、先日全部ひらがなに打ち直してノマドにプリントしてあげたのだ。その歌詞カードを、たどたどしく読みながら楽しそうに歌っている。
●誰にも聴かれてないつもりなのか、すでにちゃんと覚えているパートの部分は一段と声を張って歌ってる。「だけどいつか きづくでしょう そのせなかには はるかみらい めざすための はねがあることー! ざーんーこくなてんしのテーゼ まーどーべからやがてとびたつ このそらをだいてかがやく しょうねんよ しんわになれ!」

高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」

高橋洋子「残酷な天使のテーゼ/FLY TO THE MOON」1995年
●ノマド、おまえ神話になれるか? 自分の羽根で未来を目指せるか? ノマドの歌を聴いているウチに、癒されてる自分に気がついた。ノマドヒヨコが毎日楽しく過ごしているなら、もうそれだけで十分だ。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html
 
 
今週は、息子ノマドが進学する近所の公立小学校の見学公開日である。
●土地柄なのか小学校「お受験率」が高いこの地域で、早々公立小学校への入学を決意していた我が家。サバサバと「公立でいいんじゃん?」と決めたはイイが、その公立小学校の正体を知らないのもいかがなものか。従って、運動会の代休と公開日が重なった今日、一家総出で学校を訪れたのであった。

ウチが公立小学校に決めた理由はいくつかある。

●その1:兄ノマドと妹ヒヨコは、年子である。
●コイツらがそれぞれで「お受験」に挑戦した場合、二人が別々の学校に通うことになる可能性が高い(脳ミソのレベル差もある程度ハッキリしてるし…)。2つの小学校に電車(または自動車)を使って別々に通学させるのは、面倒をみるワイフの負担が重すぎる。日々のオペレーション効率が悪すぎる。加えて、ほとんど双子状態になってる仲良し兄妹に、今から格差をつけるのもイヤだなあと考えた。金銭的な教育コストも格安だしね。

●その2:電車(または自動車)で通学する学校じゃ、放課後の交流はほぼありえない状態になる。
●少なくとも低学年/中学年程度じゃ電車乗り継いでまでして「○○ちゃん遊ぼ!」って行けないだろう。だから、幼稚園で培った地域のコミュニケーション(親/子両方)をそのまま踏襲するために、地元の小学校を選んだ。親友ユウタくんは、ノマドにはかけがえのない存在のようで(「ノマド、ダイガクもユウタくんといっしょにいく!」といってた)、彼から引きはがすのは友達作りが苦手なノマドには酷だなと感じた。

●その3:「お受験」勉強のもたらす影響
「お受験」小学校の高邁な思想や教育設備の充実は、確かに魅力だ。公立小学校の「ゆとり教育」的荒廃ぶりはニュースで知るたびに暗くなる。しかし「お受験」対策として、ある決まったフォーマット(「お受験」的ごあいさつ、「お受験」的テスト対策)を正確になぞって正解&合格!という経験が、分別もつかない今のノマドにメリットになるかどうか?「ある問題を解決する手段はコレコレのみで他は不正解」という単純一元的な思考様式を植え付けることにならないか? 様々な多様性と自由解釈のスキマ(誤解/失敗も含めて)に、今はまだ身を浸しておいてイイのではないか?

そんなコトを考えながら、訪れる近所の小学校。
●選挙の投票所に使われてるから、度々来たことはあるが、中を詳しく見るのは初めてだ。
●1学年2クラス、1クラスが24人。第二次ベビーブーマーのボクらには寂しくなるほど小規模だ。ボクの小学校は44人クラスが6つ。中学校に至っては11クラスあったのに。一方で我が家の徒歩10分圏内には3つも小学校がある。統廃合した方が効率化できるんじゃないの、世田谷区さんよ!不思議だな。

教室の後ろから授業の様子を覗かせてもらう。
●まずビビったのが、生徒が座る机/イスの脚が、全てテニスボールにくるまれているコトだ。一個一個ボールを切り裂いて脚を突っ込んでる。コレ手作業っぽいなあ…。スゲエ…。イス机を動かす騒音を静めるための工夫だろう。なるほど消音効果は間違いない。でも反対に、それだけ生徒の動きがウルサいってコトなのか?確かに姿勢ワルい子多いなあ。上履き履き潰したり、貧乏ユスリしたり…。よし、イスの座り方は自分でシツけよう。
●ワイフが気になったのは、「先生と生徒のコール&レスポンスが少ない」ということ。最初に先生が説明、その後プリント的なモノを黙ってやらせて、それができたらオシマイ。……あれ、授業ってこういうモンだっけ?公文と変わらなくない?「この問題わかる人!」「ハイ!」みたいなヤツ、今日は全学年で一回も見なかったぞ。偶然見なかっただけか?普段からそういうものなのか…?
●あと、音楽の授業。CDラジカセに合わせてみんなが歌ってた。アレ、先生がオルガンで弾くモンじゃなかったっけ? ちょっと違和感…。別に問題はないけど…。
●一方で小規模人数の利点を生かしてか、理解度の低い子と高い子をクラス越境で区別して、別々のやり方で授業していた。3センチ8ミリが38ミリと同じというコトを、普通に説明されているマジョリティの隣の部屋では、8人ほどのマイノリティがより丁寧に、大きな定規を黒板に貼付けて、ゆっくり言い含めるように説明されていた。
●さらに感心したのは、「国語」の他に「日本語」という教科があるというコトだ。一体ナニが違うんだ? ただし「日本語」の授業では古文漢文を扱うらしい。百人一首とか。小学校一年生からやるんだ!ボクらの時代は古文なんて中学からだったはずだよな。その反面で「社会」「理科」はない。「生活」という教科にくくられる。これが「社/理」に分化するのは3年生からだ。

今日のより重要なテーマは、ノマドに「学校は楽しい」と思わせることだ。
●ノマド、小学校入学まで残すところ約半年。小学校入学に完全にビビリ気味。よくわからない不安にただ怖じ気ついている。そこでリアルな情報を開示提案してイイ印象を植え付けることが必要だ。
●ノマドに教室の中のデティールを解説してやる。「ノマド、今日は作文をするみたいだ」先生が黒板で原稿用紙の使い方を説明している。「あの紙は大人も時々使うからな…。おっ、右上に今日の日付を書いて下さいだって。先生、漢字で「十」って書いたぞ。次は漢字で「九」だ…。10月9日のことだな。」
●奥にあるのは、ランドセル。イロイロな色がある。オレンジ、茶色、深緑、紺色…。ランドセルは多様化したなあ。ボクらの時代には黒&赤以外はありえなかったもんな。「ノマドもカッコいいの買おうな」
「ノマド、あのお兄ちゃんの机の上を見ろ」筆箱はドラゴンボールZ、下敷きはポケモン。みんな自分でカッコいいのを持ってきて使ってるんだぞ。机の中は道具箱。それぞれが自分の机を持ってて大事なものをアソコに入れるんだ。
●ノマドは教室の後ろに展示してある工作に注目。牛乳パックを集めて作ったメカとかが気になる。どのクラスにも水槽があって、金魚やザリガニがいる。「これを面倒見てやる係の人がいるんだぞ。ノマド、やるか?」

給食の時間も興味深い。ノマドには新しいカルチャーだろう。
●給食係の子が白衣に着替えて生徒全員の食事を配膳する。トレーを持った一般児童が彼らからお皿に盛った食事をもらう。「ノマドもアレやるんだぞ。楽しそうだろ」妹ヒヨコもノってきた。「ヒヨコはやくガッコウいきたい!そしたらギュウニュウいっぱいのめるから!」キミ授業には全く反応しないのに、そういうトコだけビシッと反応するのね。ヒヨコの即物的なマテリアルガールぶりは、パパちょっと不安…。「ルイヴィトン買ってもらっちゃった」とか言って悪いオトコに騙されるような娘になったら困るなあ。

そんな給食の風景を観察してたらクラスの男の子が我々に声をかけてきた。
「そこにすわっちゃダメなんだぞ!」一年生なのにノマドとは30センチ以上も身長がデッカい子だ。ボク「ごめんごめん、みんなの給食を見てたんだよ。しかしキミは背が大きいね。クラスで一番かい?」男の子「オウ!キックもパンチもイチバンつよい!」力強く素振りを決めるカレ、どうやらこのクラスのガキ大将らしい。ボク「この子(ノマド)来年この学校に入るから、面倒みてやってね」男の子「そうだな、イジメラレそうになったら、オレがまもってやる!」
●ノマド、この子の勢いに完全に気圧されて、ボクの足にペットリしがみついて隠れてる。腰砕けでフニャフニャ状態。ガキ大将、それを見て一喝「ちゃんとシャキッと立て!」いろいろな子供がいるな。この雑多な環境がイイんだよな。

図書室も見せてもらった。
●品揃えは、絵本から図鑑、児童文学や学習まんがまで。ノマド、ココの本を借りて読むことが出来るんだ。ノマド「うちゅうのホンある? ノマド、うちゅうのカガクシャになりたいから、うちゅうしらべる!」ノマド、宇宙の研究者になるには、ここにある本全部読むくらいは出来ないとダメだぞ。
●多岐にわたって蔵書を見てるとボク自身も楽しくなってくる。これは今後ノマドに頼んでボクの好きな本を借りてきてもらおうか。「ユニセフコーナー」と題された本棚にはコソボ紛争の中の子供達をテーマにした写真集があったり、ゆったり見てみたかった外国の絵本の翻訳があったり。

懐かしの大発見があった。「学研」の「ひみつシリーズ」である!
● ボクが小学生の頃、読みまくってた学習まんがシリーズで、「海のひみつ」「宇宙のひみつ」「恐竜のひみつ」などなどテーマごとに何十種類もあったモノなのだ。コレを親に買ってもらうのが楽しみで、熟読しては色々な知識をアタマに詰め込んだ。なにしろマンガなので読みやすいし分かり易い。しかし、いつしか店頭からこのシリーズは消え去ってしまった。今のコドモはあのテのモンは読まないのか…寂しいな…、と勝手に思っていたものだ。とある古本屋でビンテージ状態の美本を発見した時は、必要もないのに買いそうになったくらいだ。
●しかしこれが、パッケージも内容も一新してゾロリと揃っているのだ。「ああ!『ひみつシリーズ』じゃないですか!コレ滅びたんじゃなかったんですね!」思わず司書の先生に語りかけてしまった。「ええ、ワタシにはよくわかりませんけど、ちゃんとありますよ」先生、ちょっと当惑気味。「いやー、ボクはこれに随分お世話になったんですよ。もうなくなっちゃったと思ってました」ノマド、これ見ろよ、マンガになってて色んなこと書いてあるんだぞ!

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●中身を見ると、社会も科学技術も進化したので、昔のバージョンの痕跡はなく現在形の内容に全部描き直してある。シリーズも幅を広げ、「インターネットのひみつ」「銀行のひみつ」「宅配ピザのひみつ」などなどタイトルも現代型になってる。「下着のひみつ」なんてのもあったぞ。どんな秘密があるのか是非教えてもらいたい!

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夕食時、ノマドに今日の感想を聞いた。
「ノマド、小学校、面白そうだろ?」ノマド「ふつう…。」……しばらくすると「ノマドおなかへってない…。」とつぶやいてリビングにへナッと横たわる。食事の途中にどうしたことか、と普段なら小言をいうトコロだが、ワイフと目配せして敢えて放っておく。ノマドのアタマの中は小学校への不安でイッパイイッパイになってるのだ。「ママ、ちょっとおなかイタイ…」おいおいイッチョマエに神経性の腹痛かい。ママに甘えんぼになってる。
●ヒヨコは周りの雰囲気にすぐ流されるノー天気な超楽観主義者なので「はやくガッコウいきたいな!」とか言ってノリノリになってる。が、心配性で臆病、何事も慎重派のノマド(すいません、ボクの遺伝です)は、新しい環境変化と冒険にドキドキしてる。3月まで時間をかけてモチベーションを熟成させるか。差し当たりコドモ部屋を模様替えして勉強机を買ってあげよう。そしたら、気持ちも入れ替わってくるぞ。
 
 
自律神経失調症とのお付合い(その20)~「パニック発作」編
●9月下旬から体調が不安定で困っている。カラダの痛みではなく、ココロが不安定…。アタマがボヤーッとして思考がまとまらない。一体どうしてしまったんだろう。友人の結婚式やコドモの運動会など、参加しなくちゃいけない!と義務化してしまった行事にプレッシャーを感じていたのだろうか? とにかくココロがヘトヘトだ。

「パニック発作」/「パニック障害」という言葉があります。
●人間だれしも「パニック」に陥ることがあります。突然地震が起きて驚いたり、事故を起こしそうになってヒヤッとしたり…。すると、胸がドキドキしたり冷や汗がでたりするでしょう。これは脳ミソが、緊急事態に対してカラダに非常事態警報を鳴らすのです。朝目を覚ましたらドエライ遅刻状態で死ぬほどビビるとか、試験を前にして緊張しまくるというのも正常な「パニック反応」でしょう。

「パニック発作」は、こうした「パニック反応」がヘンテコな状況で生じてしまうコトだ。脳ミソが「誤報」で非常事態宣言をしてしまうのだ。この「誤報」でカラダに様々な症状がでてしまう。過去のトラウマが突然甦って不安な感情がふくれあがってしまう場合だとか、閉所恐怖症の人が飛行機の中で倒れてしまうとか。

●これがヒドくなると「パニック障害」という病気になる。いつ「パニック発作」が起こるか分からない不安から、外出できなくなったり、うつ状態になったり、アルコール依存症になってしまったり。発作への不安が悪循環を起こしてもっとヒドいことになる。

実はボクにも、この「パニック発作」という状況が起こったりする。
●ふとしたキッカケで、脳ミソの中でヤバいスイッチがカチッとONになり、いきなり心臓がドキドキして動悸・息切れ状態になる。心拍数も上がって、息が荒くなる。しゃべるのもしんどくなって、思考も混乱する。アタマの中がアルミホイルのようにクシャクシャにされて、つまらない不安要素がドンドン膨れ上がる。もうそうなったら、その不安がアタマから離れない。ナニをしても離れない。クスリを飲んで寝るしかない。ヒドい時は立ってもいられなくなる。

この「パニック発作」がどんな時に起こるのか?
●これが予想もつかないタイミングで起こるから困る。自分でも「コレでイっちまうのか~」とか思いながらパニックに陥っていくのだ。ごく最近のケースをあげよう。

ケースその1:「よそサマのブログで発作」
●最近は、「自律神経失調症」というキーワードの検索でこのブログを訪ねてくれる人も多く、コメントを残して下さる方もいる。同じ悩み苦しみを共有するモノ同士、情報を交換するのは意味があることだ。しかし、ある自律神経失調症に関するブログを読んでいたら、それがキッカケで「パニック発作」が始まってしまった。
●そのブログに書かれていた不安や困惑の気持ちが、自分の経験と共振したのか、心臓がバクバク、めまいがクラクラ。あわてて安定剤を飲んで3時間ほど横になってやっと落ち着いてきたが、もうブログの内容がアタマからこびり付いて離れない。2日間くらい不安な状態が続いた。辛かった。

ケースその2:「息子の幼稚園のビデオで発作」
●幼稚園のクラス委員をやっているワイフが、長男ノマドの「おとまり保育(秋川渓谷に一泊旅行)」の様子をビデオにまとめて配る役目を仰せつかってきた。映像はボクの職業分野でもあるので、手伝ってあげようと思った。そこで、副園長先生が撮ったホームビデオ素材をじっくり見ていたら、ココで「パニック発作」が発生した。
●(先生には申し訳ありませんが)超下手ッピな撮影技術でどうしようもなくグシャグシャな素材を、どう編集したら観やすくなるだろう、と考え始めたらアタマがパンクしてしまった。「ココの音ズラそうか、スーパー入れれば意味伝わるか、ああなんでここでズームしないのか、ウチのシステムじゃ効果つけられないか」とか考えてたら完全にアタマが仕事モードになっちゃって……。そしたら素材を観ていられなくなり、胸がムカムカドキドキ、息がゼイゼイ。ワイフに「ゴメン、手伝えない…」といって寝込んでしまった。ワイフも「ゴメンナサイ、もう絶対触らないでいいから」
●でもアタマにこびりつくのですよ。刻印のように。放っとくとドンドンあのビデオが気になってきてしょうがなくなる。結局、発作起こして5日後、アタマがシャキッとした瞬間に衝動的に作業を開始、冗長な2時間超のビデオを半分にカットしてスーパー入れして、DVDにチャプター分けして完パケてしまった。ワイフには「マスターは作ったからダビングはお願いね」。結果、復職へのリハビリにはなったのかな…。

ケースその3:「サザンのシングルで発作」
●7~8月頃のブログを観ていただければ分かるんですが、一時期サザンオールスターズ(桑田圭祐)の再評価キャンペーンと称して過去音源を丁寧に聴いてたのですよ。すると、サザン&桑田ソロにはアルバム未収録曲が70曲以上もあることが判明。これを全部集めずにはいられなくなった(この辺で既に異常っぽいっスね)。キッカケはこの本です。中山康樹「クワタを聴け!」

クワタを聴け!

●結局は全シングルをコンプリートするのだけど、気ままに外出もできないカラダ、レコ屋巡りにも限界があり、ヤフオクやモバイル系オークションを駆使してるウチに発作が起きてきた。ことアカの他人と売買のメールを交わすのは、病気のヒドかったあの段階ではパニックのキッカケに十分なりうる負担だった。
●で、死ぬ思いで集めたシングルが数十枚。しかも古い曲はみんなアナログ7インチ。PCに取り込むには一曲一曲専用アプリケーションでデジタル化しないといけない。これが大変、曲が多すぎる! 音質とか気になりだすと、アタマがおかしくなる。とうとうある日、全部しまい込んで封印した。ギブアップっす。「もう聴かない!」(←何のために苦労して集めたのか?バカすぎる!)これでやっと発作が収まった。

桑田圭祐「風の詩を聴かせて」

●だが、最近になって桑田圭祐ソロ新曲がCMでヘビロテ。「風の詩を聴かせて」のカップリング「NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~」がコーヒーのCMで流れまくってるじゃないですか(黒澤明植木等桑田圭祐がCG共演してるヤツ)。コレが気になってしょうがない。実際購入して聴きまくってる。商品名「WONDA」を連呼してると見せかけて、女プレスリーと言われた50年代世界初女性ロックンローラー WANDA JACKSON へのオマージュってのが、いかにも桑田さんらしいアプローチ。もち WANDA さん本人の音源もチェック。

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WANDA JACKSON「WONDERFUL WANDA / WANDA」1958,1962年
●例によって激安ワゴンにて発掘したんだけど、チト時代がズレテてバリバリR&Rしてた時期の後の音源みたい。普通にカントリーで拍子抜け。ちょっとだけイキのイイ曲がある。


●ボクの場合は「パニック発作」が不定期にパラパラ起こる程度で、ある条件付け(電車に乗る、会社に近づく、広い場所に行くなど)で「パニック発作」が起こるクセがついてしまうほどの重症ではないし、従って「パニック障害」ではない。ただし医者によると、典型的な「パニック障害」ではなく、ボクのような中途半端な症状を訴える患者が最近増えているらしい。
●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html
 
 
本日、コドモたちの運動会でありました。

運動会2007-1

●最近体調が不安定なワタクシ、ブログ更新もままならない状況ではありますが、ココは気合いで出陣。ワイフには「遅めの見ドコロ競技に間に合う時間に来ればイイ」と言われておりましたが、やはりコドモのやるコトは皆見たいと、定刻9時に合わせて家を出発しました。休職生活数ヶ月で一番早い稼働時間でしょう。

ウチのコドモは運動神経ゼロです。体力もありません。
●申し訳ないことだが、父の遺伝を濃厚に引き継いでしまった結果。運動会など絶対アウェイなバトルという訳。それでもガンバル息子&娘の勇姿を見届けなければ!…ただし、今年は連中、一味違った!ボク&ワイフ両家のジジババたちも集まるなか、おおおっ!と思える活躍をしたのでありました。(ささやかなモノですけどね…。)

「かけっこ」では、ヒヨコが2位入賞(ただし自己申告)。
●ボクが撮影してたビデオを検証すると、考え方ではそう見えなくもないような気がする微妙なダンゴ状態ゴール。しかし、学年一番の低身長なのに兄ノマドよりウエイトは上という、不利なボディで万年ビリと思われたトコロを、人並みに走ったコトは評価に値しましょう。

運動会2007-3

ヒヨコ、おゆうぎは立派だった!
「ちびまる子ちゃん」の最新EDテーマ「アララの呪文」(lyric : さくらももこ/music :岡本真夜/perform : TARAKO & 爆チュー問題)を見事に踊りきった。
●去年は他人の動きを見て、的確に2テンポほど動きがディレイしていたヒヨコが、自分でリズムを踏んで自分で踊っている。見事だよ! ダンスの配置上、一番チビで最前列に位置したヒヨコ、今年は他人の動きを気にしようにも視界に仲間はいない。だから他人のペースに惑わされることなくノビノビ踊れました。

年長さんのノマドも頑張りました。
●障害物競走「まわって、くぐって、ジャンプでゴール!」では、テッパンの予想通り4人中4位。まあ全然不思議じゃない。
●しかし、おゆうぎ「ソーラン節」ではノリノリのダンス衝動でテキパキと動いてみせた。自宅での自主練習も活発で「ヤーレン、ソーラン、ソーラン」を夜遅くまでシャウト、動き一つ一つに解釈を付けて踊るのだ。「これはね、サカナがいっぱいつれてウレシいな、のうごきなの!」これはバレエ効果なのか?
●続く「組体操」でも立派なハイパフォーマンスを披露。「ブリッジ」も見事(写真中央がノマド)。これもバレエに通ってるからか、このオトコ、カラダが柔らかい。

運動会2007-4

運動会2007-2

「ロケットはっしゃ」では中央で堂々とジャンプを決めた。そして最高の決めワザは「ピラミッド」。学年で2番目にチビ(今年、ノマドよりチビなタッちゃんという子が編入してきた)であり、ウエイト面では最軽量級であるノマド。先生から3段目のテッペン担当を言い渡された時は「ヤダヤダ」ぶつぶつ言っていたが(2段目が楽でイイとずっと主張してた)、練習するウチにテッペンに起立する爽快さにハマったのか、コレが楽しみでしょうがない。写真がないのが残念だが、見事大技を決めてみせた。
●昼飯タイムには、ジジババにほめられてイイ気分のノマド。「ピラミッド、あと3かいやりたいな、いや、4かいやりたいな!」と自慢げ。調子に乗りすぎて、イスごとぶっ倒れて弁当箱の真上に落下するほど。下敷きになったお稲荷さんとサラダが台無しになった。

ボクはやはり途中棄権。
●ビデオ担当として客席最前列で撮影してたボクだが、昼休みには具合が悪くなってきて、途中棄権&帰宅。家についてフトンに入ってから、クスリを丸ごと運動会会場に忘れてきたことに気づいた。どうすることも出来ずに4時間ほど気を失った…。
●午後の部は「全員参加リレー」。ノマド屈辱の「一人で1位→4位の転落ゴボウ抜かれ」で、チーム全体を惨敗に導く。女子、悔しくて泣いちゃった子もいたらしい。本人ナンも気に留めてないけど。ま、これが普通のノマドですから。

●来年は、小学校のノマド、幼稚園のヒヨコ、と運動会2連発になるんだな。こりゃ大変だ。
 

先週末は、大学時代の親友SKくんの結婚式であった。
●超有名女性向け雑誌の中堅編集者であるSKくんは、これまた有名アパレルブランドのプレス担当の女性のハートを見事射止め、2年の交際を経て4月に入籍。この度やっと正式な結婚式を挙げることとなった。コレは絶対に出席しなくてはと、病気のコンディションを必死に調整して参列したのだった。

親友SKくんと過ごした大学4年間は最高に楽しかった。
●京都出身の彼は、異常なまでの田舎者コンプレックス(被害妄想寸前の強迫観念)がある上に、モーレツに常識がなく、毎日ユカイなトラブルや大失敗、勘違いと大暴走の連続で、ずっと一緒にいても見飽きない変人だった。大学のソバにある日当りゼロの4畳半に住んでいた彼の部屋に、週の半分近くを泊って過ごしていたボクを、当時からつきあっていた現在のボクのワイフは「あの人ホントはゲイなのかも」と心配していたほどだ。
●今では伝説となった笑い話もあれば、シャレにならないヤバい話まで、振り返るなら一晩語り明かせるエピソードがある。野菜を一ミリも食べない超偏食。突然お笑い芸人を志してコンビ「くるくるセブン」を結成、オーディションを受けまくる。学祭イベントの司会進行でなぜか半裸に全身金粉で登場。女子高生に手を出して不良高校生に取り囲まれる。交通法規を完全に誤解、駐車禁止を進入禁止と勘違いして「あれ~どこも進めねえ」。動物園に行けば、ペンギンをじっと見つめて「トリみたいだなあ…」と真剣につぶやく。「えっ!ほ乳類じゃないの?!」…もっとスゴいの一杯ありますが、社会的にカドが立つので書けません。

増量・誰も知らない名言集イラスト入り (幻冬舎文庫) 増量・誰も知らない名言集イラスト入り (幻冬舎文庫)
リリー・フランキー (2006/02)
幻冬舎

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●社会人になったSKくんは、その変人ぶりに磨きをかけて奇行のスケールもビッグになり、そのネタがリリー・フランキーさんのコラム「誰も知らない名言集」にいくつか収録されるまでに至る。しかしその一方でリリーさんをはじめ、常磐響さん、大泉洋さん、そしてアラーキーこと荒木経惟ともピシッと仕事をしてる。要領が非常にイイのか?アクセク仕事をしている気配が微塵も感じられない。いつでも19時頃電話すれば、趣味の卓球クラブで汗を流してる。「あんたホント仕事してんの?」と聞いても、飄々と「テキトーテキトー。なんとかなるのよ」
●それが今年になって、超真っ当で美人な奥さんを連れてきたのには衝撃だった。奥ゆかしくて、控えめな感じのカワイらしい女性。それでいて仕事も丁寧にこなすキャリアウーマン。少しだけ天然のニオイも。こんな普通の女性が、SKくんと付き合えるのか? SKくんのマッドな側面を、キチンと理解しているのだろうか?


お茶の水・山の上ホテルで行われた披露宴は実に真っ当なモノだった。
●かつての変人ぶりからは想像がつかないほどの、折り目正しい大人の結婚式だった。「アイツ、立派な大人になったなあ」と感慨深く思えた。ヤツの口から「お足下の悪い中お越し頂きありがとうございました」なんて聞くとは想像もできなかった。女性でオトコはガラリと変わる。この奥さんと出会ってヤツは変わったのだな、と納得した。

二次会は六本木のアートスペース「P-HOUSE」を借り切ってのパーティだ。
●なにしろ一流女性誌と有名アパレルの二次会だ。どんだけのオシャレピープルが集まり、どんだけハイブロウでスノッブなパーティになることだろう。カラダを壊す以前からほとんど夜遊びも止めていたボクには、こういうクラブ的空間は久しぶり。以前は趣味&仕事両面で入り浸った時期もあったのに。
●しかし、コレをただのオシャレパーティにしないのが、SKくんならではの鮮やかなセンスだ。ウェディングケーキの代わりに登場したのは、なんと直径一メートルの巨大な「ちらし寿司」。刺身とイクラでハートを描いている。従ってケーキ入刀も「しゃもじ入刀」。ホントにちらし寿司にドスッとしゃもじを突っ込んでいた。

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●そしてバンドの生パフォーマンス。伝説のカルトバンド「水中、それは苦しい」の登場だ。みうらじゅん、リリー・フランキー、峯田和伸銀杏BOYZ)、猫ひろしなど一部の著名人から絶賛されているが、その活動も内容もアンダーグラウンド(&珍妙)すぎて世間の理解が全く追いつかない、悲しき孤高の才能である。

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●ギターボーカル、バイオリン、ドラムという変則軽量級サウンドを高速疾走させて弾け散る音の火花。そこにリーダー、ジョニー大蔵大臣のヤケクソな咆哮が聴く者の耳をつんざく。その不必要なまでに高カロリーな絶叫でヒリ出されるメッセージは、シュルレアリスムとダジャレの間を光のスピードで反復横跳びし、意味も意義も意図も不明なまま、まき散らす混乱をハイテンションで押し流す。
●一曲目の「サンダーウェディング」から始まり、新婦に捧げる書き下ろし楽曲などを絶唱。奇跡のアンコールに応え、「えー、結婚式場で5年バイトして知った事実は、披露宴でも下ネタはチョッピリならアリってコトです!」とのたまい、バンド初期の名曲「デビルセックス」を演奏。「デビルセックス!デビルセックス!デビルセックス!鬼のよう!」ああ、「水中」、最高です。

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「水中、それは苦しい」の中心人物、ジョニー大蔵大臣は、新郎SKくんとボクの共通の知人であり、その出会いは10数年前に遡る。音楽評論家田口史人氏が主宰する前衛レーベル「OZ DISC」の第二弾リリースとしてデビューした「水中」に、一般リスナーとしてボクが激しく反応したのがキッカケだ。
「SK、この人たちを学祭に呼ぼうよ!」と仲間を集めて企画立案。アマチュアバンドコンテストという体裁で、司会進行がSK、裏方がボク、審査員にはみうらじゅんさんを招いた。「水中」のパフォーマンスは予想通りに強烈なインパクトで賛否両論の嵐だったが、みうらさんが絶賛!ボクら的には大成功だった。

ジョニーは当時早稲田大学の現役学生で年齢も一緒と判明、ライブに通う中でいつしか友人として付き合うようになる。実はボクの結婚パーティでも彼にはパフォーマンスしてもらった(あの時はソロユニットだった)。就職してからは会う頻度が少なくなってしまったが、SKは頻繁に連絡を取り合っていたらしい。
●最近のジョニー顔面神経痛を煩い、顔の左半分が動かなくなるというアクシデントにも見舞われていたという。目も閉じないから涙が流れっぱなし。病気になる直前に発表したアルバムタイトルが、奇しくも「顔にやさしく」。これが偶然とはスゴい。

顔にやさしく 顔にやさしく
水中、それは苦しい (2006/03/08)
UK.PROJECT

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●今回の結婚式で数年ぶりに再会したジョニーとボク。正式な披露宴で一曲パフォーマンスする際に「ちょっとアウェーな雰囲気だけど大丈夫?」と声をかけた。するとジョニーは「いつだってアウェーだから。やることをやるまでよ!」大学を卒業して10数年、ずっとこの表現に拘ってきた彼の覚悟、カッコいい。立派だよ。


●二次会の締めくくりは、出席者全員参加のオクラホマミキサーだった。見ず知らずの男女が懐かしのフォークダンスを踊る。これは愉快だ。贅沢を言わせてもらえば、最初にコレをやってくれれば、イロイロな女の子に声をかけやすくなっただろう(笑)。SKは、見事に自分の味を生かしたオリジナルなパーティを仕切りきったというわけだ。面白かったよ。


披露宴から二次会まで乗り切るには、病気を抱えるボクにはかなりの大冒険だった。
●クスリを普段よりも多めに飲み、気合いと勢いで乗り切った状態だ。旧友たちとの再会もうれしくてボクのテンションは大分上がっていたから、当日は大丈夫だったのだろう。
●しかし、その後日は具合が悪くなって寝込むハメになった。虚脱感が抜けず、アタマがずーっと混乱して落ち着かない。睡眠も不規則になり、軽いパニック発作が起こる。今だに余波が続き無気力状態から抜け出せない。やっぱり普通の社会生活をこなすにはまだまだ時間がかかると思い知らされた。ブログすら更新できなかったからね。ふう。