| Home |
2007.12.30
我が家の年の瀬
●昨日は楽しい同窓会。
●毎年1〜2回ほど行われている高校時代の同窓会。年末の今回は、ボクの体調不良を理由に場所をシモキタザワに設定してもらった。そんでついでにワイフとコドモも参加させる事にした。級友とワイフやコドモが顔を合わせるのは激レアな機会なので新鮮である。

●他にも子連れ出席のメンバーがいる。ノマドは1歳の男の子が来ると知ると、自分のオモチャ箱をゴソゴソあさってミニカーセットを見つくろった。「コレをあかちゃんにプレゼントする!」おお、気前イイじゃないかノマド。このミニカーボックスは2歳のノマドがぜんそく発作で一週間入院した時に持たせたキット。面会時間が終わってワイフが病院を去らなくてはいけなくなると、いつまでも号泣しつづけてたもんだ。泣き虫ノマド、このオモチャいつ買ったモノか覚えてるのか?「うん、ノマドがびょういんでおとまりしなくちゃいけなかったとき。いっぱいないたから、かんごふさんにダッコしてもらった」
●さらに小学4年生のお姉ちゃんも参加して、かなり賑やかな展開に。ノマドはピンクのニンテンドーDSをいじらせてもらってご満悦、ヒヨコは「きらりんレボリューション」のオシャレカードコレクションを見せてもらって大興奮であった。調子に乗って小島よしお「そんなのカンケイねえ!」まで披露した。みんな子供が出来て、ちょっとずつ人生のステージをゆっくり昇ってる。
●今日はイモウト夫婦がウチを訪れた。
●イモウトは第一子を妊娠し帰省中。年末に入ってダンナの ken5 くんも上京し、2人は下北沢の我が家を訪ねてきた。ノマドは最近夢中の将棋に ken5 くんを散々付き合わせてた。
●ken5 くんには今回重要な任務があった。というか勝手に頼もうと思ってた事があった。コドモ部屋の2階建てベッドの組立てである。先日搬入された学習机は業者さんの組立てサービスがあったが、このベッドは5コのデカイ段ボール箱としてやってきて、一目見るだけでも億劫になる代物。「コレはケンちゃん来るまで放っておこう。我々には無理!」と勝手に決め込んでいた。そんで期待通り、彼はこともなげにこの大事業に着手し、速やかに遂行したのであった。

●かくして2階建てベッドが建造された。
●それぞれの枕元に大切なオモチャを詰め込んで、マイワールドを形成してる。ヒヨコは「ニャニャちゃん」「ベリーちゃん」などお気に入り十数匹のヌイグルミちゃんたちがびっしり。ノマドは巨大ロボ「サイダイオー」と「ビータマン」とレゴのオリジナルマシーン。コドモたち、超エキサイティング。
●これで、寝室が親子別々になり静かに眠れるようになるのだろうか?
●初めは大喜びして「ベリーちゃんをねんねさせてあげるの」とか言ってたヒヨコは、寝る直前に「ママ、さいしょだけいっしょにねよう…」とか不安げに言い出した。そしたらノマドが、「ヒヨコ、ヒヨコがこわくなったら、2かいのノマドのところにこいよ!ノマドはヒヨコよりははやくねたりしないからな!」と突っ張ってみせてる。こうして徐々にパパママの元から少しずつ少しずつ、コドモたちは離れていくのである。
2007.12.27
パンク精神って?インディー精神って?D.I.Y.精神って?
●パンク読書。

●GREN MATLOCK / PETE SILVERTON「オレはセックス・ピストルズだった」1992年
●SEX PISTOLS。アルバム一枚で20世紀の音楽史に強烈なインパクトを与えてしまった伝説のバンド。1977年前後のパンク革命は、決してこの連中だけの成果じゃない事が今は明らかになってるけど、この一枚で人生狂った人は世界中で大勢いるでしょう。
●この本読むにあたって、数年ぶりにアルバム聴いたけど、全然古びてないもんね。それは彼らの音楽が、素晴らしい独創性とアイディアに満ちあふれてるってコトじゃない。連中の音楽はいとも簡単にコピー/パクリが出来て、21世紀の今になっても、彼らの作った様式を後生大事に拡大再生産しちゃう若人が後を絶たない、つーコトだと思う。
![]() | 勝手にしやがれ!! (1999/09/29) セックス・ピストルズ 商品詳細を見る |
●著者 GREN MATLOCK は、初期 PISTOLS のオリジナルベーシスト。ボーカル JOHNNY ROTTON (A.K.A. JOHN LYDON) が加入する前から活動の軸になってた男(あくまで自称だけど)。途中あまりにもバカげた事が多過ぎて、あの悪名高いアメリカツアーの前に脱退する。後釜はパンク伝説の堕天使 SID VICIOUS。元々は JOHNNY の取り巻きでバンドの追っかけ青年。唯一無二の奇行が目を引いて演奏能力ゼロにも関わらずバンドに加入、ラリって彼女を刺し殺し、自分もオーバードーズでとっとと死ぬ。生き残った GREN は、1996年の再結成に参加、JOHN は「再結成は金!金のためだぜ!」と相変わらずの悪態をまき散らした。
●そんな著者が明かす、ダメ人間集団がどう形成されどう崩壊したかのエピソードは、メチャクチャでオモシロい。あの悪名高き戦略家、マネジャーの MALCOM MACLAREN が営業してたお店「SEX」(若き VIVIAN WESTWOOD が活躍)にバイトして変人どもの相手をする。お金がなくて、コソドロしてた仲間に「どうせ盗むなら楽器を盗め」と勧めてバンドが成立(だから超ヘタクソのクセして楽器は一流)。MALCOM は世間で言われるほどの戦略家ではなく、一風変わった美大生が背伸びしてムチャしてるって感じで、行き当たりばったり、金にもルーズ、でもハッタリだけは超一流。JOHN LYDON は最初こそ仲良くやれたが、超自己中すぎてついていけないなどなど、エラく辛辣なエピソードが一杯出てくる。
●同時代のパンクロッカーとの交流も、今となってはゴージャスな人脈だが。当時は全員ガイキチ寸前のチンピラばかり。CLASHの MICK JONES はナイスガイだったそうだし、JOE STRUMMER も CLASH 以前からの顔見知り。JOHNNY THANDERS の HEARTBREAKERS や THE DAMNED とのツアー。バンドの追っかけにはその後 SIOUXISIE & THE BANSHEES を結成する SIOUXISIE SIOUX もいて、ほぼ裸エプロンみたいな衣装でギグに来る奇人だったという。BILLY IDOLも追っかけの一人だったらしいっす。
●で、パンク音源をたくさん聴く。
![]() | Germ Free Adolescents (2006/10/16) X-Ray Spex 商品詳細を見る |
●X-RAY SPEX「GERMFREE ADOLESCENTS」1977〜1979年
●PISTOLS と同時期を駆け抜けたギャルボーカルのパンク。ボーカルは黒人の血を引く POLY STYLENE 嬢で、ヤケクソな女子ボーカルとサックスをフィーチャーした点で他のパンクバンドとは一線を画す存在。詞曲も POLY 嬢が全部手がけてたというから立派なモンだよね。
●ちなみに、レーベルは SEX PISTOLSと一緒の VIRGIN RECORDS。GREN が著書で書いているけど、パンクで一番儲けたのは VIRGIN だという。アホなチンピラはお金に無頓着で結局手元に儲けは全然残らなかった。当時新興レーベルだった VIRGIN は元ヒッピー系の名物創立者 RICHARD BRANSON(気球で世界一周とか今でも変なコトやってる)の手腕で、EMI とモメまくった PISTOLS と契約、コレをキッカケに70〜80年代に急速拡大する。
●パンク革命は、インディーズ革命でもあった。
●音源制作から商品流通まで、全てを自分たちで取り仕切る、つまりインディーレーベルが出現し、大手音楽産業に依存しないシステムが芽生えた。「全てを自分の手で」D.I.Y.精神が芽生えた瞬間でもあった。
![]() | Do It Yourself: The Rise of the Independent Music Industry After Punk (2007/02/26) Various Artists 商品詳細を見る |
●VARIOUS ARTISTS「D-I-Y - DO IT YOURSELF」1977〜1986年
●SOUL JAZZ RECORDS が編んだ初期パンクのコンピ。一癖も二癖もある激レア選曲と充実した解説ブックレットでオナカイッパイの一枚。副題は「THE RISE OF THE INDEPENDENT MUSIC INDUSTRY AFTER PUNK」。極小規模のインディ流通システムがいかに構築されたかを克明に説明してる(当然英語だからスゲエ手こずったけど)。
●当時は新興レコードショップだった ROUGH TRADE が、イギリス各地の心あるショップに呼びかけて、自主制作音源やファンジンを流通する仕組みを提案したという。最初は数店ほどの規模だったものが徐々に拡大、THE CARTEL と呼ばれるネットワークになった。他にも、多くのパンク音源を生み出した激安スタジオ(祖末が故にロウな音が録音出来た)のご主人や、パンク音源の製盤職人さんのインタビューまでブックレットに収録。大資本音楽産業に頼らざるをえない時代はココに終わった訳ですな。まさしく革命です。
●収録曲も多彩。いわゆるパンクロックだけじゃなく、エグいコールドファンクに 二ューウェーブ系ダブ、原始テクノポップ、ポリリズミックな打ち込みをベースにした抽象的なギターインプロ、ロウファイフォークなどなど。音こそあれど完全に正体不明のバンドがあったり、その後の消息が一切不明のアーティストさんがいたり。
●その後のビッグネームもいます。一曲目は BUZZCOCKS「BOREDOM」。正統派ビートパンク。なんでも一番最初のインディーパンクらしい。SCRITTI POLITTI も後の作風とは全然違う、軋み上げるギターが耳障りで最高。意外な所では、ブルーアイドソウルのメジャー王道を行く SIMPLY RED のボーカリスト MICK HUCKNALLが所属してたバンド THE FRANTIC ELEVATORS。後年のキャリアからは想像もつかないヤケクソパンクです。BITING TONGUES というバンドもクソッタレパンクですが、このバンドの中心人物 GRAHAM MASSEY は80年代末に テクノユニット 808 STATE を結成し、アシッドハウス〜初期レイヴシーンを盛り上げます。808 STATE はまさしくボクの青春です。
![]() | New York Noise, Vol. 3 () 不明 商品詳細を見る |
●VARIOUS ARTISTS「NEW YORK NOISE VOL.3」1979〜1984年
●パンク革命の激震地はロンドンだけではありません。ニューヨークこそ真の音楽実験がさかんに行われたパンクの震源地です。ロンドンパンクよりもNYパンクは先行して始動、その源流は1969年の THE VELVET UNDERGROUND と言われています。それは70年代NYパンクの名盤(PATTI SMITH、TELEVISION)に、このバンドの頭脳だった JOHN CALE がプロデューサーとして関わったからでしょう。
●現代音楽の薫陶を受けている JOHN CALEが象徴するように、NYパンクはロンドンパンクに比べてチンピラ度が低くて、むしろインテリで美学生的。その代わりロックのマンネリ様式化を批判し、革新的な実験精神はロンドンパンクよりもずっとスリリングです。今のパンク様式からも大きく逸脱してるので、今のキッズが聴いたら「この音楽のどこがパンクなの?」と思うでしょう。
●やはりこのコンピも SOUL JAZZ RECORDS の編んだモノ、副題は「MUSIC FROM THE NEW YORK UNDERGROUND 1979-1984」。毎度毎度すげえヒネクレ音源を繰り出してきてとうとう三枚目。パンクっつーか、もはや暗黒ファンク(今で言う !!! (CHK CHK CHK) みたいな感じ)やテクノの先祖(フランスの KITSUNEが提案してるようなエレクトロの元祖?)みたいな表現が出てきます。フリージャズギタリスト JAMES BLOOD ULMER のファンクロックも鼻血ブーのテンションです。でもコレこそが真のパンク精神なのです。
![]() | Punk-O-Rama, Vol. 4 (1999/06/24) Various Artists 商品詳細を見る |
●VARIOUS ARTISTS「PUNK O RAMA 4 - STRAIGHT OUTTA THE PIT」1999年
●パンク革命が始まって、その第二波の時代に重要になるのが、アメリカ・ロサンゼルスです。いわゆる「LA ハードコア」というヤツです。パンクは「ハードコア」という名の下に、研ぎすまされた様式へと進化しました。それが、現在の「パンクロック」という形式になっているのです。
●パンク精神って本来「自由」こそが信条だったのに、どこかで型にハマってしまい、ドレもコレもが似たように聴こえてしまう。正直、ボクはハードコア以降のパンクがあまり好きではありません。こと90年代後半以降に登場した「ポップパンク」「ソフトパンク」という名前には、かなり抵抗がありました。そりゃもうパンクとは言えんのとちゃいますのん?
●しかし、ハードコアにはハードコアなりの信条、歴史、クリエイティヴがあるのは事実です。世界には良い音楽と悪い音楽があるように、良いハードコアと悪いハードコアがあるのです。食わず嫌いではいけません。ボクは音楽中毒者なのですから。
●このコンピは LA ハードコアの先駆 BAD RELIGION のメンバーが自分たちの音源をリリースするために設立したインディーレーベル EPITAPH のシリーズコンピ。BAD RELIGION は80年結成、EPITAPH は81年設立。まさしくハードコア世代の黎明期を支えた大看板です。「PUNK O RAMA」シリーズは1994年にスタート、2007年現在、第10弾まで出てるパンクコンピの定番です。
●今のEPITAPHは LA に関わらず全世界のパンクバンドを支援し世界に送り出す一大企業。しかし、その姿勢は一貫してインディペンデンスかつハードコア。その一気通貫の志にはハードコア嫌いのボクも敬意を表さずにはおれません。
●本作の収録バンドは、本家 BAD RELIGION、やはりハードコア第一世代の ALL、NOFX、NY ハードコアの AGNOSTIC FRONT、RANCID、そして70年代の酔いどれ詩人 TOM WAITS までいます。スウェーデンのパンクス MILLENCOLIN や スカコアの VOODOO GLOW SKULLS は実は結構好きなバンドです。どいつもこいつも曲が短い、2分半いきません。ワンラウンド一発K.O.勝負。ソレがハードコア。
![]() | Not Fooling Anyone (2007/02/21) Ken Yokoyama 商品詳細を見る |
●KEN YOKOYAMA「NOT FOOLING ANYONE」2007年
●パンクの信念と様式は瞬く間に全世界に伝播しました。日本も例外ではありません。パンク革命にリアルタイムで呼応したアーティストは、フリクション、スターリン、ばちかぶりなどなど、枚挙に暇がありません。THE BLUE HEARTS など優れたパンクアクトも数々登場しました。
●本作の主人公 KEN YOKOYAMA 氏のキャリアの起点となったバンド HI-STANDARDは、94年デビュー。当時のボクの目には「パンクの渋谷系だな」と映りました。全編英語歌詞、タイトでカラリと乾いた感覚は、ソレ以前の日本のパンクが持っていた湿度を完全脱臭しており、彼らの視線が完全に同世代の海外ハードコアを向いているということをハッキリ示しておりました。ああ、日本のパンクの新世代だ。その後彼らはレーベルごとメジャーから独立、インディーズ第一弾アルバムは100万枚のセールスを上げた。KEN YOKOYAMA氏は、このレーベル PIZZA OF DEATH RECORDS の社長まで勤めている。このレーベルロゴはカッコいいよね。ガレージパンク THE CRAMPS のマネっこだわ。センスイイ!
●彼らが切り開いたジャパニーズハードコアは、その後10年で日本のシーンに大きな勢力を持つに至り、レコード屋さんには普通に「J-PUNK」なるコーナーが出来てる。素晴らしい事です。
●このシングルは、シモキタザワの激安ワゴンにて100円でゲットしたモノ。よりいっそう曲が短い!2分半どころか、1分30秒程度じゃないか!(表題曲だけ4分超)でもその1分半にジェットコースターのようなキリモミ展開がぎゅうぎゅう詰めにされてる。てかこのハイテンションで5分やられたらコッチの身が持たない。
●パンクは、現行のシーンの中で、若者が楽器を握る衝動を受け止める最良のフォーマットだ。3コードとガナリ声で、世界を革命出来ると信じさせてくれる。それが儚いおとぎ話なのだとしても。一方でボクは、そのパンクすらも打ち破る新しいフォーマットが、新しい音楽がこの世に誕生するのを楽しみに待ってるのです。
2007.12.26
我が家のクリスマス報告。
●サンタさんからオモチャが届きました。
●25日、クリスマスの朝。コドモたちは大騒ぎ。リビングで包装紙をビリビリに破き、それぞれのプレゼントを引きずり出すのに必死でした。

●娘ヒヨコへのプレゼントは、「夢ネコ」ちゃん。体中に仕込まれたセンサーで、なでたりダッコしたりすると、本物そっくりのリアクションをするネコちゃんです。前からネコを飼いたいと言ってたヒヨコは大喜び。速やかに名前がつけられしました。命名「ニャニャちゃん」。ヒヨコのお人形は、全員ヒヨコ直々オリジナルの名前が与えられるのです。早速リボンやビーズのネックレスをつけられてカワイくアレンジされてました。

●ノマドへのプレゼントは、「獣拳戦隊ゲキレンジャー」の巨大メカ「獣拳巨神サイダイオー」。サイのカタチをしたメカ「サイダイン」から巨大ロボットに変身します。「操獣剣」なる刀をロボットのそばで振ると、センサーが作動し自走するという優れモノです。

●イブの夜、ノマドはサンタさんに向けてだめ押しのメッセージを窓に貼付けてました。

●大きなツリーの左右に、サンタさんと二頭のトナカイさん&ソリ。夜空には三日月と冬のオリオン座。赤い文字で書かれた文章は「さんたさんへ ゲキレンジャの さい大玉 おクださい のまどより 」。サンタさんは左手で小さなサイダインを握ってる。
●「さい大玉」は「サイダイオー」を漢字で書いたつもりなんだろうが、惜しい事に点が一個多い。これは「さいだいたま」だよ。
●さらに用意周到?なことに、我が家の周辺地図まで窓に貼付けて、サンタさんの配達に滞りがないよう細かい配慮までする気の配りよう。盛り上がってるね、キミら。
●愛車と最後の別れ。記念撮影。

●昨日、業者が引き上げにやってきた。さらば。ニュービートルよ。

●邦画に浸る夜。
![]() | それでもボクはやってない スタンダード・エディション (2007/08/10) 加瀬亮;瀬戸朝香;山本耕史;もたいまさこ;役所広司 商品詳細を見る |
●「それでもボクはやってない」
●あの大ヒット作「Shall we ダンス?」から10年間沈黙を続けた、周防正行監督がとうとう繰り出した最新作。出演:加瀬亮/瀬戸朝香/役所広司。テーマは痴漢冤罪事件。そして日本の裁判制度全体の奇妙さを冷徹に描き出す。品のいいユーモアで不思議な温もりを感じさせる10年前の周防監督のテイストは、ここには全く登場しない。淡々と儀式のように進行する裁判の過程をカメラは静かに見つめる。カメラの目線が冷えている。冷えれば冷えるほどに、監督の義憤の熱さも伝わって来る。日本の司法に裁判員制度が導入される。日本人は裁判のリアルに耐えられるのか?
![]() | 博士の愛した数式 (2006/07/07) 寺尾聰、小泉堯史 他 商品詳細を見る |
●「博士の愛した数式」
●出演:寺尾聰/深津絵里/吉岡秀隆/朝丘ルリ子。事故による脳障害で80分しか記憶が持続しなくなった数学者(寺尾聰)と、その生活を面倒見る家政婦(深津絵里)、そしてその息子の心温まる交流。毎日やってくる家政婦を初対面のように扱い、毎日同じ台詞で出迎える。社会と隔絶し、日々アタマの中に広がる「数」と戯れて過ごす博士の姿は、痛々しくもあるが、枯淡の境地を極めた仙人のようにも映る。観た後に「年取ったらあんな博士みたいなオヤジになりたいなあ」とつぶやいたら、ワイフがすかさず突っ込んだ。「もう半分そうなってるわよ。悪気はないけどモーレツに手がかかる」
2007.12.23
ジジババ集合の楽しいパーティ。そんで異常なハイテンション。
●自律神経失調症とのお付合い(その33)〜「躁状態が止まらない」編
●昨日は、ワイフのご両親が、ボクの両親を食事会に招いてくれて、我が家のコドモとともに楽しいホームパーティを行ったのでした。両家&我が家&コドモが全員揃うなんて貴重な機会。ともかく例年バタバタ忙しいボク自身の出席率が一番悪い。今年はこの通り、ボクは社会からドロップアウトしてるので、キッチリ参加可能。実はとても楽しみにしてた。
●おいしい料理に、打ち解けたフランクな雰囲気、ノマド&ヒヨコもご機嫌で、ジジもババも孫のヤンチャな振舞いに目を細めて喜んでくれた。ボクは思いっきりリラックスする事が出来た。楽しい会話が弾んだ。次第にボクは饒舌になってきて、切れ目なくシャベリまくった。ボクは陽気で元気で、誰から見ても健康そのもののように見えただろう。
●しかしこの時、ワイフは、ボクが異常モードに入ったと察知した。
●普段の静かな休養生活からは全くかけ離れたハイテンションで、ほぼ7時間ノンストップでしゃべり続けた。「今目の前では大丈夫だけど、後で絶対このハイテンションの揺り戻しが来る、体調が崩れる。」ワイフは心配で気が気でなかったようだ。実際ボクは食事毎のクスリすらも飲み忘れて躁状態になってた。
●ボク自身も帰宅する瞬間になって、自分の異常に気づいた。
●着席していた時には気付かなかったが、いざ立ち上がると、足がフワフワして一ミリだけ宙に浮いているような感覚に襲われた。「ああ、ヤバい…」クスリも飲んでない…。でもテンションはギンギンで、帰りの車中でもノンストップでしゃべり続ける。止まらない。
●実はその翌朝、つまり今日は午前中から法事があった。しかしボクに二日連続の登板は危ないとワイフが進言、早々欠席するよう根回ししてくれていた。正直コレは助かった。ボクのギンギンのハイテンションは、帰宅後もそのまま持続し、朝6時まで眠れなくなってしまっていたからだ。早朝、起床したワイフと入れ替わるようにボクはベッドに就き、やっと眠る事が出来た。
●自律神経の調整機能がおかしくなる → 感情の制御に不具合が生じる。
●これは経験的な事なので、いわゆる「自律神経失調症」の標準的な症状とは言えないと思うコトを前提にします。「自律神経失調症」は神経の緊張/弛緩(つまりオン/オフのスイッチ)が壊れてしまう病気だ。現在回復期にあるボクは、身体的にはオン/オフのスイッチ切り替えが大分修復された状況だが、感情面でのオン/オフには、まだ危うい気配がある。
●医者の指示で同僚/友人とも完全に連絡を絶ち、没交渉状態を続けて数ヶ月。人と活発に会話出来る場面は月に数回もない。こと事務的な会話ではなく、陽気な社交となると、その機会はほとんどなかった。
●しかし、そういう楽しい場面は絶対暴走が起こる。ハイテンションになりすぎて感情が制御出来なくなる。陽気になりすぎて止まらない。スイッチがオンになると、ブレーキが利かなくなる。笑いが止まらないし、言葉も止まらない。そしてその後、貧弱なバッテリーを使い果たして体力焼尽、2〜3日寝込んでしまう。9月末の友人の結婚式ではその後一週間寝込んでしまった。
●幸いなコトに、負の方向に感情が暴走した事はない。例えば怒りや憎しみが増幅し、激昂して怒鳴り散らすような事は全くない。でも時と場合によれば、その危険性も否めない。
●今週は毎年末恒例となっている高校時代の同窓会がある。ココでもボクは暴走をするだろう。その監視のため今回初めてワイフ&コドモを同行させる。「ボクがどんなテンションになっていても、二次会には行かせないようにしてくれ」とお願いしてある。
●人間のココロとカラダはホントに不思議だ。病気になり均衡が崩れてしまった事で、初めて人間のカラダの神秘に気付いた。この「身体=精神」という、小さな宇宙がいかに緻密で複雑な仕組みを持ち、繊細に絡み合って成立しているのか、本当に思い知らされた。
●今日、目が覚めたら既に11時を回っていた。健やかに熟睡できた。ワイフやコドモが法事に出かけて行くのにも全く気付かないほど深く眠れた。深刻なダメージはカラダにもココロにも残っていない。ホッとした。念のため少し多めにクスリを飲んだら、普段の平常心がキチンと帰ってきた。よし、ボクは順調に回復している。
●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html
●ノマド、ジジと将棋対決。
●ちなみに、ノマドは今夢中になってる将棋をジジたちと一緒にやるのがとても楽しみだったようだ。早朝誰よりも早く起きて、買ったばかりの自分の勉強机で自分なりの戦略プランを考えていたのだ。

●マス目の数がメチャクチャですが、彼なりの戦略構想なのです。「王将」が中央の陣地を離脱し右サイドを反復横跳びしながら敵陣に深く食い込むという、大胆かつ無謀な作戦です。「王将」の前には「ふ」の字が並んでます。言うまでもなく「歩兵」です。
●ワイフのお父さんが最初にノマドの相手をしてくれた。ボクとやる時と同じで飛車角落とし。ジジが「ノマド、そこに駒を進めるんだ」とアドバイスすると、無駄にプライドの高いノマドは意固地になってそのアイディアを採用しない。「もうジジ!いわないでよ!」二局戦って、お情けの一勝一敗。
●最後にボクの父親とノマドが対戦。ボクはノマドサイドの参謀につく。相手にバレバレのコショコショ話で相談をする。「パパ、次はナニしたらいい?」「飛車が狙われてるから一歩後ろに下げるんだ」「パパ、次は?」つーか、駒を動かすのだけノマドで、考えてるのは全部ボクじゃん。
●ハッキリ言ってボクは将棋が下手で、将棋好きの父親に生まれてこの方一回も勝った事がない。いや、父親が手加減抜きで小学生のボクを負かすから、ボクは将棋がキライになったのだ。結局今回も、ノマド&ボク連合軍は、飛車角落としのハンデをつけながらジジに惨敗を喫した。
●「ノマド、もっと修行しないとダメだな。一回も勝てなかったな。」しかしノマドは「しげるジジにイッカイかった。ジジよわい。」お情けで一回負けてもらったのに、オマエ、スゴい言い草だね!
●ヒヨコは、ジジとのタタカイごっこで本気の噛み付き攻撃をかまし、ジジに流血の負傷を負わせた。タタカイごっこのイニシャティヴは兄ノマドにあるが、戦法は妹ヒヨコの方が数倍エゲツナイ。
●そんなヒヨコがノマドの遊びに付合ってテーブルを離れたとき、ボクは彼女が残した食べかけのケーキを勿体ないと思って何の気なしに食べてしまった。するとテーブルに戻ったヒヨコが「ヒヨコのケーキ、どこ?」……あれ、ごちそうさまじゃなかったの?「ヒヨコ、ケーキまだたべるよ…」だって、タルトの上モノ部分だけ最初にキレイに食べて、下のクッキー部分しか残ってなかったじゃん。ボク「あー、ケーキ、パパが食べちゃった…。」
●その瞬間のヒヨコの顔が凄まじかった。さっと顔面蒼白、口はムンクの叫びのようにポカーンと開き、戦慄が目の瞳孔を夜のネコのように開かせた。その瞳から大粒の涙が出るまでカウントダウン10秒前。絶望のあまり声も出ない。「ゴメン、パパ、ヒヨコはもうごちそうさまだったと思って…」そんなボクの言い訳など聞こえもしないほど、絶望がヒヨコのちっちゃい脳ミソの中でキーンと激しくエコーしている。そんな表情。不謹慎なジジババはその顔見て大爆笑。
●笑いながらババが「ヒヨコ、まだケーキ残ってるわよ」とケーキの箱を開けてあげた。すると今度は、バラ色のように光り輝く笑顔に大変身。一言も言葉を発してないのに手に取るように感情が伝わる、超シンプルな生き物。ヒヨコは素直な子だね。彼女は至福の笑みをたたえ、新たなケーキを切り分けてもらいながら、一方で大粒のイチゴをセッセと口イッパイに頬張り続けるのであった。
●昨日は、ワイフのご両親が、ボクの両親を食事会に招いてくれて、我が家のコドモとともに楽しいホームパーティを行ったのでした。両家&我が家&コドモが全員揃うなんて貴重な機会。ともかく例年バタバタ忙しいボク自身の出席率が一番悪い。今年はこの通り、ボクは社会からドロップアウトしてるので、キッチリ参加可能。実はとても楽しみにしてた。
●おいしい料理に、打ち解けたフランクな雰囲気、ノマド&ヒヨコもご機嫌で、ジジもババも孫のヤンチャな振舞いに目を細めて喜んでくれた。ボクは思いっきりリラックスする事が出来た。楽しい会話が弾んだ。次第にボクは饒舌になってきて、切れ目なくシャベリまくった。ボクは陽気で元気で、誰から見ても健康そのもののように見えただろう。
●しかしこの時、ワイフは、ボクが異常モードに入ったと察知した。
●普段の静かな休養生活からは全くかけ離れたハイテンションで、ほぼ7時間ノンストップでしゃべり続けた。「今目の前では大丈夫だけど、後で絶対このハイテンションの揺り戻しが来る、体調が崩れる。」ワイフは心配で気が気でなかったようだ。実際ボクは食事毎のクスリすらも飲み忘れて躁状態になってた。
●ボク自身も帰宅する瞬間になって、自分の異常に気づいた。
●着席していた時には気付かなかったが、いざ立ち上がると、足がフワフワして一ミリだけ宙に浮いているような感覚に襲われた。「ああ、ヤバい…」クスリも飲んでない…。でもテンションはギンギンで、帰りの車中でもノンストップでしゃべり続ける。止まらない。
●実はその翌朝、つまり今日は午前中から法事があった。しかしボクに二日連続の登板は危ないとワイフが進言、早々欠席するよう根回ししてくれていた。正直コレは助かった。ボクのギンギンのハイテンションは、帰宅後もそのまま持続し、朝6時まで眠れなくなってしまっていたからだ。早朝、起床したワイフと入れ替わるようにボクはベッドに就き、やっと眠る事が出来た。
●自律神経の調整機能がおかしくなる → 感情の制御に不具合が生じる。
●これは経験的な事なので、いわゆる「自律神経失調症」の標準的な症状とは言えないと思うコトを前提にします。「自律神経失調症」は神経の緊張/弛緩(つまりオン/オフのスイッチ)が壊れてしまう病気だ。現在回復期にあるボクは、身体的にはオン/オフのスイッチ切り替えが大分修復された状況だが、感情面でのオン/オフには、まだ危うい気配がある。
●医者の指示で同僚/友人とも完全に連絡を絶ち、没交渉状態を続けて数ヶ月。人と活発に会話出来る場面は月に数回もない。こと事務的な会話ではなく、陽気な社交となると、その機会はほとんどなかった。
●しかし、そういう楽しい場面は絶対暴走が起こる。ハイテンションになりすぎて感情が制御出来なくなる。陽気になりすぎて止まらない。スイッチがオンになると、ブレーキが利かなくなる。笑いが止まらないし、言葉も止まらない。そしてその後、貧弱なバッテリーを使い果たして体力焼尽、2〜3日寝込んでしまう。9月末の友人の結婚式ではその後一週間寝込んでしまった。
●幸いなコトに、負の方向に感情が暴走した事はない。例えば怒りや憎しみが増幅し、激昂して怒鳴り散らすような事は全くない。でも時と場合によれば、その危険性も否めない。
●今週は毎年末恒例となっている高校時代の同窓会がある。ココでもボクは暴走をするだろう。その監視のため今回初めてワイフ&コドモを同行させる。「ボクがどんなテンションになっていても、二次会には行かせないようにしてくれ」とお願いしてある。
●人間のココロとカラダはホントに不思議だ。病気になり均衡が崩れてしまった事で、初めて人間のカラダの神秘に気付いた。この「身体=精神」という、小さな宇宙がいかに緻密で複雑な仕組みを持ち、繊細に絡み合って成立しているのか、本当に思い知らされた。
●今日、目が覚めたら既に11時を回っていた。健やかに熟睡できた。ワイフやコドモが法事に出かけて行くのにも全く気付かないほど深く眠れた。深刻なダメージはカラダにもココロにも残っていない。ホッとした。念のため少し多めにクスリを飲んだら、普段の平常心がキチンと帰ってきた。よし、ボクは順調に回復している。
●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html
●ノマド、ジジと将棋対決。
●ちなみに、ノマドは今夢中になってる将棋をジジたちと一緒にやるのがとても楽しみだったようだ。早朝誰よりも早く起きて、買ったばかりの自分の勉強机で自分なりの戦略プランを考えていたのだ。

●マス目の数がメチャクチャですが、彼なりの戦略構想なのです。「王将」が中央の陣地を離脱し右サイドを反復横跳びしながら敵陣に深く食い込むという、大胆かつ無謀な作戦です。「王将」の前には「ふ」の字が並んでます。言うまでもなく「歩兵」です。
●ワイフのお父さんが最初にノマドの相手をしてくれた。ボクとやる時と同じで飛車角落とし。ジジが「ノマド、そこに駒を進めるんだ」とアドバイスすると、無駄にプライドの高いノマドは意固地になってそのアイディアを採用しない。「もうジジ!いわないでよ!」二局戦って、お情けの一勝一敗。
●最後にボクの父親とノマドが対戦。ボクはノマドサイドの参謀につく。相手にバレバレのコショコショ話で相談をする。「パパ、次はナニしたらいい?」「飛車が狙われてるから一歩後ろに下げるんだ」「パパ、次は?」つーか、駒を動かすのだけノマドで、考えてるのは全部ボクじゃん。
●ハッキリ言ってボクは将棋が下手で、将棋好きの父親に生まれてこの方一回も勝った事がない。いや、父親が手加減抜きで小学生のボクを負かすから、ボクは将棋がキライになったのだ。結局今回も、ノマド&ボク連合軍は、飛車角落としのハンデをつけながらジジに惨敗を喫した。
●「ノマド、もっと修行しないとダメだな。一回も勝てなかったな。」しかしノマドは「しげるジジにイッカイかった。ジジよわい。」お情けで一回負けてもらったのに、オマエ、スゴい言い草だね!
●ヒヨコは、ジジとのタタカイごっこで本気の噛み付き攻撃をかまし、ジジに流血の負傷を負わせた。タタカイごっこのイニシャティヴは兄ノマドにあるが、戦法は妹ヒヨコの方が数倍エゲツナイ。
●そんなヒヨコがノマドの遊びに付合ってテーブルを離れたとき、ボクは彼女が残した食べかけのケーキを勿体ないと思って何の気なしに食べてしまった。するとテーブルに戻ったヒヨコが「ヒヨコのケーキ、どこ?」……あれ、ごちそうさまじゃなかったの?「ヒヨコ、ケーキまだたべるよ…」だって、タルトの上モノ部分だけ最初にキレイに食べて、下のクッキー部分しか残ってなかったじゃん。ボク「あー、ケーキ、パパが食べちゃった…。」
●その瞬間のヒヨコの顔が凄まじかった。さっと顔面蒼白、口はムンクの叫びのようにポカーンと開き、戦慄が目の瞳孔を夜のネコのように開かせた。その瞳から大粒の涙が出るまでカウントダウン10秒前。絶望のあまり声も出ない。「ゴメン、パパ、ヒヨコはもうごちそうさまだったと思って…」そんなボクの言い訳など聞こえもしないほど、絶望がヒヨコのちっちゃい脳ミソの中でキーンと激しくエコーしている。そんな表情。不謹慎なジジババはその顔見て大爆笑。
●笑いながらババが「ヒヨコ、まだケーキ残ってるわよ」とケーキの箱を開けてあげた。すると今度は、バラ色のように光り輝く笑顔に大変身。一言も言葉を発してないのに手に取るように感情が伝わる、超シンプルな生き物。ヒヨコは素直な子だね。彼女は至福の笑みをたたえ、新たなケーキを切り分けてもらいながら、一方で大粒のイチゴをセッセと口イッパイに頬張り続けるのであった。
2007.12.21
ふと空を見上げる。
●ひこうき雲。

●薄暮の月と、一筋の綺麗なひこうき雲。空を見上げて得した気分になるなんて、なんか素敵な事だなと思った。
●今日も通院。そして散歩。
●経過は順調。職場復帰まであと一歩。落ち着いて行こう。
●三軒茶屋のレコファンでCDを見に行こうと思ったら、なんと潰れてた。ショック。しょうがないので三軒茶屋 TSUTAYA に行ったら300円ワゴンで目一杯掘り出しモノを見つけてしまい、またも無駄使い。
●下北沢へ帰って、カフェ「GOPAL」でお茶&読書。このカフェが一番落ち着く。店員さんはフランクだし、いつも賑やかで、シモキタザワらしい人たちが一杯集まってる。今日の隣のテーブルは、お笑い芸人志望の先輩後輩が、仲間同士の人間関係を語ってた。「あいつ、最近ちょっとテレビ出てるからって調子乗ってますよ…」反対のテーブルは、建築学の抽象的な専門書の内容打合せを真剣にしてる。評論家さんと編集者さんのようだ。そのまた隣では、インディーズCDのジャケデザインを打ち合わせるバンドマン。カラープリントされたデザイン案をテーブル一面に広げてた。そんな中、ボクはゆっくり本を読む。
シモキタおススメカフェ/その1
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071128.html
シモキタおススメカフェ/その2
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071202.html
※カフェ研究はさらに進行中です。また機会があればまとめて紹介します。
●ノマドと将棋。
●最近ノマドは将棋に夢中。ポケッタブル将棋をドコかでもらってその説明書を一生懸命読んだらしい。ボク「ノマド、はさみ将棋でイイじゃん」ノマド「だめ!ホントのショウギがいいの!」で、ココ三日間何回も何回もノマドと勝負した。ハンデとしてボクは飛車角落とし。漢字がよくわからんから、ノマドは駒の動きも完全に把握出来てない。だいたい将棋の駒は、漢字を書き崩し過ぎてるからコッチだって説明しづらいんだよ。
●そして今日の夜の対局。ノマドはボクの大人げない攻撃にボチボチ持ちこたえ、一時間ばかりも踏ん張って戦った。見事な健闘ぶりだよ。でも最後は奪われた飛車角でベキッと王将を封殺される。ノマドは自分の敗北を知ると、あまりの悔しさに顔を真っ赤にし、涙をポロポロこぼして泣き出した。あーこの負けず嫌いは誰に似たんだ?
●そんなノマドにボク「パパも子供の頃、ジジ(つまりボクの父親)と将棋をしたけど一回も勝った事がないんだよ。今度ジジに会ったらノマドとパパでチームを組んでジジに挑戦しよう」慰めになったのかよくわからんが、あまりの悔しさに腰も抜けてしまったノマドは、泣きながらイモムシのようにホフク前進してベッドに向かった。アホだなあ。まだまだケツが青いぜ、6歳児。
●DVD鑑賞。
![]() | さくらん 特別版 (2007/08/03) 土屋アンナ 商品詳細を見る |
●「さくらん」
●やーっと観ました。ビデオ屋で新作扱いから外れるまで粘ったケチン坊です。原作/安野モヨコ。監督/蜷川実花。主演/土屋アンナ。音楽/椎名林檎。結果から言うと満足しました。蜷川実花監督の色彩感覚がギラギラしててイイ!画面が真っ赤だ!現在日本の最高女子力を結集した真っ赤だ!この赤は経血の赤か?!男性では作れない色の洪水は、ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」を連想させた。古典題材を現代感覚にアレンジするスタイリッシュな画撮りと編集、BGMもパンクで極めてるなど、共通項多いです。
●先輩花魁として菅野美穂も出演。「働きマン」とは全く別の、魔性の高級娼婦として見事な濡れ場を演技。女優ってスゴい。一方、土屋アンナはケモノ。天然に備わった嗅覚と度胸だけで動いてる。だからリアル。だから価値がある。
●マンガ生活。
![]() | ジャンプ SQ. (スクエア) 2008年 01月号 [雑誌] (2007/12/04) 不明 商品詳細を見る |
●「ジャンプSQ」第二号
●もう買わねー、とか前号の時言ってたのに、不覚にもまた買ってしまった。だって、荒木飛呂彦の読み切り62ページ収録、しかも「ジョジョ」外伝「岸田露伴は動かない」と来たら、読むしかナイじゃん。相変わらずの荒木ワールド、ついて行けない寸前のテンションはより加熱してるぜ。
2007.12.20
学習机がやってきた!そして愛車よさようなら。
●長男ノマドは来年4月、小学生になります。その準備が進んでます。
●今日は、御徒町の家具屋さんで注文した机が我が家に到着。コドモ2匹は大喜び。

●コドモ部屋のコーディネートを統一するため、今回でヒヨコの机もいっぺんに購入。自分たちの拠点が出来るコドモたちは、そりゃもう大騒ぎ!業者のオジさんがセッセと机を組立ててる前で、「つくえ!つくえ!つくえがやってきた!」と大合唱&ダンシング。さすがのオジさんも去り際に「しっかり勉強するんだよ」と一声かけるほど。早速それぞれの宝物(図鑑とか、サイコロとか、けん玉とか、魔法の杖とか、折り紙とか)をセッセと引き出しに格納。
●ノマドはもうすぐ小学生。早いもんだね、この前生まれたばかりだと思ってたのに。「自分の机を持つ」というコトは、「自分のプライベート空間、自分のヒミツの場所を持つ」というコト。もう一丁前の人間だ。ペットとは違う自意識が芽生える。ヒヨコも「大きくなったらファッションモデルになる!」といって、最近は紙やノートにお気に入りの洋服や帽子のデザイン画を描いている。ファッション業界専攻志望とは、決断が早くてヨロしい。その机で、夢を目一杯描きなさい。
●その一方で、一つお別れも。
●自律神経失調症とのお付合い(その32)〜「愛車を手放す」編
●ボクが日々服用している精神安定剤は、全部お断りがついている。「眠くなったり、注意力がなくなったりしますので、危険な作業や車の運転は避けましょう。」結果、ボクは自動車の運転を避けてきた。正直、自動車の運転はとてもじゃないが今のボクには無理だ。そして、もしボクが事故を起こしたとなれば大変な事になる。クスリの危険性を知りながら事故を起こせば、それは飲酒運転と変わらないだろう。保険だってキチンと支払われないかもしれない。
●そこで、7年以上乗ってきた我が愛車、フォルクスワーゲンニュービートルを売却する事にした。今週、数社の査定を受け、今日、その中の一社と売却契約を結んだ。クスリなしの生活に戻れるメドがない中で、ダラダラ維持費をかさませるのは厳しい。駐車場代、保険料、税金、車検、そして高騰するガソリン代。手放すだけで年間数十万のコスト減になる。しかも売却額も意外なほどイイ値段がついてくれたので、コレも結構なハナシだ。

●でも本当は愛車を手放すのは寂しいコトだ。
●1999年、VW社が名車ビートルの21世紀版を発表する、というニュースにボクは興奮した。その冗談みたいなオモチャっぽいデザインにも爆笑した。そもそも自動車に興味がなかったボクは、このチョロQ実物大みたいなカワイイ車と出会わなければ、自動車なんて買おうと思わなかったと思う。
●正規ディーラーの輸入販売が始まるまで待って販売店に行ったら、既に予約殺到、車色によっては一年以上の配車待ちだという。一番早いのはどれですかと聞いて、出てきたのがこの「黄緑色」のビートルだ。一番人気がないという。爆笑!気に入った。まるでアマガエルみたいだ!「この色でお願いします」速攻で決断した。命名「ケロヨン号」。ボクの初めての愛車だ。
●まだこの車が珍しかった頃は、横断歩道で止まると歩行者が全員コッチ向く。中には露骨に指差して笑う人も。明らかにヘンテコな形だから。ちょっと恥ずかしかったが、一方で誇らしい気持ちにもなった。ヒップだろってね!実際デザインが先行しすぎて乗りにくい場面も。丸いフォルムにコダワルばかりに、ダッシュボードが異常に広く、反対に後部座席は激狭で身長のある人はガラスにアタマがぶつかる。車体が丸過ぎて車両感覚が掴みづらく、コスリまくってキズだらけだ。スカーフェイスのビートル。
●妊娠したワイフをこの車に乗せて病院に通った。コドモ2人も出産後我が家に連れ帰る時にこの車に乗った。ホントはズーッと乗り続けたいと思ってた。しかし仕方がない。折しも時代はエコだ。CO2排出タイプの自動車は時代遅れになる。しばらく自動車には乗らない。もう決めました。業者は来週この車を取りにくる。その時には家族全員で記念撮影をしよう。
●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html
●今日のBGMは、60〜70年代。

●THE WHO「WHO'S NEXT」1971年
●荒野にそそり立つコンクリート柱は、さながら「2001年宇宙の旅」のモノリスのよう。ソレにバンドの連中は立ちションをかまし、スッキリしつつ自分のモノをズボンの中に格納中。そんなジャケ。
●ロンドンのモッズシーンから出現した彼らは、1969年にロックオペラ「TOMMY」を成功させ、自分たちの音楽をさらに発展拡大させようとしていた。このアルバムは、本来「LIFE HOUSE」というロックオペラのサウンドトラックとして用意された楽曲群である。でもこの「LIFE HOUSE」の構想は無謀なほどスケールがデカく複雑で、おまけにバンドも関係者も全員アルコールやクスリでラリってて(ラリッてるから非現実な構想ができたのかな)、結局プロジェクト自体が頓挫してしまった。要するに、残りカスです。
●でもでも残りカスなのに、オモシロいのがこのバンドの非凡な所。一曲目イントロのシーケンサー使いから当時の人々には衝撃的だっただろう。バンドはその後ロックオペラ「四重人格」を発表し、「LIFE HOUSE」お蔵入りの経験も無駄にはならなかったようだ。
●ただし、ボクにとっては3分間のロックンロールで聴くモノを痺れさせるライブバンド THE WHO の方が好きだ。モッズ野郎の THE WHO の方が好きだ。ボクの聴いたのはデカジャケ盤でボーナストラック(ライブ収録含む)が7つもついてる。ハッキリ言って本編よりコッチの方がカッコいい。荒っぽいライブの方がズッとカッコいい。無理してデカいことなんて考えなくてもイイのに。

●LIGHTHOUSE「ONE FINE MORNING」1971年
●コッチは「LIFE HOUSE」ならぬLIGHTHOUSE。ホーン部隊から弦楽器部隊まで備えた11人のカナダ出身大所帯バンド。ブラスロックの一派とも言えるが、ジャケ通りのサイケ風味もあってイイ感じ。でもやっぱり表題曲「ONE FINE MORNING」のファンクっぷりが最高。切れ味の鋭いホーン、ソウルフルなボーカル。この一曲でゴハン三杯イケます。70年の大阪万博で来日コンサートをし、日本のサイケバンド FLOWER TRAVELLIN' BAND をそこで発掘、アメリカに紹介した、というトリビア功績あり。

●GYPSY「UNLOCK THE GATES」1973年
●これもファンキーなロックを期待したが、ちとイマイチ。ある程度のグルーヴィーさは間違いないが、チト抜けが悪い。メロウなフリーソウル好みの方なら楽しめるかも。ボクは暑苦しいのが好き。彼らの4枚のアルバムのうち、コイツは最後の一枚で、彼らの GATES は UNLOCK したつもりがコレで閉まっちゃったようです。

●THE RASCALS「TIME PEACE - THE GREATEST HITS」1966〜1968年
●古道具屋にて250円で発掘したCD。ブルーアイドソウルの先駆として、ロックバンドでありながら暑苦しいR&Bを目指したアメリカのバンド。本作は彼らのキャリアの最高期を網羅するベスト盤で、同時期のUKモッズとリンクするアップテンポで黒っぽい感覚が最高。WILSON PICKETT の激定番ソウル「IN THE MIDNIGHT HOUR」もドスコイガッチリとカバーしてる。彼らの超有名曲「GROOVIN'」はホッコリのどか節だけど、それだけだと思ってると損しますよ。
![]() | Felix Cavaliere (2006/01/17) Felix Cavaliere 商品詳細を見る |
●FELIX CAVALIERE「FELIX CAVALIERE」1974年
●THE RASCALS は1972年に解散。で、その THE RASCALS のボーカリストだったのこの人がソロ活動を開始。ソウルフルなノドを、爽やかに響かせてます。プロデューサーはポップの奇才 TODD RUNDGREN。我の強い TODD、一聴だけでは口当たりの良さだけしか感じませんが、そこかしこにひねくれたスパイスをコッソリと仕込んでて油断出来ません。最後の曲「I'M BE FREE」だけはなぜか凶暴なファンクロック。鬼気迫る勢いに心臓バクバク。
![]() | Greatest Hits (1990/10/25) The Chambers Brothers 商品詳細を見る |
●THE CHAMBERS BROTHERS「THE CHAMBERS BROTHERS' GREATEST HITS」1965〜1970年
●文字通り四人兄弟で構成された黒人コーラスグループだったが、65年に白人ドラマー BRIAN KEENAN が加入してロックのグルーヴを導入、一気にブレイクしたという連中。白人が黒人のノリに接近するアプローチは今も昔もありがちなハナシだが、白人のテイストを導入してサウンドを刷新するグループってのは珍しいよね。60年代後半、SLY & THE FAMILY STONE や JIMI HENDLIX EXPERIENCE といった白黒混合バンドが出現していく流れにいたのかも。
●ブレイク曲「TIME HAS COME TODAY」は11分を越える長尺サイケデリックファンク。ロックのスタイルで軽快に駆けてくのかなと思ったら、3分目あたりからいきなり事態は急変、ディレイエコーとビリビリのファズギター攻撃で混沌地獄に突入。脂っこいです。大好物です。
![]() | The Staple Swingers (1996/04/02) The Staple Singers 商品詳細を見る |
●THE STAPLES SINGERS「THE STAPLE SINGERS」1970年
●こちらも家族バンド。親父の ROEBUCK "POPS" STAPLES とその三人の娘 MAVIS、CLEOTHA、YVONNE の四人組。50年代からゴスペルの世界で活動していたが、時代の流れでR&Bからファンクまで射程距離は拡大、本作はサザンソウルの名門レーベル STAX からリリース、録音はやはりサザンソウルの神殿 MUSCLE SHOALS SOUND STUDIO、ホーン部隊は STAX の鉄板ファンカー THE BAR-KAYS が担当、結果として超ド級ファンクアルバムとなっております。ああ、このホコリっぽい泥臭さがサザンのイイ味なんだよなあ〜。温泉にでも浸かったような温かさがたまらない。60年代から70年代の過渡期、当時のニューソウル感覚も漂ってる。
●MAVIS STAPLES は今だ現役バリバリで、今年も RY COODER プロデュースで新作を出してる。しかもレーベルはクセもの揃いの ANTI から。コッチも聴きたいなあ!

●JOSE FELICIANO「FELICIANO !」1968年
●プエルトリコ出身の盲目のギタリスト&シンガー。メランコリックなギターと朗々と響くほろ苦い声が、静かに心に沁み入る。有名曲を、ラテン特有の哀愁感をたっぷりと込めてカバーする手腕が鮮やか。スペイン語のフレーズを織り混ぜて情熱的に歌い上げる様は神々しいほど。英語圏、スペイン語圏両方で高く評価されているシンガー。
●本作は英語圏でのブレイクのキッカケになったモノ。THE DOORS「LIGHT MY FIRE」を手数の多いスパニッシュギターでラテン風味に仕上げたカバーがクリーンヒット。その他 THE BEATLES「IN MY LIFE」「HERE, THERE AND EVERYWHERE」「AND I LOVE YOU」や THE MAMAS & PAPAS「CALIFORNIA DREAMIN'」を絶妙に料理。もっと他にも聴きたいし、スペイン語のアルバムも聴きたくなる。
●あーあ。ドラマ「働きマン」終わっちゃった。菅野美穂大好きになっちゃった。早く仕事してえなあ。
![]() | 働きマン 4 (4) (モーニングKC) (2007/08/23) 安野 モヨコ 商品詳細を見る |
2007.12.17
BRUCE SPRINGSTEEN のニュージャージーは、ボクにとっての千葉県なのだ。
●唐突ですが、今日は BRUCE SPRINGSTEEN を語ります。
●妹のダンナ、つまり義弟 KEN5 くんが、なぜか BRUCE SPRINGSTEEN のCDを4枚もボクにくれた。普段から色んなCDをプレゼントしてくれる彼だが、ナゼ今 BRUCE SPRINGSTEEN なのか、意外過ぎてビビった。コレはなにかのナゾカケなのか? 難しいナゾカケだ! 以前から自分で持ってる盤を引っ張り出したり、買い足したりして、このアメリカンロックのタフガイを、その音楽を考えてみるコトとする。
●BRUCE SPRINGSTEEN は1949年生まれの58歳。
●地元やNYのグリニッジビレッジでギター片手に歌ってたトコロを、BOB DYLAN をフックアップしたプロデューサー JOHN HAMMOND に見出され73年にデビューする。その後アメリカンロックの王道を歩み続け、今年は伝説のフォークシンガー PETE SEEGER へのトリビュートアルバム、そしてオリジナルアルバムを連発、まだまだ現役最前線、「THE BOSS」との異名に恥じない活躍を続けている。
●今回取り上げるのは、彼のキャリアの前半、1973年から1984年。
●BRUCE SPRINGSTEEN はニュージャージー出身。
●彼の音楽世界を一口に言うとすればどう表現できるだろうか。金も地位も将来も、何も持っていない若者の夢、現実との葛藤、苛立ち、鬱憤ばらし、バカ騒ぎ、それでも続いて行く人生、その悲哀、それを歌う…。
●ボクが一番親近感を感じたのは、彼の出身がニュージャージー出身だっていうコト。ニュージャージーってのは、ニューヨークのお隣の州。川一つはさんで目の前はマンハッタン。目の前に大都会がありながら、そのキラビやかな世界とは全然無縁の自分の無力を日々思い知らされる立場。コレって、日本に当てはめれば、千葉県のことじゃないですか!
●ボクはこの千葉県で、小学校〜中学校の約9年間を暮らした。
●江戸川はさんで東京都とお隣関係にある千葉県。市川、船橋、千葉、木更津、柏、松戸、流山、野田…。今も昔も全部がヤンキーシティ。木更津から氣志団というバンドが出たのは偶然じゃない。ヤングマガジン連載のヤンキーギャグマンガ「エリートヤンキー三郎」は舞台が不自然なく千葉県だ。
●横浜ほどの地元アイデンティティもなく、東京都のベッドタウンとして隷属してる感覚。本来なら千葉県の目玉になるスポットは、「東京ディズニーランド」とか「新東京国際空港(成田空港)」とか、勝手に東京を僭称しちゃってる。千葉県人の方々には大変失礼だが、あの土地には鬱屈とした閉塞感と倦怠感が漂ってる。
●人格形成に重要な少年時代を、ボクは千葉県F市で鬱屈とした気持ちで暮らした。
●F市はギャンブルシティだ。中央競馬や地方競馬の競馬場、オートレースがある。バブル以前の競馬場は本当に殺伐とした場所で、毎週末大挙してやってくるオッサン軍団にゲンナリしてた。なぜ彼らの耳には赤鉛筆がさしてあるのか、なぜ「馬」という名前の新聞があるのだろうか。学校の先生は「ヘンなオジさんについていかないように」子供には謎が多かった…。
●ダメなオッサンの集まる街には、ダメな産業もいっぱい集まる。
●駅前にはラブホテルとキャバレーとソープランドとストリップ劇場がひしめく。隣の駅には風俗街やピンク映画館があった。ボクの通った学習塾は、風俗店の入った雑居ビルの上にあった。昼間のお店からは色気のないジャージ姿でお姉さん達がビルをコソコソ出入りしてる。
●後年同窓会でわが街のストリップ劇場に行ってみた。
●モギリのオジさんはスキンヘッドでアタマに入墨入ってる。場内は床一面にビール缶が散乱してて、花道の向こう側では泥酔したイラン人3人組が大暴れ、ステージのお姐さんと罵り合いを始めた。最悪だ。
●F市の学校の雰囲気も殺伐としてた。
●ボクはその後、関東平野の逆サイド、東京三多摩エリアの都立高校に進学するのだが、そこで激しいカルチャーギャップに愕然とした。
●誰も教室のモノを破壊しない。廊下の天井に穴を開けない。ガラスを割らない。万引きしない。カツアゲしない。スクーターを盗んで乗ったりしない。ロケット花火をマンションのベランダに打ち込んだりしない。Hビデオを無理矢理イジメられっ子に借りさせたりしない。暴走族に憧れたりしない。改造制服を着たりしない。語尾に「だべ」をつけない。誰かを陥れてイジメたりしない。自分の腕力を試すためだけに人を殴ったり蹴ったりしない。教師を閉め出して辞めさせたりしない。…そして、夢や希望を信じたりするのがカッコ悪い事だと思っていない。
●千葉県において当然だった日常が、東京の高校には何にもない。都心からの距離は変わらないのに、なぜこうもカルチャーが違うのだろうか!ココが東京都だからなのか?ああ、あの荒んで鬱屈とした日々は、千葉県特有の空気感だったのか!目からウロコの大ショックだった。
●東京という大都会を目の前にしていると、ソレに対して何も出来ない自分の無力を思い知らされる。遠い地方から来る若者には「上京」という行為は、一大決心と向こう見ずの挑戦だが、中途半端に東京を知っている中途半端な距離感は、決心も挑戦も中途半端にさせる。ここに郊外特有の閉塞感が生じる。
●目の前の大都会にコミット出来ないのは自分の無力が故。息の詰まるような閉塞感が、無気力と現状維持の緩慢な時間の流れに若者を引きずり込む。自分の賞味期限が切れるのを、空虚にただ待つのが怖くて、ツルンだり悪フザケをして自分をごまかして行く人生。閉塞感。郊外の閉塞感。
●と、激しく激しく遠回りをして結局ナニが言いたいのか、といいますと…。
●ロックは、鬱屈とした閉塞感の中に、静かに沈殿する。
●ロックは、閉塞感が強ければ強いほど高圧に圧縮され、そして弾けるように点火爆発する。
●BRUCE SPRINGSTEEN はロックの力で、郊外を脱出した。郊外の閉塞感から脱出した。しかし彼は自分のやってきた場所のウタを歌っている。閉塞感の中でもがく若者の姿を歌っている。とボクは考えるのです。
![]() | アズベリー・パークからの挨拶(紙ジャケット仕様) (2005/06/22) ブルース・スプリングスティーン 商品詳細を見る |
●「GREETINGS FROM ASBURY PARK, N.J.」1973年
●N.J.、つまりニュージャージー州のアズベリーパークからのご挨拶。彼のデビュー作だ。ニュージャージー界隈で小さなバンドを組んだり、N.Y.のグリニッジビレッジで活動していた彼を、レコード会社は「新しい BOB DYLAN」として売り込もうとした。時代はシンガーソングライター・ブーム。その状況に嵌め込まれるように、彼もアコースティックのアプローチを強いられたというのが定説だ。
●しかし、この時点で彼はその後30年余に及ぶ盟友関係を結ぶ THE E STREET BAND を担う仲間を誘い、キチンとロックした曲も繰り出している。中でも印象的だったのが一曲目の「BLINDED BY THE LIGHT」。その後 MANFRED MAN'S EARTH BAND がカバーして大ヒットする曲だ。ボクはこの曲が BRUCE の作だということをココで初めて知った。
●「光で目がくらむ。ママはいつも陽の光を直接見るなとオレに言っていたが、ソコにこそ本当の楽しみがあるんだよ」(「BLINDED BY THE LIGHT」)
●韻を踏むような遊び心たっぷりナゾカケもたっぷりのこの曲は、アマチュア時代の乱痴気騒ぎを歌ったモノ。サビがキャッチーで最高。この瞬間、彼は閉塞感を打ち破り、光の中へ躍り出たのだ。
![]() | 青春の叫び(紙ジャケット仕様) (2005/06/22) ブルース・スプリングスティーン 商品詳細を見る |
●「THE WILD, THE INNOCENT & THE E STREET SHUFFLE」1973年
●デビューアルバムから一年も待たず繰り出された2枚目。楽曲のスケールが広がり、ロック度もやや上昇。1STから参加しているサックスプレイヤー CLARENCE CLEMONS が早速大きな存在感を漂わしている。
●誰かが彼の音楽を「ストリートロック」と呼ぶ。彼の歌詞世界は確かにストリートだ。当てもなく路上をウロツく若者たちの姿が見える。
●「もううんざりだ、埃っぽいアーケードをブラついたり、ゲームマシーンを叩いて生きる事に。ボードウォークの下でシーンズを脱いでくれる工場勤めのオンナの子を追いかける事に」(「4TH OF JULY, ASBURY PARK」)
●「彼女はアパートの壁に寄りかかり男を誘う。オレは言った、一緒にブロードウェイを歩こう。こんな通りに立つ生活を辞めて、都会の生活を捨てて、夜汽車に乗ろう。…でも彼女が汽車に乗らない事は分かっている。さよなら、人は歩き続けなければならない」(「NEW YORK CITY SERENADE」)
●苛立ちや人恋しさをどう扱ったらいいのか、持て余している若者の焦りがジワリと滲む。そんな音楽。
![]() | Born to Run (2003/05/05) Bruce Springsteen 商品詳細を見る |
●「BORN TO RUN」1975年
●この作品で BRUCE は大ブレイクを果たす。まさに大爆発するのだ。彼独自のタフでエネルギッシュなロックンロールが完成する。アルバムはチャートトップ10に初めて食い込み、雑誌「TIME」「NEWSWEEK」の表紙を同時に飾る事になる。まさしく「BORN TO RUN」(邦題「明日なき暴走」)、THE BOSS の暴走が始まったのだ。
●「明日なき暴走」を初めて聴いたのはボクが中学生の頃だった。今回十数年ぶりにこの曲を聴いたが、あのパワーと感動は全く色褪せてない。そもそもモゴモゴ何歌ってるか分からない彼の声が、曲のテンションが上がるとともにその輪郭をハッキリ輝かせて、腹の奥から湧き上がるマグマのような咆哮を高らかに響かせる。ドラマチックな展開にドキドキ。それをサポートする分厚いバンドサウンド。サックスとピアノがよく機能してグルーヴを強化する。
●「昼は街で どうしょうもないアメリカンドリームを待ちわび、夜は自殺マシーンに乗って栄光へと走り抜ける。クロームホイールを履き ガソリンを積み ハイウェイ9号線で檻から飛び出す。そしてラインを超えて一歩を踏み出すんだ。この街はお前の背骨をはぎ取っちまうぜ。それは死の罠、自滅の罠だ。俺たちは若いうちにココを抜け出す。俺たち放浪者は突っ走るために生まれてきたのだから」(「BORN TO RUN」)
●中学生のボクは、この曲を聴いて今すぐにでもドコかに突っ走って行きたくなった。しかし、一体ドコに走って行ったらいいモノか、サッパリ分からなかったのも事実だったのだ。
![]() | 闇に吠える街(紙ジャケット仕様) (2005/06/22) ブルース・スプリングスティーン 商品詳細を見る |
●「DARKNESS ON THE EDGE OF TOWN」1978年
● 人間、半端に成功すると絶対欲の皮が突っ張ってモメ事を起こす。前作の大ヒットを受けて、BRUCE は自分のマネジャーとの法廷闘争にまきこまれて、音楽活動を一時休止しなくてはいけなくなった。新しいプロデューサーと組み独自のロック路線を進みたい BRUCE の意向を、あくまで「新しい BOB DYLAN」路線にコダワるマネジャーが阻むのだ。
●この足踏み期間に BRUCE は PATTI SMITH GROUP に名曲「BECAUSE THE NIGHT」を提供する。コレも今回初めて知った事実だ。あの素晴らしい曲は BRUCEが作ったのか!
●で、3年のブランクを経て発表されたのが本作。ピアノやサックスのバランスがその後の佐野元春を連想させる音作り。ロックの世界基準になってしまったと言う事か。BRUCE はニュージャージーの BRUCE ではなくなり、アメリカの BRUCE にレベルアップしていく。全米の若者が持つ焦燥感を一手に引き受け、その悲哀、その苛立ちを一身に引き受けて咆哮する。
●「昼間はオヤジの修理工場で働き、夜は一晩中走り回り幻影を追い求めている。もうすぐオレは何かを掴むんだ…。マトモに生きようと努力してきた。朝起きて毎日仕事に行く。でも何も見えなくなり、恐怖に襲われる。この町を爆破し叩き潰したくなる…。いいか、オレはもう子供じゃない、オレは約束の地を信じているんだ。」(「THE PROMISED LAND」)
![]() | ザ・リバー(紙ジャケット仕様) (2005/06/22) ブルース・スプリングスティーン 商品詳細を見る |
●「THE RIVER」1980年
●大河ドラマのつもりなのか、THE E STREET BAND を従えて、BRUCE 渾身の2枚組ロックアルバムを発表。スケールがドンドン大きくなる彼の音楽世界。30歳を超え、大人なりの分別を備えた彼の音楽は、挫折したモノたちをも描き出す。しかしまだ彼はあがく。明らかに勝負の分は悪い。でも勝負せずにはいられない。
●「親父、もう寝た方がいい、夜も更けた。何を言おうと無駄だ、オレは明日セント・メリーズ・ゲートを旅立つ。この決心は変わらない。この家の暗闇が、この町の暗闇が、オレたちを打ちのめすから。でももうオレに触れる事は出来ない。親父よ、アンタが打ちのめされたように、オレは打ちのめされたりしない。」(「INDEPENDENCE DAY」)
●「払うべき代償。払うべき代償。払うべき代償からは逃げられない。…ゲームが始まるぞ、小さなハートを動かし夜も昼も走れ。郡の境を越えた所に、見知らぬ誰かが立てた標識がある。そこには払うべき代償に屈した男たちの数が書かれている。でも今日が終わるまでに、オレがそれをへし折りドコかに捨ててやる。」(「THE PRICE YOU PAY」)
●「オレの故郷は谷の町。そこで若者は親父の後を継ぐよう育てられる。メアリーに出会ったのは高校の頃。二人で谷を抜けドライブに行ったものだ。…川へ行き、川の中で泳いだものだ、ああ、川へよく行ったものだ…。」
●「…メアリーは妊娠した。オレは19の誕生日に、労組の組合員証と上着を手に入れた。二人だけで役所へ行き、手続きをした。教会も式も笑いもなく、花もドレスもなかった。…その夜二人は川へ行き、川の中で泳いだ。ああ、川へ行ったんだ…。」
●「建設会社に職を得たが、近頃は不況で仕事がない。大切だったものは、みんな消えてしまった。オレは何も覚えてないフリをし、彼女も気にしないフリをする。でもあの貯水池で見たメアリーの身体は素敵だった。今こんな思い出が甦り、呪いのようにオレを苦しめる。かなわなかった夢は偽りなのか。…川は干上がっていると知っている。が、オレたちは川へ行くんだ…。」(「THE RIVER」)
![]() | Nebraska (2008/06/24) Bruce Springsteen 商品詳細を見る |
●「NEBRASKA」1982年
●このアルバムは高校生の時によく愛聴した作品だ。いつもの分厚いロックサウンドを全て忘れ、BRUCE は自宅スタジオにてアコギ一本&ハーモニカ一つで録音に取り組んだ。ほとんど一発録りかのような緊張感とラフさが、THE BOSS の息づかいをよりリアルに感じさせる。この時 BRUCE33歳。若者という立場に偏らず、より普遍的になったウタが、円熟味を醸し出す。
●「ハイウェイの片隅で、死んだ犬の傍らに立つ男を見た。彼は犬を棒でつついている。まるで犬が甦って走り出すまで、そこに立っているかのようだった…。辛く苦しい日が終わる時、人々は何かを信じる理由を見つけるのだろうか…。」(「REASON TO BELIEVE」)
●当時好きだったこの楽曲がアルバム全体を締めくくる。どこか軽さを感じさせる飄々とした歌唱に、人生の難しさを引き受けた人間の覚悟が匂う。何かを信じて生きる人間の逞しさを素朴に歌い上げる。
![]() | ボーン・イン・ザ・U.S.A.(紙ジャケット仕様) (2005/07/20) ブルース・スプリングスティーン 商品詳細を見る |
●「BORN IN THE U.S.A.」1984年
●表題曲があまりにも痛快なロックなもんだから、愛国讃歌と錯覚されてしまったエピソードがあまりに有名な傑作。共和党はこの曲を選挙のテーマソングにしようとしたそうな。バカか。これは THE BOSS が腐った大国アメリカに向けて放った強烈な皮肉だ。
●「オレはこの町でちょっとした問題を起こした。連中はオレにライフルを握らせて外国に送り込んだ。イエローマンを殺せと…。オレの兄貴はケ・サンでベトコンと戦った。ヤツらはまだ生きてるが、兄貴はもういない。兄貴の彼女がサイゴンにいた。彼女に抱かれる彼の写真だけが残ってる…。」
●「刑務所の隣、製油所の燃え上がるガスの近く、この10年煮えくり返る思いで生きてきた。全くのどん詰まり、どこへ行く事もできない…。ボーン・イン・ザ・U.S.A.!ボーン・イン・ザ・U.S.A.!オレはアメリカで生まれた。オレはアメリカの敗残者だ!」(「BORN IN THE U.S.A.」)
●THE BOSS の視線は、いつだって底辺を這いつくばる人々とともにある。何かが変わるキッカケを、この人生を変えてくれるチャンスを、待ち望んでいる誰かを描く。額に汗し辛い労働にいそしみ、それでも何かを信じている者を励ます。アメリカ人が彼を数十年に渡って支持し続けるのは、それだけアメリカという国が苛烈な社会であるからだ。人口の5%に60%の富が集中し、30%の国民が貧困に喘ぐ、歪んだ社会。多くの人々がどうしようもない問題を抱えて生きている。
●80年代のバブル経済、そして90年代の荒廃を通過した今。格差社会の閉塞感が、日本全土をも包み込もうとしている。真っ当な暮らしをしようにも、その門戸は日増しに固くなり、弱者を弾き出し始めた。都会から離れた地方こそ本当のピンチにさらされている。
●資本主義が凶暴な牙を剥いて、若者から夢と希望を搾り取る。そんな現代日本社会に対して、ロックが有効な武器になるかは分からない。ただ、現状打破に迷う若者はゴマンといるのは事実であり、BRUCE SPRINGSTEEN は還暦を目の前にしながら今も歌い続けているのだ。
●ボクは音楽を聴いても、歌詞にはあまり関心を払わない。今回ココまで歌詞にこだわって聴いたのは珍しいことだ。THE BOSSの歌詞に漂う焦燥感に、影響されてしまった。千葉で過ごした少年時代の、どうしようもない閉塞感を思い出してしまった。あの苦々しい思いがなかったら、ボクはこんなにムキになって音楽を聴かなかっただろう。だから、今日はちょっと、熱くなってしまったのでした。
2007.12.14
1986年。少年がロックに目覚めた瞬間。
●「サザン・オール・スターズ再聴キャンペーン」(多分その4)
●なぜかサザン&桑田圭祐の音をアタマから聴き直しているワタクシ。今日は1986年〜1988年の音源を語っていきます。73年生まれのワタクシにとって中学生時代とちょうどカブリます。思い入れタップリの時代なのです。個人的な記憶と絡めて今日は音源を紹介していきます。
●さて、問題のサザンご一行様。1982年に、桑田圭祐&原由子が結婚。そんで1985年、第一子出産のため原由子が産休に入り、サザンは活動を休止。そこで桑田圭祐は新バンドを始動します。「KUWATA BAND」。名前そのまんまやん。中学一年生のボクでもそう思いました。
![]() | BAN BAN BAN (2001/06/25) KUWATA BAND 商品詳細を見る |
●「BAN BAN BAN/鰐」1986年
●壮大な PHIL SPECTOR 風ウォール・オブ・サウンド。深いエコーが渦巻く大きなスケール感で、悲恋の歌をクワタがシリアスに歌う。切ないギターイントロからドンと弾けるダイナミックなリズムと小粋に差し込まれるシンセサイザー。今の耳で聴いてもボクはこの歌が好きだ。即席とは思えないバンドの一体感、屈指のセッションマンが合体した迫力が、従来のサザンとは違う雰囲気を醸し出してた。
●実はこのEPがボクとって初めて自分のお小遣いで買ったレコードなのです。
●一般的に音楽好きの人はワリと早熟で、小学生の頃から色々な音楽に触れたりしているモノ。年上の兄弟の影響だったりとかして。しかしボクが音楽にハマるようになったのは、随分と遅かったのでした。小学生のボクはマンガとゲーム三昧。ファミコン第一世代であり、今となってはオモチャ以下のパソコン NEC PC-6601 のユーザーでありました。凝り性の性格はこの頃から健在で、マニアであり、オタクでありました。
●しかし、ある日歌番組から流れてくる「BAN BAN BAN」にココロをわしづかみにされたのです。当時ボクは中学一年生の4月。思春期の小僧にアリガチなパターンですが、チッポケな片思いの女の子の顔を、この曲にダブらせて(これは失恋のウタですから)聴いてしまいました。そして初めて、駅前プラザの地下一階にあったレコード屋さんに足へ運び、700円のドーナツ盤を購入したのです。この20年後、自分が6000枚もの音源を所蔵する事になるなんて予想もせずに。これが最初の最初の一歩なのです。
●ちなみにB面収録曲は「鰐」。ワニのウタです。「ワニ、ワニ、水辺の兄弟、ワニ、ワニ、沼地の天才、オッケ〜イ!」というウタです。2番は「ゾウ、ゾウ、地上の兄弟」です。あまりにバカバカしすぎて却って耳にコビリつく楽曲であります。
●KUWATA BAND の次の動きは7月のシングル2連発同時発売攻撃でした。当時のボクの小遣いでは二枚もイッペンに買うのは不可能だったので実際にこの盤2枚を買ったのは後の時代です。でも必死にテレビからエアチェックして何度も聴きましたね。
![]() | スキップ・ビート (2001/06/25) KUWATA BAND 商品詳細を見る |
●「SKIPPED BEAT/PAY ME」1986年
●スキップビートをクワタ的に連呼すると「スケベースケベースケベースケベー」となります。クワタ流のダブルミーニング的テキトー英語が炸裂するファンキーなロックチューン。冒頭のフレーズは「LENNON が流れるロックカフェ〜」。クワタの音楽世界にはたくさんの音楽偉人が登場しますが、ここでは JOHN LENNON が憑依。広大なロック世界にボクを誘ったのは、クワタ氏のこういう温故知新、先人への敬意です。当時のボクはジョンがどんな男か全く知りませんでしたが、多分ロックな人なんだなと感じるのでありました。
●ちなみにB面は「お金払ってちょうだい、印税払ってちょうだい」とノタノタ英語で歌う曲です。
![]() | MERRY X’MAS IN SUMMER (2001/06/25) KUWATA BAND 商品詳細を見る |
●「MERRY X'MAS IN SUMMER/神様お願い」1986年
●この曲も名曲ですわ。夏らしい開放感のあるテンポで、サラリと切ない失恋を軽妙に歌いこなします。7月になぜクリスマスかはよくわかりませんが、そんな違和感は微塵も感じさせない清涼感。気ままにキーボードが踊り回る様子が最高です。
●B面は、萩原健一率いるザ・テンプターズのカバー。GSをカバーに選ぶのもクワタ氏ならではのセンス。これほど洋楽に強く憧れながら、日本歌謡史の流れを彼は絶対に無視出来ないのです。
![]() | NIPPON NO ROCK BAND (2001/06/25) KUWATA BAND 商品詳細を見る |
●「NIPPON NO ROCK BAND」1986年
●シングル2枚リリースの翌週、KUWATA BAND はアルバムを発表。やはりボクの小遣いではLPなんて絶対購入できなかったので、駅前雑居ビルの怪しげな貸しレコード屋に行ってレンタルを試みました。当時のレンタル屋さんに現在の明るい TSUTAYA 的な健康なイメージはなく、それはそれはいかがわしく、12歳の小僧には敷居の高いモノでした。LPのレンタル代は一週間で400円。高い。今の方が安いじゃん!当然中一の財布には大金です。
●ドキドキしながら家に帰り早速盤にハリを落とす(←若い人には分からない感覚でしょ)。そしたらですよ、てっきり収録されてると思ってたシングル曲は一つもなし!さらになんと全部英語詞!どーいうこと!ショックー!
●タイトルは「日本のロックバンド」。日本人であるクワタ氏がドコまで本気でロック出来るのか、その限界と可能性に敢えて挑戦した冒険意欲全開の実験作。作詞はゴダイゴの外人メンバー TOMMY SNYDER。音は完全にハードロック仕様。明るく楽しいサザンでは絶対にやらないアプローチ、KUWATA BAND でこそできるバンド感覚。中学生には当然ビックリしましたが、そりゃ聴き込みましたよ。少ないお小遣いから出費した分モト取るために。
![]() | ONE DAY (2001/06/25) KUWATA BAND 商品詳細を見る |
●「ONE DAY/雨を見たかい」1986年
●季節は秋、11月 KUWATA BAND 4枚目のシングルは寂しいバラードでした。ボクがピクっと反応したのは実はB面。「雨を見たかい」は70年代のカントリーロックバンド CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL「HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN ?」のカバー。クワタ氏のアメリカンロックへの憧憬がにじみ出る素晴らしい選曲。原曲の素朴さはそのままで、サラッと聴きやすくしてくれた感じ。もちろんその後原曲を探したのは言うまでもないです。
![]() | ROCK CONCERT (2001/06/25) KUWATA BAND 商品詳細を見る |
●「ROCK CONCERT」1986年
●この年に展開したツアーの実況盤2枚組。そしてボクが生まれて初めて買ったCDであり、人生を変えてしまったCDです。
●ちょうどCDというメディアが普及し始めた時期。我が家では何かの抽選でたまたまCDウォークマンが当たってしまったのです(←多分、世界で初めて商品化されたCDウォークマン、「ディクスマン」と言われてた)。さてプレイヤーがあってもCDがない、ということで家族で一枚買おうというハナシになる。そこで「コレ2枚組でおトクだよ」とか言ってムリヤリ買ってもらったという覚えが…。
●で、プレイヤーがCDウォークマンなわけで、従って一名でしか聴けないのですわ。中学一年生のボクは、誰もが寝静まった夜、なぜかフトンの中に潜ってヘッドホンをかけ、そーっとCDをプレイしました。なんでそんな儀式めいた聴き方をしたのか、意味も理由も分かりませんが。ただのバカだったのでしょう。
●CD冒頭からオーディエンスはノリノリ、弾けるドラムとパーカッション、キーボードに煽られながらクワタがカウントを取る、するとあの世界で一番有名なギターリフが、不敵に唸り出る! 本作の一曲目は DEEP PURPLE の永遠の名曲「SMOKE ON THE WATER」のクワタカバーで始まるのです!
●ガッガッガー、ガガガッガー!あのリフだけで全身に鳥肌が立つ! 何も知らない中一の小僧であったボクは、誰もが寝静まったこの夜中、空からロックが降ってくる、荒々しくて禍々しい何者かが、このボクが住む退屈な街の空を真っ黒に覆っている、という戦慄に震えたのでした。そうです。少年はこの日この瞬間にロックに感電してしまったのです!
●中一の英語力では、このウタがナニを歌ってるのかはさっぱリ分かりません。ただしサビの「スモーク・オン・ザ・ウォーター ファイア・イン・ザ・スカイ スモーク・オン・ザ・ウォーター!」は何となく分かりました。コレはバンドがスイスの湖のほとりでレコーディングをしてたら、 やはり近所でレコーディングしてた FRANK ZAPPA のスタジオが火事を起こしたよ、というしょーもない内容なのですが、「水上に煙、空を覆う炎」というフレーズはこの世の終わりのような黙示録的風景を連想させ、ロックの暗黒のフォースを小僧の脳髄により深くトラウマとして刷り込んだのでした。
●2枚組のライブは、シングル曲とアルバムの英語曲を中心に構成、サザンのイメージとは違うハードロックなコダワリが全編に貫かれています。しかしその他にも数々の名曲カバーが仕込まれていました。BOB DYLAN の「KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR」「LIKE A ROLLING STONE」「BLOWIN' IN THE WIND」、PHIL SPECTOR がプロデューズした THE RONNETTS「BE MY BABY」、そしてPAUL が JOHN の息子へ歌った THE BEATLES「HEY JUDE」。BOB DYLAN の曲はいずれもロックにアレンジされ過ぎてて、その後原曲を聴いて猛烈な違和感を感じたほどでした。
●ボクが邦楽洋楽に対して、完全にフラットな視点に立って二者を聴いているこの態度は、この初期体験に理由があるのでしょう。言語には関係なくロックには魔力がある。クワタ氏のボーカルは英語も日本語もみんな一緒に聴こえるし、メッセージの内容に全く関係なく伝わってくるボルテージがある。とにかくこの日ボクはロック少年になったのです。
●1986年に KUWATA BAND の全活動は終了。桑田圭祐は初めてのソロアルバムに挑戦します。
![]() | KEISUKE KUWATA (2001/06/25) 桑田佳祐 商品詳細を見る |
●「KEISUKE KUWATA」1988年
●クワタ氏はココでまたまた新たな衝撃を放ちました。サザンとも KUWATA BAND とも違うアプローチで、ソロシンガー桑田圭祐が出現するのです。キュビズム風に分解されたシンガーの肖像、憂愁の濃いジャケットに象徴されるように、本作には夏場のお祭り男もいなければ、洋楽に憧れるハードロッカーもいません。
●最新のシンセサイザーを導入しつつ、どこか物悲しいメロディと孤独に震える男の体温がヒンヤリ伝わるシリアスさ、どこか世間をチクリと風刺するシニカルさが、今までのパブリックイメージを完全に裏切っていました。
●このクワタ氏変身の陰には、その後90年代〜00年代で巨大な影響力を持つ音楽プロデューサーの存在がありました。彼の名は、小林武史。MY LITTLE LOVER、MR.CHILDREN、AP BANK FES.、 音楽事務所「烏龍舎」社長など、現行 J-POP の最前線に立つ男。
●80年代からスタジオミュージシャン、アレンジャーとして活動していた彼がクワタ氏と出会ったのは87年、28歳の時。このアルバムの内ジャケには若かりし日の小林の顔も写っています。彼はこのアルバムの成功で名を上げ、その後5年間に渡り、クワタ氏の参謀、もう一人のサザンオールスターズ











![ジャンプ SQ. (スクエア) 2008年 01月号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/31-WeCbJHGL.jpg)


















