この前の日曜日に、ボクの祖母が上京してきた。
●ボクの祖母(ノマドヒヨコのヒイババ)は栃木県の田舎に住んでる。無人駅ばっかりのローカル線が最後に突き当たる終点の町だ。オモシロい名前で、ツギさんという。次女だからツギ。スゴいでしょ。ちなみに長女はハツエさんで三女はミツエさんだ。全部で8人兄妹のはずだが、その全容はボクには把握しきれない。

●そのツギおばあちゃんが上京してくるという。親戚の法事で静岡まで行くので、帰り道に東京で会おうと言うハナシになったのだ。ツギおばあちゃんの三人の息子、つまりボクの父&2人の叔父が集まることになった。ボクの父3兄弟は実に親孝行で、ツギさんが何かするとなると甲斐甲斐しく世話をする。80歳を越えるツギさんは実に元気で好奇心旺盛、ボクの父は数回アメリカ旅行にツギさんを連れて行ってる。

ひいばば
 
ツギさんには最近の東京駅周辺の変貌が珍しく見えるのではと思い、ボクは丸の内OAZOのレストランを予約した。ボクのワイフとコドモ2人、ボクの両親、2人の叔父、そして20年ぶりくらいで顔を会わせる従姉妹まで集合した。ツギおばあちゃんは、法事でも大勢の親戚に会い、東京でも大勢の子供/孫/ひ孫に会えてとてもウレシそうだった。でもおばあちゃんの舌にはフレンチは合わなかったかな?

●コドモたちにはツギおばあちゃんにキチンと自己紹介するように言っておいた。ノマドは「おばあちゃんはノマドのことしってるよ」とか言ってきた。「違う、ノマド。ノマドがちゃんとご挨拶できるようなオニイさんになった事をツギおばあちゃんに見せるのが大事なのです」ヒヨコは素直に了解し、初めて会う叔父や従姉妹の前でも堂々と「ヒヨコです!5さいです!」と自己紹介してみせた。

●ノマドは、食後の談笑タイムにノートを持ち出し、いきなりフリーハンドで世界地図を描き始めた。これがなかなかどうして、リアルに書けてしまっていてツギさんと叔父たちをビビらせていた。ノマド「ここがカザフスタンで、ここがトルコ。ちがうよ、ここはメキシコじゃなくてホンジュラス」世界地図をフリーハンドで書くって結構手こずりますよ。少なくともウチのワイフには不可能。

●さらに、ヤツはジャケットのポケットにポケッタブル将棋を忍ばせていてジジ(つまりボクの父)に挑戦した。ノマドはここ数日で完全に「穴熊囲い」を会得した。これをジジに見せたかったらしい。ま、その後はコテンパンだけど。父3兄弟は、幼い頃他に娯楽がなかったのか、全員将棋が好きでかなり強い。

ノマドショウギ

20年ぶりに再会した従姉妹は、立派なキャリアウーマンになってた。
●ボクより8つ若い彼女に最後に会ったのは、彼女自身が小学生の頃だったと思う。それがもう26歳のキレイな女性になっておりました。アクセサリー関係のデザイナー職に携わっているという。その妹は22歳のこれまたカワイい女の子。4月からIT系広告代理店に就職する事になってる。没交渉になった時、彼女はまだ2〜3歳だったが、去年就職活動の相談でボクの元を訪ねてきてくれた。正直ビックリするほどカワイい娘に成長してた。ボクの職場の若いスタッフが「unimogrooveさん、あの娘すっごいカワイいじゃないですか」と聞いてきたくらいだ。

●ヒヨコは、デザイナー仕事をしてる従姉妹のコトをわかってるのかどうか不明だが、お絵描きノートを出して自分が日頃描きためているカワイイ服やアクセサリーのデザイン画を見せていた。下のイメージはキグルミデザイン集。ヒヨコの中で、キグルミがこの冬最新のファッションらしい。確かに暖かかろう。「おおきくなったらモデルさんになるの」これがヒヨコの夢だ。このお姉さんたちみたいに、夢を実現できるとイイね。

ひよこふぁっしょん



一方、ワイフの祖父祖母も埼玉県で健在。
●こちらもノマドヒヨコひ孫の顔を見せようと、飯能の宿泊施設で一泊旅行が企画されていたが、諸般の事情により中途半端になり、ヒイジジヒイババには会えず仕舞いになってしまった。そこで、ヒヨコはヒイジジヒイババに手紙を書く事にした。

ひよこのてがみ
 
「おばあちゃんとおじいちゃんへ おとしだまありがとう ひよこより 5さいになったよ」瞳の中に光る白い玉を描く手法は、今月会得した技術だ。ノマドとヒヨコの間にある生き物の顔は、ヒヨコの超お気に入りのヌイグルミ「ベリーちゃん」だ。 ちなみに、下が本物のベリーちゃん。もちろん命名はヒヨコ。

ベリーちゃん


名前と言えば、ノマドヒヨコが自分たちの従姉妹の名前を考えている。
●ボクのイモウトは現在妊娠中。4月に第一子を生む予定。どうやら女の子らしいが、画数などなど研究しててよい名前を思案中らしい。この赤ちゃんはノマドヒヨコの最初の従姉妹になるわけで、連中なりにカワイイ名前を目一杯考えて、そのアイディアをファックスすることにした。

●直筆で掲載しても常人には読解不明なので、ボクが読み取ってそのアイディアを列挙してみます。
●ヒヨコ案。「きりんちゃん・すずめちゃん・ろーずちゃん・まりもちゃん・らっこちゃん・きんぎょちゃん・きなこちゃん・はあとちゃん・ののちゃん・ここちゃん・なっつちゃん」ボク個人では、結構イケテるんじゃないの?とか思う。21世紀の子供だしね。ヒヨコって名前も最初は衝撃的に受け止められたがもうみんな慣れたからな。

●ノマド案。これはちょっとヒップ過ぎる。22世紀の名前だね。「のまどからのなまえ はきな・ねきな・こねこ・ねこ・大ねこ・犬・しまうま・うま・ぴっくり・ぴくり・わん・あじさい・くろーば・とまと・きゅきゅ・りんご・きんぎょ・ちゅみん・ずーみん・さたーぼ・べりべり・かんちゃららん・きおこ・みらこ・ひよこぴ・わかな・大くま・にんこ・ろろ・ろん・はくら・らら・どきどき・こぐま・きんきん・いわみ・大山 ここまで」女の子だっつーのに「犬」はねえだろ。


最後に、ノマドの最新ドローイング作品。
●どこかから無地のウチワを見つけてきて、蛍光マジックで裏表に描き殴った。赤と緑、二体のドラゴンを描いてる。ダイナミックでエネルギーの迸りに勢いがある。やるねえ、ノマド。画材がウチワってトコも粋だ。

RIMG0675.jpg
 
表面。赤のドラゴン。大きな牙が並ぶ口から火を噴き、燃える身体が周囲の空気を焼き尽くす。2本の太い足が大股で大地を踏みしめる。太い尾を振り回してその先端から電撃が発射される。

RIMG0672.jpg

裏面。緑のドラゴン。全身に鋭いトゲを持ち、大きな口から炎を吐く。刀のように尖った尾からは電が火花を散らしている。鎧のようなウロコに覆われた大きな体躯を蛇のようにうねり、空高く飛んでいく。
●ボクは思わず「ノマド、これ、モササウルスか?」モササウルスは恐竜時代に生きていた水棲の大型爬虫類だ。図鑑で見せてやったら「おおお!ホントだ!にてる!」ノマドは感動してた。でも図鑑を手本にせず想像だけでココまでの表現力に到達できているということのほうがスゴい。

モササウルス
(モササウルス。全長10メートル以上にもなる大型爬虫類。)

寒い。寒いのはダイキライだ。
●我が家のコドモたちは室内履きの靴下をはいて過ごしてる。

くつしたちん

●このカワイい靴下がいたく気に入ったらしく、連中はコレに名前をつけた。
●ノマドの白い靴下は「くつしたちん」と「くつしたちょん」。ヒヨコの黄色い靴下は「たったちゃん」と「たーたちゃん」。ボクの靴下にも名前を考えてくれた。「ぱっぱくん」と「ぱーんちくん」だ。


夕方には、ノマドとフリスビーに興じる。
●なんか今日は不機嫌で元気のないノマドに、一発気合いを入れるかと思って「ノマド、お庭でフリスビーして遊ぶか」と誘った。ノマドは親友ユウタくんと最近フリスビーに凝っていて、コドモ用の柔らかい素材のモノで遊んでいるようなのだ。

フリスビー

●ただしノマドが興味を持ってたのは、ボクの部屋にあるセブンイレブンのフリスビー。昔グアムに遊びにいった時、冗談で買ってきたノベルティもん。ボクはホントへんな買い物ばっかりしてるな。ノマドはこの「大人用フリスビー」がどんな飛び方をするのか興味津々だったのだ。確かにグアムから買ってきて以来、一度も飛ばして遊んだ事なんてない。「パパもコレがどうやって飛ぶか確かめたことはない。ノマドのフリスビーとどっちがよく飛ぶか調べてみるか」
●二つのフリスビーを息子ノマドと投げ合った。キャッチボールも2回くらいしかやった事がないロクデナシの父親であったボクは、実に貴重な時間を過ごしてしまった。会社に戻ればまた3〜4年こんなコトもしないのだろう。
●結果としてたった10分で息が上がってしまった。肩が痛くなり、あわててクスリを飲んだ。40分ばかりグッタリ寝転がった。ホントに体力が続かない。困ったもんだ。ノマドは満足してくれたみたいだったけど。



とにかく寒い。寒いのはダイキライだ。
●今日も外出はしなかった。そして南国音楽に逃避する。島の音楽その2。


ハワイ音楽。
●一昨年イモウトが結婚して海外ブライダルとして旅行したのが初めてのボクのハワイ体験。ハッキリ言ってソレ以前までこの島のコトを見くびっておりました。芸能人が紅白出た後成田空港からポンポン遊びにいく島っつーイメージ。しかし実際に行ってみると、奥ゆかしい文化と歴史にふれてメチャメチャ楽しんだという印象。例によってクソみたいにCD買ったしね。現地で買ったお気に入りのCDを人に奨めようと、最近日本のアマゾンで検索したら中古で7000円くらいしてビビった。現地じゃ11ドルだったのに。ハワイインディーあなどれねえ。

ディスクガイドシリーズ 27 HAWAIIAN MUSIC (デイスク・ガイド・シリーズ NO. 27)ディスクガイドシリーズ 27 HAWAIIAN MUSIC (デイスク・ガイド・シリーズ NO. 27)
(2007/01/26)
山内 雄喜

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「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES - HAWAIIAN MUSIC」
●このディスクガイドシリーズ、ジャンルに拘らずほとんど全部買ってます。勉強になるんだもん。今回もハワイの歴史からその多様な音楽文化を丁寧に解説してくれててとても勉強になりました。
●とてもピースフルなハワイの音楽にも、カリブ海アフリカ系音楽と同じような政治闘争/文化闘争の側面がある。アメリカ植民地支配と伝統文化への弾圧だ。ボクはどうしてもそういうポイントに拘ってしまう。

ハワイの歴史をチョー簡単におさらい。
●かの有名なキャプテン・クックハワイ「発見」したのは1778年。この異文化との接触がキッカケになって、1795年、カメハメハ大王ハワイ王朝を起こす。しかし、続く19世紀はハワイにとってヨーロッパ列強からの様々な干渉によって混乱する厳しい時代になる。そして1898年。ハワイはアメリカによって政治的に併合される事となる。
●文字文化を持たなかったハワイ人にとって「フラ」は口承文学であり、儀式音楽である。アイヌにとってのユーカラみたいなモノといっていいのかな? 古代ハワイの価値観、美学は「フラ」の中に残っている。フラダンスに代表されるハワイ音楽特有の美しいハーモニーは、ヨーロッパ文明とともにやってきたキリスト教宣教師の賛美歌から着想したモノらしい。しかしキリスト教はハワイ古来の信仰を邪教として排除したのも事実だ。基本半裸だったハワイ女性は、野蛮だということで宣教師から服を着ろと強要された。それが現代ハワイの代表的衣装、ムームーの由来だ。19世紀の一時期にはキリスト教の立場から「フラ」そのものが禁止された。古代ハワイ文化の多くの部分がここで消滅した。世界史の中でキリスト教は不寛容な愚行を度々繰り返す。

ハワイの楽器。
ハワイでおなじみのウクレレは、ヨーロッパからの外来文化がハワイ化したものだ。ボルトガルの伝統楽器ブラギーニャというモノが移民を通じて渡来、これをハワイ流に作り直した物がウクレレだ。
●メキシコから移民してきた牧畜業者(カウボーイ)たちはギターを持って来た。しかしメキシコ移民の連中はギターこそ持って来たが、ギターのコード設定なぞは教えずに帰国してしまったから、ハワイの人々は自分たちで勝手にコードを作ってしまった。これもハワイ音楽の代表格、スラックキー・ギター、スティールギターの元祖となる。スラックキーとは「緩んだキー」という意味で、プレイヤーごとにオリジナルチューニングを編み出し、我流の音楽を作った。
●政治的独立を奪われて、宗教的自由も失ったハワイの人々は、移民のもたらす新しい楽器で新しい音楽を密かに培った。異文化との対立と習合が現代ハワイ文化を構成したのだ。

ハワイ文化の復興。
●20世紀に入ると航空技術が発達しハワイ航路が就航。アメリカ本土でハワイ観光ブームが始まる。1920年代〜50年代は、いわゆる「エキゾチックで南国っぽい音楽やってよ」的ノリでハワイ音楽がステロタイプに押し込まれた時期だ。本来宗教的意味を持つフラダンスが、猥雑な見世物として消費された。最近でこそこの時代の音楽も再評価されようとしているが、矮小化されたハワイ文化は荒廃の一途をたどっていた。
ハワイ・アイデンティティが、地元の人々によって復興するのは1970年代からだ。世界的な潮流として帝国主義/植民地主義への反省が起こり、ローカルの文化が見直された時期だった。ハワイ語、ハワイ古来の文化やハワイで育った音楽が正当な評価をされ、息を吹き返した。1980年代にはレゲエなどの影響も伝播し、アイランドポップスと呼ばれる新しいスタイルも生まれる。1990年代には、ハワイ発祥のマリンスポーツ、サーフィンをバックボーンにしたアーティストも数々登場、サーフ系ライフスタイルを提示する。そして21世紀、ハワイ音楽はさらに進化を続けている。
●現代ハワイの人口比率の中で、純然たるハワイ系先住民はたったの7%弱しかいない。白人が24%、日系を含むアジア系が40%を占める。しかし人種を超えてハワイ文化は熟成されている。黒人じゃなければラップできないわけじゃないように、ハワイ文化もそれを尊重する者の前に大きく開かれており、新しいハワイ人によって推進されてる。それは素晴らしい事だと思う。

個人的新着ハワイ音源。

Best of Sistah RobiBest of Sistah Robi
(2001/06/21)
ロビ・カハカラウ

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ROBI KAHAKALAU「BEST OF SISTER ROBI」1995-2001年
●彼女は、ドイツ人とハワイアンのハーフ。ドイツ生まれで少女時代をドイツで過ごすが、ハワイ文化にのめり込み90年からハワイでバンド活動を始め95年でソロデビュー。97年には「フラのオリンピック」とも言われる NA HOKU HANOHANO AWARD で最優秀女性シンガー賞を受賞した。
●このナ・ホク・ハノハノ・アワードハワイではスゴく重要なお祭りらしく、様々なジャンルのダンサー、ミュージシャン、アーティストが集まりテレビで大々的に中継される毎年のビッグイベントらしい。一度見てみたいもんだがチケットも熾烈な争奪戦でそうそう手に入らないという。何らかの賞にノミネートされるだけで、そのアーティストのCDには「NA HOKU NOMINEE !!」ってステッカーが貼られて平積みにされる。
●ドイツからやってきたというだけあって、彼女の音楽はマルチカルチュアル。オーセンティックなレゲエや欧米ポップスのニュアンスを取り込んだ作風で非常に聴きやすい。しかし軸にはハワイアンのスタイル(ハワイ語の歌詞だったり、美しいハーモニーワークだったり)がビシッと通ってて、リラックスして聴ける。ギターも上手。そして美人さん。3枚のアルバムをリリースしており、この日本企画盤ベストはその3枚の抜粋なのだが、コレ以降は音楽活動は休業、ハワイ文化の研究に専念しているとのこと。こうした新世代が未来のハワイを支えるのだ。

サンデー・モーニングサンデー・モーニング
(2002/07/24)
ジェイク・シマブクロ

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JAKE SHIMABUKURO「SUNDAY MORNING」2002年
●日本での知名度をグングン上げている天才ウクレレプレイヤー、ジェイク。彼は名前の通り日系人だ。ハワイ州の中で日系はなんと16%を超えるマジョリティだ。アロハシャツは今やハワイ人の正装だが、起源は日系人が日本の着物を素材にシャツに繕い直したコトだという。現代ハワイ文化には日本文化すらがタップリと溶け込んでいるのだ。
日系でありながら、日本語はほとんどダメ。(「ヨロシクオネガイシマス」とかのご挨拶はバッチリだけど…)生粋のハワイピープル。そんな彼はそのハワイの内側からウクレレを武器にハワイ文化の限界を押し広げたイノベーターだ。彼のウクレレのロック・アプローチや、クラシックギター、スパニッシュギター的なアプローチは、ウクレレの表現能力の可能性を広げたと思う。最近はナッシュヴィル・レコーディングを試みるなどメインランドでの活動も活発化。トレードマークのメガネはなくなっちゃった。LASIC しちゃったんだって!
●本作はそんな彼が日本デビューを果たしたファーストマキシ。日本で脚光を浴びたのは、ハワイ沖で起こった「えひめ丸」沈没事故に対しての楽曲を制作しチャリティを行ったのがキッカケだという。多彩な芸風はもうココで見えてますよ。

Def Tech presents Jawaiian Style Records WaimeaDef Tech presents Jawaiian Style Records Waimea
(2006/06/28)
オムニバス、SAKURA 他

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VARIOUS ARTISTS「DEF TECH PRESENTS JAWAIIAN STYLE RECORDS - WAIMEA」1991-2006年
DEF TECH の登場は衝撃的だったねえ…。解散は返す返す残念だと思う。日本にいる百凡のヒップホップアクト、レゲエアクトを完全に突き放す圧倒的なオリジナリティだったもんね。職場の後輩が「アイツらヤバいっすよ」って教えてくれて、速攻で横浜HMVのインストアライブに行った記憶がある。サーフカルチャーというライフスタイルと、ジャワイアン(またはハワイアンレゲエ)というスタイルを、日本の一般大衆(紅白歌合戦出場!)に一気に浸透させた。立派です。
●で、彼らの選曲で編まれてるこのコンピもボク的にはハッとする新鮮な経験で痺れました。ハワイ現地では漠然と「アイランドポップス」ってカテゴリーで括られてて、正直よく見えなかったジャワイアン。それを分かり易く紹介してくれてる。
ジャマイカとハワイアンという言葉を単純に合体させてるようだけど、ハワイアンのユニークネスの光り方が違う。今のダンスホールレゲエにある刺々しさ、ルードボーイな野蛮さはココでは控えめ。平和と調和とサーフィン、美しいアコースティックギター(ウクレレ)がある。
MICRO OF DEF TECH のおススメは、爽やかな風を感じさせる美しい歌唱の青年 JUSTINVAN MORRISON のカバーまで収録してます)。ルーツレゲエに軸足を置く HO'ONU'A、BABA B もよし!PALOLO ってバンドのギターさばきがたまんない(MAN AT WORK のカバーしてます)。JAKE SHIMABUKURO も収録。そして DEF TECHJAWAIIAN MIX。こりゃイイ買い物したね。



次の島は、オキナワ。

チャンプルーズ

喜納昌吉&チャンプルーズ「喜納昌吉&チャンプルーズ」1977年
キャプテン・クックハワイ「発見」したのと似た意味で、喜納昌吉オキナワ音楽も本土の人間によって「発見」された。久保田麻琴と細野晴臣だ。この「発見」という言葉には皮肉を込めているんですよ。ハワイ喜納昌吉も最初っから確固たる存在を確立していたのだし、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したっつーハナシと同じようにナンセンスなことだ。「発見」される方から見りゃよけいなお世話だ。
久保田麻琴細野晴臣は、ご存知の通り、日本のロックのパイオニアだ。なんてったって「夕焼け旅団」「はっぴいえんど」だ。彼らは欧米の音楽を深く研究し、その周辺のルーツミュージック(ニューオリンズなどなど)まで研究し、ワールドミュージックまで到達した。細野さんの70年代は「トロピカル・ダンディ」「泰安洋行」などエキゾチックにご執心だったし、久保田麻琴ハワイ音楽に夢中になりつつあった。そんな彼らが世界を大きく迂回して、自分たちの足下にあった日本のエキゾチシズムに価値を見出した。それがオキナワだった。彼らによって見出されて、喜納昌吉&チャンプルーズは本土デビューを果たした。

●さて、当の本人、喜納昌吉は、沖縄伝統音楽の権威、喜納昌永の四男として生まれながらも、父親からの音楽教育をガンと拒んだひねくれ者。ベトナム戦争の中継基地オキナワ、死地へ向かう若き兵隊のヤブレカブレなドンチャン騒ぎに湧くコザの町に育った昌吉には、アメリカ文化はどう映ったんだろう。大学は中退、大麻所持でトッ捕まり、沖縄日本返還は刑務所の中で迎えた。
●自分が経営する民謡酒場を中心に、彼が鳴らし始めた音楽は、沖縄民謡をエレキ化してドでかい音に仕上げたバンドサウンドだった。沖縄民謡の大家の息子が伝統ある島唄を汚すか!と激しいアゲインストもあった。しかし彼の若々しいアイディアと不屈の反骨精神、カリスマ性が徐々に支持を集める。
●彼の最初のヒット曲が「ハイサイおじさん」志村けん「へんなオジさん」でギャグ化して、全国のキッズまでに普及したフレーズだ。でもその内容は沖縄の祝祭グルーヴをロック化したもの。リリックは第二次大戦でアタマがオカシくなっちゃったアル中のオッサンの話で、痛烈な風刺を織り込んでる。これに惚れ込んで久保田らは昌吉を本土へとフックアップした。
●現在の昌吉は民主党所属の参議院議員。参院第一党の国会議員だ。日本の辺境からやってきた彼は、今でもこの国の中央へグルーヴにくるまったエネルギーを送り込んでいる。


大城志津子

大城志津子「大城志津子の響ち 独唱集7」1971、1980年
オキナワ民謡酒場。ボクがそんな場所に行ったのは2002年の秋だった。
●この年の11月、沖縄海洋博記念公園の水族館がモデルチェンジして新装「沖縄美ら海水族館」が開館した。ボクは仕事でこの水族館オープンにちょっぴり関わり、この素晴らしい水族館をタップリ(裏側もコミで)堪能させてもらった。
●ここの名物は世界初で初めて人工飼育に成功したジンベイザメ。世界最大の魚類ジンベイザメがゆったり泳ぐ姿はホントに神々しい。飼育員さんが水面にオキアミを撒くと、ソレを吸い込むためにジンベイザメは水面に対して頭を突き出して、水槽の中で垂直にそそり立つ。5メートルもの巨柱が目の前で屹立する。生命の偉大さに畏怖を感じる瞬間だ。
●そんな楽しい仕事の合間に、沖縄現地のスタッフが那覇の民謡酒場に案内してくれるというのだ。ボクは酒が一滴も飲めないクセして、スタッフ一同と共にくっついていった。「民謡クラブ・ハンタ原」というお店だ。
●平日のちょい遅めの時間。お店に入るとガラーンとして誰もいない。えっ?営業してない?と思ったら奥から貫禄満点のオバちゃんがのそーっと登場してきた。「お客さんドコから?」…えーと東京です、民謡酒場ってどんなトコかな〜とか思って…。「ああ、そう。」ボク完全に気圧されてます。オバちゃんはもう1人のオバちゃんと2人で一通りの料理とお酒(そしてボクにはシークワーサー・ジュース)を出してくれると、そのまま店の奥にあるステージに登って演奏の準備をし始めた。あ、このオバちゃんたちが歌ってくれるんだ…。
●オバちゃんたちは、自分たちでステージの照明をパチンとつけて、もぞもぞと楽譜らしきモノ(でも楽譜ではない)を用意し、三線を携えてスタンバイを整えた。ボクは多少なりともショーアップされたモノを期待してたので、このあまりに非ドラマチックな展開に大幅にズッコケた。このテンションのゆるさ。さっきまで「オリオン生で5人分と…」とかオーダーの話してた相手が、そのままヌルッとステージに上がって、それらしいキッカケもなく演奏が始まろうとしてる。オバちゃん「さて、お客さん。ナニから唄う?」え、ナニって聞かれても…分かんないっス。
●貫禄満点のオバちゃんは悠然としてて、ひたすらキョドるボクらを尻目に「それじゃコレいこうかね」とかいいつつ2、3曲早速ブチカマしてくれた。ただでさえ迫力満点なのに、唄い出すとそのボルテージはもっとスゴいものになった。しかしコッチにはリアクションの取り方も分からない。間の手の手拍子とか入れるモンかしらとか思っても、全然作法が分からないから、料理にも手を付けられずひたすら拝聴するしかない。
●オバちゃん「あー、そこの若い人」え、ボク?「あんた、こっち上がって太鼓タタキなさい」えーっ!できませんよそんなこと!「ダイジョウブよ、好きなようにタタケばいいんだから」好きなようにって…。「とにかく、ワタシらにあわせてトントンタタイてみんさい」ホントにトントン叩いた。トトントントンとか出来ればカッコいいかも知れないけど、出来ない。だってボク、ただ1人シラフだし。
●なんか知らんけど予想外の重苦しいプレッシャーの中で、2時間ばかりの演奏は終了した。さあホテルに戻る時間だ。オーダーをとり、飲み物食べ物を作り、そして唄を披露してくれたオバちゃんに、お勘定を支払った。ボク「あの、とってもオモシロかったです、やっぱ本物はスゴいなあと思いました」
●そしたらオバちゃん「あんた、島唄がオモシロいというなら、こういうのもあるよ」オバちゃんが出してきたのは、そのオバちゃん本人が唄い演奏したカセットテープであった。おお、そんなものがあるのか。2000円もした。おお。でも買っちゃった。おお。なのに家でカセット聴けない。完全にバカだね。その後6年ばかり寝かせられた上で、やっと今月初めて聴いた。それがこの作品だ。
●オバちゃん、いや失礼、この大城志津子さん、ネットで検索すると「沖縄民謡界のグレートマザー降臨!」と出てくるくらいのビッグネームだった! 7歳にして三線を手にし、今まで芸道一筋で歩んできた強者。しかも琉球民謡協会最高師範常任理事!マジ本物じゃん。
●拠点「民謡クラブ・ハンタ原」でのライブレコーディングでは、訥々としたMCなんかも入りつつ(「えー、今のはお客さんのリクエストでした○○というウタでした…」とか)、ボクが叩かされた太鼓が三線のグルーヴを増幅して奥ゆかしいエネルギーが生まれる。そこを滑るように唄いゆくグレートマザー。いや録音が1980年だからグレートレディぐらいなのかもしれない。最後は1971年の自宅録音という楽曲で締め。よりグルーヴィーでダンサブル。パーカッションに湯のみ茶碗を使うなど、現場感覚溢れるフィールドレコーディングの体裁をとってる。オキナワ、奥が深いぜ!


そして最後に、インドネシア・バリ島。

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ubud - gamelan

STSI (INDONESIAN COLLEGE OF ART)「THE CAMLAN MUSIC OF BALI」
SEKEHE GONG "SEMARA RATIH" UBUD - BALI「GAMELAN "SEMARA DANA"」
●ワイフのお父さんが、去年二回目のバリ島旅行に行った折、おミヤゲで購入してくれたものだ。ワイフがバリ島旅行(ボクは病気で不参加)で買ってきたCDは、ちとユルいポップスだったが、今回お義父さんは完全にオーセンティックなガムラン音楽を買ってきてくれた。これがもうドンピシャだった。
三木聡監督の映画「ダメジン」では、インドはいいよ〜とそそのかされたバカ3人組が「インドってどんなトコ」といってインドネシア料理のご主人を困らせる。「『インド』ト『ネシア』ハゼンゼンチガウヨー!」そう、インドとネシアは全然違う。
インドネシアは1万7500もの島と2億4000万人の人口を抱える大国である。イスラム教人口は世界第一位、その一方で300以上の少数民族を抱える多民族国家。公用語はインドネシア語だけど、島によっちゃ全然通じねえくらい多様な文化がひしめく。もちろん物騒に独立運動してる地域もある。
バリ島が、ヒンドゥー教を信じる特殊な島だというのはご存知の通り。インドのヒンドゥー文化を独自に進化させてきた。ガムラン音楽もお隣ジャワ島の文化と結合した成果だ。青銅製の鉄筋や銅鑼を伝統的な特殊音階で鳴らす。
●昨今は人気リゾートのイメージが強いバリだが、ガムラン音楽をリゾートホテルのラウンジミュージック、癒し系音楽だと思われるのは大きな間違いだと思う。ボクの頭の中では、ガムラン音楽は、ミニマリズムな現代音楽から、フリージャズ、サイケデリック、ゴアトランス、そして THE VELVET UNDERGROUND までを連想させる。
●10年以上前に、ガムラン音楽を浅草の方のお寺の本堂の中でプレイするというコンサートを観に行った。30人ほどのインドネシア人演奏家が民族衣装を身にまとい、仏像の前で楽器をゾロリと並べた様子はホントに壮観だった。お寺というシチュエーションは音響的にも不思議に作用し、お線香の匂いがより感覚を研ぎすます。
ガムラン音楽は長い。CD収録曲も平気で10分越え、長いモノは20分越えする。ライブは40分間ほぼノンストップだった。30人の打楽器奏者がたたき出すリズムは複雑なポリリズミック構成かつ超高速ビートで、その意味では STEVE REICH のようなミニマリズムにも、テクノ/トランスにもつながってる。
●しかし、ガムランは海の風が突然その向きを翻すようにドラマチックに展開する。全然先が読めない。波のように大きく高まったり、さあっと潮が引くように静まったりする。この先の読めなさは、聴くモノにとって完全にフリージャズの感覚なのだか実は決してそうではない。どう見ても演奏家にアドリブを許すスキマはなく、完全なアンサンブルとしてカッチリ構成されているらしい。40分以上にも及ぶ演奏を楽譜も指揮者もなく、鉄壁のグルーヴを維持しながら、正確無比なタイミングでダイナミックなアンサンブルを成立させる。スゴい!
そして激しく打ち鳴らされる金属音。無数の鉄琴や銅鑼や金属製の太鼓とか、その他もろもろはみんなちいちゃなカナヅチみたいなモンで叩かれている。完全なアンプラグドだが、それは中途半端なエレキ楽器を凌駕するパワーを放つ。なんか知らんが、THE VELVET UNDERGROUND の代表曲「WHITE LIGHT / WHITE HEAT」を連想した。あの曲も無愛想にギターをガキガキ鳴らし続ける轟音ロックだ。
ガムラン音楽は、村人全員が演奏者として参加しないと成立しない大人数バンドで演奏される。つまり、地域のコミュニティが成立していなければ、演奏も技術の継承も成立しない。楽器も村それぞれでカスタムされたモノなので、お金に困って楽器一個でも売却されたら、アンサンブルが成立しないことになる。観光化することで、演奏家の村が演奏を続けていける環境ができれば幸いだ。2枚目のCDは観光客向けに毎週月曜の夜演奏会を行ってるウブドという村の音源だ。そうでもしなければ、出稼ぎなどの人口の流出、技術の継承者不足でガムランは滅びてしまう。
●一方で、国立大学のような場所でプロの演奏家を養成しているケースもある。それが一枚目だ。「INDONESIAN COLLEGE OF ART」がどんな教育機関かボクは分からないが、高等教育を受けたプレイヤーが新曲を書き下ろす機会もあるようだ。多民族国家の体裁を保つ上でも、多様な伝統文化を保護育成するのは国家の目的に沿うものなのだろう。
●とにかく、一度リゾートミュージックという偏見を取っ払って、ガムランに対峙してみて下さい。きっと新しい発見があるはずです。


●前回の「島の音楽その1」は下記のリンクです。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-337.html

 
自律神経失調症とのお付合い(その36)〜「やっと会社に戻る日程決まる」編
●木曜日の朝、身支度を整えながら、自然とフンフンとハナウタを歌っている自分に気付いた。なんだかワクワクしてる。「次のステップに進む」単純にそんなことが素朴に楽しみだ。新しいナニかに立ち向かう時、いつもボクはそんなワクワクを感じている。

この日に、今年2回目の会社診療所カウンセリングに出向いた。
結果から先に言うと、やっと会社に戻る算段がついた。去年7月から半年以上が経過してやっと復社できる。ただし、様々な制限つきだ。

制限つき復職のルール。
●出勤開始は2月4日月曜日。
勤務時間は3時間だけ。午後1時30分から午後4時30分。遅刻厳禁、残業厳禁。これは通勤訓練で、会社まで来るチカラを確認する作業。
●位置づけはあくまで復職リハーサル。よって正式な勤務とは見なされない。休職以前の職場復帰はまだダメ。自分のデスクにも、スタッフルームにも近づいてはいけない。職場の人間とも積極的には接触してはならない。
ボクが向かうのは、会社診療所の事務室。そこの空いているデスクとPCで、社内の環境に馴染むのが目的。それ以上の業務はしない。時に診療所事務のお手伝いくらいはすることがあるらしい。そうでもしないとヒマすぎる。
●それでも、廊下などで様々な関係者と出会うのは免れない。コレをうまく処理するコトができるか確認するのも重要なポイント。
●2週間おきのカウンセリングは今後も続ける。状況の経過にあわせて、カウンセラー、心療内科の主治医と連携しつつ、勤務時間を徐々に伸ばしていく。フツウのサラリーマンと同じように、午前10時〜午後6時の8時間勤務ができるようになるまで、診療所生活が続く。
●そこから先は、まだ謎! あわててもしょうがない。多分、8時間勤務回復まで、3月いっぱいまでかかりそうだ。元の職場までの完全復帰は一体何時の事やら。


診療所事務室にご挨拶。
●カウンセラーとのハナシが一区切りついてから、ボクは切り出した。「すいません、ぼくがお世話になる場所をみせてもらってもいいですか?」「そうねえ、じゃあいらっしゃい!」この一年に渡りボクを哀れなコドモのように甲斐甲斐しく面倒見てくれている、とっても世話焼きの看護師Nさんが、テキパキと案内してくれた。
●カウンセリングルームの奥の扉を開くと、こざっぱりとしたオフィスが現れた。そんなに広くないが、広い窓から明るい日差しが差してる。いくつかのPCやコピー機が置いてあるが、ここの常駐スタッフは看護師Nさん含めて三人。でもNさん自身はパタパタ色んな所に出歩いているからほとんどこの席には座ってない。残りの保健師さん二人がこの部屋の主だった住人という。Nさんは「あの人が○○の××さん、この人が△△の□□さん、よろしくね」ああ、そんなに早く紹介されても、名前覚えられないよ…。「あの、すんません、2月からお世話になります」そうとしか言えないっす。
●事務室のスタッフの方々は、ボクみたいに壊れてしまった人間には馴れッコらしい。壊れた人間がココでリハーサルを積んでゆっくり職場復帰をしていくのは全社的慣例で、多くの人間がココを通過していった。Nさん曰く「みんな全部分かってるから大丈夫よ。テキトーにアナタを使ってくれるわよ」。お手柔らかにお願いします。
●ボク「あの、今もボクみたいな人が他にもいたりするんですか?」カウンセラーのセンセイが口を挟んだ。「うーん、今はいない。でも、これから来るかも。でもそれはナイショ」ああ、そうですか。守秘義務ってヤツ。でも2人も壊れかけがいたらウゼエだろうな。
●とにかく、ボクはこれから、この診療所事務室と言う名の「座敷牢」に閉じ込められるというわけだ。「シェルター」といってもいい。ボクのカラダに異常が再発しても安心できる環境ということだ。そんでボクの新しい冒険はココから始まる。


今日は心療内科の診察があった。
●大ショックな事実が一つ判明。先生「そろそろオハナシしないといけないと思ってたんですが…、あのワタシ、2月イッパイでコチラの病院を辞める事になりました」えーっ!マジすか!? 聞く所によると、女医であるこのY先生、第二子妊娠でお休みに入るとのこと。実はコッチのクリニックはバイト的勤務で本来は全然別の病院の所属。本来の病院では産休扱いにするけど、子供の面倒も考えてバイトのクリニックは辞職するとの事。おお、去年2月から一年間ズーッとお世話になってたこの先生、いなくなってしまうのはとっても不安だよ〜。
●先生「unimoさんが会社に戻るこのタイミングに主治医が交替というのはホントに申し訳ないんですけど…」ボクは年齢も近いこの女医さんのホンワカした癒し系オーラにかなり助けられてた。出来れば最後まで面倒見てもらえたらと思ってたけど…、でも赤ちゃん生まれるんじゃあ、しょうがないもんな…。今後の引き継ぎはキチンとやってくれると約束はしてくれたが、一個だけ注文をした。
●ボク「あの、ボクは、心療内科ってモンにお世話になるのが今回が初めてなわけでして、だからセンセイ以外のお医者さんも知らないんですよね。ただセンセイとのイメージが強いのかもしれないんですけど、直感的に感じるのは、オンナの先生の方がノビノビとハナシができるんです。男性だとどうしてもオトコ同士として張り合ってしまう感じがあって…。できれば後任も女性の先生にしてもらえませんか」男と女と比べると、どうしても微妙に雰囲気が変わってしまう。男性が相手だと、ボクは自分の不安を隠してしまうのだ。
●元から基本的に安請け合い系で、頼まれたら「お安い御用」と言ってしまうボクは、男性が相手だと安易に「もう大丈夫っすよ」とか言っちゃう。言わないと「負け」のような気分になるから、明るく振る舞って笑い飛ばしちゃう。だから会社も友人も、コイツのドコがおかしいんだ、と思ってる人はスゴく多いと思う。見た目では完全に平気と振る舞ってしまう。本当にボクが崩壊してる現場を知ってるのはワイフだけだから。先生「それはわかります。会社こそ男性社会ですから。女性の方が細かいお話をしやすいとハッキリ感じてらっしゃるなら、そうしましょう」ありがとうございます。


健康状態は、比較的良好。右肩、背中の痛みだけがどうしてもぬぐい去れないが、反対に言えば身体的苦痛はそこだけだ。対策もわかってる。鍼灸治療と朝の半身浴、ラジオ体操と蒸気パワーの温湿布で患部を温めればいい。
体力の低下はなお著しいが、散歩の距離は少しづつ伸ばせるようになってきた。今週は、電車で国立まで遠征した。これは電車移動ではココ半年での最長不倒距離、K点越えだ。結婚式を挙げる同僚への贈り物を入手するのが目的。1950年代のファイヤーキングの食器を選んだ。デッドストックのファイヤーキングで、ココ以上の美品を扱ってる専門店を首都圏近辺でボクは知らない。
最近は耳鳴りが気になる。でも以前も感じていたがそれどころじゃなかった状況が終わり、小さな問題が目立ってきただけのような気がする。
睡眠だけが不安定だ。決まった時間に就寝/起床する習慣作りをしたいと思っているが、思うように調整できない。どうしても夜中3〜4時に目を覚ましてしまう。そこから二度寝をすると今度は9時過ぎまで起きられない。ボクはコドモと一緒に7時に起きたいのに!
あとは、連日の悪夢だ。前は夢なんか全く見なかった。夢を見るほどの睡眠時間がなかったからね。今は中途半端に寝る時間が伸びたから、イヤな夢を見まくる。殺し合い、怒鳴り合い、恐怖と憎悪、負の感情が爆発するタイプの夢で、金縛りまでセットでついてくる。目覚めは極悪。先生「怒りの感情が隠れてるんですね…」あ、なんか心理学っぽい、そのフレーズ!


そしてコドモたち。
●パパ、2月から会社に行くコトにしたよ。ちょっとづつ元気になってきたからね。ヒヨコは明るく笑って歓迎してくれた。ノマドはちょっぴり残念そう。「大丈夫だよ、しばらくはノマドの晩ゴハンの時間には帰ってくるから、将棋だって本読むのだって一緒にできるから」だから今日も一緒に将棋を差した。「ノマド、今日は、将棋のお城の組み方を勉強しよう。この表に三つのお城が書いてある。穴熊囲い、美濃囲い、矢倉囲いだ。穴熊の組み方覚えようぜ」


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html

 
先日またまたお芝居を見てしまいました。

劇団鹿殺し

劇団鹿殺し「百千万(ももちま)2008改訂版」@下北沢駅前劇場(1月17日)
「鹿殺し」…。なんと殺伐とした名前だろう。フライヤーからも匂う奇妙な邪気。またまた何の予備知識もなく、雰囲気だけでボクは劇場に足を運びました。寒い日の夜の公演、先月から観始めたボクのちっぽけな演劇経験の中で、一番当日券の行列が長かったです。人気あるなあ…。「場合によっては立ち見になりますのでよろしくお願いします」整理券を渡されながらそんなコトを言われる。…あんな狭い劇場で立ち見は酷だ…病気のカラダじゃ無理、そしたら撤収するしかない。開演ギリギリまで待たされてキャンセル席に案内されてみたら、前から2列目、花道の隣、とんだカブリツキの席になっちゃった。芝居のルールがまだよくわからんボクは、ドキドキして精神安定剤を一粒口に放り込むのでした。

●舞台は、福井県美浜、原子力発電所の町。謎の核爆発事件から十年。その年に生まれた主人公の少年の名は「エンゲキ」放射能の影響で肥大化した脳ミソがカリフラワーのように剥き出しされてる。腹からは長い臓物が飛び出しカラダ中に絡み付いている始末。生まれながらに呪われた姿を持つ少年「エンゲキ」は、父親によって閉じ込められていた床下部屋を飛び出し、初めて外の世界へと旅立つ…。

芝居を前の方の席で観るってのは、芝居に巻き込まれてもしょうがないってコトなのね。役者がブッ!って吹き出すキタナい水が飛んでくるし、舞台の上に引っ張り上げられたり、得体の知れない液体をフラスコで飲まされたりするんだ…。役者さんに素の小声で「…飲んで下さい」って真顔でいわれたら飲むしかねえよね。ボクの隣のオジさんは、ヤリを持たされて役者さんを1人刺し殺していた。ボクはアメ玉を握らされて役者にぶつけてくれといわれた。投げても投げてもどんどんアメ玉がまわされてくる。なるほどねえ〜。

●醜悪だが無垢な「エンゲキ」の冒険は、自らの出生の謎へと近づいていく。初めての世界。初めてのおつかい。出会う珍妙な人々とのバカげた交流に爆笑しながら、「エンゲキ」が学び取る人生の真実が美しい。「ボクらは…素粒子でできている…みんな一つで、そして自由だ…」裸族のオトコ(ギリギリの肌着はマエは隠しても肛門は隠さない)が大マジメな顔で言う。

演劇ってモノは、炭酸飲料のようにシュワワワ〜ッと弾けて、カーテンが閉まると爽やかにドコかへ消えてしまう。登場人物の人生が目の前で弾けて飛び散って、でも客電がつくと雲散霧消してしまう。巻き戻し、チャプター再生の出来ない経験。ステキなセリフがサラサラと役者の口から溢れ出てそのまま劇場の空気に吸い込まれて消えてしまう、その気持ちよさを今回は感じた。気持ちよかった。

今回インパクトのあった役者さん。
●少年「エンゲキ」を醜くでも無垢に演じた背の低い女性、菜月チョビさん。今回の演出も担当している。ラーメンズ片桐さんみたいなボサボサ頭で大振りな活躍をしてた丸尾丸一郎さんもオモロかった。脚本はこの人。人を喰ったふてぶてしい存在感の政岡泰志さんは「動物電気」というトコロからの客演らしい。谷山知宏さんも田島貴男似のイイ顔なのにブチ切れててよかったっす。絶対ドロドロしてんだろうな、とか予想してたけど、スゴくエネルギッシュでハッとさせる工夫も満載で、メリハリがあって痛快でした。


●心療内科の女医さんがボクに聞く。「なんでそんなにお芝居なんですか?」ホントに先月からです。それまでは観劇なんて仕事がらみ以外はほとんどないも同然ですよ。たまたまシモキタザワに住んでるってのが一番ですね。それと、今観ないと一生観ないような気がするんで。あと、やっぱ楽しいからです。


そんなシモキタザワを舞台にした映画。

男はソレを我慢できない デラックス版男はソレを我慢できない デラックス版
(2007/03/09)
竹中直人、鈴木京香 他

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「男はソレを我慢できない」2006年
●監督:信藤三雄コーネリアスからピチカートまで、渋谷系アーティストの名作ジャケットデザイン、名作PVを数々手掛けた伝説のオトコ。
●出演:竹中直人/鈴木京香/小池栄子/ベンガル…多々いい味出してるキャスト、チラリの豪華カメオ出演満載、監督の人脈を濫用し過ぎ。これは本編見て楽しんでもらった方がいいでしょ。こんな人まで出てくんのかよって。
●故郷・下北沢にフラリと帰ってきた自称DJのタイガー(竹中直人)、実家の団子屋には妹チェリー(小池栄子)。これってフーテンの寅さん&妹さくらの構造だよね。そこに現れるはマドンナ鈴木京香。シモキタザワにソープランド建設計画が持ち上がり、ソワソワするシモキタ男子一同が、マドンナの一喝で反ソープ闘争を実施する。でも「男はソレを我慢できない」…。
●ワイフと2人で、ああココって駅前のアソコだよね、このお店はあそこにあるヤツだよね、とシモキタザワチェックを画面の中で楽しみました。信藤三雄らしい編集の小細工も満載、ワタナベイビーの立派な役者ぶり&歌いっぷり、南口商店街入口のゲーセン屋の娘として育った小池栄子もノビノビしてましたよ。

下北沢うさや

●ロケで使われたセットはまんま残されてバーに改装されてる。下北沢駅前市場の入り口にデーンと構えてる。「まんじゅう お団子 御菓子司 うさや 大正十三年創業」


でも下北沢は、今、再開発の波にさらされてるのです。
●下は「小田急電鉄小田急線(代々木上原駅〜梅が丘駅間)連続立体交差事業および複々線化事業の概要」(BY 東京都 世田谷区 渋谷区 小田急電鉄株式会社)というパンフレットからの引用です。下北沢エリアは町を横切る小田急線が完全地下化して開かずの踏切がなくなり、大分スッキリする予定。しかし、同時進行で大きな道路計画が始まっているのです。コレがちょっと納得がいかない。

シモキタザワ再開発
 
赤のラインが地下化する小田急線の線路。跡地利用はなんだか不透明でよくわからん。黄色のラインが、問題の新しい道路計画。下北沢の商店街地域をぶち抜く乱暴なプランだ。黄色にアミカケになってるトコロは、駅舎にすんだかバスロータリーにすんだかのつもり。ここに、駅前市場は完全にスッポリ収まってる。
●下北沢を代表する劇場「スズナリ」も再開発で道路の下敷きになる運命となっている。個性的なミニシアター「下北沢シネアートン」や、これまたひねくれた古本屋「古書ビビビ」があって、ボク的にはなくなるととっても悲しい。
●小田急線が地下化されるのは大歓迎だが、その後に大型車両が闊歩するでかい車道が入ってきたら、また元の木阿弥じゃないか。下北沢は徒歩でくつろげる街だからこそその独特のオーラを培って来れた。それをわざわざ冷たいスキマ風を無理矢理差し込むなんてなんてナンセンスなのだろう。
●この「補助54号線」という道路は最終的に環状7号線まで突き抜けさせるつもり。山手通りから環七まで通貫する井の頭通りみたいなモンがもう一本ここに出来るわけ。あの井の頭通りの交通量がこの静かな町を分断するのは困る。コドモの通学にだって差し支える。
井の頭通りの増幅工事もスゴい時間をかけて、でもまだ半分しかできてない。山手通り富ヶ谷交差点〜大山交差点(東北沢)までが増幅しているが、そこから環七まではまだ買収が完了してない。中途半端な買収は街の風景を殺風景にするぜ。これが今後十数年この街を貫くのかと思うと気が重い。


今日のシモキタザワの風景。
●行きつけのカフェ「GOPAL」が椅子を全部モデルチェンジした。聞くと全部「チャーチ・チェアー」でキメてみたという。「チャーチ・チェアー」、つまり教会の椅子。全部色やカタチがちょっとづつ違う。ちゃんと聖書を入れるポケットがついてる椅子もある。ふーん。

ゴパルの椅子
 
●やはりよく行くカフェ、「+ADD CAFE」。その建物の3階にはあの悪名高い日雇い派遣業界最大手「GOODWILL」の事務所が入ってる。道を歩いてて、ふとビルを見上げると電気がついてる。あれ?「GOODWILL」全支店が最低2ヶ月の営業停止処分になったばかりじゃないか。わざわざガラス戸の扉の前まで行ってみる。中に人の気配。なんだよ、営業停止じゃねーじゃん。ホントにいい加減な会社だな。懲りてないよ。

godwill.jpg

関係ないけど。
●先週、「GOPAL」でお茶して店の外に出たら、南海キャンディーズしずちゃんが歩いてた。ホントにデッカかった。以上、芸能人目撃情報でした。

●カフェ「GOPAL」についての過去の記事はこちら。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-273.html
●カフェ「+ADD CAFE」についての過去の記事はこちら。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-275.html
 
 
公衆道徳に気をつけよう。
●バスの中で後ろの席のオジさんに「ヘッドホンの音がデカイ」って注意されちゃった。ボクはキレる若者ではないので「すいません」といって音量下げます。客観的にどんだけウルサいのか本人には分からないのですが、ボクはこの人生で既に4〜5回注意されてるから、よっぽどウルサいんだろな。ホントすいません。
●ある日終電近くの中央線、ギュウギュウの車内で酔っぱらい同士が怒鳴り合いを始めた。ウルサいな〜こりゃマナーとしてダメだろ〜、と思ってたら、トントンとソバのオジさんに肩を叩かれ「ヘッドホンうるさい」って注意された。ああ、あの酔っぱらいよりボクの方がウルサいのか。思わずちょっと笑いそうになった。ホントすいません。


ノマドが燃えている。ノマド・グラフィティ作品特集。
●最近ノマドのグラフィティ/ドローイング作品が冴えているので、思わず紹介しちゃいます。親バカでホントすんません。
 

ティラノサウルス

作品その1「きょうりゅうじだい」
●真っ赤なティラノザウルスを中心にたくさんの恐竜たちがトコロ狭しとジャングルの中をうろつきまわってます。ティラノの足下には水色のステゴザウルス、そして黄緑のトリケラトプス、水中には黄色のプレシオサウルスが優雅に泳いでいます。画面右側には青いクレヨンで首の長い長いブロントサウルスが描かれています。画面を生き生きと色彩が飛び交う、20世紀初頭のフォービズム絵画を連想させます。
●ノマドはバカなのか、画材として選んだ紙をバランスよく使う事が出来ません。描きたいモノが膨らみ上がると、ドンドン紙を貼り継ぎ合わせて作品を巨大化させます。この作品もご覧の通り大小様々な紙が貼り合わされて、A3版以上の大きさになっています。
さらにタチの悪い事に、その作品を勝手に廊下の壁に張り付けやがるのです。唐突に乱暴に、壁への影響など顧みずに作品を壁に張り付ける行為は、本質的にはヒップホップのグラフィティアーティストが地下鉄の車両に作品をボムするのと同じのような気がします。そして壁にボムされた作品は、ヤツの気分次第でさらに改訂され拡大延長されドンドン変容していきます。これも時間をかけて描き足された上での状態です。さらに全然関係ない画題が混入してきたので(右端にさらに紙が貼り足されてるでしょ)、訳が分からなくなる前に撮影記録しておきました。


アインシュタイン

作品その2「アインシュタイン」
●コレは、理解しやすい作品ですね。ズバリ、あのアルバート・アインシュタイン博士です。ノマドのロールモデルです。「アインシュタインはかせ(うちゅうはかせ)」「ほんとは、めがねはかけていません」宇宙飛行士に憧れるノマドにとってアインシュタインは天才科学者として最高の存在です。この博士の写真は、シモキタザワのメガネ屋「北沢めがね工房」のショップカードに過ぎないのですが、ヤツに見せたらいたく感動して、その日のうちに廊下にボムされました。ちなみに、博士のカードの左上にある四角い図形は、ノマドによる人工衛星の画です。
●我が家を訪ねるママ友達たちは、「あらー、ちゃんと壁に画を貼ってあげてるのね〜」とか言って感心してたりするのですが、我々親側からは貼ってイイなんて許可したことなんて一度もないんですよね…。壁、超汚れちゃってどうしよう…。


のまど解体新書

作品その3「人体図説」
●ボクは勝手に「ノマドの解体新書」と呼んでいます。ある日、クラスメートのナオヒロくんが「しょうらい、おいしゃさんになる」と発言したことに、ライバル意識を燃やしたのか、家に帰って突然ノートにサササッと描きつけました。何も参考資料を見ずしてフリーハンドで描いた割には、内蔵の雰囲気をうまく掴んでいて結構笑えます。「かんぞー」「い」「すいぞ」「しょちょ」「大ちょ」。肝臓と膵臓なんて渋い存在よくアタマに入ってたな。位置関係も大まかにあってるし。
●画面左の人体骨格図は、関節と筋肉のカンケイを説明しています。関節をまたぐように筋肉がついていてその伸縮で手足が動くのだと言いたいようです。微妙に違うんだけど、まあご立派でしょう。どくろべえサマな頭蓋骨がキュートです。


のまど砦

作品その4「ノマド砦」
実はノマド、今、戦国武将にハマりつつあります。なぜか学研の学習マンガで真田幸村の伝記をボクはヤツに読み聴かせてやっているのです。真田幸村とは渋い趣味だわノマド。真田幸村のお話には、猿飛佐助を始めとした忍者集団「真田十勇士」が登場くるトコロに引っかかったんだよね。そこを入り口にこの戦国時代に入っていったのですが、ヤツの関心は、戦闘の駆け引きや攻城の戦術、計略などの作戦に移ってきました。将棋を覚えた延長で、知略を尽くした攻防というものがオモシロくなっているようなのです。
●これはノマドが考えた難攻不落の砦だと言います。高い石垣の頂上に兵隊が陣取っております。石垣にへばりついた敵兵には、上から岩を落としてやる、といってます。石垣の上にはさらに高い櫓が組まれ、火縄銃を持った鉄砲隊が敵を狙撃します。石垣の上には小さな旗が立ち、その脇に横を向いて遠くを眺める人物がいます。ボク「ノマド、これはナニする人?」ノマド「これはね、おうしょう!」王将か!やっぱ将棋だな。


真田幸村

「学研まんが人物日本史 大阪冬の陣 夏の陣 真田幸村」
●実はこれ、ボクが小学生の時に読んでたモノ。25年くらい前の本か。実家に行った時、懐かしいから持ち帰ってきたのだ。そしたらまんまとノマドが引っかかった。親子だなあ。
 
最近はクソ寒い。寒いのはダイキライだ。
●で、今日は散歩もせず一日家に籠る。気分だけでも南国の島々へ。今日のテーマは島の音楽。

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カリブ海、ハイチの音楽から行きましょう。

Haitian Vodoo [12 inch Analog]Haitian Vodoo [12 inch Analog]
(2004/01/01)
Spirits of Life

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SPIRIT OF LIFE「HAITIAN VOODOO」2005年
ハイチはカリブ海に浮かぶイスパニョーラ島ドミニカ共和国と東西ハンブンコに分け合ってる国。宗主国フランスからの独立はメチャ早く1804年。1789年フランス革命での勢いに乗って、ここでも革命独立しちゃった。中南米初めての独立国家で世界初の黒人共和国。実にご立派な歴史だ。しかし、現在政権はクーデターなどなどで混乱し、ジャングルの乱伐で環境破壊も急速に進んでいる。世界でも最貧国にランクイン。世にもしんどい国になってる。
ハイチの文化で有名なのはヴードゥー教VOODOO とか VODOU とか HOODOO などなどと綴られる。この国のマジョリティは、奴隷貿易で連行されてきた黒人奴隷の子孫たち。生まれた土地も言葉も習慣もバラバラな寄せ集めの黒人奴隷たちは、支配者に隠れて自分たちだけの文化、宗教を新しい土地で生み出した。それがヴードゥーだ。永く狂信的なカルト扱いをされてきて、やっと公式に合法化されたのは1987年。数百年の時を越えてこの信仰のチカラは生き残った。
●中南米の黒人奴隷に根付いた民衆信仰はたくさんある。キューバサンテリア、ブラジルマクンバ、ジャマイカラスタ信仰だってその一つだ。どんなにアイデンティティを剥奪されようと、奴隷として人間性を否定されようと、その血と遺伝子に刻み込まれたリズムが、躍動感溢れるグルーヴとして発現してしまう。その逞しさは感動的だ。
●この音源は SOUL JAZZ RECORDS のスタッフが現地に乗り込み、本物の司祭と大勢の太鼓タタキ、女性シンガーたちを集めて録音したモノだ。沢山のドラムがドコドコ鳴らされ、司祭の呼びかけに男女の信者がユニゾンコーラスで応える。太古の血脈が身体の中から湧き上がるような力強さがある。その素朴さが苦難の時代をしなやかに乗り越えた柔軟なタフさを象徴してる。


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次はお隣の島、キューバ。

Afro [12 inch Analog]Afro [12 inch Analog]
(2006/10/30)
Tumba Francesa

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TUMBA FRANCESA LA CARIDAD DE ORIENTE「AFRO-CUBAN MUSIC FROM THE ROOTS」2006年
●黒人キューバ音楽の一流派「TUMBA FRANCESA」という言葉を英語に訳すと「FRENCH DRUMS」となるそうな。キューバ文化のバックボーンは、宗主国スペインとアフリカ黒人の文化。なんでフランスなの? それは前述のハイチ独立がポイント。ハイチの革命独立で、大勢のフランス系住民&解放黒人奴隷がキューバにやってきた。そんな彼らがもたらした影響がキューバ音楽には含まれているらしい。でも実際のトコロ、その影響は完全に溶け込みきってフランスのフの字も残っちゃいない。名前だけは昔の看板でやってますっつーこと。
●太鼓をドンドコ鳴らすのはヴードゥー音楽と同じのようだけど、タンバとかタンボラとか色んな名前の大小の太鼓が、よりハイテンポでラテン的な細かいニュアンスを加えてくれる。そこに女性のリードシンガーが朗々と歌を歌い、大勢のユニゾンコーラスが後を追いかけてくる。お祭りに鳴らされるこの音楽では、だれもがカラフルな植民地時代の衣装を着て舞い踊る。男性はフランス風の礼服で着飾り、女性はキレイなスカーフを頭に巻いてそれはそれは美しい。内ジャケの写真だけでウットリするわ。ヴードゥーには呪術を感じるが「TUMBA FRANCESA」には素朴の中に洗練が見える。
●これも SOUL JAZZ のCD。今回レコーディングに参加した TUMBA FRANCESA LA CARIDAD DE ORIENTE というバンドは、1862年解放奴隷たちによって設立された由緒あるチームらしい。明治維新の前だぜ。すげえ。


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ハイチ、キューバときて、次はジャマイカ。レゲエです。

Studio One KingsStudio One Kings
(2007/03/26)
Various Artists

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VARIOUS ARTISTS「STUDIO ONE KINGS」1967-73年頃
ジャマイカもイギリスを宗主国とした植民地で大勢の黒人奴隷が連行された土地。ここでもオリジナルの土着音楽が発生するのだが、今日これまで取り上げてきた宗教音楽やお祭りの音楽と違って、コレは20世紀の商業音楽。スカ、ロックステディ、そしてレゲエがこの島から生まれた。
●1950年代のジャマイカでは、ニューオリンズやマイアミといったアメリカ南部のラジオ局からジャズやR&Bが電波に乗って流れてきていた。お祭り好き、ダンス好きの島の人々はこれらの音楽で踊っておったが、何ぶんアメリカのレコードは入手が困難。ラジオだけでは限界がある。
●そこに現れたのが、CLEMENT "COXSONE" DODD という男。1959年、この島で初めてマトモ?なレコードビジネスを立ち上げて、自分たちの手で踊れる音楽を作り始めた。彼はミュージシャンじゃないのに、明白なヴィジョンを持ってジャマイカ産のユニークな音楽を制作した名プロデューサー。彼が作ったレコーディングスタジオがその名も「STUDIO ONE」。このスタジオがレゲエ史の中でなぜ神格化されているのか、これで納得して頂けたかな。全てはここから始まったのだ。
●彼の動きを口火に、多くの人々がスタジオを作り、レーベルを立ち上げ、サウンドシステムと呼ばれる野外ディスコで演奏、またはレコードをスピンした。50年代〜60年代にはR&Bの影響を吸って「スカ」が誕生、60年代〜70年代のソウル時代には「ロックステディ」へ進化、そして70年代のファンク時代にいわゆる「レゲエ」が成立する。アメリカの黒人音楽に強く影響されてるはずなのに、それがただのコピーにならず、独自の色が思い切り塗り込まれているジャマイカの音楽。ここにこの島の人々の強靭なオリジナリティと逞しさを感じる事が出来る。
●このCDに収録されているのは、初期レゲエ期の録音、COXSONE DODD とともにジャマイカ音楽の黎明期を支えた名シンガーの歌唱。まさしく「キング」と言われるにふさわしい人々。例えば JOE HIGGS BOB MARLEY のウタのお師匠さん。そんな連中ばっか。
COXSONE DODD のライバルとして激しく競い合ったジャマイカの重要人物を1人紹介しておこう。ARTHUR "DUKE" REID。彼も DODD とほぼ同時期からサウンドシステム&レーベル稼業を始めている。DUKE REID のレーベルは「TREASURE ISLE」。TROJAN RECORDS から凄まじい量のコンピが売られてる。残念ながらボクはコッチまでは網羅出来まへん。お金が続かない。

Soul Jazz Pr. Studio One Dub 2Soul Jazz Pr. Studio One Dub 2
(2007/07/02)
Various Artists

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VARIOUS ARTISTS「STUDIO ONE DUB VOL.2」1970年代?
「DUB」という言葉は完全なレゲエ用語っす。辞書で引けば「ダビング」という意味が出てくる。が、コレだけではいわゆる「ダブ」の意義は全くわかんない。
ダブは、超ザックリ説明すると、カラオケですわ。バンドとシンガー集めて一曲作ったら、アコギなプロデューサーは、ボーカルだけを抜き取って別のシンガーに別のウタを歌わせるという「名案?」を思いついたのだ。こうして使い回しされるようになった定番バックトラックを「リディム(RIDDIM)」と呼ぶ。歴史を超えて超定番になったモノは敬意を込めて「ファウンデーション(FOUNDATION)」とも言われてる。ダブは、こうした用途に使われるインストトラック。野外ディスコ「サウンドシステム(SOUND SYSTEM)」では、このダブをバックに DJ が勝手に節を付けてガナり、お客を煽った。この習慣が巡り巡ってラップ、ヒップホップの起源につながっていった。
●厳密に言うと、ホントにボーカル抜いただけのカラオケは「ヴァージョン(VERSION)」と言われてて、ホンマモンのダブとはちょい言い切れない。ダブは、ボーカルを抜き去った後に、スタジオエンジニアがアレコレいじくり回すトコロから面白くなる。この電気的処理の手法そのものが「ダブ」。具体的にはアタマ狂ってるんじゃないのってくらいにエコーやリバーブを響かせてトリッピーな音楽空間を作るコト。クサ吹かしてテープを土に埋める奇人までおったです。こうした発想が後に「リミックス(REMIX)」という手法に進化して全世界に普及。この小さな島国の音楽が全世界に与えた影響はホントに計り知れない。
●本作CDのダブは、70年代に花開く本格的なダブ時代の名作に比べると、正直原始的。あんまりダブダブしてなーい。オーセンティックなスタイルで知られる STUDIO ONEダブ時代の新流行とはズレてるんかな。DUB SPECIALIST という男がミックスを手掛けてますがコレは COXSONE DODD の変名。しかし、ダブ時代に活躍するプロデューサー、エンジニアの多くがこの STUDIO ONEで修業時代を過ごしたのも事実。OVERTON "SCIENTIST" BROWN、LEE "SCRATCH" PERRY などなど。
●実際の演奏をしているバンドも注目。基本はスタジオ付きのハコバンド。SOUND DIMENSION は名キーボーディスト JACKIE MITTOO が在籍してた。BRENTFORD DISCO SET ってバンドも出てくるががこれはボクには正体不明。でも BRENTFORD ROAD ってのは STUDIO ONE があった通りの名前で、2004年にその功績から STUDIO ONE BOULEVARD と改称された、というイイ話がある。

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VARIOUS ARTISTS「JAMAICA FUNK - ORIGINAL JAMAICAN FUNK AND SOUL 45s」1972-1978年
●アメリカのファンク、ソウルがレゲエの進化/深化に貢献したのは前述の通り、しかし宗主国イギリスとの関係がこの国に与えた影響も計り知れない。大量の移民がイギリスに出向き、コミュニティを作った。そこでイギリス国内の黒人音楽愛好家(モッズからパンクスまで)にレゲエは注目されるようになったのだ。新しい市場を得たジャマイカ音楽はさらに深化する。
●本作CDには JAMES BROWN THE TEMPTATION、EARTH WIND & FIRE、BILL WITHERS などなどソウルやファンクの巨人のカバーが満載。中にはイギリスで制作されたモノも。この時代になるとジャマイカとアメリカをまたいで活動するシンガーも出てきた。ボク的なフェイバリットは AUGUSTUS PABLO「AIN'T NO SUNSHINE」のインストカバー。渋いダブで心にジンワリ染みる。ソウルの名曲「PEOPLE MAKE THE WORLD GO ROUND」のカバーも染みるわ。

ドライ&ヘヴィー+マン・イン・ザ・ヒルズドライ&ヘヴィー+マン・イン・ザ・ヒルズ
(2004/06/23)
バーニング・スピアー

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BURNING SPEAR「DRY & HEAVY + MAN IN THE HILLS」1976,1977年
BURNING SPEARSTUDIO ONE からキャリアを起こしたシンガー。その後、ジャマイカ育ちのイギリス人 CHRIS BLACKWELL が立ち上げた「ISLAND RECORDS」へ移籍、1975年に名作「MARCUS GARVEY」を発表する。
●ここでちょっと寄り道。MARCUS GARVEY って誰? この人のコトはレゲエを聴く上では知っておいた方がイイっす。彼は20世紀初頭にジャマイカを拠点に黒人解放運動を繰り広げた思想家&活動家。奴隷制度により故郷アフリカから新大陸へ連行された黒人たちを、ユダヤ人のバビロン捕囚&海外離散になぞらえて語り、アフリカを黒人の手に取り戻せ、ヨーロッパの植民地主義を排斥しろと叫んだ男。言わばジャマイカのヒーロー。彼の思想が民衆レベルまでに浸透して生まれたのが、ラスタファリズム信仰。ラスタにとって彼は予言者なのだ。(彼自身はキリスト教徒で宗教を起こすつもりは微塵もなかったっぽいですが…)
●この通り、ラスタ信仰は20世紀に生まれた新興宗教。ジャマイカ人の中でも信者は10%程度。レゲエ=ラスタのイメージがどうしても強いのだが、決してレゲエラスタ思想だけを歌っているわけじゃありません。
●ただし、BURNING SPEAR に関してはその「燃える槍」の名の通り、そのメッセージは過激、ラスタの思想を体現し、同時代のパンクスにすら影響を与える存在になった。このCDは、その「MARCUS GARVEY」をリリースした後に発表した2枚のアルバムを束ねたもの。やはり、そのメッセージは底辺の人々から見上げた社会風刺の色が強い内容になってる。様々なディスクガイドが70年代の彼を絶賛してる。ルーツレゲエの全てがココにある、って位の賛辞で。
こんだけの予備知識をくっつけて、さあCDを聴こうと意気込むと、アナタは絶対ズッコケます。ふふふ。かく言うボク自身がズッコケた当事者です。どんだけ激しいシャウトが聴けるのかと思うと、ところがどっこいスンゲえノドカ。ハイパー超いい湯加減です。ホカホカです。ノンビリしたグルーヴに人の良さそうなオジさんのヨタヨタしたウタが温かく響くのです。このギャップ!ズッコケます。アタマデッカチな音楽の聴き方してるコトを痛烈に反省させられます。これがレゲエの奥深さ。メッセージが過激なら表現も過激か?それは我々の偏見。レゲエはもっとハートの奥深くで作用するのです。
ボクは「MARCUS GARVEY」を随分と寝かせましたね。ボクはよく分からない音楽に出会ったら、それが自分なりに理解出来るようになるまで寝かせておくのです。ワインみたいなモンですか。ピンとこねえやすぐ売っちゃお!はしません。CDを買ったのは8年前、数年かけてそのグルーヴのタフさにビリビリできる耳を育てるコトができました。
●そしてこのハイパー超いい湯加減なボーカル。タフなバンドの演奏に身を委ねながら、そのバンドの音を忘れて彼の声、コーラスに意識を集中するのです。すると、南の島の農場の風景が見えてくる。小作人のオジさんオバさんオニイちゃんオネエちゃんが額に汗して一生懸命働いている。キツい労働を少しでも紛らわせるために誰かがハナウタを歌い始める。つられて他のみんなもハナウタを歌い出す。畑を耕すテンポに合わせてゆっくりとしたウタがフワフワと生まれる。BURNING SPEAR のウタはそんな音楽なんです。こりゃボクの妄想です。でもだからこそ彼の声は民衆に愛されたのではないでしょうか。そう思うのです。

UprisingUprising
(2001/07/31)
Bob Marley & the Wailers

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BOB MARLEY & THE WAILERS「UPRISING」1980年
●さあ、ジャマイカの最大のヒーロー、レゲエ界の最高のスターの登場。BOB MARLEY。彼の音楽に人生狂わされた人々は沢山いるでしょう。彼も初めはCOXSONE DODD STUDIO ONE に出入りしてたシンガーだった。一時期はスタジオの隣の廃車の中に寝泊まりしてたというチンピラ。PETER TOSH BUNNY WAILER の三人で THE WAILERS を結成し、奇人 LEE "SCRATCH" PERRY の制作で多くの音源をリリース。それらの音源は珠玉の仕上がりで素晴らしいモノばかり。世界デビュー以降の彼の音楽よりもコッチの方がイイかも。
●一介のチンピラからシンガー、そして敬虔なラスタへと成長した BOB は、前述の CHRIS BLACKWELL に誘われ ISLAND RECORDS からデビューする。1973年、全世界にレゲエの名が響き渡った瞬間。CHRIS BLACKWELL はビジネス感覚に長けた男だったのでロックファンにもアピールするような細工も仕掛けたようだ。ISLAND はその後 U2 などのロックバンドまで手掛けるメジャーレーベルに大成長したし。
●そんな連中との付き合いにクタビレたのか1974年に PETER TOSH BUNNY WAILER は脱退。BUNNY WAILERはバビロンな乗り物・飛行機にも乗らないというハードなラスタ信者なので、世界デビューなんぞ無理ってわけ。THE WAILERS は、BOB とバックバンド、そして奥さんの RITA LEE を含んだコーラスグループ I THREE という編成になります。BOB MARLEY & THE WAILERS の誕生です。
●そんで、本作CD。ISLAND からリリースされた9枚目。ドメジャーな曲で恐縮ですが「REDEMPTION SONG」がやっぱり好き。救済の唄…。美しいアコースティックなナンバー。そしてファンキーな「COULD YOU BE LOVED」。そしてこの作品を発表した翌年、BOB は脳腫瘍を患い36歳で亡くなるのであった。

CITY HEAT

CITY HEAT「WORLD RUPTION」1980年代後半?
●このバンドは、その後R&Bテイストのレゲエを歌い国際的なシンガーになる DIANA KING が無名時代に在籍してたバンドの音源、世界初CD化っつー代物っす。義弟KEN5くんがくれたCDなんだけど、正直詳しい事がよく分からない。
DIANA KINGARETHA FRANKLIN みたいなシンガーに憧れて、13歳にして家出。観光地のホテルのバンドに潜り込み、お客の前でウタを歌って暮らしていたという。ホテルのバンドでは様々なジャンルの音楽を歌ったけど、レゲエはやらせてもらえない。そこで出会ったのがこの CITY HEAT というバンド。ティーンエイジャーの頃の2年ほどを、このバンドのシンガーとしてジャマイカ各地を回ったらしい。
●アメリカのR&Bシンガーのように奔放に歌う様は、とてもティーンとは思えない非凡な技術と根性を感じる。そこにヒンヤリと乾いたバンドのグルーヴ、ちゃちいシンセのオーケストラヒットとかが安くマブしてあって、実に80年代後半らしい気分が漂っている。当時のレゲエは、打ち込み主体の「コンピュータライズド(COMPUTERIZED)」というスタイルが出現し、ダンスホールレゲエの時代に突入している。それでも一応ルーツレゲエの体裁をとっているので、最初はUKレゲエなのかなとか思ったりした。この時代にはこの時代の味わいがある。レゲエってイイねえ。
●このバンドを抜けた彼女は、SHABBA RANKS の海外ツアーにコーラスとして同行したりしてる。SHABBAダンスホールレゲエでいち早く国際的評価を掴んだ男だ。彼女自身がブレイクしたキッカケは、冬季五輪ボブスレー競技にジャマイカのチームが参戦した珍事(実話)を描いた映画「クールランニング」のサントラに彼女の曲が採用されたコト。そしてソロアーティストとして活躍していくのでありました。


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次の島に行きましょう。トリニダード・トバゴです。

CHARLIES ROOTS

CHARLIES ROOTS FEAT. DAVID RUDDER & TAMBU「SAVANNA PARTY」1992年
●カリブ海をグルッと取り囲む島国たち。西はキューバから始まり、イスパニョーラ、ジャマイカ、プエルトリコ、そして沢山の小島を経て最後の南米大陸べネズエラまで突き当たる。その最後の小さい島国がトリニダード・トバゴ。至ってシンプル、トリニダード島トバゴ島の二つで成り立ってる国ですわ。
●ここも根強い黒人文化が花咲く島。なんといってもカリプソの発祥の地。カリプソは風刺色の強い音楽で、その攻撃的なリリックはレゲエにも影響を与えている。一方でカーニバルが大好きなお国柄、カリプソはカーニバルの楽しいパレードを彩るダンスミュージック。さらには第二次大戦後に島中に放置されたドラム缶からスティールパンという素晴らしい楽器を生み出したのもこの小さい島の人たちなのである。
●1980年代以降は古典カリプソにソウルの要素を足してソカというスタイルが生まれた。70年代から活動する彼ら CHARLIES ROOTS は、カリプソソカもこなすヴェテランバンド。アルバムタイトル通り完全なパーティーアルバム、スティールパンも楽しく響く、分厚いホーンも賑やか、古典カリプソもソツなくこなし、時にはフュージョンめいた洗練されたビートもこなす。デカイ音で聴くとカラダが暖まる!

Hemo&Moofire presents SOCA SOCA SOCAHemo&Moofire presents SOCA SOCA SOCA
(2007/08/03)
オムニバス、シャウイン・チェスター 他

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HEMO + MOOFIRE「SOCA GREATEST HITS」2007年
ソカは21世紀に入るとジャマイカダンスホールレゲエの影響を受けて、より高速化してアゲアゲチューンに進化する。KEVIN LYTTLE「TURN ME ON」の世界的ヒットでソカの知名度は一気に広がり、日本にも愛好家がグンと増えた。HEMO + MOOFIRE はそんなソカの魅力にかなり早くから注目して日本のダンスホールシーンでソカを鳴らしてた2人組女性セレクター。ボクは KEVIN LYTTLE の来日ショーケースライブでスピンしてた彼女たちのプレイに一発でヤラレました。あの娘たちはナニをかけてるんだ?これはレゲエじゃないぞ!コレが本物のソカっていうのか!それから彼女たちのコンパイルするCDには特別の注意を払っています。
●まさしくこれぞ最新型のソカってラインナップですけど、ぶっちゃけ現地のアーティストさんたちがどんな人たちか全然ボクにはわからない。ライナーを丁寧に読むと、なにやら近隣の島々、バルバドスとかバミューダからも参戦、普段はジュース屋さんというお兄ちゃんのウタから、US R&B の AKON カリプソミックスまで収録。
●でも一番頼もしいのが日本人の曲。MINMI「SHA NA NA - JAPANISE WINE」が見劣りしないスーパーチューンで素晴らしい!「WINE」てのはレゲエ〜ソカ界隈では、グラスの中で揺れるワインのようにオシリをセクシーにふる女の子のコトみたい。いいねえ、ジャパニーズワイン!MINMI ダイスキ!
●最後に収録のボーナストラックだけMINMIの日本語曲。ソカ高知よさこい祭りのグルーヴが似ているという着想から HEMO + MOOFIRE が手掛けたよさこいミックス。ヤバい、よさこいまで聴きたくなってくる。

SOCA ESCAPESOCA ESCAPE
(2005/10/13)
オムニバス、スリー・サンズ 他

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HEMO + MOOFIRE「SOCA ESCAPE」2005年
●こちらは HEMO + MOOFIRE がプロデュースした「SOCA ESCAPE」というRIDDIM で作ったワンウェイアルバム。「ワンウェイ(ONE WAY)」とは、同じバックトラック(前述したリディム(RIDDIM)のこと)で各個のシンガー/DJが全然別のメロディを乗せて歌い競うスタイル。ダンスホールレゲエじゃよくある定番パッケージっすね。百者百様のアプローチで全然飽きない。


●あーあ。またムダに長く書いちゃった。きっと誰も読んでないんだよなあ。
●最後に参考文献を。