またまたグッドなカフェを発見。
●GWのお休み。昨日は、夕方からシモキタザワの街を一人で散歩。ビデオ屋でDVD借りて、安売りバーゲンでアディダスのスニーカー買って、古本屋「ほん吉」で息子ノマドの好きそうな宇宙の本を買って、そんでお茶でも飲もうと思って、知ってるカフェへ向かって歩いていた。そしたら、気になるカフェを発見。写真集がイッパイ置いてあるのが店の外から見えたのだ。

zinc.jpeg

「CAFE ZINC」
●場所:下北沢駅井の頭線側西口改札を左側(西側)に歩いて1分。世田谷区北沢2ー22ー23。
●メニューを見たら、「フェアトレード珈琲」という文字が目を引いた。フェアトレードって? 低開発国から正当な価格で輸入する行為で、搾取的新植民地主義への抵抗思想&実践とのこと。店員さんに聞く。フェアトレードって書いてますけど、どちらの国から輸入してるんですか?「えーと、東ティモールです。ご存知ですか?」ああ、インドネシアから独立したばっかりのチッコい国ですね、そんな程度のコトしか知りませんけど…。「酸味のあるコーヒー豆が穫れるんですよ」へー。確かにフェアトレードした方が良さそうな国ですねえ…。

で、写真集をタップリ眺める。ロバート・フランク。
●たくさんの美術書や写真集がある中、一番気になったのが、ロバート・フランクの写真集だ。ボクはこの写真家が学生時代から好きで、以前展覧会も行ったし写真集も持ってる。でもこうジックリ作品を眺めるのは数年ぶりだ。ペラペラページをめくっているウチに、なぜロバート・フランクに興味を持ったのか、思い出した。ビートニクスの代表的作家ジャック・ケルアックフランクは友達だったんだ。高校生のボクは、ビートニクスに夢中になった時期があった。マリファナでフワフワした頭で、ポンコツシボレーを時速160キロでぶっ飛ばし、アメリカの大地を行ったり来たりの放浪の旅。時に中南米へ飛んでヘンなサボテンから採れる強烈なドラッグを探す冒険へ。ニューヨークのカフェで詩の朗読会、BGMは危険な香りのビバップジャズ。仏教にハマったり禅にハマったり。ビートニクスは、その後のヒッピーカルチャーを準備した本物のヒップスターで、戦後世代が発信した本物の文学運動だった。ビート文学の金字塔「路上(ON THE ROAD)」の著者ジャック・ケルアックは、まさしくビート中のビートで、彼が序文を書いたという写真集「THE AMERICANS」ケルアック経由で知った。この写真集がロバート・フランクの代表作だったわけだ。

ジャック・ケルアック「路上」ジャック・ケルアック「路上」
Robert Frank The Americans ROBERT FRANK「THE AMERICANS」

ビートニクスは「ぶん殴られた世代」。
ビート・ジェネレーションとも言われますが、「BEAT」はココでは「ぶん殴る」という意味じゃなくて「ぶん殴られる」に近いっぽいです。超一流のビート、ウイリアム・バロウズアレン・ギンズバーグはゲイだったので、その疎外感たるやハンパなモンじゃないでしょう。社会のハミダシものとして、虐げられる立場。そこと近い位置にいたロバート・フランクの写真も、ぶん殴られたような、悲しげな空気が漂っています。泣けます。

Robert Frank Come Again (ペーパーバック)

「COME AGAIN」
ロバート・フランク、90年代の作品集みたい。方眼紙のノートにセロテープで写真を無造作に貼っつけた構成(をそのまま丁寧に印刷)。風景写真は数枚の写真を繋ぎ足してます。ぶっちゃけヨレヨレです。……写ってる風景も、廃墟、廃墟、廃墟……。ん、途中で気付く。この廃墟は戦争の跡では…? 予感は的中、中盤からイスラム風建築が出てくる。中東の戦火に巻き込まれた街なんだ。暗いモノクロに人の気配はなく、市街ならぬ死骸の風景が続く。最後のクレジットで判明。この街はレバノンのベイルート。クチャクチャのレイアウトにクシャクシャの街…。

8e50124128a02cb0aa93801.jpg

「THE LINE OF MY HAND」
ロバート・フランクの生涯を俯瞰するような写真集。彼がキャリアを起こした1940年代から、70年代までを網羅してる。彼の放浪人生が、あてどなく転がるボールのように転がって行くのがわかる。彼の生まれは1928年、スイスのチューリヒ。ユダヤ系がゆえにナチの台頭と第二次世界大戦はしんどい経験だっただろう。1947年、23歳でアメリカ N.Y. へ移民。摩天楼を切り取るこの頃の彼の写真は、新社会への不安と希望で若々しく光ってる。でも放浪癖はココから本格化、ペルーからスペイン、パリなどにフラフラし続ける。1955年にアメリカに帰ってからはビートの連中とつるむようになり、今度はアメリカ国内を放浪。その成果が出世作「THE AMERICANS」だ。この頃からは映像も始めるようになる。放浪者の視点から見たアメリカという国の正体。
●1969年に最初の奥さんと離婚。1970年、愛人のアーティスト JUNE LEAF とカナダのノヴァ・スコシアへ移住。どこだよ?って人も多いでしょうから説明しますと、カナダのハジッコ、大西洋に突き出した島の一個で、昔サミットが開かれたハリファックスという街があります。まーとにかくド田舎で、メチャクチャ寒い場所のようです。この頃からのフランクの写真は、本当に寂しくて凍えるような気分になりますから。前妻との間に生まれた子供二人との関係も良くないようで、この写真集にはそんな苦みの伝わるようなキャプションもついています。「…息子パブロ、娘アンドレア、過去を振り返ることは3人にとって苦しいことだった…」。1974年、アンドレアはグアテマラでの飛行機事故で20歳の若さで命を落とします。フランクの写真は、どんどん内向的になって、「ぶん殴られた」ような哀しみが作品にどうしても滲み出てしまうのです。

「BUS PHOTOGRAPH」
●この言葉は写真集の名前じゃなくて、彼が考えた写真コンセプトです。バスに乗って、窓から見える景色、人、街並を、機関銃のように撮りまくる方法です。アラーキーも似た手法で作品を撮ってます。アラーキーは彼流のダジャレで「クルマド」と呼んでます。タクシーの窓からやはり機関銃のように撮りまくるのです。このアイディアはボクには刺激的でした。写真なんぞ、考えて撮るモンじゃない。撮って撮って撮りまくって、そっから考えろっつーコトね、と解釈しました。学生時代から社会人になって7年目くらいまで常にカメラを携帯してナンでも撮りまくってました。あ、カメラはチープなモンを使ってました。一眼レフは重くて大変。IXYは軽いけどハードユースで壊れちゃう。最終的には工事現場の撮影に使うようなゴツい生活防水カメラを使ってました(ソレも最後には壊れましたが)。「写るんです」も大好きでした。写り方がチャチくてフラッシュがイイ加減だから。ロモも少し撮ってみました。でも残念ながらデジカメの時代になってからは、この習慣をやめてしまいましたね。デジカメはホントよく壊れる。液晶割れるとか。(←どんだけ乱暴な使い方してんだ?)


ロバート・フランクの写真と、それをボクが眺めていた90年代のアメリカ。
ビートニクスロバート・フランクの写真に入れ込んでいた90年代のボクに、一番リアルに響いていたのは、この頃のアメリカのロックです。もうちょっと突っ込むと「グランジ」と「ロウファイ」です。この類いの音楽も、ボロボロにブン殴られ痛めつけられた心象風景を連想させるのです。80年代末のバブル経済崩壊が決定的になり時代がどんどん混迷して行く中で、虚飾を全部剥ぎ取って等身大の美学を誇った「グランジ」「ロウファイ」は、ハグレモノのような気持ちだったボクに一番しっくりきたのです。荒削りで、飾らず、シンプルで、自分のペースを崩さない。この生き方がとても潔く思えた。ロバート・フランクの写真を見て、あの頃の苛立ちや焦燥感、あきらめや失望の感覚が、ボクの舌に苦く甦ってきました。
ロバート・フランクは、今だ健在で作品を撮っていますし、「グランジ」「ロウファイ」のアーティストたちも、マイペースにずーっと活動を続けています。その力強さはどこから来るのでしょう。近日、超極私的懐古録、90年代のアメリカンロック編、頑張って構成してみます。よろしくお願いします。

Robert Frank du [Illustrated] (ペーパーバック)

(このドイツの雑誌のロバート・フランク特集もとても面白かったです。)

スポンサーサイト

シモキタザワの行きつけのカフェにて。
●最近このカフェのお姉さんとちょくちょく短いお話をするようになった。メトコさん(仮名)は、気合いの入ったモッズ女子で、カフェまでイタリア製のヴィンテージスクーターで通勤してる。モッズ系のパーティが大好きで、その界隈で名のあるDJさんとも知合いみたい(ボクも名前知ってるくらいのDJさんだった)。映画のハナシとか、音楽のハナシとか、趣味のハナシをポチポチするわけです。そんでハナシの勢いでお店のCDを借りちゃった。「FREE SOUL」のコンピである。こういうお付き合いって、何となく常連客っぽいなあと感慨深く思うのである。
●まーそれはそれで、今日は「FREE SOUL」の音楽とその時代、意味を考える。


アレは、去年10月くらいかな。「FREE SOUL」のコンピに、激安ワゴンで出会った。

ツタヤ三軒茶屋

TSUTAYA三軒茶屋店のレンタル落ちCD激安ワゴンは、ボクの大好きなエサ箱の一つだ。毎週チェックしては、100円200円のCDをごそごそ買ってた。ボクは悪食なのだ。ハイエナのようにCDのエサ箱を漁りまわる。この東京という街にはそんなエサ場が沢山あり、ボクは習慣的にソコを巡ってチェックをしてる。
●今はCD購入を自らに禁じているボク。だからこれは数ヶ月前の話。三軒茶屋のエサ箱に、人気コンピレーション・シリーズ「FREE SOUL」が9枚売られていたのだ。しかも一枚300円。安い!この人気コンピでこの値段は激安。即座に9枚全部買った。

とはいいながら……。ボクは「FREE SOUL」がダイキライなのだ。
●6000枚もCDレコードを所蔵しながら、今までたった一枚しかこのシリーズを持ってなかった。50枚くらいあるんでしょ、このシリーズ。でも聴かない。なぜか?オシャレすぎるから!オシャレは悪!これはオシャレ女子が聴くもんで、男子たるものこんなチャラチャラしたモンは聴いてはならない!…という偏見、コンプレックスをずーっと抱いていた。喰わず嫌いじゃなくて聴かず嫌い。だってさー、彼らはパフォーマーじゃなくてコンパイラーなわけでしょ。どこかで高いレアレコード買ってきて、「ほーら、カッコいいでしょ、オシャレでしょ」って見せびらかしてるワケじゃん。絶対やなヤツらに決まってるんだって!うるせー!お前らのCDなんて聴くか、自分の聴くモンは自分で探すわ、お金ないけど!若い頃のボクは頑強にコダワっていたね。テロ支援国家指定ってくらいに仮想敵国扱いだった。
●そもそも、「FREE SOUL」シリーズは値崩れしない。中古CD屋でも叩き売りされない。常に高い。いや、別にそんなことないよーと思う人もいるでしょうが、ボクは300~800円で勝負する男、1980円でもかなり怖気付く。2000円オーバーは極力視界に入れない。そんな「FREE SOUL」はだいたい中古でも2000円以上が相場。
●でも!それが300円で叩き売りされている。それを見たときは「オシャレ気取りのオマエらも、地に落ちたもんだな~。しょうがないから買ってやるよ」とすら思った。そんな非常に屈折した感情を抱きながらレジに持っていったのだった。


橋本徹という人物。「渋谷系」文化の中で「FREE SOUL」が果たした意味。
●34歳の、一応それなりの分別を備えた(ということにして下さい)オトナとして、この9枚のCDに立ち向かい、そしてこれらのCDが活躍した90年代「渋谷系」文化のことを考えてみる。無視しようとしていたが、彼らのやってたこと、掲げたコンセプトは、世界の音楽シーンに同時進行でリンクする動きであったし、それはクールで実に価値のあることだった。キライキライ言ってましたが、それを今はハッキリ認めます。この人たちエラいと。以下、冷静に分析します。



●DJ集団/フリーペーパーだった「SUBURBIA SUITE」の中心人物、橋本徹さんが94年に立ち上げた「FREE SOUL UNDERGROUND」というクラブイベントが、一連の活動の核になってる。 この「SUBURBIA SUITE」「FREE SOUL UNDERGROUND」は 当時の「渋谷系」文化の中で非常に大きな影響力を持っていた。橋本さんはエラい。個人的な思い出を交えて彼の仕事を総括してみる。


まず第一点。「SUBURBIA SUITE」という名前がクールだ。
●英語の「SUBURB」「郊外」という意味。「SUBURBIA」郊外居住者、郊外族という意味らしい。「郊外」。ボクはまさしく郊外育ちの人間。東京という大都会の周辺部を数回引っ越しして人生を過ごしてきた。都会でもない、田舎でもない。「郊外」というカテゴリーが社会学のテーマとして盛んに取り上げられたのは80年代頃だと思う。そのコミュニティのあり方、新しい生活様式などなどが研究されマーケティングされた。バブル経済が拡大した80年代に東京通勤圏はより拡大し、関東平野の隅々までが宅地造成された。あの土地価格高騰の時代に、埼玉や千葉の奥地の建売り住宅買ったサラリーマンは一杯いたと思う。我が家は東京三多摩地区、都心まで1時間30分の地点にマイホームを購入した。今となっては、ボクが住んでいる下北沢から見ると恐ろしく遠くて出来るだけ行きたくない距離だ。
●そんな現代的なテーマに、橋本さんはもう一個の意味を引っ掛けてたのだと思う。橋本さんはDJとして、音楽の「郊外」を冒険しようとしたのだ。つまり、いわゆる古典的名曲・名盤ではなく、その周辺/辺境を掘り下げることで今まで無視過小評価されていた音源に新しい価値を与えようとしたのだと思う。当時の SUBURBIA は70年代のサントラ物からグルーヴィーなモノやソフトリスニングなモノを次々と発掘し、見事なディスクガイドを出して、新しい価値観を提示した。(このディスクガイドも、値段が高いんだよね…)

Suburbia Suite; Evergreen ReviewSuburbia Suite; Evergreen Review
(2003/09)
デザインエクスチェンジ、橋本 徹 他

商品詳細を見る


第二点。「FREE SOUL」の思想。
「FREE SOUL」のCDには、どっかしら内ジャケの隅っこに次の言葉が書いてある。「NEW DIRECTION OF ALL AROUND SOUL MUSIC」。ソウルミュージックの周辺から新しい方向性を見出す! 狭義にとらわれていたソウルを解放し、拡大解釈してその多様性を再解釈する。
ソウルやR&Bという分野は、かつてドエラく閉鎖的でコウルサいマニアオヤジが闊歩するフィールドだった。ジャズだって、難しい評論言語で堅苦しく構えるカタブツマニアばかりで、老舗のジャズ喫茶とか行くと一言もしゃべったらダメ、ジャズはマジメに黙って聴くもんだ的なイデオロギーがまかり通ってた。
「FREE SOUL」は、その名の通り、そんな因習から自由に音楽を解釈し、ジャズ、ファンク、ソウル、ディスコ、フュージョン、ロックなどなどジャンルを完全に横断してソウル周辺の音楽に新解釈を与えた。言うなれば、80年代末のイギリスで起こったレアグルーヴ運動の日本版と考えてイイと思う。実際「コレをソウルって言っちゃうの?ちょっと違うんじゃないの?」というような選曲をしてる。大胆すぎるくらいに。古来からのソウルマニアオヤジに言わせれば邪道中の邪道。偽物中の偽物。それを新しい感覚、新しい耳で、自由に「コレってソウルだよね」って言い切っちゃう痛快さ。アナログからCDへのメディア変換期に起きた過去音源へのフレッシュな眼差し。CDで再発された結果、再発見される音楽。旧メディアとして忘れられようとしてるアナログメディアから、宝探し的な好奇心/冒険心で発掘される音楽。日本の「FREE SOUL」渋谷系カルチャーは、完全にイギリスのレアグルーヴ~アシッドジャズ、アメリカのヒップホップネタ探し的観点とリンクする世界同時多発的感覚の現れだった。


第三点、。カフェ/ラウンジという提案。
橋本さんが次に世に問うたのは、カフェで聴く音楽だ。クラブでダンスするのではなく、カフェでお茶を飲むためにDJをするというスタイル。それを渋谷に構えた彼のお店 CAFE APRES-MIDI で実践してみせた。東京カフェブームはココからスタートしたと言ってもイイでしょう。このスタイルもそのままコンピレーションCDとなって世に広く出回っている。彼のこの提案は、90年代半ばに進んだクラブ遊びの多様化、DJスタイルの多様化を一気に推進した革命の一つだと思う。



で、この9枚のCDのライナーを行きつけのカフェで読んでたら…。
「あれ、イッパイですね~フリーソウル」と声をかけてきたのはココのカフェのフロアを仕切るオネエサン、メトコさん(仮名)。度々このカフェに通ううちに顔なじみになり、ちょくちょく会話してるんです。冒頭に書いた通りね。いやー、あんま好きじゃなかったんだけど、一枚300円だったからイッパイ買っちゃって…。「ウチにも何枚かありますよ~」お店のBGM用のCDを見せてくれた。「WE LOVE FREE SOUL 2」「WE LOVE FREE SOUL 3」だ。言わば「FREE SOUL」のベスト盤的存在である。
●このCDのライナーで、橋本徹さんとフリーソウルの中心人物が「FREE SOUL」原体験~立ち上げ時代の頃を振り返ってる。ここでちょっと感動。「FREE SOUL」の人たちも、ボクと同じような感覚で新しい音楽、古い音楽に向き合っていたんだ、と知ることが出来た。先日ボクがこのブログで綴った UK のブラックミュージックや「渋谷系」カルチャーについての考え方とアレコレ関連する部分が出てくる。ボクは、イギリス人がブラックミュージックの良きリスナーであったと考えていたが、「FREE SOUL」の中核人物もそのイギリスのセンスを経由して新しいソウル感に目覚めることが出来たことが明確に記されている。そして80年代末のレアグルーヴシーンとの関連が重要。ここで世界同時多発的音楽革命が起こるのだ。以下部分引用。

 山下洋「70年代ソウルを聴くのはイギリス人っぽいんだって知ったのはやっぱり THE STYLE COUNCIL や THE BLOW MONKEYS だったな。THE BLOW MONKEYS は来日公演の一曲目が CURTIS MAYFIELD の「SUPERFLY」のカヴァーだったり。イギリスのブラックミュージック好きなアーティストがカッコいいなって思うようになったのはそんな経験からだね」
 橋本徹「さらに深く掘り下げて行くと、イギリス経由で知ったソウルの方が、日本のジャーナリズムで推されてるようなディープな歌ものよりも肌に合うなと思ったんだよね……。あとは80年代半ばをすぎて日本に伝えられた、イギリスの『ジャズで踊る』クラブシーン」
 山下洋「…そして、いよいよアシッドジャズの誕生」
 橋本徹「言ってみればあの辺がビッグバンだったね。SOUL II SOUL も登場して、グラウンドビートの幕が開いて、ヒップホップも DE LA SOUL や A TRIBE CALLED QUEST が出てきた NATIVE TONGUE の時代」
 橋本徹「ORIGINAL LOVE も FLIPPER'S GUITAR も 東京スカパラダイスオーケストラも、U.F.O. や COOL SPOON や MONDO GROSSO も、あの頃は同世代のシーン全体が活気づいてたね。ロック/ニューウェーヴを聴いていた人も、もともとブラックミュージックが好きな人も、クラブを背景に出てきた人も、みんなうまい具合に混じり合っていたというか。イギリスに目を向けても、JAMIROQUAI が登場してきて、PRIMAL SCREAM が冴えてて…」

 橋本徹「印象に残ってるのは、93年の春に渋谷クアトロで SUBURBIA のイベントをやったときに、僕が CAL TJADER の『I WANT YOU BACK』から EL CHICANO の『WHAT'S GOING ON』 でDJを終えたら、WACK WACK RHYTHM BAND(山下のバンド)が『WHAT'S GOING ON』~『I WANT YOU BACK』の順にカヴァーでライブを始めたこと」

んっ?このイベント、ボクは現場にいたような気がする。クアトロで SUBURBIA でしょ?メトコさん、ボクこのイベント行ってるわ!なんか感動。歴史にリンクしてる感じ。当時大学生だったボクが、よくつるんでた女の先輩ノリピーさん(仮名)と一緒に遊びに行ったヤツだ。そりゃ超楽しかったですよ。この時ノリピーさんに他の大学に通う友達ワッキーさん(仮名)って人を紹介された。で、なんとこのワッキーさん、偶然にもボクの今の会社の先輩なんだよね。今でも時々一緒に仕事してる仲なんです。

●スゴいじゃん。橋本さんエラいじゃん。そう思うでしょ。実際そうですよ。けど!でもね、やっぱりね、やるコトなすコト全部オシャレすぎるの!ボクはね、オシャレが大嫌いなんですよ! 音楽聴く事がオシャレとか思ってるヤツ、大嫌いなのです!若いころのボクは本当に世間のハグレモノというコンプレックスに苦しみ、この世のオシャレさんを地獄の業火で焼き尽くしてやりたいと思ってたもん。
●ボク自身は、当時最新だったこの手の洗練された音楽に影響されてもいたけど、その一方で洗練とは無縁の、忌々しいロックやディープなファンク、ハードなテクノにもハマっていた。だからどうしても、キレイ過ぎる「FREE SOUL」には馴染めなかった。


そんなコトを前提に、音源に向き合ってみる。

Free Soul ImpressionsFree Soul Impressions
(1994/04/21)
オムニバス、ジェイムス・メイソン 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL IMPRESSIONS」
●コレが一番最初の「FREE SOUL」コンピなのかな。印象的なのは EDNA WRIGHT「OOPS! HERE I GO AGAIN」。コレイントロを DE LA SOULがサンプルしてる。シンガーの名前は見ただけじゃわからんかったけど、INVICTUS レーベルの看板女子グループ HONEY CONE のメンバーさんとのこと。あと「WE GETTIN' DOWN」という曲をやってる WELDON IRVINE。 玄人好みのヒップホップレーベル STONES THROW MADLIB がこの人のトリビュート盤を出してたんだけど、ボクはそれを聴きつつもこの WELDON さんがどんな人なんだか全然わからんかった。洗練とネチッこいファンクが同居するスゴいバランス感覚。おまけにこの曲も A TRIBE CALLED QUEST にサンプルされてる。そして BRIAN AUGER'S OBLIVION EXPRESS「INNER CITY BLUES」。モッズのオルガンプレイヤーとして一時期ハマって集めてました。60年代はモッズジャズなんだけど、70年代に入るとプログレっぽくなってアレレって感じなんだけど、でもその後スゴくキャッチーでハッスルなファンキーロックに戻って来るんです。この変遷を追うと面白い。ライナーには20年早かったアシッドジャズって書いてある。

フリー・ソウル・アヴェニューフリー・ソウル・アヴェニュー
(1995/12/02)
オムニバス、ダン・ペン 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL AVENUE」
●このコンピでは「コレがソウルかよ?」って大胆な選曲がなされてて、ソコが興味深い。なんてったって LOU REED「WALK ON THE WILD SIDE」が収録されてる。いくら A TRIBE CALLED QUEST がサンプルしたからってコレソウルってキツいでしょ。JAMES WALSH GYPSY BAND も、前身は GYPSY という名のプログレ~サイケ系バンド。それがヒヨって AOR 風味になった曲を入れてる。LOU REED は好きだけど、コッチはキツい。あとソウルかどうかは別にして、JOSE FELICIANOSTEVIE WONDER カバー「GOLDEN LADY」は最高。ブラジリアンなアレンジと伸びのいい声。JOSE は最近よく聴いてます。王道ソウル、ファンクチームとしては THE MAIN INGREDIENT、THE NEW BIRTH が収録されてる。収録曲は?だけど、いずれも好きなグループです。

フリー・ソウル・アースフリー・ソウル・アース
(1998/03/21)
オムニバス、B.T.エクスプレス 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL EARTH」
●一曲目の BABY HUEY「MIGHTY, MIGHTY」がディープファンクで最高。ボクの好みはこのくらいの暑苦しさなんだよな。レーベルは CURTOM らしい。ABBA「DANCING QUEEN」を楽しくカバーした完全ディスコもの CAROL DOUGLAS も掘り出し物。TODD RUNDGREN「I SAW THE LIGHT」まで入れちゃうのは大胆。TODD とソウル、普通なら繋がらない発想。アシッドジャズ期に再評価されたフュージョンバンド FUNK INC. は、あの90年代を思い出させてセンチにさせるスムースファンク。

フリー・ソウル~ユニヴァースフリー・ソウル~ユニヴァース
(1998/06/10)
オムニバス、テルマ・ヒューストン 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL UNIVERSE」
●中盤に繋がれる、重心の軽いディスコダンサーが気持ちよくて思わずウキウキしちゃう内容。ボクも探した STEPHANIE MILLS「NEVER KNEW LOVE LIKE THIS BEFORE」がキラキラで、そのテンポ感そのままで KURTIS BLOW の1STから選んだディスコティーク・ヒップホップへと突入。そこからなんと DEXY'S MIDNIGHT RUNNNERS「COME ON EILEEN」!80年代ニューウェーブロックの大ヒット曲かい!で次が GLORIA GAYNOR の陽気なディスコファンク。「I WIL SURVIVE」以外の GAYNOR って知らなかった。まだまだ続く80年代スタイル、GRACE JONES「LA VIE EN ROSE」。美輪明宏さんも歌う EDITH PIAF の名曲をド直球のニューウェーブでカヴァー。ボクは80年代音楽の全てが好きと言うわけじゃないけど、この流れは気持ちイイ。

SRCS-8770.jpg

「FREE SOUL GRAFFITI」
●今度は AOR 攻撃か!BOZ SCAGGS、AL KOOPER、TOTO、NED DOHENY。AORの大看板を連打連打。この辺をソウルと解釈するのは大胆だよな~。ボクは AOR が苦手だから、 なおのコトツライ。ただのオシャレ音楽じゃなくて、田中康夫「なんとなくクリスタル」的なオシャレ音楽なわけじゃん。カッコ悪いー!(←じゃあ聴くな)ハードロックとファンクロックの中間にいたはずの EDGAR WINTER までもがメロウな AOR をやっててビックリ。KOKOMO ってバンドもUKの白人バンドらしい。でも一曲大好きな物件が収録されてた。SHUGGIE OTIS「STRAWBERRY LETTER 23」。THE BROTHERS JOHNSON もカバーしてるけど、この独特の浮遊感ブルースは他人にはマネできない。

Free Soul GardenFree Soul Garden
(1996/01/25)
オムニバス、アラン・トゥーサン 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL GARDEN」
●目を引くのがオオネタ2つ。ARCHIE BELL & THE DRELLS「TIGHTEN UP」 THE DOOBIE BROTHERS「LONG TRAIN RUNNING」。ダンクラディスコ王道キラーチューン。敢えてど真ん中な選曲もしちゃう「FREE SOUL」。一曲目 HERBIE HANCOCK「WIGGLE-WAGGLE」立花ハジメがネタにしたジャズファンクで熱い。さらに気になるのが BARBARA KEITH BOB DYLAN カバー「ALL ALONG THE WATCHTOWER」。切羽詰ったグルーヴが熱い。ここまでくれば立派なロックだ。THE BRAND NEW HEAVIES がカバーした MARIA MULDAUR「MIDNIGHT AT THE OASIS」もニューオリンズ産ファンクなのにこの洗練さは刮目。カバーヴァージョンからは想像つかないニュアンス。ALLEN TOUSSAINT「SOUL SISTER」もホッコリ味のニューオリンズファンクでいいなあ。つーかこの曲、前から持ってるじゃん。こういうのが悔しい!他人の編んだコンピで、自分が聴き飛ばしたCDの価値を思い知らされるのって。

フリー・ソウル・トラヴェルフリー・ソウル・トラヴェル
(1998/11/18)
オムニバス、マデレイン 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL TRAVEL」
●一曲目からショック!「THREE IS A MASIC NUMBER」。JACK JOHNSON がカバーし、DE LA SOUL もネタにした曲。ボクはてっきり DE LA SOUL のオリジナルのフレーズだと思ってたのに…。しかもこの歌、かけ算の3の段を覚える数え歌みたいなモン。教育テレビのコドモ番組でかかってたらしい。日本で言えば「1本でーもニンジン、二足でーもサンダル、3そうでーもヨット…」的なポンキッキクラシックってこと…? しかしこの盤は激レア曲ばっかりでよく分からんアーティストばっか。フィンランドのジャズファンク、ニュージーランドやイタリアの AOR なんてわかんない。他の曲も含めていつもよりもメロウ度が高いねえ。BOBBI HUMPHREY のフルートソロが冴える「BLACK AND BLUE」、続くブラジル TANIA MARIA「RUAS DO PIO」、洗練されたサンバ JOYCE「FEMININA」がよかったなあ。うーん、ブラジルにはいつか真剣に向き合わないといけないな。ポルトガル語が美しいのですよ。

フリー・ソウル・ウィングフリー・ソウル・ウィング
(1999/09/22)
オムニバス、アヴェレイジ・ホワイト・バンド 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL WING」
●冒頭「THE PEANUTS」スヌーピーの飼い主チャーリーブラウンの歌から始まる脱臼ぶりだが、中盤のブラジリアンソウルがたまらん。MADELLINE BELL、DOM UM ROMAO、CAL TJADER など今まで知らなかったアーティストを教えてもらった。こと CAL TJADER「I WANT YOU BACK」「TAMBU」には完全にやられた。ANTENA の80年代ボッサもココではいい響き。それでいて、THE KINKS の曲を忍び込ませる茶目っ気も。最後の TODD RUNDGREN「STRAWBERRY HILLS FOREVER」カバーは、本家をバリバリ意識したカッチリ感で音響職人魂に震えるしかない。

フリー・ソウル:クラシック・オブ・カタリストフリー・ソウル:クラシック・オブ・カタリスト
(2003/04/23)
オムニバス、ゲイリー・バーツ 他

商品詳細を見る

「FREE SOUL. THE CLASSIC OF CATALYST」
「FREE SOUL」は、レーベルごと、アーティストごとのコンピもいっぱい作ってる。レーベルだと、MOTOWN STAX、BLUE NOTE、TALKIN' LOUD といった有名ドコロを手がけているけど、この CATALYST ってレーベルはかなりマニアックだ。当然今まで全く知りませんです。なにやら西海岸のジャズシーンで70年代の間の2年間ほどだけ活動しただけの弱小インディーレーベル。そんな音源に光をあてるなんて、ホントオタクですね~。でーも、これがことのほか気持ちよかった。ストレートなジャズとブラジリアンなリズムがいい塩梅に入り混じり、スムースにサックスの音が響いていく。4曲目「SPRING SONG」から「BRAZILIAN TAPESTRY」「D'JU LIKE ME」「THE LATIN THING」へのつながりが快感。パーカッションなどリズム隊には西海岸チカーノロックバンド、AZTECASANTANA などと同時代に活動)にいたメンバーも含まれてるそうな。ともかく王道と前衛の中間に位置したこのレーベルの絶妙なバランス感を楽しむべし。ちなみに、この時代には黒人が運営したインディージャズレーベルが多々勃興。代表選手は、STRATA EAST とか BLACK JAZZ。こういう音楽を「スピリチュアルジャズ」というらしい。江原啓之さんかいな?またまたジャズ世界に底の見えない巨大な穴が出現した。「スピリチュアル」の穴、今後探検してみよう。


「WE ♥ FREE SOUL 2」「WE ♥ FREE SOUL 3」
●カフェで見せてもらったこの2枚のCD、メトコさん(仮名)にお願いして貸してもらっちゃった。ボクって図々しいなあ。内容は「FREE SOUL」ベスト盤とあって、ベタベタの王道ソウル~ディスコファンク満載。THE SALSOUL ORCHESTRA、THE BOYS TOWN GANG、B.T EXPRESS、THE POINTER SISTERS、KOOL & THE GANG、CHAKA KHAN、BARBARA ACKLIN CURTIS MAYFIELD……。電気グルーヴ唯一の商業的ヒットシングル「シャングリラ」の元ネタ曲 SILVETTI「SPRING RAIN」が収録されてたのは感動。あの美しいストリングスアレンジが無限ループ。うーん、本物聞いたの初めて。これはうれしいっす。

WE LOVE FREE SOUL Vol.2 NEW DIRECTIONS OF ALL AROUND SOUL MUSICWE LOVE FREE SOUL Vol.2 NEW DIRECTIONS OF ALL AROUND SOUL MUSIC
(2006/07/26)
オムニバス、グロリア・スコット 他

商品詳細を見る
We Love Free Soul 3We Love Free Soul 3
(2006/09/27)
オムニバス、エド・タウンゼント 他

商品詳細を見る



●34歳になって、やっと「FREE SOUL」の世界に馴染めたバカなボク。
●結局、90年代アタマの音楽体験をボクは「FREE SOUL」の人々と多くを共有してて、音盤に向き合う姿勢も根っこの部分は同じで、聴いてる物件も大分カブッてることがわかっちゃった。激レア盤は追いつかないけど、CD化されてる範囲は結構カバーしてる。聴くポイントだけはちょっとズレテる。ボクはもっと暑苦しくて、汚れモノが好きだから。ただしブラジルとスピリチュアルジャズに関してはまだまだ勉強不足と思い知った。コレをキッカケにこの暗黒大陸へ冒険に出かけることにする。


●ご参考に、ボクが過去に綴った関連記事へのリンクを。

1992年以降、90年代の東京を彩った「渋谷系」カルチャーを綴ったお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-240.html

80年代末から現在まで、UKのブラックミュージックを一気に俯瞰するお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080420.html

代々木上原方面を一人で散歩。
●天気がよかったので、今日はシモキタザワではなく、逆サイド代々木上原エリアを散歩する。第一目的地は「古賀政男音楽博物館」である。

古賀政男博物館

「古賀政男音楽博物館」
●場所:代々木上原駅から井の頭通りにでて一番目立つ建物。日本音楽著作権協会(JASRAC)の隣にある博物館で、実際にこの昭和大衆音楽史に活躍した大作曲家がドでかいお屋敷を建てた場所に作ったらしい。渋谷区上原3ー6ー12。
●ぶっちゃけ、古賀政男なる人物がどんな人かなど1ミリも知らない。名前を聞いたことがあるだけ。でも、ココ上原で働いてる友人がボクにヘンなウンチクを教えてくれたから興味がわいたのだ。「あそこね、ボチボチ面白いよ。でも、アレだけ見てもあの人がゲイだったってコトはわかんないと思うけど」古賀政男ってゲイだったの?!「そう、意外と知られてないけどね」へー。

古賀政男

古賀政男。1904年福岡県生まれ。少年時代をソウルで過ごし、15歳で音楽に目覚める。明治大学在学中に作曲家としてデビュー、1978年に死去するまで、1000曲もの楽曲を作曲する。代表曲「丘を越えて」「無法松の一生」「柔」「東京ラプソディ」。うーん、エラい人なんだろうが、イマイチピンとこない。ちなみに古賀さんは一度宝塚女優と結婚してるが、たった一年で離婚(宝塚の舞台は前から好きだったみたい)。その後生涯独身を通すが、何人かの弟子を養子にしてる。それ以外で彼のセクシャリティを伺うモノはナニもなかった。
●この博物館では、ココに建ってた邸宅の一部を移築再現、故人にまつわる記念品や貴重な音源が保存されてる。1000曲の古賀楽曲もPCで検索して聴くことが出来るし、その他の戦前戦中戦後の大衆音楽もPCで聴くことが出来る。ボクはそのPCで、淡谷のり子とか越路吹雪とか美空ひばりとか江利チエミとかをダラダラ聴いて過ごした。
●企画展として、ドリフターズのオリジナルレコード7インチがキレイなジャケで陳列されてた。「ミヨちゃん」から「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」「志村ケンの全員集合 東村山音頭」「ヒゲのテーマ」まで。あのヒゲダンスの元ネタは、TEDDY PENDERGRASS「DO ME」だったって初めて知った。「ドリフの早口ことば」DIANA ROSS が元ネタらしい。ちなみにドリフの映画ポスターも陳列。「舞妓はんだよ全員集合!!」だって。阿部サダヲ以前にドリフが 舞妓HAAAAAN!!! してたなんて知らなかった。

ドリフポスター

●このヘンで具合が悪くなって、安定剤と鎮痛剤を飲む。クスリをラムネのようにパクパク飲むことに慣れ切ったボクの感覚。「これでもいいんかな?」と考えるが、30秒で忘れる。

●上原と代々木八幡の中間地点にあるカフェで休憩。

WEST PARK

「WEST PARK CAFE」
●場所:渋谷区元代々木町23ー11パーク代々木上原1F。上原駅南口、小田急線沿いに東へ歩いて6分ほど、選挙ポスターがベタベタに貼られてる廃屋寸前の木造家屋のある角を左に曲がったトコロ。
●ボリューム満点なハンバーガーがオイシそうなデリ。お客の3分の1が外人さん。白人ファミリーが楽しくランチしてると思えば、アジア系のカップルが英語でデートしてたりする店。またイイ店見つけた。ここでフリーペーパー「風とロック」リリー・フランキーさんロングインタビューを読む。リリーさん、最近ちょっとうつ気味?年明けからこの取材までほとんど家の外に出てなかったみたい。最近、他人のメンタルヘルスに敏感なボク。
●関係ないけど、「風とロック」箭内道彦さんって、NHKの番組「トップランナー」のMCやってるのね。前まで脳学者の茂木健一郎だったような気がしてたけど…。PERFUME がゲストの回で気付いた。コレを見てやっと3人の顔の区別がついた。ボクのタイプは「のっち」です。ショートボブと常にパンツルックがヨシ!新譜聴きたいな。

●お気に入りのアートショップまで足を運ぶ。

代々木八幡のアートショップ

「LAMMFROMM - THE CONCEPT STORE」
●場所:代々木八幡駅前の商店街、フレッシュネスバーガードトールの間の脇道に入り、突き当たりを右に。劇団青年座の事務所を右に見ながら「春の小川」という名のトンネルを潜り(上は井の頭通り)、突き当たりを今度は左。渋谷区上原1ー1ー21山口ビル1F
村上隆とかカイカイキキとか奈良美智とかのアートグッズを売ってるお店。ミニギャラリーも兼ねてます。カワイいポストカードがあったが無駄遣いは我慢。以前ここで買った村上隆のお花マークのブローチを、娘ヒヨコの幼稚園バッグにつけてあげてます。


昨日に続きガンダムトーク。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
(2001/03/25)
古谷徹、池田秀一 他

商品詳細を見る

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」
●もちろん、リアルタイムで観ました。当時中学生。奇縁なことに、ワイフもリアルタイムで劇場に観に行ったという。ワイフはガンダムに興味があったわけじゃないらしいが、アニメファンの友達(腐女子の先駆か?)に連れて行かれたという。そんで作品の印象を付き合わせたら、お互い覚えてるトコロが全然違う。ボクの場合一番の印象は、サイコミュ兵器の最高進化型「ファンネル」を駆使した壮絶なニュータイプ戦闘。νガンダムの七枚ファンネルの驚異的な戦闘力にゾクゾク。しかしワイフの一番印象は、シャアと水色の髪の毛の女子がキスしてるってトコロだという。……誰だっけ?とにかく言えることは、男子と女子では観てるポイントが全然違うというコトである。

●で、改めてビデオ屋から「逆シャア」借りてきて夫婦で観るのであった。ノマドヒヨコも一緒。
シャア率いるネオジオンが、地球に対して隕石落下テロを仕掛ける。コロニー人口100億人の時代の中で、敢えて人類の故郷・地球を滅ぼすというのだ。それにブライト艦長とアムロが、ニュータイプ仕様の新型モビルスーツνガンダムで立ち向かう。かつて敵であり味方でもあった永遠のライバル、アムロシャアが最後の戦いに臨む。ニュータイプ同士の死闘、壮絶。
●確かにシャアは若い女の子とチューしてた。ガンダムに数々出てくる偶然見出されるニュータイプ少女の一人、クェス・パラヤ。ガンダムシリーズでは、少年少女が否応なく戦争に吸い寄せられ、大勢死ぬ。大人だけで戦争はしないんだよな。宇宙世紀の超感覚ニュータイプとして生まれながら、それは必ず戦争に利用され、殺されるんだよね。
●凶悪なテロ計画に対して、ブライト艦長は容赦しない。小惑星アクシズに対して、核ミサイル攻撃を連発する。ファーストガンダムじゃ南極条約で禁じ手だった核兵器、今回は乱発。数発の通常ミサイルに一発核を仕込むのだ。「ブライトめ、なかなかやるな」シャアがつぶやく。シャアもとうとうブライトさんの実力を認める。目が細いだけの脇役じゃねえゼ。あ、ちなみにワイフはブライトさん大好きと公言。一方ヒヨコはシャアのファンになったっぽい。行方不明となったシャアのその後が気になってしょうがない。「シャア、ドコいっちゃったの?」ヒヨコ、シャアに入れ込むと手駒に使われて殺されるよ。
●あとエンディングテーマ。TM NETWORK「BEYOND THE TIME」。懐かしい!小室哲哉にはネガティヴイメージしかないが、久しぶりにこのテクノポップバンドが聴きたくなってしまったぞ。

これからは「機動戦士ガンダムZZ」。

機動戦士ガンダム ZZ 4機動戦士ガンダム ZZ 4
(2002/03/25)
矢尾一樹、岡本麻弥 他

商品詳細を見る

●数あるガンダムシリーズ、さすがに全部網羅できてるわけじゃない。「ZZ」は途中で挫折した。「Z」があまりに悲壮な物語になった反動で、「ZZ」はかなりお子様テイストの能天気モードにモデルチェンジ。外部の社会から忘れられ、弓矢と槍とシャーマニズム信仰レベルまで文明が後退したコロニーが出てきた段階で「そりゃねえだろ!」と思ってみるのを辞めた。
●しかし、敢えて「ZZ」に再挑戦する。ノマドとヒヨコと共に。お子様テイストも、リアルなお子様と一緒に観ればイケルだろ。三つのパーツが合体するガンダムZZにノマド大興奮。それでも秋元康リリックの主題歌「アニメじゃない」には子供心にも違和感を感じたらしい。「アニメじゃない、アニメじゃない、ホントのことさー」ノマド「パパ、なんでアニメじゃないの?」あー、アニメだよねー、おかしいよねー。クラッときた。やっぱナイよこの主題歌。

●関連してアニメもの。

FREEDOM 6FREEDOM 6
(2008/01/25)
浪川大輔、山口勝平 他

商品詳細を見る

「FREEDOM」1~6巻
大友克洋キャラクターデザインでちとテンションが上がるけど、所詮広告屋の仕掛けと思うと乗り切れない。つーことで今までスルーしてきたけど、企画原案が電通高松聡さんだってトコロに気付いて興味がわいた。この人会ったことがある。電通さんとは仕事でよくカラむが、申し訳ないけど全員画一的なスーツマンで面白い人には滅多に出会えない。その中で、一度打合せで会話しただけなのに強烈に印象を残したのがこの人。ああ、こういう人がクリエイティヴっていう人種なのかと思った。この人宇宙オタクらしくて、ポカリスエットをロシアの宇宙ステーションに持って行って、無重力でフワフワしてる映像のCMを作った。だからロケットの描写とかも細かくて、宇宙ダイスキ少年のノマドの嗜好にもピッタリ。親子でワクワクしながら見ちゃった。サターンV型ロケットが登場した時は図鑑でチェックしちゃった。毎回日清カップラーメンを食うシーンがお約束で出て来る所はしょうがないっちゅーことで。

パプリカパプリカ
(2007/05/23)
林原めぐみ、古谷徹 他

商品詳細を見る

「パプリカ」
●原作/筒井康隆、監督:今敏。十年以上前に「ミスターマガジン」という雑誌でマンガ連載にもなってた作品が、極彩色サイバーパンクになって戻ってきた。クールビューティの女性研究者とキュートな夢探偵パプリカは二重人格。他人の夢に侵入する装置が悪用され、夢と現実の境界が破れてしまう。深層心理で炸裂するテロというアイディアと、悪夢と妄想の大パレードが痛快で爽快でたまらんですわ。音楽担当が元 P-MODEL平沢進!エンドテーマ「白虎野」が、21世紀風にアップデートされたテクノポップで感動。平沢独自のエスノ~和風テクノ解釈が健在でイカす。話題作「エクスマキナ」では YMO/HAS が最新型のエレクトロニカで主題歌を構成してるが、80年代のテクノポップを潔く堅持するってのも気合いが入っててイイね。


聖火リレーは、無難に終わったのか?ダメだったのか?
欽ちゃんに発煙筒なんて、ココロが痛むね。反中国感情が高まっちゃうのかな~。北京五輪はあの国が穏当な民主化を進めるキッカケになるはずのイベントだ。韓国だって民主化を急速に進めた上でのソウル五輪だったし、日本だってアメリカ占領時代が終わっての東京オリンピックだった。しかし、今んトコロ、コレまでは丁寧に隠されていた、世界中が中国に抱いていた不安と疑念、そして中国人が世界に抱いていた不安と疑念を、白日の下に晒す強烈なプロパガンダになってしまってる。コレは誰もトクをしない。911テロ直後のようなイスラム教徒に対するヒステリーと同じような状況になってしまう。
●今回のキッカケはチベット問題だが、今騒いでいる人たちの中で、チベット問題に取り組んでた人は少ない。多分、中国人も日本人もヨーロッパ人も、戦後から続くチベット状況を前からヤバいと思ってた人なんてわずかだ。便乗して双方のディズコミュニケーションを剥き出しにしてるだけだ。一番ダメなパターン。チベット人のことなんてホントはどうでも良くて、互いの被害妄想感情だけが渦巻く結果になる。
●どんなカタチであってもあの国を国際的に孤立させるのは危ない。あの巨大国家が健全経営されなければ、経済問題(中国発の金融危機など)でも環境問題(食の安全から地球温暖化まで)でも安全保障問題(北朝鮮など)でも、メチャメチャ世界は危なくなる。なんとか穏便に、中国首脳と世界各国で調整してほしい。お願いだから。


ココまでシャレにならない状況になるとは思ってなかったので、バカな買い物してしまった。

tibet1.jpeg

●ネットで見つけたシャツ。友達が作って売ってるんだ。2500円。

tibet2.jpeg

「I ♥ TIBET」じゃないんだよ。ハートと見せかけて、チベットの地図のカタチになってる。あーあ、コレ着るチャンスなくなった。着てたら通りすがりの人に殴られたりするかも。


全然関係ないけど、一応Tシャツつながり。
ユニクロでノマドにガンダムTシャツを買ってあげたら、オマケにガンプラがついてきた。

エクシアの箱

機動戦士ガンダムOO ガンダムエクシア ホワイトヴァージョンセット(ユニクロ限定販売商品)
●FG「ファーストグレード」ということで、接着剤も必要ないとのこと。7時前から眼を覚ましていたノマドに「オマエ、コレ作ってみる?」と声をかけた。ボクは取説を見て部品の番号を言うだけ。ノマドがニッパを持って部品を切り取り、パーツを組立てる。ほとんど手伝わずにエクシア完成。ノマドやるじゃん。
●でもこのガンプラ、ホワイトヴァージョンだけあって真っ白。そこで午後、二人でシモキタザワの商店街に繰り出し、プラモ屋へ。

sunny.jpeg

●ハードコアなプラモ屋さん「SUNNY」。シモキタザワで唯一しっかりしたプラモ屋です。ノマド、ジャンボグレード(1/35)Zガンダムに感動などなどしながら、ガンダムカラーを選ぶ。そこで提案。ボク「ノマド、普通のエクシアは白と青だけど、あのノマドのエクシアは、ノマドの好きな色に塗ってみろ」ノマド「えーっ!好きな色にしていいの?」いいんじゃないの。シャアも自分のザクは赤く塗ったし。するとノマド一生懸命選んで、グレーとかメタルヴァイオレットなどなど購入。「だれもみたことナイエクシアにしてやる!」と意気込む。
●そんで着色。基本、配色はノマド。塗りきれないトコロは結構手伝ったかな。ノマド専用ガンダムエクシア、完成。

エクシア

●GNドライブ周辺をブラックにして、腕を赤と黄色にカラーリング。わかりづらいけど、足は青と紫の混じったメタルカラーを塗ってる。今日は親子でガンダムの日でした。

山口県光市母子殺害事件で元少年に死刑判決。
●遺族の本村さんのネバリ強い活動で、この事件は9年間にも及ぶ長い時間を経ても世間の関心から消えることなく、最終的に強い社会的メッセージを発信することができた。様々な無理解や圧力などもあったでしょうに、信念を曲げない根性は立派なものだと思う。ボクが今思うのは、死刑制度の是非、今回の判決の結果うんぬんというコトの一歩手前のコト。死刑に処すモノ、処されるモノへ関わるってコトは並大抵の神経では太刀打ちできない、デカい覚悟がいるってコトだ。

「カポーティ」DVD

●DVD「カポーティ」
●小説家トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」などで知られる戦後アメリカ文学の名手で、当時のNY社交界の超セレブだった。この映画はこの小説家が、ある殺人事件とその犯人へ取材をし、自分の代表作になる作品「冷血」を書き上げるにいたる様子を描いた映画だ。カポーティを演じた俳優フィリップ・シーモア・ホフマンのソックリさんぶりは公開年のアカデミー賞でも話題になり、主演男優賞まで獲っちゃったほど。ゲイであったカポーティは、劇中で見るとちょっとキモイおっさん。ヘナヘナ声でヘラヘラジョークをかまし、パーティではいつも話題の中心。
●そんなカポーティが、中西部カンザス州のド田舎で起こった一家4人惨殺事件になぜか興味を持って、取材を始める。そして死刑判決を受けた犯人に対して何度も何度も面会し、自分で弁護士をあてがって審理のやり直し請求までして彼らの刑執行を引き延ばす。「まだ死なれちゃ困るんだ。大事なハナシが聞けてない」都会の流行作家風情が、あの手この手で犯人につきまとい、自分のネタのために延命工作まで買って出る。今のジャーナリズムの感覚ではチト非常識な感覚だと思う。
●キモイおっさんがどんな覚悟で取材を始めたかはなはだ微妙だが、犯人の一人と深く交流する中で予想してなかった葛藤が生まれてくる。オモロいネタのために始めたのに、いつのまにか犯人の命を背負っちゃってる自分。命の恩人と寄りすがる犯人をゴマかしてネタを引っ張り出そうとする欺瞞。オマケに弁護士の活動で死刑じゃなくなっちゃうかもしれないとなると「もうダメだ、気が狂いそうだ」と寝込んでしまう。最後は、刑の執行までを見届けるカポーティ。4年もの歳月をかけて取材をした小説のタイトルは「IN COLD BLOOD」「冷血なのは、犯人なのか、それともアナタなのか」カポーティに投げられるセリフ。とにかく死刑に関わるには根性が要る。
「冷血」はノンフィクションノベル、ニュージャーナリズムと呼ばれ、当時の文壇で絶賛を浴びた。その一方でカポーティは、この「冷血」発表後、一つも作品を完成することができなくなってしまったという。ボクは不勉強で、この「冷血」を読んでない。早速買って読むことにした。さて、どんな本なのだろう。

「冷血」


もう一本、伝記映画を。

ファクトリーガール

●映画「ファクトリー・ガール」
●60年代のアートアイコン、イーディ・セジウィックの生涯を綴った作品だ。カリフォルニアの大農場主の家庭に生まれたセレブ令嬢が、NYのアートシーン、そしてアンディ・ウォーホルに出会い、一気に時代の寵児に昇りつめる。しかし、歪んだ家族関係から心に闇を抱えていた彼女は、ウォーホルのアトリエ、通称「ファクトリー」にたむろす変人集団に感化され、立派なジャンキーに仕上がってしまう。そしてとあるロックシンガーとのつかの間の恋。つーか名前を伏せてるけどボブ・ディランのコトなんですが。それがシコりになってウォーホルとの関係も崩壊。グシャリと崩れ落ちる彼女のデタラメ人生。
ガイ・ピアーズが演じたウォーホルは、カポーティと同じくらいキショイしゃべりで本物ソックリ。「あー、うーん、あー」とかブツブツいってる感じが最高。ちなみにセレブミーハーだったウォーホルカポーティとトモダチになりたくてしょうがなかったらしい。ファクトリーにはカポーティもよく遊びにきていたようだ。ウォーホルを巡るカルチャー人脈も数々登場、彼がプロデュースしたロックバンド THE VELVET UNDERGROUND & NICO のエピソードもチラリ、ウォーホルの右腕的アシスタントで写真家の、ジェラルド・マランガの雰囲気も過去のドキュメンタリー映像とそっくり。ボブ・ディラン役には、「スターウォーズ・エピソード2/3」アナキンを演じたヘイデン・クリスチャンセン。ウォーホルに突っかかる生意気な若者。
●主役イーディを演じるのはシエナ・ミラーという人。ボク的には初顔の女性だが、がんばってると思う。でも、イーディはボクの中で超ハイランクなアイドルなので、本物のキラキラにはかなわない。


この「ファクトリーガール」は試写会でみた。

contget-2.jpeg

●場所は京橋・映画美学校。京橋近辺には試写会場がいくつかあるが、この場所は独特のオーラを放っててとても好きな空間だ。古い昭和アールデコ様式のビルヂングで、映画の専門学校を兼ねてるせいか、スピーカーや美術品とかが雑然と置かれてて、学祭の後始末みたいな匂いが漂ってる。
●顔見知りの映画プロモーターの女性にあった。仕事でカッチリ関わることは滅多にないんだけど、ボクの趣味の映画を沢山配給してるので、試写会ではしょっちゅう顔を合わせてしまう。前は70年代のポルノ映画を巡るドキュメンタリー「インサイド・ディープ・スロート」、その前はマイク・ミルズ監督「サムサッカー」。ひねくれた映画ばっか扱う映画会社。その女性プロモーター、ボクの顔を見るなり「unimogrooveさん、お久しぶり!そうだよね、unimogrooveさんってカルチャーボーイだもんね」カルチャーボーイって……そんな言葉初めて聞いたわ。「スゴく久しぶりですね」ああ、ボク病気でしばらく仕事から離れてるもんだから。「へー、unimogrooveさんの仕事タフだもんね、休めるだけ休んじゃって下さいよ」病気ネタさらりと会話できるレベルってーのが、ボクの中で人間関係的に質が変わるポイント。ドスンと重く捉えられて気を使われたり、深刻すぎるリアクションされる方がボクには負担。「へーそうなんだー」で十分。つーかそれ以上は困る。


●今日のBGMは、PRINCE。いや正確に言うと「THE ARTIST FORMERLY KNOWN AS PRINCE」
PRINCE は好きなアーティストで、80年代から94年くらいまでは全部網羅して聴いていた。でも殿下ご乱心。1995年、名前をヘンテコな記号(発音不能)に置き換えて、周囲を混乱に陥れた。つーか、本人が混乱してたのかも。今日の音源はその時代のモノ。

「CHAOS AND DISORDER」

「CHAOS AND DISORDER」1996年
●80年代では完全に世界最前衛のファンク表現で超音速でぶっ飛ばしていた殿下。しかし、90年代に台頭してきたヒップホップだけは、自分のモノには出来なかった。ゴチョゴチョ頑張った形跡もあるんだけど、結局時代との乖離を否めないと確信した段階で、殿下は今までのキャリアを一掃してゼロから再出発しようとしたのだろう。1994年に全部在庫をお蔵だしして(一度は封印した THE BALCK ALBUM まで発表)、アルバム「COME」では死人の訃報のようなジャケを作った。
●でも殿下がスゴいのは、名前を変えても、時代に全然日和ったりしないで、オレ道を突き進むトコロ。このCDではギターサウンドがうめくブラックロックなんだもん!殿下特有のギリギリと呻きながら伸びるギターは、普通のブラックミュージックじゃ登場しない完全なロックギター。こんなコトこの時期誰もやってないよ!重心が中低域にある硬質ファンクも、ヒップホップに全然ならない独自路線。一般の評価は異常に低くて廃盤状態。でもこの軽く固いスネアが00年代のヒップホッププロデューサー達(THE NEPTUNESなど)から評価されるようになるのだから立派です。

「RAVE UN2 THE JOY FANTASTIC」

「RAVE UN2 THE JOY FANTASTIC」1999年
●一曲目の奇天烈ファンクから、かつての殿下ぶりが全開。スゴいコトにこのオープニング曲、87年のレコーディング。12年以上も前の作品でこのアップデート感。やっぱ天才。「ヘンテコ名義路線でイロんなコトやったけど、やっぱオレはオレでいいわ」という悟りが旧作からブチカマす大胆作戦に走らせたのだろうか。
●でも殿下の音楽は現在進行形で独自の進化を今なお続けていて、THE NEPTUNES の大先輩として奇形進化痙攣ファンクを雄弁に鳴らしてる。でもそれは決してアヴァンギャルドにならず、完全なエンターテインメントにキチンと着地。「THE GREATST ROMANCE EVER SOLD」「EVERYDAY IS A WINDING ROAD」「SO FAR, SO PLEASED」「WHENEVER U GO, WHATEVER U DO」などポップ佳曲多し。翌2000年にこのアルバムのリミックスアルバムを出し、2001年の「THE RAINBOW CHILDREN」で名義を PRINCE に戻す。80年代ファンクを推進したのは MICHAEL JACKSON PRINCE だが、マイケルがサイボーグ化しゴシップしかクリエイトできなくなってるのに比べ、殿下の方がずっとリアルで健全なクリエイターとして振る舞えている。

イモウトが第一子を出産。
●我がコドモたちに、従姉妹が出来た。メールで写真が届いた。イモウト、ダンナのken5くん、赤ちゃん。親子共々イイ顔してるじゃないか。ともかく、おめでとう。グッジョブ。オトナの階段登っちゃったね。「ヒヨコー!イトコがうまれたよ!」息子ノマドが喜ぶ。ノマドヒヨコは自分たちの生まれた瞬間の写真が見たいと言って、ムカシのアルバムを引っ張り出し、妙に感動してた。

「私たち、これでオジさんオバさんになったんだね」とワイフ。えっ、ちょっと凹んでるのソレ?「オジさんオバさん」じゃなくて「伯父さん伯母さん」だし。しかも、イイ年ブッこいて、自分のコト「オバさん」と思ったことなかったんかい!?ソコにビックリだよ。ボクはとっくの昔に「オジさん」感覚。隠れ肥満だし、腰も肩も痛いし、血液検査でバツが沢山つくし、病気だし。でも、イイ味出るのは、これからだから。オッサン力とでもいいますか。自分のカッコ悪さを受け入れる余裕が出来て、ダラーッとするコトができるようになる。これ目下の理想。ある意味ウザく、ある意味みっともなく生きて行きます。

ヒヨコの大天然。
●霧雨舞い散る今朝、幼稚園へ歩くヒヨコが言う。「あめがプチプチだね、ママしってる?アメプチちゃんていうヨウセイがいるんだよ。サクラちゃんのおともだち」サクラちゃんとは、ヒヨコにしか見えない妖精の名前。荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」的に言えばスタンドスタープラチナとか)みたいなモンなのだろうか。ヒヨコによると、サクラちゃんは温泉旅行に長期出張したりして結構不在だったりもするらしい。ともかくまた新しい妖精が生まれた。
●主体性のないヒヨコは、お友達の間で取り合いになる。従順で単純だから、手っ取り早く付き合わせるのに都合がいいキャラなのだ。先日も「ヒヨコのこと、ランちゃんとレイちゃんがとりあうの」一緒に三人で遊べばイイじゃない。「ランちゃんはバレエごっこがしたいんだけど、レイちゃんはイヤだっていうの」で、ヒヨコどうしたの?「ランちゃんがバレエをおどって、ヒヨコとレイちゃんはそれをみるオキャクサンになったの」おお、優れたオトし込みだ。ナイス裁きだヒヨコ。
●最近ヒヨコはトイレに入ると、「ピヨー!ピヨー!ピヨー!」と叫んでいる。ひよこになってしまうのだ。本人曰く「ヒヨコには4つのおココロがあるの。ニャンコのココロと、ひよこのココロと、あかちゃんのココロと、おねえさんのココロ」。おー、一番サイゴのが一応入っててくれてホッとしたよ。4つめがなかったら、どうしようかと思ったよ。この21世紀的ニュータイプ感覚の前には、ホントに自分が地球の重力に心を捕われたオールドタイプと思い知らされる。コイツらの超感覚から見たら、やっぱりボクはオッサンなのだよ。



ニュータイプって言って、一つ思い出した。

ガンダムエース6月号
 
●今月の「ガンダムエース」、表紙にニュータイプ専用モビルアーマー、ブラウ・ブロのパイロット、シャリア・ブルが登場。つーか、表紙飾るには激渋の人選じゃん!シャリア・ブルが表紙なら、ククルス・ドアンアカハナが表紙になってもイイくらいだぜ。誰だよコイツって一瞬思ったもんね。すんません、意味がわからない方は読み飛ばして下さい。

「写真』とはなにか。-「20世紀の巨匠たち」- 美を見つめる眼 社会を見つめる眼。

20世紀の巨匠たち


●この前、フルモデルチェンジした大丸東京店の併設美術館「大丸ミュージアム・東京」にて、20世紀の写真美術を一気に俯瞰する展覧会が行われた(昨日でおしまい)。メル友のヨーコさんがこの展覧会の企画に参加しているということで、会社の帰りに東京駅まで足を伸ばしたのであった。1900年代の古い作品から80年代の作品まで、一気通貫な勢いで20世紀の時空を駆け巡る展覧会。「写真」とはなにか。というコピーの通り、色々なことを考えさせられた。
●14人の写真家を取上げて、その代表作を展示する内容。文字通り写真史を代表する大物ぞろい。中には初めて知った写真家も。特にシビレた作家さんについてコメントを。


ルイス・ハイン LEWIS HINE(1874~1940)アメリカの少年時代。
写真が持つジャーナリズムの機能を証明したオトコ。20世紀初頭のアメリカで活動したハインは、工場や鉱山で重労働に携わる子供たちの写真を撮った。この写真が当時蔓延していた児童の不当労働を、社会問題として浮き上がらせたという。しかし、彼の写真に写る子供たちは眼をキラキラさせてて、貧しくはあるが悲壮感はない。ボクは、うちのコドモに見せたDVD世界名作劇場「トムソーヤーの冒険」を思い出した。はだしで、着たきりの小汚い服を着て、ホコリっぽい頭を揺さぶって、どこまでも走っていくかのような、野蛮なガキども。この時、アメリカはまだ少年時代で、冒険時代だったんだ。
Lewis Hine and the Crusade Against Child Labor
(「KIDS AT WORK: LEWIS HINE AND THE CRUSADE AGAINST CHILD LABOR」)


マン・レイ MAN RAY(1890~1976)前世紀のハイテクアート。
●新しく幕開けたばかりの20世紀。当時最新の芸術潮流「シュルレアリスム」にやはり当時最新の写真技術を導入。これって現代音楽にエレクトロニカ機材を導入して未知の表現を切り開く感覚と同じだよね。ソラリゼーション(白黒反転とか)を用いた作品など、撮影現場でなく現像過程で写真に加工を施す感覚は、生素材音をPCで編集するポストロック~エレクトロニカの手法に通じるモンがある。そして若き日のダダイスト、マルセル・デュシャンの肖像写真がクール。作品は有名でも顔は初めて見た。イヤミな皮肉屋で、ハッタリだけの詐欺師で、スカシたキザ野郎がニヤついてる。これが1900年代のトリックスターか。カッコいいじゃないか。

Man Ray [Illustrated](「MAN RAY (ILLUSTRATED)」)



ロバート・キャパ ROBERT CAPA(1913~1954)「悲しいけど、コレって戦争なのよね~」
人が撃たれて死ぬ瞬間を撮って名を挙げたオトコ。スペイン内戦、ファシストに対して立ち上がった民兵が目の前で銃弾に倒れる。その有名過ぎる写真、今一度冷静に見ると、キャパは撃たれた民兵のすぐ隣を走ってたわけで、下手すりゃ撃たれて死ぬのはキャパだったかも知れないんだよね。命を張る戦争写真家だ。昔見た写真集。ヨーロッパ戦線の市街戦、バルコニー脇で頭打ち抜かれて床を真っ黒に染める兵士の写真が忘れられない。そしてノルマンディー上陸作戦。「プライベートライアン」で壮絶血みどろの激戦が再現されてるが、ここでも度胸一発見事な写真を撮ってる。ちょっとピンボケの写真に、記者は「キャパの手も震えた」とキャプションしたが、震えたのは現像スタッフの方で、ちゃんと撮れてたキャパのフィルムを台無しにしちゃったらしい。
一方で、キャパは生き生きとした生命力も見事に切り取る男なんだなと、今回実感。パリ解放を祝う市民の素晴らしい笑顔。ナチ協力者を囲む人々の顔。晩年のピカソがガールフレンドにデレデレしてる顔。キャパは、ただの戦争ゴロでも、死体マニアでもない。躍動する生命力を一番見出せるのが、この時代ではたまたま戦場だったというわけだ。ハンガリー出身のキャパは、田舎育ちはオクビにも出さず、一流のパリジャン気取り、一流のプレイボーイで、女優イングリット・バーグマンとラブラブだったっつーからカッコいい。チャラチャラしてるけど根性座った伊達男、ボクは「機動戦士ガンダム」に出てくるスレッガー・ロウ中尉とイメージがダブるんです。「悲しいけど、コレって戦争なのよね~」スレッガーはそういって重モビルアーマー・ビグザムに特攻して死ぬ。キャパもインドシナ戦線で地雷を踏んづけて、死ぬ。

Capa,_Death_of_a_Loyalist_Soldier



ウィン・バロック WYNN BULLOCK(1984~1985)カメラというメカの質感と詩情の共存。
●この人は、この展覧会で初めて名を知りました。よって予備知識なし。けど、光の力がビキッと画面の隅々までに行き渡ってて、その鮮明さにハートを奪われました。丁寧に絞りを調節して、ガツーッ!とシャッターを長めに開く。フワ~~っと光がカメラの中に吸いこまれていく。そして画面の隅々までにフォーカスがキまった奥行きのある画像が出来る。そのメカニカルな質感を前提に、そんな仕組みとはウラハラな詩情あふれる世界観構築にため息。シダ植物の生い茂る薄暗い林の中、裸の少年が横たわる様子。遅めのシャッタースピードで、ドライアイスの煙のように軽く舞い上がるモヤとなった波と、その波に洗われる岩の安定感。写真というメディアが持つ重厚な迫力を感じました。

Wynn Bullock The Enchanted Landscape Photographs 1940-1975

(「WYNN BULLOCK: THE ENCHANTED LANDSCAPE PHOTOGRAPHS 1940-1975」)


アンセル・アダムス ANSEL ADAMS(1902~1982)モノクロの大巨人
●ヨセミテ自然公園など、アメリカ西部の大自然をガキーンと撮り収める巨人というイメージ。モノクロ写真の繊細なグラデーションが鮮やか過ぎて若かったボクには大ショック。岩肌や木の幹の濃淡をあれだけ雄弁に表現するためには、カラーでなくモノクロしかない、って確信させる迫力。彼のおかげで学生時代のボクは、マトモなモンなど撮れもしないのに、お古の一眼レフにモノクロフィルムを突っ込んでガシャガシャ写真を撮ってた時期がある。今回の展覧会に、大自然の大巨人というようなビッグな風景写真はなかったけど、枯れた鹿の角の骨に、慎ましやかな詩情が漂ってた。

Ansel Adams Our National Parks(「ANSEL ADAMS: OUR NATIONAL PARKS」)



ヘルムート・ニュートン HELMUT NEWTON(1920~2004)年を重ねて滲み出たフェチ心。
●ボクはこの人を若い写真家と勘違いしていた。斬新なファッション感覚で80年代に大活躍してたというイメージがあったから。でも80年代にはもう還暦オーバーの大ベテランだったのだ。ショック!SM趣味や、ボンテージ、退廃的ヌード、ピンヒールなどのフェティッシュなイメージ、これだけ尖った感覚が、オッサンパワーによって出力されていたとは。即座に荒木経惟を連想した。50年代からファッション誌で洋服の写真を撮ってきたニュートンが、洋服じゃなくて洋服の内側(つまりヌード)、そして内側の内側に隠されてるフェチ心を、写真に写そうとしたのはナニがキッカケだったんだろう。モノの本によると、70年代後半から、ファーのコートの下は全裸にした女の子を地下鉄に乗せて写真を撮り始めたという。うわ、企画モノのAV寸前ですぜ。「女の子を見るときはまず足から見る。ハイヒールは高い方がいい。高いヒールはセクシーだよ」こまったオヤジだ。彼の中では、服を着てるモノ/着ていないモノの対立概念も重要らしく、なるほど確かに展示作品は、スーツをパリッとキメた紳士と豊満なボディを晒すレディのペアって構図が多かった。

lesmoking2.jpg



ロバート・メイプルソープ ROBERT MAPPLETHORPE (1945~1989)ジェンダーを越境するパンク
●エイズの悲劇で失われた才能として、キース・へリングなどと並び称されることが多いけど、ボクの中ではNYパンクの目撃者。PATTI SMITH のデビュー盤「HORSES」や、TELEVISION 「MARQUE MOON」メイプルソープがジャケ写を撮ってる。ことPATTI SMITH とは同棲生活を送ってたくらいで(その頃の PATTI の写真も素晴らしいんだな~。半裸だけど色気ゼロの、ザラリとしたあの目つき。)、ゲイだっていうけど女の人も大丈夫なんじゃん?とか思うのです。展示されてたのは、女性ボディビルダー、リサ・ライオンのポートレイト。両性具有的な肉体美が、ジェンダーの境界を無効化する美学を象徴してた。PATTI「HORSES」でもわざわざ彼女にメンズのシャツを着せてる。境界を揺さぶり、世間の常識を転覆した。彼はパンクなのさ。

[Horses]パティ・スミス(PATTI SMITH「HORSES」1975年 ジャケット)



「写真」の出現が、近代アートのスイッチを押したのかな?
●写真技術が普及するにつれ、つまり20世紀初頭、大きな絵画運動が起こった。印象派に始まる近代美術の革新ですわ。ただ画像を記録するだけなら写真で十分。手書きで画像記録する必然はなくなり、そのための訓練も意味がなくなっちゃった。で、画家の皆さんは、写真には描けない世界を描くことになった。印象派、シュルレアリスム、フォービズム、キュビズム、ダダイズム、イタリア未来派、抽象絵画…。写真の登場でアートの世界観に構造改革が起こり、みんなが裏ワザ荒ワザ反則ワザを繰り出して、この世をヘンテコに眺める方法を今の今までズーッと追求している。悪ふざけ現在進行形。写真は業深いね。静かな美術の世界をシッチャカメッチャカにしたんだから。

写真がアートになるためには。メディアが武器になるためには。
●この展覧会の目的は、写真というメディアが、芸術表現の武器に昇格する段階を歴史的に羅列したもんだ。ただ景色が写ればオッケーよ~の機械から、メッセージや美的感動を伝える表現を引っ張り出すのは人間の知恵。機械を操作するのはエンジニアだが、美しく操作するのはアーティスト。テクノロジーの制約の中で見出された限界の表現がこれだ、って目で見ると、写真技術の進化と表現内容の成長のツバぜり合いが火花を散らしてるのが見えてきて、ドキドキしてくる。技術に溺れ呑まれるか、メカがイマジネーションについて来れないか、キカイ対ニンゲンの勝負だね。
●現代においては、表現メディアの選択肢は無限にある。画像/映像/音楽/PC/ネット…。そのメディアを、使い手である人間は芸術表現の武器に昇華できているだろうか。ハッキリ言って新技術にコンテンツが追いついていないと思う。ソレが悔しい。写真が20世紀100年をかけて成熟したというなら、ネット世代の我々が焦るのは速過ぎるかも知れないが、昨今の状況はキカイにニンゲンが完全に呑まれてる。
●一方で、その無限の選択肢の中で、今やオールドメディアのグループに入った写真技術、特にフィルムを使った撮影技術を自分の武器に選ぶという必然性も、表現者一人一人に問われていると思う。なんでわざわざ写真撮るの?なんで携帯の写メじゃダメなの?なんで動画じゃダメなの? ……21世紀の「写真とはなにか」がこれから問い直されるのだなと、感じ入るのであった。


カメラにまつわる個人的な思い出。
●大学時代にタムロしてたサークルの部室の隣に、写真部の暗室があった。ボクは友達から一眼レフを譲ってもらい、同じ学科だった写真部のヒヤマにモノクロ写真の現像の仕方を教わった。オリンパスのカメラは50ミリのレンズ搭載で、今までボクが見てきたカメラとは全然違う写り方をした。シャッターを押す音はキカイ仕掛けのカラクリに直結してる固い耳ざわりで、バシャっと金属のボディの中で何かが動く感触が楽しかった。小学生が「学研の付録」みたいな日光写真の現像を楽しみにするみたいに、ボクは色んなモノを撮影し、ソレがどんな風に写ってるのかが楽しみで、暗室の中に潜り込んでた。トモダチの顔を撮るのが好きだった。50ミリってレンズがそういう用途に向いているような気がしたから。カラーもイッパイ撮った。とはいえ、ボクの写真の腕がイイとは露も思えないけど。

写真部のヒヤマは大学3年の時に、姿を消した。
ヒヤマは、高校時代を空手一筋で過ごした硬派を絵に描いたオトコ。その鍛えられた筋肉と同じように、性格もカチンコチンで頑固一徹、曲がったことがダイキライ。でも普段は温厚で、体育会系ならではのメリハリの良さが気持ちイイ奴だった。あの暗室がなければ、フニャフニャ文化系のボクとは接点がなかっただろうな。確かセブンスターを吸ってた。
●しかし、ある頃から大学で奴の姿が見えなくなった。「フリーのカメラマンになりたい」と言って大学をドロップアウトしたのだ。奴の夢のコトは、そりゃ散々聞いてたけど、そんな方法で実行するとは思わなかった。その頃のボクは別の活動(音楽関係)に夢中になってたので、ヒヤマの変化には全く気付かなかった。奴と最後に交わした言葉も覚えてない。ヤツはスッといなくなってしまった。ドッカのイタリア料理屋でバイトして専門学校に行くつもりだってウワサをチラリと聞いた。暗室の外にあるソファでタバコを吹かしてたアイツは突然いなくなってしまったのだ。

その後、大学を卒業して今の会社に就職、それから3~4年した頃だったろうか。
●たまたま大学時代の仲間と夜メシを食ってた時だった。卒業以来一回も会ったことのナイ過去のクラスメートから電話がかかってきた。彼が伝えた内容に愕然とした。ヒヤマが死んだという。交通事故だった。ヤツはボクらが卒業した後大学にひょっこり戻ってきて、単位を揃えて5年目に卒業したという。そしてなんと代議士の秘書として運転手の仕事をしていたというのだ。地元から東京、東京から地元、移動の連続。その日は先輩秘書と真夜中に東京へ向かっていた途中だったらしい。
●写真家に憧れてたヒヤマが、どんなつもりで大学から姿を消し、そしてどんなつもりで大学に戻り、そしてどんなつもりで政治家の運転手になったのか。まるでさっぱりわからない。あまりに訳がわからなかったので、たまたま居合わせた仲間と二人で真夜中のドンキホーテに繰り出し、安物のエレキギターを一本衝動買いした。なんでそんなコトをしたのか今でもさっぱりわからないが、それがヒヤマを弔う儀式だったのだ。ギターなんて全く弾けないのに、その夜は明け方までゴリーンゴリーンと騒音をかき鳴らした。後日の葬式では肩の震えが止まらなかったのを覚えている。

昨日はマンションの理事会。
●クジ引きで見事アタリを引き当て、今年のマンション理事長に就任してしまった我が家。2か月に一度の理事会が昨日の日曜日に行われた。参加メンバーは管理会社の人2名と役員さん2名と、ボクとワイフ。ボクの他の役員さんは、リタイア世代のオジイさん。所有者名義は自分だけど、実際にマンションに住んでいるわけではなく息子娘に住まわせているという人たち。おおみんな親にマンション買ってもらってんのかよビックリだよ!親に支援してもらうなんてボクは露も考えた事なかった。
●しかし、リタイア世代のオジイさん(多分70オーバー、経営者か資産家か)、さすがに人生の大先輩、管理費の積立て計画書を見て「ふんふん、なかなか健全な運営で結構だね~」ボクには完全に意味不明の数字が羅列されてる表の上に指を滑らせて頷いている。本来ならこうした人種の方々とは接触もないボク、話してて面白いんだよね。
●娘さんがマンションにお住みと言う事でしたら、今日はドチラから?オジイさん「ワタシはね、梅が丘」梅が丘と言えば、小田急線が高架になって雰囲気が変わりましたよね。「昭和28年からズッとソコですからね、そりゃもう変わりましたわ。昔はナンにもなかったからね」昭和30年代ブーム(三丁目の夕日)を軽く超えてんじゃん。オジイさん、あなたはリアルです。

マンション理事会、なにげに攻めの運営仕掛けてます。
●このテのマンション管理組合って、管理会社の提案を追認していくってのがありがちな展開だけど、ボク、独自路線仕掛けてます。イニシャティヴを簡単に管理会社に握らせない。まず第一に、子供用の自転車を置く場所がないので、駐輪場の空き部分を使ってキッズスペースを新設する計画を進行してる。第二に、避難経路になってる裏手の鉄扉。施行会社が手を抜いたのか痛みがヒドく防犯上危険でもあるので、改修&忍び返し設置を発注。第三に、引越し業者のモラルが悪いので部屋を賃貸に出してるオーナーさんに業者への指導を提案。第四に、共用部分の空調設備の運用を見直してエコ節電ができないか調査を依頼。第五に、いつも公民館の貸し会議室でやってた理事会を、ボクの行きつけカフェでやること。オイシいお茶飲んでやった方がイイでしょ、ツマンナイ会議も多少は粋なモンになる。館内清掃の回数も増やしたし、地震保険にも入ったよ。自分のマンションをプロデュースするって楽しいな。
●このテの提案を管理会社にガンガン振ってたら、担当者の若いオニイさん明らかにテンパってしまってた。それがチト不安だったんだけど、事態は意外な結果に。今回の理事会に来てないので「アレ○○さん今日いないんスか?」と聞くと、女性担当者「あの、○○は3月末付けで退社いたしました…」えーっ!「2月から出社できなくなりまして…」あ……ぶっちゃけメンタル系?ボクが追いつめちゃった?「彼、入社2年目で、ちょっと荷が重かったみたいですね…理事長さんには良くしてもらったと申しておりました」あちゃー、「若者はなぜ3年で辞めるのか」を地で体現したわけだ…。担当マンション8個くらい抱えてて、いつも消耗してたもんなー。


「日経」とボク。
●最近はリハビリ出社生活の退屈しのぎも、うまく工夫できるようになって、そこそこ新鮮な日常を送っている。特に新しい習慣は「日本経済新聞」を読むことだ。新聞を10年もとってないボクにとって、一番縁遠いであろう新聞のお堅い情報が、新鮮な刺激になって楽しい。

ハイチがヤバいね。
●そんな中、気になった記事が、食糧価格の世界的高騰である。人口大国(中国&インド)の経済成長で世界の食糧需要が変わってきた。石油に代わるバイオエタノール燃料の生産のために、主要食物が燃料原料に転作されちゃってる事情もある。原油価格高騰、食糧価格高騰、途上国の人口増加、加えて地球環境の変化。ああ、地球はとうとう定員オーバー、生き残るためのイス取りゲームが始っちまう。そんなこんなでコンビニのカップラーメンですら値上げ傾向の昨今、貧乏な国は苛烈な危機に直面。南北アメリカ最貧国のハイチは、食糧暴動が起こって死傷者が出てるという。ハイチ…。キツイよ、ハイチ…。国民の過半数が一日2ドルで生活している国…。
●喰えない人間は、静かに餓死したりしないヨ。黙って死ぬなら暴れて死んだほうがイイ。絶望が人を殺人鬼に改造する。暴動上等、自爆テロ上等。将来に絶望したニートくんが、お年寄りや見知らぬ通行人を包丁で刺し殺す心理と一緒だぜ。さあハイチは対岸の火事じゃない。日本も食糧自給率39%、農業従事人口4%の国だ。

やっぱりヒップホップだね。その12。
●ハイチの現状を新聞で読んで、聴いてみたくなったのがこの人。

The Ecleftic: 2 Sides II a BookThe Ecleftic: 2 Sides II a Book
(2000/08/24)
Wyclef Jean

商品詳細を見る

WYCLEF JEAN「THE ECLEFTIC - 2 SIDES II A BOOK」2000年
FUGEES の頭脳であり、敏腕プロデューサーでもある WYCLEF のセカンドソロ。彼はハイチ生まれ。少年時代をハイチで過ごし、文字通り難民のごとくNYへ移民してきた男。FUGEES のブレイクで成功した彼は、母国ハイチの貧しい子供を対象にしたチャリティNPOまで設立。ハイチの BOB MARLEY とも言える存在になってる。しかし。FUGEES の盟友 LAURYN HILL はソロ&出産を機に、ヒップホップの女闘士から、悟りを開いたのか慈悲あふれる観音様に変身、BOB MARLEYの息子と共に浮世を離れて音信不通状態。皮肉のつもりかワイクリフ、このアルバム冒頭で、「おーいローリン、コレ聴いてたら電話くれよー」って言ってる。
「ECLEFTIC」って単語、辞書で引いたけど乗ってない。「ECLECTIC(折衷的)」の言葉と「WY-CLEF」を引っ掛けた造語だな。確かに彼の音楽は、ヒップホップと様々な音楽を折衷していく貪婪な意欲がてんこ盛り。時にレゲエのように朗々と、または塩辛く歌い、時にカリブのカーニバルの熱気をビシビシ伝えてくる。EARTH WIND&FIRE がやってきて名曲「BRAZILLIAN RHYME」を新録!サンプルじゃないんだよ!演奏し直してくれるんだよ!豪華!そしてアフリカ人シンガー YOUSSOU N'DOUR。 罪もないのに白人警官に殺された哀れなギニアの青年アマドゥ・ディアロへの鎮魂歌を歌う。実際に起こったこの事件をWYCLEFの鋭い舌鋒が糾弾する。「ディアロを襲った41発。アンタは彼が銃に手をかけたというが、銃なんか持っちゃいなかった。彼は帰らぬ人に。邪悪なストリート、お前らポリスは夜の吸血鬼、人の生き血が吸いたいのか?」ちなみにディアロを撃った警官は全員無罪。陪審員も全員白人。


ヒップホップじゃなくて、ジャズ。

Blue Light 'Til DawnBlue Light 'Til Dawn
(1993/11/02)
Cassandra Wilson

商品詳細を見る

CASSANDRA WILSON「BLUE LIGHT 'TIL DAWN」1998年
●80年代末のアメリカに「M-BASE」という一群の若いジャズアーティストたちがいたそうな。STEVE COLEMAN、GREG OSBY などが代表格。女性ボーカリスト、CASSANDRA WILSON もこの一派の重要人物だった。 初めて「M-BASE」の名を知った高校生の頃、探して買った GREG OSBY のアルバムはヒップホップをブレンドしたフュージョンだった。このアプローチが「M-BASE」なのか!当時はアシッドジャズ全盛期だったから、それに対するアメリカジャズサイドからのリアクションなのかと、勝手に合点してた。が、どうやらそれは勘違い。「M-BASE」には、変拍子とかヒネクレた旋律とか興味深い理論があるみたいで、結局その正体は勉強不足でまだ分からない。GREG OSBY はヒップホップにハマっちゃった時期があって、ちょうどソレをボクがたまたまツモッたワケ。おーい、ボクは10年くらい勘違いしてたんだよ勘弁してよ。
●この音源は、一派のキーパーソンだった彼女が、「M-BASE」派から一歩距離を置き、ジャズの大名門 BLUE NOTE からリリースしたもの。伝説のブルースマン ROBERT JOHNSON からサザンソウルのディーヴァ ANN PEEBLES、そして JONI MITCHELL まで、様々な名曲、スタンダードをカバーしている。90年代中盤のニュークラシックソウル、オーガニックソウルと結びつけちゃうのがボクの耳だが、声だけでこれほどのジャズ戦闘力を感じさせる強烈な個性は非凡。最小限の伴奏で、低く煙たい声をズーンと響かせる。時にアフリカンなパーカッションが闇の深さをより引き立てる。これで美人さんだっつーからなお立派だわ。彼女が本気出した「M-BASE」スタイルってヤツを聴いてみたい。


今日の帰りの電車の中。
●IT業界のイノベーションと投資効果を分析した英語レポートを読んでる女性がいた。年は40代、ヴィトンの立派なバッグを持ってる。きっと管理職レベルのキャリアウーマンだ。そんな彼女が携帯メールを打ち始めた。申し訳ないけど肩ごしにノゾキ見。
「4月で色々状況が変わって……ちょっと凹んだ。しょうがないことだけど」そこでこの女性、30秒くらい指を止め、「ちょっと凹んだ。しょうがないことだけど」を一気に削除。「4月で色々状況が変わって……環境が変われば気分も変わるでしょ。何とかなると思う」と書き直した。誰にメールしてるか知らんけど、弱音吐きたい時はちゃんと吐くべきだと思うよー。誰もが無理して虚勢を張って、窮屈な電車でガタンゴトン。その行き先には何があるんでしょうかね。


今日は長いっすよ。
●ボクはですね、音楽シーンの移り変わりを、超極私的回顧録と結び付けて、このブログでシリーズ化してます。なんだかんだでこれで五回目です。で、大きな構想としてはまだまだ続いてしまいます。音楽シーンの移り変わりは、音楽オタクのボクにとって、自分自身の「思春期から生意気な学生時代、20代サラリーマン、30代微妙オトナへ」の移り変わり、人間としての成長の軌跡と不可分の問題なんです。中学生の頃に音楽にハマって以降、個人的な思い出とその時代の音楽が完全に絡み合って、引き剥がすことが出来ません。すいませんね。ヘンな話にお付き合いさせて。あ、無理な方はお読みにならない方がいいですよ。非常に特殊でミクロな世界を取り扱ってますから。
●先日は90年代「マッドチェスター」から「ブリットポップ」の時代を、個人的な思い出を交えて振り返りました。今日はですね、同じイギリスの話なんですけど、ブラックミュージックの視点から、80年代末から00年代のシーンを、振り返りたいと思うのです。前回のイギリスの話は、自分の中では実に不完全燃焼、50%も語ってない感じ、だからその続編として、残りの50%、つまり「UK BLAK」をテーマに、思い出を整理したいのです。


●最初に、このシリーズの関連記事を列挙しておきますね。ご興味があれば、こちらもチェックしてください。

1986年~1988年桑田圭祐の音源&活動を語る事で、当時中学生だったボクが、音楽に、ロックに、いかにハマったか、というお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071214.html
1989年、平成元年「バンドブーム」とボクのバカ中学生時代のお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-293.html
1992年以降、90年代の東京を彩った「渋谷系」カルチャーを綴ったお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-240.html
1989年以降、イギリスのロックシーン、「マッドチェスター」「ブリットポップ」を扱ったお話。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080405.html)


●それでは始めます。


「UK BLAK」。イギリスの黒人音楽。
「BLACK」の「C」が抜けてるよ!ってツッコミ。ありがとうございます。でもミス入力じゃないっす。コレには意図があります。80年代末、JAZZIE B 率いるユニット SOUL II SOUL の大ヒット曲「BACK TO LIFE」「KEEP ON MOVIN'」でボーカルをとった女性シンガー CARON WHEELER が1991年にリリースしたソロアルバムのタイトル、それが「UK BLAK」イギリスに生きる黒人さんたちが、自分たちの文化、自分たちの音楽、自分たちの主張を本格的に始めた瞬間の気分を象徴した言葉だと思っているのです。SOUL II SOUL が開発した「グラウンド・ビート」は、「UK BLAK」が独自に編み出したニュースタイルの音楽で、コレを皮切りに90年代~00年代、豊穣なUK発ブラックミュージックが花開いていくのです。

UKBLAK.jpg

(CARON WHEELER「UK BLAK」1990年)



そもそも、イギリス人は、ブラックミュージックのよきリスナーだった。
●60年代のモッズ時代から、イギリス人はブラックミュージックが大好き。モッズシーンにおいては、クールな黒人を「スペード」と呼んで敬意を払ったという。R&Bやブルースの栄養をたっぷり吸い込んだ若者たち(MICK JAGGER とか)が、瑞々しいロックを鳴らした。レゲエの価値にも早くから着目し、ブルービートと呼んで踊り狂った。「ノーザンソウル」という言葉は、アメリカではモータウンなどのデトロイト他北部諸都市のソウルミュージックだが、この国ではイングランド北部の工業都市で暴れまわった熱狂的ダンサーたち「オールナイター」が愛好した7インチシングル中心のダンスシーンを示す。70年代には本国ジャマイカとは違う独自のレゲエシーンを形成し、2トーンスカのようなムーブメントを生んだ。T.REXMARK BORAN も、THE JAM、STYLE COUNCILPAUL WELLER も 黒人シンガーの女性と結婚した。80年代のニューウェーブ期も、斬新なブラックミュージック解釈で実験的(で奇妙キテレツ)な音楽が作られた。そして80年代後半のレアグルーヴ運動。DJたちが独自の解釈でジャズを再構築、今まで評価されなかったタイプのジャズに、新しい意味と楽しみ方を見出し、ダンスフロアでスピンする。アメリカ白人よりもかなり前のめりで黒人音楽に入れ込んできた、って見方が出来るでしょ。


少年、アシッドジャズにやられる。
●場面は変わって1992年、大学1年生になってたボクにフォーカスをあわせる。ボンクラ大学生のボクは、ある深夜番組に夢中になってた。フジテレビの週末超深夜、3時くらいだったかな?「BEAT UK」という番組があったのだ。UKのヒットチャートを完全英語ナレーションで紹介していく(現地制作で日本語ゼロ)番組で、最新のシーンの空気をテレビから感じることが出来る、稀有な番組。そこで何週間か連続で一位をとり続けた新人のシンガーがいた。ヒョロリとしたそのオトコのアタマにはでっかいフサフサの帽子が。もう誰のことだかわかるでしょ。JAMIROQUAIJAY KAY だ。「TOO YOUNG TO DIE」がその番組ではヘビロテだったのだ。STEVIE WONDER のように伸びのあるその高い声と楽しそうにくねくね踊る立ち振る舞い、童顔のその顔は同世代の親近感を感じさせたし(実際に4コ上程度)、冷戦終結で世界地図がどんどん変わっていくワサワサした90年代初めの気分に「死ぬにはまだ早ええ!」というメッセージは、目が覚めるほど新鮮だった。速攻でシングル2枚を買った。イントロにディジリドゥーを使ったデビューシングル「WHEN YOU GONNA LEARN ?」も最高だった。生意気なメッセージをガツンとかました最高にクールなこのシングルに、この時代を代表するレーベルの名がカッチリ刷り込まれてた。その名は「ACID JAZZ」

2007-03-01.jpg
 
(JAMIROQUAI「WHEN YOU GONNA LEARN ?」1992年)


アシッドジャズ。
アシッドジャズはジャンルを指す言葉であると同時に、そのシーンを牽引したレーベル「ACID JAZZ」の名前そのものでもあった。この「ACID JAZZ」とその創設者の1人だったDJ GILES PETERSON が独立して立ち上げた「TALKIN' LOUD」こそが、新時代のブラックミュージックを発信していた。レアグルーヴDJだった GILES たちは、自分らが発掘した過去音源を、ヒップホップが採用したサンプリングという手法や、テクノ・ハウスが採用したリミックスという手法で再構築し、90年代型のジャズにサイボーグ改造した。ヒップホップ、テクノ/ハウス、レゲエなどなどを全部ゴッタ混ぜにしてで、完全なハイブリット音楽を作ったのだ。その後バラバラに分化進化するジャンルミュージックが、未成熟がゆえに幸福な合体をすることができたのだろう。そんな総花的クラブミュージックに、ボクは感動しまくったのであった。

この時代を象徴するアーティストの音源5枚。

Road to FreedomRoad to Freedom
(2006/08/14)
Young Disciples

商品詳細を見る

YOUNG DISCIPLES「ROAD TO FREEDOM」1991年
●ヒップホップ感覚あふれる躍動感と、きらびやかなサンプルコラージュ、ソウルフルなバンドサウンド、そして CARLEEN ANDERSON の奔放なボーカルが、新しいムーブメントが巻き起こっていく時に吹く清々しい風を感じさせる。トラックメイキングの感覚は鮮烈で、ジャズの古ぼけたイメージを刷新した。これが新時代のジャズ!まさしく若々しい理想!キラキラしてたんだなー、コレが。
●ボーカル CARLEEN の母親は JAMES BROWN のレビューで大活躍したファンキー女傑 VIKKI ANDERSONソウルの血脈を正しく受け止めてる。モチお母さんのアルバムも探してくださいね。コッチもスゴいから。フェンダーローズをプレイしてるのは、THE STYLE COUNCILPAUL WELLER の相棒を務めた MICK TALBOT。一曲ラップを披露しているのは、NYから参加の MASTA ACE。残念ながらこのユニットはアルバム一枚出しただけで、CARLEEN の独立脱退で解散。その後の彼女はソロで活動しつつ、PAUL WELLER の90年代ソロに参加したり、やはりアシッドジャズの重要バンド THE BRAND NEW HEAVIES に参加したりしている。

In Pursuit of the 13th NoteIn Pursuit of the 13th Note
(1996/09/02)
Galliano

商品詳細を見る
 
GALLIANO「IN PURSUIT OF THE 13TH NOTE」1991年
●レアグルーヴDJの GILES PETERSON がレーベル TALKIN' LOUD を立ち上げて一番最初に契約したユニットが、この GALLIANO だ。レアグルーヴの華麗なコラージュがゆったりと滑らかで心地よく、そのトラックに訥々と乗ってくるラップは、むしろポエトリーリーディングといった趣、ジャズの湿り気と艶が香ってくる。個人的には翌年のアルバム「THE JOYFUL NOISE UNTO THE CREATOR」の方をよーく聴き込んだ。よりファンク度が上昇しているから。しかし1996年には TALKIN' LOUD から離脱、なんと音楽的傾向をガラリとモデルチェンジし、ドラムンベースに変身する。この時期には TALKIN' LOUD自身もアシッドジャズからドラムンベースに大きくシフトチェンジ。コレはコレでフューチャージャズ的な試みの一つとして重要な実験だったのかな、と今は思いたい。

The Penthouse SuiteThe Penthouse Suite
(1999/06/01)
James Taylor Quartet

商品詳細を見る

JAMES TAYLOR QUALTET「THE PENTHOUSE SUITE」1999年
●ハモンドオルガン奏者 JAMES TAYLOR を中心としたバンド。デビューは1986年。JAMES はその前からも THE PRISONERS というバンドで活動していたので、アシッドジャズというよりも、むしろ70年代末ネオモッズの気分に絡んでいた、筋金入りのモッズだ。洗練されながらも疾走感あふれるハモンドプレイは全盛期のモッズシーンを連想させ、ボクは彼らの音楽をキッカケに60年代ののモッズオルガンの魅力に没入していった(BRIAN AUGER & THE TRINITY、GEORGIE FAME、GRAHAM BOND ORGANIZATIONなど)。また ソウルシンガー NOEL MCKOY の伸びのある声をフィーチャーしたシングル「I HOPE I PRAY」「LOVE THE LIFE」アシッドジャズを象徴する名曲で、12インチでメチャメチャ聴き込んだ。このCDは、そんな彼らの80~90年代の活躍を集大成したライブ音源を集めたものらしい。モテモテぶり全開のジャケ写は、今だに彼が現役のモッズであるコトを誇示してる。モッズは一生モンの業である。NEW JERSEY KINGS という別名義でもリリースがあるのでソチラもチェックを。

海外に波及するアシッドジャズ。

1606630d-s.jpg

GROOVE COLLECTIVE「WHATCHUGOT / BUDDHA HEAD」1994年
●イギリスから見て大西洋の対岸、アメリカ N.Y.でもアシッドジャズに共鳴する者が現れた。1990年から活動を始めたパーティオーガナイザーチーム「GIANT STEP」が仕掛けるイベントの中で、ジャズを新解釈したバンド、アーティストが集まり、新しい才能が数々発掘された。そんなシーンから発生したのがこのバンド。この音源はシングルなので、ハウシーなサウンドのリミックスという性質を帯びているが、基本的にはこのバンド、とっても生演奏真性ジャズ体質。「GIANT STEP」はその後レーベル機能も備えるに至る。

もう一枚、日本人アーティストを。

4995879250549.jpg

ULTRALIVING「ZOONOMIA」2007年
日本人の二人組ユニットであるこのバンドを、アシッドジャズとくくっていいのかというと、多分明らかに違うと思う。でも敢えてご紹介。彼らは、日本のシーンをいきなりすっ飛ばして1998年イギリスのレーベル CREATION からデビューしてしまったアーティストだ。良心的インディーレーベルとして、UKのロックシーンをにぎやかしていた CREATION はこの頃、OASIS 人気の大爆発でアゲアゲ状態になってた。そんなタイミングで、完全ジャズ志向の日本人ユニットのデモを聴いて即座にフックアップしたというからビックリ。ロック色の強い CREATIONが、ジャズな彼らに関心を示したのも意外だし、無名の日本人をいきなり一本釣りしたのもビックリだった。
●ファーストアルバムは、ヒップホップ~トリップホップ的なキャッチーさを供えていたが、2枚目ではトゲっぽいフュージョン魂が垣間見え、3枚目ではもっと抽象的な世界に突入してしまう。4枚目の本作は、ボーカル曲をたくさん搭載して難易度がぐっと低くなったが、臆面なくジャズ。ジャズに対して全くブレがない。あらゆる手法や技術を通過して、結果本質的なジャズへ突き抜けた感じがする。90年代的クラブミュージック的なハイブリッド感覚を克服昇華して、00年代のリアルなジャズに到達した観がある。現在は CREATION を離れて久しい彼らだが、もっと高く評価されるべきだ。ちなみに、ライブもすごくカッコいい。最近は全然見れてないけど。


●その他、この時代に活動したアシッドジャズアーティストを列挙。
●ジャズファンクバンドとして活躍した INCOGNITO、THE BRAND NEW HEAVIES。陽気なオルガンインストの CORDUROY。70年代ロックをソウルフルに鳴らした MOTHER EARTH。UKソウルの重要人物になる男性シンガー OMAR。B級レーベル「DORADO」で活動した D*NOTE、OUTSIDE(このユニットがボクは大好きで、間違って同じ12インチを3枚も買ってしまっていた)。BLUE NOTE 所属で HERBIE HANCOCKをサンプルした US3。クールなジャズギタリスト RONNY JORDAN。アメリカ組では JAZZHOLE、BROOKLYN FUNK ESSENTIALS。日本発では UNITED FUTURE ORGANIZATION、MONDO GROSSO、KYOTO JAZZ MASSIVE が注目された。


ジャズへの目線がオセロのように裏返ってしまった。
●個人的にいうと、少年時代のボクは「ジャズ」が大嫌いだった。実はボクの父親は大のジャズ好き。安いラジカセのカセット音源をガシャガシャ鳴らし、クルマに乗ればカーステで鳴らし、休日になればヘタクソなサックスをブカブカ吹く。もうコレでジャズに対して完全にアレルギー体質になってしまった。「ジャズ」という言葉に、洗練、クール、大人の落ち着き、というイメージを乗せる人は多いかもしれない。でも小学生の頃からバカバカうるさいチャーリー・パーカーや、かび臭いグレン・ミラーを聴かされてた子供のボクには、ゴチャゴチャやかましい、録音が古くて荒れている、野暮ったい、と最悪のイメージで捉えていた。
それが、一気に時代の最先端の音楽になってしまった。最新の手法を備えたクールな音楽。当然、本来の「ジャズ」に対する考え方も変わる。父親のレコード棚を漁り、改めて聴きなおした。今では、父親の音源は実家からむしりとられて、一枚残らずボクのレコードコレクションに入っている。父親のジャズ趣味と、今のボクのジャズ趣味は、必ずしも一致しないが、随分話が出来るようになった。アシッドジャズ以前のボクは、子供の反抗心でジャズを否定してたようなモンだった。「親の聴くものなんざ価値はねえ」とね。

でも…。アシッドジャズって「ジャズ」なのかな?
●ボクの中でのジャズ認識(ジャズ定義)は、少年時代から今にわたるまで、基本的に変わってない。プレイヤー一人一人がその技術を訓練と研鑽によって研ぎ澄まし、その音楽を剥き身でぶつけ合う火花のスリル。そこに予定調和はなく、高度なアドリブが誰も行き先の分からない異次元へ、聴く者そして演奏する者自身をも引っ張り挙げていく。でもでもでも、アシッドジャズの、サンプルや打ち込みで構成されたトラックには、不定形で未完成な部分はない。アドリブに解放されてる余地がない。これは果たしてジャズか?そんな疑問がすぐに浮かんだ。むむむ。アシッドジャズは、ジャズの表面をトレースしているが、ジャズの本質とはズレているのかも。一方、ボクのジャズ観が実は限定的なのであって、そのイデオロギーは70年代くらいにもう崩れたのかも。これは、00年代のフューチャージャズ、クラブジャズを聴いてても湧き上がる疑問だ。反対に、ジャズの体裁をとらずしてジャズの本質に到達してる音楽もあるってことも分かってきた。とにかくこの問題は難しい。


●それから。それから。


イギリスに「レイヴカルチャー」が花開く。
●新型ドラッグ「エクスタシー」に加速されたハイテンションで、ダンスミュージックが活況を呈す。「アシッドジャズ」の呼称の元となった「アシッドハウス」エクスタシー対応型のダンスミュージック(「アシッド」そのものがエクスタシーを示す隠語)で、ダンスフリークはクラブを飛び出し、野外や廃屋でゲリラ的な違法パーティを繰り広げた。
●そんなダンスミュージックが自らを理論武装し、その表現を深化させる。今もシーンの最前線に立つテクノレーベル WARP「ARTIFICIAL INTELLIGENCE」というキーワードを旗頭に、享楽的なイメージだったテクノを最新型最前衛の先鋭的表現フォーマットに進化させた。APHEX TWIN こと RICHARD D. JAMES、THE BLACK DOG PRODUCTION(現 PLAID)、THE ORB ことALEX PATERSON、AUTECHRE がシーンに紹介された。
●UK のテクノシーンは、テクノを闘争の武器と位置づけたアメリカ・デトロイトテクノ(UNDERGROUND RESISTANCE、JEFF MILLS、DERRICK MAY など)や、東西統合を果たしたばかりのドイツのハードなテクノシーン(HARDFLOOR など)、日本のシーン(電気グルーヴの1STはマンチェスターにてレコーディング)と共振して、グローバリズムな文化として全世界に浸透する。

Artificial IntelligenceArtificial Intelligence
(1992/07/09)
Various Artists

商品詳細を見る


●マンチェスターのテクノユニット 808 STATE1992年のライブ@渋谷 ON AIR は最高に楽しかった。マンチェスターの他のロックバンド同様、彼らもとってもカッコ悪く(完全にただのオッサン)、それが最高にカッコよく見えた。中心人物 GRAHAM MASSEY は70年代末から活動していた元パンクスで、メタボな腹に「PIONEER LASERDISC」のノベルティTシャツを被せて踊りまくっていた。ボクが今でもノベルティグッズが大好きなのは、この原体験に由来してる。
●彼らがクールに思えたのは、自分たちの楽曲に工業製品のような型番をつけて(「PAFCIFIC 303」とか)リミックスを量産しまくってた事だ。ダンス衝動へ機能を特化された楽曲は、ロマンも情緒も剥ぎ取られてターンテーブル上でスピンされる音声の一パーツになる。どんなパンクよりも、どんなハードロックよりも、清く正しく美しく、潔く過激でアヴァンギャルドだった。彼らの前に、ロックは全て陳腐な芝居となった。

Utd. State 90Utd. State 90
(1990/06/11)
808 State

商品詳細を見る


●今のは寄り道。今日はブラックミュージックのハナシだから。UKテクノは白人に片寄ってる。
アシッドジャズも、英国伝統のモッズ趣味から発生したムーブメント。支持者もクリエイターも白人がメインだった。白人と黒人の共闘というべきかな。しかし、それとは全く別の文脈、イギリス国内のジャマイカ移民が全く新しい音楽フォーマットを作り上げた。次はそんなハナシ。


「ドラムンベース」。
イギリスはジャマイカの宗主国とあって、1967年にジャマイカが独立しても関係は実に深いままだった。ジャマイカ移民は継続してイギリスで増え続け、独自のコミュニティを生み出して行った。そんな彼らは故郷の音楽をイギリスに持ち込んできた。レゲエだ。70年代以降は UK産レゲエが、独自のダブサウンド、独自のルーツ観を展開した。パンクやニューウェーブにも大きな影響をもたらした。
●1985年頃から、ジャマイカのレゲエは、コンピュータライズドと呼ばれる打ち込み主体のスタイルに移行した。この影響がイギリスにも伝播し、90年代初頭には、テクノ、レイブ、コンピュータライズドダンスホールレゲエが同時に楽しまれるようになった。ここから、新らしい音楽が生まれる。「ジャングル」だ。ダンスホールレゲエのリズムを超高速化し、これにDJがトースティングしていく(ヒップホップ的にいえばMCがラップを乗せる)。
「ジャングル」が徐々に洗練される事によって、この音楽の本当の破壊力が明らかになった。打ち込みトラックに依存するリズムパターンは超高速&超複雑になって、もはや人力では再現不可能なレベルまでに到達した。そしてヘヴィーなベースライン。大きくバランスを逸脱した強力重低音。白人のキッズは、高速ビートに合わせて痙攣的に踊り狂ったし、黒人のキッズは、重低音に合わせて腰を大きく揺すらせた。「ドラムンベース」の完成である。
●イギリスの港湾都市ブリストルから出現した RONI SIZE / REPRAZENT は独特のファンク感とロックのダイナミズムを取り入れて、一気にシーンのヒーローになった。GOLDIE もそのギャングスタなルックスとスペーシーに洗練された音楽でカリスマを放つ。4 HERO は生演奏やジャズ、クラシックのフレーヴァーを取り込んで芸術的奥行きをドラムンベースに与えた。PHOTEK は特殊な変拍子や音響的実験を通して「武士道」までその奇妙な美学を発達させた。DJ ZINC はじめ NO U-TURN というレーベルから発信した連中は、ダークで凶悪なベース音でロンドンの闇をさらに濃くする。そして APHEX TWINSQUAREPUSHER。偏執狂的な超超高速痙攣ビートが分裂病のように予想のつかない方向へ展開して行く狂気を表現。彼らの過激な音楽は「ドラムンベース」ならぬ「ドリルンベース」と呼ばれるに至った。

New FormsNew Forms
(1997/09/08)
Roni Size & Reprazent

商品詳細を見る

Feed Me Weird ThingsFeed Me Weird Things
(1996/06/01)
Squarepusher

商品詳細を見る



「H JUNGLE WITH T」とドラムンベースとの出会い。

459480.jpg

●1995年、日本の歌謡界でジャングル旋風が吹き荒れた。「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」というウタが流行ってしまった。ダウンタウン浜田雅功小室哲哉のユニットだ。年末には紅白歌合戦にも出てしまった。イロモンだと思った。
●翌1996年、大学4年生になったボクは、仲間と一緒に池尻大橋の小さいクラブを借り切ってDJをしようと企画してた。仲間に呼びかけてライブパフォーマンスの出来るヤツや、DJの出来るヤツを集めてた。そんな時、早稲田の友達が1人DJを連れてきた。彼が言うには「ドラムンベースをかけたい」という。正直まだそのテの音楽に馴染みのなかったボクは「ジャングル」なら勘弁と、一回はそのDJの申し出を断った。でも彼が食い下がる。「小室哲哉やエイベックスが売ろうってヤツをしようって訳じゃないんだ。聴けば絶対納得する。このシーンはこれからなんだ、ドラムが歌う、ベースがうなる、最高にクールにキメる」ボクは、渋々このDJの参加を承諾したが、イベント当日のプレイには衝撃&驚愕&完全降参、「ごめん、ドラムンベース、最高だった」と彼に詫びた。
●96年以降には日本にもドラムンベースは大々的に紹介され、都内のアチコチで有名アーティストが来日、クラブでスピンした。ボク自身も一番活発にクラブ遊びしてた時期。最高にたのしかったね。下のアーティストは、2回くらい聴きに行ったと思う。

Progression Sessions: LiveProgression Sessions: Live
(2002/10/15)
LTJ Bukem、MC Conrad 他

商品詳細を見る

LTJ BUKEM FEATURING MC CONRAD「PROGRESSION SESSIONS - JAPAN LIVE 2002」2002年
LTJ BUKEM と彼のレーベル「GOOD LOOKING」のクルーが東京 LIQUID ROOM でスピンしたイベントの実況盤。BUKEM も前述したドラムンベースアーティストと同じだけの影響力を持ったシーンの巨人だ。特に彼の美学はDJからレーベル運営まで完全徹底している。透明感のあるキラキラしたサウンド、明快なビート感覚は、ブラックミュージックを宇宙空間へ解放するようなスケールの大きさを感じさせた。4 HERO がジャズを志向し、RONI SIZE がファンクとロックを志向したとすれば、LTJ BUKEM AOR 的なフュージョンミュージックを志向していたような気がする。
●未来世紀の宇宙空間から響いて来るような BUKEM のトラックに、人間存在はチッポケすぎて介入するスキマがない。しかしダンスフロアでフィーチャーされる MC CONRAD のシャウトは、この広大な音楽に人間のソウルを注入してくれる。このCDにはスタジオ音源と、ライブ音源の2CD構成だが、彼がフィーチャーされることで場の気分が一変する。ボクが生で味わった BUKEM のプレイには2回とも彼がブースのサイドに立ち、オーディエンスを煽ってた。西麻布イエローの入り組んだフロアの中、DJブースを見下ろす階段から彼らのプレイをずっと眺めてた覚えがある。CONRAD はマイクで客を煽りながら、もう一方の手で細かくエフェクターのツマミやボタンを繊細に操作し、自分の声にディレイやリバーブなど様々な効果をその場で施していた。スゲエ職人芸。
BUKEM がこのCDでプレイしている音源で注目すべきは、MAKOTO ってアーティスト。3曲もスピンされているが、彼は日本人だ。日本での評価を通り越してイギリスで評価された人物だ。あと一つ、HERBIE HANCOCK も一曲収録されてる。ジャズ巨匠の彼もこの90年代にはドラムンベースに挑んだのだ。HERBIE HANCOCK はスゴい。MILES DAVIS の元に学び、60年代には新古典派と呼ばれるほどの保守的な作品を作りながら、70年代には「HEAD HUNTERS」で強力ファンクに挑戦、80年代には GRAND MASTER DST のターンテーブルスクラッチをフィーチャーした「ROCK IT」ヒップホップに挑んだという前科がある。機を見るに敏。時代と寄り添う感覚が優れている。


●それから。それから。


UKソウルの成熟。
アメリカのR&Bに比べて、UKソウルは物足りない。アクが足らない。渋みがない。味が薄い。オシャレだけどスカスカしている。そーんな偏見をお持ちの方、いらっしゃいませんか。はーい。ワタシがそうです。90年代のニュークラシックソウルの時代には、ソレのテイストに準じた音源がイッパイ出てた気がしたけど、なーんかモノマネっぽくてダメなんです。
でも00年代に入ってから、独自のテイストを持ったシンガーが大勢出てきた気がする。正直まだ研究中なんですけど。独自のレゲエ解釈で現代的なソウルを歌う FINLEY QUAYE を発見した時から、あ、アメリカのモノマネをしないシンガーが現れたんだ、と感じたのです。

Introducing Joss StoneIntroducing Joss Stone
(2007/03/20)
Joss Stone

商品詳細を見る

JOSS STONE「INTRODUCING JOSS STONE」2007年
イギリスの女子力は今スゴい。アメリカの白人シンガーはチャラチャラしたお子様向けのポップロックばっか。一方イギリス白人女子には、自分のハラワタを切り開いて自分のソウルを握り出してきたかのような根性のある娘が多い。AMY WINEHOUSE しかり、ADELE しかり、そしてこの JOSS STONE も。まだみんな若いのに立派。この音源リリース時で20歳、でももうアルバム3枚目だよ。プロデュースは RAPHAEL SAADIQ。モータウンや60年代R&Bを連想させる気分がむしろ新鮮。アメリカの流行り廃りの激しいR&Bのトレンドを追いかけるより、ずっと地に足がついているパフォーマンス。キチンと自分のルーツに正直なのがわかる。MARK RONSONAMY WINEHOUSE も近作では60年代R&Bに注目しているみたいだし、この辺の動きは今目が離せないかも。

Set the ToneSet the Tone
(2006/06/12)
Nate James

商品詳細を見る

NATE JAMES「SET THE TONE」2006年
●チャーミングなアフロ頭と童顔フェイスが人なつこい印象を与える彼の、ファーストアルバム。その顔つきがそのまま音楽に現れているのか、素直で爽やか、ポップ感あふれるストレートさが却って潔くさえ思える。レコード会社は「第二の JAMIROQUAI」と宣伝したが、その気持ちはわかる。ディスコっぽい疾走感と STEVIE WONDER のような高くよく伸びる声が JAY KAY にカブると言えば言えなくもない。でも多分 JAY KAY よりもずっと育ちが良くてイイヤツですよこの人。JK はちっと狂ってるから。ボクがこの人に注目したのは日本のジャズバンド PE'Z が初めてコラボしたボーカリストだったからだ。このシングルが最高で、PE'Z の音楽性自体を拡大させたほどのモンだった。で、PE'Z 関係者に聞いた所、ボクの予想通り、NATE は超イイヤツだったそうな。

トゥルー・カラーズ~スマッジ・デビュー・アルバムトゥルー・カラーズ~スマッジ・デビュー・アルバム
(2005/07/27)
スマッジ、シモーン 他

商品詳細を見る

SMUJJI「TRUE COLORS」2005年
●ジャマイカ生まれ、完全にレゲエカルチャーの人なんだけど、ロンドン育ちでR&Bテイストが完全にイギリス風味。ダンスホールレゲエの高速トラックにシルキーなファルセットが響く。つまり KEVIN LYTTLE のようなソカの最新型なんですな。イギリスのジャマイカンコミュニティは、常に UK のシーンに新鮮な刺激を供給している。前述のドラムンベースも、後述するダブステップも、ジャマイカの影響なしでは生まれ得ない音楽だ。


●それから。それから。


00年代。UK ガラージ~グライムの登場。
ドラムンベースのシーンが一段落する90年代末期から、また UK 発の音楽言語が登場しようとしていた。ドラムンベースが持つ、変則ビートの可能性をマニアックに追求するブロークンビーツ4HERODEGO が立ち上げた 2000 BLACK といったレーベルが、より複雑なビート実験を続けた。でもこれはチトマニア向け。
ドラムンベースのポップな面を、よりオシャレに昇華させたのが2ステップ。粗暴なダンスミュージックだったドラムンベースの角を切り落として、音楽に丸みを持たせたモノ。ウタもの中心に進化したのもポピュラリティーを獲得する上で重要だった。MJ COLE、ARTFUL DODGER、CRAIG DAVID などがこのシーンから巣立った。日本でも TEI TOWA がこのスタイルにのめり込んでた。
●一方でトランス/プログレッシブハウスも UK で爆発的な支持を集めていた。「GARAGE(ガラージ)」とは本来80年代末~90年代初頭の N.Y.発のハウスミュージックを差す言葉だったが、UK のハウスシーン拡大の中、この言葉が「SPEED GARAGE/UK GARAGE」という名前で復活した。
2ステップ UK ガラージは、アメリカならばヒップホップにたどり着くであろうゲットー育ちの若者たちに、表現様式を与えた。アメリカ音楽とは全く関係なく UK の中で進化した、2ステップと UK ガラージが合体したようなハイスピードの変則リズム。これに自分たちの鬱憤や憤りを乗せて歌いラップした。これが「グライム」GRIME とは「しみ込んだ汚れや垢」という意味。代表的なアーティストは、SO SOLID CREW、DIZZEE RASCAL、WILEY、THE STREETS……。APHEX TWINRICHARD D. JAMES が主宰するレーベル REPHLEX までもがグライムのコンピを編んだ。

●王道のグライムとはズレテルんだけど…この一枚。

Welcome to the Best Years of Your LifeWelcome to the Best Years of Your Life
(2007/03/26)
Ben Westbeech

商品詳細を見る

BEN WESTBEECH「WELCOME TO THE BEST YEARS OF YOUR LIFE」2007年
●UK ガラージの発展型の一つのカタチ。クラシックの教育を受けていたが、10歳でブートのミックステープでドラムンベースにハマってしまったのが運の尽き。オリジナルジャングリスト(最初期ドラムンベースのカリスマ)SHY FX の元で修行、ロンドンの大学もドロップアウト、 RONI SIZE らを輩出したマルチカルチュアル都市ブリストルに移住。そこで、ドラムンベース、UK ガラージ、2ステップ、R&Bまで飲み込んだダンスミュージックを一人編み出した。過激さエキセントリックさが目立つドラムンベースグライムのビート感覚を、チャーミングなセンスで洗練させて、陽気なメロディを甘く乗せて歌う。これまた新時代のR&Bの一形態かも知れない。
●そんな彼に光を当てたのが、TALKIN' LOUD 主宰の GILES PETERSONアシッドジャズレーベルだった TALKIN' LOUD は90年代半ばにはドラムンベースレーベルに変身し、RONI SIZE / REPRAZENTを発掘、4 HERO の大傑作「TWO PAGES」もリリースする。2ステップの貴公子 MJ COLE も彼の元でファーストアルバムを発表。GILES ある所、最新型のサウンドあり。80年代末からそのアンテナが全然狂ってないんだな、スゴいよ。そんな彼は2006年に新レーベル BROWNSWOOD を創設。その第一弾アーティストが BEN となった。実は当時の BEN はニート寸前のダメ人間で、友達に借金してPC買って音楽制作してたくらいの逆境だった。そんな貧乏小僧に才能を見出す感覚は見事としかイイようがない。BEN も自分の音楽にそんな生活苦など1ミリも感じさせないハッピーなテイストでまとめててスゴいと思うけど。ちなみに、BROWNSWOOD は日本のジャズバンド SOIL & PIMP SESSIONS とも契約してる。


●それから。それから。


UKにヒップホップはなぜ根付かないのだろうか?
●全世界にヒップホップというフォーマットは広まっているのに、日本でも韓国でもブラジルでもドイツでもフランスでも、ありとあらゆる場所でヒップホップは聴けるのに、世界第三位の音楽市場を誇るイギリスの中で、純正のヒップホップは存在感が薄い。なぜだろう?そしてグライムシーン。彼らグライムアーティストは、アメリカのヒップホップとの距離感を微妙に行ったり来たりしててどうも落ち着かない。傾向としてヒップホップに接近しすぎると音楽がつまらなくなる。グライムの持ち味を失ってしまう。でもヒップホップに対する関心がないわけじゃない。微妙なコンプレックスがあるような気がする。


UKヒップホップを地下で支えたレーベル BIG DADA。

200px-BigDadaLogo.jpg

●設立は1997年、ロンドンを拠点にするレーベル BIG DADA。独自のアブストラクトヒップホップ世界を展開してきたレーベル NINJA TUNE の傘下にある。なぜUKにヒップホップが深く根差さなかったのか、今だにボクには理由が分からないが、そんな状況の中でこのレーベルは実にユニークなヒップホップアーティストを育ててきた。ROOTS MANUVA はジャマイカ移民2世として独特のダブ感覚とヒップホップセンスを結合してアメリカ人にはマネできない音楽を作ってきている。UKエイジアンの超新星 M.I.A. の強烈なバングラビートをプロデュースして一気に時代の寵児となった DIPROグライムシーンの裏番長、WILEY もこのレーベル所属だ。グライムの影響がアメリカに伝播して起こったボルチモアブレイクスというシーンで活躍するSPANK ROCK もココと契約した。……そしてココに、UKヒップホップの闇将軍がいる。

Universally DirtyUniversally Dirty
(2006/08/08)
New Flesh

商品詳細を見る

NEW FLESH「UNIVERSAL DIRTY」2006年
●このアーティスト、前は NEW FLESH FOR OLD という名前だったのです。この頃のCDを発見したのがフィンランドの首都ヘルシンキのレコード屋。2000年。まだコドモが生まれてなかった頃、夫婦で巡ったフィンランドツアー。8月頃、ほぼ白夜状態で夜11時でも夕暮れ感覚だった。旅の目的は、ヘルシンキから特急とバスを乗り継いで半日くらいの小さな町ナーンタリにあるというムーミンランドに行く事。コレも最高に楽しい経験だったが、ボクはここでもレコード屋を探してモシャモシャCDを漁ってた。
●フィンランドという国は、日本のようにアメリカ&イギリス偏重主義ではなく、この二大国とヨーロッパ諸国とが等距離に意識されているらしい。だからレコード屋さんの在庫もフランス、ドイツやデンマーク、スウェーデンの音楽などがまんべんなく揃っててユニークだった。そこで色々な国のヒップホップを探して買ったもんだ。そんな中 UK のヒップホップとして発掘したのが NEW FLESH FOR OLD「EQUILIBRIUM」1999年。彼らの1ST アルバム。メンバーが沢山いるようで、まるで WU-TANG CLAN のようなマイクリレーがダークでアブストラクトなトラックの上で踊ってる絶品だった。

EquilibriumsEquilibriums
(1999/09/13)
New Flesh for Old

商品詳細を見る

●そんで時は流れ、名前が短くなった彼らの新譜に、日本のシモキタザワにてボクは出会った。名前も短くなった分、メンバーも減って3人くらい?矢継ぎ早なマイクリレーがなくなり、スモーキーだったトラックもフルモデルチェンジ、エレクトロな骨格と強いキックが剥き出しなった、グライム型ヒップホップに変身してた。そのつんのめるようなビート感は確かにグライム、しかしロウテンポな質感はヒップホップ。ここにまたヒップホップ進化の芽がひっそりと顔を出している、そんな風に感じ取れたのだった。


●それから。それから。


賛否両論。ダブステップ。


boxoddub-l.jpg

VARIOUS ARTISTS「BOX OF DUB 2 - DUBSTEP AND FUTURE DUB」
●イギリスの好事家レーベル SOUL JAZZ がオハコの過去音源のコンピではなく、現在進行形のサウンドをコンピとしてまとめてきたと、実は個人的にな強烈な衝撃として受け止めた「BOX OF DUB」がもう第二弾射出となった。速い!動きが速いよ SOUL JAZZ!通常のザクの三倍のスピードだよ!
●てな具合に注目されてるダブステップなる新しいフォーマット。でも、まーだ日本では認知が浸透してない。先々月あたり、iTuneストアのフリーダウンロードサービスで BURIAL というダブステップのアーティストが紹介されたのだが、リスナーの評価が賛否両論の大激論。「陰気で最低」など酷評が相次ぎ、それに反論するアーティスト支持者が「コレはアンタ方が知らない、ダブステップって名の音楽なんだ」とやり返す。iTune のフリーダウンロードはサービス開始以来ほぼ必ずチェックしてるが、こんなに場が荒れたケースは初めてだ。「フリーなのにケチョンケチョンにこき下ろすとは図々しい」的な意見から、「タダだから聴くが、金出してまでは絶対に聴かない」などなど、スゴくヒステリックに反応している人がいてビックリ。「快眠できる」とか「夜のドライブ向き」とか「自分は北九州在住、これは都会の人の音楽でしょ」など多種多様で興味深い意見もあった。
ネットショップという業態の中、今までは特殊なマニア層にしか知られる事のなかった音楽が、そんな文化に興味も関心もない人々(例えば前述の「北九州」の人)の手元にすぐ届くという状況が偉大なわけで、関心興味のあるなしは別として、東京でも北九州でも利尻島でも八重山諸島でも機会均等の平等が与えられた事は素晴らしいと思う。そんで議論が深まり、そこから新しいスタイルが出来るのなら、どうぞケンケンガクガク議論して欲しい。……ちと、ハナシがズレタね。BURIAL はこのCDに収録されてないし。

UntrueUntrue
(2007/11/12)
Burial

商品詳細を見る


さて、このダブステップがどんな音楽か。考えてみよう。
●以前もこのブログで説明したが、ダブとはレゲエ用語。レゲエのインストトラックを電気加工処理して、別の曲に作り替えたりする手法。リミックスの元祖だよね。で、この手法がジャマイカからイギリスに渡ってどう変わったか。音のスキマを大きくしてエコーをタップリ響かせるってのは、常夏の国においては「涼しげでイイねえ」てな具合になる。しかし寒い北国でコレをやると「ココロが凍えるよ!」ってほどにカキンカキンに冷える。UKダブは、ある意味この氷点下絶対零度音楽を突き詰めて行く方向性を生む。JAH SHAKA とか ALPHA & OMEGA とか、突き詰め具合がキンキンですわ。そして90年代、トリップホップの登場。ヒップホップとダブ手法の結合で、抽象的でロンドンの深い夜霧を思わすような暗闇の音楽ができた。代表選手は、PORTISHEAD、TRICKY、MASSIVE ATTACK だ。
●そして90年代から00年代、ジャマイカ移民発の様々なダンスミュージックが生まれていった。人力では再現できない高速ハイハットと野太いベースが共存するドラムンベース。ソレを更に解体再構築したブロークンビーツ。グライムもひねくれたトラックメイキングで独特のエレクトロ感を開発した。それらの成果を吸収し、UKダブの伝統を正確に受け継ぎつつ、ハイハットでこまかくリズムを刻んで二重のグルーヴを搭載させたのがダブステップと言えばイイのだろうか。
●確かに、陰気です。ドス黒い闇の中を、重低音ベースがズズズズッとゾンビが足を引きずるように這い回ってます。その空間の上の方を神経質にピリピリ飛び回っているハイハットのビート。広大な地下室のコンクリート壁から響き渡ってくるエコー音。規則正しく気温は絶対零度、アナタの耳は凍傷寸前、ヘッドフォンを外して耳を温めないと壊死します。これを場末のクラブのドでかいスピーカーで聴いたらどんな気分がするだろう。下腹に響く重低音に腰は否応なく揺すぶられ、酒に酔っぱらったアタマにキンキンくるんだろうな~。



●長いお話はオシマイ。
●80年代末から00年代の中盤となった現在まで、なんとかUKのブラックミュージックを俯瞰してみました。くー、今回も難しかった。でも、ここまでジャマイカ移民のカルチャーが大きな影響を持っていたコトに、自分でも驚いた(冒頭に触れた「UK BLAK」CARON WHEELER もジャマイカ系だし)。そしてそれらを支持するモッズの心構えってのが、今の時代も生きているコトGILES PETERSON みたいな人のコト)にも感心した。いやー奥深いわ大英帝国は。この国のフトコロの深さを認めてくれる方は、下の拍手ボタンを押して下さいね。よろしくお願いします。

●あと、このシリーズは、これからアメリカ編に入ります。おーい、オマエ本当にやりきれるのかよ、と自分でツッコミ入れたくなりますが。

自律神経失調症とのお付合い(その48)~「通常業務内なら就労可能」
●リハビリ出社は順調だ。今週は10時以前で出勤できた。会社滞在時間は完璧に7時間。かなり健全な状況になってきた。会社の中では様々な人に出会う。事情を知る人は「おお!オマエ復活したのか!」と声をかけてくれるし(「まだ、完全復活じゃないんですよ」と応える)、事情を知らない人は「なんか久しぶりだな~。相変わらず忙しいか?」と声かけてくれる(「まあ、今はノンビリしてますよ」と応える)。


●前回のこのシリーズでは、会社のカウンセラーに「そろそろ主治医の先生と、完全復職をにらんだ診断書を作ってもらう相談をして下さい。そしたら、それを受けてコチラも具体的に動き始めます」と言われた事まで報告しました。今日はその続き。


そんで心療内科。新任美人センセイに診断書の相談。が頼りにならない。
「美人は三日で飽きる」とはマジで真実、3回診察を受けても一向にトークが盛り上がらないこのセンセイの診察に、ヌルさと不信感が芽生え始めていたボク。5回目の診察は、この診断書のコトで半ば押し問答状態になった。

●会社のカウンセラーに、新しい診断書を書いてもらって欲しいって言われたんですけど。センセイ「どのように書けばよろしいでしょうか?」え、どのようにって言われたって、患者のボクには分かんナイすよ?とにかく、会社のカウンセラーは、主治医であるセンセイの診断書がなければ次のステップに進む事ができないというんです。でも、センセイが診断書をどう書けばイイか分からないんじゃ、ボクは、カウンセラーとセンセイの間で堂々巡りですよ。

●つーか、そもそも客観的に見てボクは復職できると、センセイは思えます?「それはまだお付き合いも浅い事ですから、まだなんとも」ガクッ。「それはきっと患者さんの中から仕事したいな、復帰したいな、という気持ちが自然と湧いてくるはずなんです。それは自然に訪れることですから、きっとご自分でも分かるはずです」……。わー、なんか言葉は丁寧だけど、メチャ丸投げな感じ…。そう言う事なら、ボク的にはもうけっこう前から仕事やりたいモードではありますよ。でも元の現場の状況がわからないし、既にボクの穴を埋める後任のスタッフも入っている、その中でボクがすべき仕事のポストがあるかどうか、そしてそれがボクの体調やコンディションにマッチしてるかどうか、現場の上司と相談してみないとわかんないですよ。「それでは、上司の方と相談してからにしてはどうですか?」むっ、だんだんムカついてきた。だから、センセイの診断書がないと現場の上司と相談する事もできないんですよ!ボクは会社の中で隔離されてるんですから!現場と相談するための診断書なんです!「unimogrooveさんの職業は特殊ですから、一般のケースには当てはまらないんですよね」それじゃ!今から事細かにボクの職場の仕組みを説明すればよろしいんですか?!「ワタシも前任者の作ってきたカルテを全部読んで、ある程度は理解しているつもりですので…(センセイだんだん弱気…)」もう、いいワ。


再び、会社のカウンセラーとの面談。
●ということで、主治医の先生が全然ピンとキてないんです。どうしましょう? カウンセラーさん、軽く失笑した上で、「そうですか。それじゃおっしゃる通り、コチラが言う通りのコトをそのまんま書いてもらいましょう」


そんで診断書ゲット。

「診断書 病名:自律神経失調症 右記病名にて当院で外来加療を行っており、症状は現在軽快しており今後は通常業務内であれば就労は可能である。右の通り診断致します。」

●今週の心療内科。カウンセラーさんから教わった通りそのまんまに、ボクがセンセイに一字一句指定して診断書を書いてもらった。こういうモンなのか、医者って?一応プロでしょ。一度診察してもらったオバちゃん院長先生の方が頼りになるかもなあ。その内チェンジお願いしようかな。


さて、じゃあこの診断書で事態がどう変わるのか?
●診断書はゲット翌日に看護師「のび太のママ」さんに提出。カウンセラーは非常勤だから、次回のカウンセリングで方針を定め、最終的には、産業医、カウンセラー、職場の上司、看護師「のび太のママ」とボクとで打ち合わせをする。どの程度の業務が出来、どのくらいの負担が担えるのか、現場の上司にキチンと認識してもらった上で、仕事のシフトを考慮してもらう。
そしてボクの体調を見て、現場復帰のスケジュールを見定める。前回は、リハビリ出社可能の診断書をゲットしてから、実際にリハビリ出社が始まるまでに、2ヶ月弱も時間かかってる。だから、診断書もらっても浮かれたりしない。まだまだ現場復帰には時間がかかる。最低一ヶ月くらいは平気でかかるんだろうさ。おまけにあくまで「通常業務内での就労」残業や時間外勤務は絶対禁止という意味だ。復帰したとしてイキナリトップスピードは無理。それは自分でも分かる。


今朝。廊下で上司のGさんにバッタリ会っちゃった。
「おーどうだ!調子は良くなってきたか?」ありゃ、打合せ仕切る前に出くわしちゃった。ま、イイや。せっかくだからご報告を。キチンと実は現場復帰を認める診断書をもらう事が出来ました。これから診療所経由でお話がが行くかと思いますので、よろしくお願いします。……でもあの、ボクが戻ったトコロでやる仕事はあるんですかね…。ボクの元の仕事は、別の人が異動してきてやってくれてるんですもんね。「あー、仕事ね。ある!クサるほど!いくらでもあるからそれは心配するな」は。「ただしな、またカラダ壊しちゃしょうがないから、ゆっくりゆっくりだな。一年間。一年はゆったりやるコトだな。まあよかったよかった」Gさん、爽やかに歩き去る。


仕事モード。
●ボクが会社にリハビリ出社してきているコトを知った後輩たちが、誰かしら毎日のように社内メールで励ましの言葉を寄せてくれる。毎日それに返事を書いているだけで時間が経ってしまうほどだ。昼飯を一緒に食ったヤツもいる。じっくりハナシをした娘もいる。だんだん、自分の細胞が仕事モードになってくるのを感じる。
●先日、東銀座でマガジンハウスに勤めるトモダチと軽くお茶を飲んだ。お互い30代半ば、微妙な中間管理職的立場、エラくもないが責任はあるヤヤコしいポジション。そんなハナシをしてたら、仕事を一緒にできるようなキッカケを作ろうというアイディアが浮かんできて二人で盛り上がった。具体的な仕事プランがカチッとアタマの中で像を結んだのは、休職以来初めてじゃないだろうか!
●ボクはトモダチと別れた瞬間、速攻で後輩に電話をかけてそのアイディアの準備を指示してしまった。明日朝メールでマガジンハウスの担当者の連絡先をメールするからアポ作って会いに行け、時間が合わせられるならボクも行くから。「unimogrooveさん、ちょ、ちょっと待って下さい、今はソレに対応する時間がありません…最低限週明けまで待ってもらえます?」……。一瞬、自分が休職中だってコトを忘れてた。あ、そうだよね、ちょっと急ぎ過ぎだよね、わかった、ボクが復帰してからゆっくり攻めるわ。そうだそうだ、そっちの方がいいな…。ゴメンゴメン。いきなりでビビったろ。

●でも、それからはモンモンと仕事のアイディアが湧き上がってきて、アタマがグツグツ煮えたぎって来るのが実感できる。アレもしたい、コレもしたい、ワクワク。コドモのようにハシャギたくなってくる。確実に仕事モードに入った。これで「働きマン」に戻れるかもしれない。でもセーブしないとまた暴走しかねないからな、気をつけないと。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html


日本の俳優さんでカッコいい人、気になる人。


SUKIYAKI WESTERN ジャンゴ スタンダード・エディションSUKIYAKI WESTERN ジャンゴ スタンダード・エディション
(2008/02/06)
桃井かおり、伊勢谷友介 他

商品詳細を見る

「スキヤキウエスタンジャンゴ」/伊勢谷友介
●日本の時代劇をそのまま西部劇に変換してみたらどうなる?という奇想天外な着想の三池崇史監督作品。キャストはほとんど日本人なのに(一人だけ、クエンティン・タランティーノがマジ出演している)、全部セリフが英語。金塊埋蔵伝説がある寒村に、平家と源氏、2派の武装集団が現れる。平和だった村は殺戮と暴力に覆われ、赤の平家・白の源氏と、カラーギャングかのようなチンピラどもがのさばっている。平家のリーダー・キヨモリに佐藤浩市、源氏のリーダー・ヨシツネに伊勢谷友介、主人公の流れ者に伊藤英明。へタレの保安官に香川照之。
日本映画で全編英語ってのは悪いジョークのように思えて、実は秀逸なアイディアだと思い知った。カラーギャングの衣装はみな奇抜でスカジャンやラグビーのヘッドギアとかつけてる。セットは日本家屋に西部劇風家具を合体させて雰囲気を作ってる。時代劇と西部劇のハイブリットのために色んな工夫を凝らしている。が、ストーリーの勧善懲悪的なシンプルさは、どうしても日本風の湿り気でベタベタになってしまう。それにカラリとした痛快さと爽やかさを与えたのが全編英語路線だ。英語じゃなければ吐けない陳腐なセリフもフシギと聞き流せる。つーか、コンセプトの詰めの甘さをどう解決するかと思案して、後から英語劇にしようと思いついたのかもしれない。
●流れ者のガンマン、伊藤英明よりも、ヨシツネ伊勢谷友介の方が、殺気&狂気共に強烈です。目が危ない。荒くれモノを力でねじ伏せるオーラがある。マッドな殺人鬼・安藤政信も頑張ってたが、伊勢谷の方がずっとクールに狂ってる。石橋貴明が弁慶役で出てるけど、こりゃどうでもイイです。
伊勢谷友介を初めて知ったのは宇多田ヒカルの元旦那紀里谷和明監督「CASSHERN」。あれはCGに塗り固められすぎてよくワカランかった。次は「嫌われ松子の一生」。いい役だったけど、出演シーンが短かった。そんで三木聡「図鑑に載ってない虫」での主演。ココでボクの中で大ブレイク。肩の力の抜け具合とテンポ感が最高。三木監督の独特のテンポに全役者の芝居がピッチコントロールされてるんだけど、その中で実にいいテンポ感を掴んで主人公役を泳ぎきった。うーん。この人、面白い。


ハチミツとクローバー ~恋に落ちた瞬間~ハチミツとクローバー ~恋に落ちた瞬間~
(2006/07/14)
櫻井翔、伊勢谷友介 他

商品詳細を見る

「ハチミツとクローバー」/伊勢谷友介、蒼井優
●有名恋愛コミックの映画化。ワイフは大好きだが、ボクは原作は1巻で挫折した。本来ならスルーするところだけど、伊勢谷友介が出てくる。だから見た。嵐・櫻井翔、加瀬亮、関みゆき、蒼井優伊勢谷の5人が、一方通行の恋に悩む美大生の群像を描く。AはBが好きだけど、BはCが好きで、でもCはBに興味がない……的な片思いの数珠繋ぎ状態がこんがらがって、でも青春だぜ!的な話。
蒼井優の笑顔は立派で、来週から始まる主演連ドラマ「おせん」(この原作コミックは好き)への期待度は高まったが、演技は伊勢谷の一人勝ち。万年留年8年生、破天荒で風来坊、でも強烈な創作の才能を持つ先輩学生の伊勢谷、ダメだこの人~と思わせといて極める時に極める男を飄々と演じる。どこか憎めず、でも憎たらしい男のさじ加減がウマい。関めぐみさんと言う人は初めて知ったが、瞳がキレイで髪の毛もキレイだった。


ゆれるゆれる
(2007/02/23)
オダギリジョー、香川照之 他

商品詳細を見る

「ゆれる」/香川照之、オダギリジョー
西川美和さんという女流監督が描く兄弟同士の愛憎の形。兄・香川照之は、実家が経営する田舎のガソリンスタンドをせっせと切り盛り。弟・オダギリジョーは東京に出てファッションフォトグラファーとして華々しく活躍。兄と弟のこのギャップは何?とある葬式で久しぶりに帰郷したオダギリは、スタンド家業をけなげにこなす兄の姿に複雑な感情を抱く。兄弟の間には、幼馴染でありスタンドの従業員でもある女性・真木よう子が。弟は彼女によけいなチョッカイをかけ、兄は渓流の上を渡るつり橋から彼女を突き落としてしまう。殺人の罪を問われた兄を救うため弟は奔走するが、そこには言葉にしがたい憐憫と敬意と負い目が渦巻いていた。家業に従順だった兄と、奔放に生きた弟の人生が絡まってゆさゆさ揺れる。
●負の感情のゆらめきをきめ細かく演出した監督の力量が大前提として素晴らしい。女性であることもこの繊細さの根拠になってるのかな。見れば是枝裕和監督が企画にクレジット、制作はテレビマンユニオン、周囲は鉄壁の布陣。でもその監督の構想を、見事に表現した二人の俳優、オダギリジョー、香川照之がスゴイ。香川照之「スキヤキ~」ではコミカルなコスいキャラで笑いをさそったが、ココではヘンにシリアスにもならず、特別な人間にもならず、平凡すぎる人生をただ真っ当に引き受けたつましい男を粛々と演じる。どこか無垢で、人のよさが裏目に出るというか、そんでなぜか人をムカつかせてしまう損な男。オダギリは、奔放な人生を選び、家族も女性関係も軽薄に扱ってきた調子のイイ男。そして今、改めて兄の姿を見つめ、心を揺らめかせる。オダギリの演技の透明感が潔い。
真木よう子さん、今回初めて見たけど、テレ東深夜で「週刊・真木よう子」なる不思議なドラマ番組に挑戦してるらしい。今度録画しとこ。


アンフェア the movieアンフェア the movie
(2007/09/19)
篠原涼子

商品詳細を見る

「アンフェア・ザ・ムービー」/篠原涼子
フジテレビは、警察組織の腐敗を突くのが大好きなのか?「踊る走査線」の主人公が、ノーテンキ野郎から、陰気なオネエサンに変わっただけじゃないか?すんません、地上波のドラマは一回も見たことありません。篠原涼子はパリッとしてた。「マトリックス」かと思うような、黒いロングコートと、サディスティックな黒いピンヒール。白いシャツが水に濡れると透けるブラジャーも黒。スグに顔に被さってくる黒い髪も役作りとしてはバッチリ。まーでもそんだけか。共演は江口洋介。彼がかけてたメガネだけが気になった。カッコいいけどボクには似合わないタイプ。メガネ、いつも気になるんだよね。


となり町戦争となり町戦争
(2007/09/28)
江口洋介.原田知世.瑛太.菅田俊.飯田孝男.余貴美子.岩松了.小林麻子

商品詳細を見る

「となり町戦争」/原田知世
「アンフェア」篠原と共演した江口洋介が、ここでは原田知世と共演。ある地方都市郊外、となりあってる町同士が突如戦争を始める。町役場の広報紙にシレッと書かれている。「舞坂町はとなり町・森見町と戦争を始めます。開戦日5月7日。終戦予定日は8月31日。」 フツウに日常生活は淡々と続いているのに、役場の広報紙にはどんどん戦死者の数が計上されてる。すっごくシュール。でも江口の日常生活に戦争の気配は確実に近寄ってくる。
原田知世は、舞阪町の対森見町戦争推進室担当者。「戦争はキチンと遂行されてますよ。行政事業ですから」クールに言い放つその実直な官僚的言動&行動が、シュールであり、不気味であり、不思議である。彼女の透明な存在感が戦争のリアリティとあまりに乖離し過ぎて、初めはそのトーンを抑えたオフビートボケ設定をクスクス冷笑してればイイ程度の映画なのかなーと思ってた。しかし、バカげた設定の中に強烈な批評が、アンパンの中の針のように仕込まれててビックリ。「議会制民主主義の中でただ沈黙していれば、それは戦争に同意した事と同じです。その民主主義によって定められた任務を、私は遂行するまでです」ゾクリとする言葉。
●正直、下北沢周辺の再開発問題についてボクが興味を持つようになった一因が、この映画にある。「ただ黙っていれば、それは同意した事と同じ」 愛する我が街に対して責任を持つというコトがどういう事なのか。シャレでごまかせない問題だと思った。
原田知世さん、「サヨナラCOLOR」に続き好感度アップ。そこでレコード棚をゴソゴソ探して「時をかける少女」の7インチをかけて聞いてみた。ハイパーへたくそでビックリした。今度ユーミンバージョン探そう。


タナカヒロシのすべて デラックス版タナカヒロシのすべて デラックス版
(2005/11/23)
鳥肌実、ユンソナ 他

商品詳細を見る

「タナカヒロシの全て」/鳥肌実
●残念!コレ鳥肌実のマッドな部分全然引き出せてなーイ。全然面白くなかったー。まー脱臼系コメディとしてはボチボチの出来でしょうが、素材にあの鳥肌実を使ってんのに、これしきかよ、という失望感。ただ一点、ホントに主演が鳥肌実ってコトだけで、ボクの中じゃハイパーハードル上がっちゃったんだよね。
鳥肌実といえば、あの疑似右翼デタラメ演説集会「皇居に向かって敬礼」「欲しがりません勝つまでは」「ニイタカヤマノボレ」と訳の分からんフレーズをヤンキー特攻服ばりに刺繍で縫い込んだブラックスーツで、珍妙な演説をぶち噛ます伝説のネタで全国を回っている孤高の芸人である。このままじゃ死んでも地上波出れない、日本のタブーをいたぶり回す狂気の人。それをノッペリノホホンと使ったらダメですよ。もうガッカリ。
●もう十数年も前になるか、とあるお笑いライブ(勝ち抜きネタ合戦的イベント)に知合いの芸人さんを応援しに行った時に、初めてこの鳥肌実という人物を見た。その頃はまだ右翼演説ネタは確立されてなかったが、狂気のテンションは底知れぬブラックホールのようで、「ワタクシ永遠の42歳、処女膜開いてパクッ!処女膜開いてパクッ!波動砲発射!ドピュピュピュピューン!」とか意味の分からない下品な言葉を機関銃のように巻き散らかしていた。スゴかった。当然、グランプリ受賞だった。右翼ネタ確立以降はもうチケットがとれない状態だった。日本青年館完売状態だった。あ、ちなみにこのネタ合戦、無名時代のふかわりょうも出てて、一回戦秒殺だった。


太陽太陽
(2007/03/23)
イッセー尾形、ロバート・ドーソン 他

商品詳細を見る

「太陽」/イッセー尾形
今日取り上げた映画の中で、一番衝撃を受けた作品。監督はロシアの硬派、アレクサンドル・ソクーロフ。ボク的には「エルミタージュ幻想」という作品で驚異的な存在と認知。「エルミタージュ~」では、あのサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館をスミからスミまで使い、完全1カットのドリーショットで90分間の物語を描いた。完全一発撮り、帝政ロシアの秘宝が並ぶ大美術館の中を、過去と現代を交錯させながら夢うつつの世界へと見るモノを誘う。スゲエ。ある意味狂ってる。旧ソ連時代はことごとく作品上映禁止をくらい、ペレストロイカ~冷戦終結でやっと世間に認知された不屈の人。
●そんな監督が、この映画で題材に取り上げたのは「昭和天皇」。第二次大戦末期からマッカーサー進駐への時期、人間・昭和天皇が何を感じ、何に苦しんだのか、それを克明に描く。
昭和天皇を演じるのはイッセー尾形。これがもはや神懸かってる演技。日本語を解さないであろうソクーロフ監督が、昭和天皇の仕草、表情、口調に細かい演出を施したとは思えない。イッセー尾形自身が、精密な研究を重ねて役作りをしているのだ。立ち振る舞い、口癖、間の抜けたような口の動き(ずっと半開きで、意味なくパクパク動かしてる)、有名な「あ、そう」というフレーズなども完全コピー。……いや、完全コピーってのは違うな、あの時の天皇の人となりを知るものなどいないのだから。イッセー尾形は、巧妙に精巧に「昭和天皇」を造形したってわけだ。
●皇室、天皇という存在は、社会の教科書(憲法の勉強)とワイドショーの愛子さまネタくらいしか、日常生活で接点がない。しかし、この映画を見る事で、自分の潜在意識の中で「天皇」という存在が特別な位置を占めている事に気付かされた。意識の最下層でチリッチリッと、居心地の悪い違和感がちらつくのだ。外国人が描く天皇。日本人ならこうは描けない、普通の日本人には描く勇気の持てない領域に、この外国人監督は平気で踏み込んで行く。アメリカ軍兵士の無作法さや、マッカーサーとの屈辱的な会見や、時に滑稽な振る舞いをする天皇の日常生活や…。無意識にフタをしていた部分に手を突っ込まれた気分になる。そして、そんなコトを感じる自分に衝撃すら覚える。
●ドキュメンタリー「靖国」が上映中止など物議を醸しているが、アレにジタバタ騒いでいる人は、この「太陽」をどう見るのだろう。そして同時に「靖国」がスゴく見たくなってきた。あの映画はボクの潜在意識のドコをまさぐって来るだろう。とても興味深い。

ラッシュ通勤にもちょっと慣れてきた。
●10時出勤が出来るようになって一週間。息子ノマドが元気に小学校に通っているのに、父親がへばっていられないというキモチが、朝のセットアップに気合を入れる。
●しかし、今まで知らない世界だった通勤ラッシュ。駅の電光掲示板を見てると、「お客様混雑のため00線が遅延」とか「人身事故のため00線が遅延、振替輸送を実施しております」とか必ず毎日流れてる。必ず毎日。必ず毎日ですよ。つーか、東京の交通ネットワークは飽和限界直前ってわけね。先週は火事で中央線がド派手に運休しやがったし、今日も京浜東北線が止まった。それで診療所事務所メイトのキマヤさん(仮名)は30分も車内に閉じ込められ、朝からプリプリ。まー、JR西日本の尼崎線事故みたいに運転手にプレッシャーかけて脱線されるよりはマシだけど。脱線するくらいなら止まってくれ。許すから。マジで。

●6月開通の新しい地下鉄「副都心線」山手線とほぼ平行の路線で何の意味があるんじゃ?と思ってたが、もう山手線だけではこの区間の客をさばけないのね。なるほど納得。最終的には、東急横浜線から東武東上線&西部池袋線まで乗り入れるらしい。これで山手線のお客は分散されますかね。


医療従事者、プロ目線でドラマを見る。
●今日は、看護師「のび太のママ」さんと産業医ラーハ先生(仮名)と昼飯を食べる。今週から春クールのドラマが始まる。そこでなぜかドラマトークで盛り上がった。医療関係者の方々は、医療モノのドラマ見てるとどうしてもムズムズしてしまうらしい。点滴のチューブのたらし方が違うとか、レントゲン写真がウラオモテ逆になってるとか。うっひょー、プロ目線。「のび太のママ」さん、海外ドラマ「ER救急救命室」で出てきたペンライトが、ウチの診療所で使ってるのと一緒だったと喜んでる。「ちょっと高かったけどイイの買ってよかったわ」
ドラマ制作者から、監修のお願いを受けるお医者さんもいるらしい。相談の内容がスゴイ。「20代くらいの若者が、突然倒れて実は余命3ヶ月っていうような病気って、ありませんかね?」とか。そんな都合のイイ病気ないっスよ!でもがんばって考えるらしい。いろんな病気の複合攻撃を想定するんですって。ちょっとイイ話聞いた。


やっぱりヒップホップでしょ。その11。
●この前日本語ヒップホップを取上げたけど、今日は韓国のヒップホップ。

114162_m.jpg

BIGBANG「FOR THE WORLD」2008年
韓国って、ヒップホップとかR&Bが熱いんすよ。マジで。ぼくが最後に韓国出張したのは2003年だから古い情報かもしらんけど、テレビのチャンネルひねってる限り、ダンスチームやラッパーばっか出てた。EXILEっぽいのもいっぱいいたけど。レコ屋行ってもロックはほとんど見当たらない。東方神起的なアイドルグループから、スピードのような女の子たちがメインだけど、「ヒップホップありませんか?」って聞くといっぱいいろんな物を薦めてくれる。基本的に韓国のレコ屋めぐりは楽しい。


最初の韓国旅行は1995年。ソテジワアイドル。
●あれは大学3年の頃だったかな。夏休み、ソウルの街に野郎二人で旅に出た。今のような東京と同じスピード感を持つ洗練された街ではなく、ちょっとだけまだ野暮ったかった。光化門というエリアにある「教保文庫(キョボムンコ)」というデカイ本屋(日本で言うと紀伊国屋書店的ポジション)でCD売り場を見つけ、ヒップホップはないかと聞いた。そこで薦められたのが「ソテジワアイドル」、英語でつづると「SEO TAIJI AND BOYS」。別にアイドルではないらしい。この時代はまだラップやヒップホップがテクノなどの新しいダンスミュージックと分化してない頃だったので(電気グルーヴのファースト「FLASH PAPA」1991年で、卓球&瀧が真剣にラップしている感じ)、確かにラップはしてるが、ロックだったりテクノだったりしててとてもユニークだった。リーダーのソ・テジさんは韓国の小室哲也的な存在らしく、先進的な音楽を大きなポップス市場に紹介する役割を果たしてたようだ。ちなみに、彼はメガネだった。ぼく自身がメガネなので、メガネってだけで共感できる。

SEOTAIJI AND BOYS III「SEOTAIJI AND BOYS III」1994年

この頃の韓国は、まだ日本語も英語もなかなか通じない時代だったので、かなりコミュニケーションにてこずった。レコ屋のお姉さんに、「韓国の伝統音楽を探してる」と伝えたいのに全然わかってもらえない。「コリアン、トラディショナルミュージック!」ダメ。「コリアン、クラシックミュージック!」だめだ…。「コリアン、オールドミュージック」「!オーケーオーケー!」パッとお姉さんの顔が明るくなった。そんで紹介されたヤツが、山下洋輔ら日本人フリージャズプレイヤーと、韓国古典音楽の大家がセッションするというスゲエ濃い物件。プロデューサー湯浅学。なんじゃこりゃ!伝統音楽どころか、超アヴァンギャルドやんけ!関連音源6枚一気買いした。韓国のレコ屋めぐりは楽しい。


2002年、ワールドカップで韓国出張。
●この年だけで4回くらい韓国に行ったなあ。ソウルの街はめっきり垢抜けてて、明洞(ミョンドン)エリアは渋谷と変わらない華やかさがあった。新村(シンチョン)は学生街で、ちょっとひねくれたお店がいっぱいあった。オールラウンドのレコードショップは明洞のほうが豊富だが、新村のお店は小さいが、店員のお兄さんが言葉が伝わらないのに一生懸命推薦盤を教えてくれた。「ヒップホップ」「ガールズシンガー」とかの名詞を羅列すればお互いの気持ちは伝わるのよ。釜山(プサン)のショップでは、店員の女の子、最初はぼくが日本人だと気づかなかったみたいで、言葉が通じないと分かると走って逃げていった。そんな、走らなくたって…。そんで英語のわかる同僚をおずおずと連れてきた。あのビックリ仰天ぶりは思い出すだけで楽しい気分になる。「ちょっと待ってくださいね!(多分そう言ってるのだろう)って叫ぶ顔が最高にかわいかったから。この娘がカワイいのでボクはこの店だけで8枚買った。この時見つけたヒップホップアクトは、CHO PD、DRANKEN TIGER、TASHANNIE など。韓国のレコ屋めぐりは楽しい。

NUKESGROOVE.jpg「N.U.K.E.S. GROOVE」2001年

(コレはこの頃日本で発売された韓国ヒップホップ&ソウルのコンピ。おススメ。)


2003年にも韓国出張に行った。2回ほど。
●この辺になってくると、どこにどんな店があるか結構勝手が分かってきた。出張の空き時間で地下鉄にのり、一人で買い物をして回ってた。大学路(テハンノ)、仁寺洞(インサドン)にはCD屋はないがヒップな店がたくさんある。もちろん明洞東大門市場(トンデムンシジャン)もまわった。バカTシャツとか買ったな。南大門市場(ナンデムンシジャン)から明洞へ続く大通りの中間地点にあった汚い地下街に、ボロボロのアナログレコードを大量に売ってる店が何軒も集中してる場所を見つけた。残念ながらココをチェックする時間はなかった。これがホントに心残りでしょうがない。この時見つけたヒップホップアクトは、JOOSUC など。韓国のレコ屋めぐりは楽しい。


ソウルのレコ屋
 
(謎のレコ屋地下街。この積み重なってるの全部アナログだよ。怖いくらいの量。こんな店が8件くらい集まってた。まだ存在するのかな?)


とムダな遠回りをして、このBIGBANG。
●このユニットは、ラッパー、シンガー、ダンサーなどが集まった5人組。韓国ヒップホップと日本のソレの違い。日本はアメリカのトレンドを真っ直ぐには受け止めないが、韓国はアメリカのトレンドを直球で取り入れる傾向が強い。その分突き抜け感は豪快で気持ちよく、半面大味になってしまうことがある。この音源では HYPHY 的なトラックも登場、バラエティには富んでいるが、一方でシンガーが BACK STREET BOYS みたいに機能しちゃって、東方神起的ダンスポップスまで到達してしまうのがぼく的にはモッタイナイ気がする。根はかなり硬派なのに。
●あと、ポイントはレーベル。YG ENTERTAINMENTってトコなんだけど、R&B~ヒップホップ系じゃ韓国最大手っぽい。韓流スターでいうと SE7EN が所属してる。ボクは日本で韓国ヒップホップを探したとき、ここのレーベルサンプラーが一番面白かったからそれ以来注目。未確認だけど、レーベル幹部は前述ソテジワアイドルの元メンバーらしい。
●しかし、何を置いても一番残念なことがある。収録曲のほとんどが完全英語詞だったこと。かつて PUBLIC ENEMY CHUCK D は言った。「自分の母国語でラップしろ!」(←ちょっとウロ覚え…KRS-ONE だったけな?)

我が家のママチャリにこんなものが装着された。
「PTAパトロール 世田谷区立小学校PTA連合後援会」。ホントは自転車の前と後ろにつけるんだけど、前のカゴは娘ヒヨコの座席なので、しょうがないから後ろに2枚つけた。あまりに主張し過ぎてて、ちょっとマヌケか?

チャリjpeg
 
●地域の治安を守るには、こうした活動が大事らしい。人類を大きく2種類に分けたとして、不審者っぽいかそうでないかと分類すると、どちらかというと前者に入ってしまいそうなルックスのボクが、こんなモノをつけてしまって果たして大丈夫なのだろうか。
●さらに、なんらかで緊急の事態が発生したとき、一体ボクに何が出来るんだろうか。悪者に追われる小学生が「オジさん、助けて!」と来たら、ボクは彼を後部座席に乗せて「オジさんにしっかり掴まってろ!一気に脱出だ!」とかやるべきなんだろうか。このママチャリで。イマイチイメージが掴めない。

下北沢に新しい古本屋さんが出来た。

imgget.jpeg

「古本・ほん吉」
●場所:北沢タウンホールアフラックの代理店の間の横丁に入った所。北沢2ー7ー10上原ビル1階。ちなみにアフラックの二階はボクのお気に入りカフェ「Kate Coffee」がある。
●見た感じ、若いお姉さんが一人でやってるような気がする。内装は実に無造作で殺風景、コジャレたお店が多い下北沢では却って異色だ。思想書から美術芸術、古典文学など骨太な在庫も新鮮。この街では、だいたい全ての店がサブカル系に片寄り過ぎたりするのが常だが、王道からブレていない。それでいて古くさい古書店とは違うフレッシュな気分も感じられる。好感度高し。
●早速、この店にウチのいらない本を買い取ってもらった。「日本書紀」上下巻、「風土記」ナショナルジオグラフィックマヤ文明、インカ文明の本(洋書)。これで750円。あらいい値段。いつも DORAMA でばかり買取してもらってたけど、コッチの方が良心的かも。


やっぱりヒップホップだよね。その10。
●今日は日本のラップに目を向けてみよう。

AYUSE KOZUE「SANDAE LOVE : SUMMER TIME」

AYUSE KOZUE「SANDAE LOVE / SUMMER TIME」2007年
●彼女は自宅のPCシステムでほとんどのトラックを自作し、最高にキャッチーでポップなR&Bを自演するシンガー。デビューシングル「BOYFRIEND」は完全な和製2ステップでその早熟な才能に驚愕しました。ま、でも彼女の音楽は高性能なR&Bであって、決してヒップホップって訳じゃない。なんでじゃあ今ココで取り上げるの?
リード曲にスチャダラパーの BOSE がフィーチャーされてるからだ。この人のラップ、声、フロウ、言葉選びは、決定的なほどオリジナルで、クレジットなど見なくても瞬時に認識できた。今のキッズにどれだけの存在感があるのかわからないが、89年頃のスチャダラパーの登場を目撃してしまったボクには、トラウマのように刷り込まれてしまったレジェンドの1人だ。日本のヒップホップを世界水準まで引っ張り上げた彼らの功績は忘れてはいけない。DE LA SOUL のアルバムに客演したのは伊達じゃない。彼らはクールで今なおリアルだ。
ポッキッキーズで遊んでても、コロコロコミックへのリスペクトを歌っても、小沢健二とコラボしても、彼らがセルアウトしたと感じた事はなかった。95年の彼らは最高だった。アルバム「5TH WHEEL 2 THE COACH」(英語で「蛇足」って意味のことわざ)は日本語ラップの一つの頂点だ。
●現在も彼らは活発に活動している。竹中直人の映画「さよならCOLOR」の冒頭で AFRA のビートボクシンでラップしてたり、ありそでなかった電気グルーヴとの完全ガチンココラボアルバムをリリースしたり、大所帯ユニット THE HALLO WORKS を始動したり。全盛期の勢いからは衰えは否めないが、要所要所で決めてくれる。

キミドリ「キミドリ」

キミドリ「キミドリ」1993年
●DJとして現場の最前線として今も活躍を続けるクボタタケシが中心となって結成したユニット。90年代日本語ヒップホップのアンダーグラウンドを育てた FILE RECORDS から2枚のアルバムをリリースして活動休止。スチャダラパー的なオモロラップを軸に進化してきた(それはDE LA SOUL 中心の NATIVE TONGUE 一派の影響もあったでしょう)日本語ヒップホップを、帰国子女であるクボタタケシや、やはりNY帰りで、96年頃から強烈な存在感を放つ BUDDHA BRAND などの新世代が、一気にハードコア度を上げたことで、日本語ラップはネクストレベルに進化した。
●93年の段階で、そのメッセージは暗く陰鬱で攻撃的。もう一言踏み込めば被害妄想的なマッドが漂う。トラックメイキングもどこか狂気をはらむヒネクレ具合が特殊で、クラシックにふさわしい風格がある。
●ボクはこの音源をカセットテープで持ってたので、ごく最近ほぼ10年以上ぶりに聞く事が出来た。全然古びてない。ヒップホップってフォーマットって、大量生産大量消費の音楽に見えるけど、実はサンプルコラージュとして超時代的な普遍性を持っているのかもしれない。元ネタはもっと古い時代の音楽、元ネタに価値がある限り、その価値は廃れない。

MURO「K.M.W (KING MOST WANTED)」

MURO「K.M.W (KING MOST WANTED)」1999年
●人呼んで「KING OF DIGGIN'」。世界屈指のアナログコレクター。DJ SHADOW + CUT CHEMIST のツアードキュメントでも、渋谷のホテルの一室で、レアな7インチ音源を物々交換する様子が収録されてる。シャドウ曰く「今年最大のトレードだよ」
●キャリアはアンダーグラウンドながら伝説的な場所に彼はズッと居合わせてきた。80年代末に DJ KRUSH とともに「KRUSH POSSE」を結成。ビクターが編んだコンピ「DANCE 2 NOIZE 002」に一曲だけ音源が収録されてる。つーかソレ以外の音源は一体ドコに存在するコトやら。でもこの一曲だけで昇天できる。
TWIGY らと結成した MICRORHONE PAGER は不勉強な事にあまりチェックしてない。活動時期は90年代前半だが、評価が追いついたのは97年くらいだろう。90年代後半ハードコア路線の一翼を担ったという印象でボクは捉えている。
スチャダラパーNATIVE TONGUE なら、MUROD.I.T.C.(DINGGIN' IN THE CRATE) 一派と近い立ち位置だと思う。渋谷のレコ屋地帯を徘徊し、世界中から集められるヴァイナルを物色して再構築する。その美学はクリエイターと職人のメンタリティが最高の調合でハイブリットされている感じだ。インストトラックでもメチャ楽しい。スネアの鳴り一つにスゴいコダワリがある。

WISE「ALIVE」

WISE「ALIVE」2007年
BATHING APE NIGORIP SLIME のメンバー と THE NEPTUNESRHARRELL と組んで結成した TERIYAKI BOYS のメンバーとして認知したのが、彼を知ったキッカケだ。完全に00年代のアーティストで、90年代ハードコア世代とはまた一風違う価値観を持つ。オモロラップでもなく、ギャング体質を連想させるハードコアとも無縁で、自然体/等身大の若者の言葉を選ぶ。この傾向は00年代の特徴だと思う。
●ただし、その等身大感覚が、ありふれた励ましや慰めに堕してしまってるのが00年代のセルアウトヒップホップの特徴だ。名古屋の塾長 SEAMO ですらその葛藤に苦しみ、下ネタを封印した。この時代でリアルであるって一体どういう事なのだろう。WISE の英語と日本語を自由に操る技術は見事で、洗練されたイメージを作るのに有効な武器になってる。しかし時にクソマジメな印象を与えるリリックは、ある意味ギリだ。

AI「ONE」

AI「ONE」2007年
●彼女こそ、ホンモノのヒップホップソウルだと思う。日本で彼女に匹敵するソウルの歌い手はない。ブレイクしたのは去年一昨年という印象だが、芸歴は短くない。2001年にはメジャーデビュー、その段階でボクは仕事の中で自分で仕掛けたイベントにて彼女にパフォーマンスをしてもらったコトがある。ヒップホップソウルを完全に自分の血肉にするだけじゃなく、生ピアノだけをバックに従えた熱唱も完全に歌い切ってみせた。スゲエ娘だと思った。やはり在米経験があり、そこでのゴスペルの経験が彼女のノドにファンクを宿らせた。英語は完璧なのに、日本語は鹿児島弁ってのがカワイいよね。ボクはやはりバラードよりは、ブリブリのR&Bの方が好き。タイトル曲よりカップリングの「BRAND NEW DAYS」のライブバージョンの方が好きだ。

診療所生活。ヒマなので、マンガを持って行って読みふける。
●会社滞在時間が延びてきて、さすがにヒマでヒマでしょうがなくなってきた。新聞読んでも退屈だし、社内報読んでも退屈だし、昼間のテレビ見ても退屈だ。そんで、思わず居眠りしたら、看護師「のび太のママ」さんに怒られた。凹んだ。居眠りNG?! 申し訳ありませんが、非常識甚だしい話でありますが、ボクは今まで居眠りし放題、寝られる暇があるなら存分に寝とけ!という職場で働いてたので、居眠りできないなんて、ホント信じられないんです。つーか、居眠りできない状況がこんなに苦しいとは知らなかったくらいの衝撃だったのです。もっと言えば、居眠りできないなら、ココから逃げたーい!ドコでもイイからココ以外の場所にボクを逃がしてくれー!ってくらいです。
そんで、今日は、紙袋にマンガを持ち込んで、じっくり読む事にしたわけ。これで居眠りが避けられる。冷静に考えると、マジメに仕事してる診療所事務室のキマヤさんたちの隣で、居眠りしてるのと、マンガ読んでるのでは、ドッチが非常識かというと完全にドッコイドッコイである。しかし寛容なキマヤさんは、「あ~ら、マンガなんて何十年も読んでなかったわ」(一方ボクは何十年もヤンマガ毎週読み続けている。この埋まりようのない、マリアナ海溝級の深いギャップ!)とコメントしつつ、ボクのマンガがどんなものか見せてちょうだい、と言ってきた。

竹光侍 4 (4) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)竹光侍 4 (4) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)
(2008/03/28)
松本 大洋永福 一成

商品詳細を見る

松本大洋「竹光侍」4巻
●正体不明の素浪人、能勢宗一郎の出生の秘密が明らかになる。子供のような無邪気さと温厚さで長屋仲間から慕われながらも、ふとちらつかせるただならぬ殺気。その由来が明らかに。……とは言いながら、マンガに何十年無縁であった女性に、いきなり松本大洋って難易度高いよね…。キマヤさん「ふーん、変った絵を描く人ね…。(コメントにちょっと困ってるキマヤさん…なんか曲線をあまり使わないのね」曲線…そうだっけ…?ボク「個性的な画風のマンガ家さんなんです。この本では、明暗のコントラストをハッキリさせて、スキマを大きく意識させ、侘び寂び的なものの表現に、挑戦してるんです」自分でもこの説明は全く伝わらないだろうと認識しながら、気まずい沈黙を埋めた。「あー、『ピンポン』って映画ありましたよね、その原作のマンガを書いた人です」やっと分かり易い説明にたどり着いた。「あの窪塚洋介の…」キマヤさん「オカシくなっちゃう前の映画ね」は、はい、そうです。

ハチワンダイバー 6 (6) (ヤングジャンプコミックス)ハチワンダイバー 6 (6) (ヤングジャンプコミックス)
(2008/03/19)
柴田 ヨクサル

商品詳細を見る

柴田ヨクサル「ハチワンダイバー」5・6巻
●プロ将棋とは全く無縁、賭け将棋渡世「真剣師」の世界。4巻でコテンパンにされた敵・キリノに再挑戦する主人公ハチワンダイバー。その宿敵との勝負の最中、謎の美人真剣師「アキバの受け師」さん(副業はデリバリーメイド)に、勢い余って告白しちゃうバカさ加減が純情。
●集中しろ!集中するんだ!「あの、受け師さん、僕がさっき言った事忘れて下さい!」「僕がアナタを好きだって事、忘れて下さい!」受け師さん「ハ…ハイ でも 簡単に忘れられない」…………「じゃあ……それでイイです!好きなんですもん!」ヘタレなのに直球!オマエ将棋の勝負中だろ!なのにモロど真ん中の告白!胸キュンだぜ!ちょっと感動。
●なのに看護師「のび太のママ」さん「なにコレ?ハチクソダイバー?」ハチクソじゃナイすよ、ハチワン!81でハチワン!もう。「将棋マンガなんです!将棋のマス目は9×9。だから81。ハチワンなんです!」「のび太のママ」さんペラペラページをめくる。「この女の人(「アキバの受け師」さん)、胸が大っきいわね~。女の人にはそうあってほしいの?そういうマンガが好きなの?」別にボクは巨乳好きとかそういうのは…「あの、このマンガ家さんは、確かにこういう女の子ばっかり書きますね」「ふーん」いやホントにボクが巨乳好きって訳じゃないんですよ。くそー、マンガひとつとってもカルチャーギャップが大き過ぎる!

●診療所にマンガ持って行く作戦はちと見直そう。もっと何か、無難なものを…。


今日は、音楽にまつわるドキュメンタリー映画。

タカダワタル的 memorial editionタカダワタル的 memorial edition
(2005/06/24)
高田渡、柄本明 他

商品詳細を見る

「タカダワタル的」
●70年代のシンガーソングライター・高田渡は、渋谷系世代のボクらにとって、和物レアグルーヴの発掘の中から再評価された存在だった。はっぴいえんど、ティンパンアレー、金延幸子、URC系アーティスト…。その文脈から、フォーキーで独特の空気を漂わすシンガーとして発見された。でも、それは70年代に彼が残したレコードのことであって、今現在の彼本人がどんな人なのか、という所まで想像力が及ばなかった。
●で、この映画が出来た。誰かが知ってたんだね。「あの人はまだ歌ってる。そしてスゴイ人だ」と。たしかにスゴい。吉祥寺の立飲み屋、焼き鳥屋(井の頭公園の手前)で、昼間っからベロベロによっぱらってる。ステージの上でもそのまんま。悠然と飄々と歌う。白髪、顔に刻まれたシワ、老眼鏡、ひげ、アル中。ずばりジジイ。実に自由で、実にフニャフニャ。酔いどれ人生。「バカボンのパパ」がそのまま年を食ったらこういうジイ様になるだろう。あ、ちなみに「バカボンのパパ」は設定年齢41歳。石野卓球「今年で41歳になるんだけど、バカボンのパパと同じと思えばまだ大丈夫でしょう。そっから先はちと不安です」って最近のインタビューに答えてた。
●話が脱線した。「バカボンのパパ」は41歳だが、映画撮影当時の高田さんは54歳ほど。で、2005年55歳心不全で亡くなる。早い死でした。つーか、あのフニャフニャぶりは完全に70オーバーだと思ってた。あんなに貫禄タップリのジイ様ぶりだったのに、まだ50代だったんだ…。……ボクは、高田渡さんのようなイイ味の年の取り方をしている人を見ると、その後で自分の顔を鏡でチェックしたくなる。自分の顔に将来どんなシワが出来るのか、イメージする。今からどうやって顔の筋肉を鍛えておけば、カッコいいシワが出来てくれるだろうか。アンチエイジングではなく、積極的エイジングである。同じ老けるなら、グッと渋く老けたい。枯木のサビを身につけたい。

795.jpg

「行方知れズ」
●これも音楽ドキュメンタリー。驚異のビッグバンド「渋さ知らズ」の活動に一年間(1999-2000)密着取材したものだ。何十人ものミュージシャン(やダンサーやパフォーマー)が集まり、常にカタチを変えながら、爆音を鳴らして行くジャズ集団。バンドとしての境界線が曖昧で、常にメンツが入れ替わり、毎回のライブが一度限りのセッションになる。音楽の固定化を避け、グループの成熟を避け、常に新しい生命力を取り込んで行く集団のパワー。その爆音に飲み込まれる。まさしく渋さ知らずである。
●そんな異形のグループを強烈なカリスマで束ねているのが、自らを「ダンドリスト」と称する不破大輔だ。何十人ものミュージシャンをコーディネイトし、段取りを仕切り、唯一無二のグルーヴへとオトし込む。チェーンスモーキングで、饒舌で、いつも笑顔を絶やさず、デカイ声で、ボサボサの髪を振り乱しながら、バンドの前でコンダクターの役割を果たす。なんかデカイ事を仕出かしてくれる、そんな期待をさせてしまうオトコ。誰もがまだ見ぬトンデモナイものに皆を引っ張り上げてくれるような期待。これがスゴい吸引力となって沢山のミュージシャンとファンを惹き付ける。
●ただし、音楽やパフォーマンスのクオリティには厳しい。ユルいプレイヤーには猛然とキレる。カメラはそこもキチンと見つめる。このバンドはただの仲良しクラブではない。マダ見ぬ高みへと肩組んで進む同志である。成熟を許さず、先の見えない冒険を自らに強いる。まさしく行方知れずである。

村上春樹を10年ぶりくらいに読む。
●診療所事務室のルームメイト、ベテラン女性職員2人と仲良しになってきた。お二人にも仮名をつけて日々の出来事を説明して行こうと思う。そのお二人とも、ボクよりかボクの両親に年齢が近いっくらいのベテラン。いつも微妙なジェネレーションギャップを感じながら、ボクは暮らしてるが、多分向こうの方が激しくギャップを感じてるに違いない。規則正しく仕事をするあの人たちから見ると、ボクは小さなアウトローだからだ。彼らは、ボクのようにスカジャンを着て会社に通勤する人間に会った事がない。でも、その奇妙なバランスを維持しながら同じ空間をシェアしている。
●寡黙で年長のカイリさん(仮名)よりも、明るく饒舌なキマヤさん(仮名)の方が積極的にボクに話しかけてくれる。音楽オタクであるボクに、無理して音楽の話題をふってくれる。間口の小さいボクには他に会話の糸口がないからだ。「カーペンターズとかアバが好きだったのよね~」ほお70年代だ…。「あと、ジャズが好き。高校時代の親友がジャズピアニストになって、ピアノバーで弾いてるのよ。診療所のセンセイともよく聴きに行くわ~」
●で、なぜか村上春樹の話になった。「村上春樹の小説って、ジャズが一杯出てきて、おいしい料理とワインがでてきて、読んでるとすっごく オイシいモノが食べたくなるのよね~」あ!それわかります!ボクも学生時代、村上春樹はよく読みました。ボクは料理が全く出来ませんが、パスタだけはよく作りました。それは村上春樹の主人公がおいしそうなパスタを作るからです。あと、村上春樹にはビートルズの曲も一杯出て来るんです。「ノルウェイの森」というタイトル自体がビートルズの曲名ですから。ちなみに、春樹はビートルズですが、龍はストーンズです。パスタとビートルズが村上春樹、佐世保とマリファナとストーンズが村上龍です。
●で、キマヤさん。最近読んだという春樹の短編集をボクに貸してくれた。あー、「好き」とか言っちゃったけど、社会人になってからほとんど読んでないんだよね…。「海辺のカフカ」「ねじまき鳥クロニクル」も読んでない。オウム真理教と一連のテロを扱った「アンダーグラウンド」で、春樹にドン引きしたんです。理由は単純、あの本が分厚過ぎたから。あのテロの翌年に社会人になったボクは猛烈に忙しくなって、小説を読むココロの余裕など全部なくしてしまった。一年目から週5日家帰れないモードの仕事をしてたりという有様だったから。

村上春樹「東京奇譚集」

村上春樹「東京奇譚集」1997年
●5編の小説を収めた短編集。会社の帰りの電車から夕方のカフェタイムで読破してしまった。学生のころは意識してなかったけど、村上春樹の文章は、シンプルで簡潔だ。もう一歩すすめばハードボイルドだ。スコーンと読める。難しいトコロはなんにもない。わざわざコンガラがった文章を書く人、回りくどくて話を大げさに見せる人、いろんな文章の書き手と比較できるだけの経験値をボクも積んだっつーことだ。
●そんで、村上春樹は、ある意味「ボケ倒し」だ。ポクッといきなり非現実的事件が起こるのに、登場人物の誰もがその事態に不思議がったりしないし、平然とそのトンマな事態を受け入れる。突っ込みナシ!一体どーなってんのよという疑問に答えてもらえない、「のれんに腕押し」「ぬかに釘」のような非現実感が、簡潔な文章で透明度を上げてサラリとしたさわやかさを感じさせる。ちゃんとファンタジーなんだな。だから高校生のボクはその世界にスーッと入っていけたんだ。

今回の短編集にはたくさんの女性がでてくる。
で、そのほとんどが30代、40代そしてそれ以上の大人の女性。34歳にもなってるのに世間の常識が備わらないボクには、非常にオトナ感たっぷりだ。そんで魅力的である。仕事をバリバリしてたころのボクは、20代メインの若いスタッフに囲まれて、そいつらの指導や教育、趣味トーク、人生&恋愛相談までしてたもんだ。精神年齢が低いせいか、若い連中が気さくに声をかけてくる。上司としての威厳ナシ!……しかしここにきて、ボクの周囲はみな30代、40代それ以上の女性ばっかりだ。診療所事務室のカイリさん、キマヤさん、「のび太のママ」さん、鍼灸治療の先生とアシスタントさんたち、心療内科の主治医の先生、呼吸器科の女医先生、コドモの友達ママさん、学校・幼稚園の先生…。みんな同世代かそれ以上の女性だ。なんでだ?そろいもそろって。男の先生はどこにもいない。で、完全に小僧扱いである。実際にアタマの中が子供だし。
でも、それが居心地イイのも事実なのである。後輩から「気の利いたオニイさん」と慕ってもらうのはとてもうれしいが、今のぼくは「世話が焼けるダメなワカモノ」で、そのダメっぷりに甘えていられる状況だ。ボクはこれを「しょうがないわねー」モードと呼ぶ。「ホントだめね~。しょうがないわねー。」 しかし。村上春樹の小説のように、いい感じのモテモテにはほど遠い。ホントに「しょうがない」オトコだからだ。そこまでハナシはうまくいかないっすよ。うまくいくから小説は面白いんだもん。


マンガ喫茶に行く。
●最近は骨太のマンガ喫茶が少なくなった。ネットゲームだ、カップルシートだ、簡易シャワーだ、余計なもんだけワサワサ増えて、肝心のマンガがナイガシロにされてる。非常に憂慮すべき事態である。マンガ喫茶はマンガ喫茶と名乗る以上、マンガ読みのニーズに真剣にこたえるべきだ。とにかく、いいマンガをちゃんと揃えろ!難民がいてもいい、営業サボりのリーマンがいてもいい、マンガを揃えろ!
●残念ながら、下北沢のマンガ喫茶にも不満がある。でも行く場所がないので行く。で、読む。

石川雅之「もやしもん」6巻

石川雅之「もやしもん」6巻
●コレ、もうマン喫処理でいいわ。買わない。カビうんちくに疲れた。女の子のかわいさだけに引っ張られないぞ。今回はなぜかフランスのブルゴーニュ地方を旅する一行。ワインのウンチクを振りまきつつ、サド体質の女の先輩を追いかける旅。しかしボクはワインが飲めない。酒は一滴も飲めない。

小山ゆう「あずみ」44巻

小山ゆう「あずみ」43・44巻
●忍びの一族、風魔一派に包囲されたあずみの下に、新たな仲間たちが集まる。あずみに関わると絶対に死ぬ。彼女はそれが苦しくて単独行動を望むのに、へんてこな事情がそれを許さない。そして一行は甲斐の国に入る。師匠の故郷であり、あずみと因縁浅からぬ次期将軍候補、徳川忠長が待ち構える土地に。

森恒二「ホーリーランド」16巻

森恒二「ホーリーランド」16巻
●下北沢を始め井の頭沿線にドラッグを流通させ巨額の金を集めるキングという男。そしてその脇に控える総合格闘技の使い手。彼らの侵略行為に路上のファイターたちが結束し立ち上がる。主人公・神代ユウ、卑劣な手を使う敵に、狂気寸前の怒りをぶつける。……作者さん自身がかなりの格闘マニアで、かつ実践(トレーニング)もしてるっぽい。


昭和史を振り返るドキュメンタリーを二本。

DVD「東京オリンピック」

「東京オリンピック」1965年
市川崑監督追悼。1964年に行われた世紀の祭典「東京オリンピック」のドキュメンタリー映画。公開時には1800万人もの人々が映画館に足を運んだという。公開時は3時間ほどのロングバージョンであったが、近年監督の意図で再編集され、よりタイトに短くされたものをDVDで見た。
監督の意図は、競技の記録やメダリスト個人にはない。アスリートの筋肉の躍動、競技直前の苦悩に満ちた選手の表情。美しい身体の動き。その美しさへ精緻にフォーカスが合わされる。古くて長い映画なのに、テンションを切らさずに最後までビシッと見ることが出来た。マラソンの様子を撮影したシーンの沿道の様子。新宿南口陸橋、甲州街道へ出て行くところ。これがリアル昭和30年代。CGじゃないぜ。汚い。「三丁目の夕日」もうまく汚したが、本物は5倍スケールくらいに汚く、荒々しい生命力がある。
●エンディングロールに秀逸なユーモア。監督をのぞく全スタッフが、肩書き抜きで、完全アルファベット順に羅列されてでてくる。これ、オリンピック開会式の国別選手入場の順番と一緒じゃん。粋だね、監督。

DVD「ヨコハマメリー」

「ヨコハマメリー」
80歳現役の娼婦!真っ白に塗りこめた顔の白粉が強烈!終戦直後のヨコハマ・ヨコスカ、そこから50年、街に立ち続けた伝説の女性。そんな彼女が95年、フッツリと姿を消した。半ば都市伝説と化した通称・メリーさんの正体を追って、カメラは彼女の周辺にいた人々を訪ねていく。そこに見えたものは、戦後から現代までのヨコハマの歴史そのものだった。
●放送じゃ流せない言葉で、あの混乱の時代を当事者が語る。アメリカ兵相手の「洋パン」、白人専門の「白パン」、黒人専門の「黒パン」、そして口が不自由な女性たちを「オシパン」と呼んでいたという。男はアメリカに負けたが、女はそのアメリカと体を張って戦って金をむしりとる。ヨコハマ伊勢佐木町にかつて実在した飲み屋を中心に、愚連隊や遊び人、ヤクザにGI、そんな人々が集まっていた。東京に暮らすボクには近くて遠い街、ヨコハマ。忘れられつつある独特の匂いを嗅いだ。
●そして晩年のメリーさん。背骨も曲がり家も持たないメリーさん、しかし常に品よく振る舞い、美しく着飾り、白粉で顔を真っ白に塗りこめた。ヨコハマを拠点に活動しているゲイのシャンソン歌手、永登元次郎氏は、その生き様に共感し、いつしかかけがえのない友人になっていた。取材時、すでに末期がんを患っていた彼の人生と、メリーさんの人生が深くオーバーラップする。そして最後の、感動的で、とても慎ましやかな締めくくり。このドキュメンタリーのディレクターの、取材対象への愛がじわりと伝わってくる。


今日は会社に10時ピッタリに到着した。
●リハビリ出社が始って1か月半、やっと普通のサラリーマンと同じ時間に出勤することができた。そもそもフツウに仕事してた頃も、超早朝午前3時タクシー出勤か、昼12時近くに出勤する生活をしていたので、いわゆる本物のラッシュ通勤を体験したのも久しぶりだ。雨や落雷で電車も遅れぎみ。密度の濃い電車の感覚になんか感動した。
●駅から会社への通り道、新橋の地下街にある石鹸屋さんの「LUSH」。いつも店員のお姉さんがニコニコしながら、きれいな色の水を大きな器に注ぎ込んでふんわりしたアワアワを作ってる。しかしこの早い時間では、「LUSH」はまだ開店しておらず、アワアワお姉さんがシャッターを持ち上げている。アワアワお姉さんがアワアワしてない姿を目撃したのが、ショックだった。ローライズのシーンズを穿いた女の子がかがんだ瞬間、その子の背中から色気のナイベージュのパンツがペロッと出たのを見てしまったような後味の悪さ…。アワアワお姉さんには、24時間アワアワしててもらいたかった、とボクが深層心理で望んでいた事が明らかになった。

なんで、10時出勤が可能になったか?それは息子の小学校入学のおかげである。
●幼稚園のスケジュールより一時間も前倒しの登校時間。そのため息子ノマドとワイフは今日から6時30分起床になった。息子ノマドの新たなる門出!父としてボケッと寝ているわけにはいかない。「ノマド。パパも明日から一緒に早く起きるからな。一緒に頑張るぞ!」…ということで根性で起床し早く出勤したのであった。
●思ったよりキチンと稼働できた事に自分でも感動。しかし会社の午後、眠気に負けてデスクで爆睡。まあ、元の職場では、好きな時間に好きな場所で居眠りしようと誰もかまわないという無秩序が容認されてたので、午睡の一つ二つシエスタ気分で普通にカマしてた。しかし今のボクは診療所事務室預かりの身分、勤務開始終了、休憩開始終了にピシッとルールのある社会、看護師「のび太のママ」にシャキっと起こされた。ああ、ボクはホントに常識のナイ人間。


とにかく、息子ノマド、とうとう小学校に入学した。

RIMG1032.jpg
 
●今週月曜日。近所の区立小学校に我が家の長男ノマドが入学。当日は会社を休み、ボク自身も入学式に出席した。ノマド、思ったよりもテンション高めで気分もノリノリ、わざわざ近所の友達、親友ユウタくんらと待ち合わせしたのに、新品のランドセルをしょってサクサク一人で歩いて行ってしまう。横断歩道は手を上げて渡り、「ミドリのオバさん」(って今は言わないんだろうけど、とにかく旗持って交通整理してくれるオバさん)に挨拶して行く。おお、立派だノマド。

前日は緊張で泣き叫んでたヘタレ。
●入学式前日、ワイフがヤフオクでゲットした子供用スーツ一式を、ノマドに試着させようとした時だった。今まで目を避けてきた現実が避け得ないほど接近したと悟ったノマド、スーツなど絶対着ないと完全拒絶。パンツ一丁で泣きながら逃げまくる。ワイフもあの手この手で言い繕って着させてみるが、もんどりうって抵抗するので「あーもう!スーツがシワになるからイイ!」とギブアップ。
●パンツ一丁のノマドはそのままコタツの中に潜り込み、30分立っても出てこない。コタツにタテコモリである。あ~あ。予想できた事だがやっぱテンパッてるのねー。しばらく様子を見て「ノマドさーん。差し入れですよ~。ノマドの好きなガンダムの本ですよ~」と言って雑誌「ガンダムエース」の最新号をコタツの中に突っ込んでみた。………しばらくして、やっと顔を出して「ガンダムエース」をペロペロめくり出した。
●落ち着きを取り戻してきたノマド、風呂から上がってさっぱりしたのか「パパ、ショウギやる?」と言ってきた。よし、やろうかノマド。……で、なんと。ガチンコで負けた。ノマド「きょうはおシロつくらないで、こうげきするよ」ノマド得意の穴熊囲いを放棄して仕掛けてきた、その速攻が思った以上にマジで速かった。一回ヤベえボクが詰まされるってチャンスをノマドが見逃したトコロにつけ込んで、一気に仕留めるツモリがそれでも一歩ヤツの方が速かった。つまり2度負けたっつーことだね。「あ、こりゃダメだ。マジでパパの負けだわ」ノマド「わーいわーい、かっちゃった!かっちゃった!」フリースタイルで「かっちゃった踊り」をしばらく踊り続けて、最高の気分でベッドについた。6歳児に将棋で負けちゃったよ。…でもそれでヤツが高いテンションで翌日の入学式に臨めるなら、ナイスタイミングであったのだろう。


RIMG1044.jpg
 
入学式。
●校長先生のハナシが短くてよかった。幼稚園の入園式では80代のおばあちゃん園長先生が30分くらいにわたってオチもない話を続けて、その退屈さに死にそうになったから。50代くらいの校長先生、ニコニコして声がよく通る。「今日は皆さんにイケコさんを紹介します」と言っておもむろに不細工な手袋人形を装着、妙な裏声で「みんな、ニュウガクおめでとう!」とカマシた。このイケコさん(←由来不明)ネタは、スベッたスベッてないと議論すれば、完全にスベッてる。でも、ボクはこういうコトをするタイプの人を信用してしまう主義だ。
●教職員紹介で感じたのは、男の先生が全然いないこと。1学年2クラス、計全12クラスで男の先生3人。その他のスタッフを集めても、全体の25%程度だね。副校長先生(教頭先生って言わないらしい)も女性だし。小学校はオンナの職場なのだ。ちなみにノマドの担任も女の先生。友達ママさん情報によると「アタリ」らしい。先生は保護者に「アタリ」&「ハズレ」判定とか出される立場。まー色々大変ね。

今日は二日目。テンション高く臨むノマド。
●朝。「パパ、いってきます!」ビシッと敬礼された(我が家では気合い入れる際に「気をつけ!敬礼!ノマド頑張れ!」ってよくやるんだけどね)。帰ってくれば、一日目にして既に数人のクラスメートの名前を覚えて来るなど、社交性に乏しいノマドには意外なほど積極的。「2ねんせいのオニイちゃんがいってたけど、きゅうしょくはとってもオイシいって!」「6ねんせいのオニイちゃんたちが、ガリバーりょこうきのカミシバイをよんでくれた」楽しそうに報告する。
むー、とにかくノマドは離陸した。新しい社会にもまれてどう進化するか。これからが勝負よ。春の風はちと強烈だからね。


RIMG1043.jpg

●ちなみに、妹ヒヨコも「はやくショウガクセイになりたいな」と張り切っております。


教科書チェック。
●さて、昨今話題の「ゆとり教育」一体どーなってるの?と思い、ヤツの教科書を熟読してしまった。コレが結構オモロい。
音楽、図工。この辺は「ゆとり教育」であろうとなかろうと、あんま関係ない。図工くらいは「ゆとり」で十分、不都合はないよね。音楽もしかり。
●しかし、生活。このカテゴリーはボクらの少年時代にはなかったから、新鮮である一方、内容も全然読めない。いわゆる理科&社会合体モードで、2つの学科が分化するのは小学校3年生からだ。教科書めくって気になったのは、最初の見開き2ページがさくらももこのイラストだったってこと。え、全編さくらももこ?!と思ったが最初だけでした。

算数は、数字の書き取りから始まり、繰り上がり繰り下がりを含む足し算引き算を念入りに説明してる。算数ブロックを使ってアレコレ色々なやり方で説明するんだけど、ジーッと読んでるうちに、繰り下がりの引き算はどういう仕組みでボク自身は理解しているのか分からなくなってきた。
●ワイフとジックリ話し合ったら、ボクとワイフは全然違う考え方で繰り下がりの引き算をしていることが判明した。ボクは引き算は一貫して引き算だけを使って処理するが、ワイフは足し算も交えて処理してた。つーか、全然意味分かんない文章ですね。とにかく問題がミクロ過ぎて説明しきれません。ちょっと、そのやり方メンドくさくねえ?いやそうともいえない、一体ドッチが正しいの?ボクのやり方が違うのか?ノマドに質問された時、キチンと応えられるだろうか。
●90、100という数は三学期の最後にやっと登場して来る。これが早いのか遅いのか。自分の時代と比較するほどボクは記憶力がよくありません。でも、結果として算数は反復練習で体得する性質のモノ、その訓練を学校だけで済ます事が出来るかは疑問だ。理屈がわかっても実践がなきゃねえ。そこはノマド、公文の宿題でカバーするぞ。

国語は、すごく積極的ですわ。正直びっくりした。国語、書写、日本語、と三冊の教科書がある。おいおい、国語と日本語ってナニが違うの?実は「日本語」という教科は、世田谷区が独自に行っている教科。「日本語のリズムを楽しもう」というフレーズが沢山出て来るのだが、狙いは野村萬斎NHK教育でやってた番組「にほんごであそぼ」みたいなコンセプト(実にクールな番組だった…)で、小学校1年生に俳句・短歌・漢詩・近代詩などを読ませるものだ。スゴいっすよ。1年生に、小林一茶、宮沢賢治、高村光太郎、杜甫、李白、論語、与謝蕪村、正岡子規、山上憶良!を読ませるんですわ。論語とかボクは高校でやったぜ。世田谷区、ヒップだわ。意味分かんなくてもイイからアタマにぶち込んどけっていうわけか。いやービビった。
●この方法、ある意味、理がある。ボクがノータリンヒヨコにことわざを植え付けてるのと同じ発想だもんね。ボクも小学校の頃、学年劇で「平家物語」の一エピソードをやらされて、あの有名な冒頭のフレーズをアタマに刷り込まれたもんね(「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり~」)。意外と消えないんだよ、あのテの経験って。とにかく国語教育だけは分厚くしようって意図は感じる。


「生きる力 学習指導要領がかわります」というパンフレット。
平成21年度から、幼稚園、小学校、中学校で新しい教育内容がスタートします、って書いてあるパンフレットが保護者向けについてきた。「ゆとり教育」の見なおしが始まるわけだ。来年からやれるトコロで実施されるが、教科書など全ての用意が整うのは平成23年度。ウチのノマド、そして年子のヒヨコは、この過渡期を通過して行くことになる。
●大きなポイント第一は、授業時数の増加。小1・2年は週2時間、小3~中3は週1時間、授業が増える。週5日制はキープ。低学年では国語がぐっと増える。高学年では、算数理科がやや増。そして第二ポイント。5・6年生で「外国語活動」という授業が出来る。小学校でも英語をやるんです。中学でも英語・数学・理科が増加。全体的な傾向として読めるのは、英語と理数系を強化したい意図かな。
●しかし小学校の「外国語活動」、具体的な内容として書いてあるのは「英語ノートの配布、各学校への音声CDなどの配布を行います」……音声CD。これはお寒いんじゃないですか? CDに合わせてミンナで「ハロー、ハワユー?」とか言うの?無理だって。意味ないって。失業した駅前留学NOVA のセンセイ全員再雇用して、全国に送り込むくらいしないとダメよ。子供の方が外人慣れ早いんだし。
●あと、「理数の力をはぐくみます」という文章の中。「たとえば、二次方程式の解の公式(中・数学)、イオン、遺伝、進化(中・理科)など」おいおいおいおい、今って、二次方程式もイオンも遺伝も進化も教えてないの? そこ衝撃だよ。………でも、リアルタイムの実感として、中学生当時のボクは「この二次方程式が今後のボクの人生に大いに役立つ場面は、万が一も存在しないだろう」と固く信じながらやってたなあ。高校の因数分解微分積分「絶対ボクの人生に登場する事はないだろう」と思ってたわ。で、当時の予言は今ん所100%成就されてるのよね。かつての「ゆとり教育」推進官僚が「コレ省いてもイイんじゃね?」って誘惑にヨロメイた気持ちが、一瞬理解できちゃった気もする。


ま、公教育の荒廃は、ある意味しゃーない。
●受験戦争、偏差値、内申書、校則遵守、模擬試験、夏期講習、管理教育、知識の詰め込み。それにウンザリさせられたのも事実。それで一度はミンナが「ゆとり教育」に同意しちゃったんだもんね。しかし、今の世の中の趨勢はそれに懲りた状況にあるので、これ以上ユルくはならないだろう。
●社会に出れば、激しい競争社会。雇用形態の多様化で、一生正社員の保証は消えたが、一生フリーターの可能性はテンコモリ。でも少子化で大学選ばなきゃ誰でも入学できる「全入時代」学歴一つでも勝ち組負け組の格差は混乱してきて、ただ大学行っただけじゃ勝負にならない。大学ブランドで食って行ける時代は終わった。格差社会を生き抜くために、学校で何を会得させるのか、どんな武器をコドモに授けてやるか、明確なヴィジョンがなければダメってこと。ソコの戦略をイメージしないと子供をニートにするぜ。子供は親が育てるんだ。先生/学校にでかいモン期待すんのは筋が違う。コレって当たり前だよね。

下北沢の再開発ってどーなってるの?シリーズ4回目。
●4月に入り、小田急線が地下化工事準備のため地上にもう一本仮設線路を設け、線路敷地の幅がその分グンと太くなりました。下北沢駅からオトナリの東北沢駅の間では、仮設線路用地のための土地買収がかなり前から着々と進んでおりましたが、線路として電車が通るようになって、本格的に街の表情が変わってきた感じがします。
●早くしないと、せっかく撮り貯めた写真からドンドン風景が変わってしまいそうです。今日も北沢タウンホール「街づくり課」でもらった再開発プランを元に、この街がどう変わるのか、ドコのお店が立ち退き対象にされてるのか、ご紹介していきます。コレまでは東側エリア、南側エリアを検証しました。
※ 過去の記事はコチラ:http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-category-8.html

今日は西側エリアを検証。これが最も既存商店街に大きな影響を与える部分です。
●まずは地図で確認。「補助54号線・世区街10号線ニュース NO.5」(BY 世田谷区 道路整備部 交通広場整備担当課 発行:平成19年1月25日)に掲載されている地図です。青丸でマークしたエリアに現状何があるかを、写真で紹介してきます。

下北沢再開発事業中4
 
●計画道路はグレー&黒で記された所。グレーが車道、黒が歩道。でもこの地図だと、新しい道路のカタチがわかっても、今の建物や既存の道が分からないですよね。ですんで、今回はさらに違う地図を使ってご説明します。


ニュー地図登場。
北沢タウンホール「街づくり課」で、「事業計画の位置確認」という名目で借用&カラーコピーした地図を拡大し、既存の主だった道(赤線)と既存の鉄道(青線/小田急線&京王井の頭線)を、ボクが分かり易く記入したモノです。これに事業計画対象地域を薄い黄色で塗ってみました。薄い黒線でボンヤリと既存の建物の配置やカタチが記してあります。緑の四角で囲った数字マークは、後に紹介する写真撮影現場に対応してます。ちっこく細かい地図になっちゃってすいません。がんばって見てください。あ、ちなみに東西南北は上下左右に対応してますので。

シモキタザワ

●この新しい地図をお見せした意図は、この事業計画の西側エリアでは、本当にたくさんの建物が立ち退きを要求されるというコトを知っていただくためです。ここは下北沢の北口エリアの商店街のコアブロックです。
●ここに22~26メートル幅の道路(歩道+車道)が通る事で、商店街はコアを失い、計画道路の南北に分断されるというコトになります。計画道路の北側には下北沢一番街をはじめ賑やかな商店街がありますが、そこへの人の流れを遮断される恐れがあります。果たして、本当に街全体でこの道路の存在がメリットになるのでしょうか?
●ちなみに、これはあくまで東京都、世田谷区が進行している計画で、様々な立場の方々が各方面で活発な議論をしています。写真に写っているお店や建物が即座になくなったりすると決まっているわけではありません。立場はそれぞれの地主さんテナントさんで異なっていると思います。最初から必ず消滅すると決めつけているわけではありません。ご注意下さい。

●これを前提に、写真で現在の街の様子を見てみましょう。黄緑マークの数字が写真を撮った場所に対応しています。

写真その1。

RIMG0875.jpg

●[1]のポイントから北側へカメラを向けて撮った写真です。地図でみてもらえばわかりますが、線路とこの道に挟まれた三角地帯は全部事業計画の射程距離に入ってるってことです。実際、すでに線路沿いの一部は工事用地のために買収が進み、資材置き場や工事車両置き場になってます。ここには、シルバーアクセサリーのお店、個性的な自転車&アウトドア系ショップ、メンズファッションのお店などなどがあるのですが、もしかすると、全てがなくなってしまいます。計画通りにコトが進むと、少なくとも写真に写ってる建物は全部なくなります。

写真その2。

RIMG0879.jpg

計画道路は既存の道路とは関係なく、建物が密集するブロックへ侵入します。地図右側から建物を踏みつぶして線路を跨いできた計画道路は、この[2]のポイントから西側へさらに突き進んで行きます。[2]のポイントの西側にはコインパーキングがあります。そこに踏み込んでその駐車場にある建物を撮影しました。細い横丁の奥にあるのは雑貨屋さんと静かなカフェ。さらに奥には一般のお家もあることがわかりました。行政は、ココの皆さんに「全部どいて下さい」というコトを考えているわけです。

写真その3。

RIMG0881.jpg

●[3]のポイントから東側へカメラを向けました。この道自体は計画道路の射程距離の外にあります。しかし、地図を見てもらえば簡単に想像できますが、建物の奥行きが確保できず、大幅に改築を余儀なくされるエリアです。[1]のポイントの角には老舗のおセンベイ屋さんがありますが、図面をみるかぎり改築を免れるコトが出来るのはこのセンベイ屋さんだけです。メガネ屋さん、女性向けヒップホップファッションのお店、オリジナル和柄テイストのお店などがあります。

写真その4。

+.jpg

●地図で見てもらえればイメージできると思いますが、駅北口に広がる商店街のほぼ中央に位置する交差点です。もちろん自動車が入れるような雰囲気はなく、週末は終日、平日の夕方も沢山の歩行者がゆったりと買い物で往来する場所です。この交差点を北西方向にカメラを向けて写真を撮りました。紫の庇を持つ中央の建物は、二階建てで複数のテナントを内部に納めるビル。エスニック料理、日本茶カフェ、婦人靴、キッズファッションなどなど様々なお店が中に入ってます。計画道路はこの建物をソックリ消してしまう事を想定してる事が地図から読み取れます。手前の青い看板を持つ建物は横浜銀行の支店。この建物も無事ではいられません。オシリを齧られるように、ビルの一部をかすめ取られるのでしょう。

写真その5。

P1000265.jpg

●写真その4の場所から直進して、カメラを南側に向けました。[2]のポイントで建物の密集地帯に踏み込んだ計画道路は、このブロックを貫いて、この場所に出てきます。紳士靴店、ケイタイショップ、メガネ屋さんが買収対象になるのでしょう。

写真その6。

P1000266.jpg

「しもきた茶苑 大山」。映画「男はソレを我慢できない」でマドンナ鈴木京香の喫茶店として登場するお店です。品のいいコダワリの日本茶専門店として、下北沢でも独特の存在感を放つお店です。いつもこの店の前を通ると、とてもいい香りがします。個人的にはとても大切な場所です。計画道路の射程距離にスッポリと入ってしまってます。

写真その7。

P1000267.jpg

●[7]のポイントでは、南側にカメラを向けてます。スニーカーショップ、コドモたちをよく連れて行ったリーズナブルな焼き肉屋さん、ワリと気に入って何度も夫婦で食事をしたイタリアン。などなど。ここも立ち退きを迫られるのでしょう。

写真その8。

RIMG0887.jpg

やっと、今回の計画道路の西端に到着しました。[8]のポイントから南側にカメラを向けてます。メンズのカジュアルショップ、イタリアンなどが入ったレンガ模様のビル。この建物の場所が、計画道路の出口になります。この建物をどけて、車道+歩道あわせて26メートルの大通りが出来上がります。

写真その9。

RIMG0895.jpg
 
「補助線街路第54号線」と名付けられるこの計画道路は、茶沢通りからこの下北沢の豊かな商店街を長さ256メートル、幅22~26メートルにわたって食い破り、この地点に到達します。ちなみに右側にある白いお店も立ち退き対象。そんな大げさな道路がたどりつく先は、この幅7メートルぽっちの道。日中は車通りも少なく、歩行者が安心して歩ける道。オープンカフェが建ち並び、静かな時間を過ごせる空間です。そんな場所に、ここまで大きな道を敷き、交通の流れを誘導して、一体なんのメリットがあるでしょうか?ココから先の道は狭く入り組んでおり、ドコにも繋がっていません。


で、地図を眺め街を歩き、考えた事。
●沢山の地図、沢山の写真を見ていただき、長々とお付き合い頂いてありがとうございます。ボクはこのブログで、今回の計画道路を、東、南、西と、3ブロックに分けて検証してきました。東と南の意図はある程度理解できます。駅前広場にバス停など公共交通機関を誘導したいという狙いがあるということ(決して計画に同意するというわけじゃありませんけど)。しかし、西側ブロックだけは、さっぱり意味がわかりません。ドコにも繋がらない道を、ナゼここまで大きな代償を払ってまで、つまり巨額の税金を投入して商店街を抹殺してまで、作らなければならないのでしょうか?
●ちなみに、小田急線の地下化工事は、今ニュースで話題の「道路特定財源」を投じて行われている事業です。福田首相は来年からこの仕組みを廃止し、一般財源化すると言ってます。ま、どうなるか分かりませんが。民主党がゴリ押ししてガソリン価格が下がった分だけ、地方自治体へまわる「道路特定財源」は減って、他の公共サービスに使われるべき税金が代わりに投入されると言われてますよね。これも、自民党の再可決でどうなるか分かりませんが。
●とにかく、よくわからないコトが一杯あるのです。シモキタザワの街がステキだと思ってらっしゃる皆さん方、またはそうでもないよフツウの街じゃんと思っている方々、この計画を見て一体どのようなコトを感じられましたか?もしよかったら、ご意見を聞かせていただけますか? ボクは引き続き、この計画がシモキタザワに及ぼすであろう影響についてコチョコチョ調べてみようと思います。よろしくお願い致します。


もう1つ、感じた事。
今回、地図と付き合わせてカメラを片手に真剣に街を歩きました。そこで新たな発見がいくつもありました。ボクはこの街に住み始めて6年。決して長くもないのですが、短い時間でもありません。それでも「ああココにこんな店が、こんなカフェが、こんな公園が、こんなに一杯の人が、いるんだ」と感じ入る場面がありました。
実はこれらの写真は、同じ場所を何回も撮り直したりしています。なぜか? ボクはこの街が、この街の今の姿が好きなのですが、その素晴らしさを写真で切り取る事が出来なければ、この写真を見る人に「この風景は守るべきモノなんだ」という気持ちが伝わらない、と思ったからです。正直、自分の写真技術の拙さに辟易しました。こんな写真じゃダメだと、何度も撮り直しをしました。結局、街の価値を伝える写真になったのか、というと今でもはなはだ疑問です。
●それでも、この街のこの街らしい風景をこれからも切り取っていこうと思います。ダメでもゼロよりはましですから。
今週は元の現場の若い女子と、たっぷり長話をした。
●最近は、病気の具合も良くなり、約束をして同僚とランチを食べるくらいはオッケーとなってる。で、メールをくれた後輩の女の子と昼飯を食べようと思ったわけだ。しかし、ちょっとランチのつもりが、4時間超に及ぶロングトーク。絶対カラダおかしくなるなと思いながらも、その子や仲間たちの近況を夢中になって聞いた。うれしかった。そのコは24歳。未来と可能性のカタマリ。彼女からエネルギーをもらえたのか、今朝の体調は何の問題もない。少しずつだが、ボクのカラダは回復している。
●一方で、34歳、痛みきったオヤジであるボクにも若い頃はあった。たいしてカッコいいもんじゃないが。今日はそんな話を。


家の中を整理してたらタイムカプセルが出てきた。
●高校時代から大学時代にかけて色々活動してた記録がたんまり入ってた。仲間で企画したイベントのフライヤーから、友達のライブハウス録音、自分が関わったラジオ番組、ビデオで作った映像モノ、文化祭で使った音効テープまで入ってた。
一番恥ずかしいのが手紙の束。高校当時にワイフからもらった手紙が恥ずかしい。そう、ボクとワイフは高校一年生、15歳の頃に知り合い、そのまま結婚してしまったのだ。ボク「うっひゃ~、あんたスゴいコト書いてあるよ」 ワイフ「ダメ!封印して!そうじゃなきゃアンタからの手紙も引っ張り出すよ!」えっ、ちゃんとボクの書いたヤツもキープしてんの?ハズカシい!
●やっぱ紙メディアは、温もりがあるね。そしてカタチとして残しやすい。メールは残らないからな~。笑っちゃうのが、高校時代や大学時代でもボクは友達みんなに心配されてる。どの手紙も「大変みたいだけど、カラダ壊さないでね」「バリバリやってるのはスゴいけど、頑張りすぎないで」とか。人生一貫して常にテンパッてるんだ。笑えるねえ。ボクの病気は根深いね。


そんで唐突ですがタイムワープ!1989年。
●そんなテンパリ人生の最初期を振り返ってみようと思います。1989年~91年。高校時代をボクは放送室で過ごしてました。……久しぶりにまた始まっちゃいます、ボクの超極私的音楽遍歴回顧録。タイムカプセル(といってもタダの段ボール)から吹き出した、ムダに長くて関係ない尾ヒレが付きまくる不毛な記憶。読むの止めるのなら今です。

●ちなみに、1986年~1988年のコト、桑田圭祐の音源&活動を語る事で、当時中学生だったボクが、いかに音楽にハマったか、という文章があります。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071214.html
●続いて、1989年、平成元年前後に巻き起こった「バンドブーム」に注目した文章を、中学生から高校生にかけてのボクの記憶に絡めて綴ってます。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080106.html
1990年以降「渋谷系」カルチャーとその個人的な思いもまとめました。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-240.html
●今まで日本の音楽シーンを中心にこのシリーズを構成してきたんですが、ここで初めて海外のシーンを同時代でボクがどう捉えてたかというテーマにトライしようと思います。まずは最初に取り上げるのは、イギリスのロックシーン。
●今回も断っておきます。甚だしくハイパー冗長で、下らない内容です。大方の人々にとってほとんど利益のないボンクラ少年の物語です。どうぞご容赦を。



都立高校の放送室。
1989年、千葉県の中学校を卒業し、東京三多摩地区にあるノドカな都立高校に進学したボクは、なぜか「放送部」に在籍しておりました。音楽そしてロックが大好きになって、そんで好きな音楽を昼休みの弁当タイムに全校全教室に垂れ流す毎日。何ぶん毎日日替わりでお昼のBGMを供給するのですから、本当に様々な音楽に触れるキッカケになりました。ボクが現在もジャンルを超えて広く浅くたくさんの音楽を聴くスタイルは、ここから出発しているといえるでしょう。

●この頃のボク(当時15歳)にとって強力な音楽体験になったのは、下に記す二つのバンドとの出会いです。
THE STONE ROSES & THE BEATLES。ボクの目の前で90年代と60年代が邂逅した瞬間。

「セカンド・サマー・オブ・ラブ」
1989年。この年、イギリスでは「セカンド・サマー・オブ・ラブ」という言葉をキーワードに、新しい音楽が爆発を始めました。MDMA、俗称「エクスタシー」と呼ばれる新型ドラッグにアゲアゲにされた、レイヴカルチャー/ダンスシーンが盛り上がり、アシッドハウスという新型ダンスミュージックが開発されました。「テクノ/ハウス」という名前でカテゴライズされる90年代型ダンスミュージックのフォーマットが固まり、この年代を通じて多種多様なスタイルが生まれ、全世界に波及していくのです。
●ロックサイドでもコレに呼応する表現が台頭し始めました。「マッドチェスター」です。舞台はイギリスの地方都市の1つ、マンチェスター。この街で蠢いていたインディーロックシーンが、幻覚剤エクスタシーの多幸感とダンサブルなロックのグルーヴを武器に、全英を揺るがす影響力を持つのです。代表的なバンド名を挙げてみましょう。HAPPY MONDAYS、PRIMAL SCREAM、THE CHARLATANS U.K.、そして、THE STONE ROSES です。

28548B33E54219CDDAFEFA4B9F431B82_500.jpg

THE STONE ROSES「WHAT THE WORLD IS WAITING FOR」1989年。
●ファーストアルバム「THE STONE ROSES」で衝撃的デビューを果たした直後の、日本企画盤ミニアルバム。高校時代はカセットテープにダビングして死ぬほど聴きました。この前、下北沢の中古CD屋さんで380円という廉価で再会。即座に買いましたねえ。マンチェスターの先輩バンド THE SMITHS「THE WORLD WON'T LISTEN」なんてアルバムを出してたのに、コイツらはイキナリ「世界はオレらを待っている」と行く勢い。当たり前だけどアルバム「THE STONE ROSES」も激聴きしました。
今の感覚で言える彼らの特殊性は、ダンス/ロックを横断するこの時代独特のハイブリット性を持っていること。RENI によるシャッフル感溢れる繊細で変幻自在なドラミングと、後に PRIMAL SCREAM に移籍しバンドサウンドを激変させた MANI の強靭なベースプレイが唯一無比のグルーヴをうねり出している。そんで、ココにドコか飄々として、そして不遜なほど余裕シャクシャクな脱力ボーカルの IAN BROWN が乗る。彼はマイクをクネクネ振り回してフロアをあおり、自分もウットリと踊り続ける。とどめにギター、JOHN SQUIRE の存在。彼が描くメロディラインと正確なギタープレイは、まさしく英国ギターポップの正統派。ロックとダンスの結合が固定化しない前だからありえた独自のダンス/グルーヴ解釈、そしてUKロックの伝統との美しい融合が、彼らを伝説のバンドに仕上げた理由だと思う。
●特にここでは、テープ逆回転を幻覚的に使った曲「GUERNICA」が、尖った90年代的サイケデリック表現を備えていて目が覚める。

んで、高校生だったボクは、コレを初めて聴いてどう思ったか。
●おお、コレは現代の THE BEATLES ではないか! 当時15歳のボクは即座にそう反応した。この頃、ボクは THE BEATLES THE ROLLING STONESをムシャムシャ聴いていたのだ。
●前述の「セカンド・サマー・オブ・ラブ」って言葉は、なんで「セカンド」なの?って思うでしょ。それはちゃんと一回目があるからです。最初の「サマー・オブ・ラブ」1968年。マリファナと LSD が新次元への知覚の扉を開くと信じて、サイケデリック実験が世界中で行われた年。THE BEATLES は前年の1967年に傑作「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を発表。音響面において最前衛実験と美的統一感を両立する事に成功し、「サマー・オブ・ラブ」のど真ん中に屹立してた。BRIAN JONESもまだ THE ROLLING STONES を脱退してなかったし、プールで溺れ死んでもいなかった。

THE BEATLES「SGT. PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND」

(THE BEATLES「SGT. PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND」)

1968年1989年は、「サマー・オブ・ラブ」&「セカンド・サマー・オブ・ラブ」、つまりドラッグカルチャーにインスパイアされた二つのムーブメントの臨界点だった。そして THE STONE ROSES THE BEATLES はそのそれぞれのムーブメントの爆心地。ボクはタイムトンネルをくぐるように、ヘッドホンの中で、目の前の現行シーンと60年代の音楽世界の間を行ったり来たりしてたのだった。


THE BEATLES と「放送室」について細かい思い出を。
●当時ボクが入り浸ってた高校の「放送室」。ココはヘンテコな空間で、格好の隠れ場、秘密基地だった。防音処理がなされているので、ドアを閉めれば授業サボって音楽を爆音で聴いてても絶対バレない。1991年だったっけな?授業をサボってラジオをひねり、湾岸戦争の地上戦が始まる瞬間のニュースをコバヤシと興奮しながら聴いてたのは。
6mmオープンリールのテープデッキが3台あって、体育祭用の大型PA(スピーカー&アンプ)があって、8chミキサーが2つあった。顧問の先生をそそのかして2chのマルチトラックレコーダーも購入させちゃった。これはボクには最高のオモチャで、逆回転再生とかを駆使して、テープコラージュミックステープ(当時はそんな言葉で認識してなかったけど)をザクザク作ってた。
●バンドやってる友達にしょっちゅうライブPAのオペレーションを頼まれてたし、デモテープのレコーディングも手伝った。文化祭の芝居をやるとなったら音楽効果はボクの役目。体育祭じゃあ競技のBGMの選曲からプレイ、実況席のPAもやってた。フォークダンスの練習でテープのピッチコントロールをフニャフニャいじくりみんなの踊りを邪魔したら、実行委員の女子にスゲエ怒られた。全校球技大会の成績結果速報まで学内放送でやってたな。ボクはこの頃から無意識にイベントの裏方屋、企画屋的な志向が強かったみたいだ。

●そんなワケで、ボクの放送室には音楽好きのへんなヤツらがタムロしてた。あいつら放送部員でもないくせに。そんな仲間の1人に THE BEATLES 好きがいた。隣のクラスのナツエスくん(仮名)。彼はエラくドラッグカルチャーへの憧れが強いヤツで、THE BEATLES 音楽が持つサイケデリック的側面を随分ボクに丁寧に教授してくれた。「SGT. PEPPER'S ~」の最後には犬にしか聴こえない超音波が入ってるんだとか、チャールズ・マンソンへの影響関係とか。ナツエスくんによると通称ホワイトアルバム「THE BEATLES」に収録の「HELTER SKELTER」「REVOLUTION NO.9」の2曲にマンソンはヤラレちまって、女優シャロン・テートの腹を切り裂いたそうだ。

THE BEATLES「THE BEATLES」

(THE BEATLES「THE BEATLES」通称、ホワイトアルバム。)

●さらに1990年 THE ROLLING STONES 初来日公演の年。心機一転仲良し再始動盤「STEEL WHEELS」1989年と、60年代前半の彼らのベスト「BIG HITS - HIGH TIDE AND GREEN GRASS」1966年を同時に聴いてた。THE BEATLES と THE STONES のコンボ攻撃で、ボクのアタマは60年代に染まってた。

THE ROLLING STONES「STEEL WHEELS」

(THE ROLLING STONES「STEEL WHEELS」)

THE ROLLING STONES「BIG HITS - HIGH TIDE AND GREEN GRASS」

(THE ROLLING STONES「BIG HITS - HIGH TIDE AND GREEN GRASS」)


「放送室」はボクの世界観の理論武装にも貢献してくれた。
●さらに、この放送室には突然大学生のOB先輩がフラリとやって来る。超ウザい。大学生だろ自分の大学で遊べよ! でも当時はそんなコト口が裂けても言えない。彼らが来たら、イヤでもお茶入れてオモテナシだよ。
●ただ今冷静に考えるとこの人たちはみんな大学演劇や自主制作映画とかに入れ込んじゃうタイプのアート系学生で、そこから吸い取った60年代にまつわる歴史感覚&知識はボクの脳ミソにスゴく役に立った。「先輩、ビートニクスってなんですか?」「実存主義ってなんですか?」「ヌーベルヴァーグってなんですか?」「全共闘ってなんですか?」イロんな質問を吹っかけたのを覚えている。あと、ファミレスや喫茶店で一杯メシおごってもらった。どうもありがとうございます。


ということで結論。
●ボクは90年代UKロックを、60年代ブリティッシュロックシーンと深く関連づけて捉えてた。そしてブリットポップに進化していくUKシーンと、60年代モッズカルチャーを同時並行に聴いていった。90年代~60年代のタイムマシン的反復横跳び運動は、15歳の少年のアタマの中で、目の前のムーブメントが一過性の流行とは格の違う歴史的革命の口火なのだ、言わばフランス革命のバスティーユ監獄襲撃事件と同じなのだ!と信じこませるバカ作用を引き起こした。
マッドチェスターは、英米を跨ぐテクノ/ハウス革命、レアグルーヴ/アシッドジャズ、NYでネクストレベルに進化した90年代型ヒップホップの革新、シアトルグランジ/米オルタナティブロック、日本のバンドブーム/渋谷系と、90年代初頭に立て続けに起こる音楽革命と完全にリンクしてた。世界同時多発的にコペルニクス的転換が起こった。世界中で90年代が始動し始めた!ボクらの時代が!高校生のボクは胸がドキドキする想いでイッパイだったのだ。


●この頃の雰囲気を伝えるバンドをもう一つ。

INSPIRAL CARPETS「DEVIL HOPPING」

INSPIRAL CARPETS「DEVIL HOPPING」1994年
●コイツらもマンチェスターから出てきた連中だ。本当のリアルタイムで言うと、1991年のセカンドアルバム「THE BEAST INSIDE」が一番印象深いんだけど、最近見つけたCDがコレだから。バンドにとっては最後のオリジナルアルバム。で翌1995年に一旦解散。2001年に再結成してるという。ローゼス、ハピマン、そしてコイツらで、マンチェ3大バンドとか言う人もいる。
●レーベルは MUTEDEPECHE MODE などが所属した、80年代エレクトロの名門だね。いかにこの時代が、ダンスミュージックとインディーロックの位置が近かった事を象徴的に示している。この頃はタフなロックになってきてるけど、バンドの初期はもっとヘナヘナで、ピヒャララ~と鳴り響くキーボードが脱力系マヌケサウンドでありながら、この頃のダンス感覚/サイケ感覚をハッキリと反映してる。
●あと、コイツらのカッコが最高にカッコ悪いのですよ。若ハゲスキンヘッドとか、時代錯誤的ダラしないマッシュルームカットとか。趣味の悪い極彩色のシャツに、ダボダボのズボン。雑誌には世界一醜いバンドって言われてた。このファッションスタイルは「スカリーズ」って呼ばれてたな。でも、そこがイカした。シビれた。
●この時代のマンチェスター・バンドたちは、それまでのロック観を転覆するほどカッコ悪かった。既存のロックスターはロンゲをキレイに染め上げ逆立てたりして、バンダナとか革パン革ジャンとかタイトジーンズとかのお決まりロックアイテムで身を固め、つまりは BON JOVIGUNS 'N' ROSES みたいなカッコしてたわけ。ところが新世代のインディーバンドは、だらしなく伸ばしたボサボサ寝癖の髪の毛またはハゲ、ベットから抜け起きたままの完全普段着(サッカーシャツ、ジャージあり)。その昔早川義男「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」と言ったが、HAPPY MONDAYS (SHAUN RYDER) THE STONE ROSESPRIMAL SCREAM (BOBBY GILLESPIE) も、衝撃的にカッコ悪過ぎて、だからこそボクには最高にカッコよかった。ヘヴィメタルのマッチョ主義&ドクロ趣味や、パンクスのツンツンヘア&ラバーソウルよりも、ずーっと親近感が持てた。


PRIMAL SCREAM についても、アルバムごとに作風を全部入れ替えて来るヤツらの変遷をスリルタップリに綴ることができるし、HAPPY MONDAYS がインディー名門レーベルの FACTORY をいかにして潰したかとか、MY BLOODY VALENTINE がどんだけ衝撃的なサイケ音響を鳴らしたのかとか、マンチェのテクノアクト 808 STATE の存在(ボクは高校の体育祭のBGMに彼らのシングルを使ってた)とか、目一杯語るべきことがあるけど、敢えて今回は割愛します。キリがないからさ。
●ただし最低限言える事は、このテの音楽を昼休みの校内放送でかけまくると、全校全教室でスピーカー音量がOFFられて、誰も聴かなかったってコト。ことマイブラ THE JESUS & MARY CHAIN、RIDE のようなシューゲイザーバンドの轟音ギターは、校内放送のオンボロスピーカーでは最悪の鳴りで、工事現場の騒音を垂れ流してるのに等しかった。あははは。マドンナみたいのかけるとみんな聴いてくれんだけどね。でもボクは全然おかまいなしで、嫌がらせのようにかけまくった。うししし。


1992年大学進学。バカ大学生ライフが始まる。
●都立高校ののどかな3年間は終わり、ボクは大学に進学した。第一志望だったワセダ大学には、3学部くらいチャレンジしたのにカスリもせず、結局帰国子女がたくさんいるキリスト教系大学のマスコミ専攻学科に入学した。
●コスモポリタンな学風は結構だが、語学が大嫌いなボクには全然馴染めない場所で、あんな所で4年間も過ごしたコトに今でも違和感を感じる。履歴書学歴欄に大学の名前書くだけで、思わず自分で笑ってしまう。他人に自分の出身校を明かすとみんなビックリする。「なんか似合いませんね~」って感じに。
●でも帰国子女がマジョリティとして堂々のさばる雰囲気から、つま弾き出されたヤツらはボクの他にも一杯いたもんで、終始ソイツらとツルむコトとなった。全員が強烈なコンプレックス/劣等感を抱え込み、「テニスサークルでチャラチャラ飲み会してるヤツらとは口もきかない」と、不毛なルサンチマンでいつもイライラしてた。ま、簡単に言うとマトモな社会に順応できないバカ共が吹きだまりに集まってたのだ。
●色々なサークルに顔を突っ込んだ。最初に入ったのは「放送研究会モドキ」だった。「モドキ」という意味は、ちゃんとした「放送研究会」は他にちゃんとあったからだ。そこでは「ワタシ女子アナ目指しマ~ス」みたいな連中が集まってて、発声練習をしてた。胸クソ悪くて瞬時に却下した。
「放送研究会モドキ」の方は、やる気なーい感じがユルくて心地よく、16chミキサーアナログターンテーブル2台、6mmのオープンリールデッキデジタルビデオカメラ、簡単な編集機能付きのビデオデッキ2台と初歩的なビデオミキサー、そして録音ブースがあった。ボクにとっては全部垂涎のオモチャ。ブースは絨毯敷きで昼寝できるほど広く、授業をサボってゴロゴロする場所として最高だった。
●音楽仲間もココにたくさん集まってきた。シンセで打ち込みテクノポップを自作自演で作ってたオカダとはビデオクリップを作って遊んだ。アングラヒップホップ好き、レアグルーヴ好きの後輩たちはミニコミフリーペーパーを作り始めた。そしてデトロイトテクノに狂ってたシダックス。新宿リキッド、西麻布イエローなどなどのクラブ遊びでいっつもツルンでた。チアガールの女子たちとも仲良くなった。彼女たちのダンストラック編集を受注しては、このスタジオでテキパキ作ったからだ。ミキシングと6mmテープの切り貼り編集。意外と重宝された。
「放研もどき」の部室の隣は、写真部の暗室だった。そこの連中ともスグに仲良くなった。友達から一眼レフを譲ってもらい、モノクロ写真の現像技術を教えてもらった。もう100%忘れたけどね。ジャズ研の練習室もソバだった。やっぱり仲良くなってサックスの練習を始めた。スグに頓挫したけど。BE-BOP ジャズのCD一杯借りたな~。
イベント企画サークルにも出入りした。アーティストブッキングの仕組みや、ライブハウスの仕組み、チケットぴあの仕組み、フライヤー配布の仕組み、プロのPA機材や照明機材がクソみたいに重い事(特にミキサーコンソール。アレ死ぬ。ピラミッドの石材を運んだ奴隷の気持ちがわかる)を勉強した。ビジュアル系からマンチェスター好きまでいろんな趣味の女子がいっぱいいたが、一番印象深いのは留年組のヌシみたいなアニキ風先輩。狭い地下の部室でタバコをモクモク吹かしながらズーッとファミコンで競馬ゲームをしてた。ちょっと前まではカッコいいバンドマンだったらしいが、その当時は超一流の貫禄を備えたボンクラにしか見えなかった。この先輩経由で CAPTAIN BEEFHEART FRANK ZAPPA を教えてもらった。ま、とにかくボチボチ居心地のイイ場所を確保したのですわ。

●すんません。話がズレすぎた。音楽の話をしないと。

ビッグビートの出現。ロックよりもずっとロックしてるダンスミュージック。

THE PRODIGY「EXPERIENCE」

THE PRODIGY「EXPERIENCE」1992年
THE PRODIGY はダンスミュージックのフォーマットに沿いながら、ロックファンをも虜にするダイナミックなビートとサウンドで90年代中盤にビックアクトに成長する。そして FATBOY SLIM THE CHEMICAL BROTHERS らと共に「ビッグビート」というシーンを作り出した。メロディも歌詞もメッセージも剥ぎ取り、衝動的なロック願望だけを結晶のように純化させた徹底的なサウンドの前に、全てのロックバンドは全部陳腐なモノになってしまった。Eをカジって暴れたいなら、バンドじゃねえ、ヤツらごキゲンなビッグビートのDJの方がイイ。そういう時代がやってきた。ロックバンドの存在意義をダンスミュージックが奪い取った瞬間。
●この1992年のアルバムは、THE PRODIGY 最初期、テクノハウスのアプローチにまだ従順だった頃のサウンド。そのキナ臭い狂気の気配は匂いつつも、ビッグビートの爆発はまだ先。THE PRODIGY の名物男 KEITH FLINT もマダ電撃ネットワーク南部虎弾みたいな髪型にはなってない。でも、彼のように、演奏もボーカルもしない、ダンサーというほど踊れもしない、ただひたすら客を煽るだけの人というポジションがバンドの中でできたっつーのは画期的だったね。似た存在は、HAPPY MONDAYS BEZ だね。彼もひたすらクネクネ踊るだけ担当。バンドの中での担当パートは「BEZ:BEZ」って書いてあった。
●思い出深いのは「EVERYBODY IN THE PLACE」という曲。「放送研究会もどき」のスタジオにこの曲の12インチアナログが転がってたんだよね。誰のか知らんけど、かけるアナログがない時にいつもそれを鳴らしてた(そう、語学の授業をサボってた時だ)。アナログのジャケに、としまえんのジェットコースター「コークスクリュー」の写真を使ってた(多分)。残念ながらアルバム収録のヴァージョンと、12インチヴァージョンはミックスがちょっと違う。あの12インチもう一度聴きたいな。SIDE-B 収録の「RIP UP THE SOUND SYSTEM」も聴きたいな。
THE PRODIGY「EVERYBODY IN THE PLACE」
(THE PRODIGY「EVERYBODY IN THE PLACE」)

1994年。ブリットポップへの進化。
●ロックとダンスの蜜月期は終わった。この頃から「マッドチェスター」的なダンス解釈を「インディーダンス」という言葉でジャンル分けするようになり、本流のダンスミュージックは、ビッグビート、ドラムンベース、トランスなどなど、ロックとは関係のない進化をしていく。
●ほんじゃ、ロックバンドはナニをすんの? ボクが思うに、60年代以来の英国伝統のロックサウンドへと回帰したんです。リバプールサウンド、狂騒のスウィンギンロンドン、モッズシーン。
●象徴的な事件は、PAUL WELLER の復活。彼は1993年「WILD WOOD」でシーンに返り咲く。彼は70年代ネオモッズのヒーローであり、英国的ロックの正統後継者だ。さらにこの年には BLUR「MODERN LIFE IS RUBBISH」を発表し、前作「LEISURE」から作風を一変。間の抜けた冗談みたいなサイケの真似事から、芯のしっかりした英国メロディを力強く鳴らすバンドに変貌、1994年の「PARKLIFE」では THE WHO「QUADROPHENIA」を下敷きにした映画「さらば青春の光」1979年で主演を演じた PHIL DANIELS を招いてモッズシーンへの共感をハッキリ打ち出した。そう、この時、「ブリットポップ」という時代の潮流が動き出したのだ。

BLUR「PARKLIFE」(BLUR「PARKLIFE」)


ある日、ボクはふてぶてしいマンチェスターのバンドを見つける。

OASIS「SUPERSONIC」(OASIS「SUPERSONIC」)

1994年の春だったと思う。渋谷のディスクユニオン。12インチの新譜シングルをパラパラ見てた時だ。ふてぶてしい若造がジャケの真ん中からコッチをにらんでるレコードを見つけた。雑然としたリハスタジオの中、バンドはルーズに楽器を鳴らしていて、でも真ん中のオトコは無愛想に突っ立ってる。ソイツの名前は LIAM GALLAGHER。バンドの名前は OASIS。曲名は「SUPERSONIC」。コイツらのデビューシングル。レコ屋のポップによると出身はマンチェスター。なんか THE STONE ROSES に似てる…。佇まいというか匂いというか…。迷いなくカウンターに持って行って買った。このバンドはたちまち全世界で大ブレイクして UK ブリットポップの頂点に昇りつめた。

OASIS「THE MASTER PLAN」

OASIS「THE MASTER PLAN」1994~1998年
●このアルバムは、絶頂期にあった彼らのシングルB面曲を集めた編集盤だ。NOEL 兄イが高音パートを弟 LIAM と歌い分けた名曲「ACQUIECE」で幕開ける。この曲はカッコいい。大好きだ。でも、このアルバム自体には別にそれ以上に思い入れはない。最近たまたま安く買っただけだ。
ブリットポップというムーブメントは、タブロイド紙の煽りもあって BLUR と OASIS の売上げ対決みたいなヘンテコな状況になった。BLURロンドン近郊で育った中流家庭の美大生。一方 OASIS北のド田舎マンチェスターのチンピラでバリバリの労働者階級。ま、お互い仲良くなれるタイプじゃなかった訳で。罵り合いがバンドやファンの間で起こったわけです。「ビートルズ対ストーンズの勝負の再来」と誰かが言った。どっちが勝ちか負けかなんて、ボクに興味はない。どっちも優れたバンドだった。つーか、そんな騒ぎのおかげでブリットポップ自体からボクの気分はドン引きした。

180px-Nme_blur_oasis.jpg

2つのバンドのガチンコ勝負。1995年8月14日、シングルを同日発売にブツけてきた。BLUR「COUNTRY HOUSE」 OASIS「ROLL WITH IT」。この日のシングル勝負では BLUR に軍配。しかし…。
OASIS「オレらはビートルズの影響を受けてて、その流れを今に伝えるバンドだ」的な物言いをしてた気がする。確かに彼らの楽曲は明快で耳によく馴染み、一緒に口ずさむ事が出来る取っ付きやすさがある。二枚目のアルバム「(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY)」はそんな彼らの才能が一番輝かしく光を放った不朽の名作だ。同時期の BLUR「THE GREAT ESCAPE」を完全に圧倒し、結果 OASIS は最強最大のロックバンドになる。
●でも、彼らにビートルズが持っていた革新的実験精神はない。ビートルズはポップでありながら、過激なほどの音楽実験に挑戦し成功してきた。OASIS の引き出しはアルバム3枚目には早々在庫空っぽ状態になり、どれ聴いても同じような曲しか作れなくなった。ま、それでもバカ売れしたけど。同じ事をズーッと続ける、還暦過ぎても叫び続ける。それがロックだ!と身を張って体現するストーンズこそ、OASIS のイメージに近いとボクは勝手に思ってる。
●むしろビートルズの実験精神を受け継いでいたのは BLUR のほうだ。英国ポップスの伝統の枠にいるようでいて、ニューウェーブ風味のポップス「BOYS & GIRLS 」からアメリカグランジに接近した「SONG 2」までと、芸風は遥かに広い。その後の GORILLAZ という架空の二次元バンドも面白いコンセプトだ。


2000年、OASIS メンバー入れ替え。
●このバンドは、そもそもマンチェスターのチンピラが集まったモンだ。NOEL GALLAGHER は前述のバンド INSPIRAL CARPETS のローディをしてた男。アメリカツアーから帰ってきたら弟 LIAM が街の仲間とバンドを作ってた。そこに加入して兄弟バンドが出来上がった。ド派手な兄弟喧嘩がゴシップ雑誌のネタになるほどだが、なんだかんだでバンドは完全にこの GALLAGHER 兄弟のモンになる。
●ほんで、2000年、いつのまにか元々のメンバーはほとんどいなくなってて、新メンバーが入って来る。一人はギタリスト、GEM ARCHER。元々は HEAVY STEREO というバンドのボーカルで、ボクは彼らのシングル「SLEEP FREAK」が大好きだった。T.REX を彷彿とさせるブギーギターと鼻にかかった声。アルバム一枚で消滅したバンドだが、ブリットポップが生んだ珠玉の1つと思ってる。

 HEAVY STEREO「SLEEP FREAK」(HEAVY STEREO「SLEEP FREAK」)

●ベーシストには、90年代初頭のシューゲイザーを代表する RIDE のギタリスト ANDY BELL が就任。耳を聾さんばかりの轟音ギターの中で美しいメロディを歌う RIDE はボクの重要な青春バンド。1990年のアルバム「NOWHERE」は超傑作。1992年の来日では渋谷 ON AIR にライブを観に行った。しかし、RIDEシューゲイザーからブリットポップへサウンドをシフトするのに失敗し解散。ANDY が次に作ったバンド HURRICANE #1 も不発に終わる。

RIDE「NOWHERE」(RIDE「NOWHERE」)

HEAVY STEREO HURRICANE #1OASIS の所属するレーベル CREATION のバンドだったので、その縁での抜擢だったんだろうが、ボクに言わせれば読売巨人軍並の超大型補強だ。完全な兄弟バンドであることは今も変わらないが、ANDY BELL がソングライティングに関わるなど、バンドに大きく貢献してる。2004年には、ビートルズのドラマー RINGO STAR の息子 ZAK STARKY が参加。ビートルマニアの兄弟には最高だろう。
OASIS という1つのバンドの足跡を見るだけで、ブリットポップの流れがこれだけ見えて来る。時代の寵児とはそういうものなんだろう。

●もう一個だけトリビア。OASIS は中国語で下のように綴ります。
 
 「礰洲合唱團」

1996年2月終わり、大学の卒業旅行として台北を一人旅した時に、セカンドアルバム「(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY)」1995年を、台湾版で買った。ロックバンドにはみんな「合唱団」がついてる。帯コピーには「揺滾精神的誠實表態」っていう言葉。「揺滾」はロックって意味で、あとは何となく気持ちだけ伝わって来る。漢字ってイイね。発音は絶対わからないけど、意味や気持ちは通い合わせるコトが出来る。漢字文化圏の特徴だね。


ブリットポップの終焉。
●この時代に活躍していた UK バンドは枚挙に暇がない。バイセクシャルな妖しさを漂わせてた SUEDE、恐るべき10代としてヤンチャに暴れた ASH、ドラッグ漬けの世界から甘美で荘厳な音像を鳴らした極上のサイケ THE VERVE、常に前衛的ロック表現をストイックに追求してた RADIOHEAD、並ならぬモッズ魂で忠実な PAUL WELLER の直弟子となった OCEAN COLOUR SCENE(1STの、全然モッズじゃないマンチェ風味もボクは好き)、THE BOO RADLEYS はスッゲーポップでキャッチーなのに、ルックスが INSPIRAL CARPETS よりダサかった。KULA SHAKER は貴族出身とか言ってイヤミなヤツだと思ったら、なにげに気合い入っててよく聴いた。他にも、ELASTICA、ECHOBELLY、SUPERGLASS、THESE ANIMAL MEN、MANIC STREET PREACHERS、SUPER FURRY ANIMALS、THE POWER OF DRAEMS、PULP……。MENSWEAR はどんなレコ屋でも必ず100円で売ってるね。ありゃ便乗アイドルみたいなモンだった。10円なら買うよ。
OASIS とのガチンコに負けた BLUR は、その後ドンヨリとした作風になり(その痛んだ味わいこそがボクは一番好きなんだけど)、1997年に中心人物 DAMON ALBARN「ブリットポップは死んだ」などと発言、バンドは2003年に分裂消滅した。その多の泡沫バンド達は2000年前後にはみんなシーンから退場。メディアに煽られた感もあったその狂騒劇は幕を閉じた。
●ドキュメンタリー映画「LIVE FOREVER」では、時代の当事者を訪れて当時の記憶を語らせている。OASIS の悪ガキ兄弟は相変わらずのイケイケだが、イケメンでならした DAMON はグッタリくたびれててオッサン臭くなってた。微妙に前髪が後退しデコが広くなったような…。栄枯盛衰。いや、彼は現役で今もかなり頑張ってる方だよ。

●最後に一枚。これだけはキチンと紹介しておきたい。

REEF「RIDES」

REEF「RIDES」1999年
なーんか不当に評価低いと思ってるんですよ、彼らは。この時期の UK で彼らほど骨太のファンキーなロックを鳴らせたヤツはいない。粘っこいボーカルが死ぬほど暑苦しいし、ベースが太くて、ドラムが不遜で、ギターが脂っこい。彼らは1995年から2000年まで4枚のアルバムを出してるが、金太郎アメのようにどのCDのドコを切っても、強力なグルーヴがトンコツ味でドロドロ出てきます。UK とアメリカでロックの野蛮さを競ったら、やっぱ軟弱じゃね?ってイメージの UK チームですが、コイツらに関しては心配無用。これまたアメリカのロック馬鹿 BLACK CROWS を連想しちゃうくらいなんですわ。とにかく聴いて下さい。ぼくはこのバンドが中古棚で600円で売られてるのを見るだけで、哀れな気持ちになる。


●ホントは、一気に00年代のUKロックまで取り上げようと思ってたんだけど、やっぱ無理。2000年前後からまた新しいムーブメントが、大西洋を跨いでワサワサ動き出し爆発するそのオハナシは、またいづれ別の機会に。もう書くの疲れた。読んでるアナタもクタクタなはず。お疲れ様でした~!

ひよこのことわざボード。
●我が家のトイレには、床面ギリギリの位置にホワイトボードがかかってる。ここに娘ヒヨコが自分の気に入ったことわざを記入する仕組みになっている。

ひよこことわざ1

●翻訳します。「かっテかぶとのおをしめろ」。勝って兜の緒を締めよ。…でも今朝見たら新しいことわざに書き換えてあった。

ひよこことわざ2

●今度は「ときはかねなり」。時は金なり。ヒヨコ、ママに質問したらしい。「ママ、ジカンがおカネよりたいせつだよってことわざは、ナンていうんだっけ?」
●右サイドには、息子ノマドが気になる戦国武将の名前を列挙。翻訳。「お田のぶなが とよとみひでよし さな田ゆきむら」織田信長、豊臣秀吉、真田幸村。


機動戦士ガンダム00 7機動戦士ガンダム00 7
(2008/07/25)
宮野真守、三木眞一郎 他

商品詳細を見る

娘ヒヨコ、「機動戦士ガンダム00」を見てナニかを悟る。
●ワイフがHDDで先日の「00」の最終回を夕方観ていたそうな。すると、ワケも分からず一緒に観ていたヒヨコが大きな声で叫び出したという。ヒヨコ「せんそうって、にんげんをころしちゃうってことなんだ!ヒヨコしらなかった!」ヒヨコ人間社会の現実を悟る。最後の戦いに挑むガンダムのパイロットたちが、自分たちの戦う意義、生きる意義をかみしめるシーンでは、ヒヨコもテレビに向かって叫ぶ。「にんげんはね、しにたくないから、いきるんだよ!」ヒヨコの真っ白な脳ミソが、人間存在の根源まで一気に到達した瞬間。ヤヤコしい屁理屈も邪魔立てする偏見もない思考の真空状態が、真実をクッキリと照らし出す。ヒヨコよ、そのままでイイ、シンプルにしなやかに、この世をサヴァイヴするんだ。



自律神経失調症とのお付合い(その47)~「会社滞在時間を伸ばす」編
●今日、出勤最早記録(という言葉があるのか?)を更新した。午前10時50分。すげえ。自分ですげえと感心する。人間らしくなってきたじゃねえか。昨日は退社最遅記録(という言葉があるのか?)を更新。午後17時15分。すげえ。自分ですげえと感心する。やっとまっとうな人間になってきたじゃないか。ということで、リハビリ出勤は好調に推移している。
●熟睡できる日は朝8時までキチンと眠れる。これ、常人には当たり前の話だけど、今までのボクは毎晩2~3回目を覚ますのがレギュラー、朝4時5時に起きちゃって、眠れないけど起き上がれもしない。年明け頃でそんな有様だったから、あの状態から比べると。まるで生まれ変わったようだわ。それでも起き上がるのに20分ほどは今でも必要。カラダが動かせるようになるまで、まだその程度の時間が必要。
朝風呂の習慣も、時短傾向に持っていけてる。今までは1時間近くかけてゆっくりカラダを暖める必要があったが、20分ほどに短縮できるようになった。よって、8時起床、10時セットアップ完了、11時前に会社到着が実現したのである!偉業である!
●と、一人盛り上がってますが、…ま、遠目に見たら、意味わかんないくらいの前進です。

ラッシュの電車はシンドイので、席が空いてたら積極的に座ろうとしてる。
●でもね、何ぶん自分のルックスが不埒な若者(無精ヒゲ、コキタナい古着、茶髪混じりのアタマなど)だというコトは痛いほど分かってるので、お年寄りには積極的に席を譲ってます。だって、周囲から「このテの若造が日本をダメにしてんだ」的視線がザクザク飛んで来るのがわかるから。そのヘン敏感に感じ取る客観性はボク一応備えてるんです。実際今のボク、事実上リアルにニートだし。
●だから今朝も譲りましたよ。70歳ぐらいのご夫婦で、ボクの隣にご主人が座ったんだけど、奥さんは立たなくちゃいけなくなった。そこで「どうぞ座って下さい。いやいや、あと2駅でボク降りちゃいますから」
●そんで午後。会社を出て病院の診察へ移動する途中、ガラガラ電車の中、落ち着いて椅子に座り爆睡ブッこいてたら、正面に座ってたのが、朝に席を譲ったご夫婦さん!ふと目を覚ましたら目と目が合って、丁寧にお礼されちゃった。よく向こうはボクの顔覚えてたな~。先方から声かけられなかったらボクは気付かなかった。ワイフにこの事言ったら「ワタシも妊娠中にタトゥー入ったオニイさんに席譲られて、鮮明に記憶したわよ。そんな風に見えたんじゃない?」

リハビリライフはぼちぼち快適。
●診療所事務室の女性スタッフ(うんと年上のオバサマ方)と、和気藹々のコミュニケーションが出来て結構楽しいッス。ゴミ捨て係を引き受けたり、カテキン緑茶買ってきて、みんなで誰かの出張お土産の大福を食べたり。
●オバサマが連休に京都旅行に行ったとなれば。日本の古典美術トークや、京都オリジナルブランドの話で盛り上がり、ハワイ旅行の話になれば、JAKE SHIMABUKURO の話になって「あのフラガールの音楽やってる人ですよ」とか言ってCD-Rにダビングしてあげたり。
●そんなことしててたら、歯科衛生士のお姉さんが「私も音楽好きで…」と話が膨らんで JOEY NEGROとか CARL CRAIG とかテクノ/ハウスの話題で盛り上がったり。まー、結局のトコロ、場所が変わってもへんなカルチャーオタクとしての芸風でしか生きていけないのがボクという人間。

カウンセリングでも手応えあり。
●着々と会社滞在時間を伸ばしつつあるボクを見て、会社のカウンセラーの先生も真顔で言い出した。「そろそろ主治医の先生と、完全復職をにらんだ診断書を作ってもらう相談をして下さい。そしたら、それを受けてコチラも具体的に動き始めます」おお。「具体的に」の中身が、なんだか全くわからんけど、違うレベルに入ってきたなって感触は感じた。

でも肝心の心療内科、新任の美人センセイは、まだヌルい。
「今週はどうでした?」と聞くのは、他の先生と一緒だけど、そっから話題が広がらないんだよね。気になる事とか言ってもリアクション薄いし。話題とっとと切り上げて「では、今週もおクスリいつもの量でイイですね」で締めくくろうとする。それじゃオモシロくないじゃん(←オモシロい必要性があるのかどうか、そこは敢えて考えない)。
●で、会話をあえて混ぜっ返してやろうと思ってワザとヘンな質問してやった。「センセイ、あのー、へんなコト聞くようですけど、1つイイですか?」センセイ「はい?なんでしょう?」ボク「あのー、ロビーにいつも置いてある雑誌の『家庭画報』。あの最新刊が置いてないんですけど、どうしちゃったんでしょうか。気になってしょうがないんです」センセイ「あっそうですか、じゃ、確認させときます」……スルーかよ!ツッコンでくれよ、せっかくボケてんだから!ここトークとして広げドコロじゃないの? 汲んでくれよ、このクールビューティめ。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html


「家庭画報」、マジ気になる。

家庭画報 2008年 04月号 [雑誌]家庭画報 2008年 04月号 [雑誌]
(2008/03/01)
不明

商品詳細を見る

●ボクが通ってる心療内科のロビー、ホントに「家庭画報」のバックナンバーが無造作に山積みにされてるんです。しかも4年分くらい。どうやら院長先生の趣味らしい。最近まで眼中にも入れてなかったんだけど、この前ちょっとページをめくってみて衝撃を受けた。スゲエ、この雑誌スゲエ。
●今年の新年号で、いきなり「対談:吉永小百合&樹木希林」。パリッと極めた和服姿が粋だけど、樹木さん唐突に「あなた、お顔はいじってないの?」小百合さん「ええ、どこも」いきなりぶっちゃけ過ぎ。ゴージャスかつヒップな対談にエキサイト!ちなみに2月号は「対談:吉永小百合&山田洋次」。日本映画史を総復習。
●全ページフルカラーで写真がキレイ。すっごく手間かけてガッチリ撮ってる。ボクは日本の古典美術が好きで、「芸術新潮」でそのテの特集があると買って読んじゃうんだけど、「家庭画報」毎号マストでコアな古典美術がスゴく作り込んだグラビアで特集されてるんです。高麗青磁&李氏朝鮮時代の白磁の銘品とか、伊藤若冲の再評価の火ぶたを切ったアメリカのコレクター、ジョー・プライス氏の自宅&日本画コレクション紹介(ちなみに自宅設計はフランク・ロイド・ライトの孫弟子さんで超ヒップなデザイン)とか、江戸~明治時代の琳派絵画とか、岸恵子による後期印象派とフランス五月革命の思い出エッセイとか、目ん玉飛び出るほどクールに紹介してる。
●京の伝統料理とか、皇后陛下の詠んだ和歌特集とか、和服の着こなし特集とか、ボクにはてんで理解不能なウルトラコンサバティヴな場所から、ハイブロウな芸術表現が発射されてるという、意外な逆転のオモシロさがあって、ホントにロビーでガン読みしてるんです。
●ニューリッチ向け市場でいろんな雑誌が創刊されたけど、ホンモノの上流階級はこういう雑誌を読んでるのか!と思い知る。細川護熈元首相の連載とかもあったようだ。想定読者対象は「殿」&その妻ときたか!価格は1050円。でもこの分厚くデカい版型でフルカラーでっつーのは、むしろ安い。いかにデカい広告量とってるか、と考えてしまう。


日本の古典美術/古典芸能ってオモロいよ。

sb0226.jpg

●映画「利休」1989年
●監督:勅使河原宏。出演:三國連太郎、山崎努、松本幸四郎、中村吉右衛門、坂東八十助、山口小夜子など。戦国時代~安土桃山時代の茶人・千利休(三國連太郎)と、時の権力者・豊臣秀吉(山崎努)の緊張感あふれる関係をカッチリ描く。文化的指導者であり、政治的ブレーンでもあった利休に、教育も家柄もない秀吉は愛憎まみれた感情を抱く。芸術家・利休の立場が高くなればなるほど、秀吉の政治的目論見との乖離は大きくなり、両者を矛盾と葛藤に追いつめる。「茶の湯」という静の空間の中で、激しくぶつかる二人の男の摩擦熱がチリチリ空気を焦がす。
●ノマドに「豊臣秀吉」の伝記マンガを読んでやってて、自分でもこの時代の事をもっと知りたくなった。折しも「週刊モーニング」でも山田芳裕「へうげもの」が、数寄もの大名・古田織部を主人公に、この時代を文化的側面から描いている。オモシロいマンガだ。連載ではストーリーも佳境、ちょっと先取りのつもりで、このビデオを借りたわけだ。
●この映画、脇役を歌舞伎系の役者さんを配置して、武家の美学をカッチリと撮りながら、山崎努秀吉だけはヒップスターのようなキャラクターを与えている。メイクも大胆で、ゴールドを目の下に塗ってる。ワダエミデザインの衣装は、光沢素材テンコモリでまさに傾きモノ(カブキもの)。大胆な「秀吉」解釈。

それもそのはず、ボクは脚本に注目したい。脚本担当は、監督勅使河原宏と、赤瀬川原平なのだ。赤瀬川原平は、ボクのヒーローの一人だ。日本の戦後現代美術の基礎を作り、今なお現役でコンセプチュアルなテーゼを発信し続ける重要人物。60年代に「ネオダダイストオルガナイザー」「ハイレッドセンター」などのユニットで、奇妙奇天烈なパフォーマンスアートを展開、千円札を精密に模写複製して偽札作りの嫌疑で逮捕、通称「千円札裁判」で世間の注目を浴びる。「超芸術トマソン」というコンセプトを掲げて「路上観察学会」を立ち上げたり、国語辞典で遊ぶ「新解さん」「老人力」など様々なクリエイティブを発信している。ライカなどのヴィンテージカメラのコレクターとしても有名だよね。
●そんな多芸多趣味な赤瀬川氏は、「日本芸術応援団」というコンセプトで日本の古典美術を新しい感覚で再解釈再評価する活動もしている。ボクは完全にココから日本美術に入った。目からウロコの発見がイッパイだった。いかに日本人の美意識がヒップか、思い知らされた。映画「利休」の脚本に、赤瀬川氏の飄々とした一流のユーモアをそのまま汲み取るのは無理があるが、三国&山崎という一流の俳優によって血肉を与えられた2つのキャラクターは、日本史教科書の退屈な描写を豊かなドラマに仕立ててくれてる。見応え満点。

日本美術応援団日本美術応援団
(2000/02)
赤瀬川 原平、山下 裕二 他

商品詳細を見る
 
へうげもの 6服 (6) (モーニングKC)へうげもの 6服 (6) (モーニングKC)
(2008/03/21)
山田 芳裕

商品詳細を見る


たいして意味のナイ報告その1。最近、体調がいい。
●会社へ行って、なーんもしないで数時間を過ごし、また帰って来る。ただそれだけの暮らしを初めて一ヶ月強。なにげにカラダもそんな暮らしに慣れてきたのか、最近は体調もいい。ボクの面倒を見てくれる「のび太のママ」そっくりの看護師Nさんに、やっと前々から伝えたかった事を今日言う事が出来た。「Nさん、Nさんってのび太のママにそっくりですよね。Nさんにお説教されるとボクは自分がのび太になったような気分になりますよ」

のび太ママ

「のびちゃん!宿題やったの!?」いや、マジ似てるんスヨ。その場にいた人全員爆笑したもん。


たいして意味のナイ報告その2。スピリッツの表紙に益若つばさちゃん。

hyoushi_s.jpg

●ギャル雑誌「ポップティーン」から結婚卒業したカリスマモデル、益若つばさちゃんを早くもマンガ雑誌「スピリッツ」がグラビアにフックアップ。2月号で卒業して、もう青年誌デビューかよ。マンガ雑誌はヤンマガ、ヤンジャン、ヤングアニマルと、グラビア戦争状態だからね。チェックが早いわ。

Popteen (ポップティーン) 2008年 02月号Popteen (ポップティーン) 2008年 02月号

●でも個人的には、「ポップティーン」では舞川あいくちゃんの方がスキ。

Popteen (ポップティーン) 2007年 12月号Popteen (ポップティーン) 2007年 12月号

●みなさんは、どっちがお好み? つーか、どうでもイイね。イイ歳ブッこいてギャル雑誌読んでんなよアホ、と自分にツッコミ。


●そんなことはどうでもよくて。

ボクの数少ないメル友ヨーコさんからススメられた映画ムックを読んでいる。

「AREA MOVIE ニッポンの映画監督」

「AREA MOVIE ニッポンの映画監督」
確かに、今の日本映画は何かとニギヤカだ。80~90年代には斜陽産業としてもう勝ち目なしかと思えたが、00年代に入ってからアレコレ様々な事情がこのメディアを押し上げている。テレビ局の大型出資や番組のスピンオフ、マンガ/話題書籍発のメディアミックスなどなど、映画産業の外から新しい活力(&カネ)が流れこんで起死回生の復活をとげた。
●でも、この本を読むと、その外様の事情とリクエストに十分応えるだけの人材が、世代を重ねて分厚く育ってるコトを思い知らされる。楽しい。わくわくする。

そんで三木聡特集。
●とりあえず、今一番笑えるカントクさん。監督って漢字を当てるのが仰々しいくらいに、この人は自分の世界を軽やかに展開してる。ボクは、三木さん以外の作品で、DVDのリモコンを床に叩きつけるほど笑ってしまった記憶がないっす。コレを夜中一人でやってると、ワイフが心配する。「あの人、またちょっとオカシクなったかしら」


「いい感じに電気が消える家」

「いい感じに電気が消える家」
●これも我がメル友、ヨーコさん推薦の物件。映画ではなくフジテレビの深夜番組「演技者。」で放映された単発ドラマ。TOKIO国分太一坂井真紀の若夫婦の下に、ヘンテコな親戚がたくさん訪ねてくる。もう例のメンツですよ。三木聡作品のレギュラーメンバー岩松了、ふせえり、緋田康人、村松利文…。ヨメの坂井真紀はウザがってるけど、国分太一はこの親戚をムゲにも出来ない。何日も居座るこの微妙な変人たちと交わす、不毛で無意味でどこにも発展していかないしょーもないギャグが、沸点一歩手前でいい湯加減。どうしようもない。どうしようもないが、いい感じ。村松利史さん演じる「トンボちゃん」がこれまたイカレテてイカす。

「亀は意外と速く泳ぐ」

「亀は意外と速く泳ぐ」
●主演:上野樹里。そんでいつものメンバー。存在が全く印象に残らない超平凡かつ超天然の一主婦である上野樹里が、ひょんなことからスパイ募集のポスターを発見(ポスターの大きさは5ミリ四方という極小サイズ)。で、面接を受けたら出てきたのが、岩松了&ふせえり。キタよ。またキタよ。で、任務のようで任務でないような、奇妙でバカバカしいコネタがまたまた無限に積み重なっていく。松重豊のムダな渋さがまた笑える。

「図鑑に載ってない虫」

「図鑑に載ってない虫」
●主演:伊勢谷友介、松尾スズキ、菊池凛子。一度死んでまた蘇るという謎の都市伝説「シニモドキ」を探せ、とムチャ振りされたフリーライターの伊勢谷サロンパスを筒状に巻いて吸うダメ人間・松尾スズキと、度重なるリストカットの痕でワサビがスれる娘・菊池凛子を道連れに当てのない探索の旅に出る。そんでもはやお約束ですが、岩松了&ふせえりにもキチンと遭遇。とくに今回のふせえりはヒトキワいかれてます。「地獄の黙示録」のパロディまでしでかして、松重豊がデニスホッパーのように登場。村松利史もフリークスな見世物小屋男で登場。

●真面目に言っちゃうと、細切れギャクの無秩序集積だった今までの作品に対して、今作には伏線が組みあがってストーリーが拡大していく上昇感があった。三木カントク流の細切れギャク無秩序集積は、「映画」からストーリーテリングを剥ぎ取ったトリックスター的批評表現だと思う。三木カントクは、自分独自のやり方で「映画」にアッカンベーをしてみせたのだ。それが非常にスリリングかつ過激に思えて、ボクはこのカントクに惹かれた。
●しかし、今回の「図鑑~」三木カントクはネクストレベルに進入。「ヤッターマン」の「今週のビックリドッキリメカ」が隊列を整えて敵ロボットを退治するように、彼の細切れギャグが束のように集合して破壊力を備えたような気がする。(←例えがややこしくて意味ワカンねえなこの文章)とにかく、次回作がまたまた楽しみなのだ。

●あとモ一個だけ、三木カントク関係で。先日、会社の近くで、村松利史さんを見かけてしまった。生まれて初めて、駆け寄って「サインください」と言いたい衝動に駆られた。