今日も雨の中、昔の仲間がボクの所を訪ねてきてくれた。ボクの動ける昼間の時間を選んで。新しい環境にも馴染んでイキイキしてるように見えた。本人はそうは言わないけど。カオがヨクなってたのは色々ウマく行ってる証拠でしょ。


ガンダム少年ノマド。

機動戦士ガンダム ZZ 12 [DVD]

●DVDでコツコツ観てきた「機動戦士ガンダムZZ」が全部終了して、我が家ではひとまずハマーン・カーンのネオジオン戦争は終わったのでありました。ハマーン・カーングレミー・トトネオジオン内部分裂でアクシズ&コア3(サイド3の拠点コロニー)が衝突するメチャクチャな事態に至って、ブライトさんすら置いてきちゃったガキ共だけのネェルアーガマは、少年らしいシンプルでノビノビとした戦術と徹底的なニュータイプセンスで、片っ端から敵をやっつけ実に爽快な終わり方をするのでありました。
●最後の決戦の後、ノコノコ遅れて現れた連邦軍艦隊にジュドーはキレる。「大勢の人が死んだんだぞ!」ソレを受け止めてブライトさん「気が済むのなら、オレの顔を殴れ!」思いっきりブン殴られる。「ガンダム」という物語は、ファーストから「Z」「ZZ」「逆シャア」へと一貫して出演するブライトさんの大人への成熟のドラマにもとれる。一介の堅物青年将校だった彼が一年戦争の英雄となり、そして連邦政府への腐敗に憤り行動を起こす。ニュータイプの少年達の逞しさを目の前にし、彼らに恥じぬよう汚れた現実との摩擦に立ち向かう。ボク自身の年齢がブライトさんに近づいたからそう感じるのかな。
キャラ・スーンゲーマルクとか、プルツークインマンサとか、強化されすぎたマシュマー・セロザクIII改とか、それを倒した量産型キュベレイとか、立派なポテンシャルを持ったモビルスーツの名機が活躍し切らずママに終わっちまうのが実に惜しい気もするのは、きっと大人になれないダメ30代のボヤキです。ホントにチラっとしか出てこなかった…。


機動戦士ガンダム 1 [DVD]

そんで今日からは、一番最初の「機動戦士ガンダム」、いわゆるファーストガンダムを観始めました。
●ノマド、正座で画面に食い入ってます。さすが「ファーストガンダム」、お子様向けの「ZZ」とはリアリティの重みが違う。人が怯え叫びそして理不尽に死ぬ。第一話だけでもう口あんぐり。マニュアル一冊の知識で連邦軍の最高機密モビルスーツに乗り込むアムロ。そしてそのガンダムの驚異的なバワー。ザクマシンガンをモノともしない重装甲と、素手でザクの顔面をむしり取る強力。ノマド一言「すごすぎます!」←なぜ敬語?)コレは今後一話一話ノマドに観せるのが楽しみだ。ヤツの反応がオモシロ過ぎるから。明日観る第二話は早速、通常のザクの3倍のスピードで飛来する、あの「赤い彗星」ガンダムに襲いかかる。「次週!ガンダム破壊命令!キミは生きのびる事ができるか…」
●ちなみにヒヨコ、フラウ・ボウの家族が連邦軍の誤爆で全員死んだ瞬間、もう涙ぐんでました。「フラウ!キミは強い娘だ、港まで上がるんだ。ボクも後からすぐ行く。……そうだ、走るんだ、フラウ(涙)」




今日は、日本語のヒップホップ。最近聴いたヤツ。

アメリカのシーンと日本のシーンが直結してビリビリと振幅した瞬間が、少し昔にありました。

DE LA SOUL「BUHLOONE MINDSTATE」

DE LA SOUL の3枚目「BUHLOONE MINDSTATE」1993年。NATIVE TONGUE 旋風最高の瞬間を掬いとったこのアルバムで、高木完スチャダラパーがフィーチャーされた。しかもそのまんま日本語のラップで。その瞬間「ああ、日本のシーンとアメリカがダイレクトに動いている」と感動したものだ。
で、00年代の今。TERIYAKI BOYS がいる。


TERIYAKI BOYZ「ZOCK ON !」

TERIYAKI BOYZ「ZOCK ON !」2008年
m-flo VERBAL、RIP SLYME RYO-Z & ILMARI、そして WISE。この4MCに BATHING APE NIGO が加わったスーパーグループ。で、NIGO のセレブコネフル稼働で、今回は表題曲の制作が THE NEPTUNES、FEAT.に PHARRELL & BUSTA RHYMES。完全にアメリカの最先端シーンとリンクしまくってる。ご存知の通り PHARRELL のソロアルバムのジャケは NIGO だし、ここら辺のマブダチぶりはホンモノ。異常にカッチカチな硬質パーカッションとブヨブヨシンセベースに、BUSTA と日本を代表する4本マイクがスパスパ最高の切れ味でリレーする。カップリングも KANYE WEST のリミックス。シビレマした。


RIP SLYME「FUNFAIR」

RIP SLYME「FUNFAIR」2007年
RYO-Z & ILMARI のホームベースである RIP SLYME の去年のアルバムゲットしました。600円まで値下がるの待ってた。いや評価は低く見積もってないよ。日本のヒップホップでまさしく最高のフェイバリットだもん。ケツメイシなら380円くらいじゃないと買わないよ。
●今回はイツモはワリと脇役の低音部門 SU さんのラップが目立つんだけど、ボクが大好きなのはとにかくトリッキーなフロウをヤンチャ声でわめく PES くんのラップとトラックメイキング。マジ PES くんのソロ希望!それにしても今回は時流を汲んでかエレクトロなアプローチが強いなあ。マクドナルドのタイアップソング「SPEED KING」もCMで使われてる所の前まではノレる。つーか、CMの15秒分ソックリ編集でオトした方がカッコいい。MONGOL800 とのコラボは悪くはないが普通だった。RIP らしさ100%はその次の曲「熱帯夜」だったな。フロアキラー「StroboX」、ラストを飾る「流れの中で」の爽やかなマッタリ感に、「ああ RIP やっぱ好き」と納得。


マボロシ「ワルダクミ」

マボロシ「ワルダクミ」2004年
PES くんはギター主体でトラック作りのキッカケを見つけるっぽいけど、このマボロシってユニットはユニークで、1MC & 1ギタリストって編成なんだよ。RHYMESTER のMCの MUMMY-D(ココでは本名・坂間大介名義でやってる)と、イカしたファンクバンド SUPER BUTTER DOGハナレグミ/永積タカシが所属)のギタリスト竹内朋康の2人組。ヘヴィロックアプローチになりがちなギターのフィーチャーが、ファンクかつソウルフルにまとまってて王道のヒップホップになってるバランス感覚がたまんない。
KREVA の高速チューン「ファンキーグラマラス」の続編「PART 2」をやってたのが興味のキッカケ。KREVA ってラップはスゴいんだけど、トラックが薄くてあんま好きじゃない、でもこの曲は DR.K の異名に違わぬスキルフルなラップをカマしてて大好きだった。まー聴いてみれば印象は大分違ったけど、MUMMY-D のラップは味があってイイね。RHYMESTER も活動休止だし、SUPER BUTTER DOG も解散しちゃうそうだから、ちとソッチが残念。


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RHYMESCIENTIST「ESSENTIALLY」2002年
●この大阪のユニットは完全バンド仕様のヒップホップユニット。大阪でヒップホップバンドといえば、韻シストって連中がいるけど、その近辺人脈みたい(韻シストのメンバーが数名参加してるし)。生ギターでファンクロック駆動するのがマボロシだったけど、コイツらはどっちかってとジャズファンク駆動で回転するヒップホップ。ユサユサ横方向に揺さぶる。


2BACKKA「BLOOMING SOUND」

2BACKKA「BLOOMING SOUND」2005年
大阪系バンドの次は、名古屋系の2MC+1DJ。名古屋の塾長 SEAMO の出るイベントとかで2回くらいパフォーマンス観た。もはや日本のメジャーヒップホップのメインストリームとも言える勢力になってる名古屋系。SEAMO、HOME MADE 家族、nobodyknows+、コレに続く二軍部隊が彼らかな。今はメジャー契約を持ってるってハナシだけど、これはまだインディ時代の盤。でもヒップホップの不良性とかワルフザケ体質が薄めな、どこか気真面目な感覚が今の名古屋の感覚を連想させる。「春よ」ではヒリヒリくるようなシリアスなリリックと朗々と歌い上げるフックのコーラス、ピアノ主体のキレイなトラック。これがメジャー感?それともセルアウトととる?


BENNIE K「SYNCHRONICITY」

BENNIE K「SYNCHRONICITY」2004年
●なんで中途半端に古い BENNIE K なの?って感じだけど、いや、ただ、100円だったから…。BENNIE K SEAMO がまだシーモネーターと名乗ってた超下品MCだった頃からコラボしてて、このアルバム収録の「天狗 VS. 弁慶」ってのが最高のコラボなんですよ。弁慶ってのは BENNIE K の名の由来でしょ(ベンケー→ベニーケー)。天狗ってのは、この頃のシーモネーターは股間に天狗のお面をつけて、後は全裸ってカッコでパフォーマンスしてたから。今の SEAMO からは想像つかんね。スケベ親父としてセクハラ丸出しで言い寄るシーモをウマくかわす BENNIE K の二人のヤリトリがラップとして最高。何年か前に観た BENNIE K の渋谷のライブでもシーモがゲストに出てくれてこの曲やってくれた。
●前も書いたけど、BENNIE K のMC CICOちゃんのハスッパな声のラップはボク的には完全な萌え対象で、ちょっとキツメだけど突っ込むとトロッと来そうな、ヒップホップ版ツンデレを妄想するのね。だから、ここでも希望しときます、CICOちゃんソロを。ヒットシングル「オアシス」は今聴いても気持ちいいな。


加藤ミリヤ「LALALA : FUTURECHECKA」

加藤ミリヤ「LALALA / FUTURECHECKA」2007年
●無数といるR&B女子の中でもなかなかイイ位置に居座ったミリヤちゃん。まだ若いのに(デビュー時は女子高生だよ)華奢なカラダで目一杯に気を張ってキャリアを突き詰めていく感じが、実は痛々しくも見えてて、その意味で彼女の歌はリアルに響くんだよな。
●今回わざわざピックしたのは(50円だったってのはおいといて)制作陣に若旦那(湘南乃風)&MINMI 夫妻(赤ちゃん出産おめでとう!)が入っているから。サビはグッとクルし、若旦那のラップも直球の青臭さ満点ながら、結果としてはよくあるミッドバラード。でも男女3MCを招いたカップリングが密度の濃いファンクだったのでヨシ!ここで活躍してる COMA-CHI って女性MCは、DJ MITSU THE BEATSJAZZY SPORT関係者で、RIP のアルバムにも客演してた。気になる。


YA-KYIM「ELEC*TRICK」

YA-KYIM「ELEC*TRICK」2005年
●個人的に今クール最注目だったテレ朝深夜ドラマ「キミ犯人じゃないよね」(主演:貫地谷しほり/要潤)の主題歌を担当してたのがこの3人組の女の子。実際の主題歌は「SUPER☆LOOPER」という曲なんだけど、これは古くて彼女たちの3枚目のシングル。偶然180円で見つけた。彼女達の音楽は厳密なヒップホップじゃなくて、遺伝子の半分くらいがダンスホールレゲエで出来てるスタイル。ラップもするが3人でハモるコーラスにも躊躇しないし、トラックの重心も四ツ打ちに固執しない。あとよく踊る。「SUPER☆LOOPER」も早く180円で出てこないかな~。


AI「WATCH OUT ! feat AFRA + TUCKER」

AI「WATCH OUT ! feat. AFRA + TUCKER」2004年
●日本最強のヒップホップウーマン AI が繰り出した最高のファンクシングル。実は既に持ってるんだけど、これまた50円でDVD付きヴァージョンのシングルを見つけた。即買い。ご存知世界に誇る日本のヒューマンビートボクサーAFRA とマッドなエレクトーンプレイヤー TUCKER の3人だけで、実にファットなファンクを鳴らす。ホントいつ聴いてもカッコいい。
●そんでDVD。この「WATCH OUT !」のプロモが収録されてる。ディスコ風ネオンをバックに AI、AFRA、TUCKER の三人が奇抜な衣装で大げさにヒョコヒョコ踊って歌って跳ね回ってるんだけど、そこに突如 K DUB SHINE のアニキが踏み込んできて、撮影を無理矢理ストップさせる。「ちっとコレおかしいだろう。こんなモンやり過ぎだろ~」TUCKER のアフロをデコパチで弾いて、AI のモータウン風ウィッグをムシリ取る。K DUB の暴挙にドン引きの現場。K DUB「リアルにやんなくちゃだめでしょ」
●パッと場面は変わって、だだっ広いスタジオに、無造作に散らばった機材群とジュラケース。TUCKER の使い込んだエレクトーンとサンプラーがガッシリとセットアップされてて、ライブレコーディングのスタンバイは完全オッケー。もう小細工なし、ガチンコのスタジオライブがスタート!エレクトーンを囲む3つのファンク魂が一気に炎上する。一発撮りのスリルと興奮が絶頂に達したエンディングに TUCKER は自分の楽器にのしかかって倒す寸前。慌てて押さえる三人はエレクトーンにしがみ付きながら爆笑。AIちゃん「マジヤバ過ぎる(笑)」K DUBの兄貴も満足げ。コレ必ず観て。YOU TUBE 上がってるかな?


K DUB SHINE「正真正銘」

K DUB SHINE「正真正銘」2004年
AIちゃんのPV撮影に乱入ダメ出ししたのは、東京のアンダーグラウンドを長きにわたって支配し続けるボス、K DUB SHINE。ZEEBRA、DJ OASIS と組んでたキングギドラは、1995年日本のシーンがハード&ドープに折り返す分岐点に活躍した。主義思想が違えばディスもビーフも躊躇しない武闘派で、後述の BUDDHA BRAND のリーダー DEV LARGE(日本人なら日本語でラップしろ!的批判。K DUB はラップにほとんどエイゴを使わないが。実は8年留学経験のあるペラペラさん)とビーフ合戦を繰り広げたり、KICK THE CAN CREW RIP SLYME をセルアウトと見なして口撃したりしてた。DRAGON ASH降谷建志はコレでノイローゼ&再起不能寸前までいったとか。2002年に再結成した時も内容が過激過ぎるとシングル回収騒ぎを起こし周辺は常に穏やかじゃない…。現在では ZEEBRA とも結局価値観において決裂してるみたい。……ZEEBRAZEEBRA で目下 YOU TUBE で騒ぎを起こしたりと実に賑やかですが。
●そんな彼が自分のルーツであるアメリカのヒップホップの憧れを直球でラップしたのがこの曲。80年代から90年代までのヒップホップ偉人の名(RUN DMC、WHODINI、UTFO、PE、BDP、BEASTIES、RAKIM……、たくさんたくさん。ココに出てくる固有名詞を全部理解したらヒップホップ史100点トれる。)を列挙し、自分がいかにこの文化に魅せられたかを、そんで日本で自分がいかにシーンに貢献したかを語ってる。ソロではシリアスな社会問題や国歌観にズバズバ言及する社会派の側面も。映画「狂気の桜」では音楽監督を担い、主演・窪塚洋介とはマブダチに。後輩筋となった窪塚はニュース見て「先輩コレってオカしいじゃないですか!」って直電かけてくる関係、と昔テレビのインタビューで言ってた。「彼ね、スゲエマジメ。すぐ電話かかってくるもん」


BUDDHA BRAND「ブッダの休日」

BUDDHA BRAND「ブッダの休日」1997年
●今日唯一の90年代クラシック。1996年にデビュー、ハードでドープなN.Y.直輸入のヒップホップを日本に導入した彼ら。ソレまで日本のシーンを包んでいたスチャダラパー中心のピースフルな「おもろラップ」の雰囲気を、キングギドラなどと共に吹き飛ばした強面の4人組。そのハードなオーラを身にまとい業界を転覆させたクセして、3枚目のこのシングルはストイックなループモノでありながら激メロウなグルーヴ。しかもT-1からインストで入るというこの革新的戦術。90年代のこの段階でメロウグルーヴいきなりインストってヒップホップ偏差値高過ぎでしょ!ナニからナニまで時代の先端を進んでいたこのスーパーグループ、あまりに先鋭的だったがために、ユニット自体が短命に終わったのが残念。実質1996~2000年しかグループとして機能してなかった。でも今じゃやっぱ50円。

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昨日は汐留に行った。異動する後輩に最後の挨拶をするために。


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●東銀座への鍼灸治療のついでだったんだけど、7月人事異動で他の部署に移ってしまう後輩に一言餞別を伝えるために、会社のソバまで寄ってみたんだ。結局週末の飲み会に行くことになって、若手スタッフと久しぶりにメシを食う事になっちゃったんだが…。あ、でも9時には切り上げたよ。2次会なんて行ったらまたカラダ壊しちゃうからね。…つーか、今日はそんな無茶苦茶をした翌日だからカラダぶっ壊れてて当然と思ってたんだけど、まあ、思ったより動くわ。多少はボクのカラダ回復してんのかな。

ボクのチームにいた部下後輩達は、ホントにイイ奴らばかりで、全員がカワイクてしょうがない。ワザと若手中心に組織したチームは、実力経験こそ追いつかないが、やる気と根性、そして手慣れたベテランには思いつかない新しいアイディアで見事結果を出してきた。そんな連中の一人一人が弟妹のようにボクはカワイく思えてしょうがない。まあ一方的な感情かも知れないが(連中はボクのこと鬼上司と思ってるからね)、職場を一年も離れながらもそんな気持ちを今も引きずっている。
今回異動するオンナノコは、特に可愛がり、特にシゴキ切った後輩だ。てかシゴキ90%くらいだね。徹底的に無理難題を押し付けた。レギュラーの仕事だけでもキツいのに、特別なプロジェクトにもガンガン引っ張り込んで仕事させた。2日連続で怒鳴りつけたら2週間くらいボクのソバからコソコソ逃げてやがった。
でもね、ソイツの潜在能力の高さはハンパなモンじゃないとボクは思ってる。年次は8年も離れているが、最終的な実力では絶対ボクを上回る。だからこそ徹底的にシゴイて、限界までレベルアップさせてやろうと思ってた。……そんで、ボクは今病気になり、もう彼女に与えてやるスキルや技術はなくなった。もうボクの元にいる意味はないし、もっと高い次元の仕事へ移るのは最高だろうと思う。
「オマエがクリエイターとして色々なアイディアを持ってるのは間違いない。でもオマエがもっと素晴らしいのは、仕事で関係する全スタッフの名前を覚えて、末端のアシスタントくんでも名前を呼んでコミュニケーションしてたことだ。オマエが周りに対してそういう付き合い方をしている限り、コレからどんなに難しい仕事をしよう時にも、絶対オマエを助けてくれる人が現れる。エラい人だけを向いて仕事してるヤツらがイッパイいる。そして実際エラい幹部はそういう所でしか人を見ない。エリート社員のヤツらは周囲の底辺なんて見ちゃいない。でも、ピンチを切り抜ける時、日々オマエのような人との接し方をしているヤツがみんなに助けてもらえるんだ。だから何も心配することはない」ぼくが言いたかったのはそれだけ。あとは全部自分でヤリ切れる。高い所へ飛んでいけ。


お花が咲いていた



それと、今日は新宿に行った。タワーレコードのフリーペーパー「BOUNCE」をゲットしに。
●コレ、毎月の日課。ボクは音楽誌は「BOUNCE」しか読まない。これで十分だし、ロックやブラックミュージックに細分化されてる雑誌を読むと視野が狭くなる。コレクター系小型版型雑誌もホコリっぽい過去遺産に引きずられて現在の状況をアップデートし切れてない。ジェイポップからエスニックまでオールジャンルを扱う雑誌は「BOUNCE」以外に見当たらない。しかもタダだし。ちなみに日本で一番部数ハケてる音楽誌だよ。
●ただし今月号は、特別な感情で読む。ボクの元部下がココの編集部に転職しての初めての号だからだ。なにやら悪戦苦闘の日々のようだが、手応え満点のようだ。ふふふ。ちゃんと記名記事書いてる。コッチも頑張れ。

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やっぱ、ヒップホップ。今日は、KANYE WEST 関係者の皆様。

GETTING OUT OUR DREAM

KANYE のレーベル GETTING OUT OUR DREAM。略して G.O.O.D.。
●この G.O.O.D.に次世代を担うヒップホップの才能がゴロゴロしている。今日はソコを中心にチェック。このレーベルには90年代初頭を賑わせたニュースクール、NATIVE TONGUE 一派の「文系ノリ」ヒップホップの雰囲気を感じるのよね。肩をいからせて自分のチンピラぶりを自慢するスタイルではなく、そして音楽的にも深みを持たせるタイプ。 G.O.O.D.所属と言ったら第一には JOHN LEGEND。これ間違いないでしょ。決してレンジの広い喉を持ってるワケじゃないけど、ピースフルで背伸びしない気さくさが漂う好青年。そんで COMMON。カレも終始コンシャスネスなメッセージを投げてきた男。オーガニックソウルの時代には、ヒップホップのオーガニックな側面を掘り下げ、様々な音楽実験も仕掛けた。いいヤツばっかだよ。

で、最近一番気になるのがコイツ。

Don't Quit Your Day JobDon't Quit Your Day Job
(2007/03/27)
Consequence

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CONSEQUENCE「DON'T QUIT YOUR DAY JOB !」2007年
●ほんで、コイツも G.O.O.D.所属 KANYE 直系の弟子筋なんでございます。KAYNE 完全監修、KANYE 好きの人ならハートがとろけるヒップホップ工芸。KANYE 必殺ワザ45RPM回転サンプルも炸裂、ラップのスタイルも KANYE 風だし、「仕事ヤメんなよ!」的なメッセージもコンシャスネスでイイ感じ。マンガチックなジャケも含めてね。イマイチ地味な印象になっちゃったのは時代の流れがハヤ過ぎるためか?うーむ、ココまで高水準なヒップホップ絵巻物を作ってるのに周囲の評価がイマイチ追いついてないのがメチャ惜しい。
●実はコイツ Q-TIP (ex. A TRIBE CALLED QUEST) の従兄弟らしい。だから客演仕事は A TRIBE CALLED QUEST のアルバムなんかで顔出ししてた。ホントのチャンスを掴んだのは、KANYE WEST「THE COLLEGE DROPOUT」に客演してから。こっから KANYE 人脈をたどって COMMON、TALIB KWELI、BEYONCE などに客演。そんで満を持して G.O.O.D. からのアルバムデビューだったわけ。こっちには KANYE JOHN LEGEND も 有名ラジオ局のパレスチナ系パーソナリティ DJ KHALED などが参加。この三人に囲まれて収録した「GRAMMY FAMILY」はマジカッコイイ(つーか KANYE 楽曲そのもの)!2枚目を今年に準備中らしいのでマークしとこ。とにかく絶対名前知っといて損しないヤツだから!


でね、もっとスゴいヤツがいる。

The CoolThe Cool
(2007/12/18)
Lupe Fiasco

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LUPE FIASCO「LUPE FIASCO'S THE COOL」2007年
●この男は G.O.O.D.所属ではないが、デビューアルバムを KANYE WESTTHE NEPTUNES に手伝ってもらってリリースした。KANYE のアルバム「LATE REGISTRATION」への客演もあるし、音楽への向き合い方もラップのスタイルも KANYE に近い。しかし、この2枚目のアルバムで完全に自分の世界を確立してしまった。ハッキリ言ってコイツはホンモノ。50年経っても記憶されるアルバムかも。
●いわゆるメガネ系ナードラッパー(ゲーム大好き、アニメ大好き、特にルパンガンダムが好き)で、それだけで強烈に親近感湧いちゃうのに、圧倒的に美しいトラックメイキング(どうやら自分のレーベル1st & 15th の配下 SOUNDTRAKKってヤツらがスゴいらしい)と、高速かつ正確で、一方時にはメロディアスにラップするオタク声に萌え上がってしまう。そしてラップのフックとフィーチャーコーラスが最高にキャッチー。このアルバムの出現は、KANYE WEST の一枚目二枚目を聴いた時の感動に匹敵する。3曲目4曲目の馴染み易いフックに感心してると、5曲目のグッとクルコーラスにもうハートは完全に持っていかれる。この曲をはじめ各所で活躍する MATTHEW SANTOSGEMSTONES 他数人の客演シンガーは基本1st & 15th の一員。既に全部自分のクルーで自活できるんか?!6曲目「PARIS, TOKYO」はパリから東京、ニューオリンズからシカゴまで、飄々と流れてくハナウタメロの気持ちイイ佳曲。A TRIBE CALLED QUEST の傑作三枚目を思い出す質感。切々と「ヒップホップがオレを守ってくれた」と語る9曲目「HIP HOP SAVED MY LIFE」はこれまたグッとくるよ。12曲目のハードなビートも見事にキャッチーにまとめる。スゲエ。
●客演でビッグゲストは7曲目に登場する御犬様 SNOOP DOGG だけだが、これまたソウルフルなコーラスで完全にココロ持ってかれて一瞬この大物ゲストの存在を忘れる。こんなヤツに声かけたか!と感じたのは U.N.K.L.E.とのコラボ。U.N.K.L.E. の演奏するダークでロックなトラックを鮮やかに乗りこなす。
●正直、発売の瞬間から購入&聴いていたCDですが、冷静になれるまでココまで時間がかかった。そんくらいコレスゴいです。まさに新世代。KANYE「LATE REGISTRATION」級の作品として末代まで語り継がれる逸品ですわ。


コレは KANYE さんが1曲制作、2曲客演してるので。

Blue CollarBlue Collar
(2006/07/11)
Rhymefest

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RHYMEFEST「BLUE COLLAR」2006年
KANYE WEST の大名曲「JESUS WALKS」(ゴスペルクワイアを背負って人間の業を叫ぶカニエ…)を共作してるオトコなんです。グラミー賞受賞の時は一緒に登壇してる。「ラップ=暴力」と決めつける保守派政治家と議論するなど社会派の側面も強いシカゴ出身のオトコ(COMMON、LUPE FIASCO と同郷)。KANYE らのバックアップも含めてコレでメジャーデビュー。
●今回は、ブルーカラー労働者の悲喜こもごもを雇用主のオッサンとゴタゴタモメながら「働いてもイイことねえよ、切ねエなあ」的なボヤキを半ば笑い飛ばしつつラップしていく感じで、肩肘張らない日常世界を楽しくコミカルに描いてる雰囲気。KANYE 参加曲は2曲だけど、イントロに Q-TIP (ex. A TRIBE CALLED QUEST) が登場、二曲目は JUST BLAZE 制作。メインのトラックメイカーは JERMAINE DUPRI の一派 SO SO DEF クルーの NO-ID。COOL & DRE もトラック提供。EXEC PROD には、SALAAM REMI とともに AMY WINEHOUSE をブレイクさせた白人DJ MARK RONSON の名前が。ほう、全員かなりの業師ばっかりだよ。
●最後に故 OL DIRTY BASTARD とフニャフニャのヘタウマ歌唱をほんわか聴かせて終わる所もとてもチャーミング。



コイツは名前が似てるけど全然関係ない。

GloryGlory
(2006/09/26)
Manafest

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MANAFEST「GLORY」2006年
RHYMEFESTMANAFEST。紛らわしいでしょ。ぶっちゃけちょっと混同してたし、同じような音楽やってんだろ、と思って買ったら全然違った。ガクッ。ジャケをご覧の通り、白人ラッパー、カナダ出身で元スケートボーダー。メンタリティは、ヒップホップというより、LINKIN PARK 的なヘヴィロックを一人でやってるって感じ。ゴリゴリのギターリフの渦の中で絶叫!うーん、コレはちとボクの趣味じゃない…。

本日、会社で大ショックなことが…。給料に間違い発覚。
●月末になると会社は几帳面に給与明細を自宅まで郵送してくれる。普通なら会社で手渡しだけどね、何ぶん会社行ってねえし。そんで今月の給料をチェックする。まーウチの会社はボクのような休職者にも多少は給料を払ってくれる親切なトコロなんだけど、今月はなぜかバクッと額が下がってた。ん?なんで?今月と先月とナニが違うの…?
●よーく見ると「裁量労働手当」って費目が突然消滅してる。ボクは本来「裁量労働制度」で働いていたヤツなので、自分の裁量権で自分の労働時間を決めることができる。1時間しか働かなくても20時間働いても同じ。当然1時間で仕事が終わるはずがナイし、勤務時間はボロボロに長かったので、「裁量労働手当」は実質上の残業代だ。数十時間分の残業代を定額で手当てするから後はうまく働け、って仕組み。ボクの部署はほとんどが「裁量労働制度」で働いているし、ずーっと「裁量労働手当」をもらってた。基本給みたいなもんと思ってた。
これが消滅するってどういう事?不思議だ…。なので、今日はたまたま会社のカウンセリング日、ついでに労務部に行ってハナシを聞きにいった。そしたらわざわざ労務部長と労務部次長が出てきた。いやあそんなエラい人に説明してもらうほどでもないのに…。
●部長「いやあ、実はホントに申し訳ないんだけどね、実は我々が間違えてしまったんです」はああ?裁量手当って、裁量労働で働いてもらう手当でしょ。傷病欠勤しているキミは、今裁量労働はしてないわけ。だからホントはもらえないの。なのに、間違って今まで払っちゃってたんだよ。いわゆる『過払い』へ?そんなコトってあるの?給料の額を間違えるなんて。「それでね、コッチの間違いで申し訳ないんだけど、コレ、返してもらわないといけないの」ええええ~!!そんな~!!給料返すの!!!
●部長「コチラも間違えを察知したのは先月末だったかな。だから今月から金額に反映された訳だけど、どうやってこの事をキミに連絡したらいいもんかと迷っててね~。ショック受けちゃうと病気に障るかも知れないし」いやいや、別にコレで寝込んだりはしないっすけど!で、でも、ショックはショックです……。あの、合計でナンボくらいでしたっけ、数ヶ月くらいもらっちゃったですよね……チリツモで結構な額にイッちまうような……。あと、すぐ返さないといけないんスカ…?
●部長「あくまでコッチの間違いだから、ゆっくりで結構だよ!今後相談しましょ。こういう時があったら、月1万づつ返してボーナスでバッと返すとか、色々やり方あるから」あの、復職した後でいいですよね…、さすがに今はキッツイすから。ゆっくりゆっくり返させて下さい……まさか利子つかないですよね!「つかないつかない!儲ける訳じゃないんだから」
●あの、今日はボクが問い合わせしたからコトが発覚したってコトじゃないっすよね、言わなかったら気付かなかったとか…。「いや、コッチで間違い発見して修正したんだよ、キミに連絡が取れなかっただけ」なんか今ボクスゴくセコい事言ってるよな…。でも、一度もらった給料返すのってやっぱヤダよー!ショックー!スゴくショックー!
●でも給料をちょっとでももらってるだけで恩の字だし、しんどい時期に給料前借りしたと思えば得とも取れる…。なんか複雑な感じ!だけど会社って意外といい加減に出来てんだなあ。



●そんな下世話なハナシは、キレイに忘れて…。




さて、東の王者 NAS のキャリアについて先日語ったわけですが、今度はコイツです。

SNOOP DOGGY DOGG

西の犬将軍 SNOOP DOGG。DR.DRE の開発した G-FUNK に血肉を与えたラッパー。彼は天才というより、ワン&オンリーの強烈な個性が武器。


ココで個人的な思い出。1994年初めての渡米。
●ボクが初めてアメリカに行ったのは20歳、1994年のコトだった。海外の一人旅は初めて。この年の2月、ロサンゼルス~サンフランシスコ~シアトルへと移動した。あ、サンディエゴにもちょっと行ったかも。ほとんど空っぽのスーツケースを持って入国、チカラの限りCDとレコード買ってカバンをパンパンにするつもりだった。結局80枚以上は買った。死ぬほど重かった。
●当時はシアトルグランジの時代で、シアトルは外せない街だった。ソコでの経験も最高だったが、そのハナシはまた別の機会に。最初の街ロサンゼルスで最初っからボクは興奮しまくった。クルマがないと移動が難しいロスは、サンタモニカメルローズに目標を絞って古着屋やレコ屋をチェックしまくった。メルローズは今でも出張の度に立ち寄って古着を買ってく。ああ、MOCA(MUSEUM OF CONTEMPORARY ART)にも行ったっけ。
●でも夜一人で出歩く根性はなかったから、必然的に部屋でテレビ見てる時間が多くなる訳だけど、ココでアメリカのCATVの豊富さにビックリすんですよ。日本じゃまだケーブルテレビなんて全然普及してなかった。なのにアメリカのホテルでは100チャンネルくらい繋がってる訳よ!で、MTVとかVH1とか、ブラック系だとBETとかが24時間ナイスな音楽を垂れ流しまくってる!もうずーっと見まくった。デリで買った軽食を抱えてベッドの上でずーっとテレビ見て、気になる曲をノートにメモって、次の日レコ屋に探しにいく!
●そんな時、テレビの画面を独占してたヤツ、ヘヴィロテされまくってたヤツが、この SNOOP DOGGY DOGG だった。完全に目と耳に刷り込まれた。彼の立ち振る舞い、ファッション、そしてあの脱力した余裕シャクシャクのラップが。そんでヤツはこういうのだ。「バウワウワウ、ユビヨゥユビイェエィ!ビィアァッチ!」



SNOOP DOGGY DOGG「DOGGY STYLE」

SNOOP DOGGY DOGG「DOGGY STYLE」1993年
●ボクが訪米してた時のヘヴィロテ曲はこのアルバム収録の「GIN AND JUICE」「WHO AM I (WHAT'S MY NAME) ?」だった。今では G-FUNK の激古典曲だわな。まずビビったのは、コイツが殺人の嫌疑にかけられてたってコトだ。結局は正当防衛とされたが、ギャングのメンバーを撃ち殺してるんだよね。しかもこのアルバムリリースの3か月前の事よ。日本なら大スキャンダルで速攻発売中止じゃん。なのに、アメリカでは大ヒットしてスター気取りでヘヴィロテ。殺人犯がテレビで堂々とラップしてるよ。しかも、あの人を喰ったような飄々とした鼻ウタ風ラップで。で、歌の中身も殺人だのギャングスタライフだのが目白押し。「コレがアメリカか、コレがロサンゼルスか」20歳のボクには衝撃だったな。そしてこのヒップホップカルチャーってのにノメり込んでいくんだわな。
SNOOP はロスを二分するギャング組織、THE CLIPS(青組)とTHE BLOODS(赤組)の内、青組 CLIPS のロングビーチ支部に関わっていたホントのギャングスタだった。カラーギャングという言葉があるが、主だったギャングはチームカラーを持っている。CLIPS のルーツを今も重んじる SNOOP は今でも青い衣装、青いジャケットに拘っている。ある意味ホンモノなのよ。いや確実にホンモノなのよ。
●ロスのヒップホップ黎明期を支え、伝説のギャングスタラップを鳴らした N.W.A.のメンバー DR.DRESUGE KNIGHT と共に立ち上げた DEATH LAW RECORDS。その最初のリリース DR.DRE「THE CHRONIC」に客演し評価を高めた SNOOP は一気にこのレーベルの看板スターになる。東海岸のヒップホップがストイックな方向に流れる中、懐かしいディスコファンクのマナーを正統に引き継いたキャッチーなトラック、そしてラップで描かれるセンセーショナルなギャングスタライフ、人呼んで「G-FUNK」は世間に巨大なインパクトを与えた。
●でもとにかく一番スゴいのは、そんな日常を当然のように余裕の鼻唄混じり感覚で軽くラップする彼の個性だった。ガナッタリしない。叫んだりしない。淡々と憎らしいほどに余裕をカマしてくるんだよ。バックには気持ちの良い四ツ打ちファンクと、ピーヒャララ~とユラユラ揺れるキーボード。ソレがとにかくクールだった。ロスで一番最初に買ったCDだった。
●勢いに乗った DEATH LOW チームは映画まで撮っちゃった。サントラ「MURDER WAS THE CASE」もかなりの傑作なので要チェック。

サントラ「MURDER WAS THE CASE」




DEATH LAW のお家騒動。師匠 DR.DRE 脱退。


SNOOP DOGGY DOGG「THA DOGGFATHER」

SNOOP DOGGY DOGG「THA DOGGFATHER」1996年
●好調にスタートしたはずだった SNOOP のキャリアだが、トタンに暗雲が立ちこめてきた。DEATH LAW のリーダーであり、音楽的頭脳であった DR.DRE が脱退しちゃうんだから。原因はマネジメントを仕切ってた SUGE KNIGHT との不仲。巨体を活かしてボディーガードから業界入りした SUGE KNIGHT完全な武闘派で、DR.DREDEATH LAW を設立する時も、元の所属先だった RUTHLESS RECORDS のオーナーで N.W.A. のリーダーだった EAZY-E金属バットで脅迫して契約解除を強要した。そんなヤツがだんだん幅を利かせてきた。
●決定的だったのは、DEATH LAW2PAC を獲得した頃だった。西海岸ギャングスタのカリスマになった彼のおかげで DEATH LAW は大変潤うが、2PACSUGE はイケイケ過ぎて周りから浮き始めていた。2PAC は厳密にはギャングスタであったことはない。しかし挑発的なポーズが過激過ぎて、ヤバ過ぎる状況になっていった。PUFF DADDYTHE NOTORIOUS B.I.G. らが率いる BAD BOY RECORDS との東西抗争である。結果、1996年9月。2PAC はラスヴェガスで射殺された。
SNOOP の師匠筋、DR.DRESUGE との経営方針の違い、カネの取り分を巡ってのトラブルで、1995年には早々 DEATH LAW を脱退。1996年に自分のレーベル AFTERMATH を立ち上げる。
師匠は消えた、レーベル周辺はキナ臭い空気だ、そんな状況で SNOOP のセカンドは制作された。リリースは 2PAC の死後2か月後だ。残された仲間たち、DJ POOH、SOOPAFLY、DAT NIGGA DAZ (A.K.A. DAZ DILLINGER) などがトラックを制作。NATE DOGG、WARREN G、KURUPT(DAZ + KURUPT = THA DOGG POUND)らが客演。元 THE GAP BAND のボーカリスト CHARLIE WILSON もその喉を披露してる。ぶっちゃけ出来は DRE 制作の G-FUNK には全く及ばない地味な内容だけど、ココで SNOOP を支えた仲間たちは今でも厚い親交で結ばれている。あ、ちなみに 2PAC は全く関わってなくて、仲は冷えきってた感じだったのかな。



電撃移籍!なんと NO LIMIT に入っちゃった!


SNOOP DOGG「DA GAME IS TO BE SOLD, NOT TO BE TOLD」

SNOOP DOGG「DA GAME IS TO BE SOLD, NOT TO BE TOLD」1998年
●さすがに DEATH LAW はヤバいと考えた SNOOP はビックリ移籍を果たす。なんと西海岸を離れ、ディープサウスの最深部ニューオリンズの新興レーベル、NO LIMIT RECORDS に移ったのだ。元々は西海岸ベイエリアでレコード屋をやってた MASTER P という男が、親父の地縁があるニューオリンズに移って一旗揚げたレーベル。軌道に乗り出したのは1996年頃で、1997年 SNOOP 移籍は NO LIMIT にも最高の出来事だったに違いない。
●以前もこのブログで綴りましたが、NO LIMIT と、その同時期に名を挙げた CASH MONEY は、ギラギラの成金趣味を露骨に打ち出す BLING BLING スタイルを新風俗として知らしめ、シンセの打ち込み主体で構成するバウンスビート(当時はチキチキビートとか言われて蔑まれ気味)を開発。遠目に見ればチープな音で荒稼ぎする一発屋の雰囲気プンプンだったのでした。そこにトップスター SNOOP DOGG が行くんだから、どんだけ MASTER P は契約金をはずんだんだろうなーなんて考えるのであります。確かに品質は別にしてレーベルに勢いはあった。時流をキチンと読む確かな慧眼が SNOOP には備わっている。いや犬だけに、時代を嗅ぎ取る嗅覚が優れてる。あ、コレを機に SNOOP は名前から DOGGY を取って「SNOOP DOGG」を名乗ります。
●ジャケ見てもらえば分かりますが、NO LIMIT の流儀通り、ギラギラのブリンブリンにされてしまってます。制作体制も全部 NO LIMIT にお任せ、レーベル付きトラック職人チーム BEATS BY THE POUND が全てのトラックを手がけ、客演も NO LIMIT 軍団勢揃い。社長 MASTER P は得意の決め文句「んああああ~」(←文句って程でもないね、ヤツはすぐ呻くのよ、んあああああ~って)を連発。社長の弟、C-MURDER、SILKK THE SHOCKER、猛犬 MYSTICAL、女性ラッパー MIA Xらが参加。NO LIMIT 側としてはフル出力だわな。過去人脈では、元 THE GAP BANDCHARLIE WILSON だけが登場。このレーベルにマトモに歌える人いないからな。
●確かに、今までのイメージを一新するノリでユニークなんだけど、SNOOP のスタイルとバウンスビートは正直うまく噛み合ない。細かいチキチキでビートをタテに切り刻むバウンスに、SNOOP のヨコノリラップはあんまり似合わない…。「GIN & JUICE II」「STILL A G THANG」とか過去ヒットの続編めいた曲まで入れてるけど、イケてねえええエ、申し訳ないけどイケてねえエエ。



SNOOP DOGG「NO LIMIT TOP DOGG」

SNOOP DOGG「NO LIMIT TOP DOGG」1999年
●勢いで移籍したけど、あまりの勝手の違いに少しヒイたのか、SNOOP「悪いけど、オレ自分で仲間集めてアルバム作るわ、社長はクレジットだけでイイっしょ?」P社長に進言したのか? 前作と全然違う布陣が敷かれてる。ジャケもギラギラしてないでしょ。このヘンのメリハリ、SNOOP 一流の処世だよね。やっぱ NO LIMIT はヨゴレだからね、オレはオレ流で。賢い犬だぜ。
●ハッキリ言って西海岸人脈大幅稼働。まず DRE師匠が3曲提供。西海岸のファンクマスター DJ QUIK が3曲。ベイエリア・オークランドから ANT BANKS が1曲。舎弟の MEECH WELLS が6曲。RAPHAEL SAADIQ まで参上して一曲コラボしていった(これメロウな佳曲!)。可哀想に NO LIMIT 付きの BEATS BY THE POUND は2曲しか作らせてもらえなかった。
●結果ややダークな G-FUNK に仕上がったよ。DREのオッサンにとっては自分のアルバム「2001」の時期で、そこで実践された新型 G-FUNK が鈍色に光りながら妖しく蠢く。「B**** PLEASE」はその典型かつ傑作。DRE の舎弟と見られる JELLY ROLL ってヤツもいい仕事。EARTH, WIND & FIRE を改造してG武装仕様で真っ黒だぜ。DJ QUIK のヌめるファンクも忘れちゃいけねえ。
●客演陣も古い友達や西海岸ヤロウを中心に。WARREN G、NATE DOGG、SUGA FREE、XZIBIT など。NO LIMIT 衆もそれなりに出てるけど、社長の顔出しはなし。「んああああ~」もなし。



THA EASTSIDAZ「SNOOP DOGG PRESENTS THA EASTSIDAZ」

THA EASTSIDAZ「SNOOP DOGG PRESENTS THA EASTSIDAZ」2000年
●ウエストコーストを代表するギャングスタラッパー SNOOP DOGG の別働隊がなぜ「イーストサイダズ」と名乗るのか無知なボクにはよく分からんのだけど、昔から地元ロングビーチでつるんでいた不良仲間(つまりギャングです)と結成したのがこのユニット。かなり昔から5人ほどの地元仲間でつるんでたクルーだったのだけど、DEATH LAW との契約問題やカネの取り分でモメたりして、最終的にメンバーはSNOOP に加えて、TRAY DEEEGOLDIE LOC ってヤツになった。GOLDIE LOC「NO LIMIT TOP DOGG」でも客演。コイツら何ぶんホントにギャングなので、TRAY DEEE はセカンド作った後殺人罪で12年の刑期を食らいました。困った人たちだ…。
●コレも極上の G-FUNK だわ~。最初っから P-FUNK 使い、GEORGE CLINTON のイイ湯加減なコーラスでカラダも火照る。トラック制作にはまた地元友達&舎弟を招集、MEECH WELLS、JELLY ROLL、BATTLECAT、SOOPAFLY、L.T.HATTON が馳せ参じる。オーソドックスなファンクを味わいたいならコッチの方が気持ちイイかも。
●客演陣も地元系。西海岸で忘れられない客演シンガー NATE DOGG は旧知の親友だし、その NATE 犬の従兄弟 BUTCH CASSIDY はシンガーとしてこのアルバムで活躍しまくってる。DRE系の新型 G-FUNK よりも、男汁コーラスが淡く渋く響くこのファンクは気持ちイイ。……その分ココでは SNOOP はチョイヒキ気味。仲間を前に出して活躍の場を譲っている。



SNOOP DOGG「THA LAST MEAL」

SNOOP DOGG「THA LAST MEAL」2000年
タイトルがもうそのツモリ満点なんだけど、NO LIMITでの最後の作品です。やっぱ勝手が違うわ、なんかシックリ来ないわ、コイツらイマイチ細かいトコロまでは気が利かねえんだよなあ。そんな SNOOP のボヤキが聴こえてくる。ジャケもヤケクソな感じするじゃん?ラストミールって死刑囚の最後の食事でしょ、そこにウンコカレーって…。ホントにヤケクソだわ。
でも、ジャケとは裏腹に内容は濃いよ。ウンコカレーの100万倍こくまろ仕上げ。まず DRE のオッサンが完全本気モード。オッサン「2001」で G-FUNK を別次元に進化させた上に、1999年白い悪魔 EMINEM を発見&フックアップ。N.W.A.~「THE CHLONIC」以来キャリア第二のピークを迎えノリノリ。で今回関与曲が19曲中11曲。プロデュースしてない曲でも最低限ミックスには関わる。舎弟(JELLY ROLL、MEECH WELLS、BATTLECAT など)のやるコトには責任を持つ。
●そんで TIMBALAND SCOTT STORCH を抜擢。SCOTT STORCHTHE ROOTS のピアニストだったヤツだが、実は DRE「2001」の裏方参謀として重要な働きをしている。オッサンの信頼を勝ち得た。そして今や売れっ子プロデューサーだ。TIMBALAND はチキチキのフューチャーファンクを2曲(内一曲は、SNOOP の初期ヒット曲の続編「SNOOP DOGG (WHAT'S MY NAME RT.2) ?」SCOTT は3曲提供。
●ココの客演で暴れているのは KOKANE という男。EAZY-E のレーベル RUTHLESS に所属したギャングスタラップチーム ABOVE THE LAW(コイツらも実にカッコイイ!要チェック!)の周辺で活躍してたラッパーで、2000年に SNOOP の所に流れてきた。THA EASTSIDAZ でも客演し実力を認めさせ、この盤では8曲、約半分でその声を聴かせている。時にトリッキーにネジレたラップ、時にスムースに決めるラップ、緩急の押し引きが鮮やかな業師。客演に招かれる数がハンパない理由がココにある。ヤツの参加曲は全部アナドレナイ。ネジレるボーカルが御大 GEORGE CLINTON を連想させるのよ。そんでファンクを「G色」ならぬ「P色」に染めるのよ。しかもコーラスとらせてもウマいし。うー、KOKANE、もっと聴いてみたい。
TIMBALAND もう一つの提供曲「SET IT OFF」はミニ同窓会。N.W.A.のメンバーだった ICE CUBE と MC REN が集結。ココでミキサーコンソールの前に DR.DRE がいたら N.W.A. 再結成伝説だったけど、N.Y.録音で彼はいませんでした…。惜しい。あ、ドサクサまぎれに THA EASTSIDAZ の連中を突っ込んでる曲もあるよ。.N.Y.のクルー RUFF RYDERS の女性ラッパー EVE もカッコいい仕事してます。徐々にインターコースタルになってきたな。
●最後から二曲目の「BACK UP OFF ME」って曲だけが、NO LIMIT 風のバウンスビートの勢いが感じられる。ま、トラックはファンクなんだけど、客演の MR.MAGIC と 社長 MASTER P が無理矢理バウンスにしたっていうか。最後の意地だね。



NO LIMIT 時代後期には、完全に自分の人脈でアルバムを構成してた SNOOP。自分のレーベル DOGGYSTYLE を立ち上げ、自分のスタジオ DOGGHOUSE も立ち上げ、着々と身辺の体制を固めてきた。もうロングビーチの SNOOP でもないし、ウエストコーストの SNOOP でもない。G-FUNK の SNOOP でもない。次の段階に進む時期がやって来た。次回は、よりメジャーな場所でもっと大きなゲームを展開する SNOOP のキャリア、後半戦を追ってみます。


●ちなみに、今日のオハナシは、過去記事を見ていただけるとより一層分かり易いです。ご参考に。
 ※「EAZY-E、男は死して名を遺す。」
  http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080321.html
 ※「Gの花道は修羅の道。DR.DRE。G-FUNKの開発者。」
  http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080322.html
 ※ 「1996年は、ヒップホップにとってビミョーな時期だった。「微妙スクール」。」
  http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080603.html
 ※「BLING BLING(ブリンブリン)なジャケ鑑賞会。まぶしい!」
  http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080612.html
 
●今日も天気いいね。なんか知らんけど。


植物3



●ウチの息子ノマドが「オレってオンナのコに人気があるんだよ」と最近錯覚気味なのは前にも書いたが、イモウトヒヨコまでが「ヒヨコ、オトコのコにモテルみたい」と言い出した。何じゃそりゃ。
「このまえ、00くんがオトナリにすわりたいっていってきた」とか、それぞれは非常にミクロな出来事なんだけど、一丁前にオトコのコを意識しだしたのであろう。「このまえはね、リクくんがいっしょにおサンポいこうっていってくれたんだよ」ほほう、やるじゃないかヒヨコ。どんな時にリクくんお散歩に誘ってくれたの?「ヒヨコがね、モルモットちゃんになってあそんでたトキ」……それは、お散歩デートではなく、愛玩動物を散歩に連れて行く感覚なのでは?ヒヨコ、それでオマエは四つん這いで散歩したの?



さてと、今日もN.Y.の天才ラッパー NAS のキャリアについて書いちゃいます。
●前回(6月22日)の記事では、1st から5th まで5枚のアルバム、1994~2001年までの NASくんの動きを見てきました。N.Y. のドープなリリシズムを代表してシーンに登場した若き天才は、セカンド以降は、90年代後半風のメジャー路線に近寄りつつ、より存在感を持つに至る。しかし、N.Y.の覇権を巡って JAY-Z との確執も勃発。ビーフ合戦が過熱する。
●前回記事コメントに、ohguchi「デビューしたてのころ、「NASを聴いてる」ってだけでちょっとインテリ気分になったりしてましたw 」と寄せてくれました。そうだそうだ、NAS ってアタマ良さげなヒップホップエリートな感じがあったんだよねー。うんうん。スゴく共感できるコメント。1994年当時はそういう雰囲気だったんだ。


そんで時代は2002年。
●1996年以降から時流となった PUFF DADDY THE HITMENTRACKMASTERS などなどのメジャー系プロデューサーの時代は微妙に変質し、もっと斬新な感覚でヒップホップを解釈する新しいトラックメイカーが数々登場した。そして耳の早い PUFF DADDY(このころは P.DIDDY に改名した頃かな)や JAY-Z のような経営感覚の鋭いヒップホップ起業家の手でどんどんフックアップされた。
●この頃シーンに躍り出たトラックメイカーといえば、THE NEPTUNES、KANYE WEST、JUST BLAZE、SCOTT STORCH、SWIZZ BEATZ、9TH WONDER、WILL.I.AM、RICH HARRISON、LIL JON……。枚挙に暇がない。そして、重要はポイントは、彼らの過激なビート実験が、ヒップホップゲームの最先端、ビルボードチャートの頂点で行われていたことだ。彼らは自分たちの先鋭的トラックを商業的成功と両立させたのだ。ボク個人の造語としてこの世代を「00年代スクール」と呼んでおく。この段階でヒップホップはアングラカルチャーではなくアメリカのポップソングのど真ん中に来てしまったわけだ。…その一方でアンダーグラウンドな動きがなかった訳じゃないんだけど、その話はまた別の機会に。


神の子、NAS。参謀に SALAAM REMI を迎える。


God's SonGod's Son
(2002/12/17)
Nas

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「GOD'S SON」2002年
「神の子」ってのも極端なタイトルだよねえ。ナズくん相変わらず。オナカに「GOD'S SON」ってタトゥーを前から入れてるんだって。ま、それはおいといて。
NAS はこのアルバムからスゴくファンキーになった!すいません、こんだけ評価の定まったアーティストにボクなぞがケチつけるのは暴論もイイとこなんだけど、敢えて言わせてもらうと、NAS の今までのラップは固いんですよ。スキルが高過ぎて、言葉の密度感がスゴい。言葉の運び選び韻の踏み方は、英語を解さずとも伝わってくる。でも、もはや早口言葉級のスピードでまき散らされるライムは、時としてトラックから乖離して剥がれちゃうような感じがしてた。トラックのグルーヴを無視して早口言葉に没入してる感じ?初期のトラックはストイックで研ぎすましたループで遊びの余地がない。メジャー期のトラックも大味な部分が NAS のラップとシックリあってないような気がしてた。
●しかし、「ザ・カメレオン」の異名を持つ男 SALAAM REMI が組むトラックにはファンキーな生々しさがあり、NAS のラップをウマく立たせるような細かいブレイクがフロウ一つ一つに合わせて散りばめられてる。NAS NAS で、そのトラックをウマく利用して自分のグルーヴを制御し、時にスキマを作り、時にテンポを落とし、メロディをつけたりして、緩急をつけたフロウを見せてくれる。結果、ボクが言いたいのは、このアルバムは傑作だ!
●この SALAAM REMI が3分の1以上のトラックを提供。白い悪鬼 EMINEM も彼特有のシンプルでそのシンプルさがそのままダークな狂気に聴こえるトラックを一つ提供。客演陣は、弟のグループ BRAVEHEARTS、奥さんの KELIS。ALISIA KEYS との共演曲「WORRIOR SONG」は彼女自身の作曲。意外なほどタフなトラックだぜ。で彼女のコーラスも実にタフ。ALISIA 見直した。ベートーベン「エリーゼのために」の大ネタ使いはご愛嬌?ヒットしちゃったらしいけど。
●そして聴き所は 2PAC の遺作音源で構成した疑似デュエット「THUGZ MANSION (N.Y.)」。つーか 2PAC の既存曲「THUGZ MANSION」をリミックスしたようなモノかな。メランコリックなアコギだけで組まれたトラックは耳に爽やかで、J.PHOENIX なる人物のコーラスも淡く響く。感涙モノ。
●ちなみに、内ジャケにはこの年がんで亡くなった実のお母さんの写真が。とっても美人さん。R.I.P.。ブラックパンサー党のマネっこもしてます。

ところで、JAY-Z とのビーフはどうなったって?
●執拗な JAY-Z の口撃に対して、NAS は粋なやり方で決着をつけた。このアルバム収録曲「LAST REAL NIGGA ALIVE」で、自分と JAY-Z を映画「スカーフェイス」(監督:ブライアン・デ・パルマ、主演:アル・パチーノ)の登場人物になぞらえ、この名画に敬意を表しつつこの抗争を表現した。キューバからの不法滞在者トニー・モンタナが、コカイン密輸で巨大なギャング組織を作り栄華を極めつつも、最後には壮絶な最後を遂げるこの映画。ヒップホップの生き様を象徴してるが故に、黒人さんにはカルト的な支持を持つこの作品、絶対見ないとダメよ。この鮮やかな表現が功を奏したのか、この後ビーフは沈静化していく。

スカーフェイス ― コレクターズ・エディションスカーフェイス ― コレクターズ・エディション
(2002/04/19)
アル・パチーノ

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2枚組の NAS。ファンクが濃くて胃もたれ寸前。


Street's DiscipleStreet's Disciple
(2004/11/29)
Nas

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「STREET'S DISCIPLE」2004年
「STREET'S DISCIPLE(訳して『路上の使徒』)」。このフレーズは、NAS のキャリアの原点になった客演曲 MAIN SOURCE「LIVE AT B.B.Q.」で彼が最初に放った言葉。「ダ・ヴィンチ・コード」で有名になった「最後の晩餐」を連想させるジャケ。本来質素なあの絵に比べてシャンパンの数が多過ぎますが。カミサマ志向強過ぎなんですけど。で、さすがに二枚組。聴くのにも気合いが入ります。
で、イキナリですが、ビートがファット過ぎます。基本は SALAAM REMI、そして前作ではハブにされてた L.E.S. が EXEC.PROD にクレジットされて、ウンとブットいビートをカマしてきます。イントロ明け一曲目の L.E.S.、2曲目の SALAAM REMI 制作曲ですでに血中ファンク濃度が脳溢血寸前まで高まります。NAS のラップもビートにウマく寄り添い実にファンクに機能します。
●でもまず最初の聴きドコロは Q-TIP (ex. A TRIBE CALLED QUEST)制作の「AMERICAN WAY」。コーラスは「サンダービッチ」 の異名を持つ NAS の奥さん KELIS。ファ~ンク。ブットい四ツ打ちのデカい柱の間をクールにすり抜ける NAS のマイク捌き。ダルなコーラスがファンクなシズル感を4割増。
L.E.S. が腕を上げてるんだよな~。「DICIPLE」も分かり易いアクセントと、プロレスラーがマットの感触を確かめるように受け身をとってみせるような、ドカッドカッとしたビートを組んでくる。そんなんで8曲も担当してる。「REST OF MY LIFE」では変則ビートで微妙なツッカえ感を演出しつつ AMERIE をコーラスに召喚。CHIC 使いのヒットシングル「JUST A MOMENT」はボク的にはまあまあ…。でも一枚目を締めくくる「REASON」、2枚目を締めくくる「ME & YOU (DEDICATED TO DESTINY)」は湿り気タップリの女性ボーカルのフィーチャーでネットリグッドです。
●ほんで、本命はやっぱ SALAAM REMI ですわ。さすが「ザ・カメレオン」、変幻自在のテクニックで様々なアイディアを繰り出してくる。「SEKOU STORY」はオーソドックスな高速ヒップホップと思いきや、途中でイキナリテンポダウンして JB一派のファンク猛女 LYN COLLINS(名曲「ROCK ME AGAIN AND AGAIN AND AGAIN AND AGAIN AND AGAIN AND AGAIN」!)のサンプルでねちっこいR&Bに変貌する。アルバムタイトル曲「STREET'S DISCIPLE」ではチェロ生弾きループの不協和音でアタマが揺さぶられる。「VIRGO」ではみんなダイスキ HUMAN BEAT BOXIN' の人気者 DOUG E. FRESH がブッ!ブッ!ブッ!と味のあるビートをマイクに吹き込んでます~。スピーカーからダグのツバが吹き出てきそうなロウな録音。「NO ONE ELSE IN THE ROOM」MAXWELL の透明感ある高音コーラスを翼にして飛翔するハイテンポファンク。THE HITMEN 関係者 CHUCKY THOMPSON(今回この人なにげに6曲も関与してます)とともに完全ヒップホップバンド仕様で構成。続く「BRIDGING THE GAP」NASパパの OLU DARA さんが全面参加、泥臭いブルースのニオイがプンプンするハーモニカやトランペット、リードギターまで弾いてる。オッサン臭いラップもしてるかな?やっぱ SALAAM REMI全部自分でドラム、ベース、ギターなど大方の楽器を演奏できるし、バンド(ホーン隊からクラリネット、フルート、チェロまで)をコーディネートして生ファンクでトラックを作るのが強いよね。それだけ表現の幅も広いし、とにかくファンキー。このアルバムでますますSALAAM のファンになっちゃった。
●そんでその SALAAM にサンプラーの使い方を教えてもらった NAS 自身も2曲制作。BASTA RHYMES を連れてきた二枚目のドアタマ「SUICIDE BOUNCE」は自殺寸前の緊張感をオーケストラのサンプルで煽りながら高速でラップするクールな逸品。鮮やかだわ。もう一曲は敬愛する伝説のN.Y.ラッパー RAKIM の伝記を勝手にラップする「U.B.R.(UNAUTHORIZED BIOGRAPHY OF RAKIM)」。硬質でストイックなビート作り。


でさあ、結局JAY-Z とのビーフはどー決着したわけよ?
JAY-Z はしばしば引退発言して業界を驚かすオトコなのは皆さんご承知ですが、一番本格的な引退宣言だった2003年「THE BLACK ALBUM」のリリースの後(この後 JAY-Z は確かに客演はすれど自分名義のリリースは2006年までしなかった)、一気に態度が軟化し(半ば隠居気分?)インタビューでも NAS への敬意を表する発言をするようになった。NAS も同様で、お互いが批評しあい切磋琢磨し商業的成功へと助け合うべきだという論調ができた。1996~1997年、2PAC THE NOTORIOUS B.I.G. が相次いで殺された悲劇のビーフと違い、ある種のプロモーション手段としてのビーフという認識が今の業界の常識になった。
おいおい、ちょっと待てよ、ビーフはデキ勝負の宣伝戦略かよ?…とお思いの方もいるかもしれない。でもプロレスってある意味「アングル」として勝負の道筋が決まってるじゃん。でもリングの上でカラダブツケ合ってんのはホンモノだよね。それと同じかな。自分のラップでケンカを売るのもイイが、ケンカを買う方も自分のラップでやり返しな!そこでギャングを使って殺し合うのはナシだっつーこと。プロレスラーや格闘家がリングの外で殺し合いしないでしょ(亀田兄弟はビミョー寸前だけど)。
●そんでですね、2005年、JAY-Z「オレ様には誰一人好き勝手なコトは言わせないぜー!」とか言って客を煽ってたクセして、スペシャルゲストでステージに NAS を上げ、共演しちゃうのだ。コレにてこのビーフには終止符が正式に打たれた。
●おまけに商魂逞しい JAY-Z は当時自分がCEOを務めてた DEF JAM RECORDINGS NAS を契約させる。なんと NAS の新譜は、5年ほどもいがみ合ったライバルのレーベルからリリースされることになったのだ。


ヒップホップは死んだのかな?いや、アメリカが死んでいる。


Hip Hop Is DeadHip Hop Is Dead
(2006/12/19)
Nas

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「HIP HOP IS DEAD」2006年
「ヒップホップは死んだ」。これまたセンセーショナルなタイトルだ。このタイトルを巡って様々な議論が起こった。英語版 WIKI にまた興味深い事が書いてある。NAS がとあるインタビューに答えた言葉だ。「...基本的にアメリカが死んでいる。コレは政治のハナシじゃない。音楽が死んでいる。オレたちの考え方が死んでいる。商売の仕方が死んでいる。この社会の中の全てで進行している。オレたちにとって国と言える場所で起こっている事だ…」
「音楽が死んでいる」。コレに反応したのがサウス系のヒップホップの連中だ。NAS は要するにオレらのクランクやスナップ系のチープなビート感覚にケチをつけてるんだと。一方でN.Y.を中心に NAS を支援する声も。常に議論を呼ぶ男、NAS
●とか言って、ヒップホップ最大のレーベル DEF JAM からのリリースということで、ぶっちゃけ内容はドメジャー路線の時代に逆戻りしたっぽい感触。L.E.S. SALAAM REMI の存在感は後退して、00年代スクールのクリエイター、SCOTT STORCH、WILL.I.AM(BLACK EYED PEAS)、KANYE WEST、ノルウェー人トラックメイカー STARGATE などが投入されてる。あ、DR.DRE のオッサンも参加。うーむ金に糸目を付けない JAY-Z らしいやり方だ。そんでうとう長年の宿敵 JAY-Z NAS の共演が果たされる。この曲「BLACK REPUBLICAN」、心なしか二人のラップも気合い入って聴こえます。

●さて、聴き所。SALAAM REMI にしっかり心を奪われたボクは、彼と NAS の共同制作「WHERE ARE THEY NOW」にまずシビレル。JAMES BROWN のファンクビートを骨格に使ったミドルスクール風味とも言えるスピード感溢れるトラックに腰が動く。
●表題曲「HIP HOP IS DEAD」WILL.I.AM の制作。BLACK EYED PEAS で確立されてるクロスオーバー的なヒップホップ感覚(ロック感もあればファンク感も兼ね揃えるダンスミュージック)を大々的に導入。DEF JAM の秘蔵ッ娘 CHRISETTE MICHELE をフィーチャーした「CAN'T FORGET ABOUT YOU」ではなんと NAT KING COLE の激有名曲「UNFORGETTABLE」の大ネタ使い。つーか、最後は NAT KING COLEたった一人で朗々と歌ってますがな。ここだけ聴くとCD間違えたのかと思うわ。
KANYE WEST もエエ仕事してまっせ。「STILL DREAMING」では自分でリードのヴァースを預かって、CHRISETTE MICHELE のクールなコーラスを温もり持たせて漂わす。「LET THERE BE LIGHT」では生ドラム採用でスネア捌きをホットにしたトラックに、TRE WILLIAM なる男性シンガーを招集して、男汁が滴り落ちるソウルチューンを編み出す。うーんたまらん。
THE ROOTS のピアニストからトラックメイカーに転身した SCOTT STORCH、その手堅い仕事に人気も高いが、スンゲえアイディアのある人じゃない。提供曲「PLAY ON PLAYA」では客演に犬将軍 SNOOP DOGG をお招き。MARVIN GAYE をサンプルしたトラックと、この唯一無二のフロウを持つゲストで確かな逸品に仕上げました。


一方、この時期には N.Y. に新たな勢力も台頭。50 CENT 率いる G-UNIT である。
●銃弾を全身に浴びながら生き残った元ドラッグディーラー 50 CENTN.Y. に新しいマッチョイズムとギャングスタスタイルを導入、シーンの中心に躍り出た。LLOYD BANKS、TONY YAYO、YOUNG BUCK を舎弟にして、既存勢力を口撃。IRV GOTTI 率いる THE INCJA RULE など)をディスりまくり、CAM'RON JIM JONES DIPSET クルー、FAT JOE TERROR SQUAD にも挑戦。NAS & KELIS 夫妻にもケンカをふっかけてきた。仲間内であった THE GAME との内紛も有名で、実に戦闘的な連中だ。かつては NAS との共演もあった MOBB DEEP は敢えて G の軍門に下り、NAS との関係を絶った。次なる抗争の始まりだ。「HIP HOP IS DEAD」では既に THE GAME をゲストに呼んでる戦略家の NAS。ヒップホップゲームは、常に下克上、盛者必衰の世界。その中で長年サヴァイブするのは実力と戦略。NAS は今年 DEF JAM からの第二弾アルバムを準備。ヒップホップはまだ死んでない。


●今日はポカポカ。晴れているウチに干しとかないと。昼間、スズナリのスナックの前で。

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●病気で元々うまく眠れないってのもあるんだけど、どんどん生活が夜型になってて、ホントにニートくさくなってきた。ヤバいと思って半年ぶりに美容院に行った。「また限界まで伸ばしましたね~」と美容師のオネエサン。で、髪の毛切られている間、爆睡してしまった。もう自分がいつ眠いんだか予想がつかない。

今日も外でお茶飲んで、読書して過ごした。
●あのロックマンガ・ハロルド作石「BECK」、連載でとうとう完結したみたいね!出たばっかの33巻はまだ完結編ではないけど、もう頂点登り詰めて、エピローグって雰囲気なんだけど。

ハロルド作石「BECK」33

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●コユキ、お疲れ。



西島大介「ディエンビエンフー」3jpg

●もう一冊マンガ、西島大介「ディエンビエンフー」3巻。1965年、アメリカ軍、北ベトナムの正規部隊と初めての激突。ビートルズが狂騒にまみれてた頃、東南アジアのこの国では果てのない戦争がとうとう本格化する。西島大介の超チャーミングな画風が、人間がヘリコプターのプロペラでミンチにされる瞬間とかを、カラリとサラリと描くこのギャップが、この作品の一番の読みドコロ。うーん、レゴブロックの人形の首が取れるよりも、もっともっと簡単に人がバラバラになって死んでいく。


●小雨の降る日。携帯のカメラで、湿り気がすくい採れるか、実験してみました。

雨の日

雨の日2


●横浜の病院は、クソ遠いけど、道端にハッとする発見がある。気に入った。

メル友ヨーコさんからナイスな写真をメールでもらったんで掲載しちゃいます。

電車の中

●どんだけ辛いことがあったら、こんなことになるんだろう? そしてオンナノコに笑われちゃうなんて…。



今日もヒップホップの話。 NAS は謎。
NAS という N.Y. のラッパーがスゴいっつーのは何となく分かる。しかし、そのホントのスゴさはボクには理解するのは難しい。ボクは耳から音楽を聴くタイプなので、英語を理解できない段階でリリシストとしての彼の実力は全然わかんないのよね。だから、ずーっと評価を保留してたアーティストなんだなー。イイともワルいとも言えず。でも全部アルバムは持っている……。オマエ分かんないなら買うのも聴くのもヤメろよ!と自分ツッコミ。
でも最近、1996年前後の「微妙スクール」時代に起こったヒップホップ業界の体質変化を考えてる中で、NAS は、もしかして NAS だけが、その立場を変えずにサヴァイブしてる男なんじゃないか、そんで今だにヒップホップゲームの最前線を文字通りマイク一本で切り開いてるじゃないかと思いついた。スゴいよなーソレって。だから、今、まとめて全部聴く。


●NAS デビュー。

NAS「ILLMATIC」

「ILLMATIC」1994年
N.Y.はヒップホップ誕生の地であり、常にシーンを牽引する役目を担う宿命を負わされた街だ。オールドスクールの偉人たちも RUN DMCPUBLIC ENEMYKRS-ONE BOOGIE TOWN PRODUCTIONMARLEY MARL 率いる JUICE CREWBEASTIE BOYS 達までもがこの街から最新型のヒップホップを発信した。80年代が終わるまで N.Y. はヒップホップの首都だった。
●オールドスクールの時代、ミドルスクールの時代を経て、1989年に DE LA SOUL がデビュー。彼らのクルー「NATIVR TONGUE」A TRIBE CALLED QUEST、THE JUNGLE BROTHERS などなど)が中心になったニュースクール運動も。90年代初めに大きな輝きを放った。BRAND NUBIAN、LEADER OF THE NEW SCHOOL (BASTA RHYMES が所属してた)、DIGGIN' IN THE CRATES一派、そして GANGSTARR が登場した。
………。そんで、1994年。N.Y. は冷えていた。1993年に LA から発射された DR.DRE「THE CLONIC」 G-FUNK が、孤高であったはずの N.Y. をその高みから引きずり落とした。明らかにウエッサイの G-FUNK に時代は注目した。懐かしささえ漂うディスコファンクのマナーに則ったトラックに乗り、目を覆いたくなるようなゲットーの犯罪的日常と差別的発言を露悪的に喋りたてる西のチンピラが、全ての話題をかっさらっていった。おまけに1994年、あの SNOOP DOGGY DOGG がデビューする。
NAS の登場は、こうしたアゲインストな状況の環境での出来事だった。西のギャングスタに対抗するため、劣勢に立たされていた N.Y. の叡智の全てがココに結集している。トラックメイカーには GANGSTARR の生きた伝説 DJ PREMIER、CL SMOOTH と組んでいたDJ PETE ROCK、A TRIBE CALLED QUEST のフロントマン Q-TIP、そして MAIN SOURCE のビートメーカー LARGE PROFESSOR。デビュー前の若き NASMAIN SOURC「LIVE AT B.B.Q.」に客演してたのがラージ教授との縁とか。この曲もはや大クラシックですけど。EXEC.PROD には、3RD BASSMC SERCH が!(←裏ビースティ的存在の白人ラッパー。コイツらイケルよ)ちなみにNAS親父のトランペット奏者 OLU DARA さんも参加。
●トラックを埋め尽くす言葉の奔流と、ザラついた声の質感は、たしかに21歳とは思えない貫禄。洋盤で買ったボクには意味の分からない(リリックはライナーになし)ラップの内容は、今もって謎だ。しかし、この頃の N.Y. が目指していたドープなトラックの美学の結晶は確かにココに煌めいている。選び込まれたスネアとキックとサンプルで、百万回聴いても聴き飽きないループを組む美学。確かに地味。しかし良心的なマニアの耳は彼のサウンドに震撼したのだった。


「微妙スクール」下の NAS。


NAS「IT WAS WRITTEN」

「IT WAS WRITTEN」1996年
●前回のジャケの子供が、立派な青年に成長しました。さて、時代は1996年。PUFF DADDYTHE NOTORIOUS B.I.G. の商売が世の中で注目を集める「微妙スクール」において、NASもトラックメイキングをメジャーに切り替える。TRACKMASTERS の登用だ。
POKE & TONE の二人組チーム TRACKMASTERS は N.Y. で90年代初頭からトラック制作業を営んでいた連中だが、PUFF DADDY にフックアップされたのがブレイクのキッカケ。THE NOTORIOUS B.I.G. のデビュー作や MARY J. BLIGE、L.L. COOL J を手がけ一気にメジャー街道を駆け上がる。彼らにとっても NAS との仕事は大きな成果となり、その後 WILL SMITH、NOREAGA、DESTENY'S CHILD、R.KELLY、JAY-Z などと組むトッププロデューサーになってしまうのだ。
●イントロ明けから、いきなり出てくるのが STING の大ネタ使い。その次の曲で EURYTHMICS の一節を拝借。まさにメジャー路線だ。N.Y. のマニアック純粋主義から離れたトラックに、辛い意見も出たが結果は大ヒット。NAS の商業的立場を確立する。最後の曲「IF I RULED THE WORLD (IMAGINE THAT)」LAURYN HILL のコーラスも交えてとってもポップ。
●他の布陣は前作からのつながりで DJ PREMIERが一曲。西から巨匠 DR.DRE も召喚。N.Y. の先輩格 MOBB DEEP HAVOC が2曲。DRE のトラックは煙たいし、HAVOC のトラックはハードだよ。
●このアルバムのライナーには英語のリリックが全文掲載されてたけど、とても読む気になれませーん。だって聴きながら目で追おうにも、ラップが早過ぎてドコ歌ってんだが分かんないほどなんだもん。メジャーで分かり易いトラックでありながら、フロウの乗せ方は複雑奇怪で文章とはリンクできない!凄まじいほどのラップ達者って事はもう十分分かった。
●メジャー路線が功を奏したか、セールス的には大ヒット。地味でストイックな1stが50万枚程度のヒットだったのに対し、今回は一気に300万も売れちゃった。


世紀末の NAS。2枚連続リリース。


NAS「I AM...」

「I AM...」1999年
●顔面ジャケシリーズ第三弾にして、コレはねーんじゃねーの?的なツタンカーメン面。「オレは...」に続く言葉は、「ファラオで生まれながらの王である!」ってコトかしら。NAS、前作がバカ売れで多少図にのりました?
●制作陣は TRACKMASTERS 関連で4曲。その内の「HATE ME NOW feat. PUFF DADDY」が大ヒット。「憎いならオレを憎め!でもオレを止める事は出来ない!」周辺からヤツはセルアウトしたとの批判も集まったが、セレブに成り上がったコトに居直って、成り上がるに足る自分の実力を誇示する。あの社長さんと一緒にね。そして「WE WILL SURVIVE」BIGGIE と 2PAC に捧げたこの曲の中で、その後にのし上がったラッパーへチクリと皮肉を込めた。つまりは JAY-Z のコトですが。BIGGIE 亡き後誰が N.Y. を仕切るか的な意地の張り合い?コレが火種になって2005年まで二人の間でビーフが繰り広げられるコトになる。
TIMBALAND AALIYAH を連れて参戦してくれた。フューチャリスティックな彼のトラックに、AALIYAH のクールなコーラスは似合ってる。客演は他にメジャーデビューしたばかりの狂犬 DMX、南部の大将 SCARFACE。DJ PREMIER は2曲提供。「NAS IS LIKE」の曲最後の極上スクラッチを堪能せよ。
●あと、L.E.S.ってプロデューサーが5曲も関わってるんだよね。彼一枚目からちょっとづつ参加してるヤツで、実は NAS の近しい友達なのかな…?徐々に彼の仕事の比重が大きくなってく。そんで出来も悪くないんですよ。


NAS「NASTRADAMUS」jpg

「NASTRADAMUS」1999年
NAS はこの年2枚アルバム出すのよ。世紀末だからか? しかもナストラダムスだって!もうこの年で有効期限が切れるあの予言者をモジリました。顔面ジャケシリーズも隠者風のフードを深くかぶって予言者っぽく。どこまでマジなんですか?笑って欲しいんですか?ツッコンで欲しいんですか?
●制作の中心は、前述の L.E.S.。5曲提供。相変わらずどなた様か不明だが、常に NAS の背後にこの男の影がある。この頃から色んなトコロの仕事も受けるようになったみたいで、N.O.R.E.、BIG PUNISHER、FLIPMODE SQUAD とかを手がけているそうな。キャッチーながら下世話にならない彼のセンスは NAS には大切かも。JAMES BROWN、FRED WESLEY、OHIO PLAYER、THE STYLISTICS などからサンプルしてくる。TOTO「AFRICA」使いはビックリしたけど!ナストラダムスの大予言は、このTOTO「NEW WORLD」で、やっぱ地球は滅びないんじゃン的なオチ。
●でも NAS は明らかにどんどん聴き易くなってる。RON ISLEY の朗々としたボーカルをフィーチャーしたり、TIMBALAND に一番弟子シンガー GINUWINE を連れてきてもらったり、実弟がメンバーにいる BRAVEHEARTS を使ってみたり。DJ PREMIER も切れのイイトラックを提供。MOBB DEEP もハードに決めてくれた。そして、DAME GREASE というビートメーカーが四曲制作。彼は DMX 付きのプロデューサーだってさ。


JAY-Z とのビーフが加熱しまくる。


NAS「STILLMATIC」

「STILLMATIC」2001年
顔面ジャケ路線、やっとヤメてくれたね。安心したよ。世紀を跨いでもまだイルまくってるらしいね、NAS くん。うーんでも正直このアルバムは制作陣がバラバラで音の統一性がないもんだから焦点がぼやけてピンと来ない。それなりの水準は満たすけど。
●久しぶりの LARGE PRFESSOR、最後のトラック提供になる DJ PREMIER、旧知の参謀 L.E.S.、PUFF DADDY んトコのトラック工房 THE HITMEN もクレジットに見える。TRACKMASTERS は、TEARS FOR FEARS「EVERYBODY WANTS TO RULE THE WORLD」の大ネタ使いで激キャッチー。コーラスを無名だった AMERIE に取らせてる。あとは無名さんでわかんない。
●ポイントは、NAS 自身が俺プロデュースを始めた事。ワリとシンプルで渋いです。THE HITMEN と共作した「ONE MIC」が聴きドコロ。あともう一曲くらいやってる。
そしてもう一点は SALAAM REMI と仕事を始めた事。この男はヒップホップの枠を超えて音楽をクリエイトするジャンル越境型のプロデューサーで、コレ以降の NAS の重要な参謀の一人になる。SALAAM はレゲエもやれれば UKガラージもやるし、THE FUGEES「THE SCORE」にも AMY WINEHOUSE にも関わってるからね。彼の制作曲「WHAT GOES AROUND」は全部 SALAAM REMI の手弾き。ドラム、ベース、ギター、フェンダーローズまで全部こなす。カッコいいッス。


さてこのアルバムで JAY-Z とのビーフ合戦はよりヒートする。
●…らしいけど、ナニ言ってるか分かんないから内容はよく分からん。コレに関する WIKIPEDIA 英語版を一生懸命読んでコトの次第を追ってみる。くれぐれも英語ダメだから、誤読誤解はご勘弁!そこんとこヨロシク。

コトの始めは、BIGGIE こと THE NOTORIOUS B.I.G. が東西抗争の果てに殺されちゃったこと。
●1997年、N.Y.において絶対のカリスマを放っていた BIGGIE が射殺された後、その後継者の跡に誰が座るのか、ってのが諍いの始まり。JAY-Z は早速この年に自曲の中で「誰が最高のMCか?ビギー、ジェイ、またはナズ?」とか言って一応先輩格(でも年齢は下)の NAS をちっとは立てていた。でもその一方で空位となった N.Y. の帝王の座には意欲満々で、BIGGIE の未発表音源を使ってコラボ曲を発表するなど、露骨にこの街の頂点を狙ってた。だってこのコラボ曲のタイトル「THE CITY IS MINE」だもん。
●一方 NAS はセールスでは歯が立たないけど実力では間違いない立場。1999年「I AM...」(ファラオ顔)の中で、東西抗争の死者2人のラッパーに捧ぐ形で、ヤンワリと JAY-Z を皮肉る。「キミの名前を虚しく使って、自分が N.Y. のキングだと連中が喚いてるよ…」的な感じに。BIGGIE の遺産で王座をせしめる JAY-Z にチクリと一刺ししたわけよ。
●コレに対し JAY-Z の配下 MEMPHIS BLEEK が NAS に噛み付くなど。代理抗争てす。そして正面激突するのがこの「STILLMATIC」の頃というわけだ。


2001年、JAY-Z「THE BLUEPRINT」の攻撃。

JAY-Z「THE BLUEPRINT」

「STILLMANIC」に先行してリリースされた JAY-Z のこのアルバムからカットされたシングル「TAKE OVER」にこんなリリックがあるそうな。あくまでザックリ雰囲気だけの意訳ね。「オマエ、脳ミソ使えよ! 10年業界でやってるっつーけど、オレは5年でココまで来たぜ。誰かナズを賢くしてやれ!10年かけてアルバム4枚かオマエよ?オレは最高のモンをサバイて来たぜ、2倍のペースで。ソレが当然。最高ってのは「ILLMATIC」のコト、でも10年でそれ一発だけだろ。このウスノロ!オマエのフロウも変えちまえ!オマエのラップはゴミ!知恵つけろ!」
●あげく、NAS の元彼女(娘も生んでる女性)と寝ちゃったヨン♥的なほのめかしてる。大人げないねー!(NAS は対抗してこの元彼女の娘 DESTINY ちゃんを EXEC.PROD にクレジットしてる)ココまでコテンパンじゃ NAS のキャリアもオシマイね的な評価まで出て来て、かなりピンチな状況に陥る。

「STILLMATIC」の「ETHER」という曲でNAS は猛反撃。
「昔のジェイは、オレに憧れてた若造だったのに……でもヤツは女性蔑視主義者。ビギーのリリックをかすめ取って彼の遺産を私利私欲に使ってる。そんなやり方でカッコつけてアーティスト気取りだぜ。2PAC のボーカルサンプルで『ファック JAY-Z ファック JAY-Z』……大まかには多分こんなことを言ってる、そしてオレこそが真の BIGGIE の後継者だと宣言するのだ。
●一方この後も、ラジオ番組のフリースタイルや雑誌のインタビューの至る所で JAY-Z NAS 批判を繰り返す。なぜか JAY-Z のお母さんが「アンタ、キチンとナズ君とご家族に謝んなさい!」と表明する珍事も。さらに JAY-Z のレーベルメイトである CAM'RON が傲然と叛旗を翻して NAS 擁護にまわり、自分の一派 DIPSET を率いて JAY-Z 批判を始める始末。
JAY-Z は凝りもせず次作「THE BLUEPRINT 2 - THE GIFT & THE CURSE」でもディスを展開する。「オレはヤツより稼いでるが、商業主義だ物質主義だと批判される筋合いはない。ヤツだって十分商業主義や物質主義、女性蔑視のことを別の曲でラップしてる偽善者だ。今度はオレの母ちゃんオマエを守っちゃくれないぜ…」


泥沼化するビーフ合戦、そして21世紀型サウンド新機軸。これからも NAS から目が離せない。でも、その後の3枚分のアルバムについては後日にて。今日は一旦ココでブレイク。



●じめじめ。

あじさい


●調子が悪くなると思いきや、そんなに悪くない。今日はマンションの理事会ボクはエラい理事長さまだぜ!)で3時間のロングディスカッション。マンション共用部分の塗装改修計画とか、子供用自転車専用駐輪スペースの設置とか、空調温度や街灯点灯時間の見直しと節電計画(エコ!)とか、ネコのフン害対策ネットの設置とか、生活騒音のトラブルとか、ガス漏れ探知機の取替え作業見積もりとか、漏電の危険がある箇所の調査とか……。やりきったぜ。この程度の事務的ロングトークはイケルんだけどなあ…。それでもまだボクは病気なのかなあ。


ヒヨコの名言。カメさんパン食べるにあたって。

かめぱん


「ヒヨコ、メつぶってたべる!メあけてたら、カワイそうでたべれない」
ヒヨコの名言その2。スキヤキの熱い豆腐を飲み込んで。
「ふー、ヒヨコのオナカがフルフルするよ!あっちゅくて、あっちゅくて!」


ノマド、歯が抜けた。

ハが抜けた

●今週で二本も抜けたよ。大事に宝物にしてる。絵日記にも大々的に報告してある。

歯が抜けた

「6月13日→ついに!はがぬけた!(1っぽんめ)」「6月19日 ついに→ままがぐらぐらのはお(訳注:を)たおしてぬいてくれた。(2ほんめ いっぽんめ)」
●下の前歯の真ん中が揃って抜けたわけです。わりとケロッと抜かれたモンです。もっと嫌がったり痛がったりするもんと思ってた。クラスの仲間では「何本歯が抜けたか」が一つのステータスになってる気配あり。


ノマド「ハチワンダイバー」に夢中。
●CXの深夜ドラマ「ハチワンダイバー」がノマドとボクの間で実にホットだ。昨日録画で先週の「ハチワン」見せたら早速今朝挑戦してきやがった。ヤツは穴熊囲い。ボクはドラマの登場人物「2こ神さん」得意の陣形・雁木の構え。つーか、このドラマで覚えました。ドラマの主人公が「ダイブ!」と叫んで将棋盤の中、深い海の底へと潜り込む瞬間が、ノマドには戦隊モノの必殺ワザと同じに映るようで、「ダイブ」の結果読み切った戦術で敵に一泡吹かせる主人公が完全にヒーローに見えてるみたい。
●結果、公文の宿題で煮詰まってイヤイヤモードになってるノマドに、「ノマド、公文の宿題にダイブしろ!そうすれば全てが見える!」とか言うと効果覿面。「はー!」とか深呼吸して、宿題に集中できるようになった。非常に教育上望ましいドラマだ。……ダイブに失敗して号泣しながら宿題してる場面もあるけど。
●今週の「ハチワン」は主人公が、「アキバの受け師」さんメイドバージョンの巨乳にムニムニした結果、激ヨワになってしまったらしい。今日ノマドがボクに負けたのは気持ちイイおフトンにムニムニした結果だと、ヤツは分析している。

●もう一つのお気に入りドラマ、テレ朝「キミ犯人じゃないよね」は、個人的にはかなり盛り上がってたのに、最終回がショボかった…。コレじゃ「帰ってきた時効警察」みたいに帰って来れないような気がする…。



気をつけろ!N*E*R*D はロックバンドだぞ!

N*E*R*D「SEEING SOUND」

N*E*R*D「SEEING SOUND」2008年
●出たぞ新譜!普段は激安ワゴン買いのボクが躊躇なく日本盤で購入!00年代を代表するヒップホップサウンドメイカー THE NEPTUNES の、自分たち自身のパフォーマンスユニット、それがこの N*E*R*D だ。一応3枚目となる今作。やっぱブッ飛びました。
THE NEPTUNES がスキマの多い金属質なトラックを作る連中だからといって、そんな音を予想すると裏切られる。THE NEPTUNES +トモダチ1人の三人組 N*E*R*D のサウンドは、もっともっと生々しくもっと音楽的で、メロディアスなウタものだ。そんでバンドサウンドだ!

ヤツらのバンドサウンドへのコダワリはハンパじゃない。
N*E*R*D のファースト「IN SEARCH OF ...」2種類ある。コレ気をつけて下さい、あなたのお持ちのCDは果たして2枚のウチのドッチか? 最初に作った「IN SEARCH OF ...」はヒップホップ的な手法で作った打ち込み主体のアルバム。完成したものの、連中は出来上がりに不満でお蔵入りにした!このヒップホップ盤はヨーロッパ/日本方面ではじわっと2001年にリリースされたが、正式リリースは中止。
●そんでアイツらは、自分のレーベルに所属するロックバンド SKYMOB を招集し、「IN SEARCH OF ...」全部バンドサウンドでレコーディングし直す。曲順がチョイ違う程度で収録曲はほぼ一緒。コレが正式盤として2002年全世界発売される。日本でもジャケ微妙違いでリリース。だから日本には「IN SEARCH OF ...」は2枚あるワケ。ボクはもち2枚買ってます。で、2枚とも超カッコいい。

そんくらいの根性なので、THE NEPTUNES のノリよりもずっと分厚いんですよ、音が!
●ドラムも生で叩いてるか、またはホントに叩いているかのようなライブ感。ベースもブリブリに強調されてて、ギターだってガリッと鳴りますよ。招集メンツはまた SKYMOB。そんでプロデュース仕事で知り合った THE HIVES のメンバーまで!CHAD HUGO 自身もキーボード弾きまくってる。
●そんで、歌う。客演仕事でハナウタファルセットを飄々とやってる PHARRELL じゃない。ミクスチャーロックのシンガーとして、ラップにメロをつけて緩急つけたウタが聴ける。時に強く、時にソウルフルに。でもねミクスチャーのレベルが別格過ぎて比較できるバンドがいません。誰も着いて来れない。あ、ボーナストラックには KANYE WEST LUPE FIASCO が参加。LUPE はね、スゴいっす。コレは後日語ります。

一方で、「ボルチモアブレイクス」の影響は明白だ。
●UKガラージ/グライム以降のビート実験がアメリカに伝播して盛り上がりつつあるアンダーグラウンドなダンスカルチャー「ボルチモアブレイクス(=B-MORE)」。SPANK ROCK などを始めとして大西洋を挟んでシーンを形成してる連中。メンバー自身がボルチモアへの関心興味影響をハッキリ認めてるし、確かにビートの密度感は時にギッシリでもう完全にドラムンベースじゃん!って瞬間も。バンド感とエレクトロ感のブレンド具合も実にナイス。そして決して複雑にならずあくまでポップ、キャッチーにまとめてるから全然ビビるコトはありません。ヤツらからは依然と目が離せない。


最近は道端の植物に目がいってしょうがない。
●今まで気に留めた事もなかったが、どの草花もスゴく複雑な造形をしていて、見ていて感心する。最近は携帯カメラの接写機能を覚えたので、そんな草花の写真を撮ってはココロを和ませます。


赤い植物

白い植物


あと、最近気付いたが、ノマドヒヨコの生活圏内には天然の自然がないんだよね。
●人工的に造成された自然だけ。ヒヨコを可哀想だなと思うのは、自由にお花を摘んでいい所がないんだな。どの植物も誰かの管理下にあるモノで、勝手にムシったら怒られちゃう。公園のモノとか、誰かの鉢植えとかマンションの緑地部分とか。ナカナカ難しいもんだね。



我が家のミクロな教育事情その1。今日はノマドの小学校の個人面談。
●昨今の小学校は「家庭訪問」とかしないで、親が学校に出向くんだね。まあ別に悪い事じゃない。先生にしてみれば効率がいいし、プライバシーを覗かれるのを嫌がる親御さんもいるんだろ。


さて、ノマドの教室に行って女性の担任のセンセイに会う。
●1年生の小さ過ぎる椅子に座って、ワイフとボクとセンセイの三人。ボクとしては聞きたいのは一点、「ノマド、ちゃんとやれてます?」「……いやー、全然問題ありませんよ」とセンセイ。友達とも愉快にコミュニケーションがとれているようだし、センセイにも物怖じせずキチンと自分の聞きたい事や考えている事を伝えられているようだ。ノマド「センセイ、じゆうちょうにおエカキしてイイですか?」とか。今は算数の時間だから算数の教科書見ててね…。ココにおサルが2匹いまーす。コレにもう一匹おサルが来たら何匹になるでしょうか?ノートに書いてみてね!センセイはおサルで書いたけど、みんなは好きな動物で書いてもイイよ!ノマド「センセイ、オカピかいたんだけど、ノートがイッパイになっちゃった」オカピって…。

一方で、完全主義で失敗するのを異常にコワがるのが、コイツの欠点だ。センセイにそれを伝えると「あー、それで合点がいきました。今日はナゼかプールの時間にノマド君が一人でダーダー泣いているんですよ。どうしたの、って聞いたら着替えの入ったバッグを教室に置いてきちゃったって。みんなはプール脇の更衣室に持ってきてて、自分だけ忘れちゃったって。そんなコトでそんなにショックを受けるのは、失敗するのがいやなんですね。うーん、納得しました」前例のない事にはスゴく消極的です。うまく調子に乗せてやらせてみると、意外と楽しいって事を理解してノメり込めるんですが、悪い印象ができるともう絶対やりません。アイツ一度果物で酸っぱい思いしてからイチゴ一つだって食べませんからね。頑固でコレと決めたらナカナカ考えを変えないので、イイ意味でアイツを裏切るようなモノの見せ方をしてやって、先入観をとってやって欲しいんです。

●ついでにもう一つ伺いますけど、アイツ、自分がモテる、人気があるって思い込んでいるんですけど、ホントっすか?「あー、確かに席替えする前ソバにいたオンナノコたちはノマド君の事を色々とお世話してあげてました。うんうん、それは間違いないです。他の子にもノマドくんがオンナノコに人気があると思ってる子もいます。席替えした今では、ソコまで活発なオンナノコはソバにいませんけど、昨日の図工の時間は楽しそうに一緒にやってましたよ」

●センセイ「自由に意見を言ってイイ場面を作ると、活発に発言しますよ。コレは何々なんだよ、とかみんなの知らない事をいったりして。タイミングよく話題に入ってきます。手を挙げて発言する場面では、ここはフォーマルな時間だ、と察知してちょっと引っ込んでしまいますけど」ヤツには やや物知り自慢したいトコロがあって…。図鑑が好きでイロんなコトを覚えたりするのが好きですからね。でも、ワリとウマく立ち回ってんだな…うん、なんか安心しました。滑り出しとしては上々なのではないかと思ってます。今後もよろしくお願いします。


我が家のミクロな教育事情その2。「BOP」って知ってます?
●その個人面談の中、ノマドは「BOP」室ってトコロで遊んでいるのでした。知ってます「BOP」?ウチの世田谷区では「新BOP」という制度があるんです。他の地域にもあんのかな?「ボップ」と呼んでますが、この言葉は「BASE OF PLAYING」の略。放課後の学校を、子供の遊び場として提供するシステム。平成17年より新型として強化、働く親御さんのために学童クラブの機能まで備えるようになってます。ボクが小学生だった時代とは違って、ユニークな仕組みが一杯あって感動。
●事前申請の上、「今日参加します」旨の保護者の印鑑を押した紙(ラジオ体操の出欠表みたいなモン)を子供に持たせて送り出すわけです。するとノマド、いつも終了時刻5時直前まで遊びまくってる。ノマド、「BOP」ってナニすんだよ?「んーとね、レゴがあった!ウチにないパーツがイッパイあってね、デンチでぐるぐるまわるんだよ。ノマド、マシーンをつくったよ」レゴ?オモチャがあるんだ?「プラレールもあったし、シルバニアもあったよ」そんなに充実してるの?てっきり校庭でドッジボールとかするモンだと思ってたよ。あ、もちろん、外でゲンキに遊ぶ子も当然いて、ノマドのクラスメートの元気っ娘・アスちゃんはドロケイしまくってるらしい。

ハナシには聞いていた「BOP室」に初めて行ってみた。
●温泉旅館にあるような卓球台があり、上級生の子が立派なラリーを繰り広げている。コドモの背丈よりも大きい木製のオウチが建ってて、中や屋根の上に子供がイッパイ。そこには「BOP」専属スタッフ(昼間の先生とは違うセンセイ、学生のような若いオニイさんオネエさんだったな)がいて、シルバーサークルのお年寄りと交流会があったりするという。このシルバーさん達には将棋の好きな人がいて、ノマドはその人に会うのが楽しみだ。ウチの小学校は一学年50人程度で2クラスだけだが「BOP」では学年を跨いで交流が生まれるのがウレシい。「ガンダムエクシア」のTシャツを着てたノマド、3年生のオニイちゃんから「ガンダムくん」と名付けられた。授業参観でもイロんな学年の子から「よっノマド!」と声かけられてた。なにげに様々な人々と交流するチャンス。
「ガクドウのコもいっしょなんだよ!」一般の子供は5時でクローズなんだけど、学童クラブの子は6時まで預かってもらえる。オヤツが出る場合も。有料だけど。共働き世帯には意味があることだよね。学校で友達と一緒だと思うと安心できる。少子化対策じゃん。

一緒に家に帰る時。ノマドアサガオ自慢。
「パパ、コレがオレのアサガオ!ツルがいちばんながくのびてるんだぜ!」植木鉢を見せて自慢気なノマド。ふーん、スゴいなノマド。おい、ノマド、このアサガオの葉っぱに触ってみろ。裏側はうっすらと柔らかい毛がイッパイ生えてるぞ。気付いてたか?「おっ!ホントだ!」ツルの先にも毛が生えてるだろ。どこもかしこも毛だらけだね。



先日、三軒茶屋のツタヤに寄るつもりで行ったキャロットタワーでヘンなギャラリーを見つけた。


押忍!手芸部

世田谷文化生活情報センター・生活工房「押忍!手芸部『ビフォー&アフター』」
●手芸技術を全く持たない四十過ぎのオッサンたち8人ほどが組織した「部活」「不器用上等!ミシンはマシンと呼べ」直感と偶然と成り行きだけで、実に味わいあるロウファイな手芸作品をクリエイトする集団らしい。ギャラリーには、おおなんかどうしょうもなくダメで、が故に実に愛くるしいヌイグルミちゃんが沢山いる。感動!フライヤーがバラン(ホカホカ弁当でおかずを仕切ってるミドリのペラペラアイテム)のデザインになってるのもワザアリだね。

手芸部1

●うんうん、このパチ臭い感じがたまんないね。作りてー!

手芸部2

●これはカサの柄にかぶせるモンらしい。クツシタに目ん玉つけて詰めモンするだけ!シンプル・イズ・ベスト!


押忍!手芸部―日本一男前な手芸本押忍!手芸部―日本一男前な手芸本
(2006/11)
押忍!手芸部

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●勢いで本まで買っちゃった。「リワークプログラム」で手芸クラス入れられたらこのワザで対抗するぞ。ホントにユザワヤ行って材料買ってナイスなお人形作りたい。8本足のテディベア(しかもモノアイ)とか。ヒヨコと楽しく一緒に作ろう!


●もうイッコ読書もの。


すべては「裸になる」から始まって (講談社文庫 も 49-1)すべては「裸になる」から始まって (講談社文庫 も 49-1)
(2008/04/15)
森下 くるみ

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森下くるみ「すべては『裸になる』から始まって」
●1998年から2008年まで10年間活躍し続けたカリスマAV女優、森下くるみの自伝本。帯コピーの「森下ファンには悪いが、彼女には文才がある - 花村萬月」に魅かれた。もちろん、森下くるみの名前は知ってる。ビデオか雑誌もあったような気がするが、ワイフに処分された。この本読んでたら、ワイフもしっかり名前を覚えてて「まだ隠してるんじゃないの?」と追究された。残念ながらマジでないのだが、見返したくなったのも事実。
●カメラやビデオの前で、お人形のように振る舞うグラビアのオンナノコの内面は、カサカサの砂漠のように乾いていて、卑近に期待してしまうHなエピソードなどは出てこない。生きてる実感を獲得するための手段が、カメラの前で裸になることだった、そうする事でプロの職人スタッフやファンや批判者などと対峙する事ができ、ソレが故に自分とも対峙できるようになった。10年かけて不安定な自分を社会の中で安定飛行させることができるようになった。そんな女性のルポルタージュだった。
●彼女のようにアダルトビデオ産業という、ある意味極端な手段で自分の居場所を見つけるのは、やっぱり荒技で誰にでも出来る事ではない。けど携帯サイト以外に自分の居場所を見出せなかった人間が秋葉原で人を刺し殺す時代においては、彼女のケースは幸せな結果だ。現代日本、誰もが転落のリスクを抱えてて、その逆転の仕方も沢山あるわけだ。
●ワイフのママ友達が我が家でお茶パーティをしていると、居間から見えるボクの膨大なCD&書籍ライブラリー(一室が窓まで潰して棚で囲まれてる)が必ず話題にのぼるらしい(半ば不気味がるリアクションも)。ママ友達「沢山の本を読んで勉強家ね」とフォローしてくれたのに、ワイフ「読んでるのはAV女優の自伝だよ」と。「ええー!ソレありなの?!」と露骨に嫌悪感を表明するママさんも。ソコだけ抽出するのはフェアじゃないだろ。ボクはイロんな本を読むんだよ!


自律神経失調症とのお付合い(その57)~「リワークプログラム始めの一歩」編
●昨日月曜日。会社診療所のカウンセラーのオジさんが横浜にある大きな精神病院の院長先生であることが発覚し、その横浜の病院で行われている「リワークプログラム」に参加しないかと提案されたワタクシ。とにかくノコノコと行ってみましたよ、モノホンの精神病院に!


精神病院

横浜って言ってもね、ベイエリアな横浜じゃなくって、なんかスゴク内陸方面。町田とか近いよ。そんでクソ遠い。急行乗って1時間、そっからバス10分。ダメ押しに徒歩5分。この距離にもうクジケそうだわ。周囲は静かな住宅街。昔からの人が住んでいるタイプ。病院の外見は一見マンションのようだが、入り口に救急車が並んでるトコロで明白に病院と分かる。

「あのー、院長先生とのお約束で12時に来た unimogroove と申します」院長パワー立派。待ち時間ゼロで診察室へ。会社で顔合わせる時よりもエラそうに見える先生は、どう?遠かったかな?とか聴きながら早速ボクの担当になってくれる臨床心理士さんを紹介してくれた。
「アナタを担当する副主任のチーくん(仮名)。よろしくね、コレから彼がキミの世話を全部見てくれるから」年齢は30代後半、若白髪が目立つ長身の男性だ。「あれー、センセイ、この前は担当を女の人にしてくれるって言ってたのに…」と心の中でチッと舌打ち、でもちゃんと大人の挨拶をする。見た目経験豊富っぽいし副主任ってコトは腕もイイんだろう。チーさん、どうぞよろしくお願いします。

●その後、血液検査、尿検査、CTスキャン、問診票の記入まですまして、やっとカウンセリングが始まる。6畳ほどの部屋で二人きりのトークだ。
●一昨年まで遡ってボクの病歴を説明し、この「リワークプログラム」に参加するに至った経緯を一気にしゃべる。今日のボクのアタマは冴えている、言葉がよどみなく流れ出る。「…だから、リワークプログラムという言葉を知ったのは先週の事で、知識は何もありません。先入観なくトライするだけのツモリです」
●さて、今度はチーさんの番だ。「この病院で行われているリワークプログラムについて簡単にご説明します」対象は、メンタルの問題を抱えて現在休職中でありながら復職を目指している人。基本的には週一度のカウンセリングを行って患者さんのコンディションを細かく把握。その上でその人にふさわしい「リワークプログラム」を作成して、状況に応じて様々な事をする。例えばこの病院では月曜日に「軽スポーツ」、火曜日に「女性向けの手芸クラス」、金曜日に「SSTクラス」を設置。チーさん「SSTというのが結構大事でして、同じような病気で悩んでいる人との交流を通じて孤独感を緩和したり、グループミーティングを行って社交力を養ったり、病気の再発を防ぐための知識を勉強する場となります」一方で「デイケア」といって毎日通院して生活習慣のリズムを養う場合も。「症状が重い場合は入院という場合もありますが、unimogrooveさんはソコまではイッテナイですから」ソコはホンマモンのヘヴィな世界ってワケね。病院の廊下を歩いている人見てるだけで雰囲気は分かる。マジでヘヴィだよ。「でボクはナニをやるんですか? 手芸については何も出来ませんが、やれというなら一から覚えますよ」
●チーさん「まずは私がunimogrooveさんのコトをよーく理解するまで、3回ほどのカウンセリングをしていきます。具体的にプログラムのメニューはソコから考えます」プログラムの内容は人それぞれ。病気の現れ方もそれぞれ。クスリの利き方も人それぞれ。「人それぞれ」はもう耳タコだよ。「差し当たり今日は宿題を持って帰ってもらいます」んっ? 心理テストの用紙が沢山出てきたぞ。来週までコレを全部やれと。あーいつも通ってる心療内科でやったテストも混じってるぞ。「いいんです。テストの結果はその時のコンディションで変わっていくものですから」ふーん。


今日、心理テストに取り組む。
●全部で六種類もあるぜ!こりゃ大変だ。もう一回やってるから時間もかかるしアタマも使うって知ってるんだ。騒がしい家の中ではできないと、テスト一式を持って近所のカフェまで遠征。

心理テスト

●全部やりこなすのに3時間以上かかったよ。内容知りたい?じゃ、知りたい人だけ読んで下さい。

1「日本版SDS」:20問の設問に対して、4段階のリアクションを選んでマルをつける。「夜眠れない」という問いに対して、「ないかたまに」「ときどき」「かなりのあいだ」「ほとんどいつも」のどれかにマルするだけ。ボクはこの問題には「ほとんどいつも」。睡眠時間は荒れてるぜ。中には「便秘している」とか「まだ性欲がある」とか「自分が死んだ方が他の者は楽に暮らせると思う」というような問いもある。ボクは死んだ方がみんなハッピーかな?

2「YG性格検査」:今度は問いが120個もある。選択肢は「はい」「いいえ」「?」の3つ。簡単に答えられる質問ばっかりだ。「気が短い」「お祭り騒ぎが好きである」「人と広くつきあうのが好きである」とか。「人は結局利欲のために働くのだと思う」「人の親切には下心がありそうで不安である」「スパイのような人がたくさんいる」など時々ダークな問題が混じっている。スパイって…?

3「新版 TEG II」:東京大学の人が作ったみたい。これも53の問いに「はい」「いいえ」「どちらでもない」で答えるだけだ。「物事には常に原因があるから結果があると考える」「納得のいかないコトに抗議する」「物事を言葉でキチンと説明できる」設問がなんだか理屈っぽい…。

4「実のなる木の絵を描いてみて」:画用紙を渡されて、エンピツと消しゴムを使って自由に木の絵を描けと言うのだ。絵をマジで描くってそんなに普段ない経験だから意外と緊張するよ。ボクは木だけではなんか寂しいから、ノマドヒヨコを木の下に描き込んで、チョウチョやトンボやコトリさんまで描き込んでやった。虫取り網を握った少年少女が木を見上げる絵だ。

5「P-Fスタディ」:コレはオモシロい。マンガの一コマのようなシチュエーションが描かれてる。主人公がもう1人の人物から突っ込まれているのだが、それに対して切り返すセリフを書き込む。ココで逆切れすべき?とか、皮肉を盛り込めっつーのか?とか、試されてる感じがリアル。雑なイラストに味がある。

心理テストPF


6「SCT」:書き出しだけが決まっている60個の文章を完成させるという代物。コレが一番時間がかかる。例文には「本を読むと…人生について考えさせられる事が多いです。一生の間にどれくらい読めるだろう?」おお、ワリとコッテリ書かなくちゃいけないんだ。さて本題にかかると…書き出しコメントに「私がひそかに」って書いてある。むーその後にナニを書けと?「もし私の父が」?って、ボク自身が気になるわ!ナニナニ父親にナニが起こるの?「死」って1文字だけ書いてある項目も。うーん、ナニ書けばイイの?コレだけで2時間かかったわ。


●さてさて、昨日は横浜の精神病院だったが、明日は池尻大橋の心療内科だ。毎日毎日忙しいわ。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html

昨日はヒヨコの幼稚園の行事「お父さまといっしょ」。
●恒例の「父の日」イベント。去年、一昨年は、ノマドとヒヨコ両方いっぺんにこなさないといけなかった。年子であるノマドヒヨコ兄妹の両方のイベントが同じ日に行われていたのだから。微妙に時間がズレているので、二階建て編成でワイフと作業を切り分けて参加してた。コレがかなりキツい。
●今年は、ノマドが卒園しヒヨコ1人分の作業量。コレまではいつもヘトヘトで、周りのお父さん達の楽しい笑顔の理由が分からなかった。1人ならなんと優雅なコトか。思う存分ヒヨコとじゃれ合い、ヒヨコのお友達と社交を楽しんだ。「ユイちゃんだね?ヒヨコのパパです。コンニチワ!」肩車も他のパパより高いバージョンでやってあげた。
●午前中は大いにハッスルし、午後は気分が悪くなって寝込んだのは言うまでもない。


お父さまといっしょ


最後に、ヒヨコからパパにお手紙。

ぱぱげんきになって

「パパへ だいすき はやく ぎぇんきになって ひよこより」(訳注「げんきになって」の意)



自律神経失調症とのお付合い(その56)~「減薬パニック&その他もろもろ」編
●最近は病気を巡る状況が目まぐるしく変化して、毎日色々な病院に行っている。
●一個一個のパズルを解くように、丁寧に順番を考えて様々な病院の先生と話をし、そこで得た新しい知識をまた次の先生へ持っていく。事態は進行中で自分でもどんな結果に結びつくか見えないので、まだ細かくはわからないが、前向きな状況だ。
●ただし一方で職場復帰はあと半年かかっても一年かかってもしょうがないだろう、というコトも覚悟した。初めて心療内科に行った時も「重症です」と言われたが、その時はボクはどっかで病気をナメてた。その「重症です」って言葉が今ジンワリ効いてきた。7月で休職突入丸一年になるが、全然復帰のメドが立たない。休職当初は2か月も休めばと思ってた。次は半年と思ってた。最近は一年以内にはと思ってた。でも全然無理と思い知らされた。時期時間に意味はない。時間の区切れ目でこの病気は治らない。職場復帰したって、働けるようになっただけで完治したというわけじゃない。一生モンのお付き合いだ。ちょっと(いや正直言うと大幅に)凹んだが、今は、やるべき事をやるまでだ。
●以下、セッセと各所に通った一週間の動きをレポート。


先週木曜日、減薬作戦の反動。激しい頭痛とパニック発作。
●血液検査の結果、肝臓の機能を示すγGTPという値が異常に高い事に引っかかった心療内科の院長先生。ボクが長きにわたって大量の、そして今月は更に増えて20種類以上のクスリを飲んでいるコトに理由があるとにらんで「減薬」つまりクスリを減らす作戦を提案したのは前回の通り。ま、それ自体は歓迎すべきコトと特に気にもせずその作戦に乗っかったボクでした。しかし…。
●減薬作戦開始翌日の出来事。午後4時頃から、頭痛が始まる。首からこめかみまで至る激しい激痛。あわてて鎮痛剤を飲んでも全然歯が立たない。死ぬ~~!……しかもこの頭痛はボクにとってタダの頭痛ではない。休職以前極端なワーカホリックだったボクが、殺人的なハードワークの中、仕事ができなくなるまで耐え続けたあの頭痛が、約一年ぶりに帰ってきたという衝撃だったのだ。もうあんな苦しい思いはしたくない!トラウマのようにあの苦しみが脳裏に復活してパニック状態に陥った。
●新しい減薬作戦は「夕食後に安定剤を」とのことだったので、夕食までこの地獄の苦しみを耐え抜く。夕食を速攻でかき込んでクスリを飲んでもまだ苦しみは続く。その日はドテラを着たままフトンを被り、激しく痛む後頭部にホッカイロをあてて寝た。もうナンでもイイからこの割れるように痛むアタマを止めて欲しかった。とにかく凹んだ。ボクは物理的な苦しみや痛みには滅法弱いのだ。


先週金曜日、激痛は一回。…でも不安は続く。
本当に死ぬほど辛かった頭痛は一回キリだった、結局は。……しかし、ボクは減薬作戦のキッカケで起こったこの事件にすっかり疑心暗鬼になってしまった。午後4時頃になると、決まって頭痛の前兆のような首~頭への筋肉の緊張が起こってくる。その度に極端な不安に落ち込んでアタマが混乱する。今まではそんな時に飲んでたクスリ・コンスタンも一旦封じられているので、もう手だてがない。
●喘息で通院してる呼吸器科の先生に、「減薬ってのはこんなにツライんですか?コレはこんなに我慢するもんなんですか?どうしようもなければコンスタン飲んでもイイですよねえ~」と迫るボク。冷静に考えれば、そんなの呼吸器科の先生には判断しようもないのに(ホントやっかいな患者)、そんなのはもう見境がなくなってた。
●そんで、普段は8時頃であった我が家の夕食を3時間前倒して5時に設定した。4時に決まって頭痛の種が出現するのだから、ホントの頭痛になる前に、メシを食いクスリを飲めばイイ。しかし、これはワイフの負担があまりに重いので現実的じゃない。それでも気張ってボク1人分だけでもワイフはゴハンを作ってくれていたが……。
●日曜日の夕方。この時だけはコンスタンを飲んだ。下北沢を散歩してる途中で我慢が出来なくなったからだ。頭痛が我慢できなくなったのではなく、頭痛が起こりそうな予感と不安に我慢が出来なくなったからだ。


今週月曜日、会社で看護師「のび太のママ」さんに怒られる。
●5月もほとんどリハビリ出社できてない。6月も2日しか出てない。ボクの中に焦りがあったのは間違いない。7月になれば丸々休職一年になってしまう。体調は最悪だが、無理矢理会社に出た。ワイフもボクが家にいないのに驚いたろう。予告もせずに出て行ってしまったんだから。……客観的に見れば、これは完全にオカしくなってます状態。自爆行為以外の何者でもない。
●会社の診療所に来て開口一番。看護師「のび太のママ」さん、「あなた、アタマボサボサよ。身だしなみがなってないわ。イツモのあなたならもっと明るく挨拶もできるはずよ。今日は目も合わせられないじゃない。オカしいわよ」診察室の小部屋に連れて行かれて、一時間説教された。ボクはとにかく減薬から起こっている一連の出来事をなんとか説明したツモリだが、「のび太のママ」さんの関心は個々の出来事よりも、ボクが一連の出来事にどれだけ混乱して冷静な判断を失っているかというトコロだった。「こんな状況で会社に来て何になるというの?ラジオ体操みたいにとにかく出席してハンコもらって数が貯まれば復帰が出来る、そんなモンじゃないのよ!自分でダメならダメと冷静に判断するのも訓練なの!」
●こってり説教されて、少々冷静になったボクはそのまま鍼灸治療に向かい「とにかくアタマがオカしいんです、徹底的にアタマ攻めて下さい」と言った。


火曜日。保健所に気管支喘息の医療費補助の書類申請。
●ま、こりゃタダの申請だから何の問題もなし。


水曜日。二週に一度の診察がレギュラーの心療内科に向かう。減薬作戦の事をもう一度話す。
「うーん、抗不安剤依存の離脱症状が少しあるかも知れないわね」と院長先生。ボクのクスリは決してヘビーなモノではないが、薬物依存の禁断症状(=離脱症状)が起こらないわけでもない。頭痛は確かに一回。あとはトラウマのようにこびり付く頭痛への不安。ボクの昔のクスリセットには、デパス、メイラックス、コンスタンと、3種類もの抗不安剤が入ってた。今回コンスタンをなくし、将来的にはデパスもなくす。これが先生のプラン。しかし早速ボクのカラダはある種の禁断症状で、不安を引き起こしているわけだ。コレってカルくヤク中ってコト?これまた本格派だねえ!
●そこで、先生から出た提案「減薬作戦・修正版」。基本として減薬作戦は続行。ただし、夕方の不安に対しては、夕食後というシバリを緩めて、食事に関係なく5~6時くらいに飲んでイイとのこと。コレでワイフの家事負担が減る。そしてソレ以外でどうしてもオカシくてしょうがない場合はコンスタンも飲んでよし。これで極端な離脱症状(禁断症状)に対応する。……ボクとしては、夕方に起こる不安が病気そのものから発生するものではなく、抗不安剤からの離脱に起因するモノというコトを知るだけで、大きな安心になった。だってそれは病気が悪くなってるのではなく、単純にクスリ切れってだけなのだから。ならコンスタンの代わりに、夕方のデパス&メイラックスをチョイ早めに飲めば解決できるって訳でしょ。
●先生続けて、「ワタシの範疇だと、コレくらいが減薬できる限界だけど、他のお医者さんのクスリもなんとかもうちょっと減らせないかしらね。例えばこの鎮痛剤」そう!この鎮痛剤、この前の頭痛で全然効きませんでした。元々は呼吸器科から喉の痛み止めでもらってたんですよ。でも頭痛にも肩や関節の痛みにも効くと言われて、喉が痛くなくてももらってた代物です。「なるほどー。でもソチラの先生にも意図があって出してるクスリだからちょっとその辺相談してきて。頭痛だけだったらウチにも色々なクスリはあるから」医者が大勢いるってのは各所の調整が大変だな。


次、木曜日。会社のカウンセラーさんから「リワーク」の提案。
●またまた新しいキーワードが出てきた。「リワークプログラム」だって。なんじゃそれ。
●会社診療所に隔週でやって来るオジさんカウンセラーは、実はとってもエラい先生だって事がわかった。カウンセラーって言うから精神科医とかじゃなくて臨床心理士の人かと思ってたら、ところがどっこい横浜じゃかなり有名な大きな精神病院(入院病棟もあり)の院長先生だというコトがわかった。学会誌に寄稿とか講演までやってるっぽい。「ボクずっとセンセイとお話ししてきましたけど、センセイがどんな人だか今初めて知りました…」センセイ苦笑。
●そんでその先生が、自分の病院でやってる「リワークプログラム」というモノに関わってみないかと提案してくれたのだ。「復帰への気持ちに焦りながら会社に来る、でも会社の中にやるコトは何もない、これじゃキツいでしょ。『リワークプログラム』というのは社会復帰するための訓練を病院に通院してやっていく事なんだよ」と先生。臨床心理士の人とチームを組み、様々なテストでピッタリなメニューを作る。電車に乗る訓練、包丁でお肉を切る訓練(犯罪被害者のPTSDなどでのリハビリ)、時には同じような病気の人とグループディスカッションをしたり、病気についての勉強をしたり。ふーん。
●で、ボクはどんなことやるんですか?「それは心理テストをいっぱい受けて今の状況をキチンと把握した上で決めます。それはね、もう人それぞれだから。この会社の人も何人か行ってるから大丈夫だよ。どう?やってみる?」コレでやらないなんて言う理由は何もない。「やりますやります!」そしたら先生、「臨床心理士は、若い女性がイイかな?」はい!それでお願いします!結局正体はなんも分からないのだが、この新しい取り組みにボクは行くことになったのだ。リハビリの舞台は会社から精神病院に移るのだ。


金曜日。一巡してまた呼吸器科。
●あのー鎮痛剤について、心療内科の先生からカクカクシカジカで…。「うん、わかりました。医療情報提供書ってお手紙を書きましょう。確かに心療内科で面倒観てもらった方がイイと思うわ」さらに減薬という問題に対し、来月から既存の二種類のクスリが合体した新製品が登場するのでソレを使う事にしましょう、と提案してくれた。おお、どんどんクスリが減っていく。そしてもう一点アドバイスを。ボクのγGTPの数値は、今年去年から高くなったものではなく、ここ5~6年というスパンでずっと高いまま(原因不明)であることを、心療内科の先生に知ってもらった方がイイとのこと。このデータは会社の健康診断に履歴が残っているので、「のび太のママ」さんにお願いすればイイ。
●早速会社に電話。「のび太のママ」さん快諾、火曜日までにファックスするわとのこと。テキパキコトが進行してます。


●毎日色んな病院行って忙しいです! そして先週今週はある意味心身ともにかなりテンパリました!そして成り行き上、明日、横浜某所の精神病院に出撃します。さあさあモノホンの精神病院です。しかもクソ遠い(横浜だし)。さてナニが待っているのか、お楽しみ。冒険はまだまだ続く。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html



そんなボクの、職場の後輩が、ボクを訪ねてきた。
●ボクは日々病院巡りをしているから、病院のある街まで出向いてもらった。用件は前フリされなかったが、予想は出来ていた。転職の報告だ。休職生活の中でコレで二人目だ。もう一年近くも職場から消えているオトコに、ワザワザ挨拶に来てくれるとはウレシい。聞けば発展的な形のキャリアアップ。決して新しい職場が楽なトコロではないが、彼は26歳、コレからが勝負ドキの場面で決起したのである。結婚&第一子誕生も経て、次のステージに進むイイタイミングだろう。ココロから彼の選択を応援しよう。彼をフックアップしたのは、前までボクらと共に働いていた元同僚。志が高く信頼できる優秀な人物だ。人のつながりは大切だね。
●転職する若者。20歳でボクらのチームにやってきて、その後半はボクに随分こき使われた。全国48都道府県路上ライブ巡りとかをさせたし、カンヌ映画祭に送り込んだし、超VIP結婚式仕事とかフッたり、ゴンゴン新しい挑戦を無理矢理させたもんだ。その一方で酔っぱらうと、店員のオンナノコのテを握って口説きに入る調子のいいヤツ。結婚したら落ち着いたってハナシは、ボクが休職した以後のコトだからホントだかは知らない。そうか、6年も一緒にやってたのか。
●その前に転職の報告をしてくれた24歳の女の子は、新職種ながら今までのスキルを活かしてせっせと頑張っているようだ。勉強する事がうんとあるようだけど、頑張って欲しい。

●転職くんとの雑談で、ボクのメル友ヨーコさんが第一子を無事出産したコトを知った。これはめでたい。あんまり早くてビックリしたけど。その場でダンナやその他の後輩とも携帯で話した。みんな大変そうだが、見事な踏ん張りで頑張っている。………さあ、ボクはもう全然役に立たないので、後はみんなに任せるよ。ボクが職場に帰る頃には、ボクが呑気にサボれるように。全部問題を片付けといてくれ。




グルリと巡ってまたアトランタのヒップホップ。
●最近は1996年以降のサウス系ヒップホップ台頭期の音源をチェックしてました。アトランタ発の LAFACE RECORDS TLC、そして彼らに関係したプロデューサーたち。ヴァージニアから出現したフューチャーファンク、MISSY ELIOTT & TIMBALANDニューオリンズに発生したバウンスビートとブリンブリン(BLING BLING)の美学、CASH MONEY RECORDSNO LIMIT RECORDS
●今日はグルリと一巡りして、またアトランタの音楽を。この街には、もう一つ看過出来ない音楽集団がいます。THE DUNGEON FAMILY です。

特殊ファンク部隊、THE DUNGEON FAMILY。
●プロデュースチーム ORGANIZED NOIZE を中心にして、21世紀の超重要ヒップホップデュオに成長する OUTKAST、そして今日音源を紹介する GOODIE MOB などが集まるアトランタのクルー、それが THE DUNGEON FAMILY 。一派で集結したアルバムもあるし、ORGANIZED NOIZE の一員 SLEEPY BROWN がソロをリリースしたりと結構活発に動いている連中です。その音楽の特徴は、泥臭いファンクと金属質ファンクの奇妙な共存。クセになりまっせ。


GOODIE MOB「WORLD PARTY」

GOODIE MOB「WORLD PARTY」1999年
●つーか、ジャケが濃いです。アトランタからオリエンタル方面へ一気通貫、エジプト、インド、中国、ポリネシアと、コスプレで世界を串刺しです。このコスプレ魂で胡散臭いエキゾ趣味を聴かせられると思いきや全然そのテのギミックは出てきません。BIG GIPP、KHUJO、T-MO、CEE-LO の四者四様のアクの強いラップの応酬にひたすらタコ殴りにされます。
●トラック制作陣には盟友 ORGANIZED NOIZE から外部は DALLAS AUSTIN、KANYE WEST、EASY MO BEE2PAC BIGGIE の両方を手がけているトラックメーカー)まで招集。キャリア絶頂の TLC もフィーチャーしてます。TLC の参加してる曲とかキャッチーでカッコいいっすよ。
●………でも正直連中はちょっぴり焦ってたよう。同時期ファミリーの一員 OUTKAST がガンガンに売れ始めアルバム「AQUEMINI」1998年がビルボードの2位までイッチャった状況。大切な持ち味であった泥臭さは少々控えめでヒット狙いに転向? そんな制作過程ですったもんだあったようで、このアルバムで強烈キャラの一人、歌わせてもラップされても曲を書かせてもオーケーの、唯一無二のパワーを放つメンバー CEE-LO が脱退しちゃうんですね~。
CEE-LO はソロでも活躍、そして DJ DANGER MOUSE と合体したユニット GNARLS BARKLEY を結成、コッチでブレイクしてしまう。残った連中は泣き面にハチ、2002年、KHUJO が交通事故で右足を膝から切断するハメに。それでも3人でセッセとリリースは続けてます。
●2005年、CEE-LO を含め再結成するという情報は入ってますが、真の再結成アルバムはまだ出てきません。ボク的には一番泥臭く渋みの効いたファーストアルバム「SOUL FOOD」1994年とコレを聴いて、新譜を待ってます。

GOODIE MOB「SOUL FOOD」



サウス系のヒップホップは2000年以降さらに進化する。
●サウス系は、テキサス州ヒューストンフロリダ州マイアミ、そして中西部のセントルイスなどへと多極化し、現在進行形で形を変え新たな才能を生み出しています。そしてインターコースタルな動き、東も西も南も関係ない才能の交換も活発になっていきます。ヒップホップは21世紀に入ってより巨大な産業へと肥大化し、一方でアンダーグラウンドの動きも非常に活発になります。そんなオハナシは、また別の機会で。


ノマド「オレがエコたいちょう!」宣言。
●息子ノマドが突然言い出した。ボクが家に帰ってきて、ヤツは夕方の風呂上がりのブルチンで。「こんどから、オレがエコたいちょうになって、エコロジーのことをゼンブみはるの!」ノマドのエコ隊長としての施政方針は、「トイレのフタの開けっ放し厳禁」「不要な電気つけっ放し厳禁」などなど。ボクもヤツの指導の元、ペットボトルを使い回してマイ麦茶を携帯することになった。
●ワイフ「エコのルールは、みんなで話し合って決めるのがイイと思いまーす」。ノマドの中では「エコたいちょう」は超法規的権限を持つ絶対権力なので、その裁定に反論の余地はないのだ。ワイフはそこに民主主義的な余地を入れようとしている。しかしボクは「エコたいちょう」の独裁で結構。合議制は既存権益を持つ保守勢力(主にワイフ)に足を引っ張られる。だからノマドエコ原理主義独裁賛成。一党独裁の中ではうまく立ち回るべし。「パパは、エコ参謀になります。ノマドが考えるエコ作戦の手伝いをします」これで、独裁政権の裏側に滑り込んだ。政治とはそういうものです。ボク「エコたいちょう、電気だけじゃなくて水の使い方もチェックしましょう。チョッピリの水で歯を磨いているか、手を洗っているか、シャワーを使っているか、調べて下さい」新法案提出。エコ隊長「オーケー!」

ノマド、運動会のドローイング。
●ワイフが携帯で撮影したためピントがブレ過ぎ。テーマは玉入れを選んだみたいね。ノマドは白組。

ノマドのうんどうかい



サウス系のヒップホップを聴く日々。
●サウス系ヒップホップといえば、ルイジアナ州ニューオリンズで一時期天下無敵の栄華を誇った2つのレーベルがある。NO LIMIT RECORDS と CASH MONEY RECORDS だ。今日はそのオハナシ。


CASHMONEY.jpeg

CASH MONEY RECORDS と MANNIE FRESH が生み出した泥沼のバウンスビート。
●このレーベルの設立は1991年。だがヒップホップの表舞台に登場、大ブレイクするのは1997年。またまた「微妙スクール」の時代だ。所属アーティスト B.G.、JUVENILE、HOT BOYSが相次いで大ヒット。レーベル付きトラックメイカー MANNIE FRESH が開発した「バウンスビート」を引っさげて業界にサウス旋風を吹き込んだ。
●完全打ち込み主体で組まれたトラックは、スネアがチキチキと空間を埋め尽くし、TR-808 のファットなキックが聴くモノの腹を下から突き上げる。TIMBALAND のフューチャリスティックな美学とは異質な、放射能を浴びて突然変異したファンクが湿地帯の中からゾンビのように彷徨い出てきたかのような、イタナイ印象。この「バウンスビート」が新興勢力90年代サウス系ヒップホップを一気にオーバーグラウンドに押し上げた。
CASH MONEY は、オーナーの BABY(A.K.A. BIRDMAN)や彼と MANNIE のユニット BIG TYMERS、HOT BOYS のメンバーだった LIL' WAYNE と TURK なども次々とデビューさせ、1999年頃に全盛を迎える。この年看板アーティスト JUVENILE が移籍する(2003年に復帰)他、2005年にサウンドの要 MANNIE FRESH が独立するなどして、徐々に方向性は変質、LIL WAYNE がほとんど親子のような仲の BABY から社長業を引き継いだりして、何らかの変貌を強いられている状況だ。

Juve the GreatJuve the Great
(2003/12/23)
Juvenile

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JUVENILE「JUVE THE GREAT」2003年
●一度は脱退した CASH MONEY に400万ドル積まれて帰還した後の初めてのアルバム。MANNIE FRESH は半分程度のトラックに関与。後述する NO LIMIT RECORDS のスター SOULJA SLIM との共作であり、彼の遺作となったシングル「SLOW MOTION」がヒットする。



200px-Nolimit.jpg

NO LIMIT RECORDS と MASTER P の兄弟商売。
●1994年頃、西海岸でしがないレコード屋を営んでいた MASTER P が生まれ故郷のニューオリンズで立ち上げたのがこの NO LIMIT RECORDS。二人の弟 SILKK THE SHOCKER C-MURDER をラッパーに仕立て上げ、TRU というユニットでリリースを始めた。1995年から2000年に絶頂を極め、MYSTIKAL SOULJA SLIM などニューオリンズのヒップホップを開拓し全米に送り込む。SNOOP DOGGY DOGG さえもが一時期在籍。お抱えのトラック制作集団 BEATS BY THE POUND が作り出すビートは、TIMBALAND らの「チキチキビート」の8割増しでもっともっとチキチキしてて、チープで下世話で低偏差値。趣味の問題ですが、MANNIE FRESH の作り込み方とは、似てるようで全然似てない。もっとダメ。廃れ切ったこのサウンドを楽しむにはこの時代の徒花的なイタナイ味わいを堪能するツモリで構えるしかない。
●ただし、この NO LIMIT 軍団は明白にサウスサイドのヒップホップを標榜し、ニューオリンズのローカルカルチャーをリスペクトした。東海岸と西海岸の二極に集中していたヒップホップ世界に、サウスサイドという新領域を認識させた。これはスゴく重要な事だ。「サウスサイド!サウスサイド!」彼らは叫んでた。そんな全盛期の頃の一枚を聴く。


Made ManMade Man
()
Silkk the Shocker

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SILKK THE SHOCKER「MADE MAN」1999年
NO LIMIT 軍団からとうとうビルボードで一位がでちゃった。それがコレ。でも同時期の TIMBALANDMANNIE FRESH のクリエイティヴと比べてしまうと、トホホなほどチープだ。ラップもハリがない…。客演の MYSTIKAL の方が100倍狂ってて100倍スゴい!ま、彼は速やかにメジャーへ移籍しもっと成功するけど。アニキや弟も参加、坂本九「スキヤキ」をなぞって歌ってみたりとか…。

●1999年、プロデューサーチームの BEATS BY THE POUND が離反、THE MEDICINE MEN と改称して独立した。大勢いたアーティストはいつの間にかドンドン減って、SNOOP も離脱、MAC というラッパーは殺人で実刑30年の懲役。SOULJA SLIM は2003年に射殺される。MASTER P は弟だけじゃ飽き足らず11歳の息子までデビューさせ(それが LIL' ROMEO。今はLIL' がとれて ROMEO になってます。なぜかバスケの選手もやってます)、レーベルは一瞬息を吹き返すと見えたが、2003年に倒産。今は看板を変えて微妙な商売を続けています。


この2つのレーベルがスゴいのは、音よりもジャケですわ。ジャケに革命起こしましたわ。
●アートチーム PEN AND PIXEL GRAPHICS が描くジャケは、ゲットー住まいの黒人キッズが憧れるエゲツナイほどの成金趣味が満載。ギラギラに光る文字、ゴージャスなジャケットにドでかい貴金属が目を潰す勢いで光ってる。泡立つシャンパン、水着のネエちゃんが、ピカピカのアメ車。いわゆる「BLING BLING(ブリンブリン)」の美学。「BLING BLING」ってのは CASH MONEY の看板ラッパー B.G. の曲名にもなったくらいで、この時代を象徴する美学。
「微妙スクール」の時代には、PUFF DADDY を始めヒップホップ稼業で大金を手にする若き実業家が一杯登場した。MASTER P だって BABY A.K.A. BIRDMAN だってその一人だし。この時点でヒップホップは純粋なアートフォームじゃなくって、合法的に大金を稼ぎ出すゲームの対象に成り果てた。成金趣味を見せびらかし自分の成功を誇示する表現になった。今だってヒップホップアクトの多くが、肩凝り起こすんじゃないかと思うようなデカイネックレスを首から下げてる。アレ鈍器として殺人にも使えると思う。


ブリンブリン・アートミュージアム。
●つーことで、今日は、2つのレーベルが次々とリリースしたブリンブリンなジャケットをみんなで鑑賞して遊びましょう。コレ笑えるからマジで。なんでもヤリ過ぎなんだもん。


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●キタ!いきなり分かり易くギラツイている。コレよ、コレがブリンブリンよ!コレを首からぶら下げたら重いだろうな。


NO LIMIT SOLDIERS COMPI

●負けじと NO LIMITゴールドと戦車で来ました。戦車までキラキラです。どうしましょう。


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●ギラギラロゴに、白いロールスロイス、デカいシャンパンも大事だぜ。ビジネスには必須の携帯電話もオシャレアイテム。あ、でもこのCD、音はイイよ。


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NO LIMIT 総帥 MASTER P。純白スーツ、携帯電話、白い高級車、あと特注のゴールドホイール。言う事ないね、よっ!社長!


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●コレもイカすでしょ!プールに美女満載、酒池肉林。白亜の邸宅のバルコニーには、スーツのSPが警備してる。妄想度高い!


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●コレも衝撃の大邸宅。天国登っていく勢いだね。つーかトラ2匹放し飼いは困っちゃうなあ。


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●お支払いはゴールドカード一括払いで!よーく見るとアメックスじゃないの。「GHETTO EXPRESS」て書いてある。略してゲトックス?


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直球でクルマ自慢。ゴメン、クルマ詳しくないからどうしたらイイかわかんないよ。


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CASH MONEYBABY 社長。赤いロールスご自慢ショット。CGじゃねえぜ、モノホン!


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●イヤン♥エッチ♥ クルマだけじゃなくて、オシリも自慢。ベンツもこのヒップには形無し。葉巻もブットいゼ!


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●ヒップホップゲームは日々の戦い。デカいディールを巡って目下交渉の真っ最中。テーブルに札束ブチまいて、ヤバい話のご相談。葉巻が長過ぎるんですけど。


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●交渉終了後のビジネスパートナー。いやー今回はでかいヤマだったぜ。いい仕事の後は気持ちがいいぜ、なあブラザー!ってな感じ?


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●コチラは電話でケッタイな相談中。札束は常にテーブルにブチまいとくのがお行儀。葉巻も死ぬほど太いのがお行儀。


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●これだけブリンブリンでありながら、全てを念力で焼き尽くしてます。ゴールドが全部溶けるよー!意図はよくわかりません。


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●おイタが過ぎたのか、皆さん全員タイホ!アンド死刑!そんで電気椅子!一万ボルトの電流も、オレらの輝きには及ばないと、言わんばかりの余裕顔で執行&昇天!これがブリンブリンの生き様&死に様!


●ね、ちょっと楽しくない?このイカレっぷり。でもねワザワザCD買って聴くほどじゃないような気がする…。カネが余ってしょうがなくなったら買うかな。いやソレくらいなら、ボクがロールス買うわ。以上!

息子ノマド、「生活」の授業でパソコンにさわる。
●小学校一年生で、もうPCをいじる授業があるのか!一体PCでナニをやるんだ?「フタリでイッコのパソコンだったよ」なにー!さすがコイツらニュータイプ、21世紀少年だけある。人類の革新は始まっているのだよ。

ヒヨコは「千と千尋の神隠し」に慄然。
カオナシが暴れるシーンではコタツの中に隠れるヒヨコ。ノマドはもっとヘタレなので自分の部屋まで避難。そこまでして観るなよ。でも終わるとケロッとしたカオでヒヨコは「センとチヒロのツーをかりてきて」だと。「2」なんてナイよ。なんであると思うのよ。

オールドタイプのボクは保健所へ。
●書類を揃えて、気管支ぜんそくの医療費助成の申請をしに行く。辛気くさい用事だね。最近は体調も安定しないし「そんな状態で無理して会社に来るな」と怒られたりで、気分は非常にローギアである。助成されるための申請書類作るのに結局9000円くらいかかってる。これで都の審査で弾かれたらどうしよう?



今日は、1996年に通称「チキチキビート」を開発した2人のクリエイター、MISSY ELLIOTT と TIMBALAND のハナシをしようと思います。

●でもね、ボク、一個間違えました。この二人、アトランタ人脈の人だとテッキリ思い込んでいたんだけど(先日もそのつもりで TLC の話書いたんだけど)、アトランタの人じゃなかった。もうチョイ北の州、ヴァージニア州の人でした。ココはアメリカの北部南部のちょうど切れ目っぽいライン(南北戦争で南軍につく)、彼らは黒人がマジョリティを占める大西洋に面した州都ヴァージニアビーチの出身なのでした。ヒップホップとして重要なポイントを挙げるならば、あの THE NEPTUNES も同郷なのです。

●1996年「微妙スクール」の最中に、突如現れた「チキチキビート」に世間の人は衝撃を受けました。N.Y.の純血主義ヒップホップ観を覆す大ネタ使いの BAD BOY 軍団がポップチャートを席巻する中で、さらに奇妙なビートが N.Y.以外の地点から出現したのですから。
●サンプリングで編み上げたロウでファットなベースをゴロゴロと回転させる。これが既存のヒップホップ美学。PETE ROCK、DJ PREMIER、D.I.T.C.一派のような人々は、一万回聴いても聴き飽きないループ制作に夢中だったのです。しかーし!「チキチキビート」は基本全部が打ち込み主体のトラック、シンセベースと異常に強調されたハイハット(まあ今の耳だとそんなに違和感ないけどね)を武器にして、メチャ未来派野郎な気分で登場したわけです。TIMBALAND は自分のラップでも「チキチキチキ!」「ピキピキ!」とか言うもんね。


「微妙スクール」については下記の記事で。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080603.html


MISSY ELLIOTT と TIMBALAND の出会い。
●今回の主役の一人、MISSY ELLIOTT はシンガーを夢見て N.Y. に出て、JODECI のサウンドメーカー DEVANTE SWING のレーベルでR&Bユニットを作ってた。ところがせっかくのデビューも周辺のごたごたに紛れて中途半端なものに。しかしソングライティングの腕は認められて、裏方仕事にまわることになる。そんな中出会ったのが同郷で同い年のサウンドメーカー TIMBALAND だった。


AALIYAH「ONE IN A MILLION」

二人が一緒に手がけた大仕事が、AALIYAH のセカンドアルバム「ONE IN A MILLION」1996年だ。
AALIYAH は15歳の若さで R. KELLY がフックアップして、ヒップホップソウルの初期古典となる「AGE AIN'T NOTHING BUT A NUMBER」1994年でデビューしたオンナノコだ。その15歳の娘と R.KELLY 結婚しようとして自分のロリコン癖を世間に晒すことになる。まとにかく若くしてそこまで完璧な超美人さんであった彼女のアダルティな部分をより伸ばすのがセカンドアルバムの使命。そこで半分の詞曲が MISSY & TINBALAND の二人に任された。AALIYAH の背伸びしたコムスメイメージは払拭され、二人は一躍業界注目の存在となった。


さて、ここで意気投合した二人の共同作業が始まる。二人三脚で制作する MISSY のソロアルバムだ。


MISSY ELLIOTT「SUPA DUPA FLY」

「SUPA DUPA FLY」1996年
「アタイの足の裏のニオイを嗅ぎな!」といきなり姉御ップリ重量級貫禄でスニーカーの底を見せつける MISSY のファーストソロ。当時の耳で聴けば完全打ち込み主体のトラックは、恐ろしくチープで松田優作「なんじゃこりゃ!」と叫ぶくらいの衝撃だったはず……なはずだけど、今の耳で聴けば、実はその中に丁寧なファンクネスが織り込まれていて生々しい。
●ドロリとしたファンク沼にラップと歌唱を使い分ける彼女の深い声がブヨリと響く。ANN PEEBLES「I CAN'T STAND THE RAIN」のサビをネタ使いしてる所にサザンソウルへの明白な敬意が読める。あの名曲のヌカルミ具合を、打ち込み機材で再現してるんだからエラい!TIMBALAND が色んなトコロで口で「チキチキ…」言ってんだよな…。一方 MISSY「 ズィーズィーヤー」が決めゼリフぽい。


MISSY ELLIOTT「DA REAL WORLD」

「DA REAL WORLD」1999年
暗黒のフューチャーファンク路線、より闇が濃くなってまいりました…。エンハンスドCDで見られる「SHE'S A BITCH」のプロモがスゴい。あのムチムチっつーかブーデー(失礼!)な雰囲気のボディを、漆黒のエナメルボンテージスーツに包んで歌い踊る姿は、ハッキリ言ってジオン軍が誇る重モビルスーツ・ドムだね。そのままジェットストリームアタックを仕掛けてくれ。女性レゲエDJ、LADY SAW をフィーチャーした曲は、ダンスホールレゲエを突き抜けて近未来オリエンタルアジアまで貫通。デビュー直後の白い悪童 EMINEM AALIYAH、BEYONCE、南部の顔になる JUVENILE、B.G.、BIG BOI (OUTKAST) もゲストに迎えてる。


MISSY ELLIOTT「MISS E ...SO ADDICTIVE」

「MISS E ...SO ADDICTIVE」2001年
サイバー度が一気に上がります。後ろにガンダムハンマー、いやハイパーハンマーがあるもんね。そこにはまぎれもなく極太のエレクトロファンクがあるんだけど、ハッキリ言ってヒップホップなのか悩んでしまいます(これはリアルタイムで聴いたからスゲエ衝撃だった)。しかし躊躇なく未開の最辺境へ大気圏離脱のスピードで突き抜けていくこの猛女の勢いは誰も止められない。「これからみんなでメチャクチャ歌って騒ごう騒ごう」と一本調子の日本語コメントも飛び出しつつ、既存のヒップホップノリではメチャ踊りづらい変則ビートが炸裂。ビートの重心の位置が新しすぎるので、リズムキープの一番しやすいトコロが、彼女の淡々としたラップだったりする。


MISSY ELLIOTT「UNDER CONSTRUCTION」

「UNDER CONSTRUCTION」2002年
「ヒップホップは今だにまだ建設工事中なのよ。もっと進化しもっと高く評価されるべきものなの!ワタシにツイてらっしゃい!」ヒップホップの未来を切り開くエレクトロファンクの実験場が、国際宇宙ステーションにドッキングしました。っつー具合で姉御とティンバの反則ワザギリギリのトラック制作が続く。「GOSSIP FOLKS」「WORK IT」あたりがキてます。METHOD MAN の持ち歌を本人と一緒にプレイする「BRING THE PAIN」もワリと注目です。一方で結構キャッチーなビート処理やポップなR&Bテイストも。最後の曲「CAN YOU HEAR ME」はこの01年02年と相次いで事故死した AALIYAHTLCLISA 'LEFT-EYE' LOPEZ に捧げる涙チョチョ切れのバラードになってます。


MISSY ELLIOTT「THIS IS NOT A TEST」

「THIS IS NOT A TEST」2003年
「コレは訓練じゃないわよ!戦車でミッシーがやって来る!」まさしくリードシングル「PASS THE DUTCH」のビートは戦車だわ。客演に ELEPHANT MAN などジャマイカ勢を迎えダンスホールレゲエの気分も格納搭載。BEENIE MAN MONICAを迎えた「DON'T BE CRUEL」も高性能フューチャーファンクで一気にダンスホールレゲエへ変形するモビルアーマー仕様。さらにはR&Bっぽく歌い上げる MISSY も聴けるのです。あと、MISSY 痩せた?カネ稼いでエステに投入?


MISSY ELLIOTT「THE COOKBOOK」

「THE COOKBOOK」2005年
ココに来て、制作体制に変化が!TIMBALAND 制作曲はわずか2曲、その他の曲をセルフプロデュースしたり、外部トラックメーカーに委託したり。THE NEPTUNES RICH HARRISON、SCOTT STORCH などが招集されてるわ!曲調は確かにバラエティに富み、レトロなジャズシンガーを気取ったジャケのようにウタものも増えたし、オールドスクール、ミドルスクール、ヒップホップソウルなどヒップホップの歴史を懐古したようなギミックも多く登場する。ヒットシングルは「LOSE CONTROL」。N.Y.の煽り屋 FATMAN SCOOPクランクシーンから出てきた女性シンガー CIARA と合体。シンプルなエレクトロファンクだけど MISSY なりのクランク解釈だったりして。「ON & ON」で同郷の THE NEPTUNES TIMBALAND とはまた一味違うフューチャーファンクを展開。マイフェイバリットは RICH HARRISON 制作の「CAN'T STOP」だね。最高の爆発力でフロアを焼き尽くすクラスター爆弾。リリックの内容はスケベ過ぎて強烈ですけど。猛女はベッドも激しいのがお好きなようで。もしかして MISSY 流のハイフィーかも知れない「BAD MAN」ではジャマイカから VYBEZ CARTEL、イギリスから UKエイジアンの M.I.A. を招集。カリブ海&大西洋を超えたコラボで、最新のサウンドを常に見つめ続けている。


MISSY TIMBALAND は、ヴァージニアビーチのスタジオを拠点としつつも、もうN.Y.、LA、マイアミなどなど地域にとらわれない仕事の仕方をしてる。サンプル使用料が高騰してサンプリング工芸が困難になった1996年の「微妙スクール」。その中で、手持ちの機材でエレクトロファンクを創造し、打ち込みでもファンクを宿らせる事が出来るんだと証明したクリエイターが、MISSY と TIMBALAND。二人の名はヒップホップ史の中で永遠に語り継がれるでしょう。
「チキチキビート」と呼ばれた新開発のトラックは、極端に強調したスネアとハイハットがチキチキ言いまくってたから着いた蔑称みたいなモンだったけど、太いベースと人間には叩けない高密度のチキチキは、実はUKのドラムンベースと共通する特徴なんだよね。そして単純な四ツ打ちループフォーマットを根底から覆して変則トラックを導入、ヒップホップのトラック観をより拡大した。
●彼らのビートはチープだと言われたが、今聴けばスゴくファットで分厚い。今のサウス系ヒップホップ、スナップ系とかを聴くとまるで雲泥の差。でも彼らのマイナスの美学、ドコまでビートをチープにできるかという実験はココから始まったのでしょう。

●サウス系ヒップホップの拠点はまだまだ沢山あるので、今後他の街も順次チェックします。


最近色々なテレビ番組がエコ特集を組むので、息子ノマドが立派に感化された。
●飲み終えたペットボトルをボクに渡して「パパ!これにムギチャいれてつかってね!エコだから!」だそうだ。なので今日から麦茶を自分で入れてカバンに入れている。最初は重いが、飲み干せば軽くなる。

エコボトル



サウス系ヒップホップの重要都市、アトランタ。
アトランタと言えば?1996年にオリンピックがあったよね。あと、CNNコカコーラの本社がある。でも実はそんなにデカイ街じゃない。アトランタ市単体では48万人程度。郊外周辺地域を含めると500万人くらいの都市圏を形成する。無理矢理日本に当てはめると……千葉県の人口が600万人弱、その中の市川市が47万人ほど。イメージつく?
●しかしアメリカ南東部を代表する都市であるアトランタには独自の音楽シーンがあった。今日はちょっとソレを覗き見する。

アトランタの有名なヒップホップアクトで、早くに有名になったのは、3人組のオンナノコ TLC だ。


Ooooooohhh...On the TLC TipOoooooohhh...On the TLC Tip
(1992/02/25)
TLC

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TLC「OOOOOOOHHH... ON THE TLC TIP」
1992年
●女性がラップする事自体は多くの前例があるが、1992年段階で、彼女たちほどの大きな商業的成功を上げた娘はいなかったと思う。メインボーカルの T-BOZ、ラップとリリック担当の LEFT-EYE、コーラスの CHILLI、当時二十歳そこそこだった彼女達をフックアップしたのは、LAFACE RECORDS だ。ANTONIO 'LA' RAIDKENNETH 'BABYFACE' EDMONDS が二人のニックネームを文字って名付けられたレーベルは、1989年に設立されたばかりだった。二人はすでに業界の中で実績のあるプロデューサー/ソングライターであったし、その後の活躍も目覚ましい。BABYFACE BOBBY BROWN への詞曲提供でニュージャックスウィングの成立に大きく寄与したし、その後ソロアーティストとしても活躍する。LA REID TONI BRAXTON USHER が世に出るのを手伝っている。
●ほどよいR&B感覚とラップ、カジュアルなファッション(コンドームをアクセサリーに使う)は注目を集めたし、ボーイフレンドの家に火をつけるなどのヤンチャぶりも話題を呼んだ。LEFT-EYE のストレートなパッツン前髪は、当時大学生だったボクのクラスメート、シンガポーリアンの留学生リムさんと同じだったので、是非彼女に「キミの髪型は TLC の LEFT-EYE にそっくりだよ」と伝えたかったのだが、結局言わずじまいだった。今週112円で買った彼女たちのファーストアルバムのジャケットを見て久しぶりにその事を思い出して悔しくなった。LEFT-EYE はソロを一枚出した後交通事故で死んじゃうから、今リムさんに会ってこの話題を出しても全然盛り上がらないだろう。そしてリムさんもいい加減にヘアスタイルを変えているだろう。

まーそんなことはどうでもいい、このCDのクレジットをよーく見てみる。
●エクゼクティヴプロデューサーは、そのまんま LA REID & BABYFACE だ。彼ら自身も楽曲を提供している。注目はその後のアトランタで大活躍する若きプロデューサーの名前がもう登場している事だ。DALLAS AUSTIN JERMAINE DUPRI だ。DALLAS AUSTIN は半分近く手をつけているぞ。それぞれニュージャックスウィングなトラックをカマしてきている。アトランタの若き才能は92年段階ですでに稼働準備オッケーだったってわけだ。
●一方時代の過渡期だったんだなーと思わすのが、2曲のトラックを手がけているのがミドルスクール期の大トラックメーカーで JUICE CREW 総帥の MARLEY MARL。ミドル大好物のボクとしてはウレシいッス。彼っぽくないシンセループも導入した新味を見つける事が出来る。


FanMailFanMail
(1999/02/23)
TLC

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TLC「FANMAIL」1999年
●さてさて時は流れて3RDアルバム。制作体制は LAFACE の二人と DALLAS AUSTIN がメイン。DALLAS は メンバーの CHILLI(一番おっとりさん)に1997年子供を生ませちゃった。コラ!商品に手を付けたな!アルバムはバカ売れで全世界で1000万枚売れる。ヒットシングルは「NO SCRUB」とか。聴いた事あると思う。聴いた事なくても特に損もしないけど。ぼくは100円で買ったから、聴きたい人は冷えたエビアンを一本我慢すればイイ。
●ポイントとして押さえたいのが、一曲だけ JIMMY JAM & TERRY LEWIS が制作を手がけていることだ。JAM & LEWIS として知られる鉄壁のプロデュースチームは、元を正せば PRINCE 一派からはぐれた脱走兵だが、その後 JANET JACKSON を20年近くプロデュースし続けたR&Bの達人だ。


DALLAS AUSTIN と JAM & LEWIS には一つの共通項がある。日本人アーティストをプロデュースしてることだ。
DALLAS AUSTIN安室奈美恵「SOMETHING 'BOUT THE KISS」1999年を手がけてる。レコーディング中に TLC CHILLI が突如スタジオに遊びにきて、言葉も通じないのに一緒にトランプして過ごしたと、安室ちゃんはテレビ番組のトークで語ってた。CHILLI はメチャイイ人だったそうだ。
●一方 JAM & LEWIS が手がけたのが宇多田ヒカルだ。「ADDECTED TO YOU」1999年と「WAIT & SEE ~リスク~」2000年を手がけている。後者は超高性能なR&Bだ。「AUTOMATIC」の退屈なトラックからは、ネアンデルタール人がホモサピエンスに進化したくらいに激変したし、ボクはココから宇多田に超ハマった。JAM & LEWIS のおかげか翌年 JANET JACKSON が来日時「ヒカルウタダは知ってるわ。スゴい娘だって聞いてる」と会見で発言してた。
●この事は、2000年前後という時代に、ジェイポップの成熟が臨界点を迎えたことを意味していると思う。海外クリエーターを導入してジェイポップは更に進化しようとした。洋楽的な邦楽ではなく、洋楽と変わらない邦楽になろうとしたのかもしれない。

ExodusExodus
(2004/10/05)
Utada

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●しかし、その幻想は、宇多田ヒカル改め UTADA アメリカ進出失敗で破られた。「EXODUS」2004年は日本でこそキチンと売れたけど、アメリカではボチボチだった。その後の宇多田ヒカルはR&B路線から自由になって、邦楽に接近した曲作りを始めた。UTADA が成功してたらジェイポップはどんな風になってたろう?
●この「EXODUS」の制作を務めたのも、アトランタの重要人物だ。彼の名を忘れて20世紀末のヒップホップは語れない。UTADA の制作体制はホンモノだったんだ。その男の名は TIMBALAND。今もって最前線のシーンで活躍するアトランタの顔役だ。彼は、MISSY ELLIOTT という希代のパフォーマーを得て、20世紀末からのシーンで大暴れする。次回はこの男と MISSY に焦点を絞ってアトランタの音楽を考えてみたい。

ちなみに、その後の TLC を。
●2002年 LEFT-EYE はホンジュラスでパジェロを運転中に自損事故を起こし命を落とす。メンバー達は残された音源を用いてラストアルバム「3D」を発表。 TIMBALAND、MISSY ELLIOTT、THE NEPTUNES、そしてやはり宇多田ヒカルの楽曲「FOR YOU」をプロデュースしたNYのプロデューサー RODNEY JERKINS が制作に参加した。そして2003年実質上の活動を休止した。

マリモも光合成するほどのいい天気。表面に酸素の泡粒が見えるでしょ。ボクのコンディションは良好。

まりも


●フラリと徒歩で散歩にでる。花ってよく見ると不思議だな。ジックリ見れば見るほどちゃんと生き物っぽいチカラ強さがある。花びらに花粉をイッパイブチまいたこの花。生殖への生々しい欲望を目一杯にさらけ出してる。夏が来るんだな…。


花粉いっぱい



●今日はシモキタザワの街をブラリと散歩。今年の夏のキャップとサンダルをセールで調達。CD屋を巡りビデオ屋に寄り、カフェのオープンテラスでゆっくり読書をして過ごす。まあ、お決まりの休日だ。


オープンテラスで日光を浴びながら、iPod で聴いてたのはゴスペルだ。コンテンポラリーゴズペル。
KIRK FRANKLIN という男がいる。90年代から活動し、ヒップホップやR&Bの要素を大胆にゴスペルの世界に取り入れた、現代ゴスペルの革新者だ。
●テキサス生まれだが、母親は彼を育てられず大叔母に預けられる。大叔母は彼にピアノのレッスンを受けさせるためにアルミ缶拾いをして金を集めたという。そうやって音楽の素養を培った KIRK は、11歳で教会のゴスペル合唱団の指揮者を務めるほどになった。
●そんな天才少年もティーンエイジャーになると、ガールフレンドを妊娠させたりと素行が荒れて学校は退学。だが友人が射殺されるという事件をキッカケに、もう一度教会へ戻り、自分のゴスペルを作るに至るのだ。


KIRK FRANKLIN  THE FAMILY「WHATCHA LOOKIN 4」

KIRK FRANKLIN & THE FAMILY「WHATCHA LOOKIN' 4」1996年
KIRK はこの THE FAMILY という17人のクワイア(ゴスペル合唱団)を従えて1993年にデビュー。これはその THE FAMILY との名義で出した三枚目。デビュー作でミリオンヒット、この三枚目はダブルプラチナ。グラミー賞のゴスペル部門の常連になる。
●このCDは、ダラスにある本物の教会でライブ録音されてる。17人のクワイアのパワフルで分厚い声のカタマリ、観衆の盛り上がり、ファンキーなバンドパフォーマンス、まずはそれに圧倒される。KIRK 自身は決して常にセンターに立つ訳じゃなく、彼が1人でリードを握るのは2曲程度。でも楽曲はみんな彼の詞曲、THE FAMILY のパワフルなシンガーたちにリードボーカルをどんどん任せ、会場全体の進行をコントロールしグングン牽引していく立場に立つ。バンドとクワイアと観衆の中央に立ち、渦を巻き起こすかのような立ち振る舞い。その場の一体感と熱狂をドンドン煽り立てていく。コレが素晴らしい。意味は分かんないんだけど徹頭徹尾キリスト教の歌なんだね。「I LOVE YOU JESUS」「WHEN I THINK ABOUT JESUS」「JESUS PAID IT ALL」ガンガンにジーザスだよ。


KIRK FRANKLINS NU NATION「GOD PROPERTY」

KIRK FRANKLIN'S NU NATION「GOD' PROPERTY」1997年
●コッチではよりヒップホップに接近したアプローチが楽しめる。一曲目「STOMP」 FUNKADELIC「ONE NATION UNDER A GROOVE」をネタにして、女性ラップデュオ SALT 'N' PEPA CHERYL ' SALT' JAMES をフィーチャーしてる。ALLEN TOUSSAINT をネタにした曲もあり。モチロン大人数クワイアの分厚い音の壁を背負って、突き進むはまるでニュージャックスウィングのよう。今度のクワイア GOD' PROSPERTY は50人以上の大部隊。スタジオ録音だけど迫力は以前よりましてます。


KIRK FRAKNLIN「THE NU NATION PROJECT」

KIRK FRAKNLIN「THE NU NATION PROJECT」1998年
●ここでとうとう、ソロ名義になる KIRK。より柔軟な枠組みで楽曲に取り組む体制を整える。様々なクワイア、シンガーと自由に組んで楽曲制作をする状況が出来た。
●その結果の注目コラボが「LEAN ON ME」。フィーチャーボーカルが、R. KELLY、MARY J. BLIGE、BONO (U2)!クワイアに THE FAMILY を配置。全員が大迫力の声の持ち主、もはやボーカルのバトルロイヤル。ミドルのオーソドックスなゴスペルだけど、テンションが高過ぎる。さすがの BONO がヒキ気味っつーほど。
「REVOLUTION」では大胆なヒップホップソウル導入。あのアトランタの一流プロデューサー RODNEY JARKINSTLC から 宇多田ヒカルまで手がけてる)がトラック制作&ラップまで披露。クワイアは 1NC (ONE NATION CREW)。今回はクワイアも色々なチームを使い分けてる。「GONNA BE A LOVELY DAY」は、あの BILL WITHERS のカバー。KIRK はちょっぴりラップも披露。これもグッとクル。


KIRK FRANKLIN「THE REBIRTH OF KIRK FRANKLIN」

KIRK FRANKLIN「THE REBIRTH OF KIRK FRANKLIN」2002年
●コレもベースは教会でのライブ録音。これをスタジオでオーバーダブして仕上げた作品。クワイアの迫力を一番有効に収録するのに教会は最高の環境に出来ているのか。フィーチャーシンガーは完全にゴスペル界の人ばかりで全然分からない。でも主役はやっぱりクワイア。今回は THE VOICE OF LIFE というクワイア、30人以上。ソコで KIRK はまたしても巨大な渦を泣き起こす。
●隠しトラックには、DC TALK という白人3人組ボーカルグループの TOBYMAC という人物がフィーチャーされてる。このユニット、学生時代(15年近く前)にライブを見たことがある。渋谷山手教会でのライブってコトで珍しいと思い、バイト代も出ないのにサクラ役を務めにいった。彼らが教会でフリーライブなんてやったのは、クリスチャンミュージックの人だったからなんだ。今頃納得。ルックスはタダのアイドル風だったから全然気付かなかったよ。



最近は、宗教について思い切りアタマを使う場面があって、色々と悩まされたこともあった。
●宗教は個人的なレベルでは強い力を持つことがある。宗教には現世利益的な側面があり、多くの人々を惹き付けるが、客観的には非科学的でナンセンスだと思う。しかしだからといって無視する事は出来ない。非科学的だからこそ宗教は機能する。その権威と力には具体的根拠はない。あるとしたら天上とかどっか別の世界だ。だから宗教は、信仰行為を反復する事で主体的にその力を高める必要がある。その実践の深さ重さが個人の力として発現する事があるらしいのだ。
●だが、結局の所、ボクはそういう実践家にはなれないことがわかり、信仰に陶酔することができないと自覚した。信仰には有形無形の暴力が伴う。実践を他者に要求し、時にそれが不寛容になる。イスラム原理主義のテロリズム、アメリカキリスト教原理主義の保守右傾化(共和党員の議員には進化論を堂々と否定する人がいる)、民族主義と混じり合って闘争の火種になる。共産主義は宗教を否定弾圧したが、共産主義が宗教に成り代わろうとしただけでナニも変わらなかった。

「ローマ人の物語」の著者・塩野七生は、最近の新聞のインタビューで、ローマ帝国が繁栄したのは宗教的寛容の精神を持っていたからだと言っていた。広大な版図を支配しながらも、その土地土地の生活様式や信仰を認めて温存した。あの頑なユダヤ教徒にすら自治を認めた。政治的反乱に至らぬ限りは、ローマは各民族各宗教の問題に介入しなかった(反乱に至る場合は容赦しないのもローマのやり方だが)。それは、ローマ人が元来多神教の民族だったからだ。ローマ人にしてみれば、外来の新しい神が増えた所でそれ以上の関心はないのだ。その意味で今のアメリカは「帝国」たりえていない。一神教を奉じ、他の価値観との共存を認めないからだ。


P.R.ハーツ「神道」

P.R.ハーツ「神道」
●この本は、日本の土着宗教「神道」をアメリカ人のルポライターが解説したモノだ。我々になじみ深い「神道」が外国から見るとこう見えるのか!という新鮮な視点を面白がる事が出来る。「古事記」「日本書紀」から日本民族の成り立ちを説明し、八百万の神というほどの多神教文化を形成したことを簡単に説明している。日本はローマと同じく多神教文化を持っている。その後の外来宗教である仏教をも神道は取り込み、長い年月をかけてドッキングを果たし不可分の状態にまで至った。一神教であるキリスト教はこの日本文化に馴染む事ができなかったが。
●しかし明治政府は神道を国歌宗教として新政府の民衆支配に利用した。これが第二次世界大戦が終わるまで続く。天皇を頂上に抱く支配のイデオロギーだ。不寛容は悲劇を生む。この国家神道が極端なナショナリズムと結びついて大きな戦争が起こった。これが宗教が社会に及ぼす危うげな側面。結局ボクがある固定の宗教の実践家になれないのは、どうしてもこうした問題に対する躊躇があるからだ。個人の生きる知恵であるはずの宗教が、組織化すると巨大な不寛容の怪物になる。

●クリスマスがくればケーキを買いプレゼントを交換する、正月には初詣で神社へ、仏教はお葬式の時だけ、結婚式も好きなスタイルで。お宮参りも七五三は大事な儀式だ。占いは占星術から姓名判断、風水までなんでもござれ。それが日本人の節操のナイ宗教観だ。それは歴史的必然があって至った状況で、悪い事じゃない。多様な価値観の並立を素朴に受け止めるのは希有な才能だ。アメリカ人著者の視点から、その意味の重さを知った。このスタイルはこのスタイルで偉大な状況なのだ。
●そして、その意味では、ボクは日本的無節操な宗教観のイデオロギーの影響下にいる事もわかった。どの宗教からも適当な距離を置いているが、信仰を全て否定するニヒリストではないコトがわかった。こうした日本の豊かな宗教観に淡い敬意を抱いている。


島田裕巳「日本の10大新宗教」

島田裕巳「日本の10大新宗教」
●幕末から戦後にかけて、日本にも新しい宗教がいくつも起こった。オウムのような極端なカルトではない。天理教、PL教団、生長の家、立正佼正会、真光系教団、創価学会……。従来の檀家仏教や既存宗教が機能不全を起こす中で、都市化核家庭化などの現代生活に即した信仰形態を模索してきた人々だ。それぞれに興味深い起源があり、人心を集める魅力があるコトを理解した。
●先日の新聞には、90%近くの寺院が、地方の過疎化からの檀家減少や「ジミ葬」の流行で深刻な経済的窮乏に追い込まれているとの話題が掲載されていた。インターネットでお賽銭を集めるサイトを作った神社が新聞で叩かれた事もあったっけ。多くの新宗教も、世代を経てカリスマを失うと信者を減らしていく傾向があるという。でもこれは世俗組織の問題で、個人の信仰の問題とは関係ない。信仰が内面化していくのは時代の流れなんでしょう。



この前、銀座を歩いていたら、小さな小さなお稲荷さんを見つけた。


銀座のお稲荷


●良く見るとコンパクトながら神社の体裁をちゃんと整えている。「お稲荷」とは字の如く、稲の神様で米の収穫を祈る対象なのだ。両サイドにはキツネの置物が。


銀座のお稲荷2


●仏教建築には悪を追い払うために怒りの表情を表した守護者が一対のペアをなして立っている。阿吽の像だ。神道もこの習慣を導入して境内を守護する動物を配置する。最も一般的なのは雌雄一対の獅子または犬だという。…つまり「狛犬」のことね。アメリカ人って細かく説明してくれるんだよ。稲荷神社では、稲の神様に付き添ってるのはキツネと考えられているので、狛犬じゃなくてキツネがいる。なぜキツネが油揚げが好きなのか、は言及がなかった。多分著者のアメリカ人は油揚げを知らなかったんだろう。

●ボクは素朴な気持ちから100円玉を賽銭箱に放り込み、パンパンとテを叩いた。それが自然だからだ。特にお願いごとはしなかった。思いつかなかったから。

●体調は絶不調でもグダグダしてるだけって訳にはいかない。頭痛はコワくてコワくてしょうがないけど。あの頭痛地獄で仕事ができなくなったんだもの…。着々と次の手を打つしかないでしょ。


息子ノマドに手紙。

ゆうまくん

●幼稚園のクラスメートだったのだけど、小学校は別々になってしまった友達ユウマくんから手紙が来た。ユウマくんはノマドと同じ図鑑マニアな文系少年で、お互いシャイなあまり、幼稚園時代にはあまり接点がなかったのだか、最終的に意気投合。小学校になってもノマドのことを忘れないでいてくれて、「あそぼう!」と手紙を送ってくれた。ノマド、なにげに友達に恵まれている。

一方ヒヨコは、公文教室で、ノマドの今のクラスメートに会ったらしい。
リュウくんという名前だけで、ノマドの会話に出てくる子と察知して、一方的に話しかけたという。「リュウくんはね、ヒヨコがノマドのイモウトだってしらなかったよ」そりゃ知らないだろ。オマエだってカオ知らないでよく話しかけるなあ。いわゆる逆ナンじゃん。この社交力はどこから出て来るんだろう。
●近所の黒い大型犬プーちゃんも、ヒヨコのお友達に一方的に認定されました。「プーちゃん!プーちゃん!コンニチワ!」自転車でプーちゃんの家を通り過ぎたり、踏切で出くわしたら一方的に話しかける。飼い主さんは全然面識ないし、もう先方も苦笑いするだけ。
●ヒヨコには、人間や動物だけではなく、妖精さんの友達もいる。ある雨の日。「きょうはアメプチちゃんのうんどうかいだね!オトコのコもオンナのコもいっぱいだよ!」




サザンオールスターズ、無期活動休止になっちゃいましたね…。
●勝手に「サザンオールスターズ再聴」キャンペーンというモノをやって過去の音源をつぶさに聴いてきたのですが、まさかその途中でサザンが活動を休むっつーのは想定外でありました。……すでに過去6回にわたってサザン&桑田佳祐の音源を聴いてきたのですが、まだ道半ば、ボクはまだ1995年~2000年あたりをウロチョロしているのです。

過去の関連記事はこちらに。
 「サザン再聴、その6」http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080327.html
 「サザン再聴、その5」http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080317.html
 「サザン再聴、その4」http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071214.html
 「サザン再聴、その3」http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071206.html
 「サザン再聴、その2」http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20070802.html
 「サザン再聴、その1」http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-69.html


ボクはサザンの変遷を時期に区切って考えてます。
 ・第一期:1978年~1982年 バンドデビューから、異形のバンドとして立場を作った時代
 ・第二期:1982年~1986年 デジタル楽器を導入してサザンサウンドを確立する時代
 ・第三期:1986年~1989年 KUWATA BAND、初のクワタソロの時代
 ・第四期:1989年~1995年 復活サザン、小林武史とのコラボ時代、クワタセカンドソロ
 ・第五期:1995年~2000年 サザン、商業的には絶頂期……でも…?
 ・第六期:2000年~2008年 クワタソロ活発化、そして大作「キラーストリート」…。

●うーん、ボクは、この第五期の取り扱いに正直苦しんでいるんですね。どう評価したらいいモノか?イイ悪いが極端で…、活動休止の遠因もこの時期にあるんじゃないかと思ってしまうのです。今回も中山康樹「クワタを聴け!」を副読本に、悩みながら聴き進めようと思います。

クワタを聴け!



「YOUNG LOVE」1996年
サザン12枚目のアルバム。このジャケットを見たときはテンション上がりましたわ!今日はジャケ大写しで見て下さい。メンバーのコスプレをよーく見て下さいね。

サザンオールスターズ「YOUNG LOVE」

●まず桑田佳祐のポーズ。これ BOB DYLAN「NASHVILLE SKYLINE」1969年のジャケのマネ。ディランがアメリカのルーツ、特にカントリーに注目した頃の作品です。ギターを持ち帽子をあげてる所が一緒でしょ。

BOB DYLAN「NASHVILLE SKYLINE」

BOB DYLAN「NASHVILLE SKYLINE」

●手前を歩くギター大森のポーズは、THE BEATLES「ABBY ROAD」1969年のマネかな。横断歩道を渡るように大股に歩く大森、白い服は JOHN LENNON、裸足は PAUL McCARTNEY を連想させる。

ビートルズのラストアルバムとなった「ABBY ROAD」

THE BEATLES「ABBY ROAD」

●ベースのムクさん/関口は、THE BEATLES「SGT. PEPPER'S LONELY HEART CLUB BAND」1967年のコスプレだね。

THE BEATLES「SGT. PEPPERS LONELY HEART CLUB BAND」

THE BEATLES「SGT. PEPPER'S LONELY HEART CLUB BAND」

●となりでヘンなトンガリ帽子を被ってるドラム松田弘は、THE ROLLING STONES「SATANIC MAJESTIES」1967年の MICK JAGGER コスプレだ。

THE ROLLING STONES「SATANIC MAJESTIES」

THE ROLLING STONES「SATANIC MAJESTIES」

●ロバを従えて、ギターとともにジャンプしてるケガニ野沢も、THE ROLLING STONES のライブ盤「GET YER YA-YA'S OUT !」1970年の CHARLIE WATTS を完全にマネしてる。これ一番目立たないけど、一番のソックリ大賞。

THE ROLLING STONES のライブ盤「GET YER YA-YAS OUT !」

THE ROLLING STONES「GET YER YA-YA'S OUT !」

原由子のフリフリ純白スカートと白帽子、そして空を仰ぎ見るポースは… IT'S A BEAUTIFUL DAY「IT'S A BEAUTIFUL DAY」1969年のジャケのマネ。サンフランシスコのフラワームーブメントを象徴する一枚っす。

 ITS A BEAUTIFUL DAY「ITS A BEAUTIFUL DAY」

IT'S A BEAUTIFUL DAY「IT'S A BEAUTIFUL DAY」

●背景で炎上する飛行船は、言わずもがな LED ZEPPELINのファースト「LED ZEPPELIN」1969年でしょ。これ明らか。

 LED ZEPPELINのファースト「LED ZEPPELIN」

LED ZEPPELIN「LED ZEPPELIN」

●残念ながら後ろの建物の意味だけ分からない…。知ってる人いたら教えて下さい。一階テラスに赤いシャツの人がちょこっと立ってるのが気になるんだよなあ。
でもさ、ジャケだけでこんだけワクワクできるって素晴らしいと思うでしょ!コレはリアルタイムで買ったし、その瞬間からこりゃ中身も最高だぞ!って確信できた。ボクがサザンを好きでいる理由は、こんな風にハズカシいほど露骨に自分たちの憧れ、自分たちのルーツである欧米のロックへの憧憬を表明する所なんだ。サザンのアルバムでどれが一番優れているかという議論は色々あるけど、ボクが一番好きなアルバムはこれ「YOUNG LOVE」なんです!

●80年代のファーストソロから90年代の前半全てを共に活動してきたプロデューサー小林武史の姿はココにはいない。「もう一人のサザン」とも言うべき存在感だったのに、ココで決別したのはなぜだろう。それは謎のママだが、サザンが初心回帰/ルーツ回帰(ジャケでもうビシビシ伝わるでしょ)、セルフプロデュースで心機一転しようという意気込みが感じられる。内容はスゴくプログレッシヴにもなってる。このアルバムは侮れないよ。


●まず一曲目からシビれる。「胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ」。LED ZEPPELIN の名曲「WHOLE LOTTA LOVE」の邦題が「胸いっぱいの愛を」でしょ。ジャケでも飛行船燃えてるし、聴く前から期待たっぷり。そしたらね、サザン版 THE BEATLES「SGT.PEPPERS LONELY HEART CLUB BAND」または「MAGICAL MYSTERY TOUR」なんですよ。もちろん90年代ポップスの要件は全て網羅した上で、完璧なオマージュになってる。アルバムの冒頭を飾るにふさわしい、勇ましいギターサウンドに摩訶不思議アレンジ。意味はあるかないかワケ分からん歌詞だけど、痛快なリフにシックリハマって、そのままクワタ裏声ファルセットのサビへ!そんでぐるりと展開するCメロへ、そしてサビへサビへサビへ!

●3曲目でシングルにもなった「愛の言霊 ~SPIRITUAL MESSAGE~」は、ある意味最高のプログレッシブサザン!サザンというバンドの収穫を全て投入しながら、全然別のステージに突入した楽曲。シングルとして高機能ジェイポップの役割を果たしながら、かなり革新的なアイディアを盛り込んでます。スゴいです。一回程度聴いただけでは全然意識しませんが、これは90年代ダンスミュージックへのサザンなりの回答です。
●実はトラックはかなり硬質なエレクトロファンク、太い4ツ打ちが腹に響きます。ソコに、実に抑制されたクワタの声、ココで彼はシャウトを敢えて封印。メロディに起伏はなく、その代わりにスゴい情報量の上モノを乗っけてる。ダブ処理の深く施された金管楽器やヴィブラフォン、スクラッチ、狙いでチープなシンセリフ、間奏にはエレピソロからインドネシア語のラップ、ミュートトランペットとクワタのユニゾンスキャット。そのキャバレージャズノリからまた、四ツ打ちに復帰。和風めいた言葉選びはクワタの常套手段だが、サビの歌詞はこの頃には意味が解体されてて、「言霊」というタイトルの通り、神社で祈祷される祝詞のように意味の分からない謎の呪文に成り果てる。なんてスリリングな曲だろう。そして大変にプログレッシブなのだ。音楽的には90年代サザンの頂点がココにあります。

●他にもシングル曲はあるけど、サザンのアルバムは重箱の隅をつついて、クワタの遊び心に付き合って笑うのがお行儀。6曲目では、ソロ「孤独の太陽」で確立したトーキングブルーススタイルBOB DYLAN ごっこを展開。ピリリと皮肉を利かせた歌詞を聴き取り不能寸前のスピードで弾き出す。このトーキングブルースでヒップホップをやるのはいいアイディアだと思うけどな。誰かやんないかな?
●9曲目「マリワナ伯爵」ではテコテコした打ち込みビートで70年代末ディスコファンクを再現。切れ込むホーンもシンセで作ったストリングスアレンジもチープでお遊び感満点。歌詞はやっぱり特に意味なし。
●10曲目「愛無き愛児(まなご)~BEFORE THE STORM~」は透明感なるバラードと見せかけて、キャバレージャズぽくグラリと足取りを崩してみたり、サイケに展開してみせようかとして不発したりと、アイディアはあってもカラぶった感じ。
●一方で次の「恋のジャックナイフ」サザン王道のアゲアゲロックチューン。シンセ武装で突進する「怪物君の空」「死体置場でロマンスを」的な系譜の中にある楽曲の90年代版。アレンジはよりカラフルになってます。
「SOUL BOMBER(21世紀の精神破壊魔)」は、KING CRIMSON 1969年の超名曲「21世紀の精神異常者(原題:21ST CENTURY SCHIZOID MAN)」をどうしても連想するけど、さすがにこの大曲とガブリ四つで組むのは無理と、サラリとかわしてしまった印象。原曲みたいな本物の狂気と底意地の悪さ は、サザン&クワタには似合わない。踏ん張ったロックにはなってるけどね。
●そんでシメはバラード「心を込めて花束を」。この曲の流麗なオーケストラアレンジは、昭和歌謡の巨匠・宮川泰ザ・ピーナッツを育て、「宇宙戦艦ヤマト」から「ズームイン!!朝!」&「ズームイン!! SUPER」のテーマ曲まで手掛けた男。昭和歌謡のエッセンスをタップリ吸い込んで育ったクワタにとって、まさに「心を込めて花束を」贈りたい人が宮川泰その人だったはず。歌詞は結婚する子供から父母へのお礼ソングだけど、大衆歌謡の歴史を受け継ぐ師弟愛にも聴こえてくる。宮川泰は2006年に亡くなる。クワタとの最初で最後のコラボ。


この「YOUNG LOVE」周辺時期のシングル曲。

「マンピーのG★SPOT / メリージェーンと琢磨仁」

「マンピーのG★SPOT / メリージェーンと琢磨仁」1995年
●アルバムに先行してリリースされたイケイケチューン。結構ヒットした印象はあったのにアルバム収録はされなかったんですね。タイトルがコレまたキツいワルフザケ。桑田佳祐一流のお下劣意味なしソング、でもなぜかヘルシーに聴こえるロック。歌詞をよく聴くと「芥川龍之介をスライを聴いて『お歌が上手』とほざいたと言う」とか言ってる。サザンの曲は意味とか考えずに全部勢いとグルーヴと夏祭りのテンションで楽しむのが正解なんですね。
●カップリング曲も完全に意味分かんないタイトル。琢磨仁って誰だよ?正解は KUWATA BANDのパーカッショニスト。でもこの曲に参加してるわけでもない。元湘南ボーイのオッサンが、サザン流ファンクでダンスでバンプでハッスルする感じの曲。結局このシングルは前アルバム「万葉の~」の流れの延長なんだよね。
「あなただけを~SUMMER HEARTBREAK~ / LOVE KOREA」
●「あなただけを~SUMMER HEARTBREAK~ / LOVE KOREA」1995年
●歌詞に出てくる「キョッポ」ってのは韓国語で「僑胞」、つまりは在外韓国人のことを差す言葉。在日韓国人も「キョッポ」って言われる。
●韓国出張で付け焼き刃の韓国語でタクシーの運転手さんと必死にコミュニケーションしてたら「あんたらキョッポか?」と言われた。「キョッポ?…ボクらはイルボンサラムンイッソヨ(日本人です)」運転手さんは「ふーん、へんな韓国語を一生懸命しゃべろうとしてるからキョッポかと思った。キョッポは日本に住んでる韓国人」つーか運転手さん、日本語しゃべれるんじゃん。このウタは、そんな在日韓国人の故郷によせる思いを、陽気にゲイシャフジヤマ的な韓国語をまき散らして歌ったもの。オモニ、アボジ、チョゴリ、キョッポ、アンニョンハセヨ、ゲンチャンナヨ!

「太陽は罪な奴 / 君に贈る LOVE SONG」

●「太陽は罪な奴 / 君に贈る LOVE SONG」1996年
「君に贈る LOVE SONG」は作詞作曲リードボーカルをドラム松田弘が担当。これが意外とイイ。チャカポコギターがファンキーに色添えするメローグルーヴに、さっぱり透明感のヒロシの声。フルートやブラス隊のアレンジも巧妙で楽しく聴けちゃう。今までクワタ以外の曲にあまり興味持てなかったんだけど、ここで初めてイイ感じじゃんと思えた。十分フリーソウルじゃん。




そんで、サザン最大の問題作、うーん、踏み込んで言っちゃえ!最大の失敗作アルバムが登場する。

「さくら」1998年

「さくら」1998年
●さっきの「YOUNG LOVE」と同じだけど、サザンのアルバムでどれが一番劣ってるかという議論は色々あるけど、それを抜きにして、このアルバムがボクは一番好きになれないのです。サザンは様々な過去の音楽(洋楽&邦楽)をイイ意味でパロディ化してそれをジェイポップにしてきたバンドだか、結成20年目にして、とうとう自分の音楽をパロディ化してきたようなのだ。サザンによる<サザン再生産。サザンはフォロワーを生まなかったほどの強烈な個性を持つバンドだが、サザン自身がサザンのフォロワーになってしまった感が漂うのだ。

●一曲目は必ずビターなギターロックから入るのがサザンのありがちな行動パターンの一つだが、今回の「NO-NO-YEAH / GO-GO-YEAH」はその中でも最もハードなブギーロックになってる。90年代的に言えば遅めのグランジってくらい。これは非サザン的な取り組みでよかったと思う。
●でも2曲目は印象にも残らず、三曲目「マイ フェラ レディ」はラテンジャズ歌謡のパクリ大作戦、しかもスペイン語を空耳っぽくもじったダジャレ猥談イミなしリリック。「俺と寝ろ 我 雑踏に消えろ 舌の根を勃て舐めくわえろ…」このアプローチもやり尽くしてないでしょうか…。
●シングル曲が2つ。「LOVE AFFAIR~秘密のデート~」フィルスペクター風アレンジだけど、もうオナカイッパイのサザン王道パターン。「BLUE HEAVEN」ビーチボーイズ張りのハーモニーが新味だけど派手さにはかける。この次の「唐人物語(ラシャメンのうた)」ハラボーボーカルで一服の清涼剤。これは気持ちイイ。
●で、ぶっちゃけもうココからが長い…。はやく終わってくれ。曲が多過ぎる。「湘南SEPTEMBER」サザンの自己イメージを自動複写したようなミドルバラード、「PARADISE」も90年代にやり尽くしたサザン型ファンクの一ヴァーション。「私の世紀末カルテ」ではあれだけ日本型フォークに批判的だったクワタが、ギター一本でダラダラ四畳半フォークをする。続いてサザン型歌謡曲「SAUDADE~真冬の蜃気楼~」ハワイアン昭和歌謡「SEA SIDE WOMAN BLUES」などなどナカナカ終わってくれない。

●この「さくら」の制作には2年以上の時間がかかったという。そして次作「KILLER STREET」発表まで7年かかる。サザンは、この時期煮詰まっていたんだ思う。サザン活動休止の前触れはココに始まっていたのでは? だって次まで7年も間が空いてるってだけでももう本来は異常事態だよ。そしてファンがサザンに求めているモノが固まってきちゃって、自己革新が出来なくなってきてた…。


この「さくら」周辺時期のシングル曲など。

「01MESSENGER~電子狂の詩(うた)/ SEA SIDE WOMAN BLUES」
●「01MESSENGER~電子狂の詩(うた)/ SEA SIDE WOMAN BLUES」1997年
●リード曲は、アルバム「さくら」以前にリリースされたモノだが、この曲はアルバムでは大胆に改造されて「(The Return of) 01MESSENGER~電子狂の詩(うた)~ (Album Version)」として収録された。テクノっぽい着想から出発してるみたいだけど、シングルバージョンはかなり立派にギターロックになってる。一方アルバムバーションは、ドラムンベースなリズムや目まぐるしいシンセアレンジまで導入してるけど、やっぱりギターロック。アレコレ一杯工夫してます。出来は、うーんと、ドッコイドッコイです。

「BLUE HEAVEN / 世界の屋根を撃つ雨のリズム」

●「BLUE HEAVEN / 世界の屋根を撃つ雨のリズム」1997年
●コレも「さくら」に先行したシングル。カップリング曲がアルバムから弾き出されてしまった訳だけど、奇妙な変拍子まで使って複雑に展開するロックで不思議。サザン楽曲としては珍しいタイプで、よく聴くとオモシロいかも。でも、グッとくる盛り上がりはないので、よく聴かないとオモシロくない。プログレのマネ?そこまではいかないなあ~。


ここからは、「さくら」とは関係なくリリースされた音源達。ココでサザンは商業的には絶頂期を迎える。


「海の YEAH !!」

「平和の琉歌」1998年
●2枚組のベスト盤「海の YEAH !!」で初めて正式にCD収録された曲。「この国が平和だと 誰が決めたの? 人の涙も渇かぬうちに アメリカの傘の下 夢も見ました 民を見捨てた戦争の果てに」沖縄風の三線アレンジを施した穏やかなメロディに、沖縄が抱える社会問題歴史問題をド真ん中から見据えた重たい歌詞を、夏の夜風に乗せるようにフワリと歌い流す。淡々とした展開がより歌詞の重さを浮き立たせ、クワタの声はより優しく聴こえる。CD収録はこの年だけど、「YOUNG LOVE」発表後1996年のツアーでプレイされてた曲。「さくら」の煮詰まった感じとは違う抜けの良さ。イイ曲です。
「イエローマン~星の王子様~ / 夏の日のドラマ」
「イエローマン~星の王子様~ / 夏の日のドラマ」1999年
●なんと、サザン、ビッグビートに挑戦!FATBOY SLIM のようなロッキンビートをドクドク鳴らしてます。結構ビックリした。クワタのボーカルすらビートに埋まりかけるほどのバランスで攻める。しかし節回しにはオリエンタル趣味もあり、大衆歌謡の軸足からは離れない。当世流行の最新ミュージックに対するあざといパロディ精神は、もう一歩踏み込んだら、モー娘。「恋のダンスサイト」までイってたかも。あーコレボク的にはホメ言葉です!「ジンギスカン」的B級ディスコを20~21世紀の変わり目にヤリ切った「恋のダンスサイト」はボクの中で名曲です。あん時のつんくと、アレのアレンジを手がけたダンス★マン(空耳日本語歌詞でディスコカバーしてた人、みゃお~~ん!覚えてる?)は神がかってました。なんてったって「恋の重低音」ですから。ヘヴィイ!あ、セールスは燦々たるモノだったそうで。
●カップリングは、ドラムのヒロシのボーカル曲。薄口。「君に贈る LOVE SONG」のような感動はないなあ。

「TSUNAMI / 通りゃんせ」2000年

「TSUNAMI / 通りゃんせ」2000年
●で、ここでこの曲がくるわけよ!セールス300万枚達成、サザン史上の最大のヒット、いやオリコン歴代3番目の超巨大ヒット曲となる。サザン王道バラードが完璧に構築されてる。ココまでの大型バラードは確かにかなり久しぶり、多分、ライブで生で見たら感動するだろな。でもボクのサザン興味にはあまり関係がないんだわ。「いとしのエリー」とか「メロディ」のような鉄板バラードの一つって程度です。
●それよりも注目はカップリング。コレがフザけてて笑える。「サザンのバラードはステキね~」と一曲目を聴き終えた瞬間に、突然般若心経の読経がドロドロ出てきて、さっきまでの気分は台無し。その読経のリズム感を引っ張ったままドロドロのブルースロックで「通りゃンセ」って言われちゃう。バラードの甘い気分だけじゃ帰さない、サザンの正体はそんなに行儀のいいモンじゃないぜ、この泥道通ってオウチに帰れ!と300万人のリスナーに突き付けた。愉快じゃないですか!

「HOTEL PACIFIC / 虫歯のブルース~インディアン狂想曲[MEDLEY]」

「HOTEL PACIFIC / 虫歯のブルース~インディアン狂想曲[MEDLEY]」2000年
クワタ「茅ヶ崎でライブやりたいね」発言が波紋を呼んで、出身地・茅ヶ崎でファンの間に署名運動が起こり実現に至った伝説の2000年「茅ヶ崎ライブ」。このライブのために録り下ろされたのが「HOTEL PACFIC」。どうやらホントに実在してたホテルみたいだし、「江ノ島にかかる桟橋」「茅ヶ崎あたりのモーテル」「エボシ岩」など地元ローカルトーク的キーワードが満載の歌詞。茅ヶ崎育ちの後輩君が誇らしげにイベントに行ってたなあ。内容はホーンが弾けるド派手なラテンロック歌謡の大パーティチューン。前半クワタボーカルに伴走するフルートが隠し味でニクい。ヒット曲だからみんな知ってるでしょ。
●カップリングはコレまたしょーもない曲(いい意味で)で、「歯から血イ出た、歯から血イ出た、ベイベ~」とかヨタッタブルースが始まって「相変わらず人をクったようなモノを…」と思った瞬間にイキナリ曲想がガラリと変わり、爽やかなギターポップが楽しく始まる。あー一応メドレーって書いてあるしな…コッチの後ろの曲だけで何が悪いんだろうか…と思ってると、ハラボー「虫歯のブルース?んなもなァダメ!」ってお説教の一喝。クワタ「なんでェ…?」曲の中で悪フザケにダメ出しがでる。そんなこんなで楽しい曲です。

「この青い空、みどり ~BLUE IN GREEN~ / チャイナムーンとビーフン娘 / いなせなロコモーション(茅ヶ崎ライブVERSION)/ 心を込めて花束を(茅ヶ崎ライブVERSION)」2000年

「この青い空、みどり ~BLUE IN GREEN~ / チャイナムーンとビーフン娘 / いなせなロコモーション(茅ヶ崎ライブVERSION)/ 心を込めて花束を(茅ヶ崎ライブVERSION)」2000年
●この音源は12インチでゲットしたので、CD盤より一曲多いです。あの「茅ヶ崎ライブ」の音源がひとつ多く収録されてるんですね。このライブはスゴく楽しそうだなあ~。雰囲気がスゴく伝わってくる。「茅ヶ崎に生まれてよかったでーす」なんてMCも。
●さて主役の曲は、構造的には爽やかなカントリーロックで、テンションを上げていくタイプの曲じゃない。けれども、ゆったり流れるメロディには、未来への漠然たる不安や無常観を、冷めた諦観を込めた歌詞を乗せていて、訥々と歌うクワタの声に長く浸っていたい気分になる。アレンジには淡くオルガンが添えられてて、乾いたハーモニカもよく響いてる。カントリーロックとは書いたが、そんな様式には関係なく2000年代のジェイポップとしてよく機能してます。地味にイイ曲でした。
「チャイナムーンとビーフン娘」ハラボー作曲ボーカルのチャーミングなポップソング。横浜中華街の小さいお店で働く女の子の健気な生活と淡い恋ゴコロが爽やかに歌われてます。途中にカワイイ語りまであり。「朝陽門にむかって20メートル 煙草の自販機がある角を 細い路地に入って3軒目に私の働く店があります。遠い親戚だからといってオジさんは甘やかしてくれないけど、たくさん働いている方が気は楽です。美味しいビーフン作れるようになりました…」この娘のビーフンがとっても食べたい。




●さてさて、90年代後半のサザンを俯瞰しました。商業的には絶頂期。しかしクリエイティブとしては結構デコボコ。活動休止が明らかになった今から見れば、その結果に至る前兆はこの時代にあったと思える。…そして21世紀。桑田佳祐のソロ活動はより充実活発化、サザンというバンドの位置づけが、クワタ氏の中で変質してきたのか…。何が起こったのかは、また別の機会に考えてみます。


減薬っつーモンが、こんなにキツいとは思わなかった。夕方からアタマが痛くてクラクラする。あー前のクスリが飲みたい!でも我慢せにゃアカンのか? コレって禁断症状? ヘンな汗も止まらない。とにかくこの激痛をなんとかしてくれ~。


6月。あじさいも咲き始める頃だよ。

あじさい1

あじさい2


近所のお地蔵さんには、蓮の花が供えられてた。

はすのはな


 
自律神経失調症とのお付合い(その55)~「突然ですが減薬作戦」編
●ぜんそくの調子も悪く、今日も会社を休むボク。呼吸器科から追加されたクスリが多過ぎて、もはや自分がいつ何を飲むべきかワケ分からん瞬間がある。口の中にクスリを放り込む時には手のひらにマックス10粒+粉2服にもなる状態、飲み忘れも出るし困ったもんだ。
●新聞で、80代のオジイさんが総合病院の色々な医局から出てきた30種類以上のクスリをロビーでブチまいて「どうやって飲んだらいいのか分からない」と泣き叫んだという記事を見たが、今はリアルにオジイさんの気持ちが非常によく分かる。

●つーことで、今日の心療内科の先生には「ぶっちゃけ、クスリが多過ぎてワケ分かんないんですよね」とテーブルの上に全部のクスリを披露したわけです。コレは内科から、コッチは呼吸器科から、コレらはコチラの病院で出してもらってるヤツです…。
●そしたら先生「こりゃ多いわ!血液検査の数値もよくないのは、ちょっとクスリが多過ぎるからかもね…」先生セッセとクスリの名前を全部カルテにメモって、うーんと熟考の末、「うん、ちょっとクスリ減らしましょ!コレとコレ止めて、いや、コッチを止めて、コレの飲み方を変えましょう…」おおおおお…。ボクは今までクスリは増える一方で減った事などなかったから、結構ビックリ。減薬ってそんなに簡単にできるのかな?しかし、ここはベテラン先生の腕を信じて乗ってみるか…。

●結果、2種類のクスリがなくなって、新しいのが一つ登場。下記のルーチンになりました。
 朝食後/ デパス 0.5mg×2 ジェイゾロフト 25mg×2 メイラックス1mg
 昼食後/ デパス 0.5mg×2
 夕食後/ デパス 0.5mg×2 メイラックス1mg
 就寝前/ サイレース2mg ドラール15 15mg

●あ、ココに内科系や呼吸器科系は含まれてないので、これに毎回2~5種類のクスリが加わります。ボクの大好きだった即効性安定剤コンスタンあの速い効きがよかった!)は今回からなくなってしまった…。で、就寝時の安定剤として使ってたメイラックスを朝&夕に配置。メイラックスは、効果が一番長く続く長距離型戦略爆撃タイプで眠気もあまり起こさない。ので、コイツで日中活動時間をカバーする。デパスは三回の主食みたいなレギュラー安定剤だけど、メイラックスの効果がよければ長い目で減らせるかもって話。睡眠薬系は、ウインタミンってヤツが引退してドラール15って名前のモノになった。何が違うかはわからない。ジェイゾロフトは前から使ってる抗うつ剤。「午前中に20分も日光に当たれば自然にナントカチン(聞き取れなかった)が分泌されるから、いらないっちゃいらないのよホントは。あ、でも安易にそう言う事言うと怒るセンセイもいるからね。ま、何事もイキナリだとカラダがビックリしちゃうからちょっとづつ」ふーん。そういうもんなんだ。

●鍼灸も一生懸命通ってるんですよ。今週は二回も行ってます。先生「そりゃクタビレルでしょう!鍼は体力消耗するからね」置き鍼も20本くらいカラダに差しっ放しで…「あら、置き鍼20本じゃ一日中サウナ入ってるようなモンね」へ、そのココロは?「だって鍼で刺激してずっと血行を促進してるんでしょ。サウナと一緒でしょ。それじゃあ疲れて当然だわ」最高で一度に38本も置き鍼されたこともあります。自分じゃドコに刺さってるか感じないから抜けても分かんない訳ですよ。だからワイフに数えてもらっておかないと、知らぬ間に取れた鍼がコドモに刺さったりするんですわ。ワイフはもう2回踏んづけてます。先生「でもね、東洋医学はイイですよ。ホントはコッチのクスリ止めて鍼に全部任せちゃうのもいいかも知れないわね」

●ぜんそく発作は少し落ち着いたとはいえ、未だ油断できないので、今週金曜にも呼吸器科へ行く。医療費助成の書類も書いてもらわないとね。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html

「微妙スクール」のビミョーな社長たち。


「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES - HIP HOP」

「微妙スクール」という言葉を、ぼくは「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES 30 - HIP HOP」という本の「微妙スクールの醍醐味」というコラムで知った。著者は浦田威さんという方。ヒップホップの歴史の中で1996年以降のシーンを差して、この「微妙スクール」という言葉を使っているのだ。この時代認識がとっても的を得ているように思えて(ボクには目からウロコ「確かにビミョーだったわ」的な発見!)、この言葉の説明を、ちょいと原文から引用させてもらいます。


ナズのデビュー・アルバム『ILLMATIC』(1993年)に代表されるロウなビートが主流となって数年、シーンが程良く発酵された96年以降とは、ウータンクラン、ブートキャンプクリックといった東海岸ハードコア勢のフォロワーたちが世に溢れつつも、同時にパフダディー、トラックマスターズ「やり手プロデューサー」たちが従来の美意識を覆す派手なサンプリングを武器にポップ・フィールドへと歩み寄り、それに伴って商業化されたヒップホップに嫌悪感を示したヘッズたちの一部がアングラへと傾倒、あるいはインストの表現へと流れ、現在にも繋がる「ヒップホップ」というジャンルそのものの細分化の兆しが目に見え始めた特筆すべき時期でもある。


●け、結構長かったな…。「。」が全然出てこないんだもん…。…とにかく、1996年という年が、ハードコアからベタベタのセルアウトまで、一気に美学が多様化した時期だっつーことで、それを「オールドスクール」「ミドルスクール」「ニュースクール」みたいな時代の区切れ目を示す言葉で言い習わすならば、「微妙スクール」が一番シックリくるという訳だ。

で、なんで「微妙」なの?
●……コレはリアルタイムな個人的実感なんだけど、ホントにこの時期のヒップホップは「微妙」だったんです。93年は東海岸的な美意識を規定した NASDJ PREMIER の登場した年だったが、同時に G-FUNKDR.DRE らによって開発された年だ。で、東西両海岸抗争が激化して 2PAC が殺されたのが1996年だ。ご存知の通り、翌1997年に THE NOTORIOUS B.I.G. も殺された。「シャレになってねーよ。ホントに殺し合ってどうするんだ?」ボクはそう思った。ビミョーな気分になった。

さらにビミョーな気分にさせたのは、その後の関係者の行動である。
THE NOTORIOUS B.I.G. という東海岸最大のヒーローを失った所属レーベル BAD BOY RECORDS の社長 PUFF DADDY(現 P.DIDDY)は、「I'LL BE MISSING YOU」という追悼歌を発表してシコタマ儲けた。トリプルプラチナ売れちゃった。自分でラップして、ビギーの彼女の FAITH EVANS にサビを歌わせた。しかもコレが POLICE「EVERY BREATH YOU TAKE」のベタベタ大ネタ使い。 身内が殺された事件につけこんだ内容で、しかも超ポップスに日和ったヒップホップを、レーベル社長が自分で歌ってる。コレが「ビミョー」じゃなくてなんなの? うさん臭えええー!
●一方、2PAC を失った DEATHLOW RECORDS の社長 SUGE KNIGHT も恐ろしいほどの人徳のなさで所属アーティストが続々離脱。生前の 2PAC 音源を切り売りしまくった。一時期は PUFF DADDY を皮肉って「自分のPVにレーベルの社長が出たがってお困りのアーティストさんはコチラまで」とか言ってたが、同じだけタヌキで「ビミョー」な奴であることがわかった。
●でも、ハードコアなヤツらが追いやられて、こうした成り上がり社長の商売が大当たりしてビルボードチャートを席巻していったのも事実。コレに追い打ちをかけたのは EMINEM の登場。1999年デビュー。一気に若い白人リスナーがシーンに流入して、ヒップホップ産業はどんどん巨大化する。

●コラムの著者、浦田威氏の意図は、そんな時代に埋もれてしまった隠れ名盤を今こそ再評価すべきではないか、という問題提起なのだか、ボクには浦田さんのようにマニアックな12インチ掘りの技術も知識もナイので、ひとまずこの時代を見つめるために、敢えてビミョーな社長たちの音楽をジックリ聴いてみる事にする。


PUFF DADDY  THE FAMILY「NO WAY OUT」

PUFF DADDY & THE FAMILY「NO WAY OUT」1997年
●前述の追悼歌「I'LL BE MISSING YOU」を収録した、PUFFY DADDY のデビューアルバム。まずアルバムの中身に行く前に、この人の事を知っときましょう。
PUFF DADDY(現 P.DIDDY)こと SEAN "PUFFY" COMBS という男。N.Y.のハーレム生まれ。大学でマーケティングやプロモーション技法を学び、無給のインターンとして N.Y.のメジャーレーベル UPTOWN に潜り込む。ところがソコでメキメキと頭角を現し MARY J. BLIGE の発掘プロデュースを手掛け、一気に重役にまで成り上がっちゃう。
●そして1993年独立。24歳で BAD BOY RECORDS を立ち上げる。THE NOTORIOUS B.I.G.、GRAIG MACK、CARL THOMAS、FAITH EVANS、TOTAL などと契約、MARY J. BLIGE のプロデュース業務などは引き続き続行、売れっ子プロデューサーとして活躍する一方、お抱えトラック制作集団THE HITMEN も組織。その後は映画やアパレルまでに進出、マルチなトップアーティスト&企業家として今なおセレブ道まっしぐらである。
●このアルバムは BAD BOY 一派を従えてのリーダー作。BIGGIE 殺害の前から制作されてたので、リリース時には死人になっちゃった BIGGIE もガンガン出演、MASE、CARL THOMAS、BLACK ROB、FAITH EVANS、112、THE LOX など配下は当然、JAY-ZPUFF と同い年、やはり1996年に ROCK-A-FELLA ROCORDS を立ち上げその後栄華を極める)や、LIL' KIM、TWISTA、KELLY PRICE を招集している。
●サウンドのスタイルは、先のコラムで浦田氏が憂いたような 「従来の美意識を覆す派手なサンプリングを武器にポップ・フィールドへと歩み寄」った内容。POLICE「EVERY BREATH YOU TAKE」のまんま大ネタ使いだけじゃありません。DAVID BOWIE「LET'S DANCE」のまんま大ネタ使いも鮮烈でゴザンス。ちなみに直属制作部隊 THE HITMEN がほぼ全てのトラックを制作。サンプリング文化の衰退を招いたサンプル使用許諾費高騰問題をモノともせず、湯水のように大金をぶち込んで思う存分超有名曲をザックリループする手法が取られた。翌年の映画アメリカ版「GODZILLA」サントラでは、LED ZEPPELIN「KASHMIR」をドップリ使った「COME WITH ME」が収録され、ヒットした。
●既存のヒップホップ文化を転覆し、一気に時代の寵児になった若者。確かに彼の音楽は大ヒットしたわけで否定批判もしきれず、それが故に反感もイビツなモノ、つまりビミョーになってしまった。とにかく彼の立ち振る舞いは「微妙スクール」そのものだったのだ。


●もうひとり、ビミョーな社長を。

「IRV GOTTI PRESENTS THE INC」

VARIOUS ARTISTS「IRV GOTTI PRESENTS THE INC」2002年
●プロデューサー IRV GOTTI が率いるレーベル MURDER INC RECORDS の顔見せコンピアルバムですね。この IRV GOTTI って人もややビミョーな人なんですわ。QUEENS 生まれで PUFFY の一年下とほぼ同世代。1997年に MURDER INC RECORDS を立ち上げるが、「MURDER INC(殺人会社)」じゃマズいでしょってツッコミから「THE INC」にケロッと改称する身の軽さ。このジャケでもど真ん中に来ちゃう出しゃばり根性が妙に気になる。
●ただし、仕事は結構できるかも。この人の功績は JA RULE、ASHANTI の発掘。JAY-Z DEF JAM と契約するキッカケを作ったり、DMX 率いる RUFF RYDERS が世に出るキッカケを作ったり。BOBBY BROWN の復活にも手を貸してる。このCDを出す頃はまさに THE INC の天下の時代。BAD BOY ROC-A-FELLA を凌ぐチカラを持っていたとな。
●ボクは、このアルバムで JA RULE を初めてちゃんと聴いた。ガラガラ声で吠えるようにザックリラップする彼のスタイルは注目。……言い訳するようだけど、この頃は JA RULE、JOE、JADAKISS、JAY-Z、JAHEIM、JAGGED EDGE、JUVENILE などなど、「J」の字がつくアーティストがいっぺんに沢山登場したもんだから、JA RULE は自分の中でチェック済みだと思ってたんです。したら、別のシンガーと混同してたと今回発覚。家の中一生懸命探しても JA RULE 出てこないぞ~と思ってたら、最初から一枚も持ってなかった!そんでまた「J」つながりでややこしいけど、J-LO(A.K.A. JENNIFER LOPEZ!)と JA RULE の合体曲「AIN'T IT FUNNY (REMIX)」がコレまたイケル。やっぱ全米で一位獲得。


●さてさて、ともかく1996年という時期を区切りとして、ヒップホップ業界は体質を変え、シーンの多様化、細分化という事態を迎える。SOUTH 地区のヒップホップが注目を浴びるのもこの時期からだ。以前はマイアミベースという南部産サウンドをこのブログで取り上げたが、今度はその後のサウス系レーベル、アーティストに焦点を当ててみたいと思うのでありました。お話はまだまだ続く……。

知ってた? 横断歩道って、剥がれるモンなの?

はがれる

●ペリペリ剥がれてたよ。結構衝撃なんだけど。銀座で撮影。


●でまたハナシは全然変わって…。


●以前、このブログで「フリーソウル」ならぬ「フリージェイポップ」というククリで邦楽を聴き直すとオモシロいかも、と書いた事があった。しかし、シーンはそのさらに先に向かって走りまくってた。衝撃。

雑誌「バァフアウト!」が先日あるDJを招いてイベントを行った。
●この雑誌は積極的に音楽イベントを仕掛けて、立体的にシーンを浮き彫りにする良心的な方針を持ってて、イベントを行ったコト自体は別に珍しくはない。ボクはメールでこのイベントのお知らせをもらったのだが(で病気のせいで行けたわけでもない)、そこで激しい衝撃を受けた。スゴく斬新なコンセプトを持つ若きDJがゲストとして紹介されていたのだ。

「J-POPだけで繋いだ話題のMIX CD『J-ポッパー伝説[DJ和in No.1 J-POP MIX』が〈ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ〉より3月26日にリリースし、いきなり『オリコン』15位にぶちこんだ若干21歳のDJ和。」

●ジェイポップだけでミックスCD!?しかもコレがホントにベタベタのメガヒットな選曲でなお衝撃。岡本真夜、米米クラブ、大事MANブラザースバンド、KAN、シャ乱Q……。これでどうやってDJすんの?しかもメーカー発の企画盤とかじゃないのよ。実際、DJ和(カズ)は都内クラブでジェイポップDJとして活躍中、アンダーグラウンドの中で熟成された表現というのだ。
しかも彼は21歳、1986年生まれ。爆風スランプ「RUNNER」とか使ってるけど、彼リアルタイムだと2~3歳なんですよ。そんな時代の音楽をわざわざ掘ってクラブでかけるってどういう動機で出発しているの?このコンセプト、スゴくない!?
●つーことで、速攻音源を入手しました。あーさすがに今回は買う気になれなかった。レンタル。ハッキリ言って「コワいもの見たさ」って感覚が一番近い。一体どんなDJになるんだよ?ってハテナに好奇心が膨れ上がる。


J-ポッパー伝説[DJ和 in No.1 J-POP MIX]J-ポッパー伝説[DJ和 in No.1 J-POP MIX]
(2008/03/26)
オムニバスシャ乱Q

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「J-ポッパー伝説 [DJ和in No.1 J-POP MIX]」
●まず一聴して、感動した。2分前後でクルクル入れ替わる楽曲は、確かに巷に溢れ時代を飾った曲だった。好き嫌いは別にして、サビがアタマに刷り込まれてる曲だった。「大衆の時代」が終わり国民的ヒット曲は消えた、と言われて久しいが、なんだかんだで時代的共有体験はあるんだなと思い知らされた。DJ和はそれらの楽曲の一番オイシいトコロだけすくいあげて気持ちよく聴かせる。短めがいいのだ。フルじゃ聴けない曲もある。長いとオエッとくる。
DJ和は、この楽曲をどんな気持ちで集めてたんだろう。収録曲の半分はブックオフの105円コーナーの常連盤ばっかだよ。そんなのをコツコツディグしてるなんて、なんか涙ぐましいくらい…。いや、自分がいっつもそういう激安盤売り場ばっか見てるから、そんなCDの墓場みたいな所を宝箱のように若者が嬉々とチェックしてるのを想像すると、なんか胸が詰まる…。趣味や嗜好を越えて(つーかスゴく高いギャップではあるんだけど)、音楽を愛する心/CDを愛する心が、通い合うような気分になれた。そんで新しい音楽の見方を知った。

全34曲のメガミックスなんだけど、選曲がスゴいから全部紹介しちゃいます。

バブルガムブラザーズ「WON'T BE LONG」1990年
 :この曲が日本のファンククラシックになるとは。EXILE & 倖田來未 のカバーも話題に。
岡本真夜「TOMMORROW」1995年
 :2曲目でコレ!コレをクラブプレイ?ウチのコドモの幼稚園のお遊戯ソングだったぜ。
プリンセスプリンセス「DIAMONDS<ダイアモンド>」1989年
 :これでギター握った少女は沢山いただろうな。レコ社仕掛けの寄せ集め集団だったが。
真心ブラザース「サマーヌード」1995年
 :コレ名曲。YO-KING じゃなくて桜井詞曲のソウルチューン。ドラマチック展開大好き!
奥田民生「イージュー★ライダー」1996年
 :この頃の民生は、ロードムービーみたいな生様でカッコよかった。「さすらい」とか。
米米クラブ「君がいるだけで」1992年
 :90年代で一番売れたシングルなんだって。最近 SOTTE BOSSE がボサカバーしてる。
大事MANブラザーズバンド「それが大事」1991年
 :ALLMAN BROTHERS BAND のツモリでこの音かよ!って意味で大嫌いだった。
L←→R「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」1995年
 :前衛も保守も両方こなせるって意味のバンド名。確かにプログレっぽい曲もやってた。
KAN「愛は勝つ」1990年
 :「やまだかつてないテレビ」。やまだかつてないWINK ってユニットもあったよね。
シャ乱Q「ズルい女」1995年
 :その後つんくが、モー娘。旋風で栄華を極めると、この時誰が予想してただろうか。
椎名林檎「歌舞伎町の女王」1998年
 :この曲で敏腕プロデューサー亀田誠二の存在を知った。亀田制作曲を探しまくったね。
平井堅「瞳をとじて」2004年
 :「セカチュー」の主題歌。これも亀田誠二制作。ここでDJプレイはテンポダウン。
ZONE「secret base ~君がくれたもの~」2001年
 :ココで聴かなかったら一生忘れてた。ベースの娘がショート&ダサ帽子で逆に萌えた。
爆風スランプ「RUNNER」1988年
 :「たけしの元気が出るテレビ」ボクシング予備校挿入歌。CD買っちゃったよ。
TUBE「あー夏休み」1990年
 :夏季限定季節労働者。海の家の人みたいだね。冷夏だとセールスにも影響出るのかな。
松平健「マツケンサンバ II」2004年
 :聴けば聴くほどド派手なアレンジで、シグマサウンドのディスコを連想する。
PUFFY「アジアの純真」1996年
 :民生プロデュースって話で超期待。で恥ずかしいほどハマった。米アニメ化はスゲエ。
広瀬香美「ロマンスの神様」1993年
 :よーく聴くと合コンのウタなんだね。リリックがやたらバブルっぽいよ。
渡辺美里「My Revolution」1986年
 :小室哲哉制作曲。ワイフの友達が大ファンで西武ドーム毎年行ってたよ。
藤井隆「ナンダカンダ」2000年
 :渋いトコも拾うなあ。EAST END×YURIGAKU-MC がリリックというトリビア。
鈴木あみ「BE TOGETHER」1998年
 :小室二曲目。安室奈美恵、篠原涼子、宮沢りえ、観月ありさ、華原朋美等、仕事中毒。
T.M. Revolution「HIGH PRESSURE」1997年
 :日テレ早朝番組「おはよん」MC中田有紀のファンで、朝4時に生ゲストしてて驚いた。
TM NETWORK「Get Wild」1987年
 :歌番組トークで、シンセのサンプル機能でMCの声を拾って世間を驚かせてた。牧歌的。
trf「BOY MEETS GIRL」1994年
 :小室四曲目。さらに globe、H Jungle with t もやるでしょ。働き過ぎですよ。
反町隆史「POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~」1998年
 :この曲知らんかった。ハマショーかと思った。ドラマ「GTO」の曲。反町歌うんだ…。
サンボマスター「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」2005年
 :彼らが日本のロックを救う。そんくらいの実力。マジギターがウマい!
NANA starring MIKA NAKASHIMA「GLAMOROUS SKY」2005年
 :ラルクHYDEが提供。中島美嘉じゃ歌えない難曲だよ。ラルクでセルフカバー希望。
相川七瀬「夢見る少女じゃいられない」1995年
 :織田哲郎制作。ビーイング系は彼が活躍したね。彼女はカッティングエッジだけど。
LINDBERG「今すぐ Kiss Me」1990年
 :ブーム便乗でアイドル崩れをロックバンド化。確かベーシストと結婚したような…。
ユニコーン「大迷惑」1989年
 :こっちがブームど真ん中。ソロに聴き慣れると初期ユニコーンは若過ぎて戸惑うほど。
class「夏の日の1993」1993年
 :このMIX-CDは1993年、15年前の夏に漂着して、一旦締めくくり…。
ZOO「Choo Choo TRAIN」1991年
 :ここでアンコールが沸き起こる設定。EXILE が継承するダンスチューンがスタート。
久保田利伸 with ナオミ・キャンベル「LALALA LOVESONG」1996年
 :この曲は有名だけど、曲中でナオミ・キャンベルが何しているのかはよくわからない。
CHAGE and ASKA「YAH YAH YAH」1993年
 :ジェイポップナイト、ヤーヤーヤーのシンガロング大団円!根はカラオケ大会と一緒?


もう、こんなモン聴いちゃったから、買っちゃったよ。


TMN1.jpg

TMN「TMN GROOVE GEAR 2」1987~1994年
●やっぱ、90年代ジェイポップと小室哲哉は切り離せないわ。100円で買っちゃった。TM NETWORK は1990年で TMN と改称しており、このCDの発売年94年で一旦活動休止。ホントは三枚組CDらしいんだけどバラ売りになってた。内容はスレッカラシのライブテイクとか、デモ音源とか、リミックスとか。「GET WILD '89」一曲で十分。フルで聴きたかっただけ。ライブ音源を聴くと生ドラムやエレキギターの役割が大きくてスタジオ盤と随分表情が変わる。TM NETWORK はロックバンドなのだ。小室哲哉は優れたコンポーザーだけど、バリバリ弾きまくるプレイヤーじゃないから、むしろ地味でコード押さえとシーケンサーオペレーションに終始。

trf2.jpg

trf「BILLIONAIRE - BOY MEETS GIRL」1994年
●コレも100円だから勝っちゃったよ。「BOY MEETS GIRL」のフルレングス聴きたくて。ココのバージョンは12インチミックス。小室の狙いはこのユニットでレイヴカルチャーを日本に導入する事だった(trfTETSUYA RAVE FACTORYの意)のだろうけど、チープなくらいの単純なダンスビートは、ポップスとして作り込み過ぎてる TM NETWORK よりも、ずっと肩のチカラが抜けてて本人が楽しんで作ってる気分が伝わる。でも聴くべきモンは「BOY MEETS GIRL」「survival dAnce」のみ。後はゴミ。

今日は息子ノマドの運動会。最近の小学校は6月に運動会をやるのか。
●絶不調の体調がやっと上向いた状況で、なんとか午前中だけ小学校に行ってみた。

ドラネコ

●ノマドは前日からテンションアゲアゲで、夜寝付けないくらい。1年生のダンス「ドラネコロックンロール」でもエキサイティングなパフォーマンスを見せつけた。(上写真右側のコドモ)
●全校生徒が整列した時には最前列中央列に。「ノマド、もしかして学校で一番チビか?」「ジョシのワカちゃんと1くみのコがノマドよりちっちゃい」全校で三番目か。


かけっこ

しかし、40メートル走では見事四人中四位でした。
●一組のノマドよりもチビっ子が一位。連続シャッターでバシャバシャ写真を撮ったのだけど、終始3位の子に被り続けて姿が見えない。辛うじて白い帽子が確認できる唯一のショットです。(赤い矢印)
●その後、本人に聞いた所、かけっこのピストルがちょっとコワくて、スタートの瞬間目をつぶってたという。ノマド、あのピストルからは弾丸が発射されてるモンだと信じ込んでたので、やたら危ないモンと思ってたらしい。夕ご飯の時に真実を知る。「え!あれタマでないの?!オレでるとおもってたよ。だからピストルはオトコのセンセイしかやらないんだとおもってた」

●最近の運動会は不審者が忍び込むのを防ぐために、入場人数を事前申請して学校配布のリボンをつけておかないと学校に入れてもらえない仕組みになってる。スゴいねえ。で、律儀に不審者はホントに現れて、学校にパトカーが駆けつけていた。


●全然ハナシはかわって…。


マイアミベースって覚えてますか?あのトンマな音楽を。
エレクトロの歴史を遡る文章を先日ブログに綴ってみたら、エレクトロファンクを考える時、マイアミベースは無視できない!という結論に、自分の中に到達してしまいました。だから今日はマイアミベース特集。

※先日の記事「00年代エレクトロを巡って、90年代80年代そして70年代まで旅をする。」はコチラ。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080518.html

マイアミベースって言うくらいなので、発祥はアメリカ・フロリダ州マイアミ。ベースにインパクトがあるダンスミュージックです。この音楽がスゴいのは、ベースにコダワリ過ぎて、特殊な重低音スピーカー(いわゆるウーハーってヤツね)がなければ聴こえないほど低い音を盛り込んでしまったという点。お客を選ぶ高級料亭ってのはあるけど、再生装置を選ぶ音楽ってある意味スゴくない?フツウのラジカセで聴くと、一番の特徴であるベースが聴こえなくてナンも楽しくないんだから。

20世紀以降の音楽文化は、再生装置や記録媒体などの進化とともにその内容を進化させてきた。
●60年代中盤のPA技術は貧弱でどんなに精一杯デカい音を鳴らしてもお客の黄色い悲鳴で演奏がかき消されてしまうんで、THE BEATLES は一切のライブ活動を止めてしまう。その代わり、コンサートでの再現性を気にしない、高度で複雑な音楽を構築することが出来た。CDというフォーマットは約74分間収録可能(最近はもうちょっと長いか)とされているが、 これはカラヤンベートーベンの第九を指揮する際の分数に合わせているという。「オレの第九が入らないんじゃハナシにならねえ!」さすがに大指揮者だ。カラヤンは速めに進行する指揮者なので、他の人の第九はギリギリ入らないのかな?よく知らんけど。
マイアミベースにも、そういうバックグラウンドがある。ローライダー・カルチャーだ。巨大なアメ車を改造して自慢する文化がモータリゼーション大国アメリカにはある。タイヤのスプリングに仕掛けをして、ぽよんぽよんクルマが跳ねたり、ナナメに傾いたりする。そんなのを自慢するために大勢のマニアが集まる祭典がある。
●クルマのカーステレオを改造して死ぬほどデカイ音を鳴らせるようにするスタイルもある。車内向けに鳴らすんじゃなくて、外に鳴らすんです。クルマのトランク全部をスピーカーにしてドでかい音を出す。もちろん重低音仕様の特別ウーハーも搭載する。このシステムを最大限活かすべく考案されたのがマイアミベースだ。自慢のウーハーをフル出力で鳴らしたい。そのための音楽だ。

マイアミベースはお下劣ミュージックでもある。
マイアミベースを世に知らしめたのはマイアミのヒップホップユニット 2 LIVE CREWLUKE (A.K.A. LUTHER CAMPBELL) というアニキだ。時は1986年、彼らの音楽はその重低音サウンドよりも、お下劣な内容で世間の注目を集めた。あんまりにもお下劣すぎて裁判沙汰にもなり、逮捕騒ぎまで起こった。ジャケットには必ずTバックのプリプリ姉ちゃんが登場し、このお下劣テイストはマイアミベースのイメージを決定づけた。2 LIVE CREW の中核メンバーだった LUKE は今でもラップレコードをリリースしてるが、本業はアダルトビデオの制作販売に移行してるみたい。

2 LIVE CREW「AS NASTY AS THEY WANNA BE」

(2 LIVE CREW「AS NASTY AS THEY WANNA BE」1989年)


●さて、最近仕入れた音源を。

69 BOYZ「199QUAD」

69 BOYZ「199QUAD」1994年
マイアミベースってアルバム出してる級のアーティストって少ないっぽい。基本の流通形態は12インチなんでしょ。2 LIVE CREW、LUKE、QUAD CITY DJ'S、TAG TEAM、DOUBLE DUCE、それとコイツらくらいしか思いつかない。マイアミベースはヒップホップの一形態であるはずなんだけど、ユニークなのは「ビートを走らせる」コトにある。ヒップホップにはワンループごとに踏み込んでいくファンク感、タメの感覚があるモンだが、マイアミベースはタメない。ビートを滑らせて高速テンポで走らせていく。それでも独特のファンク感は失われない。重低音ベースがファンクネスをキープしているのだ。ローテンポでタメる曲がないわけじゃないけどね。
●あと、遵法精神がない。下ネタ全開だけじゃなく、著作権無視のパクリ/替えウタも全然躊躇しない。他のCDにも一杯出てくるけど、ココには ARRESTED DEVELOPMENT のヒット曲「TENNESSEE」「HENNESSY」になってる替えウタダジャレがある。まーなんも考えずハラに響く重低音を受け止めてくれ。

bass patrol

「THE BEST OF BASS PATROL ! 1995」1991~1995年
エイベックスは、ダンスミュージックともなるとホント耳が早い。もう90年代しょっぱなからマイアミベースに目をつけて、このシリーズで日本にドクドク紹介してた。そんでコレが95年段階のベスト盤。このシリーズはこの後もずーっと続いたみたい。イキナリ気になるのは「WARNING : IT MAY DAMAGE SPEAKERS & POSSIBLE LOSS OF HEARING !!!」の表記。そんなCDアリかよ!スピーカーが壊れるかも知れませんって言われたって…。あ、Tバックオシリと特大スピーカーはお約束ですから。ライナーノーツに「ベースギャル大募集、丸々NAKED以外は概ねグッドって訳で、水着(Tバック大歓迎)、カットG、濡れTシャツ等に自信のあるヤツ、写真送ってみ!」だって。楽しそうな仕事だ。
●ベースもスゴいけど、安い機材を駆使したエレクトロビートもスゴい。そこに乗っかるザックリした高速ラップと、アホみたいなフックライン。いたない魅力に男汁満載。暑い夏をもっと熱くするね。完全にジャングル/ドラムンベースなヤツまである。ダンスホールレゲエもある。Y.M.O.パクリもある。

「DANCEMANIA BASS #0」

「DANCEMANIA BASS #0」1995~1998年
●コチラは東芝EMI のシリーズ。本来はユーロビート/ハイエナジーメインのラインなんだけど、ベースものもチョッピリ出してる。で、ノンストップのメガミックスなんです。で、ジャケはオシリとスピーカー。バカの一つ覚え。よりベースがブーストされてる。一般仕様のスピーカーでも破壊力を発揮する浅め帯域周波数の低音を選んだのか?わースピーカーマジで心配。分かり易いフックでフロア全員でシンガロング!THE RONETTS「BE MY BABY」のベースカバーあり。エレクトロ度も高いし、パンをワサワサ振って左右のスピーカーバランスをグルグルかき回すワザまで仕込んでる。DJ MAGIC MIKEって名前は覚えておいた方がイイっぽい。シアトルのベテランラッパー SIR MIX-A-LOT をフィーチャーしてる曲はスゴい破壊力だ。

bass 野郎3

「BASS 野郎 参」1997年
●コッチは BAD NEWS RECORDS のシリーズ。より玄人目線のセレクション、テーマはロックしてるベースだそうだ。ギターがゴリゴリしているヤツ、スクラッチが凶暴なヤツがザクザク。後述するアトランタベース勢も参戦してる。曲名が「THE 808 KICK DRUM」ってヤツも。まんまやんけ!SUZANNNE VEGA「TOM'S DINER」のエゲツナイ無勝手サンプルもエグイし、C&C MUSIC FACTORYネタはダサカッコいいを通り越して2週目周回遅れでやっとダサカッコよくなれたギリ物件。ビバリーヒルズコップの主題歌パクリは直球でダサカッコ悪い。ベースだけは死ぬ程キいてるけど。これもボリュームを上げ過ぎるとアナタのスピーカーもピンチになりますし、アナタとアナタのご近所関係に騒音トラブル問題が発覚するかも知れません。
●ボクの買ったのは初回限定盤だったので、ウーハーチェック用のベース音単体が入ってます。「日本音圧協会」大議長MCカモさんによるサウンドチェックです。「まず15インチのスピーカー、40センチのヤツね、ソレ用の音だしまーす。ぶーー!」みたいな。やっぱ直径15インチ(LPよりでかいぜ)の音はウマく響かない。10インチ程度が関の山だ。おフロ用生活防水ラジカセで聴いたら、うーんってスピーカーが唸ってるのだけが聴こえました。

bass 野郎 best

「BASS 野郎 スペシャルベスト」1996~1999年
●ギラギラシルバージャケをスキャンしたらスゴく分かりづらくなった。「BASS 野郎」シリーズも15枚を越えて、その三年の歴史を総括するベスト盤。マイアミベースをテクノ面やR&B面、ラティーノ面などから多角的立体的に捕らえたベスト。スパニッシュラップは新鮮だね!マイアミはキューバ系イッパイだから当然と言えば当然。注目は「BASS 野郎エロチカ」シリーズ。お下劣オシリはマイアミベースの定番だけど、敢えてもう一歩踏み込んでしまいました。現役人気風俗嬢のエッチなアエギ声をベースサウンドにミックスしたもの。家のステレオでかけられません!が、セールス的には大好評だそうで。
●あーちなみに、ココに紹介した入荷CDは全部100~200円で購入。金はかからない。が、アナタの人生の貴重な時間をこの音源に割けるかどうかが試される。どうする?


ローライダーの愛好家は日本にもいる。
●今はどうなっちゃったか分かんないけど、ボクがこの辺のシーンに興味を持った10年くらい前、ローライダーな人たちの溜まり場だった横浜・大黒埠頭パーキングエリアに見学にいった事がある。ある週末の夜、極彩色のネオン管で光り輝く宇宙船のようなクルマが20台ばかり集まってた(全盛期はもっと台数が集まってたらしい)。そんで、トランクの扉を開けると巨大なスピーカーが登場。そんでコレをチカラの限りのフルパワーで鳴らすのだ。
●愛好家たちは、スピーカーの前3メートルばかりのトコロに座り、ウットリとしながら音楽を鑑賞する。「いいバランスで組みましたね」とか言ってる。愉快なのはパラパラを爆音で鳴らし、8人くらいの男女が楽しく踊ってる風景。楽しそうだな~。そうそう、彼らが聴いているのは、マイアミベースじゃなくて、浜崎あゆみだったり、SPEED だったり、安室奈美恵だったりしたのだ!音がデカければナンでもよくなってたのだ。結局彼らは、カーマニアであって音楽マニアじゃないのよね。雑誌のインタビューで読んだような気がするのだが、ローライダーさんのインタビューが衝撃だった。「マイアミベース?ああ聴くね。でもアレはクルマで鳴らすモンで、普段聴くもんじゃないでしょ」ズコッ!

そんなことを象徴するかのメイドインジャパンベース。CD棚から引っ張り出してきました。

killed by bass

「KILLED BY BASS」1997年
MOODMAN さん監修のベースコンピ。一曲目のスマーフ男組、しょっぱなからモーツァルトを重低音ベースのみで演奏。マジでベースを鳴らすだけで踊れないんですけど。どの曲もローテンポで、スピーカーがアブねえんじゃないかと心配になる野太いベースをドキドキしながら聴くだけの物件。だって鳴らすだけで家具のアチコチがビリビリ震えてるんだもん。怖いじゃん。MOODMAN さんのトラックはインタールードと見せかけて、オシレーターのように重低音を限界まで鳴らすだけとかで超侮れない。最後を締めくくるのはアンダーグラウンドの超絶ターンテーブリスト L?K?O の摩訶不思議スクラッチ。駅の構内アナウンスから始まって複雑怪奇なサウンドコラージュに突入する。ベースももちろんもれなくついてきます。L?K?O のパフォーマンス、一度だけクラブで見た事あるけど、衝撃的だった…。くわえ煙草の余裕顔で、ホントにスクラッチだけで音楽を形成するのよ。リズムをどっかでまわしながらじゃなくて1ビートごと全部擦り出す。で最後に JANET JACKSON の曲のアカペラにスクラッチだけで完全なオケを作り上げてた。驚愕です。

「日本音圧協会 VOL.2」

「日本音圧協会 VOL.2」1997年
「日本音圧協会」って…。略して「ニチオンキョウ」っていうんだって。またありましたお断り。「あなたの健康を損なうおそれがありますので、聴き過ぎ鳴らし過ぎに注意しましょう。音圧マナーを守りましょう」CDかけるとしばらく漫才的コントが続きます。ラジオ体操まで始まります。ベース関係ないです。サリーちゃんキューティーハニー、ひみつのアッコちゃん、ハイジの歌まで入ってます…。ねえ?ベースは…?あ、やっとダンスホールレゲエが出てきた。コレは低音が気持ちイイや!あとは効果音。爆発音、ミサイル発射音、活火山の音、太鼓の音。そんで河内屋菊水丸が9分間歌う…。シュールすぎる。「150dBの音」って曲は、150dBの音を再生できるシステムじゃないと聴けないそうです。ウチのメインシステム(アンプ:BOSE 1706II/スピーカー:BOSE 101IT ワリと業務用っぽく組んでるんです)は一応それなりに聴けた。トクかどうかは分からない。


しかし、マイアミベースはバカにできない。その遺伝子は全世界に波及している。
マイアミベースが、その後隆盛を極めるサウス系ヒップホップの開祖となったのは間違いない。多かれ少なかれ、サウス系の作り出したビートにはマイアミベースの影響がある。CASH MONEYNO LIMIT が構築した バウンスビートも、LIL JON & THE EASTSIDE BOYZ が開発したクランクも、その後に続くスナップも、何らかの関係がある。

LIL JON  THE EASTSIDE BOYZ「KINGS OF CRUNK」

(LIL JON & THE EASTSIDE BOYZ「KINGS OF CRUNK」2002年)

マイアミベースは、その後ジョージア州アトランタに飛び火し、アトランタベースとして一瞬きらめいた。仕掛人は10代の頃から音楽業界でプロデュース稼業に手を染めていた JERMAINE DUPRI。2人組チビッコラッパー KRISS KROSS をプロデュースしてマルチプラチナのヒットを手にしてた(自分もチビッコみたいなモンだったのに)。自分が立ち上げたレーベル SO SO DEF SO-SO-DEF ALLSTARS なるユニットを組み、ベースサウンドに取り組んだ。コッチはお下劣路線じゃなく、INOJ という女性シンガーに「TIME AFTER TIME」のベースカバーをさせるなどしてた。あ、ちなみにコイツ、JANET JACKSON の今カレね。

INOJ「READY FOR THE WORLD」

(INOJ「READY FOR THE WORLD」1998年)

●テクノの街、デトロイトにも飛び火、デトロイトベース、またはゲットーベースと呼ばれるようなサウンドに発展した。もともと反体制的なデトロイトテクノ、ヒップホップではなくテクノの文脈からベースサウンドを取り込みアンダーグラウンドな動きを見せた。印象的なアーティストは DREXCIYA。深海に潜航していくようなダークなエレクトロビートは、ヨーロッパの現行エレクトロシーン全般に影響を与えていると言ってもいい。もちろん間違いなくUKジャマイカンから生まれたドラムンベースも影響下にある。

DREXCIYA「NEPTUNE’S LAIR」

(DREXCIYA「NEPTUNE’S LAIR」1999年)

●そんで、目下一番注目を集めてるのが、ブラジルのゲットーミュージック、バイレファンキでしょう。リオの一番危険なゲットーのクラブで夜な夜なブチ鳴らされているこの音楽は、今だ正体がつかめない状況だが、このバイレファンキに大きく影響された音楽が欧米に紹介されている。CSS、BONDE DO ROLE、M.I.A. などだ。でも彼らは口を揃えて言う。「ワタシたちバイレファンキと一緒にしてもらいたくないから」日本にちょっとづつ入ってくるバイレファンキと彼らの音楽は確かにちょっと違う。バイレファンキは、もっといい加減でガサツで暴力的で、オマケに内容もお下劣らしい。マイアミの当事者だって、自分の始めたコトがまさか南米で自己増殖してると予想なんてしてなかっただろう。音楽ってオモシロいね。

Slum Dunk Presents Funk Carioca

(「SLUM DUNK PRESENTS : FUNK CARIOCA」2004年)

国産ベースを聴いてて思う事。実はパラパラが日本のゲットーミュージックになれたかも知れない。
●海外で新しい流行を見つけると即座に導入するのがジェイポップ。いい意味でも悪い意味でも。マイアミベースも日本で作れちゃうんだから。そん時連想するのがユーロビート「ユーロ」って言ってるけどエイベックスがセッセと作ってるあのユーロビートのコンピ収録曲が今のヨーロッパで流行ってるって思えないじゃん。確かに制作はイタリアのスタジオでやってるトコロもあるっぽい。そのスタジオならではの音があるらしくてね。でもリスナーは100%日本人じゃん。ローライダーとかパラパラギャルとか。テクノ+パラパラ=「テクパラ」、トランス+パラパラ=「トラパラ」とか言って分化し始めてた所もある。あの東京ディズニーランドまでもが「ミッキーマウスマーチ」ユーロビート化してパラパラに乗っかったんだよ。ピークは2001年頃?今じゃ見る影もない凋落ぶりだけど(ヴェルファーレももうないし)、あれは別の進化の仕方もあったんじゃないかって今でも思うんだよね。

Club Disney Super Dancin’ ~Mega Beat

「東京ディズニーランド CLUB DISNEY SUPER DANCIN' MANIA ~ MEGA BEAT」2000年
DOMINO というシンガーが「ミッキーマウス・マーチ」ユーロビート化して歌っている。後年、松本伊代、早見優、堀ちえみ キューティー★マミー というユニットを結成し「ミッキーマウス・マーチ(ファミリー・パラパラ・ヴァージョン)」なるモノまでリリースした。


パラパラは、ダンスムーブメントだったので、当事者の多くがダンス、振り付けに夢中になった。パラパラ教室をクラブで開くとか、ギャルサーがみんなで練習して大会に出場するとか。このあまりある情熱が、なぜダンスミュージックの制作の方向に行かなかったのか、なんか勝手に悔しいんだよね。
●もし当時のギャルたち(ヤマンバメイクをはじめ様々なクリエイティブを発信した)が、自分たちで音楽制作をして、強力なビートミュージックを開発してたら大変な事だよ。勝手にハマアユ楽曲とかを解体再構築してベースをブーストし、アナログのカッティング職人に世界で一枚のダブプレートを削り出してもらい、ソレを武器にフロアをブンブン揺らす。そんで「コレがウチらの音!ウチらのスタイル!マジ気合い入ってっからー!コレもうアゲアゲでイクしかありえなくねー!」ってマイクで煽るの。そして、ギャルサー同士のサウンドクラッシュ。レゲエクルー風に。DJがいてMCがいて、パラパラダンサーもいる!コレカッコよくない?女子高生企業家とかいたじゃん。そんな娘ならコレで大金稼げたよ多分。
マイアミベースも100円程度で売ってるダメ物件ですが、パラパラコンピとかユーロビートの新しめとか、どうせ激安なんで一度聴いてみて下さい。ありえない程のヤリ過ぎ高速ブリブリベース、ある意味狂ってるから。で、ボクはもっとギャルたちに狂って欲しかったというわけ。以上、ボクの妄想、終了!