紅白歌合戦のラインナップ、発表されましたね。
初登場アーティストって、やっぱ今年のブレイク組でしょ。今年ナニが流行ったかを象徴する場面だよね。主だったトコロじゃ、青山テルマ(超納得!)、ジェロ(悲願叶っておめでとう!)、いきものがかり(じわっと上がったタイプね)、東方神起(韓流最終段階最強アーティスト)、キマグレン(うん、フレッシュでイイ狙い所!)とか。大橋のぞみちゃんの「ポニョ」は世代を超えた今年のビッグアンセムだね。
●一方、羞恥心みたいなフジ「ヘキサゴン」という直球の他局番組企画ユニットまで抜擢するとは NHK も変わったもんだ。水谷豊テレ朝「相棒」ブレイク流れだし、復活 SPEED日テレ「24時間テレビ」の企画の延長と言ってイイ。難病を克服したサラリーマンシンガー木山裕策さんは、日テレ深夜のオーディション番組「歌スタ!」が、彼を襲った悲運からそれを支える家族のエピソードまで引っ括めて紹介、発掘したアーティストだ。
ミスチルが初登場ってのは意外なように見えて、連中はこういう出方を極端に嫌うタイプ。様々なアーティストがごちゃ混ぜに出演する生番組では、リハやセッティングの面で難があり、最大限のパフォーマンスを引き出すことが無理、楽曲もテレビサイズに縮めたくない、という彼ららしい音楽至上主義があるからね。フェスだってメジャーなモンに参加するんじゃなくて、自分でオーガナイズしちゃうもんね(「ap bank fes.」)。しかし北京五輪でヘビロテしてもらった縁は無視できないのか、重い腰を上げてとうとう登場だ。ココだけに NHK のプロデューサーのガンバリが感じ取れる。「紅白」番組側がアーティストに「出してやるよ」主義で交渉して来る奇妙な番組。でもココには「お願いだから出て下さい」と必死に交渉した感じが見えるもんね。

●というのは、あくまでマクラであって…。


初登場組イチバン注目は、perfume です。
●結果として、「女子エレクトロ」というサブジャンルをジェイポップ市場に確立してしまった彼女たちの無自覚な活躍(だって本人たち自身は素朴な広島弁のオンナノコ)は、偶然にも世界的な時流(フレンチエレクトロなどなど)に奇妙に乗っかっちゃったカッコになってて、最高にオモシロい状況だからだ。そんでやっぱりボクは、KITSUNE のコンピレーションとかと一緒に彼女たちのシングルを聴いちゃうんだよな。

Dream Fighter(初回限定盤)Dream Fighter(初回限定盤)
(2008/11/19)
Perfume

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love the world(通常盤)love the world(通常盤)
(2008/07/09)
Perfume

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perfume「DREAM FIGHTER」2008年
perfume「love the world」2008年
●そんな彼女たちが、1stフルアルバム「GAME」以降に出したシングルを聴く。やっぱ「ポリリズム」のあの強烈なリフレインほどの大胆なイメージを打ち出せる曲にはなってないんだけど、「DREAM FIGHTER」にはタイトルらしい勇ましさがあるし、ふっくらした優しさをもつ「love the world」もポップスとしてはイケテルと思います。
●でも一番イケルのは「love the world」のカップリング「edge」。ビリビリとミドルレンジを震わせる歪んだシンセのビープ音、シンプルで深く強い四ツ打ち、ボーカルを完全に素材使いしてる割り切り感。アイドルソングとしては全く無愛想なビートが純粋なダンス衝動に結びつく。これぞエレクトロ。プロデューサー、中田ヤスタカの顔がキチンと見える楽曲になってる。おまけにこの「edge」、8分超のEXTENDED MIX まで収録。完全にエレクトロ経由で perfume に入ったヤツら(つまりボク)を意識したパッケージだ。……あと、余談だが、やっぱ、ボクはのっちがイチバンカワイいと思う…。


一方、納得がいかないのが、やはり紅白初登場の GIRL NEXT DOOR。

偶然の確率偶然の確率
(2008/09/03)
GIRL NEXT DOOR

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Drive away / 幸福の条件Drive away / 幸福の条件
(2008/10/08)
GIRL NEXT DOOR

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情熱の代償 / ESCAPE情熱の代償 / ESCAPE
(2008/11/19)
GIRL NEXT DOOR

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GIRL NEXT DOOR「偶然の確率」2008年
GIRL NEXT DOOR「Drive away/幸福の条件」2008年
GIRL NEXT DOOR「情熱の代償/ESCAPE」2008年
このアーティスト、皆さん知ってました? いやボクはオタクとしてチェックしてたけど、一般レベルまでに浸透するほどのブレイクをしてるかな?まだシングル3枚のリリースしかないし(年末にアルバム出すらしい)、タイアップだってテレ朝ドラマ「ギラギラ」(ホストを演じる佐々木蔵之助が超気になるけどマダ見てねえ~。原作は土田世紀の同名マンガ)の主題歌くらい。紅白には早くないか?
エイベックスが全力で取り組んでる新人というハナシは聞いてたし、コレも優秀な「女子エレクトロ」かなーって思って聴いたのに、申し訳ないけどちょっと聴いてもうガッカリ。イツモ通りのエイベックス製サウンドから全然進化してナイじゃん。プロフィールみたら、サウンドプロデュースは、倖田來未のイモウトで最近グラビアまで始めた misono が所属してたユニット DAY AFTER TOMORROW の人だって。そりゃ進化しねえや。

●同じエイベックスなら安室奈美恵の方が今年絶対大活躍したと思う。
●近年シングルを集めたベスト「BEST FICTION」のミリオンセールスや、時代時代のスタイルをモチーフにしたコンセプチュアルなマキシシングル「60'S 70'S 80'S」はスゲエよかった。小室ファミリーから離脱した後の安室奈美恵は、迷走しているかのように見えて、スゴくエッジーなチャレンジに取り組んでてオモシロかった。最新のダンスホールレゲエをジェイポップとして昇華した「WANT ME, WANT ME」辺りから、こりゃハイブロウ過ぎて既存ファンはついて来れないかもしれないけど、間違いなくカッコいいと思ってた。「BEST FICTION」のリリースで、時代の感覚が彼女にやっと追いついたというべきか。しかしエイベックスは今回の紅白に浜崎あゆみも投入している。女帝は二人並び立たずということか。

BEST FICTIONBEST FICTION
(2008/07/30)
安室奈美恵

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「女子エレクトロ」の裾野はドンドン広がってる。

Do the Vacation!!Do the Vacation!!
(2007/11/21)
Sweet Vacation

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More the Vacation!!More the Vacation!!
(2008/04/16)
Sweet Vacation

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SWEET VACATION「DO THE VACATION !!」2007年
SWEET VACATION「MORE THE VACATION !!」2008年
●コレは完全に perfume ~ 中田ヤスタカの路線と同じくするタイプのアーティスト。ダンスミュージックとしての美味しさを追究してる。でもサウンドメーカーは東京エスムジカ鈴木大地なんだって。全然芸風ちがうじゃん!さすが東大卒ミュージシャン、手先が器用だぜ。ちと低音キック&ベースが弱いのが、本家には叶わないトコロだけど。
●その一方で、SOTTE BOSSE 以降の、名曲カバーのオモシロさを追究してるユニットでもある。SOTTE BOSSE は有名ジェイポップをボッサ風にカバーし、それに追随してあるアーティストはパンクで、またはレゲエ/ラヴァーズロックで、ラウンジで……などのアプローチが一杯あったのも去年~今年の現象。原料が洋楽名曲だったりもたくさん。そんで、SWEET VACATION、略してスイバケは、エレクトロで名曲カバーをする。この二枚のミニアルバムは、それぞれオリジナル半分、カバー半分。そのカバー曲セレクトセンスが特に注目。ある意味35歳のボクにはクスッとくるオモシロさがある。つーか、裏側にいる連中が同世代で、センスがシンクロした感じ。

一枚目のグッとくるカバーその1は、 CYNDI LAUPER「THE GOONIES ''R'' GOOD ENOUGH」。映画「グーニーズ」の主題歌でありながら、彼女のオリジナルアルバムじゃ聴けない未収録シングル(ベストもんでは聴ける)。1985年の映画「グーニーズ」は、海賊船の宝物を少年少女が探す冒険ジュブナイルで、ちょうど同世代の子供だったボクには猛烈に印象深い作品だ。この冒険少年の中の一人は翌年の名画「スタンド・バイ・ミー」で子役時代の RIVER PHENIX と共演する(「スタンド~」でメガネ小僧だったヤツ)。オマケにコナミがこの作品をファミコン(もち初代)でゲーム化。8ビットミュージックにアレンジされたこの曲のサビを耳タコになるまで聴きまくりながら、ボクはこのゲームに興じたモノである。選曲したヤツのアタマでは、CYNDI LAUPER の曲ではなく、ファミコンと映画の曲だったはず。ボクは少なくともそう聴いている。
一枚目のグッとくるカバーその2は、BOOWY「HONKY TONKY CRAZY」である。前の曲にしても、この曲にしても、なぜかくも確実に30歳代男性のココロのアルバムに手を突っ込む様な選曲ができるのであろうか。だってボウイだよ!ボウイ・エレクトロだよ!深くフィルターをかけたフラットな女子声に、氷室京介 A.K.A.ヒムロックのエモーショナルボーカルを置き換えるのは、ある意味無謀な大冒険で、ギリギリで冒涜寸前。実はシンプルで単調な構造の曲だったコトがこのカバーでわかったし、それを単調な曲にしなかった彼のバンドの偉大さを今一度思い知る。カバーとしてよくできてるとは言えないが、BOOWY にチャレンジしたこと、しようと発案したこと自体に敬意を表す。でも何回も出来ない裏技だよ。

二枚目のグッとくるカバーその1は、BLUR「GIRLS & BOYS」。COLDPLAY「SPEED OF SOUND」のカバーもしてるけど、そんな最近ヒット曲じゃなくて、10年以上前のブリットポップ旋風ど真ん中のヒットシングルをある意味まんまカバーってトコロがツボ。元々原曲からエレクトロ体質でリミックスも一杯あったからね。で、30歳代男子のロック経験のど真ん中であることも、見事なマーケティングでご立派。
二枚目のグッとくるカバーその2は、TMN「WE LOVE THE EARTH」。もはや手が後ろに回ってしまった「時代の寵児」による曲。実は、この曲は知らなかった。シングル「LOVE TRAIN」のカップリング曲だって。掘りドコロがマニアック過ぎるよ……TMN と改称した頃からもう聴いてなかったなあ。でも小室哲哉がいなかったらジェイポップジェイポップにならなかったかも知れないほど、彼は巨大なサウンドメーカーだったと思うよ。日本語のロックは70年代から着実に進歩発達して一般化していった。でも日本語のダンスミュージックは小室哲哉が一気に普及させたと言ってもイイ。日本には見るべきダンスムーブメントなんてソレ以前になかったし。竹の子族くらい?ディスコは単純に外来音楽で邦楽化しきれなかったもんね。そもそも日本人は人前で気ままに踊るなんてしない民族じゃん?
●ぶっちゃけ、発売停止になっちゃった globe「GET WILD」&「SELF CONTROL」のセルフカバー、本音で聴いてみたい。ネットのどっかに流出しないかな~なんて。



COPY(初回限定盤)COPY(初回限定盤)
(2008/09/03)
Aira MitsukiTerukado

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ロボットハニーロボットハニー
(2008/10/29)
Aira Mitsuki

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AIRA MITSUKI「C.O.P.Y」2008年
AIRA MITSUKI「ロボットハニー」2008年
もうジャケでエレクトロ。なんですかあのサングラスは。本人ちゃんと顔カワイいのに。「チャイナ・ディスコティカ」とか「カラフル・トーキョーサウンズ・NO. 9」みたいな曲タイトルが、既にcapsule フォロワーだって明確にしてるよね。的確にエレクトロであろうとしてる。太い四ツ打ち、歪むシンセ、フィルターボーカル。こと AIRA MITSUKI feat. TERUKADO とクレジットされてる曲「BEEP COUNT FANTASTIC」は容赦のナイ歪んだビープ音攻撃で全然カワイゲがない。TERUKADO って人物は、彼女のサウンドプロデューサーで、capsule / perfume に於ける中田ヤスタカのポジション。彼もホントは凶暴エレクトロ嗜好を隠してるタイプってことね。

●で、ファーストアルバムの直後にリリースされたニューシングルが「ロボットハニー」。なんと10トラック収録。でも10曲収録じゃない。メイン曲4コ、そのリミックス2曲、残りはメイン曲の「DIGITAL mp-3 MASTERING VER.」なんです!mp3プレイヤーで聴くリスナーに向けての別マスタリングって?うっひゃー、音楽業界とうとうココまで来た。オンライン配信流通革命が、コンテンツのキモであるマスタリングの考え方まで変えた。元来、オーディオ技術は高音質高品質というベクトルで進化してきたはず。CDかアナログかって議論はまだ尽きないが、いつの間にか SHM-CD なんて規格まで登場してる。でも、mp3プレイヤー、ひいては携帯電話の着うた水準のハードに合わせるのは、レベルダウンのベクトルじゃない?違うの?
●で、聴き比べ…と思ったけど、ボクこのシングルレンタルで借りたから、やっぱ即座にiPodに受けちゃって、すぐ返却しちゃったのよね。だからCDで聴くフツウのマスタリングってのが既に聴けない。iTune から我が家のメインシステムである BOSE のシステムで鳴らしても、全部 m4aファイルに圧縮しちゃったから、もう違いがわかんない。……やっぱ、そういうスタイルの音楽視聴がもう社会に浸透し切ってるのね。
●音楽を聴くって大変だ。作る側は聴かれるハードを想定して制作するし、聴く方は音楽のタイプで聴くハードを選ばないと正しく聴こえないって訳ね。ヒップホップの連中が「12インチのビニールに深い溝でドープな低音削り込みました」と言うならアナログで、彼らみたいに「小さいプレイヤーに圧縮してちっこいヘッドホンで聴いて下さい」と言うなら、そう聴かないといけない。ただ残念なのは、エレクトロとして命であるキックとベースの低音部分がどうも弱い。ちっこいヘッドホンが得意なミドルレンジが強調されすぎてて、キックを聴こうとしてボリュームを上げると中音域が割れてしまう。うーん、不完全燃焼。


BEAMBEAM
(2007/12/05)
MEG

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MEG「BEAM」2007年
●このアルバムは、capsule 中田ヤスタカプロデュースなんで、ハッキリ言ってもろ直球で perfume です。うん、1人perfume。ただしスローテンポ曲もアリでアルバム楽曲のバリエーションは幅があってよろしい!
女子エレクトロの傾向として深いフィルターボーカルがやっぱり特徴的なんだけど、特にココでのボーカルの加工のホドは凄まじいもので、曲のタッチで気分が全然変わる。コレ本人のボーカル能力?それともキカイのチカラ? このCD聴いてたら、将来 CHARAYUKI といったユニークな声を持つ傑出したボーカリストは、近い将来フツウの声をPC技術で加工することで簡単にねつ造できるんじゃないかと思った。
●ただし、中田ヤスタカべったりの perfume と違って、彼女はイロイロなプロデューサーと組んでる。デビュー曲は岡村靖幸!と共作、デトロイトテクノの大物 THEO PARRISH とコラボしたり、電気GROOVE のレイブフェス「WIRE」に出演したり。この前のアルバム「AQUABERRY」ナカムラヒロシ(i-dep、SOTTE BOSSE)と組んでるし、このCDには韓国&カナダ人のクラブ系ユニット CLAZZIQUAI PROJECT のリミックスまで収録してる。最近は宇川直弘の作品に参加してるというから、フットワークが軽いもんだ。カフェやアパレルのプロデュースも手掛けているというから、自己プロデュース能力の高い人なんだろう。


今年のキーワードでよく耳にしたのは「乙女ハウス」というフレーズ。

元気ロケッツ I-Heavenly Star-(DVD付)元気ロケッツ I-Heavenly Star-(DVD付)
(2008/07/02)
元気ロケッツ

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元気ロケッツ「元気ロケッツ I -Heavenly Star-」2008年
ハウスってあまり得意分野じゃない。少し享楽的過ぎて、禁欲主義的なテクノ/エレクトロに比べて軟派なイメージがある。偏見だと承知で言うけど「ユルくて甘い」オトコ=テクノ、オンナ=ハウスという構図、もう一歩踏み込むとオンナ(+ゲイ)=ハウス。あ、ゴメンナサイ、ゲイの人に対する偏見と取られると困る……。でもボクが会ったゲイの人、みんなハウス大好き。キラキラしたモノへの鋭敏な感覚、ゲイの人はホントに優れてると思う。あとゲイの人、霊感も強い。なぜ?
●主観的な意見をもうちょっと言うと、テクノ/エレクトロはビートを一打一打踏みしめていく感覚がある。ドンドンドンドン!とね。あくまでビートが主役。ハウス/トランスはリズムを流していく感覚がある。上モノの美メロがビートを超えて舞い上がる。この可憐さを「ハウシー」って言ったりするじゃん。ヒップホップもファンクも大好きなボクは、ビートを流し聴きすることは出来ない。ハウスが苦手なのはそういう理由。似てる音楽なのにボクの中ではこうも違う。
●そんな感じでハウスを捉えてたボクには「乙女ハウス」って、絶妙に本質を掴んだ表現だと思った。ハウスの持つ、キッチュなくらいのギラギラなグリッター感を、微妙に「乙女」チックにおすましさせて、パッケージングした感じ?こりゃオモシロいと思った。

元気ロケッツは日本のクリエイターとしては「乙女ハウス」第一人者ということなので、早速聴いてみた。スペーシーな空間の奥行き、深くエコーする女子ボーカル。下へ下へとズンズンビートが這い回るエレクトロ感覚と違い、上へ上へと高く飛翔していくメロディアスな展開がまさにハウシー。
●しかも、元気ロケッツには、芝居がかったコンセプトがあった。「宇宙生まれの『30年後の19歳」が''HAPPY''を地球に発信 !!」。ボーカリストである LUMI ちゃんは、今だ生まれてない未来人のオンナノコ。宇宙生まれで地球に降りたことはマダない。このアルバムについてたDVDのライブ映像は、ホログラム映像をステージに投影してのパフォーマンス。ぶっちゃけフロアはノリずらそうな空気で、ちとウザイ設定なのではとも思った。DAFT PUNK のロボットキャラは、ツッコミ待ちのバカ設定で、連中はアレでカッコつけてるつもりないでしょ。映画まで作って悪ノリし過ぎだけど、ヨーロッパ人のユーモアってヤツ? でもとにかく LUMI ちゃんカワイいし、乙女キラキラだからゼンブ許す!オールオッケー!


異形の8bitミュージックとファミコン魂。YMCK。

YMCK SONGBOOK-songs before 8bit-YMCK SONGBOOK-songs before 8bit-
(2008/09/24)
YMCK

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YMCK「YMCK YMCK SONGBOOK -SONGS BEFORE 8BIT-」2008年
YMCK は数あるエレクトロ・アーティストの中でも特別なポジションに位置するバンドだ。30歳代にはノスタルジックにさえ聴こえる、ちゃっちいピコピコのファミコンゲームのBGM風サウンドで楽曲を作るという芸風を貫き通す、8ビットミュージックの達人だ。もうソレしかしない。その決意たるや潔し。そのチープなサウンドと女子声でポップでダンサブルな音楽を作ってきた。初代ファミコンへの愛情は海より深く、別のアルバムじゃ、あの「一秒間に16回ボタンを押すオトコ」高橋名人とコラボレーションしているほどだ。
そんな彼らが、より一層異形な挑戦に出た。「ソングス・ビフォー・8ビット」、8ビット以前の音楽を8ビットミュージックでカバーするという挑戦。具体的には、70年代の日本フォークミュージックをチープなエレクトロでカバーするという無茶なチャレンジ。スゴいよ、井上陽水、森田童子、泉谷しげる、吉田拓郎とかに挑戦しちゃうんだもん。
●フォーク世代のエルダーな方々にどう響くか全然わかんないけど(つーかNG?)、その強引さとキッチュっぷりはビックリだわ。8ビットという味(制約)は、音をたくさん重ねない、スキマ感たっぷりでスカスカしてる、高域にアクセントはついてもバスドラキックは弱い(ベースは頑張ってる)。よってマジでボーカル勝負にもなってる。
●原曲がフォークだし、ダンスミュージックにし切れないよね、小田和正「言葉にできない」とか吉田拓郎「人生を語らず」とか、ピコピコしててもダンスはしてないもん。…てか、ピコピコがウザイ……。残念、原曲を乗り越えられなかった。女子声曲である森田童子「ぼくたちの失敗」は、フィルター女子ボーカルで、なんとか気分は伝わった。井上陽水「夢の中へ」吉田拓郎「人間なんて」は、ダンスアレンジの行き先が見えちゃって、意外性がない…。
●でも唯一オモシロかったのは遠藤賢司「満足できるかな」。つーか原曲がダイスキってのが前提であって(ホンモノは1971年の録音で、バックバンドをはっぴいえんどが務めた、不思議なグルーヴ感を持つ曲なのですよ)、グルーヴ感を独自解釈してアレンジがどんどん展開してく気分が最高。井上陽水「傘がない」も健闘だと思う。あの曲をダンスミュージックにしちゃってるから。

超余談だけど、このCDの特集記事で、高橋名人とYMCKのメンバーの対談があった。
高橋名人自身はフォーク世代のオトコだったので「なんだオレにも声かけてくれればよかったのに」と完全トモダチ気分。そんで一つ秘密を公開。超人ワザ「16連打」で名を馳せた高橋名人、実は「17.6連打」までイケル能力を持っていたとな。でもPC業界じゃ「16」という数字は座りがイイから(PCのスペックには16の倍数がたくさん出て来るもんね)、敢えて「17連打」を「16連打」と称したらしい。名人スゲエ。やっぱリビングレジェンドだわ。



そんじゃ「女子エレクトロ」本家の中田ヤスタカは何してんの? capsule 新譜リリース。

MORE! MORE! MORE!(初回生産限定)(DVD付)MORE! MORE! MORE!(初回生産限定)(DVD付)
(2008/11/19)
capsule

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capsule「MORE! MORE! MORE!」2008年
●初期 capsule は、PIZZICATO FIVE のフォロワーだった、と以前このブログで取り上げた。(その記事へリンク)それが海外のエレクトロシーンとシンクロするように現在のベキベキビートに進化してきた過程はソコでチェックしてみましたです。その延長にコレが来た。で、キター!って感じ。サイボーグ度はより上昇、まさに「オレのカラダの筋肉はどこをとっても機械だぜ」(BY DIE KRUPPS)状態。タイトルチューン「more more more」からスッパスッパと切れ味のイイ鋭角ビートのメリハリでビリビリシビレマス。モア!モア!モア!もっと強烈なビートをブチカマシテくれ!もっとシンセを歪ませてくれ!
●衝撃は三曲目以降。「the Time is Now」「JUMPER」では、イツモよりもさらに20%増量の強力シンセビートに、英詞リリックを速射砲ラップでシャウト!つーかノーマル録音を高速再生加工? コレ完全新路線。海外エレクトロとドンドンシンクロ度上がってます。M.I.A とか SANTOGOLD とか CSS とかの新種エレクトロの音楽がどんどんアタマの中に湧き上がって結びついていく。もはや「女子エレクトロ」ポップスプロデューサー中田ヤスタカはココにはいない。エレクトロ超合金で出来た凶暴な牙と爪を剥き出しにして、聴く者の耳を切り裂くケモノが一匹疾駆してるだけ。中田氏のプロデュース仕事が増えれば増えるほど、capsule危険なエレクトロ実験場として、新型化学兵器の人体実験をしてるような凶暴さを備えていく。ココでの実験を糧にして、中田氏は職人プロデューサーとして進化をしていくつもりなのかな。とにかく、capsule には今後も最先端を突き進んでもらいたい。

●全然カンケイないハナシ。「capsule」って綴る度に連想してしまうんだけど、マンガ「ドラゴンボール」のヒロイン、ブルマちゃんって「capsule corp.」というハイテク企業の社長令嬢って設定があったよね? おっきなメカをちっちゃいカプセルに収納して、使う時はボンッとカプセルを破裂させると中身が出て来るみたいな。あまりにも古い時期の「ドラゴンボール」だから、記憶が不確かだけど。どうしてもブルマちゃんのカオがちらつく…。


中田ヤスタカの別ユニット、COLTEMONIKHA。

COLTEMONIKHACOLTEMONIKHA
(2006/05/17)
COLTEMONIKHA

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COLTEMONIKHA2COLTEMONIKHA2
(2007/09/26)
COLTEMONIKHA

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COLTEMONIKHA「COLTEMONIKHA」2006年
COLTEMONIKHA「COLTEMONIKHA 2」2007年
●デビューしたばかりの capsule は、ボクにはPIZZICATO FIVE のマネっこばっかで退屈だったのです。それは前の記事にも書きました。(その記事へリンク)しかし中田氏は、決してエレクトロ魂だけのプロデューサーではなく、チャーミングな女子ポップスも大好きだということは忘れちゃいけない。で、自分でもそう思ってるのか、初期 capsule 女子ポップス部分だけを抽出したユニットを同時並行で走らせている。それがこのユニット、コルテモニカ
マジで甘い。ダンスミュージックという軸はぶれてないけど、今の capsule みたいに歌詞がビートに埋没するような過激さはない。ボーカルにフィルターはかかってないし、ウイスパー系の萌え声にまとめてる。萌え声で「みーみーまみもー」「やむやむやみー」とか歌ってる。アレンジはデコラティブで多彩。時に疑似ボッサとかラウンジーとか。マジで PIZZICATO FIVE がアタマをよぎる。中田ヤスタカのバランス感覚を楽しむ。


突然だけど、木村カエラ。

JasperJasper
(2008/02/06)
木村カエラ

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木村カエラ「JASPER」2008年
なんでカエラちゃん?彼女は元気なロック少女でしょ、と思うでしょ。この曲だけプロデュースが石野卓球(電気GROOVE)なの。ジャケもバリバリのニューレイブスタイルだし。
●トラックは石野卓球ソロによく見える、手数の多いザクザクした高速テクノの路線。でもシッカリポップスに着地する手堅い仕事になってる。とくにCメロへの急展開がダイスキ。いつもムダだなと思ってるシングルのインストトラックですら楽しめた。半ば電気GROOVE風のリリックに影響されたかのような、無意味寸前のリリックBYカエラちゃんもナイスっす。
●でも残念ながら卓球プロデュースはコレ一曲でカップリングはいつもの元気ロックだった。


最後は「男子エレクトロ」。電気GROOVE。

YELLOW(初回生産限定盤)(DVD付)YELLOW(初回生産限定盤)(DVD付)
(2008/10/15)
電気グルーヴ

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電気GROOVE「YELLOW」2008年
今年は二枚のアルバムをリリース!マジでビックリ!前作「J-POP」は8年ぶりのリリースだったんだよ!ソレが今度は半年でアルバム投下。早過ぎる!
●前作「J-POP」は、アルバムタイトルを深読みして、彼らなりのジェイポップ批評を嗅ぎ取ろうとしたけど、正直、彼らが何度もインタビューで言ってる「深い意味はナニもないです」つーのがホントの本音だというのが、聴き込んだ上での最終的な結論。そんで矢継ぎ早に打ち出された新作も、やはり前作同様の、笑いさえ消え去ったナンセンスの荒野が広がるエレクトロ無間地獄でした。
●前作の段階で曲のストックは一杯あったらしいけど、なんかメンドクサイから全部最初から作ったという楽曲群は、「ツアーをこなしながら、その途中で作った初めてのケース」だったらしく、ある意味肩のチカラが抜けてて、現場(ライブ、ダンスフロア)での有効性に特化したシンプルさが素直に出てる。そんで結果として実に野郎臭い匂いを放つに至った。コレをクルマでラウドにかければ、助手席の彼女は憮然と「あのさ、このCD変えてくんない」というだろう。「女子エレクトロ」「乙女ハウス」にはあり得ない反応だ。仕方がない、コレは「男子エレクトロ」なのだから。

●ボクはミュージシャンでも音楽業界の人間でもないからホントに不思議なんだけど、どうしてこうも低音の響きに差が出てくるのだろう。この「YELLOW」のキックの強さの満足感たるや、今日取り上げた全ての音源の中でズバ抜けて最高なのよ。しかも、BOSEのシステムでもiPodでも多分どんなオーディオでも間違いなくヘヴィイに低音が響くのよ。で、ダンスフロアで聴いたら失神するかもってくらい効くんだろな。
●そんで、反対に彼らはそのヘヴィイなキックとベースだけしか提供しない。歌詞は意味不明で聴き取れもしない。上モノも最低限。原始アシッドハウス回帰。スコップでザクッと重低音をすくいあげて、燃え盛る蒸気機関のカマに放り込んで出来上がり!はいよ、冷めないうちに喰えよ!という大味テイスト。まさにコレが「男子エレクトロ」中田ヤスタカのアレコレのプロデュース技術も、シンプル過ぎるこの攻撃には小細工にしか見えない。さすが日本の誇るテクノゴッド。……あ、コレホントに一般的な聴き方じゃないから。真に受けると痛い目会うかも。ノレナイ人には退屈で苦痛かも。彼らはもう90年代の電気GROOVEとも違う領域に入ってるからね。



ハナシは、紅白歌合戦にいきなり戻ります。
●ラインナップに関わる、ボクの注目したポイントは、ハロープロジェクト勢の全滅。1998年モーニング娘。の出場以来、ズーッとハロプロは関連ユニットも含めて必ず食い込んできたのに。うーん、ここでひとつのディケイドが終ったのね…と感慨深い思いが。
●正直、昨今のハロプロに興味は持てないんだけど、コドモの見てるアニメ番組でたまたま耳に刷り込まれちゃったハロプロ系ユニットが、今年は2曲もあるので紹介しちゃいます。「コイツ、アイスランドのヒップホップからハロプロユニットまでチェックしてんのかよ…」と呆れる方もいるでしょうが、節操なく聴きまくるのがボクの主義。


アナタボシアナタボシ
(2008/04/30)
MilkyWay

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MILKY WAY「アナタボシ」2008年
●アニメ「きらりん☆レボリューション」の主題歌でした(10月クールで変わっちゃったけど)。主人公のオンナノコ月島きらりちゃんがアイドルを目指してがんばる物語で、モー娘最後の大物(?)久住小春が、アニメの声優、主題歌をゼンブ担当してたモノ。久住オルターエゴのソロ活動として「月島きらり」名義のCDリリース&パフォーマンスをしていた。プロレスラーみたいね。武藤敬治&グレート・ムタとか。
●で、現在アニメの主人公は三人組アイドルユニット「MILKY WAY」で活躍中。ストーリーと同時進行で、「ハロプロエッグ」(←プロ野球で言うトコロのファームみたいなもんなの?)から二人のシンガーを抜擢、アニメと同じようにリアル「MILKY WAY」を結成する。もちパフォーマンスでもアニメのキャラを引っ張ったまま。
●そんで彼らの持ち歌がこの「アナタボシ」で、そんで結構イケル。タンバリンをたんたん鳴らす振り付けがアニメのアクセントになってるんだけど(おもちゃメーカーのマーチャンダイズアイテム)、コレをうまく活かして、しかもアイリッシュダンスを意識した高速リズムアレンジがハッと耳を惹く。多分ツタヤの100円中古に埋まってるから見つけたら聴いて下さい。

ロッタラ ロッタラ(通常盤)ロッタラ ロッタラ(通常盤)
(2008/11/12)
Buono!

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buono!「ロッタラロッタラ」2008年
●これもアニメの主題歌。「しゅごキャラ!」ってヤツで今我が娘ヒヨコ5歳の最高のお気に入り。buono!(ボーノ!と読む)は Berryz工房 ℃-ute のエースを集めた三人組で、もう5枚もシングル出してる。
「ロッタラロッタラ」ってなんだよ?って思ったけど、「LOTTA LOVE」を連呼してるのよね。ひらすら「LOTTA LOVE LOTTA LOVE LOTTA LOVE」とリフレイン。もう分かりましたね。バリバリのアイドルソングだけど、元ネタは LED ZEPPELIN「WHOLE LOTTA LOVE」1969年ですわ。世界で最初のハードロックリフとして有名な「ダダーダダー ガッ!ガッ!ガッ!」ROBERT PLANT が歌ってました。「WHOLE LOTTA LOVE…WHOLE LOTTA LOVE…WHOLE LOTTA LOVE」って。
「ロッタラロッタラ」のサビには「胸いっぱいの愛」ってフレーズが何回も出て来る。もうココで間違いなし。「WHOLE LOTTA LOVE」の邦題は「胸いっぱいの愛を」だもん。作り手がお茶目な遊び心を忍び込ませてるのが愉快。アニメ見てる子たちには分かんないけど、さて子供のパパさんたちにこのパロディがどれだけ伝わるだろう?ってスタッフが楽しんでいるのが見える。

Led Zeppelin IILed Zeppelin II
(1994/07/04)
Led Zeppelin

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便秘気味のヒヨコ5歳、最近はわりとお通じの調子がイイらしい。
「もれるもれるもれるー!」と叫ぶヒヨコ。無事コトをこなした後のヒトコト。「オシリちゃんには、もうすこしだからがんばって!っていったの。そんで、アシちゃんにはもっといそいで!っていったの」

テレビでカエルが泳いでいる様子を見たヒヨコ。
「すごーい!カエルさんがキタジマのマネしてる!」イヤ、平泳ぎはカエルの方が元祖だろ。

近所にオーガニックなドーナツ屋さんが出来た。4~5人の行列が出来る店だ。
●ヒヨコ、行列に並んでる間、ずーっと歌いっ放し。「どーなつ、どーなつ、どーなっつ!チョコどーなつ、コーヒーどーなつ、こうちゃどーなっつ!あっ、チョコドーナツがあと一つになっちゃった!」お客も店員さんも全員苦笑。ワクワクすることをガマンできないのがヒヨコで、おいしいドーナツをゲットすることは、ヒヨコには最高のワクワク物件なのだ。

ノマドにナニか言われて、いたく傷つきメソメソ泣いているヒヨコ。
●一体ノマドにナニを言われたの?!「ノマドが、ヒヨコのチビロボちゃんたちは『たいきけんとつにゅう』できないっていうの(泣)」うーん、大気圏突入は別にしなくてイイと思うよ。

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(ヒヨコが開発したレゴブロック製大量生産型モビルスーツ「チビロボちゃん」。略称「チビロン」。激シンプル。50匹以上の「チビロン」を引き連れて、ヒヨコは遠足ごっことかをする)



自律神経失調症とのお付合い(その77)~「プレゼン勝負のカウンセリング」編
●まあ、ボチボチほどよい生活をしています…。慎重にカラダをオペレーションして、11月は安定したコンディションを維持できました。

今日の爆笑。同期のHヤマ。
●会社の同期、Hヤマにバッタリ廊下で会った。Hヤマはそれはもう伝説的なエピソード満載の爆笑ネタオンパレード人生を歩んでるオトコで(諸事情あって説明できないのが残念)、その変人ぶりに尊敬すら抱いているトモダチである。そんなヤツに休職して以来ほぼ初めて会った。
●そのHヤマ、ボクの顔を見るなり切り出した。「よ、今度メシでも食おうぜ、あのー、ちっと気分が落ち込んでるってだけだろ、たいしたことねーだろそんくらい」
●きょとん。んーコイツ何言ってんの?……ああ、ボクのうつ病のコト言ってんのね!「ちっと気分が落ち込んでるってだけ」!あははははは!こりゃ傑作だ!誰もがハレモノにサワるかのようにボクの病気の話題を避けてるのに、コイツはいきなり「落ち込んでるだけ」とバッサリだ!大爆笑だよ!それでこそボクが面白がってるHヤマだ。このデリカシーのカケラもない感覚が最高に笑える。あはははは!大丈夫だ、ボクは自律神経失調症、別名仮面うつ病で、気分障害はそんなに重たくないんだ。むしろカラダがウマく機能しないとかソッチの方で痛んでるんだ…。まーこんくらいの気負いのないトークとして、病気をネタに出来るとイイな。ホント性根のトコロ、この病気とそれに関連した経験はボクにとって格好の大ネタだからね。

先週の心療内科診察。もう一段階、減薬。
「眠い眠い」と主治医に訴えたら、今度は朝飲む安定剤を少し減らしてくれた。10月に午後昼食時の安定剤を全廃してくれた路線の延長で、朝飲んでいるデパス2錠(1mg)+メイラックス1錠(1mg)を、デパス1錠(0.5mg)+メイラックス1錠(1mg)にしてくれた。
●最盛期は一日毎三食安定剤をブチ込んで(デパス2錠(1mg)+メイラックス1錠(1mg)を三セット)、さらに頓服でコンスタンをモリモリ決めまくってたボクだ。患者さんの中にはクスリを飲むコトに不安や抵抗を感じる人もいるようだが、ボクは調子に乗って飲んでたな。相性がイイのかマジで気持ちよくなるし、一方飲まないと最低な気分になる。つーか大好物だった。もちろん医者の提示する量以上は飲まなかったよ。ルールを破って飲み過ぎてジャンキー同然になった人も知ってるし。でも、それが約半分まで減らせたのだから、長い道程随分しっかり歩いてキタモんだと感慨深い。


体力回復に朝の徒歩一駅分。
看護師「のび太くんのママ」さんが、先週あるアイディアを提案してきた。「unimogrooveさんは、やろうと思えば会社にいる時間を伸ばせると思うの」はいはい。ボクもそんな感じがします。「でもね、会社の中でノンビリし過ぎて体力が減退したら意味ないでしょ」はあ。「だから、カラダを動かして体力をつけないと」……まートモダチとハナシをすると、みんな出勤前にプールやジョギングしたりしてるって聞きました。でも今ボクにはそんなハードなコト無理です。筋トレだって下手にやると筋肉がオカシくなるんですから…。「日常生活で少しずつ負荷をかけていくコトね」…うーん、そりゃそうでしょうけど、具体的にナニすりゃイイんすか?
●ソコで得意げにヒトコト。「朝の通勤で、電車の駅一個手前で降りて、一駅分を歩くの」はああ。……むむむ、かったるい提案だ(←ココロの声)。うー、今のボクの通勤経路だと、新橋に対して浜松町汐留に対して大門ってコトですね。…まあ、そんなに遠くはないスね。道は退屈かも知れないけど。「15分くらいかしら。やってみる?」以前、東銀座の鍼灸治療に徒歩で通ってみたらって、提案してくれたじゃないですか。それから会社から鍼灸行く時は、実際、駅一つ分、ちゃんと歩いてますよ。今回のハナシもやれなくはナイすよ。……それにしても余計なお世話で、かったるい提案だ(←ココロの声)。

しかし、翌日、ボクはマジでこの一駅分の距離を歩いてみた。
●自分でもエラいと思った。素直に言う事聞いて歩いてる。看護師「のび太くんのママ」さんが付け加えたこの提案のメカニズムに興味が持てたからだ。
●ボクは病気の結果、自律神経の不調で朝起きると全身の筋肉が不自然な緊張と疲労でズッシリ重くなっている。それを朝風呂(半身浴)30~40分でアイドリングし、キチンと起動するように刺激を加えている。カラダが温められる事で血流が促進され、筋肉の緊張をほどきカラダの動きをスムーズにする。しかしコレだけでは足りない、というのが看護師「のび太くんのママ」さんの主張だ。
●風呂のように外からの刺激でカラダを温めるのは一定の効果を得るにとてもいい習慣。でもソレだけではダメ。筋肉を実際に動かす事で、筋肉自体、カラダ自体が血流を活発化させるよう仕向けるとより一層イイ。ボクが朝の電車で居眠りしてしまうのは、風呂による血流促進の効果が薄れ、テンションが下がっていってしまうのに歯止めがかけられてないからだ。コレに「一駅分の徒歩」という運動を加えれば、血流は更に促進され、自家発熱なので効果も長く持続する。なるほど、納得できる理屈だ。
●そんで実際に歩いた。会社に到着してみると、はあはあ息が切れてる状態だが、爽やかな汗を感じられるし、なにしろアタマがスッキリしている。眠気を感じない。足の筋肉の疲労と緊張は否めないが、知らない街角を歩く楽しみも増えた。コレは続けられる習慣だ。

ルームメイトくんも感心。
「へー、早速歩いてるんですか。スゴいですね」人事局のスミッコに設けられた病人専用スペース「癒しの小部屋」(←ボクの勝手なネーミング)で共に暮らすルームメイトくんは、けなげに看護師「のび太くんのママ」さんの言う事を聞くボクに感心。ボク「ぶっちゃけ、あの「のび太くんのママ」さんを納得させないと、ボクら一生復帰できないんだよ。もうこうなったらトコトンゴマすって、イイ子ちゃんに振る舞うしかナイじゃん。本音は別としてポーズだけでもコツコツポイント稼いでくよ」
ルームメイトくん「オレも「横浜の精神病院に行ってみないか」ってほのめかされてるんですよ。ソレだけはマジ勘弁です。だって遠いんですもん。なんとか回避したいんスヨ」うんマジ遠い、ボクんちで片道2時間、キミんちからなら ドア TO ドア で3時間かかるかも。変な人オモシロい人イッパイいるから、ちょっぴりだけ覗く分にはオモロいけど、行けばボクみたいに3ヶ月とか通わされちゃうかもね。キッツイよね。
●とにかく、「のび太くんのママ」さんに対し「イイ子ちゃんに振る舞い続ける」作戦で、ルームメイトくんとボクは、お互い共闘するコトにしたのだった。労務部の雑用とか、二人で力を合わせてサクサクこなしているもん。特に、朝の労務系新聞記事スクラップのコピー&幹部社員への配布。「単純作業とはいえ、もう段取りが洗練されてきましたね。あっという間に終りますね」ワリと息のあう仲間であった。


そんで問題の会社カウンセリング。
●何度も書いているが、精神科デイケア施設を持つ横浜の精神病院の院長先生が、会社の心理カウンセラーを兼ねているのがウチの状況。デイケアへ送り込むも会社に戻すも、この院長先生のジャッジが全てだ。しかし非常勤である院長先生に、ボクらのコンディションに関する情報を注入するのは「のび太くんのママ」だ。だから、この二人をなんとか懐柔しなくてはならない。
●木曜に行われたカウンセリング。まずはルームメイトくんから。20分くらい話し込んで、出てきた彼は小さくガッツポーズ。「会社の滞在時間が延びました。10時~14時が、10時~16時です。なんとかステップアップです。横浜行きも回避しました」よかったねー!

そんでボクの番。ニコヤカに、しかし必死のプレゼン。
●カウンセリング室に入ってイチバン最初に目に入ったのは、院長先生のPCの壁紙が、1mを超える外洋性魚類シイラを釣り上げた船上の先生のスナップになってたコト。「センセイ、シイラですか!海釣りやられるんですか、アウトドアですね」「ん?キミ、シイラを知ってるのかい」「はい、そりゃ当然…(実は先日コドモたちと一緒に見たNHK「ダーウィンが来た」でたまたま登場したという偶然)」ここでセンセイの海釣りトークを3分ばかりフンフン聞く。「シイラなんてのは、全然珍しくないんだよ、この前は7匹釣ったしね…食べきれないから病院の食堂に提供したよ」…よし、ウマいコトいった。場は十分暖まったぜ。
●センセイ「最近どうですか」イイ感じです。減薬しました。離脱症状もありません。先日、息子の誕生日パーティや小学校/幼稚園の行事が立て続けにあったのですが、おトモダチのママさんたちとつつがない社交を交わしました。そして、通勤時、一駅分早く降りて会社まで歩いてます。体力もコレで少しついていくと思います。実際、会社の帰りは病院以外寄り道をしなかったのですが、新宿などに寄り道をすることができるようになりました。まだあんまり大きくは動けませんけど、無理しない節度をわきまえた動きを目指してます。あ、あと先日宿題で出された、病気発症に関する反省点と、今後の生活習慣の改善ポイント、それぞれ5項目づつ列挙してみました。見て下さい。
……わかります?ニコニコ楽しく淡々と報告してるだけのように見えて、内心ではメチャメチャ練り込んだプレゼンテーションを必死に展開しているんですよ。端的に要点を絞って、ムダなく強調ポイントを押さえる…しかも冷静に余裕の表情で…上司やお得意への企画プレゼンと同じ緊張感。でも緊張している事は悟られてはイケナイ。マジで仕事のプレゼンと同じ。
●院長先生「ふむ……。正直ね、やっぱり体力面の心配があってね、横浜の病院にもう一日、週二回通院してもらった方がイイと思ってるんだ」だあああ!ルームメイトくんにあったほのめかしは、ボクをも対象にしてたのか!マジ勘弁!でも絶対に表情に出さない。プレゼンのコツは、相手の意見を即座に否定しないコト。否定しないで十分理解したと思わせた上でゆっくり覆すコト。ここは冷静にうなづくだけ。「はい」。ヤバいと思ったら、表情筋に意識を集めて口角を上げる。ピンチこそ気合いで笑顔をひねり出す。
●センセイ「でもね、キミが自発的に体力作りで毎朝歩いているというのであればね、会社でもいいのかも知れない。あくまで2時間の通勤をこなせるかという意味での横浜だからね」なるほど(ここもうなずくだけ)。センセイ「しかも、近所のお母さんたちとうまく社交も出来てるという」ボク「実は全員初対面の人たちばっかだったんですけどね、無難にこなせました(←ウソ&ハッタリ)」プレゼンは全て肯定的表現だけで押す。……さて、先生ここで一瞬沈黙。
●院長先生「うん!会社4日、横浜1日、今までのルーチンを継続しましょう」やった!横浜行き増量は覆った。「ボクも正直、会社の空気を吸っていたいです。同僚や知り合いに会って仕事の感触を取り戻すためにも」院長先生「うん、結構でしょう。会社の滞在時間も延ばします。15時までにしようか」おお、14時までを15時に?ルームメイトくんは16時なのに?細かく刻んでくるなあ。でもOK。危機回避と半歩のステップアップ。今日の収穫はコレで十分。

●だああ、マジ危なかった。「のび太くんのママ」の提案を速攻で採用したのが幸いした。「毎朝歩いてる」だなんてセンセイ行ってたけど、まだ始めて3回しか歩いてなかったタイミングだったから、実質なんてまだ備わってないわけよ。それでも会社で「今日は第一京浜歩きました!」「海岸通りから来ました!」「家出る時間を調節して余裕を持たせました!」と細かく「のび太くんのママ」に報告してたのが、ウマく好印象で院長に伝わったのだろう。ボク、今回ナイスオペレーション。
●もちろん今日も歩きましたよ。こうなったら「一駅の徒歩」は会社4日出社の必要条件になっちゃったからね。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html


まず最初に、お気に入りカフェ情報。最近よく利用してます。


スリーコンカフェ

「THREE KON CAFE」
●場所:京王井の頭線「池の上」駅出口を出て左隣の2軒目。池の上駅は、下北沢から見て渋谷側に一つトナリの駅。慎ましやかな商店街があるだけだけど、ボクの散歩圏内でもある。
●ボクは、だいたい今までユニークで快適なカフェを紹介してきたけど、このカフェに限っては、ハッキリ言ってオシャレでもないし特徴もない。ドトール級の没個性型喫茶店だ。客層もオバさんの騒がしい井戸端会議か、オジさんのモクモク喫煙タイム利用(呼吸器の悪いボクにはキツい場面もある)。利点は「安い」こと(ブレンド180円)。そして「新聞が読める事」。ボクは新聞を購読してない。もう10年以上購読してない。だからこそスポーツ紙2紙、全国紙2紙、夕方になれは夕刊紙も置いてある時があるこの店は、ボクにとっては、心ゆくまでゆっくり新聞を読むイイバショになってる。


●ほんで、コレからオハナシする、最近イチバン気になったニュースについても、この店でゆっくり記事や解説を読んだ。始めは意味が分からなかった。次に出てきた感情は、奇妙な不気味さだ。ゾッとしてきた。この感情を整理するまで随分時間がかかった(オマケに一度保存に失敗してブログの文章を消してしまった、というトラブルまであった)。だから既にタイムリーでも何でもないこの話題を、こんなタイミングで記事にすることにした。


すんません、今日は無謀を承知で、政治的なオハナシをします。

●人それぞれの思想や信条、考え方がある中で、特にナイーブな領域に手を突っ込んでしまいます。ハッキリ言って、この問題に対してボクは門外漢であります。特に専門的な知識も教養もない。だから意見する資格もないかもしれない。でも、彼の氏が「政府見解は検証されるべきだ。一言も反論できないようでは、北朝鮮と同じ」という以上、ボク自身も自分の立場を確認し表明してもイイのではないかと思って、敢えて挑戦してみます。

●テーマは、話題の「田母神論文」田母神俊雄・元防衛省航空幕僚長/空将「日本は侵略国家であったのか」です。

この論文、ネットで簡単に読めるので、一度通読をお勧めします。長くありません。A4版9ページほど?ペロペロっと読める分量です。ボクも新聞で様々な評価がなされているのを見て、現物を読んでみたわけです。そしたら……。

●すんません、ホント、すんませんけど、正直言って読んで「気持ち悪くなって」しまいました。「気味が悪い」というか…「戦慄を感じる」というか…。論文の筆者は現在60歳。「戦争を知らない子供たち」第一世代で、あの戦争の当事者でもないのに、こういう思想が熟成されてしまうのかと思うと「背筋が寒くなる」思いなのでした。初めて読んだ瞬間のこの「強烈な違和感」はなんなのか、自分でも整理がつかず、かなり混乱してしまいました。「なんでこの人は、このようなコトを大マジメに語っちゃってるのか? 60歳と十分経験を積んできたオトナが? そう感じるボクの感覚の方がオカしいのか?」



ボクは、この論文が描く史観に対して冷静になるために、とあるバショを訪ねました。

平和祈念展示資料館

「平和祈念展示資料館」。
●新宿西口の高層ビル群、東京都庁の隣にある「新宿住友ビル」48階にある施設で、第二次世界大戦によって辛酸を舐めた多くの日本人の労苦を、様々な資料で紹介している場所です。実際の当事者から寄贈された戦争にまつわる品々(通称「赤紙」、召集令状の現物から、シベリア抑留された人々が来た粗末な防寒具、満州(現・中国東北部)からの引揚げにまつわる悲劇を語る当事者のインタビュー映像などなど)は、かなり痛ましいものでした。当然知らなかった事も多々ありました。

あの戦争で動員された軍属/戦闘員は1945年の段階で約790万人。終戦直後のデータで日本の総人口は7200万人というから、10%以上の国民が徴用され戦争に関わりました。現在の北朝鮮が世界で5番目に大きい100万人の軍隊を抱えていますが、人口2300万人の比率から言えば5%未満、旧日本軍の巨大さは尋常ではありません。
●旧軍属/軍人の方々の中には、在職期間が短い事を理由に、恩給や年金を受けられない「恩給欠格者」と呼ばれる人たちがいることを初めて知りました。実態としてどれだけの数の人が「恩給欠格者」に当てはまるのかそのデータはなかったのですが、命を賭して戦ったのにこのような区別があるのは悲しいことです。

「日ソ中立条約」の破棄で、終戦直前のドサクサ紛れに日本へ宣戦布告したソ連(広島原爆投下:8月6日、ソ連宣戦:8月8日、終戦:8月15日)の、満州/北朝鮮/サハリンへの侵攻は苛烈なもので、手薄になっていた関東軍や国境付近の開拓団への容赦ない攻撃は凄まじいものだったと言います。
●結果、武装解除&捕虜として連行された軍人、そして民間からも「男狩り」と称して引っ張り出された男性など、あわせて約60万人が「シベリア強制抑留」の憂き目に遭いました。アメリカ軍の捕虜解放が比較的順調に進んだのに比べ、ソ連の抑留捕虜全員返還は1956年、終戦から10年以上かかりました。強制連行先は、沿海州を中心に、サハリン、千島列島、モンゴル、遠くは北極圏やモスクワ近郊まで散らばっています。収容所の中には5000人単位で死者が出るほどの、凄惨な強制労働に従事しました。
●一方で、この第二次世界大戦でもっとも沢山の人命を失ったのがソ連であるコトも事実です。ヨーロッパ戦線を中心に800万人の死者を出しており、そのうちの大半が民間人で700万人とされています。中国には正確なデータすらありません。推定で1000万人を超えるとも言われています。ちなみにドイツは430万人、日本は約200万人弱です。

海外から日本への引揚者は320万人。ソ連軍の追撃に怯えながら徒歩で避難した民間人は、子供や老人など弱い者から次々と脱落し、死んで行きました。女性の中には集団自決を図る人もいました。当時を知る当事者のインタビューでは、その様子を淡々と語る人もいました。「毒をあおって死のうとするのですが、ひたすら苦しむだけでなかなか死ねないんです。そこで見かねて男性が日本刀でお腹を2回刺すんです。それでも死なない。次に胸を。でも生きている。最後に喉を切り裂きました…」



あの戦争のイメージを、このように今一度明確にして、再度「田母神論文」を読んでみました。
●それでも、どうしても強烈な「気味の悪さ」「気持ちの悪さ」を拭えませんでした。論文に書かれているように、ボク自身が戦後教育にマインドコントロールされてる実証なのでしょうか。でもどうしても納得がいかない。
●最初に断ったようにホントに無謀な行為ですが、ボクの拙い知識/見識の中で、この「田母神論文」へのツッコミ(反論とは言えないレベル)を入れさせていただきたいと思います。
●もう、面倒なので、論文全文引用掲載です。◇以降に書かれた青文字がボクの意見、赤文字はボクの意見の中で引用した論文の部分です。


「日本は侵略国家であったのか」  田母神俊雄(防衛省航空幕僚長/空将)

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 ◇論文筆者の国際法に関する視点は、100年前の帝国主義時代のモノと21世紀現在のモノとがしばしば混濁するように入り交じる。コレは論文全てに一貫する事だが、この第一段落に一番顕著だ。日米安保条約と、日清/日露戦争を通じて清王朝、朝鮮王朝に押し付けた不平等条約を一緒くたにして「圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない」と正当化してしまう。これはちょっと強引ではなかろうか?

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
 我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ◇張作霖爆殺事件も廬溝橋事件も、敢えて今だ評価が不安定な新説だけを繋ぎ合わせて、責任転嫁をしている態度に違和感を感じる。しかしそれ以上に一番、この論文の中で一番違和感を感じているのは、「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」という部分だ。当時の列強で帝国主義政策をとらなかった国はないが、ボクはイギリスだろうがアメリカだろうがどんな国だろうとそれらの帝国主義政策を絶対に肯定しない。だから日本の帝国主義も正しいとは思わないし、当時の列強と等しく同じに日本は侵略国家だったと言ってイイと思う。誰が「日本だけが侵略国家だ」と問題を狭めているのだろう。それは論文筆者自身だと思う。

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1千3 百万人の人口が2千5 百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源(キンソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。
 
 ◇しばしば出て来る、日本の植民地経営の問題だ。一般的に帝国主義列強の植民地主義は、16世紀スペインのアステカ文明の根絶&掠取のような最初期を除けば、その植民地に産業を振興し投資した分の利潤を搾取することが大きな目的だった。イギリスはインド全土に世界最長の鉄道網を敷設して様々な物資を効率よく本国に輸送出来るインフラを作った。このような投資は帝国主義の常套手段で今なお世界の様々な場所に影を落としている(モノカルチャーな大型プランテーション経営など)。日本が自国領土化した台湾や朝鮮半島にインフラ整備の投資をするのは、効率よい搾取のためであって、別に植民地住民の福利厚生のためではない。
 ◇「現地人の教育に力を入れた」とされるが、「皇民化政策」の名の下に「日本語教育」を強制したのは、一種のエスノサイドである。詳しい史実を知らぬまま言ってしまうが、植民地の帝国大学が非日本語の非日本的研究を自由に植民地住民にさせたのだろうか?日本支配の協力者を育てる政治装置として作用してたのではないだろうか?
 ◇「皇民化政策」の中でも悪名高い「創氏改名」も民族的アイデンティティを破壊するエスノサイドの格好の例だ。それを、ホンの一握りの軍部エリートにいた中国人/朝鮮人を引き合いに出して無効化するのは無茶で強引だ。


 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 ◇帝国主義野望を、穏当なカタチに見せかける為に利用されたラストエンペラー・溥儀の生涯を見れば、このテの政略結婚が行われたのは大して不思議でもない。そんなプロパガンダにそのまんま乗っかっているのは、フザケているのか、真面目なのか、意図が掴めない。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ◇論文筆者の「人種差別」観があまりに貧弱で愕然とする。「5族協和」という思想は、個々の民族の個別性、独立性を保持する性質じゃなかった。あくまで日本人を基準として、その基準に各民族を揃え融和するという性質のモノだった。中国政府が少数民族に対して行っている漢民族への同化政策に近いモノだと思う。つまり現代においては「5族協和」的発想は「人種差別」政策と見るべきだ。
 ◇論文によると「イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった」とされているが、イギリスは1922年インドに士官学校を設立、インド人を積極的に軍幹部に抜擢しており、この大戦(特にビルマ戦線)の軍功により王室から受勲された者は10人を超える。インド独立の父マハトマ・ガンジーは180年の歴史を持つロンドン大学で法律を学んだ弁護士だ。論文著者は、モノを知らないまま文章を書いてしまうタイプのようだ。


 時間は遡るが、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫られ1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 ◇論文筆者は、自分で先ほど綴った表現を忘れている。「当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。」イギリスやフランスなどが日本の言い分を支持するのは当たり前だ。彼らも帝国主義的侵略国家として中国に権益を握っていたのだから。アメリカは極東方面において進出が一番遅れていたから、各国の動きを妨害しようとしたまでだ。ちなみに義和団事件の直前1898年、アメリカは帝国主義的野望の下にハワイ王国を併合している。そしてあくまでボクは主張する。どんな国家においてでも帝国主義政策は肯定出来ない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 ◇このルーズベルト政権内のコミンテルンの暗躍についてボクに知識はない。だから特に意見はない。ただ、引目で見ると、ヤルタ会談などで英米ソが協調するような状態になるほど、共産主義よりナチスドイツのファシズム(&アーリア人至上主義的人種観)の方が危険だったのがあの時代だ。そして日本はそのナチスドイツの同盟国なのだ。共産主義をめぐるイデオロギーの世界ブロック化(鉄のカーテン、中華人民共和国成立など)は、第二次世界大戦が終った後の世界観で、コミンテルン・アレルギーが巨大化するのは戦後の現象ではないだろうか。

 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2、第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 ◇ハル・ノートを受け入れると、日本が白人国家の植民地になるという論理は、ボクの知識不足なのか、ハナシが飛躍しているようにしか見えない。原爆を2つ落とされ、東京を焼け野原にされ、沖縄で19万人が殺される、コレ以上の悲劇が、日米開戦以外の選択で起こったであろうか。ま、そんな歴史の「たられば」に意味はない。だから、ハルノートを受け入れると、日本が植民地化されたという可能性を検証するのも意味はない。
 ◇この人は「戦わない者は支配されることに甘んじなければならない」と書いているが、各国列強に対して中国諸勢力(国民党/共産党)が抵抗運動したコトをどう捉えているのか? 彼ら中国諸勢力も、単純に「支配」に甘んじる事を拒み戦ったまでではないか?


 さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 ◇「アジア/アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることとなった」と論文筆者は言うが、アジア/アフリカの独立と大東亜戦争の関係について、ボクの勉強不足か、どう因果関係があるかわからない。なぜ日本が戦争をすることで人種平等の世界が来たのか、よくわからない。アフリカ諸国が一斉に独立したのは1960年の事で、1945年の終戦とどう関係があるのだろうか? 人種差別撤廃を叫んだ60年代アメリカ公民権運動と大東亜戦争は何の関係があるのだろうか? ベトナムはフランスによる再占領でインドシナ戦争が起こり、その後アメリカの干渉でベトナム戦争に発展していく。ベトナム人は、大東亜戦争のおかげで自分たちが独立を勝ち得たと言われたら、戸惑うに違いない。彼らは彼らの血を流して72年にやっと独立&統一を手にしたのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実効支配が続いている。

 ◇大東亜戦争だけを「愚劣な戦争」とは考えてない。しかし、愚劣でない戦争はこの世に存在しないと思う。戦争で亡くなった人々を「犬死に」というのは無礼だ。戦争は戦争を主導した政府指導部に責任がある。彼らの死に責任があるのは国家自身だ。当時の指導部が「馬鹿」かどうかボクは興味がないが、「多くの日本国民の命」が失われる事、そして帝国主義的野望の前に、抵抗するであろう諸外国の人々の命に大きな影響を及ぼす判断に、「戦争」という手段を選ぶ事が「愚劣」かどうかという問題は無視できない。

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

 ◇東京裁判が問題の多いモノであったことは、ある程度事実だと思う。「戦争の勝者が敗者を裁く」全く新しい考え方の裁判だったのだから、不備も多かったはずだ。しかし、それなら誰にあの大戦争の責任があるのか、もっとハッキリと研究をすすめてもらいたい。裁判が不当といえど戦争責任が帳消しになるなんてことはない。
 ◇この後の自衛隊に関する言及は、自分たちの立場に対するフラストレーションを吐き出しているに他ならない。自衛隊の組織の中で高いポジションにある人間が、このような不満を持っているコトに戦慄を感じた。トップがこうなら末端までも同じような思考が広がっているかも知れない。ココがこの論文が一番不気味に思える点だ。
 ◇グローバリズムに対する素朴な危惧もココには表明されている。「日本のアメリカ化が加速する」「我が国の伝統文化が壊されていく」「日本ではいま文化大革命が進行中」…。日米安保体制が日本のアメリカ化の原因と論文筆者は考えているようだが、この指摘が正しいのかはボクにはよく分からない。グローバリズムの問題は、新たな帝国主義(文化帝国主義)の性格が見受けられるので慎重に考えないといけないと思うが、「鎖国」的な反動思想がこの問題を解決できるとはボクは思っていない。
 ◇「日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか」論文筆者は、ここで突然80年代バブル経済の時代と現在を比較する。ココであのバブルをいきなり懐かしがられても……しかも80年代こそがレーガン&中曽根首相の「ロンヤス外交」でアメリカにベタヨリだった時期ではないか(中曽根「不沈空母」発言とか)……あそこでつまずいたから今の日本は停滞してるんじゃないのか?バブルの恩恵を一切受けてない就職氷河期時代のボクにとっては、接待まみれでさぞバブルを楽しんだであろう官僚の回顧など意味がない。


 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 ◇ビルマ、インド、シンガポール、インドネシアにとって、日本は2つ目3つ目の侵略国家だった。その中で、どれだけマシだったかどうかのハナシだ。軍紀が厳正かどうかは、軍人でないボクには興味がない。日本が植民地を解放し、現地に民族自決の民主政権を樹立させた気配はどこにもない。単純に軍隊を進め占領した。狙いは石油など戦争続行のための資源だ。この文脈から「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」と言い切る論文筆者は「気味が悪い」としか言いようがない。

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

 ◇「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ」この部分にはボクは素直に同意する。ボクはこの国が自然に好きだからだ。だから「特別な思想を注入」されているとも思っていない。「特別な思想を注入」とはナニを差しているのだろう。これはボクにはわからない。
 ◇「個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう」大東亜戦争は、論文筆者にとって「個別事象」らしい。あの戦争で亡くなった数千数百万以上の人々(日本とその周辺国全部)を「個別事象」で片付けるのには同意出来ない。論文筆者が言う「亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである」と等しい態度に思えるからだ。論文筆者が「輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない」という時、この「個別事象」を無視する事を差しているとするならば、それに対してはハッキリとボクは反対する。この戦争は、日本史全体において重要な大事件なのだ。




●この論文を巡って、様々なメディアが様々な論評を発表している。歴史の研究家からは、より細かい事実誤認が多く指摘されているし、自衛隊OBからの批判も多い。ボクは目にしてないが、この論文を評価・擁護する言論もあるのだろう。
一方、コレらとは少し違う視点から、論評している文章を新聞から見つけた。著者は、「トンデモ本」を数多く世に紹介し、その不思議な世界観を面白がる「と学会」の主要メンバー、唐沢俊一氏だ。その文章を引用、転載する。青文字の強調はボクの判断だ。


 「陰謀論にはまる危うさ」/唐沢俊一

 世の中には荒唐無稽な主張を展開する「トンデモ本」があふれている。私は、トンデモ本を研究する「と学会」会員として、数多くのトンデモ本を読んできたが、田母神論文にはトンデモ陰謀説の典型的なパターンが表れているように感じる。
 「日本はルースベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した」「張作霖列車爆破事件はコミンテルンの仕業」「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党」といった、都合のいい俗説を検証もせずに取り出し、整合性も考えずにつぎはぎにしている。自説の正当性を証明するプロセスをすっ飛ばす。一次史料を参照せず、「誰々の本に書いてある」という二次史料の引用しかない。空幕長であれば、一次情報にアクセスすることもできたはずだが、そうした形跡がまったくない。これはすべてトンデモ陰謀論者の特徴だ。
 読み物作家などと違い、政治や歴史を研究する人間は、すっきりした解答という誘惑を退けなければならない。複雑な状況を、単純化せず根気よく分析していくには、非常な労力と時間が必要だが、田母神氏にはそれが我慢できず、手あかのついた陰謀論に走ったのだろう。
 論文から唯一読み取れるのは、いま日本や自衛隊が置かれている状況について、田母神氏が憤りを感じていることだ。給油問題や米国との関係の変化などで、自衛隊をめぐる状況は不安定で先が見えない。その状態への不安とフラストレーションがあるのではないか。満たされないものを抱いている人間は、安易な解決に飛びつきがちだ。氏は物事の処理や判断が速い、有能な人物だといわれている。実は、そういう即断即決型の人ほど、トンデモ陰謀説にはまりやすい。「誰々が悪い」という、理解しやすい解答に行ってしまいがちだからだ。
 田母神氏の論文からは、世の中を変えようとする意志が感じ取れない。本気で変えたいなら、懸賞などに応募するのではなく、地道に勉強会などで自衛隊の中に自分の思想を浸透させていき、やがて政治や社会に影響を及ぼそうと考えるはずだ。「言いたいことを言った」というだけで、自分は大きなことをしたという自己満足に浸っているのではないか。こうした「言いっ放し」も陰謀論者によく見られるものだ。
 ただ無視できないのは、ブログなどで、この論文について「どこが悪いんだ」という声が多いことだ。ネットの世界は、黒か白か、右か左かをはっきりさせたがる人が多い。そうした単純化は陰謀説と親和性が高い。複雑な政治的問題を、一つの「悪」を設定するだけで、すべて片づけようとする。嫌中、嫌韓という風潮も、悪役を手っ取り早く見つけたいという欲求の表れだろう。そうした白か黒の二元論が社会で急激に広まり、考え方の豊かさや多様性が失われている。
 いま日本でも、「911米国自作自演説」などがもてはやされているようになっている。それは国民の間に、社会状況や経済状況、生活についての不安やフラストレーションが高まり、余裕がなくなってきていることの表れではないか。グローバル化で複雑になりすぎた社会に人間がついていけなくなり、陰謀論という悲鳴を上げている。
 田母神論文を、陳腐で幼稚だと笑い飛ばすのは簡単だが、こうした陰謀論に空幕長という要職にある人間がはまってしまうという現状の危うさにこそ、気づかなければならない。



●この「田母神論文」を、北朝鮮を除いたアジア諸国がほぼスルーしてくれたコトは幸運だ。あまりの内容に相手にする気にもなれなかったというべきか。
●しかし一方で、「ヤフーのネット投票では58%の人がこの論文を支持してくれた」田母神氏は発言している。日本人の多くの人が彼の考えに共感しているのは、ある意味では事実かも知れない。ボクのような人間こそマイノリティなのか?それともこれが唐沢俊一氏の「ネット世界」批判を反映した状況なのか?

確かにグローバル化で世界は複雑になり過ぎている。
「G20」とかいって、トルコやアルゼンチン、サウジアラビアやインドネシアにまで集まってもらわないと、この金融危機も始末がつけられない時代だ。「G7」Gは「GREAT」の意)と名乗る一握りの先進国(ニアイコール旧・帝国主義列強)が世界をリードできた時代は終わったらしい。
一方で、東アジア地域は20世紀冷戦時代の遺構が今だ大きく影を落としているのも事実だ。ドイツもベトナムも分裂した国家を統合したのに、朝鮮半島と中国&台湾だけは、その統合が叶わない。共産主義思想の収穫を穏当なカタチで汲み取り昇華しきったヨーロッパ地域に対し、現役バリバリの共産主義政権が全体主義を固辞し続けている。一方で東南アジアには軍政から脱皮しきれない地域も少なくない。各国の穏当な民主化と価値観の相互理解がなされない限りは、この前世紀の遺構はこの地域を不安定にし続けるだろうし、田母神氏がイラついている自衛隊の立場も安定しないだろう。

バラク・オバマ氏の支持者は、黒人/ヒスパニック層で絶大だったが、白人層だけでは47%の支持に留まった。結局、アメリカ社会は人種問題から完全に脱皮した訳ではないようだ。しかし、同じ白人でも27歳以下の若い世代においては、オバマ氏支持者は過半数を超えているという。21世紀を担う新世代は、新しい時代感覚を持っている。
日本/アジア地域においても、同じように新しい時代感覚を持った世代がいると思う。今回の衝撃は、成熟した大人であり、自衛隊組織のトップがこのような時代感覚しか持ってなかった事だった。とにかく、このテの人々には早々世間から引退していただき、新感覚でアジアの国際交流を捉えられる世代に、イニシャティブを渡していただきたい。過去は過去なのだが、現在は現在で、アジア地域はもう剥がし得ないほど複雑に絡み合っているのだ(殺虫剤入り冷凍食品問題など)。解決すべき問題は目の前にあるのに、60年前の問題を蒸し返して近々の課題がフリーズするのはカンベンして欲しい。新世代の中国富裕層は、今や銀座デパートの格好の顧客であるし、彼らの感覚は将来あの国を変えるに違いない。

世界は複雑で、確かな解答は見える気配がない。でも、あきらめてはいけない。近々の将来、地球人全てが一丸となって協力しなければ、各国が吐き出す二酸化炭素がこの惑星を灼熱地獄にしてしまうのだから。

雑誌で竹中直人のインタビューを読んでて感心した。
●新作映画「まぼろしの邪馬台国」の撮影でのコト。監督の堤幸彦さんは、現場に2台大きなモニターを持ち込んでて、撮影したシーンをその場で簡易編集してしまうそうで、竹中さんはビックリしたらしい。撮影ペースもスゴく早いという。「TRICK」シリーズを始めとする堤監督の細かい編集テンポは、そんな技術を使って、演出と役者がカットの出来上がり感を共有して作ってたのか…。映画や映像の作り方ってドンドン変わっていくんだな。



ボクにとっては、愛着のある国、アイスランドが大変なことになってる。
昨今世界経済を揺るがせている、アメリカ発の金融危機の煽りを食って、ヨーロッパの北の果てにある小さなこの国が、崩壊寸前のピンチに追いつめられているんです。

アイスランド。北大西洋のテッペン、北極圏にスレスレかすめるほどの北の島。北海道と四国を合わせたほどの面積に、約31万人の人が住んでる。この人口って東京・中野区とほぼ一緒だって言えば、スンゲエ人口密度の薄い国だってわかるでしょ。首都はレイキャビク。この首都圏に10万人ほどが住んでて、北極海に面した第二の都市アークレイリは人口1万5000人。一カ所に人が集まり後は小さな集落しかないわけだ。島の中央は氷河に覆われてるが、一方火山活動が活発で温泉も湧き出ている。主だった産業は、北大西洋を舞台とした水産業と牧畜業。水力発電と地熱発電などで全ての電力を賄うエコ国家でも知られている。一応 NATO の加盟国だが、軍隊を全く持ってない。


1999年9月。まだコドモが生まれる前、ボクはワイフと二人でこの国を訪れたのです。冬は雪で真っ白になってしまうせいか、街はとてもカラフルでチャーミング。レイキャビクはこじんまりとしながらも、愛らしく楽しいトコロだった。

アイスランド5
アイスランド6

(まるでレゴブロックで出来てるかのようなカラフルぶり。キュートな街でしょ。)


この慎ましやかで小さな可愛らしい国が、世界金融危機の直撃を食らった。
国内大手銀行3行が今回の危機で抱えた負債は、なんとアイスランド国内総生産の10倍以上!国家予算が約2800億円なのに、銀行の借金は20兆円にもなってしまったのだ。速やかにコレらの銀行は国有化されたが、首相はテレビで「最悪の場合、国家が崩壊する恐れすらある」と発言。今後の経済予測も深刻で、経済規模は最大10%縮小し、1%台だった失業率は8%に、インフレ率は20%に達する。ちなみに、この国は高い間接税(消費税が20%くらい?)で元から物価が激高。旅行で立ち寄ったマクドナルドのバリューセットが1000円以上して戦慄したもんだ。それでも国民1人当たりの国内総生産は日本を上回って世界トップ水準だったはずなのに、一気に奈落の底へ。本来温厚な国民が首都でデモを始めた。

●従来、水産業くらいしか産業のなかったヨーロッパの最貧国アイスランドは、90年代に経済開放政策で「金融立国」を目指した。スイス銀行ゴルゴ13の秘密口座になってるように、ヨーロッパの小国では「金融サービス」で国を支える場合が少なくない。それが00年代に入ってアメリカ型投資銀行モデルに移行、高金利で資金を集め、イギリスの高級ブティックや企業を買収。一方低金利だった日本円でローンを組ませて国民に不動産や高級車を買わせた。
これがアメリカ・サブプライム問題でバブル崩壊。自国通貨クローナの大暴落&超円高モードで日本円ローンは支払いが2倍以上に膨張。国有化された銀行は自国民の預金は保証するとは言ったが、高金利に集まった外国資金は保証外だとしたモンだから、預金者が一杯いるイギリスは激怒して、アイスランドの銀行の英国内資産を全部差し押さえちゃった。もうこうなったらメチャクチャだ。

アイスランド自体がネットオークションにかけられちゃった。
「アイスランドは落札者に、住むことのできる環境、アイスランド馬、誰もが認めるところの少々不完全な金融状況を提供します。ちなみに BJORK さんの音楽著作権などは含まれません」最初のニュースじゃ17億円の値がついてるらしいと伝えられたけど、結局コレはデマだったみたいね。



アイスランドに行った動機は「BJORK が生まれ育った国を見てみたい」。
●ある意味ボクにとっての永遠のアイドルである歌姫 BJORK。彼女はこの北の辺境の島で、ヒッピー的なコミュニティの中に育ち、11歳にはお子様シンガーとしてデビュー、ティーンエイジャーになった頃には仲間とポストパンクなバンドを作り、THE SUGARCUBES で世界デビュー。その後ソロとしてイギリスで再出発し、そのエキセントリックなキャラクターとクリエイティヴィティでシーンの最先端を走り続けている女性アーティストだ。彼女のエキゾチックな風貌、D.I.Y 精神と強い独立心、繊細さと大胆さを兼ね揃えた音楽、全てにボクは惚れ込んでいる。

ちびっこビョーク

(旅行で買った BJORK 本(UKの本だったけど)から。ちびっ子 BJORK。カワイい)

シュガーキューブスビョーク(THE SUGARCUBES 時代の BJORK。)

「The Great Crossover Potential」The Sugar Cubes

(THE SUCARCUBES のベスト盤「THE GREATEST CROSSOVER POTENTIAL」。もちろん記念として現地で買いました。一曲目「BIRTH DAY」はインディ時代の元ちとせもカバーした名曲。)

現地で買った BJORK 本が英語だったので、ある程度読めるから助かった。アイスランド語は、本当に奇妙奇天烈で読解不能。北欧諸民族の中でも一番古いカタチを残した言語らしい。でも国民は学校で英語と旧宗主国のデンマーク語を習う。全員が完璧なトライリンガルだ。テレビを見ても、イギリスの放送の方が多い、つーかアイスランドにはテレビ局が一個しかない。

ビョーク本(BJORK: AN ILLUSTRETED BIOGRAPHY)


そこで見てみると、BJORK の生い立ちはかなりヘンテコリン。
●冷戦時代のアイスランドは、アメリカとソ連のちょうど中間地点にあるということで、重要な軍事拠点としてアメリカ軍が基地を作っていた(今はなくなったけど)。西ベルリンでなんか起これば、ココで戦闘機や爆撃機が給油を受けさらに飛んでいく仕組み。そんな基地からアメリカ文化が流れ出していた。日本の米軍基地周辺(沖縄、福生、横須賀など)にも同じような影響があったよね。
BJORK を育てた大人たちは、ある意味筋金入りのヒッピーだったのか、奔放な性生活の結果、彼女には異父異母兄弟が6人もできた。従って継母継父もイッパイいる。その中にはミュージシャンもいたし、彼女自身も6歳で音楽を習い始める。11歳でお子様レコードデビューしたのも、こんなヘンな大人たちに担ぎ上げられた雰囲気みたい。
●ある朝ベッドから出たくないと思った BJORK ちゃんは、シーツに穴をあけて首を出し、そのままオバケみたいにシーツを引きずって学校まで行ったそうだ。そんなのを笑って歓迎するのが彼女の育った環境だった。
「アタシは3歳くらいから不思議ちゃんだと言われてたわ。ルックスも含めてね」BJORK 本人の回想。アイスランド人はバイキングの末裔だから、彫りが深くてキンキラのブロンドがフツウ。BJORK のエキゾチックな容姿は確かに変わってる。「だからアタシは決断したの。周りの連中にアタシが全く理解出来ないようなルールを押し付けられてつまらない人生を生きるくらいなら、アタシは自分のしたい事だけをするまでよ、ってね」

アイスランド4

(旅行中はレンタカーを借りて100キロくらい移動した。そんで国定公園の奇景や大きな滝を見たもんだ。その途中で見つけたとある集落の標識。「BJORK村」だって。果てしない草原の中に5世帯くらいの家の集まりがあった)


アイスランドの音楽文化はスゴい。
●コレもこの BJORK 本で知った事なんだけど、アイスランド人は本当に音楽がダイスキだ。それは一年のほとんどが0度近い気温のせいで、家の中での娯楽が発達したせいだろうとこの本は解説している。そんでちょっとビックリする数字も紹介されてた。人口約30万人の国に音楽学校は70校もあって、生徒は1万2000人以上だという。さっき引き合いに出した東京・中野区は、中央線バンド文化の拠点でもあるけど、音楽学校が70もありはしないし、一万人も音楽を習ってるとは思えない。

アイスランド7

アイスランドのCDショップ。
●ボクの旅行の一貫したスタイルだが、とにかくCD屋をカッチリチェックする。CD屋を見る事でホントに様々な発見があるからだ。イロイロな文化が見えて来る。
●上の写真はCD屋さんの「アイスランド音楽」のコーナーだ。「ISLENSKT」ってのが自国産の音楽を差す言葉っぽい。アイスランドのお店はどこも小規模でメガストアみたいなトコロは見つからなかったが、ビビった事に、海外のCDと自国のCDの売り場比率が「50:50」なのだ。英米大資本のグローバル音楽と、人口30万人だけで作ったローカル音楽が、同じ存在感で陳列されている。コレって実はスゴいコトだと思う。
●日本語の音楽「ジェイポップ」は、日本語市場1億2000万人を目標に生産され、国内では洋楽を凌ぐシェアを誇っている。しかし世界では、完全に英米音楽に圧倒されて地元のポップミュージックが育たない場所も多い。なのにアイスランドは中野区級の人口で、しかも英語をほぼネイティブで理解出来る国民なのに、わざわざ自国語のCDをこんだけ沢山生産し、そして購買していく市場を作ってるのだ。中野区住民だけで、ジェイポップ全てと同格の存在感を持つ音楽市場を作れるか?絶対ムリ!すげえよ、アイスランド人!
●ちなみに、古典的な民族音楽はごく少数(そういうCDはおミヤゲ屋さんで売ってる)。売り場の半分は、オジさんオバさん世代向けの「演歌」っぽい音楽だった。テレビで歌番組を見てたんだけど、偶然なのかホントに「演歌」に聴こえる。日本の戦後「演歌」は純然たる邦楽要素だけで成立している訳じゃない。間奏の渋いギターフレーズにはブルースの影響も溶け込んでる。戦後にどっとアメリカ文化を移入されたという意味では、アイスランドと日本は同じ、意外なミッシングリンクで繋がっているのかも知れない。
●そんで、残り半分が、BJORK 以降の アイスランド・コンテンポラリーミュージックだ。つーか、THE SUGARCUBES のパクリっぽいのが多い! 後はベッドルームレコーディング的な打ち込み音楽。とにかく寒いから部屋の中でチクチク作る系が増える気持ちはわかる。全然聴いた事ない地元レーベルからワンサカ若者が音源を発表してる感じ。
●あ、100%蛇足だけど、写真に写り込んでるピンク色に髪を染めたヘンなパンクスみたいな女子は、1999年当時の我がワイフです。この頃は全頭キンパツとかワケワカランアタマをしてたです。


で、完全ジャケ買いで見つけたのが、SIGUR ROS。

Sigur R?s「?g?tis Byrjun

Sigur Rós「Ágætis Byrjun」/ SIGUR ROS「AGAETIS BYRJUN」1999年
「完全ジャケ買い」って意味は、マジでジャケ情報がなんもなかったから。ボクは「ジャケ買い」とはいっても、制作年やレーベル、プロデューサーなどなど結構ジャケに散らばる文字情報をかなりチェックして買ってる。しかし、このCDは、この気色悪い悪魔の胎児みたいなイラストの他、ほぼ何も書いてなかったのだ。裏面はバーコードとレーベルのマーク。紙ジャケの細い側面に小さくアーティスト名とアルバムタイトルがあるのだが、奇妙なアイスランド語(アルファベットにイロイロな部品がくっついて、見た事ない文字も出て来る。文字化け対策で今回はリアルな綴りとフツウのアルファベット表記を併記しました)のおかげで、ドッチがタイトルで、ドッチがアーティストなのかも全くわからなかった。
●帰国後、早速聴いてみたが、第一印象は気持ち悪い音楽だと思った。とにかくジャケのイメージに引っ張られたというか。分厚いオーケストレーションが行き先もわからず10分とか続いちゃったりする。そんでスピーカーがビーッツと震えるような重低音が鳴り響いたり大爆発(大噴火?)が起こったりする。暗黒宗教の音楽だと思った。だって、その段階では今だアーティスト名すらわかんなかったナゾの音源だったんだもの。悪魔が生まれでるのを、今か今かと待ち構える祈りの音楽。
●ところが、半年くらい経って、このCDが欧米でも日本でも大評判になってきた。ポストロックの文脈から、「 BJORK 以来のアイスランドの輝ける才能」みたいな扱いで。そこでアーティスト名もやっと把握した。その時はへんな気分だったな、だって地の果てみたいな所で買った正体不明のインディ音楽が、渋谷のタワーで平積みされてんだもん。

●この金融危機をキッカケに、SIGUR ROS の他の作品も聴いてみた。

Sigur R?s「Takk...」

Sigur Rós「Takk...」/ SIGUR ROS「TAKK...」2005年
●タイトルはアイスランド語で「ありがとう」って意味らしい。正体不明の不安さから冷静になれた今は、もう悪魔の音楽には聴こえない。まばゆい光に包まれるような歓喜の音楽だ。似たようなテーマが、アルバム全編にわたって様々なバリエーションで登場し、歓喜の高まりをより強調する。神々しい宗教音楽のような佇まいは変わらず、ファルセットで歌われるボーカルと優麗なストリングス、ヴィブラフォンのアクセントが最高。
●彼らをバックでサポートする弦楽四重奏の女性グループもこの国で注目を集めるバンドらしい。名前は AMIINASIGUR ROS のメンバーの奥さんが混じってるというハナシ。ソッチのCDも聴いてみたいな。

Sigur R?s「Me? Su? ? Eyrum Vi? Spilum Endalaust

Sigur Rós「Með Suð Í Eyrum Við Spilum Endalaust」/ SIGUR ROS「MED SUD I EYRUM VID SPILUM ENDALAUST」2008年
●おいおい、キミら全裸でドコいくの?!と心配するなかれ。イツモと同じ迫力、いやそれ以上の感動で出迎えてくれるよ。一曲目~前半、リズムにインパクトを持たせた楽曲は、太古の原始宗教のように荒々しい生命力で聴く者のココロを揺さぶって来る。一方後半は、しっとり落ち着いたアコースティック音楽。
●アメリカのオルタナティブバンド THE PIXIES の再結成ドキュメンタリーを見てたら、彼らが SIGUR ROS のハウススタジオを訪ねるシーンがあった。若い SIGUR ROS のメンバーは「生きた伝説」である THE PIXIES の面々にチト緊張気味。でもスタジオは広く真っ白で、北欧らしいシンプルさが気持ちイイ空間だった。最新のPC機材を見ながら談笑する二つのバンド。でもTHE PIXIES の連中はデジタルレコーディングなんて死んでもしないだろう。



●もう一つ、アイスランドのアーティストを。

QUARASHI「JINX」

QUARASHI「JINX」2002年
●キャッチフレーズは「アメリカにヒップホップで挑むのは、グリーンランドに氷を売りにいくようなもんだ」。3MC1DJ、初期 BEASTIE BOYS を連想させる、ミクスチャーヒップホップ野郎たちだ。甲高いハイトーンからロウな低音ラップまで3色のMCが次々とマイクをリレーするのがスリリング。アメリカ映画のサントラで一曲使われたのがキッカケで海外ブレイクを果たす。基本的に英語でラップしてるが、一曲収録されてるアイスランド語の曲は、なんかスゴく難しそうだぞ。ありふれた白人ミクスチャーラップと彼らの音楽は、似ているようでちょっと違う。本人たちによれば「元々目指してたのは、UKのブレイクビーツとアメリカのヒップホップを合体させることだったんだ。THE CHEMICAL BROTHERSTHE PRODIGY と、CYPLESS HILLPUBLIC ENEMY が一緒に騒いでるように」アメリカとイギリスを等距離で捉えてるアイスランド人らしい視点だ。「それにオレら、BJORKSIGUR ROS ほどアートでもねえし」メンバーはアメリカ帰りのスケーターチャンピオンや、コミックオタクの俳優とか。
●バイキングの末裔だけあって、飲んだくれた上でのバカ騒ぎ&ケンカなんぞは当たり前のお国柄。若いヤツらは、アイスランド語よりも英語の流行り言葉をしゃべってる。この静かな島国のヤンチャでストリートな一面がココに炸裂してる。でも、残念ながら QUARASHI は2005年に解散しちゃった。



だらだらアイスランドのことを書いたけど、ご参考に旅行情報を。
●あの「地球の歩き方」さえも網羅していないのがアイスランド。情報がなくて困ったもんだ。今はネットがあるから便利だろうけど。ちょっとした旅のコツだけ、お教えします。

直行便はないので、ロンドン経由とかコペンハーゲン経由とかになる。
●アイスランドの航空会社はアイスランドエアー。今は知らんけど、日本の「土日~翌週の土日9日間」という日程でウマく収まる飛行機は、ホンの数本しかなかった。そこにあわせてスカンジナビア航空とかを合わせてチケットを取ったと思う。アイスランド観光局とかに行って情報集めをしたもんだ。
●帰路をコペンハーゲン経由にして、7時間トランジットで待たされたのだが、コレが大失敗。コペンハーゲンは空港とダウンタウンがトラムみたいなモンで40分ほどで繋がっていたという。コレに気付いていれば、空港でボケーっとなんてせず、街に遊びに行けばよかった。

いわゆる「ホテル」は、レイキャヴィクに5つくらいしかない。
●日本から簡単に予約ができる(または受け付けてくれる)ホテルは多くない。本来は民宿っぽい小規模家族経営の宿が主流で、日本人が「ホテル」とイメージする、何十部屋もあるような施設は首都圏に5つくらいしかなかったと思う。ボクらが日本から予約したのは「ホテル・サガ」。英語のファックスを何回か交換した。何分9年前だからね、今はメールやネットでもっと楽に出来るだろう。悪い所じゃないがダウンタウンまでは結構歩く。ボクらの滞在期間、大柄なスポーツ選手が大勢泊まってて(ジャージを来た巨漢たち)、何しにきたんだろうな?と思ってたら、翌日その連中がサッカーアイスランド代表チームと戦う様子がテレビ中継されてた。「キエフダイナモ」というウクライナのチームだったみたいだ。

国際免許所をとってレンタカー。
ハッキリ言って「アシ」がないと、なんも出来ないのよ。観光ツアーで名所を巡るつもりなら必要ないかもだけど、ボクらは100%フリーだったからなあ。ホテルで頼んだらレンタカー屋さんが駐車場までやって来てくれた。英語で注意事項をペラペラしゃべってくれたが全く聞き取れん。パンフレットには「トランクに必ず予備のガソリンを」とか「通信機器を忘れずに」とかイラスト付きで書いてあった。山奥に入るにはそんくらいの覚悟がいるらしい。ハンドルは左、道は右側通行、オートマ車は存在しなかった。
ツーリストインフォメーションの事務所によって、アイスランド全土の地図を買い、ソレを見て旅をする。ナビなんてない。首都を出ると、マジの荒野が地平線の限りまで続く。溶岩の上に分厚くコケが乗っかってて、違う惑星に来たかのような気分になる。

アイスランド1

(100%溶岩とコケ。BJORK の名曲「JOGA」のビデオを連想させる。)

乳白色の温泉「ブルーラグーン」。

アイスランド2

●レイキャヴィクから西へ1時間、溶岩の荒野の一本道をひたすら進むと、地平線の向こうに湯気が立ちのぼってるのが見える。そこが、アイスランドの有名な温泉「ブルーラグーン」だ。標識もなにもないが、その湯気さえ見失わなければ道に迷うことはない。温泉といっても日本と違って全裸で入る習慣はない。水着に着替えてプール感覚。マジ寒くて(気温8度)お湯から出る気にはなれなかったが、デッキのベンチで日光浴してるオッサンとかがいた。さすがバイキング。お湯は乳白色で透明度ゼロ。プールみたいに整備されてると見せかけて、底は砂地で深さもマチマチ。その実態はシンプルに「池」だ。天然に熱湯が湧き上がってる場所もあって、ヌルい場所、アツい場所の差がデカ過ぎる。
●地味なこの国で、観光地っぽい雰囲気を漂わせてたのはココだけだった。アイスランドの人もココに来るのは楽しみらしく、入り口に行列が出来てたし、「ブルーラグーン」印のコスメグッズまであった。あ、効用とかは知らない。難しい英語は読めないから。多分誰もそんなコト気にしてないようだったし。


内陸を目指せ!シングヴェリトル国定公園。
●レイキャヴィクから東側、アイスランド島の真ん中へ向かって往復100キロの旅。目的地は「シングヴェリトル国定公園」というトコロ。ホントのど真ん中は氷河で冒険家の領域だが、もうちょっと手前のこの場所には世界でも珍しいモノがあるという。
●地図を見ながら国道を走ってるつもりなんだが、途中から車線を区切る白線どころかアスファルトそのものもなくなり、タダの砂利道になった時は「マジでココで道に迷ったら、ガス欠こいたら、生きて街に帰れない」とか思った。対向車もゼロ、時々迷子のヤギさんに出会うだけ。ハイシーズンでは避暑地として賑わうはずだが、9月は完全にシーズンオフ、10月だったら危険につき封鎖されるという。幸い道に迷う事もなく(つーか迷いようにも道が全然ない。ひたすら一本道)なんとか到着した不思議な世界。ここには「ギャオ」「ゲイシール」という物件が見物なのだ。

アイスランド9

このギザギザした崖は、「ギャオ」という。
●地震国日本は、太平洋プレートが大陸のプレートの下に沈んでいく場所だ。つまりプレートの死んでいく場所。日本海溝に深く沈み、地下深いマントルへと還っていく。
火山国アイスランドは反対。新しくプレートが生まれる場所。大西洋のど真ん中には、新しいプレートがマントルからせり上がって来る「海嶺」というものが南北を貫くように存在している。で、珍しい事にその「海嶺」がたまたま地上にカオ出しちゃってる場所が、アイスランドってわけだ。
●この「ギャオ」とよばれる崖は、地下の奥底からゆっくりとせり上がってきた新しい大地だ。高さは20~30メートルくらい、これが南北数十キロにわたって繋がっている。時に崖は地を裂く割れ目になって、ソコに急流が流れ込んだりしている。
●そんな理屈を知っていたかどうか知らないが、1000年前のアイスランドでは、部族の代表がこの地に集合し、史上初めての議会を開いたという。当時のアイスランド人はフロンティア精神だけで故郷から移民してきた冒険野郎なバイキング。独立心が強く国王を据えようなど考えてなかった。野っぱらで長老や村の大将が話し合いをした程度らしいが、民主主義の元祖として、この故事はアイスランド人の強い誇りになってる。


「ゲイシール」

アイスランド10

●ココがイチバン見たかった。「間欠泉」だ。地下のマグマの影響で温泉の温度が急速に上がり高圧力が加わって、熱湯がズトーンと大砲のように吹き上がる。間欠泉自体は世界中にあるし日本にもなくはないが、フツウはいつ吹き上がるか全くわからない。
●しかしここ「ゲイシール」は実にコンビニエンスな事に、一年中毎日24時間、約20分おきに必ず一発は吹き上がるという非常に勤勉な間欠泉なのだ。だから、ボケーッと立って待ってれば、そのお見事で貴重な噴射を何度も拝む事が出来る。写真だと臨場感わかないだろうし、湯気モクモクでよく見えないだろうが、至近距離だと結構大迫力、20メートルは軽くイキます。全盛期は70メートルいったつーからスゴかったんだろうな。
現地に到着して最初の一発目を見ようとしてた時。不意打ちで噴射が起きた。「どっしゃーん!」予想以上のデカイ音!穴ポコに対して背を向けてたボクは、思わず湯気の中を走って逃げてしまったのでした。あの不甲斐ないチキンぶりを、ワイフは今でも笑いのタネにする。「アナタはナンか起きたら絶対ワタシの事を置いて一人で逃げ出す。あのゲイシールでそれがわかった」と。でもホントに至近距離だったら、熱湯をアタマから浴びて大ヤケドだよ。通常時はタダの温泉池にしか見えないし「ココから危険です」なんて表示もないし。
「ゲイシール」「GEYSIR」と綴るんだけど、ここの「ゲイシール」が余りに有名なので、「間欠泉」を英語ではこの言葉をそのまま転用して「GEYSER」(ゲイザー)と呼ぶようになった。ミネラルウォーターの「CRYSTAL GAYSER」も名の由来はこの「ゲイシール」が元ネタだ。


アイスランド3

(とある牧場での出会い。ずんぐりむっくりのアイスランド馬はひとつの名物らしい)

●大昔のアイスランド人は、北欧諸国からこの氷の島にたどり着き、さらにグリーンランド、そしてアメリカ大陸にまで植民を進めていった。コロンブスよりも500年早く、ヨーロッパ人はアメリカ大陸に到達していたのだ。その根性たるやホント立派。
BJORK の音楽には、そんな誇り高き民族のチカラが備わっているように思えてならない。もちろん音楽のスタイルにアイスランドの伝統音楽の関係なんて全然ない。しかし、彼女のアヴァンギャルドな冒険的表現は、常に未知の世界へ漕ぎ出していく勇気に満ちあふれている。
●グローバリズムの21世紀、予想だにしない方向からの危機到来で、転覆寸前になってしまった小国アイスランド。音楽を愛し、クリエイティブな才能を育むこの国が、大国の不始末で潰れてしまうのはホントに忍びない。世界はどんどん狭くなり、我々の失敗は直接知りもしない外国の人を追いつめるのだ。実際日本円立てローンの返済は完全踏み倒し状態になっちゃったらしいし。でもイギリスみたいにブチ切れたりしないのが日本のイイ所だね。

なんか知らんが世の中とっても「円高」だ。なんか得するコトはできないか?
●やっぱ外貨預金か? バカバカ、そんな元手があるかっーの。韓国ウォンが激安だって? 今海外旅行なんてしたらカラダが再起不能になる。うーん、為替をイロイロチェック。お、ユーロが安い。つーことは、英ポンドも激安だぞ!去年7月にはマックス248円までいったポンドが143円になってるよ!
●ということで、速攻でイギリスのレーベル SOUL JAZZ RECORDS のサイトでCDを注文しました。ルーツレゲエからバイレファンキ、スピリチュアルジャズ、ダブステップなどなどで14枚注文して、お勘定は約170ポンド。つまり約24000円ですね。でもこれが今年7月までは1ポンド200円以上だったから、34000円以上だったんだよ!スゲエお買い得!日本のお店で買っても平気で一枚2400円以上する物件なんだけど、たった1430~1720円程度で買えちゃった!二枚組CDも含めてこの値段だからね。イイ買い物。ココんトコロ、ガッツリCD買うのを控えてたから、アリってコトで!
●でもカード決済だから、来月の相場で額は確定すんだよね。コレ以上はさすがに進まねえだろう…。1ポンド150円くらいと見込んどくのが無難かな。


自律神経失調症とのお付合い(その76)~「睡眠に異常アリ、居眠り注意!」編
寒い。冬が来やがった。寒いのは苦手だ。元から苦手なのに病気になって輪をかけてダメになった。自律神経失調症は、体温のコントロールがおかしくなるという症状もある。気候の変化に順応出来ずに体調がおかしくなる。

●昨日、朝の電車をホームで待ってるホンの数分「寒いなあー」と思ってた。そんで電車に乗ったら今度はラッシュで「ムッとするほど暑い」。なんか知らんがこの温度差に反応したのかイキナリ眠くなってきた。それはそれは壮絶な眠気で、立っていられないほど眠いのだ。このまま崩れ落ちてしまいたいほど眠い…。
●そんで、乗り換え駅の新宿。ホームのベンチにフラッと座ったら、すとーんとオチてしまった。爆睡。一瞬のコトであった。次の瞬間、目を覚ました時は「自分が今ドコにいるのか、ドコに行こうとしてるのか」わかんなくなってて、あれー?家に帰るにはエスカレーター昇らないと…とかボケーッと考えてた。で、駅の電光掲示板見たら「10時02分」。おおお!既に会社にいないといけない時間!余裕を持って家を出発してたのにこの時間ってコトは、30分ちかくもココで爆睡してたのか!
●次の電車でも強烈な眠気は消えず、ヨタヨタのクルクルめまいと戦い、必死の思いで会社に到着した。看護師「のび太くんのママ」さん「すいませ~ん、遅刻しちゃいました~」と報告。「遅刻したら怒られるドキドキ」とマジで野比のび太のような気分だったが、ボクの顔色が異常に真っ青だったらしく「カラダの芯が冷えてるようね、カプセル(前回のこのシリーズ参照)で温めながら、少し眠りなさい」と優しく対応してくれた。あれ、なんかそんなオオゴト?そんな病気っぽい?タダ眠いだけですけど?でもダメだ、マジでアタマがウマく機能しない……ああ爆睡。
ふと気付くと、2時間ばかりドップリと寝かせてもらってた。やっと冷静にアタマが動くようになってきた…。体調がオカシくなる心当たりは特にナイんですけど…というと、「のび太くんのママ」さんは、気候や気温差がもたらすカラダへの影響を解説してくれて、今日は午後一時間だけ過ごして、家に帰ってゆっくり休息するようにと言われた。あと、昼寝はダメだと。夜の睡眠に影響して生活リズムが狂うとのこと。
●実際、「癒しの小部屋」のルームメイトくんも今週は体調を崩していて、今日はお休み。病気は季節の移り変わりにリンクし、冬の到来は多くの病人を一斉にナギ倒していくのであった。

で、今日は会社でカウンセリング。
●横浜の精神病院の院長先生が、会社診療所のカウンセラーを兼ねている。病院での院長診察が2~3分で終ってしまうのに対して、30分くらいジックリトークできるこの環境の方がずっとイイ。
院長先生は、昨日のボクの爆睡ぶりに大きく注目してた。「今までもそんなコトはあったのかい?」いいえ、朝っぱらから駅のベンチで30分爆睡なんてかつてナイ経験ですよ…。前日だってそれなりに眠れてますし…。あ、でも横浜へデイケア行く時は、居眠りで乗り換え駅を見逃すコトはしょっちゅうでした。帰りも終点新宿まで到着しても目を覚まさず、そのまま再び下り方向へ向かって新百合ケ丘まで行っちゃったコトがありました。院長先生「基本的に、デイケアをこなす体力を取り戻したという前提で会社に復職訓練の場を移したのであって、体力が回復してないのでは問題なんだよね」え、居眠りってそんなに重大な問題だったの?「復職して仕事中に居眠りしてたらダメでしょう」そりゃそうですけど。「横浜までデイケアへ通うのが遠いというけど、2時間くらいの通勤は世間じゃ別に珍しくないでしょ」確かにそうですね……。
●しかし、ボク個人で言いますと、サラリーマン生活13年の中で、定時の通勤ってほとんど経験がないんです。朝3時にタクシーが家に迎えに来るとか、徹夜シフトのため午後3時くらいに会社に入るとか。決まった時間に通う習慣自体が、スゴく新鮮なくらいなんです。だから今のペース自体がイレギュラーな感じでして…。「でも学生の頃はちゃんとしてたでしょ」高校生の頃まで遡れば…大学ではもうグチャグチャでした。「では、正しい生活習慣を、取り戻す、のではなくて、初めて身に付けるというわけね」ま、そんな気分です。
「クスリは?」昼に眠くなるのは会社に通うにあたって困ると相談して、昼のクスリは全部抜いてもらいました。「クスリの影響もないのに、眠気が治まらないのは、ナニかの原因があるのかもね」なんでしょね…? 睡眠時間はまだボロボロで夜何度も目を覚ましたり朝早過ぎる時間に目を覚ますってのは、まだありますけど…。「夜の睡眠が固まらないと、会社の滞在時間は延ばせない。眠気がやって来てクタクタになってしまってはしょうがないからね。今後もそのヘンに気を付けてみてね」はい。「あ、まさかナルコレプシー(場所や状況を選ばず突然起きる強い眠気の発作を起こす睡眠障害)じゃないよね?」そ、そんなスゴいのじゃないですよ、映画(「マイプライベートアイダホ」リヴァー・フェニックス)でしか観た事ないですけど、アレは突然ぶっ倒れる勢いで寝ちゃうヤツですよね…とかいいつつ不安になる。

そうか。睡眠の仕方にポイントがあるのか。確かにヘンな時間に眠たくなるのは前からだし。
休職する前の激務ピーク時は3時間眠れれば恩の字、1時間でも平気で稼働してた。一方真っ昼間の就業時間中でも堂々と居眠りしてた(←そしてソレを誰も咎めない)。手っ取り早く言ってデタラメサラリーマンでした。それが当たり前で13年過ごしてきたからなあ。ボロボロとはいえ睡眠時間ではムカシよりずっと沢山寝てるんだけどな…。でも先生のハナシだと、帰りの電車の中で居眠りするのも異常なリズムの反映みたいだし…。
●つーことで、今日は何となく気分を変えて、都営バスに乗って家に帰ろうとした。バスで渋谷に向かい、ソコから井の頭線に乗る。車窓の風景は新鮮で、知ってる道知らない道を通ってく。地下鉄の変わらない車窓よりも変化があって眠らずに済むかも。
しかし、結局爆睡。深く深く爆睡。その爆睡の深さはかなりのモノだった。居眠りしてたボクは運転手さんに揺り動かされて目を覚ました。「お客さん、すいません」え?もう終点?お客はボク1人だけ。…でもまだ窓の外は渋谷じゃないよ。「お客さん、すいません、このバス、事故っちゃったんですよ」へ?
「タクシーに追突されまして。警察にも来てもらってるんです」ああ確かにオマワリサンが何人か来てる。「だから運行できなくなっちゃって。振替券を差し上げますので、この先の西麻布のバス停から別のバスに乗り直してくれませんか?」はああ?タクシーが?「そうです、タクシーが後ろからガツンと」バスを降りて後ろを見たら確かにバンパー的な部分がベコリ。ボクは後ろから2番目の席に座っていたのに、タクシーに追突されても目を覚まさなかったのか。しかもお客が全員去り、警察が到着しても、一人で昏々と眠り続けていたとは…。やっぱ、ボクの睡眠は異常なのか…。

●周囲の医者がみんなほのめかし始めたけど、ボクは年明け以降もまだ復帰出来ないようだ。気長にいくしかないな…。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-223.html


●今日、眠かったのは、iPod のBGMがとてもノンビリしてたからかな?

THE ALBUM LEAF「ONE DAY ILL BE ON TIME」

THE ALBUM LEAF「IN A SAFE PLACE」

THE ALBUM LEAF「INTO THE BLUE AGAIN」

THE ALBUM LEAF「ONE DAY I'LL BE ON TIME」2001年
THE ALBUM LEAF「IN A SAFE PLACE」2004年
THE ALBUM LEAF「INTO THE BLUE AGAIN」2006年
●バンドの名前が「LEAF(葉)」とか言って、どうしようもなく落ち葉を連想させる、まさしく晩秋がピッタリの、メランコリックなポストロック。シカゴ音響派のような実験演奏家たちの描くカンディンスキー風抽象絵画のような音楽ではなく、ギターやエレピ、オルガンが優しい曲線を描く水彩風景画のような音楽だ。基本的にほぼインスト、でも非打ち込み/人力駆動の柔らかさが心地イイ。
●調べると、アメリカはサンディエゴで活動している TRISTEZA というバンドのギタリスト JIMMY LAVELLE という男のオレユニットらしい。こいつは他にも THE LOCUST とか THE CRIMSON CURSE といったバンドでも活動してる掛け持ち職人。大体どんな楽器も弾きこなせて、PCを使ったレコーディング技術もボチボチ身に付けてるベッドルームアーティストってことかな。ライブの時は、TRISTEZA 周辺の仲間たちが、バイオリンから鉄琴まで持ち寄ってパフォーマンスする。
●コイツが世に知れたのは、アイスランドのアブストラクト音楽集団 SIGUR ROS のメンバーが2001年の「ONE DAY I'LL BE ON TIME」をレイキャビクで聴き、アメリカツアーのサポートを依頼してきたのがキッカケ。サンディエゴからレイキャビクとは、実にグローバリズム。そんでヨーロッパツアーまで一緒に回ってもうマブダチ。次作からは、NIRVANA で有名なシアトルのレーベル SUB POP と契約。SIGUR ROS 人脈総協力の下、より温もり深い音楽世界を描くようになる。ボーカル曲も登場。
●最新作「INTO THE BLUE AGAIN」では、先日このブログでも紹介したエレクトロニカユニット TELEFON TEL AVIV とコラボレーション。鮮やかなエレクトロニカ色も加えながら、ドラムもベースも重厚になり、メロディはよりふくよかになり、より催眠効果の高い物件となりました。前向きに癒されたい人にお勧め出来るCDですよん。


ノマドユメ。ヒヨコユメ。
●昨夜のノマドのユメは、とってもコワかったらしい。大きな滝から突き出た岩に、ノマドの大事なオモチャが引っかかっていたという。コレは取りに行かないと!と思ったノマドは、慎重に慎重に滝の上から岩場を伝ってオモチャの引っかかってるトコロに近づいていった。しかし、その途中で手をかけた岩はなんとウンチでベットリ。あわてて振り払って滝の水で手を洗おうとしたら、モノの見事に岩場から滝ツボへ真っ逆さま。コワいコワい。
●一方、ヒヨコはコワいユメを一度も見た事がナイという。いつも大好きな食べ物で出来たお城が出てきて、ココロユクまで美味しいモノを食べる。ひたすらソレだけ。「きょうはイチゴ!」「このマエはクッキー!」ヒヨコのユメはいつも一緒だね。「そんなことないよ!いつもチガウよ!」食べ物が違うだけじゃん。「シツレイですよ!イロイロチガウの!プンプン!」しかし先日も寝言で「あ、メロンがあった!」と満面の笑みでつぶやいていた。


我が家のオコヅカイ制度、正式制定。
●お祭りなどのイベントがあると、コヅカイを与えただけ全て使い切るヒヨコに対し、ノマドは慎重でそのほとんどは貯金にまわす。ヒヨコの貯金箱はほとんど空っぽだが、ノマドはけっこうジャラジャラしている。

のまど貯金箱(ノマドの貯金箱。中身は小銭のみで1000円ほど)


そこで、ボクの提案。本を一冊楽しく読んだら、100円あげる。
●本であるなら、マンガでも絵本でも図鑑でも雑誌でもイイ。しかし、その本の内容についてパパ(ボク)に報告しなくてはならない。「コレコレという本を読んで、ナニナニが楽しかった」と言えなければ、支払いは発生しない。全部を読み切る事が目的ではない。本を楽しむ習慣を育てるのが目的だ。

●ノマドは提案したその場で、早速学校の図書室で読んだ「かいけつゾロリ」のシリーズについて機関銃のようにあらすじを説明し、興奮気味に「ゾロリ」が駆使したトリックを解説した。ノマドの説明&解説は全く理解できなかったが、「かいけつゾロリ」を十分楽しんでいることは伝わった。よって100円チャリン。
●翌日は、ノマドがハマってるカードゲーム「バトルスピリッツ」の攻略本(「ケロケロエース」今月号のふろく)を熟読し、「詰め将棋」ならぬ「詰めバトスピ」、つまりとある戦況に対してどの手札をどのように使えば相手を打ち負かす事ができるのか、というクイズを全部読み解いた。コレも100円チャリン。

●ヒヨコには、この制度の入り口としてダイスキなテレビアニメ「しゅごキャラ」の原作マンガ一巻を買い与えたのだが、まだリアクションが返ってこない……ただ画だけ眺めて「カワイい~」といってるだけなのだ…。幼稚園の絵本でもイイんだよ、と言ってるんだけどな。

しゅごキャラ! (1) (講談社コミックスなかよし (1113巻))しゅごキャラ! (1) (講談社コミックスなかよし (1113巻))
(2006/07/06)
PEACH-PIT

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●そしたら、ヒヨコは「ノマドがつくったホンをよんだ!」と申告してきた。……ノマドの手作り本かよ…。ただし、コレが微妙な味わいのあるマンガになってたので、100円チャリンにすることにした。マジなトコロでは、コレはノマドの手柄だけどね。小学一年生がエンピツ一本で書いたオハナシ、ちょっとみてやっていただけますか?今日の我が家はコレ一冊でとっても和みました。

「はらぺこリン はらいっぱい」 by ノマド
(注:マンガの読み方は、1→2
              ↓
            4←3 となっております。ちなみに主人公「リン」はリスです)

はらぺこリン1(「はらぺこリン はらいっぱい」)


はらぺこリン2

(「おいしい」)

はらぺこリン

(1:「いただきます。」 2:「おいしい」 4:「ごおちそうさま」)

はらぺこリン4

(5:「ガンプラ」6:「よいしょ」7:「できた!」8:「ままできた」)

はらぺこリン5

(7:ガッチャーン 8:「えーん」9:「えーん!!」 パパ「どうした」リン「ガンプラ」)

はらぺこリン5.5

(10:パパ「ガンプラが」リン「こわれ」 11:パパ「ま、まさか!」リン「た!」
 12:パパ「ガンプラがこわれた!!!!」 13:2がったいガンダム)

はらぺこリン6

(2がったいガンダムパーツ … かんせい)

●このオハナシに、ヒヨコは「ちょっとカナシいオハナシなの」と報告してきた。大切なガンプラを壊してしまったリン。しかし、パパがもう一体のガンダムを持ってきて、新しいガッタイガンダムを作ってあげて、ハッピーエンド。リンのパパ、リンのガンダムが壊れた事を我が事のように衝撃を受けているのが、なんかオモシロい。サイゴのページは、その新ガンダムのガッタイプロセスを説明しているようだが、コレはノマドにしか理解出来ない。

●ノマドもヒヨコも、PCの前に座っているボクのトコロに来ては「パパ、カミちょうだい」とプリンタ用紙をせがみ、いつも勝手にお絵描きをしてる。そんで時々ホチキスで止めて、こうした小冊子を作るのが習わしなのだ。別に作れとも言わないし、作り方も教えてないのに。
●ヒヨコもノマドに対抗して現在長編に取り組んでおりますので(長編と言ってもこのオハナシくらいね、ヒヨコの今までの作品は4コマくらいで終ってたから)、完成したらまたご紹介します。 



晩秋の SUZANNE VEGA。
●秋もメッキリ深まって、ヒドく寒くなってきた。ボクら病人にはコタエる季節だ。BGMも、なんとなく秋めいた音楽を選んでしまった。



Solitude StandingSolitude Standing
(1990/10/25)
Suzanne Vega

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Days of Open HandDays of Open Hand
(1990/04/06)
Suzanne Vega

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SUZANNE VEGA「SOLITUDE STANDING」1987年
SUZANNE VEGA「DAYS OF OPEN HAND」1990年
●アメリカのシンガーソングライターで、ウィスパーボーカルとフォーキーなスタイルが有名。そんな彼女のセカンドとサードアルバムを一枚270円で購入。ブレイクのキッカケになったセカンド収録の有名曲「LUKA」は、瑞々しいアコースティックサウンドとそれに釣り合わない児童虐待をテーマにしたリリックで話題を呼んだ。アカペラで歌う代表曲「TOM'S DINER」スキャットはヒップホップのネタになったりもしてる。木枯らしを感じながら iPod で聞くにはちょうどいい感じだ。
●でも、よーく聴いていると、彼女の音楽は単純なフォークミュージックではないことがわかる。プロデューサーが変わってもその傾向は変わらないから完全に彼女自身の志向と思われる……特にキャリアが進むほどハッキリして来るんだけど、リズムトラックが意外と冒険的なんです。サードでは、トラッドなアイリッシュから、明らかにオリエンタルなモチーフまでを導入したりしてる。決して彼女のメロディを邪魔しないレベルなんだけど、結構ヘンな楽器を使ったパーカッシブなトラックもある。そんなトコロを面白がるのは邪道?誰も気にしない程度のコトかな?
●で、この次のアルバム「99.9F°」1992年で、マシンビートとか導入して、その清楚な佇まいをブチ壊すような戦略に出る。実はこの辺のCDは買い直しで、リアルタイムで聴いてたから、「99.9F°」での変身はマジビビった。ジャケも一新していきなり「くわえタバコのワルなオンナ」になっちゃったし。詳しい事は前にも書いたからこのヘンで留めておくけど。

微熱微熱
(2001/12/05)
スザンヌ・ヴェガ

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●で、この変身した SUZANNE を後押ししてたのが、変態プロデューサーコンビ、MITCHELL FROOM & TCHAD BLAKE だ。この二人が噛むと、あの LOS LOBOS「LA BAMBA」の一発屋)ですらポストロックに変身する。コイツらの名前をクレジットに見つけたら気を付けた方がイイです。
●しかーも!コレが縁なのか、1995年、MITCHELL FROOM SUZANNE結婚しちゃうのです。この段階で、MITCHELL はバツ2のオトコ。結論から言うと、一人娘 RUBY ちゃんを生んで2人は1998年に離婚しちゃう。今は4人目の奥さんと暮らしてるらしい。

そんな奇才 MITCHELL FROOM のソロアルバムを100円で発見した。

DopamineDopamine
(1999/05/17)
Mitchell Froom

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MITCHELL FROOM「DOPAMINE」1998年
●ループトラックを含めた曲とアレンジは MITCHELL 本人が、詞とボーカルメロディは、曲ごとに招かれたゲストボーカリストが務めるというスタイル。この変態に招かれたゲストは、分かりやすいトコロで言うと、SHERYL CROW とか、CIBO MATTO羽鳥ミホとか RON SEXSMITH とか。奥さん(離婚寸前)の SUZANNE VEGA も参加。SUZANNE との赤ちゃん RUBY「BACKGROUND SCREAM」でクレジットされてる。相棒 TCHAD BLAKE のクレジットは「ATMOSPHERE」とか「STEAM AMBIENCE」雰囲気だけをどっかの場所で録音してきてトラックの中に忍び込ませる。やっぱ変態。
独特のモグモグくぐもったベーストラックは実に重心が低くハラに響く。それに対してヘンテコな上モノが乗っかって(ジプシーミュージックであったり、ウソんこインド風だったり、哀愁のアコーディオンだったり。トイピアノも活躍してる)して、実に胡散臭い。その胡散臭さが、この人の最高の魅力なんだけどね。BECK のヒネクレタ部分だけを抜き取った感じといえばイメージしやすいでしょうか。時にロウファイ、時にラウンジ。
100円コーナーで、この辺の価値を見抜いた上で、引っこ抜く快感はたまんないね。まずこの音源を100円コーナーに入れた店員に勝った、100円コーナーを貪るボクと同類の音楽ジャンキーにも勝った、マジで MITCHELL FROOM って名前だけのジャケ買いだけど、内容もナイスで満足。よっしゃ、いいツモだ!って感じ。


今週の心療内科診察で池尻大橋へ。いつもと違う道で病院まで行ったら、ちょっとした発見があった。

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コレ、フツウのクルマをタクシーにカスタムする整備工場。
●ミドリ一色の普通乗用車にペインティングを施して、都内を闊歩する「東京無線タクシー」の出来上がり!タダのミドリ一色のクルマは、ガンダムで言うトコロの「旧ザク (MS-05)」で、そこに様々なパーツを装填することで「ザクII (MS-06)」に仕様変更する、みたいな妄想がアタマをよぎった。だから、無造作に天井からぶら下げてある「東京無線」ロゴペイントパーツは、ボクの目には「ザクII (MS-06)」の右肩にあるシールドに見えるのであった。(←すいません、ガンダム知らない人100%意味わかんないですね。知ってる人でもついてこれないか…)


あと、ナイスなカフェを発見。オーガニック風味。

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「ALASKA」
●場所:目黒区東山2ー5ー7。ザックリいうと、池尻大橋駅と中目黒駅の中間地点。渋谷駅~大崎駅を運行する東急バスの「菅刈小学校」バス停(山手通り沿い、246との合流地点近く)で降りた所からイチバン最初に目に入る横断歩道から脇道にトコトコ入った場所にひっそり存在。2階は普通の人が生活してるらしい古い日本家屋の一階部分をカフェに改造。窓が広くて外の光が気持ちイイ。女性スタッフの人たちがキッチンで賑やかに作業しているのが楽しそう。ディナーの準備でレタスを切りながら、冗談の言い合いをしてる。隣の古着リメイク屋さんとトイレの部分で連結しており、そっちのおミセも興味津々。ヴィンテージのパンツを裁断してジャケットに作り直しちゃったヤツとかユニークだった。この前行った時は雑誌の撮影が入ってたな。有名スタイリストさんがオーナーらしい。


ここで、とってもオモシロい本を見つけた。洋書だけど、頑張って読みまくった。

Rough Trade: Labels Unlimited (Labels Unlimited)Rough Trade: Labels Unlimited (Labels Unlimited)
(2006/10/30)
Rob Young

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「ROUGH TRADE: LABELS UNLIMITED」
●イギリスのインディシーンを代表するレーベル「ROUGH TRADE」の栄枯盛衰の物語を、当時の写真や激レア音源のジャケとともに描いたルポタージュ。特に、最終章の、レーベル創始者 GEOFF TRAVIS さんのインタビューがオモシロい。1970年代末のパンク革命から、2000年代のガレージロック爆発までのロックシーンの歴史を常に最前線で目撃してきた、いやシーンを切り拓いてきたオトコ。

●まずは、「ROUGH TRADE」って一体なんだよ?って人のために、このレーベルに関わっていったアーティスト、バンドの名前を挙げてみよう。あらら、このバンドが関わってたの?と思える名前を見つけられるように。とても全部はムリだからホンの一部ね。うーんと、最近活躍してるバンドからあげるとするか。若い人にはソッチの方がイメージしやすいでしょう。

BABYSHAMBLES、THE LIBERTINES、THE STROKES、THE LONG BLONDES、1990S、SUPER FURRY ANIMALS、BRITISH SEA POWER、BELLE & SEBASTIAN、ARCADE FIRE、JARVIS COCKER (PULP)、SURFAN STEVENS、THE DECEMBERISTS、CORNERSHOP、PUSSY GALORE、GALAXIE 500、CAMPER VAN BEETHOVEN、BUTTHOLE SURFERS、JAMES、THE SUNDAYS、THE FALL、ROBERT WYATT、THE RED CRAYOLA、THEY MIGHT BE GIANTS、THE SMITHS、AZTEC CAMERA、SCRITTI POLITTI、THE MONOCHROME SET、YOUNG MARBLE GIANTS、TELEVISION PERSONALITIES、JONATHAN RICHMAN、THE GO-BETWEENS、ARTHUR RUSSELL、DIE KRUPPS、CABARET VOLTAIRE、THIS HEAT、THE POP GROUP、PERE UBU、THE RAINCOATS、HORACE ANDY、STIFF LITTLE FINGERS…。

●これでピンと来ます?つまり、この名詞の羅列が示しているのは、70年代末のパンク革命から、その直後から動き出したニューウェーブ/ポストパンク、80年代ネオアコースティック、90年代オルタナティブロック、ブリットポップ、00年代のガレージロックリバイバルまで、「ROUGH TRADE」はほぼ一貫してこの30年のロックムーブメントに全て関与してきたインディレーベルだ、っちゅーことなんですわ。つまり、スゴいヤツらなんです。

●で、ついでに突っ込んで言うと、イギリスのインディシーンそのものをデザインしたのがこの「ROUGH TRADE」だ、って所もスゴい。コレについては、この本で知った知識も含めて、ご説明いたします。

ラフトレード

●1975年、若造だった GEOFF TRAVIS というヤツが、世間を知ろうとちょっとした旅に出た。彼はイギリスから大西洋を渡り、カナダ~アメリカを巡り、花の都サンフランシスコに到着した。60年代末~70年代初頭のシスコ~ベイエリアは、ヒッピーカルチャーと最新の音楽シーンの爆心地だったわけで、音楽好きだった GEOFF は少々盛りを過ぎたこの街に、そんなサブカルチャーの残り香を嗅ぎにいったのだと思う。
ほんで、彼は発見した。アメリカの中古レコード屋は、ホントにレコードを二束三文で投げ売りしまくってるコトを。ボクも90年代のシスコで一枚2ドルコーナーから何枚LPを抜いたことか。アメリカ人のレコードの扱いは実に最悪で、盤面はスレスレ傷だらけ、ジャケットは破れて底が抜けたりしてて、平気で自分の名前をマジックで書き込んだりしてあったりする。お気に入りの曲タイトルにホシマークとかね。
●でも音楽好きの若者は必ずこう思う。「聴ければイイ、音が鳴ればイイ」と。どんなにクソ音源だろうと激安なら買っちまう。GEOFF はこの大発見に大感動して、ホントに超大量の買物をした。そしてソレを全部船便で母国に送り、その激安で仕入れたレコードで、レコードショップを開く事にしたのだ。このザックリ勘定な仕入れ感覚がそのままお店の名前になった。「ROUGH TRADE SHOP」だ。1976年、ウエストロンドンでの出来事だった。

GEOFF のお店はスグに街の新しモノ好きの話題になり、街のヒップなヤツらがイッパイ集まるようになった。GEOFF は自分のセンスの赴くままに音楽を仕入れ店でプレイした。レゲエもかければ、当時勃興しつつあったパンクにも反応した。THE CLASH にインストアをお願いしたら超満員になった。一方 TALKING HEADS にもお願いしたら、客は一人も来なかった。DAVID BYRNE らメンバーは「お茶飲みながらイイ音楽聴いて、イイ買物出来て、ナニもしないで仕事になるなんて最高」といって笑ったという。

●時代は1978年。GEOFF はレコードショップの経営だけじゃ飽き足らなくなり、レーベルを起こすコトを決意する。第一弾アーティストはパリのポストパンクバンド METAL UNBAIN。音聴いた事ないからわかんないけど、GEOFF はパンク革命の最中にいながら、そんなにパンクに固執してなかった。パンクでもパンクじゃなくても気に入ったモンを世に出す。それが彼のスタンスだった。

で、次の段取りが超革命的だった。彼はレーベルを立ち上げ、レコードを一杯プレスした。しかし売る店が自分の所しかない。大手メジャーレコード会社が独占する流通経路に、こんな商品は乗っからない。
●それじゃダメだ。そこで彼は独自の「インディ流通ネットワーク」を構築するのだ。全国の志あるレコードショップ一軒一軒と交渉して、お互いのインディ音源をお互いに流通させる枠組みを3~4年かけて作り上げたのだ。後世の人はこの草の根的ネットワークを「CARTEL(カルテル)」と呼んでる。
GEOFF「オレはグッドアイディアだと思ったんだ。地方地方の特色を生かして、ロンドン中央に依存しない流通網を作り上げて、志ある連中に全国流通のチャンスを与えて次のステップに進むのを応援するってわけだよ…。流通にこそスゴいオモシロさを見出したんだ」
GEOFF「その頃は大手流通から拒否されるような音源がイッパイあってさ、例えば STEVE ALBINI のバンド RAPEMAN とか(筆者注:名前がレイプ男じゃねえ…)。実際そんなのコドモっぽいハナシよ。そりゃ人には言いたい事を言う権利がある、でも間違える事もある。結局だれかがそのオトシマエを引き受けることになる。でもそんなアリナシの議論には実は大した意味はないのよ。オレはそんなの気に留めた事はなかったし、そんな議論はオレのいない所でやってたらしいから、オレは気の向くまま立ち回っただけさ」彼はそうやって国内外の認められないアーティストにチャンスをどんどん与えていったわけだ。

ラフトレード

●彼の新しいスタイル、制作から流通まで全部インディという、真のD.I.Y.精神は早速デカイリアクションをゲットした。1979年、初めてリリースしたアルバム(それまでは7インチばっかのリリース)STIFF LITTLE FINGERS「INFLAMMABLE MATERIAL」がいきなり全国区チャートインしちゃったのだ。イギリス史上初のインディバンドのチャートインだ。

Inflammable MaterialInflammable Material
(2001/11/30)
Stiff Little Fingers

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STIFF LITTLE FINGERS「INFLAMMABLE MATERIAL」1979年
●コレはいわば初期パンクの古典の一枚になってる。当時は IRA のテロが吹き荒れてた北アイルランドのベルファスト出身の4人組。同時期のベルファストからは THE UNDERTONES も登場している。どっちもキャッチーなメロディを備えながら確実にパンクな、優れたバンドだ。
GEOFF「あん時は、バンドもオレらレーベルも、見事ポップカルチャーに食い込んだと思ったし、ちょっとしたメインストリームの仲間入りしちゃうんじゃないかと思ったよ、アート純粋主義みたいなイケスカナイ連中とは違ったやり方でね」

●一方で、彼はパンクムーブメントとは一見関係ないニューウェーブバンドともどんどん契約を結んでいった。インタビュアーが注目したのは、その中にガールズバンドが沢山いたことだ。当時のパンクカルチャーはマッチョ主義が幅を利かせてて男尊女卑みたいな空気もあった。なのに「ROUGH TRADE」は従業員にもオンナノコを多く採用し、THE RAINCOATS のような女性バンドをフックアップした。「ROUGH TRADE」はフェミニズムと関係があったのか?
GEOFF「70年代末から盛り上がっていったフェミニズム思想は確かに無視出来ない影響力があったし、性別の問題を考えないでデカくヒットを当てるコトはできなかったと思う。でもソレもあんまり重要と思ってなかった。ホントにあの頃は、商売というより「遊び」の感覚で動いてたんだ。オレがオモシロいと思ったら、それでオーケー、男も女も関係ない」

The RaincoatsThe Raincoats
(1993/09/01)
The Raincoats

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THE RAINCOATS「THE RAIN COATS」1979年
●やはりガールズバンドだった THE SLITS のメンバーが合流して女子だけになったニューウェーブバンド。やはり「ROUGH TRADE」と契約してたスイスの女子バンド KLEENEX と一緒にツアーとかしてた。ジャケもカワイいけど、ヘタウマ感丸出しのサウンドもカワイゲがあります。特にショボイバイオリンの音が最高にマヌケでカワイイ。90年代にこのアルバムが再発された時には、あの NIRANAKURT COBAIN が本人たっての希望でライナーを書いている。下に KURT の言葉を一部引用。
KURTレインコーツはアメリカじゃ全然無名だ。UKやヨーロッパじゃどうなのかってのはオレにはわからない。実際オレ自身もこのバンドの事は、彼女らが残した音源以外ナニも知らない。でもその音はオレに強い影響を与えた……オレの人生の中でも一番どん底の哀しみ&孤独&退屈にまみれてた頃に、コレを聴いてたんだ。この一枚目を聴いてる時だけ、わずかな平和を感じられた。ちょっとでもこのバンドの歴史とかを調べときゃとも感じるけど、それよりもオレがどんな気持ちで彼女たちの音を聴いたか描き出す事がずっと重要だと思ってるんだ…」そこまで KURT が惚れ込んだ音楽…。

ラフトレード

その後、80年代の「ROUGH TRADE」は次々と80年代を彩る才能を発掘しては世に送り出した。
AZTEC CAMERA や、SCRITTI POLITTI はメジャーシーンにすぐに進出し、商業的にも大成功した。一方で「ROUGH TRADE」側としては、発掘してやったのに、すぐにバンドはメジャーに移籍してしまう現実にジレンマを感じ始めていた。バンドはデカくなっても、置いていかれたレーベルは経済的にもしんどくなるだけ。メジャーと張り合うだけの競争力はやっぱナイし、バンドもいい条件を求めて外へ出て行くわけよ。むーん…。
●そんな時に出会ったのが、80年代に圧倒的な存在感を放ち、90年代いや今日まで大きな影響を及ぼすあのバンドだった。その名は THE SMITHS。

The SmithsThe Smiths
(1993/11/10)
The Smiths

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THE SMITHS「THE SMITHS」1984年
●ボク自身のハナシで恐縮だが、この一枚を聴き直そうと思って家中探し回ったのに結局発見出来なかった。THE SMITHS のアルバムは全部持ってるつもりだったのに(しかもこの捜索で「QUEEN IS DEAD」「MEAT IS MURDER」の2枚をダブり買いしてる事が判明。ショックでクラクラ~)、この重要なデビュー盤を持ってなかったのだ。若い頃のボクはカセットにダビングして何回も聴いてたんだな。ああ、ちなみに編集盤の「LOUDER THAN BOMB」もかなり聴いた。もちろんさすがにリアルタイムでは聴けなかった……ボクは THE STONE ROSES 経由からこのバンドの世界に入っていった、後聴き組だ。それでも初めて聴いてから十数年。ボクも年取ったな。

●さてTHE SMITHS。直訳して「スミス一家」。イギリスに沢山いそうな超平凡な名前。日本で言えば「佐藤家」みたいな感じだろう。売れる気がしねえエー。もちろんメンバーにスミスさんなんていないんだよ。だからお笑いコンビ「中川家」とも違う。
●80年代のマンチェスター。NEW YORK DOLLS のファンジンを書いてたヒョロイ文学青年 MORRISSEY に、これまた根の暗いギター青年 JOHNNY MURR が声をかけて、このバンドは生まれた。彼らはハッキリ言ってカッコ悪い。当時の流行りだったのか思い切りハズしていたのか、髪型はいわゆる「テディボーイズ」だった。イギリスではモッズロッカーズが出現する前に流行った50年代の若者のスタイル。オールバックが基本で、そんで前髪を少し垂らす。ああ、そうそう、光GENJI っぽい感じ!THE KING エルヴィスのスタイルが源流のはずだけど、どっかズレテル。MORRISSEY のあのリーゼントっぽいアタマって、どうみても変でしょ!広義においては「めざましテレビ」軽部アナのオールバックも「テディ」的なモノに見えるらしく、ドコかの外タレに「今どきそんなアタマしてるヤツがいるとは、たまげたもんだ」と思い切り笑われていた。軽部氏本人はナニがおかしいのか理解出来てないようだったが。
●その後に続くマンチェスターのロックバンド(THE STONE ROSES から OASIS そして今の若い連中全部)とまるきり同じで、THE SMITHS もカネのない連中だった。従って衣装もないから、普段着のケミカルウォッシュのスリムジーンズにシャツを几帳面に入れて、テレビで歌った。あげく「DR.SLUMP アラレちゃん」かのようなセルフレームの大きな眼鏡までかけて、かっこ悪いコトこの上なしだった。さらにスゴいのは、歌詞の内容だった。ネクラ少年のボヤキに皮肉をタップリ盛り込んだウタを、あのヘロヘロした独特の節回しで歌ったのだ。しかも「ネアカとネクラ」カルチャーの80年代でだ。そんでバンド名は日本語で「佐藤家」。勝ち目は普通ならゼロだ。
が、彼らは当時の若者から絶賛を浴びた。キッズは、ニューウェーブから発展したニューロマンティクス系のバンド、バカみたいに派手な色のソフトスーツに奇妙奇天烈な髪型、タップリ塗り込んだファウンデーションと奇抜なメイク、そして聴き飽きてしまったピコピコの打ち込みポップスには、もうお腹いっぱいウンザリだったのだ。THE SMITHS の音楽、つまり MURR がつま弾く繊細なギタープレイと打ち込みゼロのスタイルが、パンク革命以来断絶していた60年代の古き良きUKロックを回顧させたし、バンドメンバーの飾らないフラットなスタンスが新鮮だった。歌詞で取り上げるテーマも、パンクの過激なメッセージより親近感が持てるものだった。オマケに MORRISSEY はジーンズのオシリのポッケにグラジオラスの花を差し、時にそれを振り振り歌うのだ。ウジウジした青春のクヨクヨした思いを歌ってくれる彼らを時代は支持したのだった。

ラフトレード

ハナシはちょっと戻って、「ROUGH TRADE」と THE SMITHS の出会いを。
●音源のリリースなぞ夢のまた夢だったマンチェスターの若造だった彼らと、GEOFF が初めて会った時の事を、GOEFF はこう回想している。「地下のスタジオで連中とあったんだ。そこでいきなり JOHNNY MURR『HAND IN GROVE』のギターフレーズを完璧な状態で弾きこなした。もうそれで契約を決意した。この曲は彼らのデビューシングルになった」
●パートナーとして付き合い始めてみると、なかなかこのバンドはメンドクサイヤツらだった。彼らと釣り合うマネジャーがいないのだ。非常に神経質な連中はマネジャーの言う事なんて聞きゃしない。最初はバンドの友達がマネジャーを務めたが、スグに降参してただの友達に戻っていった。で、どうしたか?フロントマンである MORRISSEY 自身がマネジャー業務を始めたのだ。音楽面の事は真夜中に JOHNNY が作業して、マネジメント業務は昼間 MORRISSEYGOEFF と毎日顔を突き合わせてこなした。彼らは、徹頭徹尾自分たちの美学を貫いた。この本 「ROUGH TRADE: LABELS UNLIMITED」には、THE SMITHS の7インチシングルのジャケが見開きでバッと並んでるページがある。ウットリするほど美しい。昔の女優や、古い映画のワンシーン、ピンナップの一部を切り抜いて、2色刷りにプリントする。アルバムのジャケにも一貫してこの手法がとられてる。ファーストシングル「HAND IN GROVE」のジャケは、オシリ丸出しの男性ヌードでイキナリビビるが、その冒険精神は立派だ。

Hand in Glove [7 inch Analog]Hand in Glove [7 inch Analog]
(2008/11/10)
Smiths

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 (ね、オシリ丸出しでしょ)

こんな連中なので、THE SMITHS は実質上の活動期間である5年の日々を「ROUGH TRADE」と共に歩んだ。
●多くのバンドを発掘しながら、スグにメジャーに移籍されてしまうコトに限界を感じていた GOEFF にとって、THE SMITHS との仕事は大きな勉強だった。もちろん完全手探り状態での格闘の日々だった。「さあ、この先の五カ年計画だ、このプランで行こう、そんなんじゃなかった。マジでホントその日その日の勝負の連続だった」GOEFF はこうも言う。「連中は、ほとんど動かずにして成功を収めたバンドだ。連中はツアーをほとんどやってない。アメリカだってちょっとしか行ってない。なのにアソコまで登り詰めた」プロモーションビデオ撮影には、若き日の DEREK GERMAN を起用した。DVDが出てるからその映像もチェック出来る。死ぬほどダサイテレビ出演も収録されてる。

コンプリート・ピクチャーコンプリート・ピクチャー
(2001/11/07)
スミス

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THE SMITHS と「ROUGH TRADE」との蜜月の終わり。
●活動5年の中で、次第にバンドの核である MORRISSEY JOHNNY MURR の連携が食い違うようになってきた。次第に険悪になるバンドの空気。そんな中、楽曲の歌詞か取材での発言か(何分英語の本なんでよく分からんかった)で、バンドがレーベル批判をした。GOEFF はコレを裏切りと感じたという。ほどなくバンドはメジャーレコード会社 EMI に移籍したが、そこでは1曲もリリースするコトなくバンドは解体した。
JOHNNY MURR はテクノミュージックに興味を持ち、ELECTRONIC というエレポップユニットを、NEW ORDERBERNARD SUMNER と結成、2枚ほどアルバムを出した。その一方さすらいのギタリストとして様々なバンドに参加しては脱退し乗り換えている。最初は MATT JOHNSON THE THE。自分のバンド JOHNNY MURR & THE HEALERS なんてのも作ったけどいつのまにか消滅し、この前は アメリカのバンドMODEST MOUSE に参加、そんで今は UKの若造バンド THE CRIBS に入っちゃったという。しかし、THE SMITHS 時代のリリカルなギターはもう聴こえない。
MORRISSEY は淡々とソロキャリアを積み上げている。芸風はハッキリ言ってあんま変わんない…。英語はワカランから、歌詞は変わってるのかもしれないけど…。GOEFF との付き合いは復活していて、お互いにハナシもする仲だ。GOEFFJOHNNY ともウマくやれている。ただし GOEFF は言う。MORRISSEY は、オレが今のヤツより THE SMITHS の頃の方が素晴らしかったと思ってるコトを感じとっている。その上で話し掛けてくるんだ…」MORRISSEY MURR の関係は雪解けムードらしいが、THE SMITHS の再結成は可能性はゼロに等しいという。MORRISSEY「素晴らしい旅は終わったんだ。僕は続けたかったが(MURRは)終わらせたかったんだ」1982年から1987年、バンドは素晴らしい5年間を駆け抜けた。

●マジ蛇足なんだけど、SANDIE SHAW という60年代のアイドルさんが、THE SMITHS「HAND IN GLOVE」を、THE SMITHS 自身をバックにカバーしている音源があります。MORRISSEY が彼女の大ファンだったらしくて。このバージョンもマジカッコいいです。10年くらい前、国分寺のレコ屋でオリジナル12インチを1400円で見つけたんだけど、迷って買わなかったんだよね~。今でも悔しいと思うよ。

ラフトレード

えーと、THE SMITHS と違って、とっとと「ROUGH TRADE」を卒業したバンドもちょっと紹介。

High Land, Hard RainHigh Land, Hard Rain
(1991/07/09)
Aztec Camera

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AZTEC CAMERA「HIGH LAND, HARD RAIN」1983年
●バンドっぽいけど、本質的には RODDY FRAME というオトコのオレユニット。コイツ以外はバンドメンバーが常に入れ換わってる。独自の音楽文化を発信しているスコットランドのグラスゴー出身で、当地のシーンを代表してた POSTCARD RECORDS から81年に初音源をリリース。その後「ROUGH TRADE」に移るんだけど、あっという間に、大手ワーナーに去っていった。95年までこのユニット名で活動してたけど、イイ加減オレの名前でイイじゃんかと思ったのか最近は RODDY FRAME 名義でしか活動してない。
●音楽としては、これぞド直球、王道の「ネオ・アコースティック」サウンド。つーか「ネオアコ」という表現を切り拓いた最初の世代かも。アコースティックギター主体のバンドサウンドなんだけど、パンク以前はそのテの音楽はフォークロック/カントリーロックって言われてた。「ネオアコ」の音はアコギ主体でも、フォーク(民俗)の匂いは全然感じられない。あくまでパンク以降のロック/ポップ感覚でメロディが作られている。だから「ネオ」。新しいアコースティック表現というわけ。
●グラスゴーは、その後も独自のインディ文化を花開かせ、様々な「ネオアコ」バンドを輩出した。ORANGE JUICE、THE PASTELS、THE VASELINES、TEENAGE FANCLUB、BELLE & SEBASTIAN……。で、その影響は海を越えて東京にも伝播し、FLIPPER'S GUITAR のファーストや BRIDGEなどのギターポップバンドといったフォロワーまで生んだ。かつてこう言ったグラスゴーのバンドを「アノラック系」とも呼んだっけ。単純に THE PASTELS のメンバーが上着にアノラックを着るのがスキだったから、つーのがその由来らしいけど。え、アノラックってナニって?じゃ写真貼っときます。

アノラックです。(ナイロン素材系もポピュラーだよね。なんせグラスゴーは北国だから。)

もう一組、スグに卒業したバンド。

Songs to RememberSongs to Remember
(2001/09/19)
Scritti Politti

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SCRITTI POLITTI「SONGS TO REMEMBER」1982年。
●随分ヘンテコな名前のバンドが「ROUGH TRADE」に残した最初で最後のアルバム。イタリア語っぽいなーと思って調べたら、イタリア人共産主義理論家アントニオ・グラムシに敬意を表しての名前だった。グラムシの政治的著書「SCRITTI POLITICI」と、LITTLE RICHARD の古典ロックンロール「TUTTI FRUTTI」を混ぜたそうな。つまりバリバリの左翼。ジャック・デリダなどのポスト構造主義哲学にまでハマってたらしい(だって「JACQUES DERRIDA」って曲があるんだもん)。サッチャー保守党政権下の80年代イギリスの中で、このテのアート系左翼は「ポストパンク」系シーンの中で過激な活躍をした。…売れたりはしないんだけど。
「ポストパンク」シーンは、様々な実験の時代だった。パンク革命によって旧来のロックと完全に決別した若者たちが、自分たちの音楽を深化させようという時、まず着目したのはダブ、レゲエ、ファンク、アフリカンビートなどの第三世界の音楽との合体の可能性だ。THE POP GROUP とその分派(>RIP RIG & PANIC、PIG BAG など)や、A CERTAIN RACIO、GANG OF FOUR といったバンドは、独自の感覚で「コールドファンク」とも言われるような暗黒ビートを開発した。SEX PISTOLS を抜けた JOHN LYDON ですら新バンド PUBLIC IMAGE LIMITED で非ロックビートのグルーヴを探求するようになる。
●ほんで、この SCRITTI POLITTI は、やっぱりレゲエやファンクの躍動感をタテノリ解釈で取り入れた奇妙な音楽を作るんだけど、他のバンドと違ったのは暗黒系じゃなかったこと。リズムは奇妙でノリヅライんだけど、メロディはポップで声も優しい(他の連中は凶悪)。これにメジャーレーベル、ワーナーが目をつけてフックアップ。バンドサウンドは「コレが左翼かよ」ってほどこなれてチャーミングでダンサブルなブルーアイドソウル風になり、大ヒットする。「ROUGH TRADE」はあっという間にフラレル…。

●コレが縁なのかよくわからんけど、GEOFF は大手ワーナーと手を組んでメジャー内インディレーベル「BLANCO Y NEGRO」の設立に参加する。このレーベルの名を聞いてイチバン最初に連想するアーティストは THE JESUS & MARY CHAIN だ。フィードバックギターの轟音をまき散らしてナニ歌ってるか全然ワカンナいバンド。いわゆる「シューゲイザー」の元祖だ。コレはまた長い話になるのでまた今度。

ラフトレード

さてさて、その後の「ROUGH TRADE」。アメリカ進出とかします。でも……。
●80年代末から90年代頭にかけて、オルタナティヴロックの匂いに誘われてアメリカのバンドと積極的にアプローチする GOEFF。しかーし!なんかわからんけど、91年「ROUGH TRADE」一度倒産しちゃうのです。あやや。
●………ここで、ボクに一つのギモン。かつて90年代の西新宿レコ屋地帯(旧・新宿ロフト方面)には「ROUGH TRADE」日本店なるものが存在してたはず。ボク、そこで ST. ETIENNE とか買ってた覚えあるし。確か今も健在の「VINYL JAPAN」の近所とかだったような。91年の倒産と、あのお店の存在は矛盾してない?
●英語の本だから細かい事はよく読めなかったんだけど、当時「ROUGH TRADE」は、レーベルとしての「ROUGH TRADE RECORDS」、レコ屋チェーンとしての「ROUGH TRADE SHOP」、インディ流通業者の「ROUGH TRADE DISTRIBUTE」の三つに経営が分かれてたらしい。ほんで、ココで倒産したのはレーベルとしての「ROUGH TRADE RECORDS」だけ。後は生き残ってたと思われる。
●しょうがないので、この90年代を GOEFF は奥さんの JEANETTE LEE さんと一緒にマネジメント会社「ROUGH TRADE MANAGEMENT」を起こして、THE CRAMBERRIES とか PULP(とそのリーダーの JERVIS COCKER)のマネジャーをしてたという。

Different ClassDifferent Class
(1996/02/27)
Pulp

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PULP「DIFFERENT CLASS」1995年
●あらあら、70年代から始まったオハナシが、90年代の「ブリットポップ」の時代まで辿り着いちゃったよ。でもこのバンドもデビューは83年。長い長い下積みを重ね10年目にしてやっとメジャーデビューしたのは1993年。GOEFF「ROUGH TRADE MANAGEMENT」の連中と関わったのもこの頃だろう。で、この1995年のCDが彼らの全盛期の作品。あんまり聴かなかったCDだったんだけど、久しぶりに引っ張り出してクレジットを見たら、GOEFF JEANETTE の名前があった…。
●何分、リーダーの JERVIS COCKER の声と動きがキショイのよね…。カリカリにヤセっぽっちなのに、なんかクネクネ踊りながら歌うわけよ。大分ナルシストっぽいし。でもこのCD収録の「COMMON PEOPLE」は確かに「ブリットポップ」シーンを代表するアンセムになった。「ギリシャから美学校に彫刻を学びにきた大富豪のお嬢さんが言いました、アタシ、フツウのヒトみたいに暮らしたいの、フツウのヒトがやるような事はみんなやりたいの、フツウのヒトと一緒に寝たいの、ちょうどアナタみたいな人と…」階級社会を皮肉るこの曲は大ヒットしたのでした。
「ブリットポップ」時代を回顧するドキュメンタリーDVD「LIVE FOREVER」では OASISGALLAGHER兄弟や BLURDAMON ALBARN とともに JERVIS はインタビューに答えている。インタビュー場所は、なんとキタナいラブホのベットの上。ヤク中のようにゲッソリ痩せて、あの頃の熱狂を淡々と語る。最近はソロ名義で活動を始めたらしい。

ラフトレード

復活!「ROUGH TRADE RECORDS」!そして速攻で大ブレイク!
●2000年。イギリス最大のインディレーベル、SANCTUARY RECORDS から GOEFF に声がかかった。「カネがある。出資するから ROUGH TRADE を復活させないか?」このレーベルは「ROUGH TRADE」とほぼ同時代1979年の設立。IRON MAIDEN をデビューさせるために作られたレーベルで、ドッチかってとヘビメタ方面の方々ということ。ボクには縁が薄いが、とにかく巨大なので色んなトコロでその名前は見る。しかしこんな絶好のハナシはない、GOEFF はスグに飛びついてレーベルを復活させた。

Iron MaidenIron Maiden
(2002/03/26)
Iron Maiden

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IRON MAIDEN「IRON MAIDEN」1979年
●メタルはダメなボクが、今回生まれて初めて聴いてみたIRON MAIDEN。この露悪的なキショイジャケからもう苦手~だった…。しかし、この SANCTUARY はこのバンドに惚れ込んでレーベルを設立&大成功したというからご立派。聴いてみると、いわゆる「ヘヴィメタル」の権化と見せかけて、思ったよりカルい印象。カルくて速い。さすが1979年、ハードコアパンクの空気を敏感に察知したスタイルを切り拓いている。
ハードロック/ヘヴィメタルは、LED ZEPPELIN、DEEP PURPLE、BLACK SABBATH らによって60年代末~70年代初頭に作られたフォーマットで、パンク革命以後はオールドウェーヴ扱いだったはずだ。しかしこの時代、パンクの影響を吸い込んだ新型ヘヴィメタルが生まれた。「NWOBHM」(ニューウェーヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)という世代のバンドたちだ。IRON MAIDEN は実はそんな新時代の代表格で、スラッシュメタルなどその後細分化されるメタルシーンの先駆けになったっぽい。

あー寄道からハナシを戻して、復活「ROUGH TRADE」。00年代ガレージリヴァイヴァルに火をつける。
●つくづくスゴいなあと思うのが、復活「ROUGH TRADE」はあっという間に結果をたたき出し、00年代の新型ロックシーンのプラットホームを作っちゃったんだよね。ハッキリ言うと、あの2組のロックバンドを発掘しちゃったんです。そうそう、若いリスナーさんもご存知でしょう。THE STROKES。そして THE LIBERTINES。
●2つのバンドは大西洋を挟みながらも、同じような荒々しい原点回帰のロックを鳴らしていた。「ROUGH TRADE」は00年代のガレージロックリバイバルの発火点になる若者たちを見事掘り当て、シーンの最前線に返り咲いた。ここから「THE」がつく無数のバンドがワンサと世間に現れ、UK を中心にガレージロック旋風を巻き起こす。その勢いは現在進行形だし、ダンスロックエレクトロの推進力も引き込んでさらに膨張している。

ラフトレード

●まずは、アメリカはNYから出てきたバンドの方を紹介しようかな。

Is This ItIs This It
(2001/11/06)
The Strokes

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Room on FireRoom on Fire
(2003/10/28)
The Strokes

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First Impressions of EarthFirst Impressions of Earth
(2006/01/03)
The Strokes

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THE STROKES「IS THIS IT」2001年
THE STROKES「ROOM ON FIRE」2003年
THE STROKES「FIRST IMPRESSION OF EARTH」2006年
●恥をさらすようだけど、ボクはこのバンドの第一撃を完全に見過ごしてた。00年代のキッズにとって、このバンドはきっと90年代育ちのボクにとっての NIVANA や THE STONE ROSES のようなもの、または70年代末パンク革命の SEX PISTOLS、THE CLASH、60年代の THE BEATLES、THE ROLLING STONES だったのかもしれない。最近のバンドは「コレ聴いてオレ音楽始めました」って人も多いからね。でも、完全にスルーした。ナゼか?ココでボクの個人的な思い出に…。

2001年のファーストアルバムは、日本盤で8月22日、アメリカじゃ9月9日発売なんですよ。
●コレってつまりどういうタイミングだかって分かるでしょ。2001年9月11日「アメリカ同時多発テロ」の直前なんですわ。当時28歳になったばかりのボクは、この世紀の大事件によって見事に仕事を掻き乱され、週に3日朝3時出勤、残り2日は徹夜、もちろん休日出勤、という生活を余儀なくされた。偶然にも10月アタマ稼働のビッグプロジェクトの一翼を担ってたもんだから、ダブルの加重に死にそうになった。この大事件への対応でドタバタしながら、同時並行で40人規模の新設チームをデザインし、業務の新システムを構築してた。職歴6年目のボクにはマジでタフだった。8月もデカイ単発仕事で忙殺されていたから、ホントこの年はクタクタのボロボロにされたヒドい時だったと覚えている。
●ボクは、夏風邪を引きずったまま壮絶な9月&10月を通り抜け、いつのまにか気管支炎を通り越して慢性ぜんそくまで引き起こしていた。当時のボクはまだ愛煙家で、重いストレスから一日2箱くらいタバコを吸っていたんだけど、同時に血を吐くような咳に苦しめられていた。ほんで禁煙だ。スコンと辞められた。つーか「なんでこんな死にそうになりながらタバコなんて吸ってんだ?」とマジで思ったからだ。10月に入り、やっと初めて病院に行って「もはや慢性化して治りません」と宣告されて、思い切り脱力した。健康問題からせっかく自分で企画立案した新設チームからも外され、身も心もボロボロだった。そのまま翌月11月に第一子ノマドが誕生。「これが21世紀だ。ノストラダムスを通り抜けて到達した、テロと戦争の時代だ。そんな時代に子供を育てるなんて、ホントにマトモな行為なのか?こんなクソみたいな時代、生まれた子供は幸せになれるのか?」マジで悩んだ。

つーことで、個人的にボクは、ガレージロックに浮かれるヒマなどなかった。
●当時のロックシーンが受けたインパクトは、ボクには想像出来ない。もっとツッコンで言っちゃうと、このバンドの音楽に時代を変えるチカラが備わってるように思えない。重心が軽くて安っぽい。ガレージなんだから安くて当然だろ!という批判もあるでしょうが、同時代の THE WHITE STRIPES の方が100倍スリリングだと思う。ドラム&ギターのみの編成でありながら、あんだけ破壊力を持ってた THE WHITE STRIPES に比べて、ヨク言えば「洗練されてる」、悪く言えば「中途半端でブチ切れてもいない」バンドだった。正直今聴き直してもそう思う。彼らに責任はないが(だって制作はテロの直前だもん)、あの年に全世界が感じた戦慄を代弁する音楽とは思えない。ただの騒がしい若造だ。
●かと言って、全否定して聴きもしないのはフェアじゃないというのがボクの思想。3枚目までちゃんとゲットして、一応キチンと聴いてる訳よ。でもやっぱりイケナかったのか、CD扱いがないがしろで、今回聴き直そうにも一枚目しか発見出来なかった。どうしても部屋の中から出てこない。あー言い訳させてもらうと、ホントにテロの年のショックがデカクて、そんでボクのサラリーマンとしての仕事量も増えて、この年以降に買ったCDは未整理気味で発見出来ない事が多い。赤ちゃんノマド&ヒヨコが棚からCDブチ撒くとかするしね。
ただし、二枚目(三枚目かな?)の音処理はユニークだと思った。ワザと音域を上下狭く使って、中域をザラザラした感じに強調したプロデュースは一興に値すると思う。このアイディアは誰のモノか知らないが、日本の新進ロックバンド 8otto をプロデュースしてるヨシオカトシカズが、この二枚目のエンジニアを手掛けてるという話。8otto はイイ音ですよ。

ラフトレード

●さて、次はイギリスの大悪ガキの登場だ。

Up the BracketUp the Bracket
(2005/01/25)
The Libertines

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The LibertinesThe Libertines
(2004/08/19)
The Libertines

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THE LIBERTINES「UP THE BRACKET」2002年
THE LIBERTINES「THE LIBERTINES」2004年
●さっきとはうってかわって、ボクはこのバンドは絶賛する。スゲエと思う。最初は、PETE DOHERTYのゴシップ(メチャメチャなドラッグ中毒で、ツアーやレコーディングを次々とすっぽかし、ガールフレンドの KATE MOSS までも立派なヤク中にするわ、相棒 CARL BARAT の部屋に機材盗みに入って逮捕&6ヶ月収監などなどバンドメンバーとどんどん険悪な関係になっていく様々なイザコザ)ばかりが目立って、聴く気になれなかった。しかし、相棒 CARL BARAT のハイペースなギターサウンドにヨレヨレとついて行くようにズルズル歌う PETEルードなボーカルは確実にクセになる。
●こんな音源をすくいとったプロデューサーは元 THE CLASH のギタリスト MICK JONES。ファーストアルバムの内ジャケにドーンと写ってる、見事にツルッパゲた MICK に少々衝撃。BIG AUDIO DYNAMITE やってた頃は必死に帽子被って隠してたのに…。


ちなみに「LIBERTINE」って言葉を辞書で引くと「放蕩者、道楽者」と出て来る。
JOHNNY DEPP の映画にも「リバティーン」って映画あるよね。ここからちょっと全然カンケイないハナシに脱線します。当時頻繁にお付き合いしてた独立系メジャーレコード会社の専務さんと、ある若手アーティストの路上ライブを観に行った時、その専務さん(50歳手前?)がズボッと着てたスウェットの背中に「THE LIBERTINE」とデカくプリントされてるのが印象的だった。専務さんというと堅苦しいイメージがあるが、そんなガラじゃない。もっとフランクで飄々としてて、いつも子供のように無邪気にニコニコしてる。この人のキャリアを詳しく聞くと、この人はある意味ホンモノの「THE LIBERTINE」な人なのではないかと、感心したもんだ。
●この人のキャリアは波瀾万丈で、80年代の半ば、とある弱小レコード会社でムリヤリ、オレ主義貫徹型たった1人のソロ部署レーベルを立ち上げ、伝説のパンクバンド、ラフィンノーズを世間に引きずり出した人だ。その後レーベルごと独立して大ヒットを連発、親会社から株を全部買い上げて完全独立系の会社になって久しい。初めて会った時はとある交渉事のツモリだったのに、100%この専務さんの「ユメ」を語り尽くされてお終いになった。「この人自身がアーティストじゃないか!?この打合せはまるでアーティストインタビューではないか?!」やっぱ天才アーティストを惹き付けるのは天才じゃないとダメなのねと思った…。
●ボクが休職する少し前に、専務さんは社長さんになった。つーか、実権は全て最初から創業者であるこの専務さんに集まってたんだけど、あまりに「アーティスト」な人なので、サポートとして実際的な人が社長をやってたってことだろう。彼の会社の名前は日本語で「おもちゃ工場」。社長さんの人柄を象徴しててオモシロい。スゴいセールスを上げるアーティストがゴロゴロ所属してるが、完全に音楽至上主義で中途半端な宣伝戦略でアーティストを安売りしない。リスペクト。


ごめんなさい、ハナシを元に戻そう…。実は BABY SHAMBLES の方が先に聴いたのよね。

ダウン・イン・アルビオンダウン・イン・アルビオン
(2005/11/14)
ベイビー・シャンブルズ

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ショッターズ・ネイション(スペシャル・エディション)(DVD付)ショッターズ・ネイション(スペシャル・エディション)(DVD付)
(2007/12/12)
ベイビーシャンブルズベイビー・シャンブルズ

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BABY SHAMBLES「DOWN IN ALBION」2005年
BABY SHAMBLES「SHOTTER'S NATION」2007年
●00年代が始まっての音楽シーンは、ボクの目には明らかにヒップホップ/R&Bが熱かった。スゴい勢いで多様化&先鋭化(サウス勢やチカーノ系の台頭で発信地が多極化し、メジャーでもアングラでもあらゆる実験が行われた)してて、ロックは停滞ダメダメだった。唯一注目してたのは NY のクラブシーンを賑わせていた「エレクトロクラッシュ」というムーブメント。そしてその周辺から出現したダンスパンクという発想。THE RAPTURE「ハーウスお~ぶジェラスラヴァァァァああああす!!!!」とかね。
PETE DOHERTY をタダのゴシップ野郎と信じて疑わなかったボクは、彼の新バンドを聴くまでは1ミリも興味を引かなかった。ただ「DOWN IN ALBION」は、いいアルバムだった。つーか「ヤベエ、大失敗した、今まで無視してたのは間違いだった」と思い知らされた。THE LIBERTINES の持ち味はある意味風切る疾走感だし、その疾走感がヨレヨレボーカルの PETE をフォローしているとも言える。トコロがどっこい、そのヨレヨレ具合を全面に押し出している BABY SHAMBLES の方がボクにはズッとスリリングに聴こえるワケよ。脱線するものを脱線させるがママにさせる感覚、でも千鳥足の酔っぱらいがコケそうでコケないように、絶妙な均衡で PETE はバンドサウンドに乗っかっていく。ある意味曲芸、ある意味ヘタウマ、しかしガレージの疾走感を排除した結果、メロディメーカーとしての彼の才能は引き立たされてるし、詩人な彼も見出せる。6ヶ月のブタ箱生活で知り合ったナゾの黒人 THE GENERAL に1曲レゲエ風を歌わせてるというオフザケもまた一興。後追いで聴いた THE LIBERTINES より絶対コッチの方がオモシロいと思った。この崩れる寸前のバンドサウンドも MICK JONES が銀盤に焼き付けた。
●モチ、BABY SHAMBLESROUGH TRADE のアーティストですよ。2枚の先行シングルを出して前評判も十分。なのに、ライブじゃ PETE が泥酔してステージに立ってられないもんだからバンドがステージから降りてしまったり、PETE が最後まで出てこなくてライブの後に暴動が起こったり。メンバーの入れ替わりも目まぐるしい。よっぽどの難物なんだな~。
●しかし最新アルバムでは、ギタリストが10歳以上年上のオッサン MICK WHITNALL に交替してる。一時期の LOU REED のように苦みばしった顔のシワが印象的な渋いオッサンだ。プロデューサーは STEVEN STREET というオトコ。THE SMITHSBLUR を手掛けたカッチリ仕事の職人。そんな強化でバンドサウンドはカッチリしてきた。依然 PETE酔いどれ詩人としての持ち味がコアになってるが、DVDでのライブを見ると実は真人間になったんじゃないかと思うようなパフォーマンス。まだまだ聴ける、このバンドは。ちなみにタイトルの「SHOTTER」ってのはヤクの売人を示す隠語だそうな。早く100%クスリを抜きなさい。


Waterloo to AnywhereWaterloo to Anywhere
(2006/08/08)
Dirty Pretty Things

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Romance at Short NoticeRomance at Short Notice
(2008/06/30)
Dirty Pretty Things

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DIRTY PRETTY THINGS「WATERLOO TO ANYWHERE」2006年
DIRTY PRETTY THINGS「ROMANCE AT SHORT NOTICE」2008年
●もうココまで来たら、触れずには済まされないでしょ。THE LIBERTINES はボーカル PETE DOHERTYと ギター CARL BARAT双頭バンドTHE SMITHS で言えば MORRISSEYMURRTHE STONE ROSES で言えば IAN BROWN JOHN SQUIRE。そんでその揃い立つ2つのエゴってのはナカナカ緊張感を孕んでいるもんで、残念ながら長持ちしない。かつては激安アパートのベッドで寝食共にしてきた二人だったが、PETE のドラッグ漬け生活には我慢できなかった CARL BARATPETE を泣く泣く閉め出すカタチで THE LIBERTINES は短い寿命を終えた。比較的常識人に見える CARL なくして PETE が一人で自分のバンドなんて作れんのか、と誰もが思ったが(多分 CARL 自身もそう思ってた?)、意外な事に出来ちゃった。そんで、CARL も踏ん切りをつけたのか、自分のバンドを作った。コレがそのアルバム。
●すんません、あくまでこのオハナシは ROUGH TRADE のハナシなんだけど、コイツらはもはや ROUGH TRADE とはカンケイない。敢えて言えば、ROUGH TRADE 級に巨大な影響力をUKシーンにもたらしたインディレーベル CREATION の創始者 ALAN MCGEE がマネジャーを務めてる(THE LIBERTINES の末期あたりから関わってた)。CREATION といえば、PRIMAL SCREAMMY BLOODY VALENTINE、RIDE、そして OASIS を世に出したレーベルだ。一時期は「ALAN MCGEE が才能を見出したニューバンド」とPOPを書けばCDが売れる時代すらあったもんだ。しかし自分が見出した最大の才能 OASIS の津波のような大ブレイクに自分が飲み込まれて廃業せざるを得なくなっちゃった…。次に作ったレーベル POPTONE はスウェーデンのガレージ野郎 THE HIVES を発掘したがやはり倒産。そんで、いつの間にか、こんな事してたのかって感じ。
DIRTY PRETTY THINGS の音楽は、基本 THE LIBERTINESマッハなガレージロックを踏襲するスタイル……つーかマンマで意外性もナニもない…。THE LIBERTINES デビューの段階では有効であった音かも知れないけど、2006年段階ではもう耐久力がない。なんてったって彼ら自身のフォロワーが腐るほど世間にあふれてるんだモン。セカンドでは単純な勢い任せの楽曲からの脱皮を測ろうとしている努力も見られるが、今年9月にバンドは解散を発表。CARL「新しいコトに挑む事にした」とコメント。ソコに THE LIBERTINES の再結成は含まれているのかどうかはワカラナイ。PETECARL は最近ボチボチ接触はしてるらしいけど…。
THE LIBERTINES の残りの連中は YETI というバンドで再出発。つーか再出発したばっかで、まだ聴いてない。


ラフトレード

さて、「ROUGH TRADE」を縦糸に綴ってきたオハナシも、70年代から始まってとうとう今年の話題まで辿り着きました。
●創始者 GOEFF TRAVIS のインタビューに、THE STROKES THE LIBERTINES のことは出てこなかった。実際に彼が現場にタッチしてた訳でもないのかな? その後の ROUGH TRADE はザクザクババンドを発掘し、業績も伸ばした。スコットランドの名バンド BELLE & SEBASTIAN との長いパートナーシップも実は見逃せないハナシなんだけどね。
●復活の際に出資してくれたUK最大のインディレーベル SANCTUARY RECORDS が、2007年にドメジャーである UNIVERSAL MUSIC GROUP に買収される瞬間、系列下にいた ROUGH TRADE全然別のレーベル BEGGER'S BANQUET に売却された。このストーンズのアルバムから名前を拝借したレーベル BEGGER'S BAUQUET もロンドンの一レコード屋さんから出発したインディ体質の会社。ココの系列には、80年代イギリスにユニークな音を量産した 4AD、アメリカンオルタナティヴの名門 MATADOR、そして THE PRODIGY などの90年代ダンスカルチャーを支えた XL RECORDINGS がいる。UKインディの灯火を消さないという心意気のモト、自分がメジャーに飲み込まれる前に、SANCTUARY は最後に粋な計らいをしてくれた訳だ。 日本との提携関係では EMI JAPAN が契約を持っており、ROUGH TRADE JAPAN というレーベルが EMI JAPAN の中にある。


30年もの長きにわたって、ショービジネスの最前線にいる事はハンパな事ではない。
音楽のトレンドは目まぐるしく変わり、10年で購買層のキッズが全部入れ替わる。70年代末~80年代のパンク革命を知らないヤツが90年代のダンスカルチャー/ブリットポップを作り、90年代を知らないヤツが00年代のガレージロックリヴァイバルを作る。若者は「新しい」と信じて流行に飛びつくがオッサンから見ると「ムカシの焼き回しだよ」と見えるモノがある。「ガレージロックリヴァイバル」という言い回し自体が「焼き回し」前提のフレーズだよ。それでもオッサンは最前線に立つ。自分の耳を信じて。
THE STROKES THE LIBERTINES をスルーしてしまったボクは、音楽を聴き始めて初めての一巡目を体験したのかも知れない。90年代にボクが夢中になった音楽とは、異質なトレンドがやってきて、00年代という次の10年を賑わせた。それが最初理解出来なかった。そこでもうボクは音楽から卒業してもよかったのかも知れない。居心地のイイ90年代音楽だけを聴いていても十分だったのかもしれない。でも新しいバンドを聴くのを辞めてない。古い時代の音楽も聴いてる。自分の時代を振り返るような音楽も聴いている。未知の音楽から新鮮な刺激を受ける感受性はまだまだ衰えてないってコトを確かめるように。
さて、音楽は10年周期で新しいパラダイムに突入する。00年代の音楽もそろそろオシマイだ。次の時代、2010年代の音楽は、多分どこかで準備段階に入ってるはずだ。さあ、次はどんな連中が時代を湧かせてくれるのだろう。楽しみだ。



●今までボクは、自分の音楽遍歴を振り返る記事を「90年代聴き直しキャンペーン」としてシリーズしてました。今回の記事は、そのテーマからは逸脱してるかも知れないけど、ここ30年の音楽の歴史を俯瞰するにはイイ題材になると思います。過去に書いた関連すると思われる記事は下にリンクを貼っていきます。

2008.10.01 「90年代の伝説 NIRVANAとKURT COBAIN。ロックの神に捧げられた生贄」
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20081001.html
2008.09.28 「成熟を避けて突き進む「音速の若者」SONIC YOUYH に今一度シビレル。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080928.html
2008.09.16 「SONIC YOUTH はドコから来てドコに行くのだろう?音速のスピードで。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080916.html
2008.09.08「PAVEMENT と STEPHEN MALKMUS にまつわるセイシュンの思い出」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-508.html
2008.05.18「00年代エレクトロを巡って、90年代80年代そして70年代まで旅をする」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-438.html
2008.04.20「80年代末から現在まで、UKのブラックミュージックを一気に俯瞰する」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-418.html
2008.04.05「放送室で溶け合った、60年代と90年代UKロック。ブリットポップの時代」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080405.html
2008.04.29「ボクは「FREE SOUL」がダイキライ。でも許す(←ナニ様?)」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-425.html
2007.10.22「『渋谷系』とは何だったのか? 極私的に90年代を振り返って」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-240.html
2008.01.06 「平成20年から平成元年を照らし出す。「バンドブーム」の記憶」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-293.html
2007.12.14「1986年。少年がロックに目覚めた瞬間」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071214.html


あららら~。天下のTK、小室哲哉が逮捕されちゃったよ。

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●90年代にあれだけ栄華を極めたサウンドメーカーが、金策にあえいで詐欺とは…。祇園精舎の鐘の音、諸業無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も終には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。平家物語の冒頭のフレーズがアタマをよぎります………。

●確かに「コムロ楽曲全部の権利」って言われたら、そりゃ10億くらいの価値はあると思うよね。でもダマされた投資家さんは、音楽業界のコトは全然勉強してなかったんだろう、音楽著作権のシステムをちょっとでも知ってたら「そんなウマいハナシはありえねえ」ってスグに気付いたろうに。

音楽著作権ビジネスってスゴくヤヤコしい…。ボクも一時期勉強しました。
●音楽は、作家の著作権印税だけじゃなくて、「原盤制作者」印税とかもあって、天下のコムロでも全部の作品の権利をジブンで制御出来ない。曲を書いたのはコムロさんでも、曲を制作するにあたってお金を出資した人たち(そんな人たちの集まり「音楽出版社」という業種があるのよ)が結構な取り分を握ってる(しかも作家よりも多い)。更に、この音楽出版社という人たちは、この著作権&著作隣接権などなど音楽の転用から得られる権利ビジネスの専門家で、カラオケやレンタル、着うた、放送使用などの音楽二次使用からおカネを引っ張るプロでもある。作家本人や事務所がコレをヤリ切るのはとても大変なので、ベタベタのインディでもない限り、だいたいが彼らプロに委託するのがフツウなんです。
●オマケに予備知識を付け加えると、テレビでの音楽二次使用ってのがハンパない高額になるので、日本の在京キー局はグルーブ企業にこの「音楽出版社」を備えていて、放送での二次使用で出て行くおカネをグループ企業に還流する仕組みを作ってる。フジテレビは「フジパシフィック音楽出版」、日テレは「日本テレビ音楽」、TBSは「日音」、テレ朝は「テレビ朝日ミュージック」って会社があるんです。
●具体的には、ドラマやアニメなどの番組主題歌の決定&お金の流れを調整する仕事を担ってたり。音楽出版社発の企画CDなんてのもあるし、音楽出版社がアーティストのマネジメントに携わってる場合もある。ケツメイシや沖縄ミクスチャーの HYテレ朝ミュージックの一部門がマネジメントしてたような気がする。いや、この手の業界にもトモダチがいてね、イロイロ教えてもらった。
●もちろん、CDそのものを作り売るレコード会社「原盤制作者」に手を挙げるし、アーティスト事務所自身が加わることもある。音楽の権利は、作家だけでなく、事務所、音楽出版社、レコード会社がケーキを切り分けるように分割しているわけですね。だから相手がコムロさんとはいえ「全部権利譲渡しちゃう」っていうのは超ウサン臭い話だってワケ。

●さらに、昨今の多メディア化の中で、音楽流通がメチャ多様化したので、お金の配分ルールもスゴく複雑になってる。JASRAC のトモダチと話したら、次から次へと新規IT系ビジネスのプランを持ってべンチャーな人たちがコンサルを求めてやって来るという。「こんな場合、音楽使用料ってどうなります?」ってね。
●あ、ちなみによく名前がでてくる JASRAC ってのは「日本音楽著作権協会」といって、音楽出版社からさらに著作権を委託されて、実際の課金徴収を担う組織。テレビ局や着うた配信業者だけじゃなく、スナック一軒一軒回ってカラオケの使用料を徴収したりと、凄まじく草の根なトコロからもおカネを集める。コンサートでアーティスト本人が演奏しても、イベンターは音楽使用料を JASRAC に払うのです。非常にややこしくて大変な仕事。ボクが学生の時、学祭コンサート企画したら JASRAC から請求書が来てビビった。当時は全然意味が分かんなかったので無視し続けたらブッチぎる事が出来たけど。
●このヘンのハナシは、「社団法人音楽制作者連盟」というトコロが出してる「音楽主義」ってフリーペーパーが詳しい。インディアーティスト、インディレーベル向けの啓発目的で音楽活動するための知恵をわかりやすく解説してくれてる。今月号の特集は「練習スタジオ利用ガイド」だもんね。

音楽主義

●あと、新聞見て思ったんだけど、前の奥さん(シンガーの若いオンナノコをハラませちゃった)の慰謝料が7億円ってのがスゴい。そんで不払いになって印税収入を全部差し押さえられてるってのもスゴい。この勝負、前の奥さんの勝ち。ある意味ハラんで大成功。ちと不謹慎?


音楽権利ビジネスのハナシはこの程度にして……、アーティストとしての「小室哲哉」を考えよう。

83年から活動して、800曲以上も作ってきたって立派。しかも彼はイノベーターでもあった。
●テクノポップユニット、TM NETWORK がブレイクしたのは1987年、「SELF CONTROL」の時だったんじゃないかな。あの曲のサビに出て来る「セルフコントロール!」というコーラスが、思いっきりエフェクトされてたのに「未来」を感じてしまった。今聴くとたいしたコトないんだけどね。でも沢山のキーボードに囲まれて、未知の機材を華麗に操作し、音楽のほとんど全て(ボーカル&ギター以外ゼンブ)を演奏してたコムロは、確かにカッコよかった。
●同じ年に叩き出したシングルヒット「GET WILD」はアニメ「シティハンター」のタイアップも取って大ブレイク。冷静に聴くと、同時代のUKシーン、DURAN DURANニューロマンティクスなバンドが持ってた、薄口だけどちゃんと仕込まれてるファンク感が、正確にトレースされてる。コムロ海外の最先端音楽からヒントを得て邦楽ポップスに着地させる天才的なセンスは、最初から発揮されてたわけだ。
●怒濤の勢いは止まらず、「SELF CONTROL」「GIFT FOR FANKS」に続き、この年は3枚もアルバムを発表する。

TM NETWORK「HUMANSYSTEM」

TM NETWORK「HUMANSYSTEM」1987年
ブックオフでLPが3枚100円で売ってた…。このアルバムには後に鈴木亜美にカバーさせた「BE TOGETHER」とシングル「RESISTANCE」が収録されてる。「RESISTANCE」は思い出深いなあ…。沢口靖子&後藤久美子主演のドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌だった…。当時は「~通り」というタイトルのドラマシリーズが流行ってた。特にゴクミはボクと同い年(早生まれで学年は一コ上)、超親近感を持ってた。まさかF1レーサー・アレジと結婚しちゃうなんて予想もしなかったけど。
●ただし、アルバムの基調はスッパンスッパン軽くファンクするダンスナンバーが中心ジャケのデザインがイタリア未来派の彫刻を連想させるように、リリックはサイバーパンクな匂いをふり撒いてる。


TM NETWORK「CAROL ~A DAY IN A GIRLS LIFE 1991~」

TM NETWORK「CAROL ~A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991~」1991年
●前作もコンセプチャルな気配の強かった TM の作風、ここではロックオペラを展開しちゃってる。キャロルという女の子が彷徨い込む冒険のオハナシ。まーたいしたモンとは思わなかったけど。なんてったってジャケが萎える。メンバー三人が劇中のキャラに扮してるんだけど、コムロRPGの王子キャラみたいになってるのに、ギター木根耳トンガリの戦隊モノ雑魚キャラのカッコさせられてる。可哀想にこのカッコで木根はライブ時ワイヤーで釣り上げられてギターを弾いたという。当時の感覚でも十分ダサイと思った。
●それでも印象的な曲がある。宗田理原作の映画「ぼくらの七日間戦争」の主題歌「SEVEN DAYS WAR」だ。ハッキリ言って名画。やはりボクと同い年である宮沢りえの初主演映画。1989年の公開当時、彼女は16歳。「サンタフェ」も高花田も激ヤセも知らない無垢な彼女が、白いTシャツと薄いインディゴジーンズで快活に演じるフレッシュさだけで眩しくてたまらない。オンナノコは常に早熟で、ゴクミも宮沢りえもドンドン大人になってしまう。何者でもないバカな中学生だったボクは、クラスメートに置いていかれるような気分になってジリジリした気持ちになったもんだ。そんで映画の主人公たちのように、大人に向かってレジスタンスしたくなったのであった。ちなみに、コムロはこの映画のサントラまで手がけている。
●もう一曲大事な曲が。「BEYOND THE TIME ~メビウスの宇宙を越えて~」。1988年公開の「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の主題歌だ。なんかのレンタルビデオを友達8人くらいで観ようとした時、この作品の短い予告編が突然流れて死ぬほど盛り上がりまくった。アムロが、シャアが、ブライトさんが、そして最新鋭モビルスーツνガンダムが登場する!やはりバカ中学生だったボクは「ガンダム復活」に震えた。ボクらの仲間内では「ゼータ」は邪道だった。アムロが主役を握るコレこそが本物だった。
●その後、1994年。TM NETWORK(改めTMN)「終了」YMO「散開」のマネなのか、こういうヘンテコリンな言い回しで活動をヤメるアーティストがこの後増えた。


プロデューサー「小室哲哉」。
ガンダムのアムロから、オンナノコのアムロへ、だなんてお粗末なダジャレで恐縮ですが、1993年からコムロエイベックス安室奈美恵をプロデュース。ここから彼のサウンドメーカーとしての辣腕が輝き出す。オキナワからやってきたエキゾチックな少女を超高速ユーロビーターに改造。本格派ハイエナジーサウンドで日本歌謡界に革命を起こす。「邦楽」から「J-POP」のパラダイムシフトだ。アンダーグラウンドでは渋谷系がうごめき出し、メジャーシーンではコムロサウンドが、日本のポップミュージックを急速に洋楽化し始めた。
●1992年には、UKの最新シーン、レイブカルチャーを日本に紹介。「TETSUYA RAVE FACTORY」略して「trf」を組織する。アレがホントに現場のレイブと同じモンだったか甚だ疑問だが、後ろでターンテーブルを操作する男がバンドの中核になってる音楽を、日本のお茶の間は初めて目撃する。
●1995年には、ジャングル/ドラムンベースを紹介。ダウンタウン浜田雅功をフィーチャーした H JUNGLE with t を編成、200万枚売る。この段階でドラムンベースをお茶の間化したのはスゴい。本国UKでも200万枚売ったドラムンベースのシングルはないと思う。ちなみに内田有紀「ONLY YOU」もこの時期のコムロ制作ドラムンベースの隠れ名曲。今でも時々愛聴してます。
●1996年、globe が稼働。マークパンサーの無理なラップはかなりイタかった。コムロにはヒップホップは無理みたい。どっちかってと、globe はプログレッシブハウス的なモノなのかもしれない。今の奥さん KEIKO(現 kco)の女性ボーカルはわかりやすいが、アルバムで聴くとかなりヒネくれた曲も多いよ。途中 X JAPAN YOSHIKI が加入したけど彼がどう機能したかはまるでわかりません。
●そんで飛んで2001年。この辺からはトランス実験が始まる。ヴェルファーレとかで活躍してた DJ DRAGON とトランスユニット GABALL を結成。ここからのヒット曲はなかったが、ヨーロッパのダンスシーンを常に意識し続ける姿勢は頑として一徹してる。ボクはこの点においては、彼は実に優秀だったし、日本の音楽シーンに変革をもたらした重要人物だと思う。


フォロワーもイッパイいるぞ。コムロチルドレン。
打ち込み主体のダンスミュージックを軸にしたプロデューサー兼アーティストみたいな人が増えたような気がする。浅倉大介とかは直球のコムロチルドレンじゃないだろうか。エイベックスのハウスプロデューサー軍団たちの音楽や制作態勢もコムロにルーツがあると思う。たとえば、MOVE、DAY AFTER TOMORROW、DO AS INFINITY、EVERY LITTLE THING、MAX、浜崎あゆみなどなど…。
TM REVOLUTION はネーミングも含めて影響下にある気がする。B'Z も初期の「BAD COMMUNICATION」の頃は、打ち込み+ギターという TM NETWORK 型ユニットだった。今はハードロックですけど。
彼が関わったシンガー、アーティストはカズ知れず。でも圧倒的に女性が多いのはなぜだろう。globe、trf、安室奈美恵、華原朋美、hitomi、鈴木亜美、篠原涼子、観月ありさ、宮沢りえ、内田有紀、渡辺美里、沢口靖子……。思いつくのってみんな女の人だね。華原朋美みたいにクラッシュした人もいたねえ。草食動物系の顔してるコムロさん、なんとなく無害なイメージだったけど、結局極悪だったのかも。


新聞記事には「98年からの10年間は曲が浮かばなかった」という言葉が乗ってた。
●週末のラジオでの発言らしいけど、80年代~90年代には「4日に一曲」ペースで制作出来たが、最近は音楽流通のカタチ、産業構造の変革を見定めるのに手間取り、腰を据える事ができなかったと述懐。さすがのトレンドウォッチャーも時代を見失ったのか…。実際彼が元ネタにしてたヨーロッパのダンスシーンはある意味袋小路に入って一度完全にアンダーグラウンドに潜ったし、最近は彼が苦手とするヒップホップ/R&Bカルチャーのエッセンス、またはダンスロックという肉体派の推進力で活性化しようとしてる。もうコムロには手に負えない事態になってしまった。
日本の音楽業界は、バブル崩壊を他の産業と比べて遅く迎えた。コムロサウンドや、宇多田ヒカル、スピード、サザン、ユーミン、ドリカムなどなど、90年代前半まではメガヒットが連発、この業界は活況を呈していたのだ。それが失速したのが1996年頃と言われている。コムロのスランプが始まった98年というのは、コレとリンクしているんじゃないかな?
●大衆歌謡が消滅して久しいと言われてるけど、メガヒットの時代までは結局みんなが同じCDを買っていた訳だ。そのバブル時期が過ぎて、本当に音楽シーンはタコツボのように分化し、小型セールス/コアファン維持が定石となった。ジャニーズはジャニーズファンをつかまえ、ヒップホップはヒップホップファンを、パンクはパンクファンを、レゲエはレゲエファンを、アイドルはアキバ系をつかまえた。コムロにコムロファンはいなかった。広く薄い顧客は霧散してしまった。なのに彼はマニアックなトランスシーンに埋没していく。これがコムロ「失われた10年」だったのでしょう。


●でも結局の所、詐欺はダメだよ。ボクはアンタの音楽のホンのチョッピリだけしか好きになれないけど、アンタの成した仕事の量にはリスペクトを捧げる。でもカネにキタナいのはフェアじゃない。まがりなりにもアーティストなんだから、最後まで夢を見させてもらいたかった。じゃあね。さようなら。

この頃はすっかり秋。もう11月になっちまった。

先日、娘ヒヨコが幼稚園のイモほり遠足に行ってきた。

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そんで、今週は、毎日がサツマイモづくしである。
●世界金融市場に一歩先んじて本格的経済危機に陥ってる我が家では、ヒヨコのサツマイモ調達をマジで期待してる始末である。「ヒヨコ、おっきなオイモいっぱいとってくるね」ホントによろしく。じゃないと今日のおかず成立しないから。そんな感じ
●で、食卓には、イモ煮とかイモごはんとかが出て来る。ご丁寧に、収穫者のヒヨコがお手製メニューまで書いてくれた。ピンクのエプロンをしたトラさんがフォークとスプーンを持ってバンザイ!表題は「ひよこめにゅう」
●中にはメニュー一覧が。「いもに。/いもごはん。/さんま。/どりんく。ぎゅうにゅう あくえりあす おちゃ おみず/すぺしゃる。ぜんぶちゅうもんすればぜんぶおとどけします。」あーウェイトレスさん?ヒヨコ「はい、なんでしょうか?」注文お願いします。イモ煮とイモごはんとさんま、そしてドリンクは牛乳をお願いします。ヒヨコ「はい、しょうちしました。ママ、パパのちゅうもんは、いもにといもごはんとさんまとぎゅうにゅうだって!」



さて、ボクは、以前「携帯のカメラでナニがドコまで穫れるでしょうか?」というお題の中で、お花の写真をクソみたいにイッパイ撮ってました。
●春~夏にかけてはそれなりに撮るものは一杯あり、ボクの中でも植物観察は新鮮だったので、このブログでもたくさん披露してきました。

●しかし、ある日いつも通り沿道の植物を撮影してたら、そのオウチの住人に「何やってんですか?」と凄まれ、不審者扱いされる寸前の目に遭いました。ホントバカだよね。ボクとしては携帯のカメラのホンの数センチ前の草花に用があるのに、遠目に見れば他人の住居の中を撮影してるように見えるんだわな。冷静に考えれば当然「不審者」だ。オマケにコッチは半ニートで通院中、アタマぼさぼさで無精ヒゲのメガネ野郎、明らかにヤバい。だから「もうやめます」と7月宣言しました。

しかし、一度ついたクセは治らない。携帯撮影、実はずっと続けてました。
●てか、不審者扱いされた7月に「もうお休みする」と言ったのに、実はやめてなくて、「今度こそ最後だ」と8月に強く宣言して、それでも尚撮り続けてた訳です。いつかまた怒られます。不審者として追いかけられます。
今回紹介する写真たちは、晩夏8月後半~10月に撮影したもの。分かり易く「秋」って訳じゃないけど、夏でもない、中途半端な季節。だからはなはだ中途半端な出来になったけど、いかがでしょうか?ちょっと見て下さい。あくまで、使用機材は携帯のカメラだけ。天気が悪かったり、日が短くなったり、携帯には不利な条件ばかり。それでもコンなん出ました、ってコトで。


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●いやいや、秋のハナは難しい…。明らかに前回、前々回のテンションに負けてんなあ。クソッ、アイディア不足。コレから秋が深まり、冬になったらナニを被写体にしようか?うーん、もっと難しいなコリャ。

●ちなみに過去の写真はこちら。クソみたいにウンザリする量ですので気を付けて。

<7月分>http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080716.html

<8月分>http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-494.html