ジブンのマンションの屋上に上った。気持ちイイ。

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●マンションの管理組合理事長としてプランに関わった、修繕塗装作業の最終確認として、本来は昇れないマンションの屋根の上に昇った。今は副理事長だけどね。新宿の高層ビルが見えて、北沢タウンホールもソバに見える。
「煙とナントカは高い所が好き」ということで、ボクはこういう景色がダイスキ。昔は外回りの仕事の合間に、勝手に他人の団地や雑居ビルの非常階段を昇って、誰のためにも用意されてない風景をボケーッと眺めてたことがしばしばあった。今やったら不審者だし、セキュリティがキチンとしてそんなことできなくなったけど。……つーかナニやってたんだボクは?


自律神経失調症とのお付き合い(その87)~「脚本家・一色伸幸さんもうつ病だった」編
●自律神経失調症を患うボクは、日々病気に関する検索でアレコレネットを漂ったりしてるんだけど、そこでボロッと知った事実だった。「脚本家・一色信幸さんもうつ病だった」というコト。


うおお!ボクにとって一色さんはゴッドな存在の脚本家。
ホイチョイプロダクションのバブル期三部作「私をスキーに連れてって」「彼女が水着に着替えたら」「波の数だけ抱きしめて」の脚本を執筆。そして先日「おくりびと」で米アカデミー賞の栄冠を勝ち取った滝田洋二郎監督とも数々の名作でタッグを組んだ。列挙すると「木村家の人々」「病院へ行こう」「病は気から 病院へ行こう2」「僕らはみんな生きている」「熱帯楽園倶楽部」「お受験」。全部ボクは見てる。(ボク、滝田洋二郎監督の大ファンでもあります。)
●マンガ原作も手がけており、これもことごとくボクのハートを打ち抜く傑作になってる。作画/山本直樹のマンガ版「僕らはみんな生きている」、作画/おかざき真理「彼女が死んじゃった。」(大人の都合により未完。その後日テレで連ドラ化。)ハッキリ言って、その明るいコメディタッチの作風からはおよそ「うつ病」なんて無縁のように思える。

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(2005/11/25)
真田広之山崎努

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(1999/02)
一色 伸幸

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(ボクのフェイバリット一色作品。東南アジアのとある小国の利権を巡って汗流す「24時間戦えますか」なジャパニーズビジネスマンが、突然オッ始まる内戦に翻弄される。当時エコノミックアニマルと揶揄された日本人の、非常事態に陥っても抜け出せないサラリーマンな性分が悲しくも笑える。)


●でもこんなホンが出てたんです。

うつから帰って参りました。うつから帰って参りました。
(2007/09/27)
一色 伸幸

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一色伸幸「うつから帰って参りました」2007年
●文章を生業にする彼が、初めて書いたエッセイ本であり、初めて自分を主役にした物語。速攻でアマゾンでゲトりました。

●ボクが見たブログの筆者さんは「本書は彼が脚本家としてデビューし、うつ病が発病するまでに実に100P以上を割いている。なので純粋な闘病記というより、うつ病体験エッセイと呼んだほうがいいのかもしれない」と評している。確かに、この本を読んでもフツウのヒトにとって多分うつ病を治すヒントは見つからない気がする。だから「うつ病体験エッセイ」といえる。一色さん自身も「闘病記とは意地でも書きたくない」と書いているし。けどソレだけじゃ片付かない部分がある。
●なぜなら、一色伸幸さんは、まさに脚本家/クリエイターという特殊な生業の中で、脚本家ならではのキッカケでうつ病を引き起こし、そしてうつから立ち直ったからだ。具体的に言うと、彼は自分が想像した映画の登場人物によってうつ病に引き込まれ、そして別の登場人物によって生きる実感を取り戻すのだ。そんなバカな!?と思いながらも、自分の人生を切り売りして作品を仕上げていく脚本家と言うイキモノの生態に、ただただスゴいと思ったのだった。

●そんで、ボク自身が病人であるためにモロ共感しちゃうトコロ。
「本書は彼が脚本家としてデビューし、うつ病が発病するまでに実に100P以上を割いている。」という指摘は、健康な人から見れば「イントロが長いなあ、うつのハナシはイツ始まるんだよ」と思う自然な感情を反映してると思う。でも、100P割く必要性、必然性が病人にはある、と思う。
自律神経失調症(=仮面うつ病……時には合併症としてうつ病を発症と説明される)を現在進行形で患っているボクの実感から言えば、うつ病に至る過程は、大方本人が気付くスゴく前から知らないウチにスタートしている。ヘタすると発病以前の全人生が、実はうつ病世界へと離陸していく滑走路だったりしている。「管制塔、管制塔、スタンバイオッケー、離陸許可願います」飛び立つ世界がトンデモナイ暗黒の乱気流とも知らずに。もうライフスタイルや主義信条や家庭環境全体が、うつ病へ向かってまっしぐらになってたりしてるモンなんです。



うつ病に至る前の、超ハイテンション時代。
●彼は、文章を書く事に苦を全く感じない。むしろ自分の脚本世界にノメリ込むと際限なく没入していられる。その時はもうハイテンションで完全に躁状態。そんで人生全てが脚本、作品、仕事のネタになる。結婚や子供作りまでが、企画題材の取材の延長だ。モットーは「面白ければいいじゃないですか」。29歳までこのテンションで走り切った。
●この時期に、ホイチョイ馬場康夫監督、それまではピンク映画ばかり撮ってた滝田監督、そしてやはり日活ロマンポルノ出身の金子修介監督(代表作は「ガメラ」シリーズ、「デスノート」「就職戦線異状なし」など。一色脚本作品は「恐怖のヤッちゃん」「山田村ワルツ」「卒業旅行 ニホンから来ました」)と知遇を得て新世代の映画をバリバリ製作していった。バブル期の時代の気分も手伝って「ハイの山頂で舞い上がり、疲れを知らなかった」という。

ああ、この気分、最高にわかる!
一色さんのような大脚本家とボク自身を比較するのなんて甚だオコガマしいですけど、ボク自身も20歳代~30歳代前半は、完全にハイテンション状態だった。仕事がどんなに積み重なって、どんなにツラくても手を抜かない、断らない。ボクは彼と違いバブル世代ではないので「仕事を選り好みするなど100年早い!しくじればアトがない!」という思い込みがあって、どんなムチャブリも断らなかった。カラダは確かにスゴく消耗する。でも口癖のように言ってた。「スーパーサイヤ人は死ぬ寸前まで追いつめられるコトでより一層強くなる!」ジブンのコトを「オッス、オラ悟空!」と本気で思ってた。
●もう一個、この頃自己弁護に使ってたフレーズがある。アンディ・ウォーホルの言葉で「ボクの一晩はキミの一週間より長い」。く~っ!カッコいい!言ってみてエ、こんな言葉!本気でそう思って休みも仕事もギュウギュウ詰めに予定を入れて動き回ってた。とにかく密度の濃い毎日を!よく働き、よく稼ぎ、よく遊ぶ!………若いからカラダがもっただけなのよね……とにかく人間には限界があるわけで、やり過ぎはダメなのよ。



ただし、一色さんがヤバかったのは、ジャンキーになってしまってたこと。
●サラリーマンのボクとは決定的に違うのは、彼がペン一本で勝負するフリーの脚本家である事だ。自分の才能に自惚れられる人は幸せだ。一色さんはこの不安定な立場に楽天的になれるほど愚鈍な人じゃない。映画がヒットすればするほど次回作へのハードルは上がってしまう。というか自分で上げてしまう。書いている時はハイでも、完成した時には書き切れなかった苦みが残る。
●その苦しみを、市販の頭痛薬でゴマかし始めた。薬局を探し歩いて大量の青い錠剤を買い漁った。彼はお酒が体質的に飲めない(偶然にもコレもボクと一緒)が、もし酒が飲めたらアル中になってただろうとも。そしていつのまにか睡眠薬ハルシオンにレベルアップ。クリニックを何軒もハシゴして大量入荷。見事に薬物依存。1991年。30歳のコトでした。

●ココで一つ、ご注意を。
ハルシオンは、睡眠薬としては超定番でごくフツウのモノ。むしろ超初級編。全体的に見れば安全な薬です。まだ精神医学の知識が社会に浸透してなかった一色さんの90年代初頭の時代と、現在の医学の常識を直結して同じだと思わないで下さい。クスリの安全な運用も確立し、医者の知識理解も進んでますから、センセイの言う事を聞いていれば、絶対に事故りません。
ヤバいのは安易にジブンで飲む量を調整する事。どんなクスリでも、勝手に飲む量を増やしたり、減らしたりがヤバい。そんで怖がって飲むのをヤメるのがイチバン危険です。クスリには適正な抜き方があって、それを理解せずに急に服用をヤメると、トンデモナイ副作用が起こる、または症状が深刻になる、なくなった症状が再発する場合があります。
●飲み過ぎは当然ヤバいけど、一週間分くらいの量をイッペンに飲んでも、最悪に苦しい思いをするだけで死んだりはできないんですよ。フツウのお医者さんにフツウにかかってたら、依存できるほどの量を確保できないってワケ。依存が起こっても抜き方を正しく守れば安全。ネットでも何でも使って違法にゲットできるってハナシもあるけど、病気のヤツにそんな手間をかけるゲンキはない!そんな悪知恵が回るくらいなら病気じゃないよ。



自分の描いたキャラクターに飲み込まれる。優れた想像力は現実を圧倒するという事実。

病院に行こう2

「病は気から 病院へ行こう2」1992年は、当時まだ珍しかった最終医療の現場ホスピスを題材にした映画。小泉今日子さん演じる末期ガン患者の主人公「安雲祐子」が自分の人生の幕引きをどうするのか、またまた一色さん一流のスラップスティックなコメディとして描かれる。ホスピスを笑いのネタにするんだから、エラい逆風もあったようだが、むしろホスピス当事者たちは前向きに捉えてくれて取材も制作も順調だった。出来上がりも面白かったと記憶している。
●しかし、一色さんはホスピス取材で実際の患者さんの死を何人分も目前にして、そして生々しい死の現場にノメり込むことで、死の恐怖に取り憑かれた。「僕は、必ず、死ぬ。死を弄ぶのは禁忌だ。死を遊ぶことは、生を軽んずることだ。虚を軽んじてはいけない。虚が実を侵食することが、希にだが、起こる」
●なんと、優秀な作家は、作家自身を食らうほどのキャラクターを作り出してしまう!そして、自分が作ったキャラクター「安雲祐子」にドンドン飲み込まれてしまうのだ。当初の想定は彼女は最新医療施設ホスピスで安らかな死を迎えるはずだった。しかしキャラクターが勝手に想定外のセリフを作っていく。「この言葉は僕が書いたのではなく、この身体を借りた祐子が書かせたものだ。蓋が開いてしまった。」


 祐子「人間は必ず死にます。告知を受けた末期患者は、少し、特別かもしれません。でもみんな死ぬまでは生きている。普通なんです。欲も恋も元気です。…身勝手な同情や涙で臭いモノに蓋をするのは自由だけど、私に蓋をしないで。私はあなたたちの未来よ。自分に蓋をしないで」

 祐子「幸福な死なんて、ないと思います」
 インタビュアー「でも安曇さんは告知を受けて、最後の日々を充実させて……」
 祐子「ホスピスでも病院でも事故でも、死は不幸です。みんなひとりで泣きながら生まれてきて、泣きながら死んでいく。でも、生きてるうちにいっぱい笑えば、死の瞬間に思い出し笑いぐらいは出来るかも知れない」
 祐子「大変だ。生きてく人は」
                (「病は気から 病院へ行こう2」シナリオより引用)

●死の前夜、生きている人間全てに「安雲祐子」は捨て台詞を吐いていった。安らかにホスピスで死ぬはずだった「祐子」は成仏せず、脚本が上がり映画が完成しても、一色さんの脳裏にこびり付いた。この頃の一色さんは、大量のハルシオンを求めて、香港の怪し気な薬局まで出向くほどになってしまっていた…。



1994年、一色さん、34歳。やっと精神科の診察を受ける。
ハルシオンまみれになりながら、「卒業旅行 ニホンから来ました」「熱帯楽園倶楽部」と言ったコメディを書いてたんだからマジスゴい。ボクは当時フツウにこの映画を見てノンキに爆笑していた。でも脚本家には書いてた頃の記憶がないらしい。ボロボロボロボロ。
●そんで、奥さんの手に引かれやっと精神科の診察を受ける。「一色くん。君は、うつ病だと思う。悪い薬と手が切れないようなら入院して貰うよ」また一つの偶然。34歳という年齢は、ボクが今の病気を発症したのと同じなんだよね。氷室京介も34歳で自律神経失調症を患った。勝手に湧いてしまう親近感。そんで、2年間、完全にペンを置くと決断。仕事をしない。ボクの休職も、2月が終わって1年8ヶ月になる。うーん、親近感。ワイフやコドモが心の支えになってくれた部分も一緒。
●ただし、彼はホンモノのうつ病なので、ハルシオンが醸し出していた濃い霧が晴れると、うつ病本来の症状「死にたい」「消えてなくなりたい」という感情に落ち込んでしまった。ボクは典型的うつとは質が違うようで、間違っても「死にたい」とは思ったことがない。ボクは彼ほどヘヴィじゃない。恵まれている。



脚本家は、自分の生み出したキャラクターに救われる。「彼女は、僕の代わりに自殺したのだ」
日本テレビの連ドラ「彼女が死んじゃった。」2004年は、「石井ゆかり」という女性が自殺するトコロから始まる。主人公・ハジメは、彼女が遺した携帯電話の登録アドレスを辿って彼女の死の原因を探る。そして彼女が遺した生の痕跡を辿ることで自分の人生を見つめ直すことになる。残念ながらボクはコレを見てないので(おまけにマンガ版は未完なので)どんなお話なのかはわからない。

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●ただ、この「石井ゆかり」というキャラの着想はドラマ化の10年前のこと、うつ病との戦いの中で生まれたという。彼女の存在が、一色さんをうつ病の底から引きずり上げた。「ゆかり」は死んでしまっているのだが、精一杯生きる実感を味わって、ありとあらゆる冒険へと立ち向かっていった女性。一色さんは、浮気と変わらない感情で「ゆかり」と接し、深く愛した。「ゆかりの言葉を、ゆかりの行動を、ゆかりのセックスを考えることは楽しかった。実近な人間以上に瑞々しく、夢中になった…僕はもう、ゆかりの息の匂いも、もう知っていた」
●そこまで、自分のイマジネーションにドップリ浸かり込むことができる才能に、ボクは素朴に憧れる。優れた作家だけが辿り着く境地だ。そしてそれは作家を死に追いつめたり、死から救い出したりもするのだからスゴい。彼は言う。「彼女は、僕の代わりに自殺したのだ」



DREAMS COME TRUE吉田美和さんに一色さんが会った時、こう聞かれたという。「一色さんが書くキャラクターってモデルがいるんですか、それとも全部、自分なんですか」
●この「うつから帰って参りました」という本は、一色さんが書いてきたたくさんのシナリオを数々引用して、その局面の一色さんの感情や思考を象徴させている。つまり一色さんは、自分の作品と自分の人生がマルカブリしてるような生き方をする作家なのだ。
●結果もちろん登場人物は全部自分自身。自分の人生の中に仕事の芽を見つけ、自分の仕事の中に人生を見出す。息をするように書き、書くように息をするイキモノ。「趣味と仕事が一緒なら楽しいだろうな」誰もが夢想するような空想だが、一色さんのような「作品と人生が合体して剥がれない生き方」は、常人には及ばない世界だろう。多分、吉田美和さんもそういうイキモノの一人。一色さんは「作品と人生が合体して剥がれない生き方」を、このエッセイで、洒脱で秀逸な文章でもって書き綴ってくれた。その意味でスゴく興味深い本だった。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html

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2009.02.27 業務連絡。

今日、ランチに付き合ってくれたLさん、どうもありがとう。とても楽しかった。
●去年の秋、メールをくれた時もホントにウレシかった。スゴく励まされた。あの時期ボクは心身共にボロボロだったから、ホントに癒された。これからもヨロシク。

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「おくりびと」、アカデミー賞外国語作品部門受賞、ホントにおめでとうございます。
●突然かしこまってなんだよ?ってノリですが、いや、別に関係者の人が知り合いってワケでも何でもありません。
ただ、日本人として誇らしいと思った。今回の受賞は、近年の渡辺謙さんのハリウッド進出のような、傑出した個人の才能が評価されたって質のモンじゃない。渡辺謙さんの場合はあくまで個人の活躍で、イチローとか松坂大輔のようなメジャーリーガーと一緒。しかし「おくりびと」現代日本にまだ生きる繊細な精神文化と美意識が高く評価されたワケだ。世界金融危機に疲弊したアメリカ文化は、この日本の美学に「癒し」を感じ取った。それは、日本全体が高く評価されたという意味にとれるし、作品に無関係なボクも当事者意識を持ってウレシいと思ってイイと感じた。だから、おめでとうございます。

おくりびと


だけど、映画は見てない…。ダメじゃん。だって、また劇場で爆睡しちゃったりするのがヤなんだもん。クスリを変えてもヤバい時はヤバい。ボクはイビキがヒドいらしいのでまわりに迷惑をかける。
だから、ボクはこの作品はマンガで味わってた。ボクの大好きな漫画家さそうあきらさんがコミカライズを担当。「この作家に間違いはない!」と思って読んだ。

さそうあきら「おくりびと」さそうあきら「おくりびと」

●ご存知の通り「納棺師」という特殊な職業を題材にしたこの作品。オーケストラのチェロ奏者であった主人公が職を失い、誰もいない故郷に戻る。そこでたまたま見つかった求人が「納棺師」だった。失意ととまどいの中で、主人公がこの職業を通し人間的に成長していくというストーリー。
滝田洋二郎監督は、それなりにユーモアを込めた演出を施したようだが、マンガの方は終始落ち着いたトーン。山形県の寒々しい風景とキツい方言の中で、淡々と物語は綴られる。「神童」「マエストロ」など音楽を扱った作品が多いさそうあきら、今回も聴こえないはずのチェロの響き、ピアノの調べを、ペンとインクで見事に伝えている。
「DEPARTURES」という洋題にはちょっと違和感も。「DEPARTURES = 旅立ち」って言うと、主体が死んだ人に聞こえるじゃん。でも「おくりびと」送り出す人が主体。「おくりびと」は送り出すプロである納棺師のコトを示しているコトバに見えて、実は納棺師その都度出会う遺族たちをも含む。遺された者こそ、葬儀の真の主役。納棺師は、その遺族の思いを汲んで、死者を清める。


先日の読売新聞に「納棺師」という職業の成り立ちが説明されてた。
1954年9月に日本列島を直撃した台風15号によって、青函連絡船「洞爺丸」を始め全部で5隻の船が転覆/沈没。1430人もの犠牲者を出したという。その時、生花店を営んでいた遠山厚さんという人物が、損傷が激しい遺体を一体ずつふき清めて遺族に引き渡した。その後この遠山さん納棺を専門に行う会社を興す。コレが「納棺師」の起源だという話。「納棺の所作にサムライの心」なんて評もあったけど、ワリと新しい職業なのね。
●彼らは、交通事故の現場や、自殺、孤独死の現場にも直行する。当然現場で待っている死体は、結構エグイ状態になってる。顔面が砕け散った死体にひるむ主人公に、社長はこともなげに言う。「どんだ死に方でも、死は同じ死だ…」
●一方、作品の中では、職業蔑視を受ける場面も。主人公の友人が罵る。「噂さなってっぞ。金がいいなんが知らねども、あんな仕事選ぶごどねーだろぜ」…あくまで葬儀の裏方として光の当たらない仕事をしてきた納棺師の方々にとっては、この作品の成功はさぞウレシい事だろう。


●とか言ってるけど、「納棺師」なんて職業、今まで知らなかったけどね。



ただ、祖父の納棺の場面はよく覚えている。なんかね、超いいかげんでオモシロかった。
●ボクが21歳、大学4年の6月、就職活動の大詰めの時期だった。当時1995年は、バブル経済崩壊が決定的になって「就職氷河期」が到来した時期。織田裕二主演、1991年の映画「就職戦線異状なし」はホントに売り手市場の「異状なし」状態だったが、ボクの頃にはスゴイ勢いで「異状アリ」。大学入学当時の先輩はポンポン内定取っていったのに、自分の番が着たら死ぬほど凍える状況だった。「内定取消し」が今ニュースで話題になってるが、当時は臆面もなくフツウに横行していた。ワイフの女子大友達は、就職旅行から帰ってきたら、内定が取消されてたという。

●前置きが長くなったが、とにかくクモの糸のような思いで、ボクは一本の電話を待ってた。第一希望企業の最終役員面接を終えて、内定がもらえるかどうかの最後の連絡だ。当時は携帯電話がなかったから、連絡は全て自宅電話。それをたった一人で待ってたわけ。
●……一方で、長年糖尿病に悩まされていた祖父は、症状が重くなりヤバい状態になってた。当時アメリカに駐在してたボクの両親や妹は緊急帰国し北関東にある父の実家へ先行しており、ボクだけが東京に残ってた。
●…夜8時頃、待ちに待った電話が鳴った。結果は「内定」。よっしゃ!(そんで現在もボクはこの会社に勤めている)で、すぐに両親に連絡し、朝一の特急で祖父の下に向かうと打ち合わせた。しかし……。

●その日の深夜、また電話が鳴った。容態は突如急変、ボクが父の実家に向かう前に、祖父は息を引き取ったのだった。「あ、おじいちゃん、間に合わなかったか…」…喪服なんて持ってないので、就職活動用のスーツに黒ネクタイを合わせて、ボクは特急から2両編成の超ローカル線へと乗り継いで、祖父の町に向かった。孫にとっては、陽気で声の大きな爺さんだった。子供の頃パチンコの景品でとったおもちゃをよくもらったのを覚えている。しかし高校生にもなった頃にはすっかりこのヘンピな田舎とは縁遠くなり、久しぶりのこの再会は6年ぶりくらいだったと思う。
●もう生きてない祖父はすっごくチッコくなってた。不自然にお腹が膨れ上がり、髪の毛が真っ白になり、鼻に脱脂綿を突っ込まれて、布団にクッタリ寝てた。あー死んでるんだ……。普段見慣れない死体というモノを、ボクは一人でシゲシゲと眺めてた。

●そうこうしていると突然騒がしくなってきた。お葬式にまつわるプロセスがスタートする。さすが田舎、隣近所の人たちが大勢集まってアレコレ大騒ぎである。「村八分」という言葉があるが、葬儀は「八分」に含まれない残り20%の要素である。妻であるはずの祖母も長男の父も、このご近所の対応で悲しんでるヒマもない勢いだ。
●そんでボクの知らないオッサンたちが、祖父の寝ている部屋にドヤドヤ入ってきた。棺桶がドワーッと運び込まれて、さてナニが起こるのかと見ていると、オッサンたちは祖父を囲んでアレコレ言いあいを始めた。「まず足袋をはかせんと」「いや先に○○が先だ」「△△は用意してんのか」「アタマは北向きにせんと」近所のオッサンたちは棺に遺体を納める段取りを巡り、それぞれのオレルールをアレコレ大声で主張しあって支離滅裂状態になってった。
●祖母はオロオロするばかりだし、直接面識もない近所のオッサンたちの「地元のやり方はオレラに任せろ」的なプレッシャーに、父も手が出せない状態。ボクは、葬儀というものはもっと整然と進行するセレモニーであると思ってたし、ある程度の常識あるオトナは正しい様式をドッカでキチンと学んでて、粛々と段取りは進んでいくものと思ってた。しかし、本当はそうではない、結婚式の様式が多様化するのと一緒で、葬儀といえど様式ははなはだ不明確で、その場のノリと勢いだけで進行するものなのだと思い知った。結婚式と違うのは、準備期間がないことと、残念ながら本人に主導権が全くないコトだ。だって死んでるんだもん。ハッキリ言ってその様子はひどく滑稽で笑えた。葬式ってこんないい加減なもんなんだ!
●オッサンの手からはオデコにくっつける三角巾までが登場した!うわっ!本物!初めてナマで見た!これをどのタイミングでつけるのかということでも一悶着あったけど。そんで最終的にオッサン5人が祖父の遺体を持ち上げて棺に入れる。オッサンとは言いつつボクから見れば死んだ祖父と変わらない世代のジイ様たちだ。そんなオッサンたちの運搬作業ははなはだおぼつかない様子で、しかも奇数では両サイドのバランスが悪く今にも遺体は床に落っこちそうだ。こりゃヤバい!ボクはあわててオッサンたちに加わり、祖父の左足を掴んだ。思ったより重い。生きてる人間より死んでる人間の方が重い。ヨタヨタしたオッサンたち&ボクによって、祖父はかなり乱暴に棺桶に放り込まれた。ドスン!

「おくりびと」のような洗練美とは全く無縁の納棺だったが、葬式のリアルないい加減さ、死体のリアルな重さを味わったのは、ボクにとっては鮮烈な経験だった。アレはアレで、ボクにとっては祖父を送り出すプロセスとして大事なものになった。死に目には会えなかったが、祖父を棺桶に入れたという行為が一つのケジメとして機能してる。だってもう十数年前のことなのにココまで覚えてるんだもん。葬儀屋さんに全てを任せていたら経験できなかったことだ。



我がホームタウン、下北沢の駅の中に、一風変わったパンフレットが置いてある。コレが面白い。

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「葬儀がわかる小冊子 ある町の小さな葬儀屋のつぶやき」
●北沢5丁目にある「佐藤葬祭」という葬儀屋さんの社長さんが、葬儀の細かい段取りから見積もり明細の成り立ち、葬儀屋の業態としての特徴、出棺時の喪主ご挨拶の挨拶例文まで紹介している。大分デティールに突っ込んだリアリズムで、読み物として十分オモシロい。フリーペーパーを読み漁ってたときに発見した。
●例えば、喪主挨拶のハウツーについて。終始こんな感じ。

長くなりすぎないこと 
長くとも三分くらいにまとめる。
延々と喋ってもポイントを話してなければ意味がありませんからね。

会葬者へのお礼 
まずは葬儀に参列してくれたことへのお礼。礼儀正しくお礼から入りましょう。
決まり文句:
「本日はお忙しい中、故人○○のためお集まりいただきまことにありがとうございます。」
 
次に、故人と生前お付き合いのあったことへの感謝。
亡くなった人と生前お付き合いいただいたことへお礼を述べる。
決まり文句:
「生前中は皆様にご厚誼を頂戴し、誠にありがとうございます」



●そんで、この佐藤社長、葬式にはお金がいくらかかるか、なぜかかるか?という話を業者の立場から突っ込んで語ってる。変に包み隠さない本音の事情が正直に書かれてて楽しい。


「この際悲しい事実ですがハッキリ言っておきます。お葬式はお金がかかるのです。でも言っとかなきゃいけない事実だから仕方ないのです」


●平成7年の葬儀費用の地域別平均額が出てる。ボクの住む南関東エリアは、飲食・接待費48万円、葬儀費139万円、寺院費用87万円、合計274万円。全国平均は214万円。やっぱ都会は高い。で、佐藤社長はこう言う。「どうしてお葬式が高額になるのか皆さんは仕組みを知りません、それってフェアじゃないですよね?これからはお客さんとお店が対等にならなきゃなりません」そんで、4つのポイントを挙げる。部分引用。


・まずは一つ目、人がたくさん来るからです。
 すごく単純な理屈でいえば、人が来るから場所も広いところが必要になる。ご飯も沢山用意しなくちゃいけない、設備も必要ということ、グロスでいくらということが始まってくるのです(料理や返礼品、受付テント、火葬場へのハイヤー、マイクロバス、式場)。

・二つ目は、寺院との関係が薄れているから。
 時代劇などで出てくるお寺はとても裕福です。なぜなら寺院は地主だったからです。(しかし今は)農地改革で土地も奪われ、日々の参拝者も減り、檀家への負担は葬儀に集中するようになりました。だから東京の葬儀のお布施は高いといわれるのではないでしょうか?


●確かに、データでは、南関東の寺院費用は図抜けて高く、87万円。全国平均は53万円。四国なんて37万円だ。


・そして三つ目は、東京23区の火葬場はほとんどが民営であるから。
 火葬をする(火葬と骨壷)だけでも約6万円ほどかかりますし、休憩室や心づけ、火葬中の飲み物などまで入れれば約10万円かかります。

・四つ目は、業務が多岐にわたるためにたくさんの会社が関わっているから。
 僕は葬儀屋です。でも僕が料理をつくってるわけではありません。花を挿しているわけでもありません。料理屋、花屋、テント屋、車両屋、提灯屋、火葬場を経営している会社といろんな会社があります。だから僕らが操作できる金額は葬儀のなかの葬儀社の売上金額でしかないのです。


葬儀屋はトータルコーディネイトをするけど、具体的な作業はほとんど外注しちゃってる。きっと「納棺師」もその外注先の一つにすぎないわけだ。作品の中でもこんなセリフが出てくる。「超隙間産業」って。
佐藤社長は、葬儀屋が割引にふさわしくない業態だということを、懇切丁寧に一般企業と比較して説明してくれる。


1、大量仕入れなどのスケールメリットの発生
 一般→○ / 大量に扱うことにより、製作コスト、流通コストが抑えられます。そのため価格を安くすることが出来ます。
 葬儀業→× / 突然に発注が起こることなので、数量が増えればそれだけ商品をそろえる労力が発生します。その対応をするために暇なときにも大きな在庫や人材を抱えなければなりません。いうなれば不規則であるがゆえにスケールデメリットが発生してしまう業界なのです。

2、自社取り扱い部分の増加
 一般→○ / サービス・製品ともに自社扱いにすることにより、外注するだけより利益があがります。作業をルーチン化することによりアルバイトやパートが使えて人件費の削減ができます。
 葬儀業→× / 人の死というものを扱う、ナイーブな部分があるため経験の豊富な人材が必要とされます。またこちらも急な仕事の大量発生時に対応するべく人材を、仕事が暇なときにも確保しなければならないので、自社取り扱い部分が増えれば増えるほどパンクしやすくなります。

3、売り上げ見込みによる。
 一般→○ / 数が増えることで、利益率は落ちてもある程度の利益額は確保できるという事で割引したりします。
 葬儀業→× / 葬儀の受注は団体契約を結んだからといって、簡単に受注できるものではありません。団体契約を結ぶために使っている営業経費(人件費・交際費)を差し引けば、あまり大きな割引は出来ないし、仕事が忙しく大きくなっていけばそれだけ管理することに見えないお金がかかります。熟練を必要とする人的なサービス業であるがゆえに、熟練者の確保も難しく、またそういう人間は給料も高めなため、薄利多売は、多売という部分が非常に難しくなります。


つまり、大手といっても価格が妥当かは分からない(いや高いかもしれない)し、スキルにもムラがあるわけだ。しかしこちらが無知だと、悪い業者が付け込む隙は一杯ある。だって肉親が死ねば普通ニンゲンは動揺するじゃん。あれよあれよと葬儀屋に引っ張りまわされて、高額な請求を突きつけられるのは困るな。
●とにかく、手っ取り早く、両親とは「どんな葬式にしたい?」とリクエストを聞いとこう。あと、それに応じたカネは遺して死んでちょうだいってトコでしょうか。少なくとも無宗教で行けば一番カネがかかる寺院費はコストゼロにできるから、ボク的にはその辺がオススメかな。ボク自身は宗教も戒名も全く興味ないから、自分の場合はそういうのを省いて激安であげて欲しい。もちろん「密葬」。ただ焼いて、海にまくとか。ただし遺影だけは自分で選んどく。変なのはカンベン。もし殺人事件で殺されたとしても、ニュースに流れる顔は、記者が探り出したような卒業アルバムとかじゃ絶対ヤダ。ワイフに頼んでオフィシャルを各社に配るね。

●なんでこんなに葬儀屋に夢中なのかって?いや、知られてない世の中の仕組みを知った楽しさがあるでしょ?十分面白いです。お葬式のプロデュース、ガッツリやってみたくなっちゃう。オリジナルでコストのかからないスタイル。楽しそうだな。


●このユニークな葬儀屋さんを今一度ご紹介。「佐藤葬祭」さん。
●世田谷区北沢5-34-14 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/sato1976 ネットからも発注を受けるそうですよ。




ああ、アカデミー賞はもう一個快挙があったですね。わすれちゃいけない。

DVD「つみきのいえ」

●DVD「つみきのいえ」
●当然コレは見てないし、内容も知らない。地球温暖化で水面が上昇する世界で、家族の思い出が一杯詰まった家を必死に守って暮らす一人の老人のお話という。
●ボクがスゴいなとおもったのが、この作品を作った31歳のアニメ作家加藤久仁生さんの、受賞時のスピーチだ。ツタない英語だけであの授賞式会場を大爆笑させたのだ!

「サンクフォーマイペンシル、サンクフォーマイカンパニー「ROBOT」、ドモアリガト、ミスターロボット!」

加藤久仁生

●彼が所属する映画制作会社「ROBOT」は、「ALWAYS 三丁目の夕日」&「続」「踊る大捜査線 THE MOVIE」シリーズ、「サマータイムマシン・ブルース」など、娯楽大作や個性的な映画を次々と繰り出しているノリノリのクリエイティブ集団だ。こんなアートアニメまで作ってるなんて知らなかったけど。
●それにひっかけて、加藤監督は、アメリカ人なら誰でも知ってるヒット曲、STYX「MR. ROBOTO」のワンフレーズをブチカマした。「ドモアリガト、ミスターロボット!」。この曲のサビにクドいほどこのコーラスが登場する。残念ながら、日本のニュース番組はなぜ会場がバカ受けしてるのか、全然関心を払ってなかったが、こんな小粋なジョークを、あのコダックシアターという大舞台でカマせるなんて、スゴいタマだなとボクは感心してしまった。

STYX「KILROY WAS HERE」

STYX「KILROY WAS HERE」1983年
●一曲目に「MR. ROBOTO」を収録してるコテコテのシンセポップス。やや芝居がかった感じもとても80年代チック。ジャケの不気味なオ面が例の「ミスターロボット」のおカオです。ある意味、アルカイックスマイル?

「機動戦士ガンダムOO - 2nd SEASON」、佳境に入ってきたけどダイジョウブ?
●先週は、イカにも怪しい存在だったアニュー・リターナーさんが、やっぱりな展開でコトを仕出かし、そんで見事に死にました。娘ヒヨコは、ゴハンの手すら止まって涙ウルウルでした。可哀想だったそうです。

●今週が終わってあと放送5回くらいだよね……なーんかまた超中途半端な終わり方しそうで、不安でしょうがない。1st SEASON はイロんな伏線用意しておいて、あわてて全部まとめて解決しようとしてシッチャカメッチャカになっちまった印象がスゴく強いから……お願いだからその二の舞になんないで下さい!……3rd SEASON まで続くってなら我慢できるけどさ、まさかこれで決着とか言わないでよ!

●前回も突っ込みドコロ満載だったけど、今回もコイツどうするツモリ?的な人イッパイいるじゃないですか。

●とにかくイチバンヤバいのが「ミスターブシドー」!どうしたオマエ!顔ケガしてアタマまでおかしくなったか?マトモだった頃のアンタ、別にそんなサムライ趣味1ミリもなかったじゃん!ソレが…マスクは百歩譲っても(イヤホントは譲りたくないけどね)、なんで軍服の上に陣羽織なの!そのコスプレドコに売ってるの?ドンキ?マジでヤバいって!しかももっとヤバい事に、カッコつけてるだけで全然活躍してないよアンタ!

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●モビルスーツの名前が「マスラオ」ってのもヤリ過ぎ!あのヘンなポニーテール(アレ、どうやって成立してる髪型なの?)してる技術将校のカタギリくん、変人にヘンなモノ与えるの禁止!それと、キミとスメラギさんの因縁はドッカで結論でるの?いかにも根に持つタイプのキミだけど、因縁そんなに深く見えないよ!……ちなみに1st SEASON では毎放送回ごとにイロイロなお酒を飲んでたセクシーアル中・スメラギさん、今回はサスガに余裕がないらしく断酒が続いてます。

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●敵将校のカティ・マネキンさんは、スメラギさんの先輩らしいけど、ココはなんか展開するのかな?イカにもなツンツン女上司タイプのこの人に、アレコレまとわりつくお調子者のコーラサワーくんは最近いないけど、どっかで死んだ?彼も全然活躍しないキャラだよね。
カタロン幹部の人たちは、ジタバタしてるワリにはなんもしてない…。メガネのお姉さんとか。あと2代目ロックオンカタロンの身分を隠してる設定ってもう意味成してないよね。なんか隠す事情あるかな?ワイフに言わせれば、マリナ姫が一番イラつく存在らしい。やはりナニもしないから。ナゼか世界中に響く彼女の童謡は、もう解釈不能ッス。
刹那の仇、傭兵隊長のサーシェスさんは今後どうするんだっけ? まだ生きてるんだっけ? あ、そうそう、あの小生意気なチャイニーズ娘ワンルーミンちゃんは、やっぱ死んだの? 彼女のアワ喰った顔は確かにワリとスカッとしたけど、ちょっと呆気な過ぎたね。トニリティのイモウトちゃん初心を忘れずに健全に狂ってたのもよかったけど、で、その後どうすんだよ?

●で、結局イノベーターの皆さん方のやって来た場所や理由や狙いはちっともワカンナいママだし、ナントカシュヘンベルグ博士の計画の全貌や、マスターコンピューター・ヴェーダにまつわる謎も全然ヒントがない。突き詰めれば、1st SEASON は結局アレハンドロさんの勇み足ってダケのオチだった。ウラで糸引いてたイノベーターのキミドリくんがシャシャリ出てきたのが 2nd SEASON の新展開部分なんだけど、コレも200年前からの計画から逸脱したフライングだったら、もうみんなナニやってんの?って感じになっちゃう。ココらの根本問題、アッサリと解決させるのはナシだよ!ココまで大風呂敷広げたんだから。


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●一方でシャキッとしたのは、サジくんだね。1st SEASON では意味不明なラブコメを振りまき邪魔極まりない存在だったし、今回もギャーギャー泣きわめくだけだから、早く死ねと思ってたけど、やっと一人前になってきました。でも愛しのルイスちゃんと一緒に死んじゃうみたいな展開も見えちゃったり。ガンダムがまき散らす脳量子波でココロを通わせながらドカーンと爆発とか。ちなみに息子ノマドはルイスちゃんが一番好きなんだって。え、ボク?スメラギさんに決まってんじゃん。

ソーマ・ピーリスツンデレぶりもご趣味の方にはたまらんでしょう。この前までデレデレだったのに、スミルノフのオッサンが死んだら、元のツンツンに戻っちゃった。彼女の復讐が果たされたら、また普通の女の子に戻ってくれるだろうか? アレルヤくんと彼女だけは、真っ当に仲良くして欲しいな…いやなんとなくなんだけど。

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でもさ結局の所、「ガンダム」は見るのさ全部を。どんなに文句たれようとも。
●クソみたいに敵が多くて事情がコンガラガってアチコチ支離滅裂なんだけど、とにかく全部をぶっ飛ばしてくれるからさガンダムは。ヤツら強いから。とにかくどんな強敵でもムカつく奴は全部倒すから。そこはブレてナイ。そんでそれが痛快。「細かい事情はよく分かんないけど、とにかくオレは戦う、だってオレはガンダムだから!」徹頭徹尾そう主張してる刹那くんは、実は一番バカかも知れないけど、一番シンプルで筋が通ってるオトコだ。



ソニー系のレコード会社の人に聞いた話。「ガンダム」はソニーの利権なんだって。
主題歌は必ずソニー系レーベル。「ケロロ軍曹」もそうなんだったっけな?ちょっと前にそんなハナシを聞いた。で、その人が言うには、アーティスト側にとって「ガンダムの主題歌を担うというコトは、ある意味でドーピングですから」だって。「ガンダム」には「G」の字がついてりゃ何でも買う連中がいるので、ソレだけでセールスの底上げになるという。でもドーピングは打ち続けないと効果がキレるから、アーティストにとっては長い目で見てイイか悪いか微妙らしい。
●でもね、そのコトバ通り、ボクも、キチンとガンダム主題歌をまんまと買う人種なワケよ。バカでしょ!


LARC~EN~CIEL「DAYBREAKS BELL」

L'ARC~EN~CIEL「DAYBREAK'S BELL」2007年
●1st SEASON 前半戦の主題歌。ラルクの曲をマトモにちゃんと買って聴いたのは初めてだったです。ボクは本来ヴィジュアル系の気分の濃いアーティストを避けちゃう傾向があるもんで、正当に評価しようなんて思った事がなかった。でも中島美嘉 STARRING NANA「GLAMOROUS SKY」HYDE 作曲だって聞いて、その時初めてこのバンドが気になった。この曲のラルクセルフカバーを聴いてみたいと思ったほど。つーか中島美嘉がせっかくの曲を台無しにしてるので、もったいないなと。
●戦いの火蓋を切る「夜明けの鐘」にふさわしくベルの音がシッカリ仕込まれてて、ナルシスティックなボーカルの起伏ある展開も実によく出来てるなあ、と素朴に思ったのです。アニメソングって、放送では1分30秒程度しか流れないから、その短い秒数でドラマチックにメリハリをつける必要がある。だから異常にハイテンポで歌詞も無理矢理押し込んだ密度感だったりするんだけど、それがあまりイヤミじゃない仕上がりにとっても好感。機会があったらもっとこのバンドの事知りたいな。C/W が P'UNK~EN~CIEL 名義のスラッシュメタルなんだけど、そういうご趣味もある方々なのね。


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THE BRILLIANT GREEN「ASH LIKE SNOW」2008年
●1st SEASON 後半戦の主題歌。コレも絶対本来なら買わないアーティストだわ…。そもそも、TOMMY FEBRUARY6 とかのキャラに変身してしまったのではなかったのですか? アレはアレでプレッピーなファッションセンスが新鮮で見ててオモシロいと思ってた。80年代名曲ポップス STRAWBERRY SWITCHBLADE「SINCE YESTERDAY」をカバーしたセンスもグッジョブと思ってたし、しっかりそれも聴いた。でもそれ以上の関心はなかったな…。
●ジャケではまるで大友克洋「AKIRA」に出て来るようなバイクに乗っちゃって、ゴツくてゴス臭すらするロックになってますが、トミーの声はこんなロックには向いてないな…。


UVERworld「AWAKEVE」
UVERworld「AWAKEVE」2009年
●2nd SEASON 前半戦の主題歌。くっそー不覚にもアルバムで入手してしまった!ガンダムソングは「儚くも永久のカナシ」。ラルクと同じで、メリハリあるアレンジがアニメの画にうまくハマる楽曲だよね。緩急つけてブレイクから一気にテンション上げて、ジェットコースターのように高密度の歌詞が意味もワカンナいままに走りまくる。イイよ!イイよ!「ガンダム」ならソレでイイよ!ドラマ「働きマン」の主題歌「浮雲CROSSING」の時は、少し陽性の応援ソングっぽいニュアンスがあったけど、ココでは救いナシでデストロイな感じがイイ。アルバムで聴くと、ラップっぽいコトまでしてて、LINKIN PARK みたいなラウドロックに接近するような曲もしてる。
●最初期は、GORILLAZ のパクリみたいなキモカワアニメキャラがいたような気がするんだよね。ソレがウザイと感じたので第一印象が悪かった。だからこのアーティストも「ガンダム」がなければ縁がなかったな~。あとボーカルの人が柴咲コウと付き合ってるってハナシも出てたっけ?ホント?


ステレオポニー「泪のムコウ」

ステレオポニー「泪のムコウ」2009年
●2nd SEASON 後半戦の主題歌。コレは完全に予備知識のないバンドでした。リリース実績はまだシングル2枚だけ。沖縄出身の女子3ピースロックバンドだって。平均年齢18歳、全員平成生まれ……若い。……声も音も微妙に軽い。これこそ「ガンダムドーピング」。オリコン2位だって言うんだもん。コレからかな、キチンと評価できるのは。でも一度マークしたらボクは忘れないから。


THE BACK HORN 「罠」

THE BACK HORN 「罠」(1st SEASON 前半戦のエンド曲)もスゴく気になってるんだけど、ちょっとあのバンドは気になり過ぎちゃってるからココで安易に語るのは一旦ヤメときます。アレは本来アニメソングには向かない系だったと思う、ことエンド曲には。だって殺伐とし過ぎて、音もササクレ過ぎてるんだもん。アニメにはホントの狂気は持ち込んじゃダメです。アイツらは本物の狂気を孕んでるような気がする。殺気が漂ってるんだよね…。お子様には毒が強過ぎます……モチイイ意味で言ってんですけど。
●あれ…コイツら所属がビクターだ…SPEEDSTARか? エンドはソニーの独占じゃないのか…?


バラク・オバマ大統領誕生に、時代の希望を見る。

バラク・オバマ

テキサス生まれのボンボン大統領が、恐怖とヒステリーで起こした戦争と、強欲を正当化したグローバリズム資本主義は、急速に見直しが行われている。
●アフリカ系初の大統領として歴史に刻まれるだろう新しい指導者は、テロリストかどうかよく分からない人間をヒステリックにかき集め、合法的な裁判もなく拘束し続けたグアンタナモ収容所を早速解体する事を決定した。
「偏狭なイデオロギーによって歪められていた科学的事実を見据えて、この危機を現実のものとして受け止める」と発言し、二酸化炭素の排出量を2020年までに1990年のレベルまで下げると、ハッキリと数値目標を示して公約。「地球温暖化」を科学的根拠のナイ妄執とし、京都議定書に批准しなかったアメリカとしては、信じられないほど大胆な方向転換を行った。(ちなみに、日本は京都議定書以降での具体的な数値目標を挙げられずにいる…)
シュワルツェネッガー知事のカリフォルニア州が打ち出した厳しい自動車排ガス規制水準を、産業界に負担を与えると前大統領は認めかったが、オバマ大統領は一転コレを支持公認。フランス一国と丸々同じだけのGDPを誇るアメリカ最大人口の州が世界でも最高水準の厳しい規制を定めるというコトは、破綻に直面してる自動車産業ビッグ3には、まさに劇薬を飲まされる思いだろうが、そこまでしてでもアメリカの産業構造全体を作り変え、環境政策と経済政策を同じベクトルにまとめ上げてみせる(つまり「グリーン・ニューディール政策」)という強い意志が、この若いニューリーダーには感じられる。ボクは期待している。



オバマ大統領のパーソナリティは、彼の文化的アイデンティティに負うものが大きいと思う。
●テキサスの保守的なセレブ社会で温々と育った前任者と違って、オバマ氏は絶えずマルチカルチュアルな環境に晒されてきた。カンザス州出身の白人女性を母に持ち、ケニヤ人留学生を父に持つ。その後、インドネシア人学者と再婚した母とともにインドネシアで暮らす。就任式の宣誓で知ったが、彼のミドルネームは「フセイン」というのだ。彼はムスリムではないが世界最大のムスリム人口を持つインドネシアで暮らした事は無意味じゃない。

そして、最大の注目点は、彼の生まれと育ちが、ハワイイ州である事。
ハワイイ州の人口構成はアメリカの中でも大変ユニークだ。白人は約24%、アジア系が約42%、日系人だけでも約17%もいる。先住ハワイイ系は約7%、黒人は2%に満たない。ハワイイ州は英語の他にもハワイイ語というもう一つの公用語を持つ珍しい州でもある(英語以外の公用語を認める州は、他にはフランス語を採用しているルイジアナとメインだけ)。
●そんな土地で育ったオバマ氏自身はある意味で自分を黒人だと思っていないのでは? 肌の色こそ黒いのだろうが、少年時代のほどんどを白人の母親や祖父母と過ごし、マルチカルチュアルな場所で育った。学校で「黒人!」と罵倒された時には相手が鼻血だらけになるまで殴りつけたという逸話もある。彼は白人でもなく黒人でもなくラテン系でもアジア系でもない。ただ一人のアメリカ人なのだ。
●だからボクは期待する。頑な思想の違いに不寛容になり過ぎ、世界が硬直している今、新たな対話の軸になってくれる事を。原理主義の横行するイスラム社会や、流血を辞さない強硬なユダヤ人勢力、中国や北朝鮮の一党独裁体制、中南米の反アメリカ運動、アフリカの理不尽な独裁政権、やもすれば利害が衝突するEU諸国や旧ソ連世界、アメリカ国内の保守反動勢力、強欲な市場絶対主義者、そして政治的機能不全に陥った日本に、新しい対話のキッカケを作って欲しい。マルチカルチチュアルなアロハスピリッツで。



そんなこんなで、ココに来て、ボクの中で「ハワイイ」という文化圏が、注目の存在になっている。

●正直それまではハワイイという土地にボクは偏見を持っていた。正月に芸能人が休暇をとる島だろう、そんでワイドショーがそれを追いかけに行く島だろう。スミからスミまで観光化された、アメリカのリゾートの一番の典型だろう。しかしボクの偏見は一発で覆された。ボクがハワイイに行ったのはおととしのことで、その一回きりだけの旅だが、大きな文化の奥行きを感じる事ができたし、素晴らしい感動があった。

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ワイキキでは、ボランティアのダンサーたちが、フリーでフラを見せてくれるので、夕暮れのビーチにボクもコドモたちとその様子を見に行った。しかし、ダンサーはハワイイ系に限らず、まるっきり白人の少女や、アジア系、アフリカ系の人々も混じっていた。民族の出自に関係なく、この島に住む人は何からのカタチで古来の文化を継承しようとしているのだ。コレってスゴいコトじゃないか。土地が持つ魅力が民族の壁を乗り越えてる!
●…そして、音楽と踊りというメディアは実に浸透性が高いと実感した。当時4歳の娘ヒヨコがその場で身振り手振りを見たままにフラを踊り始めたからだ。ボクもその行為にビックリしたし、周りの観衆たちも微笑ましく娘の踊りを眺めてくれた。

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●晩年のどんど氏(元ローザルクセンブルグ、ボ・ガンボス)もハワイイに傾倒し、「素晴らしいパワースポットだ」と語っていた。バンドをやめソロ活動に入ってからは、仙人の境地に達してしまったかのようだった彼が、人生の最期に嗅ぎ取ったハワイイのパワーとは何だったのか?ボクはこの島のヒミツに迫りたい。

ごまの世界ごまの世界
(1997/12/15)
どんと

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去年結婚した会社の後輩オダレナが、ハワイイでの新婚旅行のオミヤゲとして、CDをボクにくれた。
●つーか、ハワイイに行くっていうから、前もって注文しておいたわけだ。ボク「イズラエルってシンガー知ってる?」オダ「ああ、しってますよ。なんかスゴイおデブさんですよね。この前出張で行った時にCD見ました」ボク「知ってんのかい!そりゃよかった。『HAWAI'I '78』って曲が入ってるCDをゲットしたいんだよ」


Facing FutureFacing Future
(1995/03/14)
Israel Kamakawiwo'ole

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ハワイイ文化の危機と克服。
●この「HAWAI'I '78」という曲は、ハワイイの偉大なるシンガー ISRAEL KAMAKAWIWI'OLE の代表作、「FACING FUTURE」1993年に収録されている曲だ。愛称 ''IZ'' の名で知られる彼は、極度の肥満から38歳の若さで1997年に逝去したが、彼の遺した音楽は死後もずっとハワイイの人々に愛されていて、観光客の訪れるオミヤゲ屋さんでも容易に購入できる。ぼくも彼のCDは既に何枚か持っていた。しかし、ある本を読んで存在を知ったこの曲は、ボクのコレクションからもれており、どうしても手に入れたかったのだ。その曲の詞をボクの拙訳で紹介する。


「HAWAI'I '78」

ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…
ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…

もしボクらの王様や女王様が、今の島々にやってきて、いろいろなモノを見たら、
ボクらの大地の変わり様を、どんな風に思うだろう?
想像してごらん。彼らがやってきて、ハイウェイが聖なる大地を踏みにじるのを見る気持ちを。
この現代のシティライフを、いにしえの王様たちは、どんな風に思うだろう?
涙は両目からあふれ出て、大事なことがもう見えない。
そう、ボクらが今、大きな大きな危機にあることが。
彼らはどんな風に思うだろう?満足して微笑むだろうか?悲しむだろうか?

想像してごらん。彼らが帰ってきて、クルマの灯かりや鉄道の線路を見る気持ちを。
この現代のシティライフを、いにしえの王様たちは、どんな風に思うだろう?
涙は両目からあふれ出て、大事なことがもう見えない。
そう、ボクらの大地が今、大きな大きな危機にあることが。
大王が成した戦いは、全ての島々を征服した。しかし今やそこはみんなコンドミニアムだ。
大王はそんなハワイイを見てどんな風に思うだろう?
彼はどんな風に思うだろう?満足して微笑むだろうか?悲しむだろうか?

神々のために泣こう。人々のために泣こう。
もう失われてしまった大地のために泣こう。
そしてやっと、見つけられるだろう、ハワイイを。

ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…
ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…


●この歌は、ハワイイ古来の文明が、アメリカ文化の押し流されていく様を、哀愁を込めて歌い上げた、切ない歌だ。彼の巨体からは想像もつかないほど繊細なニュアンスに富んだその声は、波と潮に乗って数百キロも響き渡るクジラの歌のようだ。朗々と謡われる意味不明なハワイイ語は、太古の呪文のように響き、あの島々が持つ豊穣な生命力を象徴し、神々しい光を放つ。
70年代は、ハワイイ文化の危機の時代でもあり、復活の兆しが見え始めた時代でもある。今一度「78年」という時代を振り返り、''IZ'' は自らのアイデンティティを掘り下げていく。ハワイイとは?アメリカ合衆国のハワイイ、アメリカ以前のハワイイ、移民社会のハワイイ、観光都市のハワイイ、さまざまなハワイイのイメージが立ち上る。ハワイイは本当に多面的な表情を持つ文化圏なのだ。

ハワイイでは、もはや第一言語でハワイイ語をしゃべる人は一部の高齢者を除いてほとんどいない。それでも70年代から積極的に行われたハワイイ文化復興運動の結果、今の子供たちは学校でハワイイ語を習い、ハワイイ語のラジオを聞き、フラの教室に通い、ハワイイ発祥のスポーツ、サーフィンに興じるようになった。ハワイイ系住民は人口の6%強しかいないが、後からやってきた民族や彼らと混血した子孫が、ハワイイの文化を継承しようとしている。一度抹殺されようとした文化が、新たな形で息を吹き返そうとしているのだ。




ハワイイ紀行 完全版 (新潮文庫)ハワイイ紀行 完全版 (新潮文庫)
(2000/07)
池澤 夏樹

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池澤夏樹「ハワイイ紀行」
●そんな時、出会ったのがこの本だ。職場の同僚さんが休職中のボクにくれた本。著者がハワイイの各地を巡りながら、ハワイイの自然、生物、民族、文化、歴史など、さまざまなアプローチでこの土地のことについて語ってくれる。「HAWAI'I 78」という曲の存在もこの本で知った。


ハワイイ独自の文化的特徴のユニークさに驚嘆する。
●アジア大陸から分離して形成された日本列島と違い、海の中から火山噴火の結果で出来上がったこの島々は地質学的にも生態系の上でも完全に孤立している。日本は古くから歴史的に東アジア世界の中に組み込まれて存在していたが、ハワイイは、大昔(5世紀頃?)にタヒチ方面から移民を果たしてから、1778年キャプテンクックの探検隊が偶然発見するまで、ほぼ完全に孤立して自らの文化を育ててきた。
ハワイイ語のコトもココで触れておこう。ハワイイ語には子音がなんと7つしかない。H、K、L、M、N、P、W。コレっきり。だから「イヌ」と「ネコ」は発音できるが「トリ」も「ムシ」も「ウサギ」も発音できない。だから、音のバリエーションが少ないので、区切れ目がわからないような固有名詞がイッパイ出て来るのだ。例えば、キラウエア火山とかハナウマ湾とかカメハメハ大王とかカラカウア王とかリリウオカラニ女王とか。だから母音がいくつか続く場合はキチンと区別して発音しなくてはならない。今回の文章でハワイをわざわざ「ハワイイ」と表記するのは「HAWAII」の「I」が二つ重なってる部分をキチンと強調するためだ。ハワイイの発音に準じればコッチの方が正しいらしい。池澤夏樹さんがこの表記にこだわっているので、ボクも今日は「ハワイイ」の表記に整えてみるのだ。

●その一方で、ハワイイ文化には文字がない。全ての記録記憶は口承によって伝えられてきた。ハワイイ音楽のコアである「フラ」は、その記録メディアとして重要な役割を果たしてきた。全てはまず詩としてまとめられる。神々を讃える詩、高貴な人物の偉業を伝える詩。コレに身振り手振りが加わる。神々を楽しませるために人々は詩に合わせて踊る。一方、ハワイイには言葉に対する信仰もあったようだ。万物に自然の霊力「マナ」が宿るように、言葉一つ一つにも「マナ」が宿る。正しい儀式と正しい踊り、正しい言葉によって引き出される「マナ」がある。コレが「フラ」の精神的土壌なのだ。

ホノルルの空港でなんとなく首にかけられる「レイ」も、ハワイイ文化の重要な存在だ。そもそも男女共々ほとんど半裸の生活をしていた彼らにとって「レイ」は特別な服飾品。自然の中から状況に見合った素材を選び出し、目的に応じた作り方使い方がある。そして結果その自然の力「マナ」を「レイ」から引き出すのだ。病気を治すための「レイ」があるし、特定の「フラ」を踊るための「レイ」もある。森羅万象に神が宿るハワイイでは、素材も勝手にむしる訳にはいかない。神々のカラダの一部を頂くつもりで素材を集めなくてはならない。ハワイイ固有種の特別な植物が必要な場面もあるし、貝や鳥の羽根を用いる時もある。著者・池澤夏樹氏は、数々のハワイイ文化伝承の専門家を巡り、繊細なハワイイ文化の細部を細かく綴っていく。


西洋文明との接触と、帝国主義的侵略に晒されたハワイイ。
●日本がアメリカの黒船によって開国を強制されたように、ハワイイ文明もアメリカの帝国主義的野望によって狙われた地域だった。しかも、小勢力が島々の中で分立した古代時代から、一気に西欧近代文明に接触してレベルアップしなくてはいけなかったのだから大変だっただろう。

カメハメハ(カメハメハ1世「大王」1758?~1815年)

●かの有名なカメハメハ大王は、確かに大王の名にふさわしい開明的な君主だったと思う。キャプテンクックとの遭遇から16年でハワイイ諸島を統一しハワイイ王朝を打ち立てる。この時点で統一王朝を作れなかったら、乱立政権同士がそれぞれの列強勢力と結びついて相争い(争わされ)、各島々ごとに分割併合されてたかもしれない。クック船長本人にも会ったことがある若き大王はそう思ったに違いない。
●しかもその統一事業は、大王がアメリカ船と戦った上で手に入れた軍艦とキャノン砲、そして二人のアメリカ人軍事顧問(というか拉致した捕虜)を使役して成し得たモノだった。完全に外界と遮断していた古代社会の中からいち早く飛び出して、即座に海外の最新兵器を強奪して自分の野望に役立てるとは、スゴい胆力と見識の持ち主だったと敬服する。カメハメハ、ビッグメ~ン!

●ちなみに、ハワイイ島を偶然見つけちゃったキャプテンクックは、発見の翌年には島民との小競り合いに巻き込まれてオダブツしました。彼は浦賀沖に突如現れたペリー提督と違って、侵略的意志はない純然たる探検家だった。タヒチ、オーストラリア、ニュージーランドを探査し、南極圏まで踏み込んだ真面目な人。長距離の航海にも関わらず、ビタミン不足つまり生野菜不足で発症する壊血病でクルーを一人も失わなかった優秀な船長だ。しかし野郎だけの長い航海で飢えまくったクルーたちがハワイイの半裸のオンナノコにちょっかいカケるのを止める事が出来ず、そんなイザコザが積もり積もって現地の恨みを買ってしまったのだ。

クック船長(ジェームス・クック/イギリス海軍大佐 1755~1779年)


●さて、かのカメハメハ大王が逝去した1815年に、偶然にも重要な事件が起こる。この年にキリスト教の宣教師がこの地域にやって来たのだ。
●孤島の住民は、往々にして性的にルーズな傾向がある。余所者とすぐヤッちゃうし、周囲もそれを咎めない。遺伝が濃くなり過ぎるのを避けるために、外来遺伝子のタネをゲットするという必然があるのだ。しかし、コレはキリスト教から見たら堕落甚だしい有様。そんで不謹慎な半裸ファッション、のんびりなアロハスタイルは怠惰の象徴、既存宗教の偶像崇拝も許せなかった。宣教師はハワイイ文化の倫理観改造に熱心に取り組み始めた。ハワイイ古来の「フラ」文化なんて邪教の最たるもので、見事禁止された。いやー善意でやってるだけに、より始末が悪いよねーこういうコトって。オマケにこれまたイタいことに、当時の王権は土着の神官階級をウザイと思ってたので、既存宗教のタブーを撤廃し、キリスト教に乗っかっちゃったのでした。
●宣教師の熱心さはハンパなもんじゃなく、文字文化のなかったハワイイ語を研究し、英語に当てはめた表記法を考案してハワイイ語聖書まで作っちゃった。当然現地の人は英語つづりなんて読めないので、インテリ階級を彼らが独占してしまうことになる。こうした先進文化に呑まれてしまったハワイ貴族/王族階級は次々と改宗し、続々とやってくる西洋人たちをブレーンにしてヨーロッパ型行政システムを導入していく。

●ここまでは、積極的な近代化政策として悪くはないと思える。日本だって明治維新をくぐり抜け、鹿鳴館とか作ったりしてたから。しかしハワイイはやっぱり古代から近代へスーパーワープをしてしまった社会。近代的思考になじんだ現地人はまだ全然育っていない。ふと気付くと、西洋風官僚機構が出来上がってみたら、高級官僚が全員外国人だった。ハワイイ王権という冠を頂きながら、実質行政は外国人に乗っ取られていたのだ。

とどめの一発が強烈だった。元来ハワイイには土地の所有概念がなかった。
●コレをいいことに、アメリカ人植民者は土地を激安で買収し始めたのだ。たちまち農耕に向いた土地や豊かな水源が一般ハワイイ人民衆から奪われ、1870年代にはハワイの土地の4分の3が外国人のモノになった。現在世界的フルーツ生産流通企業として君臨する「ドール」は、ハワイイに巨大プランテーションを作り現地人(後はアジア系移民/日系とくにオキナワ系も含む)を使役して巨額の富をモノにし、今の繁栄を手に入れたのだ。1893年、アメリカ軍関与のクーデターでハワイイ王朝は倒され、1898年、ハワイイはアメリカ合衆国に併合される。前述した ''IZ'' のウタに込められた悲しみの気持ち、この歴史を見ればご理解できるのではないだろうか。


●アメリカに併呑されていったハワイイ。しかしその王様たちは、決して無能な人だけではなかった。魅力的な人も多い。
●欧米から持ち込まれた新しい病気の前に、免疫のないハワイイ人はドンドン死んでしまった。ハワイイ王家もみんな短命だ。カメハメハ大王以降は、まとまった政治を行う時間も与えられず、早死にする王様が続く。
●その中でも比較的長い治世を保ち活躍した王様に、カラカウア王という人がいる。「陽気な王様(メリーモナーク)」という愛称で今も尊敬を集める王様だ。1874年から1891年まで君主としてハワイイを治めた。

カラカウア(カラカウア王「陽気な王様」 1836~1891年)

カラカウア王は、積極的に国の外へ出て、ハワイイ王国の立場を理解してもらおうとした。ワシントンまで出向いてアメリカ大統領とも会ってるし、中国、東南アジア、インド、エジプト、イタリア、ドイツ、フランス、イギリスまでまわって、ローマ法王ヴィクトリア女王にも会ってる。結果として世界一周をしてしまったほどだ。サモアの王様と連携して「ポリネシア帝国」なる構想まで考えていた。
●なんと、彼は日本にもやって来て明治天皇とも会見している。しかもスゴい提案を持って来た。アメリカをはじめとした欧米列強と対抗するために、明治維新に成功した日本と連携したい、そのためにハワイイの王女と日本皇室の皇子の縁談を申し込んだのだ。これは結果実現しなかったが、帝国主義に対抗するためにアジアの新興国日本に目をつけた慧眼はスゴいと思う。実際、今のハワイイに日系人が多いのは彼の親日政策の賜物だ。
●しかし、1987年。「ドール」創業者一族をはじめとしたアメリカ人勢力の圧力によって、彼らの提案する憲法を呑まされた。通称「銃剣憲法」と呼ばれるこの法律で、王権は著しくその権力を制限され、参政権はハワイイ人からもアジア系移民からも遠ざけられ、アメリカ系のプランテーション経営者が実行支配する体制が出来てしまった。その失意からか、晩年彼はアルコール中毒になり、1891年サンフランシスコで客死する。

そんな彼の跡を受け継いだのは彼の妹、リリウオカラニ女王。彼女が王朝の最後を見届ける。
●アメリカ人勢力の勢いは止まらず、1893年にクーデターが起こりアメリカ人首班の臨時政府が王権廃止を宣言。1894年「ドール」創業者の従兄弟、サンフォード・ドールハワイ共和国をでっち上げ、前述の通り1898年、ハワイイはアメリカに併合される。リリウオカラニ女王は、1895年に逮捕/軟禁され、王国は完全に滅びる。
●彼女は、軟禁生活の中で20年以上も存命し、79歳の長寿を全うした。音楽の才能のあった女王は、この晩年の侘しい気持ちを歌に乗せていった。世界中に知れ渡る名曲「アロハ・オエ」は彼女の作った曲だ。古き良きハワイイへの郷愁と哀愁が悲しく響く。

「甘い記憶が私に帰って来る 過去の思い出が鮮やかに甦る
 親しい者よ おまえは私のもの おまえから真実の愛が去ることはない
 アロハ・オエ アロハ・オエ」

リリオウカラニ(リリウオカラニ女王「アロハ・オエ」の作者 1838~1917年)


「ハワイイ紀行」の著者・池澤直樹さんは、芥川賞作家で、ギリシャ、東京、沖縄を経て現在はフランスに在住。ネットに積極的にアプローチし、イラク戦争期にはメールマガジンで反戦を訴えていたという。ブログもかなり濃い内容になってるっぽいので今後チェックしていこう。



去年もワイフたちはハワイイに旅行へ行った。妹のサッちゃんがハワイイで結婚式を挙げたからだ。
●ボクも当然行きたかったが、病気を抱えたカラダで太平洋を渡るのはあまりにもリスキー。おとなしく日本で留守番した。ただし、ワイフにCDのオミヤゲだけは発注をかかさなかった。
●ワイフは「ワタシにアナタの趣味のCDなんて探せないわよ!」というが、ハワイイのCD物件には手堅い買い物の仕方がある。年に一回、ハワイイではハワイアンミュージックのグラミー賞ともいえる、「NA HOKU HANOHANO AWARD」という大イベントがある。ここでは、古典フラや現代フラのパフォーマンスから、レゲエと合体したようなアイランドポップスまで、ありとあらゆるハワイアンミュージックを網羅して、その年の優秀なアーティストを選ぶ。
●イベントの直前期になれば、CDショップでは「NA HOKU NONIMEE(ナホク賞候補)」というステッカーがCDに貼られる。そうでなくても、歴代の受賞作品には、「2006 NA HOKU AWARD WINNER」とかのシールが貼ってある。コレを探せば、まずハズレはない、という仕組みだ。だから「ナ・ホク・ハノハノだよ、ナ・ホク・ハノハノ!」噛んで含めるようにワイフに説明したので、バッチリしたモンを買ってきた。

KEALII REICHEL「COLLECTION ONE - KAMAHIWA」

KEALI'I REICHEL「COLLECTION ONE - KAMAHIWA」2006年
●この年の NA HOKU AWARD「ANTHOLOGY OF THE YEAR」を受賞した、ベテランシンガーの2CDコンピだ。彼は生涯の全てを賭けて、ハワイイ文化の啓蒙と教育に取り組んでいる。シンガーであり、ソングライターでもあり、フラのダンサーでも振り付け師でもあり、チャントを捧げる事も出来る。そして研究家でもあり教育者でもある。
マウイ島のプランテーションにある集落に住む祖母を慕って育った彼。高校生の頃にハワイイ文化に目覚め、18歳でフラのスクールを作り、ハワイイ語の音楽を作り始めた。ミュージシャンとして名を挙げる一方で、ハワイイ語学校を設立し、ハワイイ大学ハワイイ文化とハワイイ語の教鞭をとるまでに至る。そしてハワイイ文化の権威として博物館の学芸員も務めているのだ。まさにハワイイに人生を捧げた男だ。

●2CDであるこのアルバムは、2枚それぞれの二部構成になっている。一枚は、現代風音楽の影響を受けた「現代フラ(フラ・アウアナ)」で編成され、もう一枚は、西洋文明との接触以前から伝わる「古典フラ(フラ・カヒコ)」で編成されている。
●よく聴き馴染みのあるフラは、いわゆる「現代フラ」で、西洋を起源に持つ楽器、つまりギターウクレレを用いたメロディアスな楽曲だ。フラに特徴的な美しいコーラスワークも、実はキリスト教の賛美歌の影響があるという。多くは彼のオリジナルであり、日本のヒット曲「涙そうそう」までもカバーしている。もちろんハワイイ語だけど。なにやら、来日公演をした際、移動の機内放送でこの曲を聴いて一発で惹き付けられたらしい。オキナワ系の日系社会が根強いハワイイと、オキナワ音楽は今だナニかの絆で繋がっているのかも知れない。
●一方、「古典フラ」は、西洋文明との接触以前、つまりクック船長による「ハワイイ発見」の以前のスタイルだ。文字文化を持たなかったハワイイ人にとって、フラは、音楽である以前に、口承文学のようなモノだったらしい。アイヌ文化でいえば、ユーカラのような存在か。主だって神に捧げる祝詞のような言葉(「メレ」と呼ぶらしい)に、音楽を添えたのが本当のフラ。女性的に優しく響く「現代フラ」と違い、「古典フラ」は男性的な躍動感あふれるパーカッション(ハワイイ古来の打楽器群)に合わせて、朗々と呪文を唱えるように聴こえる。KEALI'I 自身がそうアレンジしているのか、ホントにこういうものなのか、ボクの耳にはそう聴こえてしまっただけか判然としないが、ビートに言葉を乗せる感覚が特殊なヒップホップに聴こえる瞬間もある。この多様性の前には、常磐ハワイアンセンターに見られるような、いわゆる「フラダンス」は、実は「フラ」が指す意味のホンの一欠片に過ぎない事がわかる。

●前述した通り、フラ一度キリスト教によって邪教として禁じられた。フラを禁止するということは、ハワイイ文化数百年の蓄積を忘却しろということだ。半裸の姿で生活をしていたハワイイ女性に、退廃的で堕落的だと主張して服を着せたのもキリスト教の宣教師たちだ(結果生まれた服装がムームー)。キリスト教はハワイイの精神文化を激変させた。
●その後、航空技術の発達でハワイイ航路が就航すると、観光資源としてのエキゾ趣味の中でフラが復活させられた。しかしそれはあくまで西洋文明から見たフラであって、観光消費用に商業化されたフラでしかなかった。ELVIS PRESLEY がノンキに「BLUE HAWAII」を歌い、露出の多い女性たちが腰をクネクネさせられていた。''IZ'' が危機を唱えた1978年当時はどんどん観光化が進み、ハワイイ文化がことごとく商業化され歪曲される時代だったのだ。しかしそんな中でもフラの本当の伝統は絶えていなかった。
●この後、先住民族の権利が世界的に認められていく中で、ハワイイ文化古典フラの研究も進み、70~80年代を経てワールドミュージックの時代に突入。90年代になってやっと、KEALI'I''IZ'' のようなシンガーが市民権を得る状況が出来たのだ。そんな歴史が、このCDには凝縮されている。


Generation Hawai'iGeneration Hawai'i
(2006/08/22)
Amy H�naiali'i

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AMY HANAIALI'I「GENERATION HAWAI'I」2006年
●2007年の NA HOKU AWARD「ALBUM OF THE YEAR」「FEMALE VOCALIST OF THE YEAR」など四冠を独占した作品だ。ハワイイのトラディショナルミュージックから、ジャジーで NORAH JONES なアプローチまでと、幅広いやり方でシットリとしたハワイイ語音楽を奏でている。
●ヴェテランシンガーである彼女が慕った亡き祖母の言葉が、CDのライナーに紹介されている。懐の大きなハワイイの思想が垣間見える。ちょっと引用。

「ポイタロイモを練ったハワイイの伝統的主食料理)に砂糖を入れるのはヤメなさい。
 食べ物の持つ「マナ」に敬意を払えば、十分にアンタのカラダに滋養をつけてくれる」
「もし誰かと一緒にいる事でギコチない気分を感じるなら、相手に敬意を持って、
 アンタが辿った遺伝的ルーツを丁寧に教えてあげなさい」

ーたとえ相手のルーツがハリウッドやニューヨークの真ん中であっても、ソレに敬意を抱き続ける事は、私の祖母が愛したやり方だった。彼女は、世の誰もが自分がどんな人間であってどんな生き方をするのかそれぞれ主張を持つべきだと教えてくれた。

「アンタ自身とアンタの文化に正しく誠実である限り、そしてアンタのクプナ(祖先たち)と共に歩んでいく限り、アンタは神サマに祝福されていくだろう…」



●このアルバムにはカントリーのような音楽も入っている。これもハワイイがマルチカルチュアルである証拠だ。ハワイイ音楽ギターは欠かせないが、元来ハワイイギターを移入したのは、メキシコ系のカウボーイ(彼らをハワイイでは「パニオロ」と呼ぶ)だ。ハワイ島は牧畜に向いた土地もあったのでそんな連中も植民してきたのだ。で、連中はカウボーイなんだから、カントリーウエスタンなのは当たり前。いつしか牧畜業も衰退して「パニオロ」は故郷に帰ってしまったが、彼らが残していったギターハワイイ風にアレンジしたのが、この時代のカントリー風トラッドミュージックとなる。
●ちなみに、「パニオロ」ギターハワイイに伝えたが、コードだなんだという細かい事までは教えていかなかったので、ハワイイの人々は全部手探りでチューニングをしていかなければならなかった。ソコから生まれたのが、スラックキー・ギター。完全オリジナルのコード感覚を持ったギター奏法が編み出された。スティールギターハワイイ人のオリジナリティから生まれた。大正琴のように横に寝た形状を持つエレクトリック・スティールギターまで進化したのだから立派なものだ。
●加えてもう一つ、ウクレレの起源も。アレはポルトガル移民が持ち込んだブラギーニャという楽器が元になっているという。まだハワイイ王朝が健在だった時代、この新楽器を王室が注目し積極的にハワイイ化したという。代々ハワイイ王朝の国王女王は、文化/音楽に造形が深く、ウクレレの制作はカラカウア王の下で薦められた。さすがは「陽気な王様(メリーモナーク)」だ。


TEN FEET

TEN FEET「EVERYDAY」2008年
ハワイイ文化も、必ずしも古典回帰だけしているワケではない。21世紀の現代感覚にあった新しい音楽や文化がどんどんアップデートされている。ハワイイ古来の文化と西洋文明とが接触して生まれた音楽「ハワイアンミュージック」というカテゴリーとは別に、現地では「アイランドポップス」という言葉で新しい若者の音楽を紹介していた。ロック、ヒップホップ、そしてレゲエという、世界中を席巻しているフォーマットと、ハワイアンのスタイルを合体させたような分野だ。ココにもある意味での挑戦と実験がある。
●日本では DEF TECH が良き教導者となって注目を集めた「ハワイアンレゲエ」または「ジャワイアン」というスタイルが現地でどんどん育っている。近年のジャマイカのレゲエは、ヒップホップに接近し過ぎて、完全ダンスホール仕様の過激過ぎるビートとメッセージが大勢を占めるようになってしまった。それに比べて「ジャワイアン」ルーツレゲエが持っていたレイドバックした感覚とリラックスしたテンポ感を維持してる。ゲットーライフやラスタ思想、社会的不条理を叫んだ本家レゲエの精神は受け継ぎながらも、ハワイイのアロハスピリッツ、アフターサーフのピースな感覚が盛り込まれている。
●このバンド、TEN FEET というだけあって10本足、つまり5人組。オアフ島の南岸を根城にしてたサーフクルーが中心になって構成されたバンドで、デビューアルバムで NA HOKU AWARD のコンテンポラリー部門を受賞し、ビルボードチャートのトップも獲った実力派。一時期解散状態だったけど、結成13年目にして復活した3枚目のアルバム。
THE BEATLES「SOMETHING」のような名曲や、JASON MRAZ「I'M YOURS」のような最近のヒット曲を、気持ちよくハワイアンレゲエに仕上げてる。しかもそんなコトが気にならないほど、アコースティックギターの刻むリラックスしたリズムとピースな感じが気持ちイイ。このようなアーティストを今後も見つけていきたいと思う。



最後に、オバマ大統領のハナシにもう一度戻る。
●欧米の世界地図は、基本的にグリニッジ標準時を示す経度0度が起点になって、中央にヨーロッパと大西洋が位置する。そんな世界観で世界を俯瞰していたアメリカの政治の中心に、その世界地図においてイチバン端っこ、日付変更線付近、地球の真裏に位置する場所ハワイイから来た男が居座った。彼は、西欧から見て地の果てである太平洋を、ハワイイインドネシアなどを往復することで育った。つまり、彼の地球の見え方は今までの大統領とまるで逆さのカタチをしているはずなのだ。

●彼に大きな期待を抱いてしまうのは、そういう意味で本質的に新しい世界観であの大国を導いてくれるのではないかという気持ちから発している。問題はクサるほどある。しかし全く新しい視点からそれを鮮やかに解決してほしいと思っている。彼を育てた島はソレだけの底力を持っているはずなのだから。


自律神経失調症とのお付合い(その86)~「10時~17時」編。
ヒマだ。ハイパーヒマだ。ヒマすぎて気分が悪くなるほどだ。

●着々と復職へのステップが進んでいる。会社滞在時間が伸びたのだ。通勤訓練開始時は「10時~14時」、先週までが「10時~15時」、そして今週から「10時~17時」になった。最終的には「9時30分~18時30分」が目標。それがウチの会社の正式な就業時間だから。コレを無難に過ごすコトが認められればめでたくゴール。念願の「復職」となる。
●でもね、そんな簡単には行かないよ。友達の中には、最近の記事でボクが完全復帰したと思った人もいたんだけど、まだまだゴールはまだ遠いんです。最高に順調に行って、最低あと一ヶ月はかかると思う。

●なぜ会社滞在時間が伸びたかというと、ボクが看護師「のび太くんのママ」さんブチ切れたのがキッカケ。(ブチ切れた経緯の詳細はコチラ
●なんと、ボクが自分の考えを「のび太くんのママ」さんにキッチリ自己主張したことに、他のお医者さんたちは、十分に神経のタフさ加減が回復してると解釈したのだ。そんで会社滞在時間延長。ボク自身は、激しい寝ボケ事件と「のび太くんのママ」さんとモメチャッた件で、絶対リハビリ逆行、滞在時間短縮だと思ってた。それが逆の方向に。何が転じて福となすか、ホント世の中分からない。

でもね、この2時間延長。決して楽じゃないよ。時間が伸びた分、退屈でしょうがない。
●与えられた作業ってのは一応ある。作業Aと作業B。作業Aは超簡単なレポート作りで、かつてのボクなら一晩で仕上げたレベルだ。しかし「ゆっくりマイペースで」というので2週間もかけてゆっくり完成させた。ところが「早過ぎる!」と怒られた。……このイチャモンも「のび太くんのママ」さんにブチ切れる大きな要因になったけど。遅いも早いも知るか!コレがボクのペースだ!アンタの予想を超える動きをすればスグにイラつくのがアンタの悪いクセだ。アンタの貧弱な想像力にボクを無理矢理ハメ込めるな!コッチはアンタのような四角四面のスクウェアな人種とは違うんだよ!…あ、すいません、熱くなりました…。
作業B。膨大な記録を丁寧に読み取っていく作業だ。ウンザリするデータ量なのでコレはハイパーカッタルイ。3日くらい真剣に取り組んでかなりのトコロまで作業を進めたが、コレはサスガに全部はヤリコナセナイと思った。そこで「コレコレすれば、効率化できるので、関係するスタッフとチーム作りたいんですけど」と上司に進言。すると丁寧に諭された。「効率化なんて全然必要ないの。この作業はアナタが会社で作業をする能力が回復しているか?を見るモノなので、その成果や出来上がりの水準は関係ないの。極端な話、完成しなくたってイイの」…………なるほど。そんじゃ、やってもやんなくても一緒か。じゃあ、やりません。急ぐと怒られるし。このハナシを聞いたカウンセラーのセンセイは「キミはホントにオール・オア・ナッシングな人間だね。やると決めたコトはトコトンまでやる。やらないコトは徹底してやらない。針の振れ方が極端で左右に振り切れるしかないんだね」と苦笑した。

結果、マジでやることがない。
●やることもないのに、ただ何時間も座ってろっつーのは結構キツイ。マジでクタビレル。午後のワイドショー「ミヤネ屋」が友達になってる。宮根さんてオモシロいなあ………ウトウト……で居眠りしそうになる。ダメだ!またヘンな寝ボケ方したら、今度こそリハビリ失敗とみなされるかも!あわててブラックブラックガムを二枚いっぺんに口の中に放り込む。そんな毎日。



バスの中で大爆睡。「バスは、運転手に起こしてもらえる席に座れ!」
●やっぱね、それでも眠くなるのです。それは横浜の精神病院からの帰り道で起きたこと。この病院は、最寄りの○○駅からバスで20分という、ウンザリな立地に存在する。しかもバスの本数は一時間に3本しかない。かなりブルーでしょ。寒い中凍えながらバスを待ち、そんで暖かいバス車内に入ると、大きな気温差でとろ~んと眠気が忍び寄る。で、爆睡…。
……次の瞬間、目を覚ましたら、全然ワケのわからない場所をバスが走ってる。で、バスの車庫の前に止まり「お客さん、終点でーす」と運転手さん。へ、ココどこ?すいません、ボクは○○駅行きのバスに乗ったつもりだったんですけど……。「は、お客さん、ココは■■車庫前ですよ」げ!もしかしてボクは爆睡したまま、終点の○○駅を通過し、次の運行に入ってその路線の終点まで来たってワケ?
「確かに○○駅には行って、そこで終点なので全員降りてもらったはずです」いや、きっとボクそのまま寝てたんです。「あれー、○○駅ではキチンと確認したんですけどね~」サスガにボクもシャレでこんな血迷ったこと言わないですよ。確かにボクはイチバン後ろのイチバン隅っこに座ってたから、運転手さんが見逃しちゃったんでしょう。
●大体ココはドコなんです?「だから■■車庫前です」■■車庫前って言われても……すいません、ボク、ホントは東京都の世田谷区に住んでて、ここらの地理は全然わからないんです……このバスは、次はドコに行くんですか?「あーこのバスはもう回送でこの車庫に入っちゃうんですよ」え!「アソコにバス停があるので、ソコから別のバスにのってもらえませんか」確かに、静かに並ぶバスの列のスミッコに小さいバス停がある。アソコから○○駅に行くバスはあるんですか?「もう夕方だから、ないかな?」うっそーん!

●凍える気分に沈みバス停で待つこと20分。やっと回送バスの一台が動き出してボクの目の前にやって来た。すいません、このバスはどこか電車の駅に行きますか?「ああ、◇◇駅と△△駅に行くよ」フツウに教えてくれるけど、ボクにはその駅が一体ドコの何線の駅なのか全くわからない。とにかく乗るしかない。行く手にナニが待とうとも。星野哲郎もこんな不安な気分で銀河鉄道999に乗ったのだろうか?でもボクにはメーテルがいない…。
●30分くらいバスに揺られて、◇◇駅に到着した。ボクは○○駅は悲しいほどナニもない場所で寂しいと思ってたが、その上を鳥人ブブカが世界記録で飛び越えていくほどハイレベルにナニもない◇◇駅のロータリーに立ってこう思った。「ココはホントに日本か?ボクの経験では90年代初頭の韓国・太田市郊外で見た風景にイチバン近いんだけど」だって駅のまわりに建物がないんだもん。広いバスロータリーと工事現場と休耕地しかない。離れた所に不釣り合いなほど立派なマンションが一棟たってて(多分世界金融危機で買い手がいなくなったダメ新築マンション)、ロータリーの一角を縁取るように廃れたスーパーと文房具屋兼本屋と小さいマクドナルドがあった。駅舎に近づくと、駅舎の向こうには農協の事務所があると書いてある。
●最終的に二回くらい乗換えをしてやっと小田急線につながる駅に到達できた。あまりの徒労と自分のマヌケさ加減に脱力し切ってしまい、車内で立ってもいられなくなったので、スカスカの各駅停車を選んでクシャリと座り、2時間以上かけて我がホームタウンシモキタザワに帰ってきた。この日学んだ鉄の教訓。「バスは、運転手に起こしてもらえる席に座れ!」



さて、この爆睡の事態を、心療内科のセンセイに相談する。
「アラアラ、それはタイヘンだったわね」と全然大変とは思ってない表情で答えるセンセイ。ボクの診察の直前、かなりヤバめな患者さんと怒鳴り合いしてる様子、診察室からロビーに漏れまくってた。そんな連中と粘り強く付き合ってるセンセイはスゴい。ホントすんません、ボクの悩みは規模がミクロで。
●前回の診察でも言ったけど、睡眠薬の量を調整しましょう。回復基調だから、クスリの効果が強くなり過ぎたんでしょ。と、落ち着いてセンセイはボクに新しい眠剤を紹介してくれた。

「ロラメット」

ロラメット

●うーむ、ボク的にはニューフェイスだ。センセイ「コレはね、キレがイイの」……キレ?キレとコクとノドゴシ…ビールみたいですね…?「フツウの睡眠薬は、代謝を二段階する仕組みになってるの。肝臓とかで一回違う物質になって、またもう一回違う物質になって、やっと効くわけよ。だから効果が長持ちする」はあ。「でもね、コレは、代謝が一段階になってるから、すぐ効いて、そしてそんなに効果が長く続かない。翌日まで眠気が残らない」ほう…。じゃあ昼間に眠たくなるのもなくなるかも。

●センセイ「その代わり、ドラールはヤメましょう」
ドラール
●コレは、中長時間効果型タイプの睡眠薬なのだそうだ。飛距離で例えれば、テポドン?さらに…。
「今まで一緒に飲んでたサイレース。コレも量を半分に。2mgから1mgに変更っと!」とカルテにサラサラ~と走り書き。「サイレース」はイキナリ飲むのをヤメると副作用で、より一層眠れなくなっちゃうこともあるので、段階的に減らすのがセオリーらしい。

サイレース

この処方の変更で、たちまちボクの睡眠コンディションはよくなった。普通に夜眠くなるし、夜中に目を覚まさなくなった。ちょっと朝早く起き過ぎることはあるけど。
●最終的には睡眠薬は、「サイレース」に一本化するのが目標。安定剤も長距離型と速攻短距離型の二種類を飲んでいるが、量を減らしながら最終的には一種に一本化。

●センセイ曰く「今大事なのは、健康的な睡眠よ。そしてホドホドの運動。ジムとかダンベルとかはダメよ、アナタの今のカラダじゃハード過ぎる。家で体操を習慣づけること」とくに衰弱して失われた上半身の筋肉を取り戻すのは、歩けば回復していく下半身よりずっと難しく、時間がかかる。
●しかも自律神経失調症は、筋肉の緊張を自動的にほぐして回復させる神経機能がぶっ壊れる病気なので、ちょっとした行為でもスゴく筋肉に負担を残し、筋肉痛や肩凝りが数日も続くことになる。先日ムスメの学芸会でカメラを構えただけで、激しい筋肉痛が4日も残るのだ。



そこで、体操だよ。

Tarzan (ターザン) 2009年 2:11号 [雑誌]

●雑誌「ターザン」肩こり腰痛特集!
●運動がキライなボクがこんな雑誌買うのは超レア。でもコレは速攻で買ったね。マジで肩こり腰痛なんとかしてほしい。しかもローコストで。

で、結果、マジでこの体操やって、痛みが軽減されてきたからマンマ紹介しちゃいます。

ターザン1

1、肩の内回し/ 肘を曲げ、指先を肩につけた姿勢からスタート。肘を閉じたまま情報に持っていき、耳の位置で開いて弧を描くように下ろす。肩甲骨を寄せることを意識。10回。
2、肩の外回し/ 次は反対。指先を肩につけた閉じスタートポジションから、肘を開きながら耳の高さまで持っていき、閉じて胸の前まで下ろす。10回。ゆっくり大きく開店させるのがポイント。
●ちなみに、ボクはこれするだけで、肩関節がゴリゴリ音を立てます。肩首まわりに沢山ある関節の軟骨が硬直した筋肉とぶつかり合う感じ。


ターザン2

椅子に深く腰かけて行う。肘を伸ばし掌を太ももの上に置く。肩をすぼめるようにして頭を前、次に後ろに大きく移動。呼吸は終始止めないこと。10回。
●ボクは、肩をすぼめるだけで、肩甲骨あたりがパキッと音を立てます。まずは、これだけから始めます。…これしか出来ないって、ボクはジジイか……しかし、無理すると絶対イタい目会うんで、しょうがなイッス。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html



●最後に、今日の1枚のCD。

THE CRANBERRIES「NO NEED TO ARGUE」

THE CRANBERRIES「NO NEED TO ARGUE」1994年。
●またしても180円で買っちった。最近はヴォーカルの DOLORES O'RIORDAN 嬢のソロの話題しか聞かなくなった、90年代アイルランドのバンド。あのボーイッシュなオンナノコがアタマのテッペンから出すような、高いトーンでふるふる震える特殊歌唱能力がアイリッシュミュージックのマジメ感と相性よく溶け合ってたバンドだった…。彼女の希有なボーカル才能は単品売りにも耐えるだろうから、バンドは機能停止しちゃったみたい。

●でこのバンドの代表曲と言えば、香港の女優/シンガーのフェイ・ウォン広東語曲「夢中人」としてカバーした「DREAMS」なのであります。ボクは原曲もフェイ・ウォンバージョンも、「夢中人」を主題歌に使った映画「恋する惑星」も大好きです。
●つーかぶっちゃけ、フェイ・ウォンの方がスキです。娘ヒヨコの名前に、フェイ・ウォンの中国語綴り「王菲」「菲(ひ)」の字を使おうとしたくらいです。残念ながら「菲」はあくまで中国語の字で、日本の常用漢字や人名漢字に含まれておらず、役所にハジかれました。漢和辞典で調べると「花が咲き乱れる様子」という意味が出てきて、実にイイ漢字なんですよ。
●しかし、セカンドアルバムであるこの一枚にはこの曲、入ってません。よって、完全にフェイ・ウォン入り口で知ったバンドですから、ボク的には本来は「DREAMS」が入ってなきゃ意味ないんです。だけど。
1曲そうとも言えない気になる曲が含まれてて。それは「ZOMBIE」って曲。PVでは DOLORES 嬢が全身金粉で熱唱しまくってます。歌詞が痛いです。風景はきっと爆弾テロの直後。

「誰かの生首が地面から拾い上げられ、子供がゆっくり抱え上げられた。
 そして暴力が不気味な静寂をもたらす 誰が間違ってるというの?
 あなたが見てるのは、私じゃない、私の家族じゃない、
 あなたのアタマの中で あなたのアタマの中で 戦いが起こっている。
 戦車と爆弾と…爆弾と機関銃とともに、
 あなたのアタマの中で あなたのアタマの中で ヤツらが絶叫している!

 母親の心は打ち砕かれて、憎しみに乗っ取られていく。
 そして暴力が不気味な静寂をもたらす 私達が間違ってるにちがいない。
 1916年からずっと同じ事の繰り返し。
 あなたのアタマの中で あなたのアタマの中で まだ戦いが続いている。
 戦車とともに あなたのアタマの中で ヤツらが死んでいく!

 あなたのアタマの中に あなたのアタマの中に
 ゾンビ…ゾンビ…ゾンビ!」
 

●お分かりになるでしょ。彼女の国アイルランドがずっと背負ってきたテロリズムとの関わりがテーマになってる曲。歌詞に出て来る1916年は、当時イギリスの支配下にあったアイルランドで初めて独立を目指した武力蜂起が起こった年(「イースター蜂起」と呼ばれているそうです)で、いまなおイギリス統治下にある北アイルランドを奪回しようとするテロ組織 IRA が誕生した年でもある。IRA は2005年にテロ戦術を放棄した事になってるけど、反対に言えば、ついこの前までアイルランド~イギリス国境を巡って、テロと弾圧の恐怖がのさばってたのですよ。
●同じくアイルランドのロックバンド U2 が初期代表曲「SUNDAY BLOODY SUNDAY」で取り上げた1972年「血の日曜日事件」は、北アイルランドの市民がデモ中にイギリス軍に銃撃され14人が死んだ事件。この国境紛争がどれだけ、アイルランドの人にとってトラウマになっていることか。そんで「IN YOUR HEAD, IN YOUR HEAD, ZOMBIE, ZOMBIE, ZOMBIE !」と何度も絶叫するこの歌は、そんな苦しみが痛烈に刻まれてます。

先日、娘ヒヨコ6歳、幼稚園サイゴの学芸会が行われた。
●お芝居では浴衣を着た村ムスメをやってた。セリフは2つしかない、って聞いてたのだけど、アレコレやってるので「なんだ、随分しゃべってるじゃないか」と思ったが、後から聞いたら、決まったセリフは2つしかないが、あとはアドリブでやった、とのこと。えーそういうもんなの?「センセイがスキにやっていいっていうから、ジブンたちできめた」センセイ、演出ユルい!でもフリースタイルでイロイロやれるのは面白いね。
●そして、ガッキの演奏。ハーモニカで「よろこびのうた」を一節だけ吹く。この前の週は、毎日このハーモニカの音が家の中でぷーぷー鳴ってた。最初は、ハジメの音すら正しく吹けなかったのだけど、ワイフの熱心な指導の結果、ナントカモノになった。
●ヒヨコは、朝飯を食うのが常に遅くて毎日急かされてる。ワイフが毎日叫ぶ。「早く食べて幼稚園の支度しなさい!」そこでボクは秘伝をヒヨコに授けた。「ハーモニカを吹くように、パンを食べなさい。ドレミファソラシドまで食べたら、ドシラソファミレドまで食べなさい。そしたらあっという間におクチに入るから」ヒヨコ「ふいたらおクチにはいらないよ」ボク「じゃ、ハーモニカを吸うように食べなさい」。この「ハーモニカ食べ」は確かにヒヨコの食事スピードを加速することができた。もう彼女のお気に入りの必殺ワザだ。

もう一つウンチクをヒヨコに授けた。
「よろこびのうた」つまり、ベートーベンの「第九」。コレは彼が聴力を失ってから作った曲だ。「ヒヨコ、この曲を作った人は耳が聞こえなかったんだよ。耳が聞こえないのに音楽が作れるってすごいよね」ベートーベンは26歳で聴力を失ったというのに、その後56歳で死ぬまで次々と傑作を生み出した。天才ってスゴいよね。アタマの中だけで音が鳴ってるんだな。


さて、この故事をワザワザCDのタイトルにしたオトコがいる。

MORRISSEY「BEETHOVEN WAS DEAF」

MORRISSEY「BEETHOVEN WAS DEAF」1992年
THE SMITHS のボーカリスト MORRISSEY がソロになって5年目にリリースしたライブ盤だ。

ボクは、MORRISSEY の良いリスナーではない…。
●ボクは英語がワカランので、いわゆる MORRISSEY 文学の世界に関してはてんで知識がない。もちろん THE SMITHS の時代もそうだ。希代の詩人と称される彼の詞世界に心酔する人は多いようだが、残念ながらノリで聴いてるボクにはよく分からない。
●だから、尚のコト理解できないのが「THE SMITHS 時代に比べて MORRISSEY のソロはダメ」という気分のご意見だ。日本盤のライナーノーツには92年に書かれたロッキングオン宮嵜広司さんの文章が書かれている。雑誌の批評ではなく、商品のライナーノーツだってのに、ガッカリ気分の文章が載ってるってのが既に異常。よっぽどガッカリな事情があるに違いない。

「スミス時代からあらゆる疑問に誠実に答えてきた彼が沈黙を続け、ロクデナシの烙印を押されたバック・バンド、ザ・ラッズ(「仲間」の意)といいように戯れているようでは、それこそ彼に人生を狂わされた連中の動揺と怒りはおさまりそうにもないだろうからだ。どんどん訳がわからなくなっていくモリッシー…」

●そこまで言うか…。THE SMITHS というバンドとその頃の MORRISSEY にはホントにハンパない神通力があったのだろうが、リアルタイムでそれを感じる事の出来なかったボクにとってはなかなか理解できない…。それでは詩集をゲットしてつぶさに読んでみようかなとも思ったが、中川五郎さんという人が訳した彼の詩集は既に絶版で、AMAZON でもプレミア価格が乗っかってしまってる。むー。コレは困った。

モリッシー詩集


●むしろボクとしては、黄金のソングライターチームであった MORRISSEY / MARR が分裂したというのに、そして複数の作曲パートナーと仕事しているというのにあの超個性的でちょっとマヌケな節回しが全然変わらないコトの方が驚異だ。THE SMITHS もソロも芸風全然変わんないじゃないか!
「ヨーザワンフォミ~ファティ~~、ヨーザワンナイリリィリリィラブアンダイル~ステエィ~……アヘエィ~…アヘエィ~…」ドコまでマジか冗談か見分けがつかないテンションで、おデブの女子(FATTY) に愛をササヤく一曲目「YOU'RE THE ONE FOR ME, FATTY」の間の抜け具合から既に絶妙でボク的にはバリバリにアリなんですけど。
THE SMITHS 時代のライブ盤「RANK」も、虚弱文系代表選手のような顔してた彼らが、スゴくタフなロックをカマしてて最高にビックリしたモンだが、この時代の MORRISSEY もそれなりにキッチリロックしてる。JOHNNY MARR と比べるのは酷かもだが、宮嵜さんに「ロクデナシ」と言われちゃったバックバンドだって頑張ってる。

THE SMITHS 時代のライブ盤「RANK」



MORRISSEY の皮肉屋な側面が炸裂しまくってるのがソロ時代の特徴なのかしら?

MORRISSEY「VIVA HATE」
MORRISSEY 「KILL UNCLE」

「VIVA HATE」1988年
「KILL UNCLE」1991年
●ソロ第一弾が、「憎しみバンザイ!」。第二弾が「オジさん殺したる!」。いやー趣味が実にイイタイトルだ…。アレンジはアレコレと試行錯誤してて THE SMITHS のようなシャープさは鈍ってるけど、軸は耳に優しいネオアコで、やっぱり独特のキショい節回しは健在。つーかこの人こうとしか歌えないのね。

むむ、MORRISSEY のヤバさが見えてきたぞ!
「VIVA HATE」収録の「EVERYDAY IS LIKE SUNDAY」はストリングスまで入った爽やかなアレンジで美しいメロディにホンワカできるよ……と書こうと思ったら、歌詞をチェックしてドキッとした。性格悪いウタだな!全然ホンワカしてないよ!


「湿った砂をノロノロ歩きながら、服を盗まれたベンチに戻ってく…。
 ここは、海岸の町。閉鎖されることすら忘れられた場所…。
 ハルマゲドン!ハルマゲドンよ!やって来い!来いよ!ハルマゲドン!来い!
 毎日が日曜日みたいだ……毎日が静かで、灰色に染まってる…。

 遊歩道にシケ込んで、ハガキに刻み込もう……。
 こんな海岸の町にボクはいたくないと、どれだけ強く願っているかと…。
 爆撃されることすら忘れられた場所…。
 来い!来い!やって来い!核爆弾!
 毎日が日曜日みたいだ……毎日が静かで、灰色に染まってる…。」


●なんとなく、MORRISSEY というオトコの意地悪い性格をミンナがヤバいと思ってる理由がわかってきたような気がする…。「MARGARET ON THE GUILLOTINE」って曲も最高!


「優しい人々が、素晴らしい夢を見てる。
 ギロチンのマーガレット。
 アンタのような連中には、ボクはもうクタクタだよ。
 一体いつ、アンタは死んでくれるの? いつ、アンタは死んでくれるの?
 一体いつ、アンタは死んでくれるの? いつ、アンタは死んでくれるの?
 一体いつ、アンタは死んでくれるの?

 アンタのような連中は、古くさくてもうかなわない。
 お願いだから死んでくれ。
 
 優しい人々は、この夢を隠しておいたりしない。
 それをホンモノにしようよ。夢を実現しようよ。夢を実現しようよ。
 それをホンモノにしようよ。夢を実現しようよ。ホンモノにしようよ。」

ギロチンのマーガレットって、マーガレット・サッチャー首相のコトでしょ。「いつアンタは死んでくれるの?…お願いだから死んでくれ」いやー、とっても優しい声でとってもエグイ歌を歌ってたのね。最高に面白いよ。コーダに、ギロチンの落ちる音まで入ってるし。
●今の日本で「麻生さん、お願いだから死んでくれ。ギロチンでクビ切っていい?」と歌ったらどうなるだろう?「2ちゃんねる」への書き込みも殺人予告になっちゃうと思うと、堅苦しい世の中だわ。あ、ネットは匿名だからダメなんだ。身元をハッキリさせて「死んでくれソング」を歌えばイイんだ。さあ、誰か歌おうよ。現代日本で誰も手をつけてないニッチがココにあるぜ。そんで本音の所で国民全員が「死ななくてもイイから辞めてくれ」と思ってるのは事実なんだから、ニーズも間違いなくあるぜ。


面白い!この MORRISSEY さんの歌詞世界、もうちょっと時間かけて読んでみよう。
●海外の歌詞サイトと、翻訳サイトを駆使して、少しでも理解できるよう工夫してみよう。今回の歌詞もボクが勝手に訳したんで、間違ってたらゴメンナサイね。

本日は、全身がイタい。もうダメ…。
●昨日、娘ヒヨコの学芸会があったのだけど、最前列でパシャパシャスチル撮影してたら、両腕や脇、胸筋、背筋が強烈な筋肉痛になってしまった…。ボクは、カメラすら持てないのか…。しかし、コレでヒキコモルとより一層症状がヒドくなって気分障害まで出るので、日光を浴びるべく、ボクはシモキタザワの街へ散歩しに行くのです。


だから、久しぶりに下北沢近辺のおススメお店情報などを…。
●まずは、午前中のウチに主だった商品が全部売れてしまう、知る人ぞ知る有名店。

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「パティスリー シェ かつ乃」
●場所:世田谷区代沢4-38-3。茶沢通りを三軒茶屋方面に南下して、ガススタンド JOMO のある交差点を左折。そのままこの梅丘通りを進んで「代沢4丁目」バス停の目の前。
●ここの「ロールケーキ(プレーン)」はとてもシンプルなんだけど、ソツのナイ美味しさで全然食べ飽きない。だから地元リピーターがスゴくって、平日でも開店10時前に何人かが並んでいるくらい。11時には売り切れ閉店になってしまうことも。この前、ご近所へお礼のお菓子として自転車で買いに行ったのだけど、狭い店内で居合わせたオバさんは、このロールケーキ3本まとめ買いとかしてたし。ワイフに言わせれば10本買いとかも当たり前だって。
ウチのコドモもこのロールケーキが大好き。息子ノマドは小麦アレルギーなので、洋菓子を食べる機会がなかったが、年々症状が軽くなって小麦系食品も少々ならOKになった。しかし生まれてから全然食べてこなかったケーキの類いはあまり好きじゃないらしい。しかしこのロールケーキがヤツにとって例外的にダイスキ物件な理由とは、断面が「の」の字をしているからなのだ。「のまどの『の』!」……ああ、オマエそこに引っかかるんだ…。ちなみに巻き過ぎているロールケーキは「の」の字を通り越して渦巻きになってしまうので、ヤツにとっては邪道らしい。



●こちらは最近オープンにも関わらす、度々メディアでも取り上げられたお店。

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「はらドーナッツ 下北沢店」
●場所:世田谷区北沢3ー27-2。下北沢駅北口方面の「下北沢一番街商店街」の中。
●ワイフによると、このお店のドーナツを食べてないママトモダチは誰もいないというほどのインパクトで常に店頭は行列状態。最近出店したばかりなのにスゴい認知度だ。ワイフが娘ヒヨコを連れて行列に並んだところ、ヒヨコはフリースタイルで「ドーナツのうた」を歌い続け(「ドーナツおいしそう~まだかなまだかな~チョコあじはウリキレ~コーヒーあじもウリキレちゃいそう~ドーナツドーナツ~!」)、意図せず無邪気に、お店のお姉さんと行列の前のお客さんにプレッシャーを与え続けた。お店のお姉さん「ごめんねーおまたせね~!」
●元々は神戸の豆腐屋さん「原とうふ店」(創業昭和43年)が、豆乳とオカラを使ってヘルシー/オーガニックなドーナツを開発したのが起源とのこと。が、ココに来て一気に東京進出。吉祥寺、阿佐ヶ谷、下北沢、国立、二子玉川など、趣味のイイ郊外を狙って続々出店。1月にも中野と茅ヶ崎に出店と拡大路線。神戸からオカラと豆乳を直送してそのお店でそれぞれ丁寧に作っているという丁寧さにも共感。
●見た目は、いわゆるオールドファッションなタイプだけど、味は甘すぎずサッパリでもモッチリしてて食べやすい。ホドホドに小振りなのでカロリーが気になる人にもちょうどイイかも。コウチャ味、ほうれん草味もおススメ。



●その近所にできた新しい中古レコード屋さん。

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「オトノマド」
●場所:世田谷区北沢3-26-4。 北口方面「下北沢一番街商店街」、「はらドーナッツ」の並び、銭湯「八幡湯」のトナリ。
●息子の名前「ノマド」が店名に入ってるので、イヤでも気になるお店。品数がそんなに多くないのと、在庫が定番系&オシャレ系なので、あまり縁がない…。BING CROSBY のクリスマスアルバムとかは、ボクには大枚はたいて買うモンでもないからなあ。あと定番系は残念、もう大体持ってる…。ちょっぴりの書籍系に気になるモンがあったが、もうちょっと安くないと、今のボクには買えないのです…。



●あら?「JET SET」「一番街」に移転してた。

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「JET SET RECORDS 下北沢店」
●場所:「下北沢一番街商店街」の南側入り口に立って、左側にある雑居ビルの二階のマドをキョロキョロ見回すと、この「パンナム」なマークが目に入ります。一階は、毛並みのイイ上品なネコちゃん(ナントカショートヘアとかその類い)沢山と一時間1200円フリードリンクでタワムレる事ができるという「ネコカフェ」が入ってます。そういうビジネスモデルが存在するんだ……窓を覗いたら、いかにも気位の高そうなネコがお客を静かに待ってます……なんか指名待ちのキャバクラ嬢のようにも見えてイタいかも…。娘ヒヨコを連れてったら死ぬほど狂喜するけど、一人1200円は高いなあ。ファミリーでこの値段だったら行くのに。
●本来はシモキタザワの逆サイド、南口/レコファン方面にあったのに、1月にこの北口エリアに移転してたんだって。昔は2フロアあったのが1フロアになっちゃって寂しいなあと思ってたら、気付くと消滅しててショック!と思ってたんだけど、チョッピリ狭くなって復活してました。よかった。



●チェーン展開しているコーヒー専門店がシモキタにも登場。

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「やなか珈琲店 下北沢店」
●本来は「自家焙煎コーヒー豆の専門店」なんだけど、店の隅にちっこく座席があって、ソコに座って美味しいコーヒーが飲める。レギュラーブレンドが180円、その日のおススメブレンドが200円と、そこらのファストフードの値段と同じでウレシい。ただ難を言えば、そのテーブル席がちと寒いのよね。最近ますます財布がキビシくなってきたから、もっと積極的にココに通おうかな?もうマックの100円コーヒー飲み飽きた…。おかわり自由って言うけど、おかわリできない味だよアレは。
「やなか」というだけあって、谷中をはじめ都内17カ所に店舗を展開。湯島、根津、亀有、北千住と、結構渋い場所に展開してるのがなんかユニーク。「はらドーナッツ」とはウラ張りのカンケイ? あれ代々木八幡にもあるんだ…自転車で散歩しにいった時に寄ってみようかな。



次のお店は、シモキタザワのお店ではありません。横浜の精神病院に通う途中の乗換え駅の駅前商店街で見つけた物件。

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「純喫茶フロリダ」
「純喫茶」というフレーズにもうビビッと来ました。しかも脈絡なく「フロリダ」。最近見かけないけど、「マイアミ」っていう喫茶店チェーンもあったよね。気分は店名も雰囲気もマンマパクった感じ。看板のインパクトも思わず笑いを誘う。店を発見した瞬間「こりゃもうこの店に入らなきゃ」と、好奇心を通り越して使命感すら感じたね。
●写真から見て建物の裏側にある階段を昇ると、入り口が二つ。片っぽが喫茶店で片っぽがカラオケパブ。夕方前だったけど、カラオケの轟音が入り口からこぼれてた。入り口の段階にしてもう二分の一の割合で「純」じゃないじゃん。
●喫茶店側の扉を開けると、殺風景なほど広い店内に、ムダに間隔が広く散らばったテーブル。かなり使い込まれた茶色い合革ソファがまさに「昭和」の匂いでプンプン。端が破れてスポンジがはみ出かけてる。
●コーヒーを注文したら、オバさんが30秒以内に持って来てくれた。うん、予想通りとてもマズい。本棚には「少年マガジン」「ビックコミックオリジナル」といったマンガ雑誌が沢山あったので読んでみようと思ったら、みんな10年近く前のモンだった。アップデートされてるものは新聞が二誌。「朝日」「聖教新聞」「聖教新聞」は読み物としては接触する機会が滅多にないレア物件なのでシゲシゲと読んでみた。一面記事では、池田先生がまたドコか外国の大学の名誉教授になっていた。多分、残りのボクの全生涯を通じて二度と行かないと思うが、「聖教新聞」をどうしても読まないといけない状況になったら行くかも知れない。

再結成ユニコーン。
●先日、ノマドたちが毎週楽しみにしている「ドラえもん」をHDD録画して見ようと思ったら、なぜか「ミュージックステーション」の特番になってて、アリャリャリャ?的なコトになった。最近ズーッとテレ朝は開局50周年特番ばっかりやってるからね。
「ミューステ」なんてボクは滅多に見ない。もう20年以上の長寿番組だってコトもココで初めて知った。タモさんの隣の女子アナは毎回見る度に違うコが座ってるようだけど、全員一緒に見えるなあ……とか思いながらダラダラオープニングを見てたら、あららっらら!ユニコーンが出てきたぞ!おい!へー、このバンド、再結成したんだ!「悪いけど、パパにちょっとこのバンドの所だけ見せてくんない?パパが中学生だった時に活躍してた人たちなんだ」うわー久しぶりだわ~。


ユニコーン「WAO!」

●再結成シングル「WAO!」2009年
●番組では、このバンドはメンバー全員がソングライティングもメインボーカルもこなすのが特徴だ、と紹介されてた。そういえばそうだったっけ。でも再結成で奥田民生が歌わない、アベBが歌うというハズし加減は、確かにユニコーンっぽいかも知れない。
アベBこと阿部義晴さんによる作詞作曲、老体にムチ打ったヤケクソなロックンロールであるこの曲、息切れしてるのもコミコミで全部ご愛嬌な感じも、昔のユニコーンと変わんないなーと思った。全盛期はアルバムの三分の一くらいがおフザケ楽曲でツイテいけないと思った事もあったもん。「おどる亀ヤプシ」とかジャケでもうキツかったような…。今聴けば違う聴き方出来るかな?

ユニコーン「おどる亀ヤプシ」



同期のオンナノコとユニコーンの再結成で盛り上がる。
●その翌日、たまたま同期の女子サチコと二人でランチを食ってたら、この「ミューステ」のハナシになった。彼女は会社で仕事中で、音量をミュートされたテレビでこの再結成ユニコーンを眺めてたらしい。「もうワタシびっくりしちゃった!アベBさんとか全然変わってないのね!」でもベースの EBI さんはナゼかサラサラロン毛だったよ。ギターの手嶋さんはサスガにちょっとフケテタね。「テッシーね♥でも西川さんは全然印象変わってなかった」タモさんとのトークじゃ西川さん50歳だって言ってたよ、テレ朝と同い年だって。「ウッソー!信じられない!」でも西川さんバリバリ現役として、ジュンスカのボーカル宮沢のバンド ジェット機 でドラム叩いてるんだよね。

ジェット機「best」  ジェット機「BEST」


バンドブームの最中に思春期を送ったボクらの世代にとって、ユニコーンはアイドルだったのだ。男子であるボクにとってはロックバンドなんだけど、女子にとっては「タミオよりもエビさんの方がカッコいいと思ってた」とかいう見え方になるんだわ。ソレをサチコと話してて思い知った。地方出身のお嬢様と思ってたサチコがことのほかこの時代のロックに入れ込んでて、結構ビビった。でもソロの奥田民生は興味持てないんだって。アイドルらしくなくなったからかな?


で、早速ムカシのユニコーンが聴きたくなった。
●家のCD棚をゴソゴソ探して古い音源を探したのだけど、あれ、全然見つからないぞ?……なんと、ボク、ユニコーンのCD、一枚も持ってなかった…。アレは全部レンタルしてカセットで聴いてたんだ…。不覚……。で、速攻でレンタルしてきました。イチバン思い出深いアルバムを。


ユニコーン「PANIC ATTACK」

「PANIC ATTACK」1988年
●まだ昭和だぜ…懐かしい。もうコッチが恥ずかしくなるほど、若気の至りで必死に疾走する青春ソングで埋まってるセカンドアルバム。なんだか老成してドッシリ腰が座ってしまった今の奥田民生のロックとは全然質の違うスタイル。だって髪型がもう若気(若毛)の至りだもん。おセンチな恋心やミミッチイ哀愁やショーもないシタゴコロなどなどの甘酸っぱくて青臭い感情が、ピチピチ音立てて身をよじってるみたいな、今となってはコソバユイメッセージが、中学生だったボクには最高にリアルでたまんなかった。チャーミングでドラマチックな曲展開もポップだったし。手に負えないツッパリ不良ロックや非現実的なルックスのヴィジュアル系と違って、この人たちはボクらの一番ソバにいると感覚的に察知した。

「I'M A LOSER」「SUGAR BOY」、「サービス」とか聴くと、片思いにムズムズしてたヘタレ中学生の自分を克明に思い出すもんな…。塾帰りの夜更けに、気になる女の子の家の近所まで意味なく行ったりして、でも公衆電話に入っても全然ダイヤルする勇気が出ないのです。カッコ悪い!死ぬほど!しかも公衆電話!携帯もポケベルもないの!しかも自宅に直接かけるからお父さんとか出ちゃうの!「こんな時間に何の用なんだい?」コワいコワい、お父さん出ると困る!しかも子機すらない時代なんだぜ!あー、今の少年少女諸君は自分たちがどんだけ恵まれてるか、もっと思い知れ!……ボクは今でも冬のオリオン座を見上げると、公衆電話に入ったり出たりして結局ナニも出来なくてトボトボ家路に着く時に見た夜空を思い出す…。

ユニコーン「服部」

「服部」1989年
氣志団このオッサンを追跡して自分のアルバムのジャケに使った時は爆笑しました。そういう意味でオマージュされてもイイアルバムだったと思う。バンドブームのど真ん中に発表された、いかにもバンドブームな一枚なのだから。意味のないおフザケトラックとかがたくさん入ってきて、なぜかシングルでは坂上次郎さんがボーカルをとった「デーゲーム」みたいなトライもあって、浮かれ気分と冗談と勢いだけのアイデアがムダに入ってるトコロが、最高に「バンドブーム」。「イカ天」もこの年スタートしたのですよ。
ユニコーン最大の有名曲「大迷惑」は、突然転勤を言い渡されて単身赴任を強いられるサラリーマンの悲哀を、ノリノリのロックンロールにノって喚いてみましたという楽曲。冷静に考えると、転勤くらいでガタガタ言ってるなんて、とんだバブル体質だよね。ある意味時代をスゴく反映してる。
●現代の「派遣切りで明日から住む所がありません」「日雇い派遣で食いツナイでますが、もうマンガ喫茶に住むのはイヤです」といった大大大大迷惑労働市場の状況を、ロックにして歌うヤツって実はいないよね…。誰か試しにやってみてよ? イマドキの薄っぺらい励ましソングや応援歌よりズッと痛快かもよ。ボクはホンマモンに安定剤抗うつ剤マミレの病気ヤロウだからさ、中途半端な励ましソングとか聴いてると、そんな小手先口先でひねったウタなんかでどうにかなるモンじゃねえ!舐めんなホンモノを!とか思っちゃうのさ。

●ちなみにヒヨコのママ友達、ミユちゃんママも、実家の県でユニコーン再結成ツアー公演のチケット獲ったとか言ってた。女子の方がこういうの真剣に取り組むよね。


比較的最近の奥田民生のシングルを聴く。

奥田民生「無限の風」

奥田民生「無限の風」2007年
●なんか今の原ジャパンは全然盛り上がってないような気がするけど、盛り上がりつつもカラ振った星野ジャパンは、この曲を応援ソングにして戦った。野球好きの民生にとってはイイ仕事だったと思うし、この曲もボクは好きだ。だって別に応援歌じゃないんだもん。

「荒野の上に立って 砂漠の上に立って 花のように咲いて ダイヤのように輝いて
 荒野の風になって 砂漠の風になって 確かに土を蹴って どこまでも飛ぶのさ
 あいつは風 口笛をふきながら」


●ソロ仕事は約半分くらいしか聴いてないんだけど、奥田民生の音楽は、ユニコーンの頃と違って、冗談めかした皮肉をロックでくるんだような曲も、奇をてらったヘンテコソングもなくなった。なんとなく人を喰ったようなトボケた曲はあっても、中途半端な励ましソングなんて絶対歌わない。ただ何事にもブレない生き方を淡々と差し示すような音楽になった。
奥田民生は、こういう大人になりたいと思えるアニキ像。彼の音楽は変わったが、彼とリスナーの距離感はそんなに変わってない。相変わらずボクらの一番ソバにいる。20年分キチンと彼は大人になり、ボクも大人になった。ソコだけしか変わってない。



さて、サチコとのランチトークはナゼか BOOWY にまで及ぶ。
「布袋さんってコワい人なんでしょ。オッキイしカオもコワいし…」サチコ、完全イメージ先行じゃん。でも、この前町田康と殴り合いのケンカしてスポーツ紙に載ったね…。コワいのかな?イヤイヤ、絶対ヒムロックの方がコワいよ。「そうかも…京介はムカシ「狂介」だったモンね」サチコ、お嬢のクセして豆知識が渋いよ。
●群馬の高校の同学年だったベースの松井常松氏、男子便所でヒムロック「バンドやるゼ」と言われ「うわーコワいからヤだけど断れねー」と感じたってエピソード、どっかで聞いた事ある。
GLAY の連中ですら、アリーナ級ライブで共演しながらも、楽曲コラボもしたいですと切り出せずにモジモジしたくらいヒムロックにはマジ緊張したって言ってたもんね。特に彼らは完全な BOOWY フォロワーだから「神」に見えるだろうな。


ここで BOOWY ~ヒムロック関連の音源を。

BOOWY「LAST GIGS」

BOOWY「LAST GIGS」1988年
●これもアホのようにカセットで聴きまくった音源だよな~。彼らのおかげで「ギグ」って言葉の意味を知ったです。そんな名盤も中古180円で買い直しちゃった。
●今聞くとギターソロのフレーズも全部覚えてる自分がいて感動。布袋寅泰のギターがあまりに奔放でやっぱり気持ちイイ。基本的にこのバンド手堅いけど地味なリズム隊じゃないですか。だから布袋さんがたった一人でサウンドを分厚くしてるんですわ。ライブだからオーバーダブしてるわけでもないのに、全然音が薄っぺらくならない。一人で弾いてると思えないよ。
BOOWY はテレビ露出なんてほとんどなかったバンド、ボク自身は実際に一回もテレビで見た事がなかったが、そんなアンダーグラウンドなバンドが「東京ドーム2デイズ公演」を果たし、それを最後に解散するという物語は、当時の中学生にはまさしく「リヴィングレジェンド」、いや「現代の神話」のように思えたモンだ。そもそも、「東京ドーム」自体がこの1988年に出来たばっかだったんだよ。「ビッグエッグ」とか言っちゃって。
●彼らに夢中にならなかったヤツは、「ビーバップハイスクール」「おニャン子クラブ」にも夢中になれなかった寂しいヤツだと思う。そんくらい強烈なユースカルチャーだったし、そのバンドの最後の花火だったこのCDは、宝石のような輝きを放ってた。



氷室京介「FLOWERS FOR ALGERNON」

氷室京介「FLOWERS FOR ALGERNON」1988年
ヒムロック、BOOWY 解散後のファーストソロ。これも180円で売ってたので買っちゃった。タイトルはダニエル・キイスの同名小説「アルジャーノンに花束を」からピックアップ。この本もリアルタイムの同時期に読んだ。高校一年生になった頃。イイ話だったなあ。
●後に作詞から遠のいていくヒムロックだけど、この頃は詞曲ともに自作。プロデューサーには「イカ天」の審査員だった吉田建が入ってる。「イカ天」見てた時は一体このエラそうなオッサンは誰なのだろうか?と思ってたけど、実は沢田研二「ストリッパー」とかを歌ってた頃のバックバンド エキゾティクス の中核的存在で、歌謡曲歌手になってた彼を80年代に再ロック化させた張本人。今はキンキキッズの音楽総監督だったりしてる。
●純粋な4ピースロックバンドだった BOOWY に比べて、多彩なアレンジでカラフルになった印象。凶暴なロックカリスマから、セクシーな「艶」シンガーの側面が強くなってる。最初のシングル「ANGEL」 BOOWY ファンも納得のタフなロックチューンだったが、シンセで脇を引き締めた新鮮さもあった。コレが「ヒムロック改」の進化形態だと全世界に表明。次のアルバム「NEO FASCIO」も含め、ヒムロックのシンセ使いは、ナゼか彼の世界観にSF/サイバーパンクなイメージを付け加えたような気がする。
●今の耳で聴くと、8曲目「STRANGER」のアレンジが POLICE「ROXANNE」まんまのニューウェーブ・スカビートで斬新。最終曲「独りファシズム」も50年代アメリカンオールディーズなワザありアレンジ。しかもリリックは泉谷しげるでした。


氷室京介「20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST “JUST MOVIN ON”~ALL THE-S-HIT~」

●氷室京介「20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST “JUST MOVIN' ON”~ALL THE-S-HIT~」1988~2008年
●あの「LAST GIGS」~ソロ始動からいつの間にか20年経ってしまいました。中学生だったボクは2児を抱えるアラフォーの入口に立ってるし。……でもヒムロックの牙は丸まってないんだわな…。スゴいね…。

しかし、そのキャリアは単純に順風満帆ではなかった。「自律神経失調症」発症。
●1993年。4THアルバム「MEMORIES OF BLUE」も先行シングル「KISS ME」ミリオン達成、ソロキャリアで最高の売上げ。しかし、この次のアルバム「SHAKE THE FAKE」の制作過程で、彼もボクと同じ「自律神経失調症」にかかっちゃった時期があったという。当時34歳。ボクとほぼ同じ歳の時に発症してる。スゴい偶然と湧き出る親近感。ヒムロックとボクの意外な共通項。

「R25」のインタビューに当時の心境を語ってる場面がある。以下引用。

「100万枚を超えて、当時自分が思っていたのは、“自分の音楽がどれだけの人の深いところに響いているのか”ということでした。“なんでそんなに評価されるんだろう”っていう疑問」
ー骨身を削って全力で己を追い込んで創造したものが、大多数に支持される不信感。そして“氷室京介”はある種のビッグプロジェクトになっていた。
「みんなが腫れ物に触るような感じで俺に接するんですね。三十何歳っていってもまだガキですよね―いまよりは若いという意味で。俺をプロテクトする人たちがいて、スター扱いする人もいっぱいいて。周囲に自分を映すものがなくなった。見渡しても誰もリアルな自分を映してくれない。俺が言ったことに“そうですね”って返すだけ。裸の王様になる危険をすごく感じていたんです。しかも、自分には音楽しかない。このままじゃ切符の買い方すら忘れるな、ヤバイな俺、って思ってた」

そして彼はロサンゼルスへ移住を決意する。そんで現在もロス在住。引き続き「R25」から。

ーアメリカ行きを決めたのは94年。PVの撮影で渡米し、そのまま所有していた別荘に居ついたのが始まり。きっちりと部署に分かれ、各々が自分の管轄でプロの仕事をきちっとこなす。アメリカのスタッフの働きぶりを見て即決した。
「日本にいて、自分が自分じゃない姿で周りと波長を合わせてたら、絶対後悔するだろうって思ったんです」

●あー、この辺がボクと全然違うわ。会社休職した瞬間にボクもロスとかサンフランシスコに移住してたら、病気早く治ってたかな?なわけないよな…。

●でも冷静だよね…「裸の王様」になる危険を察知する…それが自分の危機になると自覚する…自覚せずに「裸の王様」で突っ走る人はたくさんいるもんね、コムロさんとか。
●……!いやいややっぱ冷静なんかじゃないよ!この病気の微妙な苦しみを同じく味わってるボクとしては、当時の彼も「全部を投げ出しても失ってもイイから、とにかく避難!このトチ狂った状況から緊急脱出!パラシュート一つで飛び降りろ!」って気分だったに違いないと思える。プロモ撮りにアメリカ行って「オレもう日本帰らねえし!」はかなり周囲をビビらせたでしょうよ!
ヒムロックのようなストイックな人は、ギリギリまで自分を追いつめるタイプだろうし、自分に課すハードルもスゴく高いだろう。超病気体質だね。でも、アメリカ行きは治療のセオリーとしてはかなり荒技、つーか禁じ手に近い。問題解決の手段にもヒムロックは自分に厳しいタスクを課す方法を選んだんだ。覚悟もハンパじゃない。

ーアメリカに行ってしまうことで、アーティストとしては「いなくなるだろう」と思っていたという。それに対する恐怖感はあったけれど、「自分で選んだことだから、そこに向かって泳いでいくんだっていうことですよね」


結果として、ロスの外人ミュージシャンとの仕事を通じて、彼は再活性化。
●作詞方面では松井五郎森雪ノ丞松本隆など一流作家と組み、一定水準以上のヒムロックサウンドを維持。「EASY LOVE」ではラップまでフィーチャーしてるし、「うぃっしゅ」でお茶の間タレントになった竹中登元首相の孫 DAIGO(当時は DAIGO☆STARDUST という名前のソロシンガーだった)にデビュー曲「MARIA」まで提供。この曲は詞/アレンジを完全に変えた曲「CLAUDIA」として自分の持ち歌にもしてる。
●アルバムには BOOWY 時代回顧の気分を漂わせた「CASE OF HIMURO」というベスト盤に収録された BOOWY 曲の再録「CLOUDY HEART」(全然違う大人アレンジ)や、GLAY feat. KYOSUKE HIMURO 名義のコラボ作「ANSWER」も収録。GLAY完全に喰われてます。
●以前から聴いてみたかった KAT-TUN に提供した「KEEP THE FAITH」もセルフカバー。ハードでデジビートなトラックながら、意外とドラマチックな展開に欠けてしまってる印象。あくまで歌唱力に限界がある KAT-TUN に合わせて、メロディのレンジを狭く設定してあげたんだな……自分の楽曲だったらもっと激しく展開するよう作っただろうね。



●なんか知んないけど、BARBEEBOYS までもが再結成するらしくて、やはりヒヨコのママ友達が「絶対ライブ行く」と息巻いているらしい。まー、ソッチはボク的にはひとまずイイや。サチコも興味なかったっぽいし。


ノマドドローイング。「天狗のかくれミノ」。

てんぐ

●ヒヨコの幼稚園の発表会の演目が「天狗のかくれミノ」だってのにインスパイアされたんだと思う。ヒヨコの支離滅裂な伝聞でココまでイメージできたんだから立派じゃないか?


小学一年生、チビッコアウトロー、ノマドの生態。
●ある日、ガッコウの配りモノで「決められた通学路を歩かずに、家に帰る子がいます。安全のためにキチンと指導して下さい」と書かれていた。………つーかコレ、ノマドのコトだ。

●最近得意げになって帰って来る。「きょうはさいしょはツウガクロ、そのあとハジッコのミチにはいって、そんでまたツウガクロにでて、でまたハジッコのミチにはいって、そしてツウガクロにまたでたんだゼ!」ちょっとした冒険ゴッコだと思って笑ってスルーしてた。でも学校的にはコレはタブー行為だったらしい。不審な行動をとるノマドを怪しいと思ったのか、顔見知りの上級生のオニイさんが尾行してノマドの安全をチェックしてくれたというハナシまで聞こえてきた。しかしそんな尾行者にノマドは「オレはジユウにあるきたい!」と言い放ったという。

●おまけにママさん友達目撃証言では、「ピンポンダッシュ」までしてるという。おいおい「ピンポンダッシュ」ってなんだよノマド?「ピンポンしてない!ボタンをおしたんじゃなくて、さわっただけ!」………オマエ将来「手は握ったけどチューはしてないから浮気じゃない」「部屋には泊まったけどナニもしてないから浮気じゃない」とか言うタイプになりそうだな……でも世界はそれを屁理屈と言うんだぜ!

●ノマドの次なるマイクロ悪事は、ピアニカの演奏会で「吹いてるふりして音出さない」作戦だそうだ。これは演奏不可能と思った瞬間に「吹かなきゃ間違ってるのはセンセイにバレない」と悟ったらしい。この小悪党が!……でも思わず笑っちゃうボクがいるんだよな…。

でも笑えない場面もあるモンで。
●ノマドは、自分の宿題がうまくはかどらないと、ワイフに八つ当たりをして口汚いコトバを浴びせる瞬間がある。「うるせーな!△×○■!」そういう場面は看過できない。そんで下の写真がボクが一喝かました時の宿題プリント。「ママにそんな言葉使いをするな!謝りなさい!」と言っても頑として謝らなかったノマド、憮然としてヒトコトも言葉を発さないので、半ば呆れてたのだが、プリントのハジッコにこんな事書いてた。イジっパり。素直じゃないね~このオトコ。

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(「バカのまど」らしいです。)




そのノマドが今最高にハマっているのがカードゲーム「バトルスピリッツ」だ。


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●カードに書かれてるスピリッツ(「ポケモン」のカワイゲのナイヤツみたいなもん)や、魔法のカードなどと、コアという宝石を駆使して、一対一の対決をするゲームだ。キッカケは、このマーチャンダイズ連動アニメ「バトルスピリッツ・少年突破バシン」(テレビ東京)にヤツがハマったコトだ。日曜朝7時というクソ早いオンエアにも関わらず、イソイソと起床してテレビを見てやがる。

バシンlogo

バトルスピリッツ少年突破バシン (1) (ケロケロエースコミックス)バトルスピリッツ少年突破バシン (1) (ケロケロエースコミックス)
(2008/11/26)
藤異 秀明矢立 肇

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●おまけに最近は雑誌「ケロケロエース」に連載マンガや様々なバトスピ関連のふろくがついているので、ノマドはチョッピリのおこづかいを使いながら毎月購読するまでになってしまった。
●ちなみにボクは創刊号から「ガンダムエース」を欠かさず購読してるので、その姉妹誌の「ケロケロエース」を息子が買うようになったという状況に、遺伝という因果の根深さを思い知らされた。


で、この「バトスピ」、ルールが非常にヤヤコしい。
●ボクは「遊戯王」「ポケモン」もカードゲームの類いは全く縁がなかったので、最初はルールが全然理解できなかった。しかも「コアシステム」という青い宝石を駆使する仕組みは他のカードゲームにもない仕組みらしく、それがますます混乱させる。
●しかしカードを集め始めたノマドの周りに対戦する相手は存在せず、ボクが相手をしない限りヤツの投資はムダになってしまうので、頑張ってルール覚えました。多分、そんな思いをしているお父さんは、日本に今いっぱいいるような気がする。
●ルールブックは、構築済みデッキセットにも「ケロケロエース」ふろくにも公式サイトにもある。しかし読んでも全然ピンとこない。一番の近道はナニか?と申しますと、息子と一緒にアニメを見る事。主人公・少年バシンとそのライバルの戦いぶりを見てると、ゲームの全体の流れが把握できる。で「今のはどういう仕組みでバシンが勝ったんだ?」とか息子に聞いて、イメージを作ってからマニュアルのデティールに入ると分かり易い。

そんなんで、ボクとノマドはバトスピメイトである。
息子に黙って自分用にカード大人買いするホドになってます。そんでセカンドシリーズ「激翔」の紫色エックスレアカード「魔界七将デストロード」ゲトりました。大人げネエ父親だなあ。さすがにコレ見せびらかしたら息子泣きそうになったので、譲ってあげましたけど。


「2008 バトスピフェスタ」開催。

バトスピフェスタ2008logo

●結構前のハナシだけど、去年12月、池袋サンシャインシティで、こんなイベントがあったんです。たくさんの子供たち(&少々の大人たち)が集まって、勝ち抜き戦を行う大会。「ガンスリンガー」というらしいんだけど、7連勝すると豪華賞品がもらえるとか。どんだけ人が集まるか見当もつかなかったけど、スゲエ大盛況。ココでテロが起こったら親も子供も大混乱で死者1000人くらいいくだろうなとワイフは思ったそうな。

pic_festa08_02.jpg(スゴい人でしょ。コレみんなバトル中。)

そんでノマドも、自分の持ち得る最強のカードを携えて、いざチャレンジ!真剣に手札を睨んで作戦を考えてます!

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●しかし、ぶっちゃけノマドのような小学校1年生の参加者は多分最年少ランク。その中でもとりわけチビのノマドは完全に雰囲気に呑まれ、初戦をアッサリ敗退したのでした。ノマド、敗戦のショックで30分ほど半ベソをかく。ヘタレ……。


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しかし一念発起!「もういちどタタカッてくる!」と言って、30分待ちのバトル希望者の列に加わったのでした。こう見ると、ノマド、ホントにチビでしょ。親はバトル会場には近づけないから、遠くから見守るだけ。


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●比較的、我々親がいられるスペースの近くで勝負を始めたノマド。相手は小学二年生の男の子。ココからはナニやってるかは全然わからないけど……、


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おっ!ガッツポーズが出た!やった!初勝利だ!思わずカメラ担当のワイフも興奮して思わずピンボケ!
●……この後に対戦したのは小学5年生のお兄ちゃんで、年の差で主導権を完全に掌握され即座に敗北しました。さらにもう一回行列に並びバトルに挑んで結果破れるも、なんとか一勝を果たした達成感で最高に充実!よかったね、ノマド。


●一方、妹ヒヨコは……。

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ステージイベントにカブリツキでアニメソングライブを楽しんでいた。
「バトスピ」アニメでは、主人公バシンのライバルである、謎の女子カードバトラー・スイレンが、実は売れっ子の現役アイドル「マイサンシャイン」という素性をマスクで隠してるという設定があり(注・最近カミングアウトしました)、エンディングテーマも「マイサンシャイン」が歌ってるという体裁があるのです。(これ、藤子不二雄「パーマン」パーマン3号 a.k.a. パー子の正体が、アイドル星野スミレだというのと同じだよね。比較対象がオールドスクールすぎて恐縮だけど)
ヒヨコはこのアイドル「マイサンシャイン」が大好き。ステージイベントでは実際にこの歌「冒険記録」を歌ってる LITTLE NON というシンガー(バンド?)のパフォーマンスがあったんだけど、ヒヨコには本物の「マイサンシャイン」が登場したと思えたらしく、他の成人アニメオタク諸氏とともに、ノリノリのダンスでエキサイト。ゲームは出来なくても十分イベントを堪能したのでした。

冒険記録冒険記録
(2008/11/27)
Little Non

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●ジャケのオンナノコが「マイサンシャイン」。超ヒヨコ好みのキャラ。彼女と同一人物であるスイレンの方が、ボクはダークで好きだけどね。女性はヒミツがある方が魅力的です。

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●ちなみにオープニングテーマ担当は及川光博 a.k.a. ミッチー。今のノマドの最高のフェイバリットチューン。

GO AHEAD!!GO AHEAD!!
(2008/10/08)
及川光博

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●作曲が、GRAY TAKURO さん、アレンジが CHOKKAKUさんと、意外なほどカッチリとしたプロダクション。テレビサイズじゃなくてフルレングスで聴いてみたいのに、ハッキリ言ってドコにもこのCD見かけません。あってもさすがに定価じゃ買えねえし…。レーベルはランティスってトコだけどココってインディ?今回初めて知ったんだけど。

●……やっぱ、ボク、少し大人げが足らないわ……。ノマドとレベル一緒じゃん…。


自律神経失調症とのお付合い(その85)~「のび太くんのママとマジ激突」編
久々にブチ切れたのでありました。
●ボクは、基本的に温厚な人間なのですが、プンプンすることはまあまああります。ま、ニンゲンなんで、そりゃ当然でしょ。でもホントに我を忘れるほどにブチ切れるコトはほとんどありません。3~4年に一度くらいの頻度です。でも、今日、ソレをしてしまいました。


●メガネをワザワザとって、ソファを座り直して、相手のカオを睨みつけて、デカイ声で。


「オハナシの途中ですいません、一個言わせて下さい、リハビリに疲労しているとか、作業の負荷が高いとか、通勤がツライとか肩がイタいとか睡眠不足とか、そんなコトじゃないんです。ハッキリ言って、ボクのイチバンのストレスは、「のび太くんのママ」さん、アナタ自身なんですよ!」


一週間のリハビリ停止が明けて、朝一発目に顔を合わせて個室での面談。1対1での会話は毎朝の事だが、またヘンテコに話がコジレてきて、イイ加減にアタマに来た。そこに「どうしてそんなに感情的になっているの?そんなに冷静になれないんじゃ、まだリハビリ復帰は早いんじゃナイの?!」と来た。カッチーン!

感情的になるのは、アンタのせいだよ!アンタ以外にボクを感情的にさせる人間はこの世にいないよ!基本的に反論を許さない口調で延々と話を続け相手を説き伏せる看護師「のび太くんのママ」さんだが、ムリヤリカットインして、ズーッとココロにたまってた鬱憤をバーッとブチマケた。そっからはノンストップでボクがしゃべり続けた。

●リハビリの進行や停止に対して産業医やカウンセラーこそがイニシャティブを持つはずなのに、彼らが持つ情報は全て「のび太くんのママ」発の情報で、結果実質上イチバン重要な立場にいるコト、「のび太くんのママ」さんにその自覚があろうがなかろうが、まるで「生殺与奪」の全権を握っているようにボクら患者に対して振る舞っているように見えてるコト、コチラがそう捉えている以上、永久にボクはアナタのご機嫌取りをし続けなくてはいけないのか!というコト、ソレが結果としてボクの最大のストレスになっているというコトを、事細かに言い並べた。


「先週も、産業医のセンセイと話をするつもりで会社にちょっと出てきた時も、ホントはアナタの存在が一番のストレスなんだと言いたかったんです。なのに、「のび太くんのママ」さん、なぜか診察室に入ってきてボクのトナリに座っちゃったじゃないですか!ボクはアナタのいない所で相談がしたかったのに………」
「ボクはこんな風に直接こんなコト言いたくなかったんですよ。でももう我慢ができません!そんな風に、復職にはまだ早い、リハビリはまだ不十分だとか、テキトウに毎日軽々しく言われてたら、コッチはどんだけ神経すり減らす事か…」



アレコレ言ってて、スカッとする反面、なんだか悲しくなってきた。
●正直、もう我慢の限界だったのだ。コドモが見てるアニメ「ドラえもん」に本物ののび太のママが登場するだけでムカムカしてくるほどだったのだから(ムゴい事にカオだけじゃなく声も似てるのだ。「のびちゃん、宿題やったの?!」)。

一方で、ボクはこの人と知り合ってもう5年くらい経つ。自律神経失調症になる以前から、それ以前からの持病の気管支ぜんそくのコトとかを相談したり、過労でクラクラする時にベッドを借りて点滴を打ってもらったり。少なからずお世話になってきたという思いがある。この人はハイパーお節介で社内でも有名だが、それが看護師としての使命感と善意から出発している事も知っている。多少なりとも恩を感じてた人にそこまで苛立ちを抱えてしまうコト自体が、ボクにとっては苦しいコトなんだ、と、感情的に言葉を積み重ねていくうちに気付いてしまった。

●ボクの言葉が一息つく頃には、「のび太くんのママ」さんは落ち着いた表情で、「わかったわ、極力ワタシは接触しないで、産業医のセンセイに間に入ってもらいましょう」と言った。「医療の場面ではよくある事だからダイジョウブよ」冷静を装ってても寂し気な表情が見て取れた。………「ボクはダイジョウブじゃありません。「のび太くんのママ」さんにこんな事言うのは、ボクにはツライ事です」


朝ッパラからかなりヒートアップしてしまったので、今日一日はかなり腑抜けた。
●なんか罪悪感にドスーンと沈んでしまった……こういう感情も病気のウチなんだろうけど…。しかし、ボクの上司N女史にこの朝の一件を報告したら「うん、ちゃんとジブンの気持ちを言えてよかったじゃないの」とケロリとしたリアクション。「あの人には私もイロイロ感じる事はあるわよ。アナタの件以外でもね。今朝だって忙しいのに呼び止められて……無理に我慢せず、キチンと距離が置けるようになったんだから、よかったわ」……ああ、そういうモンですか。

●オマケに産業医のセンセイまでがこんな事を言う。「いやー、先週オカシなコトになったって聞いた時は、薄々そんなコトかな~と思ってたんだよ」えー!センセイ気付いてたんですか?「あのヒトはああ言う性格でしょ、しかも悪気ないし。で、キミはマジメだから全部真に受けちゃう」そういえばルームメイトくんもよくモメテタなあと、センセイ回想してみたり。「ちゃんとジブンの気持ちを言えたのは良かったコトだよ。これでスッキリして、リハビリに取り組めるでしょ」

●つーか、周囲の人全員がヤバいと感じていながら、それでも誰も止めない止められないってどんだけアンタッチャブルな存在だよ。「世の中イロイロな人がいるでしょ。コレもリハビリの一環と思ってね、なんとかウマくね、かわすというか」ちょっとセンセイ、まとめがソレかよ!いや、センセイ自身もあの人の至近距離でなんとかウマくかわしてるクチなんでしょ!もう、早く復職させてくれー!こんなトコロで人間関係で詰みたくない~!


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html



●カンケイないけど、一応音楽のハナシを。ブログの主旨あくまでソッチだし。
●100円でまたへんなCD買ってきた。

BLOND SAURUS(紙ジャケット仕様)BLOND SAURUS(紙ジャケット仕様)
(2007/09/19)
レベッカ

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REBECCA「BLONDSAURUS」1989年
●なぜ今レベッカ?!マジでジブンでもそう思う。しかも解散前のラストアルバム。馴染みあるヒット曲も特にない。
●たださ、レコ屋でボケーッとジャケ裏見てたら、クレジットに「CO-PRODUCED & MIXED BY FRANCOIS KEVORKIAN」って書いてあるじゃん。コレって、フランス出身の大ベテランDJ、FRANCOIS K. の本名じゃね?こんな仕事してたのかよ!?……というコトで購入してしまいました。調べると FRANCOIS K. は70年代末からクラブシーンでキャリアを起こし、80年代はスタジオワークを中心に、U2、DEPECHE MODE、MICK JAGGER などのメジャー仕事を手掛けてて、DJ活動を本格化するのは90年代に入ってからなんだね。そっからは、第一線のハウスDJとしてプログレッシブ/テックハウス系のパーティを展開しまくってる。
●しかし冷静に考えて見ると、ボクは FRANCOIS K. の音源もミックスCDも持ってないので、FRANCOIS K. のご利益は全く理解できず、ラジカセからはただのレベッカが流れて来るだけなのでした。別に特別ハウシーな所なんてないし。
●ただ、改めて REBECCA ってバンドを聴いてみるとちょっとした発見も。このバンドは女子ボーカルのロックで NOKKO さんの特殊キャラだけに耳が向きがちなんだけど、実はリズム隊がスゴくジャストでタイトな80年代風ファンク。つまりあえて密度感を薄くしてスカスカさせてるんだけど、実はドラムがスゴく粘ってて高性能なダンスグルーヴを作ってて、その上で音バランスのフォーカスを NOKKO さんに集中させてるバンドなんだなと再認識。よく計算された音楽だったんだと思い知るのでした。

Masterpiece: Mixed by Francois KMasterpiece: Mixed by Francois K
(2008/01/28)
Francois K

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FRANCOIS K. の近作。聴いてないから内容知らないけど。


このDVDは、メル友ヨーコさんに借りっ放しの物件。
●もう返さないと…と思ってるんだけど、既に何回も見てしまっている。コドモたちにも見せてしまった。なんてキレイなドキュメンタリーだろう。スゴく幸せな気持ちになる。それは、このDVDの主人公、画家・奈良美智さんという人物が、スゴくキレイな人だからなのだろう。

NARA:奈良美智との旅の記録 [DVD]NARA:奈良美智との旅の記録 [DVD]
(2008/02/22)
展示会に携わったボランティアのみなさん奈良美智

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●DVD「NARA:奈良美智と旅の記録」
目つきがワルい、チビッコのオンナノコ。何度も何度もこのモチーフを描き続けているこの画家は、90年代末以降、日本の現代美術を村上隆らと共に全世界へ発信した「巨匠」だ。日本のマンガチックなデフォルメ感覚を現代美術のフィールドに高めて世界に知らしめた功績は、まさしく「スーパーフラット」村上隆と同じだが、制作のスタンスや手法は全然違う。その事もこのDVDでとてもよくわかる。


初めて奈良美智の画を見たのは、もうカレコレ十年以上前になると思う。
●その画風から、当初ボクは勝手に自分とほぼ同世代の人かちょい年上くらいかと思った。ところがどっこいよく調べたら、グーッと年上のオッサンなんですよ。だって、今年この人50歳だよ!村上隆なんてボテボテのオッサンだけど、この人より年下よ!
そんなイイ年コいたオッサンが、なぜ、いつまでも子供の画にコダワリ続けているのか?そしてなぜカレの描くオンナノコは、コチラを敵意むき出しに睨みつけているのか? 長く長くギモンに思ってたし、理解が出来ないと思ってた。


村上隆の、強烈にアイロニカルな作風、次から次へと登場するニューキャラクターに愉快さを感じていたボクが、基本的にいつも同じ画ばっか描いている奈良美智の方に関心が移っていったのは、娘ヒヨコの誕生がキッカケだ。彼女が育つにつれ、どんどん奈良美智のオンナノコにソックリになってきたからだ。あのシモブクレで目つきがワルくて、時に無愛想で、ナニ考えているのかわからないイキモノに、娘が近づいてきた。

ひよこ&なら

3歳当時の娘ヒヨコと奈良美智の作品の一枚。どうだろう、ボクには他人に思えなくなっていった。

言葉もおぼつかない頃の幼いヒヨコは、確かにエイリアンだった。しかし6歳になった今のヒヨコは、十分に自分の感情を日本語で表現し、ある意味で「言葉の通じるニンゲン」になった。だから、既に「奈良さんが描くオンナノコ」の時期は通過してしまったと思う。

奈良の描くオンナノコたちは、今だ「言葉の通じないエイリアン」のようなモノ。あのワルい目つきは、どうしようもないコミュニケーション不全と相互理解への不信感、そしてなりよりも「孤独」を示していたのだと思う。そして画を見るボクら側も、あの作品に、理解の及ばないモノとしての奇妙な不安を感じさせられてた。作家・奈良の胸の中には、50年もの人生の間、一貫してそんなエイリアンが住んでいるのだろうか…。
●ボクはそんなギモンを抱いてこのDVDの世界へノメり込む………。



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DVDでハニカんだ表情を見せる作家・奈良美智は、若い!
●黒目ガチの二重の瞳に、柔和な笑顔、モジャモジャなクセっ毛、故郷・弘前のイントネーションを隠さずに、静かにゆっくり言葉を選んでモノを語る彼は、「巨匠」という言葉とはかけ離れた、謙虚で慎ましい印象を感じる。一方で、いつも趣味のイイロックTシャツを着てて、ストレートのジーンズをすとーんとはきこなしている。自分が50歳になった時、こんなであったらウレシいな、と素朴に思った。

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●結婚もせず、スカスカで寒そうなプレハブ二階建てのアトリエで制作に打ち込む彼の生活は、まさしく美大生のノリのママで、20代の青年がそのまま時計を止めてしまったような未成熟さが残ってる。たった一人で壁に貼った大きな紙に立ち向かい、刷毛を握って制作に取り組む。その現場、その息づかいがこのDVDでは剥き出しに記録されている。「画家」という生き物を初めて見せつけられたような気分だ。年齢が先入観になって、彼の個性を屈折させてたボクが浅はかだったと反省させられた。



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そんな彼の作品に、実際に幼いオンナノコが「自分の味方」の匂いを嗅ぎ取っていた。
●ソウルでの展覧会のエピソードに、心が締め付けられる気持ちになった。夜バーで行われたファンミーティングでは、若い女性が憧れのアイドルに会ったかのように奈良を囲んでいた。「結婚の予定は?」などの質問に苦笑する奈良に、ハッとするような内容の手紙が読み上げられた。


「オジさん、ワタシはセヒです。ワタシは七歳です。どうやってそういうことをおもいついたのですか?…ホントにスゴいです。ヨシトモアジョシ、ヨシトモアジョシ、カナしい時はオジさんのなまえをよびます」


●その少女セヒは、家族の事情で5歳になるまで両親と一緒に暮らせなかった。両親と暮らす今でも、都会暮らしを窮屈に感じているよう…。そんな彼女がこのイベントをキッカケに、我慢強く胸に秘めていた想いをハッキリと母親に明かす。「おかあさん、ワタシ実は、画家になりたいです」離れて暮らす母親に対する恋しさを何年も黙って堪えてきた子供の、絞り出したような言葉。イベントで奈良に気持ちを打ち明けたコトに驚いた母親は、初めて娘の気持ちと素直な気持ちで向き合えるようになったという。…イベントの後で呟く奈良

「アソコでボクの画を純粋に見ていてくれたコは、あのちっちゃいオンナノコだけだよ…本当に」


国境すらを超えて「孤独」に沈んだ少女に響いた、彼の純粋なメッセージ。
●彼自身にとっても、自分の子供時代、そしてその時に感じた「孤独」が創作の根本のようだ。外国メディアを相手にしたインタビューの受け答えが象徴的。たどたどしい英語でゆっくり答える奈良


ーあなたの原点はなんですか?ドイツに留学に行っていますが…
「日本で美大を卒業した後、海外、日本の外へ出ようと思ったんです。」
ードイツの学校で何か影響を受けましたか?
「な、ないです。ガッコウは…」
ー先生の名前は?
「ボクにとっては重要じゃない……教授には8年間で4回しか会ってません……自分にとって重要だった事は、孤独な時期を過ごしたということです。まるでボクの少年時代のように。空は灰色で…寒くて…ひとりぼっち。言葉はうまく話せないけど、考えている事はイッパイいっぱいある。それを言葉で表現できない、まるで子供のときのように…」



彼のキャリアをウィキでさっと調べる。
●生まれも育ちも青森・弘前市。彼がどんな少年だったかはこのDVDでは具体的には語られない。しかし、きっと内気で誰にも理解されず打ち解ける事のできなかった子供だったに違いない。彼の初期の作品は常に他者に牙を剥いていた。時にロックのチカラも借りて「孤独」を抱きしめ「孤独」に怯えていた。たとえ見た目がカワイく見えても。

武蔵野美術大学を一年で中退し、その後愛知県立芸術大学で、学士/修士課程を終了。1988年、29歳にてドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに留学。海外で12年を過ごすうちにジワジワと評価を高め、帰国したのは2000年、41歳の事だった。ソレまでは、遠い異国でたった一人、「孤独」な世界を生き、「孤独」な作業で作品を描いてきた画家。若い青年のような無垢な印象は、自分の少年時代の根源を、それだけをずっと長い時間をかけて見つめてきた、その証なのだと思う。

●日本に帰ってきた時、自分の画が意外なほど知られている、美術の世界の人たちだけじゃなく、ソレ以外の人、若い女の子たちまでが知っている、奈良は感じた。それに気付いたときはウレシいと思ったが、だんだん知られている事、美術の専門以外の人に知られている事、それがプレッシャーを感じるようになったという。


その時思いついたアイデアが、「小屋」だ。
ギャラリーの中に小屋を作って、まるでアトリエのような空間を作る。落書きのような無数のスケッチが壁を埋め尽くす。「人から見られるもの」「人に見せるもの」という場所から、「自分のいるべき確かな場所」へと帰りたかった、という思いに気付く。それを象徴するのが「小屋」だったのだ。小屋の中は、ホンモノの奈良の居室のように作業テーブルがおかれ、制作のための道具がブチ巻かれてる。(息子ノマドはそれを見て「セイトンしてるつもりでもグチャグチャしてる、パパのヘヤみたいだ」と言いやがった)

●それ以降、彼はギャラリーの中に、数々の小屋を作るようになった。小屋作りのためのパートナーも出来た。大阪を拠点とするデザイン集団「graf」のメンバーたちだ。彼は、たった一人の制作から、仲間との共同作業へと、一歩足を踏み出していく。共に目的を達成する喜びを知るに至る。「孤独」な少年が仲間を得た瞬間だ。


「小学校とか中学校とかで、初めてトモダチが出来たコトを思い出して欲しい…完成した喜び一人の時よりも倍増する。みんなで分かち合える。みんな知ってる事かも知れないけど、ボクはそれを知らなかった。そんなうれしさがあった。」

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その経験の果てに企画されたのが、彼が故郷で取り組んだ大型プロジェクトが「A to Z」だ。
●自分の中の全て、つまり A から Z までを全て出力し、アルファベットの数、26棟(またはそれ以上)の小屋とその中を埋め尽くす作品を作る。故郷・弘前にある赤レンガ倉庫に、架空の街が出来上がるのだ。当然今までで最大規模。地元・弘前大学の学生にボランティアを募り、いつしか全国からボランティアが集まるようになってた。奈良にとっても巨大な挑戦だ。


「例えばこうやって「A to Z」という仮にゴールを決めることで、ボクらも全力を出すことが出来ると思う。ここまで大掛かりなのはナイと思う……ここまでみんなで協力して作るのはもうナイと思う。」


奈良の画風が徐々に変わっていくのがわかる。
あのキツい目つきの生意気なオンナノコたちは、澄んだ瞳を大きく丸く開いて、シッカリと前を向くようになっていた。世界と正面から対峙する事を選んだのだ。

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「やっぱ人と関わる事が多くなって来てさ最近……そしたら、昔みたいな、なんかあんまりヒネクレタ子供とか描かなくなっちゃったんで……なんかもっと、孤独は孤独でも…あんま刹那的な感じじゃなくて、深い…ちょっとは深い感じの画とかになってきたかなと思ってて。」
「それって自分の作品が作品として進化したんじゃなくて、ジブンが人間として人と関わる事を覚えていった、からそうなったわけで……なんかそれが、作品としてイイ方向なのかどうかってのは、わかんないけど。」
「ただ、昔描けなかったものが描けるようになって来てるようになってきているのは確か。でも、昔描けたものが描けなくなってるのも確か。でも、いつまでも同じのを描いているよりはさ…」




奈良美智、50歳にして今だ子供であり、思春期を生きてる。世界と自分の距離感を、ジックリと測りながら居場所を探し続けてる。実は彼は現代を生きるピーターパンなのかも知れない。が故に、彼の画は無垢で、純粋で、どこか脆く儚い。ソレに人は、そしてボクは引き寄せられる。

そんで、ウチのコドモたちも、もう彼の熱烈なファンになった。
●ヒヨコが「ナラヨシトモさん!」とか口走るようになったから。一枚一枚の作品を観ながらイチイチ反応する。「あ、このコ、ないちゃってるよ……このコはケガしちゃってる。このオンナノコのおニンギョウもナラさんがつくったの?」一つ一つの作品に、まるでトモダチのような親近感を感じてる。包帯でぐるぐるになってる少女のモチーフはボクから見れば彼の常套パターンの一つだと思うのだけど、ヒヨコはまるでトモダチのコトを慮るように、細かく心配する。「ナラさん」は幼いオンナノコの味方だが、ヒヨコのようなオンナノコも「ナラさん」の良き味方、仲間になれるのだ。



奈良美智がロック好き、とくにパンクが好きなのはほぼ間違いない。蛇足のようだがここにも注目。ほら、ボクは音楽の趣味で人のコト測るトコロもあるから。新人スタッフとかにはボクに「で、どんな音楽聴くの?」と聞かれたヤツ多いと思う。
●彼は創作の時もロックをステレオで鳴らしてたし、壁には RAMONES のポスターも張っていた。ダイノジのエアギターとコラボしたガレージバンド JET のトレーナーを着てる時もあった。音楽好きのボクとしては、この映像に乗せられたBGMもチェックせずにはおれない。エンドクレジットから拾ったアーティストの名前を最後に列挙しておく。

少年ナイフ :言わずと知れた大阪出身の女子3ピースロックバンド。SONIC YOUTH にフックアップされて世界的知名度を得る。ジャケットに奈良を起用している。
bloodthirsty butchers  :北海道出身のオルタナティブロバンド。90年代には積極的にアメリカツアーを敢行し、国内外で高い評価を得る。やはり奈良がジャケを手掛けている。
・eastern youth :やはり北海道で結成されたハードコアバンド。独特の日本語詞で日本のエモシーンの先駆を担う存在
ANN ARBOR :芝ちえこという女性のソロユニット。チャーミングな声とメロディが印象的なポップスでくるりなどに影響を与える。大阪を拠点にライブを行っていたが現在は活動休止。
ogurusu norihide :京都を拠点とする、ピアノを基調としたエレクトロニカ・アーティスト
DIE GOLDENEN ZITRONEN : ドイツ・ハンブルグで、1984年に結成されたオールドスクールなハードコアパンクバンド。映画のオープニングチューン。

HAPPY HOURHAPPY HOUR
(1998/06/24)
少年ナイフ

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ギタリストを殺さないでギタリストを殺さないで
(2007/05/16)
bloodthirsty butchers

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自律神経失調症とのお付合い(その84)~「疲れた。今週はリハビリ停止だ」編
●もう説明もしたくないような、おせっかいと勘違いと猜疑心のおかげで、今週は会社に行けてない。まあ正確に言えば、火曜におかしくなって、水木金と会社に行けなくなった。看護師「のび太くんのママ」とうまく行ってない。職場の誰とも気持ちよく接する事ができるのに、この人の存在がイチバン僕にとってストレスになってる。


ボクもイラツく場面が続けば、ムダにエネルギーを消耗する。木曜日、疲れと肩凝りがヒドくなって、あわてて東銀座の鍼灸院に行った後、会社診療所に電話をしたら、3週間くらいリハビリ停止をするという運びになってた。産業医のセンセイが戸惑いながら電話でボクにそう説明する。「ボクもハナシはよく飲み込めてないんだけど、なにやらキミの症状がオカシくなってるんじゃないかというコトで…」看護師「のび太くんのママ」がボクの所業についてアレコレ大騒ぎしているのが手に取るようにわかる。「あの、今から会社に行ってイイですか?昨日心療内科の診察も受けたし、家族とも話をしたので。」
●産業医のセンセイ、「のび太くんのママ」、そしてボクの三者で冷静に話し合って、会社を休むのは今週だけになった。結果として来週からはフツウのルーチンになる。金曜日、つまり今日出社を控えたのはボクの希望だ。あまりにサイアクな気分なので、休ませてくれと言った。ちょっとしばらく、あの「のび太くんのママ」のカオは見たくない。来週は月曜が横浜へのデイケア通院、そして水曜日が祝日だから、「のび太くんのママ」のカオは比較的見る回数が減る。それだけでホッとする。

●リハビリは当分足踏み状態が続くだろう。ルームメイトくんは順調に回復し、多分今月中には完全復職する。一方ボクは、4月くらいまでこんなノリを続けているような気がする。なにがどうしたのかわからないが、とにかく疲れている。まるで余裕がない。ふう。



そんな状況下で、ちょっとした癒しになっているのは、漢方薬だ。
心療内科で、肩凝りや筋肉の緊張がツライと訴えて、出してもらったのが漢方薬だ。ツムラの漢方薬で、ホンモノちっくなヤツとは違うけど。漢方薬の名前は難しいので、ツムラの薬包には正式名称と共にナンバーがついている。「ツムラ1」「葛根湯(カッコントウ)」「ツムラ47」「釣藤散(チョウトウサン)」「ツムラ68」「芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)」。フリガナも当然ついてる。漢字だけじゃ読めないもん。まあ、そんなで、この三種類を状況に応じて飲み分けている。

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漢方の飲み方を教わる。
●今までも「葛根湯」くらいは飲んできたが、フツウの粉クスリと同じように口にサラサラ注ぎ込んで水で飲み下していた。実は、漢方薬はそうやって飲むモノではないらしい。
●漢方薬は、動植物など天然の素材から成分を抽出しているモンだ。で、本来は、その天然成分をお茶のようにお湯に煎じて飲むのがレギュラーだ。ツムラはその天然成分を保存も服用も簡便な顆粒にする事に成功した企業であり、あの顆粒は漢方としてはイレギュラーな形態というわけだ。ふーんなるほど。
●だから、このツムラのクスリたちも、お湯にといて飲むのが良いらしい。心療内科のセンセイ曰く「アチチってほど熱くて飲めない状態と、簡単にごくごく飲めちゃう状態の、ちょうど中間の温度のお湯に、クスリを入れて良くかき混ぜ、ゆっくりヒトクチづつ飲む。いい?わかった?」基本は食前、食間。空腹時の方が吸収にいいらしい。「それとね、もう一つ。こりゃマズい!ニオイがたまらない!というモノがあったら、無理して飲まないように。カラダは正直だから、合わないモノはキチンと察知して反応するから。美味しいと思って飲めるモノがアナタのカラダに合ってるの」


「葛根湯」は、風邪の引き始めに効果があり、カラダを温めリラックスさせる作用がある。
うーむ。ウマい。最初に処方されたこのクスリで、漢方ティーブレイクはボクの大事な憩いの時間となった。たとえ外のカフェでコーヒーや紅茶を飲んでいても、夕方になったら白湯をもらって、漢方ティーブレイクをする。実にリラックスできる。そして美味しい。……でも、肩の懲り、背中の筋肉の痛みに効果があるかというと、ハテナだ。効いてるか効いてないかわからない。

「釣藤散」。「葛根湯」が効いてないっぽいんですけど…というボクの訴えに応じて、センセイがクスリのハンドブックみたいなものをめくりながら選んでくれたクスリだ。
●センセイが効用を読み上げる。「中年以降の慢性的な頭痛や頭重感に適応します。とくに、起床時から午前中にかけての症状によいようです。そのほか、高血圧や動脈硬化にともなう諸症状、たとえば、頭痛、めまい、耳鳴り、肩こり、のぼせ、抑うつ、不眠などにも用います。体力が中くらいで、冷えのない人に向く処方です」はあ、あの、異存は全然ないんですけど、冒頭の「中年以降」ってヤツにハイパーひっかかりを感じるんですが……ああ、ボクはもう中年の仲間入りか…。
●コイツはナカナカキレイにお湯に溶けない。「葛根湯」に比べると味はイマイチだが、飲めないほどじゃない。かき混ぜるティースプーンで、解け切らなかった顆粒をウマくすくって飲み干す。でも効果はイマイチだね…。ちなみに、漢方はむやみやたらに併用するのはよくないので、現在メインの「釣藤散」を飲んでいる限りは「葛根湯」はお休みだ。

「芍薬甘草湯」「こむらがえり」に効くクスリだ、と説明された。え、こむらがえりって、あの、足がツッたー!ってヤツのことですか?そんなもん、数分ガマンすればある程度落ち着くもんじゃん。そんなモノのためにワザワザクスリを開発したとは、中国東洋医学とは不思議なモンだ。
●ただし、その痛みに対し、数分の間に決着をつけてしまうほど強力な即効性がある。痛み止めとしては、こむらがえりに留まらず、胃痛や腹痛、胆石や尿路結石による痛み、筋肉痛や神経痛、腰痛や肩こり、生理痛など、いろいろな痛みに広く効くらしい。その代わり、効果が強力なだけに、あくまで頓服用で飲み過ぎはダメ。コレは我慢が出来ねえ!って時だけ飲め、とされた。
●夜中に、激痛が走り、どうしても寝てられない時に、このクスリを飲んでいる。実はこのクスリがイチバン美味しい。「甘草」と言うだけあって、アマーいハーブティーのようだ。熱めの白湯でこの甘いクスリを飲むと、5分ほどで痛みがやわらぐ。不思議なほどに。


先週の横浜・精神科デイケアでは、節分の催しがあった。
若手スタッフのお兄さんが、オニのコスプレをして登場、ボクらは力一杯カラーボールをオニにブツケて楽しんだ。オニは、全身にガムテープを巻き付け、ハエ取り紙のように付着面をオモテに出すカッコで貼付ける。ボクら患者は、チームに分かれてカラーボールをオニに命中させ、テープにくっつくボールの数を競うのだ。全員がムキになって本気で投げるので、三回戦目ではオニが逆上してテープに絡まったボールをもぎ取り、患者チームに本気で投げ返してきた。うん、オニにふさわしいヒールっぷりで大変ヨロしい。いい節分だった。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html

先日、娘ヒヨコが6歳の誕生日を迎えた。
●そんで、ヒヨコはワイフと共に事前に誕生日プレゼントを吉祥寺に買いに行った。のだが、なんとヒヨコは「プレゼントが何であるか知らない方がドキドキするからナニを買ったか忘れる!」というのだ。自分で欲しくて店頭で選んだプレゼントを忘れるってムチャな話だが、このムスメはスゴいコトに、ホントに忘れた。「たんじょうびのプレゼントなにかな?たのしみだな~」とか言ってる。コイツすげえ。ホンマモンのバカじゃなかろうか。

●そのプレゼントとやらがコレだ。

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●どーん!「シルバニアファミリー・あかりの灯る大きなお家」!これデカイのよ!
●そんでオープン!

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●おウチを開くと、メイッパイの家具とお人形が出て来る。このお人形と家具たちは、お年玉をハタイてヒヨコが自分で買い足したパーツ。コレが超細かいのです。

●二階部分。

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●コドモ部屋と赤ちゃん部屋になってます。コドモ部屋には学習机とランドセルに地球儀。えんぴつとえんぴつ削りまである。赤ちゃん用には哺乳瓶は当然、カワイいくまさん型ガラガラなども完備。ベビー用カーペットもフカフカ。

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●そんで二階のハジッコにはバスルームも備えてます。猫足のバスタブ、シャワー、シャンプーセットからスポンジ、石鹸、バスタオルや足拭きマット、おフロの中で遊ぶイルカとクマさんのオモチャもあります。

●一階も立派。リビングルームがあって…。

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●システムキッチンがあって…、

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●寝室と洗面台、トイレがあります。二階建てベット!

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●トイレも細かい。フカフカのマット、トイレブラシ、トイレットペーパーは替芯もあります。

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「シルバニア」シリーズはこうして実に細かいデティールのキットを用意しており、ソレを買い足すとドンドン楽しくなる訳で、ヒヨコはお人形の洋服まで買って、着せ替えまでしてます。着替えをいれておく衣装タンスまであるから気合いが入ってます。

「ヒヨコ、こんどのクリスマスには、サンタさんに『スモールライト』をオネガイしようとおもうの!」………オマエ、さては小さくなってココで生活するつもりか…? はーいヒヨコ6歳、もうすぐ一年生、スクスクと天然オバカキャラに成長しています。


しかし、驚異の天然キャラがもう一人我が家にはおります。わがワイフです。

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コレはナニをしている様子と思います?
●実は、この「シルバニア」のおウチに、壁紙を貼っているのです。もう一回今までの「シルバニア」の写真を見て下さい。本来はプラスチックの素材色がそのままだったこのおウチを、このケバケバしい壁紙でデコラティブに仕上げたのは、ワイフの夜なべ作業なのです。

ビクトリア

「VICTORIAN DECORATIVE PAPERS FOR DOLLHOUSE AND CRAFTWORK」
ワイフは、実はドールハウスが大好きで、ワザワザアメリカからこんな壁紙を個人輸入で取り寄せたりする人間なのでした。これは一冊のホンのようになっており、6種類の模様の壁紙が全部で24ページ分あるのです。ココから必要な分だけ切り取って、ドールハウスの壁に貼付けるのです。この他にも単品の壁紙を何種類も隠し持ってました。ボクは全然知らなかったけど。
●ウチのワイフ、結婚してからは、無限にカネと手間がかかるドールハウスから遠ざかっておりますが、実家にはかなり立派なドールハウス(幅1mくらい高さ3階建て)がドスンと鎮座しているほどです。しかし「シルバニアファミリー」の細かいデティールに、かつてのドールハウス魂が再燃したようで、精密に寸法を測っては丁寧に壁紙を貼ってしまったのでした。しかも夜なべ作業で朝4時くらいまでそんなコトをしているのです。マニアとしかイイようがないでしょう。


ボクが気になるのは、この壁紙が「ヴィクトリア朝」時代をモチーフにしている事です。
「ヴィクトリア朝」時代とは、1837年~1901年のイギリス、ヴィクトリア女王が統治していた時代を差します。つまり、大英帝国が全世界に覇権を確立してた黄金時代です。世界中に植民地を持ち、工業化を進め、議会制民主主義を推進し、独特の文学/美術を生み、いわゆる「イギリス紳士」のスタイルを確立させた時期。多分、彼の国の人々が「古き良き時代」と懐かしむような時代のはずです。

●ほんで、素朴なUKロックファンのボクとしては、このテの壁紙は、労働者階級出身のロックスターが、少年時代を触れたであろうオンボロのオバアちゃんの家に、半ばカビとシミだらけになって貼られていた壁紙を連想させるのです。
●19世紀にはロンドンに次ぐ大都会だった貿易港リバプールの小僧だったビートルズのメンバーや、やはり19世紀には綿織物を中心に栄えた工業都市だったマンチェスターの連中にとって、ヴィクトリア様式のモノって、幼い頃のおばあちゃんチ的な原風景として絶対アタマにコビリツイているはず。その証拠に、UKロックバンドのプロモって結構な頻度でこんな壁紙が背景に登場して来る。よーく見て下さいな、例えば、BLUR「SONG2」、MASSIVE ATTACK 「PROTECTION」。あと映画で言うと「リトルダンサー」とか「ハリーポッター」とかかな。炭坑街の古びたレンガ造りの家にリトルダンサーの少年は住んでたし、ハリーポッターの意地悪な親戚ダーズリー一家もこんな家に住んでたような気がする。
畳やふすまや障子そして縁側が、日本人にとって原風景であるように、イギリス人にとって、この大柄なケバケバしい壁紙はノスタルジックを掻き立てるイメージなんじゃないか?ドールハウスが目指してるのはそんな郷愁であり、イギリス人のココロの故郷といえるのではないだろうか、と、ふと思ったのです。


●そんで、ハナシは大幅に飛びますが…。



マンチェスターのゲットーからやって来たこの労働者階級の息子ドモも、絶対こんな壁紙に囲まれて暮らしてたに違いないと、ボクは思ってしまったのです。

OASIS「DIG OUT YOUR SOUL」

OASIS「DIG OUT YOUR SOUL」2008年
●彼らが敬愛して止まない THE BEATLES のサイケ感を必死に追跡しようとしてる気分が、ボクの中では過去へのノスタルジー志向に聴こえてしまって、より一層「古き良き大英帝国」の痕跡みたいなモンをこの音にイメージを重ねてしまったのです。2曲目のアウトロとか「DEAR PRUDENCE」そっくりだし、3曲目のイントロは「COME TOGETHER」を連想させる。6曲目のイントロ(&ノイズ)とドラムパターンは「TOMORROW NEVER KNOWS」かな?7曲目のシタールめいたギターとタルイメロディもサイケ路線のツモリでしょ。
●でも、連中がどんなに THE BEATLES の意匠をパクろうとソレは全然悪い事にはならない。連中は徹頭徹尾あのバンドに敬意を表してきて、その憧れを全く隠そうとしてないのだから。そんでパクリであろうとなかろうと、不器用な連中は結局自分たちの音しか鳴らせない。これも全く隠してない事実。それがどうした?と言わんばかりでしょ、いっつも。この潔さが彼らのカッコよさでしょ。

●OASIS ファンの人には、失礼に聴こえるかも知れないけど、このバンドは進化しない。全然変わらない。変わる必要もない。だってコイツら、既にストーンズのような「もう何やってもストーンズにしかなりませーん」的存在感を備えちゃってて、「OASIS であればもうソレでオッケイ!変なコトしないでイイよ、オマエらはそのまんまが最高にカッコいいんだから!」的な立場に来ちゃってるから。もっと噛み砕くと、アントニオ猪木のような存在?もう十分伝説を作ったから、へんなイベントに出てお客に気合い注入ビンタしてるだけで絵になっちゃう的な?アニキがステージに乱入した男に襲撃されて骨折した時、オトウトはセキュリティに混じってその男をぶん殴ろうとしたっていうじゃないか? もうね、このままドカドカやっててくれたらイイの!
●でも今回に関して言えば、辛気くさかったアコースティック路線の前作に比べて、ウンとグルーヴ感が増して、分かりやすいロックになって帰ってきた。ジャケがサイケなんだけど、そんなに音はサイケしてない……いや本人たち的にはサイケかも知れないし、多少はガンバッテル形跡もあるけど、そこは OASIS だから。しかしそれを割り引いてもロックアルバムとしての強度は高い。久々に聴ける OASIS が来たって感じ。


●今回の路線に近いのは、あのアルバムでしょ。

OASIS「HEATHEN CHEMISTRY」

OASIS「HEATHEN CHEMISTRY」2002年
●一曲目「THE HINDU TIMES」明白にインドっぽく決めるかと思ったら、インドっぽいのはクネクネさせたギターリフだけ「やっぱ OASIS のままじゃん!」とツッコミを入れたくなった名作だ。このオープニングチューンは、インド風味抜きで評価しても十分カッコいい。でも基本的にオレ道だけで押し通してきた彼らのキャリアの中で、アレンジに凝ってみようと初めて色気を出してみたのは、それが成功したかしてないかはおいといて、意味のあるコトではあるのです。でも、この曲以外はイツモ通りのラウドな OASIS 節のみですけど。でも誤解しないで下さい、それで正解なんですから。ソレが彼らをカッコよくしてるんですから。


果たして、このバンドはいつまでこのノリで突っ走り続ける事が出来るのだろうか?
ストーンズですら、不遇のパンク時代にはディスコサウンドにまで手を出す瞬間もあった。U2もシッカリしてると見えて、90年代は大胆なサウンド実験でダンスミュージックに接近し「ご乱心か?!」とさえ言われたモンだ。サザンオールスターズも30周年でギブアップした。OASIS は決して器用ではない。実に純粋なロックンローラーだ。キャリアはまだ結成して20年経ってない。この流行り廃れの激しい音楽業界でドコまでトップを張れるか…?……でも日本には矢沢永吉がいる。ああいう生き残り方もあるんだな。やっぱジジイになるまでロックし続けるな、この兄弟は。それが今ん所の結論。



●今日は「シルバニアファミリー」から「OASIS」の新作までと、無茶な展開をしました。冷静に読み返すと無理があるかも?ボクの中では結構合点がいってるんだけど…。
●ちなみに、吉祥寺には「シルバニア森のキッチン」というファミレスがあって、気が狂うほどのシルバニアグッズに囲まれてメシが食える空間があります。しかも、国内では手に入らない海外仕様のレア版も直販しているというマニア垂涎のスポット。ワイフもヨーロッパ向け輸出キットが欲しくなっちゃってます。興味がある人はソチラもチェック!

シルバニア森のキッチン

「シルバニア森のキッチン 吉祥寺店」
●場所:武蔵野市吉祥寺本町 2-13-11 駅北口西側方面、東急百貨店の裏側。

久しぶりですけど「下北沢再開発問題」のコトをお話しします。

●前回(去年10月31日)の記事に書きましたが、世田谷区が募集する『鉄道跡地を利用した公共施設計画のアイデア募集』ってヤツにボク、イロイロ書いて応募したんですよね…。とにかく当時はヒマだったから。その詳細は前の記事を読んでもらいたいんですけど…。

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(コレはボクが提出したアイデア応募書類。オモテウラ色々書きました。)


そしたら。12月に区から手紙がやってきた。
「『鉄道跡地を利用した公共施設計画のアイデア』募集における応募アイデアの確認(ヒアリング)の出席について(依頼)」

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●とどのつまり、ボクのアイデアについてもうちょっとイロイロ話が聞きたいから、会って話をしましょうというコトだ。うわー。テキトー書いただけなのに、なんか大げさなことになってきた。
●手紙にはこう書いてある。

「先にご提案いただきました『鉄道跡地を利用した公共施設計画のアイデア』につきましては、小田急線上部利用区民意見検討委員会にて全てを確認させていただきました。委員会では、ご応募いただきましたアイデアについて、今後、検討していくにあたり、さらにアイデア内容の確認が必要と判断したものにつきまして、応募要項に記載していましたとおり、委員会による応募アイデアの確認(ヒアリング)を行うこととなりなした。
 つきましては忙しい時期とは存知ますが、委員会によりますご応募アイデアの確認(ヒアリング)を下記の通り開催いたしますので、ご出席のほどよろしくお願い申し上げます」


「小田急線上部利用区民意見検討委員会」とはスゴく仰々しい名前だが、とにかくそこにボクは呼び出された訳なのだ。あらー。別の資料によると応募総数は128人とのこと。全員にハナシを聞く訳じゃないらしい。ボク、なんか特別なコト書いたっけなあ?マズいことに、このアイデア応募、何を書いたかあまり覚えてないんだよね…。


1月にまた手紙がやってきた。

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●一回、希望ヒアリング時間についてのやりとりがあって(午後がイイか午前がイイか)、その上でボクのヒアリングの時間が決まった。午後。整理番号まで与えられた。場所は北沢タウンホール。ボクが最初に書類を提出した場所だ。
●なーんか、アレコレめんどくさい注意事項がある。ちょっと抜き出してみましょうか。

「確認(ヒアリング)は、ご応募いただきましたアイデアにおいて、当委員会が、さらにアイデア内容の確認が必要と判断したものについて、委員の方から質問にお答えいただくものであり、個々にプレゼンテーション等を行っていただくものではありません。

●イニシャティブはあくまで委員会であって、聞かれたことだけに答えることしか出来ないのね。

「基本的に応募区域に対するアイデアへの確認(ヒアリング)といたします。なお、上部利用の連続性や関連性などにおいて、確認(ヒアリング)を行う場合があります」

●反対運動の焦点である、いかにもムダっぽい道路「補助54号線」(下の地図の青の部分)は、基本的に応募区域の中に入ってない。だからそこにはあーだこーだ意見は出来ないということか。(アイデアとして意見出来るのは下の地図の赤の部分というルールだったし
●その他、「グループで応募の方々の出席は5名まで」「傍聴は行えません」「会場内での録音、写真撮影はなどはお控え下さい」とかとか。うーん。区&委員会にとって無難なようにイロイロ工夫がなされてるな…。
●どこかの反対運動が主張してたように、このアイデア募集&ヒアリングは、住民の意見を広く取り入れたというアリバイに利用されるだけの話かも知れないな…。

下北沢ヒアリング


さて、ヒアリング当日。1月31日。昨日のことだね。
●ボクは、最近のリハビリ出社で体力が極端に疲弊しているので、ぶっちゃけハイパーかったるかった。昼メシ食ってて気分が悪くなり、安定剤を頓服で飲んでたくらいだ。よって、コンディションは最低のやる気レス。提出書類を見返す気分にもならない。まー聞きたいことを聞かれるだけだろうと思って、何の準備もなく気負いもなく会場に行った。受付をすまし(「お一人様ですか?」ええ、これはボクのソロ活動でには仲間はいませんから)、控え室に通されると、若い担当者の人が丁寧に段取りを説明してくれて、へーとか思ってたら、1分も待たずに「それでは面接です」という運びになった。

あらー、マズい。ボクは控え室で自分の書いた資料を読み返そうと思ってたのに、その時間がないじゃん。ホントに自分の書いたコトを100%思い出さずにヒアリングに望むことになった。でも、ま、イイか、たかが20分のヒアリング、聞かれたことに答えるまでのハナシ、仕事でよくやるプレゼンと違って、コッチがハナシを聞かせるワケじゃない。多分アドリブでも十分だ。

●会議室に通されると、沢山の背広ピープルが一杯いた。正面に座ってる4人の年配のオジさんが、ナントカ委員のメンバーだろう。サイドには進行役みたいな人がいて、背後には記録係が二人いる。
●マジで自分の出した書類を見てないので、「スイマセン、提出したアイデアのコピーを鞄から出してイイですか?」と聞くと「その必要はありません。プロジェクターで大きく表示してますので」と言われた。あらホントだ、大型プロジェクターでボクのキタナい文字とイメージイラストが表示されてる。オジさんの手元のスイッチでウラオモテが瞬時に切り替わり、ボクの席の手元にはレーザーポインターがあって、必要に応じて使ってくれとのこと。「その他、今日ご用意された資料があればお配り下さい」そんなの用意してないよ…「ああ、スイマセン、テブラで来てしまいました…そういうのあった方がよかったですか?」「いや、特に気になさらずに。それではヒアリングを開始致します」

「まず最初に、このアイデアの主旨を5分ほどで説明願えますか?」おお、ハイパーザックリとした質問じゃねえか?プレゼンと変わらねエ。でもね、ボクはある程度のハッタリは得意なんです。プロジェクターに映し出されてる自分の提出用紙をさっと見て、適当なコトをペラペラしゃべりました。紙に書いたことはほぼ忘れているので、多分、紙には全然書かなかったことをしゃべってる。でもイイの。紙には応募対象エリア以外のことは書いちゃダメとされてたんだけど、このヒアリングはそこらへンもしゃべっちゃって良さそうな気分があったので、応募エリア以外のことをしゃべりまくった。



●さあ、以下はボクのプレゼントーク。

「第一の懸念は、補助54号線によって下北沢駅北口の商店街が分断されることです。特に強く懸念していることですが、この道路計画にどれだけ時間がかかるだろうかということです。
 井の頭通りの拡幅工事は結局ここ十数年の間100%完成する気配がありません。この道路計画の土地収用も、反対運動などの動きもあるので、十数年かかるかもしれません。
 土地接収が一、二年で済めばイイですが、中途半端な接収がポロポロちょっとづつしか進まなかったら、ヘタするとこの街は駅前商店街のど真ん中に、十数年も長きにわたり、廃屋と空き地のゴーストタウンを抱えることになります。
 今はお店が街の明るさを保ってますが、この広大な収容面積が、廃屋の集まりになれば街灯も不足しますし治安も悪化しますしコドモも安心して歩けないバショになるでしょう」

 (上の地図、青のエリアが全部ゴーストタウンになったら駅前の活気は死滅。それは明白でしょ)

「ですので、区にお願いしたいのは、このエリアを接収する過程に当たっては、ガードレールで空き地を野暮に囲むことや、廃屋をそのままに放置しないこと。
 接収の進行具合に合わせて、その土地を駅前広場としてこまめに整備し、商店街や小田急と連携して、お祭りのコアエリアに使用したり、月イチのフリーマーケットを企画したりして、活性化させて頂きたいというコトです」



●………すらすら言えちゃうんだけど、100%アドリブ。こんなこと、書類にはヒトコトも書いてない。しかし、委員のオジさんには、事業の完成形ではなく、事業の進行途中に心配するポイントがあるというボクの指摘は新鮮だったらしく、「ほーう」とリアクションした人がいた。



●まだボクのプレゼンは続きます。

「第二のポイントは、北口商店街の分断に対して、それを緩和し人の流れを保つための商業的コアを線路跡地に設置することです(ボクの案だと赤のエリアの最西端)。補助54号線の延伸事業も想定されているとのことですが、劇場スズナリなどの重要な文化拠点も立ち退きを余儀なくされます。それをも補完する施設とイメージしてます。
 …ただし、その運営母体が区であるかどうかにはコダワリはありません。この街の演劇文化を支えている本多グループさんに任せるも良し、小田急の土地なんだし小田急さんがテナント商業施設を構えてもいい、昔駅前にツタヤを入れた建物を持ってたみたいに、イロイロなテナントを入れればイイと思います
(ナゼなら線路跡地利用を区がする場合、土地使用料を地主である小田急に支払わなくてはならないから。そりゃ税金の負担が大変だし、民間の方が弾力的に運用するでしょう)
 この場合、区主導の三軒茶屋キャロットタワーのようなオフィス/劇場施設はイメージしてません。この街の文化に馴染んだ人たち(本多劇場グループやスズナリに入っている飲み屋さんたち)が入居できればと思います。当然、この施設が一つあればいい訳ではなく、ココを中心にして周辺エリアも商業的発展をしていくというコトを前提としてます」

「ちょっとハナシがズレルようですが、下北沢と代々木上原は、特別な存在感を持つ街として世間に認知されています。一方、その中間にある東北沢、池ノ上といった駅では商店街がどんどん衰亡してます。
 東北沢は渋谷区境の向こう側の道路拡幅事業で商店街が全滅します。コンビニもここ2年ほどで3軒あったものが1軒まで減りました。池ノ上でもこの一年間で、お肉屋さん/文房具屋さん/定食屋さんなどがどんどん閉店してます。
 下北沢は代々木上原エリアと連携して、その中間地帯を徒歩/自転車で往来出来るよう跡地利用で整備し、それぞれの独立した商圏ではなく小田急線に沿ったベルト的な経済発展を目指して欲しいです。
 東北沢駅の駅舎も下北沢の駅舎もどのようなものになるのかまだ発表されてませんが、この上に商業施設が乗っかるのは歓迎します。
 そして、ワタシが提案します、跡地利用で作られる商業/文化施設は、この二つの駅のちょうど中間に位置します。徒歩にして両方の駅からちょうど5分です。下北沢商圏を東北沢まで延伸して、代々木上原までも取り込めるようにすれば、この地域はより個性的な経済発展が出来るでしょう




勢いに乗って余計なことまでペラペラしゃべっちゃったが、一つだけ失敗した点も。わりと致命的。
誰が見てもムダな「補助54号線」の存在を支持するようなコトを言ってしまったのだ。つーか、この「アイデア募集」、「補助54号線」はもう作るコトは最初から前提になってるので、そのデメリットをどう緩和するかという発想で考えてるから、このヒアリングでは思わず「補助54号線」ありきでモノをしゃべっちゃったのだ。「いらねー!」とハッキリ言えばよかった。

チャンスはあったのだ。委員のオジさんが最後の質問として言ったのだ。

 「補助54号線については、出来るまでに問題があって、出来てしまってからはどうにかなる、とさっきおっしゃってたようですか、その辺を詳しく教えて下さい」

 委員の人から、「補助54号線」の有効性に関わる質問が出るのは想定してなかった。だってこの人たち、もうそれありきの都市計画を考えてるのでしょ。だから、それを先方からボクに反論を許す質問をよこすとは思ってなかったのだ。ボクのプランは「出来てしまうからどうにかする」という発想だったはずなのに、「出来てしまってからはどうにかなる」になってしまったのだ。 ……ちょっと戸惑った。そんで、失敗したことに、本音では否定的に思ってる補助54号線のメリットを語ってしまったのだ。


●以下、ボクの失敗コメント。

「補助54号線が東方向に延伸され、渋谷方面から伸びて来る道と合体すれば、現在自動車の抜け道になってしまっているウチの近所の生活道路から自動車を駆逐出来ます。逆に延伸しなかったらヘンテコな意味なし道路ですけどね。
 正直、この住宅街は小学生が安全に自転車で走れる街になってほしいんですよ。跡地利用でも遊歩道は提案してますし、歩行者の生活の道/自動車の入る道を区別整理してもらいたいです」



●実際、茶沢通り(大山交差点~下北沢交番前)は激狭の生活道路なのに、メチャメチャ交通量が多い。ここをわたって幼稚園に通う娘ヒヨコには危ないと常々思ってた。ここに自動車は入って欲しくない。ウチの前も結構な抜け道で、ノマドの通学路だというのに往来が激しい。信号もナイから商店街のボランティアさんが交通整理を毎朝やってるほどだ。

●もう一点はバス路線の整備だ。今回の計画では北沢タウンホールで終点になってしまうバス路線を下北沢駅前の新設ロータリーまで延伸させるつもりがあるっぽい。ボクは、小田急バスだけじゃなく、京王バスにも乗り入れしてもらって、下北沢~笹塚/幡ケ谷~中野方面へのバス路線も開拓してもらいたい。このエリア、南北方向の移動がメンドクサイのですよ!スゲエ中途半端な路線が近くまで来てるのに、茶沢通りが狭いので下北沢までバスが入って来れない。補助54号線が延伸すれば、この問題は解消されるはず。
●でも、こんなこと行ったら、あの愛着ある駅前市場が壊されちゃうんだよなあ。失敗したなあ…。


●一方で、西側方面に伸びていくはずの補助54号線は、今んトコロ繋がるべき大きな道も全然ないので、井の頭通りの拡幅もできないのに、常識的にそのままコッチの事業をザクザク進めるはずがない(役所にその常識がなかったら別だけど…でも世界金融危機だしね…)。
だからこの道は実質ほとんど行き止まりの意味なし道路になるはずだ。そうなると土地接収のスピードもヌルくなるだろうし、商店街や各反対運動の粘り方によれば当面現状維持が出来ると思う。区も無理に土地接収を急がないで欲しい……と言えばよかったのに、言えなかった。

●もし道路になってしまっても、どうせ利用頻度が増えるのは商店街のお店への搬入車両くらいで、積極的な抜け道利用は増えないと思う。下北沢を自動車で訪れた人なら理解出来ると思うが、商店街にクルマで踏み込んでしまったらドツボにハマる。沢山の歩行者と無数の一方通行で、ことごとく道を阻まれて最悪な気分になる。駐車場も全然足らない。だから午前中と夜間だけ自動車を通して、午後~夕方は全部歩行者天国にしてしまえばイイ。……このアイデアをキチンと主張すべきだった。

●時間が足らなかった。この2点だけは、今からお手紙書いて、捕捉したいくらいだ。悔しい!


ついでに、この「アイデア応募」についてのデータが出てたのでご紹介。
「小田急線上部利用通信 No.2」からの引用です。

下北沢アイデア応募データ

「応募総数」は、128件。……つーか、随分と反対運動が目立つワリには、少なくないか?この数が、運動の実態が「なんちゃって」反対ポジションシンパのような人ばかりだとするなら、とても悲しい。数万人規模の署名運動を起こせない程度じゃ、都市計画差止め請求とか、計画の是非を問う住民投票請求は出来ないよ。

「年齢」としては、10代未満が1人いるのが微笑ましい。それはおいといて、マジに考えると、この下北沢という街は、この30年ばかりで大きく性質を変えてきた地域なので、多分世代間で街に対するイメージ、街に望むイメージが、全然違うと思う。
●応募者の三分の一を占める10~30歳代にとっては、個性的なファッションと文化の街。若者が冒険的な出店を望むエリアであり、古着屋やレコード屋、劇場やライブハウス、クラブなど、80~90年代以降に急速に発達したサブカルチャー、ユースカルチャーの拠点であろう。だからその機能を保持する事を望むはず。
●しかし、やはり三分の一を占める50歳代以上の世代にとっては、閑静な住宅街と下町情緒あふれる昔ながらの商店街が重要なはすだ。珍奇な風俗を持ち込んで後からやってきた不埒な若者たちを、全部歓迎しているとは思えない。彼らは、もっとウルトラ保守な、古典的シモキタザワを望むのかも知れない。
40歳代は、下北沢が普通の住宅街だった頃から、特殊な文化発信基地に進化したのを見てきた世代だ。そしてその特殊な成長によって、テナント経営や不動産経営で大きな利益を得たはずだ。しかも現在実質的に商店街幹部等でこの街のイニシャティブを握る層。この層だけで20%も応募があるのは、自らの資産価値保持に影響があるかないかが気になっているに違いない。

「職業」を見ると、会社員が多い。つまりこの地域に住んではいても、生活の糧はこの街の外に出て都心なりで給料を稼いでいる人々だろう。そんな人たちが、地元コミュニティにココまで関心を持つのは珍しいと思う。ボクは一時期千葉県に住んでいたが、そこは住民のほとんどが東京都心に勤務する世帯ばかりのエリアだった。彼らは「千葉都民」と呼ばれ、地域の選挙に猛烈に無関心というコトで有名だった。それと対比すると、シモキタザワ住民は地元への関心が非常に高い。

「住所」では、「周辺地域」と「区内」の二つのカテゴリーがほぼ半々なのが、やはりユニークだ。つーか、アイデア応募資格が、世田谷区民または区内へ在勤在学であることなので、この二つのカテゴリーが目立つのは当然なんだけど。しかし、この街の再開発について、ハッキリ言って「外様」である「区内」の人々までが、ごく近所の人と同じ程度に注目しているのはやはり異例だと思う。つまり「シモキタザワブランド」は、広い範囲に有効な経済資源であるのだ。そこを見損なうと、街はブランド力を落とし衰亡の憂き目に遭う。


下北沢アイデア応募データ2

●で、どんな意見が上がったかというと、歩行者/自転車のための利用という意見が目立つ。「散歩が楽しめる遊歩道」「歩行者ネットワークの充実」の2トップの存在感がデカイ。自転車方面では、「駐輪場」から「サイクリング専用道」までの希望。「広場や公園、イベントスペース」というリクエストも多い。「防災」という観点も大きな関心のようだ。

この手のは少数意見の方が面白い。
●別ページに列挙してあるのを見ると、エコ志向も強いのが見える。「農園・畑・生産緑地」「植物園・草花・花壇」「果樹・実が取れる」「田園空間の演出」「ビオトープ」などなど。「ドッグラン」ってのは今の流行っぽいね。「富士見ポイント」なんてのもある。へえ、富士山が見えるんだ。
●「施設/建築物」のカテゴリーだと、「カフェ、レストラン」などから、「貸出し店舗、チャレンジショップ」なんてのもある。コレはいいアイデアだ。若者のベンチャー意識が近年のこの街の活性化を促しているのだから。「映画館/劇場」だけじゃなく、「演劇/音楽スタジオ」まで出てきている。うん、確かにシモキタくさい。ただし既に結構一杯あるから供給過多になるかも。大きくうなずいたのは「図書館」確かにないんだよ、この辺、図書館が!図書館があれば、ウチの家計はどんなに楽になる事か…。ボクは本を買い過ぎるから。「託児所/保育園/児童施設」はワリと切実なリクエストかも。やっぱり保育園が全然足りてないとご近所さんとハナシをしたばかり。
「鉄道博物館」「線路、踏切施設を残す」というのは結構マニアックだね…。そんなに貴重なモンなのかなあ。


これからの段取り。
●これでヒアリングが済んだので、平成21年度の秋頃に中間報告がなされ、年度末に「検討結果の最終報告」となるらしい。でも、「最終報告」って?「最終決定」じゃないんだ?じゃあこの後はどうなるの?誰が最終的に物事を決めるの?うーんまだよく分からん事が多い。