自律神経失調症とのお付き合い(その89)~「さよなら、精神科デイケア」編
●去年7月からせっせと通ってきた、横浜の精神病院と、とうとうお別れすることになった。


デイケア卒業、「モチつき」で大確定。
●先日のデイケアでは、季節外れのモチつき大会が行われた。モチつき達人というおじさんがやってきてくれて、鮮やかな手つきでスタンバイを整えてくれる。古めかしい臼と杵は、近所の古資料館から借りてきたモノという。そんなモン借りてきてイイんですか?「いやーレンタル業者にあたったら、6万から10万といわれちゃって。アレは古民家から寄贈された収蔵品だからタダなんです」大胆な作戦ですね…でも割れてるらしく、なんか水が漏れてますよ。
●いざモチつきが始まると、実はご老体ばかりのメンバーさん、ボクら若手チームがせっせとつかないと作業が進まない。都会育ちのボクはモチつきなんて生まれて初めての経験、でも目一杯振りかぶって何度もモチをついた。モチをこねる達人の腕がイイので、ど真ん中にヒットすると最高にいいサウンドが鳴る。ベチン!ベチン!ベチン!ふう、汗かいちゃったよ。そこに院長センセイ登場。モチつきの様子を見学して、ニコニコしながらおモチをつまみ食いしていった。その時は、とくに深い意味は感じなかったんだけど…。

●後日。会社診療所でのカウンセリング。院長はウチの会社の非常勤カウンセラーだ。院長は、ボクの顔を見るなり言った。「モチつきではイイ顔してたね。ああやってキミはニコニコ笑うわけだ」…はあ。「ということで、もう十分でしょう。この前の話どおり、デイケアは今月でおしまい」……おー、あのモチつきってそういう意味だったの?……モチつきが最後の決め手になるとは思わなかった……「会社滞在時間も一時間延ばしてみよう。そしてどこかでもう一時間延ばせれば、本当に復職の準備を始める。出来るね?」むむむー、はい。とうとう来たね。


●全盛期は週3回、そして最近は週1回必ず通っていた、横浜の精神病院の精神科デイケア。今後は会社での復職訓練に専念するために、通院をやめることにした。……うーん。わりと思ったより寂しくはない。感慨深い気分に浸れるかなーと思ったけど、そんなにセンチな気分にならなかった。卒業できるということはカラダがよくなってることなのだから、前向きの気分で当然なんだけど、ちょっとは悲しくなるかなと思ってたんだ…。
●デイケアのメンバーさんには、ことさら何も言わずに、この場所を去ることにした。ただ二人だけには自分の事情を伝えた。


一人はデイケアの長老、ツエさんだ。
「今月いっぱいで、ココを卒業し、自分の会社に戻ることにしました。ことさら誰にも何も言わず居なくなろうと思ってたのですが、ツエさんには色々教えてもらいましたので、お礼を申し上げたいと思います。お世話になりました。ありがとうございます」彼には、ボクの職業となぜ病気になったのかも簡単に説明した(ブログの読者の方にはボクの職業はナイショ)。ここに来るメンバーさんは、失業状態でやってくる人が多いので、ボクのように会社に籍を残して通院できるのはレアケースだ。ツエさん「ほう、籍を残してくれるとはイイ会社だね~、オレはもうたまんなくて辞めちゃったからな~」

ツエさんは、このデイケアで過ごす上でのマナーみたいなものを教えてくれた。…教えてくれたというのは、ちょっと違うか……そのマナーを自ら実践するコトで範を示すというか。この人はいくつかのルールを自分に課している。新しい人が来たら積極的に声をかける、人の名前を覚える、友達を増やす。ボクが最初にこのデイケアに入った時も、いち早く声をかけてくれた。それからは顔を会わす度に「アー、unimogrooveさんだったよね、名前を忘れちまうんだよ、はっはっは」と話しかけてくれた。だから、ボクも彼のルールに従った。
●そして、大きな声で何度も言うわけですよこのオジサンは。「オレはデイケアに救われた。死にたい死にたいとばかり思ってたオレに生きがいをくれた」その口ぶりには誇りすら感じられた。

ツエさんは、ヘルニアが悪化して歩行に不自由している。スタッフさんは、そんなツエさんに対してカスタムした体操をレクチャーしている。昼食後の昼休みにイスを使ってツエさんと向かい合って体操をするわけだ。すると、ポロポロと他のメンバーさんがイスを持ってその体操に加わる。ボクも加わる。いつの間にか4~5人が輪になってツエさんを囲んでいる。それがツエさんだ。ツエさんの人徳だ。

●ツエさんは、自分の病気発症の思い出を語ってくれた。「アレはバブルが崩壊した時のことだな~」多分時期は1994年頃。ツエさんが働いていた業界は過酷な人員整理を始め、リストラの嵐が吹き荒れた。カルロス・ゴーン日産自動車に登場したような時代だ。大手メーカーの系列子会社に勤めてたツエさんは、40歳代になったばかりで働き盛り。なんとなく周囲をまとめてしまう存在感は昔はもっと強かったのだろう、彼はこのリストラ状況に抵抗するため労働組合の幹部に抜擢された。ある意味では「火中の栗を拾わされた」とも言える。誰もが手におえない状態になってるのは、明らかだったからだ。「オレだってやりたくなかったんだよ」
「メーカーが3000人切るって言ったら、下請けや系列は全体で20000人切るって意味なんだよ。それにどんなに交渉しても親会社よりいい条件が引き出せるはずがないんだ」ツエさんは、会社の事情も鑑みて、賃金条件を譲歩してても雇用を守る路線を選んだ。首切りを止める。それがみんなの利益だ。そう信じた。地元政治家やもっと大きな組合組織にも接触して陳情、交渉に動いた。しかし、給料が減ると知った組合員からはツエさんの路線に批判があがったりで、ツエさんの立場は完全な板ばさみに。
●そして、その日がやってきた。夜深くまで同僚たちと今後の路線について飲み屋で激論を交わして家路につく。しかし、なぜか眠れない。おかしいな…。そのまま朝。で、もう、起き上がれなくなっていた。突然のコトだった。自分にナニが起こったことかも分からない。でももう動けない…。「もう自分から辞めたよ。もう働く気にもなれない…。とてもじゃないが、もうああいう場所には戻れない。あそこから抜け出してよかったよ」
●……そう、突然なんです。ある日突然動けなくなる。それはボクも味わった。大晦日、元旦まで働いて、そして仕事始めの4日。いきなり動けなくなった。激しいセキ、下痢、頭痛、なによりも血管中に鉛を流し込まれたような虚脱感で全身が重くて動けない。でもなんの病気だか全然わからない。とにかく2週間休んだ。それでも若いボクにはまだ余裕があったのだろう、そのまま休めばよかったのに仕事に復帰してしまった。完全崩壊したのは半年後の7月。早めにギブアップしてればこんなに深手を負わなかっただろうな~と思うけど、その当時のボクにそんな考えは微塵もなかった。まーいまさら後悔もクソもないけどね。


もう一人は、前回に紹介したBさん。同世代の仲良し。
●高校時代はヤンチャキッズでパンクバンドで演奏していた彼は、デイケアのメンバーでも特に仲良くさせてもらった。60歳に届くような古株メンバーさんと違って、彼はボクと同世代でボクよりも後に入ってきた新参者。しかし生来の積極的で人懐こい性格でたちまちデイケアのムードメーカーになった。ゲーム大会や遠足を活発に仕切り、ボウリングじゃ最高スコアをたたき出す。横浜市のソフトバレーボール大会では、デイケアチームを牽引して準優勝に導いた。……それだけ活発なら、実家のお父さんが「病気と思えない」というのもわからなくもない。でも病気。
●しかし、彼も動いた。ボクより先に切り出した。「オレ、4月からココ来るの減らそうと思ってて。月一程度にする」彼は週3日、6時間程度の仕事を見つけたのだ。ここにいるのは悪くない。でも前に進めない。彼はそう言った。「まあ、カネは最低賃金だけどね。ただ、自分にナニが出来るか知りたくて」彼は障害年金の申請もして(あまりボクはこの制度について知識はないです)、自立するためのお金を作ろうとしている。
●ボクも会社に戻る、と告げ、二人で硬く握手をした。「お互い、まだまだ負けられねえし!がんばろうぜアラフォー!」彼は明るく笑った。


お世話になった、スタッフさんたち。
●7人のスタッフさん、そしてカウンセラーのチーさん。ありがとうございます。お世話になりました。勉強になったし、楽しかったです。ボクの担当だったソコさん「unimogroove さんは、確かに最初から前向きでしたよね。患者さんの中には、こんな所に来てしまったと、強くショックを受ける人も多いんですけど、そういう考えはないように見えました」正直、何のために何をするのか全く理解せずにココに来ました。でも、不謹慎ですが、最初からネタとして最高にオモシロそうだと思ってたのは事実です。普通の人には絶対体験できないコト、一体何が待ってるのかワクワクしましたもん。
●ただ、9ヶ月ばかりお世話になって勉強になったこと、考えたこと、感じたことは一杯あります。ココに来なかったらボクの病気はよくならなかった。ただ医者に会ってクスリを飲んでいるだけではダメだったと思います。

ココに来て初めて、自分と似た病気を患う人たちに直接触れ合った。
●それでやっと、自分の病気を客観化することが出来た。デイケアのメンバーさんは、病気は完治してないけど、みな何らかの形で病気と折り合いをつけ、つじつまを合わせている人たち。または折り合いをつけようと努力している人たちだ。ソレを見て、ボクは「自分の病気を治す」という発想を捨てた。病気以前の生活が送れるレベルにボクのカラダが回復することはありえない。その意味ではこの病気はもう「治らない」だから病気とどう折り合いをつけるかが問題だ。それぞれがそれぞれのやり方でココはみんな折り合いをつけてる。普通の人間とは違うけど、それなりのバランスを取ってる。その生きた見本を目の前で見ることが出来た。

●例えば「がんばらないこと」。アナタはがんばりすぎる!何度も何度も耳タコで聞かされた。でも具体的に何を「がんばってる」か自分では分からない。ずいぶん悩んだ。しかし、デイケアでのメンバーさんは、コレが出来ないの?ってコトを臆面なくしないし、出来ない。ああ、今日はカッタルイなー、という時には、電池の抜けた人形のようにグッタリとソファに腰掛けて全く動かない。決められた作業もしないし、遅刻もするし、掃除をサボったりする。そして動ける時に初めて動く。おおお、ここまでチカラを抜いていいんだ!目からウロコの大ショックだった。
●彼らの様子を見て、初めて今まで標準と思ってた自分の行動様式が、全てにおいてハイレベルすぎることを悟った。ナニナニをするには、コレコレのスピードで、コレコレの能率で、コレコレの水準で、と、ボクは自分の行動をものすごくタイトにコントロールしてた。書けばツマランコトだが、ボクはそれが完全に無意識のレベルにまで潜り込んでて、自分に課したハードルの高さをアタマで認識できなかったのだ(それも病気のウチなんだろうけど)。それを他のメンバーさんの様子を見ることで、自分を自分で縛っていたルールを客観化することが出来た。そして、それを一旦全部捨てようと努力することにした。
精神疾患の知識や、福祉行政の知識もココで得ることができた。自立支援医療制度などの諸保障について教えてもらったし、様々な医療手法について教えてもらった。精神疾患を持つ人を囲むリアル、その病人をケアする人のリアルを知ることが出来た。


●なんかあったら、またココに逆戻りする可能性もある。でも出来るなら、もう一生ココに来ずに済ましたい。ただ言えるのは、ココで過ごした時間はとても貴重なモノだったってコトだ。それは確か。そして多分一生忘れない。

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(ボクがデイケアのプランターに植えたチューリップ(中央)。各自が自分で球根を選び、何色の花が咲くのか賭けをしていた。チューリップはすくすく育ち見事なつぼみも付けたが、結局花の色を見届けることは出来なかった…。ボク的には真っ当に植物を育てるという行為自体が、小学校以来の経験だったと思う。ホントに貴重な経験をさせてもらった。いや、ホントに今までが非人間的な暮らしだったんだと確認させてもらった。)




デイケアとお別れした翌日である今日。さっそく一時間延長に挑戦。
10時~18時と定められた会社滞在時間。今日の感覚では難なくこなした。ハッキリ言って回復の手応えは感じている。最終的には9時30分~18時30分という就業時間をクリアすればイイとされている中で、実を言うと、9時30分以前の出勤というのは既に達成されている。医者とはカンケイない所で3週間ほど自主練して、ほぼ完璧に9時20分には到着出来るようになってるのだ。今朝などは9時前に到着した。18時退社とは言いながら、産業医のセンセイと談笑してたら18時30分などすぐに過ぎる。さらに、20時くらいまで、都内各所の様々なカフェで自己啓発の読書をしているのだ。つまり、正式な就業時間はもう実質上クリアしてると思っている。
●ただし、本当に大丈夫かは、客観的に何人かのお医者さんが決めることであり、ボクからもう復職させてくれ!と主張するのは止めている。自分発で物事を進めると、失敗した時の自責の念でよけいなダメージを負うからだ。もう度々そういう苦い経験もしてるからね。医者がイイと言ったんだ、ボクのせいじゃない、くらいの心づもりが必要なのだ。

●そしてリアルな危険として、ゴールデンウィークがある。今のボクには規則正しいルーチンこそが大事で、それが休日によって掻き乱されると体調が激しくワルくなる。三月の連休でもう崩れかけたし、去年のゴールデンウィークも完全崩壊してリハビリを大きく後退させたというヤな思い出がある。連休を乗り越えてこそ、本当の復職だと思っている。だから、うまく行けば復帰は6月ごろかな?いやいやマダマダ油断は禁物。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html

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「レイヴ」って言葉を普通に話す女の子。
●10歳も年が離れているのに、普通に「レイヴ」とか「サイケ」とか「ゴア」とか「四ツ打ち」とかいう言葉を使う女の子。仮名を「レイヴ」ちゃんとしておきましょう。彼女とはもう3年も仕事で絡んでいたのに、そんなサイコーな趣味があるなんて最近まで知らなかった。「仕事に差し支えるといけないから隠してました」だって。そんでこの前ランチを食べながら、「レイヴ」ちゃんと他人には話せない(というか他人には通じない)濃い音楽トークをすることが出来ました。ボクの周りには、音楽好きがいないからこういう場面はすごくうれしい。RICHIE HAWTINとか CARL CRAIG みたいなデトロイトテクノの話でも趣味の共通項が見つかって親近感わいちゃった。

でも、「レイヴ」ってもう大分懐かしい言葉だよ。
「セカンド・サマー・オブ・ラブ」とか言って、新型ドラッグ・エクスタシーを飲んでは享楽的にダンスしてたのは1989年のイギリス。クラブやライブハウスじゃなく、野外や廃屋で無許可・非合法に盛り上がっちゃうレイヴシーンは、警察の厳しい取締り対象になって、法律まで作られて弾圧された。その一方でその後のシーンに重要な影響をもたらしたのは間違いない。貪欲に高性能ダンスミュージックを追求した90年代の幕開けを象徴する事件だったはず。
●でも上で紹介した「レイヴ」ちゃんの実年齢で言えば5歳の頃よ。なんで「レイヴ」なんて知ってるかな?お父さんがヒッピーさんでデッドヘッズだって言ってたけど、その影響かな。立派な英才教育だわ。

●つーことで、今日は「レイヴ」を語ろうと思ったんだけど……少し気が変わって、「ニューレイヴ」のお話をしたいと思います。「レイヴ」ちゃんとは「ニューレイヴ」系のアーティストの話でも大分盛り上がったもんだから。


「ニューレイヴ」。2006年の言葉ですね。もう死語?
●で、言いだしっぺは、コイツラ。UK のロックバンド、KLAXONS。

KLAXONS「Myths of the Near Future」

KLAXONS「MYTH OF THE NEAR FUTURE」2007年
●コイツらが自分たちの音楽を「ニューレイヴ」と呼んだ。「NEW WAVE」と「RAVE」をくっつけた造語だ。80年代ポストパンクシーンと、90年代ダンスシーンを結合させた、00年代の新音楽とブチ上げたわけだ。コレは音楽批評家/ジャーナリズムが作った「ブリットポップ」とか「ロウファイ」と言った言葉と違う。アーティストが自分で作ったんだ。まあ、半分冗談のツモリだったらしいけど。ただし、冗談でも「オレらの音楽」と胸張れるスタイルを打ち出したコトはエラいと思う。この言葉を喧伝した連中は当時平均25歳程度の若造。若いから出来る向こう見ずなビッグマウス。
●しかし、90年代に行われた様々なダンスミュージック実験を通過してきたオッサン世代であるボクにとっては、彼らの音楽は正直あんまり「ニュー」でも「レイヴ」でもない。でも、そうやってケチつけるコトは誰でも出来るんだよ。そんな言いがかりは年寄りのイチャモンで、実際のクラブやパーティで楽しんでる連中には意味のないハナシだ。そういうワケで、ボクはオッサンなりにこの「ニューレイヴ」を一人楽しむよ。(病気でクラブもライブも行けないしー!)

●90年代のレイヴシーンから出てきた THE PRODIGY THE CHEMICAL BROTHERS は、ラップトップPCとターンテーブルから強力なロックビートを弾き出して、本家ロックをそのハードなビートで凌駕してしまった。この世で一番ハードな音楽だったはずのロックはそのお株を奪われてしまい、仕方ないのでミンナでシンガロング出来る歌詞と物語へと軸足をズラした。それがブリットポップだったとボクは思ってる。あの時代のロックバンドがハードだったとはあんまり思えないでしょ。SUEDE BLURPULP が、UNDERWORLD FATBOY SLIM よりもヘヴィでロッキンな音楽を鳴らしてたかな? そうは思わないな。
ニューレイヴと言われる連中は、基本的にロックバンドの形態の中でダンスミュージックを追究しようとしてる。その中でシンセの役割が大きくなって、結果「エレクトロ」というタームも随分目立つようになった。実際、SIMIAN MOBILE DISCO JUSTICE などの本物のエレクトロユニットとも積極的に交流してるし。でもあくまでロックバンド。歌詞がありメロディがありサビがある。強烈なリフを一撃かまして無限にループするビッグビート組とは違う。

●そんな訳で、ボクが KLAXONS の音楽に価値を見い出すのは、ロックバンドにダンスへの貪欲な衝動を取り戻したことと、ダンスミュージックに生身の人間の雄叫びを取り戻したこと。このバンドは基本的にツインボーカルで高音低音パートが常に折重なってる。性急でツンノめるようなビートと、悲鳴を上げてるかのように鳴り響くシンセ音に合わせて、二人の男が喚いてる様子は、呪術の祝祭儀式の中で人民が踊り狂っているかのような風景。アルバムタイトルは「近未来の神話」未来人がシャーマンを囲んでトランス状態に陥ったかのような野蛮さと神々しさが入り交じる。気の狂ったような色彩のジャケも、未来人の作った護符みたいに見える。
「レイヴ」エクスタシーを前提にしたムーブメントだった。「ニューレイヴ」の現場でミンナが錠剤をカジって踊ってるのかどうかは知らんけど、洗練とはほど遠い狂気がココには漲ってると思う。


ENTER SHIKARI「TAKE TO THE SKIES」

ENTER SHIKARI「TAKE TO THE SKIES」2007年
●コイツらは KLAXONS よりもさらに若く、リリース時で22歳程度だ。そんで、やって来た場所が分かりやすい。明らかにコイツらはメタル野郎。ボーカルのデス声ップリと、ギターのザリザリップリと、ベースとバスドラのダズダズした感じが完全にアメリカのラウドロックと同じ。でもコイツらがアメリカ人と違うのは、メタルラップには興味がない事と、もっとノビノビと暴れて踊りたいのでシンセサイザーをチカラの限り導入した事。
●DVDのフッテージを見ると、ライブ中はシンセを弾いてるとは言えない…。ボーカルのバカ野郎が曲頭にシーケンサーを操作して、そのリズムに合わせてバンドが爆音で演奏&ボーカル大暴れそしてフロアへダイブ!原始的です、死ぬほど。たとえシンセがブッ壊れても、ライブは全然成立する。しかもあの暴れようでは度々ブッ壊してるような気もする。
●ちなみに SHIKARI ってインドの言葉で「狩人」という意味なんだって。狩人というより、狩人に狙われるケモノって感じだな。野蛮と狂気という意味では真っ当に「ニューレイヴ」だ。


THESE NEW PURITANS「BEAT PYRAMID」

THESE NEW PURITANS「BEAT PYRAMID」2008年
●そんでコイツらはもっと若くて、リリース時メンバーが二十歳前。でありながら、前述2バンドに比べてズーッと進化した音楽をやってる。コレはスゴい。これは「ニュー」だ!
●人力バスドラがバスンバスンと鳴らす四ツ打ちのテンポ感は、微妙に速過ぎたり遅過ぎたりして簡単に疾走感を味あわせてくれない。ハイハットがチキチキいってるので、もう少しベースが強ければダブステップの変形に思えるけど、そうではないのでこのリズムの由来が不明。ソレよりも神経質に痙攣するギターが前面に出てきてて、音の重心が上に設定されてる。つまりは、彼らが鳴らすこの「ビートピラミッド」はジャケアートが示すように「逆三角形」のカタチをしている。そして彼ら四人のメンバーは、重力に逆らってそそり立つ逆三角形ピラミッドを守る神官だ。

●既存のバンドを引き合いに出して音楽を説明するのは卑怯な手で、ボクは好きじゃないんだけど、今回はその誘惑に勝てない。連中がこれから名を挙げるバンドの音をソックリパクったという意味じゃない、音の狙うベクトルが似てると思った。そんでこのバンドと彼らを比較するってのは、ボクにとってはスゴく高い敬意を払ってるって意味だ。コイツらの音を聴いて連想したのは「THE POP GROUP」だ。
●80年代のポストパンク時代に独自の暗黒世界を作ってしまった THE POP GROUP が、レゲエ/ダブやファンクを昇華して自分たちの音楽に取り込んだコトをタネ明かししたのは、彼らが分裂してそれぞれのソロキャリアを歩んでからだ。登場の瞬間は完全に由来不明の突然変異種に見えたはず。THESE NEW PURITANS もナニかのルーツがあって音を鳴らしているはずだが、その正体が見えない。ヒントのキーワードはもちろん羅列できる。ダブ/ダブステップ、グライム、アフロビート、ガレージパンク、ノーウェイヴ、シューゲイザー…。しかし、そんなコトは意味がない。既存音楽をどのように解釈したらこんな突然変異ができるのかが問題で、その突然変異ぶりが彼らをアーティストたらしめている。結果としてこの二つのバンドは、30年近い時空を超えて、不気味で不穏で全然踊れないダンスミュージックを弾き出してる。

「全ての数には意味がある!全ての数には意味がある!」と絶叫したり「私を打ち倒せ私を打ち倒せ私を打ち倒せ私を打ち倒せ、私は島であり山であり川でありこの音楽が象徴する物を見ているこの音楽に重さはない」とまくしたてたり「お前の身体に全ての数字を書き込んだ。私は雨の中…雨の中…雨の中、16秒!」と呻いたり「お前に見えない色お前に見えない色お前に見えない色お前に見えない色見えない見えない見えない…は黄金だ!黄金だ!黄金だ!黄金だ!黄金だ!黄金だ!黄金だ!」と連呼したりと、逆ピラミッドの神官が唱える呪文は、まるでユダヤ教の秘儀カバラのように怪しく謎めいていて、闇の中で不気味に光る。

●そしてボーナストラック扱いとして、最後に大曲「NAVIGATE-NAVIGATE」が動き出す。曲の長さは15分越え。ひたすら続く反復ビートと微妙に表情を変えていくノイジーなギタープレイに驚嘆。ココまでくるとジャーマンプログレ CAN のハンマービートすら連想する。「ニューレイヴ」の列に並んでいるが、ボクにとっては全く異質の本格派に見える。


「ニューレイヴ」やソレに近い位置にいるダンスロック、エレクトロのアーティストは、最近好んでチェックしているのだが、量が多くて咀嚼しきれない。今後小出しに紹介していきます。

ボクが日本史に最近ハマってるってのは、前にも書いたです。
●キッカケは大河「篤姫」。アレは江戸時代に対するボクの目線を変えてくれた。女性の視点からだとこの時代はこうも見え方が変わると。転じて今のドラマ「天地人」はあまり興味が持てない。マチョイズム溢れる戦国武士の活躍ストーリーは平凡じゃん。いや見てないから勝手な事言えないけど。
●自分なりに「歴史」を読み替えるコト。教科書や通説から逸脱して歴史を見るコト。それが新鮮でオモシロい。「温故知新」とはそう言うコトでしょ。
●そんな前提で、今回紹介する本で掴んだ江戸時代へのイメージは以下の通り。

 「天下のお江戸は、いかしたヒップスターだらけ。」


元禄時代

児玉幸多「元禄時代」
●シモキタザワの古本屋で200円で購入したボロい本。初版が昭和59年だって。1984年。マジ古本!
●でも「元禄時代」って、よく聞くフレーズだけど、一体いつのどんな時代だかって知ってます?ボクは知りませんでした。そんで、この本を読んでスゲエ楽しんじゃったです。

1960年代末のグループサウンズ全盛期を「昭和元禄」と呼んだ人がいます。欧米でいう「サマー・オブ・ラブ」の時期にややカブる。高度経済成長で日本がどんどん豊かになり、団塊の世代が担ったユースカルチャーが登場する。ロックとサイケカルチャーがゴッタ混ぜで海外から押し寄せ、白タイツの王子様みたいなカッコしたバンドマンが失神するまで歌った時代。あのバカ騒ぎをなぜ「元禄」と呼んだのか?やっと意味がわかった。江戸時代前半戦のピーク、「元禄時代」はヒップな時代だったからだ。

ホンモノの元禄時代は1688年~1703年。江戸幕府が成立し戦乱が完全に終わってから70年以上もたった時代。大阪夏の陣も、2009年から見た第二次世界大戦と同じくらい、いやソレ以上に隔たって見えたに違いない。つまりは超平和。なにかと社会矛盾はあったろうけど、それはいつの世も一緒。
●そんな時代には、オモシロいヤツらが出て来る。敢えてソイツらをヒップスターと呼んで、この時代をボクなりに楽しんでみたい。



元禄時代の将軍さまは、五代綱吉。やるコトなすコト極端な独裁者。

徳川綱吉(徳川綱吉 1646~1709年)

●この徳川綱吉、徳川将軍15人の中でもイチバン伸び伸びと独裁を楽しんだかも知れない人。徳川幕府という政治組織は、意外と合議制に基づいて意思決定を行う場面が多く、時の老中や大老といった人たちが発言力を持つ。将軍は、子供だったりアタマが弱かったり早死にだったりと、不自由な人も多い。でも綱吉は、34歳とノリノリの時期に将軍職に就くと、前政権の重職を失脚させ、自分のシンパをどんどん登用した。堀田正俊という良識あるブレーンがいた頃はよかったが、この人が暗殺されちゃったら、完全独走状態に入る。イエスマンを大勢従いマイワールドを日本中に拡散させた独裁者となる。

綱吉は儒教を積極的に学んだ超インテリで、新井白石荻生徂徠などの有名な儒学者を抜擢もするが、幕臣たちに中国の古典を自ら講義したというから、かなりウザかったに違いない。しかも240回も講義したんだよ、コリャたまらんね。ハマり出したら止まらないタイプ。ちなみに湯島聖堂を作らせたのもこの人。ああ、能楽にもマニアックにハマって自分で踊りまくってたらしい。そういうのにイチイチ付き合わされる部下ってツライよな。

一方で南蛮人にも奇妙な興味を持ってた。この時期日本に滞在してたドイツ人医師ケンプェルさんは、後に手記を残し、将軍との会見も詳しく記録してる。彼は将軍に、歌を歌わされたり、踊りを踊らされたり、画を描かされたりした。将軍は、外国人を不思議なおサルさんとでも思ってたのか?

●あげく彼のマッドな側面が、決定的に表面化したのが「生類憐れみの令」だ。「お犬サマ」の時代。動物愛護主義者は今の世の中にもイッパイいて、捕鯨船に攻撃を仕掛けるとかイロイロしてますが、独裁者が動物愛護の過激派だと、それはそれで大幅に迷惑だ。蚊を引っ叩いた家臣が流罪になる、息子の滋養の為にツバメを捕った者が、親子共々斬罪になる、犬医者、犬針立が大繁盛、中野には42000匹のお犬様が飼育される巨大養育所が作られた。この法律、綱吉が死ぬまで廃止されなかった。将軍はマジだったのだ。

●犬には大量の出費を惜しまないクセして、綱吉は徹底した倹約令を施行する。何しろ偏執狂的なクソマジメだった綱吉、衣服一つにも贅沢を禁じ価格制限まで設けた。大都市の消費市場は拡大していく時代だったが、その気分に水を差し世間を堅苦しいモノにした。地方の農村は都会のインフレの影響を受け、江戸住まいの大名の諸経費を賄うためタップリと搾取された。その意味で倹約令は有効な政策だったが、この過剰にスクェアな雰囲気への反動が、ヒップスターを生む原動力になったのだ。



カブキモノ。お江戸のヒップスターの系譜。
元禄時代に先行する1600年代前半。「かぶき者」が世を賑わせていた。戦後社会となっても、戦争気分が抜けない連中は、平気でケンカをし、スグに人を斬る荒っぽい気性を持っていた。辻斬りもイッパイ。人が斬りたくてしょうがない奴がイッパイ。京都や江戸ではまるでカラーギャングのように徒党を組んだ「かぶき者」が派閥抗争を繰り広げた。彼らだけに通じるスラングもあって、「奴詞」と呼ばれた。
●1650年代に禁止された「かぶき者」ファッションを説明してみる。髪の毛を剃らずロングヘアーのオールバックで、ヒゲを長く伸ばし、ビロードの着物を身にまとい、1m以上のロングソードを二本持つ。武士だけでなく町人にもマネをするものが出て、やはり規制の対象となった。あと、必須アイテムがキセルね。タバコの習慣は豊臣時代に日本に伝わったようだけど、長ーいキセルでプカーンとタバコをふかすのは当時のレイテストファッション。男でも女でもクールとされていたようだ。

●で、「かぶき者」はゲイカルチャーの側面も。古来日本はホモセクシャルに寛容で、「衆道」と言い習わしてた。「かぶき者」はカワイい若者を従えて、彼らにもヒップなカッコをさせていた。ティーンネイジャーの美少年たちを集め、前髪は残したまま、着物の裏地をカーマインレッドにするなど趣向をこらす。こうした美少年の取り合いで刃傷沙汰まで起こすのが「かぶき者」だ。実にはた迷惑だ。こと「衆道」に関しては元禄年間が江戸時代でも最盛期だったらしい。

●後世まで名を遺した「かぶき者」の名前がユニークなので、それも紹介。ある意味で自己顕示欲剥き出しのヒップホップの連中に繋がる気分があるとボクは思う。喧嘩屋五郎佐衛門、からくり六兵衛、とんび勘右衛門、ほていの市右衛門、神鳴庄九郎……。BIG PUNISHER、DAVID BANNER、GHOSTFACE KILLAH、OL' DIRTY BASTARD、SCARFACE、SILKK THE SHOCKER、THE NOTORIOUS B.I.G.……。ね、大味でバカっぽいネーミングセンスが似てるでしょ。ちなみに列挙しました「かぶき者」は全員、死罪/獄門/牢死しています。かぶくのは命ガケっつーことです。



金満商人も命懸けでヒップ気取り。
●歴史の教科書では「士農工商」と商人のランクが一番下と教わったもんです。しかし、江戸/大阪の都市経済が活発になるにつれ、商人の経済力は無視できない存在になるのですわ。
●ワリとビックリしたのは、当時、町人/商人はその居住する土地に対して税金を納めてたけど、商売の利益に対してはほぼ非課税だったということ。江戸幕府はハッキリ言って財政オンチで、老中のような最高官僚ですら幕府の財政事情の全容を把握出来なかったほど。だから、商人階級の利益を正確に把握して税金を徴収するなんてムリらしい。そこでハンパない大金持ちが沢山登場するのですわ。

●で、手にしたカネでナニするか?衣装に、住居に、遊興にブチ込むわけです。今までは「刀」が全てだった。「刀」が社会を支配した。しかしこれからは違う。「カネ」が武器になる。「カネ」を使ってドコまでイケルかが勝負。ココに元禄商人の意地が炸裂する。とある商人は巨大な大名屋敷を購入して美麗を尽くす。「狂の間」と名付けた部屋は、四方の畳をベルベットで包み、その中へ木綿を敷いたという。またとある商人は、妻の寝室の天井にガラスの水槽を作り金魚を泳がせた。金魚を眺めて寝るとは…見事なチルアウトルームだわ。妻にゴージャスな衣装を着せて、どちらがヒップか競い合う「伊達くらべ」なんてコトまでしてた。

スゲエヤツは、将軍綱吉に挑戦した。綱吉が祖先の墓参りで上野方面に出向くと、なにやらいい香りがしてくる。見てみれば、金屏風に金すだれ、見事な振袖で着飾った女二人が花のように立っている。そしてその周囲でこれまた着飾った女6人が、東南アジア原産の超高級アロマ「伽羅」の香を焚き、さらに二人の女がソレをゴールドの扇子で扇いでる。将軍に向けて「伊達くらべ」を仕掛けたのだ。なんと剛胆な!独裁者・綱吉に全国の大名が圧倒されてた時代に、商人が商人の方法で挑発するとは!でも、こんなことすればタダじゃ済まない。この女と夫の商人は、財産没収/追放の刑に処される。
この時代の商人は、半ばヤラレルとわかって仕掛けてる。将軍に向けて特注アロマで挑発した女は他にもいたし、そんなコトをすれば必ず処罰された。奢侈の行き過ぎた商人は当局に処罰されるか、財産を消尽して没落した。それでも、世間がアッというなら仕掛けてしまう。そんなヤツらはヒップスターって言ってイイんじゃない?



アタシらプロだから、ヒップを気取るわよ。吉原のオネエサンたち。
江戸で最もヒップなエリアはドコだったか? 渋谷新宿六本木? なワケない。その辺は当時江戸の中に入ってない。ドコかと言えば、今でもソープ街として栄える、吉原でございます。幕府公認遊郭でございます。最初の吉原は、日本橋人形町にあったんだけど、明暦の大火(二日間で10万人死亡)で江戸が壊滅すると、幕府からの命令で浅草の裏側へ移動せよとの命令が下る。それが現在の吉原。だからホントは「新吉原」と呼ばれ、その地名は1960年代まで残った。
●ここに集う遊女たちの頂点は「太夫」と呼ばれた。吉原のトップ4だけが名乗れる称号。予約が何十日も先まで埋まってる。しかも「太夫」に会うだけで大変なのに、一回目はちょっとお酒を飲む程度でトークもなし。二回目もソレだけ。三回目でやっと馴染みと認められる。しかし相手が野暮なヤツと見れば、十回通ってもナニもしてあげない。凄まじいツンデレぶり。ていうかデレがない。ツンツンだ。どんな権力者にもどんな金持ちにも媚びないロックなポリシーが、吉原の意地だという。映画「さくらん」での土屋アンナのキャスティングは史実に則してたのかな。だってアンナはロックだもん。「さくらん」吉原のオキテすらにも挑戦してしまうのだけど。また「太夫」「おいらん」たちは当時のファッションカリスマであって、流行発信の中心だった。衣装や髪型、歩き方までが注目され、間接的に一般女性にまで影響を与えた。

さくらん [DVD]jpgDVD「さくらん」

遊びに行くオトコの方もハンパじゃない。とにかくカネがかかる。「太夫」本人以外に関係者/スタッフにもカネをまく。馴染みになれば、そのご祝儀を払わないといけないし、年の瀬にも高額のプレゼントまたは現金を贈った。しかも額が問題なのではない。オトコもヒップであることが要求される。大阪では「シカが見たい」と言った「太夫」の願いを叶えるため、奥座敷を取り壊して萩を一面に植え、つがいのシカ2頭を捕まえて、翌日に見せてやったというお大尽もいたそうな。吉原の大門を閉じ2回街全体を借り切った強者もいる。ディズニーランド貸切り以上の無駄遣い。
吉原デビューもスゴくハードルが高い。大体それなりに容姿に自信があるヤツじゃなけりゃ恥ずかしくて吉原は歩けない。それでも、まずは吉原通いのセンパイにご指導願って、吉原にふさわしい衣装の最高級コーディネイトを用意する。これだけで半年かかるという。そんで今度は吉原のお店に通って、ヘアスタイルやトークの仕方を教わる。これで3~4ヶ月。そんでやっとデビュー、「おいらん」に予約をすることができる。吉原で一人前に遊ぶには、膨大なカネ、ずば抜けたルックス、卓越したセンス、そして唸るほどのヒマがないとダメだ。
●カネがない一般人は「とおりんぼ」と言って、ただ街の中をフラフラ見物してたらしい。格子窓から見えるファッショナブルな遊女のカオを見るだけで、エキサィティングな気持ちになれただろうし、おいらん道中のような催しに出くわせば、それはディズニーランドのパレードにも似た興奮を味わえただろう。……というコトで吉原は、あくまでオトコの下半身的欲求から出発してるくせして、結果セレブでハイソサエティな文化発信基地になっちゃった。スゴいです。



「かぶき者」が「歌舞伎」になりました。
●歌舞伎の起源は、出雲阿国という女性が始めたレビューだというのはよく聞くハナシ。彼女は短髪帯刀の男装姿でステージに立ち、遊女と戯れるようなパフォーマンスをしたという。言わば阿国のステージはレズビアンの感性を盛り込んだシロモノで、倒錯的&挑発的な内容でインパクトを与えた。タカラヅカっぽい?それとも浅草女剣劇?これが江戸幕府成立直後の京都の出来事。しかし、阿国に始まる「女歌舞伎」は内容が過激なこと、おまけに売春もしちゃうことで、当局の規制が入り禁止された。「女優」がその後出現するのは明治時代になってからだ。

出雲阿国2(出雲阿国 1572~没年不詳 オトコマエだね!姐さん!)

●女子がダメなら男子ということで、美少年を集めた「若衆歌舞伎」が始まる。しかし「衆道(=ホモセクシャル)」の盛んな時代、これも規制が入って禁止。男性が男性の役で主役を演じる「野郎歌舞伎」が成立して、今日の歌舞伎のスタイルに繋がっていく。市川団十郎が歌舞伎の大名跡となっているのは、女形がイニシャティブを握っていた(みんなエッチ心を忍ばせて劇場に行ってたから人気の中心は女形に集まる)スタイルから、荒々しく男性的なヒーローを演じて豪快/勇壮なスタイルに歌舞伎を移行させたのが初代の団十郎だったからだ。……一方でこの人、個人的な性格は最低だったらしく楽屋で刺し殺されちゃうんだけど。
「女歌舞伎」の連中は売春をして規制を食らったけど、男性歌舞伎の時代も売春は続けられてました。芸は二の次で、ゲイの方に勤しんだ役者もイッパイ。舞台デビュー前の少年も売りに出してたというから、もう役者じゃなくてもイイじゃんって感じ。さて、このイケメンを誰が購入したかというと、美少年好みの紳士たちだけでもないようで、身分の高い女性もお買い上げしてた、というケースもあるみたい。それがポイントになる事件が映画になってる。

1714年。絵島・生島事件。映画版「大奥」。

大奥 スタンダード・エディションDVD「大奥」

●大河ドラマ「篤姫」で、江戸城大奥という場所に興味を持ったので、仲間由紀恵主演の映画版「大奥」を見てみた。ここで描かれるのが、世に言う「絵島・生島事件」大奥を総括する御年寄を担っていた絵島という女性が、歌舞伎役者・生島新五郎と恋愛関係になってしまうというスキャンダルだ。
●映画は、綱吉亡き後の時代、6代家宣が在職3年で死去、息子の7代家継はたった5歳の最年少将軍で政治的に不安定な時期に突入。幕僚/大奥入り交じりの政局の中、家継の母親を凹ましたるという狙いで、その側近だった絵島(仲間由紀恵)が陰謀の標的にされた。歌舞伎役者が大奥まで忍び込んで欲求不満の女性(高島礼子)を慰める様子が描かれているのはホントかウソか?しかしそれでも、一生処女のままで主人に仕えるのが大奥の女性の宿命、それが歌舞伎役者とチチくり合ったとなれば、それはウワサだけでもう十分に大スキャンダルである。

●映画では、相手の役者・生島新五郎は死罪。生島が所属した劇団は取り潰し。他の劇場も吉原エリアの近くまで移動させられることに。絵島は事実上の流罪。絵島の実家では何人かが腹を切ってるし、この一件で処分を受けた者は1500人にも及んだらしい。仲間由紀恵演じる絵島は、冷静な判断力を持つ優秀なキャリアウーマンで、言ってみれば政権中枢で活躍する女性高級官僚。そんな彼女でも、いやそんな彼女だから、恋心に揺れてしまったし、コトの有無と関係なく、揺れてしまった内面の事実を明白に認めたりもした。武家の女の度胸と覚悟というコトでしょうか。
●ちなみに、少年将軍家継は、父と同じく在職三年で病死。次の8代将軍には、徳川吉宗 a.k.a. 暴れん坊将軍が就任するのです。ニュージェネレーション到来。



元禄時代の最高のスキャンダル。「忠臣蔵」事件。
●この大事件も、元禄時代に起こりました。1701年に松の廊下で刃傷沙汰。ジックリ準備の上で1703年、赤穂浪士が吉良邸突入。そして全員切腹。浅野内匠頭にも赤穂浪士にも切腹を命じたのは、全部将軍綱吉です。あーコイツ何もかも杓子定規でクソマジメ。
●この事件は誰もがテレビで見たり聞いたりしてるからことさらアレコレ言わないけど、ボクが注目したいのは、この事件がたちまち江戸時代の庶民のエンターテインメントに変わっちゃったコト。庶民にしてみれば、支配者階級の連中が内部で諍いを起こして復讐劇が起きたというだけのハナシのはずなのに、嬉々として喜んだ気配がある。

「忠臣蔵」(赤穂浪士、吉良邸討ち入りの瞬間。)

綱吉の独裁政権下の超スクウェアな気分の中では(「お犬様の時代」だし)、派手に浪人が暴れるコト自体が痛快なのだろう。江戸市民は、赤穂浪士はいつ仇討ちをするのか、と事前からワクワクしてたようだし、討ち入り事件に際しては、隣人も手を出さずに傍観を極め込む、翌朝の泉岳寺までの道程で町人が浪士に甘酒を振る舞う、などメチャ歓迎ムードが漂っている。浪士はイリーガルなアウトローだけど、その行動に思想と美学がある。アメリカの西部開拓時代のフロンティアでは荒くれ野郎のアウトローガンマンが英雄視されたりするが、何気に気分は同じなのかも知れない。ビリー・ザ・キッドとかとね。

●当時のライターたちも黙っていない。日本のシェークスピア近松門左衛門が、速攻で「仮名手本忠臣蔵」を書いて劇場にかけ大ヒット(内容と史実は全然一致してないらしいけど)。浪士を讃える落首も後を絶たない。当時の日本橋には「忠義を励ますべきこと」という標語が掲げられてたらしいが、赤穂浪士の切腹処分に納得がいかない庶民は、この看板に墨を塗る、泥を塗る、看板を川に投げ入れるなど、無言の抗議を続け、当局は標語を書き換えるハメになったという。



「元禄時代」に活躍したアート系ヒップスター。
●この時代は、出版技術が発達して文学・絵画が庶民レベルまで一般化し始める時代。小説家・劇作家が活躍し始める。そんな一人、この時代のベストセラー作家・井原西鶴の代表作「好色一代男」は、ある意味で江戸時代流ヒップスター列伝である。主人公・世之介は、親から巨額の財産を相続、そのカネで日本中の遊女町を旅歩き、豪遊の限りを尽くす。とことん遊びつくした彼は、最後に「好色丸」という船を作って悪友と共に「女護島」という場所(←なんじゃそら)を目指して絶海に消えるというお話。バカ売れにつき、「好色二代男」「好色五人女」とシリーズ化。「日本永代蔵」は、カネはないけど知恵と度胸とラッキーで成り上がる男の話。そんなストーリーが売れる時代だったのですね。

井原西鶴(井原西鶴 1642~1693年)

井原西鶴には、作家という顔の他に、もう一つのヒップな顔がある。彼は俳句の達人で、機関銃のように大量の俳句をたたき出す特技があった。一昼夜をかけていくつの俳句を吟じることが出来るかという、俳句マラソンともいえるチャレンジを何人かがトライしているが、西鶴の記録は超人的。なんと23500句を一人で吟じる。4秒で一句のスピード。記録係も数だけカウントするので精一杯で、内容は最初の一句しか記録されてない。

●俳句と言えば、松尾芭蕉もこの時代の人だ。「奥の細道」ツアーは元禄2年、1689年のこと。江戸から仙台まで行って、山形経由で日本海に出て海岸線を南下、ジェロ「海雪」で有名になった新潟・出雲崎に立ち寄りつつ、金沢、福井・永平寺、京都・敦賀から岐阜・大垣までめぐる。このツアーの前にも沢山の旅をしてる漂泊放浪癖の人だ。
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」人生を旅にたとえた彼の生き様は、アメリカ50年代に活躍したビートニクスのそれとカブる。ビート詩人はクスリをキメて盗難車を時速90マイルでぶっ飛ばし北米大陸を放浪しては詩や小説をつづった。先住民に伝わる天然ドラッグを求めてメキシコまでさまようビートニクたち。遠めに見れば芭蕉もビートの連中も変わらない。そうでなければ、ギター一本抱えて貨車列車無銭乗車旅で全米を回ったフォークシンガーたちか。彼らはホーボーと呼ばれて、町の噂話を歌にして生きた(「トピカルソング」と言われる)。そんな彼らの精神が BOB DYLANらの「プロテストソング」に引き継がれる。

thum_basho.jpg(松尾芭蕉 1644~1694年 彼の人生はロードムービー)

●グラフィティ・アーティストとしては、尾崎光琳がいる。宮本武蔵を描く人気マンガ「ヴァガボンド」に登場する芸術家・本阿弥光悦の遠縁である画家(光琳の父の大叔父が光悦)。彼が俵屋宗達とともに日本画ニューウェーブ「琳派」を開く。「狩野派」のように伝統的な世襲制度を持たず、純粋にその技法に憧れたフリーの画家たちが点と点を結ぶように伝え、その系譜は明治時代まで続く。日本の伝統芸能としては異色のスタイルだわ。その影響は海と時代を越えて、クリムトウォーホルにも届いたと言われてる。「琳派」はこれからぼくが勉強したいと思ってる絵画潮流。まだ言葉では説明できないけど、カッコいいと思ってます。

尾崎光琳

(尾崎光琳「燕子花図屏風」 大胆なゴールド使いでも、下品にならないクールさを併せ持つ。)

フリーペーパー「L25」の連載コラムが最終回を迎えた。

l25コラム最終号

豊島ミホさんという人が書く「やさぐれるには、まだ早い!」というコラム。早稲田大学在学中に小説家デビューした人でまだ25歳。本は一冊も読んだ事ないけど、若い女性の本音トークっぷりが好きでこのコラムはいつも読んでた。しかし彼女はこの春、東京を離れ東北の故郷に帰ってしまうという。最近のコラムで帰郷の話はほのめかされてたけど、彼女の帰郷キッカケでこのコラムが終わっちゃうとは思わなかった。文章を書くのに場所は関係ないだろ、これだけネットが発達していれば。でも終わっちゃう。残念。豊島さんは「やさぐれ」ちゃったのかな?そんなワケないよね25歳だもん。女子の25歳なんてコレからよ。男子の25歳は小僧だよ。

3月ってそういう季節なのよねー。休職中のボクですが、そんなボクが宙ぶらりんに籍を残す職場では、たくさんの人が今週来週でいなくなる。そんで昨日は送別会だった。ボクは出席しないけどさ。お別れをキチンと言いたい人には挨拶しといた。おセンチになるぜ。

●その挨拶の延長で、3年ぶりに会った人も。初めて会ったのは10年前のコトだが、その人、開口一番「あらー unimogroove サン!お久しぶりなのに、昔っから全然変わらないですよねー」。35歳のボク、25歳から変わってないらしい。この10年間小僧のまま。それはイイのかワルいのか。ボクは成熟には程遠いニンゲンらしい。



コドモたちは春休みに突入。
●4月から2年生になるノマドは、ガッコウから一年間使った道具箱やら、ヘンテコな工作やら、ヒヤシンスの植木鉢やら、テストやプリント、作文の類いをワンサと持ってきた。
●フツウの親は、子供の作文を読んで楽しんだりするのだろうか? 正直ボクは、息子の作文を読んで爆笑するほど楽しんだ。小学一年生のリアルがココにある。ちょっぴりソレをご紹介しましょう。


   あきをみつけたよ

 このまえ、せいかつかでこまばのこうえんへいきました。こうえんで、きのこのたねをみつけました。一ねん一くみのこが、
「もってかえろうぜ。」
と、いわれたので、たねをはっぱのうえにのせてました。でも、たねが、かぜでとばされてしまいました。かなしかったです。こんどみつけたら、なくさないようにいえへもってかえって、にわにまきます。


●……つーか、「きのこのたね」って? キノコって胞子で増えるんじゃないっけ? タネってありえなくない? オマエ何を発見したの? 100歩譲ってそれがキノコのタネとしてもだ、勝手にウチの庭にまくのはヤメてくれ。知らないウチに庭にキノコの大群がワンサと生えてたら……それはちょっとしたバイオテロだろ。


   2がっきのおもいで

 かん字をならいかん字がすきになりました。なぜかというと、かっこいいからと、おもっていたけど、ながい文をみじかいかえることができる、からすきなんです。

 カタカナもすきです。本とうのことです。カタカナは、かん字のもとだからすきです。ひらがなもむずかしいかん字のもとになります。しばと、いうかん字には、草かんむりに、ひらがなの「え」のも字があります。だからひらがなもカタカナもかん字もすきです。


「2学期の思い出」というお題で、こんな抽象的な内容でいいのか? フツウは運動会とか遠足とかマラソン大会とかを書くんじゃないのか? 文字の機能と構造について思索にふけるってのは、明らかに空気読みに失敗してないか? まあ、そんなオマエの逸脱ぶりがボクの笑いのツボなんだけどな。
●渡来文化として大陸から流入した漢字を、日本語化したのがカタカナひらがななわけで、「カタカナは、かん字のもと」をフツウに読めば、史実とは逆のコトを書いてることになる。しかし、これはノマドが歴史のウンチクを披露しようとしてうっかり間違えたという訳じゃないんですねー。そもそもヤツがそんな史実を知ってるはずがない。
●ノマドが「カタカナは、かん字のもと」と書く時、それは「漢字の元」ではなく「漢字の素」を意味してるのだ。漢字の構成要素の中にはカタカナひらがなに似たパーツが含まれている。例えば「窓」という字。「ウ」と「ハ」と「ム」と「心」という字が上から積み重なっている。ヤツが文中で例を挙げた「芝」という字は、草カンムリと「え」が積み重なってる。ノマドは、カタカナ/ひらがなという原子がいくつか集合して、漢字という高度な分子を構成するらしいという仮説を、そのチイコイ脳ミソを稼働し独力で発見したのだ。そんでそれを夢中でレポートしている。「本とうのことです。」プッ、コイツ必死だぜ。実に笑える。


学校の課題として文章を書かされるのと、自発的に文章を書くのは大きな違いだと思う。
●ある日、ノマドがセッセと机に向かってナニかをしているので、あとからソッとチェックしてみた。そしたら、本を書いてたのだ。無造作ながらもホチキスで束ねて本のカタチを作ってる。

P1001275.jpg


 「バトスビ 大すき のまど」

ぼくがはじめてバトスピを大すきになったのは、二千八年九月の日よう日だった。
のまどが見てない コだい王じゃきょうりゅうキング を見ようとしたとき、バトスピがやっていたので のまど おどろきました。
そうしてぼく      (未完)


●HDDに録画しっ放しにしてたアニメ「古代王者恐竜キング」を見たら、新番組に変わってた。それが「バトルスピリッツ」だった。それがヤツがカードゲームにハマったキッカケになった、というエピソードが紹介されている。学校では習ってない漢字も背伸びして使ってるのが微笑ましい。絵は、リモコンを操作してテレビをつけて、衝撃を受けた瞬間の自画像。その動揺ぶりを暗示しているのか床や壁が渦を巻いている。

おお、とうとうコイツに自分を物語る自我が芽生えたようだ。
●太古の人々は、自分たちの祖先や周辺世界を理解するために神話を物語った。小学一年生のノマドは自分を理解し他へ表現するために自分の好きなゲームを物語ろうとした。文明が経た重要な段階を、ノマドが通過した瞬間だ。残念ながらこの物語は未完に終わって、本人に続きを書くつもりはなくなったようだけど、月面着陸第一歩級のステップをヤツが踏んだと、父は思うのであった。


YELLOW MAGIC ORCHESTRA のライブ盤に癒される。

EUYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN LONDON+GIJON 2008-(完全限定生産)EUYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN LONDON+GIJON 2008-(完全限定生産)
(2008/12/10)
YELLOW MAGIC ORCHESTRA

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YELLOW MAGIC ORCHESTRA「EUYMO - LIVE IN LONDON + GIJON 2008」2008年
●四枚組CD+Tシャツの豪華セット。再結成 YMO ロンドンとスペインのヒホンという街でやったライブを収録。ちなみにTシャツはこんなヤツ。AMERICAN APPARELL のシャツだった。

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HUMAN AUDIO SPONGE 名義で三人が集まってバルセロナでライブした時のDVDでは、彼らがココしばらくハマり続けているプチプチサウンドの究極形が披露されてて、正直しんどかった。「おっ、実質 YMO の再結成パフォーマンスじゃん!」と思って意気込んで入手したのに…。とにかく三人全員がラップトップに向かってひたすらプチプチさせるだけのパフォーマンス。プチプチプチプチ………。プチプチしてもイイけどプチプチしかしないのではキツい。CDならイイけど映像でソレはモタないよ…。いわゆる真性エレクトロニカの世界に没入。どこもヒューマンではありませんでした。

HAS/HAS HUMAN AUDIO SPONGE Live in Barcelona-Tokyo [DVD]HAS/HAS HUMAN AUDIO SPONGE Live in Barcelona-Tokyo [DVD]
(2006/02/08)
HUMAN AUDIO SPONGE

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●それに比べて今回はキチンと YELLOW MAGIC ORCHESTRA 名義のツアー。オープニングは1983年のクラシック「以心電心」ユキヒロさんの淡いボーカルに、ユーフォニウムの色添えもあって、とってもヒューマン。かつての YMO がこだわった硬質シンセ/エレクトロサウンドからは遠く隔たって、電子楽器を駆使していかにオーガニックになるかを実践しているかのような、暖かい雰囲気が漂う。いや~ホッとした。癒される…。ユキヒロさんはドラムを叩いてるし、細野さんも生ベースをちょくちょく弾いてるみたい。

●サポートミュージシャンも注目。ギター/エレクトロニクスに CHRISTIAN FENNESZ が参加。彼は実にアンビエントな音響系エレクトロニカを奏でるオーストリア人アーティストで、90年代から教授と度々コラボしてる(FENNESZ + SAKAMOTO 名義の「CENDRE」2007年は良かった…)。JIM O'ROURKE DAVID SYLVIAN とも仕事してるエレクトロアコースティックのヴェテランだ。ただ、元々は SONIC YOUTH 級にバリバリガリガリのノイズ上がりの人らしく、今回もギターが慎ましやかにカオスを醸し出してて一つの聴き所になってる。

cendrecendre
(2007/03/28)
fennesz + sakamoto

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●そしてもう一人の注目が高田蓮。映画「タカダワタル的」で再評価されたフォークシンガー故・高田渡の息子でスティールギターのプレイヤー。丸みを帯びた優しい音をツーンと優雅につま弾く。結果として典雅な音空間が出来上がりました。

プチプチサウンドは健在で、細野&ユキヒロの人力グルーヴとうまく溶け合いながら独特の場を作り上げてる。でもなぜプチプチなのか? AUTECHRE MOUSE ON MARS のようなエレクトロニカの先駆者がクリックテクノ/グリッジテクノを開発した時の衝撃はスゴかったが、このプチプチは彼らのクリック/グリッジ音とは質が違うような気がする。繰り返すがなぜプチプチなのか?何が狙いなのか?ボクの知らん所で大流行なのか?それは全然わからない。けど聞いてて感じるのは、プチプチは他の楽器に全然ブツカらないのに、確実に不思議なグルーヴを作ってるというコト。もう大量にまき散らされすぎてるので無視も出来るんだけど、確実に無意識下に潜り込んで潜在意識にアピールするグルーヴを作ってる。そういう意味でスゴい発明だ。

「以心電心」だけでゾクゾクするんだけど、坂本龍一ソロの「RIOT IN LAGOS」「TIBETAN DANCE」もグッとくる。細野&ユキヒロのユニット SKETCH SHOW の楽曲「TURN TURN」は原曲のカッチリポップス感がドロリと崩れててウンと魅力的になった。CMでも馴染み深い「RYDEEN 79/07」プチプチ&キンコンカーンなままでした。先日リリースされた HASYMO 名義の「THE CITY OF LIGHT」「TOKYO TOWN PAGES」 も渋く決まってましたよ(HASYMO とか YMO とかの名義の使い分けの意味がボクにはトンと分からない…)。そんで、ラストには YMO クラシックスの「CUE」がプレイされる…。涙チョチョ切れだよ…。タダのノスタルジーじゃないんですよ、マジでココロ揺さぶられるような優しさがこの曲に備わって、生まれ変わったように思えたんですわ…。

(関連音源をいくつか。)

B-2 UnitB-2 Unit
(2005/03/24)
坂本龍一

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audio spongeaudio sponge
(2002/09/19)
SKETCH SHOW

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RESCUE/RYDEEN 79/07RESCUE/RYDEEN 79/07
(2007/08/22)
HASYMO/Yellow Magic OrchestraSHIHO SHIBAOKA

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The City of LightThe City of Light
(2008/08/06)
HASYMO

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BGMBGM
(1998/01/15)
イエロー・マジック・オーケストラ

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●さて、ボクはボックスで買っちゃったけど、ロンドンのライブと、ヒホンでのライブ、ぶっちゃけ曲目もほぼカブッてる(ロンドンの方が2曲多い)し、若干曲順が違うだけであんまし内容が変わりません。わざわざ2タイトルリリースするのが不自然なくらい。アレンジが極端に変わった部分もないし…あ、ヒホン公演の方は教授の気まぐれでユキヒロさんの生ドラムが増えてる。と、新聞のインタビューに書いてあった。聴いただけじゃワカランかったけど。
●ただし、曲順だけで気分はグッと変わる。ロンドンのライブの方が明らかにキャッチー。ボーカル曲を前半に集めたのがそんな印象に繋がってる。あの YMO の復活だぜ!と盛り上がりたい方はコチラがおススメ。でも最先端のエレクトロニカとして楽しみたい方はヒホンのバージョンの方がイイかも。オープニングが「以心電心」ってのは変わらないけど、2曲目からは SKETCH SHOW のアブストラクトな楽曲が続いて徐々にメロディの輪郭がハッキリする楽曲に移行していく。エレクトロニカ耳で音響を楽しみながら、いつの間にか YMO クラシックが続々と出て来るという流れで楽しみたい方は、ヒホンのライブがイイと思います。

LONDONYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN LONDON 15/6 08-LONDONYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN LONDON 15/6 08-
(2008/12/10)
YELLOW MAGIC ORCHESTRA

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GIJONYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN GIJON 19/6 08-GIJONYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN GIJON 19/6 08-
(2008/12/10)
YELLOW MAGIC ORCHESTRA

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連休中、すっかり具合を悪くしてました。久々にビッグウェーヴを食らった。
中途半端にお休みだと、かえって生活のリズムが掻き乱されて、神経とカラダとココロが混乱する。もうナンも出来ん状態。頭痛がメキメキ起こって目玉をえぐり出したい気分。肋骨から肩甲骨、背骨まわりの筋肉が軋んでイタくてイタくてたまらない。寝ても覚めても痛みから逃げられない。そんな時には多めにクスリをブチ込んで寝るしかない……のだが、痛みで目が覚める。ワケも分からず夜に家を飛び出して全力疾走したくなるほどテンパッた。カゾクに「お願いだから静かにしてくれ、じゃないともうココにはいれない、今すぐ外に行くわ!」とワメイタリしてた。掃除機が地獄のデスメタルに聞こえる!実際ボクは地球上のあらゆる音響の中で掃除機の音が最も嫌いだ。ワイフは掃除も出来ずハイパーうんざりしたに違いない。早く会社に行って通常ルーチンに入れてくれ!と思った。

ほんで、やっと今週の規則正しい生活が始まりました。
●全身に湿布をベタベタに貼りまくって、漢方と頭痛薬と安定剤をレギュラーの2倍増量で飲んで、どうにか正気を取り戻した。ふう、やっと普通に振る舞えるようになったよ。今回のピンチは久しぶりのビッグウェーヴだった。でもなんとか一安心。

●会社の通勤訓練を無難に過ごせてホッとしたー、と思いながらシモキタザワの町を歩いてたら、キャイ~ンのウド鈴木さんが素で歩いてた。いや、ただそれだけなんだけど。

そんで無難に家に帰ればイイのに、ディスクユニオンの前を通ってしまった。
●そしたら本日限りの年度末ゲリラセールをやってやがった。いつかはやるとは思ってたんだ、激安セール。ソレがとうとう来た。630円以下の中古盤は全部105円!コレは見逃せない!タダでさえ不安定なのに、こういう激安セールに出くわすと、ボクの脳ミソからはヤバい物質がドクドク分泌され、ヘンテコなハイになる。その瞬間においてはどんなクスリよりも興奮する。
「無駄遣いするなー!」という理性の声が遠くから聞こえて来るけど、もう指が勝手にCDをパタパタめくっていくのですよ。ふと気付くとCD20枚を握ってる。「たとえ105円でもそんなCDは要らねーよ!」という理性の声も聞こえるけど、ナゼか足はレジに向かってしまう。まさにCD餓鬼道、畜生道。
2000円でホントに欲しいCDをキチンと買うか、クズを20枚買うか、ドッチがイイのかボクにとっては永遠の謎だ。しかしソレ以前に、何がホントに欲しいCDなのかなんてとっくのムカシに見失ってる。期待してハズすより、絶対聴かねえコレと思いながら買って、意外に楽しめちゃう感動を見つけるのか好き。でもホントにハズしたクソ音減も数知れず。これがCD餓鬼道、畜生道。ホントに業深い、カルマが深いのです。


●で、マジでしょーもない音楽を買って聴いている。

Greatest HitsGreatest Hits
(2000/09/19)
The Bangles

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THE BANGLES「GREATEST HITS」1984~1990年
●なんで今バングルズなの?自分でもそう思う。つーか、オマエ本当に節操ないよなーフツウに音楽好きを自認するヤツならバングルスみたいなベタベタの80年代ヒット曲は聴かねえだろー、と自分に突っ込みたい。ただし、無意識下でボクの指が激安コーナーから引っこ抜いた理由はなんとなく分かる。今期全部観ちゃったドラマ「ラブシャッフル」の挿入歌に彼女たちの代表曲「ETERNAL FLAME」が使われてたからだ。1988年の曲だから、野沢伸司を脚本に迎えてプチバブルの匂いをさせてた恋愛ドラマにはピッタリなわけだ。ちなみに主題歌はダンクラの鉄板 EARTH, WIND & FIRE「宇宙のファンタジー」

「ETERNAL FLAME」の個人的思い出。ボクの高校でこの曲が下校放送に使われてた。
●ボクは高校生当時放送部だったから、この曲を選曲したのはつまりボクの仲間である。だからこの曲を聴くとその子のコトを思い出してしまう。その子は背が低くて小柄なオンナノコ、オモチャみたいにちっちゃい子だったので、彼女をトイちゃん(仮名)と呼ぼう。高校生当時からマスコミ志向が強かったボクとは違って、ごくフツウのオンナノコであるトイちゃんがどういう動機で放送部になんか入ったのか全然わからない。が、この時ばかりは彼女は1人頑張って、数曲を選んでテープに繋ぎ、ジブンでナレーションまで入れた。「下校時刻になりました。部活動を終了して速やかに下校しましょう」毎日毎日流れるBGMというモノは耳に染込むモノで、「ETERNAL FLAME」を聴く度にボクは夕暮れの校舎を思い出し、ちいさなトイちゃんの笑顔を思い出す。あ、トイちゃんはよく半ベソもかくオンナノコだった。それも思い出す。
●そんなトイちゃん、長く音信不通だったが、ひょんな偶然からお互いのメアドが最近判明した。ボクの大学時代のゼミ仲間が10年ぶりに連絡をよこして来たのがキッカケだ。ゼミの教授が3月で定年を迎え退職するという。正直、大学に全然思い入れはないし、何分こんな病気じゃセンセイに会わせるカオもないと思い、そのゼミ仲間にはセンセイを囲む会には出ないとメールした。すると「トイさんという人と仕事で知り合いました。ご存知ですか?」と返事が来た。ナニ!なんでボクの高校の友達トイちゃんをオマエが知っている?聞くとゼミ仲間もトイちゃんも転職を重ねてて、一時期同じ会社に務めてたという。へえ、世間は狭いモノだ。トイちゃんは、ボクもボクのワイフも知っているので、直接メールして近況を伝えると、ボクらがコドモを二人も設けたコトに驚いてた。彼女は保険の仕事に携わるキャリアウーマンだそうだ。

最後に音楽チックなハナシもしよう。ペイズリー・アンダーグラウンド。
THE BANGLES は、オンナノコ4人のロックバンドで、80年代前半にロサンゼルスから登場した。当時のロスには「ペイズリー・アンダーグラウンド」というムーブメントがあり、彼女たちはその中からキャリアを起こしたのだ。パンクロックの荒々しさと、60年代サイケデリックカルチャーをブレンドしたのがこのシーンの特徴。彼女たちは THE MAMAS & THE PAPASのようなコーラスワークを60年代から拝借してガレージサウンドに乗っけて歌った。ボーカル SUZANNE HOFFS の存在が目立つけど実はコーラスが結構イケテル。「WALK LIKE AN EGYPTIAN」「IN YOUR ROOM」のようなダンスポップスでもコーラスが効いてる。60年代志向というのは SIMON & GARFUNKEL「HAZY SHADE OF WINTER」のカバーをしてる所からも伺える。アレンジはビートロックだけどね。この曲はブレット・イーストン・エリスの小説を原作にした80年代の虚無的青春映画「LESS THAN ZERO」のサントラからヒットしたシングルで、おまけにプロデューサーは DEF JAM 創始者の一人 RICK RUBIN だったのだ。
●ブレイクのキッカケになった有名曲「MANIC MONDAY」は、偽名でクレジットされてるから見過ごされてるけど実はあの PRINCE が楽曲提供してる。殿下は SUZANNE HOFFS の声にかなり惚れ込んでの提供だったようで、後にワーナー内に作る自分のレーベルを「PAISLEY PARK」と名付けちゃったくらいだ。コレ明らかに「ペイズリー・アンダーグラウンド」から拝借してるに決まってるでしょ。
この時代のロスには、ガールズバンドがイッパイ。70年代末には「チェチェチェチェ…チェリィ~ボム!」 THE RUNAWAYS がおり(このバンドのベースが後に BANGLES に加入)、80年代ドアタマには THE GO-GO'S がおり、THE GO-GO'S からは BELINDA CARLISLE がソロデビューする(ジュワイオクチュールマキのCMソング「HEAVEN ON EARTH」…記憶不確か?)。そして80年代中盤は THE BANGLES。レーベルとかメンバーが重複しててこの辺のバンドはボクにとっては全部同じ一派。そんでナメテはイケナイ奥行きもあると思ってる。……でもやっぱ105円じゃないと買わないけどね。

娘ヒヨコの卒園式。

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コドモの成長ったあ、あっという間というモンです。
「三歩歩けば全てを忘れる」トリアタマ搭載のヒヨコが、幼稚園を卒園してしまいました。コイツがホントに小学生になれるのだろうか?そんな親の不安をヨソに、本人はこの日を満面の笑みで迎えたのでありました。

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●2クラス30人の子供たちは、クラスを跨いでみんなトモダチ。特にオチビさんでアニメ声であるヒヨコは、みんなのペットというようなポジション。この日もみんなにチューされたりダッコされたり頬ずりされたりと赤ちゃん扱いされてた。カワイガってもらって良かったな。

実は、この中で同じ小学校に進学するトモダチはたった一人しかいない。「ヒヨちゃんヒヨちゃん」と声かけて仲良くしてくれたトモダチのほとんどと、今日でお別れなのだ。
ボクもワイフも「お別れ」という言葉を一切使わなかった。だから、本人も同じ小学校に進むのは1人だけだという事は知ってても、ソレが他のトモダチたちと致命的にコミュニケーションが難しくなる事だとは認知していない……。ベソをかいてハナを真っ赤にしてるセンセイや、ワイワイジャレ合ってるトモダチたちと、明日も明後日も普通に会って遊べると考えているヒヨコ(写真右から2番目)。
●……でもそれでもイイよね。ヒヨコは、ある日道端で死んでしまっていたノラネコのクロちゃんのことも、夏の終わりに空へ放してあげたカブトムシのカブ姫のことも忘れない。楽しく遊んだトモダチのことも忘れないだろう。


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そんで、式の最後に、我々パパとママにお手紙をくれました。

「ままへ いつもごはんつくってくれてありがとう。
 ぱぱへ おびょうきなおってね
 ぱぱもままもだいすき ひよこより」

●コドモに自分の病気のことを心配されると、さすがにボクもジーンと来るわ。


ワイフの異常なクリエイティブ衝動。
●今年のワイフは、卒業アルバム委員でもないのに、「今のチームの編集方針には納得がいかない」と一人息巻いて、無理矢理出しゃばって卒業記念品プロジェクトの実質上のリーダーになってしまった。確かに第一稿のレイアウトプランはボクが見てもトホホ過ぎるデザインでこりゃお先真っ暗と思ったけど、関係者でもないアンタが出張るってのもどうなの?
●しかし、ワイフは完全に既存レイアウトを全部ひっくり返し、一眼レフカメラを妹から借りてバシバシ写真を撮り、ワイフの賛意がなければどのお母さんも動きがとれないほどの実権を掌握した。ビデオで園児やセンセイのコメントを撮影しては、マックで編集してBGMまで敷いた上で、記念DVDを付録につけてしまった。毎日深い時間まで夜なべして黙々とDVDを編集するワイフ。どうした風の吹き回しなのか?いつもはスミッコに隠れるようにナニもしない人なのに。卒園式の今日なんて、ママ友達からボクは「ヒヨコちゃんママは、ホントスーパーウーマンですね」って言われちゃったよ。いやソレは多分錯覚だと思います。

その一方で、ボクにはなんも相談しないの。ボクに相談するとアレコレ「ダメ出し」されると思ってるから(しかもソレは正解)。
だけど、ボクの苦手な質問はしてきた。「ねえ、卒業ソングっぽいBGM貸してよ」…卒業ソング?残念ながら、このボクは「季節柄にこの曲ピッタリね」という感覚で音楽聴いてるような神経の持ち主ではないのだ。この部屋には6000枚以上の音源があるが、そのテの実用ニーズに応える素材はない。だいたい、ボクは自分の大学の卒業式すらカッタルくて出席してないんだから。毎年ワンサと出て来る「桜ソング」をマークするほどヒマではないのだ……ワイフ「使えないわね、じゃこの部屋のモノは全部ただのゴミ?」……まあ、遠目に見たらゴミかも。


●そうは言ったが、いざ卒園式を終えてみると、なんとなく卒業ソングを探して聴いてみたくなってしまった。ノマドの時は感じなかったけど、ムスメだと感じ方が違うのかな。そんで今聴いているのは、ちと平凡な選曲で恥ずかしいけど、インディデビューの時からマークして、ライブも3~4回見てるくらい好きな、このシンガーのアルバムなんです。


アンジェラ・アキ「TODAY」

アンジェラ・アキ「TODAY」2007年
●このアルバムは、一曲目の「サクラ色」でしょ。桜の花に、かつて愛し合っていた恋人との思い出を見る歌。日本生まれのハーフだけど、高校進学時にハワイへ留学、大学時代をワシントンD.C.で過ごした彼女。卒業後、OLとして働きながらもアメリカで音楽活動を続けていた下積み時代。「サクラ色の時代を忘れない」と彼女が力強く歌う時、桜の花が美しいワシントンD.C.の街を生きてた時代のコトを歌っているに違いないと思ったりする。これが卒業ソングかと言われれば、ハテナな感じもあるけど、時に思い出が前に進むための強い力になる場合があるとすれば、この歌はその事を歌ってるワケで、卒業から遠く隔たった時に効く作品なんだと思う。
●シングル曲だった「たしかに」ヒヨコが好きなウタだったんだなー。わざわざ歌詞を全部ひらがなに打ち直してヒヨコにあげたことを思い出す。ヒヨコはボクやワイフと違って実は耳がイイ。2回も聴けばその歌をソックリ再現できたりする。カラオケ画面の歌詞文字を追うコトはできないけど、耳に残ったサビを伸び伸びと歌う。「たしかに」は軽快で爽やかな楽曲だけど、歌詞だけ読むとかなり凹む内容。アンジェラの激しいピアノのタッチや伸びのイイ声は、実は逆境を跳ね返した不屈の精神によってガチガチに鍛えられてる。彼女は強い女性だ。
「モラルの葬式」といったドラマチックな構成を持つ楽曲もボクは好きだ。この路線は次のアルバムの10分越え組曲「レクイエム」へと発展していく。

アンジェラ・アキ「ANSWER」

アンジェラ・アキ「ANSWER」2009年
●ファーストアルバム「HOME」が、日本人/アメリカ人と二つのアイデンティティを持つ彼女が、自分のルーツを探す「過去に向かう」作品だとすれば、「TODAY」は文字通り「現在進行形」の彼女が息づいている。そして、3枚目の「ANSWER」は、自己の可能性を広げていく「未来志向」の彼女が自分なりの「答え」を探して疾走していく感じがする。
●ピアノソロ弾き語り楽曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」は、実際に中学校の卒業式でよく歌われてるらしい。15歳の少年が大人になった自分とやり取りする往復書簡の物語。15歳の少年を励ましながら、大人になった少年も自分を励まし未来へと強く進もうと決意する。ボクのケースに引き込めば、15歳のボクも25歳のボクも35歳のボクも一貫してヘタレのままだ。なんかトピックがあればと言えば、ボクは15歳で今のワイフに出会い、20年経っても変わらず二人は一緒ってコトだけだ。
●洋楽志向の強いボクとしては、KUWATA BAND GUN 'N' ROSES まで挑戦した BOB DYLAN の日本語カバー「KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR」、BOZ SCAGGS「WE'RE ALL ALONE」の日本語カバーが耳に馴染む。
●でも、BEN FOLDS FIVE のリーダー BEN FOLDS と共作した黒ブチメガネ讃歌「BLACK GLASSES」がイチバンの注目曲だ。なんてったって、ボク自身がその黒ブチメガネ野郎だからね。「メガネをカーテンとして使っているんだ 世界を二つの穴からのぞいている それは本当の自分が隠れようとしているから」「ボクを君と同じように見てくれるかい 君のためにこのメガネを外したら」メガネが外せないヘタレ気分を明るく歌うが、このメッセージは見事な図星をついている。メガネで一枚フィルターをかけないと世界と接する事が出来ない弱さ、ボクが少し奇抜なデザインのメガネをわざわざ選んで毎年のように掛けかえている理由を彼女にバラされた。



卒園式の今日、ママさんたちは、センセイとも合流して、夕方から朝まで飲み屋で飲んだくれまくると言うのが毎年の慣例である。酒を一滴も飲まないワイフも朝までワイワイ騒ぐ。コレは兄ノマドの時もそうだった。コドモたちはワイフの実家に預けられ、ママさん達はドップリ朝まで心置きなく歌い騒ぐのである。

●そんで、パパであるボクも放置され、たった一人家でブログを打ってる。普通のパパさんたちは、式の後職場に向かっただろうが、病気で体力が衰弱してるボクは、予想通り具合が悪くなって午後イッパイ寝込んだ。会社は前もって休む旨を報告しておいてよかった。やっぱマダ普通の人間にはなれてない。

自律神経失調症とのお付き合い(その88)~「デイケア最終段階」編
●三月第一週。梅を観に行きました。

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●本来のボクには風雅すぎる行為なのですが、これはボクが週一回で通院してる精神科デイケアプログラムの一環なのでした。マイクロバスで十数名のメンバーさん&スタッフさんで移動、公園で梅の花を眺めるなんてしちゃったのでした。実はコレがとても寒くって、この週は体調がボロボロになっちゃったんだけど。

そんで今週のメニューは、ナゼか「釣り入門」。
●普段は「学習会」と称して、「生活保護申請」とか「インフルエンザ予防」とか、役立つ知識を講義するんだけど、今月はナゼか「釣り」。デイケアスタッフである臨床心理士ソコさんの趣味が海釣りというだけの理由で決まったらしい。今日初めて知ったけど、ソコさんの前職は釣り具店の店員さんだったのだ。
ソコさんはパワーポイントでプレゼンし、自分が釣り上げたサカナの写真をプロジェクター大画面で何枚も何枚も紹介するのだ。アジやイシダイ、シイラにカツオ、カサゴにメバル…あとはボクの知らないサカナたち……なんかコレ、ただの釣り自慢じゃないか……あ、段々飽きてきた……なんか眠い……で、ボクは熟睡。ボクが寝てる間に、実際の釣り竿を見せて「コレがリールです」的な解説もあったらしい。けど、よくわかんないや。精神科デイケア、ホントに癒し系。ホントにいつもノドカです。



しかし、この平和な空間と、お別れする時期が近づいてきた。
●会社診療所でのヤリトリ。産業医、会社の非常勤カウンセラーでもある横浜の精神病院の院長、そして池尻の心療内科の先生。3人の医師の意見を総合して、今後の大まかなボクの復職プランが整理されてきた。現在のペースで通勤訓練が出来ていれば、3月イッパイで週一回の精神科デイケア通院を辞めて、会社への通勤訓練を週5日にする。
●週5日ペースが定着したら、会社滞在時間を段階的に延長し、4月中に 9:30~18:30 という正規の就業時間まで伸ばす。そして、5月GW空け以降のドコかのタイミングで、復職とする。……ま、トラブルのない最速の理想パターンだ。…理想パターンはドッカで必ずコケるから、順調に進むとは思ってないけど。


●しかしともかく、去年7月から通ってきたこの「精神科デイケア」とお別れすることになる。そう思うとドコか寂しくなる。
●ココに集まる人は、皆ココロを病み、社会に順応出来ずにいる人たち。しかし皆一様に、物静かで、落ち着いていて、時に朗らかで、繊細で、心のキレイな人たちばかりだ。ボクがかつて抱いていた「精神障害者」というイメージは大きく覆された。とかく犯罪やトラブルに結びつけられる事の多い「精神障害者」という人々。しかし彼らのマジョリティは、静かに慎ましく暮らす、ちょっと内気な人々だった。それがここデイケアで学んだ大きな収穫だった。


●今日は、この「精神科デイケア」について、今一度考えるお話になります。「精神科デイケア」ってナニ?という人には、ボクがココに通院し始めた時の記事を事前に読んでいただく事をお勧めします。
自律神経失調症まとめページhttp://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-category-7.html
「精神科デイケア」に関しては、「自律神経失調症とのお付き合い」「57」から「69」をご参照下さい。



スタッフ・ソコさんとの会話。誰も卒業しないデイケア。
「ボクはそろそろ、ココを卒業する事になります。最速で今月イッパイ、今日を入れてあと3回です」そう伝えると、デイケアの中でのボクの担当スタッフを務めてくれたソコさんは「なんか寂しくなりますね。ホントは復職に向けての話でオメデタイことなんですけどね…すいません、ちょっとヘンですね」とポツリ小声で語った。
ここからちゃんと卒業して、キチンと就業を果たしていく人ってどのくらいいるんですか?ソコさん「……正直、ほとんどいないんです。可能な人たちは、多少のアルバイトやパートをしますが、正社員としてフルタイムで働けるという人は滅多にいません」デイケアに通いながら週3日程度働くといえばかなり上々、仕事に就いても頓挫してまた戻ってきてしまう事がしばしば。デイケアさえもドロップアウトしていなくなってしまうことも…。ソコさんがボクの卒業に戸惑ったのは、誰もカチッとしたカタチで卒業しないからなんだ…。

企業の障害者雇用の実態を聞く。
●確か、企業には従業員の何割かの人数分、障害者を雇用するという義務があるんじゃないですか?そうすれば、ココの人たちにも就業のチャンスはあるはずじゃないですか?「そうです。300人以上の企業には従業員数の1.8%の数の障害者を雇用する義務があります」 1.8%!ウチの会社は1200人くらいの社員数だけど、20人以上の障害者を雇わないといけないぞ。んっ?そんなにいるか、ウチに障害者?「そうなんです。ほとんどの企業がソレを守れない。だからその代わりにお金を納めて、障害者雇用に積極的な企業への補助金にするんです」へー。「それに、この法律に、精神障害者が加わったのは3年前の事だったんです」えっ!スゴく最近じゃん!身体障害者だけだったんですか?「車椅子でもPCが使えるっていう方が、企業は使いやすいですからね……精神障害者の人は、フルタイムで働けない人が多い。だから細かく障害に応じてランク分けがされて、就業態勢を工夫する仕組みもあるんですが……実際に正規雇用に着地するのは大変な事です」

就労支援センターという仕組みがありますよね、アレは何をするんですか?
「障害者の人とセンターのスタッフがタッグを組んで、職探しをする仕組みです」ハローワークにも障害者への求人案内が用意されていることはある。しかし、ココはより細かいサポートを得ることが出来るという。障害の質は、人それぞれ千差万別なので、センターのスタッフは障害者と細かく面談&打合せをして、この人にふさわしい職種や就業形態を相談していく。その上で、それに合致する求人を探す。センター自体が常に各企業をめぐって障害者雇用のチャンスを探していたり、ハローワークなどと連携して情報を収集などもしている。実はソコさんはこうした就労支援センターの仕事もしてたという。「営業まわりのように色々な会社をまわって、求人を探すんですよ」ふーん。
●そんで、ハローワークではありえないサービスだが、就労支援センターは、企業と障害者の面接にも同行してサポートする。話だけ聞くととても細かいサービスだな…。精神科デイケアのスタッフは、就労支援センターとメンバーさんとの橋渡しもする。しかし、そこまでやっても、デイケアメンバーの就労チャンスは実に小さいというわけか……。


20歳代前半、女性。バタコさんのケース。バイトから入院へ。
●いつも元気な笑顔が印象的だったバタコさん。ぼくがデイケアに通うようになったばかりの頃は、彼女にココの細かいルールや仕組みを教えてもらった。自由時間には一緒にトランプやウノをして遊んだ。正直、どこに病気を抱えてるのが全く分からない。じつに快活で朗らかな女性だった。
そんなバタコさんが去年秋からバイトを始めた。コンビ二にお弁当やサンドイッチを出荷する流通拠点で、商品をお店のバスケットに受注どおり仕分けしていく仕事だ。「生まれて初めてアルバイトを始めました!楽しいです」とイキイキしてた。バスケットの重さ、大きさは女性にはタフなもので、彼女の腕には青アザも出来てた。でも彼女はその仕事の様子をとても楽しそうに話す。こうやって病気の人たちは社会に帰っていくんだな……。そして、彼女と10月以降顔を合わせなくなった。きっと彼女がバイトを増やしてデイケアから遠ざかっているんだな……と思ってたが、それは間違いだった。
●12月のある日。病院の診察ロビーで久しぶりに彼女に会った。彼女のお母さんもトナリにいた。「あ、バタコさん、お久しぶりです…あっ!」気さくに久しぶりの再会を喜ぼうと思ったのだが、彼女が握っていたモノを見て、声が止まってしまった。それは入院患者が持つ病室番号付きの名札。バタコさん……。「ええ、そうなんです、入院しちゃいました。もう2ヶ月です」カオも血色を失い真っ青だ。彼女の病気がなんなのかはワカラナイ。でもあんなに快活で元気だったのに、デイケアの事を懇切丁寧にボクに教えてくれたのに、その彼女が入院だなんて…。正直、ショックを受けた。
3月現在、彼女は退院したらしい。しかしデイケアには来なくなった。誰も彼女の行方を知らないし、知っててもそれを他人に吹聴するのはタブーだ。病院は個人情報の管理をしっかりしている。バタコさんはボクらの前から消えてしまった…。


●でも、勘違いしないで下さい。デイケアの価値を貶めるつもりはないんですよ。こういうケースもある。


デイケアの長老、ツエさん。息子さんとの再会。
●発病し失業し家族も故郷も失いヘルニアを患って、ツエなしでは歩けなくなってしまった、その壮絶な人生を以前書いたと思います(その記事へのリンク)。今から十数年前のバブル崩壊期、労使闘争の間でココロを病み、精神病院の閉鎖病棟にブチ込まれ、一方的に離婚届を突きつけられて、それからずっと一人暮らし。
そんな彼のもとに、ある人物から連絡があったのです。それは、この十数年生き別れになっていた息子さん。この長い月日の間に息子さんも社会人として独立し、自分の意志で、父親であるツエさんに「会いたい」と電話をかけてきてくれたのです。そのコトをミンナに報告するツエさんは誇らし気でした。「オレはズーッと死にたい死にたいと思ってたんだよ。でもデイケアで立ち直って頑張ってきたおかげで、息子に会えるようになった。ホントにうれしいよ」
●何をもって「社会復帰」とするかは、これも人それぞれの価値観。就業だけが人生じゃない。ツエさんはツエさんなりに、デイケアという社会と向き合い、様々な行政サービスを受けてキチンと自立しているのだ。




そんな中最近読んでいる本。精神医学だけでは「病気」は克服できない。

野田文隆・寺田久子「精神科リハビリテーションケースブック」

野田文隆・寺田久子「精神科リハビリテーションケースブック」
村上龍の帯コメントが目を引いた。「開かれた社会では、問題を『外部とシェアする』ことが不可欠だ。コミュニケーション不全と向き合うすべての人に本書を推薦します」。病院のロビーに置かれているので、少しづつ読み進めている。完全に学術論文のような文章だけど、そんなに難しくはない。
「うつ病はココロの風邪」というフレーズが、巷に流れている。100万人もの患者がいるといううつ病は、風邪と同じくらいにポピュラーな病気だ、という比喩のつもりかもしれないけど、ぼくに言わせれば、うつ病は風邪じゃない。風邪は薬を飲めば治る。しかし、うつ病は薬を飲んでいるだけじゃ治らない(治ると思っている人がいるならそれは間違い!)。ましてや、統合失調症などさらに高度な病気はより一層複雑だ。
精神疾患は、様々なレベルでたくさんの人々が関わって、患者周辺の環境を整備することが必要だ。患者を中心に、医者、ナース、臨床心理士などのプロ集団、行政サービスの従事者、勤務先の企業、家族全員が緻密に連絡を取り、すべての人々が望ましい環境にいたるために、全員で変化をしなくてはいけない。問題をシェアすることが不可欠だ。この本はそういう事を教えてくれる。
●この本では、さまざまな治療ケースを紹介して、精神疾患を患った人を、誰がどのように関わって社会に戻したかが説明されている。問題は多岐に渡っていて複雑だ。患者自身が「病気じゃない」とガンと信じて治療を認めない。退院すべく努力したいが、家族側が患者をもてあまして退院を徹底的に拒絶する。職場が患者を解雇したくてしょうがない。そもそも人間関係が長年にわたってこんがらがって病気を発症してしまった人たちだ。そんな場合、患者も病んでいるが、周囲の人々もある意味ですでに「病んでいる」。この関係をうまく解きほぐして問題を解決するのがプロの仕事。風邪のように、5分の診察とお薬だけじゃ、何も解決しない。
●ただ、この本を読んで驚愕したのが、こうした総合的なアプローチが日本で取り組まれるようになったのは、1990年のことだという。ごく最近のことじゃないか!それ以前は「病人は一生入院しててもしょうがない」「そこまで医療側が患者に入れ込む必要はない」という認識が当たり前だったのだ。「施設病」といって、入院期間が延びることで病気が悪くなる、そして数十年も入院するケースが普通に横行してた。この本の著者は海外の臨床例を参考に最新手法を日本に導入しようとした先駆者なのだが、当初は周囲から猛烈なアゲインストを受けたという。うわー、日本の精神科が近代化したのはたった約20年前のことだったのか…。あぶねー、ボクは時代が違えば病院に閉じ込められて二度と社会復帰できなかったかもしれない…。


回復に至るケースはこの本に書いてある。ボクが知っているのは病気に至るケース。
●以前も書いたが、デイケアメンバーたちは、自分たちの病気を詮索されることもないし、他人を詮索するのもよいこととしてない。誰がどんな病気にかかっているかはお互いに知らない。それがエチケットだ。しかし、その一方で、他人に自分の苦しみを理解して欲しいと思っているのも事実。ふとした瞬間に、メンバーさんは、自分の物語を自らダーッとしゃべってしまうのだ。その中でボクが聞いてしまったケース。なるほど、こりゃ病気になるよ…と納得するお話。今回はプライベートに関わるから、仮名も使わずAさん、Bさんのお話にする。


Aさん。女性。たぶん60歳台前半。男運が悪すぎる人。
●会話のキッカケは iPod。ボクがコレをテーブルの上に置いておいたら、Aさんが「ワタシ、サザンが好きなのよ。あの最後のライブもビデオに撮って何回も見てるの」と話しかけてきた。音楽好きなボクはソレにすぐ食いついて音楽トークが盛り上がる。すると意外な発言が。Aさん「ワタシ、ドアーズとか好きだったのよね~」ええーっ!意外!おかっぱに髪を切りそろえた白髪混じりのオバさんから、ツルっと THE DOORS の名前が出てこようとは!おお「ハートに火をつけて」ですか!「LIGHT MY FIRE ね。ジムモリソンカッコいいでしょ」ええ、「BREAK ON THROUGH TO THE OTHER SIDE」も大好きです!「ワタシが高校生の頃は、ジャニス(ジョプリン)とかをレコードで聞いてたの」へええ。
●しかし、ココから彼女のタフな人生遍歴がズルズル出て来る。「でもね、ダンナがヒドいオトコでね、ワタシの大事なレコードを勝手に捨てちゃうのよ。子供が出来たから子育てに専念しろ、趣味なんて贅沢だってね」しかしそのダンナは、飲む打つ殴る働かずのハイグレードなダメ人間で、結局生計を立てるために働くのはAさん。成長した子供たちは、あまりのダンナの理不尽さに「母さんリコンすべきだよ!」と後押しして、父親を家から閉め出し別居&離婚を成立させたそうな。しかしダンナは離婚後、アパートの隣室に居を構えて離婚以前と同じようにノシノシと入って来る。そんなダンナから逃げるため、一時は千葉まで引っ越して身をくらませたという。
●実は、この結婚は二回目で、一回目もヒドい目にあった。最初の夫は強烈に独占欲の強いオトコ。当時は若かったので共働き、Aさんは大手電気機器メーカーのキーパンチャー(←スゴい職業だよね。今で言うPCオペレーターでしょ)、ダンナさんは工場のエンジニアをしてた。男性ばかりの職場の中で働くAさんに、勝手に不貞の疑いをかけたダンナさんは、嫉妬のあまりアパートの二階から彼女を突き落とした。大ケガを負い半身不随一歩手前までいったAさんに「やっとボクのモノだけになってくれたね」とダンナ。コレヤバイでしょ。さらにやはりDVAさんはアゴに5針縫うパンチも食らってる。このままだと命に関わると思って必死の思いで離婚したらしい。
「ホント、ワタシ男運ないのよね」と笑う彼女。いや笑えないっすよ、マジで。


Bさん。男性。たぶん30歳代中盤。孤立無援の正社員。
Bさんは、ボクとほぼ同世代とあって、ハナシがよく合う。高校時代はヤンチャなパンクキッズで、ラフィンノーズのカバーバンドでドラムを叩き、高校にバイク通学をし、校舎の裏側でタバコを吸ってたタイプ。声がデカクてスポーツもダイスキ、そんな彼がナンの病気なのだろうと思うくらいなのだが、彼にもタフな事情があった。
●現在失業中のBさんの前職は、外食産業だったらしい。詳しくは分からないが、ファミレス系または居酒屋系。店長のようなポジションを担っていた。しかし、営業時間が長い上にとにかく深夜営業がキツイ。正社員はBさんただ一人。あとは全員バイトで常に人員不足。人が足りないと上に訴えても「ラクしたければ下を育てろ」の一点張り。孤立無援。仕事が苛烈でココロとカラダをブッ壊した。
●学生バイトはやっぱり責任感が薄く、平気でシフトをバッくれるし、スキルが身についても3月になると一斉に辞めてしまう。そんな連中の起こすトラブルはBさん一人しか処理対応できないし、深夜の営業終了まで現場を離れられない。で、そこから事務処理業務の開始だ。帰宅は朝といった方がいい時間。そしてまた翌日、店が開く。無限ループで続く地獄。そこからBさんはドロップアウトした。いや脱出したと言った方がいいか。
●未婚の彼は、現在実家暮らし。というかアパートを維持できなくて実家に戻った。定年を迎えた年金生活者の父親は息子の状況をどうしても病気と理解できず、絶えず「働け働け」と怒鳴り散らす。「わかったよ、働いてやるよ!」とタンカを切って家を出た日のBさんは、半ギレ状態で新聞の求人広告チラシを睨んでた。「清掃業、一日3~4時間」「警備、交通整理、一日5~6時間」「このテの短い時間で済む単発系の仕事で、ジブンがドコまで出来るか試してみたいんだよね。結局オレ、カラダ動かす仕事の方が性に合ってるし」でも、あんま焦んない方がイイですよ。ボクも仕事のし過ぎで壊れた系の人間……世の中ってホントに楽な仕事ってないなあ。



精神科デイケアで出会った様々な人々。狭い業界社会に閉じこもって仕事をし、結果窒息してしまったボクのココロに、彼らは素晴らしいほどの新鮮な空気を吹き込んでくれた。この経験はホントにボクにとって得難い出来事だった。卒業する人のないあの場所を、無事卒業出来る事の貴重さを噛み締めつつ、ボクはスタッフ、メンバーの方々全員に感謝しています。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html

基本的にテレビドラマは見ないボクですが、今期は夢中になっちゃったドラマがありました。

TBS「ラヴ・シャッフル」
●なんと、脚本:野島伸二。世界金融危機にあえぐ現代日本の今の状況下で、トレンディドラマの権化たる野島伸二大センセイが、果たしてどんなドラマを作るというのか?ボクの電通に勤める友人が、吐き捨てるように言った言葉は「なんか、死語炸裂しまくってるって聞いてますけど」。イテテテテ…ハイ、その通り。ヘンテコなオヤジギャグがぽんぽん出てきて、見てるコッチが悶え死ぬ気分になる。やってる役者さんたちもツライのか、そのギャグのスベリッぷりをそのまま自虐的に笑ってるホンに変わっていった…。
●主人公たちのツナガリが、タワーマンションの最上階に住む住人という設定。そんな連中が「ラブシャッフル」という恋人交換ゲームを始める。せめて、2年前のミニバブルだったらハマったのに、とにかく時期が悪かった!放送初回、第二回は、高級レストランにプールバーが登場、さすがに周辺スタッフが修正を加えたのか、第三回からはいきなり安居酒屋までデートランクが格下げされる。時代感覚って大変だ。
●でもでも、別にボクはそこを楽しんでるんじゃないの!

注目はキャストです。
●このドラマ、テーマになってる「変愛ゲーム」というより、主要キャスト8人による個人演技/団体演技を眺めるような意味で楽しんじゃった。キャストが「自分の引出しを見せ合うゲーム」って感じ?

ラブシャ
●主人公・玉木宏もココまで三枚目に突っ込んだのは、ボク的にはデビュー作「ウォーターボーイズ」以来。谷原章介がスマートな精神科医を破綻なくヤリ切ると思ったら最後にサイコな面を出して来た。小島聖は気付かないうちに爛れた熟女パワーでフェロモンモンだし。

しほり
●ボクがこのドラマを選んだ第一動機は「スウィングガール」から注目してる、貫地谷しほりちゃん。朝の連ドラから「キミ犯人じゃないよね」そして「あんドーナツ」と切れ目なく活躍を続ける彼女を追っかけてます。しかし結果として今回は、バイプレイヤーとして一歩退いたポジション、しかも無難なお嬢様という設定の中に、こじんまりと収まっちゃった印象だった。来週の最終回に向けてナニか崩壊があるかしら。でも「キミ犯」の時の、コミカルキャラで毎週コスプレ七変化をカマしてた彼女の方が好きだなあ。今後はウマいカタチで、おすましキャラを粉砕して下さい。

由里子
●そしてもう一人が吉高由里子ちゃん。園子音監督の映画「紀子の食卓」で、主人公の妹を演じた時は、まだティーンネイジャーだったはず。でもね、もうこの一発でやられました。彼女スゴイです。人間ではなく「女優」という別の生き物。ぼんやりと狂気すらが透けて見える。クニャクニャした身のこなしと言葉のイントネーションだけで、ボクはご飯5合喰えますね。多分キャスティングした方もそれを理解して役をあてがったはずなんだけど、残念、このドラマで彼女のホントの狂気は引きずり出せなかった。自殺願望に取り付かれたリストカッター少女という役なんだけど、ただひたすら無表情で人形のように振舞うばかり。スゴく期待してただけにズッコケタ。最終回の最後の最後でマジの狂気を発揮するかな?

翔太
●発見は、松田翔太。彼の演技は初めて見た。正直、松田優作の息子、松田龍平の弟というレッテルが、ボクにとって彼の印象を捻じ曲げてしまってた。人気マンガが原作の映画「イキガミ」で主演を張ったという話を聞いても、食指は動かなかった。「イキガミ」はマンガで全部チェックしてたけど、映画としての着地点が予想できちゃうような気がして。オマケに主人公はヘタレな小役人なんだよね。
●でも今回は、生意気な新進気鋭のフォトグラファー。髪型もツンツンだけど、性格もツンツン。そんで男前!ワイルドにイキガッてるクセして憎めないヤツ。低い声がこれまたセクシー。でもナイーヴで繊細な一面も。実に面白い。今まで彼をノーマークにしてたのは失敗だった…カッコいいよ!

だいご
「ういっしゅ」 DAIGO がドラマに挑戦という話題もありました。「ういっしゅ」は息子ノマドまでやるからなあ~。変人ナードキャラという変則技でキャリアの浅さをカバーしましたが、結果としては「がんばりましたで賞」を差し上げたい。あ、そういえば彼のバンド BREAKERZ って聴いた事ないな。どんな音楽なんだろう?

かりな
●モデル出身から一気に女優としてレベルアップを果たした香里奈ちゃんは、男勝りで勝ち気なキャリアウーマンを演じる。あまりに自然な演技に、これが素なの?って思うくらい。彼女の顔は甘くもなるし辛くもなる。長編映画デビュー「深呼吸の必要」では沖縄のサトウキビ畑を背景にイノセントな少女を演じ、「しゃべれどもしゃべれども」では毒舌無愛想の口ベタ女を演じる。ドッチがホンモノ?ドラマ「バンビーノ」でもキツい女料理人としてマツジュンにプレッシャーかけてたなあ。本人はサバサバ系なのかな?
来週が最終回だ。さてさて、誰がどんな技を出してくれるかな?




もう一つ、今期全編を見ちゃったドラマがあります。

テレ朝「歌のおにいさん」
●主演/嵐・大野智!来た!の最終兵器!というか、のリーダーでありながらなぜか存在感は最後尾の大野くん!とうとう見せ場が来たぜ!

大野くんと SPEED HITOE ちゃん。この二人、ボクの中ではスゴくカブる。華はないけど縁の下の力持ち。
SPEED はご存知フロント二人のツインボーカルのグループだけど、あのユニットが疑似R&Bとして機能したのは HITOE ちゃんのダンスにブラックネスがあったからだよ(多香子ちゃんのダンスにブラックネスはないでしょ)。オマケにソロキャリアが伸びなかったのにも微妙に同情。結果的に全員バラ売りに限界がきたのか再結成ということになりましたが。それでも HITOE ちゃんのソロシングル、ボクはちゃんとゲットしたよ。もう部屋のドコにしまってあるかワカランけど。
●で、大野くん。彼もの中では一番のダンサー。殺陣も立派で座長公演のステージはかなりの迫力だったらしい。そんで、彼のフィギュア趣味がスゴい。いやオタク趣味じゃないですよ、彼、自分でフルスクラッチのフィギュアを作るんですよね。しかもソレが味のある黒人男性のユニークな表情をかたどったモノで面白い!ある意味ファンク。彼自身にどこまで自覚があるかワカランけどファンクが匂う。
HITOE ちゃんもブラックカルチャーへのリスペクトとしてグラフィティアートに挑戦してた。今は亡き伝説的雑誌「RELAX」が最初期の表紙に彼女のグラフィティを採用してて超興奮した。HITOE ちゃんにも、HITOE ちゃんのグラフィティに着目した「RELAX」にも敬意を表明。もちろんこの号は売却せずにまだキレイに取って置いてあります。

●しかし、が5人そろうと途端にやる気レスになってしまう大野くん。なんだかイジラレ役ばっかになってて、もったいない。しかし、今回のドラマ「歌のおにいさん」は、そんなやる気レスな大野くんのキャラクターがアンプリファイされたような主人公として登場。
●ろくでなしのニート寸前オトコが、勘違いの果てに「歌のおにいさん」をやるハメに。猫背&ガニ股も大野くんの素のマンマ。基本コミカルなテンションで行くんだけど、それなりにシリアスな局面を迎えて今日が最終回。なんと「歌のおにいさん」の出演番組が潰れてしまう!番組が潰れるって、一つのチーム、コミュニティが消滅するってコト。会社が一個潰れるのと同じ。出演者もスタッフも視聴者も引っ括めたコミュニティが崩壊する。それはテレビ番組の宿命なんだけど、その感覚にボクはどうしても慣れないし、慣れたくもない…。この危機に主人公は何を感じ、どう立ち向かうのか?

●紅白に突如登場し物議を醸した GIRL NEXT DOOR のボーカル嬢・千紗ちゃんなんかも出演しちゃったり。コレはまーコレで。前田健が珍しくストレートの役で出ています。片瀬那奈さんは三の線に思いっきり振り切った演技で今までで最高。木村佳乃姐さんが久しぶりにパリッとしてて気持ちイイ。子役タレントのリーダー、高良光莉は去年のホリプロスカウトキャラバンでグランプリに選ばれたスーパー小学生。「子タレなめんなよ!」とマセガキを気取りながら、実はまだまだ小さな女の子って役。子役の将来って前途多難だけど、負けないでね!

●ちなみに主題歌「曇りのち、快晴」は、名義ではなく、矢野健太 STARRING SATOSHI OHNO という名義。彼の役名で、彼がソロボーカルをとります。彼、歌もウマかったです。

●このテレ朝金ドラ枠、来クールは松田翔太が主演。これも見ちゃうな、きっと。


娘ヒヨコのヘンテコクリエイティヴがまた炸裂。

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●なんか知らんけど、ヒヨコは工作がダイスキ。手先の器用さでは兄ノマドを凌駕してるんですわ。そんで、またヘンなモノを折り紙で大量生産し始めた。これ、なんだと思います?

豆しば

「豆しば」ちゃんって言うんですって。
「L25」にこのキャラクターの広告ページをワイフが発見、「絶対ヒヨコが引っかかる」と予想して、そのページをわざとらしく開いてコタツの上に置いてたという。
●そしたら、まんまと食いついて、見よう見まねでたちまち大量生産。広告ページをボクの所に持って来て、「マメシバちゃん、つくります。ごチュウモンをどうぞ!」とか言って発注を求めて来る。
●そんで出来上がったのが(上から)「枝豆しば」、「虎豆しば」、「カシューナッツしば」、「納豆しば」、「アーモンドしば」、「レンズ豆しば」、「ひよこ豆しば」だそうです。他にも、「ピーナッツしば」、「ピスタチオしば」などの難物にもトライしてました。


●ホンモノの「豆しば」ちゃんについてはコチラのページを。
 http://dogatch.jp/special/mameshiba/top.html



●今日の読書。


和田竜「のぼうの城」

和田竜「のぼうの城」
●大河ドラマ「篤姫」でなんとなく歴史モノ、特に日本史モノに興味をそそられて、いくつか戦国~江戸時代関係の書籍を読んでいる。そんな中の一冊。実は「ビッグコミックスピリッツ」でマンガ化されたのを読んだんだけど、作画が「美味しんぼ」花吹アキラさん。残念ながらコレが楽しめなかった。登場人物のキャラ立ちが全然足らなくて、合戦の荒々しさも伝わらない。だから原作をわざわざ買っちゃった。
●時は戦国末期豊臣秀吉の統一事業も最終段階、関東地方を支配する北条氏秀吉は大軍を進める。北条氏の勢力下にある一支城「忍城」は、北条氏と共に抗戦すると見せて秀吉に恭順するつもりだった。しかし、秀吉の右腕・石田三成の策略/挑発で、転じて徹底抗戦へ方針変更。「忍城」の総大将は成田長親「デクノボウ」に由来するニックネーム「のぼう様」と領民に呼ばれるほどマヌケな男。そんな男が500人ほどの戦力で石田三成2万人の部隊に立ち向かう。さてさて、この「のぼう様」は強敵とどう戦うのか?
「坂東武士」というフレーズが気持ちイイ。政治の中心から遠く離れた辺境地域であった関東地方、百姓も武士も、身分に構わず好き勝手に振る舞う。目上の者にも堂々と持論を直言するし、ケンカも辞さない。あげく領主の城代を「のぼう様」呼ばわりする。洗練からはほど遠いそんな田舎者たちが、その荒々しい生命力で、天下人の威を借る大軍を蹴散らす。痛快!江戸時代の厳しい規律に囲まれ粛々と腹を切る武士よりずっと人間味あふれる連中だ。
●今となっては日本の中心、世界経済の一極を担う重要地域となった東京~関東地方に、こんなに素朴で若々しい時代があったなんて。そして、この東京にルーツを持つボク自身にも「坂東武士」の DNA が刻み込まれてるってコトも気分をワクワクさせる。



山田芳裕「へうげもの」

山田芳裕「へうげもの」
●こちらは「モーニング」の連載でマークしてる物件。まさしく佳境。「忍城」の一件をも含んだ小田原攻めも終わり、絶対権力者となった秀吉が、長年のブレーンを務めてきた千利休と決裂、とうとう切腹を命じる。主人公・古田織部は数寄大名として利休に心酔師事してきたが、ココでなんと師の介錯人を担うことになる。
●脚本/赤瀬川源平、監督/勅使河原宏、主演/三国連太郎の映画「利休」では、思慮深い芸術家として描かれた利休だが、「へうげもの」利休はそうではない。芸術家として自らの理想を追求もするが、一方で戦乱の世のフィクサーとして暗躍する側面もある。彼こそが秀吉を操って信長を暗殺した首謀者であり、そして秀吉を亡き者にしようと密かに暗躍していたのだから。自らの業を厳粛に受け止め壮絶に切腹を果たす利休と、そんな利休を純粋に師と仰ぎ、純粋に「へうげもの(ひょうげもの=ひょうきんもの)」である古田織部のイノセントぶりが真っ向から対比される。山田芳裕ならではの、ダイナミックな誇張表現が久々に大炸裂。見開き2ページで一コマを2連発。明日発売号からの新展開が見物。



●今日の音楽。

HORTENSE ELLIS「FEELINGS」

HORTENSE ELLIS「FEELINGS」1978年
●義弟 KEN5 くんからもらった物件。なんだかワカランままプレイヤーに乗せたら、味わい深いラヴァーズロックだった。イイ!1978年に収録というポイントも、まさしく由緒正しくラヴァーズロックの時期。レゲエでこの名字は?と思ったら……やっぱそうだ!ロックステディ期からの名シンガーで、去年10月に70歳で亡くなった ALTON ELLIS の妹さんだ。よく見るとプロデュースのクレジットにお兄さんの名前も入ってる。ミュージシャンに知ってる人はいるかな?ドラムで SLY DUMBER がいるわ!おお掘り出し物だよ。
●このヘンの時期のレゲエは、ちゃんとしたシステムで、とにかくデカイ音で聴きたいですな!ドラムとベースのヅドン!ヅドン!という鳴りを再現してくれないと、その旨味は半減だよ。ゴツくてカタい低音の響きがヒンヤリと冷たくて、その上にクールな女性ボーカルが華麗に舞う…。う~ん、たまらんねえ…自然とカラダが揺さぶられて来るんだわー。レゲエってノーテンキでルーズな音楽だと思ってる人がナゼか世間には多いんだけど、スゴくジャストでタイトで、ゴツくてカタくてタフな音楽だよ。

将棋少年ノマド。「子ども将棋大会」に出場。

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●近所の「青少年会館」(という名の小さくキタナい公民館)で将棋大会があるという告知を見つけ、息子ノマドにエントリーを勧めてみた。ノマドは、一時期はかなり将棋に入れ込んでて、「将棋ハンドブック」なるものまで自分で作ってたくらいだったのだ。しかし申し込み時期から時間が経ち、今はすっかりカードゲーム「バトルスピリッツ」に夢中になって、将棋は完全に忘れてしまった。練習もする気配がない。
●試合当日の朝、「バトスピ」も相手してやるから、将棋も一番パパと勝負しようと誘ってみた。ところがイザやってみたら、マジで弱くなってた。以前の最高に調子に乗ったノマドは、父親であるボクすらも時として負かしてしまうほどだったのに。ワイフなどはもう完全にノマドの相手にはならなかった。ジジには絶対勝てないんだけどね。

●ノマドと同じ小学一年生の子は5人ほどエントリーしてた。半分が同じ学校の顔見知りのコ。このコたちと小学二年生のコが一緒になり、2つのグループに分かれてリーグ戦を戦う。そして、勝ち残った子がトーナメント戦で上級生のコと戦う仕組み。開会の言葉という段取りまであって、結構厳粛な本格的雰囲気。チャラチャラしたコは怒られちゃう。さあこのタフな雰囲気の中で、ノマドどこまでイケルかな?応急処置的に、序盤の一般的な駒の進め方だけは教えておいたけどな~。

●3時頃、いつものレコ屋巡りをしつつ、ボクが「青少年会館」に到着してみると、ちょうどリーグ戦が終わったトコロだった。ノマドが同じクラスのコと廊下で走って遊んでる。つまりは残念、トーナメント進出は無理だったか。
●ノマド、何回やって何回勝ったんだ?「うーんとね、アンゴくんに1カイだけかった。あとはまけちゃった」うーん、残念だな、しょうがないね。でトーナメントに進んだのは誰なんだ?「アンゴくん」えっ、決勝トーナメントに進んだコだけにノマドは勝ったのか?スゴいじゃないか、ノマドが決勝に進んでもフシギじゃないってコトじゃん。よしよし。……と慰める。まあヒドい成績で終わるのは目に見えてたけどね。ノマド、やっぱり相当悔しかったらしく、家に帰って来たらベッドに入って寝込んじゃった(ちょっぴり半ベソで)。

●しかし、あとでワイフが詳しく聞いた所によると、ノマドは二人に対して避け得ない王手をかけたのに「王手って言わないとダメなんだぞ!」と相手(二年生)に押し切られて負けたという。ノマド、王手と言わないといけないなんてルールはないよ!しかももう一人には「まった!」をされてソレを認めたら負けちゃったという。

世の中にはルールや法律や道徳や義理やスジや道理ってモンが沢山あって、それなりの秩序がカチッとあるように見えて、実は声のデカイヤツ、ノリと調子がイイヤツ、そしてカネがあるヤツが全部を決める。最近年齢を重ねる度にボクにはそう思えるようになってきた……。試合後の講習会でも「相手が気付かなかったら2歩もアリです」とか言ってたそうだし。2歩はネエだろやっぱルールとして!しかしたとえそれが世間の真実であったとしても、今のノマドに世界をそう認知させるのは少々酷だし、明らかにまだ早い。たかが子ども将棋と言えど、ルールとフェアな精神で臨んでもらいたい。だから甘いかも知れないけど、ココはノマドを精一杯ほめる。

なーんだ、ノマド、ホントはノマド強かったんじゃないか!ルールをヨク知らないコに「本には王手を言わなくてもイイって書いてあるんだ!」って言ってやればよかったな。そしたら決勝に進んだのはノマドだったワケだ。ノマドがアンゴくんに勝ったのは、アンゴくんがちゃんとしたルールに則ってキチンと勝負してくれたからだ。今度試合があったら、もうちょっと練習してちゃんと実力出せるようにしような。やっぱりノマドは強かった事がわかってパパうれしいよ!と、失意のフテ寝から目覚めたノマドをハグハグしてあげた。よし、ノマドは今日頑張ったから、明日ご褒美にガンプラ買ってやろう!


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●試合の後は、女流プロ棋士のセンセイが多面指しで勝負&教授をしてくれたそうな。ノマド曰く、「とってもわかりやすかった」そうだ。ワイフ曰く、美人さんだったらしい。チッ!もっとヨク顔見とくんだった。

あと、この「青少年会館」というトコロがオモロいコトも知った。
マジで小中学生の溜まり場だ。試験勉強してる子もいたが、学ラン姿のイガグリ坊主頭くんが、仲間と一緒にケータイの着うたでチャットモンチーを鳴らして歌ってたり、4~5人の小学生が集まって PSP で対戦プレイを楽しんでたり、卓球台で遊んでたり、マンガを読んでたりと、いわゆるキッズのストリートな匂いが端的に見えるバショだ。オマケに受付のお姉さんは、夏休みのプール教室でノマドの面倒を見てくれたボランティア女性で「ノマドくんコンニチハ!」と声をかけてくれる。ノマド、ココでトモダチとツルんでダラダラしてみろよ。イタズラやワルさの相談でもしてみろよ。



●一方、父は、マンガで将棋を楽しんでいる。


まんが 羽生善治物語まんが 羽生善治物語
(1995/06)
高橋 美幸まきの まさる

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高橋美幸/まきのまさる「まんが 羽生善治物語」
●ノマドがある日、毎週通ってる公文教室で借りて来た本だ。羽生さんは、小学校時代を通して公文教室に通ってたらしく、羽生さんの少年時代からの伝記という体をとりながら、所々で公文式の宣伝っぽい表現も出て来る。まあ、ソコはご愛嬌。彼は小学校6年生で中学2年生の数学に取り組んでいたらしい。
●ノマドの公文はまだ飛び級できるほど進んでない。ただスピードは上がったな…。「スピードアップ!」とか叫んで、5枚のプリントを5分以内に始末する。一問に3秒のペースだ。本人もそのスピードを楽しんでる。一方ヒヨコは、4月から小学生に上がるのに、今だに幼稚園の年中級の内容しかできない。しかもヘタすると2時間くらいかかる。気が散って周りの人とオシャベリするか、スヤスヤ寝るかだ。なぜ兄妹でかくも集中力の度合いが違うのだろうか?

羽生善治は、その小学校6年生で奨励会試験を受け、3年後に四段に昇格。つまり中学三年生でプロになってしまった(1985年)。これは将棋史上3人目の快挙だとか。高校生活はプロとしての対局の連続で、普通科に通いきれず夜間部に転校するなんてコトまでしている。プロの対局は、朝10時に始まって終電まで続く事も希ではなく、格下の者が格上の者の拠点へ出向くのが基本なので、駆出し時代は地方遠征もしょっちゅうだった。天才は、大変なセイシュンを送ったのね。
●一方で、同世代の若きプロ棋士たちと研究会を作って、仲間たちとの切磋琢磨や、コンピューターを導入した棋譜分析までやった。こんなニュージェネレーションたちを、当時の将棋界は「チャイルドブランド」と呼んだという。それまでの棋士は命のヤリトリをするような関係で、プライベートでライバルと交流するなど考えられなかったというから、確かに羽生さんはその意味でも革命児だったのだろう。
●プロになって11年目、1996年、タイトル7冠を全て制覇。史上初の快挙だ。そのありがたみってのは当時のニュースじゃ全然よくわからなかったけど、ちょっと調べて驚いたのは当時の彼の年収。26歳にして一億円プレイヤーになってるのよね!野球選手と同じだけ稼げるんだプロ棋士って!しかも選手寿命も長いだろうし、著書や講演、テレビ出演でいくらでも副収入あるだろうから、スゴいボロい商売じゃん!やっぱ、天才は天才に見合うカネをゲットできるのね…。



ハチワンダイバー 10 (10) (ヤングジャンプコミックス)ハチワンダイバー 10 (10) (ヤングジャンプコミックス)
(2009/02/19)
柴田 ヨクサル

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柴田ヨクサル「ハチワンダイバー」8~10巻
●ペンネームの「ヨクサル」って実はムーミンの友達スナフキンのお父さんの名前なんだって!くっそー!ムーミンファンを自認してたボクとしてはソレに気付けなかったのが悔しい!ムーミンパパヨクサルと、スニフのお父さんロッドユールは友達同士で、若き日々は共に冒険をした仲間たちだったはずなのだ(原作小説「ムーミンパパの思い出」をご参照下さい)。
フジテレビのドラマはとっくに終わってるが、プロ棋士になり損ねた男・ハチワンダイバーアキバの受け師さん a.k.a. デリバリーメイドみるくちゃん「鬼将会」の戦いは続く。命懸けの真剣勝負が、いつの間にかナタを振り回しての暴力沙汰になってる所「なんじゃこりゃ」な展開だけど、ボコボコにされたハチワン「これが''肉弾戦''ですか!!! 痛いだけじゃないですか!! これなら、将棋のほうが、何倍も、痛い!!!!」とヘタレなりの気迫を見せる様は、現実を凌駕する将棋世界の奥深さを思い知らされる。
●最新刊では、それぞれの戦士たちが各々のやり方で「鬼将会」に接近。ハチワンの将棋は過酷な環境において急激に進化する。魑魅魍魎が跋扈する地下将棋世界を、彼らはサバイブできるのか?
●ワイフは「ガンプラじゃなくてDS将棋を買って上げたら」というが、将棋は生きた人間とやってこそ意味がある。ゲームでもオンラインでもダメだ。またボクがノマドの相手をしてやるよ。でもそろそろトモダチと指し合うコトも覚えような、ノマド。



3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)
(2008/02/22)
羽海野 チカ

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羽海野チカ「3月のライオン」1~2巻
「ハチクロ」羽海野チカが次に取り上げた題材が「プロ棋士」だとは恐れ入った。意外すぎる。しかも、主人公・桐山零羽生善治と同じく中学生にしてプロになった若き天才だ。しかしその割には悩み多き孤独な少年。
●二巻の冒頭の彼の独白。「『家もないし』『家族も無い』『学校にも行って無い』『友達も居無い』アナタの居場所なんてこの世の何処にも無いじゃない?……だからこそプロになりたいと思った。自分の力だけで生活する事ができればそこが「自分の居場所」になるんじゃないかと思った」彼は、将棋を勝ち上がって来た男ではなく、将棋へとハジキ飛ばされて来た男だった。絶望に深く捕われてる。
●そんな彼が偶然に出会った三姉妹。グラマーで家庭的なお姉さん・あかり、思春期真っ盛りの中学生・ひなた、元気イッパイ幼稚園生のモモちゃん。が知らなかったモノを、気持ちよく授けてくれる3人の明るさがマブしいっす。「天才」として始めから完成されてしまってたモノが、徐々にホドけて解体され、「普通」の人間として血を通わせていくプロセス。しばらくこの物語に夢中になれそう。


ハチミツとクローバー (10) (クイーンズコミックス?コーラス)ハチミツとクローバー (10) (クイーンズコミックス?コーラス)
(2006/09/08)
羽海野 チカ

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羽海野チカ「ハチミツとクローバー」全1~10巻
●映画で見た「ハチクロ」だけど、「3月のライオン」キッカケで全巻一気読み。天才少女であるはずのハグちゃん(映画では蒼井優以下同)が、ただの小動物&コロポックルになりすぎるのでイマイチ説得力がない……コレって「NANA」がロックバンドの物語であるのに全く音楽もロックもしないトコロとちょっと似てる……。
●でも、ハグちゃん以外は、キチンとそれぞれの得意分野でキチンとクリエイティブを発揮するのよね。悩める凡才・祐太くん嵐・櫻井翔)ですら、奇妙な塔を作り、放浪の旅に出て自分の生きる道を見出す(このクダリは青春クサかったねえ…)。ボクは、終始一方的な片思いに悩む山田あゆみ関めぐみ)サンがスキ。孤高のハグちゃんとコミュニケーションが取れる唯一同性として頼もしいし、陶芸という分野で着々と仕事を取っていく部分も逞しかった。一皮ムケ切れない秀才・真山くん(加瀬亮)は、その山田サンの思いを受けながらも別の女性に報われない憧れを抱き続ける。クールな顔して実直にキャリアを積み上げ、憧れを憧れのままにしないド根性が好感。もう一人の天才・森田センパイ伊勢谷友介)は国境を軽々と超えて、破天荒に活躍しまくってるからそのまま飛んでけーって感じ。ハグちゃんは最初から天才でそして天才のままナニも変わらない(ちょっぴりは変わったか?)けど、彼女を触媒に周りの若者は見違えるようにグングン成長したよ。
●ボクは恋愛だなんだというのにノメり込めないタイプなので、小さいサークルの中でモニャモニャ惚れたハレただのするだけの話は楽しめない。ハッキリ言ってどーでもイイ。しかし、恋愛が推進力になって主人公たちが成長していく様はカッコいいと思えた。美大という浮世離れしたモラトリアムのド真ん中から、社会に巣立つにふさわしい逞しさを、全員が獲得していく様子が美しい。



●今日の音楽。

FishscaleFishscale
(2006/03/28)
Ghostface Killah

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GHOSTFACE KILLAH「FISH SCALE」2006年
WU-TANG CLAN 軍団の中で、多分イチバン勤勉なオトコ。ソロアルバム7枚は多分 WU 軍団の中では一番の数じゃなかろうか?ゴーストフェイスとは言いながら、WU の連中の中では一番人懐っこい顔してるし。声もその巨漢ぶりとはウラハラに結構甲高い声で、何しろソウルフル。シーンに登場した瞬間の WU-TANG CLAN は、ヒップホップの裏技反則技ヨゴレ技の連発で名を挙げた所があったけど、この人のソロ活動は、実直にソウルの伝統やヒップホップの伝統に実に忠実であろうとしている感じがする。いや実直すぎて笑える瞬間もあるくらいだけど。
●そんでこれはソロ6枚目。トラック提供で目を引くのは、生演奏のエレキギター&ホーン部隊をループに落とし込んだファンクチューンを披露したJUST BLAZE(1曲)、この2006年に膠原病でこの世を去った天才トラックメイカー J DILLA(2曲)、そして王道の90年代風 NY サウンド PETE ROCK(3曲)、COOL & DRE(1曲) など。特に注目は、変態アングラパフォーマー MF DOOM が4曲もトラックを提供している事。コイツの少々崩れ壊れた気分の漂う一本調子のループが独特でクセになる。J DILLA のトラックも繊細なソウルが香る独特のアブストラクト感がたまらない。
●客演は、義兄弟 RAEKWON が4曲、WU-TANG 全員が勢揃いしてる曲もある(よく集まったね)。スピード感あるマイクリレーはやっぱたまらんネ。NE-YO がノドを披露してる場面もあり。ソウルフル~!
EXILE が14人になっちゃった。
●まるで、モーニング娘。/ハロープロジェクトのような増殖ぶり。ビックリ。

エクザイル14人

「EXILE」という言葉は、ボクにとっては THE ROLLING STONES「EXILE ON MAIN ST.」という二枚組アルバムを連想させるのよ。ホンキートンクな名曲「TUMBLING DICE」を収録してる。邦題は「メインストリートのならず者」。「EXILE」「ならず者」って意味なんだよね。14人に増えましたが、これからも頑張って「ジェイポップメインストリームのならず者」としてもっとノビノビ暴れてください。

(この辺に↓いるオッサンが昔から気になり続けてる。ナニがホッペに入ってるの?)
Exile on Main St.Exile on Main St.
(1994/07/26)
The Rolling Stones

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しかし、最近知り合った、庶務デスクの女性がプンプン!
「ちょっと、アレってどう思います?!ヒドくないですか!」彼女は毎年 a-nation に行ってしまうエイベックスサウンド大好きオンナノコ。だから職場の隅に落ちてたエイベックス系のサンプルを彼女にあげたら、仲良くなっちゃった。しかし、EXILE 増殖事件 にはいたくご立腹だ。確かにこの手の感情は一般的らしくて、エイベックス社長 MAX松浦 のブログが炎上してるという話も。
ねえねえ、ファンとしてはどこが一番納得いかないの?教えて?インタビューするボク。「だって、一人一人のアジが薄まっちゃうじゃないですか!」ナニを分かり切ったコトを!と言わんばかりの剣幕だ。あー、アジねえ…。でも新加入のメンバーの NESMITH はいいシンガーだと思うよ。「でも、あのオーディションで負けたコじゃないですか。欲しけりゃ最初から入れりゃイインデスよ!」おお、スゴイ怒りだ。


今回加わった新メンバー7人は本来は J SOUL BROTHERS と名乗ってた連中。
●で、EXILE の2軍部隊とも言える存在。EXILE は大きなククリとして「EXILES」というファミリーを従えてて、マジでハロプロ、ある意味 WU-TANG CLAN のような裾野の広い才能を抱えている。しかも J SOUL BROTHERS というユニット名は EXILE の前身ユニットの名前であり、EXILEかつて自分たちが名乗ってたユニットを弟分に貸していたと言う訳だ。
モーニング娘。「ASAYAN」というテレビ番組でオーディションの中で淘汰されていった負け組が、つんくによって組織されたグループだった(ちなみにそのオーディションの勝者は鈴木亜美)。その後も「ASAYAN」を舞台に新メンバーをフックアップする過程を見せつけ、いわゆる「モー娘サーガ(神話)」とも言うべき物語を作り、ハロプロ帝国とも言うべきタレント集団を形成した。
●実は EXILE にも負け犬としての歴史があり、「ASAYAN」との浅からぬ縁もあり、壮大なオーディションを展開して物語を描いた。モー娘。/ハロプロが没落しつつある中、新たなサーガを描くのは EXILE かも知れない。
●だってCDセールスは絶好調。二年連続でゴールドディスク大賞を受賞、比類なき結果を出している。男性アーティストの中、ジャニーズ系以外でこんだけ存在感があるのって実は現行 J-POPシーンに彼ら以外いなかったりかも。敢えて比べるなら、ミスチルくらいじゃないのかな?

エクザイル14人2


でもでも、去年繰り出した「ベスト盤」連発作戦は、ズルイんじゃないか?という批判もある。
●たしかに「CATCHY BEST」「ENTERTAINMENT BEST」「BALLAD BEST」の連発、そして、もはやCDがおまけでDVDがメインかと思える豪華セット(CD1枚+DVD2枚で5000円超え)は、コレがネット配信時代のCD商売なのかと感心しつつも、過去の遺産を擦り絞るような、なんか焼畑農業のような商売だなあという気分も。EXILE は2005年にも「PERFECT BEST」という2枚組CD+DVDのセットを出して思いっきり過去の遺産を擦ってる(しかもオリジナルアルバム一枚をほとんどまんま収録するような荒技)。今は他のアーティストも安易なベストやコンピがいっぱい出してるでしょ。これでいいのかなー音楽業界……なんつって。必死なんですよね、みなさん。

PERFECT BESTPERFECT BEST
(2005/01/01)
EXILEEXILE feat.ZEEBRA & MACCHO

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ハッキリ言って、ボクはまともに EXILE を聴いた事がない。ダンサーチームとしてみてたので、音楽は別だろってドッカで思ってた。しかし食わず嫌いはいけない。今日は、このグループの持つチカラについて真面目に考えてみよう。前述したベスト盤たちを入手してガチッと聴いてみるのである。




●冷静に3枚のベスト収録曲を確認してみると、EXILE が結成された2001年の頃からの曲をまんべんなく網羅してる。実は彼らは下積みの長いグループ、このベスト群ではブレイク以前の曲、脱退した SHUN(清木場俊介)の在籍時代の曲などを、 ATSUSHI & TAKAHIRO の現行ボーカル体制で新たに再録音してたりしているわけで、浮かばれない曲をもう一度世に出してあげてるような感じが漂ってる。


EXILE ENTERTAINMENT BEST(DVD付)EXILE ENTERTAINMENT BEST(DVD付)
(2008/07/23)
EXILESHOKICHI(J Soul Brothers) EXILE TAKAHIRO + NESMITH

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「ENTERTAINMENT BEST」2003~2008年
●彼らは、普通のシンガーたちと違い、「エンターテインメント」という言葉をよく口にする。「これからもいい曲を歌っていきたい」と普通のシンガーなら言う部分で、「これからも素晴らしいエンターテインメントを提供する」というような言葉を話す。EXILE は、ご存知の通り、ツインボーカルに加えて、5人のパフォーマー(と呼ばれるダンサー)で成り立っているから、彼らにとってボーカルミュージックは、自分たちの目指すモノの一面にすぎず、ダンスパフォーマンスをも含む立体的で総合的な「エンターテインメント」こそが自分たちの持ち味と自覚しているわけだ。だから、その「ENTERTAINMENT」を名前に冠するこのセットこそ、彼らの真髄が一番こめられてるのではとボクは思った。
●そんで彼らの真髄はなにか、と言えば、日本で本格派の男性R&Bをやってみせるという志だ、と思う。女性R&B はメジャーとしてカッチリ定着した現在のJ-POPだけど、実は男性R&B をちゃんとやってる人って実は希少。メジャーセールスを達成してる人は他に誰がいるだろう?むしろヒップホップの方が定着してるよね。そういう意味では、この楽曲たちは R&B としてちゃんと濃い。フロア向きなBPM120ペースは、日本人の一番好きなスピード感。DVDをみれば手数が多くて切れのイイダンスパフォーマンスも目一杯見られる。妥協なき R&B のウエット感は確かにたぎってます。
●新曲でCMソング「SUPER SHINE」は洗練されたスムース感が、ピカピカの床をエアホッケーがすべるような気持ちよさを持ってくるし、あの L.L.BROTHERS が作詞作曲に関わった「NEW JACK SWING」は、自らのルーツに実直に立ち返った潔さがある。「24KARATS -type EX-」はハードなヒップホップユニット DOBERMAN INC. が凶暴なラップを突っ込み(彼らも「EXILES」の一員)、いつの間にか超セクシー系(直球に言ってエロ系)に転向した女性シンガー SOWELU が華を添える豪華なダンスチューンだ。GLAY ×EXILE 名義で発表した「SCREAM」もロック度を下げて最録音。US本場感あふれるサイバーがかった特殊トラックを器用に捌きこなす「MAKE LOVE」とかはフツウにカッコいいと思っちゃった。うむ、アナドレナイ。
●そんなアナドレナイトラックを誰が作ってんの?と思ってクレジットを眺めると、T.KURO & MICHICO FOR GIANT SWING PRODUCTIONS という制作チームが目立つ。この人たちアメリカ・アトランタ在住の人みたいで、ミックスもアトランタの STANKONIA STUDIO というトコロで行われている。もう名前だけでピンと来るが、アトランタ、いやアメリカのサウスシーンを代表するラップデュオ、OUTKAST のハウススタジオだ。むーん。本格派じゃん。


EXILE CATCHY BEST (DVD付)EXILE CATCHY BEST (DVD付)
(2008/03/26)
EXILEEXILE feat.VERBAL(m-flo)

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「CATCHY BEST」2003~2008年
●こちらはキャッチーというだけあって、確かにとっつきやすいが、味も薄い…。EXILE のルーツにあたる「CHOO CHOO TRAIN」のカバー、THE BUBBLEGUM BROTHERS のディスコクラシック「WON'T BE LONG」のカバー、なぜかの選曲「銀河鉄道999」のカバーが耳を引きます。でも、彼らのコダワリの核である R&B 魂は非常に希薄なのでした。ワザワザ再録音しているのに、この 米米CLUB が昔にやってた級の脇の甘いライトディスコになってるというコトは、本当に細かく戦略して敢えて「J-POPをやってますよー!」と主張してるに他ならない。このあまりに潔い割り切りと、「ENTERTAINMENT BEST」との明白なメリハリに感じたのは、彼らの中で J-POP と本格 R&B の間には、パックリと使い分けの意識があり、二つのアプローチに戦略的な視線が明確にあるということだ。遠めに見たら完全に EXILE なんだけど、「ENTERTAINMENT BEST」とは質が全然違うのだ。
●しかし、このキャッチー路線がなければ、現在の EXILE は存在しなかっただろう。パリパリの R&B を日本市場が受け入れるようになったのは本当に最近のことだ。あのドリカムですら純粋な R&B で生き残って来た訳じゃない。宇多田ヒカルだって R&B 路線だけではやっていけてないのだ。安室奈美恵だって小室哲哉から離れて R&B 純粋路線に走った途端に停滞した。倖田來未AIも長い下積みを強いられている。実際彼女らは EXILEとほぼ同期だし。青山テルマ加藤ミリヤの世代まで来なければ、純粋 R&B 路線だけでやっていけるアーティストは出て来てないのだ(あくまでメジャーセールスのハナシね)。
●2006年に行った巨大公開オーディション「EXILE VOCAL BATTLE AUDITION 2006~ASIAN DREAM~」で、敢えて正統派イケメンである TAKAHIRO を選出したコトも、一般 J-POP リスナーに配慮した結果と見える。ハッキリ言って ATSUSHI もその他のメンバーもフツウのオンナノコなら絶対合コンしたがらないと思う。だってコワいもん。その意味で TAKAHIRO の加入は濃すぎる部分をウマく薄めたよね~。戦略家だよな~。


EXILE BALLAD BEST(DVD付)EXILE BALLAD BEST(DVD付)
(2008/12/03)
EXILE

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●「BALLAD BEST」2001~2008年
●うわ、バラードか…。実は苦手なんです、バラード系。unimogroove と名乗ってるだけあって、ボクはノリだけで音楽聴いてる部分が大きくて、分かりやすいグルーヴ感がないと取り付くシマがないのです。ソレを前提にして、申し訳ない事言うけど、EXILE が歌う必然性のない曲がある…これ、郷ひろみが歌っててもいいんじゃないのかな…なんて思ったり。ヒップホップソウルとしてはなんか中途半端なんだよな…。WHAM!「LAST CRISTMAS」日本語バージョンは、悪くないけどよくもないかも。ハッと感じるのは、「HOLY NIGHT」のアカペラバージョン。シルキーなコーラスに敷き詰められたドゥーワップなアプローチには清々しい気分にさせられた。
●PVには、女優・美波(←ドラマ「有閑倶楽部」以来注目です。多分彼女スゴいです)と、スカパラ谷中敦さんのベッドシーンなんかなぜかあって、お金かかってます。

WHITE~Lovers on canvas~(DVD付)WHITE~Lovers on canvas~(DVD付)
(2009/02/04)
COLORCOLOR with Boyz II Men

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COLOR「WHITE ~LOVERS ON CANVAS」2009年
●本来はボーカル ATSUSHI のサブユニットで、現在は彼が脱退しプロデュースだけ関わるようになった4人組コーラスグループが、この COLOR だ。そんで、やはり「EXILES」の一員だ。コレも完全なバラードアルバムなんだけど、実はコッチの方が楽しめちゃった。リードボーカルの声域がハイトーンでファルセットもお見事。一人リードかと思ったけど、とても似た声質の2人が掛け合いボーカルでかぶせるスタイル。そしてシルキーなコーラスワーク。本格派コーラスグループはホントに貴重だ。こういうの久しぶりに聴いたよって気分になったもん。今はアメリカでも R&B はソロシンガー全盛で、コーラスグループがいなくなってしまった。トラックには派手さも新鮮なギミックもないが、90年代前半の、ヒップホップソウル以前の王道ジューシー R&B を連想させてくれる。
●実際、BOYZ II MEN とのコラボ曲もあったりして。DVDにはレコーディング風景が収録されてるんだけど、BOYZ II MEN はさすがの芸歴、スゴい。リハも発声練習すらもなく、いきなりアドリブでコーラスをつけるんですわ。一人がこう歌ったなら、オレはこう歌う、とメンバー各々がその場のノリでコーラスを積み上げる。ビビったボクですが、COLOR 本人たちもビビってた。イロんな意味で、実は今回一番の掘り出し物でした。



リーダー兼所属事務所社長のHIRO。元ZOO、そしてその後の苦闘と男気。
●遡ること1991年、ハウスミュージックや、MC HAMMER といったダンサブルなヒップホップが海外から移入されてきた時代。「たけしの元気が出るテレビ」の「ダンス甲子園」など、日本の大衆文化もこのダンスムーブメントに反応した。
●当時高校生だったボクは、ダンス好きのオトコが一人で新しい部活「DMC(多分 DANCE MUSIC CLUB の意)」を立ち上げたと聞いて、ろくに知り合いでもなかったのに会いに行ってアレコレ話をした。医者の息子だったソイツは、クロスフェーダーの付いたDJミキサーとターンテーブルSL-1200mkII を二つ、そして柔道場くらいの面積をラウドにカバーするPAシステムを持ってた。ボクはココで生まれて初めてクロスフェーダーをいじくり、12インチのシングルの回転を手で止めて、針から音をコスリ出す「スクラッチ」という体験をした。そんなヤツが見てたテレビ番組が、テレ朝の「DADA L.M.D.」だった。

●毎週、最新の音楽をBGMに、ファッションショーのランウェイのような花道で、腕に自信のある若者たちが各々フリースタイルでダンスを決めまくる、そしてその中でスゴイヤツが勝ちあがる、そんな番組だったと思う。ボクもリアルタイムでよく夢中になってみた。…自分で踊ってみようとは思ったことないけどね…で、そんな番組から選りすぐられたダンサーたちがチームを組んだ。それが ZOO だ。EXILE のリーダーであり、所属事務所の社長も兼ねる HIRO は、この ZOO の一員だった。
ZOO は、ボーカルに後の TRF となるボーカル YU-KI を据え、当時のダンス旋風を背に時代の寵児となった。1992年には武道館の単独公演まで果たし、代表曲「CHOO CHOO TRAIN」もCMソングとして大ヒットした。しかし、凋落も早く1995年には解散する。
●彼らの活動の最末期、DREAMS COMES TRUE のバックダンサーを務めてた様子をボクは見た。それは、巨大メリーゴーランドのようなステージを組んで360度のお客さんにパフォーマンスを見せる一大野外コンサート「ドリカムワンダーランド」だったと思う。その頃コンサート警備のバイトばっかり入ってたボクが、バイトの中で見たライブだ。単独で武道館やった連中が、他のアーティストのバックってのもへんなハナシだなと、勝手に思ってたな。

●その後 HIRO は現メンバーの何人かに出会い、もう一度再起を目指すも、仕事のナイ苦しい日々が続く。ブームに乗せられただけの ZOO 時代に作ってしまった慢心を根底から覆されるような屈辱を味わったに違いない。最終的に HIROエイベックスの現社長 MAX松浦 にアタマを下げ、再デビューのチャンスを請う。その結果始動したのが J SOUL BROTHERS だったという。
●1999年、念願の再デビュー。「CATCHY BEST」に収録されている「FLY AWAY」 J SOUL BROTHERS のレパートリーだったらしい。その後2001年にボーカリストの SASA が脱退。新ボーカルとして ATSUSHISHUN を迎え、グループは EXILE と改称した。

ボーカリストATSUSHI & SHUN。「ASAYAN」からの敗者復活。
「ASAYAN」は、モーニング娘。だけを発掘した訳じゃなかった。男性ボーカリスト・オーディションも行われ、そこから生まれたのがデュオ CHEMISTRY だ。そして、ATSUSHISHUN はココで破れ落ちた男たちだったのだ。特に ATSUSHI最終選考まで残った上で落選した。この口惜しさはたまらないモノであっただろう。ソコを二人は HIRO によってフックアップされた。敗者は敗者の気持ちを知るということか。



今回合体を果たした新編成 J SOUL BROTHERS も敗者復活戦チームだ。

J Soul Brothers(DVD付)【初回限定フラッシュプライス盤】J Soul Brothers(DVD付)【初回限定フラッシュプライス盤】
(2009/02/25)
J Soul BrothersEXILE

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●2007年、HIRO はかつて自分たちが名乗っていたユニットを全くの新メンバーで再編した。第二期 J SOUL BROTHERS だ。ココにも挫折を味わった者がいる。ボクが注目しているのはボーカリストの NESMITH だ。ジャケの中央にいる、黒人さん&日本人とのハーフの青年。
●彼も「ASAYAN」の敗残者だ。ATSUSHI とともに最終選考で敗れ去った。しかしそれを乗り越え、STEEL というユニットで2001年にデビューしている。俳優・柏原崇の弟、柏原収史と2人組のボーカルグループで、柏原のロックボーカルと NESMITH の R&B ボーカルの掛け合いが新鮮だった。当時ミニライブを生で見たんだけど、当時まだティーンネイジャーの NESMITH「うわ、天才少年!?」というオーラを放ってた。しかし、あっという間にこのユニットは活動停止。あららら、残念。それから彼の消息は不明…。 
●彼が再びメディアの前に現れたのは、EXILE の例の巨大公開オーディションだった。しかもシード出場。ま、そりゃそうだ、だって一応素人じゃないもんね。あの時はそんなシード権をもった連中が何人かいたような気がする。しかし、結果はご存知の通り、素朴に EXILE に憧れてた青年 TAKAHIRO が栄冠を勝ち取った。ここでも NESMITH は屈辱を舐める。
●しかし、HIRO第二期 J SOUL BROTHERS を編成し彼をフックアップしていた。それは、この EXILE 拡大の話題まで知らなかったけどね。もう一人の相方ボーカリスト SHOKICHI も巨大公開オーディションの第三次審査まで進み、しかしそこで敗れ去った男だ。HIROさんていいヤツだな。負けたモノにもチャンスを渡す。敗者は敗者の気持ちを知る。
●メジャーデビューアルバムだった「J SOUL BROTHERS」についているDVDには、彼ら7人が組織され鍛えられ結束を固めていく様がドキュメンタリーとして綴られている。アツい連中です。
「日本に本格R&Bを」という志をユニット名に託した J SOUL BROTHERS の音楽。EXILE とのコラボ曲のバージョン違いや、第一期 J SOUL BROTHERS の持ち曲は、本家に負けない戦闘能力を感じる。特に、この NESMITH の艶のある声がよく響く。昔は単にシンガーであった彼は、今ではダンサーとしても十分な実力を備えてる。


EXILE は当面2トップのボーカル体制で行くらしい。が、速やかに4枚看板のボーカルグループへ進化するのを期待する。今回のベストで、SHUN 在籍時代の曲を再録音したのだ。同じように既存曲を4本マイクのアレンジに改造し、そして四人体制の楽曲を量産してもらいたい。重ねて言うが、今はアメリカでも R&B はボーカルグループの元気がない。本格 R&B を目指し、NEW EDITION、GUY、JODECI、BLACKSTREET のようなソウルを聴かせて欲しい。新生 EXILE にはそんな期待をしてしまう。


蛇足だけど、「EXILES」の一員をもう一人。

ifif
(2009/02/04)
JONTE

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JONTE「if」2009年
●彼も、あのオーディションで最終選考まで残って、負けた男だ。そんでその後 HIRO にフックアップされ、ソロデビューしてる。やはり「EXILES」の一員だ。敗者は敗者の気持ちを知る。
JONTE はソロシンガーとしてデビューしたのだが、たしかに聴いてみると、その声はグループパフォーマンスには向いてない。大勢の中では彼のキャラは沈み込んでしまう。レンジは広くないし、少しくぐもった印象がある声。でも確かになんか引っかかる個性的な声。もったいないかも?と思わせる何かがある。



HIROさんとつんくさんって、似てるかも。
●ぼくはつんくさんのプロデューサーとしての力量、そしてアーティストに対する敬意を尊敬している。あんなに大勢のオンナノコを抱えてつつも、一人一人のポテンシャルを繊細に観察分析して様々なトライをさせた。でカワイ子ちゃんたちに囲まれながらも、商品には手をつけず、素人の女性と結婚したこともすごく好感が持てた。
●そりゃそうだろモー娘。はコドモじゃねえか、と言えるムキもあるでしょうが、秋元康は女子高生集団「おニャン子クラブ」を仕掛け、人気メンバー高井麻巳子を釣り上げちゃったんよ!ボクは彼女のファンだったのに…。シンガーのオンナノコに手をつけ、結婚離婚を繰り返した小室哲也もダメね。

HIROさんは、さすがに同性アーティストを扱うだけに、「手をつける」ってコトはないだろうが、自分で抱えきれる限界ギリギリまで、若者にチャンスを与えようと意識してる。EXILEのプロモ「24KARATS -type EX-」には本人たちの代わりに、少年少女(小学生~中学生)ダンサーを全編にわたって起用して、最後に「無限の可能性を持つ子供たちに その可能性をさらに拡げるため 僕らは多くの場を提供し続けていきたい…」というメッセージを付け加えている。そんな彼の姿勢に、不遇の時代に辛酸をなめた自分の経験が、敗者を黙って見過ごせない男気になったのだとボクは読み取る。ダンサーという、あくまで裏方仕事で寿命の短い職業に、スターダムに直結する大きな道を切り開いて後進のロールモデルになったコトも重要だ。たとえステージを引退し社長業に専念することになっても、彼はキッズにリスペクトされていい存在だと思う。


今日はひな祭り。

P1001248.jpg

●写真を撮らないと、カワイそうで食べられない、とウチの姫君が言うので撮影しました。

●昨日、このブログで一色伸幸さんのハナシを書いてて、ボンヤリ考えたことがある。ホイチョイプロダクションのこと、彼らが象徴した80年代バブル経済な文化のコト。

●ボクはバブル崩壊の「就職氷河期」第一世代で、雑誌「AERA」に言わせれば「ロスジェネ世代」バブル時代に対して、そりゃもう強烈な抵抗感がある。つーか被害妄想的なほどのコンプレックスとルサンチマンを抱えてる。バブルが憎い!
●2003年前後の「ITバブル」期、ホリエモンをはじめとした IT長者ヒルズ族の出現に時代が湧いた頃、20歳ソコソコの若いヤツ(学生)が「バブルもアリなんじゃないスか?ボクはイイと思いますよ」と訳知り顔でヌカした瞬間、ボクは大人げなくもムカッとして「あの頃をナンも知らないクセして、イイ若いモンが『バブルもアリ』とはどーゆー了見だ!」とケチョンケチョンに論破した。ボクは時としてホントに大人げない。今振り返れば、あの学生くんがとってもかわいそうだ。彼はナニも知らないだけだったのに。

あの時代は、カネがなければナニも出来ない時代だった。
●当時、高校生~大学生のボクにとって、バブルの狂騒は別世界のことだった。ウォーターフロントとか言っちゃっても、そんなトコに夜遊びしに行けるカネはないし、身を飾る流行の紺ブレとかソフトジャケットなどは高くて買えなかった。酒も飲めないし(当時は「一気!」マスト)、カラオケも下手だったボクは、あの文化においては「ネクラの退屈なオトコ」だった。
●今となっては笑っちゃう思い出だが、テレクラに行ってオンナノコを引っ掛けようとしたが、そのテレクラに入った段階で軍資金が尽きてしまい、おごられて当たり前と思ってるオンナノコに電話でバカにされまくった。ナニやってんだ、ボクは?

バブルなヤツらに騙されたのがトラウマ。
イベントに失敗して100万円の請求書を突きつけられて胃カメラを飲むハメになったコトは以前書いたが、アレもバブルの影響だ。1993年、「フリーコンサートを打たないか」と怪し気な広告代理店に持ちかけられ、アーティストのブッキング等イベントの内容を仲間と制作した。世間知らずのボクらは「そんなウマい話もあるんだな」と思ってた。
●しかし既にバブル崩壊は始まっており、その代理店はイベントスポンサーを全く捕まえられなかった。イベント開催はもうヤメられない。フリーだから収益は完全にゼロ。で、ヤツらの負債が学生のボクにも回ってきた。代理店のヤツとは電話でガミガミ議論して負債を突っぱねたが、その負債はそのまま出演アーティスト側に押し付けられただけだった。せっかく招いたアーティストに申し訳ない。ボクはレコード会社に土下座するつもりで訪ねたが、担当者は会ってもくれなかった。ボクはあの代理店のヤツの顔を一生忘れない。そんなストレスで胃潰瘍。バブルが憎い。
●ボクは「ジュリアナ東京」も知らない。「ジュリアナ東京」(&「六本木ヴェルファーレ」)から介護福祉に転業した折口雅博氏率いるコムソン・グッドウィルが崩壊した時に感じた第一印象は「ざまーみろ!」だった。

折口 雅博(個人的な恨みはないんだけどね…。)





話は大きくワープして…。広末涼子。(←なんじゃそりゃ?)

ヒロスエ(コダックシアター赤絨毯のヒロスエ。)

広末涼子が好きでした。
唐突な告白で恐縮ですが、ボクが生涯で一番ハマったアイドルは、広末涼子です。一時期完全ヨゴレになってた彼女ではありますが、「おくりびと」のヒロインとして国際的にも評価され、これでやっと完全復活したのではナイでしょうか。
●それは1994年、ニキビの塗り薬「クレアラシル」のCMでチラッと見た時からハートを奪われました。初期写真集も3冊持ってるし、ビデオも3本あるし、武道館ライブのCDまで持ってます。初主演映画「20世紀ノスタルジア」は、ボクの生涯映画ランキング最高の5本の指に入るでしょう。

「20世紀ノスタルジア」「20世紀ノスタルジア」

竹内まりあプロデュースの「MAJIでKOIする5秒前」(略して「MK5」)も捨てがたいのですが、朝本浩文リミックスの「ジーンズ (THIS IS BIG BEATZ RADIO MIX)」がフェイバリットトラックです。このミックスはヒロスエのくせしてビッグビートなんすよ! 朝本浩文さんは元 MUTE BEAT RAM JAM WORLD だからベースが太くて、最高っす。

広末涼子「WINTER GIFT’98」広末涼子「WINTER GIFT’98」

(朝本さんのミックスはコレに収録されてます)

●しかしフランス映画「WASABI」でイカレたコギャルを演じ、リュック・ベッソンに手込めにされてしまってから、彼女のキャリアは微妙にヘンテコになってしまいました…。正直、ボクの興味はココで失せてしまうのです……が、下記の作品で久々に生き生きした彼女に再会したような気持ちになりました。

「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」

「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」2007年
バブル期三部作でトレンディな映画を矢継ぎ早に繰り出したホイチョイプロダクションズが、21世紀に放ったバブル時代懐古映画。バブル経済崩壊のキッカケになる大蔵省(←財務省じゃないのがポイントね)の政策実施を食い止めるため、我らがヒロスエが1990年の東京に送り込まれるという映画だ。
21世紀の女の子がバブルの珍奇な風俗に触れるカルチャーギャップを面白がるべきなのだろうが、90年当時の六本木&芝浦ウォーターフロント界隈の風景を全く知らないボクには残念ながらよくわからん。大学生の卒業記念船上パーティの余興でビンゴして、賞品が現ナマ200万円ってホントかよ!今は亡きファストフード「森永LOVE」とかがさりげなく映ってたり、ディスコでいっぱいの「六本木スクエアビル」が登場してくる。ボクが知ってるスクエアビルは90年代後半にあった六本木 R-HALL でのヒップホップ/ハウス系イベントくらいかなあ。今はキャバクラ一色。一昨年、フジテレビの友達と女子大生専門キャバクラに行っておごってもらったのを思い出す。
●結局ヒロスエは見事日本をバブル崩壊から救い、タイムマシンで現代に戻ってくると、レインボーブリッジが3本も出来てて、相変わらず爛熟した金満社会が続いているという結末。おーい、ホイチョイさんよー、全然懲りてないなあ。どんなに「三丁目の夕日」清貧の昭和30年代に涙しても、バブル80年代の方がお金イッパイで楽しいのが本音ってコトですか。ちなみにホイチョイスピリッツに連載しているマンガ「気まぐれコンセプト」も、今だコイツラ調子乗ってんなーと感じます。

気まぐれコンセプト クロニクルjpg「気まぐれコンセプト クロニクル」



ホイチョイプロダクションズ。決して無視できない彼らの実力。

「私をスキーに連れてって」「私をスキーに連れてって」

「彼女が水着にきがえたら」「彼女が水着にきがえたら」

●1987年「私をスキーに連れてって」。1989年「彼女が水着にきがえたら」。1991年「波の数だけ抱きしめて」。彼らが繰り出したバブル期3部作の大ヒット映画。監督/馬場康夫、脚本/一色伸幸。なにげに全部観てるんだよね。トレンディ!ボク個人においては、この人たちの選曲センスにも注目なんです。「私をスキーに~」では松任谷由実「スキー天国、サーフ天国」「ブリザード」などを、「彼女が水着に~」では再始動サザン「さよならベイビー」を主題歌に採用。そして…

「波の数だけ抱きしめて」

●ORIGINAL SOUNDTRACK「波の数だけ抱きしめて」1991年。
●ここでは1976年から1982年の AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)でキめてるんです。いわゆる「なんとなくクリスタル」(BY 田中康夫)な感じ? AOR はボクにとって馴染みある世界ではありません。落ち着き過ぎてるっていうか、おシャレすぎるというか、気取った感じがイケスカナイ。このコンピの収録アーティストを挙げると、J.D. SOUTHER、TOTO、BERTIE HIGGINS、NED DOHENY など。しかし、よーく選んでよーく聴くと、ソウル心をメロウに昇華してる曲もあるので、ムゲにしてはイケナイ。BERTIE HIGGINS「KEY LARGO」はイイ曲だ…。
●でもね、AORが大事でこの映画が好きなのではありません。大学生がミニFM局を立ち上げて、そのAORを湘南エリア一帯に流しちゃおうというのがこの映画のストーリー。無線マニアが小規模電波ながら小型中継局(大きめのタッパー程度の大きさだったような)を海岸沿いに沢山設置して、合法的に広域エリアをカバーするラジオ局が出来ちゃう。そして中山美穂 A.K.A. ミポリンがそのミニFMのDJ。ココに魅かれた!ミポリンじゃないよ、ミニFMというメディアにしびれたんです。


今度は、ラジオの話。インディペンデントなメディア。


アメリカ「カレッジレディオ」への憧れ。
●1992年、FM放送の規制緩和があって、小さな出力で地域単位に放送を流す新しいラジオ局が多々成立したのです。いわゆる「コミュニティFM」ってヤツ。有名なのは SHIBUYA-FMとか?シモキタFMってのもある。
●一方、アメリカでは電波免許のハードルが低いのか、地域単位のラジオ放送が活発で、大学生が自主運営する「カレッジレディオ」が伝統的な影響力を持っています。「CMJチャート」ってのはそのカレッジレディオでかかってる音楽をチャートにまとめたモノで、アメリカのインディーシーンを支える重要なメディア。(今はインターネットラジオやポッドキャスト、MYSPACEまであるもんね。時代は変わったわ。)まー、とにかく、インディペンデントなラジオ局が若者、学生だけで運営され、インディペンデントなアーティストの音を発信するという D.I.Y. 精神の象徴ともいえる状況に、「これこそ真のパンクだぜ!」と強くあこがれるのでした。

そんで、高校生のボクは「放送部員」。
●1989年、千葉県の中学校を卒業し、東京三多摩地区のノドカな都立高校に進学したボクは、なぜか「放送部」に在籍しておりました。音楽、そしてロックが大好きになって、そんで好きな音楽を昼休みの弁当タイムに全校全教室に垂れ流す毎日を送っておりました。気分だけはアメリカのカレッジレディオ。誰も聴いてなくてもね、ご満悦だった…。
●1992年、大学に進学しても「放研もどき」に入部。さらに翌1993年、とある大手レコード会社がアメリカ・CMJ を意識して組織した、「音楽系インカレ団体」に所属。こっちの団体は様々な大学/専門学校から、マジで音楽好きの濃いメンバーが百人くらい集まっていて、大阪などに地方支部まであった。ホントに全国放送されるラジオ番組の制作や、各種イベント(ライブハウスからクラブまで)の企画運営、フリーペーパーの創刊/編集まで手がけるコトになりました。……ここでの活動がボクなりの D.I.Y.精神、パンクスピリッツだったのかも。

●あ、言い訳のように付け足すけど、ボクが当時もコレが「D.I.Y.精神、パンク」と意識してたのは、営利を全く追求しなかったから。学生パーティはウンザリするほど当時は流行ってた(らしい、個人的には知らない)けど、ボクらは金儲けには全然興味がなかった。全部が「好きだから」という動機から出発してたので、ナンの疑いもなく100%タダ働きしてた。全部経費が売上とトントンになる計算をしてたし、赤字となれば別のバイトで穴埋めした(ボクがリーダーシップをとったイベントは一回も赤字にならなかったけどね、自慢!一方、たとえ仲間と利益を分配しても、一人100円くらいにしかならないのも事実だった)。この後ボクは仲間を集めてTシャツ販売までするが、利益を生むくらいなら商品価格をギリギリまで下げて、同好のお客さんへ還元した。
●コレが利益体質のビジネスを目指してたら、幼なじみが集まって立ち上がったクリエイティブ集団、ホイチョイプロダクションズみたいになれたかも知れないけどね。でもそんな実力がないのは自分で分かり切ってたし、代理店のヤツにダマされた時からは、ちゃんと就職して、大人から「プロ」として叩き直してもらい、絶対ダマされない人間になりたいと思った……。


●今、引き目に見れば、大学生の無邪気なパワーに企業側が根拠もないマーケティング的な期待したというバブル的発想で、ボクと仲間たちは多くのチャンスに恵まれたのだと思います。バブルのおかげで、憧れの「カレッジレディオ」的なスタンスに近づけたような気もする。ボクと仲間でラジオ局に企画持ち込んで特番枠をもらい、色々な大学の連中を集めてしゃべらせたのは面白かった。収録ブースの外でその様子を見てると、プロの女性ディレクターが「ココの表現ってこんな感じでイイの?」ってボクに聞く。え、そんなのあんまり分かんないっス。「アンタが決めなさい。この企画通したのアンタでしょ。アンタがプロデューサーなんだから」えー!ボク、プロデューサーだったんですか?知らなかった!


●そんで、今引き目に見れば、「波の数だけ~」「青春の終点」という設定があるんです。学生生活最後の夏休みの思い出にしたい、という動機でミポリンたちはラジオ局を立ち上げるのです。そして仲間たちは、様々な感情のすれ違いとともにバラバラになる…。バブル期三部作は、バブルという青春を生き、そしてその崩壊と共にその青春に幕を引くという運命を背負っていたんです。
●三部作の脚本を全部手がけた一色信幸さんは、著書「うつから帰って参りました」で、この映画の公開前後1991年には既に薬物依存ジャンキーへの入り口に立ってたと告白。これも作品の持つ気分に影響しているのかも。


ところがドッコイ、当時91年のボクはまだ18歳。バブル経済と一緒に、勝手に青春の幕を引かれても困る。
ボクらの世代は、バブル世代に対抗する自分たちの文化を見つけなければなかった。それが、アメリカのオルタナティブロックだったし、イギリスのレイブカルチャーだった。バブルのドレスアップ感覚から、グランジのドレスダウンの感覚へ。そんなボクらを「ロスジェネ」と呼びたいヤツは呼べばイイ。「オレは負け犬だベイビー!さあオレを殺してみろよ?」BECK という小男が1994年に歌った。そんでそれは確実にボクらの世代の本音を掴んだコトバだった。

BECKMellow Gold  BECK「MELLOW GOLD」1994年



ボクはシリーズとして90年代の文化を巡る文章をいくつも書いてる。この文章も個人的体験に結びつけて90年代のココロのあり方を匂わせてみたくて書いてみました。音楽と距離を置いてみた試みは初めてだったけど。関連記事のリストをリンクします。そして今後もこのテーマにトライしたいと思います。

2009.02.14 「ユニコーンと奥田民生。BOOWY と氷室京介。バンドブームから20年の歩み」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-580.html
2009.01.21 「大人になってしまった『妖精たち』。PIXIES の絶叫はドコに響いてくのかな?」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-569.html
2009.01.15 「THE VERVE。ジャンキーがクスリを抜いて、王道へと歩んでいった道程」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-566.html
2008.12.30 「恐竜魂は絶滅せず。グランジロックの雄 DINOSAUR JR. の復活」
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2008.11.09 「『ROUGH TRADE』ロック30年の歴史。パンク発 PETE DOHERTY 行き」
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2008.10.01 「90年代の伝説 NIRVANAとKURT COBAIN。ロックの神に捧げられた生贄」
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2008.09.28 「成熟を避けて突き進む「音速の若者」SONIC YOUYH に今一度シビレル」
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2008.09.16 「SONIC YOUTH はドコから来てドコに行くのだろう?音速のスピードで」
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2008.09.08「PAVEMENT と STEPHEN MALKMUS にまつわるセイシュンの思い出」
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2008.05.18「00年代エレクトロを巡って、90年代80年代そして70年代まで旅をする」
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2008.04.20「80年代末から現在まで、UKのブラックミュージックを一気に俯瞰する」
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2008.04.05「放送室で溶け合った、60年代と90年代UKロック。ブリットポップの時代」
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2008.04.29「ボクは「FREE SOUL」がダイキライ。でも許す(←ナニ様?)」
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2007.10.22「『渋谷系』とは何だったのか? 極私的に90年代を振り返って」
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2008.01.06 「平成20年から平成元年を照らし出す。「バンドブーム」の記憶」
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2007.12.14「1986年。少年がロックに目覚めた瞬間」
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