MICHAEL JACKSON 死去。
●まるでウソみたいなスピードで死んじゃったという印象。一昨日の朝のニュースを、固唾を飲んで見守っちゃった。6時30分で速報「マイケルが呼吸停止で病院に搬送」、7時で「マイケル心肺停止の模様」、7時15分で「ハリウッド有力芸能サイトがマイケル死亡と報道」、7時30分で「ニューヨークの主要テレビ局も死亡と報道」…そんで9時「ロスの検死官がマイケルの死亡を確認」。マジかよ…あっけなさすぎるよ…。
●そりゃないぜマイケル「マイケルさんのスポークスマンによると、持病の○○病で簡単な発作を起こしただけ、全世界のファンに心配をかけてゴメンよ、ロンドン公演は予定通りやるよん!ポゥ!」なんてコメントが出てオシマイだと思ってたよ…。カネにモノ言わせてナノテク人工心臓で復活!ぐらいやってのけてもらいたかったよ。…だってマイケルはエンターテインメント・サイボーグでしょ?

会社に出たら、マイケルの話題でモチキリ。世代でマイケル体験が全然違う。
●50歳のオジさんは「ジャクソン5だろ!そんでソレをパクったのがフィンガー5。アイツら昔六本木辺りに住んでて、オレは近所の中学生通ってたから、アキラ出て来~い!とか言ってたわ(←マイケルの話じゃないし)40歳のセンパイは「クインシージョーンズの頃からスリラーだよな…」と言って昔散々練習したというムーンウォークを披露してくれた。39歳の女のセンパイは「WE ARE THE WORLD ってマイケルの作曲よね」。35歳のボクの世代はディズニーランド「キャプテンEO」。アレはジョージ・ルーカス&フランシス・コッポラというチームだったような記憶が。20代後半になると JANET JACKSON のお兄さんという位置づけで、20代前半の若者にとっては、白塗りの奇人変人というイメージだけ…。こんだけ幅のある印象を各世代に植え付けたマイケルという人物、いかに時代時代でメリハリある生き様を見せてたのかと感じ入る、象徴的な会話だった。



スーパースターの突然の死に戸惑う人々。
●渋谷のタワーレコードに行ったら、店の前に大きな看板が出てた。

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●でかっ!高さ2メートルほど?「R.I.P. MJ 1958-2009 MICHAEL JACKSON」…コレを見て故人の偉大さが初めてハッキリと理解出来た。

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●店内に入ると、イチバンいい場所にブースが設けられ、1996年に来店した時の手形が展示されていた…。

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●そして、それをケイタイのカメラで撮影する人…。CDを手に取る人…。それを見ながら近くの女子高生が友達にささやく。「マイケルってウチらの世代じゃないよね…あんま知らないよね」そう、相手はスーパースター、ズバリの世代であるボクだって身近な感覚では悲しいとかって感じられない。死んだというより消えたって感じか?世界中の誰もがそう思ってるんじゃないだろうか?



今日はそんな偉大なるマイケルの音楽世界に入ってみよう。
●今回は彼の黄金期だとボクが思う時代を遡っていくように聴いてみようと思います。


Michael Jackson「DANGEROUS」

「DANGEROUS」1991年
●このCDをリアルタイムで買って来たのは、ボクではなくて2歳年下のボクのイモウトであった。90年代が幕明け、ヒップホップが流入しグランジ革命が起こってた当時である。高校生になってたボクは、少々マイケルには飽きていた。イモウトは確かまだ中学生であって、おまけにCDなんて滅多に買わないタイプだったので、彼女にとっては精一杯の背伸びな買物だったろうが、ボクはこの作品には冷淡で無関心な態度でいたのを思い出す。
●しかしCDを聴かずとも、街中からマイケルの音楽は耳に入って来る時代だった。印象的なシングルは「BLACK OR WHITE」。当時はまだカワイい子役だったマコーレ・カルキンくん(後は立派なジャンキー)がイントロで GUNS N' ROSES のギタリスト SLASH のハードロックギターでノリノリになる小芝居スキットから始まって、人種の壁も国境も乗り越えろというマイケルらしいメッセージを軽妙なギターと共に歌うポップス。ビデオクリップには、今ではナンも珍しくなくなったモーフィングというCG手法がスゲえビックリマジックとして光ってた。ちなみに SLASH はもう一曲でブルージーなギターを鳴らしてる。
●今の感覚で聴き直すと、真っ当に時代の波を受けたニュージャックスウィングのアルバムだったと気付く。プロデューサーとして半分の楽曲に関わった TEDDY RILEY(GUY, BLACK STREET)の存在がやっぱ響くね。一曲目の「JAM」なんて教科書通りのニュージャックスウィングだし、そこに続く前半戦の楽曲は91年段階では最新鋭のスタイルだったのでした。ボクが後年好きになったのは、NAOMI CAMPBELL とのプロモ共演で話題になった「IN THE CLOSET」(監督は写真家 HERB RITTS!)。密室感溢れる性愛の世界がセクシーです。それでもビートはしっかりハネてます。
●しっとりR&Bでは「HEAL THE WORLD」が聴き所。彼がこのテのウタを歌うとその慈愛は常に全地球、全人類規模へ果てしなく射程距離が伸びてしまうようです。スーパースターは見てるもののスケールがデカイ。彼は後に「HEAL THE WORLD 基金」なるものを作って世界の子供を助ける慈善団体を作る。
●……ただし、この時代以降から、マイケルは思った以上に常識感覚が世間からズレテる…しかもかなり大幅に…というコトがだんだんわかって来ちゃった。アレ?コレはキャラのツモリじゃなくてマジだったの?的な違和感。ジャケでは自分のカラダを遊園地に隠してしまってるが、実は遊園地にヒキコモッテいたかったのかも…。この頃からだんだん肌の色が白くなってきたし、子供好きが度を超してて児童性愛までイッテルなんてトコまで行く。彼の全盛期はコレにて終了…したと思う。



Michael Jackson「BAD」

「BAD」1987年
●この時代は、ボクにとってマイケルが一番刺さってた頃だ。1987年は東京ディズニーランドに3D映画アトラクション「キャプテンEO」がオープン。前述した通り、制作にジョージ・ルーカス、監督にフランシス・コッポラと超豪華。劇中のエイリアンや宇宙船の質感がなにげに「スターウォーズ」っぽいなと思ってた。おまけに1985年「WE ARE THE WORLD」マイケル LIONEL RICHIE の共作)の余韻の残る時期でもある。従って、当時中学一年生だったボクには、マイケルこの地球上で未来世紀のエンターテインメントに一番近いポップスターだと思えてた。
●で「BAD」。このアルバムをリアルタイムでゲットした覚えはない。しかし11曲中9曲をシングルにして、ソレをことごとくヒットチャートに送り込むのだから、イヤでも耳に入るわな。こと表題曲の「BAD」はとにかく大ヒット。ボク的には品行方正だったマイケルがゲットーの若者に交じって目一杯イキがってみせてて、でも全然「BAD」に見えないトコロがツボでした。「オレはワル!ワル!マジでワル!わかるだろ!ワル!ワル!そうさ!ワル!ワル!世界中に聞いたってスグに答えるさ、もう一度だけ聞こう、誰がホンモノのワルだ?」熱唱!…でもホンモノのワルは、プロモで「ウエストサイドストーリー」みたいなダンスはしないと思う…。衣装は80年代だけどダンスは50年代風にコダワッテルのよね。
「SMOOTH CRIMINAL」も強力なヒット曲だったな…。これまたインパクトが強いプロモだった。30年代風の違法クラブに真っ白いスーツに身を包んだマイケルが乗り込んで、ダンスしまくる……重力に逆らう角度までカラダを傾けるトリックとかにビビった。もうファンクともロックともつかないダンスビートもマイケルにしか出来ない芸当です。
「MAN IN THE MIRROR」マイケルお得意全世界イッペンに癒します系のミドルテンポバラード。折しも米ソ冷戦レーガン/ゴルバチョフ体制下で雪解けムードを醸し出し始めた時期。本人不在でニュース映像のフッテージだけで構成したプロモはこれまた印象的だった。そんで今でも名曲だと思ってる。飢餓に苦しむアフリカの子供たち、南太平洋で行われた水爆実験、マザーテレサ、ガンジー、ケネディ、キング牧師、ジョン・レノン、ヒトラー、KKKの覆面集会、涙しながら祈りを捧げる黒人司祭、ネルソン・マンデラの解放要求デモ、ポーランド民主化の英雄ワレサ氏(後大統領)がパッパッパッと流れていく。そしてそんな世界の有様を見せながらマイケルは歌う。「ボクは鏡の中に映るこの男と始めよう 彼の生き方を変えて行こう このメッセージよりクリアに伝わるものはない 世の中をよくしたいと思うなら もっとよく自分を見つめて変えて行くんだ」後半はゴスペルクワイアと共に大合唱状態になる…。



Michael Jackson「THRILLER 25」

「THRILLER 25」2008年
●80年代ファンクの傑作「THRILLER」は1982年発表。当時のボクは確か小学3年生。これまたヴィジュアルが記憶に突き刺さってる。実はフツウの家庭にビデオテープレコーダーが普及したのがちょうどこの頃なのだ。コレわりと重要だと思うけど、ビデオの普及とプロモビデオの存在感はリンクしているはず。しかし我が家にはまだビデオデッキはなくて(しかもその後ベータマックスを買ってしまった…)、近所の友達の家に先にビデオはやって来た。
●さて、その友達のお母さんが「オモシロいビデオがあるから見せてあげるわよ」という。それが、あの14分の短編映画「THRILLER」だった。「ちょっとコワいかも知れないからね~」というオドカシにドキドキしながら見た「THRILLER」。当時の映像技術をフルに使ってマイケルが狼男やゾンビに変身してしまうシーンは衝撃でした。ゾンビを従えて踊るマイケル。メチャクール。コレが「マイケル・ジャクソン」という存在をハッキリ意識した初めての瞬間です。あ、あと「オレたちひょうきん族」ウガンダトラさん(R.I.P.) が完全パロディにしてたのが記憶に残ってる。デブなのに踊れる!最高に笑えた。
「THRILLER 25」「THRILLER」発売25周年記念特別盤として発売されたモノで、おまけDVDにこの14分「THRILLER」ビデオクリップが収録されている。実はコレを我がコドモたちに見せたくてワザワザ購入してしまったのだ。よく見ると監督は「ブルースブラザーズ」を手掛けた JOHN LANDIS じゃん。それはボクも初めて知った。30年近く前にボク自身が前フリされたのと同じように「ノマドヒヨコ、ちょっとコワいけどオモシロいビデオがあるんだよ~」と前フリして見せてやる。…もう二人とも最高の顔してたね。ノマドは言葉を失い身動きもせずに画面に釘付け。ヒヨコは最初関心がないかと思わせて、もうコワいシーンはカオをテで覆って(でもスキマからキチンと見て)たもんね。全編見終わったら「もうイッカイ!もうイッカイ!」のリクエスト。輸入盤で買ったから字幕がついてないので、弁士のように細かくボクが解説しないといけなかったのが想定外だったけど…。「なんでアカいフクのオニイさんまでゾンビになっちゃったの?」「なんでゾンビがふっかつしたの?」「なんでふたりはヨルのおハカにいっちゃったの?」キミたちあまり野暮で細かい疑問を吹っかけるのはよくないよ…。ただ重要なのは、このマイケルというオニイさんが今週死んじゃったということなのだよ。
●さらにDVDには「BILLIE JEAN」のライブ映像が収録されてる。コレにもコドモたちが衝撃を受ける。そうあのマイケルの必殺技「ムーンウォーク」が映っていたのだ!彼の華麗な足さばきは、コドモたちの目から見ると、まるで氷上をツルツル滑っているように見えているのだった。こと、前に歩く仕草で後ろに歩いてしまう「ムーンウォーク」はホントに不思議に見えたようで、しばらくテレビの前でどうしたらそんな動きができるのか、頑張って足を動かしてたもんね。
●改めて聴くと聴き所の多いアルバムだねー。一曲目「WANNA BE STARTIN' SOMETHIN'」や終盤の「P.Y.T.(PRETTY YOUNG THING)」は正統派ディスコファンクの匂いを引きずってるけど、ロックチューン「BEAT IT」はただロッキンなだけじゃなく、演奏陣もマジでロックだった!だってギターは EDDIE VAN HALEN だし、ベースとドラムは STEVE LUKATHER & JEFF PORCAROTOTO の中核メンバーなんだもん!リラックスしたポップソング「THE GIRL IS MINE」 PAUL MCCARTNEY との共演。その後 PAUL のアルバムに収録される「SAY, SAY, SAY」への共作にも繋がる。どちらも高性能なポップソング。シンセアレンジが清々しいミドルバラード「HUMAN NATURE」はその後 MILES DAVIS にもカバーされ、90年代のR&Bガールズグループ SWV にガッツリサンプルされた名曲だが、実はコレも TOTO のメンバーの提供曲だった。
「THRILLER 25」には「2008 REMIX」と称して THE BLACK EYED PEAS WILL.I.AM FERGIE、そして AKON KANYE WEST が手掛けたトラックが収録されてる。ボクは AKON の塩辛い声がマイケルのラインを完全になぞる「WANNA BE STARTIN' SOMETHIN'」が新鮮で好き。FERGIEマイケルがガチガチに掛け合う「BEAT IT」もいいけどね。



Michael Jackson「OFF THE WALL」

「OFF THE WALL」1979年
●ここからはボクとしてはリアルタイムの経験は全くない…。マジメに聴いたのはずっと後になってのこと。70~80年代ディスコファンクを掘り下げてゆく中で出会った。キーパーソンは QUINCY JONES。この作品から、「THRILLER」「WE ARE THE WORLD」「BAD」の時代までマイケルを支えることになるプロデューサーだ。
QUINCY JONESは1950年代のジャズ界からキャリアを起こしたブラックミュージックの重鎮。DIZZY GILLESPIE のバンドでトランぺッターとして出発した彼は、アーティストとして活躍する一方で音楽業界の仕組みにも精通し、60年代には MERCURY RECORDS の副社長に。このような立場に立った黒人はアメリカでは初めてだ。アレンジャーとしては FRANK SINATRAELLA FITZGERALD、PEGGY LEE の楽曲を手掛け、白人アイドル歌手 LESLEY GORE のデビューをプロデュースする。ブラジル音楽にも通じ、「SOUL BOSSA NOVA」1962年というボッサジャズでヒットを飛ばし、ディスコファンクでは「AI NO CORRIDA(愛のコリーダ)」1981年がヒット。ハリウッドに渡っては映画音楽を数多く手掛け、カポーティの名作を映画化した「冷血」、シドニー・ポワチエ「夜の大捜査線」、スティーブ・マックイーン「ゲッタウェイ」、そして人気テレビシリーズ「THE BILL COSBY SHOW」までも手掛ける。日本のテレビ番組「ウィークエンダー」のテーマも彼の楽曲だ。
●このジャズからディスコファンクまでのブラックミュージックの歴史を体現するような人物と、マイケルが出会ったのも、映画がキッカケである。「オズの魔法使い」を全部黒人キャストでやりました、という映画「THE WIZ」があったそうで(ちなみに主演は DIANA ROSS)、20歳の頃のマイケルはココで「カカシ」の役をやっていた(←これはトホホな話なのか?)。そんで、この現場で映画音楽を手掛けていた QUINCY と出会う。「誰かボクにピッタリなプロデューサーはいないかな?」「それじゃワタシが引き受けよう」QUINCY は自慢の口ひげをいじりながら、この子役上がりの若者をもっとビッグにしてやると誓った訳だ。実際この「OFF THE WALL」の大成功で二人の立場はさらに高いモノになってしまった。
●このアルバムを聴いたことのナイ人でも、一曲目「DON'T STOP TILL YOU GET ENOUGH」は絶対耳にしたことがあるはずだ。イントロドン!で理解出来るはず。華麗なストリングスアレンジ&切れ味抜群のホーンアレンジに、マイケルの全編ファルセットがサーッと滑ってく感じの、絶妙なディスコダンサー。もうコレでゴハン3杯イケルね。アルバムの他の曲も基本折り目正しくディスコファンク。80年代には完全なマイケル世界を組み上げる彼だが、この段階では高性能なディスコシンガーという趣が強いのでした。



Michael Jackson「BEN」

「BEN」1972年
●いきなり時代は飛んで、マイケル14歳のアルバム。マイケルの初期キャリアと言えば、4人のアニキと一緒に組んでた THE JACKSON FIVE なのでありまして、彼は8歳の頃からステージに立っておりました。デトロイトの伝説的R&Bレーベル MOTOWN と契約したのは10歳の時。アニキの一人 JERMAINE JACKSON とマイケルがリードボーカルなのですが、天才的な歌唱力は早くも人々の耳を引きつけ、誰もがマイケルにビックリ。「I WANT YOU BACK」「ABC」「THE LOVE YOU SAVE」(←この曲イチバン好き!)「I'LL BE THERE」などと快調なヒットを飛ばすのでした。
●一方で、THE OSMONDS という白人兄弟グループが登場して、THE JACKSON FIVE と同じノリの商売を始めました。実はコレも結構バカに出来ない物件で、レコ屋で安く見つけたらゲットして聴いて下さい。バブルガムポップスとして楽しいです。さて、黒人と白人でいったら、才能とカンケイなく白人の方に分があるこの時代。THE OSMONDS の連中はさらにエグイ商売を思いつき、メンバーのソロ活動も始める。言わば兄弟バラ売り作戦。MOTOWN の社長 BERRY GORDY JR. も指をくわえて見てる訳にはいかねえ!と、マイケルソロ活動を命じるのです。コレが1971年、13歳の時。本人は「え、ボクがソロ?おニイちゃんたちいないの?」的な戸惑いがあったようですが。
「BEN」はソロのセカンドアルバム。QUINCY に出会う前の10代のマイケルにとって最大のヒット曲が、このアルバムの表題曲です。実はシモキタザワで100円でゲット。しめしめ。ジャケにはちと気持ち悪いネズミさんがいますが、この曲はベンという名のネズミくんが活躍する映画のテーマソングなのでしょーがないのです。もうチョイかわいく描けないのかよ?……実は本来この曲は白人のライバル THE OSMONDS のリードシンガー DONNY OSMOND に提供される予定だったのですが、ヤツが忙しいという理由でマイケルの下にやってきたという逸話も。だから、MOTOWN らしくないスローバラード。でも、マイケルの歌唱力がハンパじゃないというコトを証明するにはうってつけでもあったのでした。
●他人様の曲を歌うのも珍しくなかったこの時代、ナイスなカバーもありまっせ。THE STYLISTICS「PEOPLE MAKE THE WORLD GO ROUND」のディープなソウルを、変声期前のファルセットで歌い上げてます。THE TEMPTATIONS「MY GIRL」もチャーミングにカバー。STEVIE WONDER が60年代に歌った「SHOO-BE-DOO-BE-DOO-DA-DAY」も実に遊び心満点で歌い切ってくれてとても楽しい。
●80年代「MTV時代」を鮮烈なダンステクニックで駆け抜けスーパースターになったマイケルだが、基礎にあるのはやっぱ抜群の歌唱力。それを分からせてくれた一枚ですわ。変声期前の素直なボーイソプラノはホントに耳に気持ちイイ。


ちなみに、THE JACKSON FIVE のその後についてもチョッピリ。
●70年代はニューソウルの時代だ。公民権運動の影響で黒人社会の意識も高まり、黒人のソングライターたちも自由に自分たちの意見を音楽を使って表明していきたいと考えるようになった。しかし!マーケティング先行の楽しいR&Bを、ハウスバンド&スタジオで量産していた MOTOWN はそんな連中を気持ちよく思わなかった。ここで、ソングライターとレーベルの摩擦が発生する。MARVIN GAYE STEVIE WONDER は必死に会社と戦い自由な表現を勝ち取るコトが出来た。
●しかし、JACKSON 兄弟は?彼らはまだ小僧なのでした。でもさ、自由な表現だけじゃないよ、ギャラも結構ボラレてるよ?コレどうにかなんないだろうか?すったもんだあったあげく、1976年とうとうグループは MOTOWN を離れることにした。移籍先は CBS だ。しかし困ったことに、MOTOWN の社長 BERRY GORDY JR. の娘さんとリードシンガーの片割れ JERMAINE は結婚しちゃってたのよね。さすがに義理の父親をムゲに出来ず JERMAINE 兄さんはグループ脱退& MOTOWN にソロとして残るコトに。あげく MOTOWN 「THE JACKSON FIVE」という名前は使わせないと主張。移籍したグループは「THE JACKSONS」と名前を変えなくてはならなかった。補充メンバーはマイケルの弟 RANDY
CBSGAMBLE & HUFF という黄金プロデューサーチームをあてがい、新生 THE JACKSONS を始動させるが、マイケルはこの騒動にかなりゲンナリするものがあったらしい。快活な少年は、この時期を境に極端に内気な青年に変わってしまった。「カカシ」役で映画に出て QUINCY JONES と出会ったのはそんな頃だった。

JACKSONS「VICTORY」

JACKSONS「VICTORY」1984年
●70年代まではなんとか機能してた THE JACKSONS だが、マイケル「OFF THE WALL」「THRILLER」の大成功で完全にバランスを崩し、80年代は全然活動ができなかった。そんで4年のブランクを経てやっとリリース出来たのがこのアルバム。細かいようだが「THE」が取れたみたい。
ジャケに登場するのは6人のオトコ。アレ? THE JACKSON FIVE なんだから五人組じゃないの?移籍騒動で袂を分かった JERMAINE 兄さんが晴れて MOTOWN から足抜け出来て、再び兄弟が全員集合できたのだ。そういう意味でタイトルが「VICTORY」なのか?しかし、ソロとして立場を確立してたマイケル& JERMAINE はこのアルバムではあんまり登場しない。マイケルがリードを取るのはたったの3曲だよ!結果としてこのアルバムはあまりオモシロくない…。フツウの80年代R&Bだわな…。珍しいトコロは、「STATE OF SHOCK」という80年代風ファンクでマイケル MICK JAGGER のデュエットが聴けるというポイント?でも基本的にマイケルはやる気なし状態で、このアルバムリリース後に彼はグループを脱退してしまう。グループ自体も1989年に解散。末のイモウト JANET「RHYTHM NATION 1814」1989年で大ブレイクするのと入れ替わるように、アニキたちは音楽業界から消えて行った。

JANET JACKSON「RHYTHM NATION 1814」(JANET JACKSON「1814 RHYTHM NATION」1989年)



●馬の目を抜くような弱肉強食の音楽業界に少年時代からドップリ浸かり、ソレ以外の世界を知らずに育った少年は、世界に対して極端なほど臆病な大人に育ち、その商業的大成功がより彼を孤独にしてしまった。才能にも十分恵まれたし、努力も目一杯したはずだ。なのに、真っ当な恋人も見つけられなかったし、子供に対する愛着も世間から非難された。……少年時代の彼に同い年の友人がいただろうか?どんなに大金を積んでも、遊園地を自分の家に作っても、彼は自分の少年時代を買い戻せなかった…。マイケルは、少しカワイソウな人だったと思います。R.I.P.

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中川淳一郎「ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言」

中川淳一郎「ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言」
●会社の同期がデスクの上に置きっ放しにしてたので、パラパラと読んでたらそのまま最後まで。だって、タイトルが扇情的なんだもん……帯コピーも「どいつもこいつもミクシィ、ブログ。インターネットは普及しすぎて、いまやバカの暇潰し道具だ!」と来たもんだ。わー過激だなー。著者は大手広告代理店を辞めてフリーライターに転職、そんでアメーバニュースの編集責任者になった人だ。おまけにボクと同い年。
●ネットにどっぷり浸かってる人々に対していきなり「気持ち悪い」と乱暴なパンチを振るう。しばしばネットで目立ってしまう、匿名に甘えた行儀のワルい人たちに対して深く絶望しているコトを、確かにこりゃしんどいわーというエピソードを交えて紹介し、「バカの発言力がネット上では実に強いのである」と喝破。代理店経験に由来しているのか、ネットで何かを仕掛けるだけでナニかが変わると信じている無知な企業人のオッサンにも言及し、わかってねえのに過度な期待をするなと厳しく警告。「結局、最強のメディアはテレビ」だとも言っちゃう。「ネットはテレビのコバンザメ」だって。そして結論は「だれもネットをわかってない」………。

●ここまで言われて、そのネットじゃどんな反応なんだろ?と思えば、「ご指摘真っ当」から「ヒマ人ですいません」的な自虐リアクション、「ナニを今更…」的な意見、「刺激的なタイトルで金儲けかよ!」な反応、「評論家たちが煽るネット楽天主義へのアンチテーゼ」として冷静に受け止める姿勢、「共感できる部分も多い」と好意的な人も。つまり賛否両論。
●ボク自身は「ネットをよくわかってない」人間なので、少々ピンとこない点もある。「荒らし」とか「炎上」とか「祭り」とかに関わった事がないし…、そういうことするのがネット利用者のマジョリティとは思ってない。「カルボナーラがおいしかった!」的なブログをハズかしげもなく披露するのもバカ&ヒマ人とされてしまうのだが、そうなるとボクもバカ&ヒマ人の当事者の一人だし…でも周りに迷惑かけてないしな…と思ったり。(←あれ、誰かに迷惑かけてるのかな?無意識に?)

「最強のメディアはテレビ」ってのも……そうかな?
●消費者目線の使い勝手で言うとテレビとネットじゃ、ネットの方が軍配が上がる。テレビがなくても困らないが、ネットがなきゃ困る。生協に食料品の注文すらできないじゃないか!一方テレビはもうクチャクチャだよ…テレビの方が絶対バカ&ヒマ人でイッパイ。見ないでイイ番組がホント多いし。ネットはわかりやすく炎上するけど、テレビは炎上に匹敵するリアクションがあってもそれはスタッフしかチェックしないから目立たないだけだよ。著者はニュースサイトの管理人なんだから、プロとしてクレーマーと対峙するのは宿命。写真週刊誌は裁判起こされたりしてもツッパる所はツッパるのだし、テレビだって膨大なご意見メールをかなり意識して制作にあたってるはずだわね。……ただ、メディアに対して意見するという心性が一般人に広く芽生えたのはネットの普及とシンクロした事象というコトは言えるかも。ナンチャッテ内部告発者のガセ情報を掴まされて社長が失脚というテレビ局もあった。あの詐欺師はバカ&ヒマ人か?いいや、悪人だよ。
ボクから見ると今んトコロネットは敗北なんてしてない。……強いて言えば、「ドリフ見るとバカになります」「マンガ読み過ぎるとバカになります」「ファミコンし過ぎるとバカになります」「携帯を持つとバカになります」といった、いつの世にもありがちな新メディアへのアリガチな拒絶反応と一緒のように思えて、今の時代は「2ch見過ぎるとバカになります」「ミクシイし過ぎるとバカになります」ってこの著者は言っているというコト。実際バカになる人もいれば、そうでない人もいるだろう。ネットはそれが目立ってしまうって点が新しいので、見苦しい場面に出くわすコトもあるだろうが、テレビのチャンネルを変えるようにその場を立ち去ればイイだけ。ボクは個人的には 2ch とかには極力触らない事にしてるんだ…。

●世界金融危機から始まる、「核の冬」級の広告費削減時代において、どのメディアに限られた予算を注入すべきか。それはイロイロな考え方があるだろうな。「旧メディア vs. ネット」という図式にハマるとこの議論はとっても陳腐になると思う。本来は全メディア総力戦で宣伝は展開すべきで、どっちが有効かという話ではなく、双方をどう有効に機能させるかを考えるべき。ただし各メディアのシナジーの方法に正解/王道/テッパン技がイマイチ発明しきれてない気はする。コレはバカやヒマ人の仕事ではなく、著者の出身である広告代理店の仕事だし、たとえクライアントがバカでもそれを納得させるのが広告プロ仕事の一部でしょ。


●わ、よく知りもしないで、ネットの肩を持つポジションに立っちゃった。ボクは完全にネット現場の部外者なのに。ちょっと突っかかってみたのは、著者が同世代だからってのも一因あるかも。「たとえ仕事に痛んでても。そんなにスネルなよ」的な感情がある。しかしコレもバカ&ヒマ人の戯言。不快と思えば聞き流して下さい。

●ついでに。「リア充」ってコトバ。「リアル世界で充実している人」の意。ボクはホントにネットの隠語とかに疎いので、このコトバを初めてこの本で知りました。反対に「ネト充」な人もいるのかな?「ネット世界で充実している人」。ボクはネット世界では全然充実してないんですけど(誰も読まないブログをつづってるだけだし)、ネット世界で充実するってどんなことなんだろう?リアルでだって充実してると思えないのに、ネットの充実なんて想像がつかないよ。

ヒヨコ&ノマド、美容院に行く。
●シモキタザワの商店街がキレる辺り、近所の美容院はこども料金が激安設定。ウチのコドモはソコで髪の毛を切っている。ノマドはよいとして、オシャレに興味津々のヒヨコはオシャレの専門家である美容師のお姉さんとトークをするのが大好きだ。自分の髪を切る時だけじゃなく、ノマドの散髪の時も傍らに座ってはお姉さんにひたすらトークし続けた。オシャレのこと、ガッコウのこと、バレエきょうしつのこと……ノンストップトークである。
●しかも、ヒヨコ、美容院の大きな鏡を向かい合わせるコトで、偶然に「合わせ鏡」を発見。「カガミのナカにピヨがいっぱい!」(←ピヨってのは、ヤツの自称ね)そんで感動のあまり、今練習しているバレエの発表会の振り付けをその場で披露してしまった。美容室でバレエを踊ってしまう小学一年生…。実にハタ迷惑のような気もするが、お客さんが他にいなかったのでご勘弁。ヒヨコに感想を聞くと「カガミのナカのヒヨコはクジャクみたいだった!」




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村上春樹「1Q84」読破。
スポコーン!おおっ!終わった!こんな終わり方なのか…?……なんかヤラレタ。まさしく「スポコーン!」という感じで終わった。作家の思惑に見事ハマってしまったかのような、ヤラレタ感が残った。
●男女2人の主人公の物語が、同時並行で進むこの小説。平行線のように全く無縁で交わる事がないように見えてたこの二つの物語が、奇妙奇天烈な舞台装置の仕掛けによって次第に接近し、クライマックスに向けてスゴいスピードで衝突するかと思わせながら、スポコーン!といきなり終幕を迎えてしまう。そんで、ふと気付くとその小説を読んでたボク自身が、実はこの奇妙奇天烈な舞台空間に置き去りにされてしまってるのでは?と疑ってしまう読後感。まんまと村上春樹の仕掛けに引っかかったような気分だ。
●…今日のボクは最高に体調が悪く、朝から死ぬほどウンザリな気分だった。安定剤を口に放り込んでも回復する気配がないので、午後イチで会社の仕事をスッポカしてしまった。そんで、麻布十番商店街入口のウェンディーズでコーヒーを飲みながら、この小説に向き合っていたのだ。突然オハナシは終わってしまい、宙ぶらりんのようなカッコで現実世界に放り出されたボクは、ボクの周りの世界が「1Q84年」にすり替わってないだろうか、はたまた「200Q年」になってないだろうか、不安になってしまった。

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ボクが村上春樹の世界を好きでいる理由。
村上春樹が描く物語は、往々にしてホントに入り組んだ不思議世界にスコンと繋がっている。オマケに大幅に説明が足らない。読者によっては「思わせぶりにポーズするクセに意味がてんでワカラナイ」と怒ってしまうポイントだろう。しかし、小説の主人公たちは、意図せずにその不思議世界に紛れ込んでしまっても、基本的にナニが起ころうと見苦しく動じたりしない。「弱ったなあ」程度の感想は思っても、そのまま自分の運命をスルルと受け止めてしまう。コトの成り行きにとても従順で、トンチンカンな事態に対して耐久力がある。フツウなら頭がおかしくなる事態に出くわしても実に冷静だ。柳の枝のように柔軟とも言える。
●常識に対していつも慎重に振る舞っているので、非常識に対しても慎重に応用力を発揮する。彼らは誠実な人間なので、世界が突きつける非常識にも実に誠実に対応する。世間のルールにカンケイなく自分の原則に忠実だから、理不尽を前にしても原則をブラさない。ユルくてヌルいように見えて、実は強い。ボクはそんな彼らが好きだ。クールだとさえ思う。そういう人間にボクもなりたい。

ボクにとって「1Q84」は、長編としてはかなり久しぶりの村上作品だった。
村上春樹をよく読んでたのは高校時代~大学時代で、今から20年近く前のコト。ちょうど「ノルウェイの森」「ダンスダンスダンス」が発表された頃。「ダンスダンスダンス」で完結する「羊男」四部作を遡って読んだり、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ。彼の作品経由でフィッツジェラルドサリンジャーの世界に入っていった。彼の作品に登場するという理由で THE BEATLES やジャズの古典を聴いたりした。彼の描く登場人物がおいしいパスタを器用に料理するという理由で、スパゲティを作るようになった。ほうれん草とベーコンを軽く炒め込むパスタは、料理がまるで出来ないボクにとって唯一作るコトの出来るメニューだ。てっとり早く言って、結構入れ込んでたクチですわ。
●しかし、就職して読書の時間がなくなったため、「ねじまき鳥クロニクル」あたりから長編は読まなくなってしまった。「海辺のカフカ」も読んでない。……ただ、このヘンの時代で村上春樹には作風の変化があったようだ。キッカケは1995年のオウム真理教事件。村上春樹はこの事件にまつわる多くの人物へ取材をして、初めて実際の社会問題に取り組んだ。こうして発表された「アンダーグラウンド」は、それまでのハルキイメージを大きく裏切るモノだったし、とんでもなく分厚かったので、とてもじゃないが読めないと思った。春樹作品と距離を置いたのはコレがキッカケだったかな…。
「1Q84」の舞台装置には、様々なカルト宗教やそんな連中が引き起こすテロ、そしてドメスティックバイオレンスの問題など、ボクが思春期に触れていた春樹作品には登場しないタイプの、タフでゴツい物件が数々登場する。舞台は1984年でも、問題意識は1995年以降の日本社会。バブル崩壊とオウム&阪神大震災というピンチを通過した1990年代以降のこの人の問題意識が、少なからず「1Q84」には影響していると思った。そんで速攻で「アンダーグラウンド」を読みたくなった。……でも、あくまでタフな物件たちは舞台装置で、主人公たちのドラマチックなすれ違いと再会は十分にウットリできるロマンチックなモノだったです。
●コレってネタバレになってないよね?とにかく皆さん、ホン屋さんに入荷されたらすぐ読んで下さいね。ボクは楽しみました。

村上春樹「アンダーグラウンド」




ボクは、最近スカーフを肩にまいて生活している。
自律神経失調症のおかげで、体温調節機能がイカレてしまった。だから、この蒸し暑いはずの季節に、フツウの薄着ができなくなった。ワケのワカランタイミングで悪寒が起こったりするし、オフィスの冷房や地下鉄/バスのクーラーが死ぬほどツライ。しかし上着を常に持ち歩くのはかさばるし、どないしようと困っていた。そんな時、ナイスなアイテムを発見した。スカーフだ。
●冷え性で悩む女性がオフィスでスカーフを巻いているのが羨ましいと思ってた所、野郎のボクでも違和感なく巻けるデザインのスカーフをシモキタザワのお店で発見出来たのだ。店員さんは「Tシャツの季節にワンアクセントつけるには絶好のアイテムです。巻き方も自由自在にアレンジ出来ますし」と有効なオシャレ武器として猛烈におススメしてくれた。しかしボクにとってはもはやこのスカーフは、冷房から身を守る装甲の役割を果たしている。特に筋肉がこわばって痛む左肩~左肩甲骨~左腕を庇うように巻く。最近はこのスカーフを常にバッグの中にいれてる。絶対に手放せない。


P1001357.jpg(星野哲郎はイケテナイでしょ。トホホ。)

●コレを巻いていると職場の若い女子には「オシャレですね」と実に評判がイイ。しかしワイフに言わせれば「銀河鉄道999」の星野哲郎だそうだ。しかしボクが自分で強くイメージしているのは「機動戦士ガンダム00/セカンドシーズン」の第一話に登場した、ブロークン・エクシアだ。ファーストシーズンの最後の死闘で左腕を失ったポンコツガンダムが、左肩にボロ布をひっかけて登場したのがとてもクールで、左肩に不調を抱えるボクにはピッタリだと思った。

ブロークンエクシア

●しかし、梅雨に入ってジメジメ度が上がったら、このスカーフが匂うようになってしまった。ワイフが「ファブリースよ!ファブリース!」たしかに女子に評判がよくてもオッサン臭がしては台無しだ。そこで、リサーチした結果、同じブランドの同じデザインのスカーフが広尾のお店にあるコトを突き止めた。麻布十番で読書したボクは、ソコから都バスに乗って広尾に移動。色チガイの同デザインと、素材/サイズが同じでタイダイな染色をしたバージョンをしたスカーフを二枚追加でゲットした。

P1001358.jpg(メンズでシックリくるヤツって少ないと思う。)

実はこのスカーフには、ユニークな偶然が。
●週末に通ってるヨガ教室。今週も無事にレッスンが済んだ後、このスカーフを巻いて帰ろうとした瞬間、この教室で顔見知りになった「ミムラ姉さん」がビックリして「このスカーフどうしたの?」と聞くのだ。いや、この前シモキタザワで買って、最近はいっつも持ち歩いているんですよ。ミムラ姉さん「このスカーフ、ワタシの会社の商品なの」えー!確かにミムラ姉さんの職業はアパレルのデザイナーさんと聞いていた。「そんで、ワタシがデザインに関わったアイテムなの」えー!そうなんすか!スゲエ偶然!「ビックリ!ワタシも知ってる人がワタシの関わったアイテムを着てるの偶然見るのは、この仕事初めてまだ二回だけ!」
●アパレルのデザイナー兼パターンナーとして商品を考案し、インドネシアの工場で製品を作らせているというハナシを聞いてた…。確かにこのスカーフも「MADE IN INDONESIA」と書いてあったわ。でもまさかこんなソバにデザインの当事者がいるなんて!ちょっと盛り上がる偶然じゃない?
●……実はこのアイテムには色違いが8色あるとか、広尾に直営店があるとかなどなどの情報は、このミムラ姉さんから教えてもらったのだ。このスカーフがレディースではなくメンズとしてのゴツさを持つのは、黒い荒縄のプリントのせいだが、実はインドネシア現地の人が着てたTシャツの柄から発想を拡げて描いたモノだとか。…コレをキッカケに、また行きつけのカフェで3時間くらいこのミムラ姉さんと語り込んでしまった。この日は「デザイナーにはなるには?」というテーマで深く語り込む。その詳しい内容についてはまた後日。


ヒヨコがガッコウで作ってきたウサギ。

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●ボンボンを毛糸で作って、ボンドで耳と目をつけた。アシタはコレよりちいちゃいウサギを作ってイモウトにするそうだ。放課後のガッコウを解放して子供たちの遊び場にする仕組み「ボップ(B.O.P)」では、こんなことも教えてくれる。アニキのノマドはこんなモン作って来なかったから知らなかったが、実は結構内容が充実してんだな。オモシロい。


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村上春樹「1Q84」BOOK1を読破。明日からBOOK2へ。
●うーん!最高にオモシロい!でも、まだ内容には触れないよ。ネタバラしになったら、まだホンを入手出来ない人に申し訳ないから。ホントにバカ売れ状態で増刷ペースが全然需要に追いつかず、現在はアマゾンでも入荷待ち状態になってるほどの勢いだ。発売一ヶ月で100万越え確定だからな…でも印刷が追いついてないので全部の商品が市場に投下された訳じゃない…まあ、そんくらいスゴい。村上春樹作品の中でもダントツの初速度最高売上げだし、この世の文芸書でも異例の記録になるらしい。
●今回は、内容を全く秘密にした状態で発売するという戦略をとったと出版社は言う……実は「海辺のカフカ」が売れている頃、ネットを通して読者から「次回作はマッサラな気持ちで作品に向き合いたいから、ストーリーを推測出来る事前情報を全て出さないで欲しい」というリクエストが集まってたらしい。そんな情報の乾きがバカ売れの一因になっているのか?しかし、読者が出版社に宣伝戦略やプロモーションの仕方を提案するなんて、スゴい時代だよな。ソレに乗っかった新潮社も粋だ。グッジョブ。


ボクは、職場の若いヤツに村上春樹について質問する。
●ビョウキという事情から、中途半端に仕事が減らされてるボクは、ポコッと出来たヒマな時間を職場の若手とムダ話をして過ごしている。しかし、ヒマなのはボクだけだ。若手はヒマじゃないだろうが、ビョウキ明けのオッサンであるボクをムゲにも出来ず、しょーもないトークに付き合わないといけない。かわいそうに。でもそんなモンだ、人生ってのは。
ギーやんに聞く。キミは村上春樹、読んだコトあるの?「えーと、ノルウェイの森だけですねえ」アレは映画になるもんなあ。マツビーは?「オレは、カフカと、ねじまき鳥と、ダンスダンスダンス、ハードボイルドワンダーランドも読みました」へー意外に読書家なんだ?「ええ、好きですね。村上春樹は」ハセッチョはどうよ?「オレは活字が苦手です」……村上春樹は短編集も多いぜ。そっから読んだら?「あー、それは挿絵とかは入ってるんですか?」……挿絵…?挿絵は…そんなにないな……和田誠さんのイラストでジャズの巨匠を語るエッセイはあったな!でも、オマエ、チェット・ベイカーの話とかで楽しめるの?「イヤ、楽しめません」…ま、とにかくなんか読んだら?「オレは活字が苦手です」

●……このハセッチョという男は、コロンビアのゲットーで2年ほどバックパッカー生活してたという変人で、確かにそれなりのカッコをしたら先住民族に見えてくるような、妙な貫禄がある。そんでその南米暮らしに由来するのかしないのか、周囲の空気を読まない(読めない)。「ま、一冊でいいから読んでみなよ」「オレは活字が苦手です」ヒマを持て余して絡んでくる先輩と、空気を読まない後輩。客観的にいってかなりアホな押し問答である。「だから、読めよ!」「オレは活字が苦手なんです!」「読みますって言っとけば、この場はスルーできるだろ!ウソでもイイから読みますって言えよ!」「ソレは言えません!」大分バカな会話である。「じゃあ、わかった。この「1Q84」。ボクが読み終わったら貸してやる。そんで読破したら1000円やる!」「それなら1000円1000円って念じながら読みます」「でも上下巻両方読めよ!」「エーッ!ソレはムリッす!だってこんなに分厚いんですよ!」「オマエ30歳も近くなって、長編小説読めないってそりゃネエだろ!自分の限界を拡げろよ!そのための1000円!」「オレは、毎日夜寝る前に、バック・トゥー・ザ・フューチャーの2と3のエンディングを見ます。ソレよりオモシロいですか?」「(比較の基準が見つからなくて一瞬絶句するボク)……それはよくワカラン…」「それじゃ読めないッスね!(勝ち誇るハセッチョ)」
●………まあ、ボクがビョウキを克服してなんとか復帰出来た職場ってのは、このテの愉快な連中が住んでいるバショである。こういうバショは、正常であろうがなかろうが、誰もそんなに気にしない空気がある。誰もがある程度変人慣れしているし、ボクとハセッチョが果てしなく不毛な言い合いをしていても、笑いながら聞き流して自分の仕事を進めるコトができるスタッフが多い。この空気がダメな人は速攻で辞めるが、馴染むヤツは際限なく馴染む。ボクもハセッチョもこういうバショでなくては生きて行けない人間であり、結果完全に同じレベルでアホである。



●今日の音楽。ちょっとゲイハウスっぽく。


PET SHOP BOYS「NIGHTLIFE」

PET SHOP BOYS「NIGHTLIFE」1999年
●夜の飲食/お付き合いを完全禁止されているボクにとっては、現在ナイトライフというモノから完全に切り離されてしまっている。元から酒を飲まないボクは、居酒屋やバーで飲んだくれるようなコトはしないが、それなりのバショでメシを食ったり、夜中までライブやクラブでフラフラ遊んでたい気持ちはタップリある。もう一生ソレが無理と言われれば、チトきついな。
●さて、ジャケの二人はドコに行くのか?ゲイのカップルが地下鉄に乗って行く場所って?今日の二人はそんなに楽しいバショに行く感じがしない。80年代から活動する PET SHOP BOYS は、ゲイカルチャーにしっかり根差した甘い声とセンチメンタルなメロディが売りで、いつも通りにこのアルバムでもチャーミングだが、歌詞をジックリ読むと実に悲観的で冷たく醒めたメッセージに埋め尽くされているコトがわかる。恋人へどうにもならない孤独を訴える歌、嫉妬や疑念の思いを訴える歌、息が詰まるような閉塞感でイッパイだ。普遍的なラブソングと捉えてもイイけど、ゲイの恋愛は一層事情が複雑なんだろうとも感じ入る。トドメは KYLIE MINOGUE とのデュエット「IN DENIAL」。この曲の内容は、ゲイの父親と娘の再会と罵り合い。あまりに特殊なシチュエーション過ぎて感情移入するトッカカリがまるでない。
●サウンドプロダクションに、英米のトップハウスクリエーターが参加。切ない歌であってもダンス機能は十分だ。ニューヨークのハウスシーンからは DAVID MORALES。今なお最前線に立ち続けるハウスDJの重鎮。UKハウスからは、プログレッシブハウスのユニット FAITHLESS からトラックメイカー ROLLO が参加。実にダークです。CRAIG ARMSTRONG というプロデューサーは初耳だが、彼が手掛けるオーケストラアレンジが今回の作品にドラマチックな色を添えてる。12曲中、9曲にオーケストラの音を採用しているのだから、連中としては本気だ。もちろん軸足はダンスミュージックだけどね。
●どこか冷たい印象の楽曲たちの中での、唯一の例外が「NEW YORK CITY BOY」という曲だ。イギリス人の彼らにとってもニューヨークは特別な街なのだろうか。DAVID MOLARES と共作した四ツ打ちビートは完全なディスコハウスで、キレのイイタイミングで差し込まれるストリングスアレンジは、VILLAGE PEOPLE さえを連想するほどのコテコテ路線。この瞬間だけは何の影もなく、輝くミラーボールを仰いでフロア全体が多幸感でキラキラするような気分になれる。

NEW YORK CITY BOY. YOU'LL NEVER HAVE A BORED DAY 'CAUSE YOU'RE A NEW YORK CITY BOY. WHERE SEVENTH AVENUE MEETS BROADWAY. YOU FEEL THE DEAL IS REAL. YOU'RE A NEW YORK CITY BOY. SO YOUNG, SO RUN INTO NEW YORK CITY.
ニューヨークシティボーイ!一日だって退屈な日はない!だってキミはニューヨークシティボーイ!ココは7番街とブロードウェイが出くわすバショさ!ウマい話が本物に思える!キミはニューヨークシティボーイ!キミは若い!だから飛び込め!ニューヨークシティに!



FAITHLESS「SUNDAY 8PM」

FAITHLESS「SUNDAY 8PM」1998年
●タイトルが「日曜日の午後8時」……。日曜の夜にトモダチとつるんで、オールナイトでクラブでハシャイで、ファミレスで軽くメシを食いながら迎える月曜日の朝ってのは、なんであんなにクソみたいに眩しくてウンザリするのだろう。暗い照明と夜の闇に慣らされた目ん玉に対して、あの太陽光線は凶暴すぎる。手足はダルいし、大音響の中で会話するからノドも痛い。家まで帰って着替えて出勤だなんて死ぬほど億劫だ。そんな見たくない事実までご丁寧に照らし上げる太陽が憎いとさえ思う。……そんな風に遊んでた時代も、結構懐かしいモンになっちゃったけど。
●プログレッシブハウスの代表格とされるこのユニット FAITHLESS が、なんで日曜日の8時からライブをするのか理由はワカラン。本来は金曜日か土曜日にしてもらいたい。翌日の事を考えるとホントブルーになる。元からブルーでダークで攻撃的な音楽なんだから。ハウスとしての高揚感すら排除したダークワールドは、吸血鬼のように日光を避けて生きてる人間にふさわしい。トリップホップといってもいいほどにテンポダウンしたビートに、ボーカリスト MAXI JAZZ のウンザリするほど暗いポエトリーリーディングが乗っかると、ホントにドンヨリするわ。走る高速ビートの楽曲も、どうしてもぬぐい去れない闇を引きずってる。これがプログレッシブ(進歩的)なハウスの形態なのか?と初めて聴いた時はいぶかしく思ったモンだが、ダブステップのような、より暗黒度が高いダンスミュージックがマジョリティになってる現行シーンと比較すると、この10年以上前の音源は時代の先読みに成功してたと納得できる。
●扇情的で攻撃的なハウスチューン「GOD IS A DJ」は、次の言葉で幕開ける。「THIS IS MY CHURCH, THIS IS WHERE I HEAL MY HURTS(コレがオレの教会…ココでオレは傷を癒す…)」。ダンスフロアで無心になるまでに踊る時、自分やフロアの人間全体が、リズムとビートの奴隷になったような気がする。踊るのをヤメる事を、リズムとビートが許してくれない。その時、DJとターンテーブルはダンスフロアをファシストのように支配しているように思える。高性能なDJに煽られて夢中で踊りながらそんなコトをボクは考えていた。その意味で「DJはカミサマ」のように君臨していた。…そんで日常生活。加速する社会のスピードにしがみつくのが精一杯のこの人生。生きるのをヤメさせてくれないカミサマは、ダンスフロアのDJと一緒だ。DJブースが照明を背負って輝いて見えるように、太陽光線を背負ってこの全世界を見下ろしている「カミサマは確かにDJ」だと思う。


はるな愛「I・U・YO・NE~」

はるな愛「I・U・YO・NE~」2008年
●ニューヨークのゲイクラブでは、PET SHOP BOYS とかがラウドにかかってるのかも知れないけど、新宿二丁目のゲイイベントにはやっぱりこういうのがラウドにかかってるのかな?ダンスフロアでこの曲が激しく機能する瞬間が見てみたい。多分、最高に楽しいと思う。マジで。「ノミヤマ」/「グビヤマ」って言葉はドコでどんな風に使えばイイのか、いつかダレカにキチンと教えてもらいたい。はるな愛の折り目正しいアイドル魂はキライじゃないし、この曲のトラックが折り目正しくジュリアナハードテクノである事も、首尾一貫してて好感が持てる。そんで正直に言うと、プロモDVDの彼女は、ワリとカワイく見える(ソバにいるとコワいかもだけど)。実は彼女とボクは年齢で一個しか違わない同世代なんだよね……だから素朴に応援します。

自律神経失調症とのお付き合い(その99)~「ビョウキが治っちまうよ」編
●今日は隔週の心療内科の診察に行く。会社から病院に行くには地下鉄だのJRだの様々な手段があるが、ボクが一番お気に入りなのは都バスだ。これはビョウキになってから出来た嗜好だね。一時期、地下鉄の圧迫感やエスカレータの上下移動がシンドクなってた時期があって、代わりに選んだ交通手段がバスだった。
●そんで知った。バスはイイ。ボクの選ぶ路線はかなりの確率でキチンと座れるし、窓の風景も気持ちイイし、振動に身を委ねて居眠りするのもイイ。バスの乗客は電車の客より質がイイのか、50倍くらいの頻度でお年寄りに席を譲る場面が見られる。しかも実にスマートで気持ちがイイ譲り方をする。もちろんボクも席を譲る。ボクも十分な病人のはずなのだが、ルックスがそう見えないので譲らない訳にはいかない。…でもとにかく、ここでお勧めします。移動時間に余裕があるならバス移動を。電車じゃ網羅出来ないショートカットな路線を発見するのも楽しい。…まあ、どうでもイイ話だけど。

どうでもイイ話ついでに、もう一つ。病院の待合室での過ごし方にヘンなクセがついた。
●心療内科/精神科の待合室は、普通の病院と少しだけ雰囲気が違う。普通の病院では、高熱を発してても、頭痛がヒドくても、奥歯が痛くても、患者はできるだけソレを耐えて行儀よく待合室のソファに着席しているものだ。待合室は公共のスペースで、公共の場にふさわしい振る舞い方に沿って患者さんは行動する。
●しかし、心療内科/精神科は、独特のフランクさがあって、待合室のソファを、まるで自分のウチのテレビの前のリビングや、キタねえ万年床のように使用してイイノリがある。イイかワルいかルールが明文化されてるわけじゃないが、ルールがあったとしてもソレを守る余裕のない人種が主だった患者さんだ。そんでどんな事になってるかというと、4人がけのソファにうつ伏せに寝そべって爆睡してたり、ミニテーブルに足を投げ出してふんぞり返ってたり、サナギのように縮こまって椅子の上に転がっていたり、土足でソファを汚す事に躊躇なく体育座りしている患者さんが実にたくさんいる。
●決して全員がそんな座り方してるとは言わない。しかし一部の実にフリーな患者さんの実にフリーな待ち合いのスタイルは、ボク自身にもフリーな作用を及ぼし、知らぬ間にボクも傍若無人な姿勢でソファを独占してしまうのですね。iPod でガンガンに音を鳴らしながらソファ4個分を独占して仰向けで居眠りする位の事は、抵抗なくするね。あげく名前が呼び出されても気付かず受付の女性に起こされるとか。……で、油断するとコレを他の病院でもやってしまう。普通の呼吸器科で、スニーカーを履いたままの足をソファの上にぶん投げて雑誌を読んでたら、子供連れのお母さんにスゴい顔で睨まれた。ヤベヤベここはノーマルな世界、フリーに振る舞うバショじゃない。自分に言い聞かせないといけない。


さて診察。最近は実にアッサリしてるが、今日は特にアッサリしてた。
●主治医であるオバさん先生は、最近はボクに語りかけない。ボクが診察室に入り、アイサツをして椅子に座ると、少し微笑みながら無言でボクの顔を覗き込むだけだ。この微妙な沈黙を埋めるために、ボクは言葉を探し始める。ああーんと……そうですね……まあ調子は……いいのかワルいのか…あんまり判然としません。
●仕事について、ケツを叩くようにコレをやれ!という人は誰もいません。むしろボク自身がやりたがってしまっています。ただソレがムカシのような自暴自棄的なワーカホリック暴走に繋がりそうで、別のボクが「ヤバいヤバいソレはヤメとけダメだダメだ」と必死にブレーキをかけようとしています……ブレーキをちゃんとかけてるかどうかは自分じゃわかりません。センセイが、ボクの会社でボクの仕事ぶりを見たら、暴走しまくりでダメじゃん、と思うかもしれません。うーん、微妙です。
●あー、あとですね、昨日、クスリを全部入れたクスリ袋を会社に忘れちゃったんですよ。だから夜メシや寝る前のクスリが手元になんもない。ありゃーと思いました。ヤベえな、安定剤が飲みたいゼーと思う訳です。でもしゃーないからトットと寝ました。結果パニクる訳でもなく、ワリと普通に起きて会社に出られました。結果、なるほど、クスリがないならないなりで、どうにかなるなとは思いました。少し前なら完全パニック発作だったかも知れませんけど。

●センセイは、このテの職業に絶対必要である技術であり、かつ長い経験で絶妙に訓練されたやり方で、ボクのハナシに相づちを入れる。ふ~ん。あらそう~。それはよかったわね~。そんなに心配する事じゃないわ~。はいはい、なるほどね~。こうした極上の「相づちテクニック」を企業の研修メニューとして開発したら、結構ウケると思う。プレゼン上手はこの10年で日本社会にスゴく増えた、次はハナシを聞くヤツが求められる、と思う。…あ、またハナシがずれた。
●で、一通りハナシを聞いたセンセイは、一個だけ確認をした。「ジェイゾロフト(抗うつ剤)を抜いた副作用はなかったのね?」あー全然ないです。なーんも問題ないです。……そしたらセンセイ、これまた思い切った提案をしてきた。「それじゃあね、精神安定剤廃止!メイラックスを抜きます。そしてデパゲン(ムードスタビライザー…ハイにナリ過ぎるのを防ぐ)を朝飲みます。朝飲めば会社に忘れるとかナイでしょ?そして睡眠薬も頓服扱いに!毎日飲まなくてもダイジョウブよ。ミン剤はナニが好き?サイレースあたりにしておく?」
●えっ!?そんなに抜いちゃってダイジョウブですか?「あんまり長く飲み続けるモンでもないし!」そうですか…ちょっと寂しいくらいですね…(ボクはホントに安定剤が好きみたいだ…ホント残念に思えたから)…あのー、コレって、手っ取り早く言うと、ボクってビョウキが良くなってるっちゅーコトですか?「そうですよ!」元気よいリアクション。ああ、そうなの…ボク本人の実感では良くなってる気はあんましてないんですけど…でも悪くもないなとも思ってるんだよね…。結果として心療内科から出るクスリはたったの2種類になった。しかも一つは頓服で、レギュラーは一種類だけ!ビックリするほどサッパリした。

●診察が終わってのお勘定が、530円になってしまった。一時期は8種類くらいクスリを出してくれてた薬剤師さんには、サッパリし過ぎちゃいましたね、と言ってしまった。病院を出てバス停へ歩く道で考え込んでしまった。「このままボクのビョウキは治っちゃうの?マジで?」そんなチョロいコトにはならないだろうよ…半信半疑だよ。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html


●さて、ボチボチ仕事も盛り上がってきて、このブログも今までのようにコッテリ書く事が出来なくなってきた。コッテリ書けたのは、休職生活の余りあるヒマを活用するという前提があったからだ。ブログは高性能なヒマつぶしだった。しかしヒマじゃなくなった以上、コッテリは書けなくなったのです。
●だから、ブログは継続するけど、更新頻度は低くなってしまいます。ハナシもつまんなくなるかも。ボクは職業や仕事のコトはココにあまり書きたくないので、余暇がなければ書くべき内容もなくなるし。スイマセンが、今後、ソコの所ご了承下さい。

村上春樹「1Q84 2」

●加えて、現在、村上春樹「1Q84」を爆読み中です。コレ読破しないと次にナニも出来ません。ブログも更新できません。久しぶりの春樹ワールド、とにかくオモロいわー。感想を書く余裕があれば、いつかココに綴ります。でも難しいから書けないかも。自分でとっとと読んだ方がイイですよ、コイツは。ホント。
ノマドとダンゴムシ。
●小学二年生の息子ノマド。最近ダンゴムシにハマっている。ガッコウの休み時間にたくさんのダンゴムシを捕獲しては、ソイツらを「フデ箱」の中にテンコモリで監禁して、ウチまで持ち帰って来る。その行為にワイフがドン引き。まあ、予告なしてそんなフデ箱を開けたらフツウは冷静じゃおれんよね。ドッキリでビデオを仕掛けてダンゴムシ満載フデ箱を開ける様子を撮影したい。
●なぜダンゴムシが大事なのか。フデ箱イッパイに捕獲して来るのか。ワイフが辞めてくれというと、「なんで?ダンゴムシ、あんなにかわいいのに」とノマド。そんで我が家の狭い庭に放してやる。環境で言えば連中にとってはガッコウの方が住みやすいような気がするが、ノマドの頭の中では「保護」というニュアンスがあるようだ。以前はプラスチックの水槽に土を入れてその中に大量のダンゴムシを飼ってた時期もあるが、今日のような強い雨の日にその水槽に雨水が溜まって完全水没。ダンゴムシジェノサイドが発生するという悲劇が起こった。ワイフがヒーヒー言いながらその後始末をしてたっけ。


もうすぐ父の日。
●ある日の朝番組で「子供が父親を採点したら?」という新聞記事が紹介されてた。ソレによると世のお父さんの平均点は74.8点らしい。コレは成人男女に対してその父親の点数を聞いているので、リアルに未成年の子供の採点ではないというけど。
●そこで即座にその場でノマドに聞いてみた。「なあノマド、ノマドのパパは100点満点中何点だよ?」ノマド、しばし真顔で考えて「……うーん、70点。」おお、ワリと辛辣な点数だね?平均点下回ったよ。なんで70点なの?「カイシャにいすぎるから」あっそう!やっぱそう思う?病気で休職する以前は全くカオを合わせない時期が長かったからね。父親に対するイメージとして、その不在感は一生付きまとうんだろうな。ニンゲン多少のワケアリぐらいが丈夫に育つと思うよボクは。ザマアミロ!
●この前も、「心の病で労災認定が過去最高」みたいなニュースを見ながら、「これってパパの事だよね」と言い放ちやがった。あー労災認定までは取ってないんだな。まー大枠ではマトをハズしてるとは言えないけどね。

●一方小学一年生のヒヨコ。ジェット風船をドコかでゲットして自慢げに膨らませて遊んでいた。「ヒヨコがココまでジブンでふくらませたんだよ!スゴいでしょ!」おおスゴいねヒヨコ。ああそうそう、ヒヨコ、風船で不思議な声のオナハシができるって知ってる?風船に耳と口を押し付けて片方から片方へ話しかければ、ゴムと空気の振動でエコーがかかった聞こえ方がする。ソレを早速実演すると……ヒヨコ、ニンマリ笑って実験を楽しんだと思いきや、あわてて「ヒヨコ、ちょっとフウセンあらってくるね!ジェットフウセン、ナンカイもふくらませるから、クチのところあらわないと!」と洗面台に走って行った。
●それをワイフが解説。「ヒヨコなりに気を使ってるけど、アナタがクチ付けた部分を洗いたいのよ。だんだんパパがバッチイ生き物だと分かってきたのよ」あれ?そうなの?ボク、バッチイ?「パパが好きなんていう女の子は、ハッキリ言ってこの世にいないわよ。ヒヨコもそういうお年頃ね」はーん。おかしいな。ヒヨコはベタベタなファザコンになるはずなんだけどな?


ヒヨコの愛唱歌は、思春期のイバラ道。

YUI「AGAIN」

YUI「AGAIN」2009年
●2008年の夏に活動休止宣言をして結構心配しちゃった YUI ちゃんの再始動シングル。そしてノマドのフェイバリットアニメ「鋼の錬金術師 FULL METAL ALCHEMIST」の主題歌。このウタをヒヨコがやたら気に入って風呂の中でラウドに歌うのよ。オマエみたいなアニメ声のコムスメが歌うにはイタいウタだぞコレは。
●要素の多い歌詞を複雑なメロディに押し込んだ彼女の復帰作は、活動休止以前と同じように、ガラスの破片の上を歩くような痛々しさを備えていて、エレキギターの弦のようにピリピリと振動する緊張感で聴く者の耳を引っ掻く。幼さの残る声と、リストカッターみたいに対人関係への絶望を歌うテンションとの落差は健在。
ココロの闇(病み?)を抱えながら、その闇(病み)を身を削るように作品化しないといけないのが彼女のアーティストとしての真骨頂であり宿命でもある。この矛盾がドコかでバキンと大きな音を立てて破綻するのは時間の問題で、去年からの休業は当然の帰結だと思ってた。復帰不可能もしょうがないとも思ってた。ファンクラブだって崩壊寸前だったし。よくぞまあ復活できたもんだ。でも相変わらずピリピリ。デビュー当時はティーンネイジャーだった彼女ももう22歳。ジャケからコチラを睨む YUI ちゃんの眼光が一層厳しくなって、これが思春期のイバラ道の延長戦を永遠に続けて行く覚悟ができた顔なのかと思って切なくなる。


今週のある日。家に帰ったら「所サンの笑ってコラえて!」をワイフが録画してた。
●そんなの普段は見ないのに、ナニしてんの?と問うと、「お義母さんがこの番組でインタビューを受けて放送されるかもって、メールが来たから」と。…ウザッ。ナニしてんのだボクの母親は。しかもマジで嬉々とインタビューに答えてた。露出は5秒程度だけど。友達と銀座を歩いていたらテレビカメラを見つけたので自分から出しゃばってコメントを撮られにいったらしい。ホントウザイ…。


自律神経失調症とのお付き合い(その98)~「チューリップが咲いた」編

デイケアチューリップ咲いた

三月まで通院していた精神科デイケアから、手紙が届いた。
「遅くなってすみません」とお断りの書かれた封筒を開けると、キレイなチューリップの写真が現れた。


表彰状 金賞(unimogroove)様(白)
あなたは、2009年度デイケア春期ガーデニングにおいて、チューリップの色を見事に当てました!あなたの根気と努力をここに表彰させて頂きます。


●デイケアでは、各々のメンバーが球根を選んでプランターに植え込み、ナニ色のハナが咲くか賭けをしたのでした。しかし、ボクはこのチューリップがハナをつける前にあの施設から卒業してしまったのでした。(その時の詳しい経緯はコチラ。)デイケアのスタッフさんは、ボクの予想が見事的中したコトを、こんな手の込んだ手紙で報告してくれたのだ。わざわざありがとうございます。
「あなたの根気と努力をここに~」という文面の意味は、フツウのヒトは面倒を怠りハナを咲かせる前に枯らせてしまうことが多いコトを意味している。しかし、ボクは通院を辞めてて、世話など100%していない。実は通院当時も全く水やりしてない。では、なぜチューリップがキチンと育ったか?
●実は、毎日デイケア施設全体のプランターにセッセと水やりをしているオジイさんがいた事に注目し、このオジイさんの球根のトナリを狙ってボクは自分の球根を植えたのだ。あのオジイさんならチューリップにも毎日セッセと水やりするハズだ……なら、その隣の球根もその水のお裾分けを得る事が出来る……従ってボクがナニもしなくてもボクのチューリップはスクスク育つ……そんなセコい戦略…寄生虫のようだね。そんで見事に開花しちゃった、全自動で。賭けに勝つとまでは思ってなかったけど。お礼の手紙でも書くかな。


社会復帰してやっと二週間経った。カッタルイ…。
●疲れてる朝もある。眠れない朝もある。会社に行きたくない朝もある。そんなスムーズに社会復帰出来ませんですよ…やっぱキツい。ツライ顔を職場の連中に見せるのはイヤだけど、会議室の冷房で気分が悪くなる。
そんな時は安定剤をサクッと増量、軽くデパスをキメル。みんなはどう思うかワカランけど、デパスの一粒二粒はボクにとって美味しいラムネと同じようなモンだ。デパスは抗不安薬なので、言わばダウナー系でハイにはならない。ボクは、どうしてもアガッてしまう仕事へのテンションを緩めたいからキメルのであって、ブルーな気分をハイにするためにキメルわけじゃない。しかもダウナー系としてもチョロすぎるので、ぶっちゃけ気休め。こんなのワンシート丸飲みしても、多分どーってコトない。効いてもデスクでガーガー昼寝するまで。クスリを飲むのを嫌がる人もいるけど、ボクはよほど相性がイイのか安定剤とかが大好物なんだよねー。減薬されるのが寂しいくらい。でも、シャキッとしたかったらブラックブラックガムの方がイイ。

しかしイザ会社に行くと、アレコレ楽しい。
●新チームのスタッフの個人面談もしっかりやってるが、キメドコロはシッカリチェックしながら半分以上は無駄話だ。「へえ、キミ美大の院卒かよ!就職するバショ間違えてない?」「PCが得意って聞いたけど、ナニが出来るの?フラッシュのアニメとか作れるの!やるじゃん!早速なんか作ってオモロい仕掛けにするか?」「音楽ナニ聴くの?エルレハイスタ…?つーかキミ、パンク? 横山健のソロとか聴くの? へー ULTRA BRAIN の方が好きなの!ボクはねハイスタなら『ANGRY FIST』がイチバン好き」「千葉の野田市出身?おお野田出身はココのスタッフにもう一人いるわ。キミには大先輩だけど、ソイツは筋金入りのヤンキーで、しかも初めてこの職場に来た時、経歴詐称で二歳も年齢偽ってたんだぜ笑えるでしょ!」後輩とハナシをするとフレッシュな気持ちになるし、意外と新しいアイディアへのヒントもゲットできる。連中にとっても今月突然登場した「ビョーキ明けのセンパイ」が、無駄話が大好きなゆるキャラだと知れば安心の材料にもなろう。今週も収穫イッパイだ。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html



オトコの面構え。山崎努。

AT ONCE 山崎努

これはフリーペーパー「AT ONCE」4月号の表紙。
●フリーペーパーを読みあさる習慣のあるボク。骨太なカルチャー記事の内容が好きだった「AT ONCE」はコレで廃刊。その最後の表紙を飾ったのが「おくりびと」で大活躍した俳優・山崎努だった。しかし、スゲエ面構えだよねえ。今年で73歳。半世紀以上「役者」。こういう写真見ると、オトコが年を取るってどういうコトよ、とか考えちゃうのよね。撮影は操上和美氏。

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本木雅弘広末涼子

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以前、マンガ版のコトをブログに綴った「おくりびと」。映画版をゆっくり見ました。
本木雅弘 A.K.A. モックンの気合いの入ったチェロ演奏や、チェリストという設定が伏線に仕掛けられた「納棺師」としての洗練された所作もイイ。ヒロイン広末のパンツもちらっと見えまして実にイイ。ただし、迫力で言えば、バイプレイヤーである山崎努さんと余貴美子さんの方がスゴい。
●…さんに至っては、「またかよ!さんがいなければ日本映画は成り立たねえのかよ!」と呆れるほどの引っ張りだこ状態に感嘆。最近では西川美和監督「ディア・ドクター」、「となり町戦争」「愛の流刑地」「椿山課長の七日間」「東京タワー」「ホテルハイビスカス」「学校」BY 山田洋次監督。古い所では、石井隆監督のカルト作「ヌードの夜」「GONIN2」石井隆カンケイは基本全てマストです)。
●そして山崎努。どんな映画に出ても、その立場を細かく説明する場面なくして、でもシッカリと人生を語ってしまう面構え。「おくりびと」では主人公を納棺師の世界に誘う社長役。細かい説明もヌキで採用されて戸惑う主人公を「弔いの儀式」と言う非日常の世界に引っ張り込む。自分は、特に語らずその非日常を日常として淡々と生きる男を描く。彼が演じる社長の過去が語られる場面は、なぜかフグの白子をハフハフと食う、その表情に軽く流されてしまい、が、しかしその食いっぷりで十分納得してしまうスゴミがある。タダのしかめっ面俳優ではないのである。


山崎努さんが73歳ってコトに驚いた。あの脂っこい面構えはもっと若いと思ってた。
「AT ONCE」のインタビュー。「50代が全盛期ですよ。僕はもう70代ですけど、振り返ってみると還暦あたりもなかなか捨てたもんじゃなかったけどね(笑)」…全盛期が50歳代……ボクなんてコワッパだね。そして年齢によって浮き上がる表情にもコダワリあり。「おばさんがおばさん顔になるのはいいにしても、この頃はおじさんまでもがおばさん顔になっているのが情けないというか。迫力がないよね。ものわかりがよくて、物腰もやわらかで。僕に言わせたら、あれも刺激的じゃないし、管理されてる証拠じゃないですか。だから、僕は爺の顔でいたいんです。」あげくこの人、ヒドい癇癪持ちらしい。癇癪起こしている山崎努って、ソバにいたらコワいだろうな~!


……ボクが役員を務めるマンションの理事会に、リタイア組のオジさんがいる。
●そりゃもう激しいクレイマーで、規約違反している部屋があればドスの利いた関西弁で「アソコのヘヤはどないなっとるのや、ビシッと言ってわからせなあかんのや!」といつも怒ってる。筋が通る部分もあれば、ソレはムチャじゃね?的なコトも言う。出来れば廊下で会うのも避けたいキャラだが、会ってアイサツすれば「三階のダレダレがベランダで布団を干しとった、アレは規約違反や!」とボクに報告して来る。まだ詳しく聞いてないが、サラリーマンから独立して起業し、自分で商売を回してきたが、70歳を超えて会社を閉じたとか……ボクより年長の娘サンがいるみたいだけど、CNNの記者としてアメリカ・アトランタで活躍中……生まれ故郷の神戸に帰ろうと思ったが、娘が東京に実家がある方が便利というのでシモキタザワに住んでいるのにアイツは全然帰国しない、プンプン!…まーとにかくいつも怒ってる。でもある意味、こうしたモノワカリのワルいオッサンってのは、大事かもしれんねー。山崎努の顔見てたらそう思った。
●……ある休日、庭で遊んでいたウチのコドモが誰かとハナシをしてるなーと思ったら、階上のベランダからこのオッサンとコドモたちがトークして盛り上がっていたのだ。「ボーヤはいくつや?おじょうちゃんは?」気付いたワイフが即座に反応して「スイマセン、コドモがうるさく騒いで」と庭から謝ったが「ええんや、コドモが元気なのはよろしいことや!」と珍しく上機嫌。あとでコドモたちに聞く。ノマドヒヨコ、あのオジちゃんにちゃんとアイサツしたのか?「うん、コンニチハっていったよ!」コドモの方が先入観なく人に接するね。結果的にはボクにとっても一番よく会話するマンションご近所さんになってるしな。末永くお付き合いさせてもらいます。


ああ、山崎努から大分ハナシがそれた。山崎さんの代表作ってなんだろう?
忌野清志郎が死んだら「スローバラード」がかかる。「トランジスタラジオ」もかかるし「雨上がりの夜空に」もかかる。山崎努が死んだら、どの映画がでてくる? 実はバイプレイヤーで印象的な演技はあっても、主演ってーのはパッとスグには思いつかないねえ。
「おくりびと」では納棺師の社長。長澤まさみ「セカチュー」では主人公が信頼を寄せる写真館のジジイ。窪塚洋介「GO」ではクソみたいに腕ップシの強い窪塚の父親。滝田洋二郎監督作品「僕らはみんな生きている」ではクーデターが頻発するアジアの小国で必死に商売に精を出すコスイ日本人商社マン。「利休」では三国連太郎演じる千利休に対峙する天下人・豊臣秀吉。「マルサの女」では捜査の対象になるあくどい脱税経営者。片足が不自由で杖をつきながら大きく身を揺らして歩く様が印象的。しかし、実はゼンブ主役ではない。スゴく味は出てるんだけど。

●ボクが知る限りの印象的な主演作品は、伊丹十三監督の最初期キャリア「お葬式」。突如葬式を取り仕切る事になった男の悲喜こもごもをシニカルかつユーモアをもって描いた映画。映画の冒頭、通夜の直前に愛人と喪服セックスに耽るトコロからかなり脱臼ギミで笑える。伊丹映画第二弾「タンポポ」では、さすらいのトラック野郎(テンガロンハットがカッコいい)が、ショボイラーメン屋を名店に仕立て上げるという話。当時の感覚では「ラーメン一つでココまでコダワルか」と思ったが、公開から20年以上たって「ウマいラーメン屋の一つも知らなくては女の子とデートもできない」時代にちゃんとなってるのがスゴいよね。

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(2005/09/22)
山崎努宮本信子

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●始末の悪いオッサン音源。一応オッサンつながりというコトで。


すべて時代のせいにしてすべて時代のせいにして
(2008/10/01)
泉谷しげる

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泉谷しげる「すべて時代のせいにして」2008年
忌野清志郎死去に際しては、「オレはそんな話を信じねえ」と突っぱねて泣きながらライブを行ったという事で気骨の太さを見せつけた、実にウルサいオッサン。テレビでは愉快なオッサンとして既に収まる部分に収まった感もあるが、70年代初頭からガナリ続けている由緒正しいフォークシンガーなんですよねー。
●時代の変遷の中でサウンドのアレンジは多彩に進化し、フォークだけをやってるわけでもなく、このアルバムもロックバンドサウンドでガーガーガナッております。詞の内容も時代にリンクするのをカレなりに目指してて、落ちついた感じが全然ありません。吉田拓郎が体調不良で機動力を落とし、井上陽水がマイワールドに没入&制御不能になった今、なにげに一番リアルにがんばってるのはこの人なのかも知れないと思った。1972年の永遠のヒット曲「春夏秋冬」を再録音(いやもう何回録り直しているかわかんない)が収録されているのはご愛嬌ということで。

●意外なほどコッテリとしたキャリアにも感心。日本フォークの70年代インディー、エレックレコードからキャリアを起こし、日本で初めてアーティスト自身が主体になって立ち上げたレコード会社フォーライフの発足に拓郎/陽水らとともに参加。80年代には俳優業にも進出、なんと石井聰亙監督「狂い咲きサンダーロード」で美術/音楽を手掛けてる。90年代は震災などに際して「お前ら募金しろ!」と叫びゲリラライブを敢行。00年代に至ってはコザック前田のような若手とコラボまでしている。泉谷さん、思った以上にアナタはスゴい人ですね。

泉谷しげる

(1972年のシングル「春夏秋冬」と、2007年サンボマスターとのジョイントライブ)
●先週末はコドモたちの運動会だった。

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最近の小学校は、6月が運動会シーズンなんだよね。
●クソみたいに天気がよくて、日に焼けてしまった。炎天下に長時間晒されるのは病気的に厳しいので、ナカヌケして学校の近所の喫茶店で読書して過ごしたりもする。息子ノマドは徒競走で事前目標を見事達成、前年度比ワンランクアップ。つまり去年はビリだったけど、今年は3位だった。娘ヒヨコは言うまでもなくビリですが。でもヒヨコはバレエで鍛えたセンスのおかげかオユウギの身のこなしがズバ抜けて安定してて、我が娘ながらビビった。これで、もうちょっとスタイルがよければイイのに。見事な赤ちゃん体型なんだよな…。


そんな休日を送ったがためか、実にカラダがカッタルイ。
●先週は復帰第一週目として少し気負って会社に挑んでいたが、今週はイイ感じに肩のチカラが抜けて仕事にあたっていられる。くだらないトークで時間を過ごしたりしてて実に脱力。もっと巧妙に仕事をサボるテクニックを身につけたい。ある意味正常な感覚に近づいてきた。サボり願望が「正常」ってのも、ちと困りモンだけどね。



さて、今日の音楽は、ミドルスクールのヒップホップだ。
●1989年、DE LA SOUL などの文系ヒップホップな連中が、ソレまでのヒップホップと自分たちの世代感覚を区別するために、「ニュースクール」という言葉を使った。「オレらが新世代。ソレまでの連中は旧世代」という言い分。「ニュースクール」の系譜は紆余曲折を経て、今だに「ナードラップ」「バッグパッカー」という名前で文系ヒップホップの伝統を繋いでいる。そんでソレらはもれなくボクの好物でもある。
●しかし一方で、「旧世代=オールドスクール」の連中が退屈かというとそうではない。80年代の段階でヒップホップはそれなりの進化と深化を遂げ、ニュースクール/オールドスクールと区切る事も実は乱暴なハナシだ。ソコで、マジモンのオールドスクールとそうでない世代を区別する言葉もアトから生まれた。「オールド」ではないオールドスクール「ミドルスクール」と呼ばれるようになったわけだ。
「ミドルスクール」の世代には重要なユニットが数々含まれる。RUN D.M.C. PUBLIC ENEMYL.L. COOL J も、オールドともニューとも言えない中間世代だ。やや性格が違うので括りにくいが、BEASTIE BOYS だってこの時代にキャリアを起こしている。そして、ニュースクール登場後もミドルスクールは特別な存在感を示していた。今日はそのヘンを聴くのである。


EPMD。金儲け大好きのファンクマスター。
ERIC SERMON PARRISH SMITH の2MC。''E'' ''P'' の二人組が、カネを稼ぎ出す(MAKING DOLLARS)。この頭文字が「EPMD」。あくまでオレらはカネにコダワルぜ!というコトで、アルバムタイトルには必ず「BUSINESS」という言葉が含まれてる。そんな連中だけど、そのトラックは超重量級ファンクで腹に響く。半端なファンクじゃカネにはならねえ!そんな根性が男前。

EPMD「STRICTLY BUSINESS」

「STRICTLY BUSINESS」1988年
''E'' ''P'' のファーストアルバム。厳密にビジネスだそうだ。しかし内容は厳密にファァァ~ンク。ベースが太くて黒くて固い。ラップが技巧的とは言わないが、チンピラちっくな凄みは半端じゃないです。あと時代が大らかだったのか、超弩級有名ファンクをドッカンドッカンサンプル投下してます。一曲目から BOB MARLEY作/ERIC CLAPTON 版の「I SHOT THE SHERIFF」を硬派に決めてるし、ZAPP BAND「MORE BOUNCE TO THE OUNCE」を骨組みにして、KOOL & THE GANG「JUNGLE FEVER」をサクッとブレイクに使う曲もあって実に大胆。その他 OTIS REDDING THE J.B'S、RICK JAMES、そんで STEVE MILLER BAND まで使っちゃう。そしてソレをザックリファンクにオトし込むセンスが硬派以外の何者でもない。

EPMD「UNFINISHED BUSINESS」

「UNFINISHED BUSINESS」1989年
ビジネスは順調に進行中、オレらは永久に止まらないゼ。ネタはより王道ファンクへ接近し、 FUNKADELIC JAMES BROWN、B.T. EXPRESS、THE STYLISTICS、MFSB などなどをガッツリ使用。ファァァ~ンク。小細工ナシの太いビートに揺さぶられて、ドスの利いたラップに凄まれて、気分は映画「ダーティハリー」のようなイタナイ70年代クライムムービーを犯人目線から見ている感じ(特に3曲目「GET THE BOZACK」やJB使いの「THE BIG PAYBACK」)ワルモンに囲まれて、サツにも追われて、てっとり早く大ピンチで、気持ちよくボコボコにされます。ネタで注目は、ラスト曲で DAVID BOWIE「FAME」を声ネタで使用してるトコ。それと弟分の K-SOLO が一曲客演。K-SOLO のこの時代のソロアルバムもかなりヤバい気配濃厚なんだけど、まだ未聴。音源ゲットしてえっす。

EPMD「BUSINESS AS USUAL」

「BUSINESS AS USUAL」1990年
●ヤベえヤベえ。取引の現場を押さえられて、ショットガンで武装した警官隊に囲まれちまった。とんだドジを踏んだぜ、なあ相棒。しかしどんなピンチでも余裕な二人。だって二人はファァァ~ンク。ファンクがあれば何でも出来る。そんなジャケ。実はコレはリアルタイムで聴いてた一枚。当時高校生だったボクに、明確にヒップホップのヤバさを教えてくれた。一曲目「I'M MAD」の高速ファンクで一気に発狂。今クレジットをキチンと見ると、客演で愛弟子 REDMAN が初登場。同世代のラップスター L.L. COOL J も参上。

EPMD「BUSINESS NEVER PERSONAL」

「BUSINESS NEVER PERSONAL」1992年
ビジネスに個人的な感情を入れこんじゃあイケねえなあ。あくまで冷徹冷酷に。それがクールってモンだろう?……とは言うものの、実はレコーディング中に ''E''''P'' の二人にカネのトラブルが発生。あげくソレが''P''の家への強盗騒ぎに発展し、オマケにこの犯人が「''E''にそそのかされました」と証言。カネの切れ目が縁の切れ目か、このファンク兄弟の絆に決定的な亀裂が出来ました。PARRISH SMITH はユニット名「EPMD」からシレッと「E」の字を抜き、ナニゴトもなかったかのように「PMD」として活動を続行。ERIC SERMON は自分に近い舎弟を集めて DEF SQUAD なる組織を形成、REDMAN、KIETH MURRAY をプロデュースしていくのでありました。
●そんな残念な結果になってしまうんだけど、アルバム自体の完成度は素晴らしく、第一期 EPMD として最高のセールスを達成。PARLIAMENT をネタに使い、REDMAN、K-SOLO らも集結したシングル「HEAD BANGER」はファンク魂がまさしく大噴火。ROGER TROUTMAN のトークボックスネタをサビにガツッと使った「CROSSOVER」は文字通りのクロスオーバーヒット、ビルボードで42位まで上昇。また、EPMD 一派の重要グループ DAS EFX が見参。やはり彼らもファァァ~ンク。PARLIAMENT ネタでもう一曲「PLAY THE MEXT MAN」は BPM早めで日本人好み。遅くてヘヴィなのはその次の曲「IT'S GOING DOWN」。なんと MARVIN GAYE 使い。そして重い。聴き所多いわ!

●その後、''E''''P'' の二人は1997年に仲直りして再結成。復活作「BACK IN BUSINESS」1997年、「OUT OF BUSINESS」1999年を発表します…が往年のファンクパワーはなぜか薄まってしまい、ちっともオモシロくない凡作に仕上がってしまいました。残念残念。


MARLEY MARL と LORDS OF THE UNDERGROUND。
ミドルスクールの重要プロデューサーとして MARLEY MARL も忘れられない存在。彼はレーベル COLD CHILLIN' と自身の一派 JUICE CREW を率いて BIZ MARKIE、BIG DADDY KANE、ROXANNE SHANTE、KOOL G RAP などの才能を世に送り出し、 ERIC B. & RAKIM L.L. COOL J にもトラックを提供します。つまり時代の寵児。彼の持ち味はホコリっぽいブレイクをサンプルして構築するトラックメイキング。80年代をこのスタイルで席巻し、サウスブロンクス出身の KRS-ONE とクイーンズ出身の自分たちとで「橋をまたいで、ドッチがヒップホップの元祖か?」と舌戦を繰り広げたりもしました。
●そんな MARLEY MARL が90年代に面倒を見たユニットが、LORDS OF THE UNDERGROUND。ニュージャージー出身の 2MC & 1DJ のトリオでゴザンス。やっぱりコレが実にファァァ~ンク。EPMD が分裂/失速する中、イーストコーストのハードコア路線を体現していくのであります。

LORDS OF THE UNDERGROUND「HERE COMES THE LORDS」

「HERE COMES THE LORDS」1993年
●地下世界の君主サマがやって来る!「ヒカムダローズ!ヒカムダローズ!ヒカムダローォォォオオオズ!」キックとビートの強いトラックはファンク度高し!でもサンプルのネタは実はジャズ系で固めてる。GANGSTARR D.I.T.C.一派が登場してきたこの時期では、ファンクをまんまサンプルしてファンクを練り出す手法は確かにアウト気味になってたのでしょう。しかし矢継ぎ早にリレーする2MC のラップは、甲高い声質とちとトリッキーなフロウで、キラリと光る奇妙な個性。そしてそれが結果としてファンクに機能する。加えてキャッチーなサビラインをミンナで連呼して、それが実にキャッチー。ちなみに MARLEY MARL がプロデュースと見せかけて、結構な比率(四分の一)で弟子筋の K-DEF というオトコがトラックを組んでる。

LORDS OF THE UNDERGROUND「KEEPERS OF THE FUNK」

「KEEPERS OF THE FUNK」1994年
ファンクの継承者というタイトルを冠して放ったセカンド。そのタイトル曲では、ファンク大明神 GEORGE CLINTON & P-FUNK SINGERS をお迎えしてコーラス参加してもらってる。でブリブリベースは生弾き。従って仕上がりはファァァ~ンク。ピーヒョロロロ~なキーボードにウエッサイな G の香りも。クレジットにネタの表記が入ってサンプルが分かり易くなった(多分ダマでサンプルしたモンのホンの一部に違いないだろうけど)。LES MACCANLOU DONALDSON など、クールなジャズファンクが目立つが、R&B の珠玉 DENIECE WILLIAMS「FREE」の可憐なサンプルもグッとくるのです。トラック制作は MARLEY MARL を中心に、弟子 K-DEF との二枚体制。
● iPod で鳴らしながら家に帰ったら、コドモたちがボクを出迎えてくれたので、ヘッドホンを二人の耳につけて聴かせてみた。トランペットのサンプルで出来たループにノマドが声を上げ、ヒヨコはキックに合わせて踊り出す。コレがヒップホップだよ、コドモたちよ。



リアル・オールドスクーラーの意外な転身。凶悪 UKダブ に転職しちゃった。
知ってる人はフツウに知ってるが、知らない人には「へー」な話。世界で初めてのヒップホップのシングルは THE SUGARHILL GANG「RAPPAER'S DELIGHT」1979年だっていうのは基本常識ですわな。つまりはコイツらこそホンマモンの「オールドスクール」で、ディスコファンクに早口言葉を楽しく乗っけたようなモンを鳴らしてた。あと「APACHE」1980年という有名曲もありますわね。言わば古典ね。でもでも、THE SUGARHILL GANG はニュージャージーの連中で、ストリートでヒップホップを編み出したニューヨークの連中とはちと違い、ヤマっけのあるヴェンチャーなレーベル SUGARHILL の女社長がでっち上げた気配がある。ホンマモンのオールドスクーラーはまだまだ他にイッパイいたのですね。
●それはそれで置いといて、この THE SUGARHILL GANG、マジでオールドスクールなんで、後ろに控えているのが DJ&ターンテーブルなのではなく、リアルなファンクバンドだったのです。で、コイツらがスゴい。ベースの DOUG WIMBISH は先鋭的なブラックロックバンド LIVING COLOUR のメンバーだし、ドラム/パーカッションの KEITH LEBLANC もギターの SKIP MCDONALD も敏腕スタジオミュージシャンだった。そんな三人がある日、不思議なイギリス人に出会ってしまった。そのオトコの名は、ADRIAN SHERWOOD。UK ニューウェーブシーンの重要人物で、レーベル ON-U SOUND の主宰、そして希代のダブマスターである。そんでコイツが言うのだ。「オレとダブしねえ?」
●結果、THE SUGARHILL GANG のバンド部門はヒップホップの歴史の幕開けを飾ったという栄誉あるキャリアをポイッと捨てて、この奇妙奇天烈なイギリス人について渡英してしまう。バンドの名前もサクッと変えた。その名も、TACKHEAD

TACKHEAD「POWER INC. VOLUME 3 (LIVE)」

TACKHEAD「POWER INC. VOLUME 3 (LIVE)」1985~1994年
TACKHEAD は 当時のポストパンク最前線を張っていた ON-U SOUND のハウスバンドに変貌、様々なアーティストの革命的な録音に立ち会う。THE POP GROUP を解散させた凶悪ダブ野郎 MARK STEWART と組む時は THE MAFFIA と名乗り、MARK STEWART & THE MAFFIA 名義のアルバムを3枚も残した。ON-U の中核アーティストAFRICAN HEAD CHARGE や DUB SYNDICATE、NEW AGE STEPPERS、BARMY ARMY などなどの音源にも参加、メンバー各人のソロ活動までするのだ。オールドスクーラーの転職先が、パリパリに尖った UK ダブ だってのは、意外でオモシロいと思わない?

●そんでそんな TACKHEAD の活躍をまとめたシリーズコンピの三枚目をまたまたボクは激安ワゴンから発掘&救出。これは大西洋を渡った頃からその後10年間にわたるキャリアの中でのライブ音源をコンパイルしたもの。ハッキリ言って THE SUGARHILL GANG のチャーミングなディスコファンクの面影は全くない。強力なロックギターと高度なフュージョンベースが二人で暴れ回る。屋台骨を支えるドラムは実直かつ硬質なダブドラムで、多分ミキサーコンソールでは ADRIAN SHERWOOD が生オペレーションでブカブカのエコー効果をかけまくってる。そして最終的には実に極悪なファンクがビリビリ空間を震わせるに至る。うーん、最高。
●基本は極悪インストダブファンクだけど、数曲でボーカルもフィーチャー。THE MAFFIA として共闘したMARK STEWART の極悪ボーカルも一曲で聴けるが、それ以上の極悪ダブ加工エコー嵐で、ナニを叫んでいるかほとんどワカラン。ニューヨークのリアルなオールドスクールシーンを生き残ったラッパー MELLE MEL とも一曲で絡んでいる。彼は GRANDMASTER FLASH & THE FURIOUS FIVE の一員だが、後にリーダー GRANDMASTER FLASH とモメまくって、終いには自分で GRANDMASTER MELLE MEL と名乗っちまうヤツ。クレジットから推測すると、まさに GRANDMASTER だった頃の MELLE MEL とのセッションが収録されてる。アジで押し切る、いやアジだけで押し切るオールドスクールのラップが進化した凶悪ファンクと合体しているのはカッコいい。

むー。復職して、最初の一週間が終わった…。
●基本的に、仕事は少ない。勤務時間も長くない。任せられたタスクも具体的にはない。職場上司の配慮はあくまでボクを「病人モード」で扱っている。これは多分精神科の職場復帰プロセスとしては実に教科書通りの対応で、実に真っ当です。
●ただ、ボクの内面で滾りまくってる「仕事細胞」のボルテージが、勝手に噴火寸前になっててコワいんです。もうイミなくピリピリイラついてるのが自分でわかるし。ヘタすると、アクセルとブレーキをいっぺんにベタ踏みしてるような気がして、マズいマズいと思うくらい。なんとかアクセルから足を放してエンジンブレーキをかけていきたい。コレだからボクは病気になるんだよな~。

病人は、折り目正しくオトナシく。
●とにかくこの一ヶ月は、なんとかパワーをセーブしてオトナシくしてなければ。復帰直後でイキナリ過激な制度改正なんて提案したら「病人がイキナリワケのワカランことを言い出した」と上司はとるに違いない。ボクがいなかった時間で起こった仕組みの変化やパワーバランスの動きを読み取ったり、周辺の根回しをしないとただの「空気の読めないヤツ」になる。だから、7月に入るまではオトナシくオトナシく…。
●しかし、空いている時間をタップリ使って、チームの若手と話し込むほどに、見えない部分での職場環境の悪さが浮き彫りになってくる。理不尽で実にムカつく!チーム会議でもイキナリブチ上げちゃった。「オマエらよくそんな仕事ガマンしてやってられるよな!納得イカンわ!その理不尽な仕組み、絶対別のチームに押し返してやるよ!」……ああ、ボクその朝までは「優しいお兄さん」として、何も言わない、静かに見守る、微笑みをもってミンナと接する、と自分に課してたのに……全然やれてないじゃん…。でもボク、ムカシもそういうノリで仕事してたんだよな…。
●一般の若手スタッフは、ムカシのボクがそのままのテンションで帰ってきたとしか思ってないんだろうなー。「仕事ダイスキ人間」のボクが。みんなフツウに「この人がナンの病気をしてたのかワカンナいけど、すっかり治ってゲンキみたいじゃん」と思ってるような気がする。ホントはゲンキじゃないんだけど。つーか、イイのかワルいのか自分でもよくワカラン。
●とにかくこの一月は、一切大きな動きはしない。…この、やりたい事を押止めているのが実はストレスなんですけどね。



クールダウンするための音楽。今日は、渋谷系で染めてみました。(と思ったら、ワリとシモキタザワ系。)


TOKYOS COOLEST COMBO

TOKYO'S COOLEST COMBO「20 COOLEST HITS」1992年
●渋谷系です…。あの頃はバンドの名前に「東京」をつけるのがちょっと流行ってた。東京スカパラダイスオーケストラ、東京パノラママンボボーイズ、TOKYO NO.1 SOUL SET、東京リズムキングスとか。このバンドはヴィブラフォンを旋律楽器に据えてクールなメロディを奏でるインストユニット。PIZZICATO FIVE小西康陽さんプロデュースだったはず。だから、まあ、ソレ系な感じですよ。橋本徹さんの「SUBURBIA SUITE NIGHT @ 渋谷クラブクアトロ」で彼らのライブを見たことがある…もう15年以上も前の事。
JAMES BOND のテーマから、LIGHT MY FIRE とか、バーバレラとか、モンドっぽいセンスな選曲を70分間立て続けにプレイしてくれてます。ヴィブラフォンのヒンヤリした音がとっても心を落ち着かせてくれますねえ。
●このバンドのアイテムはわりとレアで値崩れしてないんだけど、なんと100円で買ってしまいました。そのかわりジャケ不良で、詳しいクレジットが全然わからん。残念。


PREPPY KICKS

BRIDGE「PREPPY KICKS」1994年
小山田圭吾のレーベルで渋谷系の総本山だった「TRATTORIA」、前半戦の看板アーティストで、カジヒデキくんの所属してた軟弱ギターポップバンドですわ。レーベル番号が「TRATTORIA MENU.41」だって。TRATTORIA「食堂」って意味だから、番号も「MENU.00」って記されてた。ある意味、中華料理屋みたいだね。
●かつてこのバンドのライブを見た時(やっぱ90年代前半ね)、1曲だけ気になるメロディを持つモノがあって、ソレを探すためにこのバンドのCDを買い続けている。ソレ以外は全然趣味じゃないのに…女子ボーカルが軟弱過ぎてさ…。結局このCDにも、ボクの聴きたい曲は収録されてなかった…。いつも通りの BRIDGE でしかなかった。あ、でも歌詞が日本語だ!

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●ネットで見つけたバンドの画像。おお死ぬほどプレッピーファッションだよ!カジくん、蝶ネクタイはヤリ過ぎでは?


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VENUS PETER「SPACE DRIVER」1992年
TRATTORIA 設立直後のリリース。なんたって「MENU.5」だもん。だからもう渋谷系も最初期っすね。サウンドでいうと、BRIDGE みたいなバブルガムなギターポップではなく、むしろマッドチェスターとかシューゲイザーそんで時々インディダンスだもん。THE JESUS & MARY CHAIN MY BLOODY VALENTINE PRIMAL SCREAM などなど、そして THE BEATLES までもが、デジャヴとしてアタマを駆け巡る!完全輸入文化「渋谷系」の本質と出発点がココにあります。
●バンドの中心人物、沖野俊太郎はその後ソロで活動し、TRATTORIA の中にレーベル内レーベルまで立ち上げてた記憶が…。そん時もサウンドは THE STONE ROSES のセカンド風。あくまで軸足はマッドチェスター。そしてベーシストの古閑裕は渋谷系インディレーベル(後に完全にシモキタザワ系へ移行)K.O.G.A. RECORDS を立ち上げる。RON RON CLOU のような甘口アーティストを扱ってると思ってたら、いつの間にかパワーポップ/ガレージロックなレーベルに変貌。…だんだんクールダウンと関係ない選曲になってきた。


FREEDOM SUITE

FREEDOM SUITE「FREEDOM SUITE」1996年
●これまた THIS IS 渋谷系 なレーベル「CRUE-L RECORDS」からのバンド。比較的ジャズテイストが強かった CRUE-L では異色なダウン・トゥー・アースなロックを演ってます。ホンキートンクなピアノやフェンダーローズの音、粘るギターが味でござんす。時にとってもファンキーだし。敢えて喩えるならば、ACID JAZZ RECORDSにおけるロックバンド MOTHER EARTH のポジションに似てます(スンゲえ分かりにくい比喩!)。……でも MOTHER EARTH は聴いた方が絶対イイですよ。今は激安ワゴンにゴロゴロしてるし。


SECRET GOLDFISH

SECRET GOLD FISH「TASTE THE BEE」1993年
●ディストリビューションが UK PROJECT。時代的には渋谷系だろうけど、UK PROJECT が出て来るということは、その実態はシモキタザワ系。このバンドもその当時(学生時代)ライブを見たけど、立派にサイケ轟音でした。完全にシューゲイザー狙いのギターノイズ大作戦。
●でもこのCDで聴くと、シューゲイザーな轟音ギターはボチボチで、ダブ風味な感触とかダルいボーカルライン(WITH 深いエコー)とかに、インディダンス~ギターポップな気分を強く感じる。そのデジャヴ感は、THE LA'S 辺りまで突き抜けるね。初期渋谷系って、ホント臆面なく洋楽影響完全コピー丸出しでも「ナニがワルいよ?文句ある?」と言い切れる、特殊な時代だったのかも。


デキシードザエモンズ

デキシード・ザ・エモンズ「ROUGH RIDE」2000年
●異端の超ロウファイレーベル OZ DISC からキャリアを起こしたのが1995年。その徹底したグループサウンズパロディと独自のガレージ魂で、シモキタザワ地下シーンを震撼させてた。ボクが見たライブでは、一曲目からザ・ダイナマイツ、永遠のGSガレージクラシック「トンネル天国」カバーでフロアを炎上させてた。その時からボクがグループサウンズを漁りまくったのは言うまでもありません。「ネオGS」「GS再評価」ってのも渋谷系の一つの側面だったしね。
●ボクの中では OZ DISC 出身ってだけでもうイロモノ枠なんですけど(バンド名だって「溺死・土左衛門ズ」だし)、その後は K.O.G.A. RECORDS、メジャーの EPIC/SONY と真っ当なキャリアを作り、再びリアルインディで再出発したのが GOLF RECORDS からリリースしたこのミニアルバム。
●ココではおフザケ抜きのマジガレージロックが炸裂です。ああ、この人たち、マジになるとこんなにストレートにカッコいいんだ…と今更のように感じた。タイトなビートとファンキーなベースラインの上を、ハナでヒッカケつつボーカル&コーラスが粋がって泳ぐ気分。でもでも、彼らは惜しまれつつ2006年に解散してしまいました。合掌。


THE SWITCH TROUT

THE SWITCH TROUT「BLOW MIND ! HERE ARE THE TROUTS」1998年
VENUS PETER んトコで触れました K.O.G.A. RECORDS に所属の3ピースロックバンド。デゲデゲデゲギターが聴く者の耳をつんざく、インストサーフギター/ガレージロック。モッズな気合いもバッキリ入魂。全部の曲が2分強で終わる潔さは、紛れもなくガレージ。BUZZCOCKS青春の名曲「EVER FALLIN' IN LOVE」カバーが入ってて、ナゼか涙腺まで刺激されちゃう爆裂セツナモードにボクの胸はワシづかみされる!
●このヘンの時代で「渋谷系」は既に終わっていて、デキシーやこいつらのようなロックバンドは、その荒ぶる魂を燃焼する場所を渋谷の中には見失い、シモキタザワという湿っぽいライブハウス文化が生き残る街に拠点を移してしまったのでしょう。あーこのヘンで今日のコンセプト「クールダウン」は完全に崩壊して、むしろファイヤー!&バーンダウン(燃え落ちる)な感じです。もう安定剤追加するしかないです。


曽我部恵一「瞬間と永遠」

曽我部恵一「瞬間と永遠」2003年
●完全に渋谷系の灯火が消えた00年代。その生き残りたちはそのまま井の頭線に乗ってシモキタザワという街に流れて行った…。そんな新天地・シモキタザワの精神的支柱となったイキガミさまが、曽我部恵一さん。2000年、自身のバンド SUNNYDAY SERVICE を解散させソロに移行、2004年にインディレーベル ROSE RECORDS を立ち上げ完全 D.I.Y. スタイルで活動してます。で、これは、SUNNYDAY SERVICE~ROSE RECORDS の中間時代にメジャーの UNIVERSAL からリリースしたソロ名義アルバム。
曽我部恵一さんは、渋谷系の時代に SUNNYDAY SERVICE でキャリアを起こしながら、ドッカの時点で意図的に「アンチ渋谷系」的な路線を目指すようになったような気がします。後期 SUNNYDAY~ 時代から、ソフトロック経由ではっぴいえんどまで繋がるドメスティックテイストに到達、70年代フォークロック的な様式と90年代ロックをウマくブレンドさせてた。コレは何気に、海外のダンスミュージックやブリットポップの強い影響下にあった「渋谷系」では異端だったはず。その証拠に、今日紹介してる音源は露骨に海外のシーンに影響されてる物件ばっかで、それに比べて曽我部さんの音楽は全く異質だ。
●英語詞をスカして歌うのを好んだ渋谷系アーティストは、どっか日本語のメッセージに絶望してたのかも。FLIPPER'S GUITAR の最後のアルバムは見事な日本語詞楽曲の結晶だけど、アレはそんな渋谷系が抱えた90年代的絶望をそのまま歌う事で歴史的作品になった。曽我部恵一さんのメッセージは、そんな視点からは大幅に逸脱して、ちょっとコッパずかしいほどのロマンチックを真顔で信じてる。このソロアルバムも、小細工なしのシンプルな楽曲に、ロマンチックなボーカルを乗っけて真っ当に歌っている。
●ボクは、曽我部恵一さんのいいリスナーではない。ROSE RECORDS の音源は、ボクが暮らすシモキタザワのレコ屋ではいつでも平積みアイテムだ。なのにマトモに聴いたことがない。曽我部恵一BAND、やっぱチェックしないとダメか。

ヘッド博士の世界塔Flippers Guitar

(FLIPPER'S GUITAR 「ヘッド博士の世界塔」。「渋谷系」不朽の名作。)



長くゲーム禁止だった我が家にとうとう Wii が上陸した。
●ワイフの誕生日プレゼントというテイで、ワイフが自分で勝手に買ってきました。ま、別にいいんだけど。そんで Wii FIT で家族全員が運動してます。ボクは、なんか無理すると腰をヤッチマイそうなので、積極的に参加してませんが。コドモたちは、一日15分だけルールを守って、宿題を済ましたアトにチョッピリだけプレイします。しかし、やっぱ21世紀のコドモ、ゲーム禁止をこれまで強いてきたのにあっという間にコツを掴んで、好成績を簡単に叩き出します。

●ヒヨコが夢中なのは、Wii FIT に登場する自分のアバターをデザインする事。ワイフと一緒になって、家族全員のアバター(Mii というそうです)を作ります。みんなテキトウに美化してカワイいキャラになっているのに、ワイフが作ったボクのアバターだけ異常にリアリズムでウンザリします。ワイフは「十分にカワイクしてあげたわよ」と主張しますが、 このキャラを見て家族全員が笑います。確かに自分でもよく似てると思うけどさ…。

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(左から、ノマド7歳、ワイフ、ボク、ヒヨコ6歳。)

自律神経失調症とのお付き合い(その97)~「とうとう最前線復帰」編
「仕事は人生を構成する一パーツくらいの存在感になっちゃったのよね。」………ボクはこのブログに書きました。こんなスカした事をホンの数日前に書きました。そんでクールにゆるーく仕事しようと思ってました。しかし……ああーダメです。すんません。ボクはやっぱそんなニンゲンじゃなかったかも。

今週月曜日に、元の職場に復帰しました。
もうすでに、全身の「仕事細胞」がドクドクと活動を始めて興奮状態です。気を抜くと暴走しそうでコワいです。ヤッベー、マジでボクは仕事中毒なんだわ…だって、マジで仕事タノシいもん!
●朝イチの会議でアイサツ。「一年10ヶ月も病気で休んでました。ボクのコトを知らない人もいるかもしれませんけど、よろしくです」そんなシオらしい入り方しておきながら………その後の幹部会議じゃ「先週までフツウに会社来てました」かのような態度で発言しちゃうし。「GMの破綻に対してオバマがどれだけの根性で対応するか、そんでマーケットがそれにどんな反応をするか、ソレを知りたがってるニーズがデータに現れてるんですよ」エラそう!オマエなにもん?…もう敢えて空気読まない。冷静に空気読んだら、オトナシくしてるのが病気明けの人間のあるべき姿。しかし既にボク、キチンとバトルモードだし。

●以前担当してたチームは全体で40人と大所帯(ムカシはもっと多かったけど、少しリストラされてた…)なので負担が重いとされ、上司から12人程度のチームを新担当としてあてがわれた。よく知ってるヤツもいれば、カオしか知らないヤツ、初対面のヤツもいる。なので、まずはメンバーのキャラを把握すべく、メールで全員とアポを取り、一時間ずつ一対一トークをしてる。…「面談」というコトバを使うと構えられるから、「お茶を一緒に飲もう」というコトバを使って。

復職3日目で若手6人と話したけど、もうインスピレーションの嵐。
次から次へと仕事のアイディアが浮かんで来る。このチームは見た目上成績が良くなっているが、何故成績が良くなっているか誰も分析してない。メンバー個々人の成功経験をチームで共有する仕組みもない。シフトの構造にも非効率があるし、ムダな残業労働も目立つ。社内コミュニケーションからも乖離してタコツボ化して、機能不全を起こしている部分が多い…。でも問題さえ掴んじゃえば、解決へのアイディアはいくらでもポンポン出てくる。
●その一方、メンバー個々人が持っている問題意識は高く、未熟さはあるけど能力にはまだ大きな伸びシロが見えて育てがいもある。「おう!ソレいい話だね!今の話、チームのみんなとどんだけ共有してる?」「イヤ、オレ一人で考えてるだけです…」「もったいないよ!そのアイディアいただきネ!タイミングを見てみんなと話してチームのルールにしよう」オモロいオモロい!アタマが高速回転!

●退社時間は18:30とキツく決められてたのに、平気で20:30まで若手の作業にアドバイスしてしまったし、産業医の面談も早速スッポカした。レレレレー!ヤバいヤバい。
●ただ、救いがあるのは、昔のボクなら、その日に思いついたアイディアは、早けりゃ翌日、遅くともその週の内にカタチにしなけりゃ気が済まないトコロだったのが、今週チームのみんなから吸い上げたアイディアは一ヶ月かけて準備するくらいのペースで行こうと、キチンと決めているコトだ。チームの性格を把握する事も大事だが、チームのみんなにボクの性格やスタイルを飲み込ませるのも同じくらい重要な段取り。あ、この人はこんな仕事の仕方をするんだ…という周囲のコンセンサスがないとタダの荒らし屋になる。過激な体制改革はゆっくり根回ししながら進めないと失敗する。ゆっくり、ゆっくり。


さて、心療内科のセンセイ。「ボク、今週から復帰しました」と報告。
●隔週診察なので、この主治医のセンセイだけは、職場復帰が事後報告になってしまいました。ただ、ボクの様子を見て経過は良好と見たのか、これまた思いっきり大胆な減薬を提案してくれた。センセイ、そんなにイッちまってイイんですか?「イイでしょ?だってもうオシゴトできるんだし。突然ザクッと減らしてる訳じゃなく、段階を踏んでるんだから問題はないわ」

●そんで、ボクの新クスリメニューはこうなりました。
メイラックス 1mg(精神安定剤)/朝&夕の2回→夕の1回に半減。安定剤がコレに一本化。
・デパス 0.5mg(精神安定剤)/廃止!……ワリと好物だったんだけどな。
ドラール 1mg(睡眠薬)/就寝時に1回……超強力。しかし眠剤はコレに一本化。
・ロラメット 1mg(睡眠薬)/廃止!さようなら。ドラールに一本化。
・ジェイゾロフト 25mg(抗うつ剤)/廃止!うつの心配はもうなくなった。
デパゲンR 200mg(ムードスタビライザー)/過剰なハイ状態を抑える。コレが今後重要。

●心療内科以外の処方薬(内科/呼吸器科)
ミオナール 50mg(筋弛緩剤)/朝昼晩の3回。でも効いてないような気が…。
釣藤散(ツムラ47)2.5g(筋弛緩作用などの漢方)/朝&夕の食前
芍薬甘草湯(ツムラ68)2.5g(激しい筋肉痛を和らげる漢方)/頓服用。スゲえ即効性。
アロシトール 100mg(尿酸値を下げる)/朝1回。ボクはナゼか尿酸値が異常に高いので。
ザンタック 150mg(胃潰瘍/十二指腸潰瘍のクスリ)/朝&夜1回づつ。
アドエア250(気管支ぜんそくのクスリ)/朝&夕の2回。ぜんそくは2001年からの持病。
キュバール100(気管支ぜんそくのクスリ)/朝&夕の2回。
ソランタール 100mg(頭痛薬)/頓服用。ボクはロキソニン系の頭痛薬にアレルギーがあるので、効き目が少ないこの痛み止めを使ってる。

●だんだんクスリが減ってきたぞ。イイね。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html