世にも恐ろしい、非モテ系恋愛マンガ。

久保ミツロウ「モテキ」1

久保ミツロウ「モテキ」1~4巻完結
人間誰しも生涯に一度は訪れるらしい「モテ期」という神話。コレに四苦八苦する深刻非モテ男(30歳目前メガネ)の、少々遅過ぎたセイシュン疾走物語。コレが痛い、痛過ぎる。男子全員にとって痛いのか?ボクみたいな人間にとってだけ痛いのか?それすら直視したくないほど、鋭利な刃物で胸をえぐられるような気持ちになる。
●仕事も収入も安定しない派遣労働者、メガネでスグにデブになるオタク系ルックス、女性経験の未熟さが年齢を増すことに強烈なコンプレックスとして膨れ上がる負の連鎖。様々な弱点を晒しまくって生きてる主人公・藤本君「モテ期」が到来してしまった。過去に接点のあった4人の女性が、オンナっ気無風状態だった彼の人生に再登板。そして彼のキャパは完全決壊して自虐の深淵を彷徨い歩くコトになる。

「モテキ」は3段階の意味において、痛苦しい。
自分のモテキャパが深刻に小さいコトを嘆き、自虐の無限ループを痛苦しむマンガなんてのは、そんなに珍しくない。モテモテである男子は多分マイノリティで(マイノリティであってほしい)、非モテである我々(ってコトにしてほしい。厳密にはボク個人)は、主人公の痛苦しさを「あるある」共感として「そうだよねーきついよねー」とか言って味わえばいいじゃないですか。それは男子としての同胞意識で「お互いガンバロウゼ」と励まし合えるモノになるはずだ。痛苦しいがソレは分かち合える性質のモノ。
●しかし「モテ期」到来で接近して来た4人の女性は、自虐ループに浸り込む主人公を実に的確な言葉で批判するんですよね。「モテ期」が到来してもそのチャンスを生かせなければ全く無効なんです。そしてそのチャンスをいかにムダにしてるか、女性側から的確に主人公は責め上げられるのです。そんで自虐モードに入るんだけど、その自己完結的自虐(オレが全て悪いんだ的発想)、被害者意識的自虐(可哀想なオレを愛してくれ的発想)を、見事に看破されてさらに追いつめられるんです。コレが実に痛苦しい。的確だけに実に痛苦しい。身に覚えがあるような気がして本当に痛苦しい。
●そして一番重要なのは、この作者・久保ミツロウという人物が、こんなペンネームのくせして、実は女性だってコト。ここで描かれてる非モテ男子のトホホな不甲斐なさは、リアル女性から見た客観的かつ冷徹な批判だって事実。登場人物も女性たちの方がナマナマしく描かれてるような気がする。ココで戦慄。うわーココまでオトコの手のウチは女性にバレてしまってるの!的驚異。もー逃げ場がないわ!わー助けてくれ!
●……結果として最新刊4巻で描かれるクライマックス&エンディングは、実は男子には納得が難しい結論に到達するのです。コレって女性的な発想なんだろうか?「本当の自分を見てくれ愛してくれ」と叫んで来た主人公だが、「本当の自分」解体、「多義的自分」理解という領域に目覚めちゃうんです。おーなんか全部わかった気はしないんだが、新しい感覚だとは思った。女性作家ならではの感性?


●しかしそもそもがさ、一生に一度だけの「モテモテ王国」到来、そんな迷信、誰が言い始めたんだろう? いや「モテモテ王国」がこの世にあるならボクも憧れますよ。マルコポーロがジパングを目指したように、コロンブスが大海の向こうにインドを目指したように、ボクも目指したいですよモテモテの桃源郷を。
●……でも主人公・藤本君が致命的にダメだったのはさ、どんなにモテたいと思ってても(さらに突っ込めばオンナノコとヤリたいと思ってても)、前提となるはずの「この娘が好きなんだ!」って意識が希薄なんだよね。「この娘はオレのこと好きなんだろうか?」の方が優先されてるんだよね。その疑問疑念が意味なく駆け引き神経戦みたいになって、キャパ不足の彼は玉砕するのです。個人的に言えば、ボクは第二の女性・いつかちゃんが一番好みです。多分、一番色気不足で、そんなにカワイくないんだけど、コンプレックスを共有できるタイプだから。なーんで彼女をフッタかなあ?


●ちなみに、この作者さん、日本のロックが好きなのかな。アチコチにロックバンドのモチーフが出てくる。GOING UNDER GROUND、THE BLUE HEARTS、サカナクション、神聖かまってちゃん、HI-STANDARD、岡村靖幸、THE BOOM、真心ブラザース、下北沢シェルター。



やばー。ボクは聴いてるジャズが非モテだった。

Something Jazzy 女子のための新しいジャズ・ガイド

島田奈央子「SOMTHING JAZZY 女子のための新しいジャズ・ガイド」
「女子のための~」っていう触れ込みです。で紹介されてる音源がさ、まるでボクのライブラリーとカブラない。圧倒的にカブラない。徹底的にカブラない。絶望的にカブラない。ボクの部屋ってホントムダにCDが多くて、もう正確な数もわからないけど7000枚くらいはあるのに、うっひょー女子にアピールする音源は全くもってないのか!ショック!
●確かにボクの音楽鑑賞の趣味が女子にアピールしたことはない。ドン引きされることの方が多い。ああそうだったのか道理でねえ…(遠い目)。でもね、こういう本で歴然と「オマエの趣味は女子のためにならない、オマエの趣味は非モテだ」と公然と指摘されるとキツいね。でもイイんだそんなツモリで聴いてるワケじゃないし。今さらカタギな聴き方なんてできないよ。どーせ狂ってるからさ!…あ、いまちょっと自虐モード入ってしまった。ヤバいヤバいこの被害妄想がイケナイんだ…。

●つーことで、がんばって探して、辛うじてカブった音源を聴く。

ANN SALLY「VOYAGE」

ANN SALLY「VOYAGE」2001年
●この人、シンガーとして活動しながら、現役の医師でもあり、二児のお母さんでもある。医学研究でニューオリンズに二年暮らし、その間で彼の地のミュージシャンとセッションしてたという。このCDは彼女のデビュー盤で、全編カバーアルバム。ジャケの印象通り、透明感のある声が凛と響き、それをボッサなアコギやシンプルなピアノが優しく包む。
●ボクにとっては THE BRAND NEW HEAVIES もカバーした MARIA MULDAUR 原曲の「MIDNIGHT AT THE OASIS」が一番シビレル。アシッドジャズでファンク化されたバージョンに馴染んでたボクには、原曲のアレンジをより一層繊細にした彼女のアプローチがスゴく新鮮に響いてる。JONI MITCHEL「BOTH SIDE NOW」も天使のように繊細にキラメイてて、まるで華奢なガラス細工のよう。

●コレを初めて聴いたのは、高円寺のエスニック料理屋だった。才女として知られた ANN SALLY さんの名前は結構前から気になってた。そんな時に、たまたまお店のカウンターの中にこのCDを見つけたのだった。早速マスターに「このCDかけてくれません?」とお願いした。多分ボクはその時一緒に飲んでたオンナトモダチの前でオシャレぶってみたかったのだろう。しかし狭苦しい屋台風のお店でビーフンだかトムヤンクンを東南アジアのビールと一緒に食う状況下において、ANN SALLY さんのようなタオヤカな音楽は明らかにミスマッチで、そもそも音数も音量も少ない彼女の音楽はカシマシイ飲んだくれの喧噪にかき消されて全く聴こえなかった。あーダメだコリャ、オシャレ音楽は線が細くてイカンね。ボクはその時はそんなコト考えてたね。ボクの音楽センスが深刻に非モテであることの証明だね。結局その後一二年たってからこのCDはなんとなーくボクの部屋にやって来たんだけど、実はあまり聴いてなかった。女子ジャズの本を読まなかったら、マジメに聴かなかったかも。


●その一方で、非モテジャズは結構あるよウチには。その内ご紹介したいと思います。

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今週は芝居を見てきました。

本谷有希子『甘え』

劇団、本谷有希子「甘え」青山円形劇場
●ボクは、マンガ誌「モーニング」にペロっと掲載されてる本谷有希子さんの1ページコラム「かみにえともじ」が大好きなのです。雑誌の最後の方、どーでもいいプレゼント告知や目次ページに混じってるので、真剣に探さないと絶対見逃す存在感なのですが、しかもあまり生産的とは思えない本谷さんのボヤキがダラダラ書かれてるだけなのですが、毎週コレを楽しみに読んでます。
●でね、最近の話題は新作公演「甘え」に関わるコトが中心でね、脚本の第一稿が上がったとか、稽古が始まったとか、そんな内容が書かれてて、「こりゃ公演始まったら観に行かないとなー」と思ってたのですよ。
●でもさ、雑誌ってのは、文章が書かれてから実際に世間へ流通するまでに予想以上のタイムラグがあるモノでして、ヘタすると2ヶ月くらいズレテルみたいなのかなー、結果としてリアルタイムにおいて公演は既に始まっており、もうスケジュールは半分終了しちゃってたのです今週段階で。うぉマジで!?ダマされたよヤバイヤバイ見逃す所だったじゃん!
●それに気づいたのが、水曜の午後カイシャのデスクでコーヒー飲みながらネット眺めてる時だったのでした。うわー週末は全部チケット完売だし、芝居観に行くチャンスはボクのスケジュールと合わせると…今日と明日しかナイじゃん。おお。コーヒー吹きそうになったね。しょーがねーのでその場でネットで当日券を押さえて、公演開始10分前に青山こどもの城へ滑り込むのでした。

●しかし会場入りして改めて気づいたんだけど、あわててチケット押さえたくせして、実は内容は全く知らなかったのよね。事前情報は、小池栄子さんが出るってコトだけ。芝居のタイトルでさえこの日に初めて知ったね。コレただ単純に本谷有希子ブランドを盲目的に信じてるダケだね。頼むよ本谷さん全面的に信じてるからね。


で、「甘え」。…甘くないねえ。ビターだねえ。
●例によって、実にイビツな性質をどうしようもないカッコで抱えちゃってる方々が出てきます。主人公・小池栄子さんの父親(大河内浩さんという俳優さんが演じています)は、実に無邪気なポジションから娘の人生を大幅に侵食してて、廃墟のように荒廃した親子関係をごく普通の風景として受け止めてて、やっぱり廃墟のようなジブンの人生全般をどーしょーもなく持て余してるのです。
●しかもこのダメダメ具合はナカナカに生々しく、ボク自身をリアルにウンザリさせる実にパワフルなものでありました。ボク自身がカレのような悪態をつき続ける孤独なオッサンになってる可能性ってのは結構高いかも。実にリアル。ああボク自身がこんなオッサンになり娘ヒヨコとこんな関係になったらデストロイだなー、しかしナイとも言えないなー。本谷作品の登場人物は、往々にしてあり得ないホド痛過ぎるキャラなのですが、このオッサンは激しく痛過ぎるが「あり得る!」キャラなのです。この愚かさはボクにとって身に覚えのある愚かさだ。その意味でボクにとって一際危険人物に見えました。もう最初の登場シーンから苦々しくてムムムと唸らされました。
●その他複数のダメ人間が登場して、ダメであるコトにてらいもなく、のうのうとダメな人生を生きてるのに対して、小池さんは一人正気であろうとし、正気が故に不安と心配と同情と自己嫌悪と罪悪感とその他諸々をガッツリと抱え込み、結果としてしないでイイ心配をし、やらないでイイコトをやってしまう。そして膨れ上がった感情の圧力に自壊するのでした。「ワタシって価値観がダサイよね」。どんどんダメになっていく。しかしダメの中から見える浄化もあるのかも。


劇団、本谷有希子は今年で立ち上げ10周年なんですって。
●今回の公演のパンフレットには、10年目&本谷さん三十路突入記念インタビュー一万字って企画も入ってて、実にオモシロかったです。いやーやっぱ本谷さんは遠くに眺めるからオモシロいのであって、至近距離にいたら危険人物なんだなあと思わせる内容なのでした。






それと、今週はドゥルーズの哲学に関する本を読んでたのでした。


檜垣立哉「ドゥルーズ 解けない問いを生きる」

檜垣立哉「ドゥルーズ 解けない問いを生きる」
ジル・ドゥルーズはポストモダンの思想家の中でも一際難解でヤヤコシイスタイルの人だと思ってた。「器官なき身体」といった専門用語は、全くもって意味がわからない。言語を通り越して超音波に聴こえる。古本屋で見つけたこの本(150円)は、比較的簡潔に彼の思想を噛み砕いてくれそうな気分だったが、まーそんなにわかった気にはなれなかった。やっぱ難しいなあ。帯コメは「<私>ではない<個体>が生きるということ/いま必要な哲学とは何か。『問いが解けない』という事態をどうとらえるか。生命科学の時代に対応するドゥルーズ哲学の核心をクリアに描く」。クリアに描いてるかも知れないが、「問いが解けない」って段階でもう最初からスッキリするはずがないよね。
●それでも、ドゥルーズが、時間の最先端、今ココで常に生まれ続けてる新しい未知の瞬間が、どのようにワケのわからない未来なのか、どのように特別特殊特異なのか、結果そしてソレがどのように美しいのかを克明に描いてみせようとしてたのはうっすらと分かった。近代西洋哲学の成果を援用しつつ、それをポストモダンな視点からポンポンと批判してスパンスパンと退路を断つ。その結果、恐ろしく不安定で野蛮な時空が登場してきて、ソレでもそのダイナミックさをそのまま受け入れていく。そんな潔さが気持ちイイし、美しく思える。
●ソレは、絶えず変化する風の流れを翼に受けて大空を飛翔する海鳥のようにキレイで、日光を求めて力強く芽吹く草花たちの生命力のようにキレイで、未知の世界に向かって好奇心を膨らませていく子供の瞳のようにキレイ。意味が分からなくとも、結果的には十分に楽しめちゃったけどね。

●気になる部分を引用してみた。ドゥルーズは時間を、現在/過去/未来に区別して説明してる。下で言うトコロの「第三の時間」は未来のコトを差してる。未来って、すさまじく野蛮で手に負えない。でも美しい。多分にして理屈じゃないんだわな、パッションだ。そういうことにしておく。


「第三の時間において、<私>はさまに空虚な形式に放り込まれ、無限に裂け目をいれられる。この裂け目とは、うごめく生成がそれを通じて現れるための裂け目といえるものである。だからそれは直線的な秩序と描かれながらも、けっして物理的な時間ではない。むしろ<私>になる以前の、あるいは<私>であることの底に位置するような、卵の未決定性を描く時間であること。無限のひらかれを被りながら、予見不可能な進化を突き進んでいくための形式であること。これがとりだされているのである。」

「そこで<私>は生成の流れに飛び込む形で引き裂かれてしまう。この時間を論じる場面で、はたして何かを積極的に提示できるのだろうか。

 それはもとより困難なことであるだろう。というのも、生成の中に入り込むこととは、いつも予見不可能な新しさとの出会いにさらされることでもあるからだ。しかしそもそも新たなものとは、はじめから何かとしても知覚しえないし、真偽も規定できないものである。そこでは、視点である<私>は突き崩されてしまい、<私>の内容をなす既存の枠組みも揺るがされていく。

 だから第三の時間で描かれる状況をいいあらわそうとするならば、それは、ひたすらに見ること、ひたすらに感じることとしか表現できないだろう。与えられるものに対して、刺激ー反応系(=習慣化された働き)に収まるような、適切な対応をとれないこと。そこで真偽も内容も描けない新しさを、ただ受動的に被ること。未来という時間性が切りひらくこの場面は、まさに受苦という訳語すらあてはめうるような、パッション=情動の位相なのである。

 しかし、引き裂かれた<私>、直接流れにさらされてある<私>とは、まさに生成を引き受ける個体そのもののことではないか。だからここで語られる情動とは、むしろ個体であることの内容を、積極的に表現すると考えるべきではないか。

 すでに述べたように、個体とは、はじめからシステムの中心をなすように、自分の固有の領域を保持したり、そこでの能動的な力によってこの世界を生きるものではない。個体は、それに与えられた独自の力を示すというよりも、この世界を成立される流れのなかで、自己同一性をあらかじめ設定することもなく、特異に浮かびあがるものである。だから個体とは、システムの特異なものであり、逆にその存在において流れの実質を担っていくのであった。すると理念の流れを引き受ける個体であることは、まさに無限の流れを生きる第三の時間と結びつくのではないか。そうであるならば、パッション=情動としての生とは、まさに個体の生のことではないか。

 圧倒的な生成の流れを、まさに中心的な現在を欠くように生ききる個体であること、それは、流れをひたすら被りつづける受動的な情動として描かれる。しかしこの徹底的な受動性は、やはりポジティブな受動性であるともいえる。なぜならば、この受動性は、能動的な中心を欠きながらも、そのことによって、何か新しいものが現れる生成の現場にリアルに参与することをあらわにするパッションなのだから。生成そのものに引き裂かれた情動であること、それが個体の性である。未来を生きる時間のあり方は、パッションとしての個体のにおいて語られなければならない。」 




●今日の音楽。

TOKYO SOUL SET「BEST SET」

TOKYO SOUL SET「BEST SET」1995-2010年
●結成二十周年だそうで。彼らと HALCARI による「今夜はブギーバック」がね、やっぱ気になるなあ世代だからな。



ノマドヒヨコに見せたい映画、「スタンド・バイ・ミー」。

「スタンド・バイ・ミー」

●この映画って1986年制作なんだなあ。リアルタイムでいうとボクは小学6年生で、ちょうどこの映画に出てくる4人の少年と同い年であった。劇場に観に行った覚えはナイから、きっと中学生になってからレンタルビデオで観たんだろう。楽しかった。……そんな映画をワイフがレンタルして来た。コレをコドモたちに見せたいと言って。
●ノマド小学3年生に聞く。オマエ観る?「どんな映画?」4人の男の子が冒険の旅に出るハナシだよ楽しそうだろ。「ドコに冒険しにいくの?」ドコって言ってもなあ…山奥にあるモノを探しにいくんだ。「ナニを探すの?タカラモノ?」実はな、死体を探すんだよ…原作はスティーブン・キングだからなあ辛気くさいのはしょうがないよなあ。あ、ノマド明らかにテンションが下がってる。「シタイ?タカラはないの?オレは秘密の仕掛けがイッパイ出るヤツがイイなあ」おまえこの前見せた「グーニーズ」と混同してるだろう。このハナシはそういうのは出てこないんだ。でもオモシロい!マチガイナイ!

で夕飯時に見せたら、バカみたいに盛り上がってた。
●ノマドのヤツ、手足をジタバタさせながら画面に突っ込んでるのだ。「ちがうよコイツ弱虫すぎる!」「今だ、走れー!走れー!」「オレならこのまま真っ直ぐ行くね」4人の少年に混じって、5人目のメンバーのように振る舞ってる。オマエオモシロいねそんな映画の見方ってナカナカ出来ないね。どうだノマド、一番ナニがドキドキした?「チスイヒルがパンツのナカに入ったトコロがコエエ!チンチンの血吸われちゃった!」確かにソレは怖い。パパも遠慮したい。
●木の上の秘密基地、タバコを吸いながらブラックジャック、親に黙って外泊、悪タレ小僧のトモダチと、もっと怖い不良のニイちゃん、12歳男子のワイルドサイドがキチンと詰まってる映画だったな。ノマドもチョイチョイウマいコトやって悪事に身を染めてくれ。
●ヒヨコ小学2年生は怖い場面の連続にひたすらキャーキャー叫んでいた。原作者キングにとっては、ホラー映画としてドキドキしてもらうも本懐なのだろうか?そして最後のエンドロール、BEN E. KING の主題歌「STAND BY ME」が流れて来た時、こう叫んだ。「あ、キリンフリーのキョクだ!みんなでビールをカンパイするキョクだ!」そうきたか!瑛太がノンアルコールビールをみんなで飲むCMだな。でもあのバージョンはね JOHN LENNON のカバーだからちょっと違うんだよ。「ROCK N' ROLL」1975年に収録されてるヤツだね。

JOHN LENNON「ROCK N ROLL」3(JOHN LENNON「ROCK N' ROLL」1975年)


ヒヨコが盛り上がったのは「サマーウォーズ」の方だった。

サマーウォーズ

●コレはもっと早く見とけばよかった…と思いつつ、このタイミングじゃなかったらコドモたちには難しかったかなと思い自分を納得させる。ヤベボク「時をかける少女」も観てナイじゃん全然ダメ。でも痛快でした。桜庭ななみちゃんの声もよかったです。
●ヒヨコ小学二年生は、素朴に主人公ケンジくんとナツキ先輩のラヴい展開にウキウキした模様。ネット上に登場するカワイらしいアバターたちも気に入った模様。サイバー少年大活躍って内容がノマドにヒットすると思いきや、凶悪な人工知能と「花札」で戦うナツキ先輩&彼女のカワイイアバターがヒヨコにクリティカルヒットした。おかげでボクは「パパ!花札オシエて!」攻撃を受け、最近ほぼ連日ヒヨコと花札をしている。「花見でイッパイ!コイコイ!」
●ノマドは貞本義行デザインのキャラの影響か、突然エヴァのプラモが作りたいと主張し、数日かけて無事「弐号機」の建造に成功した。説明書みたら「対象年齢15歳以上」とか書いてあって、ノマドオマエの年齢ダブルスコアだぞ出来るのか?と思ったが、そして絶対ニッパの扱い間違って流血大惨事の一二回は起こるだろうと覚悟したが、ボチボチ自分のチカラでやりこなすことが出来た。昨日はDVD屋の前で劇場版「破」のトレイラーをシゲシゲ眺め、「今度は仮設5号機つくろう!」と1人つぶやいてやがった。

サマーウォーズアバターたち

(「サマーウォーズ」に登場するアバターたち。村上隆みたいだね。)




90年代トリップホップのエッセンスを後継した音楽スタイルを考えてます。
●以前、トリップホップについてボクが書いた記事にコメントを頂いたのです(コチラの記事)。ソレをキッカケに「トリップホップ的表現は00年代アメリカにおいてどのように発展してったのか?」なんてコトを一人で考えてました。今日はそんなオハナシ。


●うまくまとまるかは、自信がないです。多分ズレテいく…。


●まずは、この動画観て下さいよ、スゴくないですか?ドラムマシーンを、本物のドラムキットと同じように「演奏」してる。



●彼は ANTICON のトラックメイカー JEL 。2007年にアップされた動画。ほぼリアルタイムでコレを見つけた時はマジ衝撃受けました。ヒップホップってこんな表現にまで到達してるんだ…。

JEL を始めとした、ユニークなトラックメイカー/ラッパーたちが「ANTICON」という音楽集団を結集したのは1997年。コレはそのまま ANTICON RECORDS というインディレーベルに移行し、現在も奇妙なアングラヒップホップを量産している。拠点がベイエリア/オークランドだから、いわゆる「西海岸アンダーグラウンド」と呼ばれるサブジャンルの1つの核になってると思います。名前が ANTICON だからね、レーベルのマークはアリさんなんですよ。「アリさんマークの引越社」みたいにカワイいコトにはなってませんが。

DEEP PUDDLE DYNAMICS「THE TASTE OF RAIN ... WHY KNEEL」

DEEP PUDDLE DYNAMICS「THE TASTE OF RAIN ... WHY KNEEL」1999年
●ここに ANTICON の主要メンバーが全員そろっております。ALIAS、SOLE、DOSEONE、SLUG、JEL などなど…。みんな素っ気ない記号的な名前なモンですから、00年代前半の ANTICON はマジで謎の組織のように見えてました…なにやらメンバーの住んでる場所は全米に散らばってて全部ネットのヤリトリで制作をしてるとか、本当かどうかよくワカラン情報しかなかったのです。
●そんな前提があったとしても、このアルバムは ANTICON グループにとっての最初期の傑作だと思います。ロービットのサンプルがザラザラしてて、ベースがブゥーウンと唸ってて、不穏な気分が立ちこめる中、数人のラッパーが次々とマイクをリレーしていく。全員クセのある声で、聴き心地はドンヨリしとります。まーマチガイなくアングラで暗黒です。イギリスの90年代トリップホップのように洗練されてはいません、むしろカビ臭いベッドルームで宅録したようなロウファイ感がモクモクと立ちこめてます。実際、トラック制作を4曲手掛けた JEL は、あのドラムマシーンさばきの達人ですから、みんなの目の前で5分足らずで1曲を仕上げたと言います。もうちょいトリビアを盛り込むと、アルバムタイトルはビート詩人 JACK KEROUAC による英語 HAIKU だそうです…意味はよくワカラン。
●しかし、同時代のヒップホップと言えば、TIMBALAND のようなフィーチャリスティックでバキバキチキチキド派手なビートが全盛だった訳でして、ANTICON の芸風はかなりアヴァンギャルドに映ってました。トリップホップの暗黒でスモーキーなテイストをある意味でキチンと引き受けた、とボクは思います。イギリスのシーンで注目を集めた DJ SHADOW が同じベイエリア/サンフランシスコ在住であるコト、そして ANTICON の主だったメンバーが SHADOW と同じく白人であるコト、こんな符合も偶然じゃないと思うのです。…ユニットとしての DEEP PUDDLE DYNAMICS はこの一枚しかアルバムを作りませんでしたが、メンバーソレゾレが競い合うように現在も作品を発表し続けています。


暗黒でスモーキーな表現を選んだヒップホップはコレだけじゃないです。
●ニューヨークにもおりました。DEFINITIVE JUX。

「DEF JUX PRESENTS」

「DEFINITIVE JUX PRESENTS II」

「DEF JUX PRESENTS ...」2000年
「DEFINITIVE JUX PRESENTS II」2001年
DEFINITIVE JUX は、COMPANY FLOW のリーダー EL-P が1999年に設立したインディレーベルで、この音源は所属アーティストを顔見せさせるレーベルサンプラーです。ゼンブで第四弾まであるらしい。第三弾もボクの部屋に埋まってるはずなんだけど、結局見つかりませんでした。シモキタで安くゲットしました確か2枚とも600円以下。ボクの印象では、ANTICON に比べれば DEFINITIVE JUX の音源の方が安価で入手が簡単です。オタク的関心がなければドチラも一生お目にかかることはないでしょう。でもダイジョウブです長い人生においてなんの損にもなりませんから。
●そもそも COMPANY FLOW 自体がダークでスモーキーなんだから、その周辺に集まる連中もそうなるに決まってるし、EL-P がトラック提供をたくさんしてるからどんどん色が同じモノに染まってく。洗練とは100万光年離れてる耳障りなサンプルを駆使してギクシャクするトラックが実にカッコいいし、ソレをタフに乗りこなすラッパーの技術もスゴい。ANTICON DEFINITIVE JUX も、トリップホップのようにジャジー気分やダブ表現など他のブラックミュージックへ拡散することなく、徹底してヒップホップであり続け、そしてソレを陵辱するように汚していく。その感じがタマラナイ。
●しかしですね、DEFINITIVE JUX には(そして ANTICON にも)トリップホップとは別のベクトルへ発展していく要素があるのです。それはポストロック方面。シンセの透き通った響きが徐々に比重を増していく気分は読み取れるのです。特に顕著なのは RJD2。まるでスターウォーズに登場するロボットのような名前ですが、実際彼の作るインストトラックは、時に優雅で時に理知的で、ポストロックとヒップホップの幸せな邂逅を感じさせてくれます。彼のソロアルバムはどれも実にクールでおススメ(特に「DEADRINGER」2002年ってヤツ)。洗練の度合いが高いという意味では、彼の音楽はトリップホップの正統後継者です。
●他にも注目アーティストをご紹介。AESOP ROCK ANTICON のアーティストともコラボの経歴があるラッパー/プロデューサー。アルバム「BAZOOKA TOOTH」2003年は名作と評判。ボクは沖縄のレコ屋にて500円で採取したっけ。
EL-P は総大将だけあって、ソロ、CAMPANY FLOW、THE WEATHERMEN 名義と数々の活躍をしています。ラッパー二人組ユニット CANNIBAL OX にも積極的にトラック提供、面倒見のイイアニキです。…RJD2、AESOP ROCK、EL-P がいずれも白人だってコトは、ANTICON の主要メンバーたちと共通する点でもあり、ヒップホップという音楽フォームに批評的/客観的になるキッカケになってるのかもしれない、とボクは予想するのです。


PREFUSE 73「EVERYTHING SHE TOUCHED TURNED AMPEXIAN」

PREFUSE 73「EVERYTHING SHE TOUCHED TURNED AMPEXIAN」2009年
ヒップホップとポストロックの融合、ここに極まれり!……ていうか、その前にジャケが70年代プログレッシヴロックなんですけど!YES とか ASIA の奇景シリーズみたいじゃない?渋いトコロ攻めるねえ。
●コレは SCOTT HERREN という白人青年のソロユニット。ヒップホップ的音楽では PREFUSE 73 という名義を使うけど、完全なポストロック~エレクトロニカをやる時には SAVATH & SAVALAS という名義を使ったりする。他にもイッパイ名義分けをしてるけど、ボクが聴いたことがあるのはこの2つだけ。ボクが彼の存在を知ったのは PREFUSE 73 として UK の名門テクノレーベル WARP からアルバムをリリースした時(「VOCLA STUDIES + UPROCK NARRATIVES」2001年)。PREFUSE 73RJD2 の登場は、ボクには21世紀の新しい音楽の出現と思えて、メチャ盛り上がったのでした。
●アメリカ人の彼が UK の WARP に注目されたコト、そして RJD2 がやはり UK の XL RECORDINGS DEFINITIVE JUX から移籍したコト。この二点がボクには実に象徴的だった。UK の90年代トリップホップが停滞期に入り、ソコに新しい刺激としてアメリカの白人クリエイターが導入された、と思えるのです。ボクはこの事件をモトに、90年代トリップホップと、00年代前半アメリカ各地で活動していたアングラヒップホップの間に強い結びつき、連続した関係があると考えてる訳です。ココまでのこの記事の流れってこういう意図がベースにありました…伝わりますか?とっても分かりづらいけど。ご参考にもう一件。この時期 WARP はニューヨークのヒップホップユニット ANTIPOP CONSORTIUM のアルバム「ARRHYTHMIA」2002年をリリースしてます。コレもかなり強力な作品です。彼らは黒人ですが AUTECHRE APHEX TWIN の大ファンでした。マジ要チェックです。
●さて、この音源に立ち戻ってみましょう。これまたユニークです。イキナリね、トラックリストに29曲並んでるんですよ、うわクソ多い!その一方でね、そのほとんどが一分~30秒程度しかない楽曲なんです、うわ短か!ワンアイディアで組まれたループミュージックが沢山登場して、ノンストップで繋がったままどんどん展開していく構造。全然飽きずに一気に聴けてしまう。全部がインストでラップはなし、その質感はヒンヤリしてて実にクール、ビートミュージックだけどポストロックなのです。


JOSH MARTINEZ「BUCK UP PRINCESS」

JOSH MARTINEZ「MIDRIFF MUSIC」

JOSH MARTINEZ「BUCK UP PRINCESS」2003年
JOSH MARTINEZ「MIDRIFF MUSIC」2004年
●今度はカナダの白人ビートメイカーです。でもね、バンクーバー在住って意味で、西海岸アンダーグラウンドの流れに繋がってる気分がある。…ん?最近はオレゴンのポートランドに移住してる?あ、そうなの?でもやっぱり西海岸だからイイよね?ま実際彼は ANTICON グループに近い存在でツアー同行経験もある。
●テンポが早いビート感覚はロックリスナーにも気持ちよく聴こえるはずだし、サンプルの材料は洗練されててジャジーにも聴こえる。ボクの大好きなニュースクール風でもある。もちろんポストロックの感覚もある。しかし、ヒシャゲた声のユニークなラップがヤンチャなガキテイストで、落ち着いたムードは漂ってない。結果ポップでキャッチー…今日紹介しているようなマニアックな奴らと比べれば。「MIDRIFF MUSIC」の方はインストトラックも目立っててチルな表情も見せてくる。ニュースクール風味がより濃くなって、耳に優しい楽しさがある。ピース。



●ハナシは戻るんだけど、ANTICON JEL による、ドラムマシーンの「演奏」は観れば観るほど惚れ惚れします。この動画、タップリ堪能して下さい。








●さて、今回は00年代前半のアングラヒップホップを扱いましたが、現在のシーンはさらに進化中です。
ANTICON はヒップホップの辺境に挑戦し過ぎて、奇妙な脱力エレクトロニカの境地に到達してるような気がします。ヒップホップなレコ屋ではなく、WARZSAWA のようなインテリロックなレコ屋の方で積極的に取り扱われてますし(そうそう!今月シモキタザワに WARSZAWA RECORDS がやって来たんですよ!しかも JET SET の近所に!)。一方 DEFINITIVE JUX は、EL-P が自分の創作活動に専念するためにリリース活動のペースを落としていく、と発表してました(確か?)。公式サイトで EL-P の新曲が1つフリーでダウンロードできます。ま、相変わらずの内容でしたイイ意味で。


●トリップホップから、ココまでやってみました。こんなモンでいかがでしょうか、筑前さん?




さて、先週に引き続き、ボクはまた美術館に足を運んだのでした。
●実は、体力作りに美術館巡りはピッタリなのではないか、と考えたのだ。とにかく体力持久力が衰えているボクの体、デスクワークならナントカなるが、実は3時間ほど立ってるだけでボロボロになっちゃうほどモロく出来てる。今週は現場立ち会いが2件あったが、ソレだけで実は死ぬほどクタクタ。しかし、先週の東京国立博物館の制覇でジブンの中に自信が芽生えた。ペース配分に気を配って歩くだけでちょっとでも足腰の運動になるなら(ていうかソレしかできません)、積極的に構えるべきではないか!?そう思って、金曜の午後、再び美術館を目指したのだった。…ってエラそうに書いてるけど、こんな動機で絵を見てるなんて、なんかアホみたいだね美術館の人もビックリだろうね。

●そんで今回の現場は、目黒駅から徒歩6分、東京都庭園美術館。
●目黒なんて何年ぶりに来ただろう?と思いながら到着したら、建物が異常に立派なアールデコ様式でビビった。むしろ世間の認識はこの建物が立派で有名なのね知らなかったよ。そんでさ、理由はワカンナいけど学芸員さんがみんなイイ年ブッこいたオジさんなんですよ。多分ボクの父親よりも上のような気がするぞ。シルバー人材優遇姿勢?フツウは静かな文系女子ってのが相場じゃん?ま、そんなのどうでもいいか。


●で、肝心の内容はね、20世紀初頭の、ロシア・アバンギャルド

ロシア構成主義

「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし」東京都庭園美術館

1917年ロシア革命。ソビエト連邦誕生。2010年代の今から見れば、共産主義/社会主義ってヤツは、変節を重ねて老醜をさらすシワシワのおじいさんの様になってしまったが、1920年代においては当時最先端の政治理論で、それこそ理想に燃えるティーンネイジャーのような輝きを持ってたと思う。ボクは思想の中身は別として、共産主義が持ってた「革命の理想」は時代の雰囲気としてとてもロマンチックなモノだったに違いないと思う。
●そんな1910~20年代のロシアで起こった芸術運動が「ロシア構成主義」ってヤツだ。革命はヨーロッパで一番頑迷だった絶対王権を見事打倒し、ティーンネイジャーの情熱をもって社会全体を改造し始めた。なにぶんティーンネイジャーだから、世間知らずで青臭いトコロもあったに違いない。しかし、前近代的因習を一掃して最先端の文化を作ろうという野望は、とてもロマンチックなモノだと思う。そんな訳でこの時代の芸術表現も実に過激で、そしてトビキリユニークなモノになったという。ボクはそのムーブメントをたっぷりと楽しむ訳です。

アレクサンドル・ロトチェンコワルワーラ・ステパーノワは、ロシア構成主義の中心的アーティスト。二人は創作上のパートナーであり、おまけに夫婦でもありました。名前がヤヤコシイので一応言っときますと、ロトチェンコがダンナさんで、ステパーノワさんが奥さんになります。二人とも活動の幅はマルチにわたり、古典的絵画表現からスタートして、グラフィックデザイン、舞台美術、写真、建築などなど様々な分野で活躍しました。「労働者階級の人々の為に美術はなにができるのか?」という問いを突き詰めた結果、彼らはポスターや印刷物、本の装丁、チェス台、舞台衣装までデザインするようになるのです。

ロトチェンコポスター

国立出版社レニングラード支部の広告ポスター「あらゆる知についての書籍」
●歯並びのイイ娘サンがデカい声で叫んでます。メガフォンの様にデザインされた吹き出しに書いてある言葉の意味は「本!」。デカイ声だなインパクトあるなあ。1924年の作品ですって。革命も一頃ついてきた時期、飢饉や物資不足を補うため資本主義傾向を多少復活させてた中で、ロトチェンコは、国営企業の製品を買おう!と訴えるポスターを数々手掛けています。コレが彼なりの「労働者階級の為に奉仕する美術」だったのでしょう。
●幾何学図形とクッキリとした直線を重んじる彼のデザインは、前近代的虚飾を排除する理知的発想に立ってます。その意味で彼は「未来派野郎」です。当時の最先端技術だった飛行機とかがダイスキです。航空技術の発達を見据え、将来「都市」は、地上視点で眺められるモノではなく、高い視点から俯瞰されるモノになると考えていました。そこから展望台を持つ高層建築のデザインもたくさん残しました。ボクの身近な言葉に言い換えれば、彼は「テクノ」です。

ロトチェンコ

ロトチェンコの写真です。なぜかスキンヘッド。
●イカにも理屈っぽいカオだな…。ボクの注目ポイントは彼が来てる服です。へんな服…つなぎ?でかいポッケでワードローブみたい。コレがロトチェンコたちがデザインした舞台衣装です。この舞台は1979年の未来(ボクらには遠く過ぎ去った過去だけど)を描いた芝居で、この服は彼が空想した未来社会のデザインなのです。素材には防水布を使用し機能美を徹底したコンセプト。無骨だけど、今のアウトドアウェアと地続きの感覚で繋がってるとも言えそう。重ねて言うけど彼は「未来派野郎」で「テクノ」なのです。

ステパーノワ

この女性がステパーノワ。多分30歳前後だろうな。
●他にも写真はあったけど、美人さんではないかも。ふっくらして愛嬌のあるタイプ。作品にも明るさや軽さ、楽しさがあります。写真を撮ったのはダンナのロトチェンコ自身。「未来派野郎」だからカメラも最新技術として夢中になってたんだろうな。…このチャーミングな顔を見てて思ったのは…最近ワイフの写真を撮ってないなーワイフのイイ顔を撮っておかないとなあーってコト。90年後の外国人が見ても「この子はチャーミングだなあ」と思えるような写真をね。

「ロシア構成主義」の運動は1920年代まで盛り上がりますが、その後衰亡していきます。スターリンの台頭と全体主義の進行、第二次世界大戦の危機が近づく1930年代中盤以降は、表現の幅が狭まりアーティストたちが粛正されていくのです。共産主義の理想に燃えるティーンネイジの時代はあっという間に終わってしまったのです。


●でさ、さっきのロトチェンコのポスター、UKロックが好きな人ならピンとキタでしょう。あのジャケの元ネタですから。

FRANZ FERDINAND「YOU COULD HAVE IT SO MUCH BETTER」

FRANZ FERDINAND「YOU COULD HAVE IT SO MUCH BETTER」2005年
やーコレマチガイないでしょう!つーかボクの中では、わざわざ「ロシア構造主義」の展覧会行った動機そのものが、「うわーフランツの元ネタの現物が日本に来てるじゃん!観に行かないと!」というモノでしたから。このバンドはスコットランド・グラズゴーのアートスクールでツルんだ4人組でありますから、ロシア・アヴァンギャルド風のアートワークも連中の趣味なのでしょう。



●ここからは、FRANZ FERDINAND のオハナシ。
●彼らは00年代に巻き起こったロックンロールリバイバルのシーンをド真ん中で推進したバンドでした。UK の名門インディレーベル DOMINO に所属、レーベルメイトにはあの ARCTIC MONKEYS がいます。

FRANZ FERDINAND「TONIGHT」

FRANZ FERDINAND「TONIGHT: FRANZ FERDINAND」2009年
このアルバムは大好きだ。そんなに興味のあるバンドではなかった FRANZ FERDINAND が、この一枚で一気に高評果になった。ストレートなギターバンドであった FRANZ が一気にダンスミュージックにシフトしたからだ。ビンテージシンセの粋なリフと、ブンブンに強化されたベース、そして偶数拍にアクセントをつけたリズムパターン。コレがうっすらとディスコファンクの色香を漂わせて、もともとフェロモン濃厚であった低音ボーカルの爛れ具合とうまくブレンドされた結果、実にセクシーなダンスロックに変貌したのだ。それでいてキャッチーなメロディラインは健在で、コシャクなまでにポップな仕上がりになった。
●一曲目「ULYSSES」はトヨタのCMにも使われてたし、「NO YOU GIRLS」は iPod のCMに使われてた。いづれも高性能なダンスロック。他にも 80年代 NEW ORDER 風にシンセが響く「LIVE ALONE」、高濃度エレクトロダンサー「CAN'T STOP FEELING」、タイトなロックの前半から後半に純粋エレクトロへ展開する8分弱の長尺曲「LUCID DREAMS」などなどと聴き所は満載。このアルバムのダブヴァージョンを収録した2枚組盤が欲しいんだけど、ソコまではまだ手が届いてない…くー悔しい!


「TONIGHT~」以前の FRANZ、ファーストとセカンド、そしてライブDVD。
●コレを機にあまり評価してなかったアルバム一枚目&二枚目の時期を聴いてみた。そんで楽しくなっちゃった。

DVD「FRANZ FERDINAND」

FRANZ FERDINAND「FRANZ FERDINAND」
●コレはファーストアルバム「FRANZ FERDINAND」の頃の世界ツアーを収録したDVD。世界各所でのギグの様子、イギリス THE BRIXTON ACADEMY でのライブ、そしてサンフランシスコでのライブが、2枚組で詰め込まれてる。
●2005年のリアルタイムでこのDVDを観た時の第一印象は「イケスカない連中だな」ってコト。この人たちイケメンなんですよ。細身のパンツにタイトなシャツを着こなして、目にかかる程度のブロンドの前髪をサラサラさせながらフェロモンモンに歌うボーカル ALEX KAPRANOS の存在が既にイケスカなかった。ギターのヤツが高めに楽器を構えてクネクネ体を揺さぶりながら演奏するのも気色悪いと思った。ボクにとってはロックはもっとダーティなモノであって(だってボクは一応90年代グランジ育ちなんですもん)、彼らの身のこなしはナルシスティックで洗練され過ぎてるように思えたんです。
●しかし今冷静に彼らの音楽とパフォーマンスを観ると、それなりに楽しめてる自分がいる。ある意味でボク自身が00年代のロックに慣れたのかな? 機銃掃射のように正確かつ激しくビートを弾き出すカッティングギターにスリルを感じるし、タイトでジャストなドラム&ベースも、ダンスロックを鳴らすその後の着地点を知っていればクールに聴こえてくる。クネクネした身のこなしも、ガムシャラなガレージ志向ではなくスマートなダンス志向であったという現時点の事実を納得すれば、全然許せちゃうし、セクシーにも見えちゃうほど。
「TONIIGHT~」のエレクトロ/ダンスロック路線よりもズッと性急で速攻だった初期のスピード感、そしてギターの音をムダに滲ませず歪ませずパリパリと弾き出す感覚は、実は80年代ポストパンクの気分から参照してるってコトも納得できた。密度も硬度もギュッと高いので単純なリバイバルだとは言えないし、デンデケデケデケし過ぎてる瞬間はもっと古い60年代ロックの気分まで漂うけど。セカンドアルバムからは70年代グラムロックの気配まで読み取れる。「DO YOU WANT TO」みたいなポップヒットチューンはある意味で DAVID BOWIE っぽく聴こえる気がする。
●ライブ演奏でイチバングッと来るのは、やっぱ「TAKE ME OUT」だね。イントロ部分の性急なフレーズをひとしきりコナすと、ビートのテンポがググッと押さえ込まれて、カッティングのリフがザックリとスキマを作ってく。この展開にオーディエンスのテンションがギンギンに上がって、サビに突入すれば大合唱&ジャンプ大会。痛快な瞬間。ああボクはこのバンドが、どんどん好きになっちゃってる、今現在でさえも。



●せっかくだから、動画も貼付けときます。



「TAKE ME OUT」2004年の GLASTONBURY FES でのライブの様子。絶対この曲はライブの方がいいなあ。



●とか言いつつも「TAKE ME OUT」PVもつけちゃいます。ロシア・アヴァンギャルドの気分も盛り込んだグラフィックが楽しいので。



●ゴスちっくな気分も漂う高速ガレージ「MICHAEL」。ナルシスティックな身のこなし。そしてポストパンク。



●セカンドアルバムから、痛快ガレージ。「THE FALLEN」



「DO YOU WANT TO」。イギリス人もスカジャンを着るという事実。



●エレクトロ路線へ進出「ULYSSES」。でも前の曲を聴いていればそんなに違和感がない。



「NO YOU GIRLS」。エレクトロの爛れ具合を見事に切り取ったクールなプロモ。

うっひゃー!ガンツ怖ええ!

奥浩哉「GANTZ」28巻

奥浩哉「GANTZ」28巻
●今日発売の最新単行本、速攻でゲットして、モリモリ読んじゃった。ああ、ありえないテンションのカタストロフ虐殺オンパレード。ハジケル内臓!トビチル鮮血!死屍累々オールオーバートウキョウ!ああコレは生き残れない。こりゃ無理だ。うーん怖い。夢に出てくる。ヤベえなコリャ。

両観音開きフルカラーカット

●単行本としちゃ異例の、両観音開きフルカラーカットまで炸裂。映画化(ニノ&マツケン主演、前後編2階建て)含めて仕掛ける側はかなりの本気です。

●なんかさー、世の中の雰囲気としてさー「いっぺん日本も世界も滅んでくれない? いやむしろ滅ぶべき? そうだよ滅ぼうよイイ意味で!」って気分があるんじゃないかって思っちゃうよ。花沢健吾「アイアムアヒーロー」だって、鬱屈なマンガ家志望ダメ人間(35歳)のダメ日常を描くと見せかけて、一晩開けたら街中ゾンビだらけですって展開じゃん。「世界の滅亡は、勝ち組も負け組も、金持ちもニートも、イケメンもブサイクも、分け隔てなく平等に到来します」って理屈、ボクイヤです。そこまでヤケクソになってないもん、まだ。



突発的に、日本の古典絵画が観たくなった。

●しかも、どうしても長谷川等伯が、観たくなってしまった。

●以前、駅のポスターで観たのだ、展覧会が行われてるはずなのだ。あのギラギラゴールドで、猛烈にグリッターでバロックムキダシの屏風絵がスゴいはずなのだ。あのポスターがなんかメチャ引っかかったのだ、日本絵画ってギラギラなのかよ!とボクに教えてくれたのだ。

そしてなぜか昨日、アレが気になって仕方なくなった。緊急で観なくては気が済まなくなった。会議も仕事もそっちのけ。アタマの中であのギラギラが膨れ上がったのだ。もうダメ、ガマンできないのだ。ナゼか全然ワカンナいけど。
●そんで夕方を待たず、上野の「東京国立博物館」に向かったのだ。


●で、現場に到着して気づいた。
「長谷川等伯展」が行われてたのは「京都国立博物館」だったのだ。しかも、ソレも先週終わってた。

●がーん。

●この気持ち、どうしてくれよう……テンションはムダに上がったまま。


長谷川等伯展 京都国立博物館

●…そうそうコレコレ、この気分だったのに…。でもさ、確かに「京都」って書いてある。



●しょうがないから、常設展の、尾形光琳の絵を眺めたのだった。

尾形光琳筆 孔雀・立葵図屏風

尾形光琳「孔雀・立葵図屏風」
●うーん、なんかイメージと違うなあ…ポスターで観た長谷川等伯はもっとド派手にギラギラしてた。目の前の尾形光琳は…雰囲気こそ似てるけど…超リアルなクジャクも悪くないけど、なんかゴールドがくすんでて気分が乗らない…もっとドヒャーッとしてたらイイなあ…しょうがねえか数百年分のスーパーヴィンテージだから色落ちもするか…新品だったらコレもまたギラギラだったろう。新品状態のコレが部屋にあったらどんな気分だろうなあ?なんてったって屏風だからな60インチのプラズマテレビ2つ分よりデカい。強烈な存在感だろうなむしろウゼエくらいだな狭いウチのリビングにゃ置けねえな…と思いながら10分くらい眺めてた、ちょうどイイ場所にソファがあったもんだからねえ。

●浮世絵だと、ボクは鈴木春信が好きなのさ。
●ムチムチ系やゴージャス系の美人画よりも、ボクは鈴木春信が描くヒョロリンとした女性が好きなのだ。手足も首も骨が通ってないかと思うほど華奢で、むしろ地味系な女性像。ボクは春信がロリコンだったんじゃないかと思ってるのだ。ティーンの未成熟具合を狙って描いた倒錯趣味が、オトナシメなスタイルにヤバさを漂わせてる逆説気分がオモシロいのだ。浮世絵は江戸時代のグラビアなのだから、週刊誌のエッチなカラーグラビアを見る気分で、シタゴコロをコチョコチョ作動させた方が健全だと思うのだ。

●そんなノリで、ハニワとか土偶とか刀剣とか絵巻物なんかを観た。外国人とおじいさんと、ボクのような狙いの読めないヤツだけ、がだだっ広い空間にパラパラいる程度ってのは、居心地がよかった。


●そんで特別展も観てみた。

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「細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション」
●むー。ノれねえなあ…。細川家って、日本新党の細川護煕元首相のオウチのコトでしょ。ヘッドホン解説を、細川護煕さん自身がやってるよ…微妙にノれねえなあ。ピンと来ねえなあ。

と思ったけど、実際観てみたら、ちょっとオモシロかった。

山田芳裕「へうげもの」1

●ボクが長谷川等伯を知ったのは、山田芳裕「へうげもの」に彼が登場してくるからだ。でもね、細川家の重要人物や周辺の人物もみんな「へうげもの」に登場してくる。ボクの知識なんてみんなマンガから出発してるからね。そんでこの特別展もマンガの延長として楽しめちゃったのだ。

●細川家は、足利将軍家に繋がる由緒ある家系で「応仁の乱」とかで活躍しちゃう連中。安土桃山時代においては細川幽斎&細川忠興親子が、織田/豊臣/徳川政権とうまくヤリトリしながら強力な権勢を保持しつつ、文化エリートとして時代の最先端を突っ走っていたという。
「へうげもの」でもこの親子は登場し、主人公・古田織部千利休とともに、数寄の世界を探求する戦国武将として描かれてる。ジュニア細川忠興古田織部にイジクラレる堅物キャラになっちゃってるが、シニア細川幽斎は顔が現当主・護煕さんソックリに描写されてたりしてて実にコニクらしい。掲載誌「モーニング」では山田芳裕&細川護煕が対談とかしちゃったりして、これまた楽しかった。

細川幽斎&忠興

(シニア細川幽斎、そしてジュニア細川忠興。忠興の奥さんはあの細川ガラシャです。)

千利休古田織部が出てくれば、やっぱり茶器が出てくる訳さ。で当たり前なんだけど、マンガと同じようなヤツが並んでるのよ。へえーコレがホンモノかー。こんなチッコイ器ひとつで「うぎゃあ!」とか言ってたのか戦国武将たちは。確かに丸くてカワイクてチャーミングだと思った。手のひらでコロコロ転がしたい感じ?
●常設展も含めて茶器や焼き物は一杯あって、古田織部が考案した織部焼の現物とかがマンガと同じノリで登場する。うわマジでふにゃってしてるー。これにナゼか胸キュン。微妙に整ってないイビツ感やワザと無造作に彩色したラフさ加減が実にロウファイ。崩れてるが故の愛おしさ、ダメっぷりがそのまま愛嬌になる瞬間、なーんて具合の楽しさがある。あーコレは確かに夢中になれるかも。

井上雄彦「バガボンド」

●さらにまたマンガなんだけど、井上雄彦「バガボンド」も絡んでくる。宮本武蔵の登場だ。晩年の武蔵は、細川忠興の息子忠利の客分として迎えられ、熊本の地で「五輪書」を書いてたのだ。知らなかった。展示では「五輪書」の写本があったり、武蔵が描いたという「達磨像」があったりした。「バガボンド」武蔵はまだ20歳過ぎだから、細川家でジジイの武蔵がやってたコトとはうまくイメージが結びつかない。武蔵小山ゆう「あずみ」でも怪力のオッサンとして登場するし、安彦良和「麗島夢譚」では島原の乱の後にオッサン武蔵が台湾に出没するって設定もある。…ああボクってマンガばっかだなあ。

●それとね、護煕元首相のお祖父さん、細川護立という人もオモシロかったらしい。
●華族で金持ちだったこの人は、美術品の一流の目利きであり、若い芸術家のパトロンでもあったという。細川家のコレクションは、この人が集めた近代美術も含まれてる。ここに横山大観下村観山みたいな近代日本画の大御所も含まれてるという。
●そんで彼らの作品も展示されてるのです。でもね、なんかね、画風が若いんです。横山大観って富士山とかをドカーンと描いて超エラそう、ってイメージがあったけど、ソレとは違う感じ。中国・道教の聖人をニヤニヤしたオッサンにして描いた絵は、カジュアルでフランクな気分が漂ってる。こんな横山大観は初めて見た。
●実は横山大観のような大御所もキャリアの最初は守旧派からアゲインストを喰らってたらしい。しかし細川護立はそんな彼らに早くから注目し作品を買ってた。「よいものはよい」とかいって。しかもそんな買物をしてた護立さんは当時まだ24歳。おいおいスゲエな金持ちは違うぜなんだそのお大尽なショッピングは。しかしこの後長く大観ら芸術家と護立さんの付き合いは続き、日本芸術界のど真ん中に君臨することになるのでした。スゲエなあ。


「侘び寂び」とか「もののあはれ」って言っちゃうと、手元からすり抜けてしまう古典美術のユーモア感覚、いわば「へうげもの」(ひょうきんもの)のセンスをもっと沢山喰らいたい。ソレがオモシロく思えてしょうがない。


●さて、マンガ絡みのハナシになったから、最近読んだマンガの報告を。
●実は連休中、大量にマンガ読んでたんだよね。アホのように。

松本大洋「竹光侍」8巻

松本大洋「竹光侍」8巻完結
●死闘完結。「スピリッツ」で完結したのは知ってた。でも一気に読みたいから連載読むのガマンしてたんだよね。満を持しての単行本リリース、そして読む……くっ、パリパリの緊張感でぶっ飛ばしてるね。主人公・能勢宗一郎が持つ、イノセントさと殺人者としての狂気の矛盾を見事決着させるクライマックス&エンディングが、壮絶かつ爽快でございました。ごっつぁんです。  
松本大洋の独特な筆致は、ある意味で「平成の絵師」だね。いつの間にかマンガ界の異端になってるね。実は彼自身が変化したんじゃなくて、マンガ全体の主流派がアニメ絵全盛期に完全シフトしたってコトかも知れない。アニメ絵じゃないと読めない世代もいるだろうし。会社のオバさんにこの本見せたら「ヘタな絵ねーホントに読みづらいわ」って言われちゃった。ボクは異端に寛容でありたい。彼の本を読む瞬間は細川護立さんの気持ちになろう。気持ちだけだけど。
●ソレにしても、原作者を招いて「絵師」に徹した今回の作品は、マンガの表現的限界に挑むハイテンションがスゴかったと思う。特に両親を殺されて我を失い仕手人を滅多殺しにするシーンとか。その瞬間、宗一郎はニンゲンのカタチ留めてなかった。フランシス・ベーコンの怖い絵みたいだった。


●まだまだ読んでるよ。数々の「クサレ縁」マンガを読んでいる。
●マンガってのは、程良い加減で終わってくれないと困る。単行本が何十冊も溜まっていくのは、タダでさえモノが多いウチの住宅事情の中で実にメンドクサイ。しかし一度読み始めてしまった物件を、途中で放棄するほどの根性がボクにはない。結果としてマンマと出版社の思惑に乗せられて、かさばる単行本を握り込まされてしまう。

荒川弘「鋼の錬金術師」25巻

荒川弘「鋼の錬金術師」25巻
●コレは実に典型的な「クサレ縁」マンガだ。そもそもは息子ノマドがテレビで楽しんでるから、思わず買ってしまったんだ。そしたら思わずボクの方がノメり込んでしまい、一気に読み集めちゃったのだ。オマケに内容が予想以上にエグイので、当のノマド本人には読むの禁止しちゃった。画がカワイイのに大量虐殺が平気で登場するから。全くの不覚だ。本末転倒、主客逆転だ。
●そんで物語はクライマックスに突入してきたのかなーと思いきや、「そうは簡単に終わらせないぞ」とジリジリ引き延ばしてる気分。ひたすら血みどろのタタカイ。愛着あるキャラが死に、ピンチはより深まる。問題は全然解決してない。マンマと読まされた。

二ノ宮知子「のだめカンタービレ」24

二ノ宮知子「のだめカンタービレ」24巻
●コレも完全に読まされた物件だ。冷静に考えりゃマチガイなく映画公開の便乗商売じゃないか。しかしソレが100%分かってても買う&読む。実に業深い。今回は「アンコールオペラ編」とかいう副題がついちゃってる。だから一時的な同窓会的復活だと思ったよ。そしたらこの一冊で完結しなかった。え!続くのかよ!また買わされるのかよ読まされるのかよ。「R★Sオーケストラ」のクライマックスはマジで泣けたからな。そのオペラ編となったら無視はできない。実に業深い。ちなみに、表紙で楽器を持たないのだめちゃんが出てきたのは初めてだな。まいっか。

山口貴由「シグルイ」14巻

山口貴由「シグルイ」14巻
●この作品もイイ加減付き合いが長過ぎる状態になってきた。そもそもは南條範夫の歴史短編を原作にしたモノ、そんなに長い話になるはずじゃなかった。しかし気づけば14巻。最終決戦直前状態になって、お話のペースがジリジリと遅くなってる。それでも15巻には始まってくれるはず、残虐で血みどろの決戦が。でもそっからが多分メチャ長い。

安彦良和「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」20

安彦良和「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」20巻
●コチラも物語は最終段階へ。単行本ではソロモン攻略作戦が描かれてるが、連載「ガンダムエース」では、ア・バオア・クー作戦が始まっている。やっぱ戦争は悲愴だわ。宇宙で死ぬのは寂しいわ。「生か死かーそれは 全てが終わってみなくてはわからない。しかし確実なことは 美しい輝きがひとつおこる度に 何人か何百人かの人々が確実に 宇宙の塵になっていくということだ」恐怖!機動ビグザム、スレッガーロウ&ドズルの戦死、数々の名シーン収録。

西島大介「ディエンビエンフー」7

西島大介「ディエンビエンフー」5~7巻
●ベトナム戦争の泥沼と西島特有のカワイイ画風が強烈なギャップになってるこのオハナシも、少々長くなり過ぎた。5~6巻では「少年ジャンプかよ」的なバトル展開でグリーンベレー部隊が全滅。そんでズルズルッと第二部突入。うーん、緊張感なくなってきた…。でも、テト攻勢が始まるぞ。サイゴンが燃えるぞ。

林田球「ドロへドロ」14

林田球「ドロへドロ」12~14巻
●魔法と悪魔とサスペンスと悪趣味がドロドロになってるこの作品も、その謎解きの行方がボンヤリ見えてきた。支離滅裂なトコロはアレコレあるけどさ。さてさてどうやって見事なフィナーレまで持って行けるのか?

柴田ヨクサル「ハチワンダイバー」14

柴田ヨクサル「ハチワンダイバー」13~14巻
●格闘マンガのハイテンションで将棋を描いてたこのマンガ。将棋なのにどうしてこんなにアホなほどテンション高いの?ってのがこの作品の存在意義だと思ってた。しかし「将棋ボクシング」ってのが登場してきた。2分間将棋を差して2分間リングでボクシングを戦う。実際チェスボクシングってのはこの世に存在してるらしい。でもさ、格闘マンガのテンションで格闘描いたらフツウじゃん。ソレは御法度だと思う。でも今さらこの人にそこツッコンでもしょうがない。トコトンまで行ってくれちゃんと見届けるからさ。
●映画/ドラマで今注目の仲里衣沙ってさ、フジの深夜ドラマ版「ハチワンダイバー」でメイド受け師さん役をやってたんだよ。みんな覚えてるかな?

羽海野チカ「3月のライオン」4巻


羽海野チカ「3月のライオン」3~4巻
●格闘マンガ家が将棋を描いたのが「ハチワンダイバー」。そして森ガールの教祖が将棋を描くのが「3月のライオン」だ。孤独でゴールのない勝負の世界を、お先真っ暗の悲壮感を以て小細工ナシに描くストロングスタイルがより激しく進行中。天才は天才で凡人は凡人、どんなに努力を積み重ねても乗り越えられない圧倒的な壁がある。しかしソレでも挑む戦いがある。……そんな戦いの隙間にホッコリな空間を作ってくれるのが羽海野チカのサービス精神なのかな、あかりさん三姉妹が神々しい救いとして輝いている。

岩岡ヒサエ「土星マンション」5

岩岡ヒサエ「土星マンション」5巻
●地球の外周を輪のように囲むスペースコロニー。その外壁に出て窓拭きの仕事をする少年ミツの慎ましやかな暮らし。ノンビリすすむ物語、でも彼はジックリ成長してる。そろそろ彼の周辺で怪しい動きが起きてくる気配。今は無人となった地球への降下計画(非合法)。ソレを楽しみにしておく。

宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」7

宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」7巻
宇仁田さんもココまでの長編は初めてじゃなかろか? かつて子供を捨てた女性マンガ家と、彼女に捨てられて、他人の手で大切に育てられた少女が10年ぶりにご対面。子供を捨てた女性の言い分は身勝手でデタラメで乱暴だが、今の社会に漂ってる本音の本音が混じり込んでる。イイか悪いか判断しないで、今はソコをそっとしておきましょう。結論を急がない。それも1つのアプローチ。

小畑健+大場つぐみ「BAKUMAN」8

小畑健+大場つぐみ「BAKUMAN」8巻
●当然今読まないといけない物件だな…。なんだかイロんなカワイ子ちゃんが大勢登場してきて、そんなカワイ子ちゃんがパンチラマンガを描くコトになったりして。「バクマン」で説明されてる読者キープ/ランキング上位ゲットのテクニックが、そのままこの作品そのものに適応されてるような気がする。結果としてマンマとヤラレテルなと思いながら、それでも結局読む。
●……「読者ランキング」制度って、テレビ業界で言うトコロの「視聴率主義」と似てるんだろうな。統計的根拠を突っ込んだらキリがないが、さりとてソレに代わる価値観がナイ。マンガのためのランキングか、ランキングのためのマンガか、ドッチが先かワカラナクなる。そしていつのまにかソコから読者という要素が蒸発してしまってる。

さそうあきら「さよなら群青」

さそうあきら「さよなら群青」1~3巻
●まだ3巻だから「クサレ縁」というほどの付き合いじゃない。しかしさそうあきら作品は十数年以上追いかけてるから、ある意味では深刻に「クサレ縁」。この人もっと圧倒的に支持されてイイのになあ。巻末に糸井重里さんとさそうさんの対談があるんだけど、さそうさんメチャ謙虚なコト言っちゃってるんです。
●彼の代表作「マエストロ」「神童」が中断や打切りの憂き目に遭ってるコトに話題が及ぶと…「糸井:え~!! それはショックだったんじゃないですか?」「さそう:う~ん、ある程度覚悟はあったので、めちゃくちゃショックというわけでもなかったですね。打ち切りになるというのは、出版界の今の状況というよりも、僕の問題もあると思いますし…」「糸井:遅筆だということですか?」「さそう:人気がないんです」「糸井:え……」糸井さん絶句。これランキング制度の敗者ってコト?でも「神童」「コドモのコドモ」は後に映画化されたんですよ。ボク原作でかなり泣いちゃいましたよ。
「さよなら群青」の物語は佳境に突入。海女が暮らす波切島の、語られてはいけないタブーが明らかになる。さてさて今後も目が離せない。

日本橋ヨヲコ「少女ファイト」6巻

日本橋ヨヲコ「少女ファイト」4~6巻
●ボクは日本橋ヨヲコの暑苦しい青春ストーリーが苦手でしょうがなかった。コレでもかって位に登場人物たちへ過酷な運命を背負わせて、結果全員が極端な性格になってて、ソレが寄り集まってボロボロになってく話ばっかだから。コレを楽しむのは悪趣味ではないか?
●でも、悔しいコトに、この「少女ファイト」にはヤラレテル。ご多分に漏れず、登場人物全員の背負ってきた過酷な宿命が、読み進める中でどんどん明らかにされる。無邪気なようで徹底的に傷ついてたり、強気のようでココロは常に大量出血だったり。しかしバレーボールというスポーツを媒介に、孤立無援だった少女たちはチームとして強い結束を育てていく。くそー泣けるなあ。チョッピリのラブもアリ。狂犬とあだ名された娘が、信頼する男子の前で子犬みたいに素直になるのも、なんか泣ける。「スポーツマンガ」はイッパイあるが「スポ根マンガ」はいつの間にかシーンから消えてる。「少女ファイト」はそんな絶滅危惧種の最後の一匹かもしれない。
●……それと著者が描き慣れたのかボクが見慣れたのか、女の子たちが全員カワイくなりました。以前はクッキリとした輪郭線がトゲっぽかったんだけど、丸みを帯びてチャーミングになりました。チームとして固まったから、そう描き分けてるとするなら、この人は画がウマいなあと素朴に思います。

槇村さとる「リアルクローズ」7~9

槇村さとる「リアルクローズ」7~9巻
●ちょっと前の経済誌で、百貨店市場の特集をしてた。三越伊勢丹グループの合併とその後の奮闘ぶり、それでも不況で業績は下がってる、ってハナシ。婦人服バイヤーの女性を主人公に据えたこの物語も、百貨店合併時代に直面してて、激しい会社間異文化コミュニケーションの嵐に揉まれながら、様々な思惑がぶつかり合ってる様子を描くに至ってる。仕事大変そう。でも仕事オモシロそう。そんでチョッピリだけ恋愛も。ソレは女子の養分だからな。
安野モヨコ「働きマン」あたりから、サラリーマンマンガのリアリティは完全に女性作家に持ってイカレてしまった。働く女子には物語があるが、働く男子には物語がない。コレでイイのか?ちょっとそう思う。「働く女子」マンガがオモシロすぎるだけにそう思う。今更さー「社長島耕作」とかにアイデンティファイできないでしょ、「新サラリーマン金太郎」みたいな大味がリアリティ持つと思えないでしょ、両方とも連載健在だから申し訳ないけどさ(実際ちゃんとそっちも読んでるし)。ガンバレ働く男子。

おかざき真里「サプリ」10

おかざき真里「サプリ」10巻完結
●コレはマジで痛苦しい「働く女子」マンガだった。仕事/恋愛/結婚/出産のコンボ攻撃にビシビシ打たれる登場人物たち。完結10巻で表紙は虹色になり、一応ハッピーエンドになったようにも見えるけど、現代キャリア女性の懊悩の深さは全然解決されてない感じがする。つーか主人公は結果超合金のように強くなっちゃって、全てを克服しましたって決着だからな。それはタフ過ぎるよ。背負い込み過ぎだよ。コレって広告業界が舞台だからこんなに過酷なのかな?ガンバレ働く女子。
●やっぱオトコの人生はシンプルだな。クリエイターの男は「やりたいコトがあるからオレいくわ」って消えるからね。ボクはそういうの見る時に「オスは交尾を終えると旅に出て、メスが赤ちゃんをセッセと育てるのです」という動物ドキュメンタリーを連想するんです。オスって無責任だな。かくいうボクもそういうオスの一人だし。ワイフに言われたよ「ヒヨコのクラスの女の子たち、パパとおフロ入るのイヤって言い始めたらしいよ。アナタは反対にコドモと絶対一緒におフロ入らないから、ヒヨコは喜んじゃうと思うけど」

ひうらさとる「ホタルノヒカリ」13~15

ひうらさとる「ホタルノヒカリ」15巻完結
●コレは「干物女」というキーワードを打ち出して、恋愛度数&仕事度数ともに最低ラインの女子生活を描くことで、敷居の低いリアリティ共感を描き、ドラマとしてもボチボチ成功した作品だった(主演:綾瀬はるか)。ドラマとしては「リアルクローズ」香里奈)や「サプリ」伊藤美咲)よりよかったと思うよ。マンガもドラマ化以前から読んでたし愛着も深かった。しかし最終巻におよんで、主人公・ホタルちゃんは27歳から34歳にワープして、キャリアもグングン積み重なって、ちょいと現実離れした結末を迎えてしまった。ハッピーエンドだからいいんだけどさ。みんながみんな収まる所に収まって、シアワセになりましたとさ。
●でも確かに27歳と34歳の女子は大分違う。社会的地位もタフさ加減も。あと痛み具合もハッキリ表に出て来ちゃう。この前、同期のオンナノコ(36歳)とエレベータで会ったのです。「どうよ」「あーボクはボチボチ…ていうか、キミが痛んでるわ」「わかる?もう朝っぱらから会議でワタシブチ切れちゃって、今日はもうナニもやる気ないのよ」怖ええ…そのブチ切れザマ、予想がつくわ。キミ一線越えると見境なくなるモンね。友達としては話して楽しいが、仕事は一緒に組みたくない、キミの後輩じゃなくてホントラッキーだったわ。でも今日はより一層お肌がカサツいてるねえ、ムカシはフェロモンモンだったのに。やっぱ戸籍にバツ一個ついたアタリからキミメッコリナニかが欠けた感じするよ。…とか書いちゃってるけど、こんなコト本人には怖くて絶対言えない。

ねむようこ「午前3時の無法地帯」3

ねむようこ「午前3時の無法地帯」全3巻
●さて、こちらは働く「新卒女子」の物語だ。ガッコー出たてで就職したデザイン事務所は、実はパチンコ関連POP広告専業会社だったのでした。理不尽な〆切りと怒鳴る営業さんに責め立てられ、毎日徹夜で作業して、ゲッソリ削げ落ちていくジブンの女子力。もう辞めたい今辞めたい。若い子にはキツいねこの社会人へのイニシエーション。
●主人公・ももちゃんは、イラストレーターになる夢と現況のギャップに戸惑いながら、デストロイな会社の中に仲間やヤリガイを見出していく。同じフロアで働く多賀谷さんはクマみたいなお兄さんでとっても気になるあの人奥さんいるのかしら。うーんミクロ。オジさんソコを十年前に通過しちゃったから実にミクロに見えるよ。でもねミクロだけど愛おしい感情。ももちゃんフレッシュだね。デート行く時間作るために必死に徹夜して、でもシャワー浴び損ねて自己嫌悪に陥って、チラッと目に入った給湯室で「コレ女子としてどうなの?」と葛藤しながらガッツリシャンプーするその様子とか、もうリアル過ぎて爆笑しちゃうモン。そのフレッシュさを大切にしてほしいよ。
●あーもーコレ激しく共感。ボクの仕事とメンタリティ同じだから。毎日〆切り、毎日付け焼き刃、毎日自転車操業、エンドレスで続くフルパワー残業。もうね、こうなるとね、冷静になるのがかえって怖い。「あれれ?ワタシってこのままでいいの?」って迷った瞬間に、一気に精神崩壊するから、根こそぎ持ってかれるから。ペダルを漕ぐ足を止められない。止まった瞬間にぶっ倒れて再起不能。
●ボクの職場には若い女子が大勢いて、そんで今年も沢山の新卒が来て、デストロイな仕事を続けてる。若い娘サンが半目開けて死んだようにデスクで寝てる。おいこの子二日家に帰ってないだろどーなのよ? それでもアレコレ青春してて、チョッピリのレンアイもする。つか多分してんだろうボクみたいなオッサンの目の届かない所で。
●ああボクも社会人一年目の夏、4日に一度しか家に帰れない仕事を1ヶ月続けて、あまりの不潔さにオシリにデカイデキモノが出来たのを思い出しちゃった。その一方で仕事で徹夜明けなのに合コン行って二徹目朝帰りに突入していく不毛な努力を大マジメにしてたもんだ。ソレがなんだと問われれば「若さなんです」としか言えません。ガンバレ若者よ、誰もが通る道なのだ。






●冷静に考えるとさ、突発で上野公園を歩いて、美術観飛び込んで絵画鑑賞して、って行為はさ、病気して体力失ってから絶対に出来なかったコトだったんだよね。マンガのバカ読みもさ、ココまでの量をいっぺんに読むと絶対体調を壊してた。…実は、ちょっとづつ回復してるかも知れないな、ボクのカラダ。


フジ月9ドラマ「月の恋人」ってアリ?ナシ?
●むー。どうなのかな?個人的には乗れなかった…。でもキムタクだし、後ろのスマスマは生放送特別編だったし、フジテレビは超気合い入れてる。ヒットするのかな?
●ボクが気になったのは、主題歌が久保田利伸だってコトだ。スマスマ生放送に出演したクボタさん、テレビで見るのはなんかスゴく久しぶりだったけど、本人的にも浮かれてるのかハイテンションでした。「LALALA LOVE SONG を上回る曲を書いてくれって言われた」とのオハナシだそうで。まだあの新曲の評価はできない。

しかし実は、ボクの中で今、久保田利伸が注目なんです。以下3点において。

1、久保田利伸は、GROOVE である。
2、久保田利伸は、ニュージャックスウィングである。
3、久保田利伸は、ヒップホップソウル、ネオソウルである。

●またムダに長い話です。しかもイキナリ脱線します。



「GROOVE」って日本語に訳すとナンていうんだ?
●実家の父親に質問された。さて皆さん。還暦オーバーのオジイサンにこの言葉をどう説明すべきでしょうか?

●父親いわく、ナニやら知合いがバンドを結成したらしい。そのバンド名が「WATERGROOVE」という。ソコで当事者に聞いたと言う。「GROOVE」ってのはナンなのか? バンドマンさんたちは「日本語で言い換えるのは難しいですねえ…ノリがイイというかなんというか…」父親は納得がいかないらしい。自分たちのバンドの名前なのに説明出来ないなんて。…「で、結局ナンなんだ?」とボクに聞く。

ボクは「GROOVE」という言葉を聞くと、久保田利伸を連想する。


久保田利伸「GROOVIN」

久保田利伸「GROOVIN'」1987年
●コレは、久保田利伸のセカンドアルバム。リアルタイムで、つまり中学一年生の時に買いました。それこそ人生で二番目に買ったCDという存在。CDというメディアそのものが市場に普及を始めたばかりの時期でした。音楽の内容というよりは、CDというメディアが欲しかった、という動機の方が強かったのを覚えています。
●で、中学1年生ですから、エイゴの意味がわからないのですよ。タイトルから意味が分からない。「ナニ?この GROOVING ってコトバ?」そこで生まれて初めて買った英和辞典(←だって中1だし)を早速めくってみた訳です。素朴な好奇心です。

●ボクは物持ちが異常にイイ所があって、この中1の時に買った英和辞典「新コンサイス英和辞典第二版」を後生大事に今も手元に持って使ってます。当時ボクが読んだ訳をそのまま引用してみます。

「groove[gru:v]n. 1.溝(みぞ)〔金属、木材の表面、レコードなどの〕 2.わだち|慣例、おきまり 3.《俗》’いかす’もの〔こと〕
 ー vt. 1.に溝を彫る;溝を作る 2.《俗》:で〔に〕わくわくする;をわくわくさせる, 'しびれさせる'.
 ー vi. 1.《俗》:わくわくする;'しびれる', 楽しむ 2.《俗》:〔と〕仲よくやる, 気が合う,(with)」

●中1だったボクはビビりました。「溝(みぞ)!エイゴでは、溝とわくわくが同じコトバなのか!」このシックリこない違和感。「溝とわくわく」の間にある理解し難い関係性。ナニゲに衝撃でした。この瞬間「GROOVE」という謎の単語はボクの脳みそにバチッと強く焼き付いたのでした。
「溝とわくわく」の関係を感覚的に納得出来るようになったのは、12インチのアナログで音楽を聴くようになった頃でした。1990年代は完全にCDの時代でしたが、最新のダンスミュージックはアナログレコードでちっちゃく流通しておりました。渋谷の小さいレコ屋さんやクラブで遊ぶようになったボクは、レコードがぐるぐるまわる様子と「わくわく」の感覚が直結してるコトに、ふと気づいてしまいました。「つまりは、GROOVE はぐるぐるじゃないか!」レコードの溝から弾き出されるファットなビートとファンキーなベース。コレが「GROOVE」ってコトだな!12インチはフツウのLPより盤が厚く溝も深い。手に取ると重さを感じるし、盤面をヨク見れば、規則的なビートを反映して、渦模様のようなテカリの濃淡が出来てるのが分かる。おー「GROOVE」が見える。「溝=わくわく」が見える。「つまりは、GROOVE は、溝であり、わくわくであり、結果としてぐるぐるじゃないか!」
●ということで、ボクは「GROOVE」の訳語は「ぐるぐるしてる」コトと答えるのです。



そんで、そんな「GROOVE」な久保田利伸の音楽へ。
●たまたま、久保田利伸の過去音源をまとめて聴く場面があったのです。知人がCDをドサッとくれました。「いらないから」って。ボクも最初はクボタ自身には特に興味ナシでした。わざわざコレに引っかかったのは、これが「BLU-SPEC CD」だったコトです。かつてアルバム「GROOVIN'」に引っかかったのが「CD」だったのと同じような動機だな。
「BLU-SPEC CD」ってナンだよ?ふむふむ「BLU-RAY DISC の素材と製造技術を応用して開発した高品質CDです。~ BLUE LASER DIODE(ブルーレーザーダイオード)カッティングによる極微細加工技術と、BLU-RAY DISC用に開発された高分子ポリカーボネート採用により、収録された原音をより忠実に再生致します」。あんまり意味わかんね。見た目は完璧にフツウのCDだし。CDが青いのかな?とマジで思ってたのに。
●で、聴く。

久保田利伸「THE BADDEST」

久保田利伸「THE BADDEST」1986~1989年

久保田利伸「THE BADDEST II」

久保田利伸「THE BADDEST II」1990~1993年

久保田利伸「THE BADDEST III」

久保田利伸「THE BADDEST III」 1994~2002年
クボタのベスト盤シリーズ「THE BADDEST」が1&2&3と揃いました。「いらない」と言って3枚組でポンとくれた知人に感謝。
●……むー。かつてもこんな音だったのか?それとも BLU-SPEC のチカラか? 第一印象では、ベースがクッキリしてて、リムショットもキックもスゴくヌケがイイ。アレ?久保田利伸の音楽ってこんなだったっけ?ワリと楽しいんだけど。


で、ふと思ったこと。…コレってニュージャックスウィングに似てないか?

「THE BADDEST」に収録されてる80年代のクボタさんの代表曲を並べてみましょう。「TIME シャワーに射たれて」「流星のサドル」「YOU WERE MINE」「GODDESS~新しい女神~」「PSYCHIC BEAT」…。いずれもキレのいいスピード感覚で疾走するスタイルで、タイトでジャストなスネアがパンパン鳴りまくる中でチョッパーベースがブンブン唸ってます。楽曲によっちゃ「ラップのようなもの」までやってます。あら、コレって88年頃に TEDDY RILEY が自分のグループ GUY で提案したサウンド、ニュージャックスウィングにシンクロしてるんじゃないの?そう素朴に思ったのでした。TEDDY RILEY のトラックは、同時代のR&Bに比べてうんと軽く早かった印象が。グラウンドビートのハネル感じが思いっきり加速されたアクセントが特徴的で、MICHAEL JACKSON までが採用したスタイルですわ。それに似てるクボタさんは。今聴くとね。
●80年代中盤~後半当時の日本は、R&B的な音楽にどれだけ理解があったのかな?AKB48 の元型おニャン子クラブが一世風靡してたアイドル全盛期だわな。バンドブーム前夜でもあるから、ロックですら浸透しきってなかったかも。ソコで直球R&B/ソウル路線は難易度が高かったかも。すると日本語ポップスとして馴染みやすい高速テンポの方がハマりやすい。クボタさんがニュージャックスウィングを参照したというよりは、たまたま似てしまった、というのがボクのなんとなくの予想です。

さらに聴き進めてみると、ヒップホップソウルに確信的になってる場面がある。

●90年代前半のキャリアをまとめた「THE BADDEST II」の最後の曲に注目。「FOREVER YOURS」という曲があります。知らないですよね、全然ヒットしてません。ポイントはフィーチャリングシンガーです。ALYSON WILLIAMS という NY の女性シンガーとデュエットをしてるんですね。この人、世界で初めてのヒップホップソウルをドロップしたコトで、ごく一部で有名でございます。1989年、DEF JAM からリリースした「RAW」というアルバムが重要。確かにヒップホップのトラックの上で歌ってる、って程度の原始的なスタイルですが。オマケに彼女自身にヒップホップ的自覚があったかどうかも微妙で、セカンドでは全然ヒップホップしてません。ただのブラックコンテンポラリーです。ただし、クボタさんは彼女がナニモノだか分かってデュエットのオファーをしている訳です。93年にNYへ活動の拠点を移すクボタさんですから、この時代はかなり同時代のアメリカのシーンに意識的だったはずです。それがココに証明されます。…しかしボク的には ALYSON とやった事実だけが重要でして、楽曲としてはどーでもいいです。経年劣化がキツいです。
「DANCE IF YOU WANT IT」「HIGH ROLLER」「MOVING TARGET」あたりはニュージャックスウィングを睨んだ上でのクボタさん一流のファンクネスがイイ塩梅にうねってて、実はかなり好きです。「INDIGO WALTZ」はこの時期のクワイエットストーム日本版としては極上の出来と思います。「KEEP ON JAMMIN」でレゲエを採用、「MAMA UDONGO」でアフリカのハイライフを採用したセンスは、ブラックミュージック愛を直球で表現出来る時代を謳歌するクボタさんのノビノビぶりが見えて楽しいです。

NYに渡ったクボタさんの、本場ネオソウル修行。

「THE BADDEST III」は、90年代中盤のメガヒット時代とその後2003年までを網羅してます。ナニゲに90年代中盤はコムロサウンドを始めCDがバカ売れしてた時期でありまして、宇多田ヒカルが98年に登場してR&Bもヒップホップソウルも一気にお茶の間化するタイミングでありました。クボタさんも1996年に「LALALA LOVE SONG」200万枚ヒットを経験します。フィーチャリング NAOMI CAMBELL とされてますが、彼女がこの曲でナニをしてるかボクは未だにサッパリわかりません…。実はこのメガヒット以外では彼の活動はむしろ地味です。その他のコマーシャルヒットと言えば「電波少年」ヒッチハイクの旅/朋友(パンヤオ)編の応援歌「AHHHHH !」程度でしょうか?
●実は、この時期クボタさんは真剣にアメリカで活動しておりまして日本での活動が停滞してたのでした。新人歌手 TOSHI KUBOTA としてアメリカのレーベルと契約してアルバムをちまちま出す程度。しかしココでコラボした連中はワリとホンモノです。「THE BADDEST III」収録曲では、「NICE & EZ」という曲で TONY, TONI, TONE のメンバー D'WAYNE WIGGINS をトラックメイカーに招き、ホンモノのニュージャックスウィングを演ってます。「NEVER TURN BACK」では THE FUGEES のラッパー PRAS をフィーチャーしてます。実はこのヘンではホンモノ感が漂っておるのです。
●このアルバムを離れると、GROVER WASHINGTON JR. & BILL WITHERS「JUST THE TWO OF US」カバーを SOUL II SOUL のシンガー CARON WHEELER と二人で演ってますし、2004年のアルバム「TIME TO SHARE」では MOS DEF、ANGIE STONE、ALI SHAHEED MUHAMMAD (ex. A TRIBE CALLED QUEST) とコラボしてます。このヘンは、ニュークラシックソウル~ネオソウルの文脈に絡まってくるアプローチをかましてました。

TOSHI KUBOTA「TIME TO SHARE」

(TOSHI KUBOTA「TIME TO SHARE」2004年)


●さて、今のクボタさんは、ナニをしてるのか?

久保田利伸「TIMELESS FLY」jpg

久保田利伸「TIMELESS FLY」2010年
●2004年「TIME TO SHARE」 TOSHI KUBOTA としての活動は終わりました。ジェイポップシンガー久保田利伸の復活です。コレは今のトコロの最新アルバム。アフロヘアが発達してます。しかし、R&Bがコレだけ飽和した現代日本のシーンにおいて、彼のやるべき仕事はなんなのでしょう?
●後輩アーティストとのコラボはアレコレやってますね。KREVA、WISE、SPONTANIA、MISIA、JUJU。でもぶっちゃけ特別新しいアプローチでもない。フツウだな。スゴいコトは起こってない。でもナニすれば新しいのかな?ボクもわかんないなあ。日本R&Bの先駆者としてもっとリスペクトされてもイイと思うけど、やや埋没してる感がある。
●ニヤッとさせる演出は、AL B. SURE !「NITE AND DAY」をサンプルした曲があるコトです。AL B. SURE ! はズバリニュージャックスウィング期に活躍した一発屋的シンガーですから。ある意味でクボタさんの根っ子はブレてないのかな。それならそれで、ニュージャックスウィングなアプローチを鬼のように突き詰めるもアリなのかも。あのドライブするスピード感とファンクネスはキライじゃない。90年代リバイバルでガッツリコダワって欲しい。


それでは、ニュージャックスウィング、本場の音源をいくつかチェック。

ORAN JUICE JONES「TO BE IMMORTAL」

ORAN ''JUICE'' JONES「TO BE IMMORTAL」1989年
●基本的には「THE RAIN」1986年という曲だけで知られる一発屋さんですね…。しかしヒップホップソウルの気分をかなり早い段階で掴もうとしてた人です。前述の ALYSON WILLIAMS とデュエットしたコトもありました。このアルバムはキャリアとしてはシリスボミになっていく時期の作品で、「THE RAIN」も収録されてません。しかしニュージャックスウィングの成果をキチンと消化しようとしてる内容になってます。ヌケのいいスネア、速めのテンポ感、必要な要件は一応揃っています。ただし同じだけの比率で、80年代R&Bの世界にドップリ浸かり過ぎていたのも事実です。透き通ったハイトーンボイスは、ニュージャックスウィングのトラックよりもブラックコンテンポラリーなバラードの方がノリがイイかもしれません。結果、イマイチ垢抜けない印象。80年代クボタよりも垢抜けない。
ALYSON WILLIAMSORAN ''JUICE'' JONES は、80年代R&Bと90年代ヒップホップソウルのちょうど境目に位置して、結局時代の流れについていけなかった人たちだったとボクは思ってます。歴史的検証として聴いてみる意味はあるでしょうが、コレを前のめりで楽しむのはチとキツいかも。中途半端にレアですから高く値をつける店もあるかもしれませんが、ボクの感覚では400円以下かなあ。その程度の値段で、歴史の諸行無常を味わってみて下さい。


ANOTHER BAD CREATION

ANOTHER BAD CREATION「COOLIN' AT THE PLAYGROUND YA, KNOW !」1991年
●6人組のチビッコラップチーム、略して「ABC」です。ブラックミュージックの伝統として、チビッコパフォーマーってのは色んなトコロで登場します。JACKSON 5 しかり、LITTLE STEVIE WONDER しかり。ソレのニュージャックスウィング版です。実はレーベルが MOTOWN で、MJ STEVIE を仕掛けたトコロと一緒なんだけどね。まだ変声期も越え切ってないカワイい声が目一杯粋がってラップしてます。
●しかしコレがですね、ボチボチよく出来てるのですよ。コレは聴ける。ヒット曲「PLAYGROUND」を始め、ハネるビート、うねるベース、ホコリっぽいサンプル、走るテンポ、ニュージャックスウィングの楽しさが全て盛り込まれてるのです。SLY & THE FAMILY STONE FUNKADELIC のサンプルがスパイスのように散りばめられてる具合も実にイイ塩梅。アングラな存在であったミドルスクール・ヒップホップが持つタフさを、ウマいコトオーバーグラウンド市場に移植した成功例になってます。ちなみにこの小僧たちは、MJ のヒット曲「BLACK OR WHITE」のプロモでマコーレ・カルキンくんと一緒にラップをしてみせる、なんてコトまでしてます。 
●さて、そんなサウンドを誰が作っているのかなと思ったら、制作陣の中に、DALLAS AUSTIN がガッツリ関わってました。彼はその後 TLC を手掛けてトッププロデューサーに昇りつめる人物です。コムロサウンド脱却期の安室奈美恵を完全R&B化させたのも彼です。やはり MOTOWN 所属だったニュージャックスウィングの代表格 BOYZ II MEN も彼がガッツリプロデュースしてました。
「SPYDERMANN」という曲では、当時のニュージャックスウィングのヒット曲 BELL BIV DEVOE「POISON」のフックラインをツタナくなぞるようなフレーズがあってニンマリできます。この裏には、BELL BIV DEVOE の一員(つまり NEW EDITION のメンバー)MICHAEL BIVINSABC のメンツを集めて売り出したって事情もあるんですけどね。ココで、ABC 経由で、NEW EDITION、BOYZ II MEN、MJ、DALLAS AUSTIN という、ニュージャックスウィング人脈が直結してることが分かります。コレもよく探せば400円程度でゲットできます。おススメです。


KID N PLAY「FACE THE NATION」

KID 'N PLAY「FACE THE NATION」1991年
●コレをニュージャックスウィングと呼ぶかどうかは微妙……ですが、90年代ドアタマにヒップホップをオーバーグラウンドに持ち上げていったという意味では、同じ役割を果たしたアーティストです。アングラで不穏なメッセージを吐き散らかしていたヒップホップ(THE PUBLIC ENEMY、RUN DMC ってドキツいでしょ)から、マロヤカに毒気を抜いてお笑い風味まで盛り込んだのが彼らキッドとプレイの二人組。あどけないパーティラップを陽気に鳴らしたという意味では、MC HAMMER DJ JAZZY JEFF & THE FRESH PRINCE(つまり WILL SMITH)と同じポジションだと思います。
●彼らは女性ラッパーデュオ SALT 'N PEPA の友達だったらしく、そのツテでメジャーのディールを掴みました。だからサウンドの輪郭は SALT 'N PEPA の質感に近く、結構折り目正しくニューヨークのミドルスクール・ヒップホップの伝統を踏襲してます。ラップは今の耳で聴くとスキマが多くて物足りないのですが、ホコリっぽいサンプルやボコボコしたキックはナニゲに美味しい。曲によってはフュージョン風ギターがパランパランと生弾きされまくったり、シンガーが朗々と歌ったりしてます。安易なセルアウト物件と思って侮ってはイケナイ。…と思いながらクレジット見てたら、おろろ、PETE ROCK が2曲トラックを組んでました。へー。
●お笑い風味で健全なヒップホップを鳴らした彼らは、いち早く映画界にも進出していきました。ラッパーが俳優業を兼任して映画出演するなど今では当たり前すぎる状況ですが、この時期ではまだ珍しいコトだったのです。アングラ文化であったヒップホップが徐々にメジャー化していった軌跡を眺める上で、1つの象徴的なステップをココで確認できます。


TONY TONI TONE「HITS」

TONY TONI TONE「HITS」1988~1997年
●彼らは、80年代R&B、ニュージャックスウィングからニュークラシックソウルまでの時代を繋ぐ重要アーティスト。久保田利伸とコラボした D'WAYNE WIGGINS、90年代~00年代のネオソウルで大きな仕事をしている RAPHAEL SAADIQ と、このグループ出身者は、現行シーンにおいてもプロデューサー/アーティストとして活躍しているのです。その足跡がてっとり早くなぞることができる便利なベスト盤がコチラ。
●今まで紹介したアーティストがニューヨーク出身ばかりだったのに対し、彼らは西海岸オークランドの出身です。だから、彼らのニュージャックスウィングは一味違う。テンポを安易に走らせず、偶数拍でバチッと極めるスネアが微妙に粘っている。その意味で正統にファンクであろうとしてます。PRINCE の密室芸を思い切りポップに昇華した印象も読めます。LA のファンクメイカー DJ QUIK とのコラボでも、ただの G-FUNK になるのを巧妙に避けてオーガニックな仕上がりにしているのが実にワザアリ。個人的には「IT NEVER RAINS (IN SOUTHERN CALIFORNIA)」という曲が一番好き。センチメンタルな気分をミディアムテンポでまとめつつもメソメソしない軽さも備えた佳曲。サビのリフレインが耳に馴染む。
RAPHAEL SAADIQ はソロ転向後、プロデューサーとしても大活躍。A TRIBE CALLED QUEST のメンバーたちとプロデューサーチーム THE UMMAH を結成します。コレには D'ANGELO JAY DEE (A.K.A. J DILLA) も参加しており、この瞬間、RAPHAEL SOUL QUERIANS とフィラデルフィアのニュークラシックソウル/オーガニックソウルシーンに限りなく接近していました。以前、SOUL QUERIANS については詳しく記事を書いてみましたが、その中で実に気になっていたのが彼の存在でした。2008年のソロアルバム「THE WAY I SEE IT」も実に素晴らしいアルバムなのですが、ソレについてはまた別の機会に。
●ちなみに、TONY, TONI, TONEマリオ・ヴァン・ピーブルズの映画「パンサー」でカメオ出演してます(確か…ちょっとウロ覚え)。監督自身が演じる黒人運動家ストークリー・カーマイケルがスピーチをする集会のシーンで、SLY & THE FAMILY STONE のカバーを演奏してる連中が彼らです(うーん確かそうだったはず…)。でもね、ブラックパンサーのことを知るのにこの映画はすごく参考になるはずなので、見てみて下さいな。


MARK MORRISON「THE RETURN OF THE MACK」

MARK MORRISON「THE RETURN OF THE MACK」1996年
●ちょっとしたオマケとして紹介します。1996年ともなるとサスガにニュージャックスウィングは廃れてるはずなのに、ヌケヌケと時期ハズレでこのサウンドを狙ってるシンガーがおりました。不思議だなーどういうつもりかなー、と調べてみたら、実はイギリスのシンガーだったのです。UKソウルでこんなニュージャックスウィングを鳴らしてるのは珍しい!ジャケを見てもらえば分かりますが、手錠をかけてたりしてて実にチンピラくさい。ギャングスタな匂いまでプンプンします。実は、クラブでモメゴト起こしてムショにブチ込まれ、ソコで初めてマトモに自分の声を録音し、シンガーとしての能力を自覚したというオトコ。芯が強くシナヤカな声はナカナカのモンです。ニュージャックスウィング亜種として楽しんで下さい。




珍名でチビの我が子たち。
●娘ヒヨコ小学二年生の学校の先生は、結構厳しいタイプで生徒を折り目正しく「山田さん」「佐藤さん」と「さん付け」で呼ぶ。たとえ相手が6~7歳のガキであってもだ。……しかし、いつのまにやらウチのヒヨコだけがニックネームで呼ばれるようになってしまった。「センセイはね、ヒヨコのこと、ピーちゃんってよぶの!」ピーちゃんね…少し前まではピヨちゃんだったのに、先生どんどん踏み込んで行くねえ。先生があだ名で呼ぶのはヒヨコだけ?「うん!そう!」
●そこで息子ノマド小学三年生が「オレだって、先生からのまちゃんって呼ばれてるゼ!」のまちゃんってオマエどうなの?「しかもオレだけがちゃん付け!」…そこ自慢するポイントだろうか?「だって、オレかわいいもん!ホッペぷにぷにって言われるもん!」…あっそ。見た目イチバンのチビだからカワイく見えるだけで、中身はボチボチの毒があるんだけどなあ。
●ノマドもヒヨコも、それぞれの学年で一番チビである。しかも4月に入学した1年生にも負けるほどの背の低さだ。ノマドは自分より背の高い下級生と一緒に歩きたくないと言って、毎日ダッシュで学校まで走って行ってた。しかし、そのチビさ加減だけでみんなに愛玩動物のようにカワイガってもらっているのも事実だ。「いじくられる」のも1つの才能かな?黙っててもかまってもらえるってシアワセだよね。寂しい人はこの世にたくさんいるからね。



ヘヴィメタル映画が泣けた。

アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち

「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」
●実はヘヴィメタルは苦手なんです。どんなジャンルの音楽でも聴くのがボクの信条ですが、コレだけはキツい。学生の頃、スゴいメタルマニアが友達にいたんです。「完成された様式美」だとか「もっとも優れた音楽」だとか「オマエの聴いてる音楽はクソだ」だとかゴタクを並べてメタル選民思想を常に喧伝するのです。アレがキツかった。しかもさらにヒドいことに、彼はその後メタル選民思想から転向して、ストレートな古典モダンジャズ主義者になるのです。おいおいマジかよ。彼のおかげでヘヴィメタルが信用できなくなった。キライになった。
●この映画に登場するのは、メタルにノメり込んでノメり込んで、50歳を過ぎてもロックスターになる夢を捨てられない、愛すべき男たちだ。そのダメダメ人生は、とびきりのトホホぶりで、とびきりチャーミングなのでした。トホホすぎて爆笑しまくって、でもそのいじらしさに最後は涙が出ちゃった。なんでこんな50過ぎのオッサンのために泣かなくてはならないのか。でもエエ話なんだわな。

●1984年に日本でロックフェスが開かれた。このフェスに参加したバンドはその後ブレイクを果たしミリオンヒッツを放つ存在へ成長する。BON JOVI、WHITESNAKE、SCORPIONS、MICHAEL SCHENKER GROUP などなど。ただし1つの例外が。ANVIL というバンド。METALLICA ANTHRAX、SLASH (ex. GUNS 'N' ROSES) がリスペクトを表するホドのバンドでしたが、ナゼかキャリアはこの後ドン底へ。世間を賑わせたのは一瞬。この映画は彼らのその後を追うドキュメンタリー。
●20年の月日が流れました。ANVIL のボーカル、リップスは給食センターで配送の仕事をしてる。ミートボールとハッシュポテトを良い子の待つ小学校に運んでる。でもバンドは辞めていない。30年以上の付合いを続けるドラムのロブと、地元でギグを続けてる。自主制作で音源も作ってる。少々マヌケなファンもチョッピリいる。請われて久しぶりの海外ツアーに出てみたが、慣れない町で迷子、移動の電車に乗り遅れ、アリーナに呼ばれたはずがお客は174人、ギャラ不払いで掴み合い&怒鳴り合い、ことごとくトホホで最高に笑える。トホホヘヴィメタ。ソレを笑えばイイのか、と最初は思った。
●でも実は、この映画、永ーい青春と友情の物語なんだよね。若い時期に一瞬の栄光を見てしまった。その夢を今も忘れられないままに、50歳を超えてしまった男たち。見た目はデブでハゲだが、ハートはあの若き日々から全く変わってない。成熟できない大人と言えば簡単だ。しかし彼らは真剣だ。あの栄光をもう一度と、必死にモガイている。モンモンとしながらナニも出来ない人間じゃない。青春の延長戦数十年分を戦う根性、ソレに敬意を感じた。「誰もが年を取る。それが現実だ。腹は出て、顔の肉は垂れ、髪は抜けて、時間はなくなる。だから今やる。今から20年後、30年後、40年後には人生は終わるんだ。やるしかない」
リップスの笑顔は実にチャーミング。ちょっとヤンチャで悪フザケが過ぎるタイプだけど、人を楽しませるのが大好きだという顔だ。相棒のロブは寡黙だが温和で、実直さがにじみ出る顔をしている。そんな二人は兄弟のようだ。楽器を初めて握ったティーンの頃から全然変わってない。喜びも分かち合うし、派手にケンカもする。50も超えたオヤジがマジでベソかきながら怒鳴り合う場面を見てると「もう見苦しくてタマラン」という気分になる。でもナニか熱いモノを感じてしまう。ソコまで突っ込む人間関係。ソコまで突っ込むに相応しい音楽。ビジネスや損得勘定でヤっていけない領域。レーベル契約にシクジる場面、「オレたちの歴史に価値がある、ソレでいいじゃないか」と肩を抱き合う二人の背中は、見事に見苦しいが同時に見事に美しい。
●それに、彼らを優しく見守る女性が良かったよね。奥さんたち、そしてお姉さん。「どうしようもなくバカだけど大目に見てあげるの」って感じ。ボク自身が、ワイフにかなり大目に見てもらってるニンゲンなので、実に共感出来る。でもねえ、ああ、自分が50歳になってるトコロが全然想像できない。やっぱりボクも「幼形成熟」タイプの人間だからなあ。コドモが二人もいるくせに、全然大人になった感じがしない。どうしよう。


●どうしようもなくバカだから、CDも入手した。

ANVIL「THIS IS THIRTEEN」

ANVIL「THIS IS THIRTEEN」2009年
●大目に見て下さいこの無駄遣い。コレは映画の中で必死こいて彼らが作ってたアルバム。13枚目の作品だから「ディスイズ13」とは、ド直球とだけでは済まされないオバカぶり。しかしボクもバカだメタル大キライなのに聴いてもしょうがないだろう。なのに気になって聴く。そして速やかに玉砕。ホントに80年代ヘアメタルで、ボクにとって全然引っかかるトコロがない!ヤバいヤバい、マジで身が持たない!コレは売れない、マジで売れないぞ!…彼らの全盛期を代表する曲「METAL ON METAL」は劇中で馴染んでたからちょっと聴けるけど…。
●しかし捨てる神あれば拾う神あり。ネットで見てたら、ANVIL は今年の4月に来日ツアーをやってるぞ。クワトロ東京~大阪~広島。スゲエな日本人、優し過ぎるよ。観る客も呼ぶプロモーターもエラ過ぎる。



●メタル映画、もう一本観たよ。

メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー

「メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー」
●これもね、笑えるドキュメンタリーです。ヘヴィメタルが大好きでタマラナイ30歳文化人類学者(ブロンド長髪)サムくんが世界中を駆け巡り「メタルはナゼ嫌われるのか?」という問いを自分なりにトコトン突き詰めていくオハナシです。その探求の旅があまりに真剣で、結果バカバカしくもあって、熱意たっぷりメタル愛がヒシヒシ伝わってきます。「ふむふむ、メタルはいささか女性蔑視の傾向があるようだ」とか。
メタルの聖地、北欧ノルウェーの取材がおかしかったな。彼の地で鳴らされてるブラックメタルってシーンがスゴ過ぎる。反キリスト/悪魔崇拝をマジで突き詰めた結果、教会に放火するのほど過激行動まで突っ走るという。実際に12世紀に建てられた立派な木造教会がメタルミュージシャンに燃やされてしまった。殺人事件まで起こすこの厄介なシーンに、さすがのメタル愛サムくんもドン引きするのでありました。


●食わず嫌いもアレだから、ヘヴィメタルを聴いてみようかな。リアリティ番組「オズボーンズ」で爆笑させてもらって以来、OZZY OSBOURNE さんには愛着がありますから。BLACK SABBATH、どっかでチャレンジだ。

「参宮橋」が楽しい場所だってコトを、最近ボクは教えてもらった。
●その中で特に気になった場所、「代々木ポニー公園」に昨日カゾク4人で行ってみた。ココでは、コドモをおウマさんに乗せてくれる。しかもタダ。プライスレス。都会のど真ん中に、こんな場所があるなんてなんか楽しいじゃないか。

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●詳しくはコチラ。「渋谷区立代々木ポニー公園」
 http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/ponypark.html

●特に土日祝の午前中は、イロイロな内容がコンパクトに凝縮されている。カゾク全員早起きして10時に現場へ到着した。大小さまざまなポニーちゃんが登場。ポニーといっても、大きさはマチマチなんだなあ。

●まずは、ポニーちゃんのブラッシングから。係のお姉さんが優しく付き添ってくれる。ブラシを取って、ポニーちゃんのオナカをナデナデ。ポニーちゃんはオトナシくて、カワイらしい。ヒヨコご満悦。

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●そして乗馬。「引き馬乗馬」っていうらしい。競馬で言うトコロのパドックみたいな場所を2周回ってくれる。親は外から眺めるだけだが、若いスタッフさんが2人ついてくれてて、コドモは皆不安がることなく乗馬を楽しむ。全部で20人程度しかいないから、乗りたいと思って列に並べばすぐ順番は回ってくる。1人三回までって決まりがあるけどね。

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●この白と黒のポニーちゃんは「アラレちゃん」というらしい。ヒヨコ、乗ってみてどうだった?「なんかね…ポクポクしてた!」7頭ほどいるポニーにはゼンブ名前がつけられている。「クリームちゃん」「ミルクちゃん」などなどカワイい名前。しかしナゼか一頭だけ渋い名前のウマが。その名は「谷村さん」。なぜいきなりリアリズム?

●ノマド、公園の隅にある厩舎の前でとある物体を発見。「え、なにコレ?ウンコ?」匂いを嗅いで確認してみればイイ。「くせーっ!」ノマドはおウマさんたちが人目を憚らず豪快に排泄するのに感動していた。「オシッコ多過ぎ!水たまりみたいになった…あ!ソレを踏んでる!」そりゃウマはそんなの気にしないだろう。

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●そして、シメはニンジンタイム。家からニンジンを持ってくれば、ソレを食べさせることができる。ワイフ「実はニンゲンのよりイイヤツ買っちゃった。有機農法のヤツ。安物じゃ申し訳ない気がして」それを見てノマド「なんかこのニンジンうまそう」じゃあちょっと食ってみたらイイだろう。そんでノマド、ニンジンの先っぽをカリッ。どうだ?「んー、なんかちょっとおいしい」じゃあソレを食べてもらえ。

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●ポニー公園の事務所のような場所では、ポニーの絵を描くことができた。色エンピツいっぱいと紙。せっかくだからおウマさんを描いてみろよ。

ヒヨコのドローイング。ヒヨコを乗せてくれたポニー・アラレちゃんのカラーリングを、それなりに忠実に再現しようとしました。

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ノマドのドローイング。この男はヒネクレモノなので、フツウのウマが描けない。むしろ事務所の中に貼ってあったウマの骨格図に夢中になり、その図をがんばって写し取ってた。

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「シッポまで骨がとおってるんだぜ!でもニクはあまりない!」そうなんだ…なんか原始人の遺した石窟絵画にも見える。ちょっとくらい肉の部分も描いてやったらどうだろう?「かかない!骨だけ!」そしてヤツは蹄の裏の図解をシゲシゲと眺めながら「スゲエ、アシのウラは凸凹してるんだあ」と1人感心してた。

●帰りは、代々木公園の広場にたちよってみた。ノマド「あのさー、オレ、いちどココでねっコロガってみたかったんだよねー!」芝生を満喫する兄妹。客観的に見るとなんかマヌケ。

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「代々木ポニー公園」で薄くかかってたBGMは、「ハウルの動く城」のテーマ「人生はメリーゴーランド」だった。なるほど確かにコレはメリーゴーランドだ。おウマに乗ってくるくる回る。実に趣味がイイね。多分コレは DAISHI DANCE のハウスアレンジバージョンだ。細かい配慮とコダワリが素敵だと素朴に思った。
DAISHI DANCE「THE ジブリ SET」
(DAISHI DANCE「THE ジブリ SET」2008年)




その後ボクは一人で参宮橋に残り、村上春樹「1Q84」を読んでた。

村上春樹「1Q84 BOOK3」

村上春樹「1Q84 BOOK3」
●結果、読了しました。……あースゴくナマイキなコト言ってイイですか?……2巻で終わってた方がよかったかも。ソッチの方が潔いのでは?ボクとしてはアレで十分な説得力があったし。3巻の印象を率直に言えば、延長戦に突入して中継時間も伸びたのに、意に反してアッサリ試合が終わってしまい、伸ばした分の中継時間をムダなインタビューやハイライトの再放送でなんとか埋めた感じというか…ソコまでいうとヒド過ぎるか。でもまーイイや。ナイスハッピーエンドだもん。2巻で終わってたら主人公当事者としてはカワイソウだったとは思う。3巻があった方が幸せな幕引きだ。

2人の主人公・天吾と青豆は、小学生のクラスメートだった。そして20年の時を超えてもう一度、お互いの運命を絡み合わせて行く。小学生時代の記憶や感情が、その後の二十年を決めてしまうほど強いだなんてコトがあるだろうか?でもニンゲン誰しも小学生時代/少年時代の楽しい記憶の、2コや3コを大事にしてるモンだと思う。かく言うボクだって多少はあります。個人的に言えば、ビョウキで仕事を休んでた時に人生全般を最初からプレイバックさせられるような場面があった。オマケに言えば、ボクの小学生時代は、目一杯プレイバックをしてもろくなモンがでてこない暗黒時代だったと思いもした。それでも!ほんのチョッピリはイイ思い出もありましたよ。ただボクの場合、人間関係が完全に断線してるので、その記憶を共有できる人が100%いない。コレを回復できたらどんなにイイコトか。みんなごく普通に「実家」とか「地元」とか「田舎」っていうじゃない?そこに行けば古い友人やお節介な親類や顔見知りのお隣さんがいるワケだ。しかしボクにはそういうバショがないのです。素朴にウラヤマしいと思う。

そんなボクの所に、ごく最近、小学校のクラスメートが連絡をよこしてきた。25年もの間、没交渉だった人ですわ。超ビックリしました、だって年月の隔たりだけで言ったら天吾&青豆以上だもん。それこそ2Q1Q年からやって来たかのような非現実感。先方にしてもそうだと思う。そんでアレコレの啓示をいただきました。「参宮橋」がイイ所だとか、黒柳徹子がスゴいとか。それだけじゃないけど。


黒柳徹子さんは、自分の小学校時代を実に詳細に覚えている。

黒柳徹子「窓際のトットちゃん」

黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」
「徹子の部屋」は放送開始35周年を迎えたという。この前ゴールデンで特番やってたモンね。「アメトーーク」黒柳徹子再評価を促した雨上がり決死隊も出演してた。ココまで来るともはやテレビ界の「生きた化石」ねシーラカンスねリヴィングレジェンドねスゴいよ徹子さん。あのタマネギ頭は、LADY GAGA 級のヒップ&キッチュなファッションではなかろうかと、真剣に考えてる(マジマジと見るとホントに不思議だ一体どんな構造になってる?)。実際彼女は GAGA に匹敵するトリックスターでもある。GAGA とちがうのは、戦略的トリックスターなのではなく、超天然的トリックスターだってコト。だから「芸人潰し」と畏怖される。
黒柳徹子さんは、現在76歳、1933年生まれ。計算すれば、小学生時代を送ったのは1939年~1945年のコトだ。つまり第二次世界大戦ど真ん中。そんなケッタイな時代にビックリするほど飛び抜けたリベラル教育を受けて彼女は育ったのでした。「トットちゃん」は彼女の少女時代そのものでありまして、「トットちゃん」が通う「トモエ学園」も実在の学校だったといいます。無邪気なトットちゃんの天真爛漫生活をつづるコトで、このハイパーリベラルな教育方針を持っていたトモエ学園と校長の小林宗作先生をリスペクトするのがこの本の目的のようです。
「トモエ学園」は、トットちゃんのように集団生活に馴染めない問題児や、障害を持つ子を一手に引き受ける学校だった。そして彼らの個性と自主性を最大限に伸ばすコトを目的に全てのカリキュラムを組んでる学校だった。…カリキュラムなんてないのかも。だって時間割の感覚もなく、子供たちは好きな科目を全て自分の自由な判断で自習して行くのだから。アイディアをタップリ盛り込んだユニークな課外活動が沢山出てくる。リトミック運動を日本で初めて児童教育に導入するなど、最先端の教育理論に裏打ちされてもいた。……戦時下においてこんな珍妙な学校を運営するのはかなりタフだったに違いない。小林校長先生はそんな苦労を子供たちには露も感じさせないのだけど。
小林先生が特に注目していたコトは、子供たちの自尊心だ。障害を持った子が自分の身体にコンプレックスを持つコトのないように、運動会の競技まで注意深くデザインし直してしまうコダワリようだ。そして生来のトラブルメイカートットちゃんに何回も言い含める。「きみはほんとうはいい子なんだよ!」「そうです!私はいい子です!」不思議な学校「トモエ学園」はとびっきりの自由を子供に用意したが、それはタダのアナーキーじゃない。自尊心へと結実するために用意された自由だ。ココがポイントだ。


我が子ノマドヒヨコは「ゆとり教育」反動の時代を生きることになる。
●戦後65年が経過、教育に対するアプローチは一通りゼンブ出尽くしちゃった感がある。様々なオルタナティブ教育が提案され、しかし今なお「お受験」教育も盛ん。「ゆとり教育」が円周率を3にしたが、それももうオシマイになる。教育行政は右に左に振れながら、一巡してしまったみたいだ。これから先はどうなるんだろう?
●親がホンキで望めば(そして大金を積めば)、フリースクールでもインターナショナルスクールでも有名私大の付属学校でも何でも行かせるコトができる。語学、音楽、スポーツから、ヒップホップダンスにフィギュアスケートなどなど、ナンでもカンでもが、特殊な英才教育で身につけさせるコトができる。しかし「何でも選べる」ってコトは「何かを選ばないとイケナイ」というコトでもある。「学校行って先生の言うコトちゃんと聞いてなさい」で済んだ牧歌的時代は終わってしまった。実にヤヤコしい。
●オマケにヤヤコシイのは、変化と多様性のこの時代において、コドモにどんな機能をインストールしたらイイのか全然わからないコトだ。ゴルフを教えれば石川遼くんみたいになるか?フィギュアを教えれば浅田真央ちゃんになれるか?ボクシングを教えれば亀田三兄弟に(以下略)。司法試験に受かったって、医学部に進んだって先が読めない時代だ。大学院なんて行ったら就職では不利になる。語学や資格だけで食える時代でもない(アレ?ボク自身は語学も資格もないぞ?)。マジで戦略が読めない。

トットちゃん=黒柳徹子さんが、人生の勝ち組かどうかは微妙だ。娘ヒヨコがタマネギ頭になってボクにウレシいことはナニもない。LADY GAGA のご両親も、ブレイク以前の彼女がストリップで生計を立ててると聞いて顔すら見るのを拒んだそうだ。ブレイクした後の GAGA は全世界にスケールを広げて半裸で踊り続けてる。イイか悪いか、さてドッチ?
●しかし、彼女たちがマチガイなく立派なのは、自分自身で自分を取り巻く状況をデザインしてしまったというコトだ。テレビメディア黎明期において徹子さんは唯一無二のポジションを自ら作り出し、今なお置換の利かないキャラとして輝いている。著作「トットちゃん」のブレイクで活動の幅を広げ、ソコを足がかりにユニセフ親善大使に就任。単なるタレントとは別次元の領域まで自分を持ち上げて行った。その状況を結果として自分で作ってる。ソコがエラい。そんなセンスがトモエ学園で身についたとするならソコが最大の教訓になる。
●今の時代を生きるノマドヒヨコに必要なのは、沢山のスキルを山ほど埋め込んでおくコトではない気がする。「ゆとり」反動「詰め込み」再来と同義に聞こえるが、「詰め込む」内容自体には意味がないと思う。詰め込んだモノを如何に自分の武器として有効に使えるか?が問題だ。親として身につけさせたいのは、この自分の持てるモノを有効に使うセンス、そして自分を囲む状況を自分でデザインするセンスだ。そのセンスさえあれば、自分に必要なスキルがなんなのかコドモは自分で探知する。
●そしてそのセンスを身につける上で一番重要なコトは、自分を信じる才能だ。「私はいい子です!」トットちゃんはソレを信じて疑わなかったし、小林宗作先生はソレをみっちりと教え込んでいた。そんな自尊心がドコかで勇気を奮い立たせる。未知の領域に突入しようともブレない自分を維持出来る。総理大臣だってブレブレになる時代だ、そしてボク自身もブレブレだ。どうやったらコドモたちに「私はいい子です!」と確信出来るようにさせられるだろう。


実は、長男ノマドが「トットちゃん」を知っていた。
●去年の担任の先生が「トットちゃん」の読み聴かせをしてくれていたという。あらあの先生、粋なコトしてたんだねえ。「トットちゃん」小林宗作先生の遺伝子は今なおリアルな教育現場にジワリと浸透してるわけだ、戦後教育史を織り成す無数のレイヤーの1つとして。
●で、ノマドはどんな話を覚えてるんだ?「えーとね、トイレのキタナい所にまちがって飛び込んだとか」実に小学生らしい着眼点だノマド。「あと、マドからナントカ屋さんに声かけてオオサワギになるとか」ソレはチンドン屋って言うんだオマエは見たコトないけどな。「イヌが死んじゃったのにお母さんがウソついて「いなくなった」っていった」悲しいおハナシも覚えてるのね。「サイゴはガッコウが燃えて校長先生とサヨウナラになる!」そう、空襲で焼かれちゃうんだよね。大人になったらもう一度ジブンで読んでみな。
●そんなノマドに「徹子の部屋」特番を見せたのです。これがリアルトットちゃんなんだよ。いわさきちひろのイラストレーションで飾られたかわいらしいトットちゃんも、70年の歳月が経つとこうなるのです。「えーこの人がトットちゃんなの?!」でもよくみるとオモシロい人だろ。「うん!」……多分パパが予想するにはだな、トットちゃんは小学生当時だっていわさきちひろのような淡い水彩の雰囲気じゃなかったと思うんだ。むしろもっとドギツイ原色使いで描かれるべき、強烈なオンナノコだったと思うね。


「崖の上のポニョ」で、ラーメンを食べるシーンがあるコト。覚えてますか?
●人間のオンナノコになって、宗介に会いにきたポニョ。嵐を巻き起こして宗介の家にたどり着いたポニョは、宗介のお母さんリサに夕ごはんとしてチキンラーメンをごちそうしてもらう。コレがホカホカでとても美味しそう。「ヒヨコ、このラーメンたべたい!」

だから、我が家で、そのチキンラーメンを再現してみた。

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ポニョの大好きなハムを乗せ、ネギを刻んで、ユデタマゴも添えました。
●コドモたちもテンション上がります!

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しかし、元来食べるのが遅いヒヨコがパニックに陥る。
チキンラーメンって、冷静に考えると、お湯を素早く吸い込むコトでカリカリから美味しくなるモンじゃないですか。従って、ノビるスピードも速いワケですわ。「ハムからたべよーかな?、タマゴからたべよーかな?」とかヒヨコがムダ口こいてる間に、爆発的に膨張するのですよ麺が!
●結果、食べても食べても量が減らない。むしろ増えていく!これをドラえもんに喩えると、ひみつ道具「バイバイン」で無限増殖するクリまんじゅう、みたいな恐怖なワケですよ。「ラーメンなくならない!こわい!」
●いいからビビってナイで、早く食べなさい。ポニョも食べたんだから。ヒヨコ「でも、ポニョはとちゅうでねちゃったんだよ!サイゴまでたべてない!」確かにその通り。よく覚えてるね。結局ボクが半分以上食べてあげた。結果、チキンラーメン「恐怖のラーメン」としてヒヨコの脳みそにインプットされることになった。


我慢できずに、とうとう買っちゃったよ。ヤナーチェック。

GEORGE SZELL : THE CLEVELAND ORCHESTRA「BARTOK CONCERTO FOR CORCHESTRA JANACEK SINFONIETTA」

GEORGE SZELL / THE CLEVELAND ORCHESTRA「BARTOK: CONCERTO FOR CORCHESTRA / JANACEK: SINFONIETTA」1966年
村上春樹「1Q84」に登場する、チェコの音楽。1926年で作られた音楽。物語の冒頭、青豆さんがタクシーの中で聴く音楽。

「その音楽は青豆に、ねじれに似た奇妙な感覚をもたらした。痛みや不快さはそこにはない。ただ身体のすべての組成がじわじわと物理的に絞り上げられているような感じがあるだけだ。青豆にはわけがわからなかった。「シンフォニエッタ」という音楽が私にこの不可解な感覚をもたらしているのだろうか。」

もっと陰鬱で、不吉な音楽をイメージしてたよ。でも、そうでもなかった。
●クラシック音楽は、ボクにとって完全にアウェーなので、善し悪しは全然わからない。ただ第一印象だけで言えば「あるスポーツ大会のために作られた」って村上春樹が書いてただけあって、華々しいファンファーレが次から次へと花火のように打ち上がる音楽。でもなーんかしっくり来ない違和感はある。微妙な加減で不協和音が仕込んである。時々、因習深い中部ヨーロッパの民謡を連想させるようなフレーズも登場してくる。
●もう一人の主人公・天吾くんは高校時代にティンパニ奏者としてこの曲を演奏したという。小説で説明されてたように、複雑なリズムでツカミドコロがよく分からない。クラシックはボクの好きなポップミュージックほど親切ではないんだな。コイツをステレオで鳴らしてると、ワイフは身悶えする。「うるさいから、もう聴かないで!」
●レコ屋には、小澤征爾が指揮した「シンフォニエッタ」もあった。でも小説に出てくるのはこのジョージ・セルという人の「シンフォニエッタ」だ。ココは厳密にいこう。一緒に収録されてるバルトークはまだ聴いてない。バルトークも聴くのに覚悟がいる音楽家だってハナシだから。

「1Q84」は目下読書中。1巻から読み返してるから時間がかかる。