●こたつで居眠りしてしまうと、カラダがダルくなるね…。電子レンジでチンされて細胞がグズグズになってしまうようだ。


●この前、映画業界で働くセンパイと食事した時。「ツイッターってのはその人にとって都合のイイ現実を見せてくれるメディアだからね。気を付けた方がイイよ」と言われた。コレが最近気になって、胸の中でチクチクしてる。
●じゃあ「ノルウェイの森」はボクのタイムラインじゃ大評判なんですけど、実はそうじゃないんですか?「興行収入じゃ苦戦してるらしいよ。ビートルズの楽曲使用だけで億の単位のカネがかかってるからね」キムタク「ヤマト」は評判悪かったんですけど。「そんなに失敗しなかったってハナシだよ。確かにリアルヤマト世代には受けが悪かったけど」そうなのか……。オマエのタイムラインは大分ひねくれてるんだろうよーとセンパイには冷やかされた。
●とは言いながら「YAHOO映画」の評価はとても気にしてるらしい。アソコの評価は興行成績と全然シンクロしないんだけど、ナニゲに影響しちゃう部分もあるそうで。アソコに書き込みをする人(必ずしも映画マニアではないらしい)に響くようなマーケティングってどうやったらできるんだろうな?って考えてるという。


●でもね、ボクはボクのタイムラインを信用して、この映画を観に行った。

「ハーブ&ドロシー」

「ハーブ&ドロシー」
●郵便局勤務の夫・ハーブと図書館司書の妻・ドロシーが、つつましいアパートの中にコツコツと買い集めた美術作品が、たまりたまって現代美術の一大コレクションになってしまった。日本人のディレクターがそんな老夫婦に密着したドキュメンタリー。
村上隆氏がその著書とかで説明しているように、現代美術のコレクターは基本的に超大金持ち。社会的成功を示すステータスとして、節税対策として、投機対象として、アレコレの事情で、ありあまるオカネをアートに使う。一般市民には想像もつかない世界のはずでした。しかしこの夫婦はその常識を覆す。ちっこいアパートの借家住まい、フツウの仕事のフツウのお給料だけで、4000点以上の作品を収集した。彼らのルールはシンプル。「自分たちのお給料で買える値段であること&アパートに収まるサイズであること」
●でもそれだけじゃコレクションは成り立たない。60年代からこの夫婦はニューヨークのアートシーンにピットリと寄添い、無名で貧しいアーティストたちと真剣に付き合った。アーティスト自身と語り合い、彼が何を作って来てこれから何を作っていくのか深く理解しようとした。そのためならば、作品以前の、アトリエの床に落ちてたゴミのようなモノまで「コレを買う!」と主張した。結果30カ所ものギャラリーを巡って新しい作品をチェックした。この果てしない貪欲さと勤勉さが周囲の尊敬を勝ち得た。大物アーティストが彼らに敬意を払う。
●加えてスゴいのが、彼らはその収集した作品を絶対に転売しないこと。今となっては巨匠となった作家の作品を売却すれば彼らは豪邸で生活できる。でもソレをしない。結局全てを美術館に寄贈しちゃった。彼らにとって本当にオカネは関係ないのだ。美術に対する情熱に見返りは必要ないのだ。
●ただし、この映画をすごくチャーミングにしているのは、この夫婦がとてもカワイいコトだね。生活の全てを美術に捧げてバカンスも贅沢もしない。だから夫婦はいつも一緒。結婚して45年間、一緒にいなかったのは片手で数える程度。お互いをホントに慈しみ合ってる感じがとても愛らしい。客席から度々クスクス笑いが出てきてしまうのは、そんなキュートさにココロ緩むからだろうな。人生の最後はあんな感じで暮らしていたいもんだ。



●そうだ、先週、さんのファーストライブを観に行ったんだ。

杏ミニアルバム「LIGHTS」

●女優/モデルとして活躍するさんがミニアルバム「LIGHTS」で歌手デビュー、ってコトはこのブログでも紹介しました。それに関連して雑誌「BARF OUT」 SWATCH のコラボイベントとして彼女の初めてのライブが銀座ニコラスGハイエックセンターで行われたのでした。ギターとキーボードという最小限のセット、会場もコジンマリと落ち着いた空間で、なんだかアットホームな雰囲気。さんご本人も気負いなくリラックスしたパフォーマンスを見せてくれたのです。
●特に興味深かったのが、クリスマスにちなんで披露されたイエスキリストの聖誕劇。杏さんはミッション系の学校で聖歌隊に所属してた経験があるそうで、クリスマスの聖誕劇は馴染み深いものなんだそうです。そこで、カワイらしい影絵劇に合わせてさんが賛美歌を歌うとな。別にキリスト教徒でもないボクですが、素朴で澄み切ったさんの声に、ああクリスマスってホントはステキなもんなんだなあとジンワリ思い知ったのでした。イエスに限らず、全ての赤ちゃんがあんな風に祝福されてこの世に生まれてくるのなら、なんてステキなことだろう。


●そんなクリスマスの厳粛な気分の中で聴いてたモノは。

THE BAND「MUSIC FROM BIG PINK」

THE BAND「MUSIC FROM BIG PINK」1968年
●この渋い渋いフォークロックが、クリスマスに相応しいかというと全然自信がないが、なんだか厳粛な気分にさせられる圧力を持つ音源なのです。クリスマスセールの300円という激安価格で買ったのに、ことのほか迫力があってビックリ。「ザ・バンド」と名乗っちゃう段階で、なんて大雑把で直球勝負なのだろうか、と思ってしまう。しかもコレは彼らのデビューアルバムですよ、きっと彼らもまだ若造なのですよ。なのに特殊な風格がある。その根拠はなんなのだろう?
●細かいハナシですがこのバンド、ピアノ奏者とキーボード奏者がそれぞれ別々にいるのですよ。ボクが好きなのは「CHEST FEVER」という曲。イントロはオルガンが重苦しいソロプレイをドスーンと披露して、そこからリフが始まる。ここにホンキートンクなピアノが絡み付く。ナニゲにこのピアノ&オルガンの合体技が効きまくってる。音響に意外なほどの奥行きを作ってる。もちろんギタープレイも極上。そして塩辛いボーカル。ジワジワとせり上がるテンションが実にクール。
●そして数々のアーティストにカバーされ、映画「イージーライダー」にも使われた名曲「THE WEIGHT」。いいアンバイのクタビレ加減が実に渋い。コッチも大分クタビレてるからね、痛む骨身に実に優しく響く。コドモと一緒に聴くモンじゃない、一人で夜中に聴くモンだね。
●彼らには、フォークロック期に突入する時代の BOB DYLAN のバックバンドを務めてたという前歴がある。このアルバムの制作直前も BOB DYLAN と一緒にデモを録ってて、後に BOB DYLAN の作品としてリリースされてしまうほどだ。ウッドストックワイト島のロックフェスにも DYLAN と共に参加してる。だからこのアルバムには BOB DYLAN の提供楽曲が3曲も収録されてる。そこまで信頼されてるってのもスゴいコトだよね。

250px-The_Big_Pink_(crop).jpg(これが「BIG PINK」です)

●アルバムタイトルにある「BIG PINK」ってのはウッドストック近郊にある建物の名前。ホントにピンク色の一軒家なのだが、ココに籠って彼らは曲を書いた。現在もこの建物は所有者を変えながらしっかり残ってて、当時と同じくピンク色らしい。


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●ふー。正月休み突入。

●今月は、半分徹夜のような状況で働く場面もあって…今月だけで2回ですよ。終電過ぎてタクシー帰宅そして始発を待たずタクシー出勤。タッチ&ゴーで出撃する戦闘機みたい。しかも心の準備もないまま突発事態にのみこまれるようなカッコで。ビョウキになってからは当然初めてのコト。うわー久しぶりだなー思いっきりしんどかったけど。
●でも昔は徹夜も20時間労働も平気にこなしてたんだよね。ボクはうつ病を患う以前は、そりゃモーレツなワーカホリックだったんです。常規を逸した働き方をしてた、だからビョウキになったんだけど。特殊な高揚感があったのは強く覚えています。大変だったけど、仕事が面白かったというか。
●そんな記憶を辿りたくて、実はここ最近は、ジブンのブログの過去の記事を読み返して過ごしてました。他のトコロで上げてた記事をこの FC2 のブログにも再録したりして。2004年~2005年あたりの古い記事が新たにアップされました。2003年の最古の部分は作業中。
●なんでそんなコトしてたのか?うーん実は最近仕事へのモチベーションをうまく保つことができなくて。ボク自身の健康の部分以外のトコロを含めて、アレコレギクシャクしてる。人間関係はボチボチ良好だけど、とにかく先行きが不透明すぎて。その状況に戸惑ってるのかな。 来年は、その不透明さも引っ括めて、仕事を楽しめるトコロまで持っていきたい、と思ってる。


●そしてアレコレ本を読んでたんだな。

「図説中国文明史5魏晋南北朝~融合する文明」

「図説中国文明史5魏晋南北朝~融合する文明」
●カイシャのボスたちが、とある中国人経営者の講演会に行って来たらしい。どんな人がどんなコトを言ったのか詳細はワカラナイケド、ボスたちは少々憮然として帰ってきた。「日本人はとても優秀な職人です。実に立派な製品を作る。だから、商売のコトは全部中国人に任せてくださいな。商売はワタシたち中国人の方が長けてますから」そんなコトを言われてしまったらしい。ボス「全くご立派なことだよ」ほえースゴいですね。
● まー全世界を股にかける華僑のネットワークと、アウェイの文化のただ中にありながらアイデンティティを失わない根性はやっぱ立派だと思う。でもさ、あの中国大陸に住んでる13億人のニンゲンが全員タフな商売人とは思えないよね。あの巨大な領域国家の中には、様々な土地に様々な文化と風土があって、違う気質と思考を持つ人々が住んでると思うのです。香港と台湾と上海ですら違う言葉と違う歴史を持ってるんでしょ。面積で考えれば、アメリカ50州、全ヨーロッパ以上の多様性を持ってても不思議じゃないよね。
「図説中国文明史」シリーズはボクがちょっとづつ読み進めてる中国の歴史書。ポイントは著者が中国人であるコトと、単純な編年体で政権の推移を追うのではなく、たくさんの図説と写真で文化史を追っていくコト。中国人自身が自分たちの歴史をどう捉えてるのか低いバイアスで捉えることができるし、ビジュアルに現れる多様性にも触れることができる。この5巻は、紀元2世紀~6世紀の時代を取り扱ってる。三国志の時代からそこに端を発する大分裂時代。あの三国志は単純に英雄武将の群雄割拠を描いただけじゃなくて、そこから400年にもわたる激しい大分裂時代の入り口にあった物語だったんですね。中華文明は中央政権を失って北方異民族の猛攻を受ける。五胡十六国時代~南北朝時代を経て、複数の文化センターが出来、文明の多様化が起こる。北方蛮族は侵略を経て文明化し、その圧力で南下した漢民族は新しい土地を文明化する。シルクロード経由で西方の文化が流入し、仏教がやってくる。この時代の影響が現代中国人に残ってるかというとギモンだけど、同時期のヨーロッパではローマ帝国が瓦解しヨーロッパの元型が形成され始めるのだから、大きな意味があると思うのです。
●今ボクらがニュースで見てる中国人イメージって、乱暴なステロタイプになってしまいそうでコワい。巡視艇に体当たりする船長とか反日デモを煽る過激派学生とか。確かにそんな連中も実際目立つ!でも、あの巨大な国の中にあるかもしれない深い多様性について想像力の幅を持たせておくコトは、ナニかを見誤らないためのストッパーになるような気がする。

女工哀歌

●DVD「女工哀歌(エレジー)」
●コレ、このブログで紹介したつもりになってたんだけど…検索しても出てこないから勘違いしたかな。アメリカのドキュメンタリー監督が、中国のジーンズ工場で働く少女たちの生活を取材した作品。彼女たちはふと思う。「こんなに大きなウエストのジーパンは一体どんな人がはくんだろう?」肥満体のアメリカ人向けXXXXXLサイズのジーパンなんて小柄な中国人少女二三人分ほどの大きさになるね。
●ティーンの少女が故郷を遠く離れ、都会の工場で12~15時間労働をサヴァイブする。彼女の世界は、ホコリだらけの工場とそこに併設された宿舎アパートの4人部屋。月に一度だけの休みを、同僚と繁華街をウロウロするのが唯一の楽しみ。お買い物するオカネはない。滋養に効く薬膳ドリンクを露店で飲むだけ。社長は納期が迫る度にピリピリして、厳しい罰則を子細に定めて給与を削り取るコトに必死。歯向かうコトなんてできないだって社長はこの町の警察官僚OBで、誰も逆らえないから。
●彼女は尖閣諸島なんて場所も名前も知らないだろう。海すら肉眼で見たことがないかも知れない。多分中国の国家元首のカオも知らないだろう。彼女はPCも携帯電話も持ってない。都会から汽車&バスで3日かかる彼女の故郷は電気も通ってない。巨大な共産主義国家の凶暴な資本主義が彼女の生活をペチャンコにしてるけど(しかもソレはボクらの街にやってくる低価格ファストファッションに直結してる)、周りを見たってペチャンコになってない人間がいないからソレがどれだけ理不尽な搾取かよくわからない。コレがホントの一般的な中国人なんじゃないかな。このままだと彼女たちにボクが直接会うことはないかもしれないけど、もし出会うことがあるならよいトモダチになれるように振る舞いたいと思う。

マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年

「マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年」
●中国の古代史から韓国の現代史へ。「コバウおじさん」ってのは1950年から2000年まで連載が続いた新聞の四コママンガ。このちっちゃな頑固オヤジの視点から世間をチクリと皮肉るこのマンガを通じて韓国戦後史を読もうというテーマのホンです。中国も目覚ましく変化した国でしょうけど、20世紀後半で韓国も激しく変化したのでした。
●だってあの国が本格的に民主化したのは80年代後半で、ソレ以前はクーデター&暗殺アリの軍事政権だもんね。100%の文民出身大統領は1996年就任の金泳三までいかないといないのです。だからね、実は現代韓国社会の中枢を担ってる世代(50歳前後)って若い頃に民主化の激動を経験した世代、なんとなくタフだってのは理解できるのです。日本がバブル経済で沸き立ってた頃とは状況がチガウ。そこが今の韓国企業の躍進のヒミツだったりして。

KARA「KARA BEST 2007-2010」

KARA「KARA BEST 2007-2010」
●とはイイながらも、韓国と日本の奇妙なシンクロってのはマチガイなくあるような気がして。今年のジェイポップ市場を席巻した韓国アーティストが、ビックリするほど日本市場にシンクロしてたってのが特に印象深かった。こちらガールズグループ KARA のベスト盤、収録曲は全部韓国市場で発表されたオリジナルバージョン、もちろん韓国語リリックで、韓国でヒットすべくマーケティングされてるはずの楽曲なのに、めっちゃ日本市場にフィットした作りになってるのはナゼか?!ウチのコドモがもう勝手に口ずさむほどに浸透力も高い!
●R&B っぽいパッケージを施しておきながら、速め設定のテンポ感は国籍不明のダンスポップで、実はアメリカの現行シーンとはほぼ無縁。アメリカの R&B に憧れを抱きながら、実はその R&B 解釈がガラパゴス的特異進化を遂げているジェイポップ市場の畸形ぶりと、2010年に渡来したKポップはシンクロ率がめっちゃ高いのです。韓国芸能界が日本市場に侵略してきたと見る「外圧」視点じゃなくて、生き別れの双子のように日韓の嗜好が無意識下でシンクロしてしまってると思う方がずっとオモシロいと思う。
●ちなみに韓国が日本のポップカルチャーを模倣してるって段階はとっくのムカシに終わってるとボクは思ってます…日本と同じくらい(かソレ以上に)直接的にアメリカ文化と向き合ってるし、その影響を自国の文化にキチンと消化してるような気がする。代表的なアイドルグループにはほぼもれなくアメリカからの帰国子女(または直球で米国籍)が混じってるしね。00年代以降の日韓はもっとシンクロしながら市場融合して新しいコンテンツを発信できるといいですね。


●マンガマンガ。

諫山創「進撃の巨人」3巻

諫山創「進撃の巨人」2~3巻
このマンガがスゴい2011オトコ編第一位!おめでとうございます。圧倒的に画がヘタクソでデッサンが崩れまくってるトコロが、そのまま「巨人」の不気味な暴力描写にスゴミを与えててタマラナイです。
●そしてある意味で端的に現代日本社会を象徴するかのような厭世観が貫かれてるトコロもよし。同僚戦友がアタマからバリバリと巨人に補食される光景を見て少年兵が心で叫ぶモノローグ「地獄だ…イヤ…地獄になったんじゃない。今まで勘違いをしていただけだ。最初からこの世界は地獄だ。強い者が弱い者を食らう。親切なほど分かりやすい世界…」既存の成功モデルが全部破綻して、信じるべきルールを見失ってしまった日本社会は、ある意味のアナーキー状態になってて、単純化すればアフリカのサバンナと同じ弱肉強食論理まで思考が垂直落下する。二十代前半だという若い作者から見れば、食人巨人が闊歩する創作世界と先行き不安定な日本社会は実はまるで同質。黙ってたら食われるだけ、黙ってなくても食われるかも、って危機的ジリ貧まで追い込まれてる気分は、マンガの中も外も変わらないのかもしれない。
●そんな絶望は息子ノマド9歳にはまだ早かろうと思い、読まれないようにマンガを隠してたのだが、先日「オレこれ読んだよ!お母さんが巨人にガブッと食べられちゃうオハナシでしょ!」と明るく報告された。…パパのマンガ勝手に読むなよ。まーそうやって親のモノ隠れて読んだり聴いたりしてコイツはコイツで自分の世界観を作っていくのか。ヒヨコの方は「パパこれ怖いハナシ?とっても気になるー!」と言いながら最後まで手をつけない素直さがあるけどね。



●ヒヨコが読んでた「天使のかいかた」はコチラの本でした。

天使のかいかた

なかがわちひろ「天使のかいかた」
●こういう本を図書室から選んでくるヒヨコのセンスをウレシく思ったのでした。パパも読ませてもらったよ。とっても楽しい話だったよ。

今年も我が家にはちゃんとサンタさんが来てくれました。

今年も我が家にはちゃんとサンタさんが来てくれました。

●ノマドがサンタさんにもらったもの。ベイブレード「究極改造セットペルセウスver.」
●ヒヨコがサンタさんにもらったもの。ローラー付きスニーカー「ヒーリーズ」
●ヒヨコがイブの晩に用意した生ニンジン二本。トナカイさんへの差し入れです。翌朝には齧られていました。サンタさんへのチョコレートも、なくなってました。


「ねえパパ。天使ってどんなカンジ?」と娘ヒヨコに聞かれた。
●質問の意味が全然わからない……ので、素の率直な印象で応えてしまった。「うーん。パパはね、ヒヨコさんがそのまま天使みたいだと思うよ」一拍の沈黙。アレ?なんかシッパイした?「えーとえーとね、アタシはね、キンパツで外人さんでハダカンボのアカちゃんに羽根がついた感じだと思うの」あー森永のエンゼルマーク的な?あとキューピーちゃん的な?
●その後ワイフに相談してみた。ヒヨコに天使のコト聞かれて、ヒヨコ自身が天使みたいだって応えたんだけどさ…コレもしかしてアレだった?ワイフ「そうねヒクわソレ」やっぱそうだよねあの一拍の沈黙ってそういう意味だよね。ワイフ「でもヒヨコ気を使ってナニも言わないでしょ」そうなんだよねーヒヨコ天然のクセして結構空気読んでるからね。パパがバッチイ生き物に見えるまであともう少しだから、言動には十分気をつけるべし、とワイフに強くアドバイスされた。
●あ、ヒヨコが天使を気にしてるのは「天使の飼い方」的なホンを図書室から借りて来たかららしい。そのホンによると天使は川原で獲れるモノらしい。「こびとづかん」っぽいな。ノマドは先日社会科見学で等々力渓谷に行って「アソコこびとがマジで住んでそう!もう一度行きたい!」と言ってた。

ヒヨコと「坊主めくり」をする。
●百人一首ではかるた遊びではなくもっぱら「坊主めくり」ばかりやりたがるヒヨコ小学二年生。父娘で「ひめ!」「お坊さん!」「タダのおじさん」と楽しく遊ぶ昨今です。
「新マンガ日本史/小野小町」をヒヨコに買い与えてみました。小野小町って有名だけど、古今集などに遺る18首の和歌以外はナニも史料がナイ人物なのね。あとは全部伝説。小野妹子から繋がるインテリ家系の高偏差値美女だったと考えられてるけど、幸せな人生を送ったワケではなさそう。才色兼備と幸福度はシンクロしないってのは現代にも通じる感覚…?
140文字で価値ある発言を世に問うスキルを磨く2010年。1000年前の平安期は 5+7+5+7+7=31文字で恋愛も婚姻も全部決着つける時代だったワケで、コミュニケーションスキルの習得は何時の世も死活問題。ただ平安貴族の様子を見て知ったのは、コミュニケーションは文字の意味よりもメッセージを届けるタイミングこそ重要なのかも。遅くても早くてもダメ。多分ね、文字の内容以前にボク自身はメッセージ交換のタイミングに機微が全くなかったね。それを教わったわ平安時代に。

「新マンガ日本史/小野小町」

●…今週は140文字に不用心過ぎた大桃美代子さんが、麻木久美子さんと元ダンナを自爆テロで炎上させてしまったですね。今回の当時者は誰もがインテリ風キャラで売る芸風なのに、しかも立派な大人なのに、なんだか随分みっともない状況になってしまいました。
●ぶっちゃけ今回のケースは、ツイッターというニューメディアが媒介してたから、より一層マスコミ周辺が面白がれる環境になってしまったんだと思う。ユーチューブで流出した尖閣諸島の極秘映像しかり、ネットで起こった出来事をマスメディアが追いかけるという構図がワイドショーレベルまで浸透した年だったと、2010年は認識されるのでしょう。


コドモたちと最後の「M-1グランプリ」見てました。
スリムクラブ、スゴかったなあ。「この状況で民主党のこと考えてるの民主党にもいないよ!」ホントだよアンタ方が最終決戦にいる状況自体がスリルで、そこコミの俯瞰目線でツッコミを日本全国の全視聴者がしてたよ。大爆笑だったよ。そんなスゴミのあるロウファイ芸で準優勝まで食い込んじゃった。島田紳助さんから中田カウスさんまで推したもんね。危ない危ないドキドキヒヤヒヤだよ、10年かけて組み上げた、研鑽の上に研鑽を重ねる「M-1」的漫才美学のフォーマットが崩壊する寸前だったよ。
●うーん、敢えてアナーキーにスリムクラブ優勝でもよかった?次のディケイドへの新型フォーマットのために?笑いってそういうモンかも知れないけど、ちょっとアナーキー過ぎたよアウトサイダーアートっぽいんだよ。歯を食いしばって涙をこらえる他の芸人さんの表情が、笑いと別次元のレベルでスリムクラブを賞賛させないんだよー。ナイツ銀シャリのこなれた話芸がどんだけ訓練されたモノか考えるとね、アレコレ考えちゃうんだよん。

スリムクラブ

●あのボケの真栄田賢さん、早速ツイッターでフォローしちゃった。最初にアカウントを発見した時は200フォロー程度だったけど、現在はもう2000フォローを超えてます。


●うーん。なんか調子悪いなあ。明日で仕事納めだ。サクッと働こう。


ノマドヒヨコの百人一首。
●世田谷区の小学校には国語とは別に「日本語」という授業がありまして、そこでノマド小学三年生が百人一首のベンキョウを始めています……ボクが百人一首やったのは中学二年くらいの古文だったような気が?早いねえ。
●なので、最近の我が家では短歌の暗唱がアチコチで飛び交ってます。妹ヒヨコも、大学で国文学を専攻してたワイフも、ノマドにつきあって1000年前の和歌を諳んじてます。この際だからボクも覚えちゃおうか?

●ノマドの一番ダイスキな歌はコレ。

「このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに」

管家 a.k.a 菅原道真の歌です。ノマド「菅首相みたいな名前のヤツ」学問の神様なんだから無下にしないように。さてこの歌のドコが好きかって?一番最後の「まにまに」って音が好きなんだと。「まにまに」は確かにマニマニもにもにな感じタップリで愉快な気分になれるな。でもかるた遊びでこの歌を他人に取られると悔しくて泣き出すのはヤメて欲しい。

「たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ」

山部赤人。ノマドは田子の浦がドコにあるのか地図帳で確認。実は静岡県富士市の太平洋に面した海岸だ。ノマドいわく「このバショじゃ富士山と海を同時に見ることはできない!」富士山を前に見れば確かに海は背後になるね…しかも、大した内容じゃねえな田子の浦に来たら白い富士山に雪が降ってたってだけのハナシじゃないか。ただし平安時代においては、富士山は超辺境に位置するハイパースペクタクルな風景だったに違いないと思えば、現代における地球の裏側ギアナ高地の光景を伝えるような意味があったのかも知れない。

●ヒヨコは自発的に百人一首楽しんでます。

「はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」

小野小町のこの歌をメモしてトイレに貼付けてます。紫式部も覚えました。ヒヨコはキレイな絵札がただひたすらに好きなのです。女性が身につけてる衣装が好きなのです。貴人が座る畳のデザインが重要なのです。素っ気ない取り札ではなく、読み札だけが好きなのです。だからかるた遊びではひたすら読み手になりたがるのだけど、歌を読む前に「きゃーお姫様!」とか「チャイロの服のおぼうさんです」とかの印象報告が入ってしまいます。



ヒヨコとチャットモンチー・デート。
チャットモンチー「サンタが中野にキスをした。」@中野サンプラザ。に行ってきました。当初の予定では当然ボク一人で行こうと思ってた。でもソコにワイフの提案が。実はチャットモンチーは娘ヒヨコも大好きなバンド。あの印象的な声はヒヨコの声にも似ておりまして、彼女はカラオケで実に器用にチャットモンチーのウタを歌うのです。ヒヨコはこんな音楽がとっても好きだし、せっかくだから今回は父娘二人でコンサートに行ってきたら?とても楽しいわよ。うん、スゴくタノシいような気がする!小学二年生がロックコンサートと衝突する瞬間を眺めるって、素晴らしいと思う。
●実はロックのライブに興味津々なヒヨコ。彼女が暮らすシモキタザワの街はご存知の通りライブハウスがたくさんあるわけでして。フツウにサイゼリヤでメシを食ってるだけでも、階下の CLUB QUE からズンズン音が響いてくるのです。その度にヒヨコは「ずんずんしてる!ライブハウスいってみたいなあ~パパライブハウスってどんなトコロ?」と言うのです。下北沢シェルターの前にパンクキッズがタムロしてるのもヒヨコには日常の風景でありまして、その地下へ続く階段の先にスゴくオモシロい世界があると彼女は夢想しているのであります。で、チャットモンチーはこんだけブレイクした今日でもそんな下北沢シェルターに突然出演してしまうバンドでありまして。今回のライブは中野サンプラザということでホール級の座席指定(2階席)ではあるが、実は下北沢感覚と地続きと言えなくもない。
●コンサート前日。ヒヨコ「パパ、明日のライブは、ペンライトとか持ってくの?」ペンライトは…特に必要ないだろうな。「じゃあウチワとかは?」…それ、ジャニーズ系と混同してるだろ?しかし仕方ない、ヒヨコのクラスでは既にはじめジャニーズタレントのコンサートに行くような早熟なオンナノコもいるのだ(きっとお母さんの影響ね)。しかし今回はヒヨコ、オマエが行くのはロックコンサートなのだ!ライフハウスと違って大きなホールだけど、音がスゴくデカイぞ。ヒヨコが今想像しているデカイ音の100倍くらいデカい音が鳴るぞ。

●でね。結論から言うと、フツウのオンナノコと本気でデートするのと同じくらいガチで気を使った。中野までの移動で手をつないで人ゴミを避けてやったり、マックに入ればコートを脱がしてやったりバッグを預かってやったり紙ナプキンを用意してやったり、サンプラザでも自販機でお茶買って来たり、コンサート中もアレコレ声をかけてやったり。つーかこんなことワイフにもしたことないわマジで!うやうやしくレディ扱いしてしまったわ!
●前座の OKAMOTO'S も含め約3時間弱の内容、本来おフロ入って就寝する時間という状況で、ヒヨコ絶対途中でくたびれて寝ちゃったりするんじゃないかと思ってた。だってコイツ7歳だからね。ところが!彼女は最後まで8ビートのタテノリにカラダを揺すぶり、手を叩き、歌えるウタはシンガロングし続けた。OKAMOTO'S の荒っぽい演奏と今までの人生で遭遇したことのナイ大音量に一瞬だけたじろいたけど、やはり人生で初めて体験する美しいステージライティングに目を輝かせてその音楽体験にノメり込んでいった。「パパ、これじゃライトの電気代すごく高いよね!」

さて、正味の部分である、チャットモンチーのライブは。
●秋にリリースしたミニアルバム「AWA COME」以来、ワンマンのパフォーマンスは実はコレが初めて。その新譜を中心に、でも10年前の曲から3月にリリース予定の新曲まで内容十分の演奏を見せてくれました。…実はボク自身も生でチャットモンチーを観るのは初めて。想像していた以上にタフでエッジーなサウンド。サポートゼロのトリオだけで、ココまで分厚いガレージロックに仕上がってるコトに素朴に驚きました。強靭で正確なリズム隊に、メリハリのハッキリしたギター。カッコイイなあ!わー多少カラダに無理してでもこのコンサートに来てよかった!
●で、やっぱりイチバンの興味は橋本絵莉子さんのボーカルってわけで。あの個性的な声がどう機能するのか。CDとかでパッと聴きの印象では細くカワイイアニメ声。でもそうじゃない。あの声にガレージロックの圧力に負けない破壊力が宿る瞬間がある。このバンドのソングライターでもある彼女は、楽曲の中にキチンと爆弾を丁寧に仕掛けていて、アニメ声のようにチャーミングでありながらそのまま殺気漲るテンションにシフトチェンジする場面が準備されてる。コレが生だとより一層スゴミとして伝わって来てメチャスリリングだった。高域音をヒキムシるように叫ぶ橋本嬢にマジ感動。MCでも言葉数が少ないのに、しかもリリックは他のメンバーが書いているのに、なぜ彼女はココまでロックのナカで雄弁になれるんだろう?スピードでごまかさないミドルテンポ楽曲が特にステキ。「海から出た魚」「キャラメルプリン」「やさしさ」。また観に行きたい。
●あ、でも、橋本さん、歌う声だけじゃなく、地の声もあのカワイい声だってのは、新鮮な発見だった。おまけに徳島ナマリでしょ。でニコニコしてる。キュートだわ。ヒヨコも深刻にアニメ声だから、ウマいコト育ってほしいわ。
チャットモンチー「AWA COME」
チャットモンチー「AWA COME」2010年
●アルバムタイトルの「AWA」「阿波」って意味?徳島県出身の三人は、地元に戻ってセルフプロデュースでこの作品を作ったという。徳島ってどんな土地なんだろう?行ったコトナイんだよね。でも彼女たち徳島ナマリを隠しも直しもしない人だし、この作品にも故郷への思いがイッパイ盛り込まれててなんかイイ感じ。学生時代に一人徳島出身のオンナ友達がいたっけ。阿波踊りの季節は絶対に実家に帰って地元のトモダチと一緒に祭りに参加すると言ってた。プロモみてるとキレイな街っぽい。故郷があるってウラヤマシイ。
●アニメ「海月姫」主題歌「ここだけの話」、そして「青春の一番札所」「雲走る」「あいかわらず」が好き。そして新作も楽しみ。


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あ!くそ!「スペック」やり逃げしやがった!
●今期イチバンハマったドラマだったのに、そんで今日の最終回もスゴく意気込んで見たのに、このエンディングはズルいんじゃないでしょうか?!ワイフと一緒に戸惑ってしまいました。このままさらに物語は続くの?と思わせておいて、その直後に「ぜってー映画化とかしねえから」と悪態をつかれる始末。……んー落ち着いて考えると、これだけインパクトのある切断面を晒したままザックリ終わった方がオモシロいというコトなのか。アトは皆さんで考えてください演出側としてはココまででオシマイですので、という意図。それならそれでそのままこの放置プレイを楽しみます。

そもそもがツッコミドコロ満載のドラマでしたから。
●画面上に無数の小ボケが仕込まれてた。ホワイトボードのカレンダーには小さな字で「ツチノコ調査」って書かれてたし、大きな地デジテレビには「平成23年7月24日まで使用禁止」って張り紙してあるし、警視庁の廊下には重々しい部署のプレートに混じって「熱海出張中」との文字が混じってるし。登場人物全員に奇癖があって、それがことごとくストーリー本線に関係がない。笑って欲しいのかもよく分からない投げっ放しのボケだけで押し切る豪腕ぶり。そこにメチャ引っかかりました。
●そもそもが、ロジカルな推理ゲームが展開すると見せかけて、そのトリックの中心に陳腐な「超能力」があるって段階で、フツウの大人は呆れてついて来れない。犯人はアナタだ!ブレーキバーを念力でねじ切ったのだ!…って真顔で言われたらヒクでしょフツウ。もうこの世界観自体がツッコミ待ちのボケだよね。オイオイソレでいいの?…イイんです。イイって言えた人だけで楽しめればイイんです。
●ソレでいて、硬派でミステリアスなトーンはピンと張りつめたように維持できているのだからスゴいなあ、と思うのです。トコトンおフザケしながら、クソマジメであり続ける。絶妙なバランス感覚。ナンセンスな設定とナンセンスなギャグを通り抜けて響く「正義感と連帯のチカラ」という太いメッセージ。これこそ演出の技術。堤幸彦カントクありがとうございました。脚本家・西荻弓絵さんという名前も今回ガッチリとアタマに焼き付けました。
戸田恵梨香ちゃんは実にナイスファイトでした。変顔炸裂のムカムカする汚らしい女刑事を見事にこなし切りました。加瀬亮さんもここまでマチズモな役を演ってるのは初めて見ました。楽しかったです。


THE RICECOOKERS「NAMINOYUKUSAKI」

●主題歌は THE RICECOOKERS「NAMINOYUKUSAKI」
●CD流通が待てなくて、久しぶりに iTMS でダウンロードしちゃったよ。で最近ヘビロテ。「あかし」という楽曲が iTMS の「今週のシングル」無料ダウンロードになってたので、「スペック」以前はその曲だけ知ってるという程度のバンドでした。ボストンのバークリー音楽大学で結成した日本人4人組のロックバンド。ミクスチャーテイストながら、タイトでジャストなグルーヴにインテリ気分を感じます。歌詞の諦観気分がペシミスティックで、仕事の理不尽に疲れた時にこそココロに響きました。

「まぶしく映るおもかげさえも 波に揺られてカタチ変えてく
 色を失くした思いとともに 流されてゆけ 波のゆくさきへ
 
 ひかりのしぶきをあげるあの夜空も その瞳にはもう映らない
 意味を失くした願いとともに 流されてゆけ 波のゆくさきへ
 
 ああ 新しい朝日が包み込んでゆく また始まる日々の中 動き出して
 全てを飲み込んで ただ流されてゆけ 誰も知らない 波のゆくさきへ」

●マジで、ドコかに流されていきたいんです。今、ボクは。



●あ、先週最終回だった「Q10」もよかった。息子ノマド小学三年生が、大粒の涙を流して感動してた。オマエこういう世界にフルフルできる感性備えてるんだ?よかった多分気が合うよボクとオマエは。






昨日は「カゾクの肖像」撮影の日。
我が家では、毎年1枚、家族四人の記念写真を撮ります。シモキタザワの商店街にある写真スタジオを予約して、そこのオジイさんカメラマンに撮影してもらうのです。そんで八つ切りサイズの大きな写真にしてもらうのです。……デジカメや携帯カメラの時代だからこそ、カチッとしたカタチで記録を残しておきたいなあ、という願望がありまして、そんで誰に見せる訳でもないけど、毎年記念写真を撮るのです。ヒヨコが生まれてから毎年やってるから、これで7回目ってコトか。
●七五三でも年賀状でもナンでもないノーキッカケなタイミングでやってくる我が家のコトは、写真屋さんの老カメラマン夫婦も認知してくれてます。「お、オニイちゃんいくつになったのかな?」その狙いがなんだかよく分からないながらも「今回はどうやって撮ってみましょうか?」とアレコレレイアウトのアイディアを出してくれます。今回は長男ノマドが生き生きとした笑顔を見せてくれたのでイイ写真になると思います。
●撮影のアトは、ヒヨコのたっての希望で、駅前のクレープ屋さんに行きました。胃もたれ寸前の生クリームたっぷりクレープを女子高生のオネエさんたちと一緒に食べました。

IMG_0319.jpg(チョコ生クリームいちごクレープ。)


週に一回のヨガが大切です。
●土曜のお昼、ボクは近所のヨガ教室にキチンキチンと通ってます。ヨガを始めてもう一年半。別にカラダが柔らかくなったとか目に見える上達ぶりなどは100%ないんですけど、気持ちの中ではスゴくハマってます。一週間の中で、自分のカラダのコトだけをジックリ考える時間を作る。それがとても大事に思えるのです。
●最近は仕事がバタバタしててホントに息つくヒマがありません。週の半分が終電帰り、地下鉄の駅までダッシュしてます。寝ても覚めてもアレコレ余計なこと考えている。まフツウの現代人はそうやって生きてるモンでしょうけど。そんなノリでヨガ教室に行くと、マットの上に正座をするだけで足首の関節がバキバキと音を立てるのです。「くはああ…」マリアナ海溝級の深いため息が思わずコボレ出ます。「unimogrooveさん、今週もグッタリですねえ」ヨガメイトのお姉さんたちに慰められます。すんませんビタ一文余裕がなくて。
●床に寝そべってウォーミングアップするだけで、カラダ中の筋肉や骨が不自然にコワバッテルのを感じます。右半身と左半身で関節の可動角度が全然違うのです。そしていくつかのポーズをセンセイと一緒に作っていくことで、肋骨が骨盤が肩甲骨がアキレス腱が背筋が手首や手のひらが、いかに調子が悪いか、ジックリ知覚することができるのです。たとえば両手を床につけた時、なぜか左手だけ人差し指の付け根が浮いてしまうとか…イテテ手のひらの筋がつりそう!そんなコト。……ヨガのポーズはシンプルに見えますが、人間のカラダは諸般の事情でシンプルに稼働しないのです。日々状況が違う「人体」としてのジブンを、克明に観察するチャンス。腰を下ろして足を伸ばすだけで発見があるのです。昨日のボクの右足は、なぜか腿の前側の筋肉が無意味に緊張していたので、意識してその緊張を分散し、膝関節から余計な力みを取り去ることができました。
●これはボクのセンセイの個性なんでしょうか?ヨガにありがちなスピリチュアルなイメージだけではなく、解剖学的なフレーズで意識すべき箇所を指摘してくれるのが、元来理屈っぽいボクの性質にマッチしてる気がします。「尾骨をもっとおヘソの方に向けるように」「ノドから鎖骨の内側を意識して」「横隔膜や胃の外壁に空気を入れるように」「今日は股関節を動かしていきますよ」ボクはここで今まで聞いたコトのなかった骨の名前をたくさん知りましたよ…仙骨とか腸骨とか坐骨とか肩甲骨の肩峰とか。
●結果2時間のクラスが終わると、仕事アレコレの雑念がアタマから完全になくなってることに気付きます。いやいやクラスの序盤は雑念だらけですよ、ヘタすると週明けの心配事でセンセイの言ってるコトが聞こえないほどです。でも、毎週やってるシンプルなポーズを作るために、予想もしないトコロがバキバキと痛み出して、そんな雑念を握りしめてる余裕がなくなるのです。右足がイテエ!真っ直ぐ伸びねえ!左脇腹がパンパンに張ってる!胃のウラ側の背筋がゴリゴリだ!そんな痛みやオドロキで、余計な雑念がムリヤリ剥ぎ落とされるという感じ。だから毎週やってるコトは全然変わらないのに、発見が多彩で退屈しないのです。……ボクはこんな風にナニかのスポーツにハマるってことは生まれて初めて。


さて、先週。そんなヨガ教室の忘年会がありました。
●ヨガ教室そのものでは、他のヨガメイトさんとアレコレ会話することがありません。名前と顔を知ってる程度。メンツも固定的じゃないし。だから細かい素性ってお互い知らないんです。だからたまたま開かれた忘年会で、アレコレ新しい発見があってビックリでした。コレはシモキタザワという土地柄なのかな…ゲームデザイナーとか映画配給とか大手SNSのエンジニアとかアパレルのデザイナーとかマンガ家とか、実は皆さんオモシロい職業の人がイッパイで、実に興味深いおハナシが聞けました。
●ただソレ以上に興味深かったのは、ソレゾレがなぜヨガに出会ったのか、という事情。女性は皆さんとってもオシャレさんなアラサー/アラフォーお姉サマな外見なので、素朴に美容とか体型維持とか健康とかって動機なんだと思ってました。ところが。「実は以前、甲状腺がんをやりまして」「ワタシは膿腫瘍を患ってこの10年で5回手術してきたんです」「パニック障害と不眠で、ずっとクスリを飲んでます」「毎日12時間以上の長時間労働でヘルニアが悪化して…」わあー。皆さん激しく病んでますね!ボロボロだったんですね!それなりの大病を患った人は、体力を回復しようにもフツウの運動をすることが出来ない…そこまでの体力すらナイから。だからヨガに至る。そんな事情がみんなにあったコトに素朴に驚いた。ボクがヨガを始めたのも、うつ病/自律神経失調症に対するリハビリという明白な動機がありますからね。そうそう、センセイ自身も、ヨガに出会ったは病気がキッカケだって言ってた。背骨の重い病気で入院してスポーツインストラクラーを辞め、そこからヨガの修行を始めたと。ヨガは病人に優しい。
●みんながハッキリとジブンの病歴をハッキリとカミングアウトするから、ボクも言いましたよジブンのビョウキを。メンタル系の持病を持つ人とはクスリトークで盛り上がりましたよ。あーパキシルですかボクはソレあまり合わなかったなあ…睡眠薬はミオナール?あサイレースですかイイクスリですよね。


●休日の音楽。80~90年代、イギリスっぽいモノを中心に。

XTC「SKYLARKING」

XTC「SKYLARKING」1985年
XTC の音楽にはあまり馴染みがなくて…。どんなバンドだがそんなに詳しく知りません。フムフムアレコレ検索してみると、ロックバンドとしての荒削りな部分が抜けて、THE BEATLESBEACH BOYS をこよなく愛すソングライター ANDY PARTRIDGE のヒネクレポップセンスが高い純度で発露した時期の作品とな。確かにわかりやすい展開を避けながらも、どこかチャーミングなメロディにニヤリとさせられる内容。ツカミドコロが分かりにくいけど、多彩なアレンジと地に足がついたポップセンスがジワジワにじみ出てきます。よく見るとプロデューサーが TODD RUNDGREN。ヒネクレモノ同士の共闘じゃないか。シモキタザワにて400円で採取購入。


●ヒネクレ具合じゃコッチの方がビター。

THE GO-BETWEENS「BEFORE HOLLYWOOD」

THE GO-BETWEENS「BEFORE HOLLYWOOD」1983年
●80年代のネオアコバンドというイメージで見てたのですが、いざキチンと聴いてみますと、ことのほかヒネクレててビックリしました。ロックのカタルシスを巧妙に避けてしまうアンチクライマックス主義?ビートに奇妙な脱臼感が仕込まれてて、気持ちよくノレないムズガユサを常に強要するテンション?そのタメなら変拍子リズムも奇妙なコードチェンジもダルなメロディラインも目一杯駆使して、疾走感のコシをベキベキへし折る。結果的に、特段音響的に耳障りなコトはナニもしてないのに、実に鬱屈として油断のならないギターポップに仕上がりました。最初は聴きづらいと思ってたのに、いつの間にかこのヒネクレ具合が苦甘いクセになって中毒的な魅力に見えてくる。むーんアナドレナイ。
●実はオーストラリア出身のバンド。この時期は3人組でドラムが女性でした。イギリスのインディ名門 ROUGH TRADE に見出されて UK でキャリアを確立。このセカンドアルバムで一気に知名度を上げるのです。「ネオアコ」というムーブメントがカチリと焦点が合う時期はこの後で、THE GO-BETWEENS もその一群の中に入っていくようなのですが、このアルバムが制作された80年代前半はポストパンクの音楽実験が微熱を保ち続けてた時代。結果としてその音楽にはアヴァンギャルドの匂いが忍び込んでいるよう。ORANGE JUICE もファンキーであろうとしたし、SCRITTI POLITTI も特殊グルーヴを目指してた。THE GO-BETWEENS もそんな場所にいたとボクは考えるのでした。


●ネオアコからブリットポップの中間地点。

THE MOCK TURTLES「TURTLE SOUP」

THE MOCK TURTLES「TURTLE SOUP」1990年
●90年代初頭のマンチェスターのバンド。活動開始時期は1985年代頃というから、THE STONE ROSES と同時期、つまりマッドチェスターと同じというコト。でもね、彼らの音楽はスゴく素直なギターポップ。ネオアコースティックそして地元のセンパイ THE SMITHS の流れをキチンと汲んでいます。そしてそのまま良き英国のアイデンティティを体現したブリットポップに繋がる部分も感じさせます。代表曲「CAN YOU DIG IT ?」はじめ清々しいギターサウンドがよい感じ。「LAY ME DOWN」の浮遊感あるグルーヴにだけ、ホンノリとマッドチェスターの香りが漂ってます。同時期のバンドでいうと、THE HIGH とか、THE LA'S に近い触感?


●マッドチェスター~バギーサウンドの直前期。

THE SOUP DRAGONS「THIS IS OUR ART」

THE SOUP DRAGONS「THIS IS OUR ART」1988年
●コチラはスコットランドのバンド。90年代を迎えるとこのバンドは新型のダンスミュージックを積極的に導入して露悪的なギラギラドラッギーかつ享楽的なヘナヘナサウンドを鳴らすコトになります。つまりはマッドチェスター・スタイルな音楽。しかし彼らはマンチェスターではなくスコットランド出身。彼らのようなマンチェスター以外で育った、90年代初頭のダンスオリエンテッドなロックを総称して、バギーサウンド、というんだそうですイヤ実はボクもワリと最近知った言葉なんだけど。この時代のヨレヨレな若者たちはみんなバギーパンツをはいてたってのが理由だそうです。そんなコトバを知ってても何の役にも立ちませんが。
●ボク個人はそんな90年代の彼らの方が親しみがあるのです。アルバムでいうと「HOT WIRED」、シングルでいうと「DIVINE THING」とか。しかしこの度彼らの80年代のアルバムを発見しました、400円のクズ箱の中でね。ジャケの気分も音楽の内容も全然違うように感じたので、最初はたまたま名前が一緒の違うバンドと思ったほど。ですけど、検索の結果同一のバンドと判明しました。
●この88年段階では、むしろ BUZZCOCKS のようなポップパンクテイスト。ボチボチに威勢のイイボーカルも野趣があります。ここにどうしてダンスミュージックの要素が入ってくるのかイメージが全然掴めません。ただし彼らがパンク様式に心中するタイプではなく、どうしたらポップとしてのチャーミングさを掴めるのかアレコレ試行錯誤するタイプであったコトが、この段階でハッキリしています。シングルカットされた「THE MAJESTIC HEAD ?」とかが実に象徴的。この美学が、新時代の感覚を自分たちの血肉にしていこうという逞しさに繋がるんでしょうね。


●インドからやって来たブリットポップのお姫様。

ECHOBELLY「ON」

ECHOBELLY「ON」1995年
●90年代中盤ブリットポップ旋風のドマンナカにいたバンドの1つ。特に女性ボーカルってのは目立つ存在でした。ELASTICA とかも女性ボーカルバンドとして存在感を放ってたもんね。しかし彼らにはもうイーハン乗っかってまして。ボーカルの SONYA MADAN 嬢がデリー生まれのインド系移民だったということね。今でこそ UKエイジアンの活躍はフツウになってきた?ような気がするけど、当時の感覚ではポップスター/アイドル的存在感でインド系の女性が活躍するのは珍しいコトだったと思う。2歳の頃からイギリスに育った彼女は多分完璧にフツウのキレイな女の子で、むしろロックバンドのボーカリストとしては育ちがよすぎるほどに見えてたけど、とかくその出自が注目され過ぎてたのは気の毒に思えた。
●彼らのセカンドアルバムであるこの作品は、そんな偏見を振り払うような強さ、前向きに開かれた逞しさが漲っていて、痛快だ。実にブリットポップ的なギターサウンドに、伸びやかな SONYA 嬢の声が気持ちよく響いてる。


宇多田ヒカルが横浜アリーナのライブを USTREAM で生中継!
●つーか、技術革新過ぎる…。宇多田級のアーティストがフルパワーのステージパフォーマンスを生で配信するなんて。全世界向けにネット配信&各地の映画館にも中継。彼女のMC「地球を意識していきます」だって。コレは重要な事件だと思います。2010年ってスゲエ年だよ。

●だからね。今日はヤヤコシイ話ですけど、音楽ではなく、音楽を囲む状況についてチョイチョイ注目しつつ、「2010年にはナニが起こったか」というコトを、まどろっこしく書いてみたいと思うのです。…失敗するかも知れないけど。

●さて。準備はいいですか。ムダなハナシですよ。


ボクの中での音楽史的トピックとして、今年は特別な事件が3つ起こりました。

1、神聖かまってちゃんのブレイク~メジャーデビュー。
ニコニコ動画を駆使した自作自演プロモーション&楽曲ゲリラアップロードでカルト的存在感を熟成したこのバンドの存在を、ボクは当初まったく察知できませんでした。彼らの楽曲配信は2007年に始まってるらしいけど、ボクが彼らを知ったのは今年5月の iTMS「今週のシングル」「ロックンロールは鳴り止まないっ」を無料ダウンロードした時でございました。
●楽曲自体のインパクトもさることながら、彼らのユニークな活動スタイルが衝撃だったのです。ライブから路上パフォーマンスまでをリアルタイムでネット配信し、楽曲をフリーで公開視聴させてしまう彼らは、貨幣経済流通をすり抜けて自らのバンド存続ビジネスモデルを自爆させてしまうテロリストのようにも見えました。音楽コンテンツに対してはそれなりの対価を支払うことを当然と考えていたボクには、彼らの楽曲の無料供出は常識ハズレな蛮行に思えた。このような自己演出が新時代のロックンロールだとするならば、ボク自身のロックンロールは完全に鳴り止んでしまったとさえ考えましたですよ。いかに自分がパッケージメディアの呪縛にドップリ浸かってるか、既存のコンテンツ流通のイデオロギーに骨の髄まで支配されているか、トコトンまで思い知らされ、そんでトコトンまで凹まされた。ホントショックだった。
ニコニコ動画のアカウントを作ったのも、神聖かまってちゃんをもっとたくさん聴きたいと思ったから。遅いよね…オールドタイプ。ソコに踏み込んでボクはやっと初音ミクのシーンに接触することができた。いやいやマジで後手後手。こんなコトを告白するのはマジで恥ずかしいが、敢えて告白します。ボクの個人的2010年は神聖かまってちゃん経由のニコニコ動画接触元年であり、初音ミク元年でもありました。
●その後、雑誌「クイックジャパン」7月号で神聖かまってちゃんは表紙&巻頭特集を飾る。90年代サブカル雑誌が00年代テレビ/お笑い雑誌に変貌した結果距離を置いてた「クイック~」をボクは数年ぶりに買って読みました。今年3月にリリースされていたミニアルバム「友達を殺してまで。」もこのタイミングで聴いたね。今月にはメジャーレーベル(ワーナー)からフルアルバムをリリースすることになってる。コレはコレで期待大。ニコ動でメッチャ視聴した「美ちなる方へ」も収録されてるし。ブレイクしていくのだ。
●とはいいつつも、彼らのようなバンドがパッケージメディアの中で、果たしてスリリングに響くのだろうか?ソコは非常にギモンだ。彼らはネット上で自らが紡いだ物語の中にいるからこそ、大きく強く響くのかも知れない。実はそんな違和感を感じ続けている。彼らにナニが起こるのか、本当に予想がつかない。

2、DOMMUNE の出現。ダンスフロアの一体感を疑似体験。
USTREAM の超優良コンテンツとして巨大な存在感を放つ DOMMUNE も実は今年3月からスタートしたプロジェクトだ。キャパシティたった50人の小箱スペースから濃厚なDJプレイを週末を除いて毎日発信し続ける継続力と企画力。4月にはデトロイトのテクノゴッド DERRICK MAY をこの超小箱に召喚、でもストリーミング視聴者は一万人超えという伝説を打ち立てた。JASRAC との包括契約を取り付けた点でも革新的だ。DJ機器のパイオニアがスポンサードについていることで自律的なビジネスにもなっている。結果我々はこのコンテンツを無料で享受できる。ワオ!
●この DOMMUNE の主宰者が宇川直宏さん。映像作家、VJ、文筆業、メディアレイピスト(←高城剛級にウサン臭い肩書き)と幅広い活動を90年代から展開してきたこの人は、ボクにとってはスノッブなサブカル雑誌「スタジオボイス」の常連寄稿者という認識だった。その「スタジオボイス」が去年夏に休刊した時には「90年代サブカルもとうとう息の根が止まったのね~アソコにいた人たちも忘れられていくのね~」なんて思っていたのに、宇川さんはこの DOMMUNE で大逆転の大復活を遂げてしまった。2010年において最もエッジーな場所を作り出したのだ。
DOMMUNE がボクにとってエキサイティングだと思う理由は、ツイッターのタイムラインを併設させることで、コンテンツを多数の視聴者で共有している感覚を味わせる点だ。コレをソーシャルストリームと呼ぶのかな?ともかく、コドモができてから久しく夜のクラブ活動を自粛してたボクに、ダンスフロアの一体感を疑似体験させてくれる非常に小粋な演出だった。実際ボクは DOMMUNE のタイムラインに合流したいタメだけにツイッターアカウントを作ったし、そこにコメントを投げ込むことで何かを共有できるような気持ちになった。同じダンスフロアで踊る仲間たちという共有意識。

3、そして今日の宇多田ヒカルライブ。
●彼女の今夜のライブを視聴した人数は10万を超えたという。USTREAM では様々な実験や企画がコレまでも行われてきたことだろうけど、規模の大きさという意味ではブレイクスルーな瞬間に到達したのでは?と思えるディープインパクトになったと思う。
●奇しくも、昨日は市川海老蔵が暴行事件を受けての記者会見を開いた。ニコニコ生放送がコレをリアルタイムで中継、視聴者は10万人に到達したという。これも1つのディープインパクトだ。……フジテレビや日本テレビは自社で運営する衛星波&CATV向けチャンネルで生中継を行ったらしい。が、基本的に地上波放送はフツウにコレをVTR収録し、編集の上で翌日の情報番組でアウトプットしていった。ボクは先日の sengoku38 尖閣諸島漁船衝突映像流出も、一連の動きに絡めて考えている。巨大マスメディアがネット上の事件を後追いする状況、またはマスメディア不在で事態が進行する状況。既存メディアがスピードでネットに負けていく状況。コレが大きな現実になってきた。時代の大きな節目が到来している、そんな感覚をヒリヒリ感じている。
●ボクにとって、USTREAM、YOU TUBE、ニコニコ動画、ツイッターが渾然一体で作り出す今年の状況は、アナログレコードからCDにメディアが転換していく80年代中盤に匹敵するほどの、時代の切断面になっていくように思われる。
●過去に音楽を囲む外部状況でこれほどスリリングな状況があっただろうか?渋谷系~外資系CDショップの台頭、TSUTAYA &レンタル産業の巨大化、通信カラオケの高機能化、フジロックを発端とするロックフェスブーム、着メロ着うた着うたフルのような携帯経由の音楽流通、ナップスターに始まる P2P ソフトの出現と違法ダウンロードの横行、MYSPACE、MIXI などなどのソーシャルネットワークサービスの普及、アマゾン&iTMS&iPodの登場……。音楽への接触様式を変える事件はこの20年間様々なモノがあったと思うし、ソレゾレが重要な意味を持っていると思う。しかし、ボクは今年ほどジブンの価値観を揺さぶられたコトはなかった。


まとめ。エッジーなコンテンツが無料で転がっている。結果えぐり出されたボクの強迫観念。0
神聖かまってちゃんしかり、初音ミク楽曲しかり、DOMMUNE しかり、そして宇多田ヒカルの活動休止ライブですらが、全て無料でネットに公開されている。しかもそれは個人所有という形態をスルリとくぐり抜け、むしろ不特定多数の共感という形でフワフワと存在している。一方でネット上のリテラシーがかなり訓練されていなければ、そのヤバい出来事に到達できない。宇多田のライブ生配信もボクはツイッターで存在を知ったのだ。現在起こっているシーンは、貧富の差なく誰もに開放されている。コレは素晴らしいコトだ。だが望む情報に到達するためのテクニックを強く要求するのも1つの現実。受動的な消費者であってはイケナイ。能動的にシーンに関わる姿勢を問われている。ネットはとりもなおさずコミュニケーションメディアであり、一方向な受信体勢にある人間には十分な恩恵をもたらさない。
●この状況は、ボクが胸の奥に根深く巣食わせている強迫観念のカタチをあぶり出した。ボクはカネと収集欲をコツコツと積み上げれば、古今東西の音楽をアーカイブし切れるだろうという貪欲な願望を握りしめていた。出来れば自覚したくはなかった無意識下の醜い欲望であった…しかし音源枚数7000超で部屋がカオスになっている我が家の惨状は、そのオブセッションをドロリと具現化してたということか。変化する状況に対応し切れないボクの音楽中毒者としての本性が、腐臭を伴って見えてきたと感じたのだ。
●そして、シーンに対する態度を明確にせよ、ツイッターのように名前の見える人々と接触してシーンに貢献しろと問われているような気がする。受動的消費者としての安全地帯に安住しようとすれば、それなりの薄いコンテンツにしか到達できない。必要があれば、アーティストをスポンサーすべき場面すら出てくるのかも知れない。ボクのように全方位的関心で音楽を聴いている姿勢は、淘汰されるかも知れない。価値観が揺さぶられている。

次のディケイド、2010年代の予感。
貨幣経済流通の外でムーブメントが発生する。
音楽の所有の概念が変化する。
本当にオモシロい場所に到達するためには、ネットコミュニケーションを尽くしてシーンの当事者になる、シーンに貢献する覚悟が必要になる。



●やべ。失敗したかも。



●参考文献的なモノ。

未来型サバイバル音楽論―USTREAM、twitterは何を変えたのか

津田大介/牧村憲一「未来型サバイバル音楽論―USTREAM、twitterは何を変えたのか」
●70年代から現代に至る日本音楽産業史をキチンと踏まえてるトコロが、地に足着いた視座を形成してくれているし、実にベンキョウになる。タダの楽天的ネット礼賛論になってないトコロが安心。でも読む人が読むと、既存産業否定、ネット文明全能ってトーンでとっちゃうかも知れない。

「クイックジャパン」90号

「クイックジャパン」90号「神聖かまってちゃん国民的ロックバンド宣言」
●今回の文章じゃ全然触れませんでしたけど、神聖かまってちゃんのメンバーたち、特に頭脳であるの子くんがスンゴく濃ユイキャラであるコト、それを持て余し切りまくって結果としてこんな音楽が出来ちゃったんです的なバックグラウンドをつぶさに描写しようとしてて、読み応えありまくりです。

韓国が警告するメディア・ビッグバン

キム・テクァン/イ・サンボク「韓国が警告するメディア・ビッグバン」
●大学時代の恩師にいただいた本です。2005年段階での韓国のメディア状況を、既存マスメディアの側から描く内容。簡単に日本と韓国を比較は出来ないが、IT先進国として一歩先を先行してた韓国は、新聞/テレビ/出版など既存マスメディアがネット革命の前に大混乱に陥ったらしい。ややペシミスティックすぎる気分にあてられて、読んでて気分が悪くなりました。日本でも起こって不思議じゃない混乱だからね。…帯コメが猪瀬直樹さん…別の場面で今ホットになっちゃってる人だ。


神聖かまってちゃん「友達を殺してまで」

神聖かまってちゃん「友達を殺してまで。」2010年
●以下に動画を貼ります。



神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴り止まないっ」

「昨日の夜 駅前TSUTAYAさんで 僕はビートルズを借りた セックスピストルズを借りた
 ロックンロールというヤツだ しかし、ナニがいいんだか全然わかりません!
 夕暮れ時 部活の帰り道で またもビートルズを聴いた セックスピストルズを聴いた
 ナニかが以前と違うんだ MD取っても イヤホンとっても なんでだ全然鳴り止まねえっ!」




神聖かまってちゃん「美ちなる方へ」

「出かけるようになりました 出かけるようになりました」

…からっぽな郊外都市が彼らのバショ。そこで生まれる狂気。ひきこもり。脱出?

今週は、特殊事態突発につき異常にドタバタしました。
●図らずも深夜4時まで残業して状況対応するなど、体力的にも実にタフな場面もありました。あーこんなに深い時間まで仕事するのなんて、4年ぶりくらいのコトだろう。当然ビョウキになってから初めて。…ビョウキ以前の重症ワーカホリック時代は一日18時間労働が日常でしたけど、その時のようにはもう動けない。ショウジキホントしんどかったです。
●それでもやるコトはやらなアカンわけで、とにかく1つの決着までたどり着き、やっとこさっとこホッと一息の土曜日。午後のヨガ教室で緊張したカラダをユックリほぐして、こたつで惰眠に耽るのでした。

●そんなタフな一週間で、毎日聴いてた音源。
ALTER EGO「WHY NOT ?」
ALTER EGO「WHY NOT ?」2007年
●久しぶりに硬派なテクノを、しかも純度の高いジャーマンテクノを聴いておりました。仕事の中で高い緊張感を維持するため、強力な四ツ打ちキックで自分を鼓舞しておりました。
●ジャケからして強面なストロングスタイル。内容は実に骨太なミニマルアシッド。ぶよんぶよんぶよんぶよん。アシィィィイッド!露悪的なまでにアシッド。腹を打つ極太キック。凶暴に震えるベース。最低限の上モノが執拗にループされて、そのドコへも展開していかないトラック構造が、聴く者の意識を深く深く暗黒の地中へと掘り沈めるのであります。
●とは言いつつ、すでに一般の人にとって「アシッド」という言葉の差し示すイメージなど理解不能でしょうから、敢えて解説いたします。「アシッド」= ACID は英語辞書で引けば「酸」という意味が出てきます。1980年代末~1990年代初頭に於きまして、アシッドは合成麻薬 MDMA 通称エクスタシーを意味する隠語でありました。この頃台頭するハウス/テクノといったクラブミュージックの中でも、エクスタシーが引き起こす多幸感と親和性の高いスタイルが、アシッドハウス/アシッドテクノと呼ばれるようになるのです。
アシッドハウス/アシッドテクノの特徴は、固有の機材が弾き出す音響に対するフェティシズムにあります。ROLAND TR-303、TR-808、TR-909。これら今では恐ろしく旧式となった日本製シーケンサーが弾き出すベース音、ドラム/パーカッションの音。コレをとことん使い倒します。特に TB-303 のベース音と思えない音響、多分開発者も意図しなかったんじゃないかというような使われ方が、非常にユニークかつ魅力的であります。ブリブリブリブリ。ぶよんぶよんぶよんぶよん。びよびよびよびよ。泡立つ溶岩が赤黒く弾けるような音響を、フェティッシュに楽しめるかどうかが、アシッドハウス/アシッドテクノを聴く作法に関わってきます。
●しかもですね、前述しましたとおり、アシッドハウス/テクノは20年前、大昔の様式でありまして。そんなスタイルを00年代後半に至っても頑固に鳴らし続けてるってだけでコイツらは相当な変人であります。シカゴハウスやイギリスのレイヴシーンから生まれたアシッドハウス/テクノを、より強化したのはドイツのテクノ/トランスシーンでありました。ALTER EGO もそんな時代、1993年頃から活動を始めてます。ドイツ人の頑固な体質を反映してるようでございます。
●そんな彼らを面白がったのは、00年代前半に盛り上がった NY のエレクトロクラッシュのシーンと、フレンチエレクトロのシーンであります。エレクトロという別文脈が(エレクトロもシンセへのフェティシズムが重要なシーンであります)、アホのように頑固なアシッドスタイルを突き詰める彼らに注目。アシッドリバイバルという名前をつけられて、2004年、ALTER EGO は全世界に紹介されるに至るのです。
●そのブレイクを経ての最新アルバムがこの1枚。でもね、一週間毎日このぶよんぶよんを聴き続けて思ったんだけどね。頑固な強面と見せかけて、実は「アホみたいなヤリ過ぎテイストをネタ的に面白がってちょうだい」というテクノオタクの自虐メッセージが聴こえてきまして。圧倒的にヤリ過ぎはマチガイナイ。一方で、上モノを聴いてると圧倒的にマヌケでもありまして。ぴよんぴよんぷーんぷーんぷわんぷわん。ソコは実は「笑い」として楽しんだ方が正しい気がする。アルバムの一番最後で「ホントすいません、ボクらこんなコトしか出来ないドイツ人ですから」みたいな言い訳まで出てくるし。ホントはチャーミングなんです。笑えます。


●タフなウィークデイを乗り切って、今日聴いている優しい音。
PET SHOP BOYS「ULTIMATE」
PET SHOP BOYS「ULTIMATE」1985~2010年
●キラキラしたエレポップの世界をその黎明期から現在に至るまで最前線で活躍してるイギリスのポップデュオ。彼らの25年に及ぶ長いキャリアをまとめたビッグヒッツ的ベスト盤。熱狂的なダンスビートと、メランコリーの漂うウタゴコロの微妙なミスマッチが、彼らの最大の魅力。彼らのゲイセクシャリティが作風に影響してるのかな。キラビやかな享楽と、常にまとわりつく虚無感。左右の両極が表裏一体に結びつくのがゲイの人たちの人生観らしい。一般社会からの疎外感/行き場のナイ将来へ窒息感のに常に苛まされ、が故に一瞬一瞬のキラメキを貪欲に楽しむ感覚。
●ボクにこのデュオの魅力とそんな価値観を教えてくれたのはホンモノのゲイの人でした。クラブ業界で映像の仕事してる人。とても繊細な美的センスと、オシャレな物腰、きめ細やかな仕事ぶりがとても素敵でした(あと、愛用してるゴルチエのアタッシェケースもクールでした)。その人が特に気に入っていたのが「BEING BORING」1990年という曲。「歌詞の中に、スコットフィツジェラルドの奥さんが出てくるんだよ」1920年代ロストジェネレーション。享楽のスウィングエイジ。モノクロフィルムのスタイリッシュなプロモを監督したのはファッション写真家 BRUCE WEBER 。ノスタルジックなメロディが美しい。



「古い写真を偶然見つけたんだ…10代の頃のパーティの招待状も。
 DRESS IN WHITE …有名な作家の妻の言葉を引用したものだ…それは1920年代のこと。
 若い時は誰でも、いなくなった人物に思いを馳せる。
 閉じかけていた扉を開け放ち、彼女は言った。私たちは決して退屈しないのよ。

 故郷を捨てたあの時。僕はズックを背負って駅に立っていた。すこし不安になりながら。
 誰かが言った…気をつけないと全てを失う、大事なものも見失う…それは1970年代のこと。
 でも僕は落ち着いて前を向いていた。高い靴を履き、自信もあった。
 閉じかける扉をすり抜けて飛び出した。僕は決して退屈しないと思っていた。

 そして今、多くの外国や、様々な借家の中で、僕はたくさんの違う顔を使い分けている。
 僕がキスした全ての人々…まだここにいる人もいれば消えた人もいる…1990年代のこと。
 かつて自分がなりたかったものになれるとは、夢にも思ってなかった。
 でも僕がいつも思っていたのは、たとえ夢がどうなろうと、
 君が僕のそばにいてくれることだった。」

●ハイエナジー化された U2「WHERE THE STREETS HAS NO NAME」カバー(BOYS TOWN GANG「I CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU」とマッシュアップミックスしちゃってる)や、元祖ゲイディスコ VILLAGE PEOPLE「GO WEST」のカバー、そして「NEW YORK CITY BOY」のようなストレートにディスコ/ダンスフロア志向のギラギラ感は見事な聴き所。だけど、今のボクには「BEING BORING」「HOME AND DRY」のメランコリーがとても心に染み入るのです。
●その一方で、暗くて鬱屈たる都市のドン詰まりを歌う「WEST END GIRLS」1985年の救いのない辛気くささも実に味わい深くて染みる。ロンドンのウエストエンドっていったいどんなバショなの?「ウエストエンドタウンはデッドエンドワールド」だって歌ってるよ。




●オマケに、ALTER EGO の音もつけときます。一番頭わるそうなヤツ。