「トカゲ丸が死んでしまいました!」

●先々週のコトです。ウチのコドモの公開授業がありました。授業参観のコトを最近は「公開授業」というのです。定められた一週間の間、好きなタイミングで学校を訪れ、子供の様子を見てイイとされるのであります。ソコで我々親たちは授業だけでなく、給食から休み時間まで子供たちのあらゆる場面をのぞくコトができるのです。
●その日、ワイフは息子ノマド4年生の帰りの会を見物しておりました。たまたまこの日の日直はノマド。帰りの会はノマドが進行するのです。ノマド「係の人からなにかありますか?」ノマドが呼びかけてる。「ありますか?!」敢えてもう一度。誰かを急かしている様子。ナニかを言わせようとしているらしい…。「ありますか!」
「はい…。」オズオズと挙手したのは、ノマドと共にいきものがかりを担当しているユータ&ケン。二人は教室の前に出てきてノマドの横に立ちました。段取りを打合せしていた様子、ノマドを含めた三人で、声をそろえて発表を始めました。「いきものがかりからお知らせがあります。トカゲ丸が死んでしまいました!」えーっ!ざわざわ。「ですので…」えーとえーと、次の言葉が続かない…。「ですので、月曜日にはミンナでお祈りしてください!」えーっ!


トカゲ丸は、四月のアタマに小学校のビオトープで捕獲されたカナへビだった。
●野生動物の登場に、クラスのみんながトカゲ丸に夢中になった。クラスの男子のほとんどがいきものがかりに就任。誰もが世話を焼きたがった。とりわけウチの息子ノマドはトカゲ丸を可愛がり、週末の学校に放置はできないと主張して水槽ごとトカゲ丸を我が家に持ち帰るほどだった。もちろんゴールデンウィークの連休もトカゲ丸は我が家に滞在した。生き餌しか食べないというカナヘビの食糧供給にもノマドはせっせと尽力。朝早く起きてはウチの狭い庭を捜索して小さい昆虫を捕まえ、ボクの実家と連動してアブラムシがミッシリくっついた雑草をむしったりしてた。しかしワイフは爬虫類の闖入にドン引き。トカゲ丸に補食されたくないアブラムシが水槽の小さい穴から我が家のカベに大脱走を始めた時には卒倒寸前まで行ってた。
●しかし子供はとかく飽きやすい生き物。連休明けにトカゲ丸ブームは過ぎ去り、誰もがトカゲへの熱狂を忘れてしまった。それでもノマドはせっせと毎週末トカゲ丸の水槽を我が家に持ち帰り、ジグモやアブラムシを庭で捕まえてはトカゲ丸に与えていた。トカゲ丸は、どうやらトカゲの中でも実におっとりした性格で、ノマドがテノヒラに乗せても逃げることもない。夕方4時になるとお気に入りの場所にスッとしゃがみ込んでくーくー眠る習慣がある。爬虫類にドン引きだったワイフもこのボクも5月半ばのこの頃には大分トカゲ丸に愛着を感じ始めていた。


トカゲを巡るトラブル。
●5月後半のある日。トカゲブームが突如再燃した。第二のトカゲが発見されたのだ。命名・はくりゅう王トカゲ丸よりも大きくて、トカゲ丸よりもワイルド。トカゲ丸と顔を突き合わせさせたら、即座にガブリとアタマにかじりついた。トカゲ丸、完全劣勢。はくりゅう王中心のブームがクラスに巻き起こった。それでもマイペースにトカゲ丸をせっせと世話するノマド。…ノマドは一度ハマると少々視野狭窄気味になるオトコだ。実はこの段階でトカゲを巡ってクラスにトラブルが起きつつあったのにまるで気づいてなかった。
そのトラブルが表面化したのが、第三のトカゲ・シャドーの発見の時であった。哀れなシャドーはクラスの男子のイサカイに巻き込まれ、校舎の三階の窓から放り投げられてしまった。なぜそんな残酷なコトが?実はクラスの中に、トカゲに触れるグループと、トカゲから遠ざけられたグループの対立が生じていたのだ。しかし第三のトカゲ・シャドーは、トカゲから遠ざけられたグループの子が発見。これに対して既得権益を守ろうとしたトカゲに触れるグループが圧力をかける。結果、シャドーは窓から投げ捨てられるコトになったのだ。ノマドおまえその時ナニやってたんだ?「オレは別の教室にいたから全然しらなかったんだよー!教室もどったら、シャドーがいないんだ。だけど誰も教えてくれなかったんだよー」そんでシャドーはどうなったんだ?「わかんないよ…でも、きっと生きてるよ…」
●当然、この事態を知った先生は激怒。こんなことならトカゲたちをみなビオトープに放すと判断した。クラス一同しょぼーん。突如トカゲ丸とお別れするコトになったノマド。落胆激しい表情で家に帰ってきた。トカゲ丸の水槽を大切に抱え持って。

その日の夜。トカゲ丸との最後の一晩。
●明日のリリースに向けて、最後の一夜を過ごすコトを先生は許してくれた。リビングにねっころがって黙り込むノマド。ショックに打ちひしがれるといつもコイツはこうなる。手のひらの上にはトカゲ丸。水槽からトカゲ丸を出して腕に乗せているのだ。ワイフはいつトカゲ丸がノマドの手をすり抜け家具の裏に走り去るかと内心ドキドキ。しかし傷心のノマドを慮って声をかけられない。しかし本当にオトナシいトカゲ丸は夕方の眠気に我慢できずノンキにウトウトしてて逃げもしない。トカゲ丸を優しく優しく撫で続けるノマド。ふとナニか思うことがあったのか、自分のデジカメを取り出して、トカゲ丸の記念撮影を始めた。「本来暮らしていた故郷のビオトープに帰るコトは、それはそれでトカゲ丸にとっては良いコトだろう」ノマドは考え抜いた上でそう結論したらしく、比較的サッパリした顔で、翌日学校に出ていった。

お別れのトカゲ丸

(ノマドが手の上で撮影した、ウトウトネボケ気味のトカゲ丸。)


さて、その数日後。我が家に、はくりゅう王がやってきた。
●6月アタマのある日。会社から帰ってきたボクがリビングに見つけたのは、見慣れない水槽。お?コレナニ?トカゲ丸じゃないのか?ノマド「うん、コレ、はくりゅう王。」へー。「これからは、ずーっとウチにいるコトになった」へ?
●トカゲはみんなビオトープに帰したんじゃなかったの?ノマド「チガウ。大事にするコトを約束してウチに持ち帰るコトになったの」ほー。先生はスグにビオトープへトカゲを戻すのではなく、少々の猶予を持たせて子供たちの意見を聞いていたらしい。トラブルを起こした子供たちは謝罪をしたし、トカゲはキチンと引き取る子が名乗り出るまでクラスに据え置かれていたのだ。
●でもノマド、どうせならはくりゅう王じゃなくてトカゲ丸を連れてくればよかったじゃないか。ノマドがかわいがってたのはトカゲ丸だろう。トカゲ丸ユータが持ってった」いきものがかりのリーダーで、ノマドの親友ユータトカゲ丸を引き取った。ノマドとしては親友ユータならトカゲ丸を安心して預けられると言う。一方ではくりゅう王、誰も引き取らなくてカワイソウだったんだ!」…そうはいうけどなあ、パパもママもトカゲ丸にやっと馴染んできたトコロだったからなあ、今から新しいトカゲが来てもなあ…と半分言いかけた瞬間、ノマド自身がとっても悲しい顔をした。そうだよねノマド自身が一番シミテるんだよね…ノマドがカワイソウと思ってはくりゅう王を連れてきたという判断は、いいコトだと思うよ。はくりゅう王をみんなでかわいがるか。

トカゲ丸とのお別れは意外と早く来た。
●それから一週間後のコトだった。ワイフからボクにメールが。「トカゲ丸がなくなりました。ノマドはユータくんちにお葬式に行きました」ありゃー!トカゲ丸死んじゃったのか。お葬式か…。パパも悲しいと思うとノマドに伝えてくれ、とワイフに返信。
●ワイフがユータくんのお母さんから聞き取ったコトによると。やはり生き餌の供給は都会暮らしの少年には難しく、ユータくんはトカゲ丸に食べ物を与えられなかったらしい。というか、結局食べ物の供給は4月から通してノマド以外クラスで誰1人成功したことがなかったのだ。ピント外れの子供はなんとカツオブシを水槽に放り込んでた。トカゲが海産物を食うだろうか?カツオブシまみれのトカゲ丸の水槽を掃除するのもノマドだった。でもユータくんも頑張ってた。環境の変化に動揺してたトカゲ丸の気配を敏感に察してた。トカゲ丸はノマドにしかナツカナイんだよ…」と言いながら、ノマドがよく着る黒いTシャツにわざわざ着替えて世話をしたりしてたらしい。しかし結局トカゲ丸はみるみるやせ衰えて、そのまま餓死してしまったのだ。トカゲ丸が死んているのを発見したユータくんは大号泣したという。
トカゲ丸死亡翌日の朝。ユータくん「ノマド、大事な話がある」トカゲ丸を死なせてしまった罪悪感にゲッソリしてしまった彼は、クラスの誰にもその事実を明かせなかった。しかし、ノマドが人一倍トカゲ丸を寵愛してたコトを十分理解していたので、コッソリと報告をしてくれたらしい。ノマド、ショックのあまり頭真っ白、その日の給食にナニ食べたか全然わからなかったという。
●学校が終わって、ユータくんちに急行したノマド。ヤツ自身の観察によると「ゲッソリやせてた。腸の中がからっぽだった。オナカがペラペラだった。」それでもナントカ蘇生を試みたらしい。「電気ショックをやってみた!脳や心臓に電気を通した」なんだそりゃ?あ実験教室でもらってきたカチンコのことか?アトからいきものがかりのもう1人の中心人物ケンくんも合流。結局トカゲ丸の復活はならず、ユータくんちの庭に埋葬をした。
●大事にするから、といって引き取ったトカゲ丸を、早々死なせてしまったコトに猛烈なバツの悪さを感じた3人のいきものがかりたち。しかしこの事実をこのまま秘密にするわけにはいかないと考えて、帰りの会でクラスのみんなに報告しようという結論に至った。発表内容も打合せて、どうして死んでしまったのか、どう弔ったのか、ちゃんと話そうというコトになったという。「お祈りしてください」は段取りにないフレーズで、緊張で話す内容がゼンブ抜けて思わず出た言葉だったらしい。生き物の最期を看取るというのは、やっぱり大変な体験である。


そんで我が家のはくりゅう王。
●おっとりした性格のトカゲ丸と違って、第二のトカゲはくりゅう王は非常にワイルドで神経質な性格。体つきは明らかにトカゲ丸よりシッカリしていて、人間に懐かず、ちょっとした物音にも激しく反応する。シッポが一度切れてしまった経験があるらしく、再生途中の継ぎ目がハッキリ見える。コレがヤクザもののスカーフェイスみたいな貫禄を醸し出してて「いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたぜ」的な主張をしているようだった。
はくりゅう王の警戒心の強さを即座に嗅ぎ取ったノマドは、安心できる環境を提供するためにアレコレ工夫を始めた。水槽の中に小さな丸太を仕込んでやると、はくりゅう王はソコを決まりの寝床にしてスヤスヤ眠るようになった。「パパ、はくりゅう王が起きちゃうから、オンガクの音ちいさくして!」とボクが怒られる場面もあった。朝早く起きての生き餌探しもセッセと継続。ノマドが勝手にテカテカムシと命名した小さな甲虫(確かにテカテカした光沢を放つ虫でした)を10匹以上も水槽にブチ込んだりした。最初は警戒心ピリピリでソレらの獲物をジッと睨むだけのはくりゅう王だったが、どこかで安心できたのか、最近はバグバグムシャムシャとその食欲を見せつけるようになってきた。ノマドが土の中で発見したコガネムシの幼虫を与えると、はくりゅう王は夢中になってシャブリつく。一気に飲み込める大きさじゃナイのに、大切な宝物のように必死にアチコチへ運び歩き、必死にヨソモノに取られないようにしている様子を見ると、なかなかカワイイヤツだなーと思えてくるのだった。

しかし。はくりゅう王も…。
●トカゲを飼育するにあたっては、昼夜のメリハリをハッキリ認知させてあげる必要があるらしい。夜は薄暗い場所へ水槽を動かし、昼間はある程度の時間、日光浴をさせてやるのがルールだった。しかし。先週の金曜日は暑い日だった…暑過ぎる日だった。埼玉県では気温40度に達した場所もあったとな。コレがはくりゅう王の健康に大きなダメージを与えたようだった。
●その翌日の土曜日。いつものように生き餌を取って、水槽の中にノマドが放り込もうとした時。はくりゅう王が白いハラを晒して仰向けにひっくり返っていた。えっ?!はくりゅう王どうしたの?!すぐにノマドがはくりゅう王を元の姿勢に戻してやると、意識を取り戻してお気に入りの丸太にしがみついたらしい。「ママ、はくりゅう王の様子がオカシイ!意識はちゃんとあるみたいだけど…」ワイフは具合が悪いようならその場で水槽から解放してあげたらいいのではと提案したという。「うん…ちょっと様子をみる!」
●その後ワイフが買い物に出かけると、その出先にケイタイへノマドから連絡が。「たいへん!はくりゅう王が動かないよ!」再びペロリと白いハラを晒して仰向けになってしまったはくりゅう王は、今度はどんなに揺すぶっても動いてくれなかったという。「昨日までゲンキにテカテカムシを食べてたのに!幼虫をオモチャみたいにいじって遊んでたのに!」あー昨日の猛暑で熱中症になったのかも…ワイフはノマドにそう言った。
●ワイフが買い物を終えて家に戻ると、ダイニングテーブルがスゴいコトになっていた。ティッシュの上に動かなくなったはくりゅう王が寝かされ、そのカラダにドバドバと水が注がれていたのだ。結果テーブルはビシャビシャ。とにかく水分をカラダに与えれば、スポンジのようにふくらんで蘇生するのではないかとノマドは考えたのだ。みんながゴハンを食べるテーブルにトカゲの死骸を置くなんて…ワイフはまたクラクラ卒倒しそうになったが、ノマド自身は真剣そのもの、救急病院の医師のような険しい表情で、はくりゅう王が蘇るのをジッと待っていたという。

はくりゅう王の棺

(はくりゅう王の棺。保冷剤で冷やしている…。)

ボクが帰宅した時には、立派な棺が作られていた…。
●なんだこの十字架は?「偉大なる白龍王、ここに眠る」おおお?!ノマドこれナンだよ?はくりゅう王死んじゃったのかよ!「うん、死んだ」うそ!朝まで平気だっただろ?…しかしこの瞬間、ノマドはMXTVで再放送してる「らんま1/2」の録画見て大爆笑中。ボクはリモコンつかんで一時停止、おいおいノマドちょっと説明しろよ。「オレは最初、木から落っこったダケだと思ってた。でもトカゲは高いトコロから落ちても死なないから平気だと思ったんだ。そしたら仰向けになって死んじゃった」でも餓死じゃないよな。あんなにエサ食べてたからな。ノマド「おじいさんになって寿命で死んじゃったのかもしれないし、ビョウキになったのかもしれないし」ノマド、アニメの一時停止を解除して再びゲタゲタ。アレ~意外とアッサリしてるじゃないか。はくりゅう王が死んじゃったというのに。コドモってそういうモンなのか?
●あらら。せっかくはくりゅう王もこの家に馴染んできたのにな…そう思ってボクが棺の写真を撮影していると、ノマド「あ!トカゲ丸はいっぱい写真撮ってやったのに、はくりゅう王は生きてる時に写真撮ってなかった!もう少し警戒心が取れたらと思ってたのに!」そういう悔しがり方なのか?そっと棺を開けると、優しくティッシュに包まれたはくりゅう王が仰向けに寝かされていた。「あ、はくりゅう王の目玉がくぼんじゃってる!トカゲって死ぬと目玉がしぼんじゃうんだ!」ノマド、おまえその微妙に冷徹な観察分析ってトカゲ丸の時もそうだったのか?電気ショックとかアレコレ変なコトやったって言ってたもんな。

はくりゅう王の亡骸

(ご臨終。はくりゅう王の亡骸。)

そうは言っても。
●翌日、日曜日の朝。もはや主がいなくなった水槽が、トイレの前にちょこんと置かれていた。そこでノマドが床に顔をこすりつけている。声を押し殺して泣いているのだ。ワイフとボクが声をかけてやるが、ノマドは顔を上げない。毎朝起きたら庭でテカテカムシを取ってやるのがノマドの習慣だったのに、もうソレを食べてくれる相手がいない。カラッポの水槽。やっぱ悲しいよな。


「はくりゅう王が死んでしまいました」
●ノマドはいきものがかりとしての責任を果たすため、再び帰りの会で顛末報告をしたそうな。はくりゅう王が死んでしまいました。しかし、もうクラスのみんなはトカゲたちのコトは忘れてしまったらしい。「そのハナシ、この前ききました!」ちがうよ!この前はトカゲ丸で、今度ははくりゅう王なの!ノマドは自分なりにアレコレ説明したつもりだけど、誰も真剣に聞いてくれなかったようだ。親友のユータくんだけが我が家を訪ねてくれて、はくりゅう王の埋葬に立ち会ってくれた。ヒヨコが庭で育てているヒマワリのソバに、はくりゅう王は埋められた。はくりゅう王は土に帰って草花の栄養となるのだ。…わ、クサッ!死んでから埋葬まで4日程ハコの中に収められていた死体は、キツい腐臭を放っていた。ノマドのいきものがかりとしての使命はコレで終わった。生き物の最期を看取るというのは、大変な体験である。


都会に暮らす子供たちって、この程度の経験しかできないのです。マンションの共同生活では、コレ以上の生き物は飼えない。ただし、生き物が死ぬという経験は、そのチッポケさ、汚らしさ、腐臭のクサさ、気味の悪さ、そのゼンブをひっくるめて子供のウチに感じておかなければならないモノだと思う。コドモたちのいない場面でボクはワイフと何回か話し合った。トカゲたちはそんなに長生きしないだろう。でもノマドには死ぬトコロまでキチンと見せよう。トカゲ丸とはくりゅう王は、よくやってくれたと思う。ノマドにザラリとしたナニかをちゃんと擦り付けていってくれたのだから。ありがとう。


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●今日は六本木で打ち合わせ。会議の最中、みんなで吉野家のうな丼を食ってました。
うなぎを見ると、インテルのCMを思い出す。「ヘ~ビはだめー、ウナギもだめー!」ウナギもだめなんだ…。あの歌の続きが聴きたいなあ。


「借り暮らしのアリエッティのDVDを買いました。
●クラフトマンシップってこういうことだなと、今一度かみしめるのでした。

スタジオジブリ


さて、節電の夏。
エアコンが効いてません。オフィスが暑いです。ガラス張りのエレベータなど、外からの日光で大分温められて温室のようです。マシンルームのような場所でもなければ、確かに今年は本格的にオフィスの設定温度が高めになってます。
●でもでも。自律神経失調症の影響で温度感覚が少々オカしいボクにとっては、とても心地よいです。ビョウキになってからエアコンがスゴく苦手になり、ストールを首肩にかけたりして防寒しなくては、悪寒や頭痛、肩コリに襲われてしまう訳です。ボチボチ暑くなってきた今年ですが、ボクはまだ一度も半袖で外出ができてません。節電気温がちょうどイイ。この程度でイイなら節電大歓迎であります。

それでも、東京電力管区の電力使用率が90%超えたりしてます。
●まだ6月なのに。7月8月はダイジョウブかな?心配になります。ウチはテレビも冷蔵庫もごく最近買い換えたばかりだから、比較的エコに優しい技術搭載型になってる。窓/ベランダまわりは最初からツル草で覆われてる。まだエアコンは使ってない。むーん。すると照明だな。LEDだな。差し当たり、ボクの部屋をいじるか。

LED電球は気持ちのレベルで。
●で、電気屋に行きました。そんで戸惑いました。ルーメンという言葉がでてきたのです。新しい単位の登場。店員さんによると明るさの度合いを示す単位。例えば、480ルーメンとか825ルーメンとか。すいません、サンプルがぴかーっと光ってますけど、ボクには全部同じ明るさに見えるんですけど。3.11以降は新しい単位に度々出会ってきたなあ。マイクロシーベルトとかベクレルとか。そんで今度はルーメン。節電するにも単位の勉強が必要。大変。
●そんで、結果どれくらいエコなんですか?店員さん「コチラの消費電力というトコロを見て下さい。9.2ワットと書いてあります」あーそもそもボクの部屋の今の電球がどのくらいの消費電力なのか知らないぞ。「お客さまの電球はこのあたりですか?」パルックボール…ああそんなヤツだったと思う…え、消費電力12ワット?あれ?コレってもしかして、蛍光灯タイプもLEDもあんま変わんないってヤツですか?「えー、とっても長持ちしますし、家全体で考えるとチリツモでおトクかと…」いやいやちょっとチリツモすぎるような…2ワット程度の節電じゃマジ気持ちとか気分のレベルじゃないですか?それでお値段は?「3840円です」高っ!ボクの部屋コレを3コ使うんですよ…。ヤバい、既存の蛍光灯が既に素晴らしくエコみたい。単価は半額だし。なるほどこれじゃLED普及しねえなあ。
●でも、コレは確かに覚悟の問題であり、気持ちのレベルの問題なのであります。ボク自身が「今年から節電するぞ!」と決意する行為としてLED電球を買うパフォーマンスが大事なのだと思うのです。一消費者としてLED電球購入して、節電産業へオカネを流すコトが日本経済への一押しになる!と思ってやるのです。実はなんか自分でも途中からよくワカンナくなってましたけど。まーいいや、とにかくコレ3つ下さい!
「お客さまスイマセン、今在庫を見ましたらコチラ品切れでして…」ズルッ!おすすめの820ルーメンはない!「そうですね…600ルーメンのタイプはございます」これってみんな明るいヤツから買ってるってことなんですか?ここでボクはまた1人思案する……日本人はLEDでもみな明るい電球を選ぶらしい…しかしこの節電モードで街の明かりもグッと減った結果、少々暗くても不便はないぞ、というコトもわかった…コレはムキになって明るいタイプにこだわる必要はないかも。つーか、あえて暗いのを選んだ方がイイかも!ソレだと消費電力がよりエコだというコトなんですよね?「はい、7.8ワットです!」うわーそれでも微々たるエコだな…。でもイイや!あーもうソレください!(ちょっとヤケクソ気味)お値段は安くなって2150円×3コでした。
●ちなみに、リビング用の照明に使う輪っかのカタチの蛍光灯とかはないんですか?「そういうのはないんです。今ですとコチラの据え付け型になりますね」値段が5~6万!むー!わかりました…サスガにこれはチト高い…まずは電球からコツコツ始めます。
●家に帰って電球をつけてみました。600ルーメン、十分すぎる明るさ。もうちょっと暗くても全然イケル。それと既存蛍光灯とくらべて紫色がよく映える。ナニコレ?よくわかんない。



照明のコトを考えながら「THE DOWNTOWN LIGHTS」という曲を聴く。

THE BLUE NILE「HATS」

THE BLUE NILE「HATS」1989年
●このアルバムに「THE DOWNTOWN LIGHTS」という曲が収録されてます。80年代から活動しているこのバンドはスコットランド・グラスゴー出身。この歌で描かれてる風景は、きっと北国の寂寞とした街灯りなのかも知れません。でもこの曲がボクはなんとなく好き。誰もいない街、誰もいない夜、ダウンタウン・ライツ。そう歌われていても、ボクにとって薄闇の街灯り、特にマンションに規則正しく灯る電気などは、郷愁を誘う心地よい風景。団地育ちの人間にとって、帰るべき場所をイメージさせるのです。
●種類といえば、このバンドはシンセポップというポジション。しかしそんな解釈は評価としては浅過ぎる。80年代のシンセ機材を駆使したクールな楽曲は、ヒンヤリとした質感を持ちながら、一方で独特のエコーが濃い瑞々しさを放っている。そこにボーカル PAUL BUCHANAN のソウルフルで奥ゆかしい歌唱が乗ると、見事なシズル感がでる。結果実にクールなブルーアイドソウルになり、AORになる。スローでジワジワなスタイルがごくごく地味なんだけど、個人的にはメチャメチャ回数聴いている音源。正直、その魅力を言語化することが出来ず、ブログの記事に仕上げられずに何度も挫折したほどのシロモノ。うーん、地味なんだけどスゴくイイってどうやったら伝わるだろう?

THE BLUE NILE「A WALK ACROSS THE ROOFTOPS」

THE BLUE NILE「A WALK ACROSS THE ROOFTOPS」1983年
●でもでも、実は、コチラのファーストアルバムの方がもっと好き。これこそ何回聴いたかワカランほど。特に一曲目のアルバム表題曲にメチャメチャショックを受けたのです。アレ?プレイボタン押したのにな?ってほどイントロのスタートが遅い。そんでグルーヴを抹殺したようなマヌケなタイム感でトントントントンとドラムが入る。80年代ニューウェーブのイビツな脱臼感覚が、ストリングスアレンジや不思議なベースプレイとともに奇妙な緊張を孕むアンバランスさを醸し出してて、でもココにブルージーでソウルフルなボーカルがシックリハマると実に味わい深い楽曲になる。この奇跡の均衡感覚が衝撃だった。地味と言えば最高に地味。でも名曲とボクは思ってるのですわ。クールなんですわ。
●シンセの可能性を、ことさらひけらかすでもなく、実に有機的に取り込んで、でも独特のクールさと湿り気、シズル感をまとわせる技が華麗。同時代のAORやジャズフュージョンよりもずっとモダンで洗練されてると思います。まーあくまで今の視点から見ると「フツウじゃん」に聴こえてしまうかも?なんだけど、今の耳に応える普遍性は全然劣化することがありません。いやいやホントにイイと思ってるんだけどな…でもコレ伝わんないなあ。

THE BLUE MILE「PEACE AT LAST」

THE BLUE MILE「PEACE AT LAST」1996年
●シンセポップから出発しつつも、この段階においてバンドはもっと生々しい音楽に接近しようとしたのか、ギターやピアノなどの生楽器の比率がグッと増した作品。ゴスペルコーラスのモチーフや、ライトなファンクグルーヴが密かに仕込まれてて、ソウルミュージックへの憧憬がジワジワと滲む。それでも基調としてのクールさと奥ゆかしさは全然ブレていない。

THE BLUE NILE「HIGH」

THE BLUE NILE「HIGH」2004年
●コレ含めてアルバムはたったの4枚。寡作寡作と言われて作品リリースの間隔がどんどん広くなるのがこのバンドですが、それでも地道に活動は途切れてないのがエライ。00年代に入ってポコリと登場したこのアルバムには、アレレ!まだ活動してたんだ!とビックリしたくらいです。しかもしかも、作風が全然変わらない。80年代の音楽と比べても全然区別がつかない。時代の流れに全然影響されない。シンセも生もソウルフルも全部完璧なカタチで結晶化してます。…あ、ジャケがダウンタウン・ライツだ。

THE BLUE NILE の良さを伝え切れたか全然自信がありませんが、このCD、ヒンヤリした質感が体感温度下げてくれますよ。エアコン使わず、冷える音楽を聴く。コレも節電かも。



夏至 by Takashi Murakami, 2011

グーグルのロゴが、村上隆になってた今日は、夏至でした。

太陽が高いのは、ウレシい。
●地下鉄通勤のボクがリアルに日光を浴びる時間は実はホンのわずか。あとは陰気に地下街を歩き、節電オフィスでPC仕事。だから出勤時はちゃんと意識する。マンションの玄関で思い切り空を見上げて、目玉に日光をツーンと注ぎ込む。ビーンという刺激が目玉を通じて脳ミソまで届く。気持ちイイ。

6月アタマのプロジェクト決着を受けて、先週は打ち上げ的な食事会が連発。
ビョウキの影響で社交に疲れやすいボクが、3日間連続でお付き合いの食事会に参加できたのは、実はスゴい回復の証明なんです。最近はクスリの量も減らしてます。つーか、量を多めにすると眠気がヒドくて不自由。この状態をボクの造語で「ネム苦しい」と呼んでます。安定剤飲んで眠い、というのは健康な証拠ではないか?カラダがクスリを必要としなくなる段階を迎えつつあるのかも?
●さりとて、飲み会3連投というのは体力的精神的に決して楽ではないので、今週はもうグダグダであります。極力仕事したくない。もうゴロゴロしてたい。そんな気分。だから今日は会社休みました。カフェでマンガ読んでました。たまった代休消化しろとの指令もありましたもので。

●あー、先週はもうひとつ疲れる理由があった。避難訓練がヤバかった。
●ボスから「ちょっとウチの部署を代表して会社の避難訓練でてくれない?」と頼まれたもんですから「ヒマですから出まーす」なんて安請け合いしてしまいました。で、訓練のお知らせメールをみたら「避難は非常階段で。エレベータは使用しないで下さい」とのお断りが。ガーン!29階から1階まで階段降りるの?震災当日にウンザリした記憶が蘇る。総務の先輩と一緒に階段をセッセと降りたのですが、その総務的ウンチクによると「ウチのビル、一見すると32階建てだけど、フツウのビルと比べたら43階建てくらいはあるんだよね」うわソレ聴きたくなかったです。もう足の筋が各所おかしくなりました。
●あげく、消化器の使い方講習では、たまたま立ち位置が悪かったのか、実習をトップバッターでやらされるハメに。警備のオニイさん「消化器を噴射する前にヒトコト、大きな声で「火事だー」と叫んで下さい」え、叫ぶの?えーとえーと、火事だー。ぷしゅー。警備のオニイさん「はいありがとうございました。最初にやるのはナカナカ恥ずかしいもの、皆さん拍手をしてください」パチパチ。うわーもっと恥ずかしいです。
●カラダ中が飲み会と避難訓練でバキバキになってしまったので、今週は鍼灸治療までうけてしまいました。「あいかわらずボロボロねえ。あれ?足ツったでしょコレ」と先生。触診で分かっちゃいます?ツってないですけど寸前までは行きました。会社のビルがあと2階分高かったら階段で転倒事故起こしてました。「こんなにヒドくなる前に来てね」

●さらにカラダにムチ打って、ミュージカルの観劇までしました。

劇団四季「CATS」

劇団四季「CATS」
●横浜みなとみらい21には、キヤノンキャッツシアターという専門劇場があるんですね。ここであの「キャッツ」を観るという家族イベントでございます。ワイフと娘ヒヨコがDVD「マンマミーア」「オペラ座の怪人」でミュージカルに盛り上がり、高額チケットにも関わらず席を予約してしまいました。オマケにボクの両親までついてくるとな。息子ノマドは「興味なし」と公言して離脱しましたが、ボク不在で勝手に盛り上がられるのも悔しいので敢えて参戦したのです。これがこの前の日曜日。
●まーかなり疲労困憊のボクでしたので、ハッキリ言って3分の1は爆睡してしまいました。予備知識を入れていけば良かった…。「CATS」には取り立てて明白なストーリーはないのですわ。24匹のネコがタダひたすら歌い踊るだけなのです。その曲1つ1つがそれぞれのネコの個性を描いているのです。いやーいつまで経ってもお話の本筋が始まらないなあと思ってるうちに爆睡しました。…バレエのような舞台演劇が好きなワイフや、ストーリー度外視で目の前の現象の楽しさをすくいとるヒヨコ3年生のような感性だと十分楽しめたようです。実際、ヒヨコは翌日から一回観たきりの楽曲をなぜかソラで歌ってみせたりして(ヒヨコの耳の良さは時々ボクらをビックリさせます)、見事なキャッツファンになりました。
●しかし、音楽ファンのボクとしては、舞台の見事なネコメイクがどうしてもグラムロックを連想させるワケです。実際、シッポをマイク代わりに絶叫するロックスターみたいなネコもいるのです。そんで結局、このバンドの音楽が聴きたくなってしまったのです。

KISS「DESTROYER」

KISS「DESTROYER」1976年
●いやー、もう雰囲気ソックリでしょう。実際、ドラムの PETER CRISS のメイクは「THE CATMAN」というネコ怪人という設定なんですから。よく見るとネコというよりパンダっぽいんですけどね。「CATS」観てる途中の段階から KISS が気になり始めてしまった程です。
●でも、正直このバンドをマジメに聴いたことは今までなかった。ハードロック自体が実は苦手分野なので。知識もないので、差し当たり代表作「DETROIT ROCK CITY」を収録したこのアルバムがいいかなーと思って手に取った次第です。ところが、この物件、ハードロックというより、非常に整理されたポップロックではありませんですか!このルックスだからもっとゴリゴリでドロドロの音楽が鳴ってると思ったのに。見頃なオーケストレーションアレンジがシャキッと決まってたり、爽やかなロックバラード「BETH」が収録されてたりと、実にバランスのとれたスタイルでビックリ。珍妙なメイクを含めて、イギリス・グラムロックのバブルガムな仕上がり(T.REX とか)をもっと突き詰めた感じ、または同時期のイギリスでアイドル的人気を集めてた BAY CITY ROLLERS を連想してしまいました。さらにこの後のこのバンドは「I WAS MADE FOR LOVIN' YOU」でディスコ路線にまで踏み込むんですから。ステージで火を吹くけど、お茶の間との距離感は絶妙なトコロで、というポップ感覚は、ソレはソレで良いのかも。
「DETROIT ROCK CITY」という楽曲があるから、デトロイト出身つながりで MC5 THE STOOGES と同じパンクでデストロイな空気感があるのかなと思いきや、メンバーたちは実はニューヨーク出身。ブレイクの兆しを作ってくれたのがデトロイトのファンなんですって。なんかアレコレ意外な発見が多かった。


昨日は松下奈緒さんのコンサート@昭和女子大人見記念講堂にいってました。
●可憐なピアノと落ち着いたMCが癒し系でした…。コンサートが早めスタートだと思ったら、終演の後に、松下さんご本人が出口ロビーで震災義援金の呼びかけをしてた。お客さんも帰らず大行列を組んで寄付。今回のツアー10か所は、辛くも予定通り行われたけど、全ての公演でこうした義援金呼びかけをしてたそうな。


空沼工房の名刺入れ

●新しい名刺入れをゲット。フタがふすまになってるのがカワイイでしょ。北海道の女性の職人さんが手作りしてます。実はコレが二回目の購入。先代は先日の大仕事でオシリのポッケに入れてたらバラバラに砕けてしまった。興味ある方は「空沼工房」http://www.soranuma.com/)を検索。他にもナイスなグッズを作ってるお店です~。
●気分一新したいから、古着屋でサマージャケットを二枚買った。あとはナイスなカバンがほしい。少々クタビレた中古品がいいな。コレにシャッキリした色のスニーカーに出会えたらもう言うことナシ。


●今日は、日本のポップソングをアレコレ聴いているのです。
テーマは、カバーソング。

CHAGE「MANY HAPPY RETURNS」

CHAGE「MANY HAPPY RETURNS」2009年
●あのミスタードーナツのCM気になりませんか?仲里依紗さんが、チャゲさん本人と「ふたりの愛ランド」の替えウタを歌ってるヤツ。「夏夏夏!ミスタードーナツ!まちゃまちゃ抹茶オレWITHゼリー!飲んで夏しました~♪」仲里依紗さんの芸の幅にまたもや感心しちゃいながら(コントから声優仕事まで広いレンジ)、ホンモノのチャゲさんを稼働させちゃうトコロもおもしろい!へーご本人も楽しんでるのかな?
「ふたりの愛ランド」「石川優子とチャゲ」名義でリリースされた1984年の曲。JAL のオキナワキャンペーンのCMに使われてた。懐かしい!そんでまたまた1枚のCDを引っ張り出しました。ソレがコレ。チャゲさんのソロアルバムで、パーカッションや弦楽器、ウクレレまでを駆使したオーガニックサウンドで数々の名曲を豪華ゲストとコラボするという企画。ここでチャゲさんが「ふたりの愛ランド」をセルフカバーしている。ゲストボーカルはやはり石川優子さん本人。1990年に引退して主婦業に専念していたトコロをなんとか口説いて参加させてます。もちろんアンプラグドサウンドの奥ゆかしいアレンジで。
●個人的には、「アイドルサイボーグ」とボクが勝手に呼び習わしていた松浦亜弥とのコラボ「飾りじゃないのよ涙は」1984年と、STARDUST REVUE の傑作「今夜だけきっと」1986年をバンドのボーカリスト根本要さんとコラボするトコロ。他にも、キマグレン、スガシカオ、夏川りみ、手嶌葵が登場してます。
チャゲアスが大好きと言ってた高校の同級生、タキイシと、ここ4~5年まったく連絡がとれなくなった…。毎年の同窓会はヤツが仕切ってくれてたから、ヤツが動かないと誰にも会わなくなっちゃう。どうしたんだろう?

岩崎宏美「DEAR FRIENDS V」

岩崎宏美「DEAR FRIENDS V」2010年
●ということで、今日はカバーソング主体のCDを紹介しちゃいましょう。岩崎宏美さんって実はボク的には「聖母たちのララバイ」くらいしかイメージがわかない。でもね、会社のセンパイが最近ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観てきて「いやー岩崎宏美さんはやっぱスゴいね!ありゃアイドルとしての全盛期よりも、実力的には上回るテンションになってる!」へー何気に岩崎さん既に50歳オーバーですけど、今なお進化しているのね。
●ということで、すでにカバーアルバムシリーズとして5枚目になってるこの物件を聴いてみる。アレンジはソレこそピアノ伴奏のみで、ジャズバー的なリラックス感覚とはウラハラな、完全ボーカル一本勝負というコンセプトが歌手魂を感じさせます。パワーボーカルで押し通すだけじゃなく、オトナとしてのクールな抑制力が効いてます。
ドリカム「LOVE LOVE LOVE」から始まって小坂明子「あなた」、姉妹デュエットで岩崎良美とコラボしたザ・ピーナッツ「恋のフーガ」1967年、透明感あふれるアプローチの美空ひばり「愛燦燦」1986年…。名曲いっぱい。
●その中にも一番気になったのは、松原みき1979年のヒット曲「真夜中のドア」カバー。軽快なシティポップでスゲエ気になってる。この原曲と同時期の松原さんの音源を探してるんだけど、安価な値段じゃ見つからない。松原さんご本人は、若くして子宮頸がんに倒れ既に故人。その悲劇的なエピソードも含めて気になる楽曲なんです。コレを岩崎さんは八神純子さんと、松千のシンガー花田千草(←コレも渋い人選!)を召喚、原曲の洗練されたフュージョンテイストに近いアプローチで敬意を込めてカバーしているのです。松原さんとほぼ同世代の岩崎さんには思うことがあるのでしょう。

稲垣潤一「男と女 - TWO HEARTS TWO VOICES - 」

稲垣潤一「男と女 - TWO HEARTS TWO VOICES - 」2008年
稲垣潤一さんもカバーアルバムをたくさん作ってますねえ。「REVIVAL」シリーズで、はっぴいえんどのギタリスト鈴木茂さんの名曲「微熱少年」をカバーしたセンスがボクの中では最高のツボでして、そこからこの人のセンスには信頼をおいております。
●今回は女性ボーカリストとのコラボというコンセプトで、ベテランから実力派までがラインナップされてます。アルバム冒頭から、ユーミン「HELLO, MY FRIENDS」1994年を「残酷な天使のテーゼ」高橋洋子が歌っててイキナリツボです。松田聖子「あなたに逢いたくて」1996年をまたしてもアイドルサイボーグ・松浦亜弥が登場&カバー。中森明菜「セカンド・ラブ」1982年を TRF YU-KI がカバーというのもある意味で新味。辛島美登里「サイレント・イブ」1990年を浮遊感溢れるボーカルで描く大貫妙子さんも素晴らしい。「木綿のハンカチーフ」1975年は太田裕美さんのトビキリチャーミングなセルフカバーでした。

中川翔子「SHINY GATE」

中川翔子「SHINY GATE」2008年
●このシングルのカップリングに注目してます。山下久美子「赤道小町ドキッ」1982年をコッソリカバーしているんですよね。しょこたんのこういうセンスは大好き!80年代ポップスのピコピコ感覚を盛り込んだポップソング!カバーを通じて80年代の勉強できるってウレシいね。

中川翔子「しょこたん★かばー ~アニソンに恋をして。~」

中川翔子「しょこたん★かばー ~アニソンに恋をして。~」2007年
しょこたんといえば、アニソンでしょ。この前もテレビでiPodに12000曲くらいアニソン入れてるって言ってたような気がする。そんで、彼女は、オリジナル楽曲「空色デイズ」でブレイクするまえに、アニメカバーミニアルバム2枚もリリースしてるのです。結構レアアイテムで探すのに手こずりました…。ちなみにジャケは近年の再評価著しい「魔法少女クリィミーマミ」のコスプレ。
●これが、マジストレートなカバーで、原曲に忠実というか、モノマネ寸前というか、完璧コピーなアプローチ。ここに彼女のオリジナルに対する敬意があると思うのです。しかも選曲も渋い。「ドラゴンボール」のED曲「ロマンティックあげるよ」1986年(彼女当時1歳、リアルタイムじゃないじゃん?)、「美少女戦士セーラームーンR」のED曲「乙女のポリシー」、そしてエヴァ主題歌「残酷な天使のテーゼ」、通称「残テ」!もカバー。「タッチ」のED曲、岩崎良美「青春」も懐かしいなあ。

中川翔子「しょこたん★かばー×2アニソンに愛を込めて!!~」

中川翔子「しょこたん★かばー×2アニソンに愛を込めて!!~」2007年
●やや80年代アニメにかたよるオールドスクールな選曲だった第一弾に対して、第二弾は90年代中心、彼女自身のリアルタイムに偏った選曲なのかな。「るろうに剣心」「少女革命ウテナ」「カードキャプチャーさくら」などなど。元祖バラドル森口博子の代表曲「ETERNAL WIND ~ほほえみは光る風の中~」は劇場版アニメ「機動戦士ガンダムF91」の主題歌。渋い!ボクは原曲を7インチアナログで探しました。森口博子「機動戦士Zガンダム」でも主題歌を担当してるもんね。ワイフは「エスパー魔美」のカバーに反応しまくってました。「なんか趣味が一緒ね、同い年くらい?」一回り違います。
「るろうに剣心」の主題歌、川本真琴「1/2」1997年はアニソンという位置づけと関係なく名曲と思ってました。しょこたんも原曲のハジケるポップ感を丁寧にカバーしてます!

ORQUESTA DE LA LUZ「サルサ食堂 ~日本ラテン化計画!~」

ORQUESTA DE LA LUZ「サルサ食堂 ~日本ラテン化計画!~」2009年
●サルサ界では国際的評価を誇るこのバンドの結成25周年企画として作られた、ジェイポップカバーアルバム。元からラテンテイストの強い楽曲を選んでるから、違和感ナイです。キマグレン「LIFE」とか THE BOOM「風になりたい」はある意味マンマです。「晴男」ではバンドはレゲエ/ロックステディに挑戦。PUFFY「アジアの純真」はエキゾ風味増加のブラスロック風。bird「SOULS」は名曲だった…大沢伸一プロデュースの傑作。原曲のクールさが削がれて陽気すぎる気配がありますけど。

ORQUESTA DE LA LUZ「RON VIEJO」

ORQUESTA DE LA LUZ「RON VIEJO」2009年
●オルケスタデラルス結成25周年の本命オリジナルアルバムがこちら。一曲目の「25 ANOS」は「25年」という意味。サルサやラテンのスタンダードみたいな曲もいっぱいやってる。
●それと並列して、やっぱりユニークなカバーが登場してる。一番スゴいのは、「スーパーマリオブラザースのテーマ」だね!娘ヒヨコはスグに反応したね。「パパ、これマリオの音楽でしょ!」って。サスガにキワモノだけど、見事にサルサになってます。竹内まりや「駅」までサルサにしてますが、する必然性があるかどうかは微妙。日本のニューミュージックの湿り気とサルサのエモーションは、融合するとバタ臭さが強くなりすぎる。
DIANA ROSS「UP SIDE DOWN」 CHIC NILE ROGERS & BERNARD EDWARDS が作詞作曲。原曲の持つ80年代ファンクスタイルがサルサと相性がイイのは、ボクにとって発見。「CEREZO ROSA」なんてマンボの古典楽曲なのにスムースなラテンファンクになりかけててクールです。
●大学の第二外国語はスペイン語だったのをチラッと思い出しました。追試ばっかで死にそうだったけど。

PUFFY「THE HIT PARADE」

PUFFY「THE HIT PARADE」2002年
●ダルでユルいキャラ設定のまま15年のキャリアを重ねたロック女子デュオ。オルケスタデラルスのカバーの対象にもなってるほどですけど、彼らもカバーアルバムを発表してます。アルバム単位ではダルでユルいプロダクトというワケじゃないはずだけど、この1枚はなぜか勢い任せのワキの甘いプロダクションで、ややプッキラボウな作りがやる気レスな本人たちの姿勢を増幅してしまってます。選曲も勢い先行のビートロックか、ダルなグルーヴでグズグズを楽しめというスタンス。BOOWY「IMAGE DOWN」、THE BLUE HEARTS「人にやさしく」、近藤真彦「ハイティーン・ブギ」はザクザクのブギーロックでズカズカの一本調子。スピッツ「チェリー」 WINK「愛が止まらない」、田原俊彦「哀愁でいと」のルーズさ加減は、ズブズブ過ぎて一周グルリと回ってヨシと言える出来。まーコレが PUFFY(とその師匠・奥田民生)の本質なのかも。
●1曲、意外な選曲が。ビートたけしさんの「嘲笑」という楽曲。1993年、玉置浩二作曲/北野武作詞。このアコギ主体のフォークソングだけが唯一シリアスなアプローチ。原曲はまだ聴いたことがない。

SCANDAL「R-GIRLSS ROCK!」

SCANDAL「R-GIRLS'S ROCK!」2010年
●4ピース女子ロックバンド SCANDAL がカバーミニアルバムをリリースしてます。制服でロックされるとオジさんはヤラレちゃうんです。アンルイス「六本木心中」で思い切り背伸びしたロックをブチカマすけど、ユーミン「恋人はサンタクロース」はポップにカワイく決めます。山口百恵「ロックンロール・ウィドウ」がハードロックで見事です。カバのイラストジャケ、カワイイね!

JUJU「REQUEST」

JUJU「REQUEST」2010年
●ニューヨーク仕込みのR&Bシンガー、JUJU による、90~00年代ジェイポップのカバーアルバム。一番古い曲で1994年、最近の曲で2004年。ボクにとっては、その辺の時代、ジェイポップという言葉が生まれた時期が、今のリスナーにとってすでに古典の時代に見えてるコトが少しオドロキだった。MY LITTLE LOVER「HELLO, AGAIN ~ムカシからある場所~」1995年。EVERY LITTLE THING「TIME GOES BY」1998年。椎名林檎「ギプス」2000年、THE BRILLIANT GREEN「THERE WILL BE LOVE THERE ~愛のある場所~」1998年。安室奈美恵「DON'T WANNA CRY」1996年。DEAMS COME TRUE「すき」1994年。宇多田ヒカル「FIRST LOVE」1999年などなど……。確かに誰もが知ってる曲だけど、古典として振返るには早いかな~と思ってたです。しかし JUJU にオーセンティックなバラードとして歌い上げられちゃうと、まるで博物館においてある美術品のように、時間の流れの止まった存在感が醸し出されてくる。
●アンダーグラウンドのヒップホップシーンから徐々にドメジャーなジェイポップにせり上がった彼女自身にとっても、ドマンナカのジェイポップを直球で取り上げることは、ある意味で象徴的な仕事だったのかも知れません。この人、そもそもは K-DUB SHINE と一緒に映画「狂気の桜」のサントラとかに関わってた人だからねえ。プロデュース/アレンジ陣には、そのジェイポップの歴史を支えた職人たち、亀田誠治さん、松浦晃久さん、CHOKKAKUさんなどが関わってます。

AIRA MITSUKI「???(スリークエスチョンズ)SINGLE EDITION NONSTOP DJ MIX」

AIRA MITSUKI「???(スリークエスチョンズ)SINGLE EDITION NONSTOP DJ MIX」2010年
●ココで登場するカバーは、小沢健二「愛し愛されて生きるのさ」。つまり渋谷系カバー!もうこの時代へのリスペクトって死に絶えたと思ってましたけど、ポスト・パフュームのエレクトロ女子が見事なピコピコトラックとオートチューンなボーカルで10年代のこの世に蘇らせてくれました。ウレシいね。





●いつもいつも、几帳面に必ず拍手ボタンをつけてくれる人がお一人いらっしゃいます。ありがとうございます。どなたか存じ上げませんが、実はとっても励みになってます。これからもよろしくお願いします。

37歳で体力ヘコヘコになってるボク。
●先週の大仕事が終わって、カラダの虚脱が抜けない。クラクラです。
●技術革新のおかげで、会社行かなくてもオンラインで仕事できちゃったりもするので、今週は一日オフィスに行かずにネット経由で資料作成してる日なんて作ってみました。そんな日は、昼寝して仕事して昼寝して仕事して。へろへろへろへろ。だらだらだらだら。

●このパワフルなオッサンたちの本を読んで、少々凹みました。
なんか、長生きするのがシンドクなってきた。70歳近いのになんでこんなにパワフルなの?

ROCKIN ON BOOKS「THE ROLLING STONES」

ROCKIN' ON BOOKS「THE ROLLING STONES」
●先日コチラの記事で、PETER TOSH「DON'T LOOK BACK」という曲の動画を貼付けました。この冒頭25秒目あたりからヤバい腰の動きのオトコが登場するんです。それが MICK JAGGER ね。いやもうあのクネクネした動きがヤバ過ぎて、目つきもヤバ過ぎて、主役を完全に喰い切る根性がヤバ過ぎて、「うああ、ストーンズには誰にもかなわねえ」とココロから思った場面がありました。
●いやー。このロックの巨人たちと自分を比較するのもおこがましいけど、尊敬を通り越して「もうこれほどタフに生きられません、カンベンして下さい」という気分になります。コレはそんな本です。マジ疲れました。実は結構前に読んだシロモノなのだけど、しばらくコメント不能でした。今は敢えてココからパワーを引き出すつもりで?紹介するのです。
●この本は、1990年から2002年にかけて数回行われた KEITH RICHARDS MICK JAGGER 本人へのインタビューを軸にこのバンドの60年代からの活躍をなぞる内容だ。最初から最後までドタバタしてるロック人生。BRIAN JONES が死んじゃうし、ヘロイン中毒でダメダメになるし、母国イギリスから追い出されるし。この人たちの人生、密度濃過ぎるんですけど。そんで70年代以降ドンドン険悪になる MICK JAGGER と KEITH RICHARDS のカンケイ。この二人、ロックの化身として大暴れする2匹の怪獣のようなイメージですけど、実際の性格は見事なほど正反対だったのです。ソレがクッキリわかる、この本で。
「パイレーツ・オブ・カリビアン」の主人公ジャック・スパロウのモデルだなんて言われてるキースはそのイメージ通り、「永遠の悪童」でありまして、オラオラ野郎でありまして、ガンコで自分のスタイルを曲げない。小細工なんて大キライ、オレが考えてるロックが正しいと明白に信じてる。ただし、打ち解ければフランクで、自分が通過してきた辛い時期を周囲の助力で切り抜けたコトに素朴に感謝を示す。ちょっと不器用な気のイイオッサンではあります。目の前にいたらスゴくコワいだろうけどね。
●一方で意外な顔を見せるのがミックだ。ビデオやライブで見せる凶暴なロックアニマルはあくまでステージで演じるペルソナ。インタビューの場面では、質問者が気の毒になるほど気難しくて、神経質で、理屈っぽくて、手強いインテリのような表情を見せる。ストーンズの中心人物としてバンドをどこに牽引していくべきか常にマーケティング的な分析をしているし、若いアーティストや現在進行形のシーンにも絶えず関心を払っている。自らのスタイルに安住せず、ピリピリの緊張感を保ってクリエイティブに挑む。だって90年代のインタビューじゃ、気になるアーティストとして普通に当時ブレイクしていた BECK THE PRODIGY の名前が出てくるもんね。

●そんな関心から、90年代以降のストーンズを聴いてみる。

THE ROLLING STONES「BRIDGES TO BABYLON」

THE ROLLING STONES「BRIDGES TO BABYLON」1997年
●正直90年代以降のストーンズに興味なんてなかったですよ。70年代から度々問題になってたメンバー不仲が、1989年のアルバム「STEEL WHEELS」で奇跡の和解を果たし「MIXED EMOTIONS」という象徴的な楽曲でミック&キースの友情が感動的に描かれた時点で、「物語」としてのストーンズは「一件落着」しちゃったんだから。そんでアトは余生!もう死ぬだけ。みたいな。
●けどけど、実はこのアルバムでは その BECK と名作「ODELAY」を制作したプロデューサーチーム THE DUST BROTHERS とコラボしているんです。マジ!ご立派!「ODELAY」が1996年発表だから、ダスト兄弟に手を出して1997年にアルバムをリリースするのはスゴく早いアプローチ。今を生きるバンド、ストーンズ!さすが最新のシーンをチェックしているミックです。
●その一方でキース「そんな小細工には付き合えねえ」ダスト兄弟担当曲ではギターも弾かないほどの大人気ない反応。しかもそのダスト兄弟参加曲、ナイスな効果を果たしたとは言いづらい仕上がり。でもでもこれほどのベテランがこのテの冒険心を持ってるってスゴイね。

THE ROLLING STONES「A BIGGER BANG」

THE ROLLING STONES「A BIGGER BANG」2005年
●スゲエっす。軽快に突進です。今のトコロのストーンズの最新アルバム。100円だから買ってみたけど、予想以上にカッコ良くてびっくりしてる。オーセンティックなロックンロールを軽快に跳ばしてくれてます。ココにおいては小細工なし。流行もトレンドもありません。でも風通しがいい。普遍性がある。
●重ねて言っときますが、この人たち全員還暦オーバーなおジイさんなんですよ。先日ブログで書きました細野晴臣さんで今年63歳。そんな彼がオーガニックで慎ましやかな音楽を奏でてるのに対し、この「転石苔むさず」なジジイ共はバキバキにロックしてロールしてる。しかも、異常に軽い。重厚な存在感とかがないんです。痛快なほど軽い。軽く肩風切って、ヘンな威圧感もなく、オメエラちゃんとついて来いと気さくに挑発してくる。キースのギターもミックの激唱も、いつも通りっちゃーいつも通り。でも、スゴくフレッシュで気持ちがイイ。それって素晴らしいことだよな。自分のやってるコトに迷いも限界も感じてないんだもん。なんでこの人たちいつまでも同じテンションで走ってられるんだろう?
●ここでプロデュースワークを行ってるのは、DON WAS という男。1994年「VOODOO LOUNGE」、1997年「BRIDGES TO BABYLON」、そんで本作。90年代から一貫して全てのオリジナルアルバムに関わってる。この強力凶暴なオッサンたちの信頼を勝ち得るスゲエヤツです。同時にクレジットされてる THE GLIMMER TWINS って名前は、JAGGER/RICHARDS の変名ユニットです。


●でね、DON WAS という男も、かなりアナドレナイ。

WAS (NOT) WAS「OUT COME THE FREAKS」

WAS (NOT) WAS「WAS (NOT) WAS」/「OUT COME THE FREAKS」1981年
DON WAS がそのキャリアを立ち上げたのは80年代の最初。今でこそ KEITH RICHARDS の信頼を勝ち得てオーセンティックなロックを録音してる彼ですが、イチバン最初に彼が鳴らしてた音楽は、その後に「ミュータント・ディスコ」と呼ばれるほどアバンギャルドなダンスミュージックでした。実にエキセントリックでヒップなミュージシャンだったのです。
WAS (NOT) WAS DON WAS とその相棒 DAVID WAS のニセ兄弟ユニット。彼らの故郷であり活動拠点であるデトロイトの音楽遺産(60年代 MOTOWN サウンド~70年代 P-FUNK サウンド)に敬意を払いつつ、見事な換骨奪胎でとても奇妙なファンクミュージックを作り出しました。かつての繁栄も今は昔、徐々に荒廃する工業都市デトロイトのイビツなノイズをバキバキ弾き出しながら凶暴にのたうつグルーヴ。野太いベースに強烈なキック、しかし新しいニューウェーブ感覚や軋むギターが入り交じる実験精神がギラギラしています。同時代進行80年代 PRINCE のミネアポリスファンクの気配も感じさせてるし、ゲストミュージシャンとして伝説の始祖パンク MC5 のギタリスト WAYNE KRAMER も参加(MC5 もデトロイト出身だからね)。
●彼らの音源をリリースしてた ZE RECORDS も大注目ね。ニューヨークのアバンギャルド音楽を支えた重要レーベル。ARTO LINDSAY LYDIA LUNCH、JAMES CHANCE といった伝説のコンピアルバム「NO NEW YORK」出身の最前衛な連中から、LIZZY MERCIER DESCLOUX(←CDは持ってるのに発音の仕方がわからない)や CRISTINA、LIO、KID CREOLE & THE COCONUTS といった無国籍的特殊エレポップなどなどを発信し、ニューウェーブを超えた「ノーウェーブ」シーンのドマンナカで活躍してた。WAS (NOT) WAS はこんな連中とつるんで、その後到来するテクノ/ハウスの時代に先行して「リミックス」などの手法も取り入れていく。ZE の音源を見つけたら、そんな連中だったと思い出して聴いてみて下さい。
●このファーストアルバム「WAS (NOT) WAS」は、2004年に「OUT COME THE FREAKS」と改題され、ボーナストラックとしてリミックスを目一派くっつけて再発されました。……そんでボクはこのCDを380円で発見。買い物上手だな~。



●ちなみに、こちらのオジさんにもヤラレました。

『STEPPIN OUT!』 (ステッピンアウト!) volume 3

「STEPPIN' OUT!」2009年夏号 ー 総力特集:矢沢永吉 60歳のロックンロール
「BARF OUT!」編集長の山崎二郎さんが手掛けるインタビュー雑誌。一昨年に読んだんだけど、コレもあまりのパワーにコメント不能になってた物件です。この矢沢永吉さんという人は、KEITH RICHARDS 的な「永遠の悪童」の側面と、そんなパブリックイメージを冷静に分析する MICK JAGGER 的なブランドマネージャーの側面が、奇跡のようなバランスで共存してしまってる人。スゴい人がこの世にはイッパイいる。


【バルセロナ共同】
9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)



 「非現実的な夢想家として」



 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。


 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。






●文字の着色は、ブログ管理人のボク自身によるものです。

先週末で、2月から関わってたプロジェクトが終了しました。
●全社横断型の仕事で、馴染みのナイ部局の人たちとのヤリトリに四苦八苦。カオもよく知らなかったエライ人たちに初接触、カイシャというタテ組織の「お行儀」を、自分が全く知らなかったと自覚(そもそも世間の常識全般に疎過ぎと強く反省)。おまけに震災で大幅に予定も狂って大分シンドイ思いをさせられましたが、結果フタを開けてみたら実に平穏無事に、キレイにストンと着地してくれました。先輩後輩にアレコレ助けてもらったし、今まで縁のなかった人たちに知合いも増えて、この仕事やってヨカッタかも、と今は思ってます。来年もヤレと言われたら、ちょっとヒクけど。
●でも、心身ともにメチャメチャ疲れた。緊張の連続で、今も軽いメマイを感じます。クスリも増やしてたもんねー。ケイタイの万歩計機能で週末の歩数をカウントしたら、このケイタイ使い始めて史上2番目の記録を達成してました。そんなに激しく動いてたのかと思いながら、じゃあ史上1番目っていつだよ?と記録を遡ってみたら、3月11日、大震災で帰宅難民になった日でした。

●ボロボロになって家に帰ったら、ワイフのささやかなごホウビが。

柿の種ソルト&ペッパー

●これ、デスクの女性が会社でボリボリ食べてて、チョー気になってたんです。でもコンビニで探しても自分じゃ見つけられなくて。そしたらワイフがたっぷり買って待っててくれました。ボリボリ食いました。



ここのトコロ聴いていたのは、BELLE AND SEBASTIAN。

BELLE AND SEBASTIAN「TIGERMILK」

BELLE AND SEBASTIAN「TIGERMILK」1996年
●いやいや先週はマジでココロに余裕がなかったです。今でこそ安心できてるけど、つい数日前までは緊張でドキドキの連続、気分も鬱々してきて、またメンタルが凹んでぶっ倒れるかと思った。そんな時は、音楽もシゲキの強いモノは避けなければならない。ウルサい音楽が耳に馴染まず、たどり着いたのがこのスコットランドはグラスゴーの、ネオアコユニット BELLE AND SEBASTIAN。このバンドがアートスクールのレーベルで1996年にリリースしたのがこのアルバム。オリジナルは1000枚しかリリースされなかった激レアアイテムだった…ですが今は再発されて誰でもゲットできる物件です。
実に覇気に欠ける草食系男性ボーカルを、素朴なギターサウンドでフンワリ包んだ奥ゆかしさが、ボクのささくれ立つ神経を優しく慰撫してくれてました。このナヨナヨ加減がイイ。その後現在まで続く長い彼らのキャリアの中でも、一番質素で慎ましい世界。簡単なシンセやホーン、ストリングスの繊細な色付けが、水彩絵の具がフワッと広がるようでとても可憐です。
●ライナーノーツに「SEBASTIAN と ISABELLE の出会い」の物語が書かれています。セバスチャンとベルはグラスゴーの地下鉄の駅の外で出会った…彼は地元のスーパーにミュージシャンを探す張り紙を貼っていた。ベルはソレを見ていたのだ…彼女は予告もなく真っ直ぐ彼のトコロに歩み寄って「やあ!」と声をかけてきた。「私にギターを教えてくれる?」セバスチャンは、そんなコトができるのか自信もないのに、彼女に気圧されるように答えてしまった「ああ、いいよ」……なんかイイでしょ。ナヨナヨ男とゲンキな女の子のユニット。…そんなのは架空のお話で、STUART MURDOCH という男が全権を掌握するバンドなんですけどね。

BELLE AND SEBASTIAN「IF YOURE FEELING SINISTER」

BELLE AND SEBASTIAN「IF YOU'RE FEELING SINISTER」1996年
●バンドがロンドンのインディレーベル JEEPSTER RECORDS と契約してリリースしたアルバム。アメリカでは90年代USインディ名門の MATADOR と契約。ココで一気に彼らの武名が世界に轟く。前作の手作り感覚よりも、さらに可憐で繊細なクリエイティブが愛おしい。邦題「天使のため息」。直訳すれば「もし不吉な感じがするなら」なのに、メランコリックだけど甘美なこの音楽世界を見事に写し取ったタイトルだと思います。
●主要都市グラスゴーを中心としたスコットランドには、元から独立独歩のネオアコシーンが存在していて、BELLE AND SEBASTIAN もその系譜にあります。THE VASELINES(←NIRVANA のカバーによって評価があがった!)や THE PASTELS は80年代からマイペースな活動をしてます。AZTEC CAMERA ORANGE JUICEグラスゴーだし。最初期の80年代 PRIMAL SCREAM もネオアコスタイルでした。あ、JESUS & MARY CHAIN TEENAGE FANCLUBグラスゴーだ。そんでみんな80年代から活動してて、東京の90年代渋谷系(つまりフリッパーズギターなどなど)に直球の影響を与えます。だから、ボクは今回聴き直すまで BELLE AND SEBASTIAN も80年代から活動してる大ベテランだと思ってました…96年からコンスタンスに活躍してるだけで十分ベテランと言えますけどね。でも冷静に考えると渋谷系以降、ブリットポップ以降の世代なのね。

BELLE AND SEBASTIAN「THE BOY WITH ARAB STRAP」

BELLE AND SEBASTIAN「THE BOY WITH ARAB STRAP」1998年
●ボクがリアルタイムに聴いた最初のベルセバ。でもマジメに聴いてなかった…やはりスコットランド出身の同傾向バンド ARAB STRAP の作品と勘違いして買った気配すらある…タイトルが紛らわしいんですよ!
●日本盤なので丁寧な紹介ライナーノーツがついてる…と見せかけて大した情報がない。中心人物の STUART MURDOCK はインタビューを一切受けないと公言し、写真すら公表してないという。バンド活動のかたわら、教会の管理人の仕事をしているという…地元の先輩バンド THE PASTELS も郵便局員が本業だったりしてるから、グラスゴーはプロミュージシャンになるコトだけが目的じゃない、真の意味でのインディシーンがあるのでしょう。ふーん…グラスゴーとかエディンバラとか、スコットランドってどんな土地なんだろう?北国で寒いのかな?日本の東北人みたいな忍耐強い頑固さを連想しちゃう。ベルセバ澄み切ったアコースティックサウンドは洗練を増し、甘美で可憐で、張りつめた気持ちを緩ませる独特のメランコリーを漂わせてる。

BELLE AND SEBASTIAN「FOLD YOUR HANDS CHILD, YOU WALK LIKE A PEASANT」

BELLE AND SEBASTIAN「FOLD YOUR HANDS CHILD, YOU WALK LIKE A PEASANT」2000年
●邦題「わたしのなかの悪魔」。マスカラがちょっぴり滲んだジャケの少女はリアルの双子ちゃんで、その後アイスランドの音楽ユニット MUM のメンバーとして活動してた、というのはWIKI情報。温もりのある弦楽器のアレンジが分厚くなって、より音楽がふくよかになった印象…こういうクラシックの室内楽な気分をロックバンドが取り込むスタイルを「バロックポップ」というんですって。歌い手も女性メンバーや他の男性メンバーが存在感ある登場の仕方をしてきてる。

BELLE AND SEBASTIAN「STORYTELLING」

BELLE AND SEBASTIAN「STORYTELLING」2002年
●このアルバムはアメリカの同名映画のサントラとして制作されたモノ。カンヌにも一応出品されたらしい…内容は全然ワカランけど。だから映画のセリフが各曲の間に挿入されてたり、作品もインストの小品が目立ってたりしてます。でも監督と意見があわなくて、本編では6分しかこの音楽は使われてないとな。ボク的には「I DON'T WANT TO PLAY FOOTBALL」でサッカーなんてしたくないとメソメソ歌う感覚が、真性草食系である自分と直結しててスゴく耳馴染みのいい世界なんですけど。
●ベルセバのジャケットは、ご覧の通り、ステキな写真をキレイな色に染めるスタイルで、まー THE SMITHS のジャケ感覚をそのままなぞってる感じがします。そんなステキなジャケットの中でも、脈絡なく中華風なこの写真がボクは一番好き。こんな民族衣装を着て、彼女たちは鍼灸の鍼をイジくっているのです。

BELLE AND SEBASTIAN「DEAR CATASTROPHE WAITRESS」

BELLE AND SEBASTIAN「DEAR CATASTROPHE WAITRESS」2003年
●先週から一枚づつ古い順でベルセバのアルバムを聴いてたんだけど、このアルバムはちょうど週末の大仕事を無事終えられると確信したタイミングで聴いたんです。朝から天気が素晴らしく良くって、夏至も近い6月だから太陽もスゴく高くて、その日光をギンギン眼の中に注ぎ込みながら聴いてた。気分が明るく晴れて、不安がスッと消えるタイミングで聴いてた。そんな気分がこの音楽をスゴくポップに聴こえさせるんだろうと思ってた。でもね、実際にこのタイミングでベルセバは大きく作風を変えてきてたんです。
●なんとプロデューサーに TREVOR HORN を起用。THE BUGGLES「VIDEO KILLED THE RADIO STAR」から YES「OWNER OF A LONELY HEART」、ART OF NOISE ZTT RECORDS とバリバリのテクノポップを手掛けてきた男だ。ネオアコと真逆じゃん!そんなヤツとどんなコラボが?しかもこの時期はあのロシアの不良娘 T.A.T.U. をプロデュースしてた頃。レーベルも ROUGH TRADE に移籍。かなりの冒険である。
●結果、バンドサウンドはクッと引き締まって輪郭がハッキリするんだけど、元来持ち合わせていたそのチャーミングなポップさはパッと花が咲いたように麗しくて、人生がワクワク楽しくなるような高揚感さえ感じさせてくれるようになった。コレを聴いた後に過去の作品を聴くと、まるで印象が変わって見えてくる。ストイックでメランコリックな過去作品にも、チャーミングなポップセンスがこんなにも可愛らしく仕込んであったのかと感心してしまう。コレは目からウロコの感動でした。ベルセバがドンドン好きになる。

BELLE AND SEBASTIAN「THE LIFE PURSUIT」

BELLE AND SEBASTIAN「THE LIFE PURSUIT」2006年
●かなり振り切ってます!繊細&虚弱体質な内向的少年の音楽から、もっとモダンで陽気なポップバンドへ突き抜けるように変貌してます。今回のプロデューサーの TONY HOFFER BECK のダンス路線に関わってるタイプの人物だし。内ジャケも一気にオシャレでクール。ジャカジャカ足が前に進むバンド感覚や、現行デジタルレコーディングな質感が生み出す安定感が、すごくココロをウキウキさせてくれます。要素は今まで通りバロックポップな気分も十分含まれてる。でも元来から備えてた60年代~70年代のロック/ポップへの憧憬もハッキリしてきて、それを実に00年代風に昇華してるトコロが実に楽しい。なんかね TODD RUNDGREN とか DAVID BOWIE とか LOU REED とか THE MONKEES とか MOTOWN とかね、イロんなモンが見えたり見えなかったりする。でも一貫してチャーミングですわ。
●この次のオリジナルアルバム「BELLE AND SEBASTIAN WRITE ABOUT LOVE」2010年はまだゲットできてない。けどやっぱココでもプロデューサーが同じ TONY HOFFER 。どんな仕上がりになってるか、実に気になるね。

BELLE AND SEBASTIAN「PUSH BARMAN TO OPEN OLD WOUNDS」

BELLE AND SEBASTIAN「PUSH BARMAN TO OPEN OLD WOUNDS」1997~2005年
ROUGH TRADE へバンドが移籍してしまうにあたり、古巣であった JEEPSTER RECORDS がリリースしたシングル集2枚組。ベルセバサウンドの進化が見て取れます。まーこの時代の王道繊細ネオアコを良しとしたファンから見ると、今のモダンポップに移行したベルセバがどんな風に見えるかは甚だ微妙ではございます。
●あ、あと、ベルセバは本来はリリックをキチンとチェックしないといけないアーティストなんですよね。ホントは文系青年のシニカルさが炸裂してるみたいで、ソコは THE SMITHS/MORRISSEY につながる奥行きがあるみたいなんだけど、今回はソコまで読み込むような聴き方は出来なかったです。そこは今後の課題。