●8月も終盤を迎え、コドモたちの夏休みの宿題も最後の追い込みであります。
そこで、彼らの今夏の自由研究を紹介します。
●完全に我が家の「メキシコ/カンクンツアー」を反映した内容です。

ノマド作、チチェンイツァ/ククルカンのピラミッド、150分の1スケールであります。

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●アレコレとマヤ文明の資料本をみて細かいサイズを調べた上で、ソレを必死に割り算して150分の1の縮尺を計算しました。ベースの部分は工作用紙を組み上げて作成。その上を紙粘土でコーティングしてデティールを再現しました。階段の段数もホンモノと同じ各面で90段。頂上にある神殿にも微妙に特殊なモチーフがあったコトが現場でわかりましたので、それも気持ち反映してます。もちろん、蛇神ククルカンの頭像も階段にくっついています。

ノマド自身も出来映えに満足!

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ヒヨコは、刺繍で画を描きました。

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左のポシェットは、カンクンのおミヤゲ屋さんで購入した手作りモノ。粗雑な作りですが、メキシコのギラギラな色彩感覚と特殊な民族文化を反映したデザイン。コレをカワイイと思ったヒヨコは、ソコから得たインスピレーションを土台に自分でこの刺繍をデザインしました。中央の人物たちはワリとニュアンスをそのまま取り込んでますし、周辺にあしらったお花や草木は、やはりカンクンで買ったマヤの民族衣装に施されてた刺繍を参考にしてます。アタマはイマイチでも、手先が器用なのでスイスイこなしてしまいました。


●ということで、夏休みのメキシコ/カンクン旅行。楽しい思い出、またオハナシしちゃいます。
今回は「ホテルとエアライン」そしてソレを予約した「エクスペディア」をテーマにした内容です。
●先日アップした記事、「マヤ文明遺跡巡り」http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20110821.html)と合わせ、ご覧になって頂きたいです。


今回はネットサービスを駆使して、エアやホテルを押さえました。
●具体的には「エクスペディア」というサイト。(http://www.expedia.co.jp/)まるで携帯アプリで地下鉄路線を検索するノリで、ホテルやエアラインを検索するのです。

エクスペディア

●でね、コレが最近まで使われてた「エクスペディア」のバナー広告グラフィック(今は違うバナーが使われてるけど)。
「こんな高級ホテルもサプライズプライス」なんて書いちゃってる。

●実は。

このグラフィックに使われてるリゾートホテルが、ボクらが今回泊まったホテルなんです。

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ほらね。アングルまでほぼ同じです。
●あまりに非現実的で、ウソクサイ写真になったので、息子ノマドを込みにしたバージョンも撮影しました。じゃないとネットからパクった写真に見えるもんね。このホテルがバナーに使われてたと知ったのは帰国してから。マジで偶然。

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●ホテルの名前は、フィエスタ・アメリカーナ・グランド・コーラル・ビーチ・カンクン・リゾート&スパ(FIESTA AMERICANA GRAND CORAL BEACH CANCUN RESORT & SPA)。長い名前…。フィエスタ・アメリカーナという名前のホテルは、他にもカンクンにいくつかあるので、現場では略称して「グランドコーラルビーチ」と呼んでました。

●で、このホテルがおいくらか? 一泊、全部で26981円です。
●大人2人子供2人、ダブルベット2つの部屋、オーシャンビューの11階。カンクンでは珍しい日本人スタッフ常駐体制エクスペディアの評価で星5コ。
●さらに「グランドクラブオーシャンフロント」という名前のちょっとしたハイランクのサービスをつけた結果、コンシェルジュルームでの軽食ビュッフェが全部タダ……滞在期間中、朝メシ昼メシはほぼ全てココのコンシェルジュのゴハンを食べました。加えてホテル滞在中のレストランや各種サービスの支払いが200USドルまでタダになるクーポンサービスまでついてくる……ルームサービスのディナーなんてお願いしちゃった。コレは高いか安いか?ボクはお買い得と思ってこのプランにしてみました。これで5泊の滞在。
実はコレ正規価格の30%オフ。カンクンはクリスマス休暇でやってくるアメリカ人が一番のお得意さん。がゆえに8月という季節は実はオフシーズン。だからホテル側がガッツリディスカウントしてくれたのです。実際お客さんメチャ少なかった!詳しく調べてないから安易に比較できないけど、日本のお盆ど真ん中に設定したこの旅行、日本の代理店に頼んだら超ハイシーズン価格でムシラレテタに違いない。確か同じ5泊で30万弱を提示してたお店もあったような。ネット経由だからムコウの感覚で価格設定されたのが良かった。
●もちろん、部屋のランクを落せばもっと価格は低くなります。多分、さらに半分くらいまで落ちる気がする。ただしカンクンのホテルゾーンは本当に物価が高いので、レストランの食事に東京のホテルと同じかソレ以上のコストがかかります。一回朝メシ食べるだけで1人2000円程度吹っ飛ぶかも。その意味でコンシェルジュルームの無料ビュッフェ軽食サービスはマジで貴重。好きなモノを好きな分量で食べられるし、限定サービスが故に利用者も少ないのでコドモたちだけでも不安なく食事ができます。朝も昼も毎度のように現れる我がファミリーは、ビュッフェ担当のルイス青年と顔馴染みになってしまい、娘ヒヨコですら「グラシアス!(ありがとうの意)」と挨拶を交わす仲になってしまいました。
●あ、ボクは使用しませんでしたが、WI-FI システムも完備されてたようです。日本語対応のPCもホテルのビジネスセンターに配置されてたそうです。使用料は別途発生しますが「グランドクラブ」クラスのお客はいくら使っても無料、とのことでした。

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●ひゃっほー!コドモたちは朝イチ0830時からドバドバ泳ぎまくり。

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●ちなみに「グランドクラブ」のお客はブルーのタオルが敷かれた一番いい場所のデッキチェアに案内されちゃう。日陰が欲しいんだけど…とお願いすると、係のオニイさんが大きくて重たいパラソルをセッセと動かしてくれます。
●オトナリにいたメキシコ人のお金持ち風家族、奥さんは目が覚めるようなエメラルドグリーンのビキニで優雅にピチャピチャ。つーかたとえ激しい三段腹であろうとメキシコ女性は全員バキバキのビキニに臆面なく挑みます。ダンナさんはデッキに陣取ってデッカいオナカを揺すりながらケイタイに向かってズーッとビジネストークをしておりました。
●写真奥に見える三角屋根はビーチバー。プールに浸かったままジュースを注文してヒヨコと一緒に飲みました。

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●初めて体験した嬉しいサービスがコチラ。デッキチェアでノンビリしてると、スタッフさんがよく冷えたミネラルウォーター2本とナッツを1パック、タダで持ってきてくれる!コレ最初はビックリしちゃった。アチいな~と思ってた瞬間にニコニコでオニイさんが持ってきてくれるんだもん。冷たいおしぼりも嬉しかったねー。…お部屋の冷蔵庫からミネラルウォーターを取ると500円くらいチャージされちゃう。このタダでもらえる水が欲しいだけで、プールサイド行ってた場面もありました。
●そんで海もキレイです。白砂がサラサラ!

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●なーんて、エクスペディアで押さえたメリットばかり列挙しちゃいましたが。
モチロン、メンドクサくてヤバい部分もあります!そりゃ当然ね!全部がウマいハナシであるはずがない。

●そもそも、ネット予約ってマジで手応えが薄いので、ホントに予約が成立しているのか不安になるのです。
手元に残るのは、予約の内容を記したプリントアウトの紙だけ。実にココロモトナイんです。ワイフがあまりに心配するので、旅行前日にホテルへ国際電話をかけましたよ。予約がちゃんと出来てるか、英語で必死に確認しましたよ。

●さらに。

今回は、エアで失敗しました。トランジットにシッパイ、飛行機を乗り逃したのです。

●カンクンまでの一番リーズナブルなエアラインは、アメリカ系のデルタ航空だそうです。しかし、夏休みのスケジュール確定に手こずったため、既に希望日時のチケットは売り切れ状態でございました。
●そんで、二番目に価格が安いラインとして、エクスペディアを検索して出てきたのが、アエロメヒコ航空(AREOMEXICO)でございます。…なんだコレ?初めて聞くぞ?
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AM_airline.jpeghttp://www.aeromexico.jp/

アタマにトリをカブッテル人物の横顔、というマークは…うーん…なんとなくマヤ文明の壁画に出てきそうなモチーフで、まあイイ感じ。成田とメキシコシティの間を週3便往復させてます。エコノミークラスでの長時間フライトはどんな場合においてもド根性で乗り越えるしかないので、まーサービスがドン底だとしてもしょうがない、そんな気分でコイツをブッキング。マイレージは日本の航空会社とシェアできないので完全無視。成田のカウンターで、メキシコ国内トランジット分も含めた全てのボーディングパスをもらって、よっしゃ、アトは飛んでいくだけ。

●成田発1525出発。12時間55分の空の旅。メキシコの首都メキシコシティ1420到着。という予定のはず。上記の公式サイトにもそう書いてあります。だから、メキシコシティからカンクンへ飛ぶ国内線1600発の便を押さえ、スムーズにトランジットするつもりでありました。
しかし!ココで大失敗!1420から1600という短い時間では、トランジットできないのですよ。だって、メキシコに着いて、通関手続きやバゲージクレームでの荷物の受取りがあって、そして次の飛行機に荷物をもう一回乗せる、そんで次のゲートへ移動、ってのは、地下鉄の乗換え検索みたいな間隔では成立しないのです。まあこの時間の読みの甘さは、ボクの経験不足ってのが前提にあるんです。けどね、エクスペディアでぽちぽち条件設定してると、普通にこういうトランジットが成立するよってノリで検索結果が出てきちゃうんです。ソレをそのまま鵜呑みにしちゃった。

●オマケにですね、シレッと飛行機が遅れてるんですよ。1時間も遅れてるんですよ。最初はボクが時差計算間違えてるかと思いました。ココはアエロメヒコ特有の問題なのか、太平洋横断航路はこの程度の誤差は当然なのか、よくわかりませんけど、なんの説明もなくシレッと1時間遅れで到着。ヤベえ。マジでヤベえ。メキシコシティの地面に着陸した瞬間に「あれれコレは完全にトランジット不可能だぞ」と思うわけです。こんな事態を想定してもう一本後の便に設定すべきだったのかーと深く反省しつつも、もうどうにもならないワケなのです。

●まーとにかくダッシュで走りましたけどね。ムリです。通関手続きを終えたら出発時刻の1600を超えてるんですもん。アエロメヒコは日本じゃマイナーですけど向こうじゃメジャーみたいなので、カウンターもスゲーイッパイって。もうドコにハナシを持っていったらイイかワカラナイ。ある太っちょ女性係員なんて、ボクがチケットを見せたら大爆笑!「クワトロ!クワトロ!あははは!」4時って言いたいのよね、そうそう遅刻してんのよそりゃボクもわかる痛い程わかるわかってるから笑わないでよ。しかもコトノホカ、意外や意外、つーかそういうモンなのか、もうちょっとどうにかナラナイものか、英語が通じない!普通にスペイン語をボクに浴びせる!なんか変だと思ったよだって飛行機の中のCAさんですら1ミリのテライもなくスペイン語で押し通してたもんね。カンクンは英語がよく通じるってガイドブックに書いてあった…しかし首都メキシコシティは通じない!案内板は普通にスペイン語で、英語がなかなか見つからない。見つかったトコロでうまく読めないし。つーかトランジットに失敗した人向けカウンターなんて、普通には存在しないような気がする。

●…という心配をグッと飲み込んで、極力クールであろうと振る舞っておりましたが、娘ヒヨコが試供品配ってるオネエさんを指差して「アレ欲しい!」とか、キッズスペース的な場所でチビッコが集まってるのを見て「ヒヨコも遊びたい!」などなど、あまりにユルいリゾート気分でフラフラし過ぎるので。ワイフと目配せした上で。
「えー、unimogroove家のみなさまに、大事なお知らせがあります。よく聞いて下さい」ボクから我が家が現在置かれてる危機について報告しました。目下次乗る予定の飛行機は既に飛んでってしまい、このままではカンクンの楽しいホテルやプールやピラミッドには到着せず、この空港にずっと寝泊まりすることになります。ですので、今はオトナシく、パパとママの言うことを聞いて下さい。
「えー」全く危機感のない声を上げるヒヨコ、コイツぶれねえな、ある意味、ハートが強い。一方長男ノマド、外国到着につきアウェイ意識からか元からオトナシかったのに、我が家にふりかかった突然のピンチを正確に把握して、戦慄のあまり凍り付いた模様。みるみる顔が青くなってグッタリしてしまいました。

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●写真は、意気消沈しすぎたノマドと、元気に爆睡するヒヨコ。

●今一度冷静にカウンターを巡ったら、4人目くらいでやっと対応してもらえることになりました英語で。「…あー一体ナニがあったの?」チケットを見ながら呆れてるオネエサン。ワイフが「この人、ちょっとハーマイオニーに似てる気がする」と非常にどーでもいい指摘をボクの隣でつぶやくのを聞きながら、必死に説明しましたよ。ボクらはニホンから来た、ニホンからのフライトが遅れたのは知ってるでしょ、だから別のチケットをくださいなエクスペディアで検索した時には、カンクン行きの国内線は今日中であと2本あるはずだ、ソレに乗れれば問題はない。オネエサンしばらく無言でPCに向かいパチパチあれこれ作業してくれて、無事、4人分のチケットを、しかも揃いの席で発行してくれました。ふーセーフ!飛行機が取れてもバラバラの席になったらノマドがオビえて死んでしまう。よかったよかった。

その後の振替便も、なんだか普通のデキゴトのように出発が1時間遅れました…。
●なのに誰も文句言わないし、これがこの国のレギュラーなのか?結局ホテルに辿り着いたのは24時過ぎでしたよ!24時以降のチェックインになるなら電話で一報を、なんて注意書きがあったけど、メキシコペソの小銭も持ってないし、移動だけで必死でナニもできなかったよ。
●実をいうと、帰国の飛行機もカンクン出発が45分遅れて、元々予約段階からギリギリ設定だったメキシコシティでのトランジット時間をグイグイ圧迫してくれたのでした。国内線は何本かあっても成田行きはもう振替えが効かない。2時間15分のトランジット時間が、1時間30分になってヒリヒリしました。あ、モチロン、成田着もシレッと1時間以上遅れました。途中の給油のためティファナに降りるのですが、そこで思い切り遅れが発生してました。なんでこんなにトコトン遅れるんだ?普通に飛んでくれよ!

●というワケで、アエロメヒコは全く油断のできない航空会社として深く記憶に残ったのでありました。機内サービスは、まあヨクもワルくもなかったけど…あ、途中でトイレが壊れて不便したなあ。成田~メキシコシティのフライトには日本人通訳が1人乗ってましたので、なんかあればその人を捕まえればイイっぽいです。

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メキシコシティを上空から眺めるの図。
メキシコシティは、その都市圏全体の人口が1900万人にも及ぶ巨大都市です。高層ビルが建ち並ぶ、スゴく生き生きした街であります。娘ヒヨコに言わく、「建物の屋根がみんな赤い!(三軒茶屋の)キャロットタワーみたい」キャロットタワーは全身赤いから、屋根だけが赤いのとは微妙にチガウな、と思いつつも、確かに「赤い街」という印象がありました。
●実は学生時代にボクはこのメキシコシティには遊びに来てまして。この街の郊外にあるティオティワカン遺跡(アステカ帝国の首都/太陽と月のピラミッド)や、素晴らしい内容の国立人類学博物館褐色の肌を持つマリアさまが有名なグアダルーペ寺院などを見て回りました。地下鉄ネットワークもかなり高度に発達してて(それぞれの駅がとてもカワイイピクトグラムで表現されてるのがユニーク)移動も便利。
●ただ、大都会特有の殺伐とした雰囲気は当然漂ってまして、あんまり治安もよくないそうです…ボク自身は不安を感じなかったけど。今回の家族旅行ではコドモも一緒ですからこの街はスルー。カンクンはメキシコの中でも一番治安がイイ場所のようなので、ある程度は安心できますよ。


●今回は、エクスペディアを中心とした、ホテルとエアラインの紹介に終始してしまいました。
●お次は、カンクンという街そのものと、お買い物情報。そして「シカレ(XCARET)」という名前のエコパークの話題に触れたいと思います。この「シカレ」が最高でした。


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●バケーションが終わって、もう一週間がたっちゃった。
●休み気分も抜け切って、ホントは仕事でキシキシしてる日々。ことこの夏は、実はなかなかウマくいかない時期なのか、気持ちはとってもジレテル。まーそーゆーことでブログも放っとき気味になってます。


●でも!敢えて!
「マヤ文明の遺跡」だなんてバカバカしい場所にワザワザ行ってみた、その気持ちを。
メキシコ旅行ガイド的な実用情報もコミコミにして、お届けしてみたいと思います。


●ボクら4人家族が訪れたのは。
メキシコのユカタン半島にあるマヤ文明の代表的な遺跡、チチェン・イツァであります。

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じゃーん!ピラミッドでございます。
●まーとりあえず夏休み自体がボクにとって3年ぶり。そんで数年ぶりの海外旅行に行くと考えたとき。ワイフは普通にハワイや東南アジアのリゾートをイメージしてたようです。まーコドモも2人いるし、ムチャな冒険旅行は行けないだろうと実際ボクも思ってました。でも、本来は個人旅行が大好きだったボク。正直リゾートに閉じこもってるスタイルはなんだか不満。それに小学4年生&3年生にもなったコドモにも、もっとビビビとくる体験、スペクタクルな体験をさせたいと考えました。でね、イキナリ提案したんです。「今回は、マヤのピラミッドに行く!」と。

「マヤ文明」ってのを軽ーく説明します。
●紀元前5世紀あたりから16世紀スペインの中南米征服までの約2000年間、メキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドルといった中米の国々にまたがったエリアに栄えた文明。1万5000年前にアジアからシベリア&ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に進出していった人類が、ユーラシア大陸で栄えた文明とは全く独立して純正培養で育てた社会。独自の世界観とソレに裏付けられた高度な天文学を発展させ、金属器段階まで発展しなかった石器文明でありつつも多くの神殿やピラミッドなどなど見事な巨大建築物をたくさん作り上げた人々。ことオリジナルな文字文化を考案したコトは超重要。人類の文字文化の発祥はメソポタミア文明だとされているが、その影響を受けずに完全独自の文字を独力で発明したことがハッキリ確認されている文化は、世界でマヤ以外にない。
●生きた人間の心臓をえぐり出し神に捧げる儀式を行っていた。高度な建築技術を持ちながらも、なんと車輪というモノを知らなかった。馬や牛のような家畜も知らなかった。一方で粗末な野生種から現代のトウモロコシに繋がる作物を品種改良してきた、などなどと不思議とロマンに満ちあふれた古代文明。いやいや、実に興味深いですね。

●……マヤ文明って…。予想通り、ワイフは、ドン引きであります。
●そりゃそうだ、インディジョーンズじゃあるまいし。せっかくの夏休みに古代遺跡なんて。
●しかし。

チチェン・イツァ遺跡は、深い深いジャングルの奥底にあるようなイメージがありますけど、実はそんなに難易度の高い場所にある訳じゃありません。メキシコ南東部ユカタン半島のサキッポにある、一大リゾート都市カンクンに拠点を置けば、ソコから車で3時間の位置にあります。ワイフのリゾートバカンスという希望を叶えながら、ボクの野望を満足させる、なかなかバランスのイイ物件と言えるわけであります。
●ですので、フツーに「地球の歩き方」を読む程度で、ウマいコト現場まで到達することはできるはずなのです。

地球の歩き方 リゾート カンクン「地球の歩き方リゾート カンクン リビエラ・マヤ/コスメル」

●で、ガイドブック読んで、そのオススメ通り、現地の遺跡ガイドツアーをネットで発注したのです。別に難しくないよコレ。

今回はエアもホテルもガイドもネット発注でコスト削減。
コドモが小学生、ボクもワイフも体が弱い、という理由で、他のお客さんのペースに合わせるコトが難しい、だからパックツアーは元来苦手なんです。だからキホンは今まで全部個人旅行。さらに今回は一歩進めて、エアチケットもホテルも遺跡ガイドも全部バラバラに東京から直接ネット発注しました。ネット発注は、ホントに予約が成立してるか手応えが微妙、そしてトラブル処理は自己責任、という不安はありますけど、その不利を上回るコストパフォーマンスの良さを享受できます!以前はH.I.Sにお世話になってましたけど、今は全部自力でイケル。いやあ便利な世の中になったもんですね。

さてさて遺跡ガイドツアー。各社の中から一番マニアックなガイドさんをお願いしました。
●現地の遺跡ガイドさんも検索してみるとけっこう複数ありまして、アレコレ検討したんです。そんで熟慮の末「WATERSPORTS@CANCUN」というトコロにお願いしました。(http://www.watersportscancun.com/) メールで打診したトコロ、ズバ抜けてマニアックな遺跡情報を、ハイパー詳しく提供してきてくれたからです。もしかしたら、フツーにピラミッドだけ見たいなーと思ってるくらいのニーズなら、この過剰な情報量は裏目に出るんじゃないかと思う程、マニアックなコダワリが随所に漂うメールのヤリトリ。「事前にこのサイトで遺跡のベンキョウして下さい」と教えてもらった自作のHPは、普通に印刷すると50ページにもなるボリューム。…とはいえ、ボクもそもそもがマニアック体質、この旅行に先立ってマヤ文明関係の本を図書館から借りて4~5冊読んでたノリ。中途半端な浅い知識でガイドされるより、情熱をもったオタク根性で案内される方がずっとイイと考え、コチラにお願いすることにしたのです。
●本来、カンクンはハネムーンで行く人が多いみたいで、コース設定とかもソコを想定してる気分。グループツアーとなると、ボクらコドモ連れがハネムーンのラブラブカップルのお邪魔をするかもしれない(疲れてフガフガ言うコドモは最悪)。ぶっちゃけボクらのニーズもハネムーン系とはズレテル。そこで今回は、少々お値段乗っけて、プライベートツアー、つまりボクら4人家族だけの、ボクらのリクエストにピッタリ合わせた内容にカスタムしたツアーを組んでもらいました。現場でのアドリブ対応もお願いしました。それでもベースの価格からスゴい高額になるかと言えばそうでもなかった。チチェン・イツァだけじゃないですよ、先方のオススメも含めて、まる1日を有効に使っていろんなトコロ行きました。



●それでは、早速ガイドツアーへ!


◎0700時:ホテルに8人乗りバンが登場。ガイドさん&ドライバーと我が家4人で出発。

●カリブ海に面した完璧なリゾート都市カンクンから、内陸に突っ込んだ場所にあるチチェン・イツァ遺跡までは高速道路で3時間の道程。片側2車線の道路だけど、まー殺風景で人気のない道路を真っ直ぐ進むだけです。ガードレールもない路肩からはいきなり広大なジャングル。薮の中から無数のチョウチョがヒラヒラ彷徨い出てきて、とてもノドカです。チョウチョが異常に多いですね…ガイドさん「この季節はちょうどチョウが多いんです。これが少し前ですと気持ち悪いほどイモムシがいっぱいで。そしてチョウの時期が終わると、タランチュラがワサワサでてきます」タランチュラ…さすがジャングル。

●でもね、ボクがイメージしてたジャングルとはちょっとチガウ…ボクがタイやインドネシア、中国・広西チワン族自治区とかで見たような鬱蒼とした密林、おサルや猛獣やジュラシックパークのダイナソーが飛び出してくるような密林じゃなくて…なんかアッサリしてるの。もっと貧弱で、樹木の背も低くて。
コレ、マヤ文明を考える上で実は重要。この地域、実は降雨量が豊富とは言えない場所で、乾期と雨期のメリハリもハッキリしている。乾期の8月は熱帯系のスコールどころか雲ヒトツない渇きップリ。オマケに土壌は水はけのよすぎる石灰岩質で、結果とても痩せた土地。痩せた土地で農業を成り立たせるには季節の中で気候変化を厳密に読み取る必要がある。マヤが天文学の観測や独特の暦を異常発達させたのは、この環境で季節変化を正確に読み取り、農業を安定的に経営するための強い要請があったというワケです。これ、重要と思います、覚えておいて下さい。…まあ、結果的に気温は高くても湿度がホドホドなので、異常熱波の日本/東京よりは過ごし易いです。

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(意外な程そっけない印象だったジャングル。高速道路料金所のトイレ休憩で撮影。交通量少ない…)

●ちなみにクーラーボックスにはジュース満載。メールの段階から飲み物の好みを質問されて、それを反映してくれる細かい配慮。ウチは炭酸系が苦手なので、水、フルーツジュース、ゲータレード多めで、なんて注文をしました。もちろんウーロン茶やポカリスエットは注文できないけどね。あと、各種スナックお菓子もコドモ向けに用意してくれました。現地のコンビニにたくさん並んでるようなケバケバしいパッケージがマブシイヤツ。


◎0930時:チチェン・イツァの近く、ピステ(PISTE)という村で、朝食の屋台タコス。

●ガイドさんの中ではカンクン近郊でオススメのタコス屋さんがあったようで、そこによるつもりだったらしいです。しかし早朝モードで出発直後はコドモたちが爆睡中なコトと、ボクの「なんかスんゴく地元チックな店がイイです!」というリクエストで、遺跡付近のメチャローカルな村に寄ることになりました。
●人口100万の観光都市カンクンとは全くチガウ世界。強い日光に晒されて、道路も建物も自動車も何もかもが白茶けちゃった。村の人はみな簡素な建物が作る暗い日陰に静かに慎ましやかに潜り込んでいる。コンクリートのカベに直接ペンキで塗ったくったコカコーラなどなどの広告だけが、メキシコのギラギラした色彩感覚を連想させるけど、この地域の90%以上を占めるマヤ系先住民族の人たちは、ボクらがイメージしがちな陽気なラテン気分とは異質の、独特な苦みと渋みを醸し出してる。ブルースだぜ…。

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そんで、コレがタコス屋さん。つーか、屋台とも言えないほど小規模だね…。
●イイ味が滲み出たオジちゃんオバちゃんが二人でやってる店。日本人のガイドさんじゃなくて、完全地元民のドライバーさんが知ってたトコロっぽい。お店と言えど名前もないだろうね。ユカタン郷土料理の、豚肉の蒸し焼きをほぐしてハバネロ込みのカライソースでグチャグチャ和えました(素手で)的な具を、新聞紙に包まったオバちゃんの手ゴネトルティーヤで巻いてどうぞ召し上がれ、って感じ。ガイドさんの「屋台もね、流行ってるトコロは大丈夫なんです。流行ってないトコロはダメですよ、モノが古くて痛んでるから。流行ってる店は、朝作ったヤツだから大丈夫」まー文字にすると当たり前すぎるけど現場じゃ妙に説得力ある解説を聞きながら、パクッと喰ったらコレがうまい!ヤバいマジうまい!素晴らしくカラウマい!カンクンのホテルのタコスよりうまい!すんません、オカワリ!もう二本ください!トルティーヤが口に合わないコドモたちにはコッペパン的なモノで挟んだバージョンを作ってくれるオジちゃん。ムイブエノ!(←とてもイイっす!の意)とか言いながら、オジちゃんオバちゃんと記念撮影を取りました。

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●ちなみに、マヤ先住民族の人たちは、おしなべて背が低い。まあ最初はビックリした。このオジちゃんで多分150センチに足りてない。オバちゃんは130センチだね。ワイフより長男ノマドに近いほど。でも肩幅はガッシリしてて頭カオは普通サイズ。肥満率世界第二位(一位はもちアメリカね)という記録を反映してか皆さんオナカは立派。


◎1000時。さあ、やっとチチェン・イツァ到着。遺跡探訪。

●数あるマヤ遺跡の中でも一番観光化されてるはずの、チチェン・イツァ遺跡。ピラミッドが見えた瞬間はマジでテンション上がりましたよ。うわマジできちゃったマヤ文明。ボクと長男ノマド、やはり男子はこういうのに燃えるよね。

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チチェン・イツァの遺跡の半分は、西暦10世紀から13世紀にかけて建造された街。実は平安~鎌倉時代のモノなのね。エジプトのピラミッドが4500年前の物件と考えると、ワリと最近。マヤ文明全体が最高のピークを迎えるのは西暦9世紀。マヤ文明の一大センターだった隣国グアテマラにあるティカルという街が衰亡してしまった後、チチェン・イツァマヤ世界の次なる中心地の役割を担った。ここにあるククルカンのピラミッド、通称「エル・カスティージョ(スペイン語でお城って意味)」もそのころ建造された。
●テッペンにある神殿には、生け贄の心臓を捧げる台と太陽の象徴・ジャガーの像があるらしく(下からじゃ見えないです)、王と神官が大事な儀式を行ったそうな。どういう仕掛けか、ピラミッドを正面にして柏手をパンと叩くと、ぴょん!ぴょん!という奇妙な反響音が鳴る。一部の宗教エリートが一般大衆を支配したこの文明は、そのエリートの神秘性を演出する仕掛けに非常にコダワってた。

ククルカンとノマド

(ククルカンの頭をマイデジカメで撮影する息子ノマド)

●なかでも一番有名なのが、ククルカンに羽が生える日がある、というギミック。ピラミッドの北面の階段にはククルカンという大蛇の顔がくっついている。ククルカンはマヤ文明ではとても重要な世界創造の神様で、羽毛に包まれてるヘビの姿をしているのだ。さて、底辺がほぼ正方形のこのピラミッドは東西南北に対して、とある微妙な角度に傾いて建てられている。この工夫の結果、春分の日&秋分の日の二日だけ、夕日がピラミッドの側面に影を落とした時、ククルカンの顔に繋がる階段の手すりにギザギザの影が出来る。あらー、マヤ人は実に細かい工夫を施したモノだ…すげえ高度な天文学的教養と建築技術。

ククルカンの出現

(アメリカの観光サイトから拝借しました。階段の部分に影が落ちて、ククルカンの頭からギザギザの胴体が伸びているみたいに見えるでしょう。春分/秋分の日にだけ起こる現象です。)

チチェンイツァ春分の日の騒ぎ

(最近ではこのククルカン出現現象が世界中のスピリチュアリストに注目されて、一種のお祭り状態になるほどお客さんが集まってしまうそうです。まるでロックフェスみたい。)

そんな小細工がなんの意味を?…コレがさっき言及しました石灰岩の痩せた土地に繋がるのです。
貧しい土地と限られた降雨量で農業を安定的に営むには、この土地は正確に暦を計算し、その季節変化に対応した作業を規則正しく行うコトが非常に大事。だからこそマヤのエリートは天文学や暦学を深く研究し、その知識を駆使して一般大衆の生産生活を指導支配していた。春分秋分に演出される神秘現象はそんな彼らの知識をてっとり早くプロモーションし、自分たちを権威付けするためのトリックだったと思う。ちなみにソコまでしてセッセと作った作物はトウモロコシトウモロコシはメキシコ原産の野生種を彼らマヤ文明が作物化したモノで、スペインの侵略者の手で全世界に伝播した食べ物なのです。メキシコ名物タコスのトルティーヤもトウモロコシで作ります。

●ちなみに暦学への理解の深さを証明するポイントをもう1つ。このピラミッドの階段は91段×四面&神殿の入口に1段、合計全部で365段で構成されてるとのこと。当然1年の日数を象徴した配慮。チチェン・イツァには天文観測を行ったと見られるドーム状の建物もある。自分たちに恩恵をもたらす太陽と季節の動きにココまで細かくコダワったトコロに、貧しい土地に暮らす人々の必死な思いが滲み出てるようで、スゴい人間臭さを感じる。1000年も時代は隔てられてるけどね。

●またマヤの人々は、太陽が沈み、また昇る、という自然現象を、当たり前のルーチンとして捉えてなかった。太陽は夕刻で一度死んでしまい、地面の下にある「死の世界」でなんとか頑張って、そんで朝に改めて復活する、と考えていたらしい。なんかのシッパイで太陽が復活してくれなかったら大変だ。だから全力で太陽を応援し、自分たちの大切なモノを無心で捧げる。生け贄の習慣はそんな発想から始まってるみたい。だからこそ若い青年の胸を生きたまま切り裂いて、その新鮮な心臓を神様に捧げる、なんてマネをしていた。下の図、四人掛かりで若者を押さえつけ、カパッと胸を切り開いて、神官が臓物を取り上げております。

マヤ生け贄の儀式

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●ですので、ピラミッドの周りには、その生け贄関連の設備もイッパイある。この写真は、生け贄の首を切り落とした場所?(記憶が微妙)そのカベには無数の頭蓋骨が掘り込まれていて、この全てが串刺しになっている、という設定らしい。

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こちらは「球戯場」。
「球戯」ってなんだよ?マヤでは、サッカーに似た競技を行って、勝ったチームのリーダーがその栄冠を祝して、首を切り落とされる&心臓をえぐり出される、という儀式があったという。…もちろん、誰もが生け贄になりたくてナイスプレーをガンバルなんてコトはないようで、戦争の捕虜となった他国の身分ある青年をムリヤリリーダーに仕立て上げ、ほぼ八百長な筋書きの元にゲームを行い、生け贄にしたらしい。ちなみに、これは是非間近に見たい遺跡だったんだけど、残念ながら内部は改修中で見学不可だった。
●さていったいこの「球戯」はどんなゲームだったのか?基本的なルールは、腰&オシリだけを使ってボールを弾き、カベに据えられたリングにゴールするというモノ。腰?オシリ?最初は意味が分からなかった…が、別の場所で行われたショーの中でこの「球戯」の実演を見ることが出来た。ドッジボールよりも少々小さめのゴム球?を使うんですけど、両腰ワキの骨盤のデッパリあたり?にバチンと当てるコトでうまいこと弾むんですよボールが。たとえボールが完全に床を転がる状態になっても、選手はスライディングの要領で地面を滑って骨盤ワキにボールを当て、そのイキオイでまた高くボールが弾んだりもする。はれー器用だねー!めっちゃ感心した。

マヤの球戯

(ネットから見つけた写真。コレで「球戯」の雰囲気、分かるかなあ?)

でも…。遺跡巡りにコドモがクタクタ。
●ジャングルはキレイに切り拓かれて、結果日光が直撃。メチャ暑いです。それでも木陰を探しつつ、数々の建造物を見て回ります。ガイドさんの遺跡解説は予想を上回るマニアックぶりで、自主予習をしてたボクは楽しめてもコドモたちはその情報量にアタマがパンクしてた模様。ボクと同じく図書館の児童室から資料本をワンサと借りて予習をし、現場にノートとマイデジカメを持ち込んだ長男ノマドですら暑さに負けて意気消沈。古代ロマンに1ミリの興味もない妹ヒヨコはフニャフニャ星人になりました。結果、遺跡巡りは半分の行程で中断撤収!
●ナニブン一番痛いのは、以前は遺跡に登ったり触ったりできたトコロが、近年ロープが張られて遠くから眺めるだけになってしまったコト。ピラミッド登りたい!と思うけどソコが叶わなかったのが残念。ロープ規制の原因はそのピラミッドからスッテンコロリン転がり落ちて重傷を負った人が続出したからって話?つーか重傷どころか即死でも不思議じゃないスケールなんですけどね。それでも全ての建物がロープで仕切られてるのは、サスガに野暮と思ったなあ。

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(メキシコ人ツアーのお客さんですら、デカイ日傘を差してました。ボクらも暑さ対策グッズをアレコレ用意したつもりだったけど、ホントに暑くてシンドイ。結局遺跡巡りは半分で断念。断念しても他のお客に迷惑をかけないのがプライベートツアーのイイ所。決して無理せず撤退が楽しい旅と思うのです。)

遺跡敷地内は、現地の人たちがおミヤゲをたくさん売ってます。カラフルでかわいい。

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●特に、カラフルな刺繍を施した民族衣装のワンピースは印象的だった。男性の服装は完全に現代化しちゃったけど、現地のオバちゃんや小さな女の子たちはごく普通に日常生活でこの服を着こなしてて、道路脇に見える民家にはこの服が洗濯物として普通に干されてたりしてる。強い日光の下だとこの白地が眩しくてホントにキレイ。

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ヒヨコはこの現場で一着買っちゃいました。涼しい素材で出来てるから本人も楽に着こなして、カンクン滞在中も普通にこの服を着て街を歩きました。ワイフも大人バージョンでコレが欲しかったようですが、カンクンのショッピングセンターにあるだろうと考え、スルーしたのがシッパイ。実はこの遺跡の道端で売ってるおミヤゲ屋さんが一番種類が豊富で、価格も安かったとのコト。特にトライしなかったけど、ディスカウントも出来ただろうな。


◎1230時。お次は「セノーテ」。地下の泉で泳ぎます。

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これ、スゴいでしょう!地下20メートルに広がる、地底の泉です。
●ユカタン半島は石灰岩質の土地、って何回も言ってますが、結果水はけが良過ぎて雨は全部地面に吸い込まれてしまいます。結果大きな川も湖もありません。その代わり、吸い込まれた水が地下水流を作り、時としてこのような地底の泉が出来てしまう。コレを「セノーテ」と呼ぶのだそうです。マヤの地にはこんな場所が無数にあるらしく、古来から生活のために使われています。ガイドさんオススメのコチラのセノーテは「CENOTE SAMMULA(CENOTE SAK MUU JA)」チチェン・イツァから車で30分ほど移動した小さな村の中。完全洞窟な石階段を降りて広がるこの景色。直径約50メートル、一番深いトコロで水深5メートル?そんな場所で泳ぐのです!

●ガイドさんのサービスで、ライフジャケット&シュノーケル&フィンを貸してもらいました。水着に着替えてドボン!ふあークソ暑い遺跡の後に、冷たく澄んだ地下水はたまらなく気持ちイイ!生き返るなあ!いつまでもフワフワ浮かんでたい。…写真中央に光が落ちてる部分は、そこだけ天井に穴が開いてて空が見えるという仕組み。蔓草のように垂れ下がっているモノは、地上に生える大木の根っコ。乾燥した大地に生きる植物は、ココまで深く根を張って逞しく命をつないでいるのです。
●遺跡よりもココでのスイミングを楽しみにしてた娘ヒヨコ、突然の絶叫!「きゃー!サカナがいる!」石灰石で濾過された水は透明度が高く、水面下の生き物もハッキリ見えます。よーく見ると15センチ程度の黒い小魚がイッパイ泳いでいるのです。ガイドさん「ああ、ココにはねたくさんのナマズが住んでいるんですよ」ナマズ!天井の穴を通ってこの空間に飛んでくる小鳥やコウモリが水面に落すフンや食べ残したエサを、このナマズたちは拾って食べているという。ハナクソサイズの小石を水面に落すだけで、ナマズはピンと反応して集まってくるのです。「いやーナマズはいやー!おヒゲが生えててイヤー!」浮き輪を握りしめたヒヨコは終始手足をバタバタさせながらナマズたちを追い散らしておりました。

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●コンクリート作りの簡素な更衣室に立つ息子ノマド。その隣のおミヤゲ屋さんは茅葺きのマヤ風伝統家屋。街道沿いはほぼコンクリート作りの家になってしまったけど、その裏手には未だに茅葺き&木を束ねて建てたカベで出来たこのスタイルの家が沢山ある。スキマが多い方が風通しがいいんだろうな。

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セノーテのお客用駐車場で会ったマヤの女の子たち。
●多分自分で作ったであろう、ツタない刺繍入りのハンカチを一生懸命売ってた。「ディアスペソス!(10ペソの意=70円程度?)」年齢を聞いてみたら、10才と8才とのこと。ウチのコと同世代だ。日本人ガイドさんの目を避けるように現地人ドライバーが片言英語でボクに話しかけてきた。「見てクレ、彼女たちはクツを持ってない、ハダシのままだ。こうして毎日オカネを稼がないといけないんだ」このメキシコにおいて先住民族の人たちと都会生活者の生活格差はマジで激しい。結局ハンカチを一枚買って、もう10ペソ、おこづかいをあげてしまった。
●…娘ヒヨコは赤ポロシャツの子と同い年。「あの子たち、子供なのにピアスしてた…スゴい…クツないのにピアスするんだ…。」あ、そういうリアクションもあるのね。


◎1330時。ランチ。街道沿いのレストラン。

●茅葺き屋根のナイスなお店だったけど、写真撮り忘れた。グルメ情報は大事かもだけど、イマイチ関心がないんだよねボク自身が。失敗した。


◎1500時。第二の遺跡、エクバラム。実は圧倒的にコッチの遺跡がオモシロかった。

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エクバラム遺跡は、チチェン・イツァのように観光化が進んでないので、基本的に遺跡に触り放題なのです。いくつもの建物に登り放題だし、かつて建物を覆ってた漆喰の痕跡をナデナデしたり出来ます。やっぱ生身で感じる遺跡体験の方が楽しいですよね!コドモたちも元気復活、遺跡探検開始です。(でもでも、みなさんコレは貴重な人類の宝ですからね、節度は守りましょう)

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●例えばこちら、かつての王族/貴族が暮らしていた小部屋。ロープなんて張られてないから、自由に建物の中に入ることが出来る。天井には「マヤン・アーチ」と呼ばれる特徴的な建築手法が用いられてる、そんな説明をガイドさんから聞きながらワクワクするノマドの様子。部屋の奥の寝台からは子供の骨が発掘されたという。近しい人の遺体は自らのソバに葬る習慣があったらしい。幼い子供の亡骸と添い寝してたんだ…そんなコトが体感できる遺跡がエクバラム。

「エクバラム」はマヤの言葉で「黒いジャガー」の意。音楽ファンとしてはブラックスプロイテーションムービーの傑作「SHAFT」の邦題を連想しますな~ ISACC HAYES のサントラ、アナログで持ってます。チチェン・イツァのピラミッドよりやや古い遺跡で西暦6世紀から10世紀に栄えた街。でも遺跡発掘事業は大幅に遅れてて、存在は知られつつも1990年代までほとんど手つかずだったらしい。が、97年の発掘で王様のお墓、遺体に副葬品、生け贄などなどが続々と発見され一躍注目を集めた。チチェン・イツァはとても有名だけど、お宝らしいモノは見つかってない。一方エクバラムは規模こそ小さいけど、掘れば必ずナニかが出てくるという場所が未だに手つかずで残っている、まさにコレからの遺跡なのです。

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●そんな事情で未だマイナーなモンですから、お客も多くないです。結果その貴重なピラミッド(厳密には、神殿=アクロポリスと呼ばれてます)にも、落ち着いて登るコトができます。…でもね、写真で伝わるかな…コレがホントに激しい急斜面なのですよ。ぶっちゃけコレ危ない!恐い!やっぱり転げ落ちて重傷を負った人はいるそうです。でも手スリを設けるとかそんなフォローはナシ。ナニが起きても自己責任。そこが日本と違うね。アメリカ人グループはアッケラカンと上半身ハダカ&ビキニで汗をかきかき楽しく登っておりました。ワイフはその高度に怯えひーひー言いまくってました。ノマドはテンション上げ上げで「オレが一番に登るぜ!」とダッシュで駆け上がっておりました。

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で、コチラがピラミッド頂上からの景色。
●高さ34メートルくらいだっけかな…つまりマンション10階建てと同じ。周囲360°が全部ジャングル。全くの凹凸のない真っ直ぐな地平線が続いております。密林の合間からチラチラと遺跡がアタマを見せています。ガイドさんからアレコレ解説を聞くノマド。ちなみに、この写真を撮った方向は、昇ってきた階段の向き。しかしこの背面は完全な絶壁になってて、落ちたら大変なことになります。サスガにココには転落防止で木の柵が建てられてる。

ちょっと脇道なオハナシを。ジャングルの焼畑農業。マヤ文明の衰亡。
●ピラミッドのテッペンから見渡すこの広大なジャングル。古来マヤの人たちはこの土地でトウモロコシなどを育てて暮らしてきたといいます。エクバラム遺跡に来る途中、車窓からそんな畑もチラリと見ることが出来ました。大規模農園なんてモンじゃなくて、雑草の中に背の高いトウモロコシが並んでいる程度の畑。ガイドさん「雑草や他の野菜も全部一緒にして育ててるんですよ」ふーん。
●しかし、石灰岩質で土壌が痩せてる、いやハッキリ言うと地面は石と砂だけでほとんど土がないのがこのジャングルの実情。そこで作物を育てるにはどうしたらイイか。ジャングルの植物を焼き払ってソレを肥料とするのです。そして一度作物を育てた畑はもう栄養が残っていないので、再び地味が戻るまで土地を休めるのです。ズバリ焼畑農業ってヤツですね。
●ガイドさん「でもね、一回使った土地がまた使えるようになるには、20年かかりますからね」ええ!20年!?1年分作物を育てて、それで土地を休めるのに20年?!マジ?知らなかった…焼畑って大変だよ。やっぱり土地に対する負担がハンパないんだね。さらにガイドさんいわく、問題はまだあるらしい。「畑を作るためにジャングルを焼きますよね。どうやって火を消すと思います?…雨が降るのを待つしかないんです。」えーっ?マヤ文明が季節変化を必死で研究したのは、焼畑の火を止めるのは雨期到来の降雨しかないという事情もあったのだ。あと何日で雨が降るかという逆算を丁寧に見積もってジャングルを焼く。しかし最近は地球温暖化の影響か、雨期到来のリズムが不順で焼畑が止められないコトもあるという。元から乾燥した土地、消防車が来たって水がない。結局、不必要にジャングルを焼いてしまうのだ。「高速道路の周りが煙と炎に巻かれてるなんて時もありますよ……まあ間違えて焼いた土地もなんとか畑にしていきますけどね」

●この意味で、この土地はどうにもならない発展の限界があるというコトがわかる。マヤの人々が、文明としてどんなに高度な知識や技術を蓄積しようと、ある一定の人口以上を維持することは出来ない。痩せた土地の食糧生産量はもう決まっているからだ。西暦10世紀頃にマヤ文明はピークを迎えるが、その後膨れ上がった人口を維持することができず、食糧/水資源の不足とそこから引き起こされる戦争で一気に人口が激減、文明は衰亡してしまう。そして都市は打ち捨てられ、ジャングルに覆われ、大西洋をわたってきた侵略者がその遺跡を発見するまで忘れ去られることになるのだった。成長の限界を超えて文明は生き残ることはできない…。

●さて、目を転じて今の地球文明はどうなってるだろう?
資本主義は無限の成長と拡大再生産を宿命づけられているシステムだが、自然環境には社会や人口を維持し得る限界が存在している。ソコを無視して際限ない成長を望めば、必ず破綻がやってくる。「原発を止めれば日本経済は死ぬ」という言説があるが、原子力発電のようなハイリスクのエネルギーを採用しなければ維持できない社会構造は、すでに成長の限界を迎えているとも言えないだろうか?大きな食糧供給力を持つ豊かな土地を大量に汚染して、自然環境の許容限界はより狭まってしまった…。


◎1730時。バジャドリード(VALLADORID)の修道院へ。

カンクンから、チチェン・イツァエクバラムまでを自動車で移動するにあたり、おおかた通過するであろう街がバジャドリードであります。現地の発音により近づければ「バジャドリ」という感じです。コドモもワイフも遺跡で興奮してもうこの夕方にはクタクタでありました。普通ならこのまま高速道路で帰路へ、というトコロですが、この街に立ち寄りあえて見物していくと言うのは完全にボクのリクエストでした。

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写真は、バジャドリードの中央広場(ソカロと言います。メキシコの街には広場がほぼ必ずあります)。
コロニアル様式と呼ばれるヨーロッパ風の古い建物が立ち並ぶ、奥ゆかしい街。夕刻を迎え、シエスタを終えた食堂や飲み屋さんがもう一度店を開ける時間。強過ぎる日光を避けていた人々がワサワサ表に出てきて、街はとてもニギヤカ。自動車の交通を前提としなかった道路は狭くて、一方通行がクネクネ。カンクンのような人工都市とは違う、歴史と生活がゆっくり沈殿した街であります。そんでこのソカロ。夕涼みをするオジイちゃんや親子連れでにぎわっていました。

でもね、16世紀にこの街を作ったのはスペイン人征服者です。
「コンキスタドール」って言葉があります。直訳すれば「征服者」という意味です。エルナン・コルテスによるメキシコ中央高原/アステカ帝国の滅亡(1521年)や、フランシスコ・ピサロによるペルー/インカ帝国の滅亡(1533年)などなど、アメリカ大陸はヨーロッパから来た侵略者に徹底した攻撃を受けます。鉄製の武具防具、アメリカ大陸にはいなかったウマとソレを用いた騎兵隊、そして銃。新大陸の先住民族が知らなかった兵器が彼らの社会を崩壊に追いつめました。そして何よりも強力だったのが伝染病。大西洋を越えて持ち込まれた新しい病気に、全く免疫を持たない先住民族の人々はバタバタと倒れ、一時は人口の9割が死滅したとさえ言われています。…この侵略の時代は、日本で言えば種子島の鉄砲伝来やザビエル来日と同じ時期。世界史の極めて乱暴な局面を日本は実に穏当に乗り切ることができたのだなと、南米の歴史と比較するとメッチャ深く感じ入ります。現代でこそ彼ら「征服者」の蛮行は責められるモノとされてますが、当時はまるで英雄のように立ち振る舞ったのです。その負の歴史は、この国メキシコにとって無視することは出来ません。
●ユカタン半島にもコンキスタドールはやってきて、このユカタン州の現在の州都メリダを建設します。その流れでバジャドリードも作られました。いずれも戦略上の要所として建設された植民都市です。コロニアル様式って「植民地様式」って意味だもんね。

1847年「カースト戦争」。マヤの人々の抵抗運動。
●16世紀。アステカ、インカに続いて征服されたマヤの地。しかし白人はジャングルにはやってこない。中央集権的な帝国のカタチを取らなかったマヤの人々は、都市を侵略者に奪われても、古来からのジャングルの農村生活を静かに守るコトが出来れば十分。土地所有の概念もなかったマヤの人々は、スペイン人に自らの土地を征服されたという意識すらなかったかも知れない。
●しかし、時代が流れて19世紀。メキシコがスペインから独立すると、この新政府が新しい圧迫が始める。新しい法律、新しい税金、新しい宗教。マヤの人々は、ヨーロッパ系移民やメスティーソ(混血)が経営する大型農園で事実上の奴隷労働を強いられるようになっていた。(ちなみにこうした大型農園のコトを「アシエンダ(HACIENDA)」と言います。1980年代、イギリスのインディレーベル FACTORY が経営した伝説のクラブ、THE HACIENDA(ココでの発音はハシエンダ)の名前はココに由来してるってワケです。詳しくは映画「24アワー・パーティピープル」をご覧下さい。)
●そんなマヤの人たちの不満がとうとう爆発する。1847年。とある村でマヤの青年が白人村長をナタで殺害する事件が起こる。青年たちは、カトリック神父を殺し白人協力者のマヤ人を殺す。これがユカタン半島全域に伝播して同時多発的に暴動が発生。政府軍が鎮圧にかかるも自然発生的に各地で起こる爆発に対応できない。やがてこれが20世紀まで続く戦争に発展していくのです。そんな戦争の最初期、組織化されたマヤ反乱軍が、まず目指した目標地点が、なんとこの街、バジャドリードだったのです。

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バジャドリードにあるサン・ベルナルディーノ・デ・セーナ修道院。
●この無骨な建物。16世紀に建てられた古い修道院です。見事この街を陥落したマヤ反乱軍は、この修道院を乗っ取り要塞化しました。地下にはセノーテを備えていて、高いカベに囲まれている。持久戦に耐え得る構造。今、この写真に見える素朴過ぎるこの建物の佇まいには、マヤの人々の流した血の歴史が隠されているのです。
●この街を拠点にしたマヤ反乱軍は、その後ユカタン州都メリダに進軍、陥落寸前まで追いつめます。政府軍はとうとう壊滅か?誰もがそう思った時、不思議なコトが起こりました。「目の前を羽アリが飛んだ…」そういって、マヤの若者たちはそのまま自分たちの村に帰ってしまったのです。マヤの人々は季節の変化を本当に繊細に感じ取る。彼らにとって何よりも大切な、トウモロコシの収穫の時期が到来したことに気付いたのです。彼らは、古来から伝わる自分たちの暮らしを守るために戦った。しかし、古来から伝わる収穫の時期を折り目正しく守ることは、彼らにとっては戦争以上に大切なことだったのでしょう。マヤの人々の性質を表すエピソード。
●この戦争は一過性のモノにはならず、その後20世紀にわたるまでマヤの人々はゲリラ活動を続けました。メキシコ中央政府が独裁になったり革命政権になったりしながらも、この地域は政府とゲリラが小競り合いを続ける不安定で危険な地域であり続けました。このユカタン半島地域が本当に安定したのは1960年代。そのキッカケはカンクンの建設。そもそもカンクンのある場所は古来ほぼ無人のジャングル+珊瑚礁。そこに人工的な観光都市を造成するコトで、近代的な産業と経済と雇用が生まれ、マヤの人々に都市文化を穏当に供給することができた。そこで初めて安定と平和が生まれたのです。

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●修道院の内部。どこかギトギトした色彩感覚が、他の国のキリスト教教会と比べて微妙な違和感を感じさせるのがメキシコの特徴です。メキシコにはウルトラバロックと呼ばれる特殊な教会建築もあります(コレはちとチガウけど)。その精神世界は非常に興味深い所です。
●現在ではメキシコ人のほとんどが熱心なカトリック教徒で、マヤの人々も普通にこの信仰を受入れています。というか、カトリック信仰の内部にマヤやメキシコ先住民族の思想や世界観がマッタリと深く深く忍び込んでしまったようです。確かに戦争においては教会や聖職者が攻撃対象になりました。しかしソレは白人支配層の権力装置として機能していた部分に憤ったワケで、信仰そのものを否定したワケじゃない。マヤ反乱軍は自分たちで教会を作ったりもしていたぐらいですから。
古来この土地に伝わる先住民族の文化、そしてヨーロッパから来た外来文化。その奇妙なハイブリットが今のメキシコを形作っている。ソコには血塗られた悲劇もあるし、今も続く格差もある。イイのかワルいのか分からないけど、ただひたすら全てがないまぜになっている。そんなコトをこの街、この修道院で感じたのでした。

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◎2130時頃。カンクンのホテル着。

●内容の濃いツアーでありました。料金は最後に現金にてお支払い。4人以上の割引サービスで750USドル。遺跡入場料などコミコミ。ランチとタコスは別料金。メキシコペソではなくアメリカドルで支払います。ボクの換金レートが1ドル79.5円で行けたので、59625円。まーココまでアレコレできたらアリじゃないでしょうか?


●メキシコ/カンクン旅行記、もうちょっと書きたいので、一応「その1」というコトにしておきます。「その2」が書けるか自信ないけど。

●ちなみにちなみに、ボクが読んだ、メキシコ関係参考文献も、追記として列挙しておきます。「続きをみる」をクリックしてみて下さい。
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チチェンイツァとヒヨコ

夏休みの大旅行、メキシコ・カンクンツアーから帰還しました。
●今回の旅行のテーマは「マヤ文明探訪」。小学4年生&3年生のコドモたちにスペクタクルを提供したくて企画しました。スゲエ楽しかったです。
●写真は、マヤ文明最大の遺跡、チチェンイツァの「ククルカンのピラミッド」でございます。

●アレコレとご報告してみたい楽しい思い出は満載なのですが、詳しいお話はまた別の機会に。


メキシコのCD

そんで、ボクにとって旅行の醍醐味でもあります、地元のCD漁りは今回もキッチリこなしました。
メキシコのポップミュージック、22枚購入。ハイパー円高を追い風にして2万円弱のお買い物。ハッキリ言って全くの知識ゼロ状態でCDショップに乗り込む状況の中、とりあえず2時間程かけて細かく売場を観察。ナニブン、ジャケ情報が全部スペイン語、全く内容が予想出来ずかなり苦闘。そして拙い英語を必死に駆使して店員さんにオススメを教えてもらいました。ロックバンドでオススメはどれですか?スペイン語のヒップホップはありますか?コレはもしかしてレゲトンですか?クンビアという音楽はありますか?一番人気のアーティストは誰ですか?
●これはボクの経験値で常々感じてるコトですが、CDショップの店員さんという人種は、世界中のドコの国でも「オススメのCDを教えてください」と質問されたら、楽しんでイロイロ教えてくれるモノです。やっぱ音楽好きは世界共有で音楽好きなのです。ボク自身は先方から見ると明らかにヘンな外国人です。言葉もロクに通じないヘンなヤツ。しかしそんなヤツが突然、自分の国の音楽の魅力を教えてくれと言う。え?アメリカの音楽じゃなくて、メキシコの音楽が欲しいの?「ボクは日本から来ました。日本ではアメリカの音楽はたくさん聴けます。でもメキシコの音楽は聴けない。だからイロイロ知りたいのです」そんなコトを言うととても喜んでくれます。15分くらいの時間を割いてアレコレ教えてくれた上で、視聴機の使い方まで教えてくれました。ソバにいた普通のお客さんまで話題に入ってきて、ロックバンドの名前を教えてくれました。こういう経験はとても楽しいなあ!
●さてさてこれからジックリ一枚ずつ聴いていきます……うーんワクワク。


●今日から夏休みで、メキシコ・カンクンに行ってきまーす。
●何年ぶりだろ。海外旅行。