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INTER FM の火曜日2300〜2400、
「桑原茂一の PIRATE RADIO」を聴いて、ウキウキです。


●さて、今週は金環日食

さて、今週は金環日食。

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●楽しい経験をしたよ。周囲が薄暗くなったコトよりも、一気に気温が冷えたのがオドロキだった。うう、風が寒いぞ?日食が終わってから、朝風呂にはいったもんね。コドモたちは、路上観察しつつ、そのまま路上でパンを食べて、そのまま路上から学校に行ったよ。ボクは早起きしたおかげでその後カイシャに行ってからとっても眠かった。



今週はクラシックを聴いたりしている。
●知人からベートーベンを薦められて、区の図書館から借りてきたんです。
●それはそれで興味深い狙いがあるんだけど。
その前に引っかかっちゃったのが、マーラーです。

レヴァイン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「グスタフ・マーラー交響楽<大地の歌>

JAMES LEVINE / BERLINER PHILHARMONIKER「MAHLER: DAS LIED VON DER ERDE」1992年
レヴァイン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「グスタフ・マーラー:交響楽<大地の歌>」
●ハッキリ言って、クラシックなんて完全に門外漢なのです。だから聴き方もよくワカラン。少なくともボクが大好きなポップミュージックとは聴き方が全然違うようだ…だって、iPodで聴こうにも、小さい音と大きい音の幅が大き過ぎて、音量設定すら一番イイ所が見つからないんだもん。難しい。そんなコトを前提にしつつ、好き勝手なコトを言うのです。
グスタフ・マーラーは、世紀末ウィーンに活躍した作曲家で、この「大地の歌」が完成したのは1908年の事。でもこの楽曲のインスピレーションの源は、なんと中国の古い詩なんです。19世紀後半のヨーロッパでは、唐の時代の漢詩が流行した場面があったそう。ソコでドイツ語に翻訳された、李白王維猛浩然といった古い古い詩人の言葉を取り込んで、この楽曲の歌詞が作られている。19世紀末の退廃都市ウィーンの中で、東洋の古典詩がメランコリックに響き渡るって…いったいどんなコト?その興味にボクは引きつけられた。
●女声ソプラノと男声テノールが終始活躍する歌曲なのですが、オーケストラと歌い手たちの描く旋律は、どこか不定形でとりとめがなく、不思議なとろみを帯びた空気が床に静かに沈殿していくような気分にさせる。かといって悲壮感だけでもない印象がただようのは、「大地の哀愁を歌う酒の歌」とか「春に酔える者」といった、アルコールにまつわるサブタイトルがそれぞれの楽章についているから?微妙な酩酊感覚と、少々ステバチな厭世感覚、ヨーロッパエリートが文化的アウトサイダーへスピンアウトしていく対象としての東洋世界観借用感覚が、特殊な浮遊感を作って、沈殿する空気にフワリと身を抱かれるような安心感を感じてしまう。強力な構造美で聴く者を圧倒するベートーベンよりも、ナニゲに居心地がイイ。ポップじゃないけどね。
「オーストリア人におけるボヘミア人、ドイツ人におけるオーストリア人、世界におけるユダヤ人」というフレーズがウィキペディアにある。マーラーという人は自分の立ち位置がどうしてもメインストリームになりえないことに意識的で、結果、アウトサイドとしての東洋美術にまで関心が到達してしまった。その疎外感には、興味深いものを感じる。一方で、この作品はあくまでクラシック音楽で、どうしたって東洋音楽には聴こえない。やっぱりホンモノの東洋美術にはなりえなかったパチモンである。ただし、その誤読、失敗も含めて、パチモンとしての愛らしさがココにある。無性に愛おしい物件になっている。


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