●仕事がキツいのですよ。
●この前も徹夜仕事で…体調を崩し気味。

●ただ、今回の徹夜は、ちょっとだけ中抜け時間が出来たので。
そこをカラダをいたわる時間にした。

まずはタイ古式マッサージ。
●新橋の雑居ビルにあるそのマッサージ屋さんのベテラン・チーさんは、ナニゲに震災の頃以来からこのマッサージ屋さんに通うようになってから、ずっとお世話になってる。ぽっちゃり系の女性で、年齢は30歳過ぎだろうか?施術中メガネを取るボクは相手の顔がほとんど見えないので、多分チーさんに道で会っても絶対にわからないのだが、その施術は、弱/中/強でいえば激強!で、死ぬほどイタくて一生忘れる事が出来ない。
●で、今回もバッキバキにしごかれて、身も心もボロボロに絞られた。チーさんは、相手のカラダの中でナニが起こっているのかイメージをキチンと持っているので、ボクの筋肉の緊張を細かく饒舌に解説しながら、コレ以上はイタくて耐えられない寸前のトコロまでギリギリ絞る。そんでこのカラダの絞り方は、ボクが通っているヨガ教室のカラダの動かし方と、共通点があったりもして、非常に興味深い。
●結局は、自分のカラダを痛めつけるのがどこか気持ちイイとボクは思ってるのか?仕事でも限界まで自分を追い込んじゃうしね。生粋のマゾ体質なんだろうね。

そんでそのまま新橋のサウナにいって、以前から気になってたアカスリサービスをお願いした。
●アカスリは、韓国か?台湾か?に出張に行って、興味本位で先輩たちと行ってみた以来だ…多分10年ぶりくらい。ただ、自律神経の機能を整えるなら、筋肉の緊張と同時に、カラダの表面への適度な刺激も意味があるかなーとか思って。予約の時間をキメて、呼び出しがあるまでノンビリおフロに浸かる。
今度は50歳代のオバちゃんだ。ワリと無表情で淡々と「はいココに寝て下さい」程度の会話しかないのでちょっと寂しい。それと、アカスリ中は濡れタオルで目を覆われてしまうので、実際にボクのカラダからどれだけアカがスリ出されてるのか、ボク本人はちっとも確認出来ない。アカ、こんなにでちゃいましたよーって納得の段取りが必要ではないか?…バッチイから見る必要もないか。
最後にアタマをシャンプーするのが、ここの段取りらしい。ボクのアタマをゴシゴシ擦り出したオバちゃん、今までの沈黙を突然破って「うわ、お客さん、頭皮がカタい!スゴいわよ!」え、頭皮ですか?「背中もカタいと思ってたんだけど、この頭皮はヒドいわ。柔らかくしようにもコッチの指が壊れちゃうわ」そんなにカタいんですか?!「私の長いアカスリ人生の中でも、かなりの上位に入るわよ。あー首もヒドい。疲れ目ヒドいでしょう」疲れ目ヒドいです…つーか頭皮なんて人と比べたコトないし…。「コッチは毎日いろんなカラダを触ってるからね〜。お客さんこれは大変だねー」頭皮に問題って、つまり今後ハゲるってことだよね。どよーん。無口なオバちゃんが驚きで饒舌になったほどの、インパクトがあったってことだよねえ。

●人のカラダを触り続ける仕事って、スゴいなあ。というか人体は実に多様なカタチをしてるってコトを毎日思い知るんだろうね。デブとかノッポとか簡単なコトじゃなくて、その柔らかさとかカラダの内側の筋の張り方とか。



ということでボクは疲れてんですよ。で、その疲れ具合にホドホドの音楽を探すのですよ。

AIR SUPPLY「GREATEST HITS」

AIR SUPPLY「GREATEST HITS」1980〜1984年
●カラダがクタクタでも、休日も全くカラダを動かさないと結局疲労は抜けて行かない、ホドホドに動かす方がよいと誰かにアドバイスをされたもんで、今週末は、息子ノマドと一緒に、国立の実家を訪ねている妹と姪っ子甥っ子に会いに行った。ノマドは受験勉強漬けでボクの実家を訪ねるのはかなり久しぶり。だから、ノマドと一緒に、まだ幼稚園児の姪っ子カナメちゃん&4月から幼稚園の甥っ子カケルくんと、遊んでみたりした。彼らチビッコから見ると伯父であるボクは奇妙なオッサンという認識だろう…カケルくんちょっと緊張してたしね。でも、まだおむつもとれないカケルくんをヒザの上に置いてみると、彼のアタマが赤ちゃんクサくていいニオイ!うーん我が子ノマドじゃ絶対味わえないニオイだね!癒されたね。

●で、午後は立川〜国分寺方面へレコ屋巡り「珍屋」という名前のレコ屋が立川に2店舗、国分寺に2店舗あるのだ。かつては高円寺にもあって、ボクはそこで買い物してたんだけど、それは2010年になくなっちゃったらしい。立川、国分寺方面の「珍屋」は初めてだ。荒天の日曜日、雨と突風でビニール傘がメキメキへし折られるのを傍目に見ながら、学生時代以来ほとんど近寄った事のなかった立川〜国分寺の街を歩いていく…変わったようで、あまり変わってない所も多いな。

●このCDは、そんな「珍屋」の国分寺南口店で買ったヤツ。500円。80年代の爽やか系アダルトオリエンテッドロックの代表選手というイメージがあるけど、今までマジメに聴いたことがないバンドだった。実はオーストリラリアのバンドだったってのも今検索して知った。なんとなく同時代の CHICAGO とか PETER CETERA みたいな感じ?女性が歌ってんのかなと思うほどの、ハイトーンボーカルが澄み切った透明感を演出。高く舞い上がるメロディがドラマチックで綺麗だね。「MAKING LOVE OUT OF NOTHING AT ALL」って歌が好きで。コイツをちゃんと聴きたかった。「ALL OUT OF LOVE」、「EVEN THE NIHGTS ARE BETTER」、「LOST IN LOVE」もなんとなく知ってる曲だったけど、キチンと聴けてよかった。キレイな空気を供給してもらった。

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●「珍屋」国分寺南口店。雨上がりの街、ちょっと路地裏にあって。
●お店のホームページ:http://www10.ocn.ne.jp/~mezurasi/
●他にも、フリーソウルものとか、ヒップホップとかも買っちゃったよ。



●動画。
●「MAKING LOVE OUT OF NOTHING AT ALL」。




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「笑っていいとも」に小沢健二が出てきたのでありました。
●録画で観たよ。「いいとも」って、今月いっぱいで滅びちゃうんだってね。

オザケンいいとも1

オザケンいいとも2

オザケン、テレビ出演は16年だという。年齢スーパーに45歳って書いてあって、うわーオッサンになってるーと思ったけど、ボク自身も40歳になってるんだからしょーがない。FLIPPER'S GUITAR の時代からもう25年も経ってるのね。ルックスは変わってないなあ…ボーダーシャツとかも渋谷系の頃のまんまだなあ。今はアメリカ人女性と結婚して、9か月の赤ちゃんがいるとな。
●スタジオでは「ぼくらが旅に出る理由」を歌ったオザケン。テレビ不在の16年間は、アメリカ・ニューヨークを拠点にしつつ、中南米やアフリカといった第三世界に長期滞在して過ごしてたという。ボリビア・ラパスとか南アフリカとかエチオピアとか。あー文字通りに「旅に出る理由」があって、旅の中に暮らしてたのね。4年前からライブ活動を再開し、その時に日本に「来る」。もう日本ですら旅先の一つ。アコギ1本の弾き語りと、年を重ねてより優しくなった歌声は、予想以上にセンチメンタルに聴こえてしまった。「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」だね。

「笑っていいとも」自体が久しぶりだったわ。翌日に安倍首相がゲストに出てきたのも見たけど、アレはなんか気持ち悪かったわ。



相変わらず息子と「超時空マクロス」のDVDを見てる。注目はこの早瀬未沙中尉。

早瀬未沙中尉

物語は中盤。地球に一度は帰還したマクロスだが、艦内に収容している一般市民5万人を解放下船されることも許されず、そのまま宇宙に出て敵軍ゼントラーディの大艦隊にまた立ち向かえとのご無体な指令を受けて一同凹む。一方で、リンミンメイちゃんは艦内のカリスマアイドルとしてますますブレイクして、その歌声は敵スパイをも魅了、なんと彼らは仲間を率いてマクロスへ亡命、異星人との友好的エンカウンター達成。そんなミンメイとスレチガイまくる主人公・一条輝くんは、先輩・フォッカーさん&後輩・柿崎くんを亡くしガッカリ、そんで上官である早瀬未沙さんと、なんだか接近中の模様。
「機動戦士ガンダム」でいうところのミライさんなポジションである早瀬中尉を、輝くんは「オバサン」呼ばわりで散々コキ下ろす。ナゼかグローバル艦長以外は全員女性である艦橋スタッフの中でも、彼女は見事なお局ポジションで、演出的にも散々な扱いである。せっかく明るい栗色の綺麗な髪の毛を、もっさり重たくまとめてるトコロも、見事に残念な地味女子っぷり。ここまでヒドい扱いだと、さすがに同情も芽生えるわ。気まぐれ小悪魔すぎるミンメイちゃんよりもずっと彼女の方が落ち着いててイイわと、ボクは思う訳で。WIKIで調べたら「オバサン」呼ばわりは不当も不当、なんと彼女は19歳だった!まーブライト・ノアも最初は19歳だったんだよね。世間の地味女子、がんばれ!




●今週はダンスホールレゲエということで。
80年代からダンスホールレゲエの歴史をボクなりになぞってみます。
●ムダに長くなりそうなので、心してかかって下さい。
●というか、アナタが正気の人間なら、ココで読むのをヤメましょう。



1985年の SLENG TENG リディムの登場、そしてダンスホールレゲエの到来。

「DANCEHALL THE RISE OF JAMAICAN DANCEHALL CULTURE」

「DANCEHALL : THE RISE OF JAMAICAN DANCEHALL CULTURE」1977-1993
●先日、ひとつのプロジェクトが終わり、その打上げをやりました。今の職場は以前のチームほど飲み会をしたりしないので、プライベートを語り込む場面がないんです。だから、一度メシを食べるとずっと一緒に仕事してた人の意外な素性に今さらのように驚く事が多いのです。あれーキミそんなに真剣なサーファーだったんだー、いやいやオレはサーファーですけどあの人はバリバリのスケーターですよ、なんて具合に。
●転職を重ねてる人もたくさんいる。今回はレコードメーカーから転職してきた人がいることに初めて気づいて。ここで音楽トークが盛り上がるわけです。その人曰く「ボク、新婚旅行、ジャマイカいったほどレゲエ好きなんですよ」えー、そうなんだ!ボクもダンスホールレゲエに興味津々なんです。SLENG TENG リディムが大スキで!「マジすか!音楽業界以外の人で、SLENG TENG の話する人初めてみました!」つーかボクもこんなの人に話すの初めてですよ!そのあと、キングストンでのサウンドシステム体験などなどをコッテリ聞いてしまいました。「夜中の4時まで空き地でドカドカ音鳴らしてるのがホテルからも聴こえるんですよ。行けば、アタマの上にフルーツをたっぷり乗せたお姉さんがお客さんにその場で果物を売ったりしてて。でもキングストンはめっちゃ怖い場所でした…。」

●レゲエ/ジャマイカの音楽シーンも、数十年の歴史の中でいくつかの節目がありまして。おそらく BOB MARLEY の世界進出が最大の事件でしょう。しかし1985年の SLENG TENG リディムの出現も、それに比肩するほどの大事件だったとボクは考えてます。70年代以降のシーンに大きな影響力をもったプロデューサー/レーベルオーナー KING JAMMY 史上初のオール打ち込みで組んだリズムトラック(レゲエ用語にしてリディム)が SLENG TENG。これがその後のレゲエの姿を一変させます。「ダンスホールレゲエ」の出現です。この英 SOUL JAZZ RECORDS によるコンピレーションは、レゲエの姿が大きく変わっていく時代を写し取り、ダンスホールレゲエという世界が立ちあがって行く様子を切り取る野心的な試みに挑んでいます。

SLENG TENG を最初に採用したヒット曲、TENOR SAW「PUMPKIN BELLY」が収録されてます。ボクが感じる SLENG TENG の魅力は、そのトラックが恐ろしく単純かつ粗末・粗野なのに、恐ろしくグルーヴィに機能しまくるコトです。特に工夫のない簡素な四ツ打ちのスネアにシンセベースがボヨボヨボヨボヨボヨボヨボンボンボヨボヨボヨボヨボヨボヨボンボン…。やってるコトはこの上なくシンプルなのに、このボヨボヨが本当に野蛮。このベースがウーハーで強烈にアンプリファイされたらマジタマラン。コロンブスのタマゴのように、簡単なコトで状況を激変させるスゴミがあります。ここに、名シンガー TENOR SAW が涼しげなボーカルをフワリと乗っけている。この粗野と洗練の落差も素晴らしいシズル感に。TENOR SAW 自身がこの三年後に交通事故死してあまりに短いキャリアを閉じるコトになるのもあわせ、この曲は特別なモノに聴こえるのです。
SLENG TENG リディムを使った曲としては、SUPER CAT「TRASH AND READY」1986年も収録されてます。その後ヒップホップシーンでも注目される彼のディージェイングの達者ぶりが踊ってます。

ダンスホールレゲエは、こうしてリディム制作を打ち込みベースにすることで、多様なリズム実験にトライする自由を獲得し、大きな表現の幅を持つに至ります。裏打ちを強調する狭義のレゲエから解放され、もっとトリッキーだったり、スピーディーだったりするようになるのです。もちろんソコにはダブ実験の成果も取り込まれて華やかな色添えも加えられていて。そして新時代にふさわしいシンガーやディージェイ、プロデューサーが登場。その後アメリカに進出してツアーを行ったりメジャー契約を得るものも出るのです。CHAKA DEMUS & PLIERS、PINCHERS、INI KAMOZE、CUTTY RANKS、SUPER CAT、SLY & ROBBIE…。
REGGIE STEPPER「UNDER MI SIN TING」はコレまた粗野でザックリした楽曲ですが、ダンスホールのワイルドさが毒々しく光っていて最高。CHAKA DEMUS & PRIERS「MURDER SHE WROTE」はその軽快軽妙さでボクのダンスホール解釈を大きく広げてくれた名曲。CUTTY RANKS「CHOP CHOP」の高速グルーヴ推進力はキックの強さとディージェイの総合力が織り成すパワー。FRANKIE PAUL は正統派シンガーだけど、その楽曲「CALL THE BRIGADE」のピコピコ感覚は明らかに SLENG TENG 以降の感覚。
●加えて言えば、ダンスホールレゲエリズム実験、粗末な表現から特殊なグルーヴを汲み上げる感覚は、サウス系ヒップホップの中にも溶け込んでる気がする。要素をシンプルに削ぎ落としながらも効果的なグルーヴを生み出す感覚。ボクにとっては同じ美味しさを感じてるんです。

●さらにこのコンピは、SLENG TENG 以前、つまり70年代末から1985年以前の音源も多く収録しています。SLENG TENG 以降の時代を支えるクリエイターやパフォーマーの仕事、ダンスホールレゲエのスタイルを準備した名曲名演。オールドスクールヒップホップ、つまりラップの技術がパラレルで進化しつつある時代の70年代末80年代初頭の、ディージェイングの進化と洗練の過程が見える。
●ちなみに、ちょっと整理のために言及しますが、レゲエ用語においてのディージェイは、ヒップホップでいうトコロの DJ と意味が大きく違うので、わざわざカタカナでディージェイ、その行為をディージェイングと書くコトにします。ディージェイはマイクを持って声を出す人。レコードプレイヤーを操作する人ではありません。でもラップをしてるとも言えない。歌ともラップとも言えないナイマゼの表現。ことこのダンスホール黎明期は完全に区別がつかないほど、歌とラップ的なモノが合体していて、ディージェイングとしかいいようがない。シンガーとディージェイが合体してシングジェイなんて言葉もあります。もちろん、王道の美声シンガーも大勢います。BARRINGTON LEVY、FRANKIE PAUL などなど。GREGORY ISSAC は、COOL RULER の異名でラヴァーズロックの王道を歩んでおりました。そんななか JACOB MILLER & TRINITY「I'M A JUST DREAD / ONE SHUT」は過渡期音源としては象徴的。BOB MARLEY の後継と目されながらも1980年には事故死する JACOB の力強い歌唱に続いて TRINITYディージェイが縦横無尽に始めまくる。ああ、楽しい。


1981年、BOB MARLEY 没。その後のレゲエヒーローを探すメジャー音楽業界。

YELLOWMAN「KING YELLOWMAN」

YELLOWMAN「KING YELLOWMAN」1984年
BOB MARLEY の活躍で、レゲエは70年代末には世界的な認知を持つ最新鋭の音楽となりました。しかしそのカリスマは1981年にガンで亡くなってしまう。その不在を埋めるために、アメリカのメジャー音楽産業はジャマイカで立ちあがろうとしていたダンスホールレゲエから新しいヒーローを見つけようとしました。
YELLOWMAN はダンスホール世代として一番早くから成功したディージェイ。「黄色い男」という名前はアルビノの容姿に由来。1970年代からサウンドシステムで下積みを経験し、1980年に地元でレコードデビュー。そしてダンスホール系として初めてアメリカのメジャーと契約する。で、このアルバムがズバリその米 COLUMBIA からリリースされた盤だ。SLENG TENG 前夜とあって、リズム実験としてのスリルさはない。その独特の節回し、ディージェイング、そしてシモネタ(レゲエ用語ではスラックネスというジャンルになってる)が評価されていた、ということにもなっているけど、今日の耳には彼の手法がスタンダードになり過ぎててフツウに聴こえてしまう。ちょっぴり残念なレコードだ。
今の耳に残念、ってだけでなく、当時の耳にも残念だったらしい。アメリカやジャマイカ以外のリスナーはレゲエの新進アーティストに BOB MARLEY のようなカリスマティックなメッセージを発信するヒーローを期待していた。ところが、この男は、ややシモネタ混じりの歌を飄々と歌うだけで、世界を変えるような含蓄溢れる音楽を鳴らそうとしなかった。だって彼は徹頭徹尾ダンスホールの男だから。結局この世界デビューはやや不発に終わってしまう。
●ちょっと気になったのは、「STRONG ME STRONG」「DISCO REGGAE」の二曲だ。明らかに質感の違うバックトラックのクレジットをよく見ると、白人ベーシスト BILL LASWELL 率いる特殊ファンクバンド MATERIAL の演奏だった。初期ヒップホップの文脈にロックの尖った感覚と80年代のダブ処理をマブしたゴツいヤツYELLOWMAN 自身の立ち振る舞いは全然変わらないのに、明らかにヒップでクール。この二曲で十分満足。

YELLOWMAN「MI HOT」

YELLOWMAN「MI HOT」1991年
このCDは、下北沢のシルバーアクセのお店で50円で購入したもの。よっぽど要らないモノだったのか、100円と値札がついてたのにわざわざ半額にしてくれました。まー「KING YELLOWMAN」は一応アンディ・ウォーホル風にキドッたジャケになってましたけど、コッチのジャケはだいぶデタラメですからね。へったくそなイラスト、どーにもならん。これがジャマイカのやり方なんでしょうね。
●メジャー進出の失敗は、米 COLUMBIA の担当者にはガッカリなコトだったでしょうけど、YELLOWMAN 本人にはどうでもイイコトだったようで、その後もジャマイカでせっせと仕事に勤しみ膨大な量の音源とアルバムをリリースし続けます。つーかこの人は、メジャーデビュー以前の段階で BOB MARLEY を上回る量の楽曲をリリースしてたほど、自分でもどれだけレコードがあるのかワカランほどの多作家なのです。で、これは、1986年にガンを患いながらも見事復帰(アルビノはカラダ弱いというのは本当なんだね)、ややリリースのペースが落ち着いた頃の1991年作品です。芸風も至って変わらずのディージェイぶり。バンドスタイルでありながら、ダンスホールの軽快さを完璧に体現する楽しさがあります。
●クレジットを見ると、バンドメンバーに、ドラム:STEELY、キーボード:CLEVIE の名前が見えます。この時代のダンスホールシーンで活躍したプロデューサーチーム、STEELY & CLEVIE ですわ。WYCLIFFE "STEELY" JOHNSON CLEVELAND BROWNE。早い段階からドラムマシーンを駆使したトラックを制作、KING JAMMY の元で腕を磨き、1987年に独立してレーベルを立ち上げるコンビ。ボクは彼らの音源を聴く事でダンスホールの楽しさに目覚めました。アレは2001年のロス出張、その帰国直前の空港売店で彼らのCDを6ドルで買ったのです。そして目からウロコ。なんて自由な音楽なんだろうと感じたのであります。

SHABBA RANKS「ROUGH READY WOL1」

SHABBA RANKS「ROUGH & READY, VOL.1」1992年
新興カルチャーのダンスホールレゲエ・シーンからスターを作りたいという、米メジャーレーベルの企みは必死なもので、80年代末から90年代初頭のこの時期にはたくさんのディージェイがジャマイカから引っ張り出されていた。その一人、SHABBA RANKS も地元ではまさしく本物のダンスホール・ヒーローだったが、彼のあまりに濃過ぎる個性(というかやっぱりシモネタ=スラックネスなダンスホールのお下品な宿命)は全世界にセールスするには味を薄めなくちゃいけないのか、このアルバムでは地元の既発曲をあの手この手でリミックスしてまろやかテイストに改変している。しかも冒頭二曲は今は懐かしきグラウンドビートになっててマジビックリ。まー正直当時高校生/大学生だったボクにもダンスホールは難易度が高過ぎて、SHABBA RANKS の音楽は好きになれなかった、ってコトを甘酸っぱく思い出すんですけどね。
●でも、その他の楽曲のほとんどが、基礎の部分で BOBBY "DIGITAL" DIXON のプロデュースだそうで。レーベル DIGITAL-B の主宰でもある彼のトラックは、ボクの大好物。シンプルながらも強力なベースミュージックとして構成されてる DIGITAL-B 音源は、ボクにとっては90年代ダンスホールレゲエの中でも特に中毒性が強い。レゲエとしての要件を満たしてないかのような、自由過ぎるリズム/テンポ構成。STEELY & CLEVIE が関わったトラックもある。終盤、スティールパンが軽く使われていて、おおジャマイカってカリブ海の南国だったわとイキナリ思い出す。ボクの中ではレゲエもダンスホールも南国のリゾートミュージックって認識は完全に存在しません。ただひたすらにスリルたっぷりの濃ゆいゲットーミュージックですから。


1990年前後、ダンスホールレゲエと、ニューヨークヒップホップの接点。

「100 DYNAMITE ! DANCEHALL REGAE MEETS RAP IN NEW YORK CITY」

「100% DYNAMITE ! DANCEHALL REGGAE MEETS RAP IN NEW YORK CITY」1988-1996年
●前述「DANCEHALL : THE RISE OF JAMAICAN DANCEHALL CULTURE」と同じ、英 SOUL JAZZ RECORDS によるコンピですが、そのテーマが非常に野心的で圧巻です。ダンスホールレゲエとニューヨークのヒップホップの関係を説明するのが、その狙い。そんで、このコンピとその狙いが前提にしているのは2つの事実

事実その1。レゲエはヒップホップと同根の関係。ニューヨークで初めてのブロックパーティを始めた伝説のDJ KOOL HERC はジャマイカ移民。ずばり自分の故郷で見てきたレゲエのサウンドシステムをなぞって、大きなスピーカーとターンテーブル二台、そしてマイクを用意した。AFRIKA BAMBAATAA の両親はジャマイカとカリブの島国バルバドス(RIHANNA の出身地といえば今の人は理解出来る?)だし、THE GRANDMASTER FLASH もバルバドス生まれ。70年代から80年代に活躍したニューヨーク・ヒップホップの始祖たちは、そのルーツがジャマイカをはじめとしたカリブ海諸国と深く関係していた。実際、1965〜1980年で85000人のジャマイカ人がニューヨークに移民として入ってきている。1990年の段階でアメリカのカリブ海諸国系市民は70万人、うちほどんどがニューヨークに暮らしている。
事実その2。それだけ深い関係がありながら、このコンピが取り上げる音源が発表される1990年代初頭以降は、ダンスホールレゲエはアメリカのメジャーシーンで影響力を持ちえなかった。本場ジャマイカから渡来するもの、アメリカ・ニューヨークの内側からダンスホールに挑むもの、そしてヒップホップアーティストによるダンスホールへのアプローチ、様々な取り組みがあったのに、マジョリティにはならなかった。そんな時代の徒花のような存在が、このコンピには収められている。なぜダンスホールは定着しなかったのか…。ダンスホールレゲエがアメリカで注目を浴びるのは、10年ほど時代を空けた SEAN PAUL の登場を待たなければならなかった。そんな、一瞬だけしか輝けなかったそんな貴重な音源を、コツコツと集めた意義の重さ、シカと受け止めたい。

まずは、本場ジャマイカからの渡来アーティスト。
YELLOWMAN のアメリカ上陸がなんとなくスベってしまった1984年以降で、キチンと上陸を果たせたジャマイカのダンスホールアクトは SUPER CAT だ。高性能なディージェイフロウを、しっかり計算されたヒップホップビートに合体させた代表曲「DON DADA」はその後のヒップホップアーティストにも影響を与えるほど。
●この「DON DADA」にリミックスなどでうっすら関わっていたニューヨークのトラックメイカー BOBBY KONDERS という男が、ヒップホップとダンスホールの融合を目指した特殊なクリエイティブを発揮する。自身名義の「MACK DADDY」、プロデュースを担った YANKEE B「THE ORIGINAL」は実にユニーク。まさしくこれこそヒップホップレゲエだ。

アメリカ・ニューヨークの内側からダンスホールに挑んだ者たち。
●ニューヨーク発のレゲエアーティストとして最初にブレイクしたのは、SHINEHEAD だ。STING「THE ENGLISHMAN IN NEW YORK」「THE JAMAICAN IN NEW YORK」と読み替えてメジャーヒットを果たした男。彼もジャマイカ生まれだが一度ロンドンに移民して、その後ニューヨークに移って来た。その意味ではジャマイカンでもイングリッシュマンでもあったのかも。メジャー契約は1988年、その時代の楽曲「KNOW HOW FE CHAT」が収録されてる。独特のフロウは紛れもなくダンスホールだが、メリハリのついたタイトなドラムマシーンとトラックを引き締めるスクラッチが同時代のヒップホップと同じ感覚。ベースが太くてイイ。
SHAGGY もニューヨークからブレイクしたダンスホールアーティスト。「OH CALORINA」「BOOMBASTIC」を90年代中盤でメジャーヒットさせる…このころのイベント、レゲエジャパンスプラッシュ(あれ?サンスプラッシュだっけ)で来日してたような気が…ボク、このイベントの警備のバイトしてて目の前で彼を見た記憶が。ただし、ここに収録されてるのはそんなメジャーものではなくソレ以前のインディ音源「MATTRESS JOCKEY」。湾岸戦争に海兵隊員として従軍してる彼だから入隊1988年以前の録音か?よりヒップホップ色の強い高速ブレイクビーツを見事にディージェイする技の切れ味。
●そんな彼らの周辺に控えていたのが、RUFF ENTRY CREW という連中。RED FOX、NIKEY FUNGUS といったディージェイがこのCDに収録されてる。これまたレゲエとヒップホップの高度なハイブリット感覚を備えていて非常にオモシロい。

ヒップホップアーティストによるダンスホールへのアプローチ。
●ヒップホップサイドからレゲエにアプローチしていたのは、FU-SCHNICKENS。ここでは TENOR SAW の代表曲「RING THE ALARM」をヒップホップ変換している。おもろラップ感を出してたニュースクール(つまり A TRIBE CALLED QUEST BUSTA RHYMES と同期ってコトね)のユニットで、おそらく最初はややオフザケ狙いだったかもしれないけど、キチンとヤリ切ってる。結果、彼らの選んだこのレゲエカバーは完全なヒップホップながら高い評価を集める。
BOOGIE DOWN PRODUCTION を率いた KRS-ONE はキャリア初期にレゲエっぽいフロウを用いたりもしていた。その弟子筋にあたる MAD LION という男、コイツは SUPERCAT 本人に会ってレゲエに目覚めた男で、ドスの利いた声でヒップホップとレゲエのフロウを合体させたような独自の味を熟成させている。トラックは完全にヒップホップなんだけど。

●もう1人、注目しておくべきは JAMALSKI という男。前述 BOBBY KONDERS にヒップホップレゲエをプロデュースしてもらったり、MAD LION のように KRS-ONE のアルバムに参加したりしていたレゲエディージェイだったのだけれども、1994年にジャングル〜ドラムンベースが発生すると、そちら側のシーンに接近して2000年には渡欧。今では SHY FX UK APACHE、ZINC、PESHAY といったドラムンベースアーティストに寄添って MC を担っているとな。人生いろいろ。

SUPERCAT「DON DADA」

SUPER CAT「DON DADA」1991年
●さて、前述「100% DYNAMITE !」でも触れた SUPER CAT のアメリカ・メジャー盤を聴いてみる。そもそも「スーパーネコ」ってなんだろ?と思って WIKI を見ると、CAT というのはジャマイカではインド系を差す言葉らしい。確かに SUPER CAT はインド系のハーフなんですって。10代からサウンドシステムでステージをこなし、80年代は地元で数々のシングル/アルバムをリリースしてる。その延長で米 COLUMBIA と契約、全米デビューをこのアルバムで果たすのだ。
●プロデュースを手掛けたのは SHAGGY を担当した ROBERT LIVINGSTON という男。STEELY & CLEVIE も少し関与している。表題曲「DON DADA」含めた3曲以外は全てジャマイカで制作されており、そのダンスホールスタイルは全く薄まっていない。YELLOWMAN 時代に比べてずっとテンポが高速化して、マイク捌きも巧みで鮮やか。その先の読めない展開が実にスリリング。
メジャーらしい演出といえばヒップホップアクトの客演か。HEAVY D & THE BOYS HEAVY D が参加。またCDのクレジットには記されてないが、若き THE NOTRIOUS B.I.G. も参加しているという。実は2人ともジャマイカ系だ。濃ゆいダンスホールを薄めずにアメリカで認められた希有な例だ。ヒップホップアーティストからの敬意も厚い。
●その後 SUPER CAT はアメリカに移住。ヒップホップの客演を担ったり、アルバムを出したりして過ごすが1996年にメジャー契約を解消。2000年代には THE NEPTUNES のレーベル STAR TRAK に所属するもろくに音源を発表せずに契約終了。


ダンスホールの深化。バッドマン/ガントークからラスタ信仰/コンシャスネスまで。

NINJAMAN「ORIGINAL FRONT TOOTH GOLD TOOTH DON GORDON」

NINJAMAN「ORIGINAL FRONT TOOTH GOLD TOOTH DON GORDON」1993年
●アメリカ音楽産業の思惑と関係なく、ジャマイカ国内のダンスホールシーンはどんどん加熱していく。NINJAMAN は12歳からサウンドシステムに関与して SUPER CAT らに揉まれながらディージェイスタイルを確立。犯罪を題材にする、ルードボーイ/バッドマン/ガントークと呼ばれるジャンルで武名を轟かす過激派となった。レコードレビューは1986年頃、1988〜1992年頃は向かう所敵なしのイケイケオラオラぶりで、このアルバムの時期にはあまりの過激ぶりに批判が集まって公演や録音が滞ってしまってたほどだ。
●で、この金の前歯を自慢する(このヘンのややついていけないメンタリティが、オモシロくてしょうがない)アルバムでは、レゲエ界の名コンビ SLY DUMBER & ROBBIE SHAKESPEAR、つまり SLY & ROBBIE が担当。70年代から活動する鉄壁のリズムセクションとして、STEELY & CLEVIE 以上の信頼感で現在も活躍する。…STEELY & CLEVIE は片割れが死んじゃったからね。コワモテで怖いイメージが強い NINJAMAN ですが、声は高くてスゴミより軽みで勝負するタイプ。それでも今なお悪大将としてダンスホール世界に君臨しているからスゴい。
●あ、ちなみにコレ下北沢ディスクユニオンで300円で購入。ダンスホールって日本でもやや地位が低いのか、往々にして激安だよね。

MAD COBRA「HARD TO WET, EASY TO DRY」

MAD COBRA「HARD TO WET, EASY TO DRY」1992年
●これも同時代のダンスホールだね。SUPER CAT、SHABBA RANKS、NINJAMAN のチョイ後輩にあたるバッドマン系ディージェイ。ガナリ声で噛み付くようなスタイルが象徴的。トラック制作陣には、SLY DUMBERROBBIE はいない)や STEELY & CLEVIE とテッパンの布陣…というか、ここまで聴いてくると全部同じに聴こえてくる寸前。
●ただし、エクゼクティブプロデューサーに CLIFTON "SPECIALIST" DILLON という男が。コイツは SHABBA RANKS のアルバムにもクレジットされてたヤツで。本来はジャマイカでサウンドシステムを運営してたのをたたんで、アメリカに渡ってレゲエをアメリカに移入する立場に。その尖兵が SHABBA RANKS MAD COBRA というわけだ。コイツの主導か、ビターでアゲアゲの一本槍にならず、この盤はナニゲにバラエティ豊かなバランス配分がなされてる。ハードなダンスホール路線とアメリカ市場向けかちょっとマイルドなサウンドデザインの二刀流。
RICHIE STEPHENS というシンガーの瑞々しいボーカルとラヴァーズロック風のリディムが爽やかな「LEGACY」や、なんとサウス系ヒップホップの元祖 THE GETO BOYSSCARFACE!)をフィーチャーしたヒップホップレゲエ「DEAD END STREET」が聴きドコロ。

BUJU BANTON「VOICE OF JAMAICA」

BUJU BANTON「VOICE OF JAMAICA」1993年
BUJU BANTON はなんと12歳の頃からサウンドシステムでマイクを握っていた早熟なディージェイ。14歳の頃にはすでにレコードデビューしてる。このアルバムの時でやっと20歳。ドアップ過ぎて他のジャケと区別がつかないけど、裏ジャケに映る若い BUJU は美青年。イケメンアイドルディージェイだったのかも。声は NINJAMAN よりも MAD COBRA よりもガラガラに野太くて、ちょっと華奢な外見からは意外にみえるほど。
●彼のキャリアにとって重要な曲がある。彼が15歳だった1988年にリリースされ、このアルバムと同じ年に再発された「BOOM BYE BYE」という曲だ。これは同性愛者への攻撃を歌った内容で、この曲のために彼は海外から激しいバッシングに会うのだ。コレを契機に、彼は自分の社会的立場に自覚的なアーティストへ転向。このアルバムにおいては、HIV感染児への援助やセーフセックスを呼びかけたり、ゲットーの暴力を批判したりしている。結果としてこの作品以降、彼はラスタ信仰に傾倒しドレッドを伸ばし始めるのだ。こうした社会的メッセージを楽曲に折込むスタイルをレゲエでは「コンシャスネス」という。
●ポップスとしてのバランス感覚を保持した MAD COBRA と違い、このアルバムはほぼ純然たるダンスホールレゲエ。イタヅラにテンポを早めずにグッと溜めたグルーヴが、骨格ムキだしの打ち込みビートに絡まって実にゴツく響く。やや苦いほどの代物か。主だった制作陣は、やっぱり SLY DUMBER…どんだけ売れっ子なんだ。STEELY & CLEVIE も参加。DANNY BROWNE って人物は CLEVIE BROWNE の兄弟らしい。BOBBY "DIGITAL" DIXON もいるぞ。それと、シンガーが豪華。BERES HAMMOND、WAYNE WONDER が爽やかな声を聴かせてくれている。1曲で BUSTA RHYMES とコラボしている。コレと終盤に突然登場する「MAKE MY DAY」という曲だけがヒップホップレゲエヒップホップレゲエという種類自体が90年代前半の他にはほどんど聴けない、って意味では、こうした曲はある意味貴重。


●ジャマイカ国内では、この後も様々なパフォーマーが出現し、ダンスホールシーンは活況を極めていく。スラックネス、ガントーク、コンシャスネス、ラスタファリズム、様々な志向を持つアーティストを育てて行く。しかし、アメリカの音楽市場はこの1993年あたりを以てダンスホールレゲエにはさっぱり感心を持たなくなってしまう。次にダンスホールレゲエが熱くなるのは SEAN PAUL のブレイクする2002年だ。むしろその間の時期は日本の方がレゲエを大切に聴いていたような気がする。つーか、日本はレゲエ大好き大国だ。00年代のレゲエについては、また別の機会に。




●動画。
●TENOR SAW「PUMPKIN BELLY」。SLENG TENG リディムを堪能あれ。「かぼちゃのおなか」とは妊婦さんのオナカのことらしい。声だけじゃなくて、歌詞の内容も優しい歌なのかな。




●CHAKA DEMUS & PLIERS「MURDER SHE WROTE」。ジャマイカの街角の色彩がまぶしくて。シンプルなビートを埋め尽くすパワーの豊穣さ。




●YELLOWMAN「STRONG ME STRONG」。ヒップホップすらがまだ正体不明のローカルカルチャーだった時代の、レゲエミクスチャー。MATERIAL = BILL LASWELL の手腕。




●BOBBY KONDERS「MACK DADDY」。すげえなこんなレア音源まで YOUTUBE 経由で聴けるんだ。スリリングなニューヨーク・ヒップホップレゲエ。




●SUPER CAT「DON DADA」。BOBBY KONDERS によるヒップホップミックスで。ヒップホップレゲエはクールだ!




●BUJU BANTON「RED ROSE」。たぶんドラムプログラムが SLY DUMBER で、ベースが DANNY BROWNE。まさしくワイルドなダンスホールレゲエ。



●最近 TUMBLR 中毒ぎみ。今日もアップロードの限界まで達してしまった。
●やべ。仕事が年度末ヒートで、アタマがおかしくなってる。
●ブログも更新しないで。

●そんな夜は、UKソウルレディの声を聴く。

ESTELLE「SHINE」

ESTELLE「SHINE」2008年
●アタマがオカシクなりかけてるので、健全なUKソウルを聴くのだ。この音楽はリアルタイムに入手してからもう何年も愛聴し続けてる物件。ロンドン育ちの女性シンガー ESTELLEストレートな快活さと都会的洗練に、ボクのココロは朗らかな気分になる。2008年あたりは、AMY WINEHOUSE などなどのソウル女傑が、60年代風のオールドファッションなR&Bを現代風にリバイバルしてヒットさせてた時期。この ESTELLE の音楽もややオーセンティックでオールドファッションな気分をちょっぴり含有してる。最先端の移ろいやすい流行りモノに流されない、地に足の着いた感じはエクゼクティブプロデューサーに JOHN LEGEND が就いているって部分でも納得出来るはず。
●イギリス人のシンガーを支えるはアメリカ人のクリエイターたち。WILL.I.AM、WYCLEF JEAN、SWIZZ BEATZ、HI-TEK などがトラックを組み、客演には KANYE WEST、CEELO GREEN、KARDINAL OFFICIAL、そして JOHN LEGEND が登場。英米両方で活躍している白人プロデューサー MARK RONSON もミソだね。これで彼女自身のUK由来なクールさとアメリカンなバタ臭さがうまく入り交じってイイ感じになってる。


●動画
●ESTELLE FEAT. KANYE WEST「AMERICAN BOY」。
●モダンなグルーヴに自然と馴染む ESTELLE のしなやかな身のこなしが素敵。自信に満ちあふれた女性は美しい。



●ESTELLE「WAIT A MINUTE (JUST A TOUCH)」。
●聴けば一発でわかる SCREAMING JAY HAWKINS「I PUT A SPELL ON YOU」サンプル。プロデュースは WILL.I.AM。「AMERICAN BOY」も彼がトラックを作ってる。





体調がまたワルくなってきた…クスリの量が増える。
●先々週の徹夜勤務2発が結構なダメージとして効いてる。なのに、また月末に徹夜仕事がハマった。年度末のクソ忙しい場面でこりゃしんどい。先週だけで3つのプロジェクトにケリをつけたが、続く3月〜4月でもっと大型のプロジェクトを4つ抱えてる。細かい仕事は他にもたくさん。やっと辿り着く土日はホントにクタクタ。


そんな中、スーツを買ってみた。
気づけばボクはスーツ一着しか持ってない。しかもすでに7〜8年同じのを使ってる。たしかに普段は仕事でもメッタに着ないんですけどね。そんな体たらくなもんで「フリーターかオマエは」みたいなコトは職場で何回も言われてきた。「あ、正社員さんだったんですね」とか。でもねー。結婚式とかにはスーツ着ないとイケナイしねー。さすがにその一着が痛んできたからワイフと相談して買うことになった。とはいえ、好きでもないモノを買うのはオックウで。UNITED ARROWS とか BEAMS とか一人でウロウロしてると、なんか疲れてきちゃう。

●そこで、また7〜8年は着るだろうから、ちゃんとしたモノをオーダーメイドしてみよう、という話になった。西新橋一帯には老舗のテーラーがちょこちょこあって、4万円程度からオーダーメイドしてくれるという話を先輩から聞いたことがある。だからちょこちょこ歩き回って、なんだか目立ってたお店「花菱」さんに入ってみた…見た目は新しい感じだけど、この場所で数十年やってるらしい。ホームページを見たら創業は1935年!
●かつて取引先の専務さんが「シャツやスーツのオーダーメイドは楽しい」と語っていたのを思い出す。礼儀正しい店員さんが、次々と様々な生地やボタンを出してきてくれるのを、眺めたり触り心地を試したりするのは確かに楽しい!アイボリーナットというエクアドルのヤシの実から出来るボタンが可愛くて気に入った。黒に薄い藍が差し込まれた色を選ぶ。
●ボクの全身のあらゆる寸法をサクサクと測りとる手際の良さ。「お客様、右手が左手より1センチ長いですね」えー!ボクの腕は左右で長さが違うの?「そういう方は珍しくないですよ」ほー。知らない自分を教えてもらえたよ。
●日曜日の新橋界隈なんて寂しいと思ってたけど、お客は少なくなかったよ。トナリでオーダーを作ってたのは20歳くらいの男子とそのお母さん。「この子、4月からアパレルに就職するんです。だからステキなスーツをお願いします!」お母さん、息子さんアパレルに就職するならスーツくらいは自分で選ばせた方がいいと思いますよ。



●最近は、息子ノマドと将棋差したり、オセロしたり、下北沢の商店街で二人昼メシ食ったり。
●そんで、一緒にDVD選んで2人で見たりしてる。

ライフ・オブ・パイ:トラと漂流した227日

「ライフ・オブ・パイ - トラと漂流した227日」
●アニメ「マクロス」DVDをレンタルで借りる時、珍しくノマド自身が借りてみようと選んだ映画だ。ノマドはやや慎重な性格で自分の中で価値が確定しているモノでなければ取り入れようとしない。コレが親としてはややモドカシイ。そのノマドが手に取ってパッケージをシゲシゲと眺めていたので「いい趣味じゃないか、コレ借りよう」と促してみた…実はボクはそんなに興味を持ってなかった…だって、トラと海しか出てこないっぽいじゃん。でも、ノマドの自発性って貴重だから。
ところが。ノマドもボクも、その映像の美しさに圧倒されてしまった。インドの美しい動物園から物語は始まり、円周率(π)を自分の名前にした少年が、おびただしい色彩の中で利発な青年に成長する。動物たちの雄々しさ、様々な表情をみせる海の美しさ、海中に暮らす神秘の生物たち。青年を漂流生活に投げ出す遭難シーンですら、息を飲むほど美しい。過酷なサバイバルと魅惑のファンタジーが完全に合体して神々しい。パイはヒンドゥー教徒でクリスチャンでムスリムという設定なんだけど、八万の神を信じる日本人と同じようなゴッタ煮のアミニズム世界観が、魚に波に光にそしてトラに、優美な美しさを見出してしまう。そんな冒険にボクら親子は夢中になってしまった。
●監督のアン・リー氏を、ボクは勝手に女性だと思ってて(だって「ブロークバック・マウンテン」の人でしょ…)。ところが英語名 ANG LEE、中国名 李安 とつづる台湾系のベテラン男性監督だった。この映画は、いうなれば実質的に「アバター」級のCG映画だけれども、ああ地球は美しい、と素朴に感じさせてくれた。この監督の映画をもっと見てみたくなった。

●娘ヒヨコは、自称「生類憐れみの令」主義者なので、獰猛な肉食獣が他の動物を捕食するのがタマラナイ(そんな演出をカマす映画自体が許せない)ので早寝してしまった…。大河ドラマを見ても、どんなに兵隊が死のうと構わないのに、騎馬がケガするとヒヨコはメチャメチャ憤る。動物と会話が出来る「ドリトル先生」シリーズを愛読するヒヨコ。「ドリトル先生、今度はムシ語の勉強を始めたって!」と嬉々と報告するタイプなのです。


「図書館戦争」

「図書館戦争」
図書館を守るための武装部隊、ってちょっと荒唐無稽だね、なんて一番最初は思ってたんです。そしたら、誰かが「アンネの日記」数百冊を破ってまわるなどという本当にムナクソ悪い事件が起こって。コレって、表現を封じ込めるコトに躊躇がない時代に差し掛かるかの気分の今の日本を象徴しているかも知れない。実は寸前まで迫ったディストピア世界。
●映画は、表現を規制しようとする公権力と、それに対抗する「図書館」という構造で描かれていたけど、今の社会は、大衆同士が相互監視する構造。CMの表現にクレームが入れられる、ドラマの設定に放送中止の抗議が殺到する、フォアグラの弁当が発売中止になる、マンガの表現が過激だと指摘される、ゲームの表現が極端だと特別なマークが入る、不謹慎な発言がタレントの命取りになる。ソーシャルに上がった写真1枚で誰かの人生が破滅する。けしからんけしからんけしからん。誰かが誰かの行為をけしからんと非難する。
●表現の自由を守るため/爛れた表現を抹殺するために、機関銃で武装するのは少し飛躍がある。ただし、機関銃で蹴散らかしたくなるほどの摩擦とストレスがこの社会でキシキシ音を立てていると思い知った。そのストレスを乗り越えるキッカケは、榮倉奈々のベビーフェイスかもしれない。ニコニコ笑って、相互の違いを楽しむ余裕が欲しい、という意味で。

●息子ノマドには、まだワカラナイかもしれない。図書館が武装するという極端な比喩は、うまく出来過ぎてるので子どもは現実に引きつけて考えられない。ただのドンパチ映画に映ったかもな。でも、そんな映画も見られなくなったらもうオシマイなんだよ。



音楽。ROBIN THICKE。

ROBIN THICKE「THE EVOLUTION OF ROBIN THICKE」

ROBIN THICKE「THE EVOLUTION OF ROBIN THICKE」2006年
PHARRELL WILLIAMS のニューアルバムがとっても楽しみだったから、当然発売日合わせでAmazon予約したよ。そんで聴いてる。楽しい。でも今日はその新作には触れず、別の音源を聴いてしまう。PHARRELL のレーベル STAR TRAK 所属の白人ソウルシンガー ROBIN THICKE ね。PHARRELL WILLIAMS はこのアルバムのエクゼクティブプロデューサーを務めてる。
●カナダ系アメリカ人、というかカナダ&アメリカの二重国籍を持つ ROBIN THICKE は両親共に俳優女優という芸能一家に生まれた男。結果その容姿はとってもイケメン洒落男で最初はイケスカナイって思ってたんだけど、このブルーアイドソウルが実はナヨナヨの虚脱ソウルってコトに気づいて好感度アップ。最近のボクはだいぶ安定剤も増えて精神的にそれこそナヨナヨ状態だったところ、彼の音楽がうまくその凹み具合にハマった。決して力まないヘナヘナしたファルセットと、少々ヘンタイ的な甘さが香る薄くて軽いサウンドトラックが、ホドヨイなまぬるさを絶妙に演出しててカサついた神経を優しく慰撫してくれる。
●ほとんどの楽曲を、ROBIN 本人が作詞作曲プロデュースしている。ああこの微妙な浮遊感がタマラン。共作プロデューサー PRO J って人がクレジットされてるけど、この人のことはよくワカラナイ。ヘッドホンでしっかり聴いているとピアノの弾き語りは PRINCE まで連想してしまう。それと少々爛れた変態ファンク要素 PRINCE 風ね。爛れた部分は客演 LIL WAYNE がワイルドなフロウで体現。FAITH EVANS とのデュエットも美味。
●そして唯一 ROBIN 自身がプロデュースしなかったのが THE NEPTUNES 制作「WANNA LOVE U GIRL FEAT. PHARRELL」。もう一発で PHARRELL 〜 THE NEPTUNES の仕事とわかる軽妙でやや硬いドラムが特徴的。そこにフラフラとヘナヘナとボーカルを添える ROBIM。PHARRELL もコーラスで参加。ダブルファルセット。いいねえ。

ROBIN THICKE「SOMITHING ELSE」

ROBIN THICKE「SOMITHING ELSE」2008年
●前作「ロビンの進化論」とほぼ同じ体制で繰り出されたアルバム。虚脱ソウルが生々しくアレンジされてラウンジーになってる。セクシーなフュージョンサウンド、ディスコティークなホーン/ストリングスアレンジ。80年代要素だけでなく、70年代の王道ソウルの気分も射程距離に。あれ?もしかして MARVIN GAYE のつもり?
●この人は、自分で歌うだけでなく、様々なアーティストへの楽曲提供や客演、バッキングボーカルでも活躍してる。古くは1994年の BRANDY98 DEGREES、SAM SATLER、CHRISTINA AGUILERA、P!NK、USHER、JENNIFER HUDSON などなど、実はボクの中でお馴染みだった音源で裏方をやってたのねと今初めて気づく。今後はもっとこの人を掘り下げてみよう。




●動画。



●ROBIN THICKE FEAT. PHARRELL「WANNA LOVE U GIRL」。
●THE NEPTUNES(PHARRELL WILLIAMS & CHAD HUGO)制作の硬質ファンク。



●ROBIM THICKE FEAT. LIL WAYNE「SHOOTER」。
●変態度やや高めの虚脱ファンク。LIL WAYNE がイイ味出してくれてる。



●ROBIN THICKE「MAGIC」。
●80〜70年代風コスミック・ディスコティークなアレンジが王道感出してるクールさにシビレてみる。






ウチの息子ノマド小学6年生が「宇宙戦艦ヤマト」に夢中である。
●写真は「1/500 宇宙戦艦ヤマト2199」。なんと全長60センチもあるドデカイプラモデルだ。
●せっせと建造、塗装も施して、細かいデカールシールまで貼ってる。気合い入ってます。

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さて、なぜ今このタイミングで「ヤマト」なのか?
●息子ノマドは音楽の授業で「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」を演奏するという。しかし、当の小学生たちはさっぱり「ヤマト」が理解出来ない。ていうか、ボク自身も「ヤマト」はほとんど通っていない。ボクは「ガンダム」世代ではあるが「ヤマト」世代ではない。「ヤマト」世代はボクよりかなり年長、いうなればアラフィフだ。実際この合奏曲を選んだというH先生はずばりアラフィフ。アニメの主題歌を選んだら子供たちは喜ぶだろうと思ってのセレクトだったらしいが、全く理解出来ない小学生たちは全然乗ってこない。そこでH先生、通常のクラスを休んで「ヤマト」の映画版を授業で見せたらしい。他の子どもはどう受け止めたのかよくワカランが、少なくともノマドはその宇宙戦艦にハートを見事奪われて帰ってきた。で、ヤマト建造である。まさかこんなにデカイとは。Amazonには縮尺は書いてあったけどモノの大きさは書いてなかったよ。

●もちろん、アニメも観る。

宇宙戦艦ヤマト2199 1 [Blu-ray]

「宇宙戦艦ヤマト2199」
●これは2012年に劇場公開/DVD発売された「ヤマト」の最新シリーズだ。「2199」ってのはこのヤマトシリーズの時代設定が西暦2199年ってトコロに由来してる。これは一番最初の「ヤマト」から変わっていない設定だ。一番最初のテレビアニメ「ヤマト」ってのが1974年、つまりボクが生まれた次の年なのだから、こりゃ確かにアラフィフ向けと納得。「スターウォーズ」が1977年公開という事実をみると、その先見性は圧倒的に速いモノだったことがわかる。ちなみに「機動戦士ガンダム」は1979年。この3ブランドが今だに強い存在感を放っているコトはスゴいことだ。

●で、最新版「ヤマト」。なにぶんオリジナル「ヤマト」に関する記憶がおぼろけなモノで比較しようもないんだけど、結末もだいぶ違うみたいね。ただ思ったのは圧倒的にサブキャラが増えている。主要キャラといえば、古代進森雪沖田艦長島大介、もうちょっと付け加えて船医の佐渡先生に赤いロボット・アナライザー真田さんに機関長・徳川さんくらいしか思いつかない。なのに、最新版は現代女性の社会進出を反映してか、たくさんの女性隊員が登場する。オリジナルは森雪以外に女子乗組員は全くいなかったのだ。オマケに女性の制服はエヴァのプラグスーツばりにボディラインがクッキリわかる仕様。あと、アホ毛がどの子にもくっついてて奇妙。しかし、娘ヒヨコから見ると戦闘シーンよりも、誰が誰に好意を寄せているか、そして艦内でくつろぐオフシーンの方が大事だったようだけど。
敵であるガミラス人との交流や、ガミラス人の心情や葛藤を描くシーンは原典にもあったのだろうか?その部分は共感出来る部分があって作品の深みを増してる気がした。ガミラス社会は、ナチスからそのモチーフを拝借しているように、クッキリとした人種差別社会でその出自でキビシく階級差別が行われている。その中で被支配層から立身する事の困難さや、支配階級の選民思想が浅ましく描かれる様子がピリリと効いている。それでいて、誇り高き戦士としてのガミラス人の矜持は敬意すら感じさせる。ナルシスティックなカリスマ独裁者、デスラー総統の内面と最後の暴政は正直理解出来なかったけど。

SPACE BATTLESHIP ヤマト

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」2010年
キムタク主演の実写版「ヤマト」である。アラフィフ「ヤマト」世代の先輩からは「天下の駄作」とコキ下ろされたので(Amazonレビューも散々だね…)、正直見るつもりは1ミリもなかったのだか、そんな事情は知らないワイフが息子ノマドのために無邪気にレンタルしてきてしまった。この段階で「どんだけの駄作か見て確かめよう」そんな興味で鑑賞してみた。
●ところが。原典アニメにほとんど思い入れがないボクからしたら、なんだかごく普通に観れてしまった。すんげえオモシロいってほどはススメマセンよ。でも、最悪というほどでもない。設定はアレコレ大胆に改変されててデティールも端折られてますが、イイ向きになってる部分もある。
●特に、ヒロイン森雪の存在がかなり変わってるのは、実は時代感からするとコチラの方が今っぽいと思う。松本零士の典型的キャラ造形に由来する金髪&ロングまつげの森雪「2199」ではブリッジのレーダー監視要員、華奢で少々甘えん坊な女子ってキャラ付けなんだけど、コチラの実写では黒木メイサが演じる死闘を生き抜いた戦闘機パイロットという設定。キッツイ性格で休憩室では一人酒を飲み、平気でキムタク古代に食ってかかる。当然アホ毛なし。そのサバサバ感は今の強い職業女性を連想させて、実は安定感と納得感がある。ちょいとキムタクとラヴい感じになる進展の速さには「おいおい戦争なのにそりゃねえだろ」と思う節はありますが。
●オマケに付け加えれば、ブリッジメンバーの実直な良心・真田さんがよかった。「2199」でも副長として立派な安定感を発揮するが、実写版では柳葉敏郎がアニメのイメージそっくりにカタブツ感を演出。機関士長・徳川さんを西田敏行が演じるってのも気分として成功。ヨッパライオヤジの佐渡先生を、女医として高島礼子さんにさせるってのはイイかワルいか微妙だが、一升瓶とニャンコを常に抱えてる設定は残してる。沖田艦長山崎努ってのはマジで怖い上司だなと思った。
●ただ、そんな主要キャラをほぼ全員皆殺しにするストーリーってのは酷だわ。あ、ちょっとネタバレ。


●そんな話を、会社の先輩たちと食堂で会話してたら、アラフィフというよりアラ還暦な大先輩から新しい指摘が。
「ボクらにとって、ヤマトは大和だったのよ。宇宙戦艦じゃなかった。あの時代の子供たちは第二次大戦の戦記モノをたっぷり読んでいたからね。あの戦艦大和が宇宙に行く、と思ったんだよ」1974年当時は、まだ「戦記モノ」というジャンルが生々しく存在していたんだ…ゼロ戦も大和も、子供たちには身近な存在だったんだ。

キャプテンハーロック
「キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-」2013年
宇宙戦艦モノつながり、そしてなによりも松本零士つながりでこのDVDも息子に見せてみた。「宇宙海賊キャプテンハーロック」も最初のアニメは1978年。やっぱりボク自身も記憶がオボロゲで…。ただしこの映画に関していえば、オリジナルストーリーから激しく逸脱しているそうで、コアな登場人物程度しかカブリはないらしい。脚本は「機動戦士ガンダムUC」福井晴敏、声の出演に小栗旬/三浦春馬/蒼井優などが参加。ファイナルファンタジーバイオハザードかってくらいのフルCGアニメは、やや微妙な気分「ワンピース」に慣れ親しんでる息子ノマドでも、この宇宙海賊にはちょっと馴染めなかったか?艦首に大きく描かれたドクロマークで頭突きをするかのように敵戦艦に思いきり体当たりしたり、そのまま白兵戦に持ち込んだりするワイルドさは、ヤマトにはない感覚でイイ感じと思ったけどね。

  「超時空要塞マクロス」DVD

「超時空要塞マクロス」
「宇宙戦艦」に始まり「宇宙海賊」にきて、お次にとりかかったは「超時空要塞」だ。この初代「マクロス」は1982年の作品。そこから「マクロスプラス」「マクロス7」そして「マクロスフロンティア」などなどへ続く一大アニメシリーズになってる。ポスト「ガンダム」の中でも最重要アニメじゃなかろうか。戦闘機がスムーズにロボットに変形する主力兵器バルキリーの優雅なデザインは小学生だったボクのハートを鷲掴み。戦闘機とロボットの中間形態である「ガウォーク」という形状もフルフルふるえるほどカッコイイと思ってた。もちろんプラモもたくさん作ったなあ。そんなボクにとってのオールドスクールアニメを、ボクの息子と一緒に楽しんで観るってなんだかステキ。そんなことばかりしてるから、同僚からは「おまえんちはある意味サブカル英才教育だよな〜」と言われたりする。
●軍人の壮絶な自己犠牲を全面に打ち出した「ヤマト」、戦争という舞台の上で少年の成長を描いた「ガンダム」と比較すれば、80年代の新世代によって紡ぎ出された「マクロス」は、若い男女が織り成す爽やか青春ドラマだ。ていうか、ズバリ DVD パッケージに「青春SFドラマ」って書いてあるんだもん。もっと突っ込んで言えば80年代ラブコメ。60〜70年代のド根性や汗臭さを完全脱臭して、テニスサークルみたいな軍隊ライフが描かれている。ヒロインのリンミンメイちゃんは、巨大宇宙戦艦の中に暮らす5万人のコミュニティの中でアイドル活動を始める!さすが1982年!小泉今日子、中森明菜、原田知世、早見優、石川秀美、堀ちえみのデビュー年だけある!ミンメイちゃんのぶりっ子トークには娘ヒヨコですら思わず爆笑してる。「うふ!だって戦争だもん、しょうがないじゃなーい」うわこんなセリフありえねえよ。
●しかしまだこのアニメは半分程度しか見てない。これからどんな展開になることやら。注目だ。

「機動戦士ガンダムサンダーボルト」3

大田垣康男「機動戦士ガンダムサンダーボルト」3巻
●で、結局は一番居心地がイイ場所に帰ってくる。「ビッグコミックオリジナル」連載、「機動戦士ガンダム」の最新ストーリーだ。疾風怒濤のフルアーマーガンダムと、鬼子の実験機サイコザクの死闘にとうとう決着がつく。この作品に出て来る機体が、いまプラモ屋さんで目立ってる。このマンガはボク一人で楽しんでいる。
●兄の大型ヤマト建造に触発されたのか、妹ヒヨコもプラモデルを作ってみたいと言い出した。そんなヒヨコが選んだモビルスーツが下の二つ。ヒヨコいわく「潮騒のアッガイズです!」

 潮騒のアッガイズです のコピー

●ながらく近所のローソンで売れ残ってたのが、左のクマ型モビルスーツ「ベアッガイⅢ(さん)」。まー正気のガンダムファンは買わねえ物件でしょう。ただ、ヒヨコは異常に気になってたようで。ガンダムアニメ最新シリーズ「ガンダムビルドファイターズ」に登場する、改造プラモという設定らしい。右のこげ茶がこの「ベアッガイ」の原型、アッガイ。初代ガンダムでシャア大佐とともにジャブロー侵入に挑んだ地味目のモビルスーツなんだけど、そのズングリムックリなスタイルとマルまっこい腕の先がなんとなく愛くるしいということで昔から根強いファンがいる。ヒヨコに言わせれば「ドングリみたい!」。結局二体を買いそろえて、「潮騒のメモリーズ」ならず「アッガイズ」を結成することになった。



●音楽。マクロスにインスパイアされたミックステープ音源をDL。

Do You Remember Love_

VARIOUS ARTISTS「DO YOU REMEMBER LOVE ?」2013年
●ネットレーベル MALTINE RECORDS などで活躍するエレポップアーティスト MEISHI SMILE によるミックステープを彼の tumblr ブログからダウンロード。ここに「マクロス」の劇中で鳴るリンミンメイちゃんの歌が収録されてる。ミンメイちゃんのデビュー曲「私の彼はパイロット」と映画版の主題歌でありサブタイトルにもなった「愛・おぼえていますか」だ。「私の彼はパイロット」はアニメ本編で聴くとその無意味過ぎるリリックで死にそうになるが、ココで聴けるのはスマートファンクなアレンジになってるバージョン。「愛・おぼえていますか」は、よく見ると加藤和彦&安井かずみのチームが詞曲を担当していたのね。ミンメイちゃんの声優をこなし、この二曲を歌ったのは飯島真理彼女はこのアニメの成功を受けてシンガーソングライターに転向する。
MEISHI SMILE の選曲は実に渋くて、この二曲のアニソンを淡いシューゲイザー/スロウコア系のバンドサウンドやネット系のクリエイター音源と並列して提示している。ART-SCHOOL、HARTFIELD に始まり、香港女優フェイ・ウォン COCTEAU TWINS 的な楽曲まで折込んでる。そして自身 MEISHI SMILE の音楽は多幸感たっぷりのエレポップ。センスが良過ぎる。




●動画。飯島真理「愛・おぼえていますか」。





●先週は、徹夜勤務なぞが2日もあって、もうクタクタ。
●土曜も仕事で、リズムが狂うわ。風邪ひきそうだよ。



●さて、今日は80年代の TINA TURNER を聴いている。
80年代のファンクやR&B表現って、90年代のヒップホップ革命でスッパリとその成果が歴史的に断絶されてる。が故にこうして聴き直してみると、スゴく珍しく思えてオモシロい。

TINA TURNER「PRIVATE DANCER」

TINA TURNER「PRIVATE DANCER」1984年
●仕事で立ち寄った赤坂で、まだ十代だった頃から好きでよく食べているラーメン屋さん「赤坂らーめん」に立ち寄って夕飯を食った。このお店は歴史が古い上に赤坂のテレビ局 TBS に近いもんだから、芸能人のサインがたくさんお店のカベ一面に貼ってある…のだが、芸能人のサインってソレだけだと誰のサインだか全然わからないし、そもそもそんなモノにご利益なんて感じた事がないもんだから、長く通いながらも特に気に留めた事がなかった。
●ただ、先日立ち寄って、ラーメンが出されるのをボケーッと待ってたら、1枚のサインが突然目に入って、そんで驚いた。その1枚だけは色紙じゃなくて、モノクロの写真に直接本人のサインが書かれてるもので…しかも、それが日本人タレントではなく…アメリカの女性シンガー、TINA TURNER のモノだったのだ。はー!このラーメン屋、TINA TURNER も来たのか!すげえなあ。

TINA TURNER の芸歴は長く、その最初は1950年代中頃まで遡る。その後の夫になる IKE TURNER のバンドに加わり、1960年代には数々のR&Bヒットを繰り出す。1965年の「RIVER DEEP - MOUNTAIN HIGH」はポップの奇才 PHIL SPECTOR がプロデュース。PHIL のキャリアにとっても重要な傑作として大ヒット。そのワイルドなボーカルがロック界からも注目を浴びるようになる。しかし、その影では夫 IKE による常習的なドメスティックバイオレンスに苦しめられる…あまりの仕打ちに自殺未遂をしたことも。1976年にとうとう TINA IKE の下から脱出、そのまま離婚に至る。このへんの顛末は、彼女の自伝映画「ティナ」に詳しいので一度ご覧いただきたい。

●で、このアルバムが彼女にとっての第二の黄金期のキッカケとなったアルバムだ。IKE との離婚からキャリアを立て直す事が出来ないままでいた TINA が完全復活を遂げた作品。ボクにとって特筆すべき点は、このアルバムが彼女の持ち味だったR&Bというより、見事なロックテイストで味付けされてるコトだ。つーか、この時代はある意味でロックとソウルが接近しまくってた時期と見ればイイのか?MICHAEL JACKSON「THRILLER」「BAD」の間の時代だからね。タイトでジャストなファンクネスは80年代ディスコ気分、カラリと湿度を抜いた感覚がとってもアメリカン。元来からハードシャウターな TINA なので、ロックビートとも相性ヨシ。表題曲「PRIVATE DANCER」 DIRE STRAITS の中心人物 MARK KNOPPLER が提供したAOR風味の曲。そして DAVID BOWIE「1984」という曲をエレポップ風にカバー。さらには2曲で JEFF BECK が参加している。ボクの持ってるLPレコードには収録されてないが、CDには THE BEATLES「HELP」のカバーも入ってるという。
●ボクが聴きたかったのは、映画「TINA」のラストでも流れた彼女の復活ヒットシングル「WHAT'S LOVE GOT TO DO WITH IT」。邦題「愛の魔力」。ミドルテンポの80年代グルーヴの中で TINA が愛情の軋みを唸る。90年代以降の音楽/ヒップホップソウルに馴染みきったボクの感覚には、むしろコレが異次元の音楽のように新鮮に聴こえる。このアルバムで、TINA はソウルの名曲を80年代風にアレンジカバーしてる。ANN PEEBLES「I CAN'T STAND THE RAIN」1973年のヒットだ。MISSY ELIOTT もサンプルしたサザンソウルの名曲のジットリした湿度を大胆に解釈してピコピコさせてる。AL GREEN「LET'S GET TOGETHER」1971年もカバー。原曲の持つスウィートなスムースさに少々バタ臭い80年代解釈を施して、正直ちょっぴり違和感があるんだけど、TINA の歌いこなしはある意味で原典に忠実でイイ感じ。

TINA TURNER「TINA LIVE IN EUROPE」

TINA TURNER「TINA LIVE IN EUROPE」1988年
TINA の1985〜1987年のライブパフォーマンスをLP二枚にコンパイルした内容。コレがやっぱりロック濃度が高くて。そもそも彼女の80年代の復活劇は、それまでの長いキャリアで培ってきたロック人脈に支えられたモノだったようで。IKE AND TINA TURNER 時代から、THE ROLLING STONESDAVED BOWIE、その他様々なロック系ミュージシャンとステージを共にしてきた縁と彼らからのリスペクトが、キビシい境遇から彼女を引き上げた。ROD STEWART「HOT LEGS」のデュエット相手に彼女を指名してツアーの前座にも使ってるし、THE STONES は三回のショーで彼女をオープニングアクトに抜擢してる。DAVID BOWIE の口利きでシングル契約をゲットしたりもしたそうだ。ココ、イイ話だね。特にイギリス系のアーティストと相性がいいみたいだね。このアルバムもヨーロッパでのライブで構成されてるもんね。

●このアルバムではそんな豪華なロック系アーティストのゲストも数々登場する。DAVID BOWIE 本人と一緒に彼の曲を二曲もカバー。「TONIGHT」「LET'S DANCE」だ。あ、「TONIGHT」は元から BOWIE TINA のデュエット曲だったっけ。「LET'S DANCE」は軽妙な R&B 風に始まったと思ったら、グッとタメを作ってあの80年代ディスコファンクに真っ直ぐ着地する。端正なダンディズムと TINA の野性味がうまく入り交じる。ERIC CLAPTON も彼女とのデュエット曲を披露。「TEARING US APART」。さらにはBRYAN ADAMS も見参。やはり彼女とのデュエット曲「IT'S ONLY LOVE」を披露。ギターが弾けるこのへんの曲は完全にロックだけどね。
THE BEATLES「HELP」はブラックコンテンポラリーなスローバラードに変換してカバー。この超有名ポップソングのリリックが持つ元来の泣きの要素を思いきり増幅して、実にゆったりと、エモーショナルかつソウルフルに熱唱する。
●古典ソウルもいくつか炸裂している。WILSON PICKETT「LAND OF 1000 DANCES」「634-5789」「IN THE MIDNIGHT HOUR」。ボクにとっては、時期が近い1986年リリースの RCサクセション「THE TEARS OF A CLOWN」の一曲目でブチ鳴らされる「IN THE MIDNIGHT HOUR」ライブ版とアレンジが似てて、そのシンクロに楽しくなる。自分の70年代レパートリーも披露。CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL の超有名カバー「ROUND MARY」に、73年のシングル「NUTBUSH CITY LIMITS」。このヘンはストレートにR&B〜ファンク。80年代に登場した黒人ブルースギタリスト ROBERT CLAY との共演も良い。

●現在、もう70歳を超えた TINA はスイスに移住し市民権を獲得。去年は16歳年下の音楽プロデューサーと結婚してニュースになった。ステージからは遠ざかったけど、悠々自適の暮らしを送ってるらしい。それと、彼女は仏教徒、しかも日蓮宗の信仰者だそうで。英語の WIKI に BUDDHIST CHANTS として「NAM MYOHO RENGE KYO」って言葉が紹介されてる。



●動画。



●「WHAT'S LOVE GOT TO DO WITH IT」。
●このたてがみみたいな髪の毛もスゴかったよね。「WE ARE THE WORLD」に参加したメンバーの中でもすごく目立ってたし。映画「マッドマックス/サンダードーム」に出た時も、世紀末設定に何の違和感もなく入り込んでたもんね。



●「TEARING US APART」。
●ERIC CLAPTON とのガチ勝負。パワフルだわ。あれ?MARK KNOPPLER も一緒にいるのか?