消費税8%で小銭が増えて大変だよ、と息子ノマドにこぼしたら。
「これをキッカケに、電子マネーが一気に普及するとか?」と即座に切り返しやがった。
●中学生にもなると、生意気にもイッパシの発言が出て来る。
●でも確かにそうかも。もう不公平ができてる電車の運賃なんて現金で払いたくないもんね。



●さて、長大なシリーズになってしまった沖縄ツアー報告ですが。
大田昌秀「これが沖縄戦だ」他アレコレの本を読んで、自分のあまりの無知に言葉が止まってしまった状態です。しかし、コレを避けるのもどうかと。結構激しく逡巡してます。

●でもなんとか、ふんばって沖縄ネタにトライしてみるのです。
●ただし、今日は軟派なネタで行きます。タフな歴史ネタは、まだ手に負えない。
春休みの沖縄4泊五日ツアー今日は「シーサー作りに挑戦!」の巻。


焼き物の街、「壷屋やちむん通り」。
●那覇の中心街〜国際通りから平和通り/市場通りに入って、やがてニギヤカな商店街をもくぐり抜けてしまうと静かな宅地に出てしまう。その中にひっそりと、でもコジャレタ感じで陶器のお店が集まっている地区がある。それが「壷屋やちむん通り」300年前に琉球王府が地方の陶芸職人を首都と貿易港の近くに集合させた結果、ココの地域に陶工の町が出来上がったという。「やちむん」というのは「焼き物」の沖縄方言だろう。ここに、シーサー作りの体験教室を催してる場所があるという。

育陶園アクセス

●アクセスを紹介しようと思ってグーグルマップをキャプチャーしたけど、全然わからんね。
●とにかく平和通りをアーケードが切れるまで突っ切って、広い車道のある場所まで行きつくと「壷屋焼物博物館」という建物が目に入る。そこから綺麗な石畳の道が始まる。それが「壷屋やちむん通り」

IMG_3395.jpg IMG_3391.jpg

●よーく地面を見てみると、焼物の破片が散りばめられてるのね。

●で,訪れたのが「育陶園 陶芸道場」那覇市壺屋1-22-33。

IMG_3398.jpg IMG_3400.jpg

●ガイドブックにもキチンと書いてある由緒正しそうなトコロで、この「やちむん通り」にも複数の直営店を持ってる。そのお店それぞれが独立したブランドとスタイルを持ってて、オーソドックスだったりモダーンだったり。その上で陶芸教室もやってるわけだ。前日までに電話して時間を予約。ろくろを使った陶芸教室もやってるみたいだけど、あくまで子どもが望むシーサー作りでお願いした。約60分コースで一人3000円。

IMG_3425.jpg

●伝統的な沖縄家屋の中は、清潔でこざっぱりとした作業場になってた。異常に人なつこいニャンコもいた。
●あっという間にシーサー作りに夢中になるコドモたち。

IMG_3435.jpg

シーサーの起源はなんとエジプトのスフィンクスまで遡る、なんて話まで、この沖縄旅行では見聞きしたが、西アジアからインド、中国経由で渡ってきたのはホントらしい。日本の神社にある狛犬とどういう関係があるのかよくワカラナイが、狛犬と同じように、口を開けた「阿」と口を閉じた「吽」がペアになってる。陶芸のセンセイによると「阿」がオスで「吽」がメスらしい。おー、シーサーに性別があったとな!
●さらに、コレは本で知った事実だが、今では沖縄のそこら中にあるシーサー、ここまでシーサーが一般大衆に浸透したのは戦後以降とな。明治時代以前までは庶民に瓦屋根は許されてなかったので、シーサーを乗せる場所がなかったのだ。もちろん王宮や聖地には置かれてたけどね。

シーサー完成

これがシーサー完成品。
●粘土をコネて作ったモノを、よーく乾燥させて、職人さんが焼き上げるのに約一か月。それが先日届きました。手前が娘ヒヨコのメスシーサー。奧が息子ノマドのオスシーサー。口の開き具合はよくわかんなくなってるな。

IMG_3448.jpg IMG_3464.jpg

「壷屋やちむん通り」からさらに脇道に入ると、古い家屋が立ち並ぶ情緒溢れるエリアとなる。
●降ったり止んだりした小雨のせいでしっとり湿った草花がキレイだったのでスマホで撮影しながら散歩した。このヘンは第二次大戦の沖縄地上戦の戦火を奇跡的に直接浴びずに済んだので、古い家屋がそのまま残っているという。石灰岩を積み上げた石塀に苔が生してジットリ湿る様は美しいね。

●そんな散歩で見つけた不思議な文字。

IMG_3451.jpg

「石敢当」または「石敢當」と書いて「いしがんとう」というらしい。
実は古い路地を歩くとアチコチにコレがある。「コレなんだろ?」とボクが思わず声を上げてしまったら、通りすがりのオバサンが「いしがんとうっていうのよ。魔除けみたいなモノね〜」と親切に教えてくれた。沖縄の言い伝えでは悪霊(悪魔)はまっすぐに進んでくるという。そこでこの魔除けをT字路や三叉路に仕掛ける。魔除けがなければ、通りをまっすぐ進んできた悪霊は突き当たりの家に入ってきてしまうからだ。でもこの魔除けに当たれば悪霊は砕け散ってしまう。
●しかしいつしか「石敢當」はどこもかしこにも置かれるオールマイティな魔除けになったようで、T字路も三叉路も関係なく、やたらめったら設置してある。国際通りのような開けたトコロにはないだろうと思ったら、老舗デパート沖縄三越の入口ワキにも、高さ一メートルの立派な「石敢當」が置いてあった。シーサーといい「石敢當」といい、沖縄という土地にはまだ不思議な魔力が備わっているらしい。

「石敢當」三越

●グーグルストリートビューで見つけた沖縄三越入口ワキの「石敢當」



さて、またまた沖縄レコ屋情報。

桜坂劇場

「桜坂劇場」那覇市牧志3-6
ココは那覇で一番ヒップなミニシアターらしい。一階にはサブカルちっくな書籍販売イイ感じのカフェを併設。そして「桜坂市民大学」と銘打って様々なワークショップも開催している模様。
●かつてここの二階には「GET HAPPY RECORDS」というレコ屋があったという。ボクは「GET HAPPY RECORDS」を訪れたことがある…もう十数年前のコト…仕事の出張に予備日を作って国際通りを粘り強く歩いて見つけたっけ。まだこの劇場の中に転居もしてない、ソレ以前の時代だった。THEE HEADCOATS のライブ盤とか、IAN DURY の初期キャリア KILBURN & THE HIGH ROADS の10インチとか、すっげえウレシイ買い物が出来て楽しかった!…でもね、「GET HAPPY RECORDS」はもうなくなってしまっていたのです。

MERKMAL.jpg

「MERKMAL」那覇市牧志3-2-30
●この「桜坂劇場」のお向かいにある居酒屋、の二階にレコ屋がある。名前は「MERKMAL(メルクマール)」。なんとコチラの店長は「GET HAPPY RECORDS」の最後の店長だったという!オーナーの考えで「GET HAPPY RECORDS」はレコード販売を辞めて、今ではオーナーの故郷なのか?石垣島のロックバーとして営業してるらしい。でこの店長は、敢えて同じ場所に踏ん張ってレコ屋を続けている。
土足厳禁!なのでドアを入ったらすぐ靴を脱ぎましょう…気づかなくって「あ、そこでクツお願いします…」って言われちゃったのはボク自身。70:30でアナログ主体の品揃え。オールジャンル系だけどホントに最近のモノはないです。新譜系はホンのチョッピリだけ、国産特殊インディテクノが目立ってた。でもね、総じて言えば値段が安い!え、これ400円なの?みたいなモンがザラザラとあって。だから目一杯買い物しました。那覇滞在中2回も行っちゃったもんね。特に80年代ソウル/R&Bが豊富だった…このヘンの音源って今需要少なそうだし、ボクも明るくないジャンルなんだけど、だから敢えて買う!聴く!

STEPHANIE MILLS「STEPHANIE」

STEPHANIE MILLS「STEPHANIE」1981年
●で、このお店で重点的に買ったのがこのシンガー。STEPHANIE MILLS で一番好きなのはこの1枚前のアルバムに収録されてる「NEVER KNEW LOVE LIKE THIS BEFORE」という曲なんだけど、ココでの買い物はソレ以外をディグするコトにした。ジャケ情報によると、彼女のメインのプロデューサーはファンク/ソウルバンド MTUME の中核メンバー JAMES MTUME & REGGIE LUCAS なのね。STEPHANIE 彼女自身は11歳にしてアポロシアターのアマチュアナイトで度々優勝を勝ち取った早熟な女の子で、そのままブロードウェイのミュージカルに進出、「オズの魔法使い」をアフロアフリカン版に仕立て直した「THE WIZ」で主演の子役ドロシー役を務める天才ぶり。このミュージカルはトニー賞受賞など大変な評価を集め、その後 DIANA ROSS 主演、MICHAEL JACKSON 出演で映画化された。そんなキャリアのシンガーなのです。
●ミュージカルで神童ぶりを発揮したのは1975年のコトで、STEPHANIE 18歳のころ。そんなステップを超えてポップシンガーのキャリアを積み重ね始めたのが、MTUME メンバーと組んだ1979年以降。そこから3枚目の本作、しっかり大人の女性になりました、といいつつも、ドコか甘酸っぱくてカワイらしい声が彼女の特徴。血管ブチ切れシャウターな暑苦しさが苦手な人にはピッタリハマるノド越しの涼しさ爽やかさ。MTUME のプロダクトか、または80年代という時代の潮流か、スマートなフュージョンサウンドがとっても優しい。ブラックコンテンポラリーの時代なのだね。
●あ、TEDDY PENDERGRASS とのデュエットも聴きドコロなんだけど…ボクは言うほど TEDDY PENDERGRASS の音楽に明るくなくて。だって、あんなに色男な声を聴いたって、男のボクにはウレシくないでしょ。同じおカネがあればカワイイ声の女子を買うわ。まー最近は、その女性シンガーのアルバムでチョコチョコ顔出してくるから無視できなくなってきたけど。

STEPHANIE MILLS「TANTALIZINGLY HOT !」

STEPHANIE MILLS「TANTALIZINGLY HOT !」1982年
JAMES MTUME & REGGIE LUCAS のコンビが相変わらず主軸を握るアルバム。前作と比べればややディスコファンク濃度が上がったかも。一曲目「LAST NIGHT」は激しく切り込むカッティングギターがスリリングだし、全体的にアッパーチューンが増加した気配。そんな気分で邦題は「燃えてラスト・ナイト」。60年代からR&B世界で活躍するソングライターチーム ASHFORD & SIMPSON も1曲で参加。「TANTALING」ってのは見慣れない単語だけど、辞書引いたら「じれったい!」って意味だって。
●ちなみに、レコーディングは前作共々 SIGMA SOUND STUDIOS N.Y.。名門シグマサウンドといえばフィラデルフィアのフィリーソウルの拠点。でも70年代後半にはニューヨーク支店も出してたのでしだ。

STEPHANIE MILLS「IVE GOT THE CURE」

STEPHANIE MILLS「I'VE GOT THE CURE」1984年
●さて、何作か空けての新体制アルバム。ココでのプロデューサーは去年白血病で亡くなった GEORGE DUKE が担当している。元々はバリバリのジャズ・フュージョン系のキーボードプレイヤーだった GEORGE DUKE は80年代に入るとプロデュース業を通じてファンキーディスコにどんどん傾倒。そんな頃の共同制作ね。今回ボクが STEPHANIE MILLS にコダワった買い物をしたのも、MTUME メンバーや GEORGE DUKE のような辣腕プレイヤーがプロデュースに関わってたとジャケ情報から知ったのがキッカケだった。MTUME 体制とはまた一味違ったファンクネスが備わってる… DUKE はムーグシンセからリンドラム、そしてミニムーグベース(っていうのがあるのね)を駆使してグイグイドライブするファンクをカマしてくる。一方で「GIVE IT HALF A CHANCE」のような繊細で可愛らしいバラードも丁寧に仕上げる…あ、この曲、KENNY LOGGINS STEPHEN BISHOP のカバーなんだ…70年代シンガーソングライターとソウルミュージックって意外と相性イイよね。
●もう1人のプロデューサーは HAWK WOLINSKI という男。PRUFUS FEATURING CHAKA KHAN に所属してたらしい。が故に確かなファンク濃度。MILLIE RIPERTON から MICHAEL JACKSON まで幅広くR&B世界で仕事してたヤツ。より一層ケバケバしいディスコチューンを担当してる。リードシングル「THE MEDICINE SONG」HAWK 制作。
●ちなみに、非常にわかりづらいんだけど、彼女のジャケ衣装、一応ナースコスプレみたい。帽子には赤十字、裏ジャケでは聴診器を首からかけてる。別にダレトクって気もするけど。

STEPHANIE MILLS「STEPHANIE MILLS」

STEPHANIE MILLS「STEPHANIE MILLS」1985年
●さて、次に続くは GEORGE DUKE 体制第二弾。とはいえ、他にも多数のプロデューサーが入ってきている。STEPHANIE 本人の采配裁量が大きくなってきたってことね。エクゼクティブプロデューサーってことね。
●つーか、シンセの味付けがやや大味になりすぎてるし、弾むビートもチトキツ過ぎる感がある。それに引きずられているのか、STEPHANIE のボーカルもアグレッシブになり過ぎてて微妙。熱いソウルファンならこのワザを楽しむのかも知れないけど、もうちょっと素朴な味付けの方がボクは好きかなあ。実際このアルバムはややスベリ気味だったようで、続く作品では制作体制を一新して、なんとか再ブレイクを果たしたみたいだ。

MAZE FEATURING FRANKIE BEVERLY「INSPIRATION」

MAZE FEATURING FRANKIE BEVERLY「INSPIRATION」1979年
●激しいディスコサウンドが続いたので、耳休めにメロー&コスミックなベイエリアファンクを聴く。60年代からフィラデルフィアで活動していた FRANKIE BEVERLY がカルフォルニアに拠点を移して組織したバンド。フィリーソウルのフィーリングを意識してるのかどうなのか?その作風はクリアに澄み切って、ファンクの暑苦しさを感じさせない徹底した和み系。それでいてジューシーなシズル感は失われていないんだから、サジ加減が絶妙だよね。
●コイツは沖縄ではなくて、下北沢フラッシュディスクランチにて600円で購入ね。



●動画。
●STEPHANIE MILLS「NEVER KNEW LOVE LIKE THIS BEFORE」。ヤバい、結局この曲より好きになれる曲は見つからなかったぞ。



●STEPHANIE MILLS「THE MEDICINE SONG」。ディスコファンクとナースコスプレ武装。



●STEPHANIE MILLS「GIVE IT HALF A CHANCE」。GEORGE DUKE 制作の可憐なバラード。



●MAZE FEATURING FRANKIE BEVERLY「LOVELY INSPIRATION」。コスミックメロウファンク。








スポンサーサイト
●さて、最近は、沖縄の話ばかり書いてたのだけれども。
沖縄の歴史に関する本を4冊ばかり読んだら、もうなかなか筆が進まなくなってきた。
タフ過ぎる。特に第二次大戦、最後の地上戦「沖縄戦」がタフ過ぎる。
●だから、ちょっとお休みしますね。


消費税8%というのは、意外なほど見事にボクのサイフ事情を直撃した模様。
ジャリ銭の量がハンパなく増えた。一円玉ばっか。十円玉も激増。

●いつも四半期アタマに発行されてた、下北沢近辺の小田急線地下化工事の経過を知らせるチラシ「シモキタナビ」が、この4月は出ないままだ。
●実際の工事は線路跡地利用の準備が着々と進んでいるんだけど、世田谷区と住民とのコンセンサスがとれてないから発行できないんだろうな。
(※追記:4月30日にヒョコっと最新号が駅に現れた!工事が完全に終わるのは2018年らしい…)

久しぶりにぜんそく発作ぎみで。
●風邪をこじらせたなあ。ここしばらく体調はワルいままだ。
●毎週の深夜勤務が実はかなり応えてるんだよね。
●今日はせっかくの「ニコニコ超会議3」だったのに、断念せざる他ない。
●先週の「THE RECORD STORE DAY」も、なんも出来なかった。ガッカリ。



一方、先日、息子の中学校の文化祭があった…のでちょっとノゾキにいった。

●そうなんです。長男はとうとうこの4月に中学生になってしまったのです。
●職場や仕事でボクと知り合う人は、ボクにそんなデカイ子どもがいるのかと、必ずビックリします。
●まあ、ボクが見るからに未成熟で、家庭臭のしない、ピンぼけた人間だからそんな印象を与えるのでしょう。
●実際、ボク自身が違和感タップリだからね。父親の自覚ないし。


息子の中学の文化祭は、ジブリ映画「コクリコ坂から」に登場する「カルチェラタン」のようだった。

カルチェラタン

「コクリコ」に登場する「カルチェラタン」は、男子学生たちが各々の興味妄想を膨らませる文化系の部活動の拠点となっている建物でした。哲学部のカタブツがショーペンハウエルを語ったり、新聞部がアジテーションのガリ版を刷ったりしてる場所。魔窟。ストーリーの中でこの秘密基地めいた建物は取壊しのピンチに遭うのですが、主人公たちの機転で存続を勝ち取るのです。

息子の中学校も100年弱ほどの歴史を持つ学校。
●さすがにココまで味のある校舎はないが、文化祭の内容があまりに多様で、そしてローティーンのヘンテコな妄想をノビノビと伸ばすものばかりで、「カルチェラタン」のカオスっぷりをどうしても連想してしまうのです。

太陽観測部。この部活は1931年からずっと太陽の黒点観測を続けているという。フツウに「1978年」とヘタクソな字で書かれたファイルが展示されており、それをめくると丸い円の中に黒い点がポツポツと鉛筆で記録されてる。…気が遠くなる作業だ。
●部員の男の子がボクに説明してくれた。太陽はガス天体なので、赤道面が常に同じ向きを見せてるわけではないらしく、記録にはつど補正が必要だと。そんで太陽の黒点活動は11年周期で活発/不活発を繰り返す。しかし黒点の場所は緯度にして南北40度以内にしか出現しないこと。50度以上にはメッタに出現しない。黒点は磁場異常が原因で発生するので、磁場が安定している極地方は発生しないのだろうとのこと。はー。
「コクリコ」にも黒点観察をする少年が登場する。理事長に「それでなにか分かったかね?」と問われると「閣下、まだなにもわかっておりません!」と元気よく返事。娘ヒヨコは「ココの太陽観測部の人はコクリコ坂の人よりはいろいろ分かってるみたいだね」とコメントしておりました。

●その他、山陰地方の地誌を模造紙十数枚にプレゼン&仏像フォトを展示してるグループがいたり。コオロギ相撲をみんなに見せてるグループがいたり。アニメの構想を練ってるチームがいたり…予告編を YOUTUBE を上げるつもりが間に合わなかったっぽい。自作のコンピュータ・ゲームを披露したり(難し過ぎて30秒で死ぬ)。先輩が発掘した縄文土器の展示もあった。エッシャーの不思議な絵画の作図法を双曲幾何学で説明してる子も。 1920年代に収集されたという動物標本マレーバクにセンザンコウ!多分今じゃ輸入できない気が)がとっても粗末な扱いを受けてるので、それをしまってあるプレハブ小屋を掃除して標本の出自を調べたり。ヘンテコな鉱物標本や化石(どでかいアンモナイト!)は校舎のイロイロな所に置いてあるし。書道部の墨汁クサい畳部屋にはマンガ「とめはね!」でしか見たコトがない奇妙な書体の漢字がうやうやしく飾ってあって。道場では合気道部の演武が。メガネつけたままでも受け身とれるのね。ステージではなぜかAKB風の衣装をきた男の子が器用にジャグリングを披露してる。

●息子自身は、まだ入学したばかりで正式に部活動が始まってないので、バザーのお手伝いをしとった。オモシロそうな古本がいっぱい出てたから、5冊ばかり買ったよ。大江健三郎とか吉本隆明とか。




息子は、いわゆる「中学受験」というヤツで。
近所の区立中学に進まず、私立中学に入学しました。

ボク自身は、千葉県の市立中学出身で、その後は都立高校に進みました。だから自分の経験の中では、中高一貫の私学教育は全く無縁です。ワイフも同じです。公立の中学と高校を進んだクチです。
だからねー。この受験は未知との遭遇ばかりで大変でしたよー。そもそも「中学受験」なんてする必要があるのか?から大分時間をかけて悩みました。親であるボクが納得してなければ、過酷な受験勉強を息子に強いることなどできないわけですから。学校選びも悩みました。息子のナニを伸ばすためにどんな環境を選ぶのか?本人が気に入らなければ意味がないですし、一方で偏差値的な力量も加味しないといけません。

●学習塾の担当者との面談や説明会にも行きましたが、微妙に価値観が合いません。「ココの学校は偏差値は低いのですが、ビシバシ鍛えてくれますのでハイランクな大学への進学率はどんどん伸びてます。いまおトクだと思います」そういうんじゃないんだよなー。もうさー、学歴だけじゃ生きていけない時代だしさー。ボクの職場、最高学府出身も高卒も専門学校も留学組も院卒も付属上がりも大検上がりも外国人もいるけどさー、全員同じだもんねー。出来るヤツは出来るし、出来ないヤツは出来ない。
●ボクが、息子の学校に望むのは、自分の好きなコト、夢中になれるコトを見つける環境、それにノビノビと没頭させてくれる環境と、それを先導してくれるメンター(先生かも知れない、年長の先輩かも知れない、級友かもしれない)との出会いだ。コレがイメージ出来る学校を入念に選んだし、その方針をワイフともよく話し合った。合格のためにドコが弱点でドコが強みなのか模試の結果で詳しく分析し、勉強内容の配分にも気を使った。目標とする学校に最適化した勉強カリキュラムもかなり工夫して考えたもんだ。

そのうち、息子自身にもモチベーションが生まれたのか、熱心に自分から勉強するようになった。最後の一滴までフル出力させるには本人の納得と覚悟が一番大事と思っていたので、主だった受験校は全部自分の目で見学をさせていたのだが、その過程でヤツは本気であの学校に通いたいと思うようになったらしい。受験カタログと偏差値表だけでなんとなく選ぶ学校探しはボクもイヤだったから、必ず本人の見学の段取りを踏んでよかったと思った…だって学校に通うのは息子本人だしな。息子は必要大好きなドラクエも辞めて異常に拘束時間が長い塾の授業もイヤとも言わず黙々と通った。夜の9時まで勉強するので、ワイフはオニギリを持たせてたっけ。それでも勝算は五分五分のまま。2月の受験当日がやってきた。

●試験が終わった直後、息子はワイフにこう言ったという。「全部のチカラを出し切ったから、これで落ちても、オレは満足」…ちょっと大人クサいコトを言うようになったもんだ。

結果、その第一希望校の結果は、不合格。

●第二候補の学校はすでに合格していたので、最悪の事態は避けられたが、ぶっちゃけ気まずい雰囲気。とりあえず、ヤツの大好物である寿司をたらふく食わせた。「残念だったね」は言わず「おつかれ、おめでとう」ということでのお祝いだ。ホントに未練なくヤリ切った感があったのか、息子はいたって冷静に好物のマグロの赤身をモリモリ食ってた。まー第二候補の学校も悪くないトコロだと思うし、なんとかなるだろう。

で、合格発表から2日後。息子から会社にいるボクに電話がかかってきた。
「今日、手紙が来て、補欠合格の候補にひっかかってるって!オレ、補欠番号6番で、6人辞退してくれれば繰上げ合格だよ!」なにー!!!この学校は例年十数人の合格辞退者が出ると言われてるので、これはマジでうれしいことになる。
●さらに2日後、とうとう第一希望の学校から電話がかかってきた。正式に合格が決定した。その週末は二度目の寿司パーティになってしまった。もうマグロ好きなだけ食べろ。もう晴れ晴れと言える。「おめでとう!」



4月の入学式。校長先生のあいさつが印象的だった。
●3月の卒業式は退屈な校長&来賓あいさつで大爆睡をかましワイフのママ友に「ダンナさんスゴいイビキだったわね」と言わしめたボクだが、新しい中学校の校長先生は一味違ってボクをキチンと覚醒させてくれた。「私たちは生徒本位の教育を目指します。あくまで生徒中心であって、それは外の大人の都合や価値観に左右されるべきものではありません。大学進学率云々が取沙汰されてばかりの昨今でありますし、私たちも面倒を見ない訳ではありません。しかし、一番大事なことは生徒が自立してモノを考えるコトです」しょっぱなからのこのリベラル宣言。コレは頼もしい。
●この校長先生は3月の入学説明会でもオモシロいことを言ってた。「えー、この春休みは思いきり遊んで過ごして下さい。今まで勉強ばかりだったでしょうから、好きなコトを思う存分やって過ごしなさい。ご存知のとおり我が校には制服がないので、入学式も自由な格好で十分。ワザワザスーツを仕立てる人もいるが、アナタたちはすぐ背が伸びる。ムダになるから普段着でいいです」

どうやら、先生たちもヘンテコな人が多いらしい。
●社会の先生は「教科書は基本中の基本だから、歴史・地理・公民の三冊は4月中に全部読んでおくこと。コレは常識」。国語の先生は「こんな教科書は使うつもりがないから全部捨てていい。その代わり付録の充実した辞書を買うこと。電子辞書はダメ」。理科の先生は「ノートは万年筆でとりなさい。万年筆は決まった角度でなければキレイにインクがでない。結果、決まった姿勢で字を書くことになるので姿勢がよくなる」。音楽の先生はプリントで参考図書に哲学書の名前を上げてる。ココの学校では、先生は各自の研究に週一日を100%割くので、その時は担任はクラスに姿も表さないようだ。いやーオモシロい。

どういうわけか、そんな環境に息子もノビノビしてる。
●ガイダンスに明け暮れる4月の間は、部活動も正式には始められないらしいが、息子は下校時刻ギリギリまでいろいろな部活に顔を出してるようだ。図書館で本を読んだりしてて、先日は「本が欲しいからオカネくれ」とせがんできた…今までそんなコト滅多に言わなかったのにな。
●元来内気でマイペース、外から見るとナニを考えてるかよくワカラナイ息子だが、これから沢山の友達を作って、楽しい学校生活を送って欲しいものだ。



●ついでに音楽。

BRYAN FERRY「IN YOUR MIND」

BRYAN FERRY「IN YOUR MIND」1977年
●これ沖縄で買ってきたCD。450円だったかな。このグラサンを真っ当にかけコナす能力ってスゴいよね。凡人ならどうやったって笑える結果にしかならないもんね。普段はダンディなスーツ&シャツに身を包む BRYAN FERRY が丸首の白いTシャツってのも珍しいなと。だから買っちゃった。
●時期としては、彼のバンド ROXY MUSIC が最初の解散をして(1976年)、その直後にリリースされたソロ作。彼は ROXY MUSIC に並行してソロ活動をしてたから、一応ソロ4枚目。ただカバーなしのオリジナルで全部をまとめたのは今回が最初だという。レーベルは EG なんだ…プログレの帝王 KING CRIMSON のレーベルだぞ。WIKI を見ると BRYAN KING CRIMSON のボーカルオーディションを受けてて、その縁でこのレーベルに ROXY MUSIC のマネジメントを見てもらったようだ。
●その内容は…なんだか奇妙に爛れたロックンロール。そのデカダンな匂いは LOU REED にも繋がる気配がある。ROXY MUSIC そのものは1972年にグラムロック世代として世間に登場するも、リーダーたる BRYAN FERRY は実はオールドスタイルなロックやソウルに強く影響を受けているのか、ホーンを従えたり真っ当なギターソロがあったりと、レイドバックしたネチッコイロックンロールにまとまってて、少々ムサ苦しくも落ち着きのある音楽になってる。プログレ臭はむしろゼロね。ミュージシャンの中には今でも ROXY MUSIC の盟友として活動を共にしている PAUL THOMPSON PHIL MANZANERA が加わっている。
「TOKYO JOE」の微妙なオリエンタリズムはアリなのかナシなのか?これだけなんだか際立ったエッジを感じさせる楽曲。後はルードに気を緩ませて聴けるのにな。
●このアルバムで気づいたのは、BRYAN FERRY ROXY MUSIC もボクは今まで後期モノばかり聴いてたってコト。ROXY MUSIC のアルバムでボクが一番好きだったのはアルバム「MANIFESTO」1979年なのだが、コレは再結成 ROXY MUSIC だったのね。ソレ以前の最初の ROXY、特に BRIAN ENO 在籍時の ROXY をボクは聴いていないらしい。これはヤバい。

tyrannosaurus rex unicorn

TYRANNOSAURUS REX「UNICORN」1969年
●同じ70年代グラムロック一派、そんで一時期マネジメントを EG に委ねてたという意味でも ROXY MUSIC と縁があった T.REX「武者」として電化する前虚弱小規模アシッドフォークを鳴らしてた時代。ボーカル&アコギの MARC BOLAN と、コーラス&パーカッションその他もろもろ担当の STEVE HOOK の二人組編成で、アルバムとしては3枚目。プロデューサーは TONY VISCONTI
●どの曲も2分前後と小振りだが、ビブラートがかかって常に震えている MARC BOLAN の声のユニークネスがよく聴こえて楽しいし、テープの逆回転や奇妙な打楽器の不思議な響き、相方 STEVE とのハーモニーなど、その後の一大ブレイク&電化では聴こえない繊細なデティールが豊かに息づいていて聴き心地もイイ。サイケ成分もヒッピー成分も、ブリティッシュ・トラッド成分も豊富。ああ、電化後の T.REX ばかりに目が行きがちだったけど、この虚弱時代ももっと聴かなきゃ。
●この次のアルバムで、MARC の相方は MICKY FINN に入れ替わり、徐々にエレキギターが採用される。そんで1970年に T.REX と改称。1971年「ELECTRONIC WORRIOR」完全電化サイケフォーク青年は、ギンギンのグラムスターに生まれ変わるのだ。ちなみに、MARC BOLAN は1977年に交通事故死ってのは有名だとして、初期の相方 STEVE HOOK も1980年にモルヒネでひっそり死んでました。
●蛇足。ユニコーンってのは、馬に角が生えた生き物ってイメージだけど、加えてシカの足にライオンの尻尾を持ってるらしい。そんで、このLPは、新代田のフリマで500円にて入手。


●動画。
●BRYAN FERRY「THIS IS TOMMORROW」。問題のサングラスがイカす。



●BRYAN FERRY「TOKYO JOE」。90年代のキムタクドラマで使われてたとな。



●TYRANNOSAURUS REX「SHE WAS BORN TO BE MY UNICORN」。サイケフォークど真ん中。




ワイフが、沖縄で買ってきたドーナツの素を使って。
サータアンダギーを作った。

IMG_4083.jpg

うん!美味しい!
●ただ、まだ味が上品というか…。沖縄で食べたヤツはもっとワイルドで、色もゴロッと黒くて、アブラでベタベタしてて…とか考えてたら、たくさん食べ過ぎてオナカイッパイ!



●今回も沖縄の話。レコ屋巡り第二弾ね。
「MUSIC PUNCH RECORDS」那覇市久茂地2-19-5。

IMG_3848.jpg

●ここは徒歩で移動する観光客にはチト離れたところにある。ゆいレールで国際通りの西端&東端に位置する「県庁前」「牧志」という二つの駅の間にある「美栄橋(みえばし)」駅を降りて、ゆいレールの下を流れている久茂地川の北側を歩いて一ブロック分、最初に出会う信号(渡久地内科ってのが目印)を右に曲がって、またスグに右に曲がると見える小さなお店。
「美栄橋」国際通りから少々離れた場所にあるし、特徴的なランドマークもあんまりない。夜になるとスナックがパラパラ目立つのだろうか。沖映通りに面しているので、ソコを歩いていけばジュンク堂那覇店がある…行かなかったけど。
●お店は小さめで、70:30の比率でアナログ重視。オールジャンルスタイルで、ロック、ソウル、ジャズ、邦楽も少々。カワイイ看板だったから写真も撮ってみました。

IMG_3849.jpg

●さて、ココでもイロイロなもの買っちゃいました。
●特にウレシかったのがコレ。

坂本龍一&ザ・カクトウギセッション「SUMMER NERVES」

坂本龍一&カクトウギ・セッション「SUMMER NERVES」1979年
●これ、ちょうど欲しかったんだ…。坂本龍一のテレビ番組「スコラ〜音楽の学校 シーズン4」が3月で終わったトコロだったので、この人の仕事に関心が高まってて。特にこのアルバムは、テクノで抽象的なイメージが強い坂本教授のキャリアの中、逆に実にウェットでソウルフルなアルバムだからシッカリ聴いてみたかった。なんてったって、これ優雅なレゲエアルバムだからね。南国沖縄にもピッタリな感じだよ。
「カクトウギ・セッション」の名の下に集まったのは当時のジャパニーズポップス/ジャズフュージョンの傑物たち。すでに YMO として活動を共にしていた高橋幸宏、そのユキヒロ氏とサディスティックミカバンドで組んでいたベーシスト小原礼、ギターには元はっぴいえんど鈴木茂と、フュージョン界の第一人者で YMO のサポートギタリストを務めるコトになる大村憲司が参加。バックボーカルには矢野顕子、吉田美奈子、山下達郎が登場。細野晴臣は1曲で楽曲提供。アブドゥーラ・ザ・ブッシャーという人がギターを弾いてるが、WIKIをみると渡辺香津美のコトらしい。この人も YMO のサポートギタリストを務める人物で、坂本教授矢野顕子とともに KYLYN BAND というユニットを結成する。
シズル感たっぷりのソウルグルーヴがいかにも80年代風オシャレでタマラン。ヘタッピな教授自身のボーカルも、大胆なボコーダー使いでカッコよく処理したりして。矢野顕子のバッキングが冴える「SLEEP ON MY BABY」(作詞曲もアッコさん)がイイねえ。B面一曲目の「GONNA TO I COLONY」が真っ当にダブ処理してて、山下達郎の声がマトモに聴こえないという贅沢過ぎる使い方に感心…。唯一の日本語詞「TIME TRIP」は作詞が安井かずみで、結果メロディがメランコリーな邦楽調になって、レゲエグルーヴとの違和感が実に鮮やかな個性として光っている。

坂本龍一「B-2 UNIT」

坂本龍一「B-2 UNIT」1980年
「カクトウギ・セッション」の翌年、YMO絶頂期にリリースされた教授のサードソロ。つーか、さっきまでめちゃモイスチャリングなソウルグルーヴがうねっていたのに、ココに置いては YMO ですら置いてけぼりの、無機質インダストリアルビートが炸裂。その虚飾を排したミニマルアプローチは当時の感覚じゃ大分アヴァンギャルドだったはず。
●やっぱ最重要曲は「RIOT IN LAGOS」でしょう。その後 YMO のレパートリーともなるテクノチューン。ヒッフホップの始祖の一人 AFRIKA BAMBAATAA が好んでプレイしてた故事も有名。ピキピキのエレクトロでありながらも、ヒップなリフが耳に残ってしょうがないこの名曲。曲名の「LAGOS」=ラゴズはナイジェリアの首都のコトだけど、「LOGOS」=ロゴズ〜ラテン語で「概念」と誤読して、転じて「RIOT IN LOGOS」=「概念の暴動」とした方が雰囲気かも。実は UK レゲエ/ダブの重要プロデューサー DENNIS BOVELL が関わってたってのは、今知った。他にも XTC ANDY PARTRIDGE がギターで参加してる曲もあるが、ヒネクレ過ぎた演奏のせいか正直ナニやってるかワカラン。
●これは立川「珍屋」で購入。500円だったっけ。

坂本龍一「BEAUTY」

坂本龍一「BEAUTY」1989年
●これはリアルタイム1989年に聴いてた音楽。坂本龍一が沖縄音楽に接近、「安里屋ユンタ」「ちんさぐの花」2曲の沖縄民謡をカバーしてるということで、久しぶりに引っ張り出して聴いてみた。むー懐かしい。それでいて、実に瑞々しい。
●ところで、3月までEテレで放送していたテレビ番組「スコラ〜音楽の学校 シーズン4」がまたもや注目であった。坂本教授が音楽理論みたいなコムズカシイコトをド真っ正面から扱いながら、浅田彰が思想史や文明批評と絡めて語っちゃうみたいな、ある意味でハードコア、誰を対象としてるか全然ワカンナイところが最高で、結果的に毎シーズンをボクは楽しんでいる。そんで今回の目玉が、なんと日本の伝統音楽!12回しかない放送のうち5回をコレに割いている!縄文時代の笛に始まり、平安時代の雅楽室町時代の能・狂言野村萬斎がゲストで狂言を披露!贅沢!)、江戸時代の人形浄瑠璃をガチで解説。フツウで言えば退屈極まりない内容(「スコラ」のファンを公言していたボクの知人ですらこれは見なかったらしい)を大マジメに取り上げていた…。このアルバムで沖縄にハマっていた坂本教授を強く思い起こさせる内容だったねえ。
坂本龍一の音楽は、ド真ん中に正統な西洋クラシック音楽が大きな芯を構成していながらも、電子音楽や現代音楽などなど音楽の辺境に自分をブン投げる倒錯感覚が一つの魅力になってる。1989年あたりはワールドミュージック発見の時代(コレは前回の記事で言及しましたね)だったわけで、教授の関心も地理的辺境である沖縄の音楽に魅せられていたのだろう。「安里屋ユンタ」は実にヘタッピなボーカルでボソボソあの有名な節回しを歌ってて愛らしいほどだ。
●ただ、改めてこのアルバムのクレジットを見てみると、驚きの再発見があった!ビックリ!高校生だったボクには未熟で気づかなかったコトがいっぱいあった!沖縄民謡だけでなくその他の曲でも頼もしいコーラスを担う女性は古謝美佐子さんといって、なんとこのアルバム直後に初代ネーネーズを結成、リーダーになる人物だった!しかも、ココで射程距離に入っていたのは沖縄音楽だけではなかった。西アフリカ〜セネガルからワールドミュージックシーンの中心人物として活躍したボーカリスト YOUSSOU N'DOUR を召喚し、NYパンクの震源にいた半分ブラジル人の ARTO LINDSAY と積極的に共作を行っている。ジャマイカ/レゲエの名ドラマー SLY DUMBER も参加。さらにはインドからタブラ奏者、中国から二胡奏者、韓国から伽耶琴(かやきん・カヤグム)奏者を招いている。それだけじゃない、THE BAND ROBBIE ROBERTSONSOFT MACHINEROBERT WYATT、そして THE BEACH BOYS BRIAN WILSON までもがシンガーとして参加。つまりは、ワールドミュージックの盛り上がりに同期した全世界全方位外交戦略じゃないか!そして、それぞれ違う文脈で育った音楽を、有機的にハイブリットして、洗練されたポップミュージックにアップデートしている。その統合ブリがまさに神業。
●聴き所は満載なんだけど、高校生の頃からかなりお気に入りなのが THE ROLLING STONES「WE LOVE YOU」カバー。ここまで盛り込んで、ストーンズでさらにもうイーハン乗っけてくるこの欲張り感覚。原曲の持つサイケ感覚をアフリカン・トライバル感覚で極彩色に拡張してる。BRIAN JONES が不審死する直前にモロッコ音楽にハマった故事を思い出す。クレジットに FARAFINA という名前があるので検索したら、ブルキナファソのバンドだってさ。ドコだか知ってる?西アフリカ、ナイジェリアとマリの中間あたりにある国だよ。もうついて行けないよ…。

YELLOW MAGIC ORCHESTRA「TECHNODON LIVE」

YELLOW MAGIC ORCHESTRA「TECHNODON LIVE」1993年
ワールドミュージックがブームになる一方、デトロイトの地下やヨーロッパ各地で「テクノ」という言葉が80年代とは別の意味で復活する…90年代クラブ/レイヴシーンの台頭だ。新世代のテクノアーティストが過激な表現で新しいシーンを作るそんな状況下、そのテクノの始祖である YELLOW MAGIC ORCHESTRA が再結成を果たす。1984年の「散開」に対してこの再結成は「再生」と呼ばれてた。ただこの「再生」はメンバー本人たちが望んで成ったものではなかったようで。YMO の文字に大きくバッテンがついていたのも印象的。この年リリースされたスタジオアルバムのタイトル「TECHNODON」も、テクノ新世代に対して、自分たちが前時代の恐竜のような存在だと自嘲してたポーズだったように思えた。
●とはいえ、シーンをキチンと把握してる三人だから、最初の YMO を知らない新世代のテクノファンにも説得力を持つトラックを繰り出す…厳密に言えばボクも最初の YMO をリアルタイム体験はしていない…だって小学生低学年だったからね。だから、大学生になって味わう「テクノの恐竜」の偉容に震えましたよ。
●しかし、2014年現在から見れば、2007年にジワリと再結成が成立してその後もなんとなくパーマネントで活動するようになった今の YMO こそが本家王道に見える…「スコラ」番組内で小山田圭吾たちとスタジオライブをやったりするんだからねー今の YMO は。そんで、どうしても1993年「再生」YMO バッテンつきはどこまでいっても中途半端な感じ。でもね、その中途半端さが、翻って味になってくる場面もあるわけです。
●ということで、このアルバムを聴くに至る。このライブ盤は「再生」に合わせて行われた東京ドームでのライブを収録したモノ。「TECHNODON」はリアルタイムで聴いてたけど、コレはワリとレアでなかなかお目にかかれないアイテム。最近やっと入手した…下北沢ディスクユニオンで。半額セール750円。
●前半はシッカリと「TECHNODON」収録曲をプレイ。ビート文学の怪人ウイリアム・バロウズ「裸のランチ」!)の声をサンプルして幕明ける「BE A SUPERMAN」、アシッドテクノ「NANGA DEF ?」、サイバーパンクの開祖ウイリアム・ギブスン「ニューロマンサー」!)作詞の「FLOATING AWAY」、イルカの可憐な躍動感を音響で描いた「DOLPHINICITY」と、この時代の新曲が突っ走る。そんでコレはコレでイイ。後半はかつてのヒットソングを真っ当にプレイ。「BEHIND THE MASK」「中国女」「RYDEEN」「東風」「FIRECRACKER」。まーワリと人力グルーヴ。2008年のライブ盤がクリック/グリッジテクノを通過したプチプチ感を伴って過去の名曲を改変させたのに対して、このクセのない直球さはある意味で楽しい。




●動画。
●坂本龍一&カクトウギ・セッション「SLEEP ON MY BABY」。
●矢野顕子さんのコーラスがカワイらしい、スウィートでスマートなレゲエ。




●坂本龍一「RIOT IN LAGOS」。
●AFRIKA BAMBAATAA「PLANET ROCK」で KRAFT WERK をサンプルするセンスのルーツ。




●坂本龍一「安里屋ユンタ」。
●沖縄民謡!教授のヘタッピボーカルを、ネーネーズとなる古謝美佐子さんたちホンモノが支援。




●坂本龍一「WE LOVE YOU」。
●ブルキナファソのバンドがトライバルにしたストーンズカバー。




●NHK「YMO再生コンサート」(1/3)。
●時代は90年代だけど、敢えてテクノポップの愛嬌を残してる一曲目のチャーミングさが好き。



●全部が YOUTUBE で見られちゃうのはちょっと味気ないかなー。



新・朝の連ドラ「花子とアン」。
「赤毛のアン」フリークであるワイフはナニゲに楽しんでいるみたい。「アン」を連想させるギミックがそこかしこに仕込まれてるそうな。
●ボクは吉高由里子さんを楽しんでいる。なんか久しぶりだな。ただ、美輪明宏さんのナレーションが迫力ありすぎるんですけど。「ごきげんよう、サヨウナラ」

「笑っていいとも」最終回の録画をやっと見た。
●あれ…そんなにオモシロくないなあ。タモリさんにお礼の挨拶なんて内輪の打上げでやればイイのに。
●80年代から90年代のお笑いを支えたレジェンドが勢揃いしてて豪華だったけどね。
タモリさんは人格者だね。ステキだね。




うー。なんか風邪引いた。
●沖縄の道の駅・許田(きょだ)で買った「ショウガとヒハツモドキのはいった加工粉黒糖」ってヤツをお湯にといて飲んでる。ヒハツモドキってのはコショウ科の一種で「ロングペッパー」って言われてるらしい。これとショウガを沖縄北部・今帰仁村(なきじんそん)で作られてる黒糖と混ぜ合わせて、おいしいジンジャーティーの出来上がり。ちょっと癒される。

「ショウガとヒハツモドキのはいった加工粉黒糖」

(北部じゃないと売ってないらしいよ。でもEコマースもしてるみたい)



で、今日もしつこく、沖縄ツアーの話。
家族四人で、沖縄のボーカルグループ、ネーネーズのライブを観ました。

IMG_3878.jpg

「ライブハウス島唄」http://www1a.biglobe.ne.jp/dig/simauta_top.html
●那覇の街には、美味しいゴハンを食べたりお酒を飲んだりしながら音楽を聴けるお店がイッパイあります。「民謡酒場」っていうんですかね。そりゃもうガイドブックやパンフレットにたくさん書いてあります。
●2002年の出張で沖縄に来た時は、沖縄の人にそんなお店に連れて行ってもらいました。そのやや鄙びたお店では、お酒やお造りを作ってるオバちゃんがそのまま「おまたせしましたよ」と三線持ってステージに上がるのです。大丈夫か?とボクは心配になったのですが、オバちゃん実に堂々たるプレイを披露、見事な沖縄民謡を聴かせてくれました。さらにはオバちゃんご指名でボクはステージに引っ張り上げられて、演奏に合わせて太鼓を叩かせられました。いや実はボクのヘタクソな太鼓に合わせてオバちゃんは絶妙にフリースタイルをカマしていたのです。その後、あのオバちゃんが結構高名な歌手だというコトを聴かされました…かつてはカセットテープ(CD以前の時代なのね)をたくさん出してたとか。だからその場でカセットテープを1本オバちゃんから買っちゃいました2500円で。高いうえにカセット聴けねえのに。

そんな経験を、ボクの子どもにも…と思って調べたところ、このライブハウスを発見。
ここは沖縄の四人組ボーカルグループ・ネーネーズが拠点としている場所。そんで基本的に毎日ネーネーズが出演してるんです。そして彼女たちのプロデューサーでもあり、沖縄音楽の重要人物でもある知名定男さんのお店でもあるようです。え!ネーネーズいつも観られちゃうの?!すげえ贅沢じゃん!ボクはビックリ!そんでそのままお店に電話して席の予約をしました。ちょうど夜のライブ中だったのか、電話の向こうは大きな音が鳴ってて会話がしづらかったです。

場所は国際通りのちょうど真ん中あたり。お土産屋さんの3階。
国際通りは、長さ約1.6キロの那覇メインストリート。その真ん中あたり、松尾交差点とホテルJALシティ那覇の中間に「ライブハウス島唄」はあります。建物の一階はごくごくありふれたお土産屋さんだから、気を抜けばスルーしてしまう感じ。そのお土産屋さんの、カーブしたエスカレーターを登りながら3階にいくと、一見ただの広いテーブル居酒屋な佇まいでこの「島唄」は存在してます。ライブハウスってのは周りにベタベタ貼られた島唄系ポスターがなければ感じ取れないほどの気配。19時から最初のパフォーマンスが始まると聞いてたので、18時30分に予約。時間通りに到着すると、お客さんが誰もいなくてビックリ。一応金曜日だから混んでると思って予約したのに意味ないじゃん。しかもお店が用意してくれたテーブルはステージの最前列ど真ん中で、ちょっと近すぎ。これじゃコッチも緊張しちゃうよ。
●ともかく、メジャーな沖縄料理、ソーミンチャンプルーや島らっきょうやジーマミーとうふ、シークワーサージュースなどなどを注文し、デザートにブルーシールアイスクリームの紅芋味もお願いしました。ライブが始まる時間にはチョコチョコ他のテーブルも埋まり始めてなんとなく賑やかに。ニュージーランドから来たという白人女性もいましたっけ。


さて、ネーネーズのコトがわかんないと、ボクが盛り上がってる意味がわかんないですよね。
ネーネーズは、沖縄音楽の重要人物・知名定男のプロデュースで1990年に結成された女性ボーカルグループ。オーセンティックな沖縄民謡をベースにした音楽と、沖縄方言=ウチナーグチによる歌詞を、見事な琉装で聴かせてくれる。ボクにとっては、本物の沖縄音楽の魅力に初めて気づかせてくれた存在。でも、ライブパフォーマンスを観るのは初めて。ワクワクだ。
ボクがネーネーズの音楽を知ったのは約20年前。彼女たちのファーストアルバム「IKAWU」に収録されている「テーゲー」という曲に圧倒されました。これを初めて聴いた瞬間を今でも覚えています。1994年、大学生だったボクは初めてアメリカを旅行するのですが、その時の機内BGMでこの曲がかかってたのです。飛行機ってなんとなくヘッドホンがそれぞれの席にあって、映画を観たりするのに使うじゃないですか。ボクはアレで航空会社が提供している音楽を聴くのが楽しみなんですよ。だって意外な出会いがあったりするから。アレはナニゲに航空会社のお国柄もシッカリ出ますからね。その時は ANA だったから、目一杯ジャパニーズトラディショナルな選曲として、この沖縄音楽を盛り込んでいたのでしょう。しかし当の日本人であるボクが、未知の音楽として衝撃をうけてしまったのです。
標準的な日本語と全然理解出来ない沖縄方言=ウチナーグチが入り交じる歌詞、三線他聴き馴染みのない民族楽器の響き(その当時のボクは三味線と三線の区別も知りませんでした)、そして沖縄民謡独特の凛とした歌唱法でもって、4人の女性が分厚いユニゾンをユッタリと歌う様子。決して音質がよくない機内オーディオでも十分に、いやむしろ粗末な音響だったからこそ、その島唄由来のシンプルイズベストな佇まいが素晴らしく聴こえたのでしょう。

ネーネーズ「IKAWU」(ネーネーズ「IKAWU」1991年)

ネーネーズは、メンバー交代で新陳代謝していた!
●20年以上のキャリアということは、ネーネーズはすでにバーバーズになっているのではなかろうか?「IKAWU」の内ジャケを見ると、すでにこの段階で結構なお年のお姉さんという印象、そこから20年経っているって?と心配したりもしたのですが…。しかし!なんとネーネーズはこの長い年月で、3回のメンバー総入替えを行い、常々の時代でアップデートをしていたのでした。1990年の結成、そして1999年、2004年、2009〜2010年に総入替え。つまり今のネーネーズは4代目ということ。プロフィールを見ると生まれが1988〜1991年、初代結成以後に生まれたメンバーもいる。まるでモーニング娘。のようだ!これ、お店に到着してから知った事実ね。


そんなフレッシュなネーネーズが、ステージに登場。

IMG_3893.jpg

●現在のラインナップは、モデルさんのような長身が印象的な保良光美(てーるーネーネ)、切れ長な目が大人なクールビューティ上原渚(なーぎネーネ)、ひときわチャーミングな顔立ちとドッシリした存在感の比嘉真優子(まゆネーネ)、そして一番最近加入した本村理恵(りえネーネ)ネーネがつくのは、単純に沖縄弁で「姉さん」という程度の意味らしくて、ラモーンズのように名字を揃えてるほどの意味はないようです。
●スピリチュアルなヴァイブを放つ「明けもどろ」から始まり、活気溢れるコザの街のマルチカルチュアルな賑わいを切り取った「あめりか通り」、拝金主義を批判する「黄金の花」サザン=桑田圭祐のカバー「平和の琉歌」、テッパンの古典民謡でコール&レスポンス「安里屋ユンタ」、スウィングジャズアレンジが楽しい「贈りもの」などなどを、休憩を挟みつつプレイ。基本はカラオケトラックに合わせての歌唱なんだけど、時に三線を抱えてプレイする様子は安定感抜群のグルーヴでカッコイイ。あーこの人達、きっと子どもの頃から琉球音楽に馴染んできた音楽エリートなんだろうなと感じさせられた。一方で、琉装の上からもふっくら体型がわかるまゆネーネは、島唄に限らず R&B でもロックでも歌いこなせるような貫禄を放っていたり。体を揺するダンスがファンキーで。
太鼓と三線で的確なグルーヴを編み出す様子は、カチャーシーのようなダンスミュージックとして伝統的な沖縄音楽が現在を立派に生きているコトを実感させる。特に、長身てーるーネーネの身のこなしが洗練されてて…沖縄舞踊のエッセンスが立ち振る舞いに滲み出てるというか。彼女が巧みに演奏する三枚カスタネット=「三板」に惚れてしまう。三線のネックを作る黒木の切れ端から作られるというけど、その割には見事に大きな音が鳴る。重要なパーカッション楽器なのね。

ネーネーズ贈りもの

ネーネーズ「贈りもの」2010年
●彼女たちの今のトコロの最新アルバム。4代目への移行が済んでのリリースだけど、ここから現在までに一名入れ替わってる。そんなメンバーチェンジは長くやってると結構たくさんあるみたいね。那覇が持つもう一つの大切な顔、平和通りのアーケード商店街を背景にしたジャケ、コレ以前のアルバムでもたびたびアーケード商店街のイメージが使われてる。日本全国で商店街は衰退しているけど(ボクが暮らす下北沢ですら、最近はヤバさを感じる)、平和通り周辺は昭和以来の佇まいと21世紀を生きる活気が同居する希有な空間だ。伝統音楽と現代のコンテキストをハイブリットさせるネーネーズの音楽を、ある意味で象徴しているのかも。
●このアルバムを聴くと、彼女たちの音楽が狭義の沖縄民謡に拘束されてないのが分かる。表題曲「贈りもの」は前述したとおりホーンアンサンブルやスウィングするリズムがニギヤカなビッグバンドジャズ。コザの街をロックンロールシティと呼ぶ「コザ!」ハードロックバンドをバックに従えてる。と思えば、完全なるトラディショナルな民謡を取り上げたり、1999年に亡くなった「島唄の神様」嘉手苅林昌へ捧げた楽曲もある。ここのあたりに、プロデューサー知名定男の幅の広さ、ポップスと伝統音楽のバランス感覚が忍び込んでいるのだろう。知名定男「花」喜納昌吉とほぼ同世代。その他、現代の沖縄音楽を更新しているアーティストたちの楽曲提供も目立つ。宮古島独特の方言・ミャーフクツで島唄ブルースを歌うシンガーソングライター・下地勇が参加。下地勇パーシャクラブ新良幸人によるユニット曲をカバーしたりもしている。
●初めてネーネーズに出会った時は、これがそのまま王道の伝統的沖縄音楽と思い込んだものだったけれども、今冷静に「IKAWU」をはじめ過去の何枚かのアルバムを聴いてみると、多様なアレンジが丁寧に潜り込んでいて実に多彩。レゲエもラップも溶け込んでいる。まさしくチャンプルー感覚。そして優れたコンテンポラリー感覚。

「LIVE IN TOKYO 〜月に歌う」

DVD「LIVE IN TOKYO 〜月に歌う」2012年
●アルバム「贈りもの」の時のメンバーによる東京・青山のライブハウス「月見ル君想フ」でのライブを収録。ボクが今回のステージで聴いた曲がほとんど網羅されてる。師匠・知名定男が1978年に全国ヒットさせた「バイバイ沖縄」もプレイしてるね。もちろん現場で買いました。
ネーネーズが、現在を生きるコンテンポラリーミュージックだということは、リリックの部分からも感じ取れる。ボクには意味が分からないウチナーグチのスキマから、ビビッドな現代語が突然現れて、それがチクリと世相を刺す場面がある。ドキリとするほどボリティカルなサザン楽曲「平和の琉歌」「この国が平和だと誰が決めたの?」というフレーズから始まる。「黄金の花」では「病気のお金はありますか」と問うてくる。ボクのダイスキな「テーゲー」「惚れたはれたと追いかけたって、一生賭ける恋などないさ」と喝破する。歌唱法やウチナーグチが伝統的に見えるとしても、コレらは今現在2014年の文脈で歌われている音楽で、マチガイなくコンテンポラリーなポップミュージックだというコトを忘れてはイケナイ。ただの回顧主義と受け止めてはイケナイ。

●さて、「ライブハウス島唄」でのステージに話をいったん戻して。
●一回目のパフォーマンスが終わった直後は、メンバーが客席に降りてきてくれてお客とお話をしてくれる場面があって。娘ヒヨコは、指をくわえての口笛が見事といって、どんな風に鳴らすのかネーネーたちに質問してた。ボクは、あの見事なおダンゴヘアスタイルをほどくと、どれだけのロングヘアになるんですか?と聞いちゃった。バレエをしている娘ヒヨコもおダンゴヘアを作るために前髪を作らないロングヘアをキープしてるが、それでもあれだけの立派なおダンゴを作るのは無理。そしたらなーぎネーネ「これね、付け毛なんです。琉球版付け毛。ポニーテールをくっつけて丸めるんです。ワタシが髪ほどいたら、おねえちゃん(娘ヒヨコ)より短いわよー」あ、そうなの!そんなイマドキ風の処理なの!CDの内ジャケにも、琉装を脱いだプライベートカットがある。そこにいるイマドキ風のネーネたちを見ると、琉装とのギャップが楽しい。
●それと、本土ツアーの告知も。つまり「島唄」でのステージはお休みって意味なんだけど。東名阪三カ所をまわるらしいけど、東京2デイズはすでにソールドアウトだそうで。でしょ!やっぱそうでしょ!ネーネーズのライブは人気なんだって!なのに、現地沖縄ではこんなカブリツキで見られちゃうってスゲエ贅沢。たっぷり満喫したよ。満足満足。



ちょっと視点を広げて。沖縄音楽の90年代以降を考えてみる。

最初にネーネーズが登場した時代、1990年前後の音楽シーンについて。
1980年代末〜1990年代初頭は、ワールドミュージック発見の時代。英米のロック/ポップスはソレ以前もブラックミュージックやラテンミュージックなどなどから影響を吸収しその表現を拡大してきたが、特に80年代ニューウェーブ期はレゲエやファンクがより活発にロック/ポップスに組み込まれて新しい音楽が生み出されていた。そんな動きが一巡りして、第三世界のアーティストが、直接世界の音楽シーンにアクセスし得る状況が生まれたのが、この1980年代末〜1990年代初頭という時代。
●象徴的なのは、PETER GABRIEL が1989年に立ち上げたレーベル REAL WORLD RECORDS。彼はプログレバンド GENESIS からソロを経て第三世界の音楽へ傾倒、ワールドミュージックの祭典 WOMAD を1982年から主宰するなど、未知の音楽を世界に紹介していた人物で、とうとう専門レーベルまで立ち上げてしまった。やはりマルチカルチュアルな先進性で知られた TALKING HEADS のリーダー DAVID BYRNE もワールドミュージックレーベル LUAKA BOP を1988年に立ち上げ。こうした流れで、アフリカや中東、カリブ海から南米ブラジル、アイルランドなどなどの音楽家が全世界にむけて紹介されたのだ。アジアではシンガポールから DICK LEE「MAD CHINAMAN」1989年がリリースされ、新しいポップスの登場を知らしめる。中国では、あの国で一番最初のロックスター・崔健(ツイジェン)が登場、彼の楽曲「一無所有」1989年天安門事件の中、学生のプロテストソングとして愛唱されたという。
●日本はバブル景気の最中、大手レーベル/流通がこうした音楽をたくさん紹介していた。今は亡き WAVE(パルコ系レコードショップ)がこうしたワールドミュージックのコーナーを大きく構えてたのが印象的。さらには坂本龍一が1989年のアルバム「BEAUTY」沖縄音楽に接近、有名な民謡「安里屋ユンタ」をカバーするなどしてたねー。1991年の紅白歌合戦には喜納昌吉が初登場して代表曲「花〜すべての人々に花を」を披露。海外の動きと連動するように、沖縄はこの時期、新しい視点から「再発見」され、ちょっとしたブームを迎えていたのだ。ネーネーズ「IKAWU」でデビューしたのはそんな時代だったのです。

りんけんバンド「カラハーイ」

りんけんバンド「カラハーイ」1991年
ネーネーズ「IKAWU」と同じ年にリリースされた、彼らのサードアルバム/メジャーデビューアルバム。リーダーの照屋林賢沖縄音楽のサラブレッド。父・照屋林助「ワタブーショー」という名で音楽と漫談を披露するエンターテイナーとして沖縄〜全国で知られた存在。祖父・照屋林山も沖縄音楽の名手。実家は「照屋楽器店」というお店を営んでおり、楽器や音楽には幼い頃から親しんでいたという。ボクは2005年の沖縄旅行でコザを中心に歩く中、偶然にこの「照屋楽器店」を発見。思わず記念撮影しちゃった。ちなみに、ガレッジセール・ゴリ林賢の甥っ子で、ミスユニバース総合第二位の知花くららは従姪にあたるらしい。芸能一家だわ。
●琉装を通り越して、ややコスプレ感さえ感じるバンドのユニフォーム?は、エイサーの祭り装束のようで。そんなイメージを採用しているのは、りんけんバンドがあくまでエイサーやカチャーシーといった沖縄在来のダンスミュージックを軸足に置いているからだろうか。ダイナミックなリズムとメインボーカル上原知子の声が凛々しい。ジャケに写るガジュマルの木も立派だね。実は下北沢で100円で買えた。
●この時期のメンバーとしてボーカル/コーラスを担当している藤木勇人という人物は、その後バンドを離れて落語の立川流の門をたたき、現在は立川志ぃさーの名前でウチナーグチの落語に挑戦している(確かに顔がシーサーみたいなオジサンだった)。なんでこんなコトを知ったかというと、実はたまたま旅行中ホテルのロビーで読んだ地元紙「琉球新報」に彼のインタビューが載ってたのだ。旅行先で地元紙を読むのは楽しいね。



その後、沖縄はジェイポップの震源地になる。
1996年、安室奈美恵が大ブレイク。小室哲哉プロデュース「SWEET 19 BLUES」がリリースされ「アムラー現象」なるファッションフォロワーも登場。その前後に、SPEED、MAX、DA PUMP、FOLDER(後に、三浦大知FOLDER5に分解)つまり沖縄アクターズスクール系統が次々に登場。他にも COCCO、キロロ、夏川りみ、BEGIN、ORANGE RANGE、HY、MONGOL 800 などが続々と本土進出。良質なジェイポップを放つ。もはや、このあたりは沖縄のアイデンティティを表現に盛り込む必要のない世代だ。一方で、本土のアーティストが沖縄に接近する場面も。森山良子「さとうきび畑」THE BOOM「島唄」だ。ケツメイシは、出自は沖縄と関係ないのにジャケット写真はいつも首里城で撮影しているという。なんでだろう?
新城和博「ぼくの沖縄<復帰後>史」によれば、県民人口に対する紅白出場歌手の比率は沖縄県が全国一位らしい。沖縄返還〜本土復帰から20年を経て、本土と同じ音楽感覚を持つ世代が育ったということか。ただ、バックグラウンドとして、沖縄はやはり音楽文化が豊かな土地なのでしょう。

●さらにくわえて言えば、NHK朝の連ドラ「ちゅらさん」2000年が、さらに沖縄をエンターテイメントコンテンツに、しかも全世代網羅的に浸透させた。「ちゅらさん」平均視聴率22.3%を記録、これはソレ以前の作品と比較すれば低い数字だが、2003年以降は20%を越せない低迷期に入る朝の連ドラから見れば十分な好成績だ。20%台に復帰するのは約10年後の「梅ちゃん先生」「あまちゃん」まで待たなければならなかったし、この2本の傑作も「ちゅらさん」には及ばない。やっと「ごちそうさん」で0.1ポイント追い越すことができた。
●そして2000年沖縄サミット、2002年の美ら海水族館オープン。沖縄は、中途半端に海外に行くよりもゴージャスで高価なバカンスになると言われるようになったのはこの頃じゃないだろうか。

ORANGE RANGE「ALL THE SINGLES」

ORANGE RANGE「ALL THE SINGLES」2003〜2009年
●そんな沖縄アイデンティティから自由でいられる新世代沖縄キッズ6人組のミクスチャーロックベスト。無限に続く常夏のパーティ。



一方、沖縄が抱える社会問題は、一向に解決していないんだけどね。それは忘れられないね。




●動画。
●DVD「LIVE IN TOKYO 〜月に歌う」ダイジェスト。「平和の琉歌」&「黄金の花」。




●ネーネーズ「テーゲー」。
●多分初代ネーネーズじゃないかな。サビがウチナーグチで理解出来ない。今聴けばレゲエ=ラヴァーズロックな気分も漂ってるよね。




今回の沖縄旅行でも、レコ屋を探したよ。那覇にはいっぱいイイお店があった。
●今日はひとまず一軒だけ、ご紹介したいのです。

ロマン書房

「ロマン書房」那覇市牧志2丁目20−25
●那覇の西側〜新開発地区「おもろまち」あたりから、国際通り×平和通りの交差点へタクシー移動してる途中で、異常なオーラを出しまくってる古本屋を見つけた。これがこのお店「ロマン書房」だ。写真撮るの忘れて失敗したと悔いてるんだけど、「ロマン書房」の看板の右側には、濃ゆいロック系ポスターが無秩序にベタベタ貼られてて、めちゃカオティック。店の軒先の無秩序でややヤケクソな品物のブチまけ方からもこの店が正気じゃないことが分かる。ヤバ過ぎる、ココは是非チェックせねば!と思い、運転手さんにこの場所にくるための目印はないかと速攻で聞いた…そしたら、「目印ありません、とくに交差点の名前もありません」だって。おお。どないすればいいのじゃ。

●で、タクシーの車窓風景をド根性で脳ミソにインプットして、後からムリヤリこのお店を訪ねたよ。敢えてアクセスを説明すれば、国際通り×平和通りの交差点から北に伸びる沖映通り(1950〜70年代にあった「沖映本館」という映画館に由来してる名前)を最初の信号がある交差点まで歩き(その時右側に見える広い駐車場が「沖映本館」跡地らしい)、その交差点を右に曲がる。逆に左に曲がると最近の那覇で個性的な店が集まり出している「ニューパラダイス通り」に入っていくという。そんなオシャレ地帯にかまわず右に曲がってからはT字路まで突き進むと「ロマン書房」に到達する。道がセマイ割りにはクルマの往来が多いのは、ココがなんらかの抜け道になってるんだろうね。

さて、お店構えもヤバいが、中に入ればもっとヤバかった。お店の売場三分の一は、エロ系コンテンツ。エッチな本からDVDまで全部ひとそろい。そんでもう三分の一が古本。「書房」と名乗るのだからコレが本業なのだろうが、在庫は奇妙な偏り方をしてて、極道実録ものコーナーが奇妙な迫力を放っていた。そんで最後の三分の一が、中古LP&CD売場。正直お店を探すのに手こずって、キチンとチェックできなかったのだが、80年代〜70年代のハードロックやR&Bが雑然と並べられてる感じ。CDは90年代以降がメインか。でも最近のモンでもない。なんだかザックリとした在庫で掘り出しモンなんてあるんだろうか?と思いながら、とにかくアレコレが大味でワイルドなオーラを放っていて目が離せない。

●ここで見つけたのがこの前の記事で紹介した「'75 8.8 ROCKDAY LIVE」だ。沖縄ハードロック・紫の本土初上陸音源をココ那覇でディグするって感動的な出会いだね!3000円と安くない買い物だったが速攻で買ったよ。

ココでもう一枚買ったのが、THE NEVILLE BROTHERS。

THE NEVILLE BROTHERS「FLY LIKE AN EAGLE」

THE NEVILLE BROTHERS「FLY LIKE AN EAGLE」1992年
●キタ!コレは掘り出し物だ。70年代から活躍するニューオリンズのファンクソウルバンド THE NEVILLE BROTHERS STEVE MILLER 1976年のヒット曲「FLY LIKE A EAGLE」を1992年にカバーしたシングルだ。THE NEVILLE BROTHERS やメンバーのソロ(特にボーカリスト AARON NEVILLE の美声!)はボクの大好物。そんな彼らが独特の空気感を持つこの名曲を90年代風にカバーする。もちろん原曲も大好きだから、それだけでワクワクするね。これが300円。
●さらには、この次に訪ねたレコ屋でも、このシングルのサンプル盤を400円でディグ。こちらはリミックスがさらに多様で、ニューヨークのハウスマエストロ MASTERS AT WORK(つまり LITTLE LOUIE VEGA & KENNY DOPE)が一層ダンサブルにしたバージョンを収録。正規盤が3曲に対してサンプル盤は8曲収録。もちろんコッチも買ったね。アルバムとしては1992年の「FAMILY GROOVE」に収録されてるとのこと…このアルバム、ボク持ってるハズなんだけど今見つからない。
LP VERSION は着実なファンクロックアレンジで、これはこれでイイんだけど。でも多彩なリミックスの方が今は気分。スペーシーなイントロを原曲どおりキチンと踏襲しつつ、この時代特有のグラウンドビート的なシンコペーションをスマートに極めるグルーヴがクール。さらに曲構成をP90年代ハウス風に完全分解した長尺トラックも搭載。ストレートにニューヨークハウスの快楽へ収斂されてる。

THE STEVE MILLER BAND「FLY LIKE AN EAGLE」

THE STEVE MILLER BAND「FLY LIKE AN EAGLE」1976年
●60年代から今でも活動しているアメリカのミュージシャン STEVE MILLER にとって、このアルバムと表題曲は最大のヒットなんじゃないだろうか。シンセサイザーの大胆な導入で独特の浮遊感を獲得し、力みのないボーカルで「ワシのように空を飛びたい」と歌う様は、76年という時代としては不思議な感覚を備えてる。そして、それは今でもキエナイ感覚なのだ。
●この曲のリリックもボクはお気に入りだ。どこか浮世離れした高空からの俯瞰視点から、悠久の時の流れと人々の生活を眺めているような、達観したクールさが漂っている。

 TIME KEEPS ON SLIPPIN' SLIPPIN' SLIPPIN' INTO THE FUTURE
 TIME KEEPS ON SLIPPIN' SLIPPIN' SLIPPIN' INTO THE FUTURE

 I WANT TO FLY LIKE AN EAGLE TO THE SEA
 FLY LIKE AN EAGLE LET MY SPIRIT CARRY ME
 I WANT TO FLY LIKE AN EAGLE TILL I'M FREE
 OH, LORD, THROUGH THE REVOLUTION

 FEED THE BABIES WHO DON'T HAVE ENOUGH TO EAT
 SHOE THE CHILDREN WITH NO SHOES ON THIER FEET
 HOUSE THE PEOPLE LIVIN' IN THE STREET
 OH, OH, THERE'S A SOLUTION

 時は淀むことなく未来に向かって流れ続けていく…
 ワシのように空を飛んで行きたい そして海へ…
 ワシのように空を飛んで行きたい 魂よ、ボクを運べ…
 ワシのように空を飛んで行きたい 自由を手にするまで…
 神よ、革命を超えてゆけ…
 飢える幼子に食べ物を…裸足の子どもに靴を…路上に暮らす人に家を…
 そこに答えがあるはず…


●それと、このアルバムに収録されてる「SERENADE」のギターリフは TOKYO NO.1 SOUL SET「JIVE MY REVOLVER」という曲でガッツリ大ネタ使いでサンプルしてる。もちろん、90年代渋谷系育ちのボクは TOKYO NO.1 SOUL SET の方を先に聞いてたので、思わぬ場面でネタ曲と出会ってちょっとビビる。
●一方で、STEVE MILLER「ROCK'N ME」という曲で FREE「ALL RIGHT NOW」のリフをパクってる気配があって。でもメロディに入るとカラリと明るいロックンロールで楽しい気分になる。



●動画。原曲とカバーを聴き比べて下さいな。
●THE STEVE MILLER BAND「FLY LIKE AN EAGLE」。「SPACE INTRO」というパートをつけてる。



●THE NEVILLE BROTHERS「FLY LIKE AN EAGLE」。ロック度の高い LP VERSION かな。





「ロマン書房」のオジサンに、那覇でいいレコ屋はココの他にありますか?!ってお願いしたら、地図を書いてオススメのお店を教えてくれたよ。オジサン、貫禄タップリのオーラを放ってたので、馴れ馴れしくするのに躊躇しちゃったけど、オススメのお店はこれまたステキなトコロだったので、敢えて質問してホントによかった!その次なるお店についてはまた別の機会で。

さて、またまた今日も沖縄ツアーについて書いてみる。

●今回、2014年というタイミングで、沖縄を旅先に選んだ理由に対して。
名護市辺野古への米軍基地移設問題が、アタマのスミッコにあったのはマチガイナイ。
●わざわざ名護のリゾート、ブセナテラスを拠点にしたのも、名護という土地に興味があったからだ。

●基地の県外移転を主張してきた仲井真県知事が、安倍首相と会談して突然その主張をひっくり返し、いきなり辺野古沖合の海を埋め立てて滑走路を作ることを認めたのが去年12月。そして、その流れを受けての1月名護市長選挙では移設反対派の稲嶺氏が当選。普天間基地返還が滞る中、オスプレイ配備はどんどん進む。そして尖閣諸島が東アジア全体のホットスポットになってきたなどなど、一気にキナ臭くなる沖縄内外のビッグイシュー。今の沖縄って一体どうなってるの?

●ただ、問題のキャンプ・シュワブが見学出来る訳でもない。
●ソレ以前に、基地問題についてボクが語れるコトはなにもない。ナニも知らないからだ。
●ボクは、そんな立場の中途半端さを抱えて、家族で観光するわけだ。
●そして、旅の中で、より一層、ボクの沖縄に対する無知を思い知った。
●今ボクは何冊かの沖縄関連の本を読み、そんで検索をせっせと続けて足りない知識を補いながら、この数日の沖縄に関する文章をなんとか書いている。圧倒的にボクは沖縄を知らなかった。ショックなほどに。



ともかく、沖縄本島の西側に突き出た本部半島の突端、「美ら海水族館」に行くのである。
●で、ほんのちょっとだけ、沖縄の歴史のコト、とくに70年代の沖縄について考えてみた。

IMG_3616.jpg

世界最大級の巨大水槽に、悠々と泳ぐジンベイザメとマンタたち。圧巻だ。まるで映画の巨大スクリーンのよう。
●その中に、一際機敏に動くモノが。体長1メートル強のマダライルカ2頭がスイスイと水槽を駆け回っているのだ。こう見るとイルカは圧倒的にアタマがいい動物だと一目でわかる。他のサカナにアレコレチョッカイをかけて遊んでいるのだ。群れて泳ぐサカナたちをワザと追い散らしてみたり、ゆっくり泳ぐエイにまとわりついたり。まるで利発なイヌがドッグランで遊んでいるかのようだ。しかも、水槽の中の序列もちゃんと意識しているのか、ジンベイザメにだけはチョッカイをかけない。適度に距離を置いて遊んでいる。イルカショーのイルカは人間の指示に忠実なことで賢さを証明するが、ノビノビと遊ぶイルカの様子を他の種類の生き物とハッキリ比較出来る環境で見せるのも、スゴく説得力のある展示だと思った。

IMG_3665.jpg

●子どもたちも満足。娘ヒヨコは全ての水槽の生き物たちを、自分のカメラに収めてた。
●とくに砂地からぴょこっと顔を出すチンアナゴニシキアナゴがお気に入りだったみたい。

IMG_3585.jpg IMG_3581.jpg

●さて、この「美ら海水族館」「海洋博公園」という場所の中にある。
「海洋博公園」は77ヘクタールもある大きな公園で、水族館だけじゃなく、博物館や植物園、人工ビーチなどなど様々な施設がある。あまりに広いので電気自動車が園内をまわってるくらいだ。

そもそもでいえば、この場所は1975年に開催された「沖縄国際海洋博覧会」跡地。
●ボクは「美ら海水族館」に改装する前の、博覧会時代の名残であった水族館「海洋生物園」にも来たことがある。2002年2月という閉館ギリギリのタイミングだった。世界で初めてジンベイザメの生体飼育に成功した水族館という武名は子どもの頃からボクの中で大きく響いていて、30歳手前にもなってからやっと長年の念願を叶えたのだ。
●ただ、ジンベイザメは立派だったが、水族館そのものは実に陰気で薄暗い昭和テイストだった。ホントだったら古い水族館じゃなくて改装後の21世紀版の水族館が見たいと思ったもんだ。そして「美ら海水族館」は同年11月オープン。なんと偶然にもこのタイミングに沖縄出張があり、開館直後の「美ら海」にもボクは行くことができた。二代両方の水族館を同じ年に見る事ができたのだ。



さて、1975年の「沖縄国際海洋博覧会」って一体ナニ?
200px-Expo75_Logo.jpg(「海洋博」のマーク)

冷静に考えると「沖縄国際海洋博覧会」の時期って、沖縄返還直後でしょ。
沖縄返還は1972年。「海洋博」は1975年。ちなみに「大阪万博」が1970年。博覧会がオリンピックと同じようにその地域のインフラ整備や経済振興の起爆剤として機能していた時代、日本に返還されたばかりの沖縄に対して社会整備を行う意図がハッキリしているでしょ。実際、沖縄本島を縦断する沖縄自動車道(高速道路)、国道58号線、その他、空港、港湾設備などなど大型公共事業が動いたそうで。しかし、主導権はあくまで本土資本にあり、地元経済にとってはカラスベリの感も。性急な開発に環境破壊問題も発生。観客動員も見積を大きく下回り、博覧会閉幕後には企業倒産も続出。「海洋博後遺症」といった言葉もできたほどだという。結局、多くの沖縄県人にとっては、あまり親近感を持てないイベントだったようだ。
●ただし、沖縄の日本返還前は、本土との往来にもパスポートが必要だったほど。ココで初めて沖縄に観光産業が起こったといっても過言ではない。そんな転機となった出来事だった。終戦から27年も経って果たされた日本復帰直後の沖縄が戦後日本社会にメキメキと組み込まれていく大きな音がココで鳴っていたわけだ。

aquapolis.jpg

●この写真は1975年当時の「海洋博」の様子。博覧会の目玉、海上都市「アクアポリス」が水上に浮いている。
「アクロポリス」「未来の海上生活のための実験都市」というコンセプトで作られた半潜水浮遊式の構造物。ここに40人のスタッフが暮らしてハマチやタイの養殖を営んでいたという。今検索してみたらプロデュースは手塚治虫だった。そんなレトロフューチャーな遺物は90年代に老朽化で封鎖。立ち入り禁止のまま、2000年まで鉄錆にまみれてこの海に浮かんでたという。ボクが2002年に訪れた時は、陸地とコイツをつないでた桟橋だけが残っていたような気が。



そんな沖縄70年代を描いた文章を読む。

新城和博「ぼくの沖縄<復帰後>史」

新城和博「ぼくの沖縄<復帰後>史」
●これは、那覇の本屋さんで見つけた本だ。沖縄返還を小学生時代に迎え、その後のほとんどを沖縄で暮らし、沖縄で出版/編集の仕事に関わってきた著者が、個人的な視点から柔らかいタッチで返還後40年余の歴史を振返る内容だ。この本を出版しているのも沖縄の会社。やはり地元でなければ出会えないモノがある。

●70年代の沖縄は、アメリカ統治下から日本社会への移行を歩む上で様々な混乱があったようだ。
まずオカネが変わる。今までドルで買い物してた生活が、突然日本円に変わる。1ドル=約300円の時代だ。帯コメには「小学四年生の僕は、一円玉の軽さに馴染めなかった」。1セントで買えたモノが1円では買えない。
自動車の交通ルールも違う。右側通行のアメリカルールから左側通行の日本ルールに変える瞬間のドタバタは大変なモノだったらしい。だって公共バスも全部ドアが左右逆向きのモノに入れ替えないとイケナイのだから。

●今やバラエティ番組の楽しいオジサンとして有名な元プロボクサー具志堅用高さんが、沖縄県の人にとってどんな存在だったかにも言及されてる。
1976年、彼は当時では史上最速のデビュー9戦目で世界チャンピオンになった。その後13回の防衛を果たし1981年に引退。沖縄県出身の世界チャンピオンというだけで地元にとっては輝かしい存在だったが、彼を特別なヒーローにしたのは、彼の発言だったという。彼は、その沖縄独特のイントネーションやボキャブラリーを隠さない(隠せない)男だった。結果、カンムリワシの異名を持つ鋭い戦闘能力とはウラハラな、素朴で愛らしいシマンチュの素顔を全国区に披露したのだ。「ちょっちゅね!」沖縄のユニーク過ぎる方言は、明治時代から差別の対象になっており、戦前戦中からアメリカ統治下においても県民に劣等感を植え付けてきた。こと日本復帰間もないこの時代では、高度成長期を躍進する本土社会からの「遅れ」を恥じてしまう時期でもあった。そこでこのヒーローの活躍である。沖縄の人々がどれだけ彼に励まされたことだろう。

●時は流れて、「美ら海」は今や沖縄最大の観光拠点となり、日本だけでなく近隣の外国からもお客が集まるようになった。しかし環境破壊は進行中で、埋め立てや人工ビーチの造成で沖縄のサンゴ礁はどんどん痛んでいる。リアルの「美ら海」はその美しさをどんどん損なっているのだ。そこに加えて、辺野古では大きな滑走路をサンゴ礁の埋め立てで作るコトになっている。ボクには、これがイイコトなのかワルいコトなのかワカラナイ。



さて、音楽。1975年の沖縄ハードロック。

75 88Rockday

VARIOUS ARTISTS「'75 8.8 ROCKDAY LIVE」1975年
「ぼくの沖縄<復帰後>史」では、70年代に続き、80年代90年代21世紀とその後の沖縄の変化について興味深い内容が続いている。音楽ファンであるボクにとっては90年代初頭に到来するオキナワンポップのブームについてもアレコレ言及されてて非常に興味深い。ただ、ちょっとその時代までワープするのはヤメておいて、今一度70年代にフォーカスを。

●このアルバムは「海洋博」と同じ1975年に大阪万博公園で行われたロックフェスのライブ音源だ。LP2枚組にたくさんのバンドの音楽を収録している。ココに沖縄出身のハードロックバンド・が出演しているのだ。については、1983年の再結成ライブ盤についてコチラの記事で書いてみた。しかしコチラはもっと貴重な音源だ。バンドにとって、このライブが本土上陸一番最初のパフォーマンスなのだ。当時の解説を読めば、沖縄・コザの街で毎晩米兵を前にプレイしてきたという彼らの伝説に本土のリスナーが畏怖を感じていた気配すら感じる。

●アタラメて言えば、彼らが拠点としたコザ市(現・沖縄市)は、米軍基地に隣り合う街である。アメリカからの影響は濃厚で彼らのようなバンドが育つ素地も十分だった。一方で、アメリカ兵による地元住民とのトラブルも大きなストレスになっていた。沖縄返還の直前1970年には「コザ暴動」という事件が起こる。アメリカ兵が地元住民を自動車でヒキ飛ばしたのをキッカケに、不当な取調べをさせないよう多くの住民が抗議、MPとの小競り合いから5000人規模の暴動に発展したのだ。一晩のウチに車両73台、関連施設3棟が焼き討ちにあったという。この年には主婦を轢き殺したアメリカ兵に無罪判決が出されてアメリカへの不信感がピークになっていた時期。そんな場所からやってきたハードロックバンドが、異様な存在感で受け止められたのは非常に納得がいく話だ。さて、コザは今でも独特のハイブリットな文化で魅力を放つ街だが、アメリカ兵が引き起こすトラブルは今でも沖縄の人々の心を都度都度で大きく傷つけている。

DEEP PURPLE に由来するその名前のとおり、その演奏は、端正かつ緻密なリフ・アンサンブルがブリティッシュ・ハードロック直系のスゴミを放っている。アメリカ留学帰りのリーダー・ジョージ紫が作詞曲を担うオリジナルの英詞曲もソリッドな疾走感と緊張感でビキビキ。シメは本家 DEEP PURPLE「HIGHWAY STAR」カバー。クール。本土上陸がこの瞬間なのだから、当然この段階で彼らは正式なレコードデビューもしていない。ファーストアルバム「MURASAKI」は翌1976年にリリースされた。ただし、本土の音楽業界に彼らは合わなかったのか、1978年に解散してしまうのだった。

●ちなみに、このアルバムに収録されている他のバンドについても少し言及。
山岸潤士スーパーグループ WITH 北京一・石田長生が、粘り腰の大阪弁ブルーズを展開している。山岸潤士山岸潤史とも書いてあるな…この人は日本のブルースバンドの先駆・ウエストロードブルースバンドのギタリストとして活躍、その後 SOO BAAD REVUE というファンクロックバンドで北京一らと共闘、90年代にはニューオリンズに渡って今でも現地のファンクバンドで活躍している傑物だ。石田長生は、ウエストロード SOO BAAD REVUE でこの山岸と組んでいた筋金入りのブルースマンで、 CHAR とも共演、二人のユニット BAHO 名義の「BLACK SHOES」という曲は今でもボクのお気に入り。1995年の阪神大震災の際には、ソウルフラワーモノノケサミットボガンボス・どんととともに現地・長田神社でフリーライブを行うなどしていたのを、わざわざボクは見に行っている(あれは震災一年後1996年だったけな?)。
●アマチュアバンドのコンテストという性質を持ってたこの「ROCKDAY LIVE」は、これっきりで消えてしまった?バンドが多い。その中でも、前半で素晴らしい存在感を放つ女性シンガーがいる。スターキング・デリシャスというバンドのボーカル・大上留理子(留利子?)という人だ。アマチュア部門でこのバンドは優秀バンド賞を獲り、彼女はボーカル個人賞を獲る。つーか SUPERFLY なんかメじゃない濃くのあるソウルボーカル。芯の強さがたまらんね。調べるとこの人はその後バンドが解散しても活動を続け、泉州弁のR&Bを歌い続けているという。
大阪を中心とした70年代のブルースシーンって、完全に勉強不足だわ。ウエストロードブルースバンド〜永井“ホトケ”隆、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、それと、関西じゃないけどめんたんぴんも。まだまだ気になる未知の音楽が一杯だ。



●あと、もうひとつだけ。
●話題のキャンプ・シュワブの名前の由来、知ってます?沖縄の主だった基地についた名前は、あの大戦最末期の沖縄戦で戦功を上げた海兵隊員の名前からつけられているんですって。沖縄に大きく横たわる基地、キャンプ・ハンセン、キャンプ・コートニー、キャンプ・マクトリアス…。軍属・民間人合わせて18万人が死んだあの戦闘で、手柄を立てた兵隊の名前って…。あまりに悪趣味じゃないか…?



●さて、動画。
●今日はちょうどいい音楽が見つからないので、由来不明のドキュメンタリー映像で。
●「映像でつづる復帰30年」…70年代の沖縄の様子。










さて、今日も沖縄のお話。
今回の春休み沖縄ツアーでは、マングローブの林をカヤックで見て回ったのだ。

P4030015.jpg

沖縄本島北部、つまり「やんばる」エリアの東村(ひがしそん)という場所。ここから太平洋に注ぎ込む慶佐次川(けさじがわ)河口に、10ヘクタールにも及ぶ広大なマングローブがあるという。熱帯地方に育つマングローブとしては分布の北限に近いこの場所に、これだけの規模の林があることは貴重な事で、国の天然記念物にも指定されている。

●こいつを、沖縄のガイドブックからメザトく見つけたヒヨコが「行きたい行きたい」とねだってきたのだ。まーヒヨコにしてみれば、カヤックに乗りたいだけって感じなんだけど。ふー、めんどくせー。ワイルドネイチャーにはてんで興味がない都会派インドアダメ人間であるボクにとっては、最初は興味の持てない提案だったんだ。
●けど、途中で気が変わった。メキシコ・カンクンで見た熱帯雨林/ジャングルが意外なほど脆弱な生態系だったことに驚いたのを思い出したのだ。同じように地球の熱帯地域を覆うマングローブという生態系はどんなトコロなんだろう。勉強してみたい。

マングローブというのは、実は植物の名前ではなくって、その林まるごとを差す言葉だそうで。
●ホントは、和名・ヒルギという植物が密集して育っている林をそのままマングローブと呼ぶ。ひいては、そのヒルギ林に暮らす様々な動植物の生態系全体をさす言葉にもなるそうだ。このヒルギという種類の植物は、海水と淡水が入り交じる気水域に育つ。ジャングルの伐採問題と同様に、マングローブもその保全が地球温暖化を食い止めることになる重要な生態系として注目を集めている。さらには砂漠地域の沿岸に植林を試みたケースもある。うーむ、ちゃんと自分の目で見てみたい。


ただね、ココがクソ遠いんですよ。

スライド1

ね、那覇からすげえ遠いでしょ。
美ら海水族館とこのマングローブを回ろうとすれば、ブセナテラスみたいな場所を拠点とした気持ちもわかるでしょ。
●ただ、美ら海水族館とも全然チガウ場所ってのが、メンドクサい。美ら海のついでに、って感覚で行ける場所でもない。名護市内から東西真逆に別れて行くってんだからタマラン。ましてや、今回はレンタカーがないので、タクシーで行くしかない。ブセナのコンシェルジュに聞いてみると「東村ですか…ここからタクシーなら、片道8000円ですかねー?」高い!ヤバい!カヤックツアーの間も待機してもらって復路もお願いしたら、いくらになるんだよ!20000円じゃ足りないのか?

しかし、ココも工夫と交渉でどうにかしようということで。運転手さんと相談。
●この相場感をアタマに入れつつ、別の場面でタクシー運転手さんに軽く相談してみる。前の記事で書いた、名護市内のファストフード A&W に行く時に乗ったタクシー運転手さんだ。運転手さん、慶佐次のマングローブって知ってます?「あーありますねーちょっと遠いですねー」行くとしたらイクラくらいですか?「あっちはメッタに行かないからねえ。うーんと6、7000円くらいかな?」ホテルの値段と全然チガウ…ホテルを通すと絶対高めの値段になるんだよな。あそこに遊びに行きたいんですよ。運転手さんに往復お願いしたら、勉強してくれます?「そうですねー12000円でいいですよ」カヤックツアーの間に2〜3時間待ってもらうんですよ。大丈夫ですか?「ええ、大丈夫ですよ、ただ私自身は夜勤なんで、会社に引き継いで別のクルマを手配させますけどね」じゃ!それでお願いします!運転手さんの名刺と会社の連絡先をもらってバッチリ!半額近くまで抑えるコトができたぞ!
●こんなんで、今回の沖縄ツアーは都度都度運転手さんと会話して、ディスカウント交渉をしていきました。オカネのことだけじゃない、アレコレの世間話も楽しかったね!

スライド2

翌日やってきた運転手さんは、50歳代の女性で。
「東村なんて行きませんねえ〜」どうやら現地はホントにド田舎で、タクシー需要もほとんどなく、クルマの足もない観光客がフラフラいく場所ではないようだ。ホントに行ったコトないので、運転手さん大幅に道間違えたりもしたモンね。運転手さん、今見えてる海って、これ太平洋でなくって東シナ海ですよね、なんか行き過ぎてません?カーナビは?「カーナビとかはなくってですね…スマホの地図みてるんですけど…あ、いまワタシのスマホ、海の中にいることになってます」結局ボクがスマホのマップでナビしましたよ。30分くらいの余裕をみてたのに結局ツアーの予約時間やや遅刻で到着ですよ。ただしツアー会社のお兄さんもこの遅刻を全然気に留めてる気配もなくって。あ、この程度の誤差はないも同然なのね。これがウワサの「オキナワ時間」ね。

P4030044.jpg

●「やんばる自然塾」http://www.gesashi.com/
●さて、実際にカヤックツアーを行ってくれるのは「やんばる自然塾」という会社。ガイドブックにもチョイチョイ登場しているトコロで、慶佐次を拠点にやんばるエリアの自然を堪能させてくれるエコツアーをたくさん企画してる。ホテルのコンシェルジュでも調べてもらったけど、比較してもココが一番シッカリしているように思えた。地域を愛し、自然を守り、ただ楽しいだけに留まらない学びを提供してくれる気分。カヤックツアー3時間コースでおかしとCDがついてくる。CDって?ガイドさんが写真撮影をしてくれてその場でCD-Rに焼いてくれるんだって。それで大人6000円/小人4000円。
潮の満ち引きで水位が全然違うから、カヤックツアーの開始時間はいつも変動しているので、問合せやホームページでのチェックが必要。要予約だけど、前日でも可能なら対応してくれる。カヤックがひっくり返る可能性があるので、全身ズブ濡れになってもいい服装と、着替えを用意していく必要あり。水没の危険アリだからカメラもスマホも持たない方がイイネ。もちろん更衣室やロッカーもありました。日差しが強いので帽子はあった方がイイ…けどボクは持ってなかったので麦わら帽子を借りちゃった。カヤックに乗る時にザブザブ水に足を突っ込むので、ビーチサンダルが望ましい。これもボクはもってなかったので、トイレサンダルみたいなものを借りちゃった。それと、ライフジャケットはきちんと貸してくれる。とはいえ、慶佐次川自体は、深さにして1メートル程度らしい。ビビるほどは深くない。小学生用もある。

P4030006.jpg

そんで楽しい楽しいカヤックツアー。
●今日のツアーは、ぼくら四人家族と、兵庫県から来たという四人家族の8人だった。陽気なインストラクターのお兄さんが仕切って、お互いに自己紹介。パドルをもって、カヤックの操作の仕方を教わる。お兄さんの号令でパドルをみんなが振る様子は、カンフー映画で棒術の修行をしているみたいでなんか楽しい。
●ワイフと息子、ボクと娘に分かれて二隻のカヤックで出発。河口に面したオフィスの目の前の広い空間でカヤックの操作に馴染んでから、お兄さんの先導で少し上流のマングローブ地帯に突入。

P4030023.jpg

マングローブのお勉強。
●淡水と海水の中間「気水域」ってのは、文字通り海水と淡水が混ざってるワケでして、川とはいえ単純に陸から海へ一方的に水が流れてるワケではない。満潮時を狙って行うツアーの時間帯には、むしろ海から川へ水が遡って行くコトになる。川の水をなめればややショッパイ。上手く潮の流れに乗れば、大して力まなくてもカヤックはどんどん上流に流れて行くほどだ。オマケにこの日は地球の裏側チリで大地震が起こった日で、なんと津波到達予想時刻とツアー時間がほぼカブってた状況。もちろん沖縄には警報も注意報もないのだけれども、河口の潮の流れはお兄さんから見てもややイレギュラーで、ろくにオールを漕がなくとも、すすーっと上流まで簡単に遡れてしまった。また、津波が引いていくのか、川を下るタイミングもすすーっと流れができて予想以上のテンポで下れてしまった。

●さて、そんな場所に育つヒルギの木。彼らはこの環境に適応するため、塩分と水分を分離する仕組みを体内に備えたという。結果葉っぱを舐めると排出された塩分でしょっぱかったりするらしい。お兄さんは葉っぱに塩が粉を吹いたようについているのも見たことがあるという。
●実は、ヒルギがこの程度に育つには、なんと100年の時間がかかる。ヒルギは成長の遅い植物なのだ。そのためフツウの陸上においては他の成長の早い植物に遮られて育つコトができない。そこで彼らは他の植物が育たない気水域に適応進化して、このような生態系を作るに至ったわけだ。そんな話をガイドさんに聞いて即座にボクは「ノマドヒヨコ、枝1本、葉っぱ1枚むしるなよ!枝1本でオマエらの人生分だぞー!」また、ヒルギは上へ上へと育つのではなく、横へ横へと張り出して行く性質がある。幹の途中から根が生えてそのまま海の中に伸びて行き、その新しい根に支えられながら更に枝を海の上に張り出して行くという。

P4030032.jpg

●コレ、インストラクターのお兄さんの言葉。「ヒルギは人間と似ているところがあります。みてください、一本の木で立っているわけではなく、何本かの木が絡み合って支え合うことで、激しい潮流や南国の暴風雨にも耐えられるのです。これ、テレビで有名な、金ナントカ先生かパチナントカ先生がいってたことと同じですね」なるほど。
●日本国内では、天然のマングローブは沖縄を除いては鹿児島の奄美大島にしかないそうだ。ここの木の高さは4~5メートルというところだけど、もっと南方だと20メートルくらいに育つ。しかし地球の気候変動や、海水面の上昇などでこの生態系にも危機が訪れようとしているらしい。ここのマングローブも100年後に残っているかはわからない。

P4030037.jpg

さて、小休止を経てツアーは川を下って海に出てみる。
●画像をよく見ると、川の水と海の水の色が全然チガウ。海には波があってややドンブラするが、そんな遠くまで出て行くワケではないから怖くはない。むしろ解放感があって気持ちイイ。川の中では操作を間違って木にゴツンとカヤックをぶつけてしまったりするくらいだから。ここで一巡りしてツアーは河口のカヤック乗り場に戻り終了。

IMG_3744.jpg IMG_3742.jpg

着替えも終わって、ロビーで休憩。
沖縄ドーナツ、サータアンダギーが出てきました。これがオマケのおやつね。これ大好き。ボクが子どもの頃、母親が作ってたドーナツってのがコレとそっくりだったのよね。ドーナツってのは輪っかになってるもんだと知る前から、フツウにこのまん丸いドーナツを美味しく食べてた。で、大人になってからこのサータアンダギーを知って。あの母親のドーナツはコレがお手本だったのか!もちろん今でもサータアンダギーは大好物ですよ。ちなみにボクの母親は北海道出身で、なんで沖縄ドーナツに接点があるのかは今だに不明。
●アットホームなロビーには、三線がいっぱい置いてあって。これをお兄さんが軽く弾いてみせる。「へんなオジサン!へんなオジサン!」…もはや原曲「ハイサイおじさん」より遥かに有名な志村けんアレンジね。これにウチの子ども楽しくなって、あれこれいじくらせてもらいました。



●音楽。一応、このブログは音楽がテーマなんで。

WHITNEY HOUSTIN「WHITNEY HOUSTON」

WHITNEY HOUSTIN「WHITNEY HOUSTON」1985年
今回の沖縄ツアーでもレコ屋巡りをタップリやったわけですが、結果的に80年代 R&B 系統を厚く買うことになりました。その中でもドメジャー盤のコレを、邦題「そよ風の贈りもの」というフレーズを沖縄の気持ちよい空気と重ねながら聴くのです。
●ご存知の通り、これは WHITNEY HOUSTON のデビューアルバム。叔母に大御所歌手 DIONNE WARWICK を持ち、母親もゴスペルシンガーだった彼女はローティーンの頃からエンターテイメントの世界に出入りしており、この見事な容姿からモデル業も立派にこなしておりました。そんな彼女が満を持して21歳で繰り出したのがこのアルバム。NARADA MICHAEL WALDEN や、JERMAINE JACKSON、TEDDY PENDERGRASS、KASHIF といった実に80年代っぽい才能に囲まれて、数々の名曲が制作されました。
個人的には、これもボクの子ども時代を思い出す楽曲ばかりで。当時エレクトーンを習ってた妹が、このアルバムに収録されてる「ALL AT ONCE」を耳にタコができるほど反復練習してて。「SAVING ALL MY LOVE FOR YOU」もやってたかなあ。だから、むしろ WHITNEY HOUSTON がキライなくらいでしたよ。ヘタクソな演奏でずーっと聴かされるのだから。
●90年代に入ると映画「ボディガード」で大ブレイクを果たしながらも、BOBBY BROWN との不幸な結婚生活でやや荒んできたキャリアがなんか痛々しくて。早熟な天才少女の神通力もここまでか…そんで2012年、コカイン摂取の上でバスタブで溺死。48歳。そんな今だからこそ冷静に聴けるのかなと。
●バラード「GREATEST LOVE OF ALL」は他の人のハウスカバー経由で大好きになった1曲。同じくバラードの「SAVING ALL MY LOVE FOR YOU」も今では落ち着いて聴ける。爽快なディスコファンク「HOW WILL I KNOW」もステキ。「ALL AT ONCE」だけはまだちょっと苦手なんだけどね。


●動画
●「GREATEST LOVE OF ALL」



●「SAVING ALL MY LOVE FOR YOU」



●「ALL AT ONCE」








●濃密な5日間だった…。
家族四人で沖縄旅行に行ってきたのだ。

DSC01461.jpg

●沖縄への旅行は、仕事も含めれば5回目くらいだろうか?子どもたちを連れて行った事もあったが、ちっちゃい頃だったので、残念、ろくに覚えていないという。そこで、子どもたち(主だって自己主張のハッキリしてる娘ヒヨコ)の「沖縄やりたい」オーダーを募って現地での予定を組立てていった…そしたら、盛り盛りだった!

1、リゾートホテルのプールで泳ぎたい!
2、美ら海水族館に行きたい!
3、マングローブ林をカヤックで探索したい!
4、陶芸教室でシーサー作りたい!
5、国際通りでお買い物したい!
6、首里城に行きたい!
7、オキナワなテーマパークにも行きたい!

これにボク自身のリクエストも織り交ぜないとイケナイ。

8、沖縄のレコ屋をチェックしたい。
9、沖縄の本屋をチェックしたい。
10、沖縄オリジナルブランド HABU BOX のシャツをチェックしたい。
11、沖縄の民謡ライブハウスに行きたい。

●くっ…。これはキツい。
●でも、今年のゴールデンウィークは仕事だし、夏休みやお正月も娘ヒヨコの受験モードで旅行どころでないだろう。今年のレジャー予算を全てココに突っ込むカタチで、そんでムリヤリ会社の休みをモギ取るカッコで、かなりの覚悟で沖縄ツアーに旅立ったというワケだ。四泊五日の大盤振る舞いだ。
●我ながら大人げないのは、子どものリクエストと自分のリクエストがバッティングしそうになってても全く妥協するつもりはない、という点だ。あくまでスポンサーはボクなので、そこは曲げられない。アホか。



宿は、西海岸エリアの北側。ザ・ブセナテラス・ビーチリゾートを選んだ。

IMG_3760.jpg

ザ・ブセナテラス・ビーチリゾート。沖縄県名護市喜瀬1808。
●2000年に行われた「G8沖縄サミット」は、この場所で行われている。アメリカからはビル・クリントン大統領、イギリスはトニー・ブレア首相、フランスはシラク首相、ロシアからはプーチン大統領がやってきた。迎えたのは森喜朗首相。テーマソングとして、沖縄出身の安室奈美恵が歌う「NEVER END」小室哲哉プロデュースで制作された。そんな由緒正しい場所。
ボクがココに泊まるのは二回目。2002年2月に、まだ0歳児だった息子ノマドを連れてワイフと泊まってる。ビーチリゾートを強く希望するヒヨコとワイフを満足させるには、コレ以上の贅沢はない。ボクはビーチもプールも興味ないし、この4月じゃビーチもプールも寒くて泳げないって再三主張したんだけどね。それでもヒヨコは足ツッコンで水温チェックしてる。結局屋内プールでたっぷり泳いで、スパでゆっくり温まって満足してた。
●今回は、美ら海水族館と、さらに北部(つまり「やんばる」ってエリアだね)にあるマングローブ林にアクセスするために、わざわざ那覇から一時間以上もかかる名護市のブセナを拠点に選んだ。そんで最終日前日に那覇で別のホテルを確保、ここで那覇をガッツリ攻めるという作戦。2005年の沖縄ツアーの時は、中部エリアの沖縄市/コザや美浜のアメリカンビレッジ、北谷〜宜野湾方面を主戦場にしようとしたので、読谷村のホテル日航アリビラにしたっけ。沖縄、広いねえ。

ブセナへの効率のいいアクセスは、系列のナハテラスを使うことだ。
●同系列のホテル、ザ・ナハテラス・シティリゾートが、那覇市内、ゆいレール「おもろまち」駅から徒歩10分程度のトコロにある。ココから無料のシャトルバスが出てる。ボクは自動車の運転をヤメて久しいので、前回は足に使ったレンタカーという手段が今回はない。だから、積極的にバスやゆいレール、タクシーを活用した。このバスは予約を事前にしとくといいです。ボクらは沖縄到着初日は夜ギリギリまで那覇で遊んだので、トランクだけココに預けてシャトルバスでブセナに運んでもらい、自分たちはタクシーで移動した。那覇に移動するにもブセナからナハテラスへシャトルバスで移動した。

それと、WIFI はキチンと飛んでました。
●フロントのお姉さんは自信なさげに「お部屋によっては受かりづらいところもあるので…」といってたが、ボクが iPad で周辺情報チェックする分には全然問題がなかった。部屋で不都合があるなら、ロビーにくるとよりしっかり飛ばしている電場を捉えることができるらしい。

ビーチアクティビティは満載。グルメも満載。でもクソ高い。
プールやビーチ、スパ&サウナ、ジムは無料。ランドリーもあって無料で使えたのも便利だった。一方、ヨットクルーズとかダイビングとかボートスノーケリングとかパラセーリングとかジェットスキーとかグラスボートとかいろいろあるけど高い。そっちは完全スルー。カヌーとかビーチチェアとかタオルとか全部貸してくれるけどやっぱ高い。

IMG_3774.jpg

海中展望塔ってのがある。
ブセナテラスは、部瀬名岬という名前の東シナ海に突き出した細長い半島をまるまる敷地として占有してる。そのサキッポに、「海中展望塔」というものがありまして。深さ8メートルほどの海底をガラス窓から覗くもの。コレにヒヨコがコダワって。当然ボクから見れば当然スルー物件なのだけれども(だって美ら海でサカナは見るのよ)、自分のおこづかいで行くというから(小人520円、大人1030円)ソバまでついて行ってあげた。
●で、塔の中には入らずに、桟橋から海面を見下ろしてたら…やっぱ沖縄スゴい!海面から数メートル上だというのに、海中で大勢のサカナが泳いでいるのが見える!「サカナのおやつ」なるヘンなモナカの親戚みたいなものがナゼか自販機で売ってて、みんながそのモナカを砕いて撒くのでサカナの方もいいエサ場と思って寄ってくるのか?これは立派な生き物が海中でも見られるのかもしれない。
●15分ほどでヒヨコが海中から戻ってきた。窓にくっつけるカタチでイソギンチャクがおり、そこにクマノミがいたらしい。色とりどりのサカナが見られてとっても楽しんだらしい。以下はヒヨコ撮影写真。

DSC01810.jpg

DSC01831.jpg



レストランが本当に高い。高くて怖い。
●9つもレストランやバーがあるんだけど、ボクの感覚では完全NGです。だって鉄板焼コースで一人9300円(税別/サービス料10%別)なんだもん。いやいや高いヤツになると23000円なんてコースも。一番安いディナーブッフェで4500円。だから、宿泊料金に組み込まれてる朝食ブッフェ以外は全部ホテルの外で調達しましたよ。

●とはいえ、近辺にはナニもありません。陸の孤島です。
ブセナは完全に閉鎖型リゾートで、敷地の外に徒歩で出ていくのもシンドイ場所です。海外じゃアリガチですけどね。ただ、そんな閉塞感はボクが苦手でダイキライなので、ヒョコヒョコ出ていきたくなるのです。とりあえす、夜ゴハンはホテルで食べられない。そこでタクシーで名護市街まで往復する作戦に出ました。


沖縄独自のファストフードチェーン、A&W。

 AWロゴimgres

●このハンバーガーショップが気になってしょうがなかった。本来はアメリカのブランドで、1963年に沖縄出店。沖縄返還前のコトなので目立っていないが、マクドナルドよりも先、日本で一番最初のファストフードチェーンだ。沖縄の人は愛情込めて「エンダー」と呼ぶという。

IMG_3730.jpg

名護店は、広いドライブスルー対応パーキングを備えたお店。店内も広くて、大きなテーブルとイスがアメリカンダイナーな気分。日本のマクドナルドはテーブルもイスも小さ過ぎるよ。ここはオリジナルグッズ販売もあって、Tシャツやオリジナルグラスを売ってた。くそーここでイロイロ買っておけばよかったなあ。
●ボリュームもジワリとアメリカンにデカいハンバーガー。大味なオリオンリングはケチャップをたっぷりつけて。ポテトはフツウのもあるけど、カーリーという螺旋のカタチにされたヤツが気分。チキンを頼もうとしたら15分かかりますって言われて全然ファストじゃねえけどコレがオキナワ〜と思ったり。

AWルートビア

そして、名物ルートビア!
A&Wではルートビアの「飲み放題」サービスをやってるんです。アメリカではボチボチに知名度あるでしょうけど、日本でコレをここまで押してるお店はないでしょう。しかし、コレが問題で。沖縄の人何人かに聞いたけど「あれはねえ、変わった味でねえ」「若い女性なら好きみたいですよ」「げっぷが何回もでちゃうのよ」などなどコメントをもらったけど、誰一人主体的に「美味しいから好き」と明言する人がいなかった。一番具体的な比喩をしてくれた人の言葉は「舌の上に、サロンパスを置いて、炭酸を流し込む感じですねー」。すげー。
●で、買って飲んでみたら。あ、確かにサロンパス!でも言われているほどヒドくはないじゃん!と息子ノマドと共に落ち着くも、その後がもう続かない。積極的に飲みたいと全然思えない。これを「飲み放題」にするってアピールは、誰もたくさん飲めないだろうという店側の自信の裏返しなのではないかと思ったわ。


●那覇は夜遅くまでニギヤカな観光都市だけど、名護の街は19時にはほぼ全部クローズしてしまう、という情報をタクシー運転手さんから聞いたので、早い時間に地元のお店から食糧を買ってテイクアウトする作戦に出た。ホテルの高額レストランを避けて、地元の味を目指す。

そこで、活用したのが、道の駅・許田。

IMG_3532.jpg

ブセナテラスは、那覇から名護まで沖縄を南北に縦断する高速道路「沖縄自動車道」の最後のインターチェンジ、許田(きょだ)の近くにある。そんでやはり沖縄を南北に貫く「国道58号線」もこのヘンを通っている。この道の駅・許田は、許田インター国道58号線の接点にあるようなトコロで、観光バスもよく立ち寄る場所だ。

IMG_3753.jpg IMG_3754.jpg

●そんで、この圧倒的な昭和テイストと、地に足着いた手作り地元テイストが、なんだか非常にナゴむ店で。買え買えと押し付けがましいお土産屋さんのプレッシャーが全くない。却って安心して買い物をしてしまう。観光客向けとは思えないオカズの数々を買ってきて、ホテルの部屋で食べる。

IMG_3759.jpg IMG_3788.jpg

●タクシーの運転手さんにおススメされたアレコレを買ってみる。左はスパム入りのオニギリ。卵焼き+カラシマヨネーズ味で美味しい!そしてややデカイ。沖縄はナニゲにソバも定食もステーキもジワリとボリューミー。もう一方は天ぷら。なんと一個50円。もずく天ぷらに、豆腐天ぷら、ソーセージ天ぷらにサカナ天ぷら。激安!と思ったけどこれでも観光客価格らしくてホントは30円でもいいらしい。サカナ天ぷらってなんのサカナなんですか?と聞いたら、聞いた事もない名前が返ってきて全然記憶できなかったけど、美味しい白身でした。フツウの天ぷらと微妙に違って衣がなんとなくアメリカンドッグみたいなんだけど…気のせい?あと、タコライス食べた!本来はココの食堂で食べるモンなのに、テイクアウトしたいというリクエストに躊躇なく対応してくれて、ささっとパッキングしてくれた。

それと、ココでは美ら海水族館の割引入場券が売られていた。
家族四人/大人2小人2セット、本来なら4920円のところ、3950円で売られてた。これデカイ気がする。その他にも近隣の沖縄テーマパーク、例えばナゴパイナップルパークや、沖縄フルーツランド、琉球村、今帰仁城跡までもが割り引きされてた。コレ、有名な話?ボクはココで察知してさっと水族館のチケット買っちゃったよ。


●今後、しばらくこの沖縄ネタでブログを書いてみようと思いますー。よろしくお願いします!