●ある日の下北沢。北口、駅前市場跡。

うさや2015年2月

●「うさや」がぽつん。


●最近読んだマンガ。

山口貴由「エクゾスカル零」8

山口貴由「エクゾスカル零」8巻。完結。
●このマンガ、作者の中で繰り広げられた、限界状況における「正義」を巡っての思考実験というか、激しい葛藤がそのまま、戦士の決死の格闘戦としてI繰り広げられていたのだなと、なんとなくボクの中で着地。シリキレトンボのようにも見える結末かもしれないが、作者自身が文章で綴ったあとがきには、渾身の力を込めて描いた達成感がある。連載開始は2010年。そこから東日本大震災、東アジア情勢の緊張関係、中東情勢とテロリズム、もはや日常となったソーシャルを舞台に荒れる喧々諤々の議論……。主人公が立脚すべき「正義」の概念がグラつく場面が社会の中で実際に起こった。その結果なのか、そのストイシズムで自らに苛烈な試練を課してきた主人公・葉隠覚悟(作者の代表作「覚悟のススメ」の主人公でもある)が研ぎ澄ましてきた「正義」を、敢えて新しい少年ヒーロー・御菩薩木紡に委託するかのように、引き渡していくことで物語は幕を閉じる。「正義」は多様化し、それぞれの戦士はそれぞれの立場で戦い続ける。ただ、「正義」とは別の概念として新ヒーローに象徴される「希望」という概念が生まれる。それがたとえ無根拠でも、人が人であるための支えになるなら、「正義」に比する規範になりうる。これが、作者の今のところの結論だろう。突っ込んで言わせてもらえば、今の中東に必要なのは「希望」。明日を安心して生きる保証。様々な政治勢力が様々な「正義」を振りかざして、為政者をコロコロと入れ替えてきた。結果がこの無政府状態だ。本来は「希望」になるはずの宗教を「正義」に結びつけて戦争や政治に利用するな。
●前作「シグルイ」から少年マンガとしてのユーモアやカタルシスから遠のいていた作家・山口だが、新連載「衛府の七忍」ではどのようなアプローチを見せてくれるのか楽しみだ。タイトルから予想するに、この作品の主人公は「エクゾスカル零」葉隠覚悟の強敵となった動地憐が主人公になるような気がする。覚悟とは思考回路が違うこの愛すべき巨漢は、新しい山口世界を切り開いてくれるかもしれない。

●あとは、「テラフォーマーズ」11巻、「シドニアの騎士」13巻も楽しんでる。
●マンガアプリの COMICO も興味深い。どこかでしっかり考えてこのブログに記録したい。


ネブラスカのエモバンド、CURSIVE。

CURSIVE「THE UGLY ORGAN」

CURSIVE「THE UGLY ORGAN」2003年
●先日の記事で、BRIGHT EYES = CONOR OBERST のことを書いて、彼の活動拠点であるネブラスカ州という土地が気になった。ネブラスカなんていっても、BRUCE SPRINGSTEEN の自宅収録弾き語りアルバム「NEBRASKA」1982年のこと以上のイメージが湧かない…あのアコースティック盤は昔よく聴いたけどね。あ、地理でいうとちょうどアメリカのど真ん中。かつてはここから西部のフロンティアですって境界線になってたと思う。
●そんで、BRIGHT EYES のコトを調べてて、このバンド CURSIVE の存在に突き当たった。BRIGHT EYES が契約してた SADDLE CREEK RECORDS ってのは、このネブラスカを拠点としてて、そもそもでいえば BRIGHT EYES の音源を出すために、彼の兄弟?の JUSTIN OBERST って人物と、プロデューサーでもありバンドメンバーでもある MIKE MOGIS が立ち上げたモノだった。ただ、その後はこのエリアのアーティストやバンドをザクザクとフックアップして、この田舎のシーンを盛り上げる存在になってる。今でも多くの所属アーティストを引き連れ、積極的にリリース活動をしてる。
●で、この CURSIVE。バンド名は「筆記体」って意味。地元においては BRIGHT EYES の先輩格に当たるバンドで、やはりこの SADDLE CREEK RECORDS から音源をリリースしてる。これが、すげえ直球にエモい。エモすぎる。1999年に現行メンバーが固定化し、2001年から女性チェロ奏者を正式メンバーに組み込んで、バンドとしては脂が乗ってきた時期。ぶっきらぼうな演奏にみえて緩急の揺さぶりが実にワザアリな構成、もちろんエモーショナルなボーカルが実に痛快。
●最後の曲「STAYING ALIVE」が10分越えの大曲。なんだかんだで圧殺され気味なチェロの響きが奥行きを作る。そしてジックリと時間をかけて高まっていくエモーション。やっぱ00年代ってエモの季節だったんだなー。単純なポップパンクやパワーポップには成し得ない、感情の押し引きの表現構成。それがエモの真骨頂だね。

CURSIVE「MAMA, IM SWOLLEN」

CURSIVE「MAMA, I'M SWOLLEN」2009年
●チェロ奏者はちょい前に脱退して、4ピースバンドとして活動してる時期のアルバム。Amazonで買って届いた瞬間、ジャケがカビてるぞ!と憤ったのだが、なんか元からそういうデザインみたいね。…内容はやはり、エモい。エモすぎる。雄々しいギターとボーカルが拒めない勢いでコチラの感情を高める。90年代グランジ/オルタナティブは80年代の整理され過ぎた産業ロックの反動で、ワザとバランスを崩した音質や音響でスカしたオフビートを演出し、ワザとカタルシスを避けてる気配があった。そこから見ると、90年代末から00年代にかけて支持を伸ばしていったエモというジャンルが、90年代の反動で真正面からカタルシスを掴み取ろうとした気持ちは、10年代も真ん中に差し掛かった今になってよくわかる…あ、ボク90年代育ちなんで、エモの最初期とかは「なんか甘っちょろいな」とか思ってたのですよ SONIC YOUTH とか聴きながらね。素直にキチンと聴けば、ストレートなロックで、元気が出るね。最後の曲がやっぱり少し長めで、ジリジリとボルテージを盛り上げていく構成。これが王道なのね。



●動画も入れといた。「続き」からどうぞ。
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資格試験の勉強がワリとピーク気味で。
息子娘に受験勉強をさせておいて、ボクはナニもしないでイイのか?とハタと思った1月から、前々からちょっと興味のあった国家資格の勉強を始めてしまった。バカだよねー仕事の役に立つかどうかといえば、ハッタリ以上の意味なんてないのに!
●実は試験本番は3月アタマ、もう二週間を切った。でも、ワリと勉強は順調。渋谷のジュンク堂で買ったテキスト3冊を予定通りのペースで全部解き終えた。きちんとアタマに知識を叩き込みたいので、ノートをじっくり作ったら3冊分になった。週末は WIFI フリーのカフェで検索しながら半日くらいお勉強。平日も早く上がれる日はスタバとかでお勉強。自分でもちょっとビックリしてる…こんなにちゃんとやれると思ってなかったから。グズグズに挫折して受験料をドブに捨てるか、と思ってた。
●毎日PCを小脇に仕事するボクが、そもそも鉛筆をこんなに真面目に握ったコト自体ホント久しぶり。娘のカワイイ電動鉛筆削りでチビていく鉛筆を見て、へー40歳過ぎても勉強って出来るんだなーと思った。付け焼き刃の法律知識をワイフ相手にひけらかしたりして「アナタ、なんかちょっと楽しそうよ?」とツッコまれたり。受験票もメールで届いたし、今度の土日は直前仕上げの準備。まーこれで受からなかったら身も蓋もないけど!


そんで、なにげに HULU ばっか見てる。
●アメリカやイギリスのドラマや映画やドキュメンタリーを見てる。日本のアニメもたっぷり見てる。Chromecast を買ってテレビの大画面で HULU 見られるようにしちゃったら、もう生活の中にシックリはまりすぎた。スマホがそのままリモコンになっちゃうので、次々とコンテンツを再生しちゃう。テレビの電源も音量もスマホでコントロール。仕事から家に帰って、そのまま仕事で使ってたスマホでコンテンツ再生!
●一方、ときどき普通のゴールデンタイムの地上波テレビを見ると「おお、なんか久しぶりでスゴイ!」と思ったりするほど。やっぱゴールデンのテレビはメジャー感あるなー、と思っちゃったりもする。編集のテンポが早いし、スーパーテロップの量が多いし、出演者が有名なタレントだし。なにしろ日本語を普通にしゃべってるし。

●そんで、HULUで最近見た映画やドラマたち。

「ぼくのエリ 200歳の少女」

「ぼくのエリ 200歳の少女」
凍えるような気持ちになるスウェーデン映画。寒く暗い北欧の冬は、ヴァンパイアには快適な季節なのか。金髪が綺麗ないじめられっ子の少年は、隣に引っ越してきた不思議な少女に恋をする。だが、彼女には秘密があった。彼女は人間の生き血を吸って長い寿命を生き延びるヴァンパイアだったのだ。12歳の純粋な感情が雪の結晶のように美しくて、そして脆くもあって。寒い夜に一人で見たい映画。

「TED」
ご存知、R15指定となった、テディベア映画。かまうもんか、息子娘にそのまま見せてやった。ヒヨコ、どう?オトナだった?「うん、ちょっぴりオトナだった〜」。やっぱヒヨコにはちと下品だったか。息子ノマドはニヤニヤ笑ってたけどね。
子供の頃に可愛がったヌイグルミとそのまま長く暮らせるって素敵なことだ。実を言うとボクの枕元には、ボクが1歳の誕生日にプレゼントされたスヌーピーのヌイグルミがある。ボクが今41歳なので、このスヌーピーは40歳だ。TED は下品なオッサンくまになったが、ボクのスヌーピーはクタビレすぎてて、ヒヨコからスヌージイって呼ばれてる。そんなヒヨコは現在無数のお人形さんに囲まれてて、一匹たりともお別れするつもりがない。幼稚と言われればその通りだけど、ヒヨコには子供の頃の感性を失って欲しくないって思ってる。

プレッパーズ ~世界滅亡に備える人々~

「プレッパーズ ~世界滅亡に備える人々~」
●骨太ドキュメンタリーで知られるナショナルジオグラフィックが、マジなのかボケなのか、恐ろしくアホなシリーズの番組を作ってる。「プレッパーズ(PREPPERS)」とは、世界的危機が迫った時に自分や家族が生き残れるよう日頃からオオゲサな準備をしている人たちだ。金融危機が起こって市場経済が崩壊する、核戦争が起こってミサイルの雨が降る、異常気象が起こって食料供給が枯渇する、ウイルス兵器のテロで社会秩序が崩壊する、未知の電磁波攻撃にさらされる、そんな滅亡的状況に対して大真面目に対策している人たちが、アメリカにはなんと数百万人という単位でいるという。そんな人たちの暮らしぶりを、ツッコミなしでひたすら紹介しまくる。シーズン1の第12話がそこまでの総集編になっているので、それだけでも見て欲しい。あまりの変人ぶりに大爆笑しつつも、こんな人たちがある意味珍しくないアメリカが不気味に見えてくる。
●核シェルターを作ってます、非常食を貯めてます、避難するためのキャンプワゴンを用意してます、その程度だったらかわいいもの。食料枯渇を生き延びるため我が家は昆虫食を普段から実践してますも笑って楽しめる。しかし、なぜか彼らは、自分たちの家族や財産を守る為、完全武装します、って方向にすぐ流れていくのだ。普通に見たらアナタテロリストですか?ってくらいの量の武器(ライフルやマシンガンですよ)を地下室に貯め込んで、射撃訓練に勤しんでいるのだ。我が家の土地に入ってくるヤツは殺す!…ちょっと変じゃないかな?助け合う前に、自分の領土保全が先か!東日本大震災みたいなホンモノの危機に直面した時、この人たち、どう振る舞うんだろう?むしろ社会の不安定要素になりかねない気がする。

ウォーキングデッド

「ウォーキング・デッド」
数多あるゾンビパニックシリーズの有名作。噛まれるとゾンビになります的な典型的ゾンビ感染症で全アメリカがゾンビ化した中でのサバイバルアクション。こういう社会崩壊を映画でもドラマでも描きまくってるから、殺気立つプレッパーが登場してきてしまう気がする。
●シーズン1を全部見たんですけど…。怖いのはゾンビよりも人間。今や少数派になった人間たちが都心を離れたキャンプで平和に暮らすための秩序を作るのだけど、結局腕っ節の強いヤツが主導権を握るって感じで、いかにも殺伐としてる。一見民主的で、議論もするし個人の意思も尊重される。さすが独立心はアメリカの美徳。でも、限界状況では、手っ取り早く鉄拳でモノ言わす!乱暴狼藉者が良識ある人々を暴力と脅迫でねじ伏せる場面があれば、正義の味方の主人公が乱暴狼藉者を暴力でコテンパンにノす場面もある。結局、全ては暴力が支配する。



なんだかワカランけど、苦い音楽を聴いている。BRIGHT EYES。

BRIGHT EYES「FEVER AND MIRRORS」

BRIGHT EYES「FEVER AND MIRRORS」2000年
せっかく買ったのにサッパリ聴いてないCDがたくさんある。もう腐るほど。数えたくないが100枚から200枚の中間くらい。いつか聴く時が来る、聴くに相応しいタイミングが来ると思って放っておいてるのだ。買った瞬間は、あーコレはお買い得な値段だー!今買っておかなければ!と思ってたりしてる。でも別に今は聴きたくない。そんな物件。おそらく普通の人にとってはキチガイ沙汰に見える行為だが、もうボクの中では当たり前になってしまった。
ただ、そんな屁理屈はタダの怠惰だと思ってるボクもいる。このCDたちをちゃんと聴いてあげなさい!とシリを叩くボクがいる。CDの山の前で、怠け者の悪魔と、勤勉な天使が、ガチャガチャ議論する。あー我ながらウザい。こんな葛藤を感じながら音楽聴くヤツなんていないだろう。
●で、今週は結局一番苦いトコロに手を突っ込んでみた。BRIGHT EYES というシンガーソングライター。実はコイツは永久に聴かない恐れがあった。まとめ買いで4枚も買ったのに、一枚を一回聴いて全然楽しめなかったので完全放置!そこから5年経ってる。ヤバイ。ここできちんと聴かないと一生聴かないぞ。今聴くしかない。

●この BRIGHT EYES ってのは基本的にはアメリカ・ネブラスカ州出身の男 CONOR OSBERST のソロユニット。途中からメンバー不定形のバンドに発展していくんだけど、この2000年段階ではまだソロの性質が強い…。で、これまた実にロウファイで…実に苦い。ニガすぎる。アコギをベースにヨレヨレと弾き語りをダラダラ続けていく感じ。トーンが重苦しいし、アレンジも地味。1995年に活動を始めてからずっと宅録ベースで制作してたから、このサードアルバムも手作り感満載でキツイ。歌詞の意味はワカンないけど多分無駄に暗い気がする。そのワリにはボーカルがヤカマシく聴こえたりと、実にバランスが悪い。ボクの主観では、90年代ロウファイは徹底的に粗末な環境から鳴らすDIY精神の発露だが、演奏だけでなく歌唱も脱力脱臼ボソボソしてバランスを取ってる美学でもある。演奏が脱臼してるのに喚いてたらグチャグチャだろ!聴いてるコッチがツライわ!ということで、このCDを5年前に一回聴いて挫折した。ダメだこりゃ。これは聴けないぞと。
●ただ、これを今回5回くらい聴き続けて、ヨレヨレな宅録テイストに微妙なアレンジの妙味があることを発見した。後にバンドメンバーになるプロデューサー MIKE MOGIS という男の仕掛けなのかな。メランコリックだけど牧歌的にも聴こえるオルガンやフルート、ぺダルスティール、マンドリンといった味付けが沁みてくる。その上で、うざく思てた CONOR のボーカルも、そのメロディが不思議なサイケフォークの気分を備えていることがウッスラと理解できてくる。アレンジもサイケ味だと思える。結びつけてみようと思えば、ちょうど同時代に盛り上がっていたジョージア州アセンズのバンド集団 ELEPAHNT 6 関連のサイケポップのシーンに近い感覚とも言える。ちなみに、PITCHFOLK は00年代の重要作200枚にコイツを挙げてるらしい。

BRIGHT EYES「LIFTED OR THE STORY IS IN THE SOIL KEEP YOUR EAR TO THE GROUND」

BRIGHT EYES「LIFTED OR THE STORY IS IN THE SOIL, KEEP YOUR EAR TO THE GROUND」2002年
●長いタイトル…。なんだかプログレッシヴなコンセプトアルバムみたいな気配が漂ってるかと思ったが、別にそういうわけでもないようだ。一曲目からビターなロウファイフォーク炸裂で一瞬ゲンナリするが、アルバム全体をきちんと見渡すと実にバラエティ感たっぷりの多彩なアプローチに驚く。寡黙で暗いフォークから、明るいメロディのギターポップ、そして純正カントリー、ストリングスアレンジが分厚いチェンバーロック風もある。貧弱な宅録感はまだ拭い去ることはできないが、バンド感覚が徐々に強調されている。一瞬一瞬で垣間見えるダイナミズムは、この時期に隆盛を極めていたエモシーンにもつながるものがある。ボーカルのバタくさい絶唱テイストは、エモ由来か!
●そもそもでいうと、早熟少年だった BRIGHT EYES こと CONOR OSBERST11歳で音楽制作を始め、13歳で自主制作カセットで最初のアルバムを作ってる。15歳でバンドを結成して16歳で7インチシングルを発表BRIGHT EYES 名義の活動は15歳の時に始めてて、前述「FEVER AND MIRRORS」の制作時は19歳。このアルバムの時だって21歳だ。そんな彼は実際に90年代ロウファイ、例えば PAVEMENT のようなバンドに憧れてたらしいが、徐々に60〜70年代のシンガーソングライター、JACKSON BROWNE や PAUL SIMON のようなアーティストをロールモデルにするようになったらしい。結果、このアルバムは全国区の注目を浴びて、商業的にも成功。影の功労者であるプロデューサー MIKE MOGIS は地元ネブラスカのシーンの先輩らしいのだが、この後もずっと BRIGHT EYES の音楽に関わり続けていく。

BRIGHT EYES「DIGITAL ASH IN A DIGITAL URN」

BRIGHT EYES「DIGITAL ASH IN A DIGITAL URN」2005年
この年の BRIGHT EYES は二枚のアルバムを同時リリースという大仕掛けを打った。一枚は真性フォークスタイル「I'M WIDE AWAKE, IT'S MORNING」…多分こっちが正統派なんだけどボクはチェックしてない。そんでもう一枚が打ち込み大胆導入スタイルを採用したこのアルバム。「DIGITAL ASH IN A DIGITAL URN」というほどのタイトルでデジタル推しはわかるが「デジタル骨壷の中のデジタルな灰」という意味から、まーこの手のアプローチに前向きじゃないってコトがウッスラかつシッカリ伝わる。
●しかし実際びっくりするほどの打ち込みリズム&シンセのアトモスフィアの大胆導入でまるで別のバンドみたいだ。メロディもクッキリとしたリズムの上でハッキリしてポップスとして分かりやすくなった。同時代のポストロックのアプローチをイメージに直結していく音楽だ。シンセを導入してのサイケ風味はより効果を増してキャッチーですらある。イロイロな意味でほんとスッキリ。シングル曲「TAKE IT EASY (LOVE IS NOTHING)」なんて往年の NEW ORDER DEPESCH MODE かと思わせるほどの可憐なエレポップになっている。80年代風パワーポップも仕込んであるよ。エレポップ化から一歩戻ったスタンスでも、十分にバランスの取れたバンドサウンドになってくれているので圧倒的に聴きやすい(あくまでBRIGHT EYES の水準だからね…普通のバンドの水準じゃないから)。

BRIGHT EYES「CASSADAGA」

BRIGHT EYES「CASSADAGA」2007年
正式にバンドメンバーとして MIKE MOGISNATE WALCOTT が加入してのアルバム。一気にポップ度が増して、いわゆるインディロックになった。つーか、エモだ。広義に捉えてのエモだ。十分にエモーショナルだ。ボーカルにはヤケクソで性急な絶叫がなくなって、落ち着きが備わった。雄弁なバンドサウンドに安定感が生まれ、丁寧に計算されたオーケストラアレンジやチェンバーロックなアレンジ、ピアノ、バイオリンが楽曲に奥行きを作っている。カントリーソングの趣きもドッシリしていて貫禄たっぷり。ここまでくると、今までの苦味もひっくるめて、コクのあるイイ味わいに聴こえてくる。
ソロプロジェクトだった閉塞感が、仲間で作るチームワークに切り替わったためか(その傾向は以前から見えてきて徐々に大きくなっていったのが正確な見方だと思うが)、ゲストも大勢呼んでの活発な交流がよい効果を生んでいる。日系の女性シンガーソングライター RACHEL YAMAGATA が6曲でボーカル参加。同郷の先輩バンド CURSIVE のフロントマン TED STEVENS もボーカル参加。TORTOISE の頭脳 JOHN MCENTIRE も数曲に参加。毎回大勢のミュージシャンが関わってアルバムは作られてきたが、今回は新しいバンドメンバーやゲストとのドップリとした絡み合いが目立つ。それがアルバムにふくよかさをもたらしている。幸せな気分になれる一枚だ。


●動画は、続きを読む、から。
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●ナイロンのダウンジャケットとバックパックが擦れて静電気が起こると。
●それがポケットの中にある iPod 経由でヘッドホンまで伝わり耳の中でパリパリする。
これがけっこう痛い。
●早く来い。春。


●今日は JAMES BLUNT を聴いている。またしてもシンガーソングライターものだ。

JAMES BLUNT「ALL THE LOST SOULS」

JAMES BLUNT「ALL THE LOST SOULS」2007年
●先日のブログ記事では、ELLIOTT SMITH を取り上げた…同じシンガーソングライターってだけで、この JAMES BLUNT とは縁がないと思ってた。ELLIOTT が自殺したのは2003年で、JAMES がデビューしたのは2004年だ。時代もカブってない。ELLIOTT はアメリカ人で、JAMES はイギリス人。楽曲のスタイルも違う。甘い高音でドラマチックなメロディを躍動感あふれるアレンジで伝える JAMES の方が圧倒的にポップだ。ELLIOTT の音楽は冷えた場所で自分を見つめるような気分にさせるが、JAMES の音楽は温かい場所で誰か大切な人を想うような気持ちにさせる。これは優劣の問題ではなく、作家がどこを目指しているか、という問題ってだけなんだけどね。
ただ、二人のシンガーの間には、薄ーい縁があった。プロデューサーが同一人物だったのだ。ELLIOTT のパートナーをいくつかのアルバムで手がけた TOM ROTHROCK が、JAMES のブレイク作「BACK TO BEDRUM」2004年とこのセカンドアルバムでプロデューサーを務めていたTOM ROTHROCK BECK の大ブレイクシングル「LOSER」とアルバム「MELLOW GOLD」に関わり、そして ELLIOTT SMITH との仕事で名を挙げた人物。そして次に長く支えていくアーティストに選んだのが JAMES BLUNT というわけだ。一枚目、二枚目に関わり、そして四枚目にも関わっている。その他にも FOO FIGHTERS、BADLY DROWN BOY、ATHLETE、GWEN STEFANI などなど英米の区別なく多くのアーティストを仕事をして、映画音楽も手がけたりしてる。

●さて、JAMES BLUNT。ファースト「BACK TO BEDRUM」傑作すぎて、もう聴く気がなくなるほどだった。あの一枚目に収録されてた「YOU'RE BEAUTIFUL」「HIGH」も傑作すぎたし、CMとかでもかかりまくったし、もうオナカイッパイだった。で、関心も失せたってわけだが、それはボクだけじゃなかったみたい。本国でもヒットしすぎてむしろバッシングまであったっぽい。彼は軍人一家に生まれて自分も兵役に就いている。コソボ紛争NATO軍として関わったりして、その後の2002年に除隊してから本格的に音楽活動を開始した。そんであっという間の大ブレイク。素晴らしい才能の成果だけど、一番面食らったのはきっと本人自身だろう。バッシングされるまでのブレイクぶりってどんなもんだよって。
●で、このセカンドを作るのに3年の時間をかけている。しばらく地中海のイビザ島にたった一人こもって曲作りをしてたりもしたらしい。そうやって世間の喧騒を回避して、自分のペースを取り戻す。それが彼のやり方だった。結果ここで鳴っている音楽は、実直なバラードポップスだよ。「SAME MISTAKE」とか「CARRY YOU HOME」とか。「I REALLY WANT YOU」も抑制されたトーンに込めた感情の昂りを表現した、実に技アリな楽曲だと思う。丁寧に聴くと味が滲み出るというところか。ELLIOTT SMITH の時に引き合いに出した映画「ONCE ダブリンの街角で」に登場した路上シンガーは、JAMES BLUNT の音楽の方に近い気がするな。

JAMES BLUNT「SOME KIND OF TROUBLE」

JAMES BLUNT「SOME KIND OF TROUBLE」2007年
●またまた前作から3年明けての3枚目。一旦 TOM ROTHROCK から離れて外部プロデューサーを複数入れた結果、バラエティ感あふれるスタイルになった。打ち込みビートやシンセアレンジまでが導入されてる。「DANGEROUS」のスムースなベースワークとスコパコ鳴るリズムボックスが意外な不意打ちになる。ただあくまで味付け程度のサジ加減で。結局はファルセットが印象的な美メロが明るい、地に足がついてる落ち着いたポップス。「SO FAR GONE」のキラキラなピアノポップスぶりとか、前向きなファルセットのサビが印象的な「SUPERSTAR」とか、好きになれる曲がある。

●しかし、ぶっちゃけこの二枚には、ファーストアルバムのメガヒット「YOU'RE BEAUTIFUL」「HIGH」ほどのイイ曲はなかった。コレって、アーティストさんにとっては、ツライね。過去の自分が最大のライバルだなんて。

DANIEL POWTER「UNDER THE RADER」

DANIEL POWTER「UNDER THE RADER」2008年
●こちらはカナダ人のシンガーソングライター。音楽の気分、世代、登場のタイミングが、なんとなく JAMES BLUNT とかぶる存在。彼はピアノマンだが、ファルセットを駆使したポップスの感覚が JAMES と同質。生まれた年も彼が1971年、JAMES が1974年、ボクが1973年と、同世代の親近感を感じてしまう。そんで、JAMES にちょっぴり遅れた2005年のシングル「BAD DAY」が世界中でじわじわヒット。2006年のファーストアルバム「DANIEL POWTER」でブレイクするってのも JAMES と似たパターン。そんで、このタイミングの大ヒットで「一発屋」のイメージがついてしまう。それもやや JAMES と同じ境遇ですわな。
●で、この人も売れないミュージシャンから一躍世界中を連れ回される身分への立場激変にコンガラがり、アルコールとドラッグで身を持ち崩しそうになる。もう一曲も書けないよーみたいな状況に追い込まれる。そこをこのセカンドアルバムのプロデューサーとなる LINDA PERRY に激励されて復活。彼女は 4 NON BLONDES という90年代バンドの女性フロントマン。ちなみにミキサーは TCHAD BLAKE。そんで前作のプロデューサーは MITCHELL FROOM だったそうな。彼らは2人組で動いたりもするクセモノコンビなのでちょっと注目。
●ピアノ基調にストリングスアレンジ、そしてこれは LINDA PERRY の影響だろうか? 4 NON BLONDES 風の爽やかなギターが彩りを添えている。気持ちよくて聴き心地もいいよ。でも…それだけかな。ボーナストラックで大ヒット曲「BAD DAY」のフランスでのライブが収録されてる。でもそれを聴いてもピンとこなかった。「BAD DAY」は確かに世界的にヒットしたけど、そんで日本でもヒットしたけど、残念、ボク自身にはヒットしてなかった。
●その後の彼は、欧米のメジャー契約がなくなって日本のエイベックスと契約。最近では MAY J. のフィーチャリングをやったり、L'Arc-en-Ciel のトリビュートアルバムに参加したりしてる。「BIG IN JAPAN(日本でだけ有名)」という言葉があるが、日本だけだけどソコでも有名でもない、って境遇になっちゃったみたいね。


●動画はこっから続きの中に。
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●娘ヒヨコが、タブレットで「MINECRAFT」夢中でやってたら、ぐるぐるまわる世界に酔ってしまって気持ち悪くなってる。コタツでグッタリ。

●イスラム教の本を読みすぎて、ちょっとシンドくなってきた。情報をいっぺんに吸い込みすぎてパンク気味。
●だから、バレンタインでいただいたチョコを、紅茶と一緒に食べてブログ書いてる。ちょっと息抜き。


「HULU」で最近観た映画。

「ONCE ダブリンの街角で」

「ONCE ダブリンの街角で」2007年公開
●ある人に勧められて観てみた…特に期待もしてなかった映画だったよ…だって一目でわかる低予算映画。粗末なカメラの手ブレ感と、フィルムのシックな質感とは別質のアナログテレビっぽい安い感じが、もう最初っからプンプン臭ってたんだもの。で、売れないストリート・ミュージシャンが虚しく路上で歌ってて。で、投げ銭を受けてたギターケースをいきなりひったくられたりして。しょぼい。
●と思ってたのだけど、このしょぼさが、いつしか愛着に変わる。人生を踏み誤った感タップリのギターマンが、人生ギクシャクさせてチェコからダブリンまで移民してきた女の子と出会う。路上での、他愛もない出会い。地味なダメ男と田舎っぽい少女の出会い。そんな二人が一緒に楽器を弾くとき奇跡が起こる。色めくハーモニーと歌心。音楽で結びついた二人は、ちゃんとしたデモテープを作るために奮闘する。

●実は遠目に見れば、たまたま出会った男女の数日のヤリトリを、ビデオで撮りっぱなしにしただけの話。お互いに好意を寄せつつも結局はくっつかない二人の関係も、地味なダメ男のリアリズムとして着地感タップリ。でも、音楽の力が、彼らの数日を貴重な時間にしていく。たった数日のヤリトリだけで、一生の思い出になるような出会いになっていく。付き合いの深さや時間の積み重ねじゃない。永遠に忘れられない出会いと交流は、数日で十分。そんな経験にボクはなんとなく身に覚えがある。別に深く言葉を交わしたわけでもない人物との出会いが、ジワジワと沁みてて、ふと脳裏によみがえる。きっと相手にとっては一瞬で忘れてしまうような出来事なんだけど、ボクにとっては大事だったよ、って感じの経験がね。ムサいダメ男オーラにも親近感。しかもそのダメ男が、その報われなさに、ちょっと慣れちゃってるところにも共感。ドラマチックなトコまで行く必要はないのさ、なにかが心にカスッただけでも十分なのさってね。
ただ、彼の歌う歌は見事だった。基本的にギター一本勝負なのに、決めどころのサビでは十分なエモーションが響いてくる。歌う彼は雄弁で、素直で、ロマンチックだ。ゆっくり聴きたいと思うほどだった。で映画を観終わってエンドクレジットを見てたら、この楽曲のほとんどが、主演俳優さん自身の作詞作曲作品だった!役者さんの名前はグレン・ハンザード。本職の俳優ではなくて、プロのミュージシャンだった。監督のジョン・カーニーとはバンドメイトで楽曲提供を頼まれていたけど出演するつもりはなかった。なのに、俳優が決まらないという理由で引っ張り出されてしまったそうな。チェコ移民の少女役のマルケタ・イルグロヴァもミュージシャンで演技経験はゼロ、映画公開時はまだ二十歳前だったそうな。そうか、滲み出てた素朴な空気はアマチュアの気配だったんだ。リアリズムだ。音楽は、アレンジこそ素朴だったが本物だったよ。アコギ一本でもこんなに雄弁になれる。それを久しぶりに感じた。そのうちこの映画のサントラをゲットしようかな。



だから、今週の通勤BGMは、ELLIOTT SMITH にしてみた。

ELLIOTT SMITH「FROM A BASEMENT ON THE HILL」

ELLIOTT SMITH「FROM A BASEMENT ON THE HILL」2004年
素朴なスタイルのシンガーソングライターがいないかなーと iPod を探って彼の音楽を見つけた。CDを買ったのは7〜8年も前なのに、実はほどんど聴いてなかったよ。この頃はもっと派手な音楽に目移りしてたから…予想以上に彼の音楽が地味だったってのもあったし。でも今は彼の地味な音楽が心に沁みるんだ。音楽は聴くべきタイミングってのがある。ボクの中のチューニングがそのアーティストにハマるまで、数年時間がかかるなんてのは、実はボクの中では日常茶飯事。だから聴いたことのないCDを平気で100枚単位で積み重ねてられるんだ。
●このCDの一曲目「COAST TO COAST」が、90年代風のザラついたロウファイフォークのように聴こえるんだ。そのザラつきの中で、センチメンタルで繊細な ELLIOTT の声がクシャクシャと揉まれながら、でも確実に可憐、そしてとってもチャーミングでポップ(時に THE BEATLES 風な感じ)なメロディを正確になぞって響いている。ぶっきらぼうなギターもザックリ録音されたバンドサウンドも、グランジロックという退廃を通過してきた90年代のスタイル。ただ、そのグランジの飾らない等身大の佇まいは、美学としてボクの人生に深く影響している。10代に受けた影響はやっぱ一生モンだわ。何事も器用にヤリ切れない根性不足も、それでもしないよりはマシという開き直りも、できる範囲では目一杯やるけどできない範囲はダメだこりゃな意気地ナシっぷりも、完全に現在のボクのライフスタイルに沁み付いている。ELLIOTT の人生も音楽もそういう性質のものだったにちがいない。特別ルックスがよいわけでもない、生い立ちもなかなかに複雑だ、仲間とうまくやれないからバンドも抜けた、でも次から次へと湧き上がる美メロは抑えることができなかったんだろう。続くどの曲も、ザラつきと美メロの幸せな邂逅が甘美。そして、どこかの部分で常に、もの悲しい気分が漂っている。
実はこのアルバムの制作途中で、ELLIOTT SMITH は自殺してしまった。そして残された人々によって仕上げられたモノなのだ。アルコールやドラッグ、そしてうつ病などのメンタルヘルスにキャリアのほどんとで苦しんでいた彼は、一時期快方に向かうとみられていたが、ある日突然ナイフを自分の胸に突き立ててしまった。最終的なプロデュース/ミックスに彼は天国からケチをつけるかもしれない。ただ、その自殺の現実があったとしても、彼が現実社会と折り合いのつかない何かを抱えて苦しんでいたとしても、遺されたこの音楽から響く90年代的センチメンタリズムがボク自身の過去の甘酸っぱさと共振していく時、ボクの心には淡い気持ちが波紋のように沸き起こる。

ELLIOTT SMITH「ROMAN CANDLE」

ELLIOTT SMITH「ROMAN CANDLE」1994年
●そこで ELLIOTT SMITH の最初期の音源に立ち戻ってみる。いやいやすげーな、ボクは ELLIOTT SMITH のオリジナルアルバム全部持ってるのに、これとか初めて聴くわ。封も切ってなかった。自分でびっくりするわ。
で、これが実に貧弱で。自作自演自己プロデュース。全楽器自分演奏。マジで一人で作ってます。まさしくロウファイフォーク。本人もまさかこれがそのままアルバムになるのかよ?と思ってたかもしれない…だって収録曲9曲のうち、4曲はタイトルもないんだよ。完全にデモ音源気分じゃん。でも持ち込みを受けたレーベル CAVITY SEARCH RECORDS はホントにこれをリリースしちゃった。当時25歳だった彼は直前までバンド活動をしてたんだけど、ドカドカうるさいロックバンドは自分に向かないと思って転向したみたい。とはいえグランジ全盛/轟音ギター大流行のこの時期に(KURT COBAIN 自殺の年だな)、アコギ一本勝負は勝ち目があるとは思えない。
ただ、今聴けば、その貧弱さが愛らしい。深い夜に、小さな音で静かに聴けば、心が綺麗に静まっていくのが分かる。

ELLIOTT SMITH「ELLIOTT SMITH」

ELLIOTT SMITH「ELLIOTT SMITH」1995年
●後の自殺の話を聞いてしまうと、これが飛び降りなのか?はたまた別世界への飛翔なのか?ジャケに漂うイメージが様々な勘ぐりを誘う。オルタナ時代の重要インディ KILL ROCK STARS からのリリース。シアトルの近所オリンピアとオレゴン州ポートランドを拠点としてたレーベルだ。女性が雄弁にロックするライオットガール・ムーブメントの中核を担った BIKINI KILL SLEATER-KINNEY のようなバンドがいたって印象。そんな純度の高いパンク・アティチュードが、これまた純度の高い ELLIOTT の音楽に注目したのは偶然じゃあるまい。
●シングルにもなった一曲目「NEEDLE IN THE HAY」がアコースティックながらもオルタナティヴロックの一本気な根性を漂わせている。でも、基本は奥ゆかしいインディフォーク。音質はファーストよりもよくなっているが、相変わらず DO IT YOURSELF な自作自演楽器もほぼ全部自分の自己プロデュース。基本はアコギ一本だが、貧弱なオルガンが入ってる曲「COMING UP ROSES」がワリとナイスなアクセントになってるし、バンド時代の友人がギターを加えてる曲もある。
●なにやらドラッグに言及する歌詞もいくつかあるようで。カスレてしまいそうなか細い声は繊細で可憐だが、基本は暗いトーン。しかし、別に明るく振る舞う必要もない。コッチだって明るく元気になりたいと思って、音楽を聴いているわけじゃない。自分の冷たい感情を見つめるには、このヒンヤリとした孤独感が丁度いい。

ELLIOTT SMITH「EITHER:OR」

ELLIOTT SMITH「EITHER/OR」1997年
●前作に続き、KILL ROCK STARS からのリリース。しかし外部プロデューサーが参加してる。ELLIOTT 本人と連名扱いで、ROB SCHNAPF と TOM ROTHROCK という男たちが加わった。こいつら、BECK の出世作「LOSER」をプロデュースした連中。つまりロウファイの体質を ELLIOTT と共有できる感覚の持ち主なのだ。結果として ELLIOTT の繊細な持ち味を損なうことなく、アレンジ面での豊かさを徐々に足していく役割を果たしていく。彼らは ELLIOTT が自殺するまで彼の作品にプロデューサーとして関わり、ROB SCHNAPF に至っては本人死後のアルバム「FROM A BASEMENT ON THE HILL」を完成させる仕事まで担っている。この作品ではまだ本格的な分厚いアレンジはこの作品じゃ行われてないが、ドラムがキチンと機能するバンドアレンジ風楽曲が増えてる。「CUPID'S TRICK」とか「ROSE PARADE」とか「BALLAD OF BIG NOTHING」とか。
●でも、このころから ELLIOTT は酒量が増えてアルコール中毒気味になっていく。そして抗うつ剤も飲み始めた。うつ病とアルコールって最悪のマッチングなんだけどね。うつ病経験者のボクとしては、このメランコリー漂う音楽たちの放つ脆さに、微妙に共感してしまうよ。

ELLIOTT SMITH「XO」

ELLIOTT SMITH「XO」1998年
前作から今作にかけて ELLIOTT の周辺は大きく変わる。シングルでリリースした「MISS MISERY」という曲が映画「グッドウィルハンティング」で使われて、1998年のアカデミー賞でベストオリジナルソング賞にノミネート。授賞式でオーケストラと一緒にプレイ。これがキッカケでメジャー契約も決まり、活動拠点もポートランドからニューヨークに移動。このアルバムは彼の生前においてはこのアルバムが最大のセールスを達成することにもなる。見事ブレイクを果たすのだ。まーオスカーの経験は彼にとってはシュールすぎてよくワカランかったみたいだったけど。
●メジャーということで、もちろん制作予算もデカくなったので、アレンジもストリングスやホーン隊を導入。バンドアレンジの楽曲が増える。本人も多彩な楽器を駆使。ピアノやマンドリンなどなども目立つ。ワルツの三拍子の曲なんかもやったりしてて。それが「WALTZ #2 (XO)」。爽やかな曲もある。「BLED WHITE」とか「BABY BRITAIN」とか「BOTTLE UP AND EXPLODE !」とか。タフなギターロック「AMITY」や、ホーンがアクセントの「A QUESTION MARK」も新路線。「I DIDN'T UNDERSTAND」のハーモニーワークには、彼が少年時代から聴き馴染んでいた THE BEATLES の気分すら漂う。
●しかし、相変わらず全体的なトーンはメランコリックなまま。それどころか、完全にメンタルをコジラせた彼は度々自殺をほのめかすようになる。実際に未遂までやらかしてしまった…崖から飛び降りたのだ…途中で木に引っかかってケガで済んだけど。ポートランドの旧友たちは自殺を思いとどまらせるよう彼を説得するのに苦労したよう。

ELLIOTT SMITH「FIGURE 8」

ELLIOTT SMITH「FIGURE 8」2000年
メジャーで二枚目、そして彼の存命中最後の作品。アレンジが多彩で、バンドサウンドがキラキラした印象を放つ快作。相変わらずほとんどの楽器を自分で演奏しているが、ピアノやギターが弾むバンドアレンジは実に凛々しいパワーポップになっている。THE BEATLES っぽさも今回もちゃんと香っている。今回はあの ABBY ROAD STUDIO でも録音をしたそうな…そんな縁も影響しているのか。ボーカルの繊細さは従来通りだが、メロディに強い生命力が宿っていて、明るさがある。一連の彼の作品としては、珍しいほどの明るさとたくましさ。バラエティ豊富なアイディアが多面的で様々な表情が見える。「SON OF SAM」「L.A.」のパワーポップぶり。ピアノとハーモニーが可憐な「EVERYTHING MEANS NOTHING TO ME」。ギターとストリングス、そしてボーカルハーモニーが力強い「EASY WAY OUT」。聴きどころが多すぎる。メランコリックな彼の今までの音楽と比べると、ちょっと戸惑うほど。でも、これがそのまま彼の成長となってくれたなら…どれだけよかったことか。
しかし、この作品以降の彼はメチャメチャになっていく。これに続く作品制作は難航。うつ病がひどくなり、ドラッグやアルコールへの過剰な依存もエスカレート。そんなだから ROB SCHNAPFJON BRION との共同作業が破綻。こと、JON BRION との友情の決裂は彼をひどく傷つけたようで、そのセッションの音源を全部廃棄してしまったほど。ライブをやっても最悪で、曲も覚えてない、ギターもまともに弾けないという体たらく。友人 THE FLAMING LIPS のコンサートでモメてブタ箱で一晩過ごしたり。それでもビバリーヒルズのリハビリ施設に入ってなんとかクスリを抜いたりとかして、復帰を目指していた。でも。2003年に彼は自分で命を絶つ。

ELLIOTT SMITH「NEW MOON」

ELLIOTT SMITH「NEW MOON」2007年
ELLIOTT の死後に編まれた未発表音源集2枚組。ポートランドを拠点にしてたインディ KILL ROCK STARS 時代、アルバムで言えば「ELLIOTT SMITH」〜「EITHER/OR」の頃で、1995〜1997年の録音が中心。真摯な気持ちが伝わるアコギ一本勝負の数々。ブレイクのきっかけになった「MISS MISERY」の初期バージョンも収録されてる…でも他の曲のキラメキに比べると地味に感じるほどだ。それだけ、純粋で可憐な楽曲がたくさんあるっていうこと。どれもが手触り感たっぷりな素朴なアコギアレンジ。暗い印象は否めないが、そんな感情から目を背けない真っ直ぐさが伝わって来る。



●苦手意識があった、ELLIOTT SMITH が楽しめてよかった。彼が今なお生きてて活躍してたらなおのことよかったんだけどね。

●動画もつけておくね。続きをみる、でみてください。
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今年に入ってから、イスラム教に関係する大きなニュースが沢山あり過ぎた。
●いわずもがな、ISIS(ISLE?「イスラム国」?)の、日本人人質殺害事件。交渉仲介を担ってくれたヨルダンの、同じく ISIS に拘束されていた若いパイロットも殺されてしまった。悲しかった。様々な国、大勢の人が関わり、ISIS 側も条件を変更してきた。湯川さんは早くに殺されてしまったが、後藤さんだけでも生還できれば…。甘いと指摘されても仕方がないが、なんらかの交渉が成立すればテロリストといえど言葉が通じる相手だと思える。そこに希望があると考えていた。だが彼らは交渉ができる相手ではなかった。「同じ人間、話せば分かる」という淡い期待がブツリと絶たれた。その時、ボクは深く悲しい気持ちになってしまった。「話せば分かる」が1ミリも通じないのでは、本当に最後まで殺し合うしか解決の手段がないではないか。報復の連鎖を無限に続けるしかないではないか。ショックを受けてしまった。深く落ち込んでしまったのだ。

別の意味では ISIS が巧みにソーシャルメディアを駆使していることも気になった。
twitter や YouTube で声明を発信し、全世界に公開する。日本のユーザーが ISIS 関係者に彼らの動画を小バカにしたコラージュ画像を大量にぶち込んだのも、あまりに現代的なコミュニケーションとして興味深いと思った。テロリストが全世界にプロパガンダすることは実にスゴイが、同時に日本の一般ユーザーがそのテロリストを直接的に挑発することができるという状況もスゴイ。
ISIS のプロパガンダは巧妙だ。ボクは湯川遥菜さんや後藤健二さんの動画は見ていない。しかし米 FOX が自社ニュースサイトで再掲したヨルダン軍パイロットのカサースベさん焼殺映像は見た。この内容に唖然とする。22分の動画。白昼の砂漠に後藤さんたちをひざまずかせてナイフの男が偉そうに演説をするようなものではない。まるでゲームやSF映画のような凝った編集が施されているのだ。一体ここまで映画仕立てにして、何を狙っているのか。
カサースベさん自身が、ボクにはわからない言葉で(アラビア語?)ずっと何かをしゃべっている。オレンジの服は一緒だが、黒いスタジオに座ったカサースベさんの様子を数台のカメラをスイッチングして収録。その周辺にはゲーム画面のようなデザインのCGが配置されている。時には映画「マトリックス」のようにカサースベさん自体をCG加工して場面切り替えをしたり、Google Earth から拝借したような空撮写真や欧米〜中東諸国の国旗をカッコよく散りばめてクールなプレゼンテーションにしている。中には、おそらく ISIS への空爆作戦に巻き込まれた人々という意味なのだろう、大怪我をした人々の写真や幼い子供達の遺体の写真もでてくる。
そして最後は、痛ましい場面が。砂漠カモの兵装にベージュの覆面といかついライフルを持った兵士たちが見守る中、カサースベさんがフラフラと廃墟の中の広場に歩み出てくる。不安げな表情。そして檻の中に。オレンジの囚人服はガソリンで濡れている。トーチに火をつけた兵士が、地面に炎を近づけるとたちまちその火は導火線のようなものから檻に伝わる。一瞬にして大火に覆われる檻と、カサースベさん。2メートル四方の檻の中で中央に立っていた彼はたちまち炎に包まれて…両腕で頭を抱えるような動きをして後方によろめくも、もはや表情も見えないほどの猛火。苦しみの中でヨロヨロと膝を折り、檻をぎゅっと掴む。まだ意識があるのか?この苦しみを味わっているのか?…そこまでしてとうとう彼の体の動きが止まる。しかし絶命しても炎は止まらない。真っ黒に焦げた彼の顔からポロポロと何かが落ちる。肉片が焦げてはげ落ちていく。絶命したはずの彼の体がまた動き出す。うずくまった彼の体が、焼かれることでえびぞりに反り返るのだ。反り返った遺体が仰向けに倒れた瞬間、ブルドーザーがコンクリートの瓦礫を檻の上に浴びせて全てを押しつぶしてしまう。なんと陰惨な動画だろう。
●しかし、どうしても、これは映画の一シーンではないか?と思えてしまう。どこかの映画で見たことがある既視感。あそこで火だるまになった男性は、万全な耐火対策を準備したスタントマンなのではないか?そんな錯覚に陥る。できれば、そうであってほしい。そんな錯覚も、炭のように焦げた遺体のアップで消え去るのだが。

一方、フランスでは風刺マンガがキッカケとなってテロが起こる。
●今年1月、週刊紙「シャルリーエブド」編集部がテロリストに襲撃され12人が殺された。編集者やマンガ作家だけではない、一緒に殺された警察官はイスラム教徒だった。この事件の二日後は関連事件としてパリのユダヤ食品店で人質立てこもり事件も発生、犯人は特殊部隊に射殺されたが、人質のうちの4人が殺害されていた。こちらの犯人は前日に警官一人を射殺している。「シャルリーエブド」の犯人もドゴール空港の近くの印刷会社に立てこもるも特殊部隊に射殺される。この事件を受けて「言論の自由」を掲げる巨大デモがフランス全土で展開。1968年5月革命以来のデモといわれ、370万人が参加したと言われている。欧州各国の首脳も参加。ちなみに、フランスは西欧諸国で最大のムスリム人口を抱える国で、人口の7.5%がイスラム教徒という調査もある。



現代のイスラム教とは一体なんなのか? リアリティがつかめていない。
●もちろん、今回の一連の事件を引き起こしているのは、すべてテロリストだ。暴力や殺人で主張を押し通す行為は許されない。彼らはイスラム教徒ではあるが、一般のイスラム教徒の人々と同じであるはずがない。しかし、ボクの中に、その一般のイスラム教徒の人々のイメージがない。平和を望み、普通の生活を暮らすムスリムの人々。書籍では、歴史や政治は読めても生活は見えてこない。

●そこで、なにかのヒントにならないかと思って。
代々木上原にある、イスラム教の礼拝堂、東京ジャーミイを訪れてみたのだ。娘ヒヨコと二人で。

東京ジャーミー

「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」。東京都渋谷区大山町1-19。
毎週末土日は、14時30分の礼拝の時間に合わせて訪れると、日本語でアレコレのガイドで解説を聞くことができる。見学は無料だし、大勢でなければ予約も必要ない。2階が礼拝堂だが1階は「トルコ文化センター」という位置付けでトルコの物産やイスラム教関連の書籍などが売られている。イスラム教徒の人々にとっては信者同士の社交の場、という雰囲気もあるようだ。小田急線からそのユニークなドームや尖塔が見えるので前から気になってはいたけど、実際に中に入るのは初めて。
●そんなに見学者もいないだろうと思ったら、一階ロビーにはなんと30人も集まって。レポートを書く学生さんから観光見物な年配女性まで。親子連れも珍しくはなかった。で、ガイドを務めてくれたのは日本人ムスリムの初老の男性。朗々とした声がよく響く。「学生の頃にアフリカに行ってイスラムと出会いまして。30歳の頃に入信しました。今はここで出版活動や取材受付をしてイスラム教への理解を広める仕事をしています」

ジャーミー見学ツアー

●中央左の黒縁メガネの男性がガイドさん。情熱込めてイスラムの魅力を伝えてくれました。

さて、ここ代々木上原にモスクがある理由とは。
●この東京ジャーミイは、実は新しい建物だった。建てられたのは2000年。ボクが下北沢に引っ越してきたのが2003年だから、ほぼ同時期じゃないか。調度品から壁のタイル、床の大理石まで、水とコンクリ以外は全てトルコから調達したという徹底ぶり。建築様式としては、オスマントルコ帝国の全盛期に作られていたスタイルを忠実に再現することを目指したという。一口にモスクといってもお国柄や時代で形は違う物。南国では吹き抜けが涼しく工夫されたり、中国では日本の神社のようなルックスになったりするそうな。オスマン以前は天井がフラットが主流。立派なドーム天井がオスマン朝の特徴らしい。ボクがトルコ旅行で観たイスタンブールの巨大モスクたちもドームが見事だったけな。
●しかし、ここに最初のムスリムの礼拝堂ができたのは昭和13年/1938年。戦中じゃないか!そもそもでいうと、ロシア革命をきっかけにソ連政府が中央アジアのイスラム教徒を弾圧したのがコトの始まり。生まれたばかりのカリカリの共産主義政権は宗教を認めないので、中央アジア(ガイドのおじさんはタタール人という言葉を使ってた)の人々はシベリア〜中国経由で日本まで亡命してきたそうな。で、まだ山手通りもできてない頃の富ヶ谷交差点近辺にムスリムのコミュニティが出来上がり、礼拝堂が作られたとな。最初はもっと小さいモノが富ヶ谷の近所にあったようだけど、もう少し広い場所を求めてこの代々木上原の位置にやってきた。今では井の頭通り沿いのお屋敷が立ち並ぶ一等地だけどね、戦前はまだ畑がたくさん広がってたそうですよ。礼拝堂に併設するように小学校が建てられて、タタール人の子供達はそこに通ってたとな。小学校はもうないけど建物だけはまだジャーミーの隣に残っている。旧・礼拝堂は1986年に老朽化で取り壊し。しかし、その後、民族的にはタタール人と同じグループになるトルコ政府が、立て直し資金を寄付することでこの立派な建物ができて今に至る。
●そもそも、イスラムのモスクは、日本の寺社仏閣のように聖域を意識した山の上とか林の中にあるものじゃないとか。街の中心、人々の生活の中心に作られる。周囲には学校、病院、市場が集まる。宿屋を兼ねていることもあるし、貧しい旅行者が助けを乞うこともできる。コミュミニティのハブを担う場所なのだ。東京ジャーミー1階の集会ホールの一角では、小学生のムスリムの子供達が集まってコーランの勉強会をやってた。栗色の髪の毛に茶色の瞳、そして可愛らしい柄のスカーフを被ってテーブルを囲む。勉強会が終わったら、日本語とトルコ語をチャンポンにしゃべりながら 3DS で遊んでた。そこはムスリムとはいえイマドキの子供。


ジャーミー見学ツアー2 ジャーミー見学ツアー3

さあ、礼拝堂にお邪魔する。
●写真は二階礼拝堂入り口から見上げたモスクと尖塔・ミナレット。自慢のドームが近すぎて見えない…。それと礼拝堂への入り口幾何学模様のドアが立派ドアの上にあるゴールドの三角形は、コーランの一節の文章をデザイン化したカリグラフィだ。アラビア文字のカリグラフィは本当に見事だ…今回思い知った。日本には書道の伝統があるが、あくまで文字を伝えるもの。具象絵画がタブーなイスラム世界では文字自体が美術造形の重要な素材になる。特殊な文化だな。
●そんなイントロダクションを聞いているうちに「アザーン」が始まる。「礼拝の時間がきたぞ」ということを朗唱で近所一帯に向けてスピーカーで鳴らして伝えるのだ。高めの男性の声が朗々と響く。伴奏のないアカペラだが、堂々とした節回しと耳慣れない言葉で迫力満点。それを合図にボクら見学者も二階の礼拝堂に上がる。礼拝堂では非ムスリムの女性もスカーフで髪の毛を隠す。娘ヒヨコもスカーフで頭を覆う。今の季節は心配ないが、ショートパンツや半袖Tシャツもふさわしくはない。肌の露出は極力控えてほしいそうな。
●入り口で履物を脱ぎ、中に入ると実に広い…面積でいうと、渋谷クラブクワトロよりもう一回り大きいって感じ?緑色の絨毯に細かい模様の横縞が走っている…この線に沿って立ち、礼拝をするのだろう。空間をより一層広く見せているのは高い天井ドーム。10メートルくらいの高さはあろうか。ドームから壁の隅々までに細かい装飾がちりばめられている。きらびやかなステンドグラスも美しい。偶像崇拝禁止のイスラム教なので、具象デザインはほとんどない…チューリップとバラをかたどったレリーフがわずかにあるだけ。一方で、コーランの一節を完璧にデザインしきった飾り文字で表したモノがいたるところに描かれている。そして幾何学模様。数学に長けたイスラム文明の特徴はこうした幾何学意匠にも反映されているという。
その一方で、なんというか、空っぽ。祭壇とか説教台だとか、そういうものがない。唯一あるのは「ミフラーブ」というちょっとした壁の凹み。これが正確に聖地メッカ・カーバ神殿の方向を示すマークになっており、この礼拝堂の空間的秩序の中心をなしている。礼拝の方向も秩序正しくこちらに向かってなされる。でも、その存在感は、大きく記されたカリグラフィよりも小さい、というか一階待合室のタイル張り暖炉の方が豪奢に見えたってくらいで。冷静に考えると、日本の寺社仏閣は御本尊や御神体を格納するための建物がメインで、その建物の中に信者が入る想定すらなかったりする…そっちの方が奇妙か。

ジャーミー見学ツアー4 ジャーミー見学ツアー6

写真右は天井のドーム。ドーム中央のゴールドの紋様もコーランの一節を記したカリグラフィ。そこからぶら下がるシャンデリアのデザインですら、カリグラフィから作り起こされているとな。シャンデリア右上の小さな丸のカリグラフィがアッラーの御名を表している。他にも預言者ムハンマドと同時代に活躍した重要人物たちの名が記されている。
●写真左は「ミフラーブ」。メッカの方向を示す印。立派な絨毯の横縞にそって信者は立ち、祈りを捧げる。


さて、礼拝の時間に入ると、ガイドのおじさんもその礼拝に加わってしまう。
●その間、見学者は絨毯に座って黙って見学だ。ただひたすらその様子をみつめる。信者の方々は20人程度だろうか。成人男性中心だが、小学生低学年の男の子たちもいる。広い絨毯の上を楽しげに飛び跳ねている。女性は?と思ったら、礼拝堂の二階席が女性専用スペースだという。ここにも20人ほどの人たちが。ガイドのおじさんから前振りがあったが信者は今ではこの近所に住んでいるわけではないから通常の礼拝でここに大勢の人が集まらないだろうと。一方で「金曜礼拝」という儀式では600人ほどの信者が集まるという。ちなみに、礼拝の様子は撮影禁止だ。「ゆっくりご覧になってください」と言われたけれど、思わず絨毯の上で正座をしてしまうのは、厳粛な空気を敏感に察知して思わず背筋を伸ばしてしまうボクら日本人側の感覚だろう。何も言わずとも娘ヒヨコまで正座をしてた。
●ひとつの礼拝の中に、二つのステップがあるみたいだ。おじさんの言葉によると第一は「任意の礼拝」。本格的な礼拝の前に、してもいいししなくてもいい礼拝があるらしい。その段階では、信者の人々は広い空間の好きな場所を選んで、礼拝をする。何百回何千回もやりこなされたであろう洗練された所作で、口の中で静かにお唱えをしながら、膝を折り、額を床につけて祈りを捧げる。
●第二は「全員で行う礼拝」だ。この段階になるとぴょんぴょんはしゃいでいた男の子たちも行儀正しく振舞う。任意ではなく、みんなできちんと呼吸を整えて祈りを捧げるからだ。「ミフラーブ」の前の最前列に、男性信者全員が密度を詰めて集まる。よけいな隙間は作らない。ぎゅっと詰めたら今回は2〜3列にまとまってしまった。そこにすっと白い衣装をまとった貫禄あるトルコ人男性が入って「ミフラーブ」の前に座る。彼が礼拝の指揮をとるのだ。この人物がこれまた見事な美声で歌を歌う。コーランの朗唱らしいのだか、彼は完全に頭に入っているようなので、聖書を小脇に、とかじゃなくてそのまま朗々と歌を歌い続ける。当然アカペラの独唱なのだが、集会用のPAマイクを通じて礼拝堂全体に響くその声は美しい。それに合わせて信者全員が所作を揃えて祈りを捧げる。なんて音楽的なんだろう。礼拝は音楽と不可分だった。
●一区切りついて、礼拝が終わると、そのままコーランに関する説教の時間になるようだ。急ぎの用がある信者さんはこのタイミングで列を離れて帰ってしまうが、子供達も含め他の人たちは神妙な顔で聞いている。もちろん日本語ではないのでボクには意味がわからないし、そのお説教も外国語の韻律でひとつの音楽のように聴こえる。この間、約20分ほどか?ガイドのおじさんも礼拝の列から離れて解説を再開してくれた。やっと足を崩す気分になれる…足しびれた。「ヒヨコも足ジンジン」だとさ。


ここでイスラム教についての具体的な説明が始まる。
聖職者不在の論理と、イスラムの平等思想、偶像崇拝の禁止について。
●以下はガイドのおじさんの言葉を元にしました…メモとったわけじゃないから正確とは言えないけど。
●礼拝の指揮をとったあの人物は「イマーム」といいます。日本語では「先導者」と訳します。ただし、聖職者ではありません。イスラム教には聖職者はいないのです。もし礼拝の規模が少なくて、その場所に私含め3人しかいないとしましょう。そうすればその中で一番コーランに詳しい者、または年長者がその場で「イマーム」を務めます。つまり私が「イマーム」を務める場合もあるわけです。礼拝をきちんと行うための指揮者だと思ってください。イスラム教は信者個人と神の一対一の関係ですから、その間には何者も存在していないのです。聖職者はおろか、預言者ムハンマドですら神と人間の間にいるわけではありません。だから預言者ムハンマドの肖像といったものはこのモスクの中にはないのです。キリスト教は「三位一体説」で神=精霊=キリストを信仰の対象にしたので、キリスト教教会ではキリスト像があるのが普通です。しかしイスラム教では、信仰の対象が預言者になってはいけません。あくまで信仰の対象は唯一の神でなくてはならないのです。
●これは、イスラム教の「平等」の思想につながる発想です。イスラム教では、その出自、家柄や貧富の差、人種や民族、国籍によって信者が区別されることを認めません。神の前においては誰もが平等で、もしその優越をつけるとするならばその信心の深さだけです。この東京ジャーミートルコの大統領が訪れて礼拝を行った様子を見たのですが、大統領を真ん中に、ガードマンや運転手は隅っこに、などという配慮はありませんでした。それぞれが空いた場所に、運転手さんが真ん中に、大統領が隅っこに、普通に場所を選んで礼拝を行いました。イスラム教徒は現在世界に16億人いると言われています。アフリカから中東、中央アジア、中国、東南アジア。ムスリム人口が最も多い国はインドネシアです。その次に、パキスタン、バングラデシュ、インドが来るでしょう。キリスト教徒は20億人ですが、キリスト教とともに、イスラム教も普遍性を持った世界宗教と言えるでしょう。そこにはこの平等の思想があるからです。今日の見学ツアーにはセネガルから来た学生さんもいます。彼もムスリムですが…(ここでおじさん、このセネガルの学生さんとアラビア語?で挨拶を交わす)…ね、民族も肌の色も違う彼と私が一瞬で通じ合うことができます。この日本には残念ながら1万人程度しかムスリムはいないと言われています。外国人を含めて10万人程度です。
●ここからは、ボク自身の言葉。イスラム教徒はこのような理由で、信仰の対象をそらすようなイメージを絵で表すことを好ましいと思っていない。ましてや、聖職者階級を持たないイスラムの組織秩序においては、絵画に起こされたイスラムの聖人はそのまま本丸の預言者ムハンマドを直接指すことになる。同じ聖職者イメージを描くとしても、キリスト教ならば教会組織全体を漠然と揶揄するようなニュアンスになる表現でも、イスラム教にとっては、預言者ムハンマドそのものへの批判になるのだ。ムハンマドは神が人類に使わせた預言者の最後の一人(人類の始祖アダムイエス・キリストイーサーと呼ぶらしい)もイスラムの世界観では預言者に含まれている)。そんな彼を絵として描き起こし、揶揄の対象にすることは、二重に禁忌を破ることを意味する。もちろん。これはそのままフランスのテロリストを正当化するものではない。イスラムはいかなる理由においても殺人を認めないからだ。殺人は、彼らの禁忌の中でも最も重いものの一つ。ただ、彼らがあの風刺画を良いものではないと感じる感覚は知っておいたほうがいい。


イスラムはテロリズムを認めない。その一方で偏見と誤解も発生している。
東京ジャーミイのHPでは、1月8日付けでステートメントを発表している。「イスラムはテロを認めていません」シャルリーエブド事件の発生翌日だ。「テロはどのようなものであれ認められるものではない」。コーランではっきりと禁忌とされていることを説明しています。そして「最後の審判」を前提とした説明を。輪廻思想で永久に循環を続けるような仏教世界観と違って、キリスト教&イスラム教は「最後の審判」というこの世の終りを想定している。この瞬間に今の世界は天地の秩序のレベルで崩壊し、それまでの死者全てが天国に行くのか地獄に行くのか審判を受けます。現世において善行を重ね功徳を積むのは、ここで天国に行けるかどうかが大きな動機付けになる。「アラーは全ての人に自由な意志を与えられました。その意志によって行ったことに対して人は審判を受けるのです。」「他の教えを信じる人々の中にもテロ活動を行う人がいるように、イスラーム教徒の中にもテロ活動を行う人々がいるかもしれません。しかし真のイスラーム教徒は、そうした人たちの行為を認めることは絶対にありません。イスラームの教えに誠実なイスラーム教徒はイスラームのイメージを損なった彼らに対し、はっきりと対決した姿勢を取るものです」
湯川さん後藤さんの2億ドル身代金要求は1月20日。この翌日にもfacebookページにおいて東京ジャーミィはコメントを発表。抜粋すると「イスラームの最も重要な教えの一つが、公正な社会を実現し、人々の間に平和をもたらすことにあります。暴力が唯一の手段と見なすこの残虐なテロ組織の考え方は、イスラームの教えとも、イスラームの生み出した文明ともまったく相容れないものです。二人の日本人の方が、一日でも早く救出されますよう、東京ジャーミイは最も親しき友である日本の皆様方とともに、心から祈りを捧げたいと思います。」その週23日の金曜礼拝でも、日本人人質の安全に言及した説教がなされている。
●しかし一方で、イスラムに馴染みのない日本人からは、心ない偏見による中傷も起こっている。愛知県のモスクでは「日本から出て行け」といった嫌がらせ電話があったり、「日本人の敵だ」「殺す」というメールが届いたということがニュースになっている。ガイドのおじさんもこれを心配している。誤まった偏見がムスリムに降りかかることを。「イスラムという言葉の中には、ピースという意味も含まれている。イスラムはテロに断固反対します!一般のイスラム教徒がテロを容認するということはありません」一方で、一般の日本人の人たちから、人質事件解決のために祈ってくれてありがたいと、お礼のお花を届けてもらったともいう。


●ガイドのおじさんは、昨今の事件を含め、日本人ムスリムとして語りたいこともまだあったようだが、「もうお時間ですから一旦ガイドはおしまいにしましょう。もし、質問があれば私はここにいますから、どうぞなんなりと質問を」と締めくくった。見学者の方々ももちろんこの事件をベースにここを訪ねているようで、おじさんを囲んで様々な質問を投げかけていた。
●ボクも話をしてみたいと思って足を運んだのだが、議論だのなんだのってことを望んだわけではなくて。ただ、イスラム教徒の人たちが、毎日どんな気持ちで神に向き合っているのか、知りたかったまでで。そこで、ひとり礼拝堂の絨毯をなでて、そしておでこと鼻ををそっと当ててみた。厚手の絨毯は思ったよりも硬い。本当は礼拝の仕方を教えてもらいたかったが無理だということもわかった。1日5回の礼拝それぞれが別の目的と意味と名前を持っていて、お祈りの所作も唱える文句(当然アラビア語)も全部違うのだ。お祈りの時間でさえ、暦の変化で毎日1分単位でずれている。
●ガイドのおじさんが言う。「毎日5回の礼拝は大変でしょう、そう言われます。でも私たちは毎日3回ごはんを食べるでしょう。体に栄養を与える食事が3回できるなら、心に栄養を与える5回の礼拝も難しいことではありません」この礼拝という行為を通じて、常に神を身近に感じることこそが大切なのだそうです。
●なんだか、胸いっぱいになってしまったボクは、早々に礼拝堂を出て、一階フロアの文化センターに移動した。



ジャーミー見学ツアー8 ジャーミー見学ツアー7

見事なタイル張りの暖炉がある応接スペース。ここに座ってくつろいだ。
●ここのロビーでは、一般客向けに、紙コップで温かい紅茶をご自由に、という形でふるまってくれている。それをゆっくり飲みながらソファに座る。ヒヨコ「なんか外国のホテルのロビーみたいだね」。ボクがトルコ旅行でカッパドキアまで行った時も、いろいろなお店で無料のリンゴ茶をふるまってもらった。ただのおみやげ屋さんから、深夜バスが立ち寄ったドライブイン、ドミトリーの安宿まで、気前よくお茶をふるまって愛想よく談笑を交える。やや殺伐とした都会であるイスタンブールよりもそこから離れた方がフレンドリーな人が多かった(首都アンカラ含む)。そんなことを思い出しながら、お茶を飲んだ。しかしこの暖炉のタイル張りすごく見事だよなー。礼拝堂の「ミフラーブ」よりも立派に見えるんだけど。カリグラフィも各所に描かれている。この丸いデザインもコーランの一節。
●ガイドのおじさん曰く、断食月「ラマダーン」では、この一階の集会所は日没後の食事会で大賑わいになるという。ラマダーンといえどほんとに30日間何も食べないと死んじゃうわけで、ルールとしては暁に空が白み始めてから日没するまでの時間が断食タイムになる。食べ物だけではない。飲み物もダメ。この時、富める者も貧しい者も、平等に断食のひもじさを味わって、水や食べ物のありがたみを知り、神の恩恵や慈悲の心を共有する。一方で一年で一番祝福される月でもある。預言者が啓示を授かった月でもあるから。だから日没後の食事会はここに300人もの信者が集まって、無料で振る舞われるトルコ料理を食べるそうな。ラマダーンに合わせてトルコから料理人がここに派遣され、毎日大勢の料理を厨房で用意するほど。ガイドのおじさんもその食事の準備を汗だくで手伝う。「トルコ料理はおいしいですよ!世界三大料理と言われるほどですからね。今年のラマダーンは6月ですが、どうぞみなさんもお越しください。イスラム教徒でなくても料理は振る舞われます。ホームページに案内を出しますからね」へー、部外者の人でもいいの?でも確かにトルコ料理はなんでも美味しかった。それは現地を旅行した時に思い知ったね。料理の名前が全然わかんなかったけど、何が出ても美味かった。
●おみやげコーナーでは、イスラム教関連の書籍を5冊買った。ちなみに「コーラン」そのものは買わなかった。ガイドのおじさん曰く「コーランをそのまま読んでもきっと眠くなってしまいます。コーランを日本語や英語に翻訳した瞬間に、コーランが元来持つ韻律は失われてしまうからです。礼拝を見ていただいた通り、コーランの朗唱は意味がわからずとも美しい。文字ではなく音で伝えることが大事なのです」実際、コーランという書物は、預言者ムハンマドが自分でせっせと書き留めたものではない。彼は23年間もの長い時間をかけて天使ジェブラーイール(英語だ風だとガブリエルかな?)経由で啓示を受けていて、それが書物の形にまとまったのは彼の死後。世間に出るようになったのは三代目カリフの時代になる。
●加えて、トルコ料理のスープの素も買ってみた。トマトスープとチキンスープ。よく見るとメーカーはクノールだけど、全部トルコ語だから料理の仕方はわからない。


●もちろんCDも買いました。

M SAREDDIN OZCIMI「THE SECRET OF BREATH ネイの世界」

M. SADREDDIN OZCIMI「THE SECRET OF BREATH ネイの世界」
●このCDは、ネイ(またはナーイ)と呼ばれる縦笛楽器の演奏が収録されているもの。ネイは、ギリシャなどの地中海世界から中東地域で鳴らされてる楽器で、5000年前からほぼ姿を変えないまま現在も使われてる世界最古の楽器の一つとしても知られてる。でもまー、手っ取り早く言えば構造も音色も、日本の尺八によく似てる感じ。もっと細身で、口をつける部分にキャップのような細工が加えてある。
●で、このネイを使って、タクシム(TAKSIM、TAQSIM)/フィフリスト・タクシムという様式の音楽を奏でる。これはトルコの伝統音楽で、歌い手またはネイの演奏者がリズムや形式に限定されることなく即興演奏をずーっと続けるスタイルなのだ。ほーなるほどー伝統的楽器でインプロヴィゼーションをやるのねー、とジャケに書いてある説明に興味を持って聴いてみたら、ありゃりゃこりゃマジですごい!なんと70分間CDの収録時間の限界まで、ずーっと一曲の音楽としてアドリブプレイを続けているのだ。「もっとも肉声に近い楽器」という比喩もあって、情感がたっぷり込められたその演奏は、哀愁漂うメロディを無限のバリエーションで延々続けていく。ちなみにタクシムと呼ばれる場合はコード進行に一定のルールがあって演奏時間もそれなりにコンパクトになるようだが、フィフリスト・タクシムはコード進行にも音階にも制限がないので自由度が高く、演奏者にとっても自由すぎるあまり、才能も技術も高いものが要求されるようだ。このCDの場合だと中盤40分目くらいかな?パーカッション奏者も入ってくるけど、結局はまた一人の世界に帰っていく。
●演奏家は、ムハンマド・サドレッディン・オズチミという人物。ネイの高名なプレイヤーで、父親もネイの達人だったようだ。1955年生まれとあるから今年で60歳か。演奏家として世界中で公演活動をするだけでなく、教育者として音楽院で後進の育成も行っている。このCDがいつの録音だかはクレジットがないので不明だが、80年代からレコーディングもソロ、グループなどなどで行っている様子。

M SAREDDIN OZCIMI「SUFI MELODY FROM KARATAY カラタイの音色」

M. SADREDDIN OZCIMI「SUFI MELODY FROM KARATAY カラタイの音色」
オズチミ氏のCDをもう一枚。というかジャケ情報足りなくて、その場では同じ人のCDとはわかってなかったんだけどね。ジャケに見えるのがネイの口をつける部分。相変わらずのインプロヴィゼーション。小ぶりの曲が3つ収録、といっても一曲が12分から28分だけどね。完全なソロなので、ひたすら笛の音。
●タイトルに見える「カラタイ」という言葉は、彼の生まれ故郷コンヤにあった、中世セルジュークトルコ時代の大学の名前。「カラタイ・メドレセ」というのがちゃんとした名前らしいが、ヨーロッパ十字軍の侵略攻撃の時代のなかで、トルコ内陸の都市にイスラム神学の教育機関を設けるなんて立派…中世においてはイスラム文明の方が圧倒的に開明的だったと、何冊かの十字軍の本を読んで僕は感じている。
●もう一点。コンヤは、イスラム神秘主義教団「メヴレヴィー」の拠点としても知られた土地だ。スーフィズムという名前で有名なこの特殊なイスラムの流派は、音楽に合わせてくるくると旋回する舞踊を通じて、一種のトランス的恍惚から神との合一を目指すという思想を持っていた。オスマントルコ時代にこうしたスーフィズムは庇護を受け発達していくが、20世紀以降は近代化の中で衰退してしまっている。スーフィーの音楽CDも現地トルコで買ったので、ぜひこのCDと聴き比べがしたいのだが今どうしても見つからない。ただし、一時間もソロ・インプロヴィゼーションを続けるタクシムの演奏も、ある意味でトランシーな恍惚状態じゃなきゃ務まらないのでは。ある意味でチルアウトなアンビエントとしても機能しうるタクシムは、スーフィズムの伝統の上にも立脚しているのかもしれない。



あっと、もう一つだけ。トイレの話。
東京ジャーミイの男子トイレには見慣れないものがあるから気をつけて下さい。トイレには4つの個室があって、そこで大&小をするみたい。一方で男子トイレにポピュラーな小便器がない!それなりに広いスペースのトイレに小便器ないと、結構な違和感がある…。でね、その代わりに、ここにオシッコするのかな?と錯覚させる仕組みがある。タイル壁に沿って水が流れる溝があって、立ち位置を示すかのようなタイルの直方体が床に並んでて。粗末な駐車場とか行くと、便器を設置せずに「この壁に向かってしちゃってください、溝に沿って汚水は流れていきますから」的なスタイルの公衆便所があるよね。それを絶対連想させてしまう構造。だがしかし!大きな張り紙で「立ち小便禁止!」って書いてある。ああ?なんだこりゃ?ルールがわからんぞ。
●尿意に注意力を奪われていた脳みそを、もう一度、状況の確認に丁寧に使ってみると、溝とタイルの直方体に対応して、同じ数の水道の蛇口が並んでいるのに気づく。ちょうど銭湯の洗い場のように。間隔はもっと狭いし、位置もすごく低い場所、足首上くらいのレベルにあるんだけど。でもこれ、用を足した後に蛇口をひねって流してくださいって感じじゃないな…。だってこのままやったら、この蛇口にオシッコが命中しちゃうもん。なにこれ?
んあ!わかった!これ、礼拝の前に、手足を洗ってお清めするための場所だ!この小さいタイルの上に座って、足を洗うんだ!あぶねえあぶねえ!そんなところで小をしたら大変なことだ!いやいやこれは危なかった。
イスラム教において「清潔」であることはとても大事なこと。だから「ウドゥー」といって礼拝の前に身を清める緻密な作法がある。洗う前にお唱えをして、手首まで3回づつ洗い、右手を使って口を3回ゆすぎ、右手で3回鼻の中に水を入れて、左手で鼻の中をきれいにする。さらに顔を3回、耳たぶまで洗って、さらには左右の肘までをきっちり洗って、そして濡らした右手を頭の上にのせて湿らせる。そして、人差し指で左右の耳の中を、親指で左右の耳の外側を湿らせ、残りの三本の指で首の後ろを湿らせる。最後は左右の足を指からかかとまでしっかり洗う。で、シメにお唱え。正式にはこんだけの段取りがある。神社で柄杓を使って手と口を清めるってのはあるけど、ここまで細かい段取りで広範囲を洗うってのはビックリ。砂漠の国においては、体のアチコチが砂だらけという場合もあるだろうから、こんなにしっかりしてるのかな。実際、ここで「ウドゥー」をしてる人はいなかった…。誰かが手を洗ってたら、小便器と思いこんだりしないけどね、誰もいなかったからね。


●またまた、理屈っぽい話になったなあ。また誰も読まないね。

●ある日のヒルメシ。

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新橋駅前ビル地下一階「おくとね」、まいたけ天たまそば。
まいたけが好き。まいたけって、見つけたら舞い上がって踊り出すほどウレシいキノコ、ってのが名の由来だと、昔に先輩から教わった…これホント?でもそれがキッカケでキノコ類が好きになって。で、今でも時々この立ち食いそば屋まで出向いてまいたけ天を注文する。玉子を入れたのはちょっとスペシャルな気持ちで。普段は50円をケチって入れない。この店には必ず一人で行く。同僚などとは一緒に行かない。一人がいい。デスクの女性に「一緒に行きたいですー」なんて言われたけど、女の子が行く場所じゃないよと断ってしまった。
●立ち食いそば屋に一人の客が滞在する時間は、たかが10分程度。食券を厨房のご主人に渡して、セルフサービスのお冷をプラスチックのコップについだら、カウンターによりかかって天井近くのテレビで「ミヤネ屋」のニュースを2分ほど眺めて。ご主人が「まいたけ天たまのお客さま〜」と声をかけられたら、はーいと返事してピックアップ。ぱらぱら七味をふって、ズルズル。でも3分もしないで食べ終わってしまう。ツユは油断すると全部飲んでしまうので、ちょっと我慢して。ふーっと一息、お冷に口をつけて、もう一回「ミヤネ屋」をちらり見て。そしたら、器を返却口において「ごちそうさまでしたー」と声をかける。ご主人とおばちゃんが反射的に「ありがとうございましたー」と返す。視線は合わせない。何回も通ってるのにご主人やおばちゃんの顔は思い出せない。
それでも、これがボクの贅沢。一瞬は確実に仕事を忘れる。
●店を離れて新橋の雑踏の中に入ると、午後や夕方の予定の準備へ自然に頭が切り替わる。仕事に戻る。サラリーマンに戻る。



強くて芯の通った声をまっすぐ聴きたくて。

BEYONCE「I AM SASHA FIERCE」

BEYONCE「I AM ... SASHA FIERCE」2008年
●天下の BEYONCE、3枚目のソロアルバム2枚組。「I AM」というバラード基調のアルバムと「SASHA FIERCE」といういつも通りのパワフルなダンスチューン基調のアルバムを2枚組にしたという構成。無理に突っ込めば一枚に入るのに…。
●でも、この一枚目「I AM」の内省的なバラードの響きがとても可憐で。無敵の強さを誇るかのようなパブリックイメージがあるけど、そんな彼女の内側に秘められていた弱さや感傷が、しっとりとしたミッドバラード6曲で切々と歌われている。声の張りや芯の太さには、いつものブレない強さがあるけど、その力強さが、むしろ逆に様々な葛藤や孤独の中で必死に立ち続ける悲壮な覚悟を感じさせるほど。「AVE MARIA」であの有名なフレーズを実に綺麗な高音で歌い上げているところでは思わず涙腺がゆるんでしまう。
●ボクは、彼女に勝手なイメージを抱いている節があって。ステージ上ではパワフルで強い女性を演じきってはいるが、本来の彼女は実は奥ゆかしくて静かな女性。BEYONCE 本人へのインタビュー取材をした人にその様子を聞いたことがある。予想以上に声が小さくて、ゆっくり落ち着いて言葉を選ぶ人だったという。あれだけの活躍だからすごく自己主張の強い人だと思ってたら拍子抜けだったと。デスチャ時代のドキュメンタリーでは、開演直前のステージ袖でメンバーと共に神様にお祈りを捧げているシーンもあった。そんな本質の部分を、BEYONCE 自らが積極的にソングライティングに関わったこの音源では珍しく吐露しているわけだ。
最近はどうもカラダが消耗してしまっているボクには、今一番優しい音源だ。

●二枚目の「SASHA FIERCE」は普段のイメージの強そうな人格設定をしちゃったペルソナが登場してる。「I AM」サイドでは「BROKEN-HEARTED GIRL」なんて歌を歌いながら、コッチでは「SINGLE LADIES」みたいな曲で独立した女性を鼓舞するような楽曲を、エレクトロ度の高いトラックに乗せてバキバキにキメてる。このアゲアゲチューンは TRICKY STEWART & THE-DREAM が制作担当。「DIVA」&「VIDEO PHONE」はダーティサウスでクランクミュージックなアプローチの楽曲を MR. BANGLADESH & SEAN GARRETT が提供。「SWEET DREAMS」は何かのCMソングだったっけ。この曲と「RADIO」という曲で、JIM JOUSIN & RICO LOVE というプロデューサーが活躍。
「I AM」の方の制作陣は、STARGATEBABYFACE が関わっている他はあまり知らない人ばかり。R&Bには関係のないイギリス/ヨーロッパ系のソングライターとかも起用しているみたい。まー STARGATE も本来は北欧ノルウェーのチームだしね。ONEREPUBLIC のフロントマン RYAN TEDDER の楽曲提供なんかも受けてる。ふーん。

KELLY ROWLAND「HERE I AM」

KELLY ROWLAND「HERE I AM」2011年
●二人目のデスチャKELLY の三枚目のソロ。前述の BEYONCE ソロと同じくモノクロでシックなジャケだけど、コッチの中身は完全にイケイケのアッパーです。時代としては、「SASHA FIERCE」からもっと進んで、R&Bへのエレクトロ導入〜EDMとの合体がぐんぐん進んでいる時期。たとえスローナンバーでも、キンキンしたハイファイシンセと硬質なビート感がツーンと突き抜けている。制作陣は TRICKY STEWART、RODNEY JERKINS、JIM JOUSIN、RICO LOVE、などなどやや BEYONCE の前述アルバムにかぶるメンツ。
●そして REDONE、DAVID GUETTA も参加。LADY GAGA をブレイクさせた REDONE も、EDM の王者 DAVID GUETTA もヨーロッパ系クリエイターだ。この時期はヨーロッパのセンスがドコドコとアメリカのアーバンシーンに移入されてる感じだった。「EDM」という概念自体が、アメリカからのヨーロッパ系ダンスカルチャーの発見のように思える。
「EDM」とは「エレクトロニックダンスミュージック」の意味だが、実はスタイルとしてはユーロポップの世界では00年代から一般的だったトランスやディープハウス/プログレッシブハウスの手法から激変してるものでもない。ただ、実は結構閉鎖的なアメリカR&B/ヒップホップ業界が、今まで無視してきたヨーロッパのスタイルを最新のフレイバーとして組み込んだ時に「EDM」と名前をつけてしまった、そんな気分がある。つまり実質的には「EDM」=「ヨーロピアンダンスミュージック」の略だってこととボクは思ってる。

DESTINYS CHILD「DESTINYS CHILD」

DESTINY'S CHILD「DESTINY'S CHILD」1998年
●突然、BEYONCE KELLY ROWLAND の音源が気になったのは、最近このアルバムを人に頂いたのがキッカケ。これが DESTINY'S CHILD のデビューアルバムだ。BEYONCE KELLY 当時はまだ16歳。だけどすでに芸歴にして8年目。彼女たちは8歳の頃から音楽活動をしていたのだ。すげー。それと、この時は四人組だったね。
●リアルタイム感覚では、ボクがデスチャにハマったのは次のアルバム「THE WRITING'S ON THE WALL」1999年から。そのあたりから、サザンヒップホップ由来のバウンシーな最新系ヒップホップトラックに彼女たちがガッチリ乗っかってきて、ボクのアンテナに引っかかったのだ。この2000年前後は、TIMBALANDAALIYAH の合体コラボによるサイバーなR&Bや新世代トラックメイカー THE NEPTUNESBRITNEY SPEARS をプロデュースするなど、新しいプレイヤーが次々に登場してきて、R&Bがいきなりスリルな分野になるのだ。しかし、その一歩手前のこのアルバムは、まだまだオーセンティックでウェットなR&Bと、90年代マナーなヒップホップソウルでしかない過渡的な状態。とはいえ、4人のメンバーが年齢に釣り合わないスキルでハーモニーを織り成す様子はお見事。早熟すぎる。

●製作陣で目立つのは、TONY! TONI! TONE! のメンバー DWAYNE WIGGINSウェットでオーセンティックなR&Bのアプローチを丁寧に担当。「NO NO NO PART,1」「SECOND NATURE」をはじめとしたオーガニックソウルを捌くにはうってつけの人材だ。そして、THE FUGEES でブレイクしてソロ活動に移行したあたりの WYCEAF JEAN「NO NO NO PART.2」でフロア向けの改変を仕掛けてる。加えてアトランタのプロデューサー JARMAINE DUPRI彼らがヒップホップソウルなアプローチで支援。ちなみに KELLY ちゃんはアトランタ、BEYONCE はヒューストンの出身ね。サウスな育ちってわけです。そんな流れで、ニューオリンズの新興レーベルだった NO LIMIT RECORDS の社長 MASTER P が客演でラップを披露。CASH MONEY の社長 BABY BIRDMAN よりも10倍ザックリした彼のラップは、彼の決め技「ウァー」というウメキ声ばっかりが目立つけど、サザンラップのワイルド感を演出する意味では一応効果的。

デスチャが三人組になっちゃうのは2001年以降。マネジメントが BEYONCE のお父さんということもあって、BEYONCE 以外のメンバーは結構頻繁に入れ替えがなされてたのですよ。同時期の日本では、モー娘。がメンバーの入れ替えを劇的に描くことでグループを盛り上げていく手法を当時繰り出していたので(後藤真希加入が1999年)、このデスチャのメンバー入れ替えもそんな戦略だと思ってた。今や日本のアイドルビジネスでは常套手段というかデフォルトで仕込まなければダメな戦略ね。
●そんな鉄板のアカレンジャー BEYONCE のトナリにいてアオレンジャー的ポジションを解散の最後まで全うした KELLY ROWLAND は実にラッキーだったよ。いつ入れ替えられちゃうか本当心配だった…KELLY のヒョロリとしたスレンダーな体型とでボーイッシュに刈り込んだショートヘアが実はとってもボク好み。ボンキュッボンでフェロモンモンの BEYONCE まで行くとちょっと引いちゃうんだよね。

BEYONCE「DENGEROUSLY IN LOVE」

BEYONCE「DENGEROUSLY IN LOVE」2002年
●この BEYONCE のファーストソロは、既に買って聴いてると思い込んでたのに持ってなかったという物件。だから今回あわてて買い直した。380円だったけど。いやいや傑作ですよ。00年代のヒップホップソウルとしての頂点をサクッと極めてますよ。00年代以降のヒップホップは毎年のようにトレンドが入れ替わって、バウンスだ、クランクだ、スナップだ、レゲトンだ、中東〜インド風サンプルだ、エレクトロだ、などなど落ち着かなくなるわけですが、そんな落ち着かない流行に足を取られず堂々の王道覇道を歩む力強さがあるのです。このころから半ば公然交際していた JAY-Z の王道路線にかぶるアプローチでもありますけど。もちろん彼女のボーカルがスキルフルかつパワフルってのも前提にあります。
●そんなんだから、当時の王道プロデューサーがガンガン参加しています。つーか今尚現役の大物ばっか。RICH HARRISON、SCOTT STORCH、MISSY ELLIOTT、KANYE WEST、THE NEPTUNES など。BEYONCE 自身が筆頭でプロデュースにクレジットされてる曲も多々。ゲストにはレゲエシーンから SEAN PAUL、サウス系〜アトランタから OUTKAST BIG BOI と彼の盟友 ORGANIZED NOIZESLEEPY BROWN。もちろん彼氏の JAY-Z もいるよ。
●80年代ソウルの大物 LUTHER VANDROSS とのデュエットも注目。原曲は ROBERTA FLACK FEAT. DONNY HATHAWAY のデュエット「THE CLOSER I GET TO YOU」圧倒的な伝統的王道ソウルを大物と見事歌い切る根性。その後に続く終幕の曲「GIFT FROM VIRGO」もクワイエットストームなバラード。メリハリが達者。
●日本版で入手したので4曲もボーナストラックが入っててお得!映画「オースティン・パワーズ:ゴールドメンバー」のサントラに収録されてる「WORK IT OUT」が入ってて嬉しい。THE NEPTUNES プロデュースの洒落たトラックでファンキーなサックスと絡む BEYONCE が実にホット。

LETOYA「LETOYA」

LETOYA「LETOYA」2006年
デスチャといえば、BEYONCE KELLY に、MICHELLE WILLIAMS という体制が一般の認識でしょうけど、初期にはこの LETOYA LUCKETT LATAVIA ROBERSON というメンバーがいたのです。ファースト、セカンドの4人体制の頃のメンバーね。でもマネジャーである BEYONCE パパ MATHEW KNOWLES と待遇面で揉めて、ある日突然解雇。2000年のシングル「SAY MY NAME」のプロモ撮影の段階で、後任の MICHELLE とアオ FARRAH FRANKLIN と交代させられるのです。ちなみに、後任だった FARRAH は活動態度が不真面目ということで瞬殺でクビ。こうして3人体制のデスチャが出来たというわけ。当然、この強制脱退に不服な LETOYA LATAVIA は裁判を起こしたりもする。
●クビになった二人はR&Bグループを結成してデビューを画策するもマネジメントが倒産して音源はお蔵入り。その後はソロとしてアレコレがんばってやっと掴んだ再デビューのチャンスがこのアルバム。故郷であるヒューストンのシーンに即した形で、PAUL WALL、SLIM THUG(彼氏だったみたい)、MIKE JONES、BUN B など地元のラッパーを召喚。ミッドレンジの甘めの声を、ヒューストン風の少々ルードでムサいトラックに乗せるスタイルは、まー悪くはない。一方のオーセンティックなR&Bアプローチでは、THE STYLISTICS「YOU ARE EVERYTHING」をサンプルした「TORN」が気合は入っている。ただ、コッチのスタイルで突き抜けた刺激はないかなあ〜。初期デスチャ風ではあるけど、もうそれでは時代遅れなんだよなー。だってもう2006年だもん。
●ちなみに、このCDは三軒茶屋、太子堂バス停そばの古本屋 SOMETIME にて300円で採取。



●動画。
●BEYONCE「AVE MARIA」。リップがズレちゃってるけど口パクじゃないと思うよ。