先日は、中学二年生になった息子ノマドの文化祭。
ノマドが合気道部に入って一年。道場で演武を披露するというので見に行ってしまった。
ノマド、意外と立派なので、ちょっと感動した。クソヘタレのくせしてでっかい声で「お客様に礼!」とか言ってる。技もカッコよく見えたぞ。同級生よりカッコよく見えたぞ。メガネの同級生くん、正座で足シビレて自分の出番に転倒しまくってたな。それよりは間違いなくカッコイイ。先輩にも可愛がられてるようだし、なんか安心だ。そのまま頑張れ。
娘ヒヨコは原宿で買った「なんちゃって制服」を着た精一杯のおめかしファッションにて、友達二人と共にアニキの学校見学。学校の本物制服は死ぬほどダサいので絶対に着たくないらしい。バッタリ出会ったので「お!ヒヨコ、どうよ?」と声かけたら、無言で「パパ、こんなところで声かけないで」光線を発射してきた。二人とも親とは無縁の人間関係が広がってきていて、パパなぞお呼びでなくなる寸前というところか。
●バザーの古本売り場で、日本の古典芸能の本を数冊買った。ここのバザーはユニークな本が出るからうれしい。コドモたちが離れていくようになったら、パパは一人でパパの趣味の世界に埋没するわ。あ、別に今でも趣味の世界に埋没してるか。




●さてさて、そんなコドモたちを無理やり連行した、春休みのモロッコ・ツアー報告の、第三弾をお届けしたいと思います。

●一応今まで書いた記事へのリンクも最初に書いときます。

「春休みのモロッコ・ツアーその1。世界遺産の迷宮都市・フェズにダイブ。そしてやや遭難。イスラムのリアルに今触れておきたかったのですよ。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-1748.html


「春休みのモロッコ・ツアーその2。かつての富豪の邸宅をホテルに改修した「リヤド」という施設に泊まってみた。そこに溶けこむイスラム文化の端っこを味わう。それとオマケに PAUL MCCARTNEY。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-1749.html



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今日のテーマは、ドバイ国際空港エミレーツ航空について。
●モロッコまで到達する上での、テクニカルなデティールを中心にしてこうかなと。

今回の、旅の設計図。

・3月27日(金)

 22時00分 成田空港発 エミレーツ航空EK319便 にて出発。
 (※ 飛行時間 11時間15分!)

・3月28日(土)

 05時00分 UAE/ドバイ国際空港着〜トランジッド。
 07時50分 UAE/ドバイ国際航空エミレーツ航空EK751便 にて出発
 (※ 飛行時間 8時間30分!)
 12時40分 モロッコ/カサブランカ・ムハンマド5世空港着。
 カサブランカにてホテル宿泊

・3月29日(日)

 カサブランカのホテルをチェックアウト
 11時10分 モロッコ国鉄(ONCF)特急 CASA VOYAGEURS 駅発
 14時40分 モロッコ国鉄(ONCF)特急 FES 駅着
 フェズのリヤドにて宿泊

・3月30日(月)

 フェズ終日滞在
 フェズのリヤドにて宿泊

・3月31日(火)

 フェズ終日滞在
 フェズのリヤドにて宿泊

・4月01日(水)

 フェズのリヤドをチェックアウト
 15時10分 モロッコ国鉄(ONCF)特急 FES 駅発
 18時40分 モロッコ国鉄(ONCF)特急 CASA VOYAGEURS 駅着
 カサブランカにてホテル宿泊

・4月02日(木)

 カサブランカのホテルをチェックアウト
 14時30分 モロッコ/カサブランカ・ムハンマド5世空港発 エミレーツ航空EK752便 にて出発 
 (※ 飛行時間 7時間40分)

・4月03日(金)

 01時10分 UAE/ドバイ国際空港着〜トランジット…朝まで6時間以上の空き時間!
 08時00分 UAE/ドバイ国際空港エミレーツ航空KE312便 にて出発
 (※ 飛行時間 9時間45分)
 22時45分 羽田空港着 …帰宅。


●これで、ちょうど一週間の行程。
…基本的にね、やっぱ、遠いわモロッコ。20時間近く飛行機乗る上に、トランジットに6時間の空き時間があるとかね。移動はやっぱしんどいですわー。もちろんエコノミークラスだし。モロッコ自体では体調崩すことはなかったけど、帰国の飛行機で具合悪くなった…。
●でも昨今の原油安を反映してオイルサーチャージは安くなってた。中学生になって、もはや子供料金で乗れなくなった我が子たち含め4人分のエア往復は、総額40万円強。これをバーレーン経由にしたり、カタールのドーハ経由にしたら40万を下回ったかもしれない。あ、予約がもっと早ければもっと値段に反映されたと思うけど、モロッコ行き決断確定したの旅行の10日前だからねーしょうがないねー。ボクが会社休めるか自信がなかったんだよね。


まずはね、エミレーツ航空がすごかった!

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UAE/アラブ首長国連邦の航空会社、エミレーツ航空を今回選んでホント正解だった。中東の巨大ハブ、ドバイ国際空港を拠点にしたこのエアライン、やっぱ豪華だったね。エコノミークラスでも全ての座席に個人用モニターがあって、オンデマンドで好きな映画やドラマ、ゲームや音楽が楽しめる。日本が絡む航路は日本人CAさんがいるし(ドバイからカサブランカはやっぱりいないです)、言葉が通じなくても親切に対応してくれる。トイレも綺麗。アメニティも充実。ウチのコドモに子供向けグッズをくれたんだけど(ホントは子供じゃないから資格ないけどヒヨコ童顔だからくれたんだね)、クイックシルバーのパスケースとか、えらくコジャレたモンが入っててビビった。

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CAさんのユニホームも、お国柄なのかカブリモノがとってもユニーク。帽子から襟につながってくあのヒラヒラ…おしゃれと思うけど意味はわかんない。おみやげショップで、もう少しでこのCAさん人形を買いそうになった。

IMG_0659.jpg(映画ガン見のヒヨコ)

飛行機の中で映画見すぎて、睡眠時間を失った。
この旅で具合悪くなった原因は、あまりに映画や音楽の内容が充実してたもんだから、機中で寝るべき時間をひたすら映画鑑賞の時間にしてしまったこと。だってラインナップが豊富すぎてすごいんだもん。アメリカ&イギリスのメジャーな映画だけじゃない。地元アラビア語圏の映画、ヒンズー語のボリウッド系からパンジャミとかタミルとか各方言まで網羅したインド映画、ヨーロッパ系じゃフランス、ドイツ、ロシア、スペイン、イタリアなどなど。アジア方面はトルコ、フィリピン、マレーシア、韓国などなど。中国語は北京語と広東語で取り揃えてます。もちろん日本もね。「STAND BY ME ドラえもん」とか「るろうに剣心」とかかかってたよ。
●ヒヨコは、「ドラえもん」見て(ヒヨコいわく「なんかズルい!マンガの名場面をたくさんまとめただけな気がする」だって)「ベイマックス」見て「ナイト・ミュージアム」最新作見て「パイレーツ・オブ・カリビアン」見て「ホビット 思いがけない冒険」見て、黒人の女の子が主演を務める最新版「アニー」JAMIE FOXX とか CAMERON DIAZ とか出てる)を見てた。あんた一度休んで寝なさいってワイフに怒られてた。ノマドはゲームしまくってた。
●ぼくは、「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」見て(あのワンカットショー演出、事前知識なかったんでマジ驚愕!ベテラン役者も最高)、BENEDICT CAMBERBATCH 主演「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」見て(ナチスの暗号解読マシンを作った実在のマッドな研究者、アラン・チューリングの悲哀が泣ける)、スティーブン・ホーキング博士の青春を描く「博士と彼女のセオリー」(主演 EDDIE REDMAYNE の本人クリソツ演技が鬼気迫る!最近の英国映画豊作!)、LUC BESSON 監督「LUCY/ルーシー」SCARLETT JOHANSSON ってやっぱ美人)見てた。
●あと、ハマり込んじゃったのが FOO FIGHTERS DAVE GROHL がアメリカンロックの源流をたどるドキュメンタリー・シリーズ「SONIC HIGHWAYS」。彼が、毎回一つの重要音楽都市を訪れ、そこにゆかり深い音楽関係者、ミュージシャンからレーベルオーナー、プロデューサーなどなどにインタビュー。そしてその街を象徴するスタジオで書き下ろしの一曲を収録し最後に披露する。これが見応え満点。全8都市分のうち、6本しか見られなかった…これは吹き替えも字幕もなかったんで見続けるのがしんどくてね。これちゃんと字幕付きで見返したい。日本じゃもう見られないのか?(去年11月にWOWOWで放送してたらしい)すでにリリースされてる同名アルバムも聴きたいね。でもアルバムだけ聴いたんじゃ価値伝わりきらない気がする。この街でこの曲だっていう必然性がドキュメント部分で描かれてるから。


ちなみにエミレーツって言葉は、アラブ首長国連邦=UAEの、Eの字のことなのです。知ってた?ボク初めて知った。UAEって、「UNITED ARAB EMIRATES」の略なのよ。日本語で言えば EMIRATES =首長国ってわけ。でも、そもそも首長国ってなんだよ?
UAEは、王様のいる国7つの集合体。その王様たちはイスラム文化由来の「総督」という意味を指す言葉「アミール(AMIR)」という身分を名乗ってるのです。イスラム教発祥から広大なアラビア世界に拡散していく時代において、遠征軍総督、征服地総督などなどと地方統治の中で「アミール」の立場は実に重要で、いつしか地方君主や貴族、部族長などの意味も伴うようになったらしい。この「アミール」の国という意味の言葉が英語に転じてエミレーツ(EMIRATE)となったとのこと。
●油田が発見される前のペルシャ湾岸地域は、真珠を特産にした小さな漁村ばかりの土地で、対岸のイラン王朝の影響を受けたりオスマントルコの支配を受けたりしながら、帝国主義イギリスの船を襲う海賊稼業に精を出したりしてたそうな。で、海賊があまりにひどいので結局イギリスに征服されちゃう。20世紀に油田が発見されてペルシャ湾岸全体が一気に世界中の注目を集めるようになった結果、きちんとした国になろうという機運が生まれ1968年に独立。小さな王国という意味で似通っている、近隣のバーレーンカタールにも連邦参加を誘ったんだけれども彼らは単体で独立。あとから一つ首長国が加わって7つの国が揃うことになる。UAEの首都はアブダビという街で実はドバイではない。7つのメンバーであるアブダビ首長国が国土の7割を占めてて、ドバイ首長国は1割程度の規模。残りの5つは束になっても残りの2割にすぎない…。


そしてドバイ国際空港がすごかった!

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中東最大の巨大ハブ空港。いや2015年にはロンドン・ヒースロー空港の国際線乗降客数を抜いて世界最大の空港になってしまった。3つあるターミナルのうち第三ターミナルはほぼエミレーツ航空だけで独占。この第三ターミナルだけでもかなりデカイ。A, B, C の3ブロックに分かれてるんだけど、BのスミからCのスミまでちんたら歩くと平気で50分くらいかかる。Aブロックまでなんて行けなかったよ。その広大なターミナルの中に切れ目なく立ち並ぶ煌びやかなショップが24時間体制でノンストップ営業中。

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●帰国復路はこのドバイで深夜1時から朝8時と6時間以上のトランジット待ち時間があったのだが、このお店を冷やかすだけで暇つぶしなんて必要がない状態だった。バーガーキングやハーゲンダッツ、スターバックスなどなど日本でもお馴染みなお店から、スワロフスキーみたいなラグジュアリーなお店、家電からお土産のチョコ、雑誌やCDまで扱うお店が果てしなく並んでいる。上のフロアには宿泊施設もあるみたい。
買い物はUSドルでも(多分ユーロでも)一応出来るんだけど、お釣りがUAEの通貨ディルハムになってしまうので注意。レートもザックリだしね。1ディルハム=33円くらい?カードで買うか、このお店の並びにあるエクスチェンジのお店で両替するか。お釣りで手元に来たディルハムを日本円に換金したら、二千円札で返してくれた…まるで20ドル札を扱うように違和感なくナチュラルに。日本人であるボクがむしろ動揺!おいおい国内でレアな二千円札は海外に流出しとるで!
●よく見ると、やっぱりイスラム教のお国柄。「PRAYER ROOM」という礼拝のためのお部屋があった。中は当然見えなかったけど、夜明けのお祈りに合わせてイソイソと部屋に男性たちが入っていく様子が見えた。男性だけ?と思ったら、その部屋そのものが「男性用」となってまして。そうか、イスラム教の礼拝は男女別の部屋でやるのが一般的だったっけ。カサブランカのムハンマド5世空港にも「SPACE OF WORSHIP」という名前で、やはり男女別に礼拝のための部屋があったね。

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ということで、深夜なのにこの賑わいぶり。
エミレーツ航空は、ヨーロッパ、アフリカ、アジアだけでなく、アメリカ、オセアニアまで就航してるとあって、そのハブ空港であるドバイは本当に様々な人種の人たちがいて見飽きない。様々な民族衣装が渾然一体に同居している。ヨーロッパ系の人よりもアジア〜アラブ〜アフリカの人がいっぱい。だからこそ本当に多種多彩。アラブの王族みたいな白装束のヒゲ男性たちがゴールドの時計を物色してると思えば、サリー風の衣装を着たインド系の女性が子供をあやしてる。アフリカ系の人のカラフルな服はホントに眩しい。イスラム女性はベールを軽く羽織る人から全身黒装束で目しか外に出さない人まで、外部からはよく分からないルールの中で様々なファッションの多様性が豊かで。ショップの店員さんたちは東南アジア系のような人が多くて(UAEは居住してる人の8割が出稼ぎ外国人、UAE国籍の人は10%強程度という国なのです)、ルードでどこでも薄着Tシャツなアメリカ人バックパッカーがベンチで談笑してるって感じ。台湾人、韓国人のツアーご一行も結構いましたよ。

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一方で、あくまで深夜なので寝ないと体が持たない。
●しかし、やっぱり大勢の人がベンチを使ってグーグー寝てるので、寝る場所確保が実は大変。24時間空港とあって、眠りやすいソファもたくさん用意されてるんだけど、それでも足りない。ゴロゴロ寝てる人の群れを見るとある意味で難民キャンプみたいな気分にもなる。中には、キッズスペースのジャングルジムみたいな遊具の中で寝ようとして、係の人に注意される人もいた。コドモたちを眠らせても、荷物を見張っとく上ではワイフとボクは二人いっぺんに寝るわけにはいかないしね。なかなか神経を使うところだ。

●ちなみに、ここのCDショップは、中東世界のハブとあって、アラビア語圏にとどまらず、トルコ語、ペルシャ語、ヒンズー語、などなどの音楽まで取り揃えてて非常に興味深かった。…音楽の話になるとまた長くなるから、それは機会を改めて。


で、やっとのことで、モロッコ到着。

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カサブランカ・ムハンマド5世空港。
ここがモロッコの玄関口となる空港。ムハンマド5世という人物は今から2代前のモロッコの王様で、フランスの植民地支配からモロッコ独立を勝ち取った人物。現在の国王であるムハンマド6世はそのお孫さんにあたる。空港としてはボチボチ小ぶりで、そんなに迷うほどの構造でもない。
●バゲージクレームのそばに、いくつかの両替カウンターがあるので、相場を見比べて手持ちのお金を現地通貨に両替してしまうべし。モロッコも通貨はドバイと同じでディルハムと言います。1ディルハム=13円程度だったかな。日本円からの両替も全然問題なし。街の中にも銀行や両替屋さんがあるけど、銀行は土日お休みだから注意したほうがいい。ホテルでも両替できたかな?それは試さなかったからわからない…けどレートが緩い気がしたな。
●ただ、ボクらは3年前の超円高時代に換金したドル現金を結構持ってたので、これを使って円高差益を享受することにした。前回の海外旅行の時、旅行準備でボクとワイフが誤ってそれぞれでたっぷりドル両替してしまったのだ。これがだいぶの大金で余っちゃって。これをディルハムに替えたので、ちょっと違う相場感覚だった…最近の1ドル120円台じゃなくて、当時の両替レートは1ドル79円だったからね。1ドル分ですでに40円くらい差益効果をもらってた。がゆえにカードもあまり使わず極力現金払い方針で。そんな理由でドカンと1000ドル両替しました。まーこんだけ現金を持ち歩くなんてのは盗難リスクが高まるので、ワイフとボクとで持ち分け、さらにそれぞれが三カ所に分割して持つなんてことをしました。
●あと、注意すべき点は、モロッコ・ディルハムは基本国外持ち出し禁止。なので、極力モロッコ国内で使い切るつもりで。日本円に戻せなくはないけどレートが悪そうだった。それと、200ディルハムなんてデカイ単位のお札持ってても、細かい買い物には全然使えないので、極力細かい単位のお札をもらうようお願いをしましょう。


カサブランカへのタクシーは、300ディルハム。交渉の余地がなかった…。
タクシー乗り場は空港の建物の目の前にある。早速「タクシー乗るか?」的な声かけを受けるけど、白タクだったりしかねないので全部スルー。きちんとした乗り場にいるクルマの運転手さんに、事前に値段を聞いて確認。300ディルハムっていうんだけど、日本円で約3900円だからね、最初は高いなーと思ったしディスカウント交渉もしたけど、これは空港とカサブランカ中心街のテッパンの相場価格らしい。250ディルハムまでマケラれるというホテルマンもいたけど、帰国の時もガンとして運転手さんマケてくれなかったわ。ただ、45分〜1時間弱ほどの距離で高速道路も使ってるみたいだから妥当なのかな。フランス語しか話せなかった運転手さんは、ホテルマンに「オレがボッタクリじゃないってこの日本人に言ってくれ」と必死に主張してたみたいだった。

それと、モロッコはカッチリと「チップ文化」の国です。コレご注意。
●イスラム文化にある喜捨/ザカート(富める者は貧しい者に施しを!の精神)フランス統治下で移入されたチップの習慣が混じったのか、いろいろなところでチップが必要になります。ここ空港のタクシー乗り場にも、トランクに荷物を入れるだけのオジさんが待ち構えていて、すっごく愛想がよくて手際よく荷物をボクラから引き取りサクサクっと収めてしまいます。で、「オレいい仕事したよね?お礼があってもいいよね?」みたいな自己アピールをビシッとかましてくる。いきなり来たなー!とは思いつつも、コレでイチイチ揉めてもしょうがない。これがこの国の習慣なんだし。で小銭を渡す。5ディルハムも渡せば「メルシー!」とオジさんも納得。

加えて、とにかくしんどかったのは、フランス語。
フランスの植民地支配を受けたこの国の人たちは、英語よりもフランス語の方が達者ですので、値段交渉もフランス語でくるのでご注意。こっちはフランス語なんてわかんないので口頭交渉で失敗しまくり。バッテン印で「ノーフレンチ!」とアピールしてもお構いなし、というか向こうも英語は全然わかんない。二日目からはボールペンを常にポッケに入れて値段交渉は全部筆談にしました。…あ、ドバイはイギリス支配下だったし国際空港だから英語で全然不便なしですよ。達者すぎる英語にコチラが恥ずかしくなるくらい…。

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で、空港からカサブランカへ向かう車窓風景。
●空港は、都心からはだいぶ離れた場所みたい。成田空港と同じ感覚か。自生した野花が無造作に咲いていて綺麗。羊や牛が放牧されてたりと、実にのどか。そして背の高い木がほどんどない。乾燥した草原がずっと広がってる様子。


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●ここから、モロッコ最大の都市カサブランカについて語るというタイミングなんだけど。もう十分長くなっちゃったね文章が。ここから先は、また別の機会に。
●上の写真は、カサブランカの街頭の様子。帝国主義フランスによって作られた都市、その中心街にはヨーロッパの様式が忍び込んだような建物がいっぱいだった…。



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ある日トイレに、娘ヒヨコの座右の銘が突然貼られていた。

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●そのまま楽しく生きてくれ……毎日楽しく過ごす才能だけは圧倒的だと思う。
●先日「人生で一番幸せと思う時は?」と質問されて、「うーん、いっぱいありすぎてわかんないなー」とたっぷり悩んだ末に「冷蔵庫にアイスが入ってた時!」と元気よく答えてた。


スマホのアプリでNHKラジオ「基礎英語」を聞くのが我が家の習慣。
●中二に進級した息子ノマドの「基礎英語2」がいきなり難易度が上がって、ボク自身がついていけない。ゴハン食べながら、実は真剣に聞いてる聞き取ろうとしてる。きっと息子ノマド以上に。「キャナイトークトゥユーなう?」ノマドより先にボクが復唱しちゃうわ。この前のモロッコ旅行では、また自分の語学力のなさを思い知らされたからな…。


「知的財産管理技能検定3級」、無事に合格通知が来た〜。よかったー。
●「2級」に向けて勉強しないとだけど、やり切れる自信が今ない…。体力が持たない。


今日の音楽。ヘボいボクは、ヘボい音楽を聴く。

CLAP YOUR HAND SAY YEAH !「CLAP YOUR HAND SAY YEAH !」

CLAP YOUR HAND SAY YEAH !「CLAP YOUR HAND SAY YEAH !」2005年
ヘボい…ヘボいぞコレは…。ボーカルもヘロヘロだし、ギターとか実はメチャクチャテキトーだし、録音自体がグズグズしてる。ロックバンドとしてB級どころかC級の感じが出まくってるぞ。なのに、なんだこの居心地の良さは。気負いのない脱力テイストが、なんとも愛おしいぞ。カラダが弱ってる時に、この緊張感のホツレてしまったバンドサウンドは実にはまるぞ。結果的に実に美味。セイイェーイ!
リリース音源もないのに、ネットに流したMP3音源が、PITCHFOLK に注目されてそのままブレイクしたという経歴。今となってはインターネット発とか珍しくないけど、2005年段階ではインディバンドが新しいチャンネルで成功を手にする好例としても注目されてたような。少々ひねくれたポーズもブルックリン出身と言われればなんとなく納得。WIKI見ると、メンバー一人のオレバンドになって今でも活動してるとな。


REM「ACCELERATE」

R.E.M.「ACCELERATE」2008年
このバンドに CLAP YOUR HAND SAY YEAH ! と同じようなヘボさ加減を読み取っちゃってる。そんなこと言ったら大変失礼な気がするってわかってますが。本来はスッゲーシリアスなタイプのバンドだし。
●ただ、解散まで一歩手前の時期に差し掛かっていたこの時期のこのアルバムの前半戦が、どーみてもヤケクソなゴリゴリギターサウンドで、そのラフさ加減が実に投げやりに聴こえてタマラン。ベテランバンドに釣り合わない性急さとかが不自然でスリリング。80年代〜90年代前半に鳴らしていたギターポップの、線の細い文学青年の趣きはどこに消えたのか?いやいや誤解されちゃ困る、結果的にはこの乱暴なサウンドは大好物ですよ。「MONSTERS」1994年に、ゴリゴリのオルタナティブロックへ転向した瞬間とかボク狂喜しましたもん。その時代を思い出しちゃった。フロントマンの MICHAEL STIPE のカリスマも重要だったけど、ギターの PETER BUCK が意外に偉大だったわけですよ。ゴリゴリゴリゴリ!


●モロッコ旅行のお話は、続きを書きたいけど、ちょっと気合が必要なので、少しお時間ください…。まー誰にもニーズはなさそうだけどねー。


●動画も見つけてみよう。
... 続きを読む


やっと読破した。アタマがパンクする。

アラブの人々の歴史

アルバート・ホーラーニー「アラブの人々の歴史」
●ここ数週間、ずっと読んでた本。厚さ4センチくらいの大ボリュームで、値段も6000円もする!(もちろん古本で買ったんだけど、それでも3000円)このボリュームの中で、預言者ムハンマドの出現から、アラブ民族の拡大、オスマントルコ帝国、そしてヨーロッパ帝国主義列強の侵略と支配、第二次大戦以降の国民国家成立の時代〜1990年湾岸戦争一歩手前までを、ドバーッと描き切る。単純な地域の歴史にとどまらず、アラブ民族という集団がいかに形を変えてきたか、イスラム文化というプラットフォームがそれぞれの時代でどう変化していったのか、社会構造の変化から思想史までにタッチしていく。
もうこれでアタマがパンクしそうになってる。モロッコへの旅行中でもこの本を傍らにいろいろな所で読んでいた。フェズやカサブランカ、経由地のドバイ空港でもこの本を読みながら、そして本の中の歴史的事件と、目の前の風景のギャップの激しさに混乱する。アフリカの一部でもあるしヨーロッパととても近い国でもあるモロッコは、アフリカ系に近い見た目の人もいるし、ヨーロッパ人とほとんど区別がつかない人もいる。西欧のファッションから古典的民族衣装まで、服飾のバリエーションも多岐にわたっていて何が標準か分からない。ドバイなんてなおさらだ。20世紀以前の石油資源発見前は政治的にほとんど意味がなかったほどの土地だったのに、今や巨大な金満国家となって、南アジア東南アジアからの労働者まで流れ込んでますますのカオスになってる。しかし、大陸を超えて民族を超えて、ダイナミックに動き続けるのがイスラム世界なのだ。島国日本からでは理解できないスケールで物事は動くのだ。
●ただ、ひとつだけ。今ニュースを騒がす「イスラム原理主義」という言葉を使って、イスラム教の一番最初の姿に社会を戻すことが正義とみなす姿勢と、テロリスト自身が主張したりしているけど、イスラム教の原初の形が彼らの暴力を正当化するような思想だったかというと大違いであるということ。そもそもイスラム教の一番最初の姿など誰が正確に把握できようか?ということをこの本は教えてくれた。イスラム世界に宗教は大きな影響を持ってきたけど、その時代ごとに宗教と社会実情をキチンと結びつける知識人たちの活動と指導があって歴史をつないできた経緯がある。その結果イスラムはその時その時にまろやかに人々の生活にフィットしてきた。がゆえに長く現在に至るまで人々の生活実践に寄り添って存在している。確かにヨーロッパの帝国主義時代に大きな断絶があったのは間違いない。その時期の混乱が今もなおアラブ民族のアイデンティティに歪みと苦味を残しているのも事実だろう。しかし、彼らの「原理主義」は彼らが過去の歴史の中に見出したいと思う都合のイイ幻影にすぎない。
●この本を含め、イスラム世界の本をここ最近で何冊読んだだろう?それでもまだ全然つかめる気がしない。ただ、うっすらと感じたことはある。イスラムは今なお躍動的に動き続ける思想運動だ。そして世界の中で十数億の人々が生活の規範としているグローバルスタンダードだ。無視はできない世界だ。



先日は「RECORD STORE DAY」でありました。4月18日。

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●気の利いたレコード屋さんでは、割引セールとかやったりしてて。
ディスクユニオン下北沢店は、いつもに増してアナログ中心の探し物をしてるお客がいっぱい。
最近は、アナログを買う若い人が増えた気がする。いやいやもちろん統計的にはそんなことないだろう。ただ、局地的に、ディスクユニオンみたいな場所に特別な興味を持つ人が集まってきてる気がする。ボクからみると、それレコードで買う必然性あるのかな?って音源も楽しそうに買っていく…90年代の音楽ならCDと内容そんなに変わんないだろーし、CDなら480円とかで叩き売られてるかもしれないよーとかね、おせっかいなこと感じたりしてる。レコードプレイヤーも一部のお店ではたくさん売ってる。売り手も先回りしてて、アナログとともにデジタルダウンロードの権利も一緒に売ってたりしてる(←これウレシい。でもまだ買ったことはない…。)。まー音楽の楽しみ方は人それぞれだし、古い音楽をたくさん聴くことには意味がある。積み重なった歴史を踏まえることで、聴こえ方は変わるからねー。
●でボクもレコードを買う。


また PAUL MCCARTNEY を買っちゃったりしてる。まずは70年代の PAUL ね。

PAUL MCCARTNEY WINGS「RED ROSE SPEEDWAY」

PAUL MCCARTNEY & WINGS「RED ROSE SPEEDWAY」1973年
WINGS 名義の二枚目のアルバム。地味な宅録系傷心音楽であったファーストソロ「MCCARTNEY」はおいといて、奥さんとの連名 PAUL & LINDA MCCARTNEY「RAM」も、WINGS の一枚目「WILD LIFE」も、ボクにとってはあまりピンとくる内容ではなかったのですねー。でも、このアルバムはシャキッとした PAUL MCCARTNEY っぷりがちゃんと響いてくる。とっても素敵な内容。シングルにもなった「MY LOVE」をはじめとしたバラード曲がスイートで。後半のメドレー展開も、THE BEATLES「ABBY ROAD」ほどのスケール感はないけど、丁寧に作られてて素敵。
●一方で、この前後の時期に作られた大ヒット曲「LIVE AND LET DIE」とか、その他のシングル「HI,HI,HI」、「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」が収録されてない…。「LIVE AND LET DIE」は映画「007 死ぬのはやつらだ」のサントラに収録されたし、他のシングルたちは歌詞が政治的だ性的だと放送禁止になっちゃって。このへんは大体がベスト盤で網羅できるんだけど、WINGS の最初のシングル「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」はダメ。政治的すぎて PAUL 自身が大事にしてないのかな。ITUNE STOREにもない。「WILD LIFE」1993年リマスターCDにしか入ってないらしい。このへんが難しいところだ。

バンド・オン・ザ・ラン

●なにはともあれ、THE BEATLES 以後低迷してた PAUL の評価はこのへんから回復を始めて、次作「BAND ON THE RUN」1973年で完全復活する。もちろん「BAND〜」はボクも大好き!しかし、あのチャーミングなジャケでバンド WINGS は結束固くなってるのねーと思いきや、PAUL & LINDA 以外のメンバーは一人を除いてみんな脱退、3人と PAUL 人脈の豪華ゲスト(TONY VISCONTIGINGER BAKER)で制作しとるとな。じゃあ、あのジャケの大勢の仲間たちは、といえば、当時のイギリスの有名人たちだった…当時のイギリスの人もそれはわかってたのでしょうが、ボクには今までそれがわかんなかったです。


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さて、LINDA MCCARTNEY って一体どんな人だったのか?
THE BEATLES の伝説においては、どうしても JOHN LENNON YOKO ONO のカップルに目を奪われて他のところに関心が届かない。RINGO STARR は結婚してるのか?すら分からないほど。前衛芸術家としてニューヨークで活躍してた日本人女性で、PLASTIC ONO BAND でエキセントリックなパフォーマンスを残し、今尚生きた伝説として健在なのだからしょうがない。
その一方で、LINDA MCCARTNEY ってどんな人だったか、全然知らないや!とたった今思い至った。ブロンドの美人さん以上のイメージがない。ところが、今回ボクが買った本盤は東芝EMIからリリースされた日本盤LPで、年表の形で PAUL の行動が THE BEATLES 結成直前時代からこのアルバムまで月日単位で網羅されていた。その中での LINDA との出会いも書かれている。これを追いながら彼女が何者か調べてみよう。
彼女はアメリカ・ニューヨークのユダヤ系弁護士一家に生まれた育ちのいいお嬢様だったようだ。彼女の父&兄はその後 PAUL の個人弁護士にも就任しちゃうくらいなので。学生時代に知り合った地質学者と結婚して一女 HEATHER を設けるも性格の不一致にて一年で離婚。 外交的な彼女はロックンロールにハマり込んでニューヨークのロックコミュニティに潜入。いつしか様々なアーティストを追いかけるグルーピーの女王になってたのでした。一応名目は写真家ってコトで THE ROLLING STONES、JIMI HENDRIX、SIMON & GARFUNKEL などを撮影し、個人的にどんどん懇意になっていった。
●彼女が PAUL に出会うのは1966年8月のアメリカ公演ツアーの時。1966年6〜7月の日本武道館公演の翌月ってことです。あの有名な JOHN による「ビートルズはイエスキリストより人気がある」発言はこの頃。そしてこのアメリカツアーが、THE BEATLES の最後のライブパフォーマンスになる。以後はレコーディングだけで活動するバンドになり、メンバーもバラバラの個別行動が多くなっていく。そんな位置付けの時期、このアメリカツアーの間、LINDAPAUL はイチャイチャしてたみたいで。とはいえ PAUL は別のアメリカ人女性と婚約中。この段階はタダの火遊び程度の感覚?
●1967年5月、「SGT.PEPPERS LONELY HEART CLUB BAND」のリリースパーティで二人は再会。でもそれだけ。1968年5月に APPLE RECORDS 新人発掘のためニューヨークに PAUL が出向いた時にも、彼女は彼らに会って、JOHN たちと共に一晩を過ごす。こんな風にちょいちょい会えちゃうのはニューヨークのロックファンの中で彼女の存在はもう特別なものになってた証拠。娘 HEATHER の子守をアーティスト(AL KOOPER STEPHEN STILLS とか)にさせるくらいになってたらしい。しかも当時を知る知人の証言では、LINDA が狙ってたのは JOHN の方で、PAUL 自身も彼女に関心がなかった。JOHN はすでに YOKO とラブラブでしたが。
1968年7月、PAUL はそれまで付き合ってたアメリカ人女性との婚約を解消。別の女の子と同棲を始めるもこれもすぐ終了。この知らせを知るや、10月には LINDA はニューヨークからロンドンに渡って PAUL と交際開始。なんと積極的なことか。LINDA はニューヨーク時代の友人とスッパリ絶縁し、保守的&家庭的な女性に変貌。PAUL は彼女の娘 HEATHER も含めてメロメロに。一方、THE BEATLES の人間関係はどんどん険悪に。長くバンドを支えていたマネジャー BRIAN EPSTEIN が前年に亡くなって(自殺?)バランスが崩れてしまったのだ。ここでリーダーシップを取ろうとする PAUL だが、完璧主義者で非妥協的でもある彼の性格に周囲はヘトヘト。結果、1969年3月の二人の結婚式に他のメンバーは誰も現れなかったという。そして1970年4月、THE BEATLES 解散。
●彼女はその後、写真家の仕事も辞めて、PAUL の音楽活動に奉仕する。WINGS のキーボーディスト&コーラスを務める…音楽の経験も素養もない彼女がどれだけ機能してたかは微妙。ミニムーグを指一本で鳴らすのが精一杯。…でも、そもそもミニムーグは一度に一音しか出せない楽器だから間違ってはいない。女性コーラスとしての存在感は意味があるかもだし。彼女のためにキーボードのパートを簡単にしてあげるなんてことも PAUL はやってたみたいだ。カバーアートでは彼女のセンスがその後も採用される。それと PAUL がヴィーガンなのも彼女の影響。



一方、80年代の PAUL はどうでしょう。
1980年1月の WINGS 日本公演が、PAUL のマリファナ所持でオシャカになったのは有名なお話。これで WINGS そのものがしばらく機能停止してしまい、1981年に最初からのメンバーだったギタリスト DENNY LAINE が脱退。これで PAUL & LINDA だけになってしまった WINGS は事実上消滅してしまった。加えて、1980年は JOHN LENNON 射殺事件が起きた年でもある。PAUL の心の中でも何かが起きたであろう。ソロ名義のアルバムをリリースしていく時期はこうしてスタートする。

PAUL MCCARTNEY「PIPES OF PEACE」

PAUL MCCARTNEY「PIPES OF PEACE」1983年
STEVIE WONDER とのデュエットが話題になった前作「TUG OF WAR」1982年に続いて、このアルバムでは MICHAEL JACKSON との共作が目玉になってる。「SAY SAY SAY」が有名だけど、「THE MAN」という曲で二人でハモってる様子も実にイイ感じ。ピンと張り詰めてしなやかな若き MICHAEL のボーカルは素敵なわけですよ。一人で世界を作るよりも信頼できる才能とコラボレートすることで才能を増幅させることが正しいやり方なのでは?JOHN LENNON とはそんなケミストリーを作ることが出来たからあのバンドは成功したわけで。しかし今やその盟友はこの世にいないのですが。そんなこともあってか、プロデューサーは THE BEATLES 時代からの盟友 GEORGE MARTIN。ドラムに RINGO STARR も参加。元 WINGS のギター DENNY LAINE も呼んでる。
●前作アルバムのタイトルをひっくり返した「TUG OF PEACE」アフリカン・パーカッションな陽気さも斬新だし、気鋭のジャズフュージョニスト STANLEY CLARKE と共作したインスト曲も新境地。でも、最後の「THROUGH OUR LOVE」のオーケストラアレンジを背負った熱唱がとにかくイイね。このアルバムは聴きどころがいっぱいだ。
●そうだそうだ、MICHAEL JACKSON とは「THRILLER」1982年の収録曲「GIRL IS MINE」でも共作してるね。こっちも久しぶりに聴いてみた。…そうか、MICHAEL JACKSONLINDA MCCARTNEY も今やもう故人なんだよなー。



最新系の PAUL を聴いてみる。

PAUL MCCARTNEY「NEW」

PAUL MCCARTNEY「NEW」2013年
むむー…これ70歳のオジイサンが作ってる音楽だよね。2014年の日本公演キャンセルの時も、ボクはワイフと70歳オーバーのオジイサンに無理させちゃダメだよと話したもんだよ。なのに、このモダンなセンスはナニ?すっごく普通にコンテンポラリーなロックとして聴けちゃうんだけど。しかも全曲自作のオリジナルですよ。名曲カバーやセルフカバーでお茶を濁すとかないっすよ。スゲエッす。
THE BEATLES10〜20代の若気の至りで始めたバンドでした。解散時でさえ PAUL はまだ28歳だったから。JOHN が死んで WINGS を解体した時で39歳。ポップスターとしては、そこで隠居したって不思議じゃないけど、そこから実り多き80年代の活躍があって。50歳代を迎えても制作のペースもツアーの量も手加減なく盛り込んで90年代を突っ走って。1998年に約30年も長く連れ添った LINDA が乳がんで亡くなったら、彼女を追悼する意味も含めてかオーケストラ作品にもチャレンジして芸の幅をさらに拡大。60歳代になる00年代もほぼ毎年世界ツアーだよ。加えてこの時期に再婚二回してるよ、やっぱすげえよ。

プロデューサーにこれまた気鋭の才能を連れてきている。まずは PAUL EPWORTH!00年代のネオガレージに洗練を与える仕事から出発して今じゃエレクトロから R&B まで手がける男。BABY SHAMBLES、BLOC PARTY、THE LONG BLONDES、FRIENDLY FIRES、FLORENCE AND THE MACHINE、FOSTER THE PEOPLE とボクの大好きなバンドたちを手がけてる。そして ADELE、CEE-LO GREEN、JOHN LEGEND、BRUNO MARS といったR&Bシンガー、加えて U2 の全世界強制配布アルバム「SONGS OF INNOCENCE」まで手がけてる!担当曲は3曲と多くないが、詞曲で共作クレジットをしてもらっている。シングルにもなった「QUEENIE EYE」やアルバムの一曲目「SAVR US」など、モダンさと陽気さがキラキラしているね。
●二人目は、MARK RONSON!これもまた憎い人選だ。AMY WINEHOUSE を育て上げたことで武名を轟かせ、ソロアーティストとしても活躍してる。彼は本来 DJ 気質のトラックメイカーで、WU-TANG 人脈や KANYE 人脈のラッパー/シンガー、さらには SEAN PAUL のようなレゲエにも関わるヒトヒネリのユニークさを持った人物だ。初弾シングル「NEW」を手がけたのもこの男。時代感覚にフラットなDJセンスで THE BEATLESスロウバックなアレンジを四打ちアクセントに施している。
●そして三人目が GILES MARTIN。あの THE BEATLES を音楽面で支え続けた GEORGE MARTIN の息子だ。彼はラスベガスでのシルク・ド・ソレイユ公演サントラとして、THE BEATLES の原曲を公式としてマッシュアップした作品「LOVE」2006年を父親 GEORGE と共作したことで名を挙げた人物。この「LOVE」はスゴイ!原曲への愛がスゴイ。ぜひ偏見なく古来からのビートルファンにも聴いてほしい。もちろん THE BEATLES のメンバーたちとの信頼関係も固い。「NEW」の中でも担当曲の数なら彼が一番多い。仕事も一番繊細かも。「APPRECIATE」って楽曲がワザアリで好きだね。
●二曲だけながら渋い仕事をしているのが ETHAN JOHNS。彼も00年代のロック畑で仕事を積み重ねてきた人物だが、選ぶ仕事がちょいと渋い。RYAN ADAMS、KINGS OF LEON、RAY LAMONTAGNE、RAZORLIGHT などなど。このアルバムでも、素朴な楽器の鳴りをありのままに潔く鳴らしているのは彼のスタイルならでは。アコースティック要素の強いアレンジが清らか。「HOSANNA」サイケテイストまで醸し出して、アルバムの中では異色のメリハリを作ってる。
●と、あれこれ情報を並べても、若手(といってもみんな40歳代のプロデューサー)に流される PAUL 様ではないわけで。どの曲をとっても前向きのポップネスがキレイに整えられて折り目正しく並んでる。そこに気鋭の製作陣がモダンな音の鳴り響きを調整して2010年代の音楽にしてる。ベースの唸り、清らかなアコギ、丁寧なドラム、まろやかなボーカルのエコー。意外なほど堪能。あーこりゃもうしばらく PAUL のソロ作品をチェックし続けてみたくなっちゃうなあ。




●PAUL の動画、いいのあるかなあ? うん、なにかと LINDA も映ってるね。
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今、PAUL MCCARTNEY を復習中。

PAUL MCCARTNEY「MCCARTNEY」

PAUL MCCARTNEY「MCCARTNEY」1970年
先輩に誘われて、PAUL MCCARTNEY 東京ドーム公演に行くことになって。18000円もするチケットはチトしんどかったけど、先輩が用意してくれた席がアリーナのスゲエ場所で。テンション上がってます。追加公演の日本武道館だと、アリーナ席10万円だって!並の席でも8万〜6万円だってさ。
●で、久しぶりに PAUL MCCARTNEY を聴いてます。JOHN LENNON に比べて関心薄かったので、自分が何の音源持ってるかも確認しないと…。うーんと、個人的に一番よく聴いたのは「BAND ON THE RUN」1973年だなあ。あとは「TUG OF WAR」1981年…STEVIE WONDER との共作「EBONY AND IVORY」が入ってるヤツ。ソロ初期モノとして「RAM」1971年とか「WILD LIFE」1971年とか。1989年の「FLOWER IN THE DIRT」はリアルタイムで思い入れもあったがその後のキャリアには全く手をつけてないな。ベストとしては「WINGSPAN」という二枚組を聴いてる。このへんは現在ライブに向けてきちんと復習中。
●加えて、知らない音源でさらに予習をと思ってディスクユニオン下北沢へ。本当は傑作の誉れ高い「VENUS AND MARS」1975年とか、MICHAEL JACKSON との共演「SAY SAY SAY」が入ってる「PIPES OF PIECES」1983年とかが欲しかったんだけど…なかった。あと、再発やリマスターでボーナストラックの分量が全然違うのも困ったもんだ。だからオリジナルのアナログが買いづらい。有名シングルが当時はアルバム未収録だったりしてさ。
●結果、ソロアルバムとしては一番最初のコイツを購入。THE BEATLES 解散のゴタゴタ期に PAUL がスコットランドの農園に引きこもって宅録したというこの作品が、華々しい来日ライブで演奏されるはずないとわかりきった上で、敢えて買ってみた。だって「PAUL MCCARTNEY 来日公演記念!チケットをご提示していただければ価格10%OFF」ってなキャンペーンやってんだもん。歴史的ターニングポイントの一枚だと思って購入。900円。
●聴けば、マジで地味。PAUL が決して忘れない愛嬌のあるポップスという前提はギリギリ守られてるけど、全部一人で演奏したポツン感はまぬがれようがなくて。「THE BEATLES(WHITE ALBUM)」の悪ふざけスタジオ実験みたいな録音の粗末さが目立つ…一人レコーディングってのが彼にとっても実験だったからねえ。デモ音源風だったりインストの小品だったり。ただ、風邪引いて体調を崩しているボクには、この程度の奥ゆかしさが今ちょうどいい。苦楽を共にした仲間との決裂、バンド崩壊の傷心、愛妻リンダと生まれたばかりの赤ちゃんだけで過ごす引きこもり生活。優しい奥さんがそばにいてくれてよかったねポール。
●このアルバムのリリースに伴って PAUL THE BEATLES 脱退宣言を発表。事実上これが THE BEATLES 解散の瞬間。このアルバムのリリース一ヶ月後にバンドのラストアルバム「LET IT BE」が発売される。実り多き60年代が終わった。




あ、そうそう、モロッコ・ツアーのお話をしたかったんです。
今日は、モロッコに特徴的な「リヤド」というゲストハウスのお話。

●モロッコには、かつてお金持ちが暮らしていたであろう、伝統的様式のお屋敷をホテルやレストランに改修して、お客さんを招いている施設があります。それが「リヤド」「中庭のある邸宅」という意味。元が一般のお屋敷なので、大規模なホテルにはなり得ません。多くて十数部屋、少ないと4部屋程度しか泊まれる部屋はありません。そのぶん、アットホームなサービスが受けられたり、色々と融通が利いたりするのです。…あー少々値は張ります。
●この「リヤド」に泊まるのが、今回のボクらの旅の目的の一つでもありました。そして、この下の写真が、ボクらの止まった「リヤド」の中庭部分。すごく立派でしょ!中央には大理石?の大きな杯に水が張ってあって、綺麗な花びらが浮かべられていました。床には美しいタイル張りで飾られた8つの角を持つ星型の模様があって、ここにも綺麗な水が張ってあります。水が貴重な地域にとって、庭園に泉の水を引き込むコトは大変な贅沢でした。水をたたえた庭を作る習慣はペルシャ(イラン)に起こったそうですが、その後イスラム世界全域に広がりました。インドのイスラム王朝ムガル帝国タージマハルも同じ発想で廟の前に綺麗な池を作っています。でもこちらの宿では、中庭の上に透き通った屋根を張ってますので、太陽光の差す明るいロビーとして機能してます。そして建物の細部に施された様々な幾何学模様。まさに、イスラムのお屋敷!
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「DAR AL ANDALOUS - RIAD /ダル アル アンダルース - リヤド」
ADDRESS:14, DERB BENNANI, RUE DOUH, BATHA, MEDINA, FES, 30200
「ダル」「家」の意味。「アンダルース」アンダルシア地方=イベリア半島の意味。現在スペインとポルトガルがあるイベリア半島は、8世紀には伸張するイスラム勢力に飲み込まれて、1492年のグラナダ王国滅亡=レコンキスタの終了までイスラム文化圏の中にありました。徐々にキリスト教勢力に追い詰められていくアンダルシアのムスリムは、モロッコほか北アフリカ各地に大量移住。そのため、モロッコにはヨーロッパ由来の一味違う文化も流れ込んでいるというわけです。で、このリヤドもどこかしらでアンダルシア様式を採用してるようです。ま、その辺のデティールはボクにはさっぱりで。それでも、およそ100年前に作られたというこの建物の貫禄はキチンと伝わってくる。

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さて、こちらがこのリヤドのみなさん。
●左がこのリヤドのオーナー、ムハンマドさん。右の民族衣装に身を包んでいるのがサービスマンのラシッドさん。

ムハンマドさんは、日中も夜も中庭のソファに座ったりしてて、大きな声でフレンドリーにお客さんに声をかけてる。恰幅がよくて大柄、辣腕経営者なオーラを出しまくってる。だから恭しい丁寧な接客というよりは「どうだい、このリヤドの滞在を楽しんでもらってるかな?」というやや上から目線な気配すら漂っている。ヨーロッパ人客相手にも堂々と英語とフランス語でヤリトリをしてて、変に媚びる感じがない。わからない事や困った事を投げかけると「アラシッド!」とデカイ声を張ってラシッドさんを呼び、アレコレアラビア語で指示を下して対応させる。頼もしいオジさんだ。
●一方で、キッチリしたアラビア商人の側面もちゃんと出してくる。「ガイドは必要ではないかな?公式ガイドを紹介するぞ?」とか「今日のディナーは何時にするかな?今日も特別なメニューを用意しているぞ?」とか、様々な提案をしてくる。でもこのリヤドでガチにディナーを食べると日本円で一万円を超えてしまうし、外国人向けガイドも結構なお値段になる。「あーそれは必要ない。今日は外で食事をするつもりだから」とハッキリ言わないといけない。日本人風にゴニョゴニョした返事をしてるといつまでも提案してくる。一方、ハッキリとメッセージが伝わると、サッパリと諦めて後腐れを残さない。その後も普通に堂々と接してくる。

●一方のサービスマン、ラシッドさんは、いつもニコニコ、カタコトの英語をゆっくりと使いながら丁寧にボクラの世話をしてくれる慎ましやかなオジさん。…といっても年齢はボクと多分変わらないんだろうな。ラシッドさん、このリヤドを紹介してる日本のガイドブックに顔写真が掲載されてる。それをボクがたまたま持ってたもんだから、彼「この本にボク写ってるんだよー」とページを指差して陽気に嬉しがってたりして、なにかとチャーミングなんですわ。だから、ワイフも含めてみんなでラシッドさんを応援してた。部屋でノンビリしてると何回もオーナー・ムハンマドさんの「アラシッド!」という呼び声が響いてくる。その度にイソイソ出てきて働いてるラシッドさん。頑張れ!ラシッドさん!そんな彼は、非番の時間にフェズの街中でバッタリボクラと出会ってしまった時も、ニコニコしながら大きく手を振って応えてくれた。


一方、娘ヒヨコはボクのカメラを引ったくって、お部屋のチェック!
「すてきー!」と叫んで部屋の写真をパシャパシャ撮りまくり。

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●中庭から続く細いタイル張りの階段を駆け上がって、2階へ!

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こちらがメインのリビング。ふんわりしたソファとテレビがある。

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ベッドルーム、その1。この部屋の中でもう一回階段を上がった3階にある。

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ベッドルーム、その2。別の階段で昇る3階にある。後ろの窓からはリビングが見下ろせる。「ヒヨコ、この部屋ドクセンねー!もうヒメ気分!」…ということで、ホントに三日の滞在をこの部屋を一人で占拠してた。

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●ヒヨコチェックは続く。この広いバスルームで我が家の子供部屋と同じくらいではなかろうか。しかもこれが二つもあった。

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部屋の窓はすべてロビーを兼ねた中庭に向いている。建物の外側には窓は一枚もなくて外は全く見えない。外観に気を払わず、内側だけをきらびやかに飾るのがイスラム文化圏のスタイルらしい。それでも広い吹き抜けの中庭からは日光が差して個々の部屋の中まで照らし上げる。

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中庭の上の吹き抜けを橋渡しするように架かっているテラス空間。他にお客も少ないからココも自由に使っていいよと言われたよ。ふかふかソファでの読書は気持ち良かった。

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テラスから見下ろすロビー。右奥隅はレセプション。アーチ型の大きな木戸が開くとゆったりしたソファ空間が現れる。オーナーのムハンマドさんが夜になると、そのソファでタバコをゆっくりふかしながらスタンダードのモダンジャズを聴くんだよ。これが広い中庭にエコーしてね、いい感じ。
これが一般の邸宅だった時の頃を想像してみる。屋根のない中庭を中心に、一階には客間があの大きな扉の奥に複数配置してある。現在はホテルの客室だけど、来客を迎える空間として庭を眺めながら食事をしたり談笑をするパブリックな社交空間として機能していたんだと思う。一方、ボクラが泊まった2階以上のエリアは、それとは反対のプライベートな家庭空間。男性の社交に女性が関わってはいけない雰囲気がある古典的なイスラム社会では、女性や子供を来客から完全分離する空間がなくてはならなかった。夫または男性の後見人(父/兄)なくして、他所の男性に会ってはいけないのがイスラム女性の慎みだったのですから。階段がわかりにくい場所にあり、異常に狭苦しいのも、客を通すことを想定していない証拠だと思う。

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テラスの逆側を見下ろすと、レストラン空間。泊まり客じゃなくてもディナーだけなら食べられるらしい。朝食もここで食べる。給仕としてアレコレ世話をしてくれた太っちょの男性ラシッドさんはいつもニコニコしてて親切だった。
これもイスラム的な男女の分業なのだろうか?基本的に給仕や接客は全て男性であるラシッドさんの役目で、女性はほとんどボクラの前に姿を見せなかった。それでも女性もこのリヤドで働いてる。姿は見えないけど台所からはオバちゃんたちの楽しそうな談笑が聞こえてくるのだ。ベッドメイクや洗濯も女性の仕事らしいけど、これも静かに気配を完全に消してしまってる。顔を合わせたとしてもニコッとするだけ…アレはシャイな上にボクラの英語がわからなかったっぽい感じもあったけど。さらに階上の4階には洗濯機のある部屋があるんだけど、そこがオバちゃんたちの休憩場所になってるみたいだった。ラシッドさんの他にもおジイさんの給仕さんがいたが、やっぱり言葉が通じない。英語がわかるラシッドさんが一番の頼りだったー。

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レストラン側から、吹き抜けとテラスを見上げてみた。かなりの高さと開放感。一応透明な屋根を張ってあるはずなのに、時として小鳥がこの空間に舞い込んだりしたりもする。

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屋上に上がらせてもらったよ。オバちゃんたちの洗濯部屋もこの屋上近くで見つけた。オーナー・ムハンマドさん曰く「望むならココでディナーを食べてもらってもいいよテーブル用意するから」とのこと。中庭を覆う屋根が少々無粋なのだけど、確かに空の下で食事するのは小粋かも。結局お願いしなかったけど。
●建物の外を見てみたんだけど、ホントに全ての建物が切れ目なく合体しててスキマが全くない。どこからどこが誰の家かワケわからん状態だった。他所様の小洒落た屋上テラスが見えたり、洗濯物が目一杯干されてたり。外側に窓を作らない意味も理解できる…外に窓を作ったら隣家から家の中が丸見えになる。
夜中にラシッドさんにお願いしてコドモたちも屋上に上げてもらった。乾燥した空は澄み切った月夜で、東京では見られない星空を満喫できた。北斗七星、カシオペア座、オリオン座。息子ノマドはもっとたくさんの星座や星を見つけてた。

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ステンドグラスが綺麗…窓のあちこちにあしらってあって素敵なアクセントになってる。このへんがアンダルシア風なの?右の写真は玄関に続く廊下。さっきの立派な中庭に抜けるまで、玄関からこうした曲がりくねって薄暗い廊下をわざわざ通すつくりも、リヤドの一般的なスタイルらしい。玄関から屋敷の中身がそのまま見えてしまうのはよくないコトなんだそうで。埃に荒んだ外界と、清水がせせらぐ豪奢な邸宅を、キッパリと区別してるんですね。

●そんでですねー、最大のビックリがこの下の写真ですわ。

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このリヤドの外観がコレ。地味!地味すぎる!中身とのギャップが激しすぎる!こんな玄関、そのへんの横丁に無限にありますわこの街の中には!この落差はナニ?ナニを狙ってるの?一応、小さい表札でリヤドの名前は書いてありますよ。でも絶対わからない。一見さんには絶対わからない。

●実際どんなガイドブックにも書いてあるんですけど「リヤドに泊まるなら基本的にスタッフの人に迎えに来てもらえ」ってのは鉄則ですわ。
リヤドはどこも外観だけならどこもこの程度の存在感。これ、自力で発見するの不可能。さらに街の構造上タクシーも入ってこれないような場所、徒歩で重い荷物を引っ張りながら彷徨うのはキツイ!オマケに GOOGLE MAP すら信用できなかったりするんですわ。別の場所の場面だったけど地図と位置関係が完全に間違ってましたってケースがあったもん。もちろん道幅激セマのフェズの街にストリートビューなんて期待できません。

●ですので、ボクとしては、まずリヤド宛に日本から英文メールで「モロッコ国鉄フェズ駅まで迎えに来て欲しい」とお願いしました。モロッコ国鉄ホームページ(ONCFという略称で検索できます)で時刻表を読んで、いい感じの特急に乗るつもりになって、待ち合わせ時間を決めました。…でも出発まで結局返信こなかった…不安。
●そこで、フェズに入る前に滞在してたカサブランカのホテルからリヤドに電話をしました。語学が拙いボクに電話はしんどいんだけど。そしたら、わかりやすい英語をしゃべってくれる女性が出て、丁寧に対応してくれました。特急の到着時刻や便名(鉄道はおおかた定刻で動かないから必要な情報だと思った)、家族四人連れの日本人で、ボクはグレーのシャツとジーンズ、赤いスニーカーを履いている、なんて話まで聞いてくれました。落ち合ってみたら、ボクが日本から送ったメールも見ててくれたみたいなことを言ってたような。返信できなかった事情はよくワカらなかったけど。


あ、それと、「ハマム」のことにも触れないと。
「ハマム」とはモロッコ風のサウナ、みたいなもの。起源は古代ローマの「テルマエロマエ」的な浴場文化から出発してて、本来は公共の銭湯みたいなモノとして機能している。キチンとしたリヤドは、これを自前で備えていて、女性にとっては、ここでアカスリをしてもらったりマッサージをしてもらったりと、高級なアメニティ・サービスとしてオススメ物件なのだという…とガイドブックに書いてあった。イスラム世界のサウナ的文化では、いわゆるトルコ風呂も有名。国を超えた広い地域に共有基盤の文化的一貫性がしっかり残ってるのね。

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で、好奇心から、男性であるボクがこの「ハマム」を試してみた。
●オーナー・ムハンマドさんが「ウチにはハマムがあるよ?どうかね?」みたいに提案してきたので、乗ってみたのだ。「それは是非入りたい!朝飯食べたら午前中のウチに入りたい!9時でどうかな?」…するとムハンマドさん「9時?夜の9時じゃなくて?ハマムはね、本当は夕方の仕事終わりに1日の疲れと汚れを落とす意味でやるもんなんだよ…」でもなー夜は夜で外メシ食べに行きたいしなー。「わかった、もう1時間くれ。ハマムをヒーターで温めるのに時間がかかる。マッサージできる人間も探す」…なんか、ハマムのお行儀を知らなかったもんだから、混乱させちゃったな。で、またまた「アラシッド!」の呼び声とともにラシッドさんの登場。せっせとヒーターをハマムに運び込んでる…他に泊まってるヨーロッパ人はハマムなんかに興味持たないよね。だってお風呂文化が薄いんだもの。
●時間になってハマムに行ってみたら…ある意味でガッカリな予想が的中、ラシッドさんがマッサージ係としてニコニコ待ち構えていた。専門のマッサージ師が来るかなーなんて期待もしたが、そうじゃなかったわやっぱり。ハマムは全裸ではなくてパンツ一丁穿いて臨む。ラシッドさんもパンツ一丁。温まった狭い室内の、石のベッドにタオルを敷いて、そこにボクが横たわる。ラシッドさん、丁寧にシャワーでボクの体を洗う…が、まーこれがそんなに気持ちよくない。うーん普通。アカスリは、激しすぎる。イテテテ!強くコスリ過ぎだよ!って主張しようとしたら、ラシッドさん、アカスリ用手袋をドヤ顔でボクに見せて、こんなにアカが出たよ!と満足げ。マッサージも雑だったなあ。こりゃ新橋のサウナの方がいいなあ。ラシッドさん、別にハマムのプロじゃないだろうからしょうがないか。これが女性のリクエストなら、当然女性のエステシャンが呼ばれて丁寧にやってもらえたのだろう。

「ハマム」はイスラム女性の社交場なのです。
モロッコの街中ではいたるところに大小のカフェがあって、モロッコ名物のミントティーや、濃いエスプレッソ・コーヒーを飲むことができる。でも、そのカフェを利用するのはほぼ100%が男性。イスラム教では飲酒がダメなので、男性の社交はカフェのコーヒーとタバコで語らうのが一般的のようだ。ぼーっとしてる人もいれば、商談や議論で熱く語ってる人もいる。ただ、女性だけでオフィシャルに社交するのがイマイチ憚られる文化でもあるので、カフェのテラスで女性同士が女子会モードで話をするなんて風景はまず絶対見られないのだ。
●しかし、ハマムとなれば、パンツ一丁の銭湯なので当然男女別、女性は男性の監視を離れて、女性同士で心ゆくまで世間話をすることができる。モロッコは完全な洋装でベールを被らない女性もいるけど、黒い装束で全身を完全に覆って目しか出さない人もいる。しかしハマムでは身を隠す配慮も必要ないとあって、素顔の付き合いができるというわけだ。結果、ハマムは女性だけの社交場として機能しているという。

森薫「乙嫁語り」

森薫「乙嫁語り」7巻
ハマムに関しては、このマンガに詳しく紹介されている。この作品は、19世紀の中央アジアで暮らす女性たちの群像劇を、結婚や夫婦生活、部族社会の親戚付き合い、夫との死別などなど様々な場面を織り交ぜて描くモノ。7巻ではペルシャの富豪夫人が豪邸の外に出て、ハマムで出会った女性と友情を育む様子がテーマになっている。ペルシャ=現イランとモロッコ、地理的には大分離れているが、彼女の暮らす豪邸がリヤドにシンクロしたり(特に水をたっぷり引いた庭園とか)、ハマム文化の様子がシンクロしたりと非常に興味深い。
●一方、この作品は、衣装や料理などの意匠にしっかり時代考証のリサーチがなされているのに、礼拝など直球なイスラム教の宗教生活については全く触れてないのが、以前からボクには疑問だった。ただ、これは現地に旅行者として訪ねてなんとなく感覚的に納得できた。この地域の文化を第三者として観察旅行していくイギリス人研究家が登場するのだが、彼の視点では現地の宗教生活が見えないのだ。これはボク自身が旅行者として数日滞在しただけでは、現地の人々のど真ん中の宗教生活に全く触れられなかったことと、体験的にシンクロしてる。
●ただし、彼らの生活様式の中には間違いなくイスラム教が深く根を下ろしている。これは間違いない。それがカフェの客層であったり、ハマムの位置付けだったりと、生活の細部にチラチラと浮き上がってくる。例えばムハンマドさんの夜の様子。彼は毎晩モダンジャズをステレオで鳴らしながらソファでタバコをゆったりと燻らせていたが、そこで登場しがちなアルコール類は一切出てこなかった。「アラシッド!」ラシッドさんを呼びつけて持って来させてたのは、なんと炭酸ジュースだったのだ。それをワイングラスに入れて美味しそうに飲んでた。外国人相手のビジネスを仕切り、お客には酒を提供するムハンマドさんでも、飲酒を禁止するイスラムのルールはしっかり守っているのだ。



●モロッコのお話、もうちょっと続けたいです。
●フェズという街までのアクセスも、今後ご紹介しようと思います。個人旅行スタイルなので、今回は特急の切符も全部現場調達しています。タクシーも利用にはコツがいる…。そういったノウハウを盛り込みたいなと。あと、カサブランカという街もね。これまた特別な場所だから。



●ブログ更新がなかなか出来なかったです…体調崩しちゃって。
●風邪引いて声出ないし、ウイルス性胃腸炎だっていうし、肝臓の数値も悪いから血液検査まで。
●なんだか疲れちゃったみたいですわ。



3月下旬から4月アタマの一週間で、海外旅行に行ってたんです。
行き先は、北アフリカのイスラム国家・モロッコ。
●あまりにも刺激的。刺激的すぎる。
●帰ってきてのボクの率直な感想は「思った以上にへんな国だった…」。あ、息子ノマドに言わせれば「へんじゃないと思ってたのが異常だ」と。

●で、ぶっちゃけ、具合悪くしてます。マジで過労。
●サラリーマンとしては、一週間休暇とって、それで寝込みましたで会社休むのは最悪なので、先週は体調最悪ながら這うような気持ちで出勤しとりました…。今日はムリ!もう休む!と毎朝思いながらも、なんとか小田急線に自分の体を乗っけてました。


●つーかね…最初はそんなところ行く予定じゃなかったんです。
娘ヒヨコの小学校卒業旅行、という位置づけなので、ヒヨコの希望「ロンドン行きたい!」を想定してました。
●ヒヨコの学校の友達で、2人ほどイギリスに転勤引越しした子がいて。ヒヨコなりに興味があったのでしょう。楽しい映画シリーズ「ナイトミュージアム」第三弾も大英博物館が舞台だというしね。ふん…じゃあ大英博物館に行こうかーでボクは本場ロンドンのレコ屋にでも行こうかーなんて考えてたのが2月。でも3月末にボク自身が会社休めるかなー?なんて心配もあって。

●で、3月。出発予定の2週間前。いきなりボクの中で気分が変わったんです。
●ワイフが問うのです。激安航空券だと、ドバイやカタール、またはバーレーンなどの中東経由のトランジットになる。これからエア押さえるけど、どれがいい?
中東経由ねえ…中東…。


あのさ、そしたらさ、ボク、イスラム文化圏、行きたいわ。
なんか、今、イスラム社会の普通の姿、見ておきたいんだわ。

●シリアの内戦からのISISのテロや日本人人質殺害事件とか。フランスのシャルリーエブド事件とか。殺伐としたイスラム社会の話題が世間を騒がせている今だから、本当のイスラム社会、普通に平和に暮らしているイスラムの人々の姿、見たいんだわ。コドモたちにも見せる価値あると思うんだわ。とにかくボクの中でイスラム社会のコトがずっと頭の中でモンモンと引っかかり続けてるんだわ。イスラムの真っ当な姿をリアルに見て、この自分の中のモヤモヤをスッキリさせたいんだわ。

だからさ、モロッコに行こうよ!
●前々から行きたいと思ってたのよ、モロッコ。ビートニクス作家のポール・ボウルスとか、アレン・ギンズバーグウイリアム・バロウズモロッコを訪ねてるし。60年代には、THE ROLLING STONES のメンバーも何回も遊びに行ってるし。彼らはタンジール(タンジェ)に行ってたんだよな。CROSBY, STILLS & NASH のレパートリーにもモロッコの名所を題材にした「MARRAKESH EXPRESS」って曲がある。マラケシュもいいよな。でも、やっぱさ、ここは世界遺産の古都・フェズにしよう!

というボクの突如の変心。…に、当然ワイフ&コドモドン引き。
●大丈夫大丈夫!モロッコにはテロリストいないから。トルコと同じ程度でしょ。トルコはボク十数年前に行ってるから次はモロッコね。ヒヨコ、この前、東京ジャーミイでイスラムのお祈り見たでしょ、あのノリだから平気だよね?だから今回はモロッコにしよう。ノマドは世界遺産好きだろ?メキシコのチチェン・イツァにも行ったよな。ロンドンはさ、たぶんいつでも行けるしさ!ということで家族のご希望ご意見は圧殺。ロンドンのホテル、アフターヌーンティー、ハロッズとかとかのお買い物とかを夢想してたワイフのプラン全崩壊。コドモたちもキョトン。しかし我が家のパパは言い出したらもう止まらないということは知っている。

●一方で旅行直前に起こったあの事件、チュニジアで外国人観光客を狙ったテロで日本人が3人殺されてしまった事件には、さすがにボクもチト引きましたが。チュニジア「アラブの春」を一番幸せに通過した国だと思ってたのに。モロッコチュニジアの隣の隣、ご近所の国。わざわざ実家から電話かかってきて父親が「本当に大丈夫か?」と。でも外務省の注意喚起でレベル2だから平気だよ。エボラ出血熱も同じアフリカってだけで結構遠い場所の話だから平気。あくまで予定に変更なし!

●帰国してから知ったニュースとして、ぼくらがモロッコ滞在時にもいろいろなことが起こっていた。ケニア〜ソマリア国境の町でキリスト教徒140人以上の大学生を殺しまくったイスラム過激派ゲリラの事件があった。アラビア半島南部のイエメンではシーア派勢力がスンニ派政府を打倒亡命させて、サウジアラビアが空爆&国境エリアに地上部隊を展開してるナイジェリアのテロ組織ボコハラムが輪をかけて凶悪で政府軍と戦ってる。モロッコ国内では、つい先日にバスとタンクローリーの衝突事故で31人が死亡。うーん、やっぱりやっぱり今のイスラム文化圏のキナ臭い情勢は間違いない。
●でも、だから、今、行く価値があったと思ってる。



モロッコという国の基礎情報。
●…知ってる人は知ってるけど、知らない人は全然イメージつかないらしいので、一応ね。
●国名:モロッコ王国……立憲君主制を採用している意味では、日本やイギリスと同じタイプの政治体制です。二院制議会の第一党から首相が選出されるそうで。今の国王はムハンマド6世という人。1963年生まれだそうで。
●位置:アフリカ大陸の北西端大西洋に面している。地中海を挟んでスペインと向き合う関係。イギリスと同じグリニッジ標準時なので日本との時差は9時間。サマータイムにご注意。
●気候:夏に乾燥し冬に降雨がある地中海性気候。緯度としては主要都市がある地域は東京とほぼ変わらないので、一日の平均気温は東京とさほど変わらない。ただし、一日の中での気温差が激しい!上着を脱いだり着たり。
●地形:国土の中央をアトラス山脈が背骨のように貫いている。山脈の北〜地中海沿岸の平野地方は緑の豊かな草原が広がっており、主だった都市もこの地域にある。アトラス山脈は4000mを越える高い山を持ち、積雪もあるほど。アトラス山脈の中の盆地にも都市が栄えている。アトラス山脈以南はサハラ砂漠につながっている。
●言語:公用語はアラビア語とベルベル語。植民地時代の宗主国であるフランスの影響で、フランス語を話せる人が多い。一方、英語はけっこう通じない!思った以上に通じない。日本語が達者な人には全く会いませんでした。ここの国のアラビア語は標準的な言葉に対してモロッコ方言が強く入っているらしいので、書き言葉は別として口語では伝わりづらいという。ベルベル語とは、アラブ=イスラム化する以前からこの土地に住む先住民族の言葉。ベルベル人は人口の3割を占めている。ちなみに人口は約3110万人(2008年)。
●宗教:イスラム教を国教と定めていて、国民の9割以上がスンニ派のムスリム。一方で、憲法で信仰の自由が認められている。伝統的にキリスト教徒やユダヤ教徒も暮らしているという。



さて、我々は、この国の世界遺産都市、フェズを目指しました。

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fes絵葉書

フェズは、モロッコ最大の都市カサブランカから、特急列車で4時間ほど内陸へ入ったところにある古都。
その成立は8世紀。モロッコで最初のイスラム王朝であるイドリース朝開祖ムーレイ・イドリース一世によって建設され、その息子のイドリース二世によって首都とされた町。その後約2世紀に及んでモロッコ〜北西アフリカの都として栄え、政権が変わっても文化・商業・教育・信仰の面で重要拠点であり続けた都市。ちょうど日本の京都と同じような感覚だよね。平安京が794年だもんね。世界遺産への登録は1981年。日本のどの世界遺産よりも10年以上も早い登録、エジプト・ギザの三大ピラミッドが1979年登録と比べれば、その文化的価値は昔から高く評価されていたことがよくわかるのでした。

フェズが注目される大きな理由は、その中心市街地(「メディナ」=旧市街と呼ばれます)が1000年前からほとんど変わらないままの姿で残っていること。ある研究によれば、中央の市場や様々な種類の工房の集まる位置や規模は16世紀と20世紀初頭でおおむね同じであることがわかってます。
●結果として、その1000年前の姿のまま、泥レンガを積み漆喰で塗り固めた古い建物たちが絡み合って超高密度に寄せ集まり、その間を自動車一台入れない細い路地が無秩序に広がっている。まさに「迷宮都市」。地図なしでは歩けない、いや地図があっても大変な思いをする。街の外郭は城塞に囲まれており、幾つかの大きな門が街の中へ開かれているが、門から内側の移動手段は基本全部徒歩。地元の人でもリアカーっぽい荷台を引っ張るか、ロバの背中に荷物をのせるか。バイクだって入ってくるのはかなり困難。オマケに微妙に街全体が傾斜しており、無視できない起伏がますます歩く者を消耗させる。これがこの街の最大の個性。「迷宮」の大きさは東西南北に2キロ程度であろうか?しかし不用意に歩けば、市街中央にあるカラウィン・モスクまでの一キロに2時間くらいかかる。

●ちなみに、写真一枚目は、ブー・ジュルード門(BAB BOU JLOUD)。この街の一番メジャーな玄関門であり、2本あるメインストリートである、タラ・クビーラ通りタラ・スギーラ通り(TALA'A KBIRA、TALA'A SGHIRA)の起点にも近い場所。主だった観光客は、タクシーでこの門までやってきて、ここから1000年前から姿を変えない迷宮都市へダイブすることになる。

何しろ人間の密度が濃い。例えて言えば、原宿竹下通りの土日の賑わいが、その竹下通りの半分の幅の道を往来している。メインストリートでも竹下通りの半分かそれ以下なのですよ!それで、沿道のお店の人々がパワフル。観光客向けのおみやげ店から完全地元民向けの生活雑貨店、各種様々な職人の工房、料理屋、カフェ、肉屋に八百屋にスパイスの量り売りが狭い通りにせり出し自己主張、テーブルや商品を並べまくる。そこから数メートル横道に踏み込んだ場所から、学校や幼稚園、モスク、隠れ家的な宿屋が突然登場してくる。まさしくカオス。フェズ到着の初日に大まかな地理を掴もうと、フラリ街区に潜り込んだらいきなり迷子になってメチャメチャ消耗した。

●写真はたくさん撮ったから、そのカオスっぷりをまずは感じて欲しいかも。

食品のスーク1

タラ・クビーラ通り(TALA'A KBIRA)の起点付近は、食料品のスークスークは市場の意)になってる。これが最大の道幅で、これがドンドン狭くなる。建物同士はお互いを支え合うように絡み合い、時にアーケードのような屋根を持ったりもする。

紫のカフェ

タラ・スギーラ通り(TALA'A SGHIRA)の起点近くには、カフェレストランがごちゃごちゃ集まってる。このへんには地元民も外国人も気楽に食事/お茶休憩できるイイ感じのお店が多くて助かった。めまぐるしい雑踏を眺めながら、モロッコ名物のミントティーを飲むと落ち着く。ちなみに、タラ・クビーラ「太い坂」タラ・スギーラ「細い坂」の意。ボクに言わせればどっちも細い!ただし、ずんずん進むと本当に突然急な下り坂になって不安になる。

バブーシュ屋さん

個人的な印象だが、観光客向けのお店が多いのは、タラ・スギーラ「細い坂」の方だったかも。
●モロッコの伝統的な革スリッパ、バブーシュのお店がいっぱいあった。カラフルで楽しいし種類も豊富。女性用をワイフがお土産にたくさん買っていた。男性用もあるので自分のために買ってみた。近所のカフェまでつっかけて歩くと気持ちよさそう。モロッコの買い物は基本的に値札がないので値切り交渉が必要。さすがアラビア商人。相手はフランス語メインなのでコッチの英語が通じない。ボールペンや電卓で数字を意思表示。安いバブーシュは40ディルハム〜70ディルハム(1ディルハム=約13円)から。でも気の利いたヤツは100ディルハムくらいだったかな。

バッグ屋さん

●とにかく革製品が多かった。革バッグもたくさん売ってる。革ジャンもね。なめし革職人の工房が集まってるエリアもあるらしくて、ガイドを名乗る男たちが日本語で「ナメシガワ、ミル?」と声をかけてくる。自称「ガイド」は大勢いて、道を聞いただけでガイド料をせびってくるので要注意。それと、商品が道の上下左右に限界までせり出してくる。これはお店の中に入ろうとしてる写真じゃなくて、普通に道を歩いてる様子。メインストリートであるタラ・スギーラが建物のトンネルを通り抜ける時、頭の上にどこかのお店の商品がぶら下がってる。

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ひたすらに、おびただしい色彩にさらされる。街路の壁面が全部バブーシュ。一方で右の丸いものはなんだろう?と質問してみたら、革のクッションだそうな。器の形をしてるので中にネコが寝るんだろうか?と思ったが、裏面にジッパーがあって、そこから衣類などをたくさん入れて膨らますことで、丸いクッションになるそうな。今では洋式家具が普及したが、アラブ系文化の家庭生活は床に寝そべりスタイルだ。立派な絨毯を敷いてクッションにもたれて寝そべる。床に食器や飲み物を並べる。…で、これも街路の壁面を勝手に占拠してる。優れた革だぞと証明するために、お店のお兄さんはライターでクッションを炙ってみせる。合皮じゃないぞと。

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●衣類で占拠されてくメインストリート。羊毛なのかな?毛織物のジャケットがカラフルで。全部手で織ってるんだぞ!とオジさん。姪っ子たちに子供用買うついでにボクも自分用を買ってみた。イイ感じと思ってさっそく現場でも東京でも着てるんだけど…地元の人は誰も着てなかった…地元でイケテナイなら世界中どこでもアウトか?あと、重ねて言いますが、モロッコは一日の中での寒暖差が激しくて、日中は半袖になりたくても夜は分厚いコートが欲しくなるほど。地元のオジさんたちも常にジャンパー着てるし。半袖なのは元気な子供とヨーロッパ系バックパッカーだけね。
女性の衣装はまさに多彩で説明できない…いろいろなスタイルがいて。完全に西洋風であったり、民族衣装にもいろいろな着こなしがあったりで、外部からではルールが理解できない。あの民族衣装って宗教的ジェンダー観に由来してるというより、この気候の中での合理的必然性の結果から着地してるんじゃないだろうか。強い日光…冷える日陰…あの衣装の下では様々な重ね着ができるからなあ。東京ジャーミイでイスラム教についてガイドしてくれた日本人ムスリムのオジさんが言ってたんですよ。「女性にヴェールを強制すると言われますが、あの習俗はイスラム以前からの習慣なのです。イスラムの生まれた乾燥地域では男性でも女性でも肌を出して過ごしたりしません」現場でその言葉がすごく響いてた。
●あとねー。羊はたくさんいたなー。郊外に放牧されてる羊、お肉屋さんに並んでる羊。そんなこんなでボヤボヤしてると、イチゴいっぱいの荷車を押したお兄さんが坂道を逞しく上がっていく。はいはいソコどいてーと声かけながら。ていうか、往来が激しすぎて落ち着いて写真がとれない。

●ちょっと機関銃のように、羅列してみます。

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●おばあちゃんと孫たちかな。ティーンくらい〜未婚?のお年頃まで娘さんは髪の毛を隠してなかったりもするし、ヴェールを被ってたりもするし。ファッションアイテムとして選んでるみたい。女の子が着てる白い服は、コッチの女学生の制服らしい。女子高生くらいの子までが着てた。男子はみんなサッカージャージ。サッカー大好き。ヨーロッパで活躍する日本人選手の名前をアレコレ言ってた子がいて。ボクがサッカー無知だったゴメン。

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●で、ヴェールのお店。巻き方もいろいろな流行やオシャレがあるみたいで、その多様っぷりもすごかった。こちらが思う以上に自由。あそこまで行くと、女子としては気合で工夫しちゃうところだね。まつげにマスカラ盛りまくるよりクールだと思う。マネキンが無愛想なのはご勘弁。もっとひどいのはマジックで目を描き込まれてた。

スパイス屋さん

●スパイス屋さんのおジイちゃん。なんか話しかけられたが全く意味がわかんなかった…。

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●本屋さん。ご主人たちの背中にあるゴールドの背表紙。こんな立派な本は他に見なかったなあ。でも、見せてくれっていいづらい空気だった…読めないし。

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●大理石?に文字を彫り込む職人の青年。アラビア文字は本当に不思議で。日本の書道とは別次元の美意識がすごい。で、相変わらず読めない。単語の切れ目もわからない。結局なにを彫り込んでるのかもわからない。

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●前述のイチゴのように荷台で運ばれていくパンの山。古代ローマ時代から小麦の穀倉地帯だった北アフリカは、小麦の食べ方も多様で。クスクスも小麦だからね。そしてパンの種類もいっぱい。そしておいしい!

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街角に普通にロバさんがいます。工事現場に建材を運んだりするのは彼らの任務だね。レンガとかコンクリとか。油断すると、彼らのウンチを踏みます。

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えー、この段階は完全に迷子状態。一歩賑やかな道を外れると、いきなり人気がなくなるし、日光も建物に遮られて薄暗くなっていく。ただ向こうから女子高生の女の子が歩いてくるってことは行き止まりじゃないってことだよね。地図で道を聞こうにも、地元民ですら地図じゃ場所説明できないんですわ。とあるお店のご主人にこの場所この地図のどこにある?と聞いても「わかんねえ」って言われた。

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とにかく「迷宮都市」。カオティックなわけですよ。雰囲気伝わりました?
●で、一時間以上もフラフラしてるとやっと中央部に近づくのですよ。

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●ピンボケ恐縮です。タラ・スギーラ通りがタラ・クビーラ通りに合流/吸収されて、さらにズンズン進むと地元度がどんどん進みます。洗剤とか売ってる日用品のお店や、雑貨を作るための材料、生地や糸などの問屋さんみたいなお店が増えていきます。街の雰囲気がどんどんレトロにもなっていきます。街の中心部に近づいてきたのです。

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●で、突然重要な宗教的史跡が現れます。これは「ムーレイ・イドリース廟(ZAOUIA MOULAY IDRISS)」フェズ建設の功労者ムーレイ・イドリース2世のお墓です。なにせ道幅は狭いまんまだし、空を見上げてもランドマークになる塔とか建物に遮られて見えないし。タラ・クビーラから脇道に入ってこのヘンかなーとさまよってたら、いきなりこのゴールド仕様の建物に出くわしましたわ。ビビりますわ。周囲せまくて全景も見えないし。

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●で、これが「ムーレイ・イドリース廟」の中。でも、ムスリム以外は入っちゃいけません。これ、上の写真の正面入り口に立って撮影させてもらったもの。往来も激しいので水平ズレてますがこれが限界。モロッコでは、基本的に現役稼働の宗教施設にムスリム以外の人は入れないようです。ただ、この入り口とそこからのぞく様子だけでも、圧倒的な美しさに息を飲みます。

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●さらにゴチャゴチャ歩くと(このヘンで道がもうわかんなくなってます)、白人観光客がたむろってる場所がありました。これがなにかというと。

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この街最大のモスク、「カラウィーン・モスク(MOSQUEE KARAOUIYNE)」です。
9世紀に建立されたこのモスクは、宗教的性質にとどまらず、中世〜近世にわたってあらゆる学問の研究センターとして多くの学者や学生、政治家や有力者を集めていたそうで。キリスト教徒との文化交流の場として機能してた時代もあるそうな。800あるというこの街のモスクの中でも別格の存在で、今なおこの街の精神的支柱であり続けている。礼拝堂は2000人も収容できるとな。
●でもね、やっぱりムスリム以外の人は立ち入り禁止なのです。この場所からモザイク床が綺麗な中庭を見るので精一杯。空気が読めない白人のオジさんが無粋にこのモザイク床に一歩降りただけで、右に立つ青いローブのオジさんが威厳を持って「ここはアンタ方の場所ではない」と外に連れ戻します。
●実はね、地元の人たちの具体的な宗教生活ってのは結局この旅行じゃほとんど見ることができなかった。1日五回の礼拝の時間には、その時間を知らせるアザーンの声がスピーカーから聴こえて来るんだけど、賑わう街の人々が一斉にお店の営業を止めて礼拝するなんてことはない。見た目上じゃ完全スルー。ただ一方で、アザーンに合わせて街中に散らばる小モスクに、オジさんたちが数人駆け込んで行く様子は見た。信心も人それぞれなのかも。でもそれ以前に、ムスリムの大事な時間を異教徒に見せない工夫がしっかりできてるのかもしれない。小モスクにしたって、駆け込むオジさんがいて初めて「あ、あの木戸の中がモスクなのか」と認知できるほどで。街が混沌とし過ぎてモスクすらどこにあるかわからない。

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こちらは「アッタリーン・マドラサ(MEDERSA EL ATTARINE)」。
カラウィーン・モスクのご近所。マドラサとは「学院」の意。中近世イスラム社会でエリートを輩出した高等教育機関で、ここは14世紀に建てられた神学校。イスラム教エリートは、神学にとどまらず、聖典コーランなどを社会秩序の規範にしたイスラム法(シャリーア)の解釈研究をしたり、古代ギリシャ/ローマ文明から伝わる学問やインド以東のアジア文明から伝わる知識を結集して、天文学・数学・医学・歴史・地理・語学なども学んでいた。熱心な学徒はイスラム世界各地を巡って高名な学者に師事しては免状をもらって旅するなんてこともしてた。聖地メッカへの巡礼が信仰の重大事だったので、イスラム世界は遠距離旅行も珍しくなかった。西端とも言えるモロッコも決して僻地というわけではなかった。

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●白いローブのガイドさんが説明しようとしているのは、メッカの方向を示す「ミフラーブ」ではなかろうか。いや、ガイドさんの話聞いても語学に疎いボクにはよくわかんないんだけど。さすがにもう学校としては使われていないこの場所は、今では異教徒も敷地に入れるのだけど、礼拝の時間だけはダメらしい。

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●壁の文様をよーく見ると、幾何学模様だけではなくてアラビア文字のカリグラフィーが仕込まれてた。ヒヨコが指差す場所のもう一段上も彫り込んだ文字で飾られている。この施設はコレそのものが世界遺産指定。マドラサはモスクを中心にして他にも数か所あるみたい。

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カラウィーン・モスクの裏手「サファリーン広場(PL. SEFFARINE)」
●さて、さらに街の奥地に進んでいきたんだけど…むむむ…ちょっと困った。元来から、職業や職能で工房や住居のエリアが仕切られていたのがこの街の構造。この小さな広場の周りは金属細工の職人さんのエリアだ。もうその手のお店ばっかしかない。

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●広場の真ん中で、トンテンカンテンとお仕事する若い職人さん。奥には工房の前でビジネストークするオジさんたち。

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●金属細工となると実にきらびやかでもありますよ。ただね、旅行者としては、ちょっと弱ったことになってて…。

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綺麗なお店や工房がいっぱい並んでるんだけど、本当にそれしかない!
●ブージュールド門からモスクまで歩き通しのボクら、一旦カフェで休憩してガイドブックを見ながら体制を立て直したい。しかし、マジで職業別にエリアが区切られているので、カフェの一軒どころか、座って休めるところすらない!もうヘトヘトなのに、休憩できない!目印になるメインストリートもモスクまでで終わってしまって、目印になる道がない。この先も見所はあるはずなのに。

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この先にあったのは「スーク・ダッバーギーン(SOUK DABBAGHIN)」。
●これ、絵葉書から拝借した写真ね。この街の中央を流れるフェズ川のほとりにあるなめし革染色職人エリア。きっとこの街のあらゆる革製品がここで染められてるのかも。中世古来からの伝統的手法が今なお続いているとな。…でも、奥が深すぎた。結局、この街の東半分には手がつかなかったよ。3日間も「迷宮」にダイブを繰り返したのに。

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疲労困憊したボクらは、ここでこれ以上の探索を断念。ブージュールド門に引き返してカフェが集まってる場所まで撤退。あそこも職能別の住み分けでカフェが集まってたんだな…。バブーシュ屋さんもかばん屋さんもまとまって存在してたのはそんな理由か。この街あなどれないなー。
●この写真のおじさんは、路上で器用に金色の糸を撚っておりました。職人。このへんはサービス業のエリアじゃないということか。



しかし、フェズ、そしてモロッコの面白さ、奥深さはこんなものではないのです。
●ボクらが滞在した「リヤド」という宿泊施設について説明しなくてはなりません。イスラムの高級邸宅をホテルに改装したもの。ほんの数部屋程度しかないので、宿の人々との関わりも深くなる。とても楽しい経験でした。下の写真が、ボクらの「リヤド」のロビーね。
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●ということで、このモロッコツアー、もう少し、このブログで取り上げていきたいと思います。



●もちろん、音楽もいっぱい仕入れてきたけど、聴き応えありすぎてまだ消化できてないっす。そちらはお時間くださいな。