途方に暮れて、夜の隅田川。
●ヨソ様のオフィスで打合せを終えて、電車に乗るのも億劫なほど疲れ果てたから、真っ暗な街の中をデタラメに歩いてたら、パッと広い川が現れた…隅田川か…。潮の匂いもするんだな、結構陸地の中まで入ってると思ってたこのあたりでも。気づけば日本橋から両国まで歩いてた。

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●帰りたくないなあ、このままボケーっとしてたいなあ。人気のないマクドナルドの二階席のスミでコーヒー飲んで、そこからまた錦糸町まで歩いて。錦糸町の駅前はわりと賑やかなんだなー。中央線に乗りたくなくて、スカスカの半蔵門線にゆったり座って。


PAT METHENY「WATERCOLORS」

PAT METHENY「WATERCOLORS」1977年
夜の川面をみて、「水の色」ってまぶしいなあって思ってた。名ギタリスト初期のアルバムの、端正なギターの音を、ポロポロと聴きながら、ポロポロ泣けてきちゃう気分になった。それくらい、川面とこのギターの音が美しかったんだね。レーベルはドイツ系の ECM だからさぞ真面目だろうなと思って買ったんだけど(150円だった)、キラキラと表情を変える水面の様子のように一つ一つの音を丁寧に、そして流れるように奏でる佇まいが、夜にとっても優しい。



●帰り、終電近くの渋谷で乗り換えたら、ハロウィンの馬鹿騒ぎに遭遇して、すげえ萎えた。

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ここ最近、ウロチョロして訪ねたレコード屋さんたち。

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下北沢・JAZZY SPORT 下北沢店。
●下北沢は栄枯盛衰が激しい場所で、お店の入れ替わりがとにかく激しい。娘ヒヨコが大好きだったステーキハウスも閉店するってさ。飲食もカフェもアパレルも本屋も全部激戦。今年のトピックは南口商店街に出来た韓国系チェーンのフローズンヨーグルト屋さんかな(ヒヨコはフロヨと呼ぶ)。夏の週末には行列ができたり。そのフロヨ屋の裏手の雑居ビル3階にこのお店を見つけた。だってヒューマンビートボクシングの音が窓から漏れ聴こえてくるんだもん。びっくりだよ。
まずお店の名前でびびった。JAZZY SPORT DJ MITSU THE BEATS が主宰するヒップホップのインディレーベル。お店は学芸大学岩手・盛岡にあるはずなのだ。ボクは10年近く前に盛岡店で買い物したことがある。そん時はUKダブとか買ったかな?綺麗な景色の川沿ににある木造のお店が印象深くて。今の盛岡店はそこから引っ越してボルダリングのスタジオを併設しているらしい。で、この下北沢店には小さいスタジオがあって、ヨガやダンスのレッスンが行われてるのだ。ボクがたまたま耳にしたのは、あの日本最高のヒューマンビートボクサー AFRA さんのワークショップ。お店に入ってこれまたビックリ!うわ AFRA さんが目の前でレクチャーしてるよ。…在庫の方はちとオシャレ過ぎて悪食好みのボクにはちと持て余す感じだったが、気になるモノはいくつかあった。出直してキチンと買い物したい。

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経堂・ハスキーレコード。
●経堂駅の南口をテクテク歩いてちょっと脇に入ると、陽気なご主人が切り盛りしてるこのお店が見つかる。話好きなご主人が気さくに声をかけてきてくれて、オススメの盤を片っぱしから聴かせてくれるんだよ。多分お客の顔や態度で好みを推測してくれてるんだけど、ボクには珍しい国のワールドミュージックをたっぷり聴かせてくれた。確かに在庫も非英語圏に偏ってるかもしれない。最終的にはブラジルものを買ってしまったよ。そもそも東京でご主人と話し込めるお店は珍しい。音楽好きとお話しするのは楽しいよね。

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東陽町・ダウンタウンレコード。
東陽町ってそもそもドコだよ?地下鉄東西線で東側に行って門前仲町の隣までいくトコロ。東京に3カ所ある運転免許試験場のうちの一つ、江東運転免許試験場がココにある。ペーパードライバーになっちゃったけど免許の更新はしてるボクが、試しに検索したら駅の近所にレコ屋があるコトを発見したってワケ。アナログ100%の清潔なお店。それなりのアイテムとそれなりのお値段、と思ったら、やっぱり激安の棚があって、そこで悪食な買い物をしてしまった。しめしめ。

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下高井戸・トラスムンド。
●ヨガ教室で最近よく通ってる明大前はレコ屋が滅亡してるので、隣町である下高井戸まで足を伸ばしてみた。本来的にはヒップホップ系のお店なのかな?それがオールジャンルまで手を伸ばしてる。DJさんが手放したアナログ盤がまるっと段ボールで出てたり古本もアレコレあったり。世田谷区にはまだまだレコ屋はいっぱいあるのでもっとアグレッシブに掘り込まないといけないな。

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神保町・ジャニス2
古本屋街で有名な神保町は、レコ屋地帯としても超重要地帯だわな。特にこのジャニスはこの街のレコ屋文化を支えるコアの一つ。今時珍しいことに、ジャニス1はレンタルショップなのだ。だから販売がないので実はほどんと利用したことがない。こちらのジャニス2は普通の中古販売店。意外な掘り出し物があってうれしかったね。神保町から御茶ノ水にはディスクユニオンがいくつかあるし、これまた老舗のレコード社も健在のはずだ。あとカレー屋がおいしいね。

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江古田・ココナッツディスク江古田店。
●ちょっとした縁が江古田に出来て、その度にちょくちょくチェックするようになったお店。単価が安くないのでそんなにたくさんは買ってないけど、趣味がいいですな〜。おしゃれです。ボクが好むのはカオティックなお店がメインだから、少々お澄まし顏な気分は、ちょっとだけむず痒い。ココナッツディスクは一時期代々木店にハマった時期があったんだけど、今もあるんだっけ?あと池袋吉祥寺もあったっけな。

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北千住・ファンタンゴレコード。
北千住とか長く東京住んでても未知のゾーンだったよ。とにかく北側苦手だな。知らなかったけどココはたくさんの大学が集まってる学生街になってるのね。個性的な食べ物屋さんも商店街もあるみたいだったし。ボクはレコ屋検索でこの店見つけて、ちょっとだけ覗いてみようと思っただけ。したら、とってもよいお店だった。スイスのジャズファンクバンドをお勧めしてもらって、買ってしまった。渋い80年代ニューウェーヴモノも見つけて嬉しかった。

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秋葉原・タワーレコード秋葉原店。
秋葉原だけあって、アイドル系の在庫はスゴイ。インストアの頻度もスゴイ。そのインストアのインディアイドルちゃんがどんなにトホホでも、ケイタイで写真撮ろうとするとすごく厳しくチェックされる。同じフロアにある有隣堂のマンガ在庫が立派なので、アイドルに縁がなくてもついでに立ち寄ってしまうという意味では、今一番の頻度で行ってしまうタワレコ。で、実はこの激安ワゴンがスゴイ。需要と供給のバランスが他のタワレコと全然違うのか、バーゲンセールにでる物件がナニゲにボク好みのアングラものでウレシい。しかも300円以下までプライスダウンされるからね。ここではダブステップ系のアルバムとか、ANTICON 系のヒップホップバンドとか、UKガレージバンドのブルーレイとか、濃ゆいモノをディグさせてもらってる。

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立川・ディスクユニオン立川店
立川のディスクユニオンは今年初めて行った。お隣の駅・国立ディスクユニオンが健在だった長い時代にはソコで十分だったからね。国立ディスクユニオンは高校生の頃から通ってたが…もうお店がなくなって10年くらい経つのかな。下北沢ディスクユニオンがなにしろ居心地がいいので、他のディスクユニオン(新宿、渋谷や吉祥寺)に行くとガッカリすることが多くてココも敬遠してた。まーそんなに感動はない。でもエモを二枚くらい買ってしまった。

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蒲田・えとせとらレコード。
今から20年前には、新宿にも2つくらい支店があって、この蒲田の街には1号店から4号店くらいまであった、素晴らしい名店だったんだよ。博覧強記のラインナップで、仕事の都合で過去の歌謡曲を探す時とかメチャメチャ助かった。電話で問い合わせするだけで「それならありますよ、取り置きしておきますね」なんて対応してくれたんだ。ボクにとって「蒲田=えとせとら」ってほどの存在感だったよ。でも、今は小さいお店一軒だけになっちゃって、膨大な在庫がパンクしててマトモにチェックできない。この変貌ぶりにはショックを受けたけど、でもココでもちゃんと何枚か掘り出し物を見つけたよ。



●なんとなく、聴いてる音源。

サンボマスター「希望の道」

サンボマスター「希望の道」2011年
彼らが自分たちの代表曲をアコースティックセットでセルフカバーしたスタジオライブ盤。いつもの爆音なくしても、抑制されたトーンの中から真心が伝わって来る愛おしい演奏。ラストは「美しき人間の日々」。ボクが彼らを知った最初の曲。アコースティックでも最高な曲だった。


自律神経が激しく荒れてて、ひどい目眩がする…。ああ最悪。
●会社も休んで、二日くらい寝込んで、やっと外に出られるところまで回復した。娘ヒヨコが読みたいという「バクマン」の原作マンガを二人で下北沢 DORAMA まで買いに行った…ヒヨコよパパのリハビリに付き合ってくれてありがとう。「バクマン」は全巻揃えてるつもりだったが、最初の数巻だけ抜けてた…きっとボクはマンガ喫茶で読んでハマって続きから買い始めたんだろう。
●我が家では「雑誌であろうとマンガであろうと、本ならなんでも買っていい、レシート持ってきたら全部精算してやる」制度というモノをコドモたちに言い聞かせてる。息子ノマドはこのルールを存分に利用して大量のラノベを読んでる。時々数千円分もの紀伊國屋のレシートを持ってくるので「ゴメン、いま手持ちが足りないわ」なんて場面もある。ヒヨコにも「欲しいモノがあれば買って読んでいいんだぞ」と言ったのだが「今のところ家にあるヤツ読んでるから大丈夫」だって。「バクマン」が読めなかったまでは「バクマン」発掘作業の途中で見つけた宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」を全巻読んでたそうな。
●映画化された「バクマン」の主人公が、この前テレビでかかってた「るろうに剣心」の主人公と同一人物であることには気づいてないらしい。佐藤健くんのことだけど。

●中学一年生とお年頃に差し掛かろうというタイミングの娘ヒヨコだが「色気より食い気」でクラスでも変わり者女子ってコトになってるっぽい。小食を気取るのが女子のたしなみという雰囲気の中、クラスで唯一給食をオカワリする女子。副担任の先生も「おーい給食係、ヒヨコには多めに盛ってやってくれ〜」と声かけてくれるので嬉しいらしい。この前は、男子と牛乳の一気飲み競争。熱出して学校休んだ時、LINE グループの級友たちに「明日の時間割なに?それと今日給食ナニ出た?」と質問してた。

●息子ノマドはゲーム「スーパーマリオメーカー」に夢中。せっせとオリジナルのステージを作ったり、ヨソ様の作ったステージを遊んだり。そのヨソ様ってのがアメリカ人だったりドイツ人だったりするのがオモシロイ。ニコ生「ゲーム実況」シーンでもこの「マリオメーカー」は話題らしく、ノマドは好きな実況主の配信をベッドでいつも見てやがる。そしたらある日、人気の実況主がノマドのステージを取り上げてくれたらしい。実況主が呼びかけたので、ニコ生のコメントで自分のステージIDを投げ込んだら、見事拾ってくれて、30分にわたってミッチリプレイしてくれたとのころ。その日はずーっとニコニコしてやがった。

●ワイフは朝の連ドラ「あさが来た」にハマってる。波留ちゃん、とうとう本格ブレイクかな!
●ボクは、登場人物たちの鮮やかなセリフ回しが楽しくて。京都ことば、大阪ことば、薩摩ことば、商人特有のことば、NHKならではのミッチリとした方言指導と所作指導、そしてそれを完全に自分の表現にして役柄を担う俳優さんたちの技量に感無量。現代の関西弁とも違う独特のニュアンスを、生き生きとしたイントネーションで表現するセリフ回しが耳に実に心地いい。同じ方言でも「じぇじぇじぇ」とは別格の練りこまれた職人技だ。難点は一個だけ。主題歌の AKB48 だけが大ハズレ。
●ヒヨコはそのNHK大阪の制作であろうコテコテの漫才番組を見ながら「なんだか、同じ日本語しゃべってるように聞こえない〜」だって。ヒヨコは、クラスで一番しゃべりがスローモー。

セーラームーン曼荼羅frau

この前、渋谷駅歩いてたら雑誌「FRAU」の駅貼りポスターがすごくて。
「セーラームーン曼荼羅」かこれは。サイケすぎてこれまた目眩がする。プリキュアですら10年シリーズの大名跡だから、セーラームーン世代なんてもうみんな大人の女性か。


●音楽を聴いてるけど、アタマがクラクラなのでメチャクチャ。

CLARIS「BIRTHDAY」

CLARIS「BIRTHDAY」2012年
●この前、仕事であるミュージシャンの人と会話してたら、アニソンは勉強になるから絶えずチェックしてると言ってた。「dアニメストア」と「Hulu」でガッツリ見まくってるとな。そもそもその人アニメとゲームが大好きっぽかったけど。84秒で視聴者のハートをワシ掴みするカタルシスを盛り込むって大変、でもその制約の中で奮闘するのがオモシロイとな。ということで、アニソンを中心に活動してる女子ボーカルデュオのファーストアルバムを聴く。この前シングルを聴いたから彼女たちの音楽もうちょっと突っ込んでチェックしたかったしね。
ニコニコ動画の「歌ってみた」シーンからフックアップされた現役女子高生ユニット。このリリース直前(つまり実質の制作時期)は中学生だったというからスゴイね。ただ、これをアルバムで通して通勤時間なんかのセワシい環境で聴いちゃうと、ボーカルのパワーがやっぱり華奢で貧弱ってコトがわかっちゃう。本当は「魔法少女まどか☆マギカ」主題歌「コネクト」を聴きたかったんだけど、思い入れあるはずのアニソンだったのに、さほど気持ちが上がらないのが自分でも残念。回数を重ねて聴いてると、その弱さも個性になって聴こえてくるけどね。
●クレジットをよく見ると、トラックメイカーにボカロPの KZ(LIVETUNE) RYO(SUPERCELL) を登用してたりと、ニコニコカルチャーの文脈を引きずっている。息子ノマドの様子をみてると、ニコニコをはじめとしたネットカルチャー発のコンテキストをよく勉強していないと見えなくなる世界があるってコトを認識する。自分が古い世代の人間だということをきちんと自覚して謙虚になろう。

first soundscope 〜水のない晴れた海へ〜

GARNET CROW「FIRST SOUNDSCOPE 〜水のない晴れた海へ〜」2001年
CLARIS のボーカルが華奢で貧弱と指摘したが、その華奢や貧弱さがアイドル/アニソン全盛の今の音楽シーンの問題や批判だなんてコトはツユも考えてない。今から15年前のこのアルバムもビックリするほどボーカルが貧弱で、CLARIS が立派に思えるほどだ。女性ボーカルなんだけどレンジが実に狭く低く、結果ナニ歌ってるか全然わかんないので、結果何回も聴いてしまったほど。で、結局その貧弱さがそのまま魅力に思えてくる。
●この GARNET CROW ってバンドは、倉木麻衣、愛内里菜などの女性シンガーを抱えてヒット曲を出していた GIZA STUDIO というレーベルのバンド。ZARD、WANDS、T-BOLAN などで90年代の空虚なメガヒットを連発してたレコード会社・ビーイングの関連企業で、「ビーイング商法」と揶揄された「CMなどのタイアップ」「極端に絞られたメディア露出」を踏襲してた。だからこのバンドも本当に実質があるのかよくわからんほど。基本はスタジオミュージシャン集団で作詞作曲編曲を全部自分たちで担う。作詞はキーボードの AZUMI 七(ジャケ中央の立ってる女性)が担当、それをその隣の中村由利が歌う。この二人の歌詞世界とボーカルがホントに陰気で…結果としてゴス風味が乗っかってる。例外的にサビボーカルに艶と明るさがある「FLYING」が佳曲。
●ハッキリ言って当時は完全スルーしてたビーイング系〜 GIZA STUDIO の音源を、今改めて聴いてみたいと思ってしまった。このレーベルからは、三枝夕夏 IN db とか、上木彩矢といった女性ボーカルがいっぱい出てたはずだ。その貧弱さが奇妙に今新鮮。あ、それでも100円以下で買いたい。それ以上の値打ちはない。これも50円で買ったからね。

10CC : GODLEY CREME「CHANGING FACES - THE BEST OF 10CC AND GODLEY CREME」

10CC / GODLEY & CREME「CHANGING FACES - THE BEST OF 10CC AND GODLEY & CREME」1975〜1987年
●脈絡なくぶっ飛ぶけど、突然10CC。いや下北沢DORAMAで380円で売ってたから。10CC から分派した GODLEY & CREME というユニットと抱き合わせのベストってのが珍しいなあと思って。10CC ってボクの勝手なイメージだけど TODD RUNDGREN にカブる印象があって。ソフィアコッポラの映画「ヴァージン・スーサイド」のサントラに、TODD「HALLO IT'S ME」と一緒に 10CC の代表曲「I'M NOT IN LOVE」が収録されてるからかな。両者ともスタジオ実験の魔術師でありながら、仕上がりは徹底したポップスになる職人肌だからだろうか。
●1960年代から裏方のソングライターやスタジオミュージシャンを担ってきた4人が1972年に結成したのがこのバンド。メンバーの一人 GREHAM GOULDMAN が経営にかかわる STRAWBERRY STUDIO という場所でセッセと制作に没頭した結果、1972年にデビュー、1975年に名作アルバム「THE ORIGINAL SOUNDTRACK」でブレイク。しかし1976年には、ツアーやライブ活動を重んじる GREHAM GOULDMANERIC STEWART とスタジオ実験を重んじる KEVIN GODLEY LOL CREME が対立。結局後者二人が GODLEY & CREME として独立、10CCは分裂する。
●ポップ職人としての腕は間違いないけど、ナニゲに華のない地味さ加減がなんだか落ち着く10CC の音楽は実直で神経になんだか優しい。ただ分裂以降の彼らの魔術は少々気が抜けてしまったようで、1983年に一旦機能停止。一方のスタジオギーク GODLEY & CREMEギズモトロンというオリジナル楽器を作ってヘンテコ路線へ。80年代に至っては新進バンドだった DURAN DURAN FRANKIE GOES TO HOLLYWOOD などのミュージックビデオ監督を担って MTV 経由の第二次ブリティッシュインベーションに貢献しちゃうほど。自分たちの音楽も徐々にポップスに寄せて趣きあるシンセポップバユニットに成熟していく。「CRY」は1985年の彼らの代表的シンセポップとして有名だけど「SAVE A MOUNTAIN FOR ME」「UNDER YOUR THUMB」もイイね。GODLEY & CREME はもっと聴いてみたいなあ。ただ、このアルバムに収録されてる「SNACK ATTACK」は1987年の STOCK/AITKIN/WATERMAN によるユーロビート風リミックスでした…これだけはちと雰囲気違いすぎてアレな気がするけど。

BABE「HOLD ME ! : YOU ! YOU ! YOU !」

BABE「HOLD ME ! / YOU ! YOU ! YOU !」1987年
●また飛躍しますが、STOCK/AITKIN/WATERMAN の名前が出てきましたんで、80年代末のユーロビートに想いを馳せつつ、そこから輸入された和製ダンスポップを聴くのです。この二人組ダンスユニット BABE は1985年に MICHAEL FORTUNATI「GIVE ME UP !」のカバーでデビュー。この7インチ盤シングルのA面曲「HOLD ME !」はベルギーのアイドル歌手 SAMANTHA GILLES のカバーだそうで。ちなみに日本語詞は森雪之丞。当時フジテレビのアニメ「のらくろくん」の主題歌だったそうな…当時中学1年だったけど覚えてねえっす。見事にユーロディスコで、今の時代には痛苦しい…。
●でも、当時全盛の人気アイドルだった彼女たちは、元気一杯のダンスで好感度高かったと思うんだ。当時の水準じゃ大胆なショートカットの近藤智子ちゃんのボーイッシュぶりもよかったよ。この前後に荻野目洋子「ダンシングヒーロー」1985年や石井明美「CHA-CHA-CHA」1986年、森川由加里「SHOW ME」1987年などなどユーロビートカバーのヒットがあって、最後に真打ち WINK が登場する。1988年「愛が止まらない 〜TURN IT INTO LOVE〜」「涙をみせないで 〜BOYS DON'T CRY〜」もみんなユーロビートのカバー。だれかこのへんのカバーネタを全部まとめてくれないかなー。
●会社のテクノ好きの先輩が、最近気づいたのだがこの時代のハイエナジーものには結構な掘り出し物が眠ってると教えてくれた。ユーロビートとかハイエナジーとかイタロハウスとか、ボクにとってはまだ未開拓で研究困難な領域がこのへんには広がってるのよねー。

REBECCA「MOTOR DRIVE (EXTENDED DANCE REMIX) : RASPBERRY DREAM (DUB MIX)」

REBECCA「MOTOR DRIVE (EXTENDED DANCE REMIX) / RASPBERRY DREAM (DUB MIX)」1986年
●今年、再結成を果した REBECCA の10インチシングル。実はコレリミックスを担当しているのがフレンチハウスの大御所 FRANCOIS KEVORKIAN なのだ。実はバンドの最後のアルバム「BLONDE SAURUS」にも FRANCOIS K. の名前がクレジットされてる。そのアルバムを聴いた時に気付いたんだけどね。にしても、一体どういう立場で彼はこのバンドに関わってたんだろうな?
●A面扱いの「MOTOR DRIVE」よりもヒット曲「RASPBERRY DREAM」の方がやっぱカッコイイな。バンドが元来から持っていたタイトなファンクネスをより硬質に持ち上げてる。なるほど DUB MIX というだけあってギターに深いエコーをかけたりもしてて、でも NOKKOグラマラスなパフォーマンスがやっぱりスゴイってのが改めてこのシングルでわかったよ。

KIM WILDE「THE SINGLE COLLECTION 1981-1993」

KIM WILDE「THE SINGLE COLLECTION 1981-1993」1981〜1993年
●イギリス・ロンドン出身のポップシンガー。キャリアが長いのでいわゆるユーロビートのジャンルに留まらない幅があるが、そのポップネスはユーロビートっぽさが感じられる。初期のヒット「KIDS IN AMERICA」「CHEQUERED LOVE」楽しげなポップロックで元気一杯。その後、微妙なシンセポップ路線に転向するもソッチは不振。しかし失地回復の一撃が出る。1986年の「YOU KEEP ME HANGIN' ON」ご存知、THE SUPREMES の名曲をハイエナジーのスタイルにカバー。その後もキラキラエレポップで快進撃。
●この80年代後半のポストディスコ状況ってヤツ、さっきも羅列したハイエナジーユーロビートの変遷をもうちょっと突き詰めると、90年代に登場するテクノ/ハウスシーンとの連続面と断絶面が見えて来ると思うんだよなー。メジャーシーンでは MADONNA KYLIE MINOGUEPETSHOP BOYS などがこのパラダイムシフトを乗り越えてるけど、アングラな視点からは激変があったはずなんだよね。初期のテクノ系には元パンクスもいるしさ。今後の研究課題。

BELINDA CAELISLE「RUNAWAY HORSES」

BELINDA CAELISLE「RUNAWAY HORSES」1989年
●さて、この人はアメリカ人、しかもロサンゼルスの人だからユーロビートとは関係ない…なんといってもロスのパンクシーンから現れて1981年にデビューしたガールズロックバンド THE GO-GO'S のメインボーカリストだから。でもこのバンドが1985年に解散してソロ活動を始めると、さらにグングンとポップフィールドに活躍の舞台を広げていく。KIM WILDE が80年代末に助けを借りた RICK NOWELS BELINDA のメインのプロデューサーになって、ヒット曲を量産。ピークはこの一枚前のアルバムに収録されてた「HEAVEN IS A PLACE ON EARTH」だけど、このアルバムの表題曲「RUNAWAY HORSES」「LEAVE A LIGHT ON」も痛快でダンサブルなポップスになっております。当時日本でもCMソングとしてかかってて、結局はね、外来音楽としてユーロビートみたいな存在感を持ってた。懐かしい!MADONNA「LA ISLA BONITA」に対応するような、スパニッシュ感覚が強い「LA LUNA」って曲もいいね。
●ちなみに RICK NOWELS は今だに現役のヒットプロデューサーとして、最近も LANA DEL REY とかを手掛けてます。

SHAKESPEARS SISTER「HORMONALLY YOURS」

SHAKESPEARS SISTER「HORMONALLY YOURS」1992年
●これは蒲田の老舗・えとせとらレコードで100円で発掘したヤツ。嬉しかったねー!このユニットのセカンドアルバムで、リアルタイムで大好きだったヒット曲「STAY」が収録されてる。ユニット名は THE SMITHS の楽曲タイトルから拝借、後見人は EURYTHMICS DAVE STEWART、プロデューサーはその後 CREATION RECORDS 関連音源などなどで90年代に武名を高めていく ALAN MOULDER実にシリアスで、ダンサブルでもダークさの漂う音楽。シングルにもなったバラード曲「STAY」は、清純に歌い上げるサビの可憐さから一変してCメロでゴスでダークに展開する場面とかが本当好き。でも長らく音盤は見つからなかった…。
●でもこのユニットの中心人物 SIOBHAN FAHEY前歴が実はドップリとユーロビート。なんと1979〜1987年までガールズグループ BANANARAMA のメンバーだったのだ。しかし彼女はそんなアイドル的立場がイヤでたまらず、とうとう結婚するという名目で脱退してしまう。そのお相手が DAVE STEWART だったわけ。脱退時にはもうお腹に彼の子が宿っていたとな。

SHAKESPEARS SISTER「#3」

SHAKESPEARS SISTER「#3」2004年
●このユニットのサードアルバム。実はレコーディング自体は1996年頃には終わってたのだけど、ゴタゴタがあってリリースされることなく何年も時間が空いてしまった…。SISTER だったはずの相方 MARCELO DETROIT も脱退してもういない。プロデューサーには DAVE STEWART がより深く関与、ALAN MOULER FLOOD までも参加…だが、やっぱ時節をズラしてしまった結果、あまりイイ感じに聴こえない。ロックっぽいアプローチがすごく強くなってるんだよね。レコーディングを終えた頃には DAVE との夫婦関係も破綻してたそうだし。ジャケの荒んだグランジっぽいポーズはそんなトコロを仄めかしてるのかな。
●ちなみに、このCDは羽根木公園のフリマにて150円で購入。ええ買い物じゃ。




羽根木公園のフリマの様子。障害者支援の性質があったり、アジア・アフリカの文化交流があったり。古本古着に食べ物までいろいろあるんだよ。ボクはここでアフリカの親指ピアノを買ったことがあるよ。

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●さて、動画はあるかなあ?
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●先日、明大前の街を歩いていたら、あるものを見つけてギョッとした…。

インドネシアの従軍慰安婦

JAN BANNING 写真展 インドネシアの日本軍「慰安婦」@キッド・アイラック・アート・ホール
●このポスターに睨まれて、ボクはそのまま展示ギャラリーに吸い込まれてしまった…。第二次世界大戦時、オランダ領東インド=現・インドネシアを征服した日本軍は、この国で多くの女性に暴力を振るった。そのことを告発する18人の生き証人のポートレートと、その証言。90歳〜80歳になった彼女たちの表情と、当時の体験を短い言葉で説明したキャプションを見て、まるでナイフを胸に刺し込まれるような気持ちになった。
●ボクは「韓国/朝鮮人慰安婦問題」については不勉強で、当時に何が起こったのか、それを誰が今どのように主張しているのか、朝日新聞が何かを捏造したと認めて、そんで何がチャラになって何がチャラになっていないのか、まるでよくわからない。だからここではそのことについて触れるつもりはない。ただ、インドネシアにも「慰安婦」になった人々がいたとは……ショックだった。戦時の日本は、広がる戦線の中で組み込んだ多くの土地でイロイロなことをしていたようだ。

1920〜1930年代に生まれた彼女たちが、日本軍のインドネシア「解放」1942年を迎えたのは二十歳に満たない頃。証言の中には10歳〜13歳で性暴力を受けたという言葉もあった。まだ年端もいかないティーンネイジャーだった彼女たちを、どんな組織がどんな仕組みで理不尽な性暴力に巻き込んだのか、そんな細かいことは彼女たちにはわからない。彼女たちは「慰安婦」だったのか?現実はそんなにシンプルに線引きできるものではない。多くの女性は「慰安婦」かどうかの身分など関係なく日本人兵士に性暴力を受けたのだ。それぞれの体験も全く違う。ある日突然日本軍に強制的に連行された者もいれば、兵営での労働に従事している中で夜は強制的に兵士の相手をさせられたという者もいる。将校に目をつけられて「現地妻」として点々と移動する将校の任地に同行させられた者もいる。村長ら地域の実力者を経由して身柄を日本軍に渡された者もいる。メイドの仕事があると言われてその募集に応えたら乱暴され続けたというものもいる。日々の性暴力に対して軍医の身体検査を受け、その軍医にも乱暴された者もいる。妊娠・流産した者、中絶させられた者、もう二度と妊娠できない体にされた者もいる。「ケンペイタイ」「テイシンタイ」「ロームイン」といった言葉を覚えている者もいる…それが何の意味だか当時はわからないままだったが。自分を初めて犯した兵隊の名前を覚えている者もいる。あの激しい痛みや苦しみが今でも忘れられないという者もいる。
●インドネシアを日本軍が占領していたのは1942〜1945年頃だ。その短い期間で大きな傷と恥を負った彼女たちの、その後の長い人生も多様だった。終戦と解放を迎えて遠い故郷に辿り着くと、自分はもう死んだとされて葬式が終わっていたとか。虐殺の結果、故郷の村が滅びていたケースもあった。毎日の性暴力に身体はボロボロに痛み8ヶ月もまともに歩くこともできなかったとか。「日本の残り物」と指さされて苦しんだ者、一方で悲惨な体験に同情が集まり温かく迎えられた者。日本軍に汚されたと伝えても求婚してくれた夫とその後長く暮らした者、結婚離婚を繰り返し天涯孤独な者。子供を産むことができた者、できなかった者。同じような境遇の中で死んだ姉妹の子供を育てて戦後を生きた者。

●それでも、彼女たちには一貫した共通点がある。この経験を、もう思い出したくない、そして誰にも話したくないという思いだ。大きな恥を抱えたまま、それを周囲の隣人たちに知られたくないと強く思っている。戦後に家族を作ることができた女性でも、自分の子供にもひとことも伝えたことがないという者がほどんとだった。このプロジェクトは、インドネシア系で今はオランダに暮らす写真家 JAN BANNING とオランダ人女性ジャーナリスト HILDE JANSSEN によって行われたのだが、証言者を探すことが一番大変だったようだ。彼らの取材を受けるということは、全世界に名前と顔を晒し、自分が恥じている過去を語ることだ。自分の子供にもいうことができない秘密をどうしてツルツルと語れるだろうか。すでに高齢に達した彼女たちはみな口をつぐんだ。インドネシアの広い国土、数々の島々を訪ね、多くの女性たち一人一人に会って説得した上で、やっと自分の経験を明かしてくれたのがこの18人だったのだ。取材者が外国人だから隣人たちには伝わらないだろうと思ってくれたと彼らは言うが、それでもインタビューは難しいものだったように思われる…辛くてあの体験の核心の部分は語りきれないのだ。

日本軍の性暴力の犠牲になった女性はインドネシア全体で20万人とも言われている。「慰安婦」が20万人いたわけではない、20万人の女性が日本人の性暴力を受けたということだ。日本軍は、兵士を「慰安」する女性を調達することを当たり前のように思っていたようだ。都市部では民営慰安所があったが、軍の監督/監視は当たり前だったらしい。一方、戦線や地方となると当然慰安所などあるはずがない。で、安直に女性を「現地調達」する。「慰安婦」の存在は結果的に一般女性への暴力を抑止するというロジックがあるようだが、辺境の戦線では、女性を一般から狩りとって、メイドや兵営維持の作業に徴用した女性を「慰安婦」のように扱い、夜な夜な乱暴していた。これじゃまるで抑止とはいえない状態。オマケに将校が自分専用に「現地妻」をあてがうなど、まさしくただの無法状態だ。
●とはいえ、インドネシアでの日本軍による性暴力については、研究が進んでいない。親日派であるインドネシア政府が貿易大国・日本との友好関係に水差すようなコトに首を突っ込むはずがない。東南アジア全域においてもわからないことが多い。そもそも女性側から証言自体を取るのが困難な状態なのだから。一方、戦後に書かれた日本軍兵士による数々の回想録の中には、慰安所に関する利用者としての思い出が書かれている。結局こちらも無理矢理徴兵されていつ殺されるかもわからない運命に放り込まれた、18歳程度の少年なのだ。彼らと彼女たちの立場は絶対に同等とは言えないが、政府と軍という組織に直接/関節に強制徴用されてきた若者たちが、訳も分からず、明日の生命の保証もなく、言葉も通じないままに、ぐちゃぐちゃのカオスに突き落とされているような状態なのだ。

「慰安婦問題や女性への性暴力はどんな戦争にもついてまわるものだ」という言説もある。ある意味でこれも事実だ。第二次世界大戦に遡らずとも、シリア〜イラクのISや、スーダンのダルフール紛争、マリ内戦でも、大勢の女性や子供が性暴力の被害を受けている。女性への性暴力は、どんな戦争においても正当化されない。IS たちがやっているコトが許されないように、第二次世界大戦での行為も許されはしない。現在各国が IS を糾弾するように、あの戦争でも各地でナニが起こっていたのか、丁寧で繊細な調査と研究が進められるべきだとボクは思う。

●と、ここまで書いて…きれいごと、書いてるなと思った。クソッタレが。

「ナイフを胸に差し込まれた」ような気持ちになったのは、日本を糾弾するようなインドネシア女性の厳しい目つきのせいではない。13歳と言ったらボクの息子娘と同世代だ。娘が外国の軍隊に強制連行されてレイプされたら?と想像しただけで、ボクは怒りと憎しみで内臓がズタズタにされるような気持ちになった。娘にそんな目にあわせた連中を一生許さないだろう。戦争が終わろうと何十年経とうとボクが生きている限りは絶対に許さない。兵隊を全員殺してやりたい。本気でそう思った。
●彼女たち自身や彼女たちの家族が感じた憎しみで、身が焼けるような思いが込み上げてくる一方、そんな暴力を行使したのはボクら日本人だという事実がさらにボクの感情にナイフを深く突き立てる。旧日本軍は IS と一緒か?!アフリカの狂信的テロリストと同等か?!
●感情の問題として。古くなったとしてもその鋭いナイフが今も日本に向かって差し向けられてる。そんなイメージが浮かんだ。インドネシア女性のあの目つき。戦後70年が経ち多くのナイフが沈黙のままに朽ちていった…彼女たちはわずかに生き残ったナイフだ。日本はナイフを突き立てられるような蛮行をあの戦争でやらかしたのだ。ゲロを吐きたくなる現実だ。
その現実を、見たくない、忘れたい、そんな感情も巻き起こる。なんとかして正当化したくなる気持ちも起こる。時間が経っているんだ…ボクは当事者じゃないんだ…あれは祖父の時代の戦争でボクは関与してない、しかしボクの祖父は関東軍の兵士だった…やはり当事者なのか?もうアタマがクラクラする思いだ。

知らないことが多すぎる。あの戦争で何が起こったのか?曖昧でわからない。様々なバイアスがかかってて何が真実かもよくわからない。
実は、戦後70年を迎えるに当たって、2〜3年ほどであれこれの読書をしているのだ。沖縄戦の悲劇、日本軍による島民の集団自決命令、在日朝鮮人の証言記録、日本国内の戦争プロパガンダ、特攻兵器や特攻作戦…本当に苦い現実ばかりだ。手に負えないのでこのブログにも反映させられなかった。それでもまだ勉強が足りない。日本の戦争に巻き込まれたアジア諸国がどんな運命に巻き込まれたのか、その全容は見えてない。ヨーロッパ戦線では何が起きて、どのような歩みを経て戦敗国ドイツ/イタリアは今の地位にあるのか。そしてドイツのように国家が分断された朝鮮半島は、どんな歩みを経て何を感じているのか。まだまだ知らないことが多すぎる。苦い苦い事実にめまいと吐き気を感じながら、知るしかない、そう思っている。






●ちょっとだけ音楽の話をしとく。

INK「C-46」

INK「C-46」2006年
電気グルーヴ石野卓球と、TOKYO NO.1 SOUL SET川辺ヒロシが突然結成した二人のユニット。これが、ビキッとキマったタイトなテクノで実にグッと来た。ああ、最近こういうスクエアなテクノから離れてたなあーと思い知らされた。厳密に言えばこれもオーセンティックなテクノとは違うんだけど、石野卓球ならではのソリッドなシンセ感覚と、川辺ヒロシ由来なのか?足腰が非常に強いアシッド感覚が、中途半端なヒューマニティなんて介在させないメタルマシーンミュージックとして機能してる。カセットテープもメタルポジションなのかな?なんとなくハイポジ風だけど。
DAFT PUNK まで人力ファンク回帰してる昨今、こうした鋼鉄のテクノってどこ行ったんだろう?EDM はとってもエモーショナルでちょっと違うもんね。TOFUBEATS KZ (LIVETUNE) といった新世代クリエイターも、ここまでテッキーにはしない…もっと装飾的なカタルシスがジェイポップ的だわ。ダンスミュージックに囲まれているようで、80年代からこの世界にいるベテランが本気出してるトラックと比較してみると、実はワリとナヨいって事を認識してしまった。
石野卓球さんの個性的なハイトーンボーカルもちらほら散らばってるので、それも聴きどころ。ああ、初期の電気グルーヴが聴きたくなってきちゃうなあ。ちなみに、これ、蒲田で50円で採取。



●連休はヨガをして過ごしたよ。

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羽根木公園でオソトヨガ。出産予定日まで約一ヶ月となったミサキ先生は産休で指導はお休み、その代わりダンナさんのオキ先生が指導するようになった。ヨガはホント個人でスタイルが全然違うから、先生が変われば気分も随分変わる。インドネシアから来日して1年経たないのに日本語もだんだん達者になってきて、オキ先生は頼もしい。ボク自身は、足の筋がビキビキ痛い…右の肩にも不調を感じる…自律神経が最近荒れ気味なんだよなあ。でもこの日は気持ち良かった。


ボクの手元に iPhone6s が到着した。
●プラン変更の相談に行ったつもりが、お店の人にそそのかされて、ついつい予約してしまった。でも、我が家じゃワイフも娘ヒヨコもすでに iPhone6iPhone5s には不満がなかったんだけど、さらに高画質になったカメラってのにちょっと惹かれてしまった。まー、その他の機能は全然使いこなせてないけど。ボクの声は SIRI さんとは非常に相性が悪いので会話もうまくいかないし。

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●とりあえず、スマホカバーを通販で買った。イラストレーター ROCKIN JERRY BEAN さんのお店 EROSTIKA に注文。「BLACK LEATHER GIRL」!ナイスにロッキンなデザインでゴキゲンだよ!でも、よく調べたら実店舗は原宿だったみたいで、それならお店に直接行けばよかったかも。
●退役となった iPhone5s のカバーも ROCKIN JERRY BEAN だったのさ。これもかっこいいでしょ!

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息子ノマドはオタクの道へ邁進中。

TVアニメ『ご注文はうさぎですか??』

アニメ「ご注文はうさぎですか??」
東京MX系でセカンドシーズンが始まったらしい。ノマド、初回放送をテレビ前で待ち構えて、オタ友達に「お前ら準備はいいかー」ってメール打ってた。ボクが「オマエ、これは本格的にオタなヤツじゃないか」と声をかけたら、主題歌が始まった瞬間ピシャリと「ビークワイエット!プリーズ!」と言われた。内容は全然わかんないが、ノマドのやつコミックも全部揃えてるみたいだから、今度読ませてもらうか。ワイフが「とうとう本物のオタクになってしまったー」と嘆いているが、男子たるもの、いつかは一線を越えてブレイキンスルー・トゥ・ジ・アザーサイドしなくてはならない。世間のバランスから逸脱することに怯えるな。オマエの中のバランスを見つけろ。同好の仲間を集めて共闘しろ。メンターを見つけて新しい世界へ漕ぎ出せ。
●冷静にみて、コレはやっぱヤバい感じはするけどな〜。でもボク自身が人のコト言える立場じゃないし。


一方、ヒヨコは。ユニバーサル物件をチェックしまくり。
●暇さえあれば、HULUで映画を見てるヒヨコ。実は見てる作品に一貫したテーマがあった。ユニバーサルスタジオだ!こいつ USJ に行きたいんだ。「E.T.」見て「ジョーズ」見てる。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作も見たという。「スターウォーズ」も見たいらしいが HULU には入ってない…。DVD揃ってるぞって言ったら、画質が悪いって言われた。
スティーブン・スピルバーグに興味が出てきたらしいので、トム・ハンクス主演の「ターミナル」を見せた…母国の内戦が原因でパスポートが無効になりニューヨークのJFK空港に9ヶ月も閉じ込められてしまった男の話。東欧の出身で英語が話せないからますますトラブルが深刻になる。実は英語の勉強が大嫌いなヒヨコに「これで英語を勉強しないとヤバいってわかったろー」と言い聞かせてやった。おまけに、トム・クルーズ&スピルバーグ「宇宙戦争」も見せてやったよ。「SHERLOCK」と一緒で原作は19世紀、100年以上前に書かれたものなのに、今でも面白いってスゴイだろ!って教えてやったよ。

Back To The Future Music From The Motion Picture Soundtrack

VARIOUS ARTISTS「BACK TO THE FUTURE: MUSIC FROM THE MOTION PICTURE SOUNDTRACK」1985年
「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で、1985年からデロリアンでマーティとドグがやってくる未来は「2015年10月21日」つまり来週の水曜だ。映画が現実に追いついてしまった。1985年のスピルバーグマイケルJフォックスが、2003年生まれの少女が2015年にこの映画をオンデマンド配信で楽しんでるなんて想定してただろうか?映画の中の2015年は自動車が空を飛び、スケボーも宙を浮かぶ社会だ。リアル2015年の自動運転スマートカーは、ちと映画に追いつかなかったな。スケボーについては、アメリカ人が作ったちょっと浮いてるヤツを作ったって映像を YOUTUBE で見かけたっけ。劇中のダイナーではモニターに映る人工知能が接客するんだけど、息子ノマド曰く、今実在する PEPPER SIRI の方がイケてるらしい。映画の2015年では蛍光色キャップがオシャレらしいが、リフレクター素材採用のファッションはアリかも。80年代リバイバルはマジでキたからねえ。

●さて、こいつは「1」のサントラ。HUEY LEWIS & THE NEWS の主題歌「THE POWER OF LOVE」がお馴染み。アメリカンロックだねえ。ALAN SILVESTRI という人物が作曲したオーケストラテーマも、これぞユニバーサルスタジオ!な感じでヒヨコがノリノリ。タイムリープした1955年で主人公マーティが「JOHNNY B. GOODE」を演奏する名シーンのサウンドトラックも収録されてる。マーティがプロムでこの曲を演奏するんだけど、ロックギター演奏に夢中になり過ぎて、アンプを蹴飛ばし床をのたうち回って80年代風ハードロックなソロをグイグイに披露、ロックに慣れない会場をドン引きさせるのだ。この様子がCDで聴けるか?楽しみ!と思ったんだけど、しかしそこはフェイドアウトされててサントラには含まれてなかった…残念。歴史上の1955年は BILL HALEY & HIS COMETS「ROCK AROUND THE CLOCK」が映画「暴力教室」に採用されて大ヒット、事実上のロックンロール元年になるのにな。

80年代を振り返ると、映画サントラからのヒット曲っていっぱいあったよね。KENNY LOGGINS「FOOTLOOSE」とか CYNDI LAUPER「THE GOONIES ’R' GOOD ENOUGH」とか LIMAHL「THE NEVERENDING STORY」とか。「ミッションインポッシブル」から「宇宙戦争」まで見てトム・クルーズに馴染んだヒヨコに、最初期のトム代表作「トップガン」を見せた時もそう思った。BERLIN「TAKE MY BREATH AWAY」とか KENNY LOGGINS「DANGER ZONE」とか CHEAP TRICK「MY WING」とか。懐かしいなあーと思ってエンドクレジット見てたらこの映画の挿入歌、ほとんどが GIORGIO MORODER のプロデュースだった。意外な仕事にスゲエと感心。


ということで、あれこれと、80年代関係の買い物をしてる。

WEATHER REPORT「SPORTIN LIFE」

WEATHER REPORT「SPORTIN' LIFE」1985年
●フュージョン界の王道バンド WEATHER REPORT。しかしバンド全盛期に活躍した天才ベーシスト JACO PASTORIUS は脱退してしまってる時期で、バンドのコアであり続けた JOE ZAWINUL & WAYNE SHORTER も迷っていたバンド末期のアルバム。そんな時期に新路線としてボーカルを導入したりとアレコレ工夫を模索してる様子。ボク自身も「ボーカル入りの WEATHER REPORT ってどんなよ?!」って興味で買っちゃったし。活躍しているのはパーカッショニスト MINO CINELU という男。MILES DAVIS グループ出身で、ラテングルーヴを叩き出しながら、コーラスも歌ってしまう。加えてこのコーラスには BOBBY MCFELLIN も参加しとる。まーさほど思ったほどこのボーカルは劇的な作用はしないんだけどねー。あ、一曲だけ完全に弾き語り状態で歌いまくる曲があるけど。MARVIN GAYE「WHAT'S GOING ON」カバーがあるんだけど、そのボーカルメロディを担う ZAWINUL のキーボードが実に頼りなくて、ちとフワフワし過ぎ。まーこのフワフワ加減は確かに WEATHER REPORT の味ではあるが。
●で、この作品のあともう一枚アルバムをリリースして、1971年から続いたこのバンドは解散しちゃう。ちなみにバンド最末期のドラマーは OMAR HAKIM。その後、STING DIRE STRAITS、DAVID BOWIE、MADONNA、DAFT PUNK とも仕事していく男だ。

GLORIA ESTEFAN AND MIAMI SOUND MACHINE「LET IT LOOSE」

GLORIA ESTEFAN AND MIAMI SOUND MACHINE「LET IT LOOSE」1987年
MIAMI SOUND MACHINE 名義から、GLORIA が一際目立つバンド名に変わった頃のアルバム。キューバ出身の GLORIA がプロデューサーで夫の EMILIO ESTEFAN と二人三脚で活動してきて、名実ともに人気バンドになった瞬間の時期。70年代からトロピカルなグルーヴをジャズフュージョンに取り込んできたのが WEATHER REPORT だけど、ネイティブ・ヒスパニックなバンドである彼らは、その天然ラテングルーヴを武器にして、活動を始めた80年代前半には米国市場に先行して中南米でブレイクしまくっていたとな。そこからやっと1986年のヒット曲「CONGA」で晴れてアメリカ全国区のトップスターに。ディープすぎるラテンアレンジよりも、痛快に走るパーカッションが楽しい曲がメイン。R&B風バラードも満載。まー今の視点から見るとむしろラテン具合は薄いとさえ感じる。だからこそブレイクしたのかな。「RHYTHM IS GONNA GET YOU」「1, 2, 3」の二曲が有名。
●キューバ生まれの彼女がアメリカ・マイアミに移民したのは彼女が三歳だった1960年のこと。1959年のキューバ革命で亡命した移民の子供だったのだ。へーデカイ歴史が絡んでる!。中南米からの移民はアメリカ史において絶えず続いていたことだし(メキシコから領土を削り取ったりしてるんだから当たり前だわ)、ラテンミュージックがアメリカの音楽に刺激を与えてきたのはこのタイミングに始まったことではない。しかし、1987年に書かれたこのLPレコードの日本版ライナーノーツには、こうしたヒスパニック系がアフリカ系をしのぐ最大派閥の民族的マイノリティになるだろうことがハッキリしてきたことを驚くべき事実として伝えている。もちろん2010年代の今となっては当然完全にアフリカ系を超えてるのは常識で、そんなことに驚いていた80年代がなんだかノドカな感じ。

PHILIP BAILEY「CHINESE WALL」

PHILIP BAILEY「CHINESE WALL」1984年
●あの EARTH WIND & FIRE MAURICE WHITE とともにボーカリストを務めてた男のソロアルバム。見事なファルセットが印象的な彼の声に注目だが、ここでプロデューサーを担当しているのがなんと PHIL COLLINS ってのも注目。アメリカンディスコの王道と英プログレ出身の才能がコラボってのはナニゲに異色。そのくせして内容はとってもポップ、ドラマーである PHIL COLLINS のバタ臭い演奏は分かりやすいアクセントになって高機能なダンスミュージックになってるし、高音に張りのある二人の声は相性が良くって、ヒット曲「EASY LOVER」でのデュエットもいい感じ。ブラックミュージックとしてはちょっと変わった新味がよいねえ。とっても80年代くさいと今からは思えるけど、こうした人種越境的な座組みの新感覚な表現は、当時の人々にとっては衝撃的に受け止められてたようだね。これも当時のレコード解説から読み取れる。
●あ、このへんのレコード、東陽町のダウンタウンレコードで一枚100円でゲットしてる。キレイなお店だったよ。

NEW ORDER「BLUE MONDAY 1988」

NEW ORDER「BLUE MONDAY 1988」1988年
●こっちは前述 PHILIP BAILEY のケースと逆で、イギリス白人の音楽をアメリカ黒人がプロデュースしてる物件。あの1983年の名曲「BLUE MONDAY」 QUINCY JONES リミックスしているのだ。あのダークなエレクトロトラックに、少々カラフルなリズムを追加して、そんで日本のお囃子やチャンバラめいたモノまでサンプルして、派手なディスコサウンドに変換してる。あの曲に「IAN CURTIS の死」というダークな物語を完全に結びつけちゃってる人には、陽気な印象になったこのバージョンに違和感を感じるかもしれない。けど享楽と退廃がこのバンドの重要な性格だとすれば、この手の解釈もなるほどアリか!と納得してしまう。
●このブログでも何回か書いた気がするが、ジャーマンテクノ HARDFLOOR による「BLUE MONDAY」1995年のリミックスはアシッドかつストイックでこれまたイイ。ダークさがお好みなら是非こちらを。ゴスエモカバーなら ORGY という米バンドの1998年のヤツもある。みんなこの曲大好き。

SADE「PROMISE」

SADE「PROMISE」1985年
ナイジェリア出身の女性シンガー SADE妖しいボーカルとクールでアダルトオリエンテッドなジャズファンクが今も説得力を持つバンド。これぞイギリスのセンスだよね。これに収録されてる「THE SWEETEST TABOO」が聴きたくて。ニューウェーブ感覚が作用した80年代のクールさがボサノバで成功したのが ANTENNA だとすれば、それに対応するように、80年代のクールなジャズボーカルアプローチで成功したのが SADE だと思う。確かこれは神保町・ジャニス2にて380円で買ったのかな。

THE BLOW MONKEYS「CHOICES - THE SINGLE COLLECTION」

THE BLOW MONKEYS「CHOICES - THE SINGLE COLLECTION」1984〜1989年
●だいぶ時代が下った段階でのベスト版なので、80年代後半の楽曲にハウシーなダンスミュージック感覚がすでにシッカリ溶け込んでる…そこらへんはさすがにチト退屈。しかし彼らがイギリスのシーンに登場した頃は、PAUL WELLERTHE STYLE COUNCIL と同じポジションのようなブルーアイドソウル感覚がシックで、80年代版のモッズアイコンになってた気がする。ボーカルの DR. ROBERT はご覧の通りイケメンだしね。アルバムとしては後半に並べられてる1984〜1986年頃の古い曲の方が楽しいな。下高井戸のレコ屋 TRASMUNDO にて800円で購入。


●動画をつけてみよう。
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ある日、蒲田を歩いてたんです。
●位置ゲー「ステーションメモリーズ」(略して「駅メモ!」という)に最近ハマってるボクは、仕事が早く終わったら、縁の薄い街を選んでフラフラするのが楽しくて。スコアを稼いで知らない街を彷徨うってイイね。蒲田もそんなノリで歩いてた。しかも「JR蒲田」じゃなくて「京急蒲田」の方ね。で、やっぱり味の滲み出たアーケード商店街(「あすと」って名前の商店街)なんかあったりして、それをただ歩く。お酒が飲めりゃ居酒屋に入ってみるもいいけど、ボクにそれはできないからな…。

リセールショップ ディーン

●でね、中古DVD/CDショップがなんだかそこには複数集まってて。その中の、「リセールショップ・ディーン」という名前だったかな。実態としてはエロ系DVDがメインの商品なんだろうけど、古本や普通のDVDやCDも多少はある。こういう激安クソワゴンが、ボクニにどうしても気になっちゃう。こんなゴミ溜めみたいな場所から「へー」って物件を掘り出した時の快感が楽しくてやめられないんだ。で、今回ここで発見したのがこのDVD。580円だった。

氣志團「氣志團現象大全 - SAMURAI SPIRIT SUICIDE」

氣志團「氣志團現象大全 - SAMURAI SPIRIT SUICIDE」2004年
氣志團……今まで手がつけられなかったバンドだった…。どう捉えたらイイのかワカラなくて。綾小路翔さんのクレバーさは間違いない。絶妙なユーモア感覚や、パクリ(=オマージュ)センスも最高。博識なサブカル知識とそれを自らの血肉に変換して表現に落とし込んでる絶妙さにおいては、比肩するアーティストは音楽分野に限らずお笑いを含めた芸能界全体でもいないと思う。てんこ盛りのサービス精神とエンターテイナーシップにも敬意を感じる。
●しかし、あの極端な長ラン&リーゼントなヤンキーギミックが、戦略として選びとられたハイプなのか?ガチの本物なのか?区別がつかなくて信用がおけない気持ちになるのだ。あれだけの博識なら、ヤンキースタイルとは関係ない表現も出来たはず。彼らのデビュー直後キャリア初期にサブカル雑誌「QUICK JAPAN」藤原ヒロシさんとさんが対談してたんですよ…そしたらもうサブカルに博識すぎてヤンキーカルチャーに根っこがあるように思えない内容で…。普通サブカルとヤンキーは相反する文化規範でしょ、この人の頭の中どうなってるんだろう?…その後数年を経た後に、80年代サブカルのコア人脈はだいぶヤンチャでヤンキー的タテ繋がり人脈とややメンタリティが似てるらしいとウッスラ気づくのですが。とはいえ DJ OZMA というオルターエゴで全然違う表現もヤリ切ってるわけだし。謎すぎて不安な存在なのですよボクにとっては。
●しかも、彼らはその博識さを武器に、巧妙に様々なイメージをパクリ(=オマージュ)して、先人への敬意をユーモラスな表現に転換する。バンド6人のシルエットを配置したロゴデザインは、BOOWY のパクリ(=オマージュ)だし、「氣志團現象」というフレーズもビジュアル系バンド BUCK-TICK 「BUCK- TICK 現象」からの引用でしょう。すげーサンプリング&カットアップセンス。彼らが提唱する「ヤンクロック」もカット&ペーストじゃなかろか?不審で不信で不安。

ただ、この DVD を見るコトで、そんな不安はボクのなかでスッと消えていった。2002年メジャーデビュー、異色のバンドとして破竹の勢いで注目を集めてる頃から、2004年のバンド成熟期に突入する頃のドキュメント(またはドキュメント的な悪ふざけ)を収録。とにかく無邪気な大騒ぎですよ。他のバンドメンバーたちの無理矢理な暴れっぷり、珍名キャラ設定にヤケクソさすら感じて、綾小路翔のあざといほどのクレバーさなんかどうでもよくなってしまう。ドラマー白鳥雪之丞のゲイキャラとか、ダンサー早乙女光の精神年齢4歳ナニ言ってるか100%わからないとか、2m越えの長身ギタリスト西園寺瞳のデタラメなヤンキー煽りとか。面白すぎる。むしろ、この仲間たちのメチャクチャぶりをどう面白がったらいいか、必死に考えぬいたらこんなヤンキー集団になってしまった、という気配すら感じる。
●ただし、やもすると一発屋の出落ちで終わりかねないイロモノスタンスなのに、活躍を継続して次から次へと展開を繰り出す技はサスガ。そして根本の部分で、翔さんが千葉県木更津に代表させた郊外辺境の心象風景を鮮やかに切り取ったリリシズムが見事すぎる。どんなギャグをも通り越して、突き刺さるエモーションがちゃんと表現に乗っかっている。しかもこれが昨今話題を呼んでいた「ヤンキー文化」言説博報堂・原田曜平氏の「マイルドヤンキー」斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」などなどに10年も先行した形で、ヤリ切っていたという事実。これがやっぱりスゴイ。

●だから、彼らの音楽をしっかり聴きたい。

氣志團「KISHIDAN GRATEFUL EMI YEARS 2001〜2008 房総魂 - SONG FOR ROUTE 127」

氣志團「KISHIDAN GRATEFUL EMI YEARS 2001〜2008 房総魂 - SONG FOR ROUTE 127」2001〜2008年
●改めてメジャーデビューから8年に及ぶ二枚組ベストをガッチリ聴いてみて感じたことは…実は、彼らの音楽そのものの元ネタがボクにはわからない。あの手この手でナニかの引用をパズルのように組み込む彼らなのに、根本の音楽のスタイルはしっかりとオリジナルなのかBOOWY にも似てないし、BUCK-TICK にも似てない。90年代にブレイクしたバンド、B'ZGLAY にも似てない。同時代の洋楽にも似てない。パンクにもグランジにもオルタナにもガレージにもダンスロックにも関係がない。ボクが未だ知らないジャンルからパクリ(=オマージュ)をしてるのか?たとえば、80年代の歌謡曲ロックなのかな?研究不足だな。もちろんハードロックをしますよーという時にはソレっぽい演奏をするし、キャリアが進むとちょっぴり流行りのスタイルを拝借する場面もあるけど、楽曲全部がそんなギミックに呑み込まれることはない。基本的に00年代の時流からはポッカリと独立してて、由来不明の奇妙なユニークネスを漂わせている。でも、確実にエモい。エモーションを高揚させるキラめく一瞬は必ず楽曲の中に封じ込められている。これは、作曲家である綾小路翔のオリジナルな才能なのだと思う。ナニゲにギターにアクセントがあって面白い…やっぱり時流からは外れたスタイルで古臭い。そこが味。

●そして、リリックがいい。郊外辺境の人々の心に響いた、青春の一瞬のキラメキをすくい取るセンス。それは過去にマンガで読んだワンシーンとデジャブるみたいな性質のモノで特段新しくはないのだけど、アジテーションとして聴くモノのナニカのスイッチを押す。「永遠の16歳」なもんで正確なトコロはワカンナイけど、翔さん多分完全ボクと同世代の40歳オーバー。その世代のボクらがサラリーマンとして生きて来た中で、置いてきてしまったモノ、ワザと捨ててしまったモノ、あきらめたモノ、なかったことにしてしまったモノを、ちょっとした苦味と、その苦味を忘れさせてくれる陶酔を一緒にして思い出させてくれる。ボクの個人史に照らし合わせると、木更津まで奥地じゃないけど千葉県に9年暮らしてた時期が少年時代にありまして…ヤンキーが幅をきかせてた中学生時代とかですよ…今のボクはソコをなかったことにして東京都民/世田谷区民として、都心の高層ビルで働いてる。中学時代からギーク要素が強かったボクは決してヤンキーではなかったけど、ヤンキー文化の渦中にまんまと置かれてサバイブしていた。そんな時代の微妙な何かを思い出させる。
「行こうぜ、ピリオドの向こうへ…」「俺とオマエ汗まみれでさ バカみたいにあの夏を駆けてた」「俺達は色褪せない 俺達は無意味じゃない」「幸せになってくれよな 友よ マブダチよ」「背骨折れる覚悟しろ 俺が抱いてやるぜ」友情や愛情に深くコミットする歌詞世界…裏返せば過去の美しい記憶の中にしか友情のファンタジーは存在しない逆説なのかも。
そして木更津に象徴されると「地元愛」…こんなにソーシャルが発達しても人間関係は地理的距離や物理的場所が大きく関与することを示唆するスタンス。実はこのバンド、活動開始時の拠点は高円寺だったとか。翔さんのルーツとしての木更津は事実としても、メンバーの中には鹿児島出身もいるし。つまり「地元」もファンタジーなのだ。しかし、ファンタジーとしての本質は射抜いている。ボクでさえイイ思い出のない千葉時代をホロ苦さと共に思い出すのだから。もしや、ヤンキースタイルはそのファンタジーを有効に機能させる舞台装置なのかもしれない。で、そのもう一枚上のレイヤーとしての共同体「ニッポン」にも氣志團は言及したりもする。「スゥィンギン・ニッポン」という曲とかでね。
「俺達には土曜日しかない」という楽曲が大好き。「生き急ぐ音速の天使」の爆走ソングが、「D.O.Y.O.U.B.I. しかない!」の連呼で BAY CITY ROLLERS「SATURDAY NIGHT」の構造を巧妙かつ見事に借りつつ、完全なスクリーモとして高機能で、シンガロングしたくなるヤケクソさがパンクでもある。なんてクレバーなんだろう!

氣志團「TOO YOUNG TO DIE」ユニコーン服部くん

氣志團「TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE」2004年
●DVD「氣志團現象大全」と同じ頃のオリジナルアルバム。BOOWY、BUCK-TICK といった平成元年周辺のバンドブーマーへのオマージュ心が、この場ではユニコーンに向かってる。ユニコーンの代表作「服部」1989年(右の写真)のジャケを飾ったおじいさんを、15年の歳月を乗り越えてジャケモデルに抜擢氣志團仕様に改造してしまったのだ。ココまで凝ってるとスゲエよと素朴に思ったよ。実はユニコーン氣志團には深い縁があって。ユニコーンでいい味出してたキーボーディスト「阿部B」こと阿部義晴がサウンドプロデューサーを務めているのだ。ちなみに、「TOO YOUNG TO DIE」というフレーズは、ボクには JAMIROQUAI の最初期シングル1992年とまるきり同名って連想が走る。さんも絶対にそのつもりだよ。
●収録曲は前述「スウィンギン・ニッポン」「キラキラ!」、ややヘヴィメタルアプローチの「NIGHT THE KNIGHTS」などなどで、バンドとして脂乗りまくりの時期。「スパトニック・シティ・ブヒブヒ〜黎明編〜」という曲タイトルに80年代ニューウェーヴバンド SIGUE SIGUE SPUTNIK の雰囲気漂わすなどの仕込みもシッカリ。「SECRET LOVE STORY」でクリスマスなPOPソングも入れちゃって。

●参考に古典回帰。

BOOWY「JUST A HERO」

BOOWY「JUST A HERO」1986年
氣志團/綾小路翔が強烈に影響されたはずの、伝説的ロックバンド BOOWY。その彼らが武名を急速に上げていく時期にあたる傑作アルバムの一つ。これも今聴き直すと、すげえユニークネスが満載でビビる。ナルシスティックな氷室京介のボーカルは、イディオムでいえば氣志團も使う言葉が混じるのに、あの艶めいたパフォーマンスが鉄壁の説得力を持ってスキがない。そんで実は既存歌謡ロックと本質は変わらないかもしれない氷室京介の詞世界を、布袋寅泰のギターとバンドのファンクネスがアヴァンギャルドなトゲトゲしさで別次元に飛躍させる。実はパンクと無縁で完全にニューウェーブ系。異端さとポップネスが怖いほどの危うい均衡で同居してることがスリル。中学生の頃に思わず畏怖した布袋寅泰のノイズギターは、40歳超えた現在のボクにも当時と同じ畏怖心を抱かせる…凶暴で狡猾なケモノがいる。
●敬愛するバンドの、パロディであることをハッキリ自己批評しながら、先人の歩いた道をこれまた絶妙なバランスで渡り歩く氣志團は、遅れてきた者としての不幸と先人の豊穣な成果を取り込める幸福を抱えてる。それを再認識。


●2006年以後、オルターエゴ、DJ OZMA が動きだす。

9DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」2006年
「氣志團万博」など大規模イベントを成功させていた氣志團が、全く別のコトを始めた!当時は氣志團に不信感を抱いてたボクとしては、それ見たことか!と思わせるコトだった…やっぱりあのヤンキースタイルはギミックだった!今度は露悪的なほどのブリンブリン感で武装したホスト芸に乗り換えた!戦略もクレバーすぎるのだ。自分のソングライティングを更新するために、なんと韓流ポップソングを日本語カバーする作戦に出るとは!2006年段階でここまで韓流に突っ込んだアプローチは結構早い。東方神起の日本進出が2005年、2006年は本国で BIGBANG が結成された段階。KARA、少女時代が日本進出してきたのは2009〜2010年頃。韓国シーンに価値を見出すセンスは圧倒的に早すぎる。だからこそ信用できない。そう思ってた。
●しかし、あの奇妙なバブル再評価感覚って果たしてホントに時流だったのかな。デフレ経済下で誰もがシンドイ局面だった気がするんだけど。しかしこれまた奇妙な質感のダンスミュージック、欧米由来でもジェイポップでもない韓国グルーヴに、なんとも微妙な空騒ぎなリリック(ラップだけどヒップホップじゃない…)で踊りまくるってのは…とにかくヘンテコに見えた。ま、今でもそう思ってるくらいだけど。
●最初のシングル「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」は韓国のヒップホップグループ DJ DOC「RUN TO YOU」のカバー。このグループは、ボクとしては2002年日韓ワールドカップの時に仕事で何回も韓国に行ってたので、買って聴いてた…この曲は知らなかったけど。DJ DOC の曲はいくつかカバーしてるみたい。二枚目シングル「純情〜スンジョン〜」は韓国の男女混成グループ KOYOTE の1998年のシングルをカバーしたもの…サビにおしぼりを振り回すアクションとかあざといねえ。原曲も80年代ディスコのスタイルらしい。KOYOTE はもう一曲カバーされてるね。氣志團の楽曲もカバーしてる。名曲「BOYS BRAVO !」を女性ボーカルでユーロビート風にするとかね。近藤真彦「ケジメなさい」もグリッターにカバー。

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」2

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE 2」2007年
浮かれ気分もイカれ気分もアゲアゲのまま。「猪木ボンバイエ!」で知られる「炎のファイター」をサンプルした「疾風迅雷〜命BOM-BA-YE」とか、こうやってマジで聴くと実際ホントよくできてる。「TOKYO BOOGIE BACK」という曲を入れた上で「ONE NIGHT CARNIVAL」セルフカバー「心のチャート第一位はこんな曲だった…」なんてフレーズを挟んだり…これじゃ小沢健二&スチャダラパー「今夜はブギーバック」じゃないか!そこから円広志「夢想花」まで行くとか、とにかくワザアリ過ぎるんですわ。
韓国ポップスカバー路線はそのままだけど、もう誰のカバーとか追跡できない。メンバーに MC KOREA とかいう人物まで登場してカオス。一方でユーロビートから元ネタ拝借もやってたり。氣志團カバー以外は絶対に綾小路翔は作曲に関与しないってのがルールみたい。でもリリックは基本、翔の仕事。やっぱり世界観を一貫させるのは彼のバランス感覚。

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」3

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE 3」2008年
●一曲目「DRINKIN' BOYS」から相変わらずヘンテコグルーヴでお酒飲んで空騒いでるなーと思ったら、この曲、日本のベテラン・クロックワークパンク、ニューロティカのカバーでした。ここでバンドブーム系から引用するか…。故・HIDE「EVER FREE」もカバーしてるんだよ。韓流路線も継続だけど、数曲日本人作家の書き下ろしもあったりして。シングル「MASURAO」とか。この曲は大沢伸一さんのエレクトロリミックスがいい。大沢伸一リミックス集「TEPPAN-YAKI」に収録されてる。韓国ネタがもう尽きたのか?

矢島美容室「おかゆいところはございませんか?」

矢島美容室「おかゆいところはございませんか?」2010年
DJ OZMA プロジェクトの延長で、もう一つのペルソナが出現するのよね。とんねるずとの合体ユニット・矢島美容室で、ネバダからやってきた三姉妹のひとり、NAOMI 'CAMELLIA' YAZIMA というキャラが登場。THE SUPREMES 風ボーカルグループ設定、ブリブリの女装でギラギラしてるけど、殊の外マジでカワイイギャルメイクがすごいぞー。なんかローラに似てるんだけど。サングラスをこんな場面で取ってしまって…本当は見事なイケメンなんだろうな翔さんは。
カタコト日本語ガイジンさん視点から、元気のないニッポンをチアアップするコンセプト。リリックはとんねるずと仕事の多いエンドウサツヲという放送作家さんが担当、OZMA は作曲に徹してるけど、ダイナミックで陽気なディスコサウンドはゴージャスで楽しい。とんねるずも往時の勢いはないけど、80年代レジェンドとしての貫禄はすごい。
●あー、それと OZMA ならぬ NAOMI がボーカルをひとりで担当する「ナオミの夢」はこれまたナイスカバー。1971年にヒットしたイスラエル人男女デュオ ヘドバとダビデ による和製ディスコ。原曲はヘブライ語らしいんだけど日本語で本人たちが歌って当時の日本でブレイク。この曲はスゴ過ぎるので原曲のEPを探して買ったよ。
●ちなみに、これも蒲田「リセールショップ・ディーン」で購入。50円だったよ。


<追記>

斎藤環「ヤンキー化する日本」

斎藤環「ヤンキー化する日本」2014年
氣志團の話を書き終えた後に、そういえば少し前にこんな本を読んでたなーと思い出した。帯コメがいいでしょ。「この国は”気合い”だけで動いてる」。この本を読んでた頃、ホントに気合いだけだよなー。結局のトコロ、ボクのやってる仕事は、いつも最後の局面では「気合い」でツジツマを合わせているよなー、と想いふけった覚えがある。大概の先輩たちの頭の中には、「どうにかなるでしょ」の楽観主義「どうにかしろよオマエらで」のブン投げ主義が入り混じっている。完全に悲観主義者なボクは「どうにかせにゃアカン」と思ってしまう性質なので、落穂のようにバラ撒かれる懸念をシャカシャカすくい取ってしまう。で、潰れる。むー。
「ヤンキー」という言葉そのものは「アメリカ人」を指す言葉で、突き詰めればアメリカ東北部ニューヨークの文化社会だ。ニューヨーク・ヤンキーズね。でも、それが戦後のある場面から、アメリカ文化とは関係のない、日本独自の文化記号体系になった。多分それがスタイルとして一番成熟したのが80年代。で、その影響下に育ったボクらの世代が社会の真ん中に来た段階で、民族的心性にまで浸透しまくったつーことか。氣志團はその記号を換骨奪胎してユーモアにもすれば、シリアスな共感や感動にもする。ホスト文化にアゲ狂う DJ OZMA のコンセプトも同根の心性から出発してるのだろう。

●この本によると、ヤンキー文化にはいくつかのポイントがある。

その1、「バッドセンス」。
ここでいう美学「バッドセンス」は、暴走族の改造車両、改造バイク、デコトラに始まり、荒れる成人式の羽織袴の白装束とか、建築の職人さんに見られるベルボトムなニッカポッカ作業着、ファンシーすぎるUFOキャッチャーの景品ぬいぐるみを車に詰め込む趣味、「闇金ウシジマくん」のようなジャージ姿からブリンブリンなホストファッション、ガングロギャルまでが射程距離に入る。氣志團の露悪的なほどの80年代「ツッパリ」リバイバルが「バッドセンス」でないはずがない。ボクに言わせれば、これまたグリッターなパチンコ台のデザインや、オタク文化圏の「痛車」だって最高のバッドセンスだよ。和洋折衷のキッチュさ、光ること、目立つこと、様式性、末広がり、安いゴージャス、威嚇的/威圧的、ユーモアがキーワードか。

その2、「キャラとコミュニケーション」
ヤンキー親和性が高い人は「コミュ力」が高い。クラスの人気者で「スクールカースト」の上位を占める。この場合のロールモデルは「お笑い芸人」。彼ら自身もヤンキー文化圏の出自が濃い…引退した島田紳助からダウンタウン加藤浩次DJ OZMA と組んだとんねるずだってそうだろう。橋下徹もこのカテゴリーに入っちゃってる。島田紳助のテレビ共演者として、「茶髪の弁護士」が最初の登場の出で立ちだったのだから。そのコミュ力の基礎になるのが「キャラ立ち」だ。キャラの力が理屈抜きの説得力になる。島田紳助も橋下徹も理屈の上でも強いのだから最強のヤンキー。氣志團が、鉄壁なキャラ設定とその上でのコミュニケーションで自己演出をコントロールしてるのは明白。DJ OZMA もキャラとコミュ力が表現に破壊力を備えさせてる。この自己演出が巧妙すぎて気持ち悪いと思ったほど。

その3、「アゲアゲのノリと気合い」
DJ OZMA がアンセムにしちゃったフレーズがそのままココに挙がってますわ。「気合いとアゲアゲのノリさえあればなんとかなる」ってロジック、この世間には目一杯流布してますよね。「夢を捨てずにもっと頑張れば」「信じ続ければいつかは報われる」「努力は絶対にオマエを裏切らない」もこの場合全部異口同音です。冷静な現状分析よりも、意気込みや姿勢を重視、「結果」は問わず、その過程への姿勢が大事ってヤツ。氣志團のリリックは、ファンタジーとして、このアゲアゲな姿勢が瞬間的にでも報われるコトを実にエモーショナルに歌い上げる内容が多いっす。報われない場合も十分に想定されてますが、報われないがゆえに美しい儚さが、これまたエモーショナルで高性能ですわ。
●著者斎藤環さんはもう少し踏み込んで、ヤンキー文化以前の第二次世界大戦でさえも、軍部をはじめとした「気合い」主義で日本は失敗したと主張。「気合い」を「大和魂」と入れ替えてみるとあの戦争は大分スッキリしてしまう。そして「気合い」の不合理さは、その目的をその個人から、家族のため、仲間のため、お国のため、と目的をすりかえて動員することで別の強制力を持つことになる。怖いね…。スポーツ応援の場面で同じコトは今でも起こってる?

その4、「リアリズムとロマンティシズム」
ヤンキー文化は、政治的には保守思想と親和性が高い。ある種の道徳観の体系でもあり、治安維持にも貢献する。不良少年たちは、その不良社会の中で絆や仲間意識を培い社会性を獲得する。もはやそれなりの歴史を備えたヤンキー文化は「伝統」も備えていて、生存戦略として洗練された秩序を形成し有効に機能している。先輩=後輩の間で継承される現実のルールは彼らのリアリズムになるのだ。「気合いで乗り越えろ」というヒロイックなロマンティシズムは、こうした局面では既存規範を乗り越えていかない。既存規範は彼らの現実で、そのルールは「説得力ある伝統を持つ様式性」に包まれていて改変不可能なのだ。「自らの夢さえも実現可能な範囲にとどめておけるだけのリアリスト」がヤンキーなのだ。このテーゼにおいては、氣志團/DJ OZMA は当てはまらない…彼らの活躍はただのリアリストにはこなせない冒険だから。

その5、角栄的リアリズム
田中角栄の名前が出てきた…。「日本列島改造論」をキャッチフレーズに強力なリーダーシップで戦後日本を牽引しながら、未だに「ムラ社会的」「金満政治」「利益誘導政治」とネガティブな言葉が付きまとう、闇の深さでも悪名高い総理大臣。彼自身がヤンキー的現実主義のような思考を持っていたから、ここで彼の名前が出てくるのだ。彼がどっぷり浸かっていた「義理と人情」の世界は、そのまま金権腐敗、談合や構造汚職、口利き政治の温床になった。「景気浮揚のためには汚職もやむなし」が彼の社会改造だった。変革を求めながらも、革命は望まない…ヤンキーのリアリズムは、現実を変えずして変化を求める性質を持つ。ファッションが移り変わるように変化は淀むコトはないが、それは表層的なものにとどまるのだ。氣志團は革命を望むのか?それは OZMA 以降の彼らの活躍で判断させてもらう。

その6、ポエムな美意識と”女性”性
●著者はスバリ明言している。「ヤンキーはポエムが好きだ」「ポエムの良いところは、知識や論理とは無関係に、依拠すべき肯定的感情をもたらせてくれるところだ」「ポエムは強力な共感装置でもある。ポエムへの感動を分かちあうことは、強い共感を通じて承認欲求を満たしてくれるだろう」。そして、昨今の代表的な傑作ポエムとして、安倍晋三「瑞穂の国の資本主義」をたっぷり引用する。田中角栄だけじゃない、今の総理大臣もヤンキー的美学の影響下にいる、またはヤンキー的美学を政治的プロパガンダに利用している。というか多分その両方。リリシストとして一流である綾小路翔は、ポエトの姿をしたデマゴギーなのか?ただ、ここで著者はヤンキー的ポエムとしてブルース・リーの名台詞「DON'T THINK, FEEL」を紹介している。しかし氣志團が今年リリースしたシングルのタイトルはコレを一流のパロディにした「DON'T FEEL, THINK!」だ。実に示唆的。彼らの視点は今の社会とその先をきちんと見てる。
●著者は「”女性”性」という言葉を使うに当たって、誤解なきよう気をつかっているが、意図的に反知性主義であろうとするヤンキー的集団は、理念や目的を目指すことよりも、構成員の関係性を優先させるという意味で女性的であるという。日本の人間関係の範を儒教とし、その儒教が対人スキルを主軸にした倫理体系である以上、これがヤンキー的で女性的であるとのこと。家族主義、現場主義、行動主義、「いまここ」主義、「愛と信頼」主義、といったヤンキー的ポエム要素は「やってみなければわからない」という反知性主義の芽をはらんでいるという。もう少し突っ込めば、反知性というより、知性への不信、理屈だけの空論への反感がココにはある。


●冷静に一歩下がると、ヤンキーじゃないってことは、人間関係に無関心で、既存の社会規範に無関心で、夢想や幻想に無関心だってことで。「ヤンキー化する日本」というけど、ヤンキーじゃなかった日本なんて、いままで存在してなかったんじゃないかな。

14年ぶりにヤクルト・スワローズがリーグ優勝。
今年だけは、巨人に勝って欲しかった…業務上の理由で。クライマックスシリーズじゃ頑張ってくれよ。
●人生でこんなに野球の結果にハラハラしたことなかったよ。選手の名前一人も知らないほど知識ないのに、詳しい同僚に「ヤクルトが連敗して、巨人が全勝すれば優勝できます」とか解説してもらって(ドリくんありがとう、エクセルで場合分け解説表まで作ってくれたね)そんでせっせと様々な可能性の対応策を考えたり…でも一番つまんないトコに行っちゃった。まーヤクルトの優勝の方がレアで世間では貴重だとは思うけどね。


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●オールドファッションのドーナツ食いたかったんだ。
ミスタードーナツのじゃなくて、ローソンのオールドファッションがいいんだ。
●んで、100円のホットコーヒーも頼んで、家のリビングで一人の贅沢。


●巨大な革命が起こるんじゃないかとドキドキして迎えた「サブスク音楽配信サービス」も大方お試し期間が終わってしまって、一旦全部停止解約した…。だって「サブスク」聴く前に、まだしっかり聴いてないCDやレコードが山のように転がってるんだもん。これ片付けてから契約するわー…まー永久に片付かない気もするんだけど。

●そんで、なんだか仕事がくそ忙しいので、NETFLIX をチェックしてる暇がない!無料期間がおわっちまうよ!
「Amazonビデオ」も始まった。もともとプレミア会員だったからコイツも見られる。AKB48のライブがいっぱい!見る暇ないけどね … DVDですら買って手がついてない奴がいっぱいあるんだ。

●娘ヒヨコは IPAD を器用に使って、自分好みの吹き替え洋画&海外ドラマを HULU でサクサク見てる。で、この前ヴェネディクト・カンバーバッジ「SHERLOCK」を全部見てしまったので、今度は弁護士コンビが主人公の法廷ドラマ「SUITS」を見始めた。なんでこんなもん見てるんだ?ヒヨコ「だって日曜朝のシューイチで面白いって言ってたんだもん」まんまとパブに乗せられてやがる!


●今現在は、HULU のラインナップから削られてしまったけど…。
TBSオンデマンドからの提供で「キラリ・熱熱CLUB」って番組が見られたんです。(他のVODサービスでは見られるところはありますよ。検索してみてね)
●これが、1980年後半〜1990年/バンドブームの全盛期に放送されてた音楽番組で、アラフォーのボクには懐かしのアーティストの若々しい映像が、SD画質のややバブル気分濃厚な気分で記録されてる。アーティストにインタビューとライブ。しかも収録場所は「クラブチッタ川崎」!滅びて久しいハコだけど結構行ってました90年代には。
●そんな番組で注目したゲストアーティストが、高野寛さん。キュートなルックスとポップな音楽が少々アイドル視されてた感じが微妙だった…。でもこれがキッカケでちょっと見方が変わったというか。で中古音源をさくっと探してみた。

高野寛「CUE」

高野寛「CUE」1990年
●代表曲「虹の都へ」が収録されてるサードアルバム。で、これが TODD RUNDGREN のプロデュースだってのも有名な話。この辺の逸話が「熱熱CLUB」の彼の口から語られてて、へーと思ったのだ。バブル経済華やかな当時、アーティストに箔をつけるためにこのアメリカの大物プロデューサーをあてがったのかなーなんて今までは思ってたんだけど、事実はちょいと違った。当時の TODD は日本のシーンに興味があったらしく、有望な日本人アーティストと仕事をしたがっていたらしい。そこで幾つかのアーティストやバンドが推薦された中で、高野が選ばれたという。高野からしてみれば「え!あの TODD RANDGREN ですか!?」と突然の話にビックリ。そんで準備もソコソコで渡米したらケチョンケチョンにされるのですよ… TODD は変人プロデューサーとしても有名で、その完全主義でグイグイプレッシャーをかけるから。…そんな風にして生まれた曲があの「虹の都へ」なのか。確かに、ギターの質感やキーボード使いに TODD の雰囲気が漂ってる。
●で、今ここで冷静に聴いてみると、一曲目「I・O・N (IN JAPANHLISH)」「虹の都へ」は分かりやすいビート感を備えたバブルガムポップスとして高機能なんだけど、その他の曲は、どれひとつとして分かりやすいポップスがない。ミドルテンポで痛快感はないし、アレンジも一貫性がない。リリックも詩的すぎて分かりづらく、地味な印象な曲ばかり。TODD 流の装飾でポップスになってるけど、やり方によっちゃシュールな日本語フォークになったかもしれない。…というか本質的にこの高野寛さんはシリアスなフォーキーな作家であって、たまたまカワイイルックスとスイートな声でアイドル的シンガーになってしまっただけなのかも。TODD もそれを英語圏にはいないソングライターとしてわざわざ指名したのかもしれない。意図的に単純な英米ロックバンドの仕上がりに持って行っていなかったのかもしれない。
●90年当時高校生だったボクの周辺で、ドイちゃんという女の子が「虹の都が好き!」と言ってたのを印象深く覚えてて。この曲聴くと、今でもその身長ちびっ子でちょっとお人好しの彼女のコトを思い出す。彼女自覚なかっただろうけど、わりと癒し系オーラを放つ常識人で性格もよかったからなー。その後30歳代になってから、ワイフと二人で彼女に再会した時、彼女は見事な韓流ファンになってたけどね。

高野寛「AWAKENING」

高野寛「AKAKENING」1991年
●このアルバムも前作「CUE」に引き続いて TODD RUNDGREN のプロデュースなのであった。キャッチーなヒット曲といえば、ここでは「ベステンダンク」!名曲!様々な人にその後カバーもされたけど、一番の傑作が KREVA のバージョン。ドクター K との異名を持つ達者なラッパーである彼が、直球で普通に歌ってるだけ!ラップなし!ってアプローチをしちゃってるもんね。彼とボクは年齢的にほとんど同じ、きっと思春期に大きな影響を刷り込まれたんだろうね。その事実がますますこの歌を好きにさせたよ。「この声は小さすぎて 君の元までは届かない たとえそれを知っていても 叫ばずにはいられない ベステンダンク」…ベステンダンクって言葉の意味は、実は未だに知らない…。
●でもこれも、アルバムの他の曲は基本的に地味な曲ばっかり!そこにアイリッシュのアレンジが入ってたり、ボードヴィルテイストやファンクテイストが忍び込んだり、インストの小品がそっと入ってたりと、アプローチもバラバラ。TODD もある意味で無責任な味付けをするから混乱気味になってる気がする。なんだか今までのポップスシンガーの印象がどんどん崩れていくぞ。むしろ不器用な人という気分すら…。今日はそんな意外な発見を楽しんで音楽を聴こう。
●おまけに、今思い出したんだけど、このすぐ後に TODD RUNDGRENインタラクティブ性をもったCD規格「CD-I」なんてヤツでアルバムリリースをしてたはずだ。当時パソコン雑誌「ログイン」でそんな記事を読んだんだけど、高校生のボクにはさっぱり理解できなかったし、今ですら「CD-I」がなんだったのか、なにが出来てなにを TODD がやろうとしたのかわかんない。やっぱり天才は早すぎて理解されないんだね。「CD-I」専用の再生デッキが必要でこれが死ぬほど普及しなかった。それだけ知ってる。こんなヤツと付き合った高野さんもエラいわ。

●今の高野寛さんは。

高野寛「TRIO」

高野寛「TRIO」2014年
●ボクが失礼ながら一瞬忘れてた彼の存在を思い出したのは、NHK-ETVで放送されてた「スコラ - 坂本龍一 音楽の学校」での出演だ。アレは第二シーズン(去年?一昨年?)だったか?スタジオライブに細野さん+ユキヒロさん=YMOが豪華にも30分番組の締めコーナーごときで演奏しちゃってるんですわ。それだけでもすごいのに、よく見るとサポートギタリストが小山田圭吾高野寛!豪華すぎるバンドじゃねえか!クレジットもエンドロールだけというシレッとしすぎる出演に、むしろクールさを感じた。へー。そもそもの縁でいうと、高野寛さんは初期アルバムを高橋幸宏にプロデュースしてもらってデビューしている。その意味では YMO サークルの人脈にいる人なんですよね。年齢は重ねた分の落ち着きは身に纏いながら、ベビーフェイスの面影はそのままでした。思えばアルバムタイトル「CUE」 YMO の曲名由来かな?
●で、去年の鳥取旅行で、このCDに出会った。あの街では必ずチェックすべきレコ屋・ボルゾイレコードでね。ご主人の説明だったかな…ジャケからも連想できるんだけど「高野さんは今、ブラジルにハマってるんですよ。このCDもボサノバというかブラジルというか。」へー。「で、たまたま、今日さっき高野さん本人もこの店に来てたんです」えー!そうなんですか!?「実は今日高野さんのライブが鳥取であるんですよ。それがユニークでね。なんとカフェで、ギター一本弾き語りですよ。豪華ですよ〜詰めてもキャパ50人程度のハコで聴けるんですから」高野さんランクの人がそんな活動してるんですかー。しかも本当に一人でフラリやってきて次の街へフラッと移動していくようなノリらしいのだ(後から知ったがそのツアーの初日がこの鳥取だった)。ボルゾイのご主人は親切にもご自身の名刺にメモを書いてくれて「これ見せてもらえば前売り価格で入れますよ」。なんと光栄な。残念ながら家族旅行で来てるボクはライブの時間は予約したレストランで鳥取郷土料理を食べる予定だったので行けなかったのだが、ライブ直前のカフェの前まではノゾキに行ってみた。まじでホントに素朴なカフェで、大きなガラス窓からは、そのガラスを背負う形で楽器のスタンバイをしてる男性の様子をチラッとみることができた…あれ、高野さん本人かな?あんな空間で間近に彼の美声を聴けるのは贅沢だな。
●つーことで、カフェライブは逃したものの、このブラジルアルバムはきちんと買った。これがいい。虚飾を一切排したアレンジ、基本はギターと彼の声、そしてウッドベースにブラジル的なリズム楽器を、オーガニックにまとめあげた作品。キーボードは全く使われていない。だから、過去の楽曲の再演もあるが表情が違うし聴き応えも違う。フォーカスがカッチリと彼のボーカルに合っていることが、なんと気持ちよいことか。彼の甘い声がデビューから25年の時間を経て独特のアロマ的芳香まで放つようになってて。
●ブラジルのアクセントも実に慎み深くて、バタ臭い印象はない…むしろ伝統の力と洗練を与えていてぐっと落ち着いている。と思いながらクレジットをみると、一曲を除いてリオデジャネイロ録音。プロデューサーとしてのパートナーは、なんと MORENO VELOSO!ブラジルMPB界の革命児・CAETANO VELOSO の息子!まじかよ。なぜ CAETANO の息子さんと高野さんに縁が?MORENO VELOSO の日本公演で彼が高野さんをゲストに指名したのだ。MORENO のバンドメンバー高野さんの楽曲を愛聴してての抜擢。彼らは伝統的ブラジル音楽の後継者のように見えて、ARTO LINDSEY から CORNELIUS まで聴きまくる完璧なコンテンポラリーアーティストなのだ。ボクはアルゼンチン音響派なんかをわざわざ聴いてるけど(以前書いたこの記事のコトね)、向こうの人も日本の音楽に特別な関心を寄せてくれてるんだ…。そんな出会いがもう10年前。そこから始まった交流でお互いが地球の裏側まで往復しながら培った友情が、ここでは絶妙なコンビネーションになって音楽に結実してる。

高野寛 ソングブック

VARIOUS ARTISTS「高野寛ソングブック: TRIBUTE TO HIROSHI TAKANO」2014年
●いいジャケ!タイのマンガ家ウィスット・ポン二ミット氏だね。これは高野寛にゆかり深いアーティストたちによるトリビュートアルバム。これも鳥取ボルゾイレコードでいっぺんに買ったよ。
最初から一番の聴きどころを上げてしまえば、アルバムの最後で高野のリリックを英詞に置き換えて歌っている TODD RUNDGREN による「虹の都へ」カバーだ。副題として「INTO SHAMBHALA」という言葉が添えてある。「虹の都」を彼はチベット仏教に伝わる桃源郷「シャンバラ」に読み替えたのだ。あの「CUE」の時代と同じキラキラしたアレンジを、シンセポップで再現している。かつての厳しい師匠が、弟子との古い付き合いを、今でも活き活きと良い思い出として大事にしてくれていた、そんな嬉しさを勝手に読み取ってしまう。
●それと、くるり節炸裂の岸田繁「ベステンダンク」カバーがいいね…ぐっとテンポを落として落ち着いてる。この曲は、おおはた雄一+坂本美雨=ユニット名:おお雨もカバーしてる。あと高橋幸宏さんの「やがてふる」がダンディ。「確かな光」に取り組んだ畠山美由紀+青柳拓次(EX. LITTLE CREATURES)のコラボもよい。ハナレグミ「HIBIKI」も繊細なフォークアプローチ。完全に自分のモノにしちゃってるようだ。ビューティフルハミングバード&宮内優里という人たちの「エーテルダンス」も清らかな歌唱とフォークトロニカ的ポストロックで注目。アンチモンという名の男性アコースティックデュオが高野さんデビュー曲「SEE YOU AGAIN」を慎ましやかにカバー。このふた組、初耳のアーティストさんでした。



●ついでに大沢誉志幸さんにも行ってみよう。

大沢誉志幸「SERIOUS BARBARIAN」

大沢誉志幸「SERIOUS BARBARIAN」1989年
TBSオンデマンドのアーカイブ音楽番組コンテンツ「キラリ!熱熱CLUB」では、大沢誉志幸さんのパフォーマンスも見られたのよね。「SERIOUS BARBARIAN」三部作のうち、2番目までリリースした頃のタイミング。この三部作は彼にとって先鋭的クリエイティブの頂点だったと言えるような存在だとボクは思ってる。で、リアルタイムでもカセットにダビングしたモノでよく聴いてた。改めてCDで買ってみたよ。
●タイトル曲「SERIOUS BARBARIAN」が、いきなり10分越えの大曲なのですよ。そんでコレが実にクールなスピードファンク。乾いたスネアが高速で走り、精密なカッティングギターが空間を切り刻む。キレのいいホーンやストリングスアレンジ。キーボードの雰囲気が青ざめたSF感覚すら漂わせている。そこにハスキーでカサカサした質感の大沢氏の声が、抽象的で意味深なリリックを密度濃く叩きつけるように歌う。朗々と太く歌えないタイプのシンガーであるけども、それを逆手に取った、神経質で緊張を孕む言葉運びがセクシーに聴こえる。結果的にコッチに10分間のダンスグルーヴの中で全く油断の隙を与えない。当時も今も、この特殊さ独特さは劣化しないままだ。
●時代背景で言えば、80年代ファンク、特に天才 PRINCE が切り開いた新しい質感がそれまでのディスコミュージックからファンクの概念を拡大した流れにあるのが、この「SERIOUS BARBARIAN」だったと思う。クールな未来的なイメージと暗示的なリリックを狂騒のグルーヴに乗せていく。シリアスな演出と野生&野蛮を同居させる冒険がここにはあった。この冒険に成功に彼は手応えを感じて、この特殊ファンク路線を三枚分のアルバムで突き詰めていったのだ。それが商業的に成功したかというとちと微妙かもだけど…。
●さらに突っ込んで言えば、彼の同時代には久保田利伸岡村靖幸がいた。どちらも80年代のブラックミュージックに深く影響されたアーティストだ。久保田利伸は、そのノドのチカラで当時最新型のR&Bを日本に紹介し、自分の表現を本場アメリカのシーンに寄り添わせていく戦略をとった。90年前後のニュージャックスウィングを日本のポップスに着地させたのは彼の技量だったし、その後日本のキャリアを放棄してアメリカのシーンに潜り込んだりまでするのだから、それが本気だったのは明白。一方で、岡村靖幸ファンク表現を徹底したローカライズ…つーか自分自身個人への最適化を突き詰めて、リリックの世界観を含めて唯一無二の特殊空間を形成するに至った。同じファンクをめぐる状況の中では、大沢誉志幸がキャリア的には一番先行していたのだけれとも、「SERIOUS BARBARIAN」シリーズで打ち出したファンク解釈は、他の二者に比べてちょっと偏差値が高いアプローチだったのかも…。
●一方で、セクシーなメロウ曲も彼の持ち味でもある。アルバムを通して聴けばメロウ路線の方が比率が高い。付け入る隙のないダンディズム。ジャケの通りイケメンだし。それを夜に静かに聴く。甘美なひととき。満足。

大沢誉志幸「彼女は FUTURE-RTYTHM」

大沢誉志幸「彼女は FUTURE-RHYTHM」1985年
●この大沢誉志幸さんという人物をもうちょっと詳しく解説しておくと…学生時代にバンドデビュー経験があったが鳴かず飛ばずままに解散、その後は裏方のソングライターとしてアイドルなどに楽曲提供していた…吉川晃司も彼の楽曲を多く歌ってる。1983年にソロシンガーとしてデビュー。商業的にはこの頃の方が売れてたかも。これは4枚目のアルバム「IN・FIN・ITY」1985年からシングルカットされた楽曲。しかも10インチシングルね。アルバムもこのシングルも、編曲にニューウェーヴ期の鬼才・ホッピー神山が関与。後にハッキリしていくSF的世界観や最新鋭ダンスミュージックへの目配せが既に垣間見えている。なんてったって「FUTURE-RHYTHM」だもんね。
●ボクとしては、SIDE-B収録の、彼のヒット曲「そして僕は途方にくれる(SPECIAL DANCE MIX)」にもかなり注目。やはり編曲にホッピー神山、プログラミングは「四人目のYMO」と言われた松武秀樹が担当。通常盤とは違うタフなリズム解釈が腰に響く。
●ボク自身は、実は「SERIOUS BARBARIAN」以前の大沢誉志幸をちゃんと聴いてないんだよね。ポップスライターとして、個性的なシンガーとして、素朴にこのヘンの時代の音楽も聴いてみたい。ちなみに、この10インチは、地下鉄東西線・東陽町のダウンタウンレコードにて300円で購入。

高杉さと美「雪星/そして僕は途方にくれる」

高杉さと美「雪星/そして僕は途方にくれる」2007年
彼女は、香取慎吾主演ドラマ「西遊記」の主題歌「旅人」でデビューしたシンガーさん。レースクイーンからキャリアを起こしてエイベックス傘下 RHYTHMZONE からアーティストに昇格というわけで。で、この三枚目のシングルで、大沢誉志幸「そして僕は途方にくれる」をカバーしてる。これが聴きたくて、激安ワゴンから100円でピックアップした。実はレンジが狭いメランコリックなこの曲は誰に取ってもカバーしやすい曲みたいで、大勢のシンガー男女問わずに取り上げられてる。まー彼女のバージョンはそんなに大したもんじゃなかったけどね。
●月9ドラマ主題歌になった「旅人」は独特のオリエンタル風味でそれなりにヒットしたので、ここでも「旅人 - TRAVELLIN' DESSERT MIX」なるバージョンが収録されてる。こっちもボチボチ。あの「西遊記」でホントにブレイクしたのは、同じく主題歌を担当した日本人/外国人混成バンド MONKEY MAJIK のほうだったかな。あのバンドは実直な活動を続けてるよね。



●なんかつけられる動画があるかな?
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