理科の実験教室で、ガッキを作ってきたノマド小学四年生。

理科の実験教室で、ガッキを作ってきたノマド小学四年生

●ダンボールで出来たミニミニギターには、2本の弦が張ってある。サクラ、サクラ、だけが弾ける。ちょっと得意げ。


●金曜日に、仕事で大分ヤラカしてしまった…ような気がして「オマエ月曜日からどうやって立て直すよ」と自問自答すると際限なく落ち込みそうな気配。
●しかし、金曜&土曜と立て続けにメシ会があって、過去の同僚たちとバカトークしたらなんか気持ちがスッキリした。まーどうにかなるね。

●金曜は銀座で火鍋。女子会だったのに、突然おジャマしました。アラサー~アラフォー女子は「いつでもカイシャ辞めたってヘイキ」の覚悟がスゴい。「別に専業主婦になってもカマワナイし!」「別にヒトリキリだからドウニデモナルし!」。エラくなりたい訳じゃないし、ヤヤコシイコトが増えてくるだけだし。もう時間のモンダイよねアト何年残ろうか。えーボクはコドモもローンもあるし。「アンタはダメよ、最後までこのドロドロの中でフンバルのよ」うへえ。
●土曜は、致命的にオトナになり損ねた、アラサー失格野郎の居酒屋オトコ祭り。大人げないシモネタの連発。今は全員が別々の仕事をしてるけど、チームとして仕事を始めた10年前のノリに一瞬で戻れるって、とっても貴重ね。


●ヨガ教室の帰り道。下北沢ドラマ北口店が、閉店セールで全品50%オフだった。もうガッツリ掘りましたよ。こういうセールに遭遇すると、脳ミソからドクドクとドーパミンが湧き出てくる!エモ、パンク、R&B、エレクトロニカ、オルタナ、ハードロック、ジェイポップからブラジルまで。結局CD32枚ゲット。総額17930円だけど、1枚あたり560円だと思えばアリでしょ?


そんで、今週聴いてたのは、PETER TOSH。

PETER TOSH「THE TOUGHEST」

PETER TOSH「THE TOUGHEST」1978-1987年
BOB MARLEY とともに THE WAILERS を結成したレゲエレジェンド超人。ゲットー育ちのタフガイ。歩くカミソリ。人呼んでブッシュドクター。またの名をミニスター・オブ・ハーブ。ガンジャ解禁主義者。オレは平和が欲しいわけじゃない、権利の平等と正義が欲しいんだ。BOB MARLEY とともに世界進出すると思いきや、レーベルと衝突して1974年バンドと訣別。そんで1976年に放ったソロが「LEGALIZED IT」リーガライズィ~ッッツ!解禁せよ!マリファナを解禁せよ!
●そんなオトコも1987年に強盗事件に巻き込まれて殺害される。このコンピはその死後1988年にリリースされた物件で、1978年以降~80年代初頭のソロキャリアをまとめてるんですわ。……しかしコレを聴く限り、なんかイマイチしっくりこないなと感じる。普段ボクがルーツレゲエに自然と求めてる、ゴリッとした硬質で野太いグルーヴがイマイチ薄いなあと。なんだか南の島のトロピカルミュージックみたいなノンビリさばっかりが目立つなあと。なんでじゃろ?
●この時期の PETER TOSH がナニやってたか、もうちょっとツブさに調べてみた。そうだ、この頃は MICK JAGGER とツルんで二人でデュエットしてたんだ!「DON'T LOOK BACK」1978年(元は THE TEMPTATIONS の曲)をレゲエにして MICK JAGGER と歌ってる。この曲のヒットが彼の世界的知名度を一気にあげるんだけど、やっぱ少々気分が違うんだな。この頃、彼は MICK に大分入れ込まれてて、その近辺のアルバムは、THE ROLLING STONES の関係レーベルからリリースされてるのだ。ボクにとって BOB MARLEY & THE WAILERS の世界流通レゲエが、本来のローカルジャマイカなルーツレゲエとちょっと性質が違って聴こえるように、この物件も世界流通レゲエとしての味の違いが微妙に感じられる。
●とはいいつつ、サウンド制作の傍らには SLY & ROBBIE ROBBIE SHAKESPEARE が関わってるし、ヤバいケムリがモクモク渦巻いている曲もあります。あの MICK JAGGER が魅せられただけのマジのヤバさがある訳なのです。


ASWAD「ASWAD」

ASWAD「ASWAD」1976年
UK レゲエ。ワリと意識されてなかったりしますけど、レゲエにはジャマイカものとイギリスものがあります。ココ押さえた方がいいですよ。レゲエはジャマイカで発生した音楽スタイルですが、その影響が一番ダイレクトに伝わった国はイギリスでございます。イギリスは植民地としてジャマイカを支配しておりましたので、伝統的にジャマイカからの移民が多い。彼ら移民によって直接移入された文化やスタイルが、イギリス本国で大きな影響を及ぼしています。加えていうと、イギリスよりもずっと地理的に近いはずのアメリカには、レゲエは実に限定的な影響しか及ぼしてません。実にピンポイント。ソレはソレで重要な意味を持つポイントなんですが、脈々とした流れとして影響関係を熟成させたイギリスとジャマイカの関係の方がズッと奥深いです。
イギリス白人には、モッズの時代から(ソレ以前のモダンジャズの時代からも含め)黒人音楽への強い憧れがある、というのがボクの一貫した史観です。60年代モッズから70年代のブルースロック、80年代のニューウェーブやファンカラティーナの中にも黒人音楽への憧憬がかいま見れます。MICK JAGGER も元来はブルース大好き少年であり、ソコからあの太い太いロックの幹を自分で作り上げました。そんな彼が PETER TOSH のようなホンモノのレゲエに強く魅かれる気持ちは実に理解できる。こと、レゲエは同時代に発生した現在進行形のムーブメント。ブルースやジャズのように偉大な先人が確立したスタイルではなく、レゲエは同世代の黒人が目の前で育ててるホヤホヤの熱さがあったに違いない。 PETER MICK はほぼ同い年ね。
●で、もう一つ重要なポイントが、このヘンの時代の音楽にはあるのです。イギリスにおいては黒人音楽が憧れの存在とされていたけれど、ホンモノの黒人アーティストが自発的に活動した場面はほとんどなかった。…多分、アメリカ黒人と違って人口比に占める絶対数が少ないから。でも、70年代のUKレゲエの段階において、初めてイギリス黒人が主役のアーティストとして自分たちの音楽を発信し始めたのです。実はこの ASWAD のファーストアルバムは、イギリスのレゲエバンドがメジャーレーベルからデビューした一番最初のケース。どこのレーベルだよと聴かれれば、BOB MARLEY を発見し世界的アーティストへフックアップした ISLAND なので、レゲエは完全にお手のモノとは言える。でも生粋のジャマイカ人だけじゃなく、イギリス黒人にもレゲエがプレイできる、と証明したコトには価値がある。
●プロデュース/エンジニアには BOB MARLEY & THE WAILERS「CATCH THE FIRE」に関わった TONY PLATT を配置。その後90年代にはポップで口当たりのいいラヴァーズロックしかヤラナくなる ASWAD のイメージを大きく裏切るストロングなルーツスタイル。ダビーなドラム&ベースも、ダウナーなボーカルも見事な貫禄があります。

BLACK UHURU「THE DUB FACTOR」

BLACK UHURU「THE DUB FACTOR」1983年
●70~80年代レゲエにおいては、ダブ、というキーワードも重要でございます。ダブというコトバそのものは、辞書で引くと「ダビングする/追加録音する」みたいな意味が出てくる。コレじゃあ音楽用語としての意味はナニも伝わらない。もうちょっとコレを詳しく説明してみます。
●60年代のジャマイカでは、楽曲からボーカルを取り去ったカラオケを「バージョン」というコトバで呼び、ドーナツ盤のB面に入れてたりしてた。カラオケを使い回して別人が別のウタを吹き込んだりも。しかしコレが LEE 'SCRATCH' PERRY という奇人の出現でオカシなコトに。本来の純然たるカラオケをスタジオのミキシング処理でグチャグチャに改変し(具体的にはオオゲサなエコーとか)、ボーカル不在の別の作品として成立させてしまった。この改変されたカラオケが「ダブ」であり、ひいてはミキシング処理の手法がそのまま「ダブ」と呼ばれるようになった。今では当たり前の概念となってる「リミックス」の元祖が60年代末期にジャマイカで実験されてたというワケだ。その後、電気技師だった KING TUBBY が登場。電気屋感覚の野蛮でトチ狂った音響処理がダブ手法をより発展させる。その直弟子 THE SCIENTIST SLY & ROBBIE、PRINCE JAMMY などがこの路線を継承し、ダブは1つの音楽ジャンルに成長するのです。ココではミュージシャンではなく、エンジニアやプロデューサーが主役になるってのもダブの特徴。このダブだけを取り上げても、レゲエが後のハウス/テクノ/ヒップホップなど現行クラブミュージックへ計り知れない貢献をしていることがわかります。
●さて、コレもタイトルでハッキリしてますが、ダブアルバムなのです。プロデューサーは SLY & ROBBIE。この二人組の活躍も語り出したら長すぎるので今日は割愛します…。BLACK UHURU ってのは…時代によって編成がマチマチなんだけど…この時期においては ISLAND とのメジャー契約でジャマイカから世界デビュー、アメリカ出身の女性シンガー PUMA JONES 含む男女混声ボーカルチーム3人と SLY & ROBBIE というメンツでした。「UHURU」(=ウフル)ってのはスワヒリ語で「自由」という意味らしい。本来はルーツスタイルのレゲエバンドだけど、この1枚においてはシッカリダブで、が故にボーカルの存在感は希薄、エコーの谷にフワーっと散らばり幽霊のようにチラチラと顔を出すばかり。ドラムの一打一打、シンセの鳴りの1つ1つが、メリハリのついたドンシャリエコーで改造強化を施されております。ふーん、アタマがキーンと冷える音響。

MAD PROFESSOR「DUBBING YOU CRAZY - A CLASSIC SELECTION FROM THE MAD PROFESSORS DUB ME CRAZY YEARS」
MAD PROFESSOR「DUBBING YOU CRAZY - A CLASSIC SELECTION FROM THE MAD PROFESSOR'S DUB ME CRAZY YEARS」1982-1993年
●もちろんUKレゲエにも、ダブ達人がおります。自分で「キチガイ教授」を名乗るこのオトコ、元は南米ギアナ出身の移民。少年時代に移り住んだロンドンで電気機械にハマり、そのまま録音エンジニアへ。修行を経て1979年、独立しオノレの音響実験をテンコモリに仕込んだダブサウンドを確立。彼のスタジオ ARIWA SOUNDS はその後の UK レゲエ/ダブ/ラヴァーズロックのシーンで重要なポジションを担い、ひいてはクラブシーンにも影響を与えるに至るのです。2000年にリリースされたこのコンピは、彼が1983年から10年間手掛けてきた「DUB ME CRAZY SERIES」という12枚のアルバムの中から選び出したベスト盤。キホンを押さえた野太いビートにカワイらしい装飾がまぶされてナニゲにモダンでチャーミング。メリハリのついた深いエコーもクール。
UK レゲエにおいては、この MAD PROFESSOR をはじめ、様々なアーティストがダブに新しい解釈を持ち込み、さらに特殊な世界を作っていきます。そんな重要人物の名を1人あげておきます。ADRIAN SHERWOOD。彼が立ち上げた ON-U SOUND というレーベル近辺で、レゲエ~ダブ~ニューウェーブ~クラブミュージックを繋ぐ実験が数々行われるのです。しかしソレはまた別の機会に。


●あ、そんで加えてイイますと、85年あたりからジャマイカのレゲエも激しい地殻変動に見舞われます。ダンスホールレゲエの登場です。この事件も革命的なデキゴトだったので、いつかこのブログでご紹介したいものです。





そうそう、今日はUKレゲエの話になったけど、UKソウルという概念も90年代以降の感覚だと思う。
●これはイギリス出身のソウルシンガー SEAL のドイツとフランスのライブを収録したDVD。

SEAL「ONE NIGHT TO REMEMBER」

SEAL「ONE NIGHT TO REMEMBER」2006年

SEAL「LIVE IN PARIS」

SEAL「LIVE IN PARIS」2005年
SEAL は今でこそUKソウルの大御所的存在として、その巨躯をフルに活かしたパフォーマンスで定評を得ておりますが、1991年にデビューした段階では、全然ソウルミュージックな感じじゃなかった。なにしろレーベルが ZTT RECORDS。THE BAGGLES で有名な TREVOR HORN が主宰で、ART OF NOISE とか PROPAGANDA とか 808 STATE とかが所属してる完全なニューウェーブ~テクノポップ系なトコロから登場したワケですよ。実際に音楽も、ハイテンポでハウシーな質感のダンスミュージック。そこに太いソウルフルな歌唱を乗っけてた。デビューアルバム「SEAL」はリアルタイムで聴いてたし、今でも大好きだけど、アレがソウル、というと違和感がある仕上がり。つーか、そもそもUKソウルという概念がなかった、と今振り返って思う。
●80年代のイギリスでは、白人が歌うブルーアイドソウルはタップリあったし、イギリス黒人が主役になる場面がなかったとも言えないけど、黒人によるソウルミュージックというククリは、アメリカで言うトコロのR&Bシーンほどの厚みは、なかったような気がする。うーん、多分 SADE くらいじゃないかな…。
●しかしその後1994年のセカンドで、映画「バットマンフォーエバー」で採用された「KISS FROM A ROSE」がヒット。この曲は骨太かつドラマチックなバラードで、やっとソレらしいR&B~ソウルミュージックがイギリスに登場したと思った。ボクはこのライブDVDでも、この曲ばかりサーチして聴いてしまう。当時はアシッドジャズトリップホップのシーンが一区切りして、JAMIROQUAI(結局カレもブルーアイドソウルだからね…)などが実にこなれたブラックミュージックを展開し切った後。MICA PARIS などイギリス黒人のシンガーがアメリカにヒケをとらないR&Bを歌うようになっていくのはこの前後だったと思う。
●しかし、90年代以降のイギリス黒人は(もちろん白人と共闘しながら)、独自のユニークなムーブメントを次々と作り上げていく。ドラムンベース、2ステップ、グライム、UKヒップホップ、ダブステップ……。スリリングなシーンは現在進行形で継続中だ。


●今日の参考動画。



PETER TOSH & MICK JAGGER「DON'T LOOK BACK」1978年
●つーか、MICK JAGGER の動きと顔がスゴ過ぎる。さすがの PETER TOSH もこれじゃ呑まれても仕方がないと、正直思った。



SEAL「KISS FROM A ROSE」。2004年のライブ。洗練されたUKソウル。



SEAL「CRAZY」1991年。ナニゲに劣化してないデビュー期の曲。この時はドレッドだった。


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