●最初に言っとくと、またムダに長い文章です。誰も読まない、読めないと思う…。


●先日、新しく通うことになった赤坂の病院で二回目の診察に行きました。別にそれ自体で言うこともないんだけど。で、その診察の後、赤坂の街をフラリと散歩してみたのよね。そしたら、一気にムカシのコトをアレコレ思い出しちゃった。今日はそんなコトについて、モノを書こうと思うのです。


●体力が衰弱して長時間歩くことが苦手になったため、以前はフツウに遊び歩いていた街からボクはスゴく遠ざかってしまった。だから、赤坂の街を歩くのも実はスゴく久しぶりだ。赤坂サカスを肉眼で見るのも初めてで、ビョウキ以前とは一変した風景を見るのはとても新鮮だった。
そんで、思い出深い店を見つけた。おおー懐かしい!この店がこの場所に移転して以来初めてだ。


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「赤坂ラーメン」
東京都港区赤坂3丁目13-5鈴木屋ビル。赤坂サカスを背にして、山王下交差点方面に歩く。そんで最初の四つ角を左に曲がるとスグあります。
●昨今のラーメンブームにおいては、どういう位置づけなんだろう?店内には有名人のサイン色紙がイッパイで、名店っぽい気分を出してるけど、コキタナい内装は移転しても変わってないし、胃もたれ寸前のドロドロスープも昔のままだ。……しかし、世間の評価と関係なく、この店はボクにとって思い出の味なのである。強烈に濃いスープを汗かきながらすすり上げると、一気にムカシの記憶が蘇った。

この店のラーメンを初めて食べたのは15年以上前のコトだ。ボクはまだ二十歳そこそこの大学生で、このエリアの近所にあるレコード会社でバイトのようなコトをしてた。夕方にオフィスへ行って、終電近い時間までアレコレ作業をしたもんだ。そこのセンパイにこのラーメンをおごってもらったのがとても強い印象としてボクの記憶に残っている。
●当時の「赤坂ラーメン」はワゴン車一台を道端に停めて営業する、純然たる屋台ラーメン。寒い時期には、野外に晒された大きな寸胴からグラグラ湯気が立ちのぼってるのが印象的だった。正直、ボクは屋台ラーメンってのがその時生まれて初めての経験だったので、ちょっぴり感動した。立ち食い、しかもテーブルもない場所で、重いどんぶりを左手でしっかり掴み、熱々の(そして脂でドロドロの)ラーメンをすするってのは、なんかワイルドな感じで楽しかった。ボクがそのラーメンをよく食べるようになったのは言うまでもない。

「赤坂ラーメン」がワゴン車を停めてたバショは、あの悪名高い火災事故(33人死亡)で有名になった「ホテルニュージャパン」の焼け跡の前だった。
●火災事故自体は1982年。ボクは小学生で当時のニュースはほとんど覚えてない。しかしこの建物は、廃屋になったまま10年以上も放っとかれていて、ボクが「赤坂ラーメン」を人生で一番活発に食ってた1993~1995年あたりまで、その不気味な姿をさらし続けてたのだ。ちなみに「ホテルニュージャパン火災」は日本消防史においても深刻なディープインパクトだったのか、去年ボクが受講した「防災・防火管理者資格講習」でもかなりアツく説明されてた。へーひどい火災だねー詳しいことは初めて知ったー。……今はその跡地にプルーデンシャルタワーというとてもキレイな建物がたってる。あの焼け跡は誰も不気味がって買い手がつかず、そんなの気にしない外資の保険会社がやっと再開発したって成り行きだという。
●そう思うと、この赤坂界隈は、この15年でスゴく変貌している。プルーデンシャルタワーも立派だが、山王パークタワーという立派な高層ビルも建ってる。山王パークタワーの裏手の東急ホテルは、「来日ビートルズを泊めた部屋」としての歴史を惜しまれながら、現在抜本的改築中だ。そんなビルの合間にある日枝神社は、本殿こそ変わってないような気がするが、正面の大階段は立派になってエスカレーターがついた。そもそも地下鉄「溜池山王」駅がかつては存在しなかったし、南北線も存在しなかった。首相官邸ですらこの10年の間にピカピカに建て替えられた。そんで赤坂サカス。赤坂ブリッツが出来ただけで十分垢抜けた感じがしたんだけどな。レコード屋は元々赤坂にはあまりなかったような……10年以上前には、赤坂見附の駅ビル・ベルビー赤坂の中に「WAVE」があった気がする。今はもうないだろ。
「赤坂ラーメン」はその後屋台を卒業し、外堀通り沿いに店舗を構えて商売繁盛しておりました。社会人になっても夜中にこの店にラーメンを食いにきてた。しかしココからさらに現在の場所に移転した後、ボクは店を見失ってしまった。今回の発見は数年ぶりの再会なのだ。ジーン。感動。……あ、でもココのラーメン、イロイロな種類あるけど、基本一番安いフツウのラーメンしか食ったコトないや。スペアリブラーメンとか1300円くらいするじゃん。そんなの15年の中で一度も注文したことがない。ボクはあんまイイ客じゃないな。



ここから、なぜか、日本のヒップホップ史の話題にワープします。
●赤坂にその屍を10年以上も晒していたホテルニュージャパン。ボクも素朴に不気味だと思ってました。あのホテルのオーナーは横井英樹という人物。日本戦後史をダークなフォースで彩った実業家です。で、音楽好きの人なら知ってるでしょ、横井英樹氏の孫が、今の日本ヒップホップ界に君臨しているってコト。本名、横井英之。ステージネーム、ZEEBRA。
●この人は年齢でボクの2つ年上。人種としては全然違うタイプだけど、ほぼ同世代だからか強い親近感を感じる。しかもカレが本格的なキャリアをスタートさせたのが、ちょうどボクが赤坂/ホテルニュージャパン跡地の前でラーメンを食ってた時期にカブってる。具体的にいうと1995年。バブル経済崩壊が本格化した時期。ボク個人にとっても非常に根性を試された重要な年でした。
●今日は、そんな人物の自伝を読みながら、1995年に始まる日本のヒップホップの歴史を考えてみようと思うのです。

ZEEBRA自伝 HIP HOP LOVE

「ZEEBRA 自伝 HIP HOP LOVE」
1995年は、日本のヒップホップ史の中で実に重要な時期なのです。ボクの中ではもう絶対そうなのです。1994年にリリースされた EASTEND × YURI「DA.YO.NE」がこの年に空前のヒットを記録、年末の紅白歌合戦に出場しちゃう。スチャダラパーが最高傑作「5TH WHEEL 2 THE COACH」を発表。つまり、いわゆる「おもろラップ」/「チェケラッチョカルチャー」が一般市場までに浸透しきった瞬間なのです。(この辺の雰囲気をコチラの記事で考えてみました。そんで、その前史として、ニューウェーヴからヒップホップへの流れもちょっぴり考えてみました。ソレはコチラの記事。)
その反動で、リアルなストリート感覚に立ち戻ったヒップホップの新しい試みがこの年から同時多発的に発生します。1995年に、ZEEBRA が所属するユニット キングギドラ、そして MICROPHONE PAGER がアルバムをドロップ。RHYMESTER も頭角を現す。翌1996年には、BUDDHA BRAND、SHAKKAZOMBIE がメジャーデビュー。ECD 主催による伝説的イベント「さんぴんCAMP」日比谷野音で開催される。時代はガラリと入れ替わるのです。
●この時代のドキュメントを当事者本人がこの本の中でたっぷり語ってる。実に興味深いわけですよ。「オレは東京生まれ、ヒップホップ育ち、ワルそうなヤツらは、だいたいトモダチ」ある意味新世代のヒップホップを端的に言い尽くしてしまった名リリック。このリリックで新世代の出現を声高らかに宣言した ZEEBRA。彼はこの本の冒頭でこういう。「オレはミュージシャンじゃない。オレはヒップホッパーだ。」コレは、より純度の高い本物のヒップホップを日本のシーンに確立させようとした、志士の宣言なのだ。


少年 ZEEBRA。その生い立ち。
ホテルニュージャパン横井英樹氏のコト、まず片づけておきましょ。この事故を少年 ZEEBRA はどう受け止めたか? 火災事故当時、小学4年生だった彼は「うちのじいさん、問題のある人だったんだな」と初めて感じる。
慶応幼稚舎に通ってた彼は、事件をキッカケに色眼鏡で見られるようになり、ココはジブンのアウェーだと思い知る。ハイソサエティな周囲と違って、自分は下品な成り上り者でしかない。そう思い知る。それが、イイ意味でもワルい意味でもパワフルだった祖父へのリスペクトと、異端児としての遺伝子を彼に自覚させ、反骨の ヒップホッパー ZEEBRA の基礎を作ったような気がする。アメリカでもヒップホップの人って映画「ゴッドファーザー」「スカーフェイス」が好きじゃないですか?彼には生きたゴッドファーザーが目の前にいたというか。
●中学生の頃から、六本木や渋谷の繁華街で仲間とフラフラしてた ZEEBRA。その後のヒップホップ人脈もこのストリートでの出会いがポイントになってるみたい。当然ガッコウはドロップアウト。………オモロい話はタップリあるけど、それはこの本を買って読んで下さい。さて、とにかく、音楽を聴きましょう。



ZEEBRA のキャリア、最初の一歩。キングギドラ。


キングギドラ「空からの力」

キングギドラ「空からの力」1995年
●まずジブ兄のキャリアを理解するには、キングギドラを聴いとかないとね。キングギドラZEEBRA、K-DUB SHINE の2MCと、DJ OASIS の1DJで構成された三頭体制の怪物ユニット。以前から顔なじみだった ZEEBRA K-DUB が声をかけ、OASIS が合流するカタチで結成した。1995年にアルバムをドロップ、シーンに飛来し、日本語ヒップホップのハードコア化に大きく影響を与える。三人揃った面構えが明らかにコワいし。
●トラックは、GANGSTARR を連想させるような、ジャズサンプル系の NY ヒップホップの雰囲気。制作は ZEEBRA DJ OASIS が半分づつ担当。ホームステイ経験がある ZEEBRA はアメリカのホットなシーンを正確に掴んでました。つまり、イルでチルでハード。実際その後、GANGSTARRDJ PREMIER ZEEBRA はトラック提供してもらうことになる。

DJ OASIS についてヒトコト。慶応幼稚舎時代からの幼なじみ。本名のイサオがオアシスの由来(ローマ字にして逆さから読もう)。ZEEBRA とは小4くらいからツルミはじめ、元来メタルキッズだったが ZEEBRA の影響でヒップホップ化。彼のDJの技術がたちまち上達してしまったのが、ZEEBRA がDJからMCに転向する動機の一つになった。1988年、二人で最初に結成したユニットが「POSITIVE VIBES」。当時は完全英語ラップ。ニュースクールの影響やレゲエカルチャーからの刺激もあって、DOWN TO EARTH なスタイルだったという。
●そして、K-DUB SHINEキングギドラのリーダー&MC。ZEEBRA に日本語でラップする意味と魅力を最初に説いた男。渋谷区松濤出身で、当時の渋谷界隈の顔役として君臨。ZEEBRA から見ても年長で、キングギドラのコンセプトも彼の硬派なスタンスを軸にデザインされてる。ラップのスタイルは、今の耳ではフラットに聴こえる(彼のラップと比べると ZEEBRA のフロウがいかにファンキーか分かります)けど、政治的/社会的テーマに躊躇なく直球で踏み込むメッセージは今でも鮮烈。素朴に芸能界に憧れてた女の子が、悪い大人に騙されて徹底的に破滅する物語をラップで綴る「スタア誕生」の、映像的な描写力にショック。

キングギドラはこのアルバムリリースだけで、スグに各々ソロ活動へ突入。2002年に再結成するも、「UNSTOPPABLE」(←ホモ野郎と連呼)「F.F.B.」(←ビッチと連呼)と復活シングルがことごとくリリックの過激さで物議をかもす。一方シングル「911」では同時多発テロを直球で扱う等社会派な側面も持つ。映画「狂気の桜」ではサントラも担当。リーダー K-DUB SHINE のコンセプトからか、頑なまでの硬派路線に男気が迸る。
K-DUB SHINE のソロワークにもちょいと触れます。2001年のアルバム「SAVE THE CHILDREN」では幼児虐待について激しく言及。有名なフックライン「もし殴られてそうな子供がいたら すぐオレに言え もし近所にあやしい家庭をみたら すぐオレに言え」を堂々披露。つーか K-DUB さんに声かける方が数倍コワいんですけど。映画「デトロイトメタルシティー」では、劇中に登場するハードコアラッパー MC鬼刃の楽曲「フロム NY シティ」 DJ OASIS と制作する、なんて仕事もしてます。

K DUB SHINE「SAVE THE CHILDREN」 K DUB SHINE「SAVE THE CHILDREN」2001年



ZEEBRA のソロワーク。

ZEEBRA(以下、敬意を込めてジブ兄)には、1998年のソロ始動以来、現在まで5枚のソロアルバムがあります。ゼンブは持ってないんだよね…。ボクのCD棚にある範囲でカレのソロキャリアをなぞってみます。で、コレは日本のハードコア・ヒップホップの歩みをなぞることだと思うのです。

ZEEBRA「THE RHYME ANIMAL」

●ファーストアルバム「THE RHYME ANIMAL」1998年
●ソロ始動にあたって、ジブ兄はジブンのクルーを組織&強化。その名も UBG クルー。トラックメイカー INOVADER、DJ KEN-BO、ラッパー T.A.K. THE RHYMEHEAD、UZI、AKEEM DA MANAGOO都会の野蛮人、アーバリアン。このチームをコアにしてジブ兄はシーンに殴り込みを仕掛けた。この日本に本格派のヒップホップシーンを育てる、自分たちの手で!そんな野心がムンムンにコモッテル。
キングギドラは、K-DUB SHINE の志向を強く反映して、ハードで硬派なイメージと攻撃的なメッセージが特徴だった。しかし、ジブ兄本人の持ち味はもっと多様。ハードで攻撃的なアプローチも強力な武器ではあるが、ディスコティークなパーティラップもこよなく愛す。レイドバックした感じも悪くない。結果として、ジブ兄のソロはバラエティの幅が広がった。トラックの作りはもっとグラマラスになり、強いキックと太いベースが耳に強い印象を残す。フロウもガナリ系と見せかけてリズムの乗り方は実にファンキー。
●このアルバムでボクが楽しんでるのはドライブするノリノリチューン。「PARTEECHECKA」はサビのフックラインが EARTH WIND & FIRE「BRAZILLAN RHYME」をなぞっててメチャキャッチー。「I'M STILL NO.1」のシンセベース、「未来への鍵」の生弾きベースもセクシー。
●そんで、90年前後の渋谷、「チーム」カルチャーへの追憶もチラッと見えるのも一興。「永遠の記憶」は、このアルバムリリース時期から見ても大過去に見えた「渋カジ」スタイルとストリートの気分が漂ってる。同じ東京でも西の端の多摩地区に生息してたボクは、当時の渋谷のリアルと接点なんてナイんだけど、「渋カジ」と言われて思い出す淡い思い出は、同世代として感じ入るモンがある。


ZEEBRA「BASED ON A TRUE STORY」

●セカンドアルバム「BASED ON A TRUE STORY」2000年
●しかし、やっぱり彼の真価は本当に発揮されるのは、ハードなストリートライフを描く曲。井上三太のマンガにしか出て来ないような「シヴヤ」路上発のハスラーっぷりをドヤ声で描写するスタイルは1995年世代の典型であり最高点でもある。ジブ兄自身の手掛けるトラックもハード過ぎるほどだし。どす黒いトラックに乗る「CHILDREN'S STORY」は、17歳にしてドラッグディーラーになりそしてあっという間に破滅する少年の物語。映像的な情景描写ラップに唸る。スチャダラパーは絶対やらないアプローチ。ジブ兄自身も言ってる。このアルバムは「バッド・ボーイ・ストーリー」だと。
●ジブ兄周辺のタフガイたちも数々登場。直弟子 UZI、ヨコハマレペゼン MACCHOラッパ我リヤの侍MC Q、忍者 KM-MARKIT、KING OF DIGGIN' MURO


ZEEBRA「TOKYOS FINEST」

●サードアルバム「TOKYO'S FINEST」 2003年
●セカンドで東京のハードな側面を切り取ったジブ兄。コチラでは東京のキラキラした魅力を描いてみせようとしたという。音楽的なコンセプトでは、ヒップホップとR&Bとポップスとの融合。R&Bクリエイター今井了介とプロデューサーユニット FIRSTKLAS を結成。その後 ZEEBRA のライブDJ を務める KEN-BO が合流する。このチームワークから繰り出される艶っぽいトラックは、女性シンガーも豪華にフィーチャーして(MIHO BROWN、TYLER、AI、そして安室奈美恵まで!)かなり楽しい。他にもヨコハマダンスホール MIGHTY CLOWN とタッグを組む「BURNITUP」FEAT. FIRE BALL に、BUDDHA BRAND の DJ MASTERKEY が制作したビートがドカドカ突き抜ける「GOLDEN MIC」FEAT. KASHI DA HONDSOME、AI、童子-T、般若 も聴き所。
●ちなみに「PERFECT QUEEN」のヴィデオには、ジブ兄の今のワイフが出演してるらしい。レイドバックした感じがチカーノラップ経由オールディーズ風味の佳曲。ROGER ZAPP ネタ使いのトークボックスがボクのツボにハマります。


ZEEBRA「THE NEW BEGINNING」

●4THアルバム「THE NEW BEGINNING」2006年
●少し間をおいてリリースされたこのアルバムは、全方位攻撃型。再結成キングギドラで硬派路線、FIRSTKLAS で軟派路線を突き詰めたジブ兄。ソコを受けての本作の戦略は、軸足を真ん中においてコア層からメジャー層まで取り込む狙い。ある意味では原点回帰でもある。ニュービギニング。
●INTRO を経てドーンと登場するダイナミックなオープニングチューン「STREET DREAM」は、1995年状況~「さんピンCAMP」から10年の歩みを振り返り、そして前に突き進む決意表明が逞しい。「あきらめたヤツらの分まで走るぜ」。ちなみにトラックメイカーは、SOUL SCREAM DJ CELORY
●そんな1995年状況の同世代アクトが、コア面を鉄壁のナイスアシスト。MICROPHONE PAGER から TWIGY、BUDDHA BRAND から DEV LARGE、RHYMESTER から MUMMY-D、ラッパ我リヤ から Q。盟友集結。ロッキンなトラックでジブ兄、Q、AKTION A.K.A. 真木蔵人が三本マイクで暴れるハードナンバー「WILDIN' PART II」がタフでたまんない。
●メジャー部分では、海外プロデューサーとのコラボが注目。SWIZZ BEATZSCOTT STORCH がそれぞれ1曲づつトラック提供。「LET'S GET IT STARTED」 SWIZZ BEATZ が繰り出すはホンマモンのクランクビート(と、カレの必殺技、指一本で演奏できるシンセリフ)、オマケに SWIZZ 自身もマイクを握る。SCOTT STORCH は重心の低いハードなトラックを提供。ベースの重低音にハードなラップが絡む。


ZEEBRA「WORLD OF MUSIC」

●5THアルバム「WORLD OF MUSIC」2007年
●残念ながら、コイツは持ってない…。ジブ兄いわく、「次の次の世代とやっていった」。実弟である SPHERE OF INFLUENCE を始め、若手世代とのコラボを狙ったとのこと。


ZEEBRA「THE ANTHOLOGY」
「THE ANTHOLOGY」1995~2008年
ジブ兄のキャリアをガサッと束ねたベストアルバム3枚組。5枚のソロアルバムだけじゃなく、キングギドラや関連人脈の重要客演まで網羅する内容で、分厚いブックレットも日本のヒップホップ史を眺める上で重要な史料になります。ジブラだけにジャケもシマシマだし。
●注目曲は、事務所メイトの真木蔵人 A.K.A. AKTION と二本マイクで暴れる「NEVA ENUFF」がスゴい。AKTION のドスの利いたラップが思った以上にオモシロい!また、ジブ兄のソロ最初期の音源として貴重と思ったのが「INNER CITY GROOVE」。名義は T.O.P. RANKAZジブ兄が主宰するクルー UBG のメンツ(ジブ兄、UZI、RHHHYME、KEN-BO、INOVADER)で作られたユニット。太いベースとシンプルなスネアだけで作ったような薄いトラックが実にクールに響く。
1995年状況を眺める意味で言うと「JACKIN' 4 BEATS」という曲が重要。1995年世代のアーティストたちが競うように繰り出した数々の名曲を次々にサンプルしていく。リリックもその楽曲からインスパイアされたモノ。サンプルされた楽曲群を列挙するだけで、90年代後半の重要曲をゼンブ俯瞰出来る。さあ、列挙しときます。チェックしてください。必修です。

・「病む街」by MICROPHONE PAGER
・「大怪我」by 大神(BUDDHA BRAND & SHAKKAZOMBIE)
・「B-BOYイズム」by RHYMESTER
・「人間発電所」by BUDDHA BRAND
・「証言」by LAMP EYE
・「DO THE GARIYA THING」by ラッパ我リヤ
・「拍手喝采」by DABO(FROM NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
・「FUKUROU」by YOU THE ROCK
・「蜂と蝶」by SOUL SCREAM
・「AREA AREA」by OZROSAURUS



ジブ兄のコラボレーター。ジブ兄人脈。ほんの一部だけど。


Mr.BEATS a.k.a. DJ CELORY「Beats Legend」

MR.BEATS A.K.A. DJ CELORY「BEATS LEGEND - JAPANESE HIPHOP NON-STOP MIX」2004年
●この盤に触れる前に、レーベル「FUTURE SHOCK」のことに触れておきたい。ジブ兄がソロ活動を起こすにあたって乗っかった、日本初のメジャー系ヒップホップ専門レーベルだ。こんなレーベルを立ち上げたのはポリスターレコード。90年代渋谷系時代のポリスターは、小山田圭吾 TRATTORIA レーベルを立ち上げるなどエッジーなジェイポップに果敢にトライする会社だった。そんで1998年頃、ヒップホップレーベル「FUTURE SHOCK」を立ち上げる。その後 PONY CANYON にレーベルごと移籍したりもするけど、2005年に消滅するまで数々の傑作がここからリリースされる。日本のヒップホップ史の中では、MAJOR FORCE、FILE RECORDS と並んで重要なレーベルだと思います。でも実際のトコロ、レーベルの出資金はアーティストや事務所の持ち出しだったみたいだけど。
●代表的な所属アーティストは、ZEEBRA、UZI、SOUL SCREAM、OZROSAURUS。コレ以降のシーンで重要な役割を担う重鎮ってコトはもう分かるでしょ。そんで、この盤の主人公 MR.BEATS こと DJ CELORY SOUL SCREAM のトラックメイカー。もちろん ジブ兄 との仕事も少なくないが、ジブ兄のような強面ギャングスタ/ハスラーとはちょいと一味違う。だってカオがもう草食系だし、名前がセロリだし。
SOUL SCREAM はヒップホップの芸術性に魅かれた人たちという印象。特に DJ CELORY は純粋に音楽愛、レコード愛、DJ愛がにじみ出てるような人。そんな彼が同時代の日本のアクトに敬意を表し、その音源を繋ぐっていうのは実に興味深い。彼がチョイスしたアクトの名前を列挙します。SOUL SCREAM、ZEEBRA、RHYMESTER、OZROSAURUS、RINO、KAMINARI、DABO、湘南乃風、MURO、UZI、ラッパ我リヤ、餓鬼レンジャー、DJ HASEBE、般若、G.K.MARYAN、TOKONA-X……。まさしく1995年状況。
●ちなみに、SOUL SCREAM の思い出深い名盤を一枚ご紹介。大阪のハードファンクバンド、オーサカモノレールのファイアーな演奏を背負ってパフォーマンスするライブ盤「TOUR 2002 FUTURE IS NOW」は必聴の神音源です。
SOUL SCREAM「TOUR 2002 FUTURE IS NOW」
(SOUL SCREAM WITH OSAKA MONAURAUL「TOUR 2002 FUTURE IS NOW」2002年)


SUGAR SOUL「SOUL JAM」

SUGAR SOUL「SOUL JAM」2002年
SUGAR SOUL は、日本のヒップホップソウルディーヴァの先駆。ジブ兄とのコラボ曲「今すぐ欲しい」では、「そう 女にも欲しい夜があるって そう どうなっても構わない夜があるの」とドギツイリリックで全国のヒップホップキッズを充血起立させた。両者連名の表裏一体連作シングル「SIVA 1999」&「ZEUS 2000」では完全にジブ兄と五分で渡り合うセッションを展開。ドッチも色褪せないカッコよさがあります。ちなみに、SUGAR SOUL のトラックは DJ HASEBE A.K.A. OLD NICK が手掛けてます。
●このアルバムはそんなキャリアを総括して、トラックをよりオーガニックに改変したベスト。「今すぐ欲しい」もモチロン収録。なんと NIRVANA「SMELLS LIKE TEENS SPIRITS」までをオーガニックソウルとしてカバーしてます。


SUITE CHIC「WHEN POP HITS THE FAN」

SUITE CHIC「WHEN POP HITS THE FAN」2003年
●ここでジブ兄、安室奈美恵とコラボ。プロデュース・チーム FIRSTKLAS 名義でガブリ四つ。この FIRSTKLAS とは、前述した通り、ZEEBRA が R&Bプロデューサー今井了介と結成したユニット。 その後 ZEEBRA のライブDJ を務める KEN-BO が合流する。このチームがジェイポップディーヴァ、安室奈美恵と合体したユニットが SUITE CHIC だ。
安室奈美恵は2001年で小室哲哉プロデュース体制から完全に離脱、かねてから仕事をしてきたアトランタのプロデューサー DALLAS AUSTIN の影響でドンドンR&Bに接近してた時期。FIRSTKLAS との接触でさらにエッジーな音楽にトライすることになる。結果として彼女は現在のジェイポップシーンで、かなり難易度の高いトラックにトライできる希有なR&Bシンガーになってると思う。
ZEEBRA のコメントを引用すると安室ちゃんはオレらが提唱するものを乗りこなせる可能性のあるビッグスターだと思う。…安室ちゃんはジャネット・ジャクソンであり、ジェニファー・ロペスであり、最近だとビヨンセってところじゃないかな。」勝手の違う仕事の仕方に最初は臆病だった安室ちゃんも、ドンドン新しいモノを吸収していったらしい。フリの決まってないステージとか。その後、ジブ兄安室ちゃんのソロにも客演する。


DREAMS COME TRUE「24:7」

DREAMS COME TRUE「24/7」2000年
ジブ兄、ドリカムともコラボしてます。ジブ兄いわく、シンガー吉田美和は、安室奈美恵に並んでコラボしてみたいと思ってたビッグネーム。ジブ兄はこの曲の「CLUB MIX」に参加。原曲をガサッとヒップホップテイストにアレンジしたトラックに、例のドヤ声でラップを添えてます。レコーディングでもドリカム二人と意気投合、ライブにも二回参加したそうな。ジェイポップを考えるとき、どっかでドリカムとはシッカリ向き合わないとなと思ってます。この時期の代表曲「SONG OF JOY」のリミックスも収録。この曲もボクは大好きで、12インチも買ってしまいました。


AI「VIVA A.I.」

AI「VIVA A.I.」2009年
●ボクが思うに彼女こそ日本最強のフィメールヒップホップシンガー。ラップもこなせるし、R&Bの地力も強い。LA 仕込みの実力派なのに、日本語をしゃべると鹿児島弁ってトコロも好き。ジブ兄とは、現在所属の DEF JAM JAPAN と契約する前からの友人カンケイ。DOUBLE F.O.H. が仕切っていた三宿のイベントで知り合うもスグ意気投合、AI ジブ兄「お兄ちゃん」と慕う中になってるという。ジブ兄楽曲では、安室奈美恵、MUMMY-D(RHMESTER)を召喚した「DO WHAT U GOTTA DO」に参加。
●この最新アルバムには、映画の主題歌ヒット「おくりびと」(作曲&編曲/久石譲)の重厚バラードも収録されてるが、やっぱお楽しみはファンキーな骨太R&B。次に紹介する RIZE JESSE がザクザクエレクトロトラックを用意した「SCREAM」あたりの中盤から、DJ WATARAI や新進ビートメイカー UTA のトラックをタフに乗りこなす AI がカッコイイ。四つ打ちハウス「YOU ARE MY STAR」もキラキラ。コレは彼女の新境地じゃないかな。


RIZE「ALTERNA」

RIZE「ALTERNA」2006年
●ミクスチャーロックバンドRIZE のギター/ボーカル JESSEジブ兄のコラボレーターの一人。スーパーギタリスト CHAR の実子である JESSE は、「正しい二世のあり方」を模索する男として紹介されてる。ジブ兄は二世タレントとはいえないが、どうしてもゴッドファーザー横井英樹の名前がキャリアにまとわりつく。そんな中で共感出来るのが JESSE のスタンスだという。ジブ兄楽曲「NOT YOUR BOYFRIEND」でロックギターを乱射してます。
RIZE のメンバーは現在、金子ノブアキ& KENKEN の兄弟リズム隊と JESSE のトリオ編成。金子兄弟は、シンガー金子マリ&ドラマージョニー吉長の子供で、ジョニー吉長 CHAR とともにハードロックトリオ PINK CLOUD を組織した盟友。つまりは2世ミュージシャンが父親世代の盟友関係をそのまま引っ張ってる構造なんだよね。しかし、だからナンだよ?と跳ね返す説得力もある。TENSAIBAKA RECORDS を主宰し、DEF TECH を発掘したのも彼らだし、RAGE AGAINST THE MACHINE バリの本格派ミクスチャーロックを鳴らしてる部分でも素晴らしいと思う。このアルバムでは故・HIDE 氏のヒットシングル「ピンクスパイダー」をカバーしてる。「AMERICAN HERO」のようなファスト&ラウドな英詞ハードコアパンクもスカッと痛快。
●なお、JESSE は ラッパー SORA 3000 という名義で、後述するジブ兄の実弟 SPHERE OF INFLUENCE のアルバムにも参加している。RUN D.M.C. カバー「WALK THIS WAY」のカバーとかしてます。


SPHERE OF INFLUENCE「ATLANTIS」
SPHERE OF INFLUENCE「ATLANTIS」2003年
SPHERE OF INFLUENCE ZEEBRA の実弟で、ラッパー。ジブ兄の父母は早くから離婚して、彼は母子家庭で育った。SPHERE はその後再婚した母が生んだ異父兄弟に当たる。8つ年下で、兄弟が出来た少年 ZEEBRA は大変彼を可愛がったようだ。
●そんな SPHERE、ある日、クラブで YOU THE ROCK★「オマエ誰だ?」と聞かれたので、兄の名前を出したら「ラップしてみろ!」と突然フラれた。「オレはラッパーじゃない」と答えると「弟ってだけじゃだめなんだよ~」と一喝される。この事がキッカケで SPHERE は本格的に業界入り。ソレを知ったジブ兄はマネジャーに「素性を隠す必要はナイが、オレの弟だと宣材に書くようなマネはヤメろ」と指示。独力でシーンに立場を作り、兄とコラボするまでに至る。兄弟合体曲「SHININ' LIKE A DIAMOND」はキラキラの高速ダンスチューンで、新進女子シンガー MAY J. がサビを気持ちよく疾走する。
●ドヤ声ラップの兄と違い、ドチラかと言うと軽量級の声を器用に連射するスタイル。ダイナミックでバウンシーなトラックを乗りこなす。「DIRTY SOUTH」って曲タイトルに、サウス系のスタイルに興味があるのかなと思ったら、フックのラインが「大田 品川 港 DIRTY DIRTY SOUTH 城南!」だって。ジブ兄の曲にも「城南ハスラー」って曲があるけど、トウキョウの南側はサウスサイドなんだと初めて知った。ヨコハマまで行ったらウエッサイなんでしょ?


DJ YUTAKA「SELF DESTRUCTION」
DJ YUTAKA IN UNITED NATIONS「SELF DESTRUCTION」2003年
●1982年に渡米して、AFRIKKA BANAATAA 率いる ZULU NATION に参加。日本のヒップホップカルチャーの先駆者にしてDJ/トラックメイカー。15歳のジブ兄は六本木のクラブでスピンする DJ YUTAKA をカリスマ視してそのテクニックをずっと眺めてたらしい。
●このシングルに参加しているラッパーが豪華。ジブ兄、K-DUB SHINE A.K.A. コッタくん、ラッパ我リヤ(山田マン&Q)、RHYMESTER(宇多丸&MUMMY-D)、KOHEI JAPAN。7本マイクがタフなメッセージを発射する。全員が個性的なスタイルを持つMCなのだが、4曲目に収録されてるアカペラトラックを聴くと、ジブ兄のフロウが他のMCに比べて飛び切りユニークだってコトがわかる。小節の一拍目にそのまま乗らず、半拍ズラしてラップする技術は実は結構ワザアリだと思った。「自伝」には氷室京介さんが彼のラップを高く評価しているというエピソードが紹介されてる。「リズムを後ろに乗っかる感じって、日本人でできるのはあいつしか聴いたことがない」ヒムロックからほめられてまんざらじゃないジブ兄。


RINO LATINA II「TAKI183 TRACKS」

RINO LATINA II「TAKI 183 TRACKS」2006年
●このオトコは、1995年に結成されたスーパーユニット KAMINARI-KAZOKU の中心人物。KAMINARI-KAZOKU には MICROPHONE PAGER TWIGY、赤目のフクロウ YOU THE ROCK★G.K. MARYAN などが参加。その中でも高速フロウで鳴らしたコイツの存在感は異色だった。KAMINARI-KAZOKU の前身ユニット LAMP EYE のクラシック楽曲「証言」には、ジブ兄 DEV LARGE までもが参加。メロウでドープな愉しみがハードなリリックに彩られてる。ある意味で実に1995年的な音源。
RINO(途中から RINO LATINA II と改称)は2001年頃からソロ音源をリリースしてきたが、コレは映画「TAKI 183」のサウンドトラックとして制作されたミニアルバム。KAMINARI-KAZOKU の盟友、GAMA 、SHINNOSK8、D.O などを召喚、ストイックなトラックに密度の濃いリリックを詰め込んでる。最後の曲はドボルザーク交響曲9番「新世界より」を大胆に大ネタ使い。


HI-D「GET BACK IN LOVE」

HI-D「GET BACK IN LOVE / 夢のキオク」2004年
●2003年、DEF JAM JAPAN からデビューした男性R&Bシンガー。その一枚目のシングル「GIRLFRIENDS」ジブ兄が客演。ドコか2ステップっぽい軽妙なトラック(モチ FIRSTKLAS 制作)が小洒落た感じ。どこか繊細で涼しげにメロディを泳ぐ HI-D のボーカルは青い甘さが漂ってる。ココで紹介したシングルは名前から一目瞭然ですが山下達郎のカバー曲。あのネットリ達郎節を乾燥処理したテイストにしてしまったのはシンドイけど、オリジナルトラック「夢のキオク」はヒップホップソウルの基本を押さえた佳作です。


JINO(KENJI HINO)「GO FOR DA GOLD」

JINO(KENJI HINO) FEAT. ZEEBRA「GO FOR DA GOLD !!」2004年
JINO こと日野賢二さんは、ジャズトランぺッター日野皓正の実子でベーシスト。70年代に渡米し、あの JACO PASTORIUS に師事したというアグレッシブなプレイヤー。そんなカレがジブ兄とコラボしたタフなジャズファンクがコレ。あるミュージシャンのバックバンドでバンマスをしてた賢二氏をボクは以前見たことがあるが、実にアクの強い演奏でビックリした。そんな人がジブ兄とコラボしてたってのはこのシングルを激安ワゴンで発見して知ったです。カップリングでは、VANGELIS「CHARIOTS OF FIRE(炎のランナーのテーマ)」を高速ファンクカバーしてます。



DRAGON ASH との確執。
DRAGON ASH降谷健志くんとジブ兄がモメたってハナシは当時からよく言われてたよね…。再結成キングギドラの楽曲「公開処刑」ジブ兄降谷くんを公然とディスる場面にまで事態は発展。あまりのショックに降谷くんはスランプに陥り曲が書けなくなったなんてハナシまで。まずこの「公開処刑」のリリック読んでみる?ジブ兄自身のヴァースだからね。

「星の数ほどいるワックMC これ聴いてビビって泣くMC
 まあせいぜいスキル磨きなめいめい 覚悟決めんのはオメェだ KJ
(KJってやっぱ彼?)
 他の奴ら?用はねぇ バンド、取り巻き?用はねぇ クセぇ金魚のフン?用はねぇ
 おめえの グレートフルデイズも今日まで
 この先は通さねぇぜフェイク野郎 このオレが自ら手ぇ下そう
 この前のアワードの会場じゃ 生じゃねえしどうしようもないもんな
 オレが来んの知ってて来やがって スレ違えばペコペコしやがって
 こっちゃシカトだ てめえのフヌケ面 マジどしたらそんなんで許せるか
 声パクリ そしてフロウパクリ ステージでの振る舞いも超パクリ
 マジ神経疑うぜ まるでモノマネ歌合戦 親子で出にゃつまらんぜ
 じゃなきゃオレのファンクラブでも作りゃちったあチャンスやる
 U LUV HIP HOP ? だが HIP HOP DON'T LUV U
 引っ叩かれて速攻 FUCK U」

 
キングギドラ「最終兵器」 

(キングギドラ「最終兵器」2002年 「公開処刑」収録アルバム。)

●これキツいでしょ。ジブ兄DRAGON ASH の本格コラボシングル「GRATEFUL DAYS」1999年だって、もうコレでケチョンケチョンだもん。ナニがどうしてこうなったのか?その真相について、ジブ兄「自伝」にハッキリと描いている。
●実際のトコロ、「GRATEFUL DAYS」自体のコラボレーションはうまく行ってた。ジブ兄にとっては後輩のように見えてた降谷くん、人なつこい性格も手伝って二人はすぐ仲良くなったという。降谷くんのラップはジブ兄のスタイルをよく勉強した内容で、ジブ兄はジブンのアルバムを教科書のように使ってくれたのだろうと前向きに評価した。ここまではよかった。
●ところが同時発売でもう一枚シングルがあるという。「I LOVE HIP HOP」という曲だ。ココからは「自伝」を引用。

「ぶっちゃけ聴いて「えっ?」ってちょっと思った。「そこまで言っちゃうの?」みたいな。しかもそれが意図されていたのか、偶然だったのか、判断つかないんだけど、オレの曲と共通する部分がかなりあった
(未発表リミックス音源が降谷くんに渡っていたらしい)。…なんか盗まれているような気がした。
 DRAGON ASH と一緒にやって以降、彼らの何作品目かを聴いていたら、「GRATEFUL DAYS」でのオレのフロウみたいなモノがモロに出て来た。声のカンジまで近くなってきていた。…「SUMMER TRIBE」ていう曲だったかな。コレには驚いた。さすがに何だコリャと思った。まわりからも連絡が来た。「何あれ?そっくりじゃん、モロじゃん」って。…ステージでの立ち振る舞い方まで一緒だった。人を紹介する時の紹介の間、声の張り上げ方、言い方、もう全部が同じ。コレはもう無理だなって思った。
 DRAGON ASH がラップを一般的に広めたのは間違いないと思う。でも彼らがやっていることとヒップホップとは違う所がある。「I LOVE HIP HOP」って曲を出しちゃったがゆえに、多くの人たちはあれがヒップホップなんだって、思ってしまっていた。ヒップホップシーンを引っ張る人間としては、その誤解をとかなきゃという思いもあった。…オレが自ら手を下すすかないなと思った。」

●オルタナロックバンドだった DRAGON ASH表面的にヒップホップを取り上げ、自分のスタイルを盗んだと感じたジブ兄。それがチカラ任せのディスに結びついた。降谷くんにとっては無邪気な憧れと模倣だったのかも知れない。しかし、シーンが未熟だった時代、誤解と偏見を乗り越えてキャリアを起こそうとしてたジブ兄とその一派の危機感はハンパないモノだったのだと思う。
I TUNE MUSIC STORE では、この時代の DRAGON ASH のシングル、「GRATEFUL DAYS」「I LOVE HIP HOP」「DEEP IMPACT」「SUMMER TRIBE」は配信されてないらしい。この事件の影響か、実際この後の DRAGON ASH の作風は微妙に変化した。ラテンビートを導入する等、ヒップホップとだけの狭いレンジのミクスチャーとは距離を置いている。ソレをジブ兄は評価しているし、自分のステージで「GRATEFUL DAYS」をパフォーマンスすることもあるらしい。

DRAGON ASH「INDEPENDIENTE」

DRAGON ASH「INDEPENDIENTE」2007年
●多分、DRAGON ASH のモデルチェンジが完成したアルバム。パーカッシヴなリズムトラックと、気持ちよくリズムを刻むギター、哀愁漂うマイナーラインのメロディが、ラテンミクスチャーとして完璧に機能してます。スパニッシュの言い回しが新鮮な「LIBERTAD DE FIESTA」とか、ドラムンベースからの着想も聴こえる「SAMBA 'N' BASS」とかは聴いてて素朴に楽しい。「FEW LIGHTS TILL NIGHT」は一皮剥けた印象を強く残す傑作だと思います。



ジブ兄と同世代の重要アクト。


RHYMESTER「MADE IN JAPAN ~THE BEST OF RHYMESTER~」

RHYMESTER「MADE IN JAPAN ~THE BEST OF RHYMESTER~」1995~2007年
RHYMESTER宇多丸、MUMMY-D の2MC と DJ JIN によるユニット。1993年にアルバムデビュー。その評価が高まるのは キングギドラ をフィーチャーした楽曲「口からでまかせ」から。「キング・オブ・ステージ」と言われるほどの高いライブパフォーマンスが有名。
MUMMY-D が組むトラックは、スカーンスカーンと抜けのイイスネアが正しくヒップホップのマナーをなぞってて、実に気持ちイイ。日本語を歯切れ良く密度濃く機関銃のように叩き出すラップのスタイルは、ハードコアでありながら耳にスッと入るキャッチーさもある。そんなシッカリしたヒップホップ軸足を保ちつつ、その一方で、ジャンル横断コラボで間口の広い音楽性を発揮する。その典型例がクレイジーケンバンドとのコラボ「肉体関係」。他にも SUPER BUTTER DOGSCOOBIE DOO みたいなソウルフルなロックバンドとガッツリ組んで見せる。そこがこの RHYMESTER の真骨頂。ちなみに MUMMY-D SUPER BUTTER DOG のギタリスト 竹内朋康 と、雑食性ユニット マボロシ を結成。実に芸風の幅が広い。このアルバムに収録されてないけど、故・忌野清志郎とのコラボもボクにとっては印象深い。
●一方で、FUNKY GRAMMER UNIT なるクルーを組織。EAST END、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、MELLOW YELLOW などが所属してる。MELLOW YELLOW の MC、KOHEI JAPAN MUMMY-D の実弟。どっちかっていうと、ZEEBRA の系統とは質の異なる、文系ヒップホップの系譜が目立つかも。RIP SLYME、KICK THE CAN CREW からキャリアを発展させた KREVA などの世代は、ジブ兄とは別の視点で考えてみたくなる、日本のヒップホップの別の潮流だと思う。


EASTEND × YURI「DENIM-EDSOUL」

EAST END × YURI「DENIM-ED SOUL」1994年
GAKU MC EAST ENDがカマした特大セルアウトヒッツと、その後の彼らについても触れてみたい。実は「DA.YO.NE.」のリリックは、GAKU MUMMY-D の共作。スタジオクレジットを見ても、ジブ兄を含む当時のジャパニーズ・ヒップホップ関係者全員が信頼していた BAZOOKA STUDIO で収録されてることがわかる。うん、久しぶりに聴いてみたけど、そんなにワルくない。
●この曲に対するジブ兄のコメントを引用。スチャダラパーにも言及してる。ちょっと長いけど、1995年時点のヒップホップ世代交替の気分を反映してる気がするから紹介します。

スチャダラパーがデビューしたての頃、「太陽にほえろ!」ネタを使っているのを見て「クリエイティヴだな」と思ったことがあった。ある意味、日本にちゃんとヒップホップをトランスフォームしている面もあるなって。多分、デ・ラ・ソウル的な感じの人たちなんだろうなと思った。…だからマッチョなヒップホップがある中で、デ・ラ・ソウルみたいなのがあるというのは多様性という意味でも悪いことではない。…ただそこだけが突出して出ていっちゃうのは違うよねってこと。否定をするつもりはないけれど、比率が変わんないとマズいなという意識はあった。

 EAST END に関しては普通にありだなと思っていたし、普通に付き合っていた。GAKU とは前から知り合っていたこともあったし、「DA.YO.NE.」で売れる前に、一緒にフリースタイルをヤッたこともある。…ハードコアなヒップホップを普通にやれるヤツら、その中でもちょっと女の子受けするヤツらだなっていう印象があった。女の子受けするラップをやる=ナンパってことでは全然ない。

 だけど、「EAST END × YURI」に関しては、「× YURI」じゃなくても良かったねとは思った。結局「× YURI」の部分のラップがちょっと気持ち悪いなってことだ。それよりも、いわゆる「チェケラッチョ・カルチャー」みたいなのが一気に広がっていることに対して、危機感を感じていた。さすがにこれはマズいんじゃないかって。
 でもオレらときにはソコをシカトして、ともかく現場を作っていこうぜって。カッコイイ、ヒップホップをやっていけばいいんじゃないのって思っていた。自分たちのフィールドを強固にすることが重要だった。」



GAKU MC「世界が明日も続くなら」

GAKU MC「世界が明日も続くなら」2009年
●さて、そんな「チェケラッチョ・カルチャー」の渦中にいた GAKU MC は、現在ナニをしてるか? MR. CHILDRENレミオロメンなどを率いる強力な音楽事務所 烏龍舎 に所属。コチラは社長が辣腕音楽プロデューサー小林武史サン本人ということもあり、妥協しない音楽至上主義で有名でございます。
●ココで今年もソロアルバムをリリースしてます。ただ…この音楽は…ラップかもしれないとは思うけど、ヒップホップではない領域にイッテマスねえ…。藤井隆に提供したシングル「ナンダカンダ」をセルフカバーとかしてますし。ヒップホップの定義がもう曖昧になっちゃった現在のジェイポップの中で、意図して曖昧な空間へ自分を押し出してる感じ。「オレはヒップホッパー」と自称するジブ兄が自分の立ち位置に非常に自覚的なのと正反対。ジャンルや様式から自由になりたいという衝動を感じる。熱烈なサッカーファンである GAKU 本人がそのサッカーの根本原則をタイトルに銘打った「手を出すな!」は、フィーチャリングシンガーに事務所メイト桜井和寿を召喚して、ニギやかな高速サンバビートでラップする曲。コレだけが好きと思えた。


●ホントは、MICROPHONE PAGER についても語りたかったんだけど、今日はココまで。

●……また誰も読まない、望まないモノを、ダラダラ書いてしまった…。サイゴまで読んでしまったという奇特な人は、もっと有益なコトに時間を使った方がイイと、反省すべきだと思いますよ。

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