●前々から気になってた広告。

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雑誌「文芸春秋」の、駅売店でのポスター。
なんでさー、手書きタッチなの?しかもまんま習字風じゃん?オレンジとか完全に習字のセンセイの添削風でしょ。このネット時代に、敢えて超ロウテクの広告クリエイティブを選ぶ理由と狙いってナニ?……でさ、根本的に誰が書いてんの? 編集長? 毎月編集長が「おおお!スゲエコピーを思いついたぞ!オレの筆と硯を持って来い!」と叫んでて、そして何回か半紙に書き殴って、「よっしゃ!コレだ!コレを印刷しろ!」「ウィッス!頂きます!」というような儀式があるんかなー?


●さて、ハナシは全然変わりまして…。


●えーとですね……先日の記事(コチラ)では、ホント珍しくポリティカルな話題をしてしまいました。その続きにあたるハナシにしたいんだけど…そうなるかは自信がないです。もうちょっと普遍的なハナシにしたいんですよホントは。


今回の衆院総選挙は、「ネット選挙」って性質があるんじゃないのかな?
●4年前には普及してなかった技術が吹き荒れてる!とにかく YOU TUBE がスゲエ!選挙関係の動画がテンコモリになってる!この動画系のサービスをフルに活かして、今までカオの見えなかった政治家、候補者がジブンの肉声でジブンの持論を展開している。へーウチの選挙区で立候補するあのポスターのヒトってこんなシャベリ方するんだー。しかもシャベリが下手ー!ナニ言ってるかワカンナい&ツマンナい!…というコトで実に楽しい発見がある。
●しかし、公職選挙法の規定で、選挙公示以後はネットでの自由な発言は禁止されてるらしい。でも実は今回は結果的に、法律の弾力的解釈で自民党/民主党ともにネットでの情報発信を公示後も積極的に行ったそうだ。「特定候補者を取り上げなければ選挙運動にあたらない」ので選挙運動ではないという言い分で。

●8月25日の読売新聞ではこんな記事が。抜粋引用。


 今回の衆院選で劣勢が伝えられる自民党は、民主党を痛烈に批判するいわゆる「ネガティブ・キャンペーン」をホームページ上で展開、18日の公示後も更新を続けている。
 ホームページで見られるのは、「みなさん、知っていますか―十人十色の民主党」「民主党さん本当に大丈夫?」「民主党=日教組に日本は任せられない」などのタイトルが付き、民主党を厳しく批判する資料だ。これらの資料は、党公認候補の事務所や、演説会で配布したりしている。
 ネット上では、新しい動画CMも公示後に流している。
 自民党の広報担当者は「民主党の政策は突っ込みどころ満載だ。こうした問題点をそのままにしておくわけにはいかない」と強調する。公職選挙法との関係については、「政党の通常の政策、政治活動で、問題ない。候補者の名前は出さないよう、十分気を付けている」と話す。
 一方、民主党も今回の衆院選から初めて、全国を遊説する党三役の動きを写真とともに連日ホームページで「ニュース」として更新し、演説の内容も載せている。同党広報担当は、「党の政治活動の一環で、問題ない」と話す。自民、民主両党とも、「特定候補者を取り上げなければ選挙運動にあたらない」との解釈で、積極的なネット活用が目立つ。


●実際、自民党のホームページの「民主党研究」というシリーズは大分オモシロかった。民主党のホームページよりも詳しく民主党のコトが説明されてて、「へー」という話もあれば「この程度ならボクにとって問題はない」という話もあった。この公職選挙法って法律は、そのうち少し変えた方がイイと思う。


「政治」的コミュニケーションの有り様は、時代で変わる。
現代を「ネット」の時代と見立ててみる。今回の選挙では、職業的マスメディアと間接代議制民主主義を、ネットメディアが醸し出す直接民主主義気分が補填していく雰囲気があったと思う。で、この方向性はこれからも発展していくだろう。誰もが世間にヒトコト物申す事を可能にしたテクノロジーは、究極の「政治」的コミュニケーションの状況を準備する。誰もがネットを利用するし、誰もがネットを無視できない。
●一転遡って、約70年前。第二次世界大戦が吹き荒れた時代は、究極の「政治」的コミュニケーション、「戦争」が最新の流行だった。コレは団塊ジュニアであるボクの祖父母の時代であり、先日このブロクで紹介したマンガ「この世界の片隅で」の時代だ(コチラ)。
●そんでだ、ボクの父母の世代、つまり元祖・団塊世代の時代にも、ある意味で究極の「政治」的コミュニケーションの形態が世間を席巻してた。この時代の流行は、「革命」というキーワードだ。ボクはまたしてもマンガでこの時代の気分を感じる。


山本直樹「レッド

山本直樹「レッド 1969~1972」1~3巻
●エロ路線を軸足に独自のシュールなワールドを形成して、もはや日本マンガ界の重鎮となってしまった山本直樹。そんな作家が、ビックリするほどタフな題材を取上げてマンガにしている。それがこの作品。サブタイトルにある通り、1969年から1972年の極左運動、しかも赤軍派周辺を取り上げているのだ。意外!
●とはいいつつも作者には、彼らの極左主義イデオロギーを細かく噛み砕いて運動の根拠や方向性を説明するような事には 100% 関心がなくてですね、20歳そこそこのごくフツウの学生君が、ナニがなんだかワケも分からず過激な政治活動にノメり込んでいく様子を、アンチドラマチックに、オフビート気味に、ただ淡々と、カッコツケもせずに描写してるだけなんです。もう目線が冷たいったらないね。
●作者の冷たい態度をハッキリと象徴しているのが、ワンエピソードごとの最後に出てくるナレーション風ト書き。テロを含む極左運動に没頭する若者たち一人一人に対して「岩木 この時22歳 長野県■■駅で逮捕されるまであと247日」「高千穂 この時21歳 群馬県山中で死亡するまであと198日」というように、時限爆弾みたいな破滅のカウントダウンをくっつける。オマケに、内ゲバなどで死んじゃうキャラクターには、殺される順番にナンバリングがされてて、その数字が終始アタマにくっついている。コレが実にシュールでイイ味出してます。
●そんなトーンなので、一体ナニが彼らを過激な違法活動に駆り立ててるのか?実はちっとも理解出来ない。ソコの前提がスッポリ抜けてる。ナニを目指しているのか、ナニが目的でナニが見返りなのか、作者は全く説明しないし、登場人物は読者を放っといてズンズンと自分たちの運命をヤバいトコロにセッセと運んでいる。東大紛争が終結して、一気に全共闘運動が熱を失っていく中、そして「シラケ」が徐々に世間を覆う中、登場人物は躊躇なく法律を踏み越えて過激化し、仲間同士の殺戮に向かって突っ走っていくのです。
ただ、言える事は、彼らのボキャブラリーが実に政治チック。「半合法部で痴漢事件が発生しました。闘争の中であってはならない行為です。思い当たることのある者は自己批判してください」20歳代そこそこの若モンが仲間同士のトークでこの堅苦しい言葉使い…。そんで得意げに彼らの時代の政治用語をあーだこーだしゃべる。これは今の女子高生が使うギャル語のように当時の流行だったに違いない。


●そんな彼らが一番大事にしている言葉が「革命」
●ボクが「革命」を、ある意味究極な「政治」的コミュニケーションと考えるのは、「革命」には実体がないから。この60年代の若者たちにとって、「革命」は社会正義とか冒険精神とか義憤とかロマンとかファッションとかイカしたポーズとかの意味が強くって、リアルなモンとしては全然ピンとキてなかったような気がする。ある意味の理想主義が生み出した幻想。ココロの内側にあって想うモノ。そんなモンに非合法で関わって命を賭けるなんてスゴいよね。だからある意味で究極。そう思う。
●だって、この時代においても直近なリアル革命なんて、1917年の「ロシア革命」くらいでしょ。しかも21世紀の今から眺めちゃうと大幅にスベった感じがしてるし。1789年「フランス革命」ですら、つぶさに見ると結構ヤバい。コレはまた別で語りたいテーマだけど。


でもでもでもさ、この「革命」を過去のモンと葬り去るのはチト早いのよ。
●政治的無関心が日本人の標準になって久しい昨今ですが、60年安保から70年安保の10年間はユースカルチャーと政治運動が絡み合ってた。そんでですね、この時代の若者ってのが、民主党のリーダーの世代(&自民党の中堅世代)なんですよ。例えば、鳩山由紀夫は現在62歳、1969年には22歳。菅直人も現在62歳で、1969年には22歳。岡田克也は現在56歳で、1969年には16歳。小沢一郎は現在67歳、1969年には27歳そしてこの年に初当選(←小泉ジュニアより若くして当選してる!)。まさか、連中がこの政権交替を「革命」だなんて思ってるなんてコトはないと思うけど、あの時代の心性を持った人たちが今の日本を握っているのです。
●ボクは別にソレが悪いとは思ってない。だけど、連中の政策が、理想主義っぽく聞こえたり、ホントに実現出来るのかな~と不安に思っちゃうような聞こえ方をするのは、世代の気分がそうさせてるのかも知れない、とチョッピリと思ったのでした。モチロン、国政は若造テロリストの夢想とは違うので、ジックリ取り組んで物事を実現させてもらうコトを強くお願いしますけど。



●シラケの時代のBGM?

和幸「ひっぴいえんど」
和幸「ひっぴいえんど」2009年
「カズコウ」と読みます。フォーク・クルセダーズ、サディステック・ミカ・バンド加藤和彦と、THE ALFEE坂崎幸之助がタッグを組んだユニット。60年代~70年代の音楽シーンを最前線で眺めて来た生き証人である加藤が、1974年デビューとやや後輩の坂崎を誘ってプレイするのは、あのフォークの時代の総括。一曲目で表題曲の「ひっぴいえんど」は、伝説のロックバンド「はっぴいえんど」をもじってると見せかけて、ヒッピーとしての中途半端なセイシュンを終わらせる瞬間を迎える若者のウタ。切ないメロディがちょっと BOB DYLAN 風のフォークロックに乗っかってる。ちょっと歌詞を読んでください。

「髪が長いだけで嬉しかった 座り込んだり 叩かれたり 叩いたり
 石をなげても なんか半端で あいつらなんかには伝わるでもなし
 そんな毎日が 何故か不思議で うきうきしていた

 でも 終わりだよ でも 終わりだよ 
 はやく おいでよと 社会が待ってる
 もう ひっぴいえんど もうひっぴいえんど」

●大人になれないヤツがテロリストにはなったが、大部分の連中は、ヒッピーな自分にキチンとお別れしたらしい…。ヒッピーにならなかった人もいるでしょうし。ちなみにボクの父親は、まるでノンポリな学生として、髪の毛も伸ばさず、着たきりの学ランを来て過ごしてたそうだ。「なんかソレっぽい場所に行ったりしたの?」とボクが聞くと、「そういや、うたごえ喫茶に行ったなあ!ロシア民謡をみんなで歌うんだわ」と言ってた。うーん、カッコ悪い。60年代末で「うたごえ喫茶」は既にオールドファッションだったはずだ。ま、そんなハナシはどうでもヨクて、とにかくこの世代は、マズはちゃんと一区切りして大人になる段取りを受け入れた。
●……じゃあボクの世代は?いやいやボクは?ぶっちゃけ、30歳代真ん中にしてアタマん中まだコドモ。こういうのを「幼形成熟」とか「ネオテニー」って言うんでしょ?中途半端な人生だよ。
●オリジナル楽曲もイイけど、あの時代を象徴するようなカバー、遠藤賢司「カレーライス」、かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」、岡林信康「自由への長い旅」がイイ。
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