さて、今日はクリスマスイブです。

P1001071.jpg

●ヒヨコのイチバンのお気に入り、ベリーちゃんも「サンタさん仕様」に衣替えです。

ノマドは、サンタさんを迎えるにあたって、こんな注意書きまで。

P1001072.jpg

「子どもべやは、1935へ、へんこう」ボクらの寝室の入り口に張り紙。

P1001073.jpg

「1935 / ぼくはレゴクリエイターモンスターダイノをください」コドモ部屋の前に張り紙。
●実は、コドモ部屋にノマドヒヨコが毎日寝るようになったのは、今年になってから。去年のクリスマスは、親子4人でボクらの寝室で寝ていたのだ。そこでノマド、サンタさんへ、コドモの寝る部屋が今年変わっている事を告知しないとプレゼントが間違って配送されると考えたらしい。注意深いオトコだ。部屋番号「1935」の由来は不明。


娘ヒヨコの口から意外なコトバがでてビビった。
「パパ、ベツレヘムってしってる?」おおおっ、ヒヨコのくせに渋い地名知ってるじゃねえか?イスラエルの土地だな。なんでそんな街の名前知ってるの?「ようちえんで、センセイがイエスさまのタンジョウビのオハナシのほんをよんでくれて、ベツレヘムがでてきた」
●ほうほう、どんなオハナシだったの?「えーとね、マリアさまのオナカにアカちゃんができてね、ベツレヘムのマチでうまれそうになって、ウマのオウチをかしてもらって、イエスさまがうまれたの」そうだな。博士も出てきただろ。「うん!そう!キレイなホシがみえたから、3にんのえらいひとがやってきた」東方の三賢人ってヤツだな。
●そんで、そのイエスさまの誕生日がクリスマスなんだよな。「じゃあ、おたんじょうびのロウソクをたてないと!」でもイエスさまが生まれたのは2000年前だから、(紀元前4年に生まれたので)ロウソクは2012本いるな。「ええ!そんなにロウソクないよ!どうしよう!」でもクリスマスは世界中でロウソクに火をつけるだろうから、ヒヨコが一人で2000本もロウソク立てなくていいよ。「じゃあ、ヒヨコは5ほんだけたてることにする」

そんでアレコレ、イエス・キリストの奇跡のコトについてコドモたちと話した。目の見えない人が視力を得た事、足のなえた人を癒して歩けるようにした事、水の上を歩いた事、数個のパンで数千人の飢えを癒した事、死んだ人を甦らせた事。そして、最期には殺されてしまうんだけど、3日後に復活したという事。「へー、イエスさまスゲエ!」とノマド。
●別にキリスト教徒じゃないボクでも、イエスのことについてはこの程度の知識がある。「ジーザスクライスト・スーパースター」って言うだけあって、やっぱ有名人なんだよ。

でも「聖書」ってヤツをマジメに読んだことはない。
●昔、学生の頃、最初の「マタイ伝」を踏ん張って読んだが、そのあと3回同じハナシが繰り返される(他の福音書「マルコ伝」「ルカ伝」「ヨハネ伝」のこと)と知って挫折した。あの堅苦しい文語調はホント息苦しくて完全にギブアップだった。


そんなボクに、伯母がある本を贈ってくれた。

三浦綾子「旧約聖書入門」/三浦綾子「新約聖書入門」

三浦綾子「旧約聖書入門」/三浦綾子「新約聖書入門」
伯母は、60歳くらいになって洗礼を受け、自分の意志で信仰の道に入ったクリスチャンだ。なぜキリスト教なのか?という理由はわからない。信仰の問題は一番個人的なモノで、他人がどうこう言うスジのモンでもないでしょう。ただ、病気でひたすらボケーッとして生きている今のボクにはちょうどイイと思って贈ってくれたのだと思う。この休職生活で、日本神道や仏教の本を読んでたボクなので、キリスト教のコトを知るのも悪くない。

三浦綾子さんという作家については、ナンの知識もない。
●ああ「氷点」を書いた人なんだ…ググってみて初めて知った。99年に亡くなるまで、たくさんの病気に生涯苦しめられたようで、その闘病の様子がこの2冊の本からも滲み出ている。またそれ以上に、時代に釣り合わないほどに強い性格を持った女性なんだなあという印象を持った。いや、信仰が彼女を強くしたのか?
●一方で、戦前に小学校教師を勤めていた人でもある。終戦に際して、軍国主義教育からGHQ主導の民主主義教育への大転換を経験し、職を辞した。戦前価値観の崩壊とその後に到来したニヒリズムが彼女を揺さぶったのは間違いない。結核を患う中でプロテスタントの洗礼を受けたのは、明日をも知れぬ不確かな時代(&自分の健康)の中で、信仰に価値を見出したからなのか、と想像する。


「新約聖書入門」は楽しんで読めた。
●「キリスト教」という宗教はさておいて、イエス・キリストという人物個人は、非常に痛快なカリスマで、既存秩序の欺瞞を暴き出すヒーローだ。数々の超常現象的な奇跡の真偽には興味はない。しかしそんなモノを抜きにしても十分彼は強力な「革命家」だ。
イエスを目の敵にしてたのは、頑迷なユダヤ教徒だ。聖書に出て来る、パリサイ人とかサドカイ人とかいう連中や律法学者たちは、ユダヤ教社会の中でのマジョリティで、型破りな行動で支持を集めるイエスを危険視した。 彼らはイエスを貶めようと議論を吹っかけるが、ことごとく論破される。例えば、日曜日に病人のなえた腕を癒したイエスに、守旧派は攻撃しようとした。日曜日つまり安息日は、神に祈る日であって働いてはいけない、何もしてはいけない、というのが彼らの法律だ。そこにイエスは一発「安息日に善を行うのと、悪を行うのと、命を救うのと、殺すのと、どちらがいいか」安息日のために人があるわけではない、人のために安息日はある。
●一方イエスが庇護したというのが、税金取り立て人とか、多民族との混血(サマリア人と呼ばれる人々)とか、姦淫を犯した女性とか、病人(病気は前世の罪の反映と考えられてた)とか、いわゆる社会の中で蔑まれている人々であった。下流の人々にこそ救いの手を差し伸べたのだ。
黒人さんたちが、涙を流しながらゴスペルを歌う様子が連想される。キリスト教はアフリカ系の彼らにとっては征服者の外来文化だが、その思想は彼ら社会的弱者を守る内容なのだ。しかし当時のユダヤ守旧派にとっては、これは世界観の転覆である。イエスは過激派だったのだ。
●そんなイエスは、既存秩序にしがみつく者たちに命を狙われるようになる。隙あらば彼が律法を破っている証拠を掴んで罪人に仕立て上げようとする。で、ご存知の通り、彼は十字架にはりつけられ、殺されてしまう。イエスは、人々の愚かさを一身に受けて、その彼らの罪をあがなうために自ら殺されるよう仕向けた、とされてる。過去から現在、そして未来永劫まで続く人類の愚かさと罪に対して、自分の命を担保にしたわけだ。

一方で「旧約聖書入門」には、少々ビックリした。神サマがこんなにコワイなんて。
●ココに登場するエピソードも有名なモノが多い。「アダムとイブ」に始まり、「ノアの箱舟」「バベルの塔」「十戒(モーゼの出エジプト)」などなどビッグな逸話が目白押し。ただし、一読して感じたのは、ココに登場する神サマは、コワイ!常にコワイ!
●ヘビにそそのかされたばっかりに、「知恵の実」を食ってしまったアダムとイブは楽園を追放されてしまう。最近はメッキリ悪いヤツが増えたなあと思ったら、大洪水を起こして全生物を死滅させてしまう。バベルの塔をおっ建て始めた人類を不遜として、その建造物をぶっ壊し、お互いの言葉を通じなくさせてしまう。堕落した都市、ソドムとゴモラは業火に焼かれてしまう。信心深い男アブラハム「あなたの愛息子を生贄に捧げ丸焼きにしなさい」とか言う。しかし、この件は、アブラハムが本気で息子を殺す瞬間に天使がストップをかける。「あなたが神を畏れる者であることを知った」…いやいや、でもさ、ドッキリの仕掛けにしては悪趣味すぎないか?
「神の子」イエスが、寛容なカリスマだったのに対し、「神サマ」自身はなんだか猛烈にコワイぞ。さらに、「十戒」や「律法」といったルールを人間に伝え、それを遵守するように命ずる。イエスを追い詰めた頑迷なユダヤ人主流派は、あまりに神サマを畏れるあまり、「十戒」の本質を離れ偏狭な社会を作ってしまった。でも彼らがビビるのも当然とも思える勢いで、この神サマはコワイ。
●コレが日本やインドみたいな多神教社会なら、コワイ神サマもいれば、優しい神サマもいるって感じにうまくバランスを取るところだが、一神教で神サマ一名じゃあ、バランスの取り様もないからね。


コワイ神サマと、愚かで罪深き人類。それが滅ぼされずに済んでるのは、イエスが自分の命を捧げることで釣り合いを取ったからだ。イエスはえらい。神サマはコワイ。よってキリスト教の世界観では、神サマと「罪人」としての個人の関係が絶えず意識されることになり、「神サマ視点から見て、オレはアリ?それともアウト?」と思考するのが一般の感覚になったのだろう。この延長に「じゃあ、そんなオレってナニモン?」という近代的自我の思想がキリスト教ヨーロッパ文明に一番最初に芽生えたのは偶然じゃないのではないかと勝手に推測してみちゃったり。
日本のような思想風土は、神サマ目線で自己を客体化しなりなんかしないでしょ。どっちかってと、イエ単位、ムラ単位の集団の一パーツとしての人間という見方が支配的で、イエやムラの過去の延長を未来まで継続することが大事だったりしてたはず。神サマは、そのイエやムラの起源(祖先)であったりして、それを継続させることが神サマと個人の主だった関係だったり。例えば、お盆みたいな習慣とか。天皇家だってその感覚を現代に体現するシンボルだよね。


余談だけど、学生時代、友人に「ものみの塔」(A.K.A.「エホバの証人」)の信者がいた。
「ものみの塔」は、キリスト教の一分派で、聖書至上主義な人たちらしい。以前テレビドラマにもなったけど、事故にあった息子に対して輸血を許さず、結果死なせてしまった家族の話題で有名になった。輸血は「人は人を食べてはならない」という禁忌の延長なのだという。輸血すれば、現世の命は助かるが、やがてやってくるはずの神の国に入ることができなくなる。だから親は輸血を拒否した、ってケースだったと思う。
●友人エムくん(仮名)は、自分の信仰を隠しもしなかったし、自説を堂々と説いてボクをビックリさせた。輸血がなんでダメかと教えてくれたのも彼だった。彼は生物の授業に出てくる進化論「なに言ってるんですか、バカバカしいウソですよ、誰が太古の時代までさかのぼって検証したというのですか」と言ってはばからない。聖書至上主義であるので、聖書の記述(この場合、「創世記」)に矛盾する進化論は彼らにしたら間違いなのである。「でもさ、聖書も所詮誰かが書いた本だろ、それが全面的に正しいってのはどうなの?」ぼくは素朴にそう言った。そこにエムくん「あの生物の教科書だって誰かが書いたものでしょ。あれが全面的に正しいというのも筋が通りません」なるほど、そうか。彼は暴力には加担できないという理由で、体育の授業も柔道だけは見学を貫いていたし、見事なまでに信仰生活を大切にしていた。ぼくは信仰の内容には同意しかねても、信仰する行為に異を唱えるのはフェアじゃないと思うので、一徹したモノを持つエムくんにはある意味敬意を感じた。
●そんな経緯もあってか、その後一人暮らしをするようになってからは、彼ら「ものみの塔」の布教活動(親子連れでピンポーンってやってくるじゃないですか)にも、ヒマがある限り付き合ってあげたものだ。決して同意はしないんだけど、好きなことをタップリとしゃべってもらって帰ってもらった。冊子もたくさんくれるので、よく読んだ。今はもうしないな、なんだかんだ言って、結局ぼくのやってることは冷やかしでしかないから、彼らにも失礼だと思う。……エムくん、今はナニやってるだろうな?やっぱり同じ信仰の人と結婚するのかな?


ハナシは変わって、紅白歌合戦の予習(多分見ないけど)。

キマグレン「ZUSHI」

キマグレン「ZUSHI」
●今年初登場組のブレイクアーティスト、神奈川・逗子をベースにした男性二人組ユニットだ。今年の夏にはヒット曲「LIFE」が街中からよく聴こえたもんだ。夏気分一杯のこのアルバムを、寒い今聴くのはズレた感じだが、ニューカマーにふさわしいフレッシュさは、朝の通勤電車の中でも元気に聴こえた。
●ぱっと聴いて感じたのは、DEF TECH に似てるって印象。ラップと歌の境目を越えていくメロディと高揚感あふれるサビやコーラスの気分、、日本語詞・英語詞が切れ目なくつながる感覚が、ジェイポップにより接近した DEF TECH って感じ。DEF TECH はハワイのロコカルチャーを背負ったハワイアンレゲエ(ジャワイアン)という斬新な様式を軸足にして、ライフスタイルもひっくるめて主張の強い音楽を鳴らしていたが、キマグレンは、特別な気負いなくラテンからソカまで様々なリズムでビートを織り成し躍動する。しかし両者に共通するのはアコースティックギターのアフターサーフな感触。なんたって湘南育ち、これが彼らの音楽を一番音楽をウェットにしている要素。シズル感の肝だね。

「泣きたくて、笑いたくて、ホントの自分 ガマンして伝わらなくて
 言いたい事、言えないけど、ココにいるよ
 泣きたくて、笑いたくて、ホントの自分 ガマンして伝わらなくて
 君は君のために生きていくの」


●リリックだけ見ると、ロスジェネ以降世代の典型的閉塞感がギュウ詰めなんだけど、でも音楽は痛快。しなやかにリズムに乗って日々を乗り切るセンスとスピード感を備えつつも、どこか未来や将来に醒めきった絶望と哀愁から逃れられないのが、この世代の気分なんだろうな。
   
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://unimogroove.blog4.fc2.com/tb.php/1251-e0236167