フヌケた日々を過ごしています。
●大した仕事もしてないのに、カラダがシンドイ…。やる気も起こらない。腰が痛い、肩が痛い、アタマが痛いと自分にイイワケして、ナニもしない。ブログの更新もサボってました。だから、そんな自分がワリとキライになってます。自己嫌悪モード。



「うつ病」ってのは、ドラマや映画の題材として、やたら深刻ぶった扱いではなく、もっとチャーミングに描かれてもいいんじゃないのかなあ、と今日バスに揺られながら、ふと考えた。
●病気というモノは、1人の人間の身体の中で起こってる現象だから、1人の人間の問題として描かれるパターンが多いような気がする。でも、ココロの病気は、1人の人間にふりかかる現象でありながら、その解決には複数の人間が関わらないといけない。患者、家族、友人、同僚、医者、ご近所、病気を通じて出会う人々。ココロは、コミュニケーションによって編み出される織物みたいなもので、その縦糸横糸は、全て他の人と繋がっている。1人じゃ回復できない。縦糸横糸を絶たれてしまったら、ココロは本当に死んでしまう。


●なんでこんなコト考えてるんだろ?

新宿でレイトショーを見た帰り。本当のひとりぼっちはコワいと感じた。
テアトル新宿で若手クリエイター3人による短編映画3本の公開をやっとったのです。「movie PAO」という企画。久万真路監督「ファの豆腐」/真利子哲也監督「NINIFUNI」/黒崎博監督「冬の日」。キャスト最小限で描く低予算映画というシバリのせいか、登場人物が少なくて息苦しい程の密室感を感じた。その密室感が、濃厚な絆として処理されていればソレは希望や未来につながることができるのだけど、塗り込められたような孤独と密室感が結びついたら、ソレは絶望と虚無ですわ。ナニも起こらないしナニも伝わらない。物語としてもオモシロくない。
●3本の映画は共に、挫折を前提とした若者が主人公に据えられてる。「挫折を前提」というのは、挫折の過程を描くのもほぼ必要ないホド、当然のデフォルトとしてキチンと挫折している、という意味なんですけど、つーかソコ前提からしか物語が始まらないってのが今の若者の心象風景なのですか本当大丈夫?(←オマエにそんなコトいう資格ないでしょビョウニンめ!)…とにかく、そんなもはや万人に共有されちゃってるかのようなヘコミ感覚を、細かくヨリ手繰ってナントカ希望に辿り着く道があるのかないのか誰か教えてくださーい、と3人の監督さんはみんな考えてるのか、いやボクが1人でそんな妄想に到達してしまったのか、静謐でフレッシュな作品だったはずなのに、やたらボクはココロ掻き乱されて、結果こんなアホなことを考えている。
「NINIFUNI」の背景として描かれた、死ぬ程没個性な地方のバイパス沿いの、パチンコ屋やファミレスやコンビニやガススタンドや工場や中途半端な空き地や中古車屋や、その多もろもろが片道二車線道路とデストロイな退屈に串刺しにされて時が無限に止まっているような感覚が、実にアンチドラマチックな破滅と共に描かれてて、コッチが死にそうになりました。ももいろクローバーが出演すると聞いて期待してたのに…彼女たちはデストロイな郊外文化をより一層強化する装置としてしか機能してませんでした。ま、ソレが監督さんの偽らざる意図なんですけど。


●話がソレてしまって、よいですか?デストロイ郊外の物語、面影ラッキーホール、のライブ。
面影ラッキーホール「代理母」
面影ラッキーホール「代理母」1998年

面影ラッキーホール「Whydunit?」

面影ラッキーホール「Whydunit?」2008年
●尻!尻!なぜこんな尻オシなジャケなのか?まーそんなジャケからのご想像を全く裏切らず、この音楽は、えも言われぬようなお下劣さをドコまでがマジでドコまでが冗談か分からないような悪趣味加減でフニャラフニャラと歌う性質のモノです。その歌詞世界のセンスは、下品でデストロイで、でも現代日本人の誰もが共有してしまっている一番暗い感情をわざわざえぐり出して赤裸々に描くモノであります。曲のタイトルだけで内容がある程度わかっちゃうと思うので、いくつか紹介してみます。「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏」「中に出していいよ、中に出してもいいよ」「あたしゆうべHしないで寝ちゃってごめんね」「好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた」「あんなに反対してたお義父さんにビールをつがれて」「俺のせいで甲子園に行けなかった」「私が車椅子になっても」「あの男(ひと)は量が多かった」「ピロウトークタガログ語」「コレがコレなもんで」「たまプラーザ海峡」…後半の方は意味がわかんないですけど、まーロクデモナイ歌に決まってると簡単に想像できますね。そんでその有様がボチボチに注目されちゃってるほどであります。なんてったってそのライブに糸井重里さんが来てたくらいだもん。

●余談。ボクはビョウキで求職して以来、この4年間、ライブハウスに行ったコトがなかったんです。座りのコンサートは行けた、芝居も行けた、しかしオールスタンディングのライブはボクの体力的限界を超えているのでムリ。そう考えていました。2~3時間立ってるだけで限界なのに、あの人口密度や環境の悪さは致命的だと。しかし、そんな事情をよく知らない先輩が、たまたまボクをこの面影ラッキーホールのライブに誘ってくれた。実は先約してたお友達が急遽ライブに行けなくなっちゃったので、代わりにボクに声がかかったのだけど。それでも先輩はこのバンドの魅力を自信たっぷりにボクに語ってくれたし、バンド活動の傍らそれぞれがフツウの職業を持ってる彼らがライブをするのは結構レアな場面だというコトも教えてくれた。気ゴコロの知れた先輩なので「ライブの途中でボクがおかしくなってもヒかないで下さいね」なんて正直なハナシができたし、コレでライブハウス参戦が可能となればボクの活動範囲はグッと広がる。昔のようにイロイロなライブに行けるようになる。そんなコトを考えて出かけたのがたしか先々週のコト。会場は、渋谷WWWシネマライズ渋谷の地階を改装して出来た比較的新しいライブハウス。当然ボクは初めての場所。元映画館だけあって、フロアが階段状になってるのが特徴的。その分寄りかかる場所が多くてボクには助かる。フロアが一枚になってる方がダンスしたい人/暴れたい人には都合がいいだろうけど、このハコはチョイ大人向けに作られている。一言でいうと糸井重里がくるような場所。

面影ラッキーホールは、90年代中盤から活動している大所帯ファンクバンド。元ヴィブラストーンのドラマーさんが所属してて、見事なファンクグルーヴを巻き起こしながら、ソコに乗っかるリリックが実にデストロイ。そんな歌を披露するのはボーカリストの ACKY さん、中年太りのブサイク男42歳独身。ドン小西もビックリの全身ピンクスーツとティアドロップのデカイグラサンで決める歌謡ショー。そんで最後に服脱いで汗だくビキニパンツ。極上のグルーブに醜悪なシンガーが醜悪な歌詞を歌う確信犯的悪趣味世界。
●ライブに誘ってくれた先輩いわく、面影ラッキーホールの世界は、国道16号線よりも外に広がる、北関東の郊外バイパス沿い文化、いわゆる「ファスト風土」な光景を切り取ったモノ。低学歴、低所得、低希望、低未来。どんづまりな現実に痛めつけられたココロのスキマに、苦く滲みる塩をさらに擦り込み合うような男女の愚かな情愛がモクモク負のフォースを巻き起こしてヒドいことになる。そんな様子をネタにしてるような悪趣味さを笑うしかない。不健全ですか?そうかも知れない。少なくとも渋谷のオシャレなライブハウスでそんな音楽をニヤニヤ笑いながら聴くのは、なんかスノッブでイヤラシいかも。でも、実はそんな詞曲を書くボーカル ACKY さん、本業はその国道16号線以遠の市役所に勤める公務員なんですって。つまりこの音楽世界は「ファスト風土」のニヒリズムのドまん中から掬い取られてる風景なんです。

●ていうか、四の五の言わずに、聴いてみて下さい。最新アルバム「ティピカル・アフェア」2011年に収録されてる「ゴムまり」という曲です。幼児虐待です。本当にデストロイだなあと思います。気分を害したらゴメンナサイ。でも、ボクは世界観の徹底ぶりに笑ってしまいました。明らかにヤリ過ぎなんですけどね。






●あ、ボクは仕事もしないで、フラフラしてるだけなんだな。そんで勝手に消耗してるだけなんだ。今気づいた。




●それと、明らかに一般的な需要のナイはずの、ノマドとトカゲのオハナシ(前回の記事)に、多くの拍手を頂いたコトにビックリしました。ありがとうございます。

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