●ボク自身にとって、パンクは得意分野ではない。だから、パンクな人には不満なお話になるかもしれません。そんなお断りをいれながら、今の時代の中での「パンク」を考えてみちゃったりするんです。シッパイ気味な気もします。


パンクは日々を生きる覚悟の問題。
パンクは生活から立ちのぼる生命力。
パンクは独立独歩。二本の足で立った上で見えるモノがある。

パンクは、モノゴトの本質をシンプルに研ぎ澄ます。





●娘ヒヨコが聴いてくる。あの歴史的パンククラシックについて。
「ドブネズミみたいにうつくしくなりたーい、シャシンにはうつらないうつくしさーがあるからー」オトコノコ座りのオネエサンが、ギター弾きながら歌ってるあのウタの続き、おしえてー。
●ほうほう。ふんふん。EARTH, MUSIC & ECOLOGY の CM で宮崎あおいちゃんが歌ってますよね THE BLUE HEARTS「リンダリンダ」の一節を。

EARTH, MUSIC  ECOLOGY のCMで宮崎あおいちゃんが歌ってますよね「リンダリンダ」

●息子ノマド「ドブネズミはウツクシくネエよー!」娘ヒヨコ「えー、ヒヨコ見たことあるけど、かわいかったよ!」ドブネズミそのものというより、ドブネズミを歌ったコトが美しいウタなのですよ。まー宮?あおいちゃんバージョンのような落ち着きは、原曲にはあまりないのよねー。むしろノマドが好きになるタイプのウタなのよね。

●ただし、今日は娘ヒヨコからのリクエストなので、女子のバージョンを YOUTUBE で見せるのです。

●映画「リンダリンダリンダ」、ペドゥナ、香椎由宇、前田亜季、関根史織(BASE BALL BEAR)。



●カメラの置き方が素っ気なさ過ぎると、映画を初めて見た時から思ったね。もっとドゥナちゃんの熱唱にズームしたっていいじゃん。…でもコレはコレで、その素っ気なさがリアルだと思う。


●行きつけのカフェに新入りのバイト青年。「オレ、パンクが好きなんです」
●今週から入った子なの、とご主人がいう。音楽が好きなんだって。…それじゃココはウレシいでしょ、スゴいレコードがイッパイあるからね、だからボクもココに入り浸ってるんですよ。
●パンクが好きって?どんなヤツ?「セックスピストルズです」他には?「……んーと…」あんまり出て来ないみたいね…でもいーのいーの、今知らないというコトは、コレからイッパイ聴くモノがあるってコトだから。素晴らしい音楽との鮮烈な出会いがコレからの彼に訪れると思うと、とても羨ましくなる。

しかし、この2011年段階、「パンク」ってどれだけ説得力あるんだろう?
●彼のような20歳のキンパツ青年や、我が子ヒヨコ&ノマドに「パンク」がナンの意味を持つのか。

先日、東京で6万人の反原発デモがあった。体制に対する異議申し立て。「パンク」という美学や思想は、このような時代に意味を持つのか?


最近の鬱屈とした気分の中で、ボクは1人、パンクロックを聴いてました……たまたま偶然ですけど。
●こと、気力体力ともに凹み気味な状況、てっとりバヤく強い活力が欲しかった。そこでパンクのCDをバリバリ聴いていたのです。



HUSKER DU。パンクは日々を生きる覚悟。

HUSKER DU「NEW DAY RISING」

HUSKER DU「ZEN ARCADE」

HUSKER DU「NEW DAY RISING」1985年
HUSKER DU「ZEN ARCADE」1984年
●このバンドは、アメリカの80年代ハードコアパンク90年代オルタナティヴロックを橋渡しするような存在。このバンドの中心人物 BOB MOULD は、80年代においてはこの HUSKER DU で、そして90年代前半においては SUGAR というバンドで活躍。SUGAR はティーンエイジャーだった当時のボクにとってリアルタイム体験だったし、疾走感溢れるギターサウンドと耳に馴染みやすいメロディがパンクの枠を超える普遍性を持っているように思えて実によく聴いた。SUGAR という名前からは連想できない辛口なリフギターがとってもヘモグロビン風味の鋼鉄テイストで、同時代の DINOSAUR JR. などと一緒に聴いていたのでした。
●そんで、HUSKER DUSUGAR に比べてより厳密にハードコアパンク。そんで粗末な録音が実にジャンク。後にハッキリしてくるキャッチーなメロディはチラチラ散見されるけど、音質がガサガサしてて焦点がボヤケている分、荒削りの野生が剥き出しになって見える。しかも速くて短い。マグネシウムのように激しく輝いて一瞬で燃え尽きる。一曲2分弱の猛ダッシュ。その瞬間のハイテンションを掴む力が、今ボクが一番欲しいもの。
「ZEN ARCADE」はタイトルが「禅」に由来している?みたいで、ジャケに見えるドクドクしい色彩感覚を反映した奇妙なサイケ解釈が、殺伐としたパンクサウンドと溶け合って、よりノイジーでカオスな印象が強い。テープ逆回転なんてワザもでてくるもんね。「ハレクリシュナ」という曲タイトルも見える。収録曲の半分近くが2分以下と短いクセして、様々なアイディアが次々と立ち現れて息つく暇がない。そんで最後の楽曲「REOCCURRING DREAMS」が狂気の14分超えジャムセッション。こんなに耳障りなのに、病み付きになれる波動。



HUSKER DU の音楽には、状況をコジ開ける強さがある。
●殺伐とした音質は、お世辞にも聴きやすいだなんて思えないシロモノだけど、その粗末な環境の中で必死に自分たちの音を伝えようとしているミュージシャンたちの汗や呼吸が見える。細い坑道を這いつくばって進むような、息苦しさと逞しさがみなぎっている。先も後も真っ暗だけど、まき散らすギターの轟音で今いる場所だけは明るく照らし上げてみせる、そんな根性がココにある。強い。強い音楽だ。ココ最近の息苦しさを感じていたボクが、HUSKER DU の音楽から受け取っていたモノは、その場の苦境に対してもがく勇気、どんなにみっともなくてもくじけない覚悟、無駄だと思っても足を一歩動かす根性。
「NEW DAY RISING」の表題曲は、苦痛の通勤時間にムリヤリ耳へ注ぎ込んでた物件だ。「ニューデイ、ライジング!ニューデイ、ライジング!」という連呼が、今日というこの日に何かが起こる!何かを起こせ!と、ボクの背中を突き動かす。何が起こるかなんて全く分からない。でも望もうと望むまいと新しい日がまたやってくる。パンクとは日々覚悟を決めて前に出ること。これ強調したいです。パンクは日々を生きる覚悟の問題。



BOB MOULD は00年代に入ってからはソロ活動をメインに据えているみたい。
●ルックスとしては昔から無骨なオッサン風味で、決してカッコいいと思えるタイプじゃないよね。でもギター一本でもこの迫力。カッコイイオヤジだと思う。この動画「HOOVER DAM」はそもそも SUGAR 時代の楽曲。アメリカ・アリゾナ州にある超巨大ダムを歌ったモノ。ボクはこのウタを聴きながら、ホントにこのフーヴァーダムまで行ったことがあります。この楽曲のようにすげえースケールのダムでした。





ヤマザキマリさんもパンクでした。パンクは生活から立ちのぼる生命力。

ヤマザキマリ「PIL」

ヤマザキマリ「PIL」
●古代ローマ帝国と現代日本をおフロ文化で串刺しにしたタイムスリップギャグマンガ「テルマエ・ロマエ」で一大ブレイクを果たした作者が、その表現のルーツをかいま見せた中編。なんと主人公は、スキンヘッドの女子高生。1983年を舞台にしたその物語で、彼女はロンドンパンクにめっちゃ憧れているのだ。そう、もう予想通り。タイトルの「PIL」 JOHN LYDON のポストパンクバンド PUBLIC IMAGE LIMITED に由来しているのです。
●スキンヘッドのオンナノコも根性入ってますが、そんな孫娘に終始戸惑いまくってるオジイちゃんですらカッコイイセリフを吐きます。モヒカン頭のイイ加減な男に対して「君はそんな頭にしてブリティッシュパンクを気取っている様だが…態度が生ぬるい!!」そんで道路工事のオジさん達を指差して「あの人々を見なさい!頭の毛をおっ立てたりクギの刺さったベルトをしているわけでもない…だが彼らこそがパンクのスピリッツを生んだ真の労働者階級だ!!パンクと盗人は別もの、アーユーフェイク!」ボクらは等しく労働者だし、そんで生活者です。パンクは生活から立ちのぼる生命力。これ強調したいです。パンクは生活から立ちのぼる生命力。少女が成長するイニシエーションとしてパンクがロマンチックに機能するのも、そんなマンガや音楽を聴いて現在オッサンのボクが励まされるのも、パンクが生活者に根差した表現だからなのかもしれません。
●作者ヤマザキさんは、パンク衝動の果てに、ホントに高校2年で日本を脱出、渡欧してしまったそうです。でも行き先はロンドンではなく、イタリア。イタリアのペンパル老人マルコに「ろくな目的も持たずロンドンなんていう混沌とした街に行っても野垂死にするだけじゃ!!」と一喝されたそうです。そんでイタリアに行ってこその「テルマエ・ロマエ」ですからね…人生って不思議でステキです。



オリジナルパンク、BUZZCOCKS。バンクは独立独歩。
●マンガ「PIL」の舞台、1983年にはすでに解散してしまってたこのバンドを合わせて聴くのです。BUZZCOCKS。パンクムーブメントのど真ん中で活躍、SEX PISTOLS とも深く関係するパンクの重要な源流の1つ。

BUZZCOCKS「ANOTHER MUSIC IN A DIFFERENT KITCHEN」

BUZZCOCKS「ANOTHER MUSIC IN A DIFFERENT KITCHEN」1978年
●バンドの中心人物となる PETE SHELLY がロンドンで SEX PISTOLS のライブを見て感動、そして地元マンチェスターに戻って結成したのがこのバンド。まだ大学生だったのに、彼らは自力で SEX PISTOLS を地元に招聘してライブを二回も開催してる。一回目はお客がたったの42人と大失敗だったが、しかしそのお客の中には、後に THE SMITHS を結成する前の若き MORRISSEY JOY DIVISION/NEW ORDER を結成する BERNARD SUMNER たち、名門インディレーベル FACTORY の創設者となる TONY WILLSON、90年代に大ヒットする SIMPLY RED のボーカリスト MICK HACKNELL までいたという。オマケに二回目は自分たちが前座を務め、そのままピストルズのツアーにサポートとして同行してしまう。1977年にはファーストシングル1000枚を完全自主制作。パンクとインディは今や当たり前の密接関係。だが、自分たちでライブを企画し、自分たちで音源を制作販売する、ドゥーイットユアセルフ精神を最初に体現したのが彼ら BUZZCOCKS だったのだ。パンクは独立独歩なのです。自分の二本の足で立った上で、ソコから見えるモノヤレるコトがある。これ強調したいです。パンクは独立独歩、二本の足で立った上で見えるモノがある。
●おまえら絶対失敗すると周囲に罵られた自主制作シングルがバカ受け2万枚売上げてしまった中、とうとう登場した最初のメジャーアルバムがこちら。ビートの速度もギターの圧力もギュッと密度高くそしてカッチリコンパクトにまとまった感覚はパンクというにはポップ過ぎるかもしれない。しかし彼らの中には、60年代モッズカルチャー70年代グラムロックへの敬意がしっかり染み込んで、その楽しさセツナさも理解しているのよね。SEX PISTOLS のような露悪的な乱暴さはないが、若さが疾走しながら一丸となって突き進むパワーがマブシイ。

BUZZCOCKS「SINGLES GOING STEADY」

BUZZCOCKS「SINGLES GOING STEADY」1977~1980年
●バブルのように弾けていったロンドンパンクの喧噪とは一線を画した場所(つまり田舎のマンチェスター)で音楽性を伸ばしていった BUZZCOCKS は、地力のシッカリしたソングライティングで実にキャッチーな曲を量産しました。1981年で一回解散してしまうまでの短い活動期間にリリースしたシングルがここにテンコモリ。ボクのCDは2001年のリマスターものなので、ボーナストラック含めて24曲も収録してるおトク仕様。このバンドのチャーミングさがよりクッキリ伝わります。「EVEN FALLEN IN LOVE」はマジで名曲だな…。
SEX PISTOLS に触発されながらも独自路線を自力で切り拓いた彼らを、あの永遠の悪童 JOHN LYDON ですら一種の敬意を以て認識している(自伝の中で「BUZZCOCKS はナンの二番煎じでもなく、自分の世界を持っている」と言ってる)し、前述した HUSKER DU BOB MOULD も影響を受けたコトを明言してるそうです。





パンクならぬ、サイバーパンク。「AKIRA」をコドモに見せてみた。

「AKIRA」/監督:大友克洋

「AKIRA」/監督:大友克洋
スタジオジブリのように善意に満ちあふれているアニメに親しんでいる我が家のコドモたちに、そろそろビターな刺激も与えようかと思い、わざわざこんなのレンタルしてきました。自らのサイキックパワーが暴走するのを食い止められずグロテスクな巨大怪物に変貌する鉄雄の姿に驚愕しまくりの小学生2名。もちろんボクの書架には単行本全巻が揃ってるので、ソチラも合わせて読ませました。ノマドはマンガに食いついて「やべー!すげー!やべー!」を連呼してました。ヒヨコは普段読んでる自分のマンガと大友克洋の筆致が違い過ぎてくたびれてました。彼女の愛読書「メイちゃんの執事」はこんなに背景を描き込んでません。密度がチガウ。ページをめくれば必ず誰かが機関銃でハチの巣にされたりサイキックで頭がカチ割れたりしています。こんなに死人が出るマンガは初めて遭遇するのでしょう。「この人、ワルい人?イイ人?」 このマンガではイイもワルいも関係なく簡単に人が死ぬの。.....
アキラが引き起こす巨大な爆発で東京は度々破滅するのですが、コレが「エヴァンゲリオン」でいうトコロの「セカンド/サードインパクト」と印象がダブるのよね。既存の東京が崩壊した後に、東京湾を全面的に埋め立てて開発された「AKIRA」ネオ東京は、それをさらに乗り越えたカタチでデザインされた「エヴァ」第三東京市@箱根を連想させる。80年代に描かれた作品なのに21世紀少年のノマドヒヨコにもアピールする力は、その遺伝子が現在のクリエイティブにも大きく影響しているからなのだろう。ちなみに、深紅のバイクを駆る主人公・金田少年は2003年生まれの設定。娘ヒヨコと同じ年。

作者・大友克洋は、1954年生まれの57歳。
●…ちなみに、BUZZCOCKS PETE SHELLY は56歳。HUSKER DU BOB MOULD で50歳。パンクは70年代と80年代の切れ目に発生したムーブメントで、70年代~80年代をまたいでキャリアを起こしたサイバーパンク作家・大友克洋の立場と相性がイイはず。大友さん、時代感覚はワリとパンク世代と一緒なんだろな。そしてソコには80年代の空気と70年代の空気が入り交じってる。
サイバーパンクや東西冷戦状況などなど、クールな80年代の雰囲気を目一杯吸い込んでると見せかけて、大友自身から見るとやや上の世代、全共闘時代のモチーフも「AKIRA」世界にはフツウに登場する。ココでは反政府デモ(と当局との流血乱闘)はデフォルトの行為。メットに覆面タオル、鉄パイプで武装&機動隊と格闘、そんで爆弾テロ、火炎瓶に催涙ガス。左翼的アジ看板ロゴセンス。熱い政治の季節の燃えカスが残ってる。
●そんな「AKIRA」を今回再読してジンワリ感じたのは、9月に各地で行われた「反原発デモ」(~高円寺「素人の乱」もあえて含めちゃう)みたいなイベントが、雰囲気として当たり前だった時代がかつて日本にはあり(しかもソレが80年代まで食い込むカタチで残っており)、それが大友のようなパンク/サイバーパンクアーティストの表現にフツウに忍び込んでるというコト。そんでさらにいえば、反対に今の日本がそこからメチャメチャ遠ざかってしまっているコトだ。

●ボクの中では、パンクとサイバーパンクは、必ずしも政治的な問題を扱う表現ではない、ソレに向いている表現でもない、と思ってます。しかし、チョイチョイ政治的テーマがフツウに顔を出してくるのも事実でして。結果として、実は70年代~80年代はフツウに政治的テーマが今よりもズッと身近に語られる雰囲気があって、パンクスたちが無教養であろうと用意もなくそんな領域に踏み込める余地が自然に存在してた、というコトに思い至りました。SEX PISTOLS はファーストアルバムドアタマ一曲目「さらばベルリンの陽(HOLIDAY IN THE SUN)」から東西冷戦をデカイ声で歌ってましたし、フツウにマルクスとかの左翼イメージを衣装に入れ込んだりしてました。

翻って現代今日。パンクスでも語れる政治って気分は、今の日本からは消えてる。
●反政府デモがフツウの風景のように説明ヌキで描かれてるパンク/サイバーパンク「AKIRA」世界と、デモが「空気ヨメナイ行為」と受け取られかねない今の時代。コレ、十数年ぶりに「AKIRA」読んで初めて気づくコトができたギャップです。9/19の反原発6万人デモは見事だったとボクは思うけど、アンチな人たちも大勢いるのも事実。デモはウルサい、邪魔だ、迷惑だ、とフツウに言えちゃう人もいる。政治的テーマに明白な主張を持つのがコワい人、主張を持ってる人がコワい人ってのがたくさんいる。むしろソコがビックリした。まーネット経由でそんなボヤキが聴こえるコト自体が2010年代状況といえなくもないけど。ただ、一方で、3/11以降でナニかが変わっている。6万人のデモはその突端になるような気がしている。

●ボクは、パンクを「反体制の音楽」みたいな言葉でククリたくないんです。それはパンクという表現が持つ多様性を、矮小化してしまうようなイメージがあるから。パンクの表現はもっと豊かで「反体制」以上の批評性を持つ瞬間もあると思うのです。「反体制」という言葉で<政治的>なモノに引き寄せると、その表現は一気に色褪せてしまう。

●それを前提にしつつも…。

パンクは、モノゴトの本質をシンプルに研ぎ澄まします。
「AKIRA」は、東京を滅ぼし世界を戦争に巻き込んだ不可知のパワー=「アキラ」を巡り、様々な勢力がシノギを削りながら戦い続ける群像劇であります。その意味では、「原子力エネルギー」を巡り様々な思惑が錯綜する2010年代日本に実はキリキリとシンクロしてます。人類が手に負えないパワーを生み出してしまった…それにどうオトシマエをつけるか/つけないか、コレが大テーマであります。
●しかし物語の軸になる主人公・金田は、実にシンプルな男であります。特に思想はないけれど、見事な反射神経とド根性で、あらゆるピンチをかいくぐり見事世界を危機から救います。「俺達ァ健康優良不良少年だぜ」という名セリフもありますが、恐ろしくドス黒いディストピアの悪夢になりかねない作品「AKIRA」を、一気にヘルシーな痛快譚に変えるのは金田の存在です。
時にパンクの表現は、込み入った問題をシンプルな形態に変換します。THE BLUE HEARTS 「リンダリンダ」が小学3年生の我が娘ヒヨコにアピールするように、そして今年二十歳つまり1990年生まれで東西冷戦なんて知るはずがないカフェのバイト青年が SEX PISTOLS「さらばベルリンの陽」に魅せられるように、時代を越えたシンプルさを持ち得ます。シンプルが故に、素晴らしい強度を持つ表現になります。<政治的>で複雑な問題すらもシンプルに解きほぐす強さ。これはパンクが持つ大きな力だと思います。コレ強調したいと思います。パンクは、モノゴトの本質をシンプルに研ぎ澄まします。

で、「反原発」も実はシンプル。
●そりゃモチロン、難しい問題ですよ。ただメッセージはシンプル。「反原発」。実現するかどうかなんて…現実味があるかどうかなんて…日本経済や日本社会にどんなメリットデメリットをもたらすかなんて…デモに実効力があるかなんて…誰も確かなコトはわからない。本当にわからない。ただし、ナニかがヒッカカル。ナニかが頭の中で胸の中で腹の中でヒッカカル。このイレギュラーな事態に反応する感情がある。物理的にナニかを奪われた人がいる、ナニかを失った人がいる、ナニかに追いつめられた人がいる。その感覚に忠実になる……。結果、6万人が一カ所に集うというシンプルなパフォーマンスがなされる。このデモという表現/パフォーマンスとしてのシンプルさ。コレが強い。ボクの中では、コレはパンクとシンクロします。

パンクは日々を生きる覚悟の問題。
パンクは生活から立ちのぼる生命力。
パンクは独立独歩。二本の足で立った上で見えるモノがある。

●コレは、今日ボクがパンクに対して立ち上げたテーゼですが、実は「パンク」という言葉を「反原発」と置き換えてもシックリきたりしちゃいます。ボクの考える3つのパンクのテーゼは、結果的に個人単位の生活レベルまで問題を感覚化させますから、自然と「問題をシンプルに研ぎ澄ます」方向に流れていくのです。そして、現代日本のエネルギー問題も、もはや感覚の問題を抜きにデキナイレベルに到達したという意味で、実にパンクと相性がよい状況となってしまった。ロジックの部分ではこの問題は反対~推進の間に百者百様のグラデーションができるはず、なのに6万人の人間はそのロジック部分を乗り越えて連帯してしまった。シンプルな部分でつながってしまった。そのコトが重要であります。

●「反原発デモ」とパンクが、現段階でカンケイがあるかといえばカンケイないと思います。ただ、3/11以降にナニかが変わり、スタイルとしては30年前のフォーマットとなるパンク表現と今の時代がシンクロを始めた、そんな気配を、皮膚感覚として受け止めています。この先でナニが起こるか?注意しなければなりません。



140人の連帯、合唱音楽。
芸能山城組「輪廻交響曲」
芸能山城組「輪廻交響曲」1986年
芸能山城組は、映画「ARIKA」のサントラを手掛けた音楽集団だ。140人ばかりのアマチュア集団を束ねて編み出すポリリズミックな合唱と古今東西の伝統音楽をハイブリットさせて特殊な音楽空間を作り出す。インドネシアのガムラン音楽から、ブルガリア、中央アジア、アフリカ、日本の民俗音楽などの様々なモチーフが立ち現れては、曼荼羅のような摩訶不思議な世界を立ちのぼらせる。 プロアマの境を超えて連帯の力が強烈なクリエイティヴに結実するという実例がココにも現れている。
●この作品はサントラ「AKIRA」の前にリリースされたアルバム。最初期5枚のアルバムは、故・中村とうよう氏の猛烈なプッシュとプロデュースでリリースされたという。



●コレは余談だけど、宮崎あおいちゃん、別の CM でビールをオイシそうに飲んでました。娘ヒヨコ、コレを観て「えー、このオネエサン、大人だったんだ!」 …一応ケッコンもしてる女性なのよ。パンクを歌ってると、コドモっぽく見えるのかな。パンクは人を青少年に変えるのか。コレ強調したいです。パンクは永遠の青少年。

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