祖母が突然亡くなってしまいました。

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ツギおばあさん。満85歳。心筋梗塞を起こして一瞬にして逝ってしまった。あまりに突然過ぎて、多分本人も自分が死んだコトに気づかなかったほどだろう。
●たいした持病もなく、元来活発だったツギさんは、その日も地域の日本舞踊の催しに参加して、午前中から昼にかけて踊りを踊っていたのだ。ただちょっと違ったコトと言えば、普段ならお茶を飲みながら仲間と談笑して午後を過ごすトコロを「セナカが痛いのよね」とツブヤキながら早めに上がったというコトだけ。そして直後の家への帰り道、自動車を運転していた時に彼女の心臓は止まった。意識を失ったツギさんの車は脇道からよろよろと大通りに出て、通りかかりの自動車に衝突。バンパーが凹む程度の事故で先方にもけが人はなかったが、この段階で彼女は完全に死んでしまっていたのだ。

栃木県の奥地へ向かうボクとワイフとコドモたち。
ツギさんの暮らす町は、栃木県と茨城県の県境エリア。東北本線から細く枝分かれした小さいローカル線のドン詰まりまで行った場所にある。会社学校を早退した我が一家は、新幹線で宇都宮まで行ってそこから二両編成ワンマン車両に乗換え。15両編成の立派な列車も使用する長いホームに、チンマリたたずむローカル線の使い込まれた佇まいに都会暮らしのコドモたちはビックリ。お客がドアをボタンで開閉する仕組みや、見慣れない整理券発行機、ディーゼルエンジンの聞き慣れない大きな駆動音、いくつもの無人駅、パスモスイカは使えない旨を伝える車内アナウンスにドキドキ。車内にはツギさんよりも年長のお年寄りと中高生(ヤンキー風含む)だけ…モータリゼーションから隔絶されたタイプの人しか利用してないのねこの路線。ツギさんは死ぬ瞬間までモータリゼーションの中にいたんだから立派なもんだ。

夕方に、ツギさんの側で暮らす叔父の家に到着。
●着いた瞬間に出くわしたのが、納棺の儀式。あの映画「おくりびと」のシーンだ。女性納棺師がてきぱきとした手順でフトンに寝かされたツギさんの遺体を拭き清め、白装束に着替えさせる。ツギさんは本当に眠っているだけ、のように一瞬は見えたが、実は検死の段取りの中でカチンコチンのドライアイス漬けになっており、霜が降りたようになっていた。…今回は実に整然とした納棺だった…16年前に亡くなった祖父・シズオの葬儀は「隣組」のオジサン達が仕切る自宅葬だったから、親戚でもないオジサン達があーでもないこーでもないと議論をしながら遺体をくるくる回して棺に押し込めた記憶がある。葬儀屋さんが入ると実にスマートだ。
ツギさんには、なんと7人のきょうだいがおりまして。だって次女という理由で名前が「ツギ」なくらいだから。話では聞いていたがこの姉妹弟全員が揃ったのを見たのはコレが生まれて初めてだった。向こうから見ればボクの記憶などボクの息子ノマドくらいの年齢で止まっているので一からアイサツしまくりだ。コッチも必死で記憶をひねり出す…このオジさんオバさんは隣町で牛乳屋さんをしてるはず…こちらは川口で町工場…こちらは練馬でタクシー運転手…このオバさんは伊豆で美容院をしてるんだっけ?このオジさんは民謡の名手で全国大会で活躍してたなあ…ワイフにしてみれば全員初対面の完全アウェイだがノマドヒヨコが愛想良くアイサツをしてくれるので助かった。
●通夜が終わって座敷でこの親戚一同が大昔の話をする。脳卒中の後遺症で少々言葉がおぼつかないオジサンが戦争の話をボクに聞かせるがイマイチよくわからんなあと思ってたら、なんと「日露戦争」の話だった。ボクのヒイヒイじいさんとヒイヒイヒイじいさんの話らしい。つーか江戸時代の話も混じってる。

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さて、ボクもちょっと昔の話を探ってみようと思う。ツギさんの生きた時代。
●その日、ボクらは亡くなったツギさんの暮らしてた家に泊まった。ツギさんは当たり前だが全く自分が死ぬなどとは考えてなかったので、みそ汁と温かいゴハンの準備がシッカリ整っていたと、ツギさん急死直後に家を訪れた叔父が話していた。いつ死んでもイイように、身の回りはキチンと整えておこうとボクも思ったね。そんな整理整頓が行き届いた家の中で、ドッサリと古いアルバムがワリと手に届きやすい場所に並んでいた。ココに興味深い写真がたくさんあったのだ。

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ツギさん、おそらく17歳の頃。これどう?かわいくないですか?
ツギさんは大正15年(=昭和元年、1926年)生まれ。だから昭和の年数がそのまま年齢にシンクロする。昭和17年=1942年。栃木県の山奥にある故郷の中学校を卒業した後、この時期は都会の工場で事務の仕事に携わっていたようだ。目鼻立ちがハッキリしたこのカオのタイプが、当時の美的価値観に合致してたかどうか?もっと日本風で切れ長の目の方がウケがよかったのか?ただし、ウチの娘ヒヨコの丸顔傾向はこのツギさん由来の遺伝なのでは?と感じたりもした。

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これも同時期、1942年ごろのツギさん17歳頃。
●川崎の工場に務めていたそうで、これは多摩川で撮影された写真。太平洋戦争が始まっていたこの時期には、勤労奉仕で軍需工場に行ってたような写真もある。アルバムに記された手書きのキャプションには進学したという気配がない…そういう時代だったのかな?

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ツギさん(右側)、さらに若いです、当時15歳。1940年。
●中学生時代…しかも卒業の時期の写真のよう。時代は完全にモンペ。同時期の男性は本当に国民服ばかりです。当時は排球部(つまりバレーボール)に所属していたみたい。かなり大型のチョウチンブルマ体操服の集合写真もあった。

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●これは当時の運動会の写真。女子はブルマです。あー時代だねー、と感心したのは万国旗。フツウにナチスドイツの旗が混じってる。まー当時は同盟国だもんね。ツギさんがどこに写っているかは分からない。

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これは、ツギさんの姉、ハツエさんの写真(右から二番目)。
ツギさんから二歳年長の姉ハツエさん…長女がハツエで次女がツギ、コレに続く三女がミツコさんなんですよ、すごいネーミングでしょ。…いやいやソコがポイントではなく、ココにも戦争の気分が写っています。微妙にトロピカルな風景、この写真が撮られた場所は中国の南端方面・海南島ハツエさんは戦時中、通信士としてこの地まで赴いておりました。多分19~20歳ごろか?

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さて、ツギさんの伴侶となった、ボクの祖父・シズオさんの写真だ。
●これがいつ頃撮影されたのかはワカラナイ。シズオさんは関東軍のトラック運転手として満州に出征していた男だ。当時のトラック運転手はそこそこの技術者扱いで、死なれたら誰も車両を動かせなくなるという理由で周囲から大事に守ってもらえたと語っていたという。しかし戦況が悪化する戦争末期に内地へ配置換え、沖縄戦や本土決戦のヤバい現場に送り込まれるその準備の中、終戦を迎えた。宇都宮駐屯地で除隊になった後、彼は故郷の静岡に帰らずにそのまま栃木県に居着いて、民間のトラックドライバーとして働き始める。その頃に知り合ったのがツギさんだったようだ。そして、1995年に亡くなる。下の写真は、ツギさんの家に掲げられていたシズオさん最晩年の写真。

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「オバさんと呼ばれたい 34年2月 精一さん写ス」。
ツギさんのアルバムは、戦中のティーンエイジャー期の写真から、20歳代を完全にすっ飛ばして30歳代にワープしてしまう。終戦直後はこんなに田舎の山奥でも社会が混乱していたのか、シズオさんとの結婚写真すら残っていない。非常に残念。この時代、1948年に長男であるボクの父親、そして1952年と1956年に叔父を二人生む。
●そんで1959年、33歳のツギさんの写真がコレ。本人手書きのキャプションが「オバさんと呼ばれたい 34年2月 精一さん写ス」。それでもボクの今の年齢よりもまだ若いツギさん。髪型と割烹着がサザエさん&フネさんを連想させる。今の時代この年齢で「オバさんと呼ばれたい」はナイでしょ。「40代女子」って言葉があるくらいだし。ちなみに撮影者である精一さんはシズオさんの年離れた弟で当時は大学生?だったはず。彼が登場しないと写真がないということは、彼だけがカメラを持っていたんだと思う。精一さんも既に故人。

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●ボクの父親と二人の叔父。多分11歳、7歳、3歳。ボクの息子ノマドが現在10歳。自分の父親が自分の息子と同世代の写真を見るってのは奇妙な感覚だ。でもソレゾレが今でもこの時の面影を残してソレゾレがジイ様になっている。


実はこれらの写真はみんなとても小さく、そして色も不安定だ。三センチ四方程度の写真もある。
●時間もない滞在だったので、片っ端から携帯電話の接写モードで撮影し、それをPCでトリミングしたり拡大したりしてみた。時間があればもっとちゃんとスキャンしたいし、他にももっと写真が発掘される気配もあった。人が1人亡くなるということは、スゴい量の情報が失われるというコトだ。もうこの写真に写された時代を語ってくれる人はいない。

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ただし、後の世代に少しでもその記憶を繋ぎたい。
●だからボクは、お葬式などの節目にはボクは積極的に自分のコドモたちを引っ張り出す。人の死に触れて、イロイロな親戚に会って、コイツラなりの記憶をちゃんと焼き付けるというか。そうでなけでばナニも伝わらないから。
●そもそもコイツラは完全な21世紀少年少女なので、このツギさんが暮らした家にすらビックリすることが多い。我が家は畳がないので、この畳がそもそも珍しい。畳の目に沿って足を滑らせて華麗なターンやスピンを楽しむ。そんでこのコタツ。ホリゴタツというモノをコイツラ生まれて初めて体験。モグって遊んで怒られたりしてる。ユカイである。



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