「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」@東京国立近代美術館、に行ってきた。

ジャクソンポロック展チケット

●会社でタダ券もらったので。雨の竹橋をトコトコ一人歩いて。
ポロックといえば、あの「アクションペインティング」しかイメージになくて。ペンキをデタラメにブチまくアレね。アレ以外の絵を描いているんだろうか?本当にアレだけなのだろうか?そんな素朴な疑問だけでフラフラ立ち寄ってみた、って感じ。

●で、当然、アレだけじゃナイわけでした。ブレイク以前、1930年代〜40年代のポロックは、ピカソをはじめとしたモダンアートの影響をモリモリと吸収しようとしてて。そしてアメリカ人作家としてのアイデンティティを探っているのか、ネイティブアメリカンの芸術にも足を踏み込んでて。そのモダンアートと先住民美術のマッチングは、ピカソがアフリカ美術にハマった感じと相似してる気分。
●そんな作業の中で発明したのが「ポーリング」という手法。トロトロの塗料をハケで画面にパラパラ飛び散らせたりタラタラたらしたり。ソレがいつしか画面の全体を覆うようになり、具象イメージが消え失せて、画面の中の「中心/部分」という区別すらなくなってしまう。ある意味でハードコアな抽象表現の究極に到達したポロックのスタイルはドカンと注目を浴びるようになる。それが1947年の頃。

インディアンレッドの地の壁画

ジャクソンポロック ジャクソンポロック2
(創作中のジャクソン・ポロック)   (ジャクソン・ポロックはハゲでアブラギッシュ)

ポロックの制作中の様子を映したフィルムの上映を見た。
●やや若ハゲ気味?頭頂部がすっかりサッパリ髪の毛がなくなった彼の顔はとてもギラギラしてて、そのアブラギッシュな印象は芸術家というより工場の職人とか農家のオッサンな気分が漂うのよね。ニューヨークからわざわざ引っ越したロードアイランドにある彼のアトリエ周辺はどう見てもド田舎で、床の上にドベッと寝かされた作品に対して必死にペンキをピトピト振りまいているその様子は、創作というより苗床への水まきとか稲刈りとか、腰を曲げての肉体労働作業みたいに思えてくる。ワザワザ作業を始める前に、ペンキに汚れてもイイ粗末な靴に履き替えるトコロとかが実に所帯染みてて味わい深い。つまりね、抽象美術にアリガチなイケ好かない頭でっかちエリート気分とは無縁の、肉体労働者な実直さがポロックのオーラってコトが言いたいんです。実はその作品に200億の値段がついちゃう今の評価はさておいて、リアルなポロックには親近感を感じる。

描けなくなって、飲酒運転で事故ッて死ぬ44歳。
●自分の作風を完成させてしまった50年代のポロックは、そこから更に進化するためにアレコレを工夫するのだがどうしてもうまくイカナイ…。カラフルな生命力に溢れる全盛期の作風から、下塗りもしない無地のキャンパスに真っ黒なペンキをブチまく、少し陰鬱な作風に移行していく。元々アル中体質だったのに最後の二年はろくに絵も描けなくなって、完全に酒にハマってしまう。そんで44歳で事故死。
●一旦、その究極に到達してしまったが故に、その先を見失ってしまった男の末期。彼は天才肌というタイプの作家ではなかった気がする。実は実直に1つ1つのステップを踏みしめて、モガキ苦しみながら自分の画風を獲得していった男。ポロックのブレイクは、美術の最前線がヨーロッパからアメリカに移動したコトを象徴した事件でもあった。そんな周囲の期待の中で、次の自分を更新できずに自滅した孤独なヒーロー。そんな印象が残った。

ジャクソンポロックのアトリエ

ポロックのアトリエ。
●その床は、ペンキブチまけ過ぎで、彼の作品と同じような状態になってしまってる。これはとりもなおさず、ポロック自身の肉体労働の生々しい記録。決して抽象化されない、ポロック自身の格闘の痕跡。どんな作品よりも、このアトリエの様子に、実は感動してしまった。





グランジ再訪。シアトルグランジをメインで行きます。

90年代グランジは、ボクの音楽的故郷。90年にボクは高校1年生で、音楽に一番多感だった頃にグランジムーブメントに出会った。NIRVANA、SONIC YOUTH、DINASOUR JR. などなど。今でもグランジの美学はボクの人生観に影響を持ってる。グランジとは「汚れている」「薄汚い」という意味の言葉。虚飾を取り除いて自分の心に正直であれ、常に身の丈にあったモノを選べ、自分の事は自分でやれ、ファッションはホドホドのドレスダウンで、髪型はボサボサ頭で。
グランジの起源はアメリカ・ワシントン州シアトルという街。アメリカ西海岸の北のハジッコ、カナダと国境を接するアタリにありますのがワシントン州。アメリカの首都ワシントンDCとは違います。カナダのキレイな街バンクーバーの近所にあたる場所、ここの中心都市がシアトルです。実際に行った事もあるのですが、この街もとてもキレイです。航空機メーカー最大大手ボーイングの工場があって、クラムチャウダーが名物で、スターバックスコーヒーの発祥の地でもあります。音楽的な歴史としては、JIMI HENDLIX の生まれ故郷だったコトとか…。しかし、ソレ以外でこの土地が注目されるコトはほとんどありませんでした。
ソコに80年代後半アタリにはハードロックとパンクがナイマゼになったロックシーンがこの街で発達するのです。なぜこのシアトルに特別なインディロックシーンが出来たのか?その理由はよくわかりません…外部と交流がナイからこそ濃いコミュニティ意識が出来たのかも?

●で、久しぶりに当時の音楽を、まとめて聴く。最近のボクの気分はちょっとロック気味なのだ。



まずは、PEARL JAM 。

PEARL JAM「TEN」

PEARL JAM「TEN」1991年
PEARL JAM は、実はリアルタイムでハマれなかった音楽だ。NIRVANA と並び立つシアトルグランジの一大ブレイクバンドだったはず。でも実はその音楽は古典的なハードロックに比較的しっかり忠実で、NIRVANA SONIC YOUTH といった連中が持ってたパンクの再解釈/新規更新というスリリングな音楽実験という部分を持ってなかった。そこが当時のボクには実は退屈だった。しかし冷静に振返るとグランジはハードロック復古運動という側面も少なからずあるのが事実、実際 SOUNDGARDEN のようなシアトルグランジの大物なんてズバリ70年代ハードロック以外のナニモノでもなかったりする。当時はナニかと NIRVANAPEARL JAM を比較して「ドッチが優れてる?」的な言説が多かったのも覚えている…その雰囲気の中でボクは NIRVANA を選んでいたんだろう。
●でも20年近く時間をかけて、改めてアルバムに向き合ってみると、なかなかコレが悪くない。ツインギターが分厚く展開するバンドサウンドは荒々しく、ソコに独特の激しさと色気を感じさせるボーカリスト EDDIE VEDDER の声が加わると、あっという間にタフでワイルドなハードロックの出来上がり。80年代に確立したハードロックの様式美みたいなモノ(オオゲサなギターソロとかケバケバしいルックスとか)がスッパリ排除されてるトコロが気持ちイイ。ボクのCDは日本盤なので、ボーナストラックに THE BEATLES「I'VE GOT A FEELING」のカバーが入ってる。ラフなようでセクシーな仕上がりがナイス!

PEARL JAM「VS.」

PEARL JAM「VS.」1993年
アルバムの出来で言えば、デビューアルバム「TEN」よりもコチラ「VS.」の方が圧倒的にカッコイイ。ギターリフがバキバキザキザキと歯切れがヨイからか?バンド全体に突進力があってよりパワフルに響くからか?表現の幅が広がって多様なアプローチが含まれてるからか?(オープニングチューン「GO」から始まる前半数曲の勢い余るワイルドさはグランジのイメージを見事に体現してるし、「W.M.A.」という曲のアフリカ由来を連想させるポリリズミックグルーヴは実にエキセントリックでカッコイイよ。)そんなサウンドをデザインしたプロデューサーが BRENDAN O'BRIEN だからか?
●この BRENDAN O'BRIEN という人物はその後の PEARL JAM の全てのアルバムに関わってるし、90年代を代表するオルタナティブロックの名盤を多く手掛けてる。RED HOT CHILLI PEPPERS「BLACK SUGAR SEX MAJIK」、SOUNDGARDEN「SUPERUNKNOWN」、RAGE AGAINST THE MACHINE「EVIL EMPIRE」「THE BATTLE OF LOS ANGELES」、その他 LIMP BIZKIT、KORN、STONE TEMPLE PILOTS、INCUBUS、THE OFFSPRING、THE BLACK CROWES などなど。

PEARL JAM「VITALOGY」

PEARL JAM「VITALOGY」1994年
「VITALOGY」…たしか邦題で「生命学」という副題がついてたと思う。1994年は NIRVANA のフロントマン KURT COBAIN がショットガンで頭を打ち抜いて自殺した年。 NIRVANA とナニかとライバル扱いされていた PEARL JAM がこんなアルバムタイトルを打ち出してきたのは「ヤツのようにオレは死んだりしない!」という決意表明だったと当時のボクは受け取った。実際の EDDIE VEDDER KURT COBAIN の死に深く傷つき引退を考えるほどだったと言いますが。
●パワフルなリフロックがよりシンプルになって、パンクの躍動感に接近した気分がある。シングル曲「SPIN THE BLACK CIRCLE」はその当時から大分ハマりました。シンプルに激しく加熱するロック!SPIN!SPIN!SPIN THE BLACK CIRCLE!SPIN!SPIN!SPIN THE BLACK!SPIN THE BLACK!とにかくレコードを回せ!ただソレだけの曲!

PEARL JAM「DALLAS TEXAS OCTOBER 17 2000」
PEARL JAM「DALLAS TEXAS OCTOBER 17 2000」2003年
PEARL JAM海賊盤対策のために、ワザワザ「OFFICIAL BOOTLEG」なるシリーズを打ち出して、ツアーの様子を収録したライブレコーディングをことごとくリリースしてる。コレはその第一発目のリリース、2000年「BIANUAL TOUR」の様子を収録したライブ盤。このツアーだけで72枚も彼らはCDをリリースしてる。タイトルを見てのとおりコレはテキサス州ダラスで行われた10月17日のライブなんだけど、翌日行われたテキサスの別の街のライブも、4日前と3日前に行われたダラスの別の会場のライブもわざわざリリースされてる。現在このシリーズは全部で300枚越えてるとな。海賊盤憎し!と言えどココまで徹底するのはスゴ過ぎる。このシリーズが登場した当時はタワーレコードの PEARL JAM 売場にこの無愛想な紙ジャケがドサッと並べられてて結構気色悪く見えてたのを覚えてる。
●主張の激しいロックバンド PEARL JAM は、アメリカのチケット販売大手 TICKETMASTER「独占的な立場を利用して不当にチケットが高くしてるぜ」と訴えたり、反ブッシュ論陣を張ったり、環境問題にコミットしたりと、ナンデモカンデモ一生懸命な活動をしている。本当にマジメな人たちなんだなと、思うのです。



シアトルグランジには ALICE IN CHAINS というバンドもいましたね。

ALICE IN CHAINS「DIRT」

ALICE IN CHAINS「DIRT」1992年
●このバンドもシアトルグランジなんですよね。ヘヴィメタルの気配さえ感じる音楽デザインは、一際陰鬱で禍々しい感じがする。「グランジは暗い」というイメージは当時確かにあった。負の感情を絶叫する事で、80年代の明るい気分を一層してしまおうとする雰囲気。KURT COBAIN の自殺の後はそのイメージが決定的になりました。このバンドのボーカリスト LAYNE STALEYヒドいヘロイン中毒で身を持ち崩し、結果的に2002年に命を落とします。ヘロイン脳から滲み出るダークな世界です。呪術的にドロンドロン響くドラムとダークなリフロックに、悪魔のようなボーカル。あー気分が暗くなる。

ALICE IN CHAINS「JAR OF FLIES」

ALICE IN CHAINS「JAR OF FLIES」1994年
●ハエの瓶詰め、という悪趣味なジャケ。「DIRT」を受けて行われた世界ツアーとオルタナ系ロックフェス「LOLLAPALOOZA」への出演を経て久しぶりに故郷シアトルに帰ってみたら、なんと家賃滞納で家がなくなってたコトに気付いたバンド一同。ガックリ気分でスタジオに入り、ノープランでアコギをイジくってたら出来てしまった音源がコレ。結局のトコロ、コレも実に陰鬱。ドラムとベースが加わればシッカリダークになる。

ALICE IN CHAINS「UNPLUGGED」

ALICE IN CHAINS「UNPLUGGED」1996年
●本来はあまり興味の持てないこのバンドの音楽をチェックしてみようと思ったのは、このアンプラグドライブが意外な程よかったから。実にダウナーなサイケフォークアレンジと粘着質なボーカルが相まって、鬱屈たる空気感をドヨヨンと醸し出してる。ダメダメな倦怠感に浸りながら、気だるく惰眠を貪るのに格好なBGMになる。
●このアルバムの後に、ボーカル LAYNE STALEY のヘロイン中毒がどーしょーもない状態になり、バンドは長い活動休止状態に。そしてそのまま LAYNE2002年にオーバードーズで死んでしまう。しかしその後バンドは新ボーカリストを採用して2005年に再始動しております。



シアトルグランジ、まだまだ重要アーティストがいっぱい。

MUDHONEY「EVERY GOOD BOY DESERVES FUDGE..」

MUDHONEY「EVERY GOOD BOY DESERVES FUDGE..」1991年
シアトルグランジのシーンの中心になったのが、インディレーベル SUB POP。インディロックのファンジンを作ってた男が立ち上げたレーベルで、ココを足がかりにして多くのバンドが世に出ました。当然一番有名なのがあの NIRVANA。ココからキャリアを起こして世界的大ブレイクを果たします。しかしむしろバンドとしては彼らは後発だった方。1984年結成の MUDHONEY NIRVANA から見ると同じレーベル SUB POP の先輩格です。また実は PEARL JAM MUDHONEY は兄弟のような関係のバンドでもあります。かつて存在した GREEN RIVER というバンドが分裂して、片方が PEARL JAM へと進化。もう片方が MUDHONEY になったという経緯。
●音楽の雰囲気で言えば、今日取り上げてる音源の中でコレがボクにとって一番のグランジであります。ハードロックとハードコアパンクの折衷でありながらどこかスカスカした印象。薄汚れたサウンドの粗末さ安っぽさ技術の拙さ加減が実に独特。結果として奇妙な愛嬌が滲み出てくる。洗練とはホド遠い投げやりな脱力感覚がグランジの醍醐味とボクは信じております。

MELVINS「STONER WITCH」

MELVINS「STONER WITCH」1994年
NIRVANAKURT COBAIN が敬愛して止まなかった先輩格の3人組バンドであります。NIRVANA 大ブレイクへの足がかりとなった SUB POP 発のアルバム「BREACH」でドラムを叩いているのはこのバンドのドラマーだし、後に NIRVANA に加わったドラマー DAVE GLOHL(そんで現 FOO FIGHTERS の中心人物ね) を KURT COBAIN に紹介したのも彼らであります。前述の MUDHONEY ともメンバー交流があったりしてます。まさしくシーンの顔役ね。
●結成は1983年。BLACK SABBATH のヘヴィネスとハードコアパンクの爆発力を結合したスタイルはまさしくディス・イズ・グランジ。一方でメチャメチャテンポを下げてオドロオドロしい重低音リフをゴリゴリと響かせるスタイル、いわゆるストーナーロックのアプローチも非常に特徴的であります。ていうか重たいベースラインのみの反復だけで9分ぐらい持たせちゃう。このヤリ過ぎは悪フザケなのか?実験精神なのか?結果彼らの美学はドゥームメタルとかスラッジメタルとかドローンメタルとか呼ばれる領域まで到達してしまいます。



パワーポップ職人、MATTHEW SWEET。

MATTHEW SWEET「100% FUN」

MATTHEW SWEET「100% FUN」1995年
MATTHEW SWEETグランジかというと微妙。メロディがハッキリしていて明るい彼の音楽は当時からパワーポップと呼ばれていたから。そもそもシアトルじゃないし。でも1990年にブレイクして、ラウドなギターを鳴らしまくってた彼は明らかにグランジにシンクロしてたオルタナティブロックのアーティストだった。プロデューサーは PEARL JAM の時に触れた BRENDAN O'BRIEN。
●当時から大変な知日家として知られてて、自分のビデオクリップに日本のマンガやアニメ(寺沢武一「コブラ」高橋留美子「うる星やつら」)を用いて海外オタクの先駆として注目されてました。ラムちゃんのタトゥーを入れちゃったコトなどに、ボクはメッチャ親近感持ったもんね。リアルタイムでいうとこの一枚前のアルバム「ALTERD BEAST」にハマったなあ。

MATTHEW SWEET「SUNSHINE LIES」

MATTHEW SWEET「SUNSHINE LIES」2008年
●90年代前半にブレイクした後、前述の「100% FUN」以降の MATTHEW SWEET はナニゲに失速気味。THE THORNS というバンドを組んでみたりなんてコトもしてたけど…。でも実は堅実に自分のスタジオを作ってコンスタントに作品作りを続けている。実は90年代のブレイクの頃から繋いできた縁で、ユニークなミュージシャンといっぱい仕事しており、このアルバムにもその人脈が大勢見える。TELEVISION のギタリスト RICHARD LLOYD、RICHARD HELL & THE VOIDOIDS のメンバー ROBERT QUINE、THE BANGLES のボーカル SUZANNE HOFFS とか。
●チャーミングなボーカルとラウドなギターは健在。我が家の粗末なお風呂ラジカセで鳴らしてたら、その荒っぽい響きがビンテージな60年代ガレージロックと錯覚させるほどのインパクトがあって感動したのでありました。日本文化への造形もアニメを通り越して深まったのか、内ジャケで小林一茶の英訳俳句を引用していました。


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