森山大道+荒木経惟「森山・新宿・荒木」

木曜日の夜は、新宿のバーで飲む。
●バーにあった、森山大道+荒木経惟「森山・新宿・荒木」がよかった…。
新宿。ワイルドサイドを歩け。

Daido Moriyama From Shinjuku



「メディアダーク」という言葉があるという。
●電話すら持ってない生活をしている人が、世界人口の30〜40%を占めている。

「マダガラ女子」という言葉があるという。
「まだガラケーを使っている女子」の意味。保守反動。余計なお世話な気もするけど。スマホ普及のスピードは確かにスゴくてボクの部署の仕事を一変させつつある。そんでボクも Android 携帯をゲットした。これで iPhone との二刀流。まだ全然イジってないので面白がれるのはこれから。むしろ設定がウザくて、ガラケーの方がマシ!と何度か思ったのも事実。

「つながり疲れ」という言葉があるという。
●ソーシャルにみんな気を使い過ぎ。同僚が「ソーシャルは露出狂と覗き見趣味の集まりだ」と吹聴してた。疲れたら黙ればイイ。ボクがブログをほったらかしてるのは、マジで忙しくて疲れてるダケだけど。

下北沢で、「B&B」という本屋さんを見つけた。
「BOOK & BEER」の意らしい。夜はビールが飲めて、作家さんを招いたトークイベントがちょいちょいあるという。雑誌「広告」の編集長を務めた博報堂ケトル嶋浩一郎さんが作ったお店らしい。

代々木八幡には、「R&B」という古本屋さんがある。
●コチラは「RYTHEM & BOOKS」という意味らしい。CDの取り扱いもちょっとある。MURO さんの ディープファンクなMIX-CDがいっぱい。白土三平の60年代のマンガを買ったよ。

「イヤミス」という言葉があるという。
「いやな気分になるミステリー」の略。湊かなえさんとか。ワイフのママ友が文庫本の貸借りをしてる。ボクもこの前「贖罪」を読んだ。湊かなえ作品は「告白」「少女」と合わせてコレで3冊目。

ドイツゲームというジャンル、「人狼ゲーム」というゲームがある。
●10枚程度のカードだけを使い、10人弱の人間が生身でトークを交わしながら進行するゲーム。「村人」の中に「人狼」が混じっている。人狼を見つけ出してリンチにかけろ!村の合議で毎日ダレカが殺される。人狼は嘘流言を用いて自分がリンチに合わないように立ち回り、人狼に認められた権限でさらに毎晩ダレカを殺すことができる。ドキドキする!と楽しく思ったら、一番最初にボクがリンチで殺された。

人間ドックで居眠りした。
●腹部の超音波エコー検査。冷たいジェルをお腹にヌリヌリされるヤツ。腹式呼吸で、すってーはいてー、の繰り返し。ナースさんの心地よい発音と、呼吸のリズムがあまりに心地よくて爆睡した。ナースさんスゴくビックリしてた。「起きてください!眠っちゃ困ります!」

先日は今の部署の管理職の皆さんと新橋飲み。
●夜11時から朝5時まで飲んだね。ボクはウーロンハイ一杯だけ。でも3人の昭和のオジサンたちはハイボールをいっぺんに二杯づつ注文してガブガブ飲む。お勘定が心配なのでカウントしてたけど、50杯を超えたトコロでボクもワケ分からなくなった。で結局、お勘定が10000円ピッタンコ。マジで!安過ぎるよ!オニイさん絶対間違えてるよ!「大丈夫です、ウチ安いんです。ハイボール一杯100円ですから」うわ、いろはすと変わんないのかこのハイボール。

そんな愛すべき先輩が、とっても楽しいSFファン。
「宇宙空母ギャラクティカ」の話で盛り上がった!70年代のアメリカのテレビドラマシリーズで、ボクの記憶では日テレの日曜日朝5時台に放送されてたのです確か。めっちゃ早起きして見てたね当時はビデオなかったし。「ギャラクティカ」の続編やリメイク版があると教えてもらった。当時のヤツを今DVDで見てみたいなあ。

「宇宙空母ギャラクティカ」


70年代のハードSFといえば。「星を継ぐもの」シリーズを読んだ。

JPホーガン「星を継ぐもの」

JPホーガン「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」「巨人たちの星」
月面で宇宙服を来た人間の死体が発見された…なんとその死体は死後5万年経過していた!そんなナゾから出発して地球外文明との接触と交流が描かれていく。星野之宣さんが手掛けたマンガ化作品の一巻を読み、たまらずその続き知りたさに原作シリーズ3部作を一気読み。ハードSFという触れ込みは、その物語の下敷きになる科学的根拠に目一杯分量を割くという意味のよう。音楽で言うトコロのハードコアという言葉の持つイメージだと、とかく表現が過激だと連想しがちだけど、実は違う。むしろすごくポジティヴで健全。ソコがこの作品の興味深いポイント。
●ボクがこの本を読んだのは実は去年で、まだ震災モードが薄らいでいない頃。70年代に描かれたこの小説には、人類が無尽蔵のエネルギーを開発して(原子力じゃないみたいなんだけどね)全世界の貧困問題や政治問題を全て解決して、単一政府による穏当な統治と科学文明の豊かな恩恵を前提に、全ての英知が宇宙開発の最前線に注がれてる世界が描かれている。アポロ計画が成功して宇宙が新しいフロンティアとして注目された時代が見ていた夢ってこんなコトかと思ったものだ。科学発展がそのまま人類の明るい繁栄を約束するという発想は、震災モード/反原発モードの中ではマヌケ寸前に見えるほど楽天的に思えた。
●ただし、作者は当然大マジメなのだ。ジックリジックリとサイエンスの論理を積上げながら壮大なストーリーを描く様子は、気合いという部分で真摯に人類の未来が明るいモノになるよう願っているコトを裏付けている。宇宙の彼方からやってきた異星人との交流も、ビックリするほど幸福に描かれる。ボクが今まで触れてきたSF作品世界では、異文化異文明接触は絶対摩擦や誤解で失敗して結局血みどろの結果に至ってしまう。しかしこの作品では、粘り強い交渉と前向きな信頼によって、地球人と宇宙人は文明を超えて固く結ばれる。…ああ、この作家は、安易に楽天家なのではないのだ、科学が犯すリスクや人間の愚かさを呑み込んだ上で、それでも明るい未来を自らのペンで作り上げようと務めた人なのだ。結果として、ボクはこのシリーズに勇気づけられた。放射能でこの国はダメになってしまうかもしれない、という不安の中でも、それでも前を向くコトを。
●蛇足だが、「ギャラクティカ」で意気投合したSFファンの先輩は、震災モード時は非常避難キットをバックパックに入れて、通勤時も毎日背負って過ごしてたという。今は手ぶらだけど。当時の心理状態を自分で「震フォビア」って言葉を作って説明してた。「震フォビア」って。使ってみたいこの言葉!


さて、映画を見たのですよ。ポスト・フクシマの。

「希望の国」

映画「希望の国」/監督:園子温
●知人からの評判で気になってましたこの作品、見ました…。日本のとある地方、静かな田舎町。ここで原子力発電所の事故が起こる。避難する人々、故郷に留まる人々、新しい状況に慣れてしまう人々。次の選挙で原発問題やエネルギー問題についてどれだけ真剣に考えている人がいるのか、ボクにはよくわからないが、どっちにしろもう逃げる場所がない。その事実が突きつけられている。そんな映画だと受け止めた。


「星を継ぐもの」とは裏表のデスペレイトな未来(=現在)。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」

映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」/総監督:庵野秀明
●公開2日目に、家族四人で見に行ったよ。ワイフは少なくとも内容に不満だったなー。ワイフにとってはミサトさんがマンションでぷはーっとヱビスビール飲むとか、委員長がお弁当を作って鈴本に渡すとか、そういう生活の場面が大事だったようで、そんな日常がサードインパクト以降のカオスに吹き飛ばされた14年後の世界に1ミリも存在しなかったのが納得できなかったようだ。
●娘ヒヨコ9歳は、マリちゃんの乗るヱヴァンゲリヲン8号機のピンクカラーが気に入ったらしい。
●長男ノマド11歳は普通に「え、これでオシマイ?続きは?もう30分たった?」時間感覚が圧縮されるほど内容にノメり込めたようだが、結局それでどうなったの?という放り投げ出されぶりに戸惑っている。それはボクも同じ感想だ。
また収集のつかない大風呂敷を広げてしまったなー。これでまた物語が空中分解しなければいいなー。それがボクの感想。2号機の宇宙戦闘とか、独眼竜アスカとか、巨大戦艦ヴンダーの出現とか、シンジとカヲルくんの連弾シーンとか、個々のシーンに反射的にトキメク。そんなショットとしての興奮は「旧劇場版」の量産型エヴァシリーズ対2号機の壮絶な戦闘シーンにも感じるけど、結局「旧劇場版」は失敗だったんじゃないかと思えるボクの印象は覆らないのと同じで、「Q」の本質的な評価は微妙なまま。
前作「破」は主人公シンジの力強い成長を描いている。TVシリーズや「旧劇場版」の貧弱さを克服する姿勢が頼もしいと思った。TVシリーズ〜「旧劇場版」が世に出された1995〜1997年の日本は、阪神大震災、オウム真理教事件、バブル崩壊で心理的にズタズタにされていた。世界が自分に強いる理不尽な仕打ちに泣き叫ぶ主人公シンジの様子は、確かにあの時期の日本社会とシンクロしていた。それを再構築して新しい展開を提示した2009年の「破」は、911テロ〜イラク戦争やリーマンショック、アジア近隣諸国の目覚ましい台頭などなど価値観の激しい変動の中でいつのまにか鍛えられた日本人の様子を見せられたようで、ボクは心から感動した。シンジは自分の強い意思決定で、自分が持つ力を最大限に振り絞って、自分が救いたいと望んだ少女を決死の覚悟で救い出す。ただ運命や周囲の思惑に翻弄されてきたヨワいシンジはいなくなったのだ。
●ところが「Q」は再びシンジを虚無の中に突き落とす。自分の行為が引き金となり世界は破滅した。自分が救おうとした少女は結局救われていなかった。しかもその事実を知らないまま彼は14年間も眠り続けていた。世界は一変していた。また逆戻り…今までの成長は全部否定された。この虚脱感。しかし、混迷のただ中にいるのは主人公の彼だけじゃない。周囲もまた混乱している。今までは仲間だった少年少女/登場人物全員が2つの陣営に別れて互いに戦う。これが庵野秀明監督が提示する、2012年現在、ポスト・フクシマを前提とした「ヱヴァ」世界のカタチなのか。前述「希望の国」の登場人物が原発事故を指して「これは戦争なんだ!」と叫んだのを連想する。フクシマ以降のカオスは「戦争」状態なのか。そして物語は続く。

●劇場で買ったパンフレットから、気になった言葉を引用。
林原めぐみ(アヤナミレイ役):「破」で破れきったんだなーというのが第一印象ですね。
宮村優子(式波アスカラングレー役):監督が「アスカはプロの傭兵なんだ」っておっしゃって。武将とも言ってたかな?…プロの傭兵で武将で眼帯ですよ。
三石琴乃(葛城ミサト役):私が思うに、この14年間に沢山傷つき涙も枯れ果て、そして乗り越えて、心の中では消化したつもりになっていたのに、シンジくんの姿を見た瞬間、ぐっとこみあげてきたんでしょうね。…でもね、いきなりシンジくんにあんな冷たいことを言ったらシンジくん心を閉ざすに決まっているじゃない。「ミサトどうしたの?」って思いながら、それもできないくらいに大変なことが14年間にあったんだな、と想像しつつ演りました。
山口由里子(赤木リツコ役):まず、リツコが生きてて良かった、というのが第一印象。…リツコっていつ殺されてもいいところにいるんじゃないかと。…リツコはオンナを捨てられない人。だからそれだけにね、変な話、死んじゃうかもって思うんですよ。


大阪の生命力。

「黄金を抱いて翔べ」

映画「黄金を抱いて翔べ」/監督:井筒和幸
●現在公開中のこの映画も、先日観てしまった。あるお付合いからの必要で観るコトになったのだけど、これがオモシロい。直球にワイルドなクライムムービー。アウトローが集まって銀行の金庫破りに挑む。妻夫木聡、浅野忠信、桐谷健太、溝口淳平、西田敏行、チャンミン(東方神起)。加えて青木崇高もイイ。そして舞台は大阪。
●リーダー格を務める浅野忠信のツクリ込み様がスゴい。普段はトラック運転手を務める男の、粗雑なガニマタ歩き、無骨な五分刈り、汗が乾いたような明るい笑顔と、ソレと同居する躊躇のナイ暴力。実は犯罪への動機付けなんてほとんど説明されてなくて、ただソコに金塊があるから奪う以上の論理はナニもない。西田敏行のダメオヤジぶりもイイ。大阪のルーズでルードなオッチャン。
●井筒和幸監督の大阪への思い入れとは。思えばナイナイ主演「岸和田少年愚連隊」も、そして古くは紳助竜介主演の「ガキ帝国」1981年も、大阪が舞台。そしてワイルド。ちなみに「パッチギ!」は京都だった。でもワイルド。


1970年代の妻夫木聡。

「マイ・バック・ページ」

映画「マイ・バック・ページ」/監督:山下敦弘
「黄金を抱いて翔べ」で影あるワケアリの男を演じた妻夫木聡が、ここではナイーブな週刊誌の記者を演じる。ココでの繊細な演技が実に鮮烈だったので、そのまま井筒組での妻夫木を観たいとボクは思った。過激派の若者・松山ケンイチと対峙するジャーナリスト…1969年の東大安田講堂紛争をイントロにして、徐々に時代がシラケていく70年代を二人の若者が漂流していく。青春がクシャリと音を立てて終わる瞬間が見えた。泣けた。そしてコレが実話をベースにしていることを今知り、また驚いている。
●監督・山下敦弘は、ぼくにとっては「リンダリンダリンダ」「天然コケッコー」。高校生の瑞々しい姿を描くコトに長けた才能。もっと他の作品を観たいと思っている。左翼運動家取材のイロハを教える妻夫木の先輩記者を、古舘寛治という役者が演じている。実にキマジメな演技…片足を引きずる歩き方まで含めて細心の注意を払った動きが印象的。ボクは、この役者を、下北沢の駅前劇場?で、城山羊の会「新しい橋」(山内ケンジ作・演出)という芝居で観ている。その時もスゴいと思って、この名前がアタマにインプットされていた。
●そしてエンドテーマ。真心ブラザース+奥田民生BOB DYLAN「MY BACK PAGES」をカバーする。独自の日本語詞も含まれていて、これも強い印象を残す。「白か黒しかこの世にはないと思っていたよ 誰よりも早くいい席でいい景色がみたかったんだ 僕を好きだと言ってくれた女たちもどこかへ消えた あああの頃の僕より今の方がずっと若いさ」


そんな流れから、BOB DYLAN のよき翻訳者、THE BYRDS。

THE BYRDS「THE BYRDS PLAYS DYLAN」

THE BYRDS「THE BYRDS PLAYS DYLAN」1965〜1971年
BOB DYLAN の音楽はボクにとっては取っ付きにくい。クセの強い節回しと声、ギター一本ムキダシの音。この前深夜にやってた彼のドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」を観て、より強くそう感じた。1965年のイギリスツアーに密着したこの映画、若くて瑞々しい青年 BOB DYLAN の様子を生き生きと切り取ってる…一方で、イケ好かないヤツなのねという印象も受け取ったけど。
●ドチラかと言えば、BOB DYLAN の音楽をボクが受け取ったのは、他人のカバー経由であることの方が多かった。「LIKE A ROLLING STONE」をボクが始めて聴いたのは中学一年生13歳の頃で、それは桑田圭祐率いる KUWATA BAND によるカバーだった。U2「RUTTLE AND HUM」には「ALL ALONG THE WATCHTOWER」のカバーが収録されてる。そして前述の真心ブラザーズ+奥田民生
●そして一番の紹介者・翻訳者として大きい存在感を放つのが、やっぱりこの THE BYRDS だ。60年代後半に活躍した西海岸フォークロックの中心的バンド。華麗なコーラスワークとリッケンバッカーの12弦ギターによって甘く彩られた BOB DYLAN 楽曲は、本人の演奏よりもずっと魅力的だと思える。このアルバムはそんな BOB DYLAN カバーを一枚にまとめたモノだ。「MR. TUMBOURINE MAN」「THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN'」、そして「MY BACK PAGES」も収録されている。
●このCDの解説を読むと、THE BYRDS BOB DYLAN の縁は思った以上に深いもののようだ。1964年、まだ THE BYRDS という名前も決まってなかった若いバンドはその段階から BOB DYLAN のカバーに挑戦し始めていて、そして BOB DYLAN 本人もそんな彼らのリハに居合わせ、その大胆なカバーを面白がっていたという。中には自分の曲と気付かなかったモノもあったそうな。THE BYRDS の音楽は当時最新型のロックミュージックの体裁をまとっていたが、メンバー自身は完全にカントリー/ブルーグラス出身で、その丁寧なアプローチに気難しい詩人も武装解除したようだ。そして1965年に発売された THE BYRDS のデビューシングル「MR. TUMBOURINE MAN」は全米・全英でナンバーワンに。BOB DYLAN 本人にとっても初めてのビッグヒットになる。BOB 自身もこの1965年に電化、MIKE BLOOMFIELDS や AL KOOPER をバックに従えてフォークロックに挑む。「時代は変わる」
●蛇足だが、BOB DYLAN の映画「ドント・ルック・バック」、ホテルの部屋でギター一本で歌う JOAN BAEZ の姿が印象的だった。エキゾチックな美少女…そんな彼女が BOB 本人に対して BOB のカバーを聴かせている。そしてコレがまた美しい。BOB DYLAN の演奏そのものに対しては、ちょうど最近ディズニーランドに遊びに行ったワイフが「なんでウエスタンランドみたいな音楽を聴いてるの?」と批評した。これがアメリカンルーツミュージック

THE BYRDS もう一枚。

THE BYRDS「THE NOTRIOUS BYRDS BROTHERS」

THE BYRDS「THE NOTRIOUS BYRDS BROTHERS」1968年
THE BYRDS はオリジナル楽曲においても十分な価値を持つバンドなので、他のアルバムもシッカリ集めてしまってる。1965年にリリースされたアルバム「MR. TUMBOURINE MAN」「TURN! TURN! TURN!」も立派だが、幻惑的なサイケデリックアレンジを施した「8 MILES HIGH」が印象的な「FIFTH DIMENSION」ボクにとってはもかなりの愛聴盤だ。このアルバムは彼らの5枚目で、サイケデリックのククリに捕らわれない自由で高度なアレンジが施されてる。
●一曲目の「ARTIFICIAL ENERGY」(人工エネルギー!)からホーンがビシッと決まって気合いが入るし、ムーグシンセサイザーが各所で積極的に用いられてサイケの極彩色を効果的に噴射している。ラーガロックアプローチの「SPACE ODYSSEY」は同年公開のキューブリック「2001年宇宙の旅」に由来しているに違いない。「DRAFT MORNING」では奥ゆかしいフォークロックに激しい銃撃の効果音がカブる。ベトナム戦争がこの時代に影を落としている。
●ちなみに、バンドの初期から活躍してきた DAVID CROSBY がこのアルバムのレコーディング中にバンドを去る。この時期には既に十分すぎるほどクスリでラリッていたのだろうか?横柄なエゴを主張するだけでなく、ライブ中に、ケネディ暗殺事件についての自説をブッたり世界の政治家にLSDを配ろうと主張したりと、デタラメし放題になってしまった。結局、DAVID はバンドを解雇。ほどなく、CROSBY, STILLS & NASH(そして時々 YOUNG)というフォークロックのスーパーグループを結成して活躍するも、80年代はヒドいドラッグ中毒でヨタヨタになる。一方 THE BYRDS はこのあと GRAM PERSONS を招くことでカントリーロックにシフトしてルーツ回帰へ舵を切る。



●追記:yuccalina さんからおススメされたドイツのテレビ番組に出演した THE BYRDS のライブ。
●「8 MILES HIGH」NEW VERSION とな。気合いの入った13分超の熱いジャム!



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