小田急線地下化工事情報誌「シモチカナビ」最新号(NO.27)をゲット。
「2013年春、在来線を地下化します!」

下北沢再開発、もう少しで地下化。

●2004年の工事開始から10年目、とうとう大きな局面を迎えるコトとなりました。まだ正式な日程は発表されてないけど、コレで下北沢周辺の風景はかなり変貌します。まず目の前の地下化の段階では、仮駅舎が用意され、新しい場所に改札口ができます。まだ複線としての地下化が行われるだけで、複々線にするトンネル工事はその後も継続。一方、地上部分の整備が行われ、仮駅舎ならぬ新駅舎が建ち、実際の街の風景を変えていくのは、今後の展開。

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現在の南口と、新設される仮改札の場所はコチラ。
●右手奥の上に、土手の上を走る井の頭線が見えます。ココも土手から高架に変える工事が進行中。高架下がどのように開発されるかで、街の流れが変わるでしょう。そんでその下の青い看板。ココが現在の南口。で、画面左側にたってる殺風景な白い建物。これが仮駅舎。ここに新しい改札口が出来ます。もちろん仮駅舎であって、新駅舎は全然別のモノが作られます。

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コチラは駅北口。
●左手の階段が現在の北口です。2月の天狗祭りの垂れ幕がかかってる。仮駅舎の北口は、画面右側、撮影している地点からみてその道路の突き当たりに出来ます。ココは、井の頭線の線路の真下にあたります。

●震災直後に就任した保坂展人・世田谷区長は、この下北沢再開発に対して見直しの余地アリというような立場にいるようで、反対派も含めたシンポジウムなどにも顔を見せたりしてますが、結局のトコロ、どういうつもりだかワカラナイし、駅周辺の土地買収がドコまで進んでいるのかよくワカラナイ。地権者との交渉内容は外部に秘密とのコトだが、新設される駅ロータリー周辺や、無意味に思える新設道路の予定地に、ゴソッと空き地が登場したりしてドギマギする。

●北口には、レトロな風情が名物であった駅前市場があったが、ココが実質のシャッター商店街になって久しい。上の北口写真のすぐ左手の様子はこのとおり。

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●北口駅前のピーコックとともに街を明るく照らしていたドラッグストアのミネ薬局がとうとう営業をヤメました。このお店は南口にもうひとつお店を持っているので、ソチラに一本化というコトになったそうです。ソコからもう一つ奥、画面左側にあるミドリの屋根のある場所は、「下北沢巧房」という名前のハコ貸しギャラリーのようなお店でした。ココも閉店。シャッターには土地買収交渉に強い不満があるコトを滲ませた張り紙がしてあります。その文面を引用します。

「この度、私ども合名会社栄屋は、東京都の都市再開発事業によりこの地を立ち退かざるを得なくなりました。代替え地を求めて交渉を続けて参りましたが適地を得られず、残念ながら終業することを決めました。亡き父の代より65年に渡りここで商売させていただきましたが、平成24年12月29日をもちまして閉店いたしますこととなりました。皆々様よりの永年のご愛顧に心より感謝いたします。ありがとうございました。下北沢のより一層の発展を祈りつつ、ご挨拶の言葉とさせていただきます。」


●駅前市場でまだ営業を続けているのは、立ち飲み屋さんが二軒ほどと、あともう一軒のお店くらいだろうか。最終的にココは駅前ロータリーを作るために、完全な更地にされて広場の一部となります。




●最近読んだ本。

高橋靖子「表参道のヤッコさん」

高橋靖子「表参道のヤッコさん」
●著者の高橋靖子さんは、日本で初めてのフリースタイリストとして、60〜70年代から活躍している人。しかしそのキャリアをよく知らないままに、ただその趣味のイイ発言と感性に魅かれて、ボクはこの人の tweet を数年前からフォローしてました。初めて動いてしゃべってるのを見たのは、ビームス設楽洋社長をゲストに迎えたトーク番組で、ビームス一号店が原宿神宮前交差点のすぐそばに出来たエピソードを、同時代の証言者として語ってた時。もう一〜二年前かな。そこからさらにこの人への興味がモクモクと高まり、この本を探すに至りました。
女性がフリーのクリエイターとして社会で活躍していく先頭の世代として、でも肩肘張らず、シナヤカにその女性らしい感性や仕事のスタイルを作っていく様子が気持ちイイ。当時大活躍だった、または新進気鋭だった広告界/写真界/ファッション界のクリエイターたちとの60〜70年代の交流の様子が、生き生きと描かれてるのも気持ちイイ。ボクにとっては名前とチョッピリの作品しか知らなかった人たちの、素顔が新鮮。ここに出てくる人名をいっぱい検索したら大分勉強になった。寺山修司、宇野亜喜良、加藤和彦、伊丹十三、黒田征次郎、山口小夜子といった有名人から、写真家の沢渡朔、林宏樹、十文字美信、立木義浩、加納典明、浅井慎平、小西海彦、操上和美、横須賀功光、増渕達夫、モデルの立木ユリマリ姉妹、人形作家の四谷シモン、「イムジン河」作詞の松山猛、水俣病をルポしたユージン・スミス、川久保玲、菊池武夫、三宅一生、ピンクハウス・金子功、BIGI・荒牧太郎、ピンクドラゴン・山崎眞行、テレビマンユニオン・重延浩、「ビックリハウス」萩原朔実、「anan」アートデザイナー堀内誠一、編集者・椎根和「スネークマンショー」に関わっていた桑原茂一…。ザンドラ・ローズというドキツい人物の存在も初めてしった。

●一番のキモの部分は、70年代のグラムロックイヤーズ、写真家・鋤田正義 T.REX との交流。そして、山本寛斎のロンドンコレクションと、DAVID BOWIE とのコラボレーションだ。
鋤田正義 T.REX の最初のセッション1972年をコーディネートしたのがヤッコさんこと高橋靖子さんだったことは初めて知った。そしこのセッションフォトを題材とした渋谷西武での展覧会、そこに来日した T.REX の2人(MARK BOLAN & MICKEY FINN)の様子。アイドル的人気で迎えられたロックスターに同行。
ヤッコさんは1971年の山本寛斎ロンドンコレクションをプロデュースしてる。この舞台裏の様子も面白い。そして DAVID BOWIE との交流。鋤田正義+ DAVID BOWIE のセッションに、山本寛斎の衣装をスタイリングしたのも、ヤッコさんの発案と機転だった。その後、BOWIE 山本寛斎の衣装で自分のグラム世界を拡大したのは触れるまでもない。DAVID BOWIE「HEROES」1977年のジャケも、鋤田正義撮影/ヤッコさんスタイリングだった。コレ、知らなかった。

鋤田正義と TREX鋤田正義+ DAVID BOWIE

T.REX フォトセッション1972年(2012年「鋤田正義写真展 きれい」@PARCO MUSEUM)
DAVID BOWIE「HEROES」フォトセッション1977年 右上の写真が採用された。
●ロックの歴史に、想像以上に深く関わっていたヤッコさんの仕事。興味深い歴史の証言。




●まーこうなったら、DAVID BOWIE を聴くしかない。

DAVID BOWIE「SPACE ODDITY」

DAVID BOWIE「SPACE ODDITY」1969年
DAVID BOWIE の出世作として有名なこの作品ですが、このアルバムにはグラムロックのキャッチーなギラギラ感って全然ないのですよね。グラムロックというより、60年代風のトラッド/フォークロックのような地に足着いた感が漂う。1969年のキューブリック「2001年宇宙の旅」にインスパイアされた表題曲「SPACE ODDITY」ですら、ホントは奥ゆかしいアコギの弾き語りで始まるもんね。アポロ計画の月面着陸が成功して、BBCがそのドキュメント番組にこの曲を付けたのがヒットの契機になったとな…ホントは宇宙で行方不明になっちゃう飛行士のウタなのにね。とにかく、典型的なグラムロックじゃないのよね。
●そもそもでいうと、このアルバムは本来別の名前で発売されたのだけど、アルバム「ZIGGY STARDUST」の大ヒットを受けて1972年に再発されるんです。その時初めてタイトルも「SPACE ODDITY」になる。この時差が結構激しいギャップになってて興味深い。楽曲「SPACE ODDITY」には結果的に、最初の1969年バージョン、再発時の1972年バージョンの、二つのプロモビデオがあります。前者はモッズのイケメン DAVID BOWIE が60年代風にチープなSF演出をオシャレにこなしてる内容…まん丸メガネが OASIS 時代の LIAM GALLAGHER を一瞬連想させます。しかし、後者となると、暗いスタジオでアコギ演奏する BOWIE のルックスが見事にグラム化しててビビる。マユゲをそり落し、真っ赤に染めた髪を逆立てて、紫のラメラメピチピチシャツを着ている。この数年で大変な変身を遂げてるのです。
●1969年段階では、BOWIEグラムロックの双璧をなす T.REX もまだ電化以前で、線の細いサイケデリックフォークをヘナヘナやってた印象があります。まだ名前が TYRANNOSAURUS REX の頃ね。だから、フォークロックとしてのこのアルバムの価値として、グラムのイロメガネをかけずに見てあげれば、すんなりと気持ちよく聴けるのです。


DAVID BOWIE「ALADDIN SANE」

DAVID BOWIE「ALADDIN SANE」1973年
●さて、時代はちょい離れて、バリバリのグラムロック全盛期です。BOWIE「SPACE ODDITY」に続くアルバム「THE MAN WHO SOLD THE WORLD」「HUNKY DORY」でドキツい女装ジャケを披露し世間に物議を醸します。そんで1972年に「ZIGGY STARDUST」を発表。ロックンロールの宇宙人として天下を獲りました。なんたって宇宙人ですからステージ衣装やメイクは奇抜さに磨きがかかる。鋤田正義/山本寛斎との仕事が始まるのもこの時期であります。
●このアルバムは「ZIGGY STADUST」を引っさげての全米ツアーの最中に制作されたとのこと。ZIGGY が引き連れてるバンド、THE SPIDERS FROM MARS がまんまこのアルバムでもバックを務めております。つまり、MICK RONSON がアレンジやタフなギタープレイで大活躍。一曲目「WATCH THAT MAN」から打ち上げるロックのワイルドさ混沌ぶりは前作を上回るテンション。ザクザクしたブギーチューン「PANIC IN DETROIT」「CRACKED ACTOR」「THE JEAN GENIE」そして THE ROLLING STONES のカバー「LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」まで飛び出します。「ALADDIN SANE(正気のアラジン)」「A LAD INSANE(狂気の若造)」のダブルミーニング。表題曲ではフリーキーなピアノ&サックスで混乱を表現。
●また、これで見事なアメリカ進出を遂げた BOWIE は、ニューヨークの詩人 LOU REED やデトロイトの奇人 IGGY POP と仲良くつるむようになり、彼らがグラム化するのを大きく助けたりもします。

●ちなみに、「ZIGGY STARDUST」という名盤についてスルーするわけではなくてですね、以前に記事にしちゃったからソチラをもしよろしかったらご参照ください。記事はコチラ→(「DAVID BOWIE に浸る夜。地球があと5年で終わるトコロでジギーが来たってどうにもならないと思います。」


DAVID BOWIE「DIAMOND DOGS」

DAVID BOWIE「DIAMOND DOGS」1974年
●個人的にいうと、この音源は十数年前にアナログで購入しておりました。しかも香港で購入。でもソレ以来スッカリその事実を忘れてて、今日、レコード棚の奥から発掘されました。いやー完全に忘れてたのか、ラップを開封された気配もなかったです。
●さて、この頃の BOWIE は過激なキャラクター ZIGGY STARDUST を演じるのにクタビレてきた時期、オマケに薬物や乱痴気騒ぎアレコレの健康被害もヒドくなってきて、だいぶイタんでた時期であります。ZIGGY 引退公演などもやってます。そこで、気分を変えるためか、THE SPIDERS FROM MARS とは関係ないミュージシャンを集め、久しぶりに TONY VISCONTI をプロデューサーとして召喚、「ZIGGY STARDUST」「ALADDIN SANE」とはチト違う音楽を鳴らします。ザクザクしたブギーギターは後退して、ホーンやストリングスなどが活躍する場面が目立つようになります。従来のグラムブギーはシングル化された「REBEL, REBEL」程度でしょうか。
●本来はジョージ・オーウェルの未来小説「1984年」をまんまナゾルようなコンセプトアルバム&ステージを模索してた BOWIE ですが、それは作家の遺族にピシャリ断られ、アレコレ翻案した上でジャケのような半人半獣の化物(BOWIE の下半身も犬になってるのです)が闊歩する荒廃した世紀末世界が描かれます。「THE YEAR OF THE DIAMOND DOGS "THIS AIN'T ROCK 'N' ROLL - THIS IS GENOCIDE"」。それでも「BIG BROTHER」「1984」といった、小説「1984年」を連想させる曲名はシッカリアルバム後半に含まれてます。この「1984」はナニゲに分厚いストリングスとファンキーなアレンジが仕込まれており、次の BOWIE の展開のキッカケになります。


DAVID BOWIE「YOUNG AMERICAN」

DAVID BOWIE「YOUNG AMERICAN」1975年
「若いアメリカ人」…アメリカで過ごす時間が長くなるにつれ、BOWIEリアルタイムのブラックミュージックに心魅かれるようになりました。次なる彼のコンセプトは「プラスチックソウル」/白人によるソウルファンクというアプローチ。「DIAMOND DOGS」ツアーの途中で完全に「DIAMOND〜」の演出に飽きてしまった BOWIE はツアーを中断。このアルバムの制作に取りかかってしまいます。
当時最高のソウル/ディスコ発信基地であったフィラデルフィアの SIGMA SOUND STUDIO に一流ミュージシャンを集め(SLY & THE FAMILY STONE のドラマー ANDY NEWMARK や、その後フュージョン系で活躍する白人サックス奏者 DAVID SANBORN、キャリアを起こしたばかりの LUTHER VANDROSS などがいたそう)、一気にレコーディング。「DIAMOND DOGS」ツアーを再開した時もステージ演出をガラリと変えてプラスチックソウルに寄せてしまったといいます。
●表題曲「YOUNG AMERICAN」は躍動的なディスコファンクですが、後に続く楽曲はミドルテンポのソウルミュージックで独特の洗練とセクシーさを備えております。このスタイルは、既存の BOWIE 自身のボーカルスタイルまで変貌させた感じがあります…ハリのあるコーラスに本線を任せて自分は敢えてささやくように歌うというか…。この路線は批評家には総スカンでしたが結果的にセールスとして大成功、白人アーティストとして初めてテレビ番組「SOUL TRAIN」に招かれるなんてコトにもなるのです。
●もう一つのトピックスは JOHN LENNON とのコラボレーション。この頃の JOHN ONO YOKO と別居して MAY PANG という別のオリエンタル女性とフラフラしてた時期(「失われた週末」と呼ばれてますね)。意気投合した二人の関係は THE BEATLES「ACROSS THE UNIVERSE」のカバーと、共作曲「FAME」に結実します。意外なほどの熱唱シャウト解釈の「ACROSS THE UNIVERSE」 JOHN BOWIE がバトルしてるみたいに聴こえる。「FAME」は無限回転するかの粘着質なファンクグルーヴが特徴。ベストアルバム「CHANGESBOWIE」にはこの曲の1990年リミックスが収録されてるけど、やっぱりファンク。


DAVID BOWIE「STATION TO STATION」

DAVID BOWIE「STATION TO STATION」1976年
プラスチックソウル路線がひとまず成功して、続くカタチで繰り出されたアルバム。この頃の BOWIE はコカイン中毒のダメ人間になってたそうで。そんなコンディションを反映してか、ガリガリに痩せた自分の姿をキャラ化。「THIN WHITE DUKE(蒼白く痩せた公爵)」の登場だ。ケバケバしい衣装は捨てて、ブロンドのオールバック、モノトーンのスーツ、ジタンをくゆらせてダンディを振る舞う。ロックスターの爛れた生活とヨーロッパの退廃を折り重ねたようなイメージを打ち出す。どこまで本気かワカラナイが「親ナチ」発言で物議を醸したのもこの頃。「ヒトラーは最初のロックスターの一人だ…」とか。ロンドン駅に群がったファンの前でジークハイルのポーズをしたとかしないとか。
●アメリカのブラックミュージックまで深く潜った後で、今一度ヨーロッパ人としてのアイデンティティを模索する(そんでヤク中毒を抜く)ために、このアルバムの後 BOWIE は東西分裂下の西ベルリンに移住。そんで BRIAN ENO と組んで「ベルリン3部作」なる作品群に着手するのです。だから、このアルバムは、プラスチックソウル路線とベルリン路線の間の過渡的存在になってるわけです。
●結果、ブラックミュージック/ソウルファンクのエッセンスとロックの有機的なミクスチャーがココでは展開していて、グラムロック期とは別次元の、でも BOWIE 独特の洗練された美学が貫かれた音楽が鳴っている。とくにアルバム終盤の「STAY」のスリリングなドライブ感覚は秀逸。シングル曲「GOLDEN YEARS」プラスチックソウル路線だがクールさに磨きがかかってる。


DAVID BOWIE「TONIGHT」

DAVID BOWIE「TONIGHT」1984年
BOWIE のキャリアの中でも注目すべき「ベルリン3部作」からその後の1983年「LET'S DANCE」大ヒットを敢えてぶっ飛ばして、この地味なアルバムを取り上げます。下北沢でLPを300円でゲットしました。イギリスの現代美術デュオ GILBERT & GEORGE の作風そっくりなジャケがクール。
●このアルバムでは、なぜか、過去に IGGY POP と共作した楽曲とかを敢えてたくさんリメイクしてるんです。IGGY POP とミッチリつるんでた時期とは大分隔たっているのに、関連曲がアルバムの半分以上の5曲も。理由はよくワカンナイ。パンクの疾走感はなくなって、レゲエやカリブ系アレンジ、80年代風ディスコファンク的外装を施して、80年代という時代にフィットさせている。その他、THE BEACH BOYS「GOD ONLY KNOWS」のカバーとか。そんな理由で、「LET'S DANCE」のデガラシ、なんて感じの低い評判が一般的。
●とはいえ、この時期のヒットシングル「BLUE JEANS」が収録されてる。手法としては「LET'S DANCE」の延長線ですけど。アルバムの一曲目「LOVING THE ALIEN」はセンチメンタルな歌唱が愛おしい。表題曲「TONIGHT」 IGGY POP のレゲエ・リメイクだけど TINA TURNER とのデュエットが聴きドコロか。
●ちなみに、大島渚監督「戦場のメリークリスマス」はこの頃1983年、公開でありました。80年代に入ると BOWIE は役者としての活動も活発になっていきます。


TIN MACHINE「TIN MACHINE」

TIN MACHINE「TIN MACHINE」1989年
●さて、80年代後半に、BOWIE は突然ロックバンドを結成。ブラックスーツに身を包んだ四人組。それが当時の感覚においてもややアナクロがかったストレートなハードロックをかき鳴らす。CREAM とか JEFF BECK GROUP みたいなハードロック。なんのツモリか正直よくワカラナイ。なんでこのタイミングでこんなロックを?
●とはいえ、ブリティッシュハードロックの古典みたいな音楽を、BOWIE は実はやったコトがない。フォークロック上がりで、すぐにグラム化し、その後ソウルジャーマンロックに接近して、80年代ディスコファンクを経てきた。翻って、こんな直球のロックをブチカマした事がない。ソレを穴埋めしておきたかったのか。
●いやいや、そんなコトじゃない、BOWIE はただの一ミュージシャンになるコトに挑戦したのだ。キャリア全体を通して、彼は極端なキャラクター像を作ってきた。作品を生み出すに留まらず、作品を担うキャラ人格そのものを絶えず造形して、そこに自らのライフスタイル全てを染め上げてきた。ロックンロールに殉死する宇宙人、半人半獣の未来人、ヤク中の青白いダンディ、西ベルリンを徘徊する異邦人…。時にはドラッグに身を浸してまでしてキャラを全うする。80年代に入れば映画出演で様々な人格を演じる。しかし、80年代の成功の末、超ドメジャースターになってしまうと、そんなキャリア造形に限界を感じていたに違いない。結果、彼は等身大の一バンドマンになるコトを選んだ。コレがこのバンドのコンセプト。等身大であることが新たなキャラ造形。加えて、1990年「SOUND + VISION」ツアーをもって、過去の自分の楽曲を全て封印すると宣言するに至る。
●しかし、このバンドはもう一枚アルバムを発表した上で、1992年には実質的に解散。比較的短命のプロジェクトに終わる。
●ちなみに、このジャケット写真も、鋤田正義撮影。


DAVID BOWIE「BLACK TIE WHITE NOISE」

DAVID BOWIE「BLACK TIE WHITE NOISE」1993年
●バンド活動を挟んで、6年ぶりになるソロアルバム。組んだプロデューサーは1983年「LET'S DANCE」で共闘した NILE RODGERS。ファンクバンド CHIC のリーダーだ。彼の助力を得て90年代風のジャズファンク〜ヒップホップ的グルーヴを取り込み音楽をモダンにアップデートする。TIN MACHINE のアナクロなハードロックから大きな路線変更だ。楽曲のリミックスなども積極的に作られた。ボーナストラックには MEAT BEAT MANIFESTO のリミックスが収録されてる。
●一方で、もうヘンテコなキャラ造形はしないという決意も見られる。シングル曲「THEY SAY JUMP」は、統合失調症で幻聴に苦しめられる男の歌…「ヤツらが飛べと言ってる」。70年代の BOWIE は喜んでムチャなダイヴに挑戦しただろうが、90年代の彼はもうそんなコトはしない、自分の造形したキャラに引きずられて破滅的な行為に身を浸したりはしない。地に足付けた生活者としての責任を引き受け、そのままの自分を表現していく。これが90年代以降の BOWIE の姿勢となる。この直前にソマリア人女性と結婚した彼は、「THE WEDDING SONG」という曲でそんな自分の境遇を率直に表現している。こんなコトは以前の彼からみると珍しい事だ。
●注目すべき参加ミュージシャンは、トランぺッターの LESTER BOWIE。名字が一緒という縁?彼は ART ENSAMBLE OF CHICAGO LESTER BOWIE'S BRASS FANTASY といったアバンギャルドジャズバンドを率いる人物だ。このアルバムでは、サックスを演奏する BOWIE と歩調を合わせて、スマートなジャズの香りを投入してくれている。リアルタイムでこのアルバムを聴いたボクは、ココから ART ENSAMBLE OF CHICAGO などの世界に入っていった。当時流行のニュージャックスウィングで人気シンガーとなった AL B. SURE! も1曲で BOWIE とデュエット。古き盟友 MICK RONSON も1曲で参加…しかし彼はこの収録直後に肝臓ガンで死去。


DAVID BOWIE「EARTHLING」

DAVID BOWIE「EARTHLING」1997年
●個人的にはぶっちゃけ DAVID BOWIE には大分関心が薄れていた頃にリリースされたアルバム。ところがビックリ!BOWIE当時最新型のダンスミュージック、ドラムンベースに挑戦したのだ。リードシングル「LITTLE WONDER」はメロディラインこそは明確なウタモノだがアレンジは完全なドラムンベース。実際に当時のダンスアクト THE PRODIGY UNDERWORLD を意識して制作されたという。制作方式もアップデートしてデジタルレコーディングを採用。時代に寄添う覚悟はやはり超一流。他の楽曲でもインダストリアル系の攻撃的なダンスビートを搭載。この仕事の片腕となったのは TIN MACHINE の同僚だった REEVES GABRELS。あのバンドの縁も無駄にはならなかった。
「LITTLE WONDER」はプロモビデオも衝撃的だった。SIGUR ROS から CHRISTINA AGUILERA までを手掛ける FLORIA SIGISMONDI というイタリア系の女性クリエーターが、グラム時代の BOWIE の亡霊を蘇らせている。今の BOWIE も楽しんで不気味な動きを披露している。ちなみに、ジャケでもプロモでも登場するこのド派手なユニオンジャックのコートは、ALEXANDER MCQUEEN とのコラボ。かつての山本寛斎とのコラボを連想させる。
「I'M AFRAID OF AMERICANS」では、BRIAN ENO、NINE INCH NAILS TRENT RAZNOR、ドラムンベース・アーティストの PHOTEK が参加。ダークなインダストリアルロックが神経質に響く。


DAVID BOWIE の00年代以前までのキャリアをダダッと俯瞰してみました。ホントはそんなに大好きなアーティストじゃないんだけどな。T.REX の方がスキなんだけどな。でも気になるな。



●関連動画のコーナー。

●「SPACE ODDITY」1969年バージョンと1972年バージョンを見比べてみる。




●「YOUNG AMERICANS」1974年のテレビショー出演。



●「GOLDEN YEARS」SOUL TRAIN 出演の様子。黒の中の白。奇妙な存在感。



●「BLUE JEANS」パントマイムを学んでいた BOWIE の身のこなしに敬服。色気が迸る。



●「LITTLE WONDER」ドラムンベースのサウンドと、モンスター BOWIE が見どころ。


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