少し前のことだが。日本画家・松井冬子さんの作品に触れた。

松井冬子「世界中の子と友達になれる」

松井冬子「世界中の子と友達になれる」
●彼女は「美し過ぎる日本画家」などというフレーズでチョイチョイメディアに紹介されている。なぜそんなトコロに注目するのだろう?作品そのものが既に十分すぎるほどセンセーショナルなのに。女性の死体が腐りゆく様子…内臓…解剖…狂気…強烈なオブセッションから導き出されている画風に、以前から強く魅かれていた。
●彼女のマネジメントを務めているらしい(美術界ではマネジメントという言葉を使うのか?)成山画廊@九段下の展示を見に行った。そこは画廊のオフィスというべき場所で、展示スペースはホントにセマイもの、わずか12畳もない空間だったのではないだろうか。そこに数点の下絵や原画が陳列されてはいたが、スタッフさんは通常の事務作業をフツウにその同じ空間で行っているので、なんだか自分が望まれない闖入者のようで、いたたまれない気持ちになった。オマケにこのスタッフさんが、微妙に男性か女性か区別がつかない、これまた強い個性を放っているヒトで、実は作品そのものに全く集中できなかった。是非じっくり鑑賞したいと思っていた彼女の代表作「應声は体を去らない」の現物も、ろくろく見る事が出来なかった。
●そこで、そのままその場にあったこの画集を購入した。コレ下さい、というヤリトリの中で言葉を交わしたのに、あのスタッフさんが男性か女性か結局わからなかった…3ピースのスーツにピッタリなで付けた七三分けという外見は完全に男性だけど、ホッソリとした体躯は女性のもののような気が…。

薄く笑顔を浮かべながら、臓物をさらけ出して腐りゆく女性たち。その周囲に咲き乱れる可憐な草花。死と生命、痛覚と恍惚が、区別なく繋がっていく感覚。日常生活のバランスを逸脱する不安と不穏な気配は、鋭く純化された狂気のようで。加えて、彼女は基本的に女性しか描かない…その意味でこの理解共感を掴めない不安定さは、男性であるボクにとってはジェンダーの障壁でもあるのかもしれない。まずは、彼女の作品を眺めていたい。

世界中の子と友達になれる

(「世界中の子と友達になれる」2002年)

浄相の持続

(「浄相の持続」2004年)

転換を繋ぎ合わせる

(「転換を繋ぎ合わせる」2011年)

無傷の標本

(「無傷の標本」2009年)

美術手帖 2012年 02月号

(「美術手帖」2012年02月号)




●ややクタビレた夜は、精神安定剤を多めに飲んで。そして聴く音楽。

LAUREL HALO「QUARANTINE」

LAUREL HALO「QUARANTINE」2012年
●ジャケは会田誠「切腹女子高生」。そんでレーベルはUKダブステップの爆心地 HYPERDUB。そんな座組から鳴る音楽は、ブルックリンを拠点にしているアメリカ人女性アーティストが編み出すシンセドローンの不穏な振動と未来世紀のチャント。ああ、アタマの調子がおかしい時、思考のカタチが定まらない時。カタチの定まらない音響がその瞬間瞬間を微分的に煌めかせるから、非連続と連続のレイヤーが奇妙な角度で交差するその場所を、ただ指でナゾリながら、全体も掴めないまま、ただ眺めることにする。具体を抱きとめているのが苦しくて、抽象の無重力へカラダを放り出したい。低音と祈りとエコー。そして深呼吸。ウタに身を浸せ。
HYPERDUB はダブを乗り越えてダブステップに到達した。そして今、ダブステップを乗り越えて別のナニかに到達しようとしている。暗闇の中に虹が見える。救いが見える。

BJORK「BIOPHILIA」

BJORK「BIOPHILIA」2011年
LAUREN HALO「QUARANTINE」 BJORK「VESPERTINE」2001年と比較する向きの文章を読んだ…あのアルバムは確かに素晴らしいが、もうずいぶん昔の作品。BJORK はもっと先に進んでいる。ビートミュージックの枠を既に遠くへと突破して、もっと根源的で始原的な音響へと自分のクリエイティヴを研ぎすましている。ハンドメイドの楽器から女声コーラス、ハープに吹奏楽。そんなヒューマンな音響の1つ1つの鳴りをきめ細かく聴くモノの耳へ届けるために、音数をムダに重ねず、シンプルに丁寧に、配置されている。その工芸品のような佇まい。エレクトロニカでさえも、その美学にただ平伏して奉仕するだけ。
●その根幹には、彼女の唯一無二のボーカリゼーションが強く強く立ちあがってる。まるで獰猛な野生動物のような予測の出来ない俊敏な動きの中で、こちらの喉笛を掻き切るチャンスを狙っているかのよう。猛獣の動きが読めないように、BJORK のメロディが導く行き先は不可思議。魔女。秘教の体系と論理が駆動。そんな野蛮と洗練が同居する様子は、まるで未来世界から届いた伝承音楽のよう。今のポップミュージックが1000年の月日を重ねたら到達できる地点。現代東京がストーンヘンジやモヘンジョダロのような遺構にまで崩れ去った時、その廃墟の上で演奏されるべき音楽。

DIRTY PROJECTORS BJORK「MOUNT WITTENBERG ORCA」

DIRTY PROJECTORS & BJORK「MOUNT WITTENBERG ORCA」2011年
「BIOPHELIA」は、実は発表直後に入手しながら、一聴しただけで一年以上も放置してしまった音源だった。90年代に「レイヴ世紀の妖精」としてポップのど真ん中を嬉々とはしゃいでいた彼女はぼくにとって最高のアイドルだった。映画界へ進出したりと活動の幅を広げていくその様子もずっと応援するつもりで見守っていた。ただ近年の彼女の音楽はどんどん難解になった。現在の伴侶である芸術家 MATTHEW BARNEY の映像作品に対するサントラアルバム「DRAWING RESTRAINT 9」2005年はかなりの厳しさがあった。ボクはそれ以降の作品である「BIOPHELIA」にも同じ難しさを感じていたのだ。彼女は今現在の時代を離れて我々の歴史から離脱してしまった。暗黒物質が漂う宇宙空間へ旅立ってしまった。
●そこで BJORK 世界への、「BIOPHELIA」への導入口として、この DIRTY PROJECTORS とのコラボレーションをトッカカリにしようと考えた。ニューヨークのエクスペリメンタルなバンドである DIRTY PROJECTORS も決して一筋縄でいくタイプではなく、結局はこの世界に浸るにも時間がかかったのだが。
DIRTY PROJECTORS でボーカルを務めている4人のコーラスが不思議なハーモニーを構えて、BJORK を出迎える。そこに気負いなくリラックスした歌唱で応える彼女の様子は、確かに清々しく「ポップ」だった。クッキリしたメロディとハーモニーの中で、ヴェテランの女戦士はゆっくりと立ち振る舞う。決して主役として全面に出張るわけではない。これは DIRTY PROJECTORS のプロジェクトだから。温もりあるバンドと凛としたコーラスがおとぎ話を紡ぐように音楽を奏でる。昔々の出来事を子守唄のように優しく語っているように聴こえる。でもそれは人間の記録ではなく、地球の記憶。動物たちの記憶。





ブノワ・ペータース/フランソワ・スクイテン「闇の国々」 3

ブノワ・ペータース/フランソワ・スクイテン「闇の国々」 3巻
●夜中に、歴史書を読むような気持ちでページをめくる。幻想の国々の失われた歴史。バンドデシネの重厚さに圧倒される。


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://unimogroove.blog4.fc2.com/tb.php/1505-808acaca