映画「風立ちぬ」を見に行った。
●家族四人でね。

映画「風立ちぬ」

巨匠・宮崎駿の歴史観/昭和史観を描いた異色作、として話題の作品。
ゼロ戦の開発者・堀越二郎と、小説「風立ちぬ」の作家・堀辰雄がモデルにされてる…そんな部分がポリティカルに受け止められているようだ。実際に最近の宮崎駿監督はポリティカルな発言も目立つ。反原発の姿勢も震災後即座に打ち出したし、先月の衆議院選挙に際しても反改憲の立場を表明した。そして周辺もザワツイている。宮崎駿は反日だ、極右だ、反禁煙主義者だ、アレコレの書き込みがネットで飛び交っている。…日本禁煙学会のリアクションは独創的過ぎてある意味ビックリした。(映画「風立ちぬ」でのタバコの扱いについて(要望と見解)リンク→http://www.nosmoke55.jp/action/1308kazetatinu.html

でも。この映画はポリティカルに受け止める性質の作品ではない、と思った。
十分にファンタジーなアニメーションだった。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄が訳したフレーズ。現代語風で言えば「風が立った…さあ生きていかなければならない」というところか。実際、堀越二郎の時代は、激しい風が吹き荒れていた。関東大震災が首都を焼き払い、厳しい不況と倒産、貧困、病苦が人々の生活を脅かす。ファシズムや思想統制、そして戦争の影が忍び寄る。
●しかし、主人公・二郎の周りには別の風が吹いていた。敬愛するイタリアの飛行設計士・カプローニ伯爵との夢の交流。そして薄幸の少女・菜穂子との恋愛。ここにいつも風が素晴らしい躍動感をもって描かれている。まさにアニメの醍醐味。カプローニが開発したユニークな飛行機たち、その翼の上に立って雄々しい風を受ける二郎。美しい。
菜穂子との出会いにはいつも風がつきまとう。二人が同じ汽車に乗り合わせた時に、帽子が風に舞うシーン。震災発生直後を共に非難する二人の周りで火災を煽る激しい突風。避暑地の野山を写生する菜穂子のパラソルを吹き飛ばして二郎との再会を演出した風のイタズラ。愛を育む二人が飛ばす紙飛行機の自由な軌跡はこの映画の中で最も幸せなシーンかもしれない。
●悪名高き喫煙シーンの連発も、風=空気の動きを微細に描く方便のように思えた。二郎の同僚たちがふかす紫煙は時代の意地悪い圧力に対する溜息や苛立ちの感情を象徴している。しかし、二郎はどこかそんな浮世の要請をサラリとかわしてしまっているようにも思えた…あの分厚いレンズのメガネでは世間の騒がしさは見えないようで。声優を務めた庵野秀明監督の軽く乾いた声がそう思わせたのか。
●ただ、彼の天才は別の宿命を彼に背負わせる。彼が開発したゼロ戦は美しい飛行機だったが、が故に多くの人々を死なせてしまった。愛する妻も亡くした。設計者として輝かしいはずの10年を消尽してしまった。それでも風は立っている。生きていかなければならない…。

●魅力的な飛行機たちが鳴らす様々な音が、不思議な音だった。
あれは人間の声を加工して作った音ではないだろうか?ぶるぶるぶるぶる!ぶおおおおおぉぉぉん!どこか滑稽なほど生々しく聞こえるその起動音は、ユーモラスでありながら、作り手の精一杯の思い入れが詰まっているようで楽しかった。当時のリアルなエンジン音が記録されてるわけでもなく、そしてリアルを再現したトコロでさして意味がナイ。当時の人々が未知の機械が鳴らす未知の音響を驚きを以て聞いた聴覚の衝撃を、こんなカタチで表現しているトコロがユニークでオモシロい。

映画はポリティカルではないが、いつの時代にもポリティカルな風が吹いている。
堀越二郎は、あの時代の中で、自分に与えられた仕事をした。その名が後世に残るほどの見事な仕事をしてしまった。それを彼が望んでいたのかどうなのか関係もなく。誰もが時代や社会と無縁に生きることは出来ない。堀越二郎がそうだったように。彼がゼロ戦の開発者だったことが、あの戦争に対する罪悪としてどれだけの重さがあるのか?あの時代に生きた全ての日本人があの戦争に対して完全に無責任なことがあるだろうか?
今の時代を生きる日本人の中で、今の日本に対して完全に責任がない者などはいない。原子力発電で生み出された電力をごく普通に享受してきた。かつて民主党政権を選び、今は自民党政権を選んだ。「失われた20年」の低迷に対して、職業人として、消費者として、様々な経済活動をしてきた。そんな行為の積み重ねが、現代日本を形作っている。そして結果的に、ボクの、アナタの、今行っている行為がその後の日本社会に対してどんな政治的意味を持つのか、それは未来の審判を待つしかない。
一番の心配は、今の時代が「新しい戦前」となってしまうことだ。先月の「文藝春秋」宮崎駿と対談した作家・半藤一利は、近代日本は40年周期で盛衰を繰り返していると主張する。明治維新から日露戦争までの隆盛期、帝国主義路線から太平洋戦争の敗戦までの衰亡期、アメリカ軍の占領後からバブル経済に至る戦後の復興期。そして現在は、バブル崩壊から数えて20年かけて下ってきた没落の時代。そしてこの衰退はまだ20年続く。今の状況が次なる戦争の準備期間になる、そんな可能性もないわけではないと、ボクは不安に思う。正直、ボクは奇妙な排外主義が跋扈する今に素朴な不気味さを感じている。ネットに書き散らされる「反日」という言葉が奇妙な圧力を持ちつつあるのにも違和感を感じる(かつての「非国民」と同じフレーズではないのか?)。国外のキナ臭い空気感も気になっている。
堀越二郎が、政治的に愚かな人間だったとは思わない。堀越二郎が結果的になしたように、ボクも将来のナニかを準備しているのかもしれない。いつの時代も風が吹いている。それでも「いざ生きめやも」。


「風立ちぬ」にはゼロ戦そのものはホンの少ししか描かれていなかった。
●ゼロ戦の、高性能が故の功罪は、こちらの小説が実に具体的だ。

百田尚樹「永遠の0」

百田尚樹「永遠の0」
●ちょいと前にこの文庫本を読み終わったボスから「コレやるよ」ともらって読んでいたのだ。百田作品は二冊目。もっと読んでもイイと思ってるけど、まずはコレからと思ってたトコロだった。ミッチリと取材をしてから物語を描き込む著者のスタイルはコチラでも健在。太平洋戦争の激戦地をゼロ戦と共に転戦していく主人公が体験する苛烈な作戦の様子が克明に描かれている。こうした戦記物に疎いボクには実に勉強になった。
●特にゼロ戦=零式艦上戦闘機の驚異的な性能と、その性能が故の皮肉な運命が物語の縦糸になっている。ゼロ戦の長い長い航続距離はパイロットにとって過酷な長時間飛行作戦を可能にしてしまっていた。旋回性能など格闘能力も敵国戦闘機を圧倒していたが、その能力を確保する為の軽量化の結果、防御力に難がありパイロットを守ることが出来なかった。戦争初期でこそ性能で圧倒していたゼロ戦は、末期には研究尽くされた結果その弱点を暴かれ、軍需力に勝るアメリカ軍の新型戦闘機の前に敗れ去っていった。緻密な設計が大量生産に向かなかったコトもゼロ戦の難しさであった。
●この小説は、兵士たちの感情を家族や愛すべき妻へハッキリと結びつける内容になっている。「天皇陛下万歳」という大義名分で覆い隠された兵士の個人的感情をキチンと掘り起こそうとしている。ただし、一方で世間の圧力が個人的感情の発露、素直な家族愛を兵士たちに表明させなかったコトも裏返しの事実として肝に銘じなければならない。天皇陛下の責任?当時の為政者の責任?いや世間の言説に圧力をかける雰囲気を熟成したのは社会全体の責任だ。
●現在、ネットによってあらゆる言説が簡単に世間へ流通させることができるようになった中、安部政権や野党民主党とは関係ないトコロで言説への圧力が生まれようとしているような気がする。そしてそんな無言の声、世間の圧力が、為政者すらを動かしている気がする。麻生副総理が「ナチスの憲法改正」をウッカリ口走るような前提には、日本社会は大衆煽動でどこまでも変わってしまうという気配がある気がする。


復活サザンオールスターズが突っ込んだ、ポリティカルなテーマ。

サザンオールスターズ「ピースとハイライト」

サザンオールスターズ「ピースとハイライト」2013年
「ピースとハイライト」?タバコの銘柄?曲タイトルだけしか知らない段階では何のことやらと思っていた…が、実際に楽曲を聴き、リリックを読んでみて、ある意味で強い衝撃を受けた。「ピースとハイライト」「平和と極右」のモジリではないか。尖閣諸島/竹島問題で緊張が高まる東アジア情勢は、実際に日本国内で奇妙な圧力を生みつつある。「反日」や「愛国」というフレーズが飛び交っている。ヘイトスピーチがある。カウンターも登場した。この微妙なバランスに誰もがツッコミ切れない、ツッコムことを躊躇させる気分を作っている。ソコに、このロックバンドが、五年ぶりの再結成シングルの表題に、こんなタイトルを投入した。安定したビジネスを運営するならもっと無難な選択もあったはずだ。でも、彼らは、この世間に熟成する面倒な気分に、一石を投げ込んだ。
「ピースとハイライト」は、確かに昨今険悪になるアジア情勢に言及するメッセージソングだ。しかし、露骨かといえばそんなことはない。誰が悪いのか正しいのかというコトをシロクロ付ける内容でもない。フラットに、互いの立場を理解することを希望しているだけ。ロックの言葉で言えば、ラブ&ピースだ。「絵空事かな?お伽噺かな?互いの幸せ願うなど」「色んな事情があるけどさ 知ろうよ互いのイイところ」ただし、こんなフラットさに対して「反日」と糾弾する声もネットには溢れている。たぶん、ネットの糾弾者たちは、ロックを知らないし、ラブ&ピースも知らないのだろう。JOHN LENNON「IMAGINE」も国境を否定するアナーキズム反日左翼と解釈するのだろう。だとすれば残念だ。ただ、ソコに踏み込むのがロックバンドの保守本道だ。サザンには、その伝統遺伝子を正しく後世に継ぐ為にも、正しくロックを振る舞って欲しい。
●フリーペーパー「TOWER+」のインタビュー記事から桑田圭祐自身の言葉を引用する。

「中国、韓国、日本という現代三国志みたいな状況があって、そういう問題を見ていて、その中の誤解とか不信とか歴史とか恨みとか憎しみがいつまで続くんだろうなと僕なりに思ったワケですよ。原発の問題もそうだけど、我々の子供たちの世代や孫の世代……これからの若い人たちにそういう問題をそのまま丸投げしていいのだろうかって。僕なんかが生きているうちに平和的な歩み寄りを政治家の皆さんがやってくれないかなという願いがありまして。<君たちどう思う?>的な世間話を歌にしたんですね。そういう僕らの呟きが歌になって広がって、どこかにうまくぶつかってほしいなっていう期待もあるんですよ」

●そもそもサザン休止前後には、桑田圭祐自身の食道がん発症という出来事もあった。彼の中では、自分が活動出来る時間はそんなに長くないという感覚があるのかも知れない。その中で1ミリもムダにできない時間の中で、この「ピースとハイライト」が呟かれた。ツイートで身を滅ぼす人もいる今の世間で、大きな呟きだ。そしてこの呟きが拡散することで(韓国や中国にも届け!)、世間に立ちこめる不穏な気配を消えてしまえばイイと、ボクは思っている。

●なお、二曲目に収録された「蛍」は、「永遠の0」映画版の主題歌。サザンは夏のロックバンドだが、日本の夏はあの戦争を悼む季節でもある。この美しいバラードに、慎み深く過去を見つめる姿勢がある。



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