秋の夜長の“あまちゃん”ライブ

NHK「秋の夜長の”あまちゃん”ライブ 〜大友良英と仲間たち大音楽会」を観る。
「あまちゃん」もあと残すところ2週になって、アキちゃんと北三陸の仲間たちともそろそろお別れ。そんな中、こんな番組もわざわざ見ちゃう。ガラポンTVになんでも録画してあるからね。
●さて、脚本・宮藤官九郎さんが番組のインタビューの中で、本来フリージャズ〜ノイズ世界の住人だった大友良英さんがドラマの劇伴なんてやるのが意外、と語るんだけど、やっぱりボクも同意見。あの楽しい「あまちゃん」世界を彩るサウンドトラックたちには、耳馴染みの良さの向こうに何かが隠されてるのではないか?と勘ぐって聴いてしまう。
●で、改めてこの番組みたら、タブラ奏者の U-ZHAAN さんとか加わってて。あーたしかにタブラの音が混じってるわと思い至る。こんなふうに勘ぐってみれば、異色のキャリアを持つ大友良英さんのルーツと「あまちゃん」の間にイロイロな連想が出来るかもね。
「あまちゃんクレッツマー」という曲タイトルに、あーなるほどクレズマーかーこの東欧系ユダヤの民謡スタイルも確かに入れ込んであるんだなあーと感心した。高速ブラスアンサンブルが楽しいこのドタバタ感は、東欧系ロマの気分にも近いと思う。エミール・クストリッツァ監督のユーゴスラビア映画「アンダーグラウンド」のサントラを思い出した…アレはロマ民族の音楽チョチェクというスタイルをドッサリ投入していた映画だった。チョチェクFANFARE CIOCARLIA というルーマニアのバンドが有名…たしかボクもCD二枚くらい持ってるぞ。こうした東欧民俗音楽は、ユダヤ文化としてアメリカに伝播してて。おそらく DJANGO REINHARDT がヨーロッパから移入したスウィングジャズもこの位置にあったに違いない。そしてそのカッティングエッジな部分が90年代のニューヨーク・ニューウェーヴシーンでフリージャズとして取り込まれたという。このヘンの担い手は、JOHN ZORN のバンド MASADA とか…なるほど直球でこのあたりの人はユダヤ人だしね。そんでフリージャズ〜ノイズの文脈で大友良英さんのキャリアまで繋がってくる。なるほどなるほど。
大友良英さんの醸し出す大らかな性格&ザックリとした楽譜、高いミュージシャンシップとバンドへの信頼感、 別線から聞こえてくる「プロジェクトFUKUSHIMA!」の活動&活躍(彼は福島県出身)、ETV「スコラ〜音楽の学校」で紹介された、楽器が出来なくても誰もが参加出来るオーケストラ演奏と指揮のスタイルなどなど、彼のスタイルに一貫している偶然性と即興性を大人数のうねりで豊かにしていく様子がなんとも頼もしい。「あまちゃん」はこうした大人たちの本気の悪フザケがグルーヴをなして盛り上げているんだなと確信する。

 FREEDOMMUNE 0 2013 大友良英&あまちゃんオーケストラ1
 FREEDOMMUNE 0 2013 大友良英&あまちゃんオーケストラ2

●こちらは FREEDOMMUNE 0 2013 大友良英&あまちゃんビッグバンドでの勇姿。こちらもネットでしっかり見ちゃった。シャツが一緒だなあ…一張羅なのか?


あの3.11以降を描く、最終段階の「あまちゃん」は、ある意味で微妙。
1980年代と2010年代のミッシングリンクをアイドル狂騒時代という縦糸で結びつけて反復横跳びし、同時に東北と東京つまり地方と都会という対立概念を横糸にガチャガチャと振幅するやり方で、ユカイな人物が仲良く暮らすユートピアを描いてきた「あまちゃん」東京育ちの平凡な少女が北三陸の濃密な滋養(人間も自然も)を吸い込んでアイドルになる成長物語と、かつてその故郷・北三陸を捨てた女性がそのルーツを回復し、たった1人で対峙した東京(つまり芸能界)という怪物ともう一度決着をつける解放の物語。そこには確かにカタルシスがあって、そこにボクは魅せられてきた。
●ただ、このユートピアにはタイムリミットがあった。2008年から描き始めるこのドラマ、時限爆弾のようにあの2011年3月11日が近づく。様々な因縁や伏線が解消して、主人公たちのキャリアも頂点に向かうその瞬間に、震災はふりかかる。その演出は本当に巧みだった…実際の震災映像や陰惨な廃墟セットなどを1ミリも使わずして、あの震災の大きな破壊を描いてみせた。今の日本を生きる国民全員が忘れられないトラウマとしてあの悲劇の様子を刷り込まれているのだ…象徴的な表現だけでナニが起こったのか子供でも理解出来る。あのデリカシー豊かな表現に、ドラマ制作者たちが大切にしている配慮を感じた。しかも震災発生の放送をわざわざ「防災の日」にあててきてる。
●とはいいながら、この震災以降の「あまちゃん」をボクはどう捉えたらイイかワカラナイ。被害は大きく失われたものは大きいが、主要人物たちは全員無事。よかった…と思う。で次は?ワカラナイ。どうあって欲しいのか?東京でのキャリアを捨ててしまったアキちゃんがまた地元アイドルとして陽気に振る舞えばカタルシスに至るのか?様々な不運に翻弄されたユイちゃんがアキちゃんと潮騒のメモリーズを再結成すればイイのか?北三陸鉄道や海女の海や、アキちゃんがプランした海女カフェが復旧復興すればイイのか?
●しかし、このワカラナイ感覚は、実はドラマの問題ではなくてボク自身の問題であることに思い至った。ボク自身の中での東北復興のスタンスがトボケているからこそ、描かれて欲しい今後の「あまちゃん」世界が見つからないのだ。ナニをもって復興なのか?どうあれば東北は幸せになれるのか?フクシマはどうなるのか?汚染水はどうなるのか?日本の地方経済の疲弊、エネルギー政策、「フクシマと東京は無縁でございます」と言わんばかりの五輪パフォーマンス、みたいなビッグイシュー。一方で、ボクの仕事の伝票処理を煩雑にしてる復興税の計算、地方企業の人たちと食事をしながら聞く故郷のグチ、生まれ育ち全てが東京近郊というボク自身の見識の狭さ、みたいなミクロな問題。などなどを総合して実は結局スタンスが見つからない。これはボク自身の問題だ。
「あまちゃん」の震災以後が「平和」に見えているとして、それは共通意識の欠落が前提の誤解だったらどうしよう思うと空恐ろしくなる。震災の瞬間を象徴的表現にまとめた演出を、一応ボクはキチンと大災害として受け止めることができた。しかし、この震災以降の「平和」が、困難と絶望の象徴的表現を前提とした描写なのに、その絶望部分をコチラがキャッチ出来ていなかったら?だとしたら大きなショックだ。主人公・アキちゃんが帰郷を決意する前の段階、つまり東京の中での震災以降の表現には納得がいく部分があった。現場のリアルが伝わらないじれったさ。祖母・なつばっぱにメールしても返事がハンパでアキちゃんは動揺する。北三陸の仲間の消息がよくわからない。「絆」とか「がんばろう」とか「自粛」とか「売名」とか「節電」とかフワついたキーワードが転がっていくだけ。そこから物語が北三陸に踏み込んで現場と被災当事者の中に入ったタイミングで、ボクのリアリティは限界に達する。岩手では当たり前が、もうボクの当たり前ではなくなっている。アキちゃんに置いていかれた…種市先輩もミズタクまでもが北に行ったのに。
●残すトコロあと二週間の放送を見て、結論をつければ十分なのだけれども、あえて今この違和感に言及しておく。自戒の念を込めて。


   さんてつ日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録

吉本浩ニ「さんてつ: 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録」
●そんなリアリティ不足をドロナワのように埋め合わせるために、こんなドキュメンタリーマンガを読んだ。「あまちゃん」北三陸鉄道の被災エピソード〜稼働中だった二便は幸いにも津波の被害を避け、けが人一人出なかったコトは、実在の三陸鉄道の被災状況をなぞったものであると知った。あのトンネル内でのブレーキもそうだ。そこでこんな本を探したというワケだ。このマンガの作者は、運転手、社長、様々な鉄道スタッフ、沿線の住人の方々までに、しかも震災発生後半年経たぬ2011年8月にインタビュー。まだ混乱の渦中にあった人々の言葉は生々しい緊張感を持っており、ソレがマンガの筆致に影響している。
三陸鉄道・望月社長の判断が立派だった。即座に自動車で路線と駅舎のダメージを自ら確認。現場経験の感覚がハッキリとした確信に結びついたのか、震災5日後には出来る範囲で運転再開と決断!しかも運賃はタダ!結局震災発生の3月中に北リアス線の半分までで運転を始めることができた。しかし停電下での踏切管理は全て人力。ケーブルが切れている場所は無線や手旗信号で安全運行を確保。そのため会社で借り上げたアパートでスタッフが3泊4日のルーチンで業務に就くなど、通常では考えられない過酷な運営が取材時の8月〜9月まで続いていた。その緊迫感がこのマンガには描かれている。
●その後の三陸鉄道が気になって公式ページを検索すれば、北リアス線に関しては島越駅の前後だけが不通区間になっている。マンガによるとこの島越周辺は津波の被害が激しく、駅周辺にあった集落約100世帯のうち高台にあった一軒以外が全て破壊されてしまったという。一番頑丈に作られていたハズのコンクリートの高架線路も、宮沢賢治の童話に由来するカワイらしい駅舎も流されてしまった。ただし、公式ホームページではこのカワイらしい駅舎の写真をあえて残している。完全復旧を願う…。
●しかし、この三陸鉄道公式ホームページを眺めると、地域の良さを生かした様々な工夫が凝らされていて頼もしい気持ちになる。久慈市の業者とコラボした「さんてつサイダー」がチャーミングだし、「鉄道ダンシ」なるキャラのイメージソングを展開してるし、「鉄道むすめ」三鉄キャラ・久慈ありすちゃんがねんどろいどのフィギュアになってるし。「あまちゃん」でも重要なシーンとなったお座敷列車も運行(ウニ丼もあるよ)。他にも震災学習列車、ランチ&スイーツ列車なんて企画もある。「さんてつジオラマカフェ」なんてのも実在するのね。久慈じゃなくて釜石だけど。「あまちゃん」風に言えば、KDTOK3RKDNSPMMMYOGBだ。「転んでもただでは起ぎねえ北三陸を今度こそ何とかすっぺ目に物見せてやっぺゴーストバスターズ」だ。

・「三陸鉄道」http://www.sanrikutetsudou.com/




音楽。大友良英さんのトコロでユダヤの音楽に触れたので。

MATISYAHU「NO PLACE TO BE

MATISYAHU「NO PLACE TO BE」/DVD「LIVE IN ISRAEL」2006年
ユダヤ系のレゲエシンガー。ていうかユダヤ教徒であることを全面に打ち出したレゲエシンガー。ユダヤ教徒とラスタ信仰って共存しうるものなの?でも完全にユダヤの伝統装束でステージに立つもんね。生バンドを率いたレゲエの上を見事なマイク捌きでラップ(ディージェイングっていうのかな?この場合でも)してみせる様子は立派で違和感ないのですが、この古風なユダヤ装束はなんだかスゴいね。実際ニューヨークに出張した時には、予想以上にこのユダヤ装束のオジさん達は街にフツウに歩いていたモンで、当地には珍しくないのでしょうけど、若い人でレゲエシンガーとして登場するのはだいぶ異色かと。ただし、ユダヤ人の受難、出エジプトやバビロン捕囚を、ラスタ信仰は奴隷貿易の子孫である自分たちにアイデンティファイしてるキライもあるから、ワリと相性がイイのかも知れない。THE POLICE「MESSAGE IN A BOTTLE」をカッコよくカバーしてるセンスは好き。
●でも、ネットで今の MATISYAHU を見ると、すでにヒゲもそってスキンヘッドにしててフツウにTシャツ着てて、ソツのナイ白人レゲエをやってるフツウの人になってる感じなんですけど。あの立派なヒゲは、ラスタ気取りでダラダラ伸ばしてたらたまたまユダヤのオジサン風になってしまった、だけの延長にあった芸風だったらどうしよう。



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