和辻哲郎「古寺巡礼」のワイルドな奈良旅行。

和辻哲郎「古寺巡礼」

和辻哲郎「古寺巡礼」
パブリックドメインになったこの書物は今 Amazon からフリーでダウンロードできる。それをスマホの Kindleアプリでボクは読んでいる。あまりに楽しいので、スマホをジップロックに入れて、風呂でも読んでいる。
和辻哲郎は戦中戦後に活躍した思想家/哲学者で、日本の思想と西洋哲学を総合した視線で様々な書物を記した人物だ。やはりフリーで入手し Kindle で読んだ「孔子」は、「論語」のテキスト分析で複数のレイヤーに分割分解する内容で成立過程を時系列に並び替える内容だった。手っ取り早く言えばとってもタフな研究書。
●ところが彼の代表作とされる「古寺巡礼」はだいぶ趣を変える内容だ。大正7年/1917年、まだ20歳台だった若き和辻哲郎が、友人とともに奈良旅行に行った様子を、フラフラと、または若さに任せて思いの丈をぶつけるように書いている。さすがの博識で奈良の仏教美術を、同時代の中国事情や西域文化、インド・グプタ朝美術やギリシャ・ローマ文明までと結びつける見識は本当に興味深い。しかし、それよりも興味深いのは、大正時代の若者が半ば探検旅行のように奈良をウロツく様子だ。今のように観光化されていない当時の奈良〜飛鳥の地では、今では整備された名刹が文字通りの古寺として廃墟のような姿を晒している。今の時代に引きつければ、クメール人の遺跡を見にカンボジアのジャングルに入ってくような気分かもしれない。そんなオンボロ寺に信仰心とはキッパリ切り離された美術鑑賞という視点で訪れるコトは、たぶんヒップ過ぎたはずだ。都会のエリート学生が、大事なお寺の本尊に手を合わせることもなく、美術品として品評しにやってくる、というのは、お寺にしてみれば珍客だったはずだ。なんてったって大正時代だからね。
●そんな若き和辻哲郎が、この本に描く奈良時代〜天平年間は、想像以上にコスモポリタン。唐の高僧・鑑真が来日した際には、シルクロードや東南アジア出身の人物も同行しており、彼らが故国の美術を日本に伝えたとされている。古寺の仏像を作った人々の名前は歴史の中で消えてしまったが、和辻の繊細な観察眼と想像力によって、こうした無名の芸術家が世界各地から日本に訪れ、古寺に残る様々な造形制作に勤しんでいた様子が生き生きとよみがえる。

天平時代

●この絵は、明治時代の洋画家・青木繁の「天平時代」という作品。ボクはこの絵が好き。1200年前の都にこんなエロ〜ンとした解釈を入れたことに感動。この絵とほぼ同時代人だった和辻哲郎が天平年間を語る時に、ボクはこのデカダンなイメージを乗っけている。仏像には性別を超えた艶かしいエロチシズムある。そして和辻はそれを熱く語っているのだ。

マンガで飛鳥時代。

園村昌弘/中村真理子「天智と天武」

園村昌弘/中村真理子「天智と天武」1〜2巻
天智天皇=中大兄皇子と、天武天皇=大海人皇子。兄弟同士の確執と政争を描くマンガ。大化の改新で実権を握り改革を進めた中大兄皇子は、教科書ではヒーロー扱いだが、この作品では権力に貪欲で凶暴な野心家。主人公は大海人皇子。暴走する実兄に対抗する。
●第一巻の冒頭は、明治時代、アーネスト・フェノロサと若き岡倉天心法隆寺・夢殿の秘仏・救世観音の厨子を開くところから始まる。明治時代、日本人は日本をまだ知らず、アメリカ人によって再定義されていくのだ。ここに和辻哲郎らが仕事を引き継ぐ。廃都に価値を見出し、非言語で伝わる1200年前の精神世界を読み解く。


今年7月、鎌倉旅行。
●今年の春に奈良旅行をした我が家は、夏に鎌倉を訪れていた。

鎌倉大仏

●夏期講習で忙しいコドモたちのスケジュールをムリヤリ縫うような形で、ひねり出せた今年の夏のバケーションは鎌倉一泊旅行だった。小田急沿線に暮らす我が家にとって、鎌倉はわざわざ一泊するような場所か?はなはだ微妙なトコロであったが、ボク個人でいえば仕事以外で鎌倉に行くのはたぶん高校時代以来と思い至り、キチンと観光するコトを狙うコトとした。
和辻哲郎が性別などを超越した美を仏像に見出す様子を読む時、ボクは高校の鎌倉旅行で見学したある仏像のことを思い出していた。寺巡りに退屈してきた高校生たちがザワザワ騒いで行列を歩く中、チラリとみたその仏像…たぶん観音様だったと思う…に10代だったボクはハッと心を奪われた。その観音サマは薄暗い建物の中で黒く艶かしく光っており、恐ろしいほどにセクシーに見えた。仏像とはいえアレは男性だろうと思いながら、そこに強烈なエロチシズムを見つけてしまったボクは密かに動揺した。そして次に浮かんだ空想。鎌倉時代、禁欲的な修行生活を過ごす若い僧が、暗闇の中でこの観音サマを見ながら自慰する様子がアタマに浮かんだ。信仰の法悦と性的エクスタシーは密接に結びつくと感覚的に理解してしまった。和辻はことさらそのコトばかりを指摘するわけではないが、仏像はセクシャルなものである、という考えはこの時以来、ボクのアタマにこびり付いている。これがボクの鎌倉の思い出。
●とはいえ、今回の旅行は仏像が目当てではなかった…さすがにコドモにはハイブロウ過ぎて退屈だからね。鎌倉大仏は、鋳造の過程についた横線グリッドが顔を横切っていて、スカーフェイスだった。セクシーとは関係ないね。

壽福寺

壽福寺。ここに来てみたかった。JR鎌倉駅東口に賑わう小町通りとは逆サイドの西口へ歩いて10分ほど。静かなお寺が現れる。立派な山門と緑まぶしい参道がキレイ。和辻が訪れた古寺のように荒れ果ててはいないが、観光化されているわけでもない。一般の檀家さんの墓石がフツウに並ぶここの墓地にボクの目的はあった…それは、北条政子の墓である。

北条政子の墓

これが北条政子の墓。
●起伏の激しいこの鎌倉の土地、その切り立った崖に横穴を掘って、お墓を作る。これは「やぐら」といって、この時代の鎌倉武士に特徴的な様式だという。政子だけではない。このとなりには源氏直系最後の鎌倉幕府将軍、源実朝の墓も、おなじく「やぐら」様式で営まれている。鎌倉は周囲を山地に囲まれた土地だが、その起伏豊かな周囲にはこのような「やぐら」が数多くあるという。この壽福寺には、高浜虚子大佛次郎のお墓もあるのだか、彼らもこの「やぐら」に憧れたのか、同じ横穴様式で作られている。おまけに、本当に切り立った崖にこの横穴は掘り込まれているので、ソバには落石注意の看板まであった。JR鎌倉駅と鶴岡八幡宮の間を歩くだけでは気が付かない、ワイルドな鎌倉の姿がここにあった。

やぐら

●鎌倉仏教に大きな影響をもたらした日蓮も、鎌倉に多いこうした洞穴に縁が深い。鎌倉の東側にある安国論寺は、日蓮が著書「立正安国論」を記した場所とされているが、その時の居室に使ったのも洞穴だった。現在は「御岩屋」「御法窟」と呼ばれている。そしてこの「立正安国論」が既存仏教や北条政権への批判とされ日蓮は命を狙われるのだが、その時もある洞穴に逃げ込んで難を逃れたという。白い猿に導かれて…などなどの逸話もあるらしい。
●今回の旅行では、いくつかの寺でウロウロと歩いては、意味のワカラナイ洞穴を見つけて、クモの巣を気にしつつスマホの灯りを手がかりに勝手に中に入ってみた。強烈なカビ臭と照明ゼロの暗闇に、スマホに照らされて小さい地蔵様がフッと現れるとかなりギョッとする。天然の要塞としてワイルドな地形をゴツゴツと残すこの古都の周辺に、武士たちが自分たちのアイデンティティを洞窟の中に作っていった、その息吹を感じられたのが今回の収穫であった。
●まー銭洗弁天も、かなり立派な洞窟施設だったし、そこに行くために敢えて通ってみた化粧坂切り通しも本当にワイルドな山道だった。オモシロかったね。

●ガイドブックはもちろんコチラ。

すずちゃんの鎌倉さんぽ

吉田秋生(監修)+海街オクトパス「すずちゃんの鎌倉さんぽ」
吉田秋生が鎌倉周辺を舞台に描くマンガ「海街diary」シリーズの舞台をなぞったファンブック。江の電沿線から北鎌倉、江ノ島までを網羅したガイドブックにもなっている。歴史都市ではなく、生活都市としての鎌倉はまた違った表情を見せるのだろう。この本の影響で、宿には稲村ケ崎〜七里ケ浜にあるホテルを選び、ステキなオーシャンビューとサーファーのガンバル様子を楽しんだ。桑田圭祐の監督映画「稲村ジェーン」で名前だけは知っていた稲村ケ崎を肉眼でキチンと観たのは今回が初めて。おススメされてたシラス丼もみんなで食べた。偏食家のノマドが生シラスをモリモリ食べてくれたのはウレシかったなあ。

江の電でみつけた珍キャラ、えのんくん。

えのんくん

●なんじゃこりゃ?藤沢から江の電に乗ろうとして発見した公式ゆるキャラ。緑と黄色のカラーリングや足みたいについている黒い球は、そのまま江の電車両のデフォルメだってのはわかるけど、左サイドについている青い物体3個はナニ?みんなでしばらく思案した後、息子ノマドがポツリ。「もしかして、さんずい?」なに!江の電「江」の字をかたどっているのか!すげえ!これどれだけの人が気付いているだろう?まさか「さんずい」とは思わないだろう!
江の電に初めて乗るコドモたちはこれまた興奮。「道路の真ん中とか家の間とか海沿いとか、イロイロなトコロを走って、なんだか落ち着かねえ電車だなあ!」とノマド。しっかり一番前の席に陣取って写真撮りまくってたけどね。

えのんくんびっくり

えのんくん、ビックリすると大事な「さんずい」がハズレちゃうので、駆け込み乗車には気を付けてね。

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