新・朝の連ドラ「花子とアン」。
「赤毛のアン」フリークであるワイフはナニゲに楽しんでいるみたい。「アン」を連想させるギミックがそこかしこに仕込まれてるそうな。
●ボクは吉高由里子さんを楽しんでいる。なんか久しぶりだな。ただ、美輪明宏さんのナレーションが迫力ありすぎるんですけど。「ごきげんよう、サヨウナラ」

「笑っていいとも」最終回の録画をやっと見た。
●あれ…そんなにオモシロくないなあ。タモリさんにお礼の挨拶なんて内輪の打上げでやればイイのに。
●80年代から90年代のお笑いを支えたレジェンドが勢揃いしてて豪華だったけどね。
タモリさんは人格者だね。ステキだね。




うー。なんか風邪引いた。
●沖縄の道の駅・許田(きょだ)で買った「ショウガとヒハツモドキのはいった加工粉黒糖」ってヤツをお湯にといて飲んでる。ヒハツモドキってのはコショウ科の一種で「ロングペッパー」って言われてるらしい。これとショウガを沖縄北部・今帰仁村(なきじんそん)で作られてる黒糖と混ぜ合わせて、おいしいジンジャーティーの出来上がり。ちょっと癒される。

「ショウガとヒハツモドキのはいった加工粉黒糖」

(北部じゃないと売ってないらしいよ。でもEコマースもしてるみたい)



で、今日もしつこく、沖縄ツアーの話。
家族四人で、沖縄のボーカルグループ、ネーネーズのライブを観ました。

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「ライブハウス島唄」http://www1a.biglobe.ne.jp/dig/simauta_top.html
●那覇の街には、美味しいゴハンを食べたりお酒を飲んだりしながら音楽を聴けるお店がイッパイあります。「民謡酒場」っていうんですかね。そりゃもうガイドブックやパンフレットにたくさん書いてあります。
●2002年の出張で沖縄に来た時は、沖縄の人にそんなお店に連れて行ってもらいました。そのやや鄙びたお店では、お酒やお造りを作ってるオバちゃんがそのまま「おまたせしましたよ」と三線持ってステージに上がるのです。大丈夫か?とボクは心配になったのですが、オバちゃん実に堂々たるプレイを披露、見事な沖縄民謡を聴かせてくれました。さらにはオバちゃんご指名でボクはステージに引っ張り上げられて、演奏に合わせて太鼓を叩かせられました。いや実はボクのヘタクソな太鼓に合わせてオバちゃんは絶妙にフリースタイルをカマしていたのです。その後、あのオバちゃんが結構高名な歌手だというコトを聴かされました…かつてはカセットテープ(CD以前の時代なのね)をたくさん出してたとか。だからその場でカセットテープを1本オバちゃんから買っちゃいました2500円で。高いうえにカセット聴けねえのに。

そんな経験を、ボクの子どもにも…と思って調べたところ、このライブハウスを発見。
ここは沖縄の四人組ボーカルグループ・ネーネーズが拠点としている場所。そんで基本的に毎日ネーネーズが出演してるんです。そして彼女たちのプロデューサーでもあり、沖縄音楽の重要人物でもある知名定男さんのお店でもあるようです。え!ネーネーズいつも観られちゃうの?!すげえ贅沢じゃん!ボクはビックリ!そんでそのままお店に電話して席の予約をしました。ちょうど夜のライブ中だったのか、電話の向こうは大きな音が鳴ってて会話がしづらかったです。

場所は国際通りのちょうど真ん中あたり。お土産屋さんの3階。
国際通りは、長さ約1.6キロの那覇メインストリート。その真ん中あたり、松尾交差点とホテルJALシティ那覇の中間に「ライブハウス島唄」はあります。建物の一階はごくごくありふれたお土産屋さんだから、気を抜けばスルーしてしまう感じ。そのお土産屋さんの、カーブしたエスカレーターを登りながら3階にいくと、一見ただの広いテーブル居酒屋な佇まいでこの「島唄」は存在してます。ライブハウスってのは周りにベタベタ貼られた島唄系ポスターがなければ感じ取れないほどの気配。19時から最初のパフォーマンスが始まると聞いてたので、18時30分に予約。時間通りに到着すると、お客さんが誰もいなくてビックリ。一応金曜日だから混んでると思って予約したのに意味ないじゃん。しかもお店が用意してくれたテーブルはステージの最前列ど真ん中で、ちょっと近すぎ。これじゃコッチも緊張しちゃうよ。
●ともかく、メジャーな沖縄料理、ソーミンチャンプルーや島らっきょうやジーマミーとうふ、シークワーサージュースなどなどを注文し、デザートにブルーシールアイスクリームの紅芋味もお願いしました。ライブが始まる時間にはチョコチョコ他のテーブルも埋まり始めてなんとなく賑やかに。ニュージーランドから来たという白人女性もいましたっけ。


さて、ネーネーズのコトがわかんないと、ボクが盛り上がってる意味がわかんないですよね。
ネーネーズは、沖縄音楽の重要人物・知名定男のプロデュースで1990年に結成された女性ボーカルグループ。オーセンティックな沖縄民謡をベースにした音楽と、沖縄方言=ウチナーグチによる歌詞を、見事な琉装で聴かせてくれる。ボクにとっては、本物の沖縄音楽の魅力に初めて気づかせてくれた存在。でも、ライブパフォーマンスを観るのは初めて。ワクワクだ。
ボクがネーネーズの音楽を知ったのは約20年前。彼女たちのファーストアルバム「IKAWU」に収録されている「テーゲー」という曲に圧倒されました。これを初めて聴いた瞬間を今でも覚えています。1994年、大学生だったボクは初めてアメリカを旅行するのですが、その時の機内BGMでこの曲がかかってたのです。飛行機ってなんとなくヘッドホンがそれぞれの席にあって、映画を観たりするのに使うじゃないですか。ボクはアレで航空会社が提供している音楽を聴くのが楽しみなんですよ。だって意外な出会いがあったりするから。アレはナニゲに航空会社のお国柄もシッカリ出ますからね。その時は ANA だったから、目一杯ジャパニーズトラディショナルな選曲として、この沖縄音楽を盛り込んでいたのでしょう。しかし当の日本人であるボクが、未知の音楽として衝撃をうけてしまったのです。
標準的な日本語と全然理解出来ない沖縄方言=ウチナーグチが入り交じる歌詞、三線他聴き馴染みのない民族楽器の響き(その当時のボクは三味線と三線の区別も知りませんでした)、そして沖縄民謡独特の凛とした歌唱法でもって、4人の女性が分厚いユニゾンをユッタリと歌う様子。決して音質がよくない機内オーディオでも十分に、いやむしろ粗末な音響だったからこそ、その島唄由来のシンプルイズベストな佇まいが素晴らしく聴こえたのでしょう。

ネーネーズ「IKAWU」(ネーネーズ「IKAWU」1991年)

ネーネーズは、メンバー交代で新陳代謝していた!
●20年以上のキャリアということは、ネーネーズはすでにバーバーズになっているのではなかろうか?「IKAWU」の内ジャケを見ると、すでにこの段階で結構なお年のお姉さんという印象、そこから20年経っているって?と心配したりもしたのですが…。しかし!なんとネーネーズはこの長い年月で、3回のメンバー総入替えを行い、常々の時代でアップデートをしていたのでした。1990年の結成、そして1999年、2004年、2009〜2010年に総入替え。つまり今のネーネーズは4代目ということ。プロフィールを見ると生まれが1988〜1991年、初代結成以後に生まれたメンバーもいる。まるでモーニング娘。のようだ!これ、お店に到着してから知った事実ね。


そんなフレッシュなネーネーズが、ステージに登場。

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●現在のラインナップは、モデルさんのような長身が印象的な保良光美(てーるーネーネ)、切れ長な目が大人なクールビューティ上原渚(なーぎネーネ)、ひときわチャーミングな顔立ちとドッシリした存在感の比嘉真優子(まゆネーネ)、そして一番最近加入した本村理恵(りえネーネ)ネーネがつくのは、単純に沖縄弁で「姉さん」という程度の意味らしくて、ラモーンズのように名字を揃えてるほどの意味はないようです。
●スピリチュアルなヴァイブを放つ「明けもどろ」から始まり、活気溢れるコザの街のマルチカルチュアルな賑わいを切り取った「あめりか通り」、拝金主義を批判する「黄金の花」サザン=桑田圭祐のカバー「平和の琉歌」、テッパンの古典民謡でコール&レスポンス「安里屋ユンタ」、スウィングジャズアレンジが楽しい「贈りもの」などなどを、休憩を挟みつつプレイ。基本はカラオケトラックに合わせての歌唱なんだけど、時に三線を抱えてプレイする様子は安定感抜群のグルーヴでカッコイイ。あーこの人達、きっと子どもの頃から琉球音楽に馴染んできた音楽エリートなんだろうなと感じさせられた。一方で、琉装の上からもふっくら体型がわかるまゆネーネは、島唄に限らず R&B でもロックでも歌いこなせるような貫禄を放っていたり。体を揺するダンスがファンキーで。
太鼓と三線で的確なグルーヴを編み出す様子は、カチャーシーのようなダンスミュージックとして伝統的な沖縄音楽が現在を立派に生きているコトを実感させる。特に、長身てーるーネーネの身のこなしが洗練されてて…沖縄舞踊のエッセンスが立ち振る舞いに滲み出てるというか。彼女が巧みに演奏する三枚カスタネット=「三板」に惚れてしまう。三線のネックを作る黒木の切れ端から作られるというけど、その割には見事に大きな音が鳴る。重要なパーカッション楽器なのね。

ネーネーズ贈りもの

ネーネーズ「贈りもの」2010年
●彼女たちの今のトコロの最新アルバム。4代目への移行が済んでのリリースだけど、ここから現在までに一名入れ替わってる。そんなメンバーチェンジは長くやってると結構たくさんあるみたいね。那覇が持つもう一つの大切な顔、平和通りのアーケード商店街を背景にしたジャケ、コレ以前のアルバムでもたびたびアーケード商店街のイメージが使われてる。日本全国で商店街は衰退しているけど(ボクが暮らす下北沢ですら、最近はヤバさを感じる)、平和通り周辺は昭和以来の佇まいと21世紀を生きる活気が同居する希有な空間だ。伝統音楽と現代のコンテキストをハイブリットさせるネーネーズの音楽を、ある意味で象徴しているのかも。
●このアルバムを聴くと、彼女たちの音楽が狭義の沖縄民謡に拘束されてないのが分かる。表題曲「贈りもの」は前述したとおりホーンアンサンブルやスウィングするリズムがニギヤカなビッグバンドジャズ。コザの街をロックンロールシティと呼ぶ「コザ!」ハードロックバンドをバックに従えてる。と思えば、完全なるトラディショナルな民謡を取り上げたり、1999年に亡くなった「島唄の神様」嘉手苅林昌へ捧げた楽曲もある。ここのあたりに、プロデューサー知名定男の幅の広さ、ポップスと伝統音楽のバランス感覚が忍び込んでいるのだろう。知名定男「花」喜納昌吉とほぼ同世代。その他、現代の沖縄音楽を更新しているアーティストたちの楽曲提供も目立つ。宮古島独特の方言・ミャーフクツで島唄ブルースを歌うシンガーソングライター・下地勇が参加。下地勇パーシャクラブ新良幸人によるユニット曲をカバーしたりもしている。
●初めてネーネーズに出会った時は、これがそのまま王道の伝統的沖縄音楽と思い込んだものだったけれども、今冷静に「IKAWU」をはじめ過去の何枚かのアルバムを聴いてみると、多様なアレンジが丁寧に潜り込んでいて実に多彩。レゲエもラップも溶け込んでいる。まさしくチャンプルー感覚。そして優れたコンテンポラリー感覚。

「LIVE IN TOKYO 〜月に歌う」

DVD「LIVE IN TOKYO 〜月に歌う」2012年
●アルバム「贈りもの」の時のメンバーによる東京・青山のライブハウス「月見ル君想フ」でのライブを収録。ボクが今回のステージで聴いた曲がほとんど網羅されてる。師匠・知名定男が1978年に全国ヒットさせた「バイバイ沖縄」もプレイしてるね。もちろん現場で買いました。
ネーネーズが、現在を生きるコンテンポラリーミュージックだということは、リリックの部分からも感じ取れる。ボクには意味が分からないウチナーグチのスキマから、ビビッドな現代語が突然現れて、それがチクリと世相を刺す場面がある。ドキリとするほどボリティカルなサザン楽曲「平和の琉歌」「この国が平和だと誰が決めたの?」というフレーズから始まる。「黄金の花」では「病気のお金はありますか」と問うてくる。ボクのダイスキな「テーゲー」「惚れたはれたと追いかけたって、一生賭ける恋などないさ」と喝破する。歌唱法やウチナーグチが伝統的に見えるとしても、コレらは今現在2014年の文脈で歌われている音楽で、マチガイなくコンテンポラリーなポップミュージックだというコトを忘れてはイケナイ。ただの回顧主義と受け止めてはイケナイ。

●さて、「ライブハウス島唄」でのステージに話をいったん戻して。
●一回目のパフォーマンスが終わった直後は、メンバーが客席に降りてきてくれてお客とお話をしてくれる場面があって。娘ヒヨコは、指をくわえての口笛が見事といって、どんな風に鳴らすのかネーネーたちに質問してた。ボクは、あの見事なおダンゴヘアスタイルをほどくと、どれだけのロングヘアになるんですか?と聞いちゃった。バレエをしている娘ヒヨコもおダンゴヘアを作るために前髪を作らないロングヘアをキープしてるが、それでもあれだけの立派なおダンゴを作るのは無理。そしたらなーぎネーネ「これね、付け毛なんです。琉球版付け毛。ポニーテールをくっつけて丸めるんです。ワタシが髪ほどいたら、おねえちゃん(娘ヒヨコ)より短いわよー」あ、そうなの!そんなイマドキ風の処理なの!CDの内ジャケにも、琉装を脱いだプライベートカットがある。そこにいるイマドキ風のネーネたちを見ると、琉装とのギャップが楽しい。
●それと、本土ツアーの告知も。つまり「島唄」でのステージはお休みって意味なんだけど。東名阪三カ所をまわるらしいけど、東京2デイズはすでにソールドアウトだそうで。でしょ!やっぱそうでしょ!ネーネーズのライブは人気なんだって!なのに、現地沖縄ではこんなカブリツキで見られちゃうってスゲエ贅沢。たっぷり満喫したよ。満足満足。



ちょっと視点を広げて。沖縄音楽の90年代以降を考えてみる。

最初にネーネーズが登場した時代、1990年前後の音楽シーンについて。
1980年代末〜1990年代初頭は、ワールドミュージック発見の時代。英米のロック/ポップスはソレ以前もブラックミュージックやラテンミュージックなどなどから影響を吸収しその表現を拡大してきたが、特に80年代ニューウェーブ期はレゲエやファンクがより活発にロック/ポップスに組み込まれて新しい音楽が生み出されていた。そんな動きが一巡りして、第三世界のアーティストが、直接世界の音楽シーンにアクセスし得る状況が生まれたのが、この1980年代末〜1990年代初頭という時代。
●象徴的なのは、PETER GABRIEL が1989年に立ち上げたレーベル REAL WORLD RECORDS。彼はプログレバンド GENESIS からソロを経て第三世界の音楽へ傾倒、ワールドミュージックの祭典 WOMAD を1982年から主宰するなど、未知の音楽を世界に紹介していた人物で、とうとう専門レーベルまで立ち上げてしまった。やはりマルチカルチュアルな先進性で知られた TALKING HEADS のリーダー DAVID BYRNE もワールドミュージックレーベル LUAKA BOP を1988年に立ち上げ。こうした流れで、アフリカや中東、カリブ海から南米ブラジル、アイルランドなどなどの音楽家が全世界にむけて紹介されたのだ。アジアではシンガポールから DICK LEE「MAD CHINAMAN」1989年がリリースされ、新しいポップスの登場を知らしめる。中国では、あの国で一番最初のロックスター・崔健(ツイジェン)が登場、彼の楽曲「一無所有」1989年天安門事件の中、学生のプロテストソングとして愛唱されたという。
●日本はバブル景気の最中、大手レーベル/流通がこうした音楽をたくさん紹介していた。今は亡き WAVE(パルコ系レコードショップ)がこうしたワールドミュージックのコーナーを大きく構えてたのが印象的。さらには坂本龍一が1989年のアルバム「BEAUTY」沖縄音楽に接近、有名な民謡「安里屋ユンタ」をカバーするなどしてたねー。1991年の紅白歌合戦には喜納昌吉が初登場して代表曲「花〜すべての人々に花を」を披露。海外の動きと連動するように、沖縄はこの時期、新しい視点から「再発見」され、ちょっとしたブームを迎えていたのだ。ネーネーズ「IKAWU」でデビューしたのはそんな時代だったのです。

りんけんバンド「カラハーイ」

りんけんバンド「カラハーイ」1991年
ネーネーズ「IKAWU」と同じ年にリリースされた、彼らのサードアルバム/メジャーデビューアルバム。リーダーの照屋林賢沖縄音楽のサラブレッド。父・照屋林助「ワタブーショー」という名で音楽と漫談を披露するエンターテイナーとして沖縄〜全国で知られた存在。祖父・照屋林山も沖縄音楽の名手。実家は「照屋楽器店」というお店を営んでおり、楽器や音楽には幼い頃から親しんでいたという。ボクは2005年の沖縄旅行でコザを中心に歩く中、偶然にこの「照屋楽器店」を発見。思わず記念撮影しちゃった。ちなみに、ガレッジセール・ゴリ林賢の甥っ子で、ミスユニバース総合第二位の知花くららは従姪にあたるらしい。芸能一家だわ。
●琉装を通り越して、ややコスプレ感さえ感じるバンドのユニフォーム?は、エイサーの祭り装束のようで。そんなイメージを採用しているのは、りんけんバンドがあくまでエイサーやカチャーシーといった沖縄在来のダンスミュージックを軸足に置いているからだろうか。ダイナミックなリズムとメインボーカル上原知子の声が凛々しい。ジャケに写るガジュマルの木も立派だね。実は下北沢で100円で買えた。
●この時期のメンバーとしてボーカル/コーラスを担当している藤木勇人という人物は、その後バンドを離れて落語の立川流の門をたたき、現在は立川志ぃさーの名前でウチナーグチの落語に挑戦している(確かに顔がシーサーみたいなオジサンだった)。なんでこんなコトを知ったかというと、実はたまたま旅行中ホテルのロビーで読んだ地元紙「琉球新報」に彼のインタビューが載ってたのだ。旅行先で地元紙を読むのは楽しいね。



その後、沖縄はジェイポップの震源地になる。
1996年、安室奈美恵が大ブレイク。小室哲哉プロデュース「SWEET 19 BLUES」がリリースされ「アムラー現象」なるファッションフォロワーも登場。その前後に、SPEED、MAX、DA PUMP、FOLDER(後に、三浦大知FOLDER5に分解)つまり沖縄アクターズスクール系統が次々に登場。他にも COCCO、キロロ、夏川りみ、BEGIN、ORANGE RANGE、HY、MONGOL 800 などが続々と本土進出。良質なジェイポップを放つ。もはや、このあたりは沖縄のアイデンティティを表現に盛り込む必要のない世代だ。一方で、本土のアーティストが沖縄に接近する場面も。森山良子「さとうきび畑」THE BOOM「島唄」だ。ケツメイシは、出自は沖縄と関係ないのにジャケット写真はいつも首里城で撮影しているという。なんでだろう?
新城和博「ぼくの沖縄<復帰後>史」によれば、県民人口に対する紅白出場歌手の比率は沖縄県が全国一位らしい。沖縄返還〜本土復帰から20年を経て、本土と同じ音楽感覚を持つ世代が育ったということか。ただ、バックグラウンドとして、沖縄はやはり音楽文化が豊かな土地なのでしょう。

●さらにくわえて言えば、NHK朝の連ドラ「ちゅらさん」2000年が、さらに沖縄をエンターテイメントコンテンツに、しかも全世代網羅的に浸透させた。「ちゅらさん」平均視聴率22.3%を記録、これはソレ以前の作品と比較すれば低い数字だが、2003年以降は20%を越せない低迷期に入る朝の連ドラから見れば十分な好成績だ。20%台に復帰するのは約10年後の「梅ちゃん先生」「あまちゃん」まで待たなければならなかったし、この2本の傑作も「ちゅらさん」には及ばない。やっと「ごちそうさん」で0.1ポイント追い越すことができた。
●そして2000年沖縄サミット、2002年の美ら海水族館オープン。沖縄は、中途半端に海外に行くよりもゴージャスで高価なバカンスになると言われるようになったのはこの頃じゃないだろうか。

ORANGE RANGE「ALL THE SINGLES」

ORANGE RANGE「ALL THE SINGLES」2003〜2009年
●そんな沖縄アイデンティティから自由でいられる新世代沖縄キッズ6人組のミクスチャーロックベスト。無限に続く常夏のパーティ。



一方、沖縄が抱える社会問題は、一向に解決していないんだけどね。それは忘れられないね。




●動画。
●DVD「LIVE IN TOKYO 〜月に歌う」ダイジェスト。「平和の琉歌」&「黄金の花」。




●ネーネーズ「テーゲー」。
●多分初代ネーネーズじゃないかな。サビがウチナーグチで理解出来ない。今聴けばレゲエ=ラヴァーズロックな気分も漂ってるよね。



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