日本テレビ・日曜の和み系小規模街歩き番組「ぶらり途中下車の旅」
このレポーター”旅人”に、宮田和弥が登場しておった。

「ぶらり途中下車の旅」

宮田和弥ってダレ? JUN SKY WALKER(S) のボーカリストです。
JUN SKY WALKER(S)は、平成元年近辺(1989年)の「バンドブーム」の中心になっていたロックバンドだ。シンプルなビートパンクを基調にしながら、バラードも歌うポップさも兼ね揃えた音楽性は、その後の2000年代に現れる「青春パンク」にフォーマットの上でめっちゃ似ていた。80年代から活動していた彼らは自己プロモーションのために、代々木公園&明治神宮の間を通る井の頭通りで当時実施されていた歩行者天国ゲリラライブを展開通称「ホコ天」と呼ばれてたこの週末だけのフリースペースは、様々なタイプの若者たちが自己表現するための舞台になっていたが、そこから立身して1988年にメジャーデビューしたことでも話題になった。
●その後、結構な量のヒットシングルを出すも、1997年に解散。散発的な再結成はあったが、2011年の震災をキッカケに本格的に再始動、翌年には15年ぶりに2枚のアルバムをリリースする。

なんでロックシンガーが「ぶらり」しているんだ?
●ボクとしては、JUN SKY WALKER(S) もそのバンドのボーカリストだった宮田和弥も、懐かしいバンドの懐かしい顔。それが、なんと、のんびりしたお昼の番組「ぶらり途中下車の旅」に出て来るってのがオドロキだった。だって普段は阿藤快とか舞の海がやってる役なんだよ!
●実は事後にこの話題を察知し、主要テレビ局2週間分を丸ごと録画する機器(低画質だけどね)ガラポンTVでチェックした次第。宮田は、彼がバンド全盛期には何回もプレイした日本武道館のある九段下から、都営新宿線にのって西大島とかとかのホントにシブい町をブラブラしとった。東京に住んでてもなかなか縁がナイ場所だよ。そんで彼は「スポーツくさりがま」という珍妙なスポーツに挑戦したり…スポーツチャンバラは聞いたコトあるけど、くさりがまって…。しかもその「スポーツくさりがま」の達人という10歳の女の子にコテンパンにされてた。宮田和弥48歳の初夏

●実は、彼のソロ名義の近作「想い」が四月からこの番組のエンドテーマになっているそうな。そんなご縁でレポーター参戦だったようで。この手の経験が彼に今まであったのか?ユルい番組の中で、それなりにユルくハマってたんだけど。メイン視聴者であるはずのお年寄りはこの人だれだろうと思ったろうね。


●で、ボクはレコ棚の中から彼らの再結成盤を引っ張り出す。

JUN SKY WALKER(S)「B(S)T」

JUN SKY WALKER(S)「B(S)T」2012年
●このアルバムは、彼らのベスト楽曲を完全再録したもの。ご本人たちも含めて今までのキャリアを総おさらい。リリース元は IVY RECORDS というトコロ…実は巨大レンタルチェーン TSUTAYA を経営する CCC カルチュアコンビニエンスクラブ が仕掛けたレーベルで、この会社にとっても第一弾リリースになるらしい。ボクにとっては CCC/TSUTAYAレコードレーベル機能までグループ内に持つようになる、ってのが興味深かった…コンテンツ流通だけでなくコンテンツ制作そのものにも着手!それが JUN SKY WALKER(S) の再結成盤でイイのかどうかワカランけど。このレーベルはその後、韓流グループとかも手掛けている。
JUN SKY WALKER(S) のベーシスト寺岡呼人は、バンド解散後はゆずのブレイク仕事をガッチリ果たして敏腕プロデューサーになっている…彼のコラボプロジェクト GOLDEN CIRCLE 松任谷由実までが参加するほどだし。再結成の意思決定は宮田のイニシャティブが強かったみたいだけど、再録音のクリエイティブは寺岡の一流仕事で、往年のキャッチーなビートパンク質感はバッチリ。「歩いていこう」「START」「白いクリスマス」などなどが懐かしい。ウワサによると、再結成時はマネジメントもいなくて全てがバンド本人交渉&判断で仕事を進めていたらしい。音楽不況の今っぽいエピソード。バンドメンバー自身が大物プロデューサーになっててよかったね。

JUN SKY WALKER(S)「LOST FOUND」

JUN SKY WALKER(S)「LOST & FOUND」2012年
●で、こちらが本格再結成以後の新作アルバム。LOST & FOUND一度は見失われ、そして再発見されたものはなんだったのか?ファンがバンドを見失っていたのか?メンバー自身がバンドを見失っていたのか?いや、もっと抽象的なモノか…。「ロックンロール」って概念自体が、世間から忘れられてしまって…それを取り戻す作業に挑もうとしているのか。
●と、思えるほどの、若気の至り満載なメッセージが、シンプルなバンドサウンドにパッケージされてます。アラフィフとなったメンバーが、結成時の30年以上前のテンションをムリヤリひねり出している宮田和弥は自分のバンド・ジェット機での活動があったので、声にブランクは全く感じさせない。ただ、全く変わってないのも実は少しヘンだなあ。「ロックの資格」という曲でヤンチャなポーズをまき散らす勢いはイイが、でも姿勢がチョイと古臭い気がする。「ラットレース〜出世狂騒曲」でサラリーマン社会をチクリくさすも、その風刺も言い尽くされたステロタイプだったりもして。「ロックフェス」で若手ロックバンドを腐らせる業界体質を冷やかすが、もう音楽業界そのものが腐敗しちゃってるしね。

●ただ、宮田和弥はじめバンドが,ロックンロールという音楽フォーマットに全幅の信頼をおいていて、というより、ロックンロールに人生の全部を完全に捧げちゃっていて。その覚悟がヒシヒシと伝わってくる。「もうオレにはこれしかないから」という潔さが気持ちよい。ティーンからバンドを始めて、バンドのために進学も辞めて。そんでもう少しで50歳を迎える。先に何があるのかワカランけど「歩いていこう」


こんなコトを考えたのは、会社の先輩が50歳を迎えて退職していったから。
●2011年の震災は、ホントに多くの人の心を揺さぶって。本位ではない立場の管理職を任され、そしてシガラミでその管理職の仕事も全うできない苛立ち。社内の立ち回りが自分の居場所を確保するための必須テクニック。サラリーマンとして納得していたはずの部分もあったはずだが、震災でモミクチャにされたあの時期に職業倫理上の葛藤に身悶えた。そして組織の中に留まるべきか強く悩んだそうな。本来的には完全に職人タイプであるその先輩は、現場最前線の仕事を求めて結局会社から出ることを選んだ。フリーランスになる先輩は、実に人望の厚い男だったので既に様々なパートナーから仕事の声かけを受けているらしい。先輩のような職人にはなりきれなかったボクだって恩人だって感じてるほどなのだから、その人望はマチガイナイ。楽しい送別会に大勢の人が集まっていた。

10年後、50歳になるボクにどんなスキルがついているのか、それがキャリアとしてどんな意味を持つようになるのか。ボクの今の仕事は特殊過ぎて見事にニッチだが、実はさほど応用が効かない。健康にも問題があるのでどうしても稼働しきれない限界がある。……戦略のイメージがないわけではないが、まだ経験値が足りない。40歳で経験不足とは恥ずかしいが、市場動静が5年で転覆するフィールドでその波風を幾度か乗り越えないうちはタダの一発屋にしかなれない。もっと実績を積み上げなければ。もっと多岐にわたるノウハウを手に入れなければ。

●その時に、信じるナニモノかがある人は、実は猛烈に強いJUN SKY WALKER(S)にとってそれはロックンロールだった。ボクの先輩にとっては現場最前線で手を動かし続ける職人魂だった。ボクには何があるのだろう?


●動画。
●2008年、20周年記念ライブの、オープニング〜「歩いていこう」。
●80年代、彼らの若い時代のフッテージ映像が上映されてからの、パフォーマンス。
●懐かしき「ホコ天」の様子もちょっと映ってるよ。





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