今日もお休みだ。ぼけーっとしてる。
●とはいえ、ただぼけーっとしてるわけにもいかない…多少はカラダを動かしておかないと却って調子をおかしくすることもあるのでね。
●ですので、ワイフのお遣いを仰せつかったりしてる。自転車で茶沢通り沿いのカクヤスまで行って、ペットボトルのお茶やアクエリアスを買ったり。カクヤスのお向かいには古道具屋・ばら商会があるもんだから、中古レコードとか買っちゃった…たった今ばら商会のサイト見たら六角精児さんがイメージキャラクターやってるって書いてあった…ビックリ。その後は餃子の王将でひとりお昼ゴハンを食べて、スーパーオオゼキでコドモたちのおやつの串団子を買う…そしたら「広告の品」として明治のアイス・パルム6本入りセットが目に入って。380円が199円に。寺尾聡さんのCM見て常々おいしそうだと思ってたんだよね。これはコドモにはナイショで夜中に食べよう。


●そんで読書。
ノマドの通う中学校は図書室がすごく充実してるのか、ヤツが借りてくる本がイチイチオモシロそうでどうしてもボク自身が読んでしまう。ノマドにしてみたら宿題レポートの資料のつもりなんだろうが、そのレポート内容をはみ出す内容の分厚さ、すげえ興味深い。
●この前はプラトン「国家」についての解説書を最近亡くなった哲学者・木田元さんが翻訳したものを借りてきた。ヘーゲルヒューム、ヴィトゲンンシュタインまでを例に引いてプラトンを解釈するのだからメチャ難易度が高い…ノマド自身も「なんかオレまちがったかも」って言ってた。その次は「ソクラテス以前哲学者断片集」とかいう岩波から出てるタフな文書。ピタゴラスとかタレスとかの哲学者に関する断片的な記録を下記集めたモノ。ピタゴラスタレスも古代ギリシャの学者としては有名でもマトモに著書を残してないので、こんな断片で思想を探るしかないとな。中にはピタゴラスソラマメを好んで食べた、いや食べなかったみたいな、どーでもイイ異常に人間クサい記録もマジメに記載されてて微笑ましい。紀元前五世紀ごろの記録がこんな風に残るなんて。日本の「古事記」よりも1000年も古い。

デニス・ダニエルソン「コペルニクスの仕掛人 中世を終わらせた男」

デニス・ダニエルソン「コペルニクスの仕掛人 中世を終わらせた男」
●今日読んでいるのはこの本。「太陽の周りを地球が回っている」という発見は、「コペルニクス的転換」という言葉になったほど当時の世界観をひっくり返した歴史的事件になってるが、そのコペルニクスの学説が世に知られるようになるには、彼のたった一人の弟子ゲオルグ・ヨアヒム・レティクスという男の活躍がなくてはならなかった、という逸話を情熱をもって書き表している。
コペルニクスはヨーロッパの辺境ポーランド北部/新興国プロイセンとの国境地域で地元聖職界&行政&医療に関わってた人物で、天文学に関してはアマチュアだったし、自分の理論に対して他人は誰も関心を寄せないと思い込んでいたようだ。しかし、ルターによる宗教改革の震源地ドイツ・ザクセン州ヴィッテンブルグで当時最先端のルネサンス人文主義を学んだ若者レティクスがわざわざ遠路を越えてやってきて「先生の理論を教えてください!」と押しかけて来る。ココで初めて自分の理論に価値を見出すことができた、という。しかし師弟の年の差は40歳。弟子の尽力でコペルニクスの著書が出版される時には、師匠はモウロクして寝たきりになっており、その評価を知ることなく世を去る…。というか活版印刷自体がこの時代にとって最先端技術なのだから、このヘンの出版事情もスリリング。ああオモシロい。早くノマドもこの楽しさが分かるようになるといいな。

ワイフがそんなノマドの担任の先生と個人面談してきたという。
●まず一発目、ノマドは個人面談がいつから始まるのかサッパリ分かってなかったので、ワイフも心配して「今日は必ず日程を先生に聞いてくるように!」なんて言ってたその日に、先生から電話がかかってきた…「あの、個人面談のお時間になってますが、どうなさいました?」手遅れ!アポ失敗!
●リスケの上でやっと会った先生は好感の持てるイイ人みたい。「ノマドくんは、いっつもニコニコしてますね。ただ、ナニ考えてるかサッパリわからない時が…。話を聞いてるんだか聞いてないんだか。ま、安心して下さい、ウチの学校にはもっと変わり者がいっぱいいますから」フォローにもなってないコメントでヤツのコミュ障ぶりが一気に不安になる。学校でしゃべらないせいか、家でしゃべる声もどんどん小さくなってきてて、なにも聞こえない。




突然、アリスを聴く。
谷村新司 aka チンペイ、堀内孝雄 aka べーやん、矢沢透 aka キンちゃん、のアリスだよ。

アリス 今はもうだれも

アリス「走っておいで恋人よ/さよなら昨日までの悲しい思い出」1971年
アリス「今はもうだれも/明日への讃歌」1975年
アリス「帰らざる日々/あの日のままで」1976年
アリス「遠くで汽笛を聞きながら/もう二度と……」1976年
アリス「冬の稲妻/街路樹は知っていた」1977年
アリス「チャンピオン/君よ涙でふりかえれ」1978年
アリス「夢去りし街角/逃亡者」1979年

君のひとみは10000ボルト

堀内孝雄[アリス]「君のひとみは10000ボルト/故郷には帰りたくない」1978年

●一昨年くらいに、テレビの歌番組で歌うアリスの三人を眺めながら20歳代前半の後輩がふとボクに質問したのですよ。「この人たち、今の時代に置き換えたら、誰になるんですかね?ていうか、そういう置き換えがないと、どれだけスゴい人たちなのか理解できないっすよ!こんな地上波でガシガシ流されたって!」え、難しいコト聞くねえ?あーんと、たとえるならばミスチル?それとも GLAY?ていうかそもそも反論すれば、ボクにしたってアリスなんてリアルタイムでもなんでもないからワカラナイよ!ボクのことオッサンだと思ってるだろ!ボクもさっぱり理解してねえよ!…という会話をしたんです。
●で、別の場面で、アリスのドーナツ盤シングルを8枚もらうコトがありまして。「仕事で使ったんだけど、もういらないし。あげる」と先輩。ボクは音楽に関しては完全に悪食なので、リアルタイムでもなんでもないからさっぱり理解できないこの音源をもらってしまいました…。でもマジで無関心なので一回も聴いたコトなかった。せっかくヒマなので、これに今日は針を落してみます。
アリスの活動時期は1971年から1981年。直球のフォークから出発して最後は武道館を埋めるスタジアムロックにまで到達したってイメージはあるんだけど、詳細は不明なのでウィキ見ながら一枚ずつ聴くのです。1971年のデビューシングル「走っておいで恋人よ」は、谷村新司&堀内孝雄のデュオ段階でジャケにも二人しか写ってない。学生バンドをそれぞれ率いていた三人が別々に意気投合して合流したみたい。ドラム担当の矢沢もすぐに合流してくる。しかし、初期キャリアはさっぱりヒットが出ず、ドサマワリを続ける日々。「走っておいで恋人よ」はサッパリしたフォークロック。別にトリオ編成にこだわってないリッチなアレンジ。
●デビュー四年目にしてやっとヒットらしい曲が。「今はもうだれも」ウッディ・ウーという名前のフォークトリオが1969年に出した曲のカバー。これがチャートで11位まで上がる。サビの分かりやすさが意外とモダン。実はアリスのヒット曲はドコかしらに分かりやすいサビのリフレインがある。それとキメってトコロで谷村&堀内ツインボーカルのコーラスワークがリッチに機能する。フォークロックに美しいコーラスワークはテッパンだね。THE BYRDSCROSBY, STILLS & NASH もそうでしょ。あと、若き谷村&堀内がフォトジェニーなルックスを持ってたトコロもイイ感じ。利発で華奢な谷村と、クチヒゲが凛々しい堀内のナイスコンビがうまく作用してる。
「帰らざる日々」は絶望して死にそうな女性を主体にした実に湿っぽい昭和情念歌謡。Aメロが死ぬほど四畳半フォークでシンドイと思ったら、キャッチーなサビをテンポアップ&ストリングスアレンジ追加してポップに仕上げるワザアリな構成。シングルA面はだいたい谷村が詞曲両方を担当してて、彼の才気がバンドを牽引しているのが分かる。
「遠くで汽笛を聞きながら」はヒットとは言えない不発曲。ブルーステイスト濃厚のスローバラードを堀内メインボーカルでやってます…が、間奏のエレキギターソロも含め、もしかしたら演歌/歌謡曲寸前ともいえるような気配も濃厚。作曲を担当した堀内の後のキャリアを反映してるのかも。ポップさで言えば谷村楽曲のB面「もう二度と…」の方が軍配があがる。加山雄三との合作「サライ」しか知らなかった谷村新司の作曲能力に敬服。
「冬の稲妻」は十分なヒットとしてチャート8位まで駆け上がる。EAGLES を一瞬だけ(0.1秒くらいだけ)連想させるウエストコーストサウンドのブルースロックを、作曲も手掛けた堀内のボーカルが自分のモノにしてる印象。ロック濃度が上がってきている感じがする。B面曲はビックリするほど四畳半フォーク。ジャケ裏に谷村ソロアルバムの告知が。この時期にして谷村はソロワークも活発、この時点で4枚もリリースしている。山口百恵「いい日旅立ち」を提供したのもこの年。谷村スゲエ。
「チャンピオン」はボクでも知ってる有名曲だね。谷村詞曲のポップかつ濃度の高いロックテンションが斬新。この1978年に武道館公演3DAYSを成功させている。日本人アーティストとしては初の快挙だ。B面は堀内作曲による疑似ウエストコーストサウンドが諦観漂う気分にスローで極まる。
「夢去りし街角」堀内作曲の薄口な疑似ウエストコーストサウンドであっさりしてる。谷村の悲観的なリリックはいつも通りだが、この時代の日本はこんな不幸話を日常生活に密着させておかないと気が済まない社会だったのかと心配になる。挫折とか失恋とか故郷に帰るとか…そんなモチーフばっかし。B面は、珍しくドラムス矢沢の作曲で、能天気なロックを鳴らす。「女はやっぱりメキシコ!酒ならやっぱりテキーラ!」と叫んでマリアッチ風のフレーズまで入ってくる。なにげにやっぱりアメリカを志向しているんだね。
堀内のソロシングル「君のひとみは10000ボルト」資生堂のCMソング。サビが爽やかなポップスで間奏のギターソロも甘美で楽しい。結果オリコン1位で90万枚のヒットとなる。作曲は堀内自身だが、作詞は谷村、アレンジもこの時代のアリスを手掛けてた人物、ということで、ほとんどいつものアリスと同じじゃないか、という感じ。だから武道館ライブでもこの曲がフツウに披露されている堀内アリス在籍時にソロアルバム5枚をリリース、作曲提供もさかんにやっていた。B面はうんざりするほどフォーク。
●その後1981年にアリスは解散谷村と堀内の関係決裂が理由らしい。これが双頭バンドのツラいトコロ。堀内孝雄はその後演歌系に傾倒していく…個人的には1986年の日本テレビ年末時代劇「白虎隊」主題歌になった「愛しき日々」が印象深いかな…この時期の日本テレビは年末に大型時代劇をやってて小学生のボクはナニゲに楽しみにしてた。で、2001年のモーニング娘。ブレイク時に同じ事務所アップフロントに彼が在籍してるコトに気付きビックリ。つーか、アップフロントの母体がアリスのマネジメント会社だったみたいね。

●うーん、結局、このアリスという存在が現行アーティストの誰に当てはまるかはよくワカラン。ゴメンね後輩くん。でも、しっかりとアメリカ・ウエストコーストへの憧れを抱いていたコトは理解できたし、その上で当時の日本市場に完全にマッチした湿度の高い昭和情念歌詞世界をキープ、独自のポップス観もグリップしていたことがわかった。


ついでに、なんで買ったかよくワカラナイ物件をアレコレ聴いてみよう。
その後の80年代モノに集中して。

もんた&ブラザーズ「SPECIAL ACT」

もんた&ブラザーズ「SPECIAL ACT」1980-1983年
●このバンドは、1980年にご存知「ダンシング・オールナイト」でブレイク。もんたよしのりのソウルフルなボーカルがパンチ力満載。でも実はアリスのメンバーと2歳差のほぼ同世代。なのに70年代は不遇でソロデビューしつつも成功を掴めなかった。やっぱこの声には時代がついてこれなかったのか。これじゃフォークは無理だもんね。詳細はワカラナイけど、バンド・ブラザーズには黒人のメンバーもいるっぽいぞ。内ジャケに写ってるんだもの。
●1983年に西城秀樹に提供した「ギャランドゥ」のセルフカバーも収録。そもそも「ギャランドゥ」ってどんな意味だよ?って思ってたんだけど、ウィキによるともんたデタラメ造語なんだって。全く意味ない言葉なのにこの説得力。むしろスゲエ才能を感じるわ。同じ1983年には大橋純子とのデュエットで「夏女ソニア」がCMソングとしてヒット。これも久しぶりに聴いてみたいな。そんでバンドは1984年に解散、その後もんたはソロ化&俳優業に転身。

イモ欽トリオ「POTATO BOYS NO1」

イモ欽トリオ「POTATO BOYS NO.1」1981年
フジテレビの番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」をリアルタイムで知ってる人ってもう全員アラフォー以上じゃないか?大将・萩本欽一が視聴者のハガキネタから「普通の子→良い子→悪い子」の三段オチで笑わせる傑作バラエティだったのだ!なんか構造的にスゴく洗練されてるコント番組だったなと、当時小学生低学年でありながらボクは感心してたのを覚えている。さらに「良いOL悪いOL普通のOL」とか「良い先生悪い先生普通の先生」とかイロイロなバリエーションがあって、その中には関根勤さんとか、一世風靡セピア時代の柳葉敏郎さんとかが出演していた。つーか、むしろ「欽ドン」の人がどんどん有名になってくよーって気分だったよ。
●で、この最初の三人組、良い子=山口良一、悪い子=西山浩司、普通の子=長江健次、がバカ受けしてレコードデビューしてしまった。しかも詞:松本隆/曲:細野晴臣というゴールデンコンビで。彼らの代表曲「ハイスクール・ララバイ」はEPシングルで既に持っていたが、このLPレコードは去年の沖縄旅行のレコ屋探訪で発見。1600円もしたけど思わず買ってしまったワ。アルバムにおいてもメインの作詞は松本隆、作曲には細野晴臣ほか、吉田拓郎、南こうせつ、井上大輔などが参加、アレンジャーには鈴木慶一の名前までが。すげえ豪華。
●とはいえ、まー聴くのに覚悟がいります。つーか今回初めて聴きました。内容はやっぱキツいねー。当時のテクノポップ歌謡を軸に、様々なバリエーションを良い子悪い子普通の子に振り分けていくんだけど、全然やりきれてない。当時の彼らのアイドル的推進力でヤリ切るしかないのに、その神通力は今では通用しないからね。家で鳴らすだけでも、コドモたちからブーブー言われた。
●さらには、「イモ欽トリオ 秘密のメッセージ」と題された、赤いソノシートまで同梱されてた!うわソノシートはさすがに久しぶりに見たワ!…ただしコレも三人組のグタグタトークで内容がない…。残念。まーしょうがないねー。

忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・い ルージュマジック/明・る・い・よ」

忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・い ルージュマジック/明・る・い・よ」1982年
●この音源に限っては、なんで買ったかよくワカラナクはナイ。完璧な名曲だ。でも80年代つながりで紹介しちゃう。こいつは資生堂のキャンペーンソングで、メイク/ルージュを濃く塗った清志郎坂本教授をベロベロなめるようにキスするパフォーマンスが当時すごくセンセーショナルだった。「いけない」が背徳のセクシャリティを暗示してると理解したのは成人してからかな。大胆だな資生堂は。「君のひとみは10000ボルト」資生堂だもんな。カップリングの「明・る・い・よ」「い・け・な・い ルージュマジック」のメロディやオケをちょこっと翻案したような、ザックリ言えばダブバージョンみたいな感じのエレポップ。やっぱ清志郎さんはスゴいな。

スーパースランプ「穴があったら出たい」

スーパースランプ「穴があったら出たい」1986年
●パワフルなスキンヘッド・ボーカリスト・サンプラザ中野が、いつのまにか投資家タレント・サンプラザ中野くんに改名してしまって、爆風スランプというロックバンドが既に見る影なくなってしまった今では非常に説明しにくいバンド。
●元来サンプラザ中野は、このスーパースランプのボーカルを務めていた男。この連中は早稲田大学のサークルバンドだったにも関わらず、その破天荒なパフォーマンスで武名を誇り、レコード会社のコンテストを荒しまくってた傑物だった。しかしいざメジャー契約となったら、レーベルが提示したのは中野とギターのパッパラー河合だけをスーパースランプから引っこ抜いて、爆風銃(バップガンと読むらしい)のドラマー&ベース=ファンキー末吉&江川ほーじんと合体させるという方針だった。新バンド名は両者の名前をとって爆風スランプとなり、代表曲「RUNNER」などをヒットさせて80年代後半のバンドブームを牽引する存在になっていく。
●さて、残されたスーパースランプの連中は大変。これを立て直したのがなんと、同じサークルの仲間でその後に聖飢魔Ⅱで世間に出るデーモン小暮閣下。彼が二代目ボーカリスト。そんな意味でスーパースランプは今となっては正体のワカラナイ伝説のバンドなのですよ。ボクはそのヘンのキキカジリの逸話だけを頼りにこのアルバムを買ってみた…んだけど、コイツは第一期の中野時代でもなければ、第二期のデーモン時代でもない。第三期のインディー(CAPTAIN RECORDS)時代なのでした。だから、なんだかより一層ワカラナイ。
●ただし、ジャケに記されたデーモン小暮閣下のコメントによると、このバンドは、一貫してこのバンドを支えて全ての詞曲を担ってきたベーシスト・ピストン豊岡こそがスゴいという。閣下ピストン「日本のフランク・ザッパ」とまで賞賛してる…でも、音楽聴いてもそのスゴさはイマイチ伝わらない…。ジャケの DEVO 風なイメージはただのワルフザケというか、基本的にアルバム全編がワルフザケだけで出来てる気がする。「穴があったら出たい」という曲はココには収録されてなくて、1988年の爆風スランプのアルバム「HIGHLANDER」に収録されてる。「RUNNER」が収録されてる彼らの出世作ね。爆風のレパートリーのように見えても詞曲はピストン豊岡によるものらしいよ。その代わり「尻の穴から出たい」という曲はこのアルバムに収録されてる。

PINK「CYBER」

PINK「CYBER」1987年
●このレコードも買って数年放ったらかしにしてたんだけど…それは失敗だった!本格的なニューウェーヴ・ファンク!ビブラトーンズに在籍した福岡ユタカ、矢壁アツノブ、ホッピー神山らが結集したユニットで、全員が敏腕スタジオミュージシャンとあって、演奏がすごく高度。神経質で奔放なギターと饒舌なベース、確実なドラムビートから弾き出されるグルーヴは微妙に軋みながらザクザクと邁進していく。このパワフルさが実に頼もしい。コピーに「電脳的肉体派」とあるのは正解。特にLP-A面に集められたニューウェーヴ感覚は、80年代に行われた様々な音楽実験の収穫をかき集めたようなアイディアを、高度な洗練で絶妙なポップにまで到達させてて本当に楽しい!メインのソングライター福岡ユタカによるパワーチューンも十分楽しいのだが、どこか無国籍な情緒が漂うメロディを持つホッピー神山作曲の「二人の楽園」も耳に残る。キーボード・ホッピー神山の持ち味は、こうした独特のアブストラクト/オリエンタル/エスニック要素なのか、LP-B面にその気分が濃く漂っている。クレジットに吉田美奈子の名前も見える…。ついでにいうと、このノリで二枚目のLP-C面にアルバムは続くんだけど、LP-D面はナシ。レコードを見るとミゾなしの真っ平ら状態。

米米CLUB「GO FUNK」

米米CLUB「GO FUNK」1988年
米米CLUBもこのヘンの時代に重なるバンドですわね。米米と、爆風スランプ聖飢魔Ⅱは、当時「ソニーレコード三バカバンド」と呼ばれてキワモノ扱いされてました。でも、彼らが目指したファンクサウンドは当時ではかなり本格的でアメリカのスタイルにピッタリ寄添うモノジェームス小野田というアイコンまで設定して JAMES BROWN のショーを模倣する態度はそのポップかつシュールな印象とはウラハラに実直で真摯と言えるものだったです。だってコーラス隊に THE SUPREMES ならぬシュークリームシュって名前つけたり、ホーン隊をパーマネントに組み込んだり(そんでソレがすごくファンキー)と、スゴく周到に設計されてるじゃないですか。意外とみんな知らないんだけどね…。
●そして彼らがさらに評価されるべきは、そこまでアメリカのファンクサウンドをナゾリながら、日本人であるトコロの彼らがナゼアメリカの音楽をやるのか、日本人のアイデンティティをドコに盛り込むのか、というコトにかなり初期から意識的であったコトですわ。米米CLUBという名前ですら「米国音楽をプレイするオコメの国のバンド」って意味がハッキリ盛り込まれてるし。このアルバムタイトルだって「GO FUNK」=「ごはん食う」のダブルミーニングだし。他のアルバムだって「シャリシャリズム」=お寿司のシャリのリズム「KOMEGUNY」=コメグニつまり米国レコーディングに初挑戦、って意味だし。シングル「KOME KOME WAR」はまるっきりシュールで意味不明だったのでコミックバンドだと思われちゃったけど。でもやっぱりほとんど意味なしソングの「あ!あぶない」とか一流のファンクチューンですわ。
●これ、中学生の時にリアルタイムで聴いてたんだけど、カセットテープだったんで実家に置きっ放し、長く手元にありませんでした。ところが同僚SくんがデスクにこのCDを持ってきてて。奥さんに「CDが邪魔だから始末して!」と言われて、会社で使ってるPCにこのCDを受けて捨てるつもりだったらしい。うわー懐かしい!ってコトでボクが譲ってもらった。ウチのワイフは、ボクにCD捨てろって言わないんでホント感謝してます。

浜田省吾「THE BEST OF SHOGO HAMADA VOL2」

浜田省吾「THE BEST OF SHOGO HAMADA VOL.2」2006年
●これは義弟の KEN5 くんからもらったモノ。しかし、残念ながらボクはハマショーは1ミリも通ってないので接点がないのよー。オマケにこのベスト VOL.1 なら聴いたことある曲もあるかもしれなかったけど、VOL.2 でしょ、1曲も知らないのよー。だから長らくスルーしてきました。でもせっかくだからこの際に聴く。
●ぶっちゃけハマショーがどんなキャリアの人かも知らなくて。下積みを経てソロデビューは1976年。でも世間に評価されるようになるのは80年代に入ってから。ジワジワと支持を集め本格的なブレイクは1986年のアルバム「J.BOY」の時。遅咲きで苦労人なのね。1992年の野島伸司ドラマ「愛という名のもとに」で主題歌になった「悲しみは雪のように」はなんとなく聴いたコトあるけどドラマは一回も見たコトない。この主題歌は1981年の楽曲のリメイクだったんだね知らなかった。ドラマの題名「愛という名のもとに」もハマショー楽曲のタイトルから引用してるっぽい。
●で、さっそく音楽を聴いてみる。実はVOL.2の曲はハマショーの古いキャリアから掘り起こしたモノばかり。楽曲の初出は1976〜1986年のブレイク以前ばかりで、しかもアルバム収録曲の半分は2006年段階で再録音。その他も90年代以降にリミックスしたりリマスターしている模様。コレが彼のルーツの部分なのね。しかもソレを今なお再録音で更新するとは。ロック濃度はそんなに高くない気が…それは選曲の姿勢のせい?ただガッシリしたホーンアレンジに補強されてる様子は BRUCE SPRINGSTEEN みたいだなと思ったり。JACKSON BROWNE を敬愛してるという意味ではウエストコーストサウンドの愛好者ってコトみたいだけど、このキャリア前半が比較的内省的でシックな印象なのはそんな趣味が反映されてるのかな。歌詞は暗くて…アリスたちと5歳も離れてないフォーク世代だってコトがわかるな…。あ、あと尾崎豊にも似てる気分があるなと思ったら、彼を育てたディレクター須藤晃氏が80年代からハマショーに関わってブレイクに至ったという経緯があるからだ。なるほど。

徳永英明「BEAUTIFUL BALLAD」

徳永英明「BEAUTIFUL BALLAD」1986-2006年
●80年代にシンガーソングライターとしてキャリアを起こした人をもう1人。もやもや病という奇病で一線を退きつつも「VOCALIST」シリーズというカバー路線で音楽業界の最前線に復活した苦労人。今ではハイトーンのボーカルで女性曲を歌いこなすボーカリストとして注目されてるけど、あくまでこのひとやっぱりソングライターだし。そんな彼が2006年にオリジナル曲をまとめたベストを聴く。
●デビューは1986年。世間はバンドブームでザワザワし始めてる時期に、このシットリとしたボーカルにフォーカスしたのはユニークだったかも。あの頃って奇抜なカッコとか乱暴でロックな立ち振る舞いが大事だったりしてたから。詞を読んでて思ったのは、このヘンから「自分を見失わないでね」的なジェイポップの定型が浮き上がってくるコト。アリスの時代には、歌詞の題材になる「不幸」は失恋とか挫折とか後悔とかの、もっと具体的案件だったような気がするけど、80年代〜90年代では歌詞の題材はもっと抽象的なアイデンティティ確保の不安にフォーカスが当たってるような気が。漠然たる都会の無関心とか均一化された没個性社会への不安ってヤツ?

「MATCHY TRIBUTE」

VARIOUS ARTISTS「MATCHY TRIBUTE」2006年
●このタイミングでデビュー25周年を迎えた、ジャニーズ事務所のタレント最高ランクのスター近藤真彦。つまり1980年デビューってコトね。へーたのきんトリオって80年代だったんだ…70年代はカブッテナイんだ…。ともかくそんな彼のヒット曲を様々なアーティストがトリビュートでカバーしてます。正直、マッチにもたのきんトリオにも別に興味を持ったコトがなかった…あんまりボーカル達者な人でもないって印象が…。ただし70年代のシンガーソングライター/ニューミュージック中心の音楽業界を転覆し、アイドル・ムーブメントを80年代のど真ん中に据えた功績は大きい。2010年代のジャニーズ(嵐ほか)AKB48(&女性アイドル戦国時代)が全盛の状況は、確かにシッカリ80年代とシンクロしているのかも。キャリア初期は松本隆/筒見京平ほかテッパンの職業作家に後見してもらってるのも今と同じだね。
真島昌利提供の「アンダルシアに憧れて」を、東山紀之/赤坂晃 ex. 光GENJI/堂本光一/今井翼(この四人でアンダルシアユニットって名乗ってます)がスパニッシュギターの上で歌ってます。これが修二と彰「青春アミーゴ」と同じような芝居がかったリリックだったと初めて気づいた。アンダルシアユニットの面々はややスカシた歌い方をするのでマッチ先輩に暑苦しく歌ってもらった方がイイ。つーか、どのシンガーが歌ってもオリジナルを超えられない…マッチはマッチにしか担えないのか?グループ魂がひたすらウザイコントで悪ふざけし続けてるけどソレが一番正解に近いのか?


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