●グリコ・プリッツ「ホタテ味」(北海道ユルキャラ・キュンちゃんバージョン)なんてモノを食って。
●微妙な珍味だった。




「ヨルタモリ」にうっとりしてる。
ヨルタモリ
●最近元気のないフジテレビに期待感なんてナニもなかったんだけど、何の気なしに見てしまった日曜日夜の新番組「ヨルタモリ」にちょっとハマりそう。タモリさんが、宮沢りえとともにお客を迎えるトーク番組。つーか、タモリさんはワリとスベッテル気分なんだけど、バラエティレギュラーなんて初めてであるはずの宮沢りえさんがスゴくよくて。設定は「東京の右半分、湯島あたりにあるバー・WHITE RAINBOWに有名人が訪れる」というもの。週一回だけ営業しているこのバーのママが、宮沢りえさん。いつもキレイな和服を着て、落ち着いた受け答えでゲストをおもてなし。彼女とボクは同い年なので親近感たっぷり。彼女が15歳の時の初主演映画「ぼくらの七日間戦争」はリアルタイムで劇場に見に行った。そこから彼女アレコレあったけど、その苦労もコミでキレイに年を重ねた雰囲気がたまらない。こんなお店があったらボクも毎週通う。常連さんになりたい(お酒飲めないケド)。

ヨルタモリ井上陽水

●その「ヨルタモリ」、放送第二回目のゲストが井上陽水さんだった。
●うわー豪華。井上陽水さんって、世代で言えばボクとはスレ違っていてあまり詳しくはないのだけれども、90年代に展開した奥田民生とのコラボレーション、そして奥田経由での PUFFY への楽曲提供など、ボクにとっては間接的に響いてくるタイプの大物として認知されてた存在だった。重ねたキャリアの厚さをワリ引いたとしても、あの独特な佇まいはリスペクトせずにいられない。だってあの奥田民生「俺も大分テキトーだけど、陽水さんはオレ以上にテキトーだからね」と言うほどの存在なのだ。ただそれだけでもスゴいと思えるオジサンなのだ。
●で、この番組においても、タモリさんとテキトーに立ち振る舞ってるだけだから、なにかスゴい部分がでてくるとか全くない内容だったんだけど、宮沢りえさんとのヤリトリ含めて、カッコイイ大人だなあと素朴に思ったりするわけです。ああ、あんなイイ加減な大人になりたい。イイ加減なのに大人ってのがカッコイイ。

●で、今日は井上陽水さんを聴く。

井上陽水「弾き語りパッション」

井上陽水「弾き語りパッション」2008年
●普段から愛聴している陽水さんのアルバムはこのアコースティックライブ盤。陽水さん、今年で音楽活動45年に及ぶのね。現在66歳、このライブ盤収録時で約60歳。それでこの声!!色気と艶、迫力ある声量!ビックリするワ。これをアコギだけの伴奏で歌い上げる。声のたっぷりとした湿り気に対して、アコギのバリバリとした音の粒が硬い結晶のようにキラキラと煌めいて、張りつめた緊張感とラグジュアリー感が不思議な同居をしている。
歌われる楽曲は、ほとんどが70年代前半のもの。ほとんどが、この音源だけでしか聴いたことのない曲。だから発表当時の原曲と比較はできない。おまけにあまりの美声のせいなのか、リリックの意味はほとんど頭に入ってこない。つーか、めちゃめちゃシュルレアリスムな歌詞ばっかじゃないか?「カーネーション お花の中では カーネーション 一番好きな花」と連呼する「白いカーネーション」とか、この美声をもって初めて説得力持つけど、意味全然ないからね。「なぜか上海」本当にナゼ上海か全然ワカラナイ。でもそれでいいんです。PUFFY「アジアの純真」「白のパンダをどれでも全部並べて」って歌わせてる段階で、この人は絶品のシュルレアリストだってわかってるから。

井上陽水「LOVE RAINBOW」

井上陽水「LOVE RAINBOW」2009年
資生堂のCMソングになったシングル。60年代フラワームーブメント風のフォークロアな衣装をまとった女性たち(さんとか)が大勢登場して、コラーゲン飲料を飲むCMだったね。フォークのイメージが強い陽水さんですが、実は彼の音楽はフォークのフォーマットに囚われていない。ダンサブルなテンポの軽快なこの曲は、サビの部分を女性コーラスに任せちゃうなど肩のチカラの抜け具合がこれまた鮮やかな物件になってる。実はこの女性コーラス、我那覇美奈、RIE FU といったシンガーソングライターたちが担ってる。実の娘であるシンガー・依布サラサも参加。カップリング楽曲「LOVE LILA」はスローなサイケデリア。
●90年代に奥田民生と仕事をして、彼経由でPUFFY小泉今日子にも楽曲提供してたコトには既にふれたが、80年代も陽水さんは大活躍している。中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」斉藤由貴「夢の中で」への楽曲提供、彼のバックバンドだった安全地帯(あの玉置浩二のバンドですよ)をブレイクさせ、「ワインレッドの心」などを作詞。トレンディドラマの主題歌やCMタイアップもこなす。そこの段階でフォークソングのフォーマットはすでに放棄されている。本人もフォークブームに乗っかっただけだと思っているようだ。

井上陽水「二色の独楽」

井上陽水「二色の独楽」1974年
●さて、陽水さんの初期キャリアの方へ。陽水さんは最初、アンドレ・カンドレという珍妙な芸名で1969年デビュー。しかしココでは商業的に失敗。本名・井上陽水(あきみ)の読みを変えて井上陽水(ようすい)として1972年再デビュー。吉田拓郎などが成功するフォークブームの中でブレイク。歌唱力とシュールな歌詞が最初から注目されてた。
●で、これが陽水名義4枚目のアルバム。古本市かでなんとなく500円で購入しただけだったんだけど…これがビビった。この時代で完全ロサンゼルス・レコーディング、現場の著名なミュージシャンを集めて完全なロックアルバムに仕上がってる。フォークのイメージを激しく裏切るサウンドのモダンさに衝撃。ふくよかで洗練されたアレンジと甘いギター、成熟したウエストコーストのロックシーンの雰囲気が色褪せないモダンさを保ってる。アルバム冒頭「夕立」〜「HAPPY BIRTHDAY」などなどが完全にタフなリフロックでいきなり衝撃。他にもダイナミックなロックアプローチが見事。他の抑えめの曲でも、甘美なフォークロックに仕上がっていて実にリッチ。
とにかく参加メンバーがスゴい。まだ自分のバンド RAYDIO を作る前の RAY PARKER JR.、当時注目だったネイティヴアメリカン系の JESSE ED DAVISMOTOWN 系のアーティスト、JACKSON 5 MARVIN GAYE、STEVIE WONDER の音源で活躍していた DAVID T. WALKER、70〜80年代のハリウッド映画で活躍する作曲家 JACK NITZTCHE などが参加している。キーボードにはジャズ界の辣腕プレイヤー JOE SAMPLE もいるな。でも当時の現場じゃみんながまだ若くてキャリアを作り始めている途中だったから、大物と演ってる気負いなんてなかっただろうな。いや、陽水さんなら大物と知っててもテキトーにやってたかもしれない。あ、でもドコで誰がプレイしてるかはクレジットじゃワカラナイ。

●その後の陽水さんは、吉田拓郎・泉谷しげる・小室等の4人で1975年レコード会社・フォーライフレコードを設立、取締役に就任する。シンガーソングライター自身が集まってレコード会社を起こすというコトは、当時の音楽業界/芸能界のシステムに反抗する暴挙と言われた大事件だった。結果、大手レコード会社から取扱いを拒否されたりしたことも。しかし、新世代のアーティストたちの存在と若い世代からのセールスも無視することも出来なかったのも事実。アーティスト自身やプロデューサーなど現場サイドが制作やビジネスの中で発言力を増すキッカケになる。とはいえ、事業として会社を運営するにあたり理想通りにいかない場面に突き当たり、泉谷しげるが1977年には離脱するなどしたが、陽水さんは義理堅いのか移籍が面倒なのか今だにフォーライフ(現:フォーライフミュージックエンターテインメント)に所属してる。


「二色の独楽」に参加した JESSE ED DAVIS という男。

JESSE ED DAVIS「ULULU」

JESSE ED DAVIS「ULULU」1972年
●関連作をもう1枚。「二色の独楽」に参加してた JESSE ED DAVIS のソロアルバムを。父母共に生粋のネイティブアメリカンのミュージシャンって意外と珍しい。土の香りのするブルースとメランコリックな洗練が同居するアルバムだ。
●この時期、70年代初頭〜中盤にかけてのウエストコーストサウンドの位置づけをボクの中で整理。ここでいうウエストコーストってアメリカ西海岸だけど、具体的にはロサンゼルスね。60年代だとサンフランシスコなんだけど。
60年代において西海岸の音楽の中心はサンフランシスコだった。ヒッピー/フラワームーブメントがあり、様々な実験(ドラッグ実験コミ)や人種的混交があって最先端の音楽が世間の常識を打ち破っていったのがシスコのシーンだった。GRATEFUL DEAD、JEFERRSON AIRPLANE、SANTANA、SLY & THE FAMILY STONE などなどが活躍してた。ベトナム反戦運動や人種差別撤廃の公民権運動も盛んだった。しかしこれが70年代に入ると徐々に沈静化していく。日本と同じようにシラケ世代が登場する…ベビーブーマーたちが学生から社会に出て現実に突き当たるのだ。
70年代になって注目されたのがロサンゼルスだ。圧倒的な大都会であるコトは間違いない上に、巨大なエンターテインメント産業がこの土地にはある。ハリウッドだ。レコード会社や音楽業界の連中もいる。60年代に遅れてしまったミュージシャンは、この土地に仕事を求めて集まってくる。例えばこの時代の代表選手 EAGLES はロサンゼルスのライブハウスで意気投合した若者が LINDA RONSTADT のバックとして集まったバンドだ。ただ、あくまでこの街の音楽は産業でありビジネスだ。実験は求められていない。EAGLES「HOTEL CALIFORNIA」が歌っている…「WE HAVEN'T HAD THAT SPIRIT HERE SINCE 1969...」ホテルのスタッフが言う…1969年以来、そのようなスピリッツは用意しておりません。スピリッツ=酒にかけて、ロックの魂もどこかで置いてきてしまった。

だから、この時代の音楽には、どこか内省的なトーンが漂う。同時期に登場した JACKSON BROWNE、JAMES TAYLOR、JONI MITCHELL …洗練されたアレンジと大人がジックリ聴ける内容を伴うスタイルが確立されつつある。ロックも音楽も子供の遊びではない。大人の鑑賞に足る厚みを要求されるようになる。アダルトオリエンテッドロック(AOR)もこの土地から進化する。
●一方、他の土地から大勢の優れたミュージシャンが続々と集まっていた。彼らは大きくなったレコード産業の中でスタジオミュージシャンとして活躍するやり方を見出していた。JASSE ED DAVIS もはるか南部のオクラホマ州から出て来た田舎者。同郷出身の LEON RUSSEL などと共に、南部の土臭さを強く残した彼らのスタイルは「スワンプロック」(スワンプ=沼地という意味…南部の湿地帯と泥臭さをかけてる)として知られるようになる。ギターマン・JESSE ED DAVIS の実力はロスで有名となり、JOHN LENNON、GROEGE HARRISON、ERIC CLAPTON、ROD STEWART などのアルバム制作に参加。その延長でソロアルバムを出せる立場を作った。これは彼の三枚のアルバムの内の二枚目。
●このアルバムは、南部出身のプレイヤーと制作したモノ。ドラムはオクラホマ州タルサ出身の JIM KELTNERタルサって街はナニゲにいっぱいミュージシャンを輩出してる気が…)、ベースはルイジアナ出身で BOOKER T. & THE MG'S そしてその後80年代は THE BLUES BROTHERS BAND で活躍する DONALD DUCK DUNN、キーボードはやはりルイジアナ出身の奇人 DR. JHON が参加。LEON RUSSEL も楽曲提供をしてる。一曲目はネイティブアメリカンの秘儀を連想させるようなドロドロした気分を醸しつつも、表題曲「ULULU」は奥ゆかしくも爽やかなメロディとアレンジが、朴訥とした JESSE 自身のボーカルで気持ちよく響く。休日の昼間をリラックスして過ごせるサウンド。
●しかし、80年代に入ると JESSE はアルコールやドラッグの問題で身を持ち崩し、1988年にヘロインのオーバードーズで世を去る。43歳だったそうな。70年代の後半に入ると、ロサンゼルスの音楽はスタジオミュージシャンがバンドを組織する時代に移行して TOTO などのバンドを輩出する。テクニックは万全だがピカピカに産業化された音楽が標準になる。南部のスワンプテイストは必要とされない、80年代がやってくる。

●ちなみに、このCDは広島の THIS BOY という実にマニアックなお店で購入。980円だったかな。


●動画はこちらから。

●井上陽水「闇夜の国から」 弾き語りパッションではないけどライブ映像で。




●JESSE ED DAVIS「ULULU」



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