●Hulu で岩井俊二監督「花とアリス」見てた。

花とアリス

●花ちゃん、手鏡に新幹線マークの刺繍が入ってた。女子高生として素敵な趣味だ。



今日は、90年代渋谷系の時代を回顧してみる。

●今月、ニュージーランドで暮らしている大学時代の先輩のりぴーさんが、日本に一時帰国。やはり大学時代からの先輩わっきーさんと、一緒に下北沢でゴハンを食べた。場所は「ととしぐれ」。映画「モテキ」のロケ地にもなった和食屋さんだ。そのあとに曽我部恵一さんが共同経営するカフェ「CITY COUTRY CITY」でお茶。とても楽しかった。下北沢を堪能してもらえたかな。
●ニュージーランドでは、定額制音楽配信サービス「SPOTIFY」がすでに上陸してる。有料会員(12NZ$/月)ならオフラインでもある程度の曲が聴けちゃう。その上に、なんと P-VINE 系の日本のマイナーバンドがすでに配信されてるという!CERO とか。七尾旅人とか。イルリメとか。((((さらうんど)))とか。あらかじめ決められた恋人たちとか。すげー!

●すでに全員が40歳代になり、一番年長のわっきーさんなど四捨五入すれば50歳代になるというのに、この三人が集まると、自然と90年代のあの頃に気持ちが帰っていく。「渋谷系」の時代だ。三人は音楽マニアだったし、「渋谷系」はマニアックな音楽にアプローチすることがオシャレな時代だった。今みたいに音楽が微妙な娯楽になった時代からは想像もつかないだろうけど。そしてそれぞれが、今も音楽をそれぞれのやり方で聴いている。それほどオカネも手間もかけてないけど、音楽はまだ身近に鳴っている。


●結構前の雑誌になるけど、興味深い特集があった。

「GINZA」2014:6

「GINZA」2014/6 特集「ファッション雑誌を読みましょう」
ファッション雑誌自身が「ファッション雑誌を読みましょう」って自己言及するってのは、厳しい出版業界を前提とすればかなり冒険的なのでは?ステータスの高い「GINZA」のような雑誌じゃなければ簡単には発信できないコピー。テレビが「テレビを見ましょう」ラジオが「ラジオを聴きましょう」レコード会社が「CDを聴きましょう」というとすごくカッコ悪いでしょう。なのにワザワザ「GINZA」はその自己言及に踏み込んだ。そんで「雑誌」というメディアが持つ美しい伝統と、その流れの延長にある現場からの深い愛情を、臆面なく紙面全体に散りばめてた。で、ボクはそれを楽しく読んだのだ。特に注目したのは、特集内特集の位置付けだった、「オリーブが教えてくれたこと」/「90年代 GIRLS CULTURE BOOK」という記事。

●雑誌「オリーブ」。1982年〜2003年。ボクが18歳だった時に初めて会った20歳ののりぴー先輩は、完璧なオリーブ少女だった。今回会った時も彼女自身がオリーブ少女だったとはっきり白状した。今の若い女性にはなかなか理解しづらいと思うが雑誌「オリーブ」は多くの女子の人生を転覆してしまった。「オリーブがなかったら、私は普通の女子として普通の生き方ができた。男の子に受ける普通のオシャレをして、普通の結婚をしてた……こんなにイロイロなモノをこじらせることはなかった…。」のりぴーさんにとって雑誌「オリーブ」はそれだけのインパクトがあった。その後に続く青文字系雑誌「CUTIE」「ZIPPER」「オリーブ」を代替できない。ライフスタイル誌「KU:NEL」も結局違うものだという。
「オリーブ」は間違いなく女性のファッション誌だったし、誌面の少女たちは可愛らしかった。でもそれだけじゃなかった。「オリーブ」は、少女が自分自身の意志で独自のスタイルを選び取るためのエッセンスを伝えていた。パリ・サンジェルマン・ドゥ・プレのカフェに憧れること、フランス映画や英米文学でちょっとした背伸びをすること、ファッションやアートの世界で活躍するクリエイターを夢見ること、淡い小説のような恋愛や女友達との友情、そして孤独の美しさを、思春期の少女に伝えていた。バブルに揺さぶられるコトなく、自分の研ぎ澄ましたセンスで本当の「自分らしさ」を選び取る姿勢。それが幻想なのか実体があったのかは、今となってはわからない。でも、90年代の少女は、「オリーブ」とベレー帽とボーダーシャツで武装していた。

●そんな90年代の中で、ガールズカルチャーとはなんだったのか?記事「90年代 GIRLS CULTURE BOOK」にはボクにとっても馴染み深いキーワードがたくさん出てくる。ファッションブランド X-GIRLSONIC YOUTH の女性ベーシスト KIM GORDON が立ち上げたブランド。ダボダボのスケータースタイル中心だった90年代グランジを乗り越えて、ナードテイストも加えた細身のプレッピースタイルを発信。モデルに若き CHLOE SEVIGNY を抜擢…ああ彼女も今年でもう40歳、ボクと一個しか変わらなかったんだ。そして、KIM のようなロックスターが推進した音楽ムーブメント RIOT GRRRL(ライオット・ガール)。アメリカのパンクバンド BIKINI KILL から BOREDOMS YOSHIMI、ニューヨークで活躍した日本人女子二人組 CHIBO MATT などなど。激しく時に可愛らしく自由に自己主張する女子たち。なんでも手作り D.I.Y.精神のロウファイ渋谷系とデザイナー信藤三雄SUBURBIA SUITE と橋本徹。ミニシアター映画。そしてあの時代から時計の止まったままのマンガ家、岡崎京子
●この辺が今の若い世代に再評価されるって、全然ピンとこないけど、本当に興味を持ってもらえるのは確かにうれしい。あの時代にあった、ボクらの夢と挫折がココに詰まっているから。


PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」

PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」1991-2001年
「渋谷系」の中でもっとも「渋谷系」らしいアーティスト、そしてもっとも90年代らしいアーティストといえば、PIZZICATO FIVE だろう。これは、彼らの6枚組+αのDVDボックス1990年に三代目ボーカリスト・野宮真貴が加入してから、2001年に解散するまでの10年間のミュージックビデオたち、そして解散直前に収録されたBSフジでのスタジオライブが収められてる。自分が20歳代だった頃を思い出させる懐かしさと、不思議と古びて見えない新しさが真空パックされているようで、見ていて実に楽しかった。デッドストック状態にあったものを友人がボクに譲ってくれたのだ。ありがたやありがたや。

野宮真貴さんの不思議。<THIS YEAR'S GIRL IN ACTON>
●つーか、この人年齢いくつだったんだろう?1991年の新加入紹介VTRは、アンディ・ウォーホルの撮りっぱなしインタビュー映画かのような、またはシリアスなフランス・ヌーベルヴァーグのつもりなのか、荒っぽいモノクロフィルムでザックリ撮られてる。で、野宮真貴さんは…その後の過剰なドレスアップとは別の、私服っぽいシンプルな着こなしで、ツイギーのようにやせっぽっちで、大きな瞳と謎めいた笑みを浮かべて、なんの気負いもなく振舞ってる。ザックリとしたボブが素敵…ボクの先輩のりぴーさんもあの時代のショートボブでとても素敵だったのですよ本人が自覚してないようだけど。実はモデル業やナレーター業、ポータブルロックというバンドで活躍していた彼女はこの時点で芸歴10年、少なくとも30歳にはなっていたはず。なのにこの初々しさ、というか、世間離れしたフワリ浮遊感がすごい。このミューズを見つけてアルバムに「女性上位時代」という言葉を選んだのは、やっぱり小西康陽さんの絶妙なセンスならでは。
●そんで彼女を囲んで、男性メンバー二人がこの時期の代表曲「トゥイギー・トゥイギー」を踊るクリップも秀逸だ。リハ風景をも織り込んだモノクロフィルムには、スタジオが実は圧倒的に昭和風建築だったり、スタッフは決してオシャレでもないみたいなトコロがチラチラというか全部丸見えで、PIZZICATO FIVE最後まで強い個性として抱き続けた奇妙なフェイク感覚/ハリボテ感覚を最初から象徴しているようで興味深い。
●そんで、彼らのダンスをみて感じたこと。90年代当時のイベントでチラチラみてた彼のDJっぷりでなんとなく感じてたんだけど、やっぱ小西康陽さんのダンスっぷりは思いっきりヘンテコ。申し訳ないけどイケメンとは3000里ほど離れている彼が、長くない手足を目一杯振ってリズムに身を預ける様子は滑稽に見えるんだけど、実は音楽に本気って気持ちが伝わってすごく素敵。わかりやすく言えば、ブサイクでヘンテコでも堂々と踊ればカッコよく見える!ってコト。西麻布や渋谷新宿のクラブに出入りして遊ぶようになる時に、小西さんの堂々としたダンスっぷりが背中を押してくれたおかげで、奥手のボクでもフロアで自由に振る舞えるようになったと感じてる。好きな音楽に対しては、好きだってハッキリ意思表示しなくちゃ。その意味ではオタ芸だってモッシュだって意味は同じだよ。

ファンクバンドとしての PIZZICATO FIVE。<MISS PIZZICATO FIVE SUPERSTAR>
●1991年、渋谷「ON-AIR」(現「O-EAST」)でのライブを収録。実は小西康陽さんも高浪敬太郎さんも、全く楽器に触れず、塩蔵に1ミリも貢献していない。サポートという身分だけど、ギター/ドラム/コンピューターオペレーションのバックミュージシャンが実働を全て背負ってる。その時…ああ、このバンド、キラキラの打ち込みダンスミュージックってイメージがあったけど、ライブに音楽を着地させる時には完全にディスコファンクへ変貌していくんだなと感じる。本来の小西さんはベーシストだしね。そのグルーヴィーな原則がCDパッケージじゃなくて、リアルに実体化するとファンクになる。

実はD.I.Y.精神のミュージッククリップ集<READYMADE TV VOLUME ONE>
●ピカピカのオシャレでディレクションされてたように当時は受け止めてた PIZZICATO FIVE のクリップたちをまとめてドサッと見返すと…ゴテゴテにお金を使った内容じゃないってことがわかる。ロケーションも特別な場所じゃない…むしろ知恵と工夫で選び込んだって印象。「SWEET SOUL REVUE」はレーベルがあった日本コロムビアの屋上で収録してる。名曲「東京は夜の7時」であっても、東京タワー旧東京郵便局(現・KITTE)の前でゲリラ撮影&山手通り沿いのガススタンドのロケ。「HAPPY SAD」だってきっと日比谷公園の中の建物だと思う。「SWEET SOUL REVUE」リミックスバージョンは、昭和風レトロビルヂングの一室に、オシャレなLPのジャケを床にばらまいて、野宮さんが歌い踊るだけのワンポーズを1カメノーカットで撮り切る。潔し。基本は手ブレ感満載でリアリズムをフィルムに放り込む感じ…これも小西さんなりのヌーヴェルヴァーグ解釈なのだと思う。でも野宮さん他スタイリング&ヘアメイクは完璧だから、結果としてゴージャスに見えてる。お金もCGも使わない(照明すら足りない)んだけど、創意工夫でイメージを膨らませていくスタイル、カッコイイと再確認。もちろんここに渋谷系デザインの総帥・信藤三雄氏が関わっているわけですが。
「東京は夜の7時」フジテレビ生放送バージョンは今や伝説の子供向けテレビ番組「ウゴウゴ・ルーガ」からの貴重なスピンアウト。「慎吾ママのおはロック」みたいなノベルティソングを小西さんが多く手がけるようになるのはこの辺からがきっかけなのかな。

GROOVISION のデザイン感覚が導入される時代。<READYMADE TV VOLUME TWO>
●1994年に高浪敬太郎氏が脱退して、野宮+小西体制になった時代。MATADOR 経由でアメリカデビューしたのもこの時期だったはず。ここから映像作品に GROOVISION のクリエイティブが加わる。「大都市交響楽」「モナムール東京」「ベイビー・ポータブルロック」などのポップ感覚に磨きをかける。「イッツ・ア・ビューティフル・ディ」の60年代テレビ番組風ギミックは、フジテレビ・プロデューサーきくち伸が制作に関わってるとな。彼らの事務所 READYMADE がリバイバル上映させた1961年市川昆監督「黒い十人の女」の予告も。これも GROOVISION の編集とな。もちろん当時ちゃんとこの映画を見たよ。ダンディな船越英二さん(船越英一郎氏の父)、若かりし中村玉緒さんがキュートでした。なんかあれこれ思い出してきたぞ。

渋谷系の喧騒を通り抜けて解散へ。<READYMADE TV VOLUME THREE>
●1998年以降の PIZZICATO FIVE …ボク個人にとっては就職をしてちょっとこのバンドから関心が薄くなってた時期。斉木しげる氏がダンディを演じてたり、ザ・コレクターズの加藤ひさし氏がワイルドなロックガイを演じてたり。一方で、「ポップ中毒者」故・川勝正幸が看破した「世界同時渋谷化」というテーゼをくぐり抜けて、欧米コンプレックスをアメリカ進出で相対化した PIZZICATO FIVE は、自分たちのルーツである「東京」に回帰、より厳密に「東京」をテーマとしてフォーカスする。アルバム「さえらジャポン」「東京の合唱」の浅草ロケシューティング&屋形船 WITH 松崎しげるYOU THE ROCK が象徴的。てかココに来てスノビズムから離脱してベッタリとベタに降りたってわけでしょ。「NON STOP TO TOKYO」もその路線によりそうのかな。
●今回初めてみた「きみみたいなきれいな女の子」信藤三雄ディレクション、ロンドンロケのシンプルかつクッキリとした色配置の可憐さにときめく。野宮さんのフワリと広がった金髪と、ナチュラルなメイク、赤いニットが可憐。やっぱこの人、美人さん。

バンドの終焉。<HAPPY END OF THE BAND - BS FUJI STUDIO LAST SESSIONS>
2001年3月31日、PIZZICATO FIVE は解散する。これはその解散直前にBSフジで行われたスタジオライブの様子を収録。ラストアルバムとなった「さえらジャポン」の出来が最高だった…このまま解散するのが一番カッコイイと小西氏が語る。PIZZICATO を経て世間は変わったかと聞かれて野宮嬢「ちょっと、おしゃれになったかな、デザインとかお洋服とか」
小西氏もベースをプレイするオーガニックなジャズファンク風バンドフォーマット。ギター&ベースは窪田晴男。パーカッションが猫沢ミミでカワイイ。オルガンがスリルなプレイを披露。「東京は夜の7時」を座りながら歌う野宮嬢はピンク〜パーブルのエミリオプッチ柄ドレスでおしゃれ。加入した1990年から一貫されてたイメージ戦略、お人形のような佇まいと乾いた質感のボーカルが、この解散ライブにおいても、イレギュラーなアレンジ編成でも、一ミリもぶれてない。ゲストに PIZZICATO FIVE 二代目ボーカリスト(そして ORIGINAL LOVE)の田島貴男が途中参加。見事にウェットなソウルボーカルである彼と、野宮真貴の合体は見事にギクシャクしてて、その意味でも野宮真貴の奇妙な独自性に、この解散ライブにおいてなお、さらにハッとされられる。
●ライブの最後はボクのフェイバリット楽曲「MAGIC CARPET RIDE」。チェロを加えて、コーラスを小西さん自身が担う。「きみとぼくは不思議だけど むかしから友達だよね 2000光年を愛しあってる そんなふうに感じだりしない? そしてふたりいつのまにか 年を取ってしまうけど いつまでもふたり 遊んで暮らせるならね」小西さん&野宮嬢の不思議なパートナーシップを象徴しているかのような楽曲。

1991〜2001年を一気に俯瞰してみて、一つの時代の始まりと終わりをみてしまって、じわり感動したりもするのだけれども、気づけば今は2014年、いや2015年を迎えようとしている。DVDで俯瞰した以上の時間がその後に続いている。やっぱり90年代は遠い昔だ。野宮さん一体幾つになったんだろう?解散の時には40歳あたりでしょ?え、今はアラフィフ通り越して次行っちゃう?想像がつかない。


「渋谷系」の重要人物もう一人にフォーカス、CORNELIUS。

CORNELIUS「FANTASMA」

CORNELIUS「FANTASMA」1997年
「渋谷系」は、間違いなく FLIPPER'S GUITAR の出現に始まった。ポップ中毒者として博覧強記だった小西康陽は、なんだかんだ言って80年代前半からニューウェーブ〜細野晴臣文脈からキャリアを起こしたベテランだった。しかし、FLIPPER'S GUITAR は突然現れた。ヨーロッパの音楽事情や文学アートに目配せする天性のセンスをもった「恐るべき子供達」として登場した。しかも彼らは即座に解散、「渋谷系」のカリスマの地位すらも無価値といわんばかりの姿勢を見せた。野宮真貴 PIZZICATO FIVE のボーカルとして離陸する1991年には、すでにこのバンドは退場不在だったのだ。

小山田圭吾と小沢健二という二つの個性に分裂した後、彼らがどのようなデュオだったのか、ボクは彼らの活動を眺めながら、徐々に読み取っていたような気がする。FLIPPER'S GUITAR の冷めた諦観に一貫されたリリックは小沢健二の領分。彼はそのどこにも行けないニヒリズムをバンド解散で克服し、敢えてポップスターの道を選び、1998年で活動ペースを落とすまで走り続けた。時にはスチャダラパーとともにヒップホップに挑戦するほどに。
●一方で、膨大な音楽アーカイブから様々な情報を参照して極上の音楽を構築していたコンポーザーが、小山田圭吾の担当だった。スノビッシュなニヒリズムと厭世観を抱えたままで、カラフルな音楽世界を膨らませた CORNELIUS 名義のファースト「THE FIRST QUESTION AWARD」、悪フザケのつもりかハードロック/オルタナティブの要素を強調した「69/96」を経て、リリック要素に意味を持たせない作風に彼はシフトしていく。それが「FANTASMA」1998年だ。CORNELIUS「PET SOUNDS」というか「SGT. PEPPERS」というか、古今東西ありとあらゆるポップスを飲み込むかのような意気込みが盛り込まれてる。しかしそれはあくまで過去アーカイブの参照で、そこから自由になるためにはどうすればいいのか、散らばっていくベクトルをどう制御すべきか迷っているかのようにも見える。その上で、すでにシカゴ音響派などで一般的になりつつあったポストロックアプローチ、そしてそこからスピンアウトしたようなミュージックコンクレートの手法が、散見できる。次なる彼のアプローチが見えている。
●シングル「STAR FRUITS SURF RIDER」は可憐なポップスだ。ドラムンベースの収穫を盛り込みながら、彼一流のギターポップ的なメロディが優しい。ボクはこの曲の8センチシングル2枚組も持っている。シングル二枚を同時にミックス再生すると、完璧な「STAR FRUITS SURF RIDER」が鳴る。シングル一枚づつだけならば、独立した別の楽曲が別の表情を見せてくれる。非常に面白いアイディア。アメリカのサイケデリックバンド THE FLAMING LIPS がこのアプローチで4枚組アルバムを作ってた。

「STAR FRUITS SURF RIDER」

●CORNELIUS「STAR FRUITS SURF RIDER」1997年

CORNELIUS「POINT」2001

CORNELIUS「POINT」2001年
ハードディスク・レコーディングが一般化して、CORNELIUS のポストロック化も完全になったトコロ。無駄な要素を削ぎ落としたミニマリズム音響、アンビエンタルかつサイケな抽象美。時にドライブするダンス感覚。映像作家、辻川幸一郎とのコラボ「DROP」の水滴が落ちるビデオも大きく話題になった。渋谷系の90年代を経て、新しいディケイド00年代=ポスト渋谷系へ突入するにあたり、実は明確な新ビジョンを持っていたのは、小西康陽でもなく、小沢健二でもなく、小山田圭吾だったのかもしれない。

CORNELIUS「SENSUOUS」

CORNELIUS「SENSUOUS」2006年
●前作「POINT」から5年も空けてリリースされた5枚目のアルバム。でも小沢健二はもっと感覚が広いからマシか。ミニマリズムもより一層深化して要素がどんどん減る一方で、ヘッドホンでなければ認知できない音の配置などの細かいコダワリはより先鋭化している様子。しかし、きちんとしたスタジオアルバムのリリースはここで途絶えてしまっている。それからしばらく経って、NHKETVの番組「スコラ - 坂本龍一音楽の学校」で、YMO のサポートギタリストを淡々とこなしている様子を目撃。ちょっぴりビックリした。妻だった嶺川貴子とも去年離婚しちゃったみたいだし。さて、今後の彼はどう動いていくのだろうか。


●その他の渋谷系音源を軽くチェック。

ICE「SOUL DIMENSION」

ICE「SOUL DIMENSION」1996年
渋谷系のムーブメントの中では、多くのジャズファンクバンドが登場した。イギリスで起こっていたアシッドジャズのムーブメントがハウスやソウルの感覚をダイナミックに折衷した新しい感覚を投入していたからだ。結局のところ、PIZZICATO FIVE ですらその影響下にあったことを、彼らのライブをDVDで観て確信するした…。
●この時期に登場したジャズファンク系バンドといえば、元 PIZZICATO FIVE であった田島貴男率いる ORIGINAL LOVE大沢伸一 MONDO GROSSO、さらには LOVE TAMBOURINES、ESCALATORS、SPIRITUAL VIBES もいいバンドだったなあ。DJユニットではあるが UNITED FUTURE ORGANIZATION、KYOTO JAZZ MASSIVE も忘れられない。
ICE もこうした一群のジャズファンク系バンドのひとつだった。ギタリスト/プロデューサーの宮内和之とシンガー国岡真由美の二人を軸にしたユニット。1993年にデビューしてこれが5枚目のアルバム。「渋谷系」とはいえリリースのスビードが速いのは音楽産業にまだたっぷりお金があったからだろうか。クールでウエットなボーカルを、ファンキーなカッティングギターやグラマラスなピアノとベース、キレのいいホーン隊がスムースに推進している。シックなドライブミュージックに最適かも。
●ユニットの中心人物であった宮内は2007年でガンで亡くなってしまうが、国岡は形を変えつつも宮内の音楽を守って活動しているという。

RON RON CLOU「FIRST ALBUM」

RON RON CLOU「FIRST ALBUM」1995年
PIZZICATO FIVE 周辺からジャズファンクバンドがたくさん登場したように、FLIPPER'S GUITAR 以降にはギターポップ系のバンドが大勢登場したのも渋谷系時代の特徴だった。 BRIDGE 〜カジヒデキ、ROTTEN HATS 〜 GREAT 3、VENUS PETER、SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER …とか。もうたくさんありすぎて思い出せない。NELORIES、B-FLOWER、デキシード・ザ・エモンズとかとかも。そんで元祖っぽいポジションにネオモッズだったザ・コレクターズがいて。
●このバンドは、こうしたギターポップバンドを紹介していた(そして今も進行中である)インディレーベル K.O.G.A. RECORDS からリリースされた音源。やはりこの時代のギターポップバンド N.G.THREE(改組して NORTHERN BRIGHT)と THE ELECTRIC GLASS BALOON というバンドのメンバーが結成した3ピースバンド。シンプルで荒削りな鳴らしっぱなしのギターをそのまま収録した気取りのない姿勢がフレッシュ。

FLIP FLAP「JUNGLE DJANGO JUMBO」

FLIP FLAP「JUNGLE DJANGO JUMBO」1998年
渋谷系は、90年代にメジャーとなった様々な新型音楽フォーマットを日本に移植した。ヒップホップ然り、テクノ然り。(スチャダラパー電気グルーヴの功績ですね)。この双子ちゃんモデル姉妹ユニット FLIP FLAP のこのアルバムには、電気グルーヴの初期メンバー CMJK も参加してて、キュートなエレポップをスマートに鳴らしてる。しかも楽曲の順番を変えられないように、アルバム41分間がまるまる一曲として構成されている。
●そんな彼女たちもすでに二人とも結婚。赤ちゃんを産んでママになっているとな。

「BENTEN BENTOH」

「BENTEN UNPLUGGED」

VARIOUS ARTISTS「BENTEN BENTOH」1994年
VARIOUS ARTISTS「BENTEN UNPLUGGED」1996年
日本のシーンの中に「RIOT GRRL(ライオット・ガール)」に対応する存在があるとしたら、この「弁天 LABEL」なのでは。ということで、このレーベルコンピを聴く。ガールズバンドだけにフォーカスして、三軒茶屋から海外に発信する大志。つーか、いま検索したらこのレーベル今も健在なのね!すげーご立派!
SUPER JUNKEY MONKEY は、ガールズバンドとしてはいち早くミクスチャーロックにアプローチしてて当時から注目されてた。けど他のバンドは本当にアンダーグラウンドだったねー。ロリータ18号とか素でハードコア音質だし、THE FLAMENCO A GO GO もロウファイガレージだったねえ。でも、あとはボクもほとんど名前しか知らないのですよ。DROOP、GUINNY VAMPS、NOODLES、LITTLE FUJIKO、LOVE PIGS…。みーんなガレージ。OLIVIA★NEW★TON★JOHN ABBA「DANCING QUEEN」アンブラグドカバーはかわいらしいなあ。
PETTY BOOKAウクレレを持った PUFFY なんてたとえで紹介された女性デュオだが、なんと襲名制で現在4代目と代変わりしてるとな。2代目が森山直太朗の姉でおぎやはぎ小木夫人の森山奈歩。この音源は初代 PETTY BOOKA で THE FLAMENCO A GO GO のメンバーの兼任。ニューオリンズファンクの古典「IKO IKO」をカバーしている。
JON というアーティストはハッキリと覚えている。ホルスタインの着ぐるみを着ながらオルガンを弾き鳴らして、たった一人ジョンという犬の歌をうたう女性。というかジョンの気持ちをそのまま代弁してるというか。「おうちにはいりたいーわん!」もう牛の服着て犬の歌を歌うという段階でズレまくってるのに、のどかすぎる犬のアタマの中をポコンとくりぬいて映写するかのようなリリックは脱臼しまくりでこれこそロウファイと感動した。当時、何回かライブを見た…一度はオルガンじゃなくて轟音ノイズバリバリバージョンの中、ぴょんぴょん飛び跳ねながら犬になるという演出で…もう爆笑を超えて神々しさすら感じた。JON田口史人さん主宰の OZ DISC JOHN ZORN のレーベルからもアルバムをリリース。やっぱわかる人はわかるんだなーって感じた。

少年ナイフ「嵐のオーバードライブ」

少年ナイフ「嵐のオーバードライブ」2014年
90年代のシーンの中でいち早く海外での評価を得たのはこのガールズトリオでしょう。SONIC YOUTH BOREDOMS少年ナイフの名前を挙げていて、なんじゃこりゃ?日本にこんなバンドがいるのか?!と驚いたのを覚えてます。そこから全く芸風を変えることなく、ソリッドなガレージロックを現在進行形で続ける姐さんたち。今回も内容はいつも通りのタフなロック。



●やばい、今回も長く書きすぎた。誰もよまない。
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