今年に入ってから、イスラム教に関係する大きなニュースが沢山あり過ぎた。
●いわずもがな、ISIS(ISLE?「イスラム国」?)の、日本人人質殺害事件。交渉仲介を担ってくれたヨルダンの、同じく ISIS に拘束されていた若いパイロットも殺されてしまった。悲しかった。様々な国、大勢の人が関わり、ISIS 側も条件を変更してきた。湯川さんは早くに殺されてしまったが、後藤さんだけでも生還できれば…。甘いと指摘されても仕方がないが、なんらかの交渉が成立すればテロリストといえど言葉が通じる相手だと思える。そこに希望があると考えていた。だが彼らは交渉ができる相手ではなかった。「同じ人間、話せば分かる」という淡い期待がブツリと絶たれた。その時、ボクは深く悲しい気持ちになってしまった。「話せば分かる」が1ミリも通じないのでは、本当に最後まで殺し合うしか解決の手段がないではないか。報復の連鎖を無限に続けるしかないではないか。ショックを受けてしまった。深く落ち込んでしまったのだ。

別の意味では ISIS が巧みにソーシャルメディアを駆使していることも気になった。
twitter や YouTube で声明を発信し、全世界に公開する。日本のユーザーが ISIS 関係者に彼らの動画を小バカにしたコラージュ画像を大量にぶち込んだのも、あまりに現代的なコミュニケーションとして興味深いと思った。テロリストが全世界にプロパガンダすることは実にスゴイが、同時に日本の一般ユーザーがそのテロリストを直接的に挑発することができるという状況もスゴイ。
ISIS のプロパガンダは巧妙だ。ボクは湯川遥菜さんや後藤健二さんの動画は見ていない。しかし米 FOX が自社ニュースサイトで再掲したヨルダン軍パイロットのカサースベさん焼殺映像は見た。この内容に唖然とする。22分の動画。白昼の砂漠に後藤さんたちをひざまずかせてナイフの男が偉そうに演説をするようなものではない。まるでゲームやSF映画のような凝った編集が施されているのだ。一体ここまで映画仕立てにして、何を狙っているのか。
カサースベさん自身が、ボクにはわからない言葉で(アラビア語?)ずっと何かをしゃべっている。オレンジの服は一緒だが、黒いスタジオに座ったカサースベさんの様子を数台のカメラをスイッチングして収録。その周辺にはゲーム画面のようなデザインのCGが配置されている。時には映画「マトリックス」のようにカサースベさん自体をCG加工して場面切り替えをしたり、Google Earth から拝借したような空撮写真や欧米〜中東諸国の国旗をカッコよく散りばめてクールなプレゼンテーションにしている。中には、おそらく ISIS への空爆作戦に巻き込まれた人々という意味なのだろう、大怪我をした人々の写真や幼い子供達の遺体の写真もでてくる。
そして最後は、痛ましい場面が。砂漠カモの兵装にベージュの覆面といかついライフルを持った兵士たちが見守る中、カサースベさんがフラフラと廃墟の中の広場に歩み出てくる。不安げな表情。そして檻の中に。オレンジの囚人服はガソリンで濡れている。トーチに火をつけた兵士が、地面に炎を近づけるとたちまちその火は導火線のようなものから檻に伝わる。一瞬にして大火に覆われる檻と、カサースベさん。2メートル四方の檻の中で中央に立っていた彼はたちまち炎に包まれて…両腕で頭を抱えるような動きをして後方によろめくも、もはや表情も見えないほどの猛火。苦しみの中でヨロヨロと膝を折り、檻をぎゅっと掴む。まだ意識があるのか?この苦しみを味わっているのか?…そこまでしてとうとう彼の体の動きが止まる。しかし絶命しても炎は止まらない。真っ黒に焦げた彼の顔からポロポロと何かが落ちる。肉片が焦げてはげ落ちていく。絶命したはずの彼の体がまた動き出す。うずくまった彼の体が、焼かれることでえびぞりに反り返るのだ。反り返った遺体が仰向けに倒れた瞬間、ブルドーザーがコンクリートの瓦礫を檻の上に浴びせて全てを押しつぶしてしまう。なんと陰惨な動画だろう。
●しかし、どうしても、これは映画の一シーンではないか?と思えてしまう。どこかの映画で見たことがある既視感。あそこで火だるまになった男性は、万全な耐火対策を準備したスタントマンなのではないか?そんな錯覚に陥る。できれば、そうであってほしい。そんな錯覚も、炭のように焦げた遺体のアップで消え去るのだが。

一方、フランスでは風刺マンガがキッカケとなってテロが起こる。
●今年1月、週刊紙「シャルリーエブド」編集部がテロリストに襲撃され12人が殺された。編集者やマンガ作家だけではない、一緒に殺された警察官はイスラム教徒だった。この事件の二日後は関連事件としてパリのユダヤ食品店で人質立てこもり事件も発生、犯人は特殊部隊に射殺されたが、人質のうちの4人が殺害されていた。こちらの犯人は前日に警官一人を射殺している。「シャルリーエブド」の犯人もドゴール空港の近くの印刷会社に立てこもるも特殊部隊に射殺される。この事件を受けて「言論の自由」を掲げる巨大デモがフランス全土で展開。1968年5月革命以来のデモといわれ、370万人が参加したと言われている。欧州各国の首脳も参加。ちなみに、フランスは西欧諸国で最大のムスリム人口を抱える国で、人口の7.5%がイスラム教徒という調査もある。



現代のイスラム教とは一体なんなのか? リアリティがつかめていない。
●もちろん、今回の一連の事件を引き起こしているのは、すべてテロリストだ。暴力や殺人で主張を押し通す行為は許されない。彼らはイスラム教徒ではあるが、一般のイスラム教徒の人々と同じであるはずがない。しかし、ボクの中に、その一般のイスラム教徒の人々のイメージがない。平和を望み、普通の生活を暮らすムスリムの人々。書籍では、歴史や政治は読めても生活は見えてこない。

●そこで、なにかのヒントにならないかと思って。
代々木上原にある、イスラム教の礼拝堂、東京ジャーミイを訪れてみたのだ。娘ヒヨコと二人で。

東京ジャーミー

「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」。東京都渋谷区大山町1-19。
毎週末土日は、14時30分の礼拝の時間に合わせて訪れると、日本語でアレコレのガイドで解説を聞くことができる。見学は無料だし、大勢でなければ予約も必要ない。2階が礼拝堂だが1階は「トルコ文化センター」という位置付けでトルコの物産やイスラム教関連の書籍などが売られている。イスラム教徒の人々にとっては信者同士の社交の場、という雰囲気もあるようだ。小田急線からそのユニークなドームや尖塔が見えるので前から気になってはいたけど、実際に中に入るのは初めて。
●そんなに見学者もいないだろうと思ったら、一階ロビーにはなんと30人も集まって。レポートを書く学生さんから観光見物な年配女性まで。親子連れも珍しくはなかった。で、ガイドを務めてくれたのは日本人ムスリムの初老の男性。朗々とした声がよく響く。「学生の頃にアフリカに行ってイスラムと出会いまして。30歳の頃に入信しました。今はここで出版活動や取材受付をしてイスラム教への理解を広める仕事をしています」

ジャーミー見学ツアー

●中央左の黒縁メガネの男性がガイドさん。情熱込めてイスラムの魅力を伝えてくれました。

さて、ここ代々木上原にモスクがある理由とは。
●この東京ジャーミイは、実は新しい建物だった。建てられたのは2000年。ボクが下北沢に引っ越してきたのが2003年だから、ほぼ同時期じゃないか。調度品から壁のタイル、床の大理石まで、水とコンクリ以外は全てトルコから調達したという徹底ぶり。建築様式としては、オスマントルコ帝国の全盛期に作られていたスタイルを忠実に再現することを目指したという。一口にモスクといってもお国柄や時代で形は違う物。南国では吹き抜けが涼しく工夫されたり、中国では日本の神社のようなルックスになったりするそうな。オスマン以前は天井がフラットが主流。立派なドーム天井がオスマン朝の特徴らしい。ボクがトルコ旅行で観たイスタンブールの巨大モスクたちもドームが見事だったけな。
●しかし、ここに最初のムスリムの礼拝堂ができたのは昭和13年/1938年。戦中じゃないか!そもそもでいうと、ロシア革命をきっかけにソ連政府が中央アジアのイスラム教徒を弾圧したのがコトの始まり。生まれたばかりのカリカリの共産主義政権は宗教を認めないので、中央アジア(ガイドのおじさんはタタール人という言葉を使ってた)の人々はシベリア〜中国経由で日本まで亡命してきたそうな。で、まだ山手通りもできてない頃の富ヶ谷交差点近辺にムスリムのコミュニティが出来上がり、礼拝堂が作られたとな。最初はもっと小さいモノが富ヶ谷の近所にあったようだけど、もう少し広い場所を求めてこの代々木上原の位置にやってきた。今では井の頭通り沿いのお屋敷が立ち並ぶ一等地だけどね、戦前はまだ畑がたくさん広がってたそうですよ。礼拝堂に併設するように小学校が建てられて、タタール人の子供達はそこに通ってたとな。小学校はもうないけど建物だけはまだジャーミーの隣に残っている。旧・礼拝堂は1986年に老朽化で取り壊し。しかし、その後、民族的にはタタール人と同じグループになるトルコ政府が、立て直し資金を寄付することでこの立派な建物ができて今に至る。
●そもそも、イスラムのモスクは、日本の寺社仏閣のように聖域を意識した山の上とか林の中にあるものじゃないとか。街の中心、人々の生活の中心に作られる。周囲には学校、病院、市場が集まる。宿屋を兼ねていることもあるし、貧しい旅行者が助けを乞うこともできる。コミュミニティのハブを担う場所なのだ。東京ジャーミー1階の集会ホールの一角では、小学生のムスリムの子供達が集まってコーランの勉強会をやってた。栗色の髪の毛に茶色の瞳、そして可愛らしい柄のスカーフを被ってテーブルを囲む。勉強会が終わったら、日本語とトルコ語をチャンポンにしゃべりながら 3DS で遊んでた。そこはムスリムとはいえイマドキの子供。


ジャーミー見学ツアー2 ジャーミー見学ツアー3

さあ、礼拝堂にお邪魔する。
●写真は二階礼拝堂入り口から見上げたモスクと尖塔・ミナレット。自慢のドームが近すぎて見えない…。それと礼拝堂への入り口幾何学模様のドアが立派ドアの上にあるゴールドの三角形は、コーランの一節の文章をデザイン化したカリグラフィだ。アラビア文字のカリグラフィは本当に見事だ…今回思い知った。日本には書道の伝統があるが、あくまで文字を伝えるもの。具象絵画がタブーなイスラム世界では文字自体が美術造形の重要な素材になる。特殊な文化だな。
●そんなイントロダクションを聞いているうちに「アザーン」が始まる。「礼拝の時間がきたぞ」ということを朗唱で近所一帯に向けてスピーカーで鳴らして伝えるのだ。高めの男性の声が朗々と響く。伴奏のないアカペラだが、堂々とした節回しと耳慣れない言葉で迫力満点。それを合図にボクら見学者も二階の礼拝堂に上がる。礼拝堂では非ムスリムの女性もスカーフで髪の毛を隠す。娘ヒヨコもスカーフで頭を覆う。今の季節は心配ないが、ショートパンツや半袖Tシャツもふさわしくはない。肌の露出は極力控えてほしいそうな。
●入り口で履物を脱ぎ、中に入ると実に広い…面積でいうと、渋谷クラブクワトロよりもう一回り大きいって感じ?緑色の絨毯に細かい模様の横縞が走っている…この線に沿って立ち、礼拝をするのだろう。空間をより一層広く見せているのは高い天井ドーム。10メートルくらいの高さはあろうか。ドームから壁の隅々までに細かい装飾がちりばめられている。きらびやかなステンドグラスも美しい。偶像崇拝禁止のイスラム教なので、具象デザインはほとんどない…チューリップとバラをかたどったレリーフがわずかにあるだけ。一方で、コーランの一節を完璧にデザインしきった飾り文字で表したモノがいたるところに描かれている。そして幾何学模様。数学に長けたイスラム文明の特徴はこうした幾何学意匠にも反映されているという。
その一方で、なんというか、空っぽ。祭壇とか説教台だとか、そういうものがない。唯一あるのは「ミフラーブ」というちょっとした壁の凹み。これが正確に聖地メッカ・カーバ神殿の方向を示すマークになっており、この礼拝堂の空間的秩序の中心をなしている。礼拝の方向も秩序正しくこちらに向かってなされる。でも、その存在感は、大きく記されたカリグラフィよりも小さい、というか一階待合室のタイル張り暖炉の方が豪奢に見えたってくらいで。冷静に考えると、日本の寺社仏閣は御本尊や御神体を格納するための建物がメインで、その建物の中に信者が入る想定すらなかったりする…そっちの方が奇妙か。

ジャーミー見学ツアー4 ジャーミー見学ツアー6

写真右は天井のドーム。ドーム中央のゴールドの紋様もコーランの一節を記したカリグラフィ。そこからぶら下がるシャンデリアのデザインですら、カリグラフィから作り起こされているとな。シャンデリア右上の小さな丸のカリグラフィがアッラーの御名を表している。他にも預言者ムハンマドと同時代に活躍した重要人物たちの名が記されている。
●写真左は「ミフラーブ」。メッカの方向を示す印。立派な絨毯の横縞にそって信者は立ち、祈りを捧げる。


さて、礼拝の時間に入ると、ガイドのおじさんもその礼拝に加わってしまう。
●その間、見学者は絨毯に座って黙って見学だ。ただひたすらその様子をみつめる。信者の方々は20人程度だろうか。成人男性中心だが、小学生低学年の男の子たちもいる。広い絨毯の上を楽しげに飛び跳ねている。女性は?と思ったら、礼拝堂の二階席が女性専用スペースだという。ここにも20人ほどの人たちが。ガイドのおじさんから前振りがあったが信者は今ではこの近所に住んでいるわけではないから通常の礼拝でここに大勢の人が集まらないだろうと。一方で「金曜礼拝」という儀式では600人ほどの信者が集まるという。ちなみに、礼拝の様子は撮影禁止だ。「ゆっくりご覧になってください」と言われたけれど、思わず絨毯の上で正座をしてしまうのは、厳粛な空気を敏感に察知して思わず背筋を伸ばしてしまうボクら日本人側の感覚だろう。何も言わずとも娘ヒヨコまで正座をしてた。
●ひとつの礼拝の中に、二つのステップがあるみたいだ。おじさんの言葉によると第一は「任意の礼拝」。本格的な礼拝の前に、してもいいししなくてもいい礼拝があるらしい。その段階では、信者の人々は広い空間の好きな場所を選んで、礼拝をする。何百回何千回もやりこなされたであろう洗練された所作で、口の中で静かにお唱えをしながら、膝を折り、額を床につけて祈りを捧げる。
●第二は「全員で行う礼拝」だ。この段階になるとぴょんぴょんはしゃいでいた男の子たちも行儀正しく振舞う。任意ではなく、みんなできちんと呼吸を整えて祈りを捧げるからだ。「ミフラーブ」の前の最前列に、男性信者全員が密度を詰めて集まる。よけいな隙間は作らない。ぎゅっと詰めたら今回は2〜3列にまとまってしまった。そこにすっと白い衣装をまとった貫禄あるトルコ人男性が入って「ミフラーブ」の前に座る。彼が礼拝の指揮をとるのだ。この人物がこれまた見事な美声で歌を歌う。コーランの朗唱らしいのだか、彼は完全に頭に入っているようなので、聖書を小脇に、とかじゃなくてそのまま朗々と歌を歌い続ける。当然アカペラの独唱なのだが、集会用のPAマイクを通じて礼拝堂全体に響くその声は美しい。それに合わせて信者全員が所作を揃えて祈りを捧げる。なんて音楽的なんだろう。礼拝は音楽と不可分だった。
●一区切りついて、礼拝が終わると、そのままコーランに関する説教の時間になるようだ。急ぎの用がある信者さんはこのタイミングで列を離れて帰ってしまうが、子供達も含め他の人たちは神妙な顔で聞いている。もちろん日本語ではないのでボクには意味がわからないし、そのお説教も外国語の韻律でひとつの音楽のように聴こえる。この間、約20分ほどか?ガイドのおじさんも礼拝の列から離れて解説を再開してくれた。やっと足を崩す気分になれる…足しびれた。「ヒヨコも足ジンジン」だとさ。


ここでイスラム教についての具体的な説明が始まる。
聖職者不在の論理と、イスラムの平等思想、偶像崇拝の禁止について。
●以下はガイドのおじさんの言葉を元にしました…メモとったわけじゃないから正確とは言えないけど。
●礼拝の指揮をとったあの人物は「イマーム」といいます。日本語では「先導者」と訳します。ただし、聖職者ではありません。イスラム教には聖職者はいないのです。もし礼拝の規模が少なくて、その場所に私含め3人しかいないとしましょう。そうすればその中で一番コーランに詳しい者、または年長者がその場で「イマーム」を務めます。つまり私が「イマーム」を務める場合もあるわけです。礼拝をきちんと行うための指揮者だと思ってください。イスラム教は信者個人と神の一対一の関係ですから、その間には何者も存在していないのです。聖職者はおろか、預言者ムハンマドですら神と人間の間にいるわけではありません。だから預言者ムハンマドの肖像といったものはこのモスクの中にはないのです。キリスト教は「三位一体説」で神=精霊=キリストを信仰の対象にしたので、キリスト教教会ではキリスト像があるのが普通です。しかしイスラム教では、信仰の対象が預言者になってはいけません。あくまで信仰の対象は唯一の神でなくてはならないのです。
●これは、イスラム教の「平等」の思想につながる発想です。イスラム教では、その出自、家柄や貧富の差、人種や民族、国籍によって信者が区別されることを認めません。神の前においては誰もが平等で、もしその優越をつけるとするならばその信心の深さだけです。この東京ジャーミートルコの大統領が訪れて礼拝を行った様子を見たのですが、大統領を真ん中に、ガードマンや運転手は隅っこに、などという配慮はありませんでした。それぞれが空いた場所に、運転手さんが真ん中に、大統領が隅っこに、普通に場所を選んで礼拝を行いました。イスラム教徒は現在世界に16億人いると言われています。アフリカから中東、中央アジア、中国、東南アジア。ムスリム人口が最も多い国はインドネシアです。その次に、パキスタン、バングラデシュ、インドが来るでしょう。キリスト教徒は20億人ですが、キリスト教とともに、イスラム教も普遍性を持った世界宗教と言えるでしょう。そこにはこの平等の思想があるからです。今日の見学ツアーにはセネガルから来た学生さんもいます。彼もムスリムですが…(ここでおじさん、このセネガルの学生さんとアラビア語?で挨拶を交わす)…ね、民族も肌の色も違う彼と私が一瞬で通じ合うことができます。この日本には残念ながら1万人程度しかムスリムはいないと言われています。外国人を含めて10万人程度です。
●ここからは、ボク自身の言葉。イスラム教徒はこのような理由で、信仰の対象をそらすようなイメージを絵で表すことを好ましいと思っていない。ましてや、聖職者階級を持たないイスラムの組織秩序においては、絵画に起こされたイスラムの聖人はそのまま本丸の預言者ムハンマドを直接指すことになる。同じ聖職者イメージを描くとしても、キリスト教ならば教会組織全体を漠然と揶揄するようなニュアンスになる表現でも、イスラム教にとっては、預言者ムハンマドそのものへの批判になるのだ。ムハンマドは神が人類に使わせた預言者の最後の一人(人類の始祖アダムイエス・キリストイーサーと呼ぶらしい)もイスラムの世界観では預言者に含まれている)。そんな彼を絵として描き起こし、揶揄の対象にすることは、二重に禁忌を破ることを意味する。もちろん。これはそのままフランスのテロリストを正当化するものではない。イスラムはいかなる理由においても殺人を認めないからだ。殺人は、彼らの禁忌の中でも最も重いものの一つ。ただ、彼らがあの風刺画を良いものではないと感じる感覚は知っておいたほうがいい。


イスラムはテロリズムを認めない。その一方で偏見と誤解も発生している。
東京ジャーミイのHPでは、1月8日付けでステートメントを発表している。「イスラムはテロを認めていません」シャルリーエブド事件の発生翌日だ。「テロはどのようなものであれ認められるものではない」。コーランではっきりと禁忌とされていることを説明しています。そして「最後の審判」を前提とした説明を。輪廻思想で永久に循環を続けるような仏教世界観と違って、キリスト教&イスラム教は「最後の審判」というこの世の終りを想定している。この瞬間に今の世界は天地の秩序のレベルで崩壊し、それまでの死者全てが天国に行くのか地獄に行くのか審判を受けます。現世において善行を重ね功徳を積むのは、ここで天国に行けるかどうかが大きな動機付けになる。「アラーは全ての人に自由な意志を与えられました。その意志によって行ったことに対して人は審判を受けるのです。」「他の教えを信じる人々の中にもテロ活動を行う人がいるように、イスラーム教徒の中にもテロ活動を行う人々がいるかもしれません。しかし真のイスラーム教徒は、そうした人たちの行為を認めることは絶対にありません。イスラームの教えに誠実なイスラーム教徒はイスラームのイメージを損なった彼らに対し、はっきりと対決した姿勢を取るものです」
湯川さん後藤さんの2億ドル身代金要求は1月20日。この翌日にもfacebookページにおいて東京ジャーミィはコメントを発表。抜粋すると「イスラームの最も重要な教えの一つが、公正な社会を実現し、人々の間に平和をもたらすことにあります。暴力が唯一の手段と見なすこの残虐なテロ組織の考え方は、イスラームの教えとも、イスラームの生み出した文明ともまったく相容れないものです。二人の日本人の方が、一日でも早く救出されますよう、東京ジャーミイは最も親しき友である日本の皆様方とともに、心から祈りを捧げたいと思います。」その週23日の金曜礼拝でも、日本人人質の安全に言及した説教がなされている。
●しかし一方で、イスラムに馴染みのない日本人からは、心ない偏見による中傷も起こっている。愛知県のモスクでは「日本から出て行け」といった嫌がらせ電話があったり、「日本人の敵だ」「殺す」というメールが届いたということがニュースになっている。ガイドのおじさんもこれを心配している。誤まった偏見がムスリムに降りかかることを。「イスラムという言葉の中には、ピースという意味も含まれている。イスラムはテロに断固反対します!一般のイスラム教徒がテロを容認するということはありません」一方で、一般の日本人の人たちから、人質事件解決のために祈ってくれてありがたいと、お礼のお花を届けてもらったともいう。


●ガイドのおじさんは、昨今の事件を含め、日本人ムスリムとして語りたいこともまだあったようだが、「もうお時間ですから一旦ガイドはおしまいにしましょう。もし、質問があれば私はここにいますから、どうぞなんなりと質問を」と締めくくった。見学者の方々ももちろんこの事件をベースにここを訪ねているようで、おじさんを囲んで様々な質問を投げかけていた。
●ボクも話をしてみたいと思って足を運んだのだが、議論だのなんだのってことを望んだわけではなくて。ただ、イスラム教徒の人たちが、毎日どんな気持ちで神に向き合っているのか、知りたかったまでで。そこで、ひとり礼拝堂の絨毯をなでて、そしておでこと鼻ををそっと当ててみた。厚手の絨毯は思ったよりも硬い。本当は礼拝の仕方を教えてもらいたかったが無理だということもわかった。1日5回の礼拝それぞれが別の目的と意味と名前を持っていて、お祈りの所作も唱える文句(当然アラビア語)も全部違うのだ。お祈りの時間でさえ、暦の変化で毎日1分単位でずれている。
●ガイドのおじさんが言う。「毎日5回の礼拝は大変でしょう、そう言われます。でも私たちは毎日3回ごはんを食べるでしょう。体に栄養を与える食事が3回できるなら、心に栄養を与える5回の礼拝も難しいことではありません」この礼拝という行為を通じて、常に神を身近に感じることこそが大切なのだそうです。
●なんだか、胸いっぱいになってしまったボクは、早々に礼拝堂を出て、一階フロアの文化センターに移動した。



ジャーミー見学ツアー8 ジャーミー見学ツアー7

見事なタイル張りの暖炉がある応接スペース。ここに座ってくつろいだ。
●ここのロビーでは、一般客向けに、紙コップで温かい紅茶をご自由に、という形でふるまってくれている。それをゆっくり飲みながらソファに座る。ヒヨコ「なんか外国のホテルのロビーみたいだね」。ボクがトルコ旅行でカッパドキアまで行った時も、いろいろなお店で無料のリンゴ茶をふるまってもらった。ただのおみやげ屋さんから、深夜バスが立ち寄ったドライブイン、ドミトリーの安宿まで、気前よくお茶をふるまって愛想よく談笑を交える。やや殺伐とした都会であるイスタンブールよりもそこから離れた方がフレンドリーな人が多かった(首都アンカラ含む)。そんなことを思い出しながら、お茶を飲んだ。しかしこの暖炉のタイル張りすごく見事だよなー。礼拝堂の「ミフラーブ」よりも立派に見えるんだけど。カリグラフィも各所に描かれている。この丸いデザインもコーランの一節。
●ガイドのおじさん曰く、断食月「ラマダーン」では、この一階の集会所は日没後の食事会で大賑わいになるという。ラマダーンといえどほんとに30日間何も食べないと死んじゃうわけで、ルールとしては暁に空が白み始めてから日没するまでの時間が断食タイムになる。食べ物だけではない。飲み物もダメ。この時、富める者も貧しい者も、平等に断食のひもじさを味わって、水や食べ物のありがたみを知り、神の恩恵や慈悲の心を共有する。一方で一年で一番祝福される月でもある。預言者が啓示を授かった月でもあるから。だから日没後の食事会はここに300人もの信者が集まって、無料で振る舞われるトルコ料理を食べるそうな。ラマダーンに合わせてトルコから料理人がここに派遣され、毎日大勢の料理を厨房で用意するほど。ガイドのおじさんもその食事の準備を汗だくで手伝う。「トルコ料理はおいしいですよ!世界三大料理と言われるほどですからね。今年のラマダーンは6月ですが、どうぞみなさんもお越しください。イスラム教徒でなくても料理は振る舞われます。ホームページに案内を出しますからね」へー、部外者の人でもいいの?でも確かにトルコ料理はなんでも美味しかった。それは現地を旅行した時に思い知ったね。料理の名前が全然わかんなかったけど、何が出ても美味かった。
●おみやげコーナーでは、イスラム教関連の書籍を5冊買った。ちなみに「コーラン」そのものは買わなかった。ガイドのおじさん曰く「コーランをそのまま読んでもきっと眠くなってしまいます。コーランを日本語や英語に翻訳した瞬間に、コーランが元来持つ韻律は失われてしまうからです。礼拝を見ていただいた通り、コーランの朗唱は意味がわからずとも美しい。文字ではなく音で伝えることが大事なのです」実際、コーランという書物は、預言者ムハンマドが自分でせっせと書き留めたものではない。彼は23年間もの長い時間をかけて天使ジェブラーイール(英語だ風だとガブリエルかな?)経由で啓示を受けていて、それが書物の形にまとまったのは彼の死後。世間に出るようになったのは三代目カリフの時代になる。
●加えて、トルコ料理のスープの素も買ってみた。トマトスープとチキンスープ。よく見るとメーカーはクノールだけど、全部トルコ語だから料理の仕方はわからない。


●もちろんCDも買いました。

M SAREDDIN OZCIMI「THE SECRET OF BREATH ネイの世界」

M. SADREDDIN OZCIMI「THE SECRET OF BREATH ネイの世界」
●このCDは、ネイ(またはナーイ)と呼ばれる縦笛楽器の演奏が収録されているもの。ネイは、ギリシャなどの地中海世界から中東地域で鳴らされてる楽器で、5000年前からほぼ姿を変えないまま現在も使われてる世界最古の楽器の一つとしても知られてる。でもまー、手っ取り早く言えば構造も音色も、日本の尺八によく似てる感じ。もっと細身で、口をつける部分にキャップのような細工が加えてある。
●で、このネイを使って、タクシム(TAKSIM、TAQSIM)/フィフリスト・タクシムという様式の音楽を奏でる。これはトルコの伝統音楽で、歌い手またはネイの演奏者がリズムや形式に限定されることなく即興演奏をずーっと続けるスタイルなのだ。ほーなるほどー伝統的楽器でインプロヴィゼーションをやるのねー、とジャケに書いてある説明に興味を持って聴いてみたら、ありゃりゃこりゃマジですごい!なんと70分間CDの収録時間の限界まで、ずーっと一曲の音楽としてアドリブプレイを続けているのだ。「もっとも肉声に近い楽器」という比喩もあって、情感がたっぷり込められたその演奏は、哀愁漂うメロディを無限のバリエーションで延々続けていく。ちなみにタクシムと呼ばれる場合はコード進行に一定のルールがあって演奏時間もそれなりにコンパクトになるようだが、フィフリスト・タクシムはコード進行にも音階にも制限がないので自由度が高く、演奏者にとっても自由すぎるあまり、才能も技術も高いものが要求されるようだ。このCDの場合だと中盤40分目くらいかな?パーカッション奏者も入ってくるけど、結局はまた一人の世界に帰っていく。
●演奏家は、ムハンマド・サドレッディン・オズチミという人物。ネイの高名なプレイヤーで、父親もネイの達人だったようだ。1955年生まれとあるから今年で60歳か。演奏家として世界中で公演活動をするだけでなく、教育者として音楽院で後進の育成も行っている。このCDがいつの録音だかはクレジットがないので不明だが、80年代からレコーディングもソロ、グループなどなどで行っている様子。

M SAREDDIN OZCIMI「SUFI MELODY FROM KARATAY カラタイの音色」

M. SADREDDIN OZCIMI「SUFI MELODY FROM KARATAY カラタイの音色」
オズチミ氏のCDをもう一枚。というかジャケ情報足りなくて、その場では同じ人のCDとはわかってなかったんだけどね。ジャケに見えるのがネイの口をつける部分。相変わらずのインプロヴィゼーション。小ぶりの曲が3つ収録、といっても一曲が12分から28分だけどね。完全なソロなので、ひたすら笛の音。
●タイトルに見える「カラタイ」という言葉は、彼の生まれ故郷コンヤにあった、中世セルジュークトルコ時代の大学の名前。「カラタイ・メドレセ」というのがちゃんとした名前らしいが、ヨーロッパ十字軍の侵略攻撃の時代のなかで、トルコ内陸の都市にイスラム神学の教育機関を設けるなんて立派…中世においてはイスラム文明の方が圧倒的に開明的だったと、何冊かの十字軍の本を読んで僕は感じている。
●もう一点。コンヤは、イスラム神秘主義教団「メヴレヴィー」の拠点としても知られた土地だ。スーフィズムという名前で有名なこの特殊なイスラムの流派は、音楽に合わせてくるくると旋回する舞踊を通じて、一種のトランス的恍惚から神との合一を目指すという思想を持っていた。オスマントルコ時代にこうしたスーフィズムは庇護を受け発達していくが、20世紀以降は近代化の中で衰退してしまっている。スーフィーの音楽CDも現地トルコで買ったので、ぜひこのCDと聴き比べがしたいのだが今どうしても見つからない。ただし、一時間もソロ・インプロヴィゼーションを続けるタクシムの演奏も、ある意味でトランシーな恍惚状態じゃなきゃ務まらないのでは。ある意味でチルアウトなアンビエントとしても機能しうるタクシムは、スーフィズムの伝統の上にも立脚しているのかもしれない。



あっと、もう一つだけ。トイレの話。
東京ジャーミイの男子トイレには見慣れないものがあるから気をつけて下さい。トイレには4つの個室があって、そこで大&小をするみたい。一方で男子トイレにポピュラーな小便器がない!それなりに広いスペースのトイレに小便器ないと、結構な違和感がある…。でね、その代わりに、ここにオシッコするのかな?と錯覚させる仕組みがある。タイル壁に沿って水が流れる溝があって、立ち位置を示すかのようなタイルの直方体が床に並んでて。粗末な駐車場とか行くと、便器を設置せずに「この壁に向かってしちゃってください、溝に沿って汚水は流れていきますから」的なスタイルの公衆便所があるよね。それを絶対連想させてしまう構造。だがしかし!大きな張り紙で「立ち小便禁止!」って書いてある。ああ?なんだこりゃ?ルールがわからんぞ。
●尿意に注意力を奪われていた脳みそを、もう一度、状況の確認に丁寧に使ってみると、溝とタイルの直方体に対応して、同じ数の水道の蛇口が並んでいるのに気づく。ちょうど銭湯の洗い場のように。間隔はもっと狭いし、位置もすごく低い場所、足首上くらいのレベルにあるんだけど。でもこれ、用を足した後に蛇口をひねって流してくださいって感じじゃないな…。だってこのままやったら、この蛇口にオシッコが命中しちゃうもん。なにこれ?
んあ!わかった!これ、礼拝の前に、手足を洗ってお清めするための場所だ!この小さいタイルの上に座って、足を洗うんだ!あぶねえあぶねえ!そんなところで小をしたら大変なことだ!いやいやこれは危なかった。
イスラム教において「清潔」であることはとても大事なこと。だから「ウドゥー」といって礼拝の前に身を清める緻密な作法がある。洗う前にお唱えをして、手首まで3回づつ洗い、右手を使って口を3回ゆすぎ、右手で3回鼻の中に水を入れて、左手で鼻の中をきれいにする。さらに顔を3回、耳たぶまで洗って、さらには左右の肘までをきっちり洗って、そして濡らした右手を頭の上にのせて湿らせる。そして、人差し指で左右の耳の中を、親指で左右の耳の外側を湿らせ、残りの三本の指で首の後ろを湿らせる。最後は左右の足を指からかかとまでしっかり洗う。で、シメにお唱え。正式にはこんだけの段取りがある。神社で柄杓を使って手と口を清めるってのはあるけど、ここまで細かい段取りで広範囲を洗うってのはビックリ。砂漠の国においては、体のアチコチが砂だらけという場合もあるだろうから、こんなにしっかりしてるのかな。実際、ここで「ウドゥー」をしてる人はいなかった…。誰かが手を洗ってたら、小便器と思いこんだりしないけどね、誰もいなかったからね。


●またまた、理屈っぽい話になったなあ。また誰も読まないね。
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