ある日、蒲田を歩いてたんです。
●位置ゲー「ステーションメモリーズ」(略して「駅メモ!」という)に最近ハマってるボクは、仕事が早く終わったら、縁の薄い街を選んでフラフラするのが楽しくて。スコアを稼いで知らない街を彷徨うってイイね。蒲田もそんなノリで歩いてた。しかも「JR蒲田」じゃなくて「京急蒲田」の方ね。で、やっぱり味の滲み出たアーケード商店街(「あすと」って名前の商店街)なんかあったりして、それをただ歩く。お酒が飲めりゃ居酒屋に入ってみるもいいけど、ボクにそれはできないからな…。

リセールショップ ディーン

●でね、中古DVD/CDショップがなんだかそこには複数集まってて。その中の、「リセールショップ・ディーン」という名前だったかな。実態としてはエロ系DVDがメインの商品なんだろうけど、古本や普通のDVDやCDも多少はある。こういう激安クソワゴンが、ボクニにどうしても気になっちゃう。こんなゴミ溜めみたいな場所から「へー」って物件を掘り出した時の快感が楽しくてやめられないんだ。で、今回ここで発見したのがこのDVD。580円だった。

氣志團「氣志團現象大全 - SAMURAI SPIRIT SUICIDE」

氣志團「氣志團現象大全 - SAMURAI SPIRIT SUICIDE」2004年
氣志團……今まで手がつけられなかったバンドだった…。どう捉えたらイイのかワカラなくて。綾小路翔さんのクレバーさは間違いない。絶妙なユーモア感覚や、パクリ(=オマージュ)センスも最高。博識なサブカル知識とそれを自らの血肉に変換して表現に落とし込んでる絶妙さにおいては、比肩するアーティストは音楽分野に限らずお笑いを含めた芸能界全体でもいないと思う。てんこ盛りのサービス精神とエンターテイナーシップにも敬意を感じる。
●しかし、あの極端な長ラン&リーゼントなヤンキーギミックが、戦略として選びとられたハイプなのか?ガチの本物なのか?区別がつかなくて信用がおけない気持ちになるのだ。あれだけの博識なら、ヤンキースタイルとは関係ない表現も出来たはず。彼らのデビュー直後キャリア初期にサブカル雑誌「QUICK JAPAN」藤原ヒロシさんとさんが対談してたんですよ…そしたらもうサブカルに博識すぎてヤンキーカルチャーに根っこがあるように思えない内容で…。普通サブカルとヤンキーは相反する文化規範でしょ、この人の頭の中どうなってるんだろう?…その後数年を経た後に、80年代サブカルのコア人脈はだいぶヤンチャでヤンキー的タテ繋がり人脈とややメンタリティが似てるらしいとウッスラ気づくのですが。とはいえ DJ OZMA というオルターエゴで全然違う表現もヤリ切ってるわけだし。謎すぎて不安な存在なのですよボクにとっては。
●しかも、彼らはその博識さを武器に、巧妙に様々なイメージをパクリ(=オマージュ)して、先人への敬意をユーモラスな表現に転換する。バンド6人のシルエットを配置したロゴデザインは、BOOWY のパクリ(=オマージュ)だし、「氣志團現象」というフレーズもビジュアル系バンド BUCK-TICK 「BUCK- TICK 現象」からの引用でしょう。すげーサンプリング&カットアップセンス。彼らが提唱する「ヤンクロック」もカット&ペーストじゃなかろか?不審で不信で不安。

ただ、この DVD を見るコトで、そんな不安はボクのなかでスッと消えていった。2002年メジャーデビュー、異色のバンドとして破竹の勢いで注目を集めてる頃から、2004年のバンド成熟期に突入する頃のドキュメント(またはドキュメント的な悪ふざけ)を収録。とにかく無邪気な大騒ぎですよ。他のバンドメンバーたちの無理矢理な暴れっぷり、珍名キャラ設定にヤケクソさすら感じて、綾小路翔のあざといほどのクレバーさなんかどうでもよくなってしまう。ドラマー白鳥雪之丞のゲイキャラとか、ダンサー早乙女光の精神年齢4歳ナニ言ってるか100%わからないとか、2m越えの長身ギタリスト西園寺瞳のデタラメなヤンキー煽りとか。面白すぎる。むしろ、この仲間たちのメチャクチャぶりをどう面白がったらいいか、必死に考えぬいたらこんなヤンキー集団になってしまった、という気配すら感じる。
●ただし、やもすると一発屋の出落ちで終わりかねないイロモノスタンスなのに、活躍を継続して次から次へと展開を繰り出す技はサスガ。そして根本の部分で、翔さんが千葉県木更津に代表させた郊外辺境の心象風景を鮮やかに切り取ったリリシズムが見事すぎる。どんなギャグをも通り越して、突き刺さるエモーションがちゃんと表現に乗っかっている。しかもこれが昨今話題を呼んでいた「ヤンキー文化」言説博報堂・原田曜平氏の「マイルドヤンキー」斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」などなどに10年も先行した形で、ヤリ切っていたという事実。これがやっぱりスゴイ。

●だから、彼らの音楽をしっかり聴きたい。

氣志團「KISHIDAN GRATEFUL EMI YEARS 2001〜2008 房総魂 - SONG FOR ROUTE 127」

氣志團「KISHIDAN GRATEFUL EMI YEARS 2001〜2008 房総魂 - SONG FOR ROUTE 127」2001〜2008年
●改めてメジャーデビューから8年に及ぶ二枚組ベストをガッチリ聴いてみて感じたことは…実は、彼らの音楽そのものの元ネタがボクにはわからない。あの手この手でナニかの引用をパズルのように組み込む彼らなのに、根本の音楽のスタイルはしっかりとオリジナルなのかBOOWY にも似てないし、BUCK-TICK にも似てない。90年代にブレイクしたバンド、B'ZGLAY にも似てない。同時代の洋楽にも似てない。パンクにもグランジにもオルタナにもガレージにもダンスロックにも関係がない。ボクが未だ知らないジャンルからパクリ(=オマージュ)をしてるのか?たとえば、80年代の歌謡曲ロックなのかな?研究不足だな。もちろんハードロックをしますよーという時にはソレっぽい演奏をするし、キャリアが進むとちょっぴり流行りのスタイルを拝借する場面もあるけど、楽曲全部がそんなギミックに呑み込まれることはない。基本的に00年代の時流からはポッカリと独立してて、由来不明の奇妙なユニークネスを漂わせている。でも、確実にエモい。エモーションを高揚させるキラめく一瞬は必ず楽曲の中に封じ込められている。これは、作曲家である綾小路翔のオリジナルな才能なのだと思う。ナニゲにギターにアクセントがあって面白い…やっぱり時流からは外れたスタイルで古臭い。そこが味。

●そして、リリックがいい。郊外辺境の人々の心に響いた、青春の一瞬のキラメキをすくい取るセンス。それは過去にマンガで読んだワンシーンとデジャブるみたいな性質のモノで特段新しくはないのだけど、アジテーションとして聴くモノのナニカのスイッチを押す。「永遠の16歳」なもんで正確なトコロはワカンナイけど、翔さん多分完全ボクと同世代の40歳オーバー。その世代のボクらがサラリーマンとして生きて来た中で、置いてきてしまったモノ、ワザと捨ててしまったモノ、あきらめたモノ、なかったことにしてしまったモノを、ちょっとした苦味と、その苦味を忘れさせてくれる陶酔を一緒にして思い出させてくれる。ボクの個人史に照らし合わせると、木更津まで奥地じゃないけど千葉県に9年暮らしてた時期が少年時代にありまして…ヤンキーが幅をきかせてた中学生時代とかですよ…今のボクはソコをなかったことにして東京都民/世田谷区民として、都心の高層ビルで働いてる。中学時代からギーク要素が強かったボクは決してヤンキーではなかったけど、ヤンキー文化の渦中にまんまと置かれてサバイブしていた。そんな時代の微妙な何かを思い出させる。
「行こうぜ、ピリオドの向こうへ…」「俺とオマエ汗まみれでさ バカみたいにあの夏を駆けてた」「俺達は色褪せない 俺達は無意味じゃない」「幸せになってくれよな 友よ マブダチよ」「背骨折れる覚悟しろ 俺が抱いてやるぜ」友情や愛情に深くコミットする歌詞世界…裏返せば過去の美しい記憶の中にしか友情のファンタジーは存在しない逆説なのかも。
そして木更津に象徴されると「地元愛」…こんなにソーシャルが発達しても人間関係は地理的距離や物理的場所が大きく関与することを示唆するスタンス。実はこのバンド、活動開始時の拠点は高円寺だったとか。翔さんのルーツとしての木更津は事実としても、メンバーの中には鹿児島出身もいるし。つまり「地元」もファンタジーなのだ。しかし、ファンタジーとしての本質は射抜いている。ボクでさえイイ思い出のない千葉時代をホロ苦さと共に思い出すのだから。もしや、ヤンキースタイルはそのファンタジーを有効に機能させる舞台装置なのかもしれない。で、そのもう一枚上のレイヤーとしての共同体「ニッポン」にも氣志團は言及したりもする。「スゥィンギン・ニッポン」という曲とかでね。
「俺達には土曜日しかない」という楽曲が大好き。「生き急ぐ音速の天使」の爆走ソングが、「D.O.Y.O.U.B.I. しかない!」の連呼で BAY CITY ROLLERS「SATURDAY NIGHT」の構造を巧妙かつ見事に借りつつ、完全なスクリーモとして高機能で、シンガロングしたくなるヤケクソさがパンクでもある。なんてクレバーなんだろう!

氣志團「TOO YOUNG TO DIE」ユニコーン服部くん

氣志團「TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE」2004年
●DVD「氣志團現象大全」と同じ頃のオリジナルアルバム。BOOWY、BUCK-TICK といった平成元年周辺のバンドブーマーへのオマージュ心が、この場ではユニコーンに向かってる。ユニコーンの代表作「服部」1989年(右の写真)のジャケを飾ったおじいさんを、15年の歳月を乗り越えてジャケモデルに抜擢氣志團仕様に改造してしまったのだ。ココまで凝ってるとスゲエよと素朴に思ったよ。実はユニコーン氣志團には深い縁があって。ユニコーンでいい味出してたキーボーディスト「阿部B」こと阿部義晴がサウンドプロデューサーを務めているのだ。ちなみに、「TOO YOUNG TO DIE」というフレーズは、ボクには JAMIROQUAI の最初期シングル1992年とまるきり同名って連想が走る。さんも絶対にそのつもりだよ。
●収録曲は前述「スウィンギン・ニッポン」「キラキラ!」、ややヘヴィメタルアプローチの「NIGHT THE KNIGHTS」などなどで、バンドとして脂乗りまくりの時期。「スパトニック・シティ・ブヒブヒ〜黎明編〜」という曲タイトルに80年代ニューウェーヴバンド SIGUE SIGUE SPUTNIK の雰囲気漂わすなどの仕込みもシッカリ。「SECRET LOVE STORY」でクリスマスなPOPソングも入れちゃって。

●参考に古典回帰。

BOOWY「JUST A HERO」

BOOWY「JUST A HERO」1986年
氣志團/綾小路翔が強烈に影響されたはずの、伝説的ロックバンド BOOWY。その彼らが武名を急速に上げていく時期にあたる傑作アルバムの一つ。これも今聴き直すと、すげえユニークネスが満載でビビる。ナルシスティックな氷室京介のボーカルは、イディオムでいえば氣志團も使う言葉が混じるのに、あの艶めいたパフォーマンスが鉄壁の説得力を持ってスキがない。そんで実は既存歌謡ロックと本質は変わらないかもしれない氷室京介の詞世界を、布袋寅泰のギターとバンドのファンクネスがアヴァンギャルドなトゲトゲしさで別次元に飛躍させる。実はパンクと無縁で完全にニューウェーブ系。異端さとポップネスが怖いほどの危うい均衡で同居してることがスリル。中学生の頃に思わず畏怖した布袋寅泰のノイズギターは、40歳超えた現在のボクにも当時と同じ畏怖心を抱かせる…凶暴で狡猾なケモノがいる。
●敬愛するバンドの、パロディであることをハッキリ自己批評しながら、先人の歩いた道をこれまた絶妙なバランスで渡り歩く氣志團は、遅れてきた者としての不幸と先人の豊穣な成果を取り込める幸福を抱えてる。それを再認識。


●2006年以後、オルターエゴ、DJ OZMA が動きだす。

9DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」2006年
「氣志團万博」など大規模イベントを成功させていた氣志團が、全く別のコトを始めた!当時は氣志團に不信感を抱いてたボクとしては、それ見たことか!と思わせるコトだった…やっぱりあのヤンキースタイルはギミックだった!今度は露悪的なほどのブリンブリン感で武装したホスト芸に乗り換えた!戦略もクレバーすぎるのだ。自分のソングライティングを更新するために、なんと韓流ポップソングを日本語カバーする作戦に出るとは!2006年段階でここまで韓流に突っ込んだアプローチは結構早い。東方神起の日本進出が2005年、2006年は本国で BIGBANG が結成された段階。KARA、少女時代が日本進出してきたのは2009〜2010年頃。韓国シーンに価値を見出すセンスは圧倒的に早すぎる。だからこそ信用できない。そう思ってた。
●しかし、あの奇妙なバブル再評価感覚って果たしてホントに時流だったのかな。デフレ経済下で誰もがシンドイ局面だった気がするんだけど。しかしこれまた奇妙な質感のダンスミュージック、欧米由来でもジェイポップでもない韓国グルーヴに、なんとも微妙な空騒ぎなリリック(ラップだけどヒップホップじゃない…)で踊りまくるってのは…とにかくヘンテコに見えた。ま、今でもそう思ってるくらいだけど。
●最初のシングル「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」は韓国のヒップホップグループ DJ DOC「RUN TO YOU」のカバー。このグループは、ボクとしては2002年日韓ワールドカップの時に仕事で何回も韓国に行ってたので、買って聴いてた…この曲は知らなかったけど。DJ DOC の曲はいくつかカバーしてるみたい。二枚目シングル「純情〜スンジョン〜」は韓国の男女混成グループ KOYOTE の1998年のシングルをカバーしたもの…サビにおしぼりを振り回すアクションとかあざといねえ。原曲も80年代ディスコのスタイルらしい。KOYOTE はもう一曲カバーされてるね。氣志團の楽曲もカバーしてる。名曲「BOYS BRAVO !」を女性ボーカルでユーロビート風にするとかね。近藤真彦「ケジメなさい」もグリッターにカバー。

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」2

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE 2」2007年
浮かれ気分もイカれ気分もアゲアゲのまま。「猪木ボンバイエ!」で知られる「炎のファイター」をサンプルした「疾風迅雷〜命BOM-BA-YE」とか、こうやってマジで聴くと実際ホントよくできてる。「TOKYO BOOGIE BACK」という曲を入れた上で「ONE NIGHT CARNIVAL」セルフカバー「心のチャート第一位はこんな曲だった…」なんてフレーズを挟んだり…これじゃ小沢健二&スチャダラパー「今夜はブギーバック」じゃないか!そこから円広志「夢想花」まで行くとか、とにかくワザアリ過ぎるんですわ。
韓国ポップスカバー路線はそのままだけど、もう誰のカバーとか追跡できない。メンバーに MC KOREA とかいう人物まで登場してカオス。一方でユーロビートから元ネタ拝借もやってたり。氣志團カバー以外は絶対に綾小路翔は作曲に関与しないってのがルールみたい。でもリリックは基本、翔の仕事。やっぱり世界観を一貫させるのは彼のバランス感覚。

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE」3

DJ OZMA「I ♥ PARTY PEOPLE 3」2008年
●一曲目「DRINKIN' BOYS」から相変わらずヘンテコグルーヴでお酒飲んで空騒いでるなーと思ったら、この曲、日本のベテラン・クロックワークパンク、ニューロティカのカバーでした。ここでバンドブーム系から引用するか…。故・HIDE「EVER FREE」もカバーしてるんだよ。韓流路線も継続だけど、数曲日本人作家の書き下ろしもあったりして。シングル「MASURAO」とか。この曲は大沢伸一さんのエレクトロリミックスがいい。大沢伸一リミックス集「TEPPAN-YAKI」に収録されてる。韓国ネタがもう尽きたのか?

矢島美容室「おかゆいところはございませんか?」

矢島美容室「おかゆいところはございませんか?」2010年
DJ OZMA プロジェクトの延長で、もう一つのペルソナが出現するのよね。とんねるずとの合体ユニット・矢島美容室で、ネバダからやってきた三姉妹のひとり、NAOMI 'CAMELLIA' YAZIMA というキャラが登場。THE SUPREMES 風ボーカルグループ設定、ブリブリの女装でギラギラしてるけど、殊の外マジでカワイイギャルメイクがすごいぞー。なんかローラに似てるんだけど。サングラスをこんな場面で取ってしまって…本当は見事なイケメンなんだろうな翔さんは。
カタコト日本語ガイジンさん視点から、元気のないニッポンをチアアップするコンセプト。リリックはとんねるずと仕事の多いエンドウサツヲという放送作家さんが担当、OZMA は作曲に徹してるけど、ダイナミックで陽気なディスコサウンドはゴージャスで楽しい。とんねるずも往時の勢いはないけど、80年代レジェンドとしての貫禄はすごい。
●あー、それと OZMA ならぬ NAOMI がボーカルをひとりで担当する「ナオミの夢」はこれまたナイスカバー。1971年にヒットしたイスラエル人男女デュオ ヘドバとダビデ による和製ディスコ。原曲はヘブライ語らしいんだけど日本語で本人たちが歌って当時の日本でブレイク。この曲はスゴ過ぎるので原曲のEPを探して買ったよ。
●ちなみに、これも蒲田「リセールショップ・ディーン」で購入。50円だったよ。


<追記>

斎藤環「ヤンキー化する日本」

斎藤環「ヤンキー化する日本」2014年
氣志團の話を書き終えた後に、そういえば少し前にこんな本を読んでたなーと思い出した。帯コメがいいでしょ。「この国は”気合い”だけで動いてる」。この本を読んでた頃、ホントに気合いだけだよなー。結局のトコロ、ボクのやってる仕事は、いつも最後の局面では「気合い」でツジツマを合わせているよなー、と想いふけった覚えがある。大概の先輩たちの頭の中には、「どうにかなるでしょ」の楽観主義「どうにかしろよオマエらで」のブン投げ主義が入り混じっている。完全に悲観主義者なボクは「どうにかせにゃアカン」と思ってしまう性質なので、落穂のようにバラ撒かれる懸念をシャカシャカすくい取ってしまう。で、潰れる。むー。
「ヤンキー」という言葉そのものは「アメリカ人」を指す言葉で、突き詰めればアメリカ東北部ニューヨークの文化社会だ。ニューヨーク・ヤンキーズね。でも、それが戦後のある場面から、アメリカ文化とは関係のない、日本独自の文化記号体系になった。多分それがスタイルとして一番成熟したのが80年代。で、その影響下に育ったボクらの世代が社会の真ん中に来た段階で、民族的心性にまで浸透しまくったつーことか。氣志團はその記号を換骨奪胎してユーモアにもすれば、シリアスな共感や感動にもする。ホスト文化にアゲ狂う DJ OZMA のコンセプトも同根の心性から出発してるのだろう。

●この本によると、ヤンキー文化にはいくつかのポイントがある。

その1、「バッドセンス」。
ここでいう美学「バッドセンス」は、暴走族の改造車両、改造バイク、デコトラに始まり、荒れる成人式の羽織袴の白装束とか、建築の職人さんに見られるベルボトムなニッカポッカ作業着、ファンシーすぎるUFOキャッチャーの景品ぬいぐるみを車に詰め込む趣味、「闇金ウシジマくん」のようなジャージ姿からブリンブリンなホストファッション、ガングロギャルまでが射程距離に入る。氣志團の露悪的なほどの80年代「ツッパリ」リバイバルが「バッドセンス」でないはずがない。ボクに言わせれば、これまたグリッターなパチンコ台のデザインや、オタク文化圏の「痛車」だって最高のバッドセンスだよ。和洋折衷のキッチュさ、光ること、目立つこと、様式性、末広がり、安いゴージャス、威嚇的/威圧的、ユーモアがキーワードか。

その2、「キャラとコミュニケーション」
ヤンキー親和性が高い人は「コミュ力」が高い。クラスの人気者で「スクールカースト」の上位を占める。この場合のロールモデルは「お笑い芸人」。彼ら自身もヤンキー文化圏の出自が濃い…引退した島田紳助からダウンタウン加藤浩次DJ OZMA と組んだとんねるずだってそうだろう。橋下徹もこのカテゴリーに入っちゃってる。島田紳助のテレビ共演者として、「茶髪の弁護士」が最初の登場の出で立ちだったのだから。そのコミュ力の基礎になるのが「キャラ立ち」だ。キャラの力が理屈抜きの説得力になる。島田紳助も橋下徹も理屈の上でも強いのだから最強のヤンキー。氣志團が、鉄壁なキャラ設定とその上でのコミュニケーションで自己演出をコントロールしてるのは明白。DJ OZMA もキャラとコミュ力が表現に破壊力を備えさせてる。この自己演出が巧妙すぎて気持ち悪いと思ったほど。

その3、「アゲアゲのノリと気合い」
DJ OZMA がアンセムにしちゃったフレーズがそのままココに挙がってますわ。「気合いとアゲアゲのノリさえあればなんとかなる」ってロジック、この世間には目一杯流布してますよね。「夢を捨てずにもっと頑張れば」「信じ続ければいつかは報われる」「努力は絶対にオマエを裏切らない」もこの場合全部異口同音です。冷静な現状分析よりも、意気込みや姿勢を重視、「結果」は問わず、その過程への姿勢が大事ってヤツ。氣志團のリリックは、ファンタジーとして、このアゲアゲな姿勢が瞬間的にでも報われるコトを実にエモーショナルに歌い上げる内容が多いっす。報われない場合も十分に想定されてますが、報われないがゆえに美しい儚さが、これまたエモーショナルで高性能ですわ。
●著者斎藤環さんはもう少し踏み込んで、ヤンキー文化以前の第二次世界大戦でさえも、軍部をはじめとした「気合い」主義で日本は失敗したと主張。「気合い」を「大和魂」と入れ替えてみるとあの戦争は大分スッキリしてしまう。そして「気合い」の不合理さは、その目的をその個人から、家族のため、仲間のため、お国のため、と目的をすりかえて動員することで別の強制力を持つことになる。怖いね…。スポーツ応援の場面で同じコトは今でも起こってる?

その4、「リアリズムとロマンティシズム」
ヤンキー文化は、政治的には保守思想と親和性が高い。ある種の道徳観の体系でもあり、治安維持にも貢献する。不良少年たちは、その不良社会の中で絆や仲間意識を培い社会性を獲得する。もはやそれなりの歴史を備えたヤンキー文化は「伝統」も備えていて、生存戦略として洗練された秩序を形成し有効に機能している。先輩=後輩の間で継承される現実のルールは彼らのリアリズムになるのだ。「気合いで乗り越えろ」というヒロイックなロマンティシズムは、こうした局面では既存規範を乗り越えていかない。既存規範は彼らの現実で、そのルールは「説得力ある伝統を持つ様式性」に包まれていて改変不可能なのだ。「自らの夢さえも実現可能な範囲にとどめておけるだけのリアリスト」がヤンキーなのだ。このテーゼにおいては、氣志團/DJ OZMA は当てはまらない…彼らの活躍はただのリアリストにはこなせない冒険だから。

その5、角栄的リアリズム
田中角栄の名前が出てきた…。「日本列島改造論」をキャッチフレーズに強力なリーダーシップで戦後日本を牽引しながら、未だに「ムラ社会的」「金満政治」「利益誘導政治」とネガティブな言葉が付きまとう、闇の深さでも悪名高い総理大臣。彼自身がヤンキー的現実主義のような思考を持っていたから、ここで彼の名前が出てくるのだ。彼がどっぷり浸かっていた「義理と人情」の世界は、そのまま金権腐敗、談合や構造汚職、口利き政治の温床になった。「景気浮揚のためには汚職もやむなし」が彼の社会改造だった。変革を求めながらも、革命は望まない…ヤンキーのリアリズムは、現実を変えずして変化を求める性質を持つ。ファッションが移り変わるように変化は淀むコトはないが、それは表層的なものにとどまるのだ。氣志團は革命を望むのか?それは OZMA 以降の彼らの活躍で判断させてもらう。

その6、ポエムな美意識と”女性”性
●著者はスバリ明言している。「ヤンキーはポエムが好きだ」「ポエムの良いところは、知識や論理とは無関係に、依拠すべき肯定的感情をもたらせてくれるところだ」「ポエムは強力な共感装置でもある。ポエムへの感動を分かちあうことは、強い共感を通じて承認欲求を満たしてくれるだろう」。そして、昨今の代表的な傑作ポエムとして、安倍晋三「瑞穂の国の資本主義」をたっぷり引用する。田中角栄だけじゃない、今の総理大臣もヤンキー的美学の影響下にいる、またはヤンキー的美学を政治的プロパガンダに利用している。というか多分その両方。リリシストとして一流である綾小路翔は、ポエトの姿をしたデマゴギーなのか?ただ、ここで著者はヤンキー的ポエムとしてブルース・リーの名台詞「DON'T THINK, FEEL」を紹介している。しかし氣志團が今年リリースしたシングルのタイトルはコレを一流のパロディにした「DON'T FEEL, THINK!」だ。実に示唆的。彼らの視点は今の社会とその先をきちんと見てる。
●著者は「”女性”性」という言葉を使うに当たって、誤解なきよう気をつかっているが、意図的に反知性主義であろうとするヤンキー的集団は、理念や目的を目指すことよりも、構成員の関係性を優先させるという意味で女性的であるという。日本の人間関係の範を儒教とし、その儒教が対人スキルを主軸にした倫理体系である以上、これがヤンキー的で女性的であるとのこと。家族主義、現場主義、行動主義、「いまここ」主義、「愛と信頼」主義、といったヤンキー的ポエム要素は「やってみなければわからない」という反知性主義の芽をはらんでいるという。もう少し突っ込めば、反知性というより、知性への不信、理屈だけの空論への反感がココにはある。


●冷静に一歩下がると、ヤンキーじゃないってことは、人間関係に無関心で、既存の社会規範に無関心で、夢想や幻想に無関心だってことで。「ヤンキー化する日本」というけど、ヤンキーじゃなかった日本なんて、いままで存在してなかったんじゃないかな。
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