●先日、明大前の街を歩いていたら、あるものを見つけてギョッとした…。

インドネシアの従軍慰安婦

JAN BANNING 写真展 インドネシアの日本軍「慰安婦」@キッド・アイラック・アート・ホール
●このポスターに睨まれて、ボクはそのまま展示ギャラリーに吸い込まれてしまった…。第二次世界大戦時、オランダ領東インド=現・インドネシアを征服した日本軍は、この国で多くの女性に暴力を振るった。そのことを告発する18人の生き証人のポートレートと、その証言。90歳〜80歳になった彼女たちの表情と、当時の体験を短い言葉で説明したキャプションを見て、まるでナイフを胸に刺し込まれるような気持ちになった。
●ボクは「韓国/朝鮮人慰安婦問題」については不勉強で、当時に何が起こったのか、それを誰が今どのように主張しているのか、朝日新聞が何かを捏造したと認めて、そんで何がチャラになって何がチャラになっていないのか、まるでよくわからない。だからここではそのことについて触れるつもりはない。ただ、インドネシアにも「慰安婦」になった人々がいたとは……ショックだった。戦時の日本は、広がる戦線の中で組み込んだ多くの土地でイロイロなことをしていたようだ。

1920〜1930年代に生まれた彼女たちが、日本軍のインドネシア「解放」1942年を迎えたのは二十歳に満たない頃。証言の中には10歳〜13歳で性暴力を受けたという言葉もあった。まだ年端もいかないティーンネイジャーだった彼女たちを、どんな組織がどんな仕組みで理不尽な性暴力に巻き込んだのか、そんな細かいことは彼女たちにはわからない。彼女たちは「慰安婦」だったのか?現実はそんなにシンプルに線引きできるものではない。多くの女性は「慰安婦」かどうかの身分など関係なく日本人兵士に性暴力を受けたのだ。それぞれの体験も全く違う。ある日突然日本軍に強制的に連行された者もいれば、兵営での労働に従事している中で夜は強制的に兵士の相手をさせられたという者もいる。将校に目をつけられて「現地妻」として点々と移動する将校の任地に同行させられた者もいる。村長ら地域の実力者を経由して身柄を日本軍に渡された者もいる。メイドの仕事があると言われてその募集に応えたら乱暴され続けたというものもいる。日々の性暴力に対して軍医の身体検査を受け、その軍医にも乱暴された者もいる。妊娠・流産した者、中絶させられた者、もう二度と妊娠できない体にされた者もいる。「ケンペイタイ」「テイシンタイ」「ロームイン」といった言葉を覚えている者もいる…それが何の意味だか当時はわからないままだったが。自分を初めて犯した兵隊の名前を覚えている者もいる。あの激しい痛みや苦しみが今でも忘れられないという者もいる。
●インドネシアを日本軍が占領していたのは1942〜1945年頃だ。その短い期間で大きな傷と恥を負った彼女たちの、その後の長い人生も多様だった。終戦と解放を迎えて遠い故郷に辿り着くと、自分はもう死んだとされて葬式が終わっていたとか。虐殺の結果、故郷の村が滅びていたケースもあった。毎日の性暴力に身体はボロボロに痛み8ヶ月もまともに歩くこともできなかったとか。「日本の残り物」と指さされて苦しんだ者、一方で悲惨な体験に同情が集まり温かく迎えられた者。日本軍に汚されたと伝えても求婚してくれた夫とその後長く暮らした者、結婚離婚を繰り返し天涯孤独な者。子供を産むことができた者、できなかった者。同じような境遇の中で死んだ姉妹の子供を育てて戦後を生きた者。

●それでも、彼女たちには一貫した共通点がある。この経験を、もう思い出したくない、そして誰にも話したくないという思いだ。大きな恥を抱えたまま、それを周囲の隣人たちに知られたくないと強く思っている。戦後に家族を作ることができた女性でも、自分の子供にもひとことも伝えたことがないという者がほどんとだった。このプロジェクトは、インドネシア系で今はオランダに暮らす写真家 JAN BANNING とオランダ人女性ジャーナリスト HILDE JANSSEN によって行われたのだが、証言者を探すことが一番大変だったようだ。彼らの取材を受けるということは、全世界に名前と顔を晒し、自分が恥じている過去を語ることだ。自分の子供にもいうことができない秘密をどうしてツルツルと語れるだろうか。すでに高齢に達した彼女たちはみな口をつぐんだ。インドネシアの広い国土、数々の島々を訪ね、多くの女性たち一人一人に会って説得した上で、やっと自分の経験を明かしてくれたのがこの18人だったのだ。取材者が外国人だから隣人たちには伝わらないだろうと思ってくれたと彼らは言うが、それでもインタビューは難しいものだったように思われる…辛くてあの体験の核心の部分は語りきれないのだ。

日本軍の性暴力の犠牲になった女性はインドネシア全体で20万人とも言われている。「慰安婦」が20万人いたわけではない、20万人の女性が日本人の性暴力を受けたということだ。日本軍は、兵士を「慰安」する女性を調達することを当たり前のように思っていたようだ。都市部では民営慰安所があったが、軍の監督/監視は当たり前だったらしい。一方、戦線や地方となると当然慰安所などあるはずがない。で、安直に女性を「現地調達」する。「慰安婦」の存在は結果的に一般女性への暴力を抑止するというロジックがあるようだが、辺境の戦線では、女性を一般から狩りとって、メイドや兵営維持の作業に徴用した女性を「慰安婦」のように扱い、夜な夜な乱暴していた。これじゃまるで抑止とはいえない状態。オマケに将校が自分専用に「現地妻」をあてがうなど、まさしくただの無法状態だ。
●とはいえ、インドネシアでの日本軍による性暴力については、研究が進んでいない。親日派であるインドネシア政府が貿易大国・日本との友好関係に水差すようなコトに首を突っ込むはずがない。東南アジア全域においてもわからないことが多い。そもそも女性側から証言自体を取るのが困難な状態なのだから。一方、戦後に書かれた日本軍兵士による数々の回想録の中には、慰安所に関する利用者としての思い出が書かれている。結局こちらも無理矢理徴兵されていつ殺されるかもわからない運命に放り込まれた、18歳程度の少年なのだ。彼らと彼女たちの立場は絶対に同等とは言えないが、政府と軍という組織に直接/関節に強制徴用されてきた若者たちが、訳も分からず、明日の生命の保証もなく、言葉も通じないままに、ぐちゃぐちゃのカオスに突き落とされているような状態なのだ。

「慰安婦問題や女性への性暴力はどんな戦争にもついてまわるものだ」という言説もある。ある意味でこれも事実だ。第二次世界大戦に遡らずとも、シリア〜イラクのISや、スーダンのダルフール紛争、マリ内戦でも、大勢の女性や子供が性暴力の被害を受けている。女性への性暴力は、どんな戦争においても正当化されない。IS たちがやっているコトが許されないように、第二次世界大戦での行為も許されはしない。現在各国が IS を糾弾するように、あの戦争でも各地でナニが起こっていたのか、丁寧で繊細な調査と研究が進められるべきだとボクは思う。

●と、ここまで書いて…きれいごと、書いてるなと思った。クソッタレが。

「ナイフを胸に差し込まれた」ような気持ちになったのは、日本を糾弾するようなインドネシア女性の厳しい目つきのせいではない。13歳と言ったらボクの息子娘と同世代だ。娘が外国の軍隊に強制連行されてレイプされたら?と想像しただけで、ボクは怒りと憎しみで内臓がズタズタにされるような気持ちになった。娘にそんな目にあわせた連中を一生許さないだろう。戦争が終わろうと何十年経とうとボクが生きている限りは絶対に許さない。兵隊を全員殺してやりたい。本気でそう思った。
●彼女たち自身や彼女たちの家族が感じた憎しみで、身が焼けるような思いが込み上げてくる一方、そんな暴力を行使したのはボクら日本人だという事実がさらにボクの感情にナイフを深く突き立てる。旧日本軍は IS と一緒か?!アフリカの狂信的テロリストと同等か?!
●感情の問題として。古くなったとしてもその鋭いナイフが今も日本に向かって差し向けられてる。そんなイメージが浮かんだ。インドネシア女性のあの目つき。戦後70年が経ち多くのナイフが沈黙のままに朽ちていった…彼女たちはわずかに生き残ったナイフだ。日本はナイフを突き立てられるような蛮行をあの戦争でやらかしたのだ。ゲロを吐きたくなる現実だ。
その現実を、見たくない、忘れたい、そんな感情も巻き起こる。なんとかして正当化したくなる気持ちも起こる。時間が経っているんだ…ボクは当事者じゃないんだ…あれは祖父の時代の戦争でボクは関与してない、しかしボクの祖父は関東軍の兵士だった…やはり当事者なのか?もうアタマがクラクラする思いだ。

知らないことが多すぎる。あの戦争で何が起こったのか?曖昧でわからない。様々なバイアスがかかってて何が真実かもよくわからない。
実は、戦後70年を迎えるに当たって、2〜3年ほどであれこれの読書をしているのだ。沖縄戦の悲劇、日本軍による島民の集団自決命令、在日朝鮮人の証言記録、日本国内の戦争プロパガンダ、特攻兵器や特攻作戦…本当に苦い現実ばかりだ。手に負えないのでこのブログにも反映させられなかった。それでもまだ勉強が足りない。日本の戦争に巻き込まれたアジア諸国がどんな運命に巻き込まれたのか、その全容は見えてない。ヨーロッパ戦線では何が起きて、どのような歩みを経て戦敗国ドイツ/イタリアは今の地位にあるのか。そしてドイツのように国家が分断された朝鮮半島は、どんな歩みを経て何を感じているのか。まだまだ知らないことが多すぎる。苦い苦い事実にめまいと吐き気を感じながら、知るしかない、そう思っている。






●ちょっとだけ音楽の話をしとく。

INK「C-46」

INK「C-46」2006年
電気グルーヴ石野卓球と、TOKYO NO.1 SOUL SET川辺ヒロシが突然結成した二人のユニット。これが、ビキッとキマったタイトなテクノで実にグッと来た。ああ、最近こういうスクエアなテクノから離れてたなあーと思い知らされた。厳密に言えばこれもオーセンティックなテクノとは違うんだけど、石野卓球ならではのソリッドなシンセ感覚と、川辺ヒロシ由来なのか?足腰が非常に強いアシッド感覚が、中途半端なヒューマニティなんて介在させないメタルマシーンミュージックとして機能してる。カセットテープもメタルポジションなのかな?なんとなくハイポジ風だけど。
DAFT PUNK まで人力ファンク回帰してる昨今、こうした鋼鉄のテクノってどこ行ったんだろう?EDM はとってもエモーショナルでちょっと違うもんね。TOFUBEATS KZ (LIVETUNE) といった新世代クリエイターも、ここまでテッキーにはしない…もっと装飾的なカタルシスがジェイポップ的だわ。ダンスミュージックに囲まれているようで、80年代からこの世界にいるベテランが本気出してるトラックと比較してみると、実はワリとナヨいって事を認識してしまった。
石野卓球さんの個性的なハイトーンボーカルもちらほら散らばってるので、それも聴きどころ。ああ、初期の電気グルーヴが聴きたくなってきちゃうなあ。ちなみに、これ、蒲田で50円で採取。


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