●最近は、ナニゲにややソーシャル疲れをしちゃって。
facebook をいじらなくなってしまった。
facebook は、なんか、ちょっとしたビジネスの社交場になってしまって、気を使うコトが多くなっちゃった。いいね一回にも、イデオロギーや社会問題への姿勢を問われる気分だ。もう自分から友達申請することもヤメタ。これ以上の社交は無理。

一方、instagram は気楽だ。非言語コミュニケーションである写真がメッセージのメインであるサービス設計は、ロジカルな言説から適度な距離をつくってくれる。気分だけで更新し、気分でいいねできる。
非言語コミュニケーションなので、外国の人から気さくにフォローされることもある。これ twitter でも facebook でもなかった新鮮な経験。これは tumblr と同じ感覚かな。

instagram で相互フォローして今気になっている人がいる。日本が大好きなインドネシア人の女性。
●当然お互いの情報なぞ全くワカラナイ。ただ相互でいいねをし合ってるだけ。最初は性別も知らなかった…インドネシア語の名前だけでは性別はわかんないよ。ある日セルフィーを上げてきて、初めて若い女性だと判明。ビックリしたし、正直言ってコッチのテンションも上がるよね!ジャカルタで暮らす女の子とナゼか繋がってるこの偶然!彼女は日本旅行で撮り貯めた写真(東京、大阪、京都などなど…頻繁に来日してるのかな)をポコポコ出してて、時々普通のジャカルタライフを上げてくる。ボクはジャカルタの日常風景の方に興味津々。

●で、ジャカルタの彼女は、先日、断食月つまりラマダンの最終日を迎えた模様。
●そうだ、ジャカルタの人はイスラム教徒なんだよね。ヨガのセンセイの旦那さんはバリの人だからヒンズー教徒だから一瞬忘れてたわ。彼女の短いコメントによると、ラマダンの最終日のことを「イード」というらしく、日本で言うところのお正月みたいな感覚らしい。そんで「おめでとうイード」と日本語で綴ってる。イードの数日間は着飾ってお出かけしたり、立派なゴチソウを家族みんなで食べて過ごすみたい。日本人女性が正月に和服の晴れ着を着るように、普段は西洋風ファッションの彼女も珍しくヴェールで髪の毛を覆い民族衣装に身を包んでいる。tumblr なんかで「#eid」で検索すると、全世界のイスラム女性が渾身のオシャレセルフィーを上げてて、マジ壮観。
連日の恐ろしいテロのニュースに辟易とするところで、ごく普通のイスラム教徒の人たちが素朴に祝日を楽しく過ごしてる様子は、なんかとってもボクの心を安心させる。やっぱり普通の人たちは、平和にイスラムの宗教生活を送ってて、ボクらと同じくお祭りを楽しんだり、家族と一緒の時間を過ごしたりしてるんだ。そのリアルがとっても愛おしい。

西野正巳「イスラム世界の人生相談」

西野正巳「イスラム世界の人生相談」
●去年の2月、ISに日本人ジャーナリストたちが捕まって殺されてしまったあの事件。あれ以来、ボクは結構イスラム関係の本をモショモショ読んでるんですよ。なんだかんだで7〜8冊は読んだかなあ。代々木上原にある立派なモスク・東京ジャーミイに行って礼拝の様子を見学させてもらった。家族4人で北アフリカのイスラム王国・モロッコへ旅行して、世界遺産都市フェズに滞在したりもした。イスラム教のリアルを身に染み込ませたいなと思って。偏見やステロタイプに負けるな、リアルを感じろ、とか考えてね。ただやっぱり簡単に理解出来る文化ではないから、安易にブログで言語化するのもどうかなと思ってた。今でも迷いが色々とある。
●ただ、バングラデシュのダッカで7人の日本人がテロで殺されてしまったこと、そのテロはスケジュールとしてわざわざラマダンを狙った気配があること、でも本来のラマダンは楽しいお正月気分の行事であること、そんなギャップがボクのアタマの中でゴツゴツしたワダカマリになって、衝動的にボクはキーボードに向かってるテンションです。これが前提。知識が足らないまま書きますからボクが間違ってる場合もあるし、広いイスラム文化圏、おそらくお国柄で宗教風土も違うはず。粗相があったらすいません。

●さて、この本は、去年古本屋さんで見つけて読んだ本。おそらくエジプトの新聞っぽいんだけど、そこに寄せられる様々な人生相談を、イスラム法学者と言われる人たちがお答えする様子を翻訳したもの。これが、なんとも所帯じみた相談内容ばっかでオモシロイ。加えて、それに超クソまじめに答える回答者の様子もなんだか微笑ましい。コーランの第9章90〜91節にこう記されております〜とかマジ本気ですよ。まーワザワザ新聞に投書するくらいですから質問者はマジ切実ですし、イスラム法学者はプロですからメチャ堅苦しいです。
●でもね、具体的に質問の内容は、「パーティ好きの夫のせいで、妻の私はタバコと酒に溺れてしまいました。罪深いのは私ですか、夫ですか」とか、「妻が私の要求を拒むのでセックスの問題で争いが絶えません。このデリケートな問題にイスラム法はルールを定めているのでしょうか」とか、「秘書の仕事で上司と二人きりになるのですが、女性がこのような職業に就くことはイスラム教では禁止されてるのでしょうか」とか、「ワインから作ったお酢についての決まり事を教えてください」とか。日常生活のスッゲー細かいコトまで、イスラムのルールで整理しておきたいみたいなんです。で、実際に法学者はバッサリ白黒つけるんです。日本人はこんな考え方しないでしょ。まーそのへんは適当でいいんじゃないんでしょうか、でしょ。ちなみに「ワインから作ったお酢」問題は諸説あって違法合法どっちとも言えないと、非常に口惜しい感情をにじませて学者さんは回答しています。不謹慎かもしれませんが、ぶっちゃけ笑っちゃいます。
●真面目な相談のクセしてセックス関連の質問がたくさん出てくるのは、日本人著者の下世話なバイアスではなくて、リアルな実態なのだそう。著者自身があとがきで言及している。「こういった話題を積極的に扱うからこそイスラム教は生活に密着した宗教であり続ける」。男女の役割分担にセンシティブである社会だということにも関係があるのかも。

●こんな感じで本の内容はなんとなく愉快なんですが、そもそも、なぜ質問者はイスラムのルールを学者に聞くのか?ってコトに大事なポイントがあるとボクは思ってます。コーランを自分で読んで考えればいいじゃないか??でも、それはなかなか無理らしい。
●これはモロッコに旅行に行った時、東京ジャーミイを見学した時、若い頃にトルコに旅行した時を思い返して気がついたのですが、普通の生活の中で、コーランそのものはほとんど登場しないんです。本屋さんで簡単にコーランが買えるかと思ってたら、ナニゲに安易に売ってない。そもそも本屋さんが少ないんですが。
●偶像崇拝を認めないのでモスクの中は基本空っぽ。でも東京ジャーミイでは、立派なコーランが御神体のように大事に保管されてました。ガラスケースに入ってて、もうこれを手にとって読むなんてありえない感じ。スッゲードテカイし。しかも、コーランは日本で言うところの古文漢文みたいなモノらしく(確かに7世紀の書物だもんね、古事記や万葉集と変わんないわ)、かなりの教養人じゃないと読みこなせないらしいのです。聖書みたいに自分で読んで自分で解釈、とかは絶対に不可能みたい。まー般若心経を自在に読みこなす日本人は滅多にいないのと同じな感じでしょう。
●さらに、コーラン以外のサブテキストがまた大変。ハディースと呼ばれる預言者ムハンマドの言行を記録したモノがルールを決める上でデカイ資料になるのですが、一冊の本にまとまってるわけじゃない。たくさんの古い文献からピックアップするのですが、これも素人には絶対手に負えない。結果、専門職としてイスラム法学者という職業が成立することになったわけ。
●一方、カトリック教会のような聖職者組織が存在しないのもイスラム教の特徴で、オーソライズされた組織が公式教義を整備する場面もない。だから、法学者一人一人で教義の解釈もズレてくる。もうこうなると鉄板のルールなんて実は存在しないんじゃないかと思える。飲酒はタブーがイスラムの掟というのはボクラでも知ってる話ですが、未だにイスラム内部から「コーランでは飲酒は禁止されてない」って議論がしばしば出てくるほど。この本の法学者はそういう風評に対して、決然と禁酒は明記してあると主張してますが。

●さて、ここで、テロリストの一見ムチャクチャな、憎悪と殺人を煽るロジックが、なぜイスラムの名を背負ってのさばるのか?なんとなくイメージできてくる。つまり、テロリストがなんの根拠もなくハッタリだけの主張をブチ上げてるとしても、コーランにはそんなこと書いてないよ、コーランでは反対のことが書いてあるよ、とサッと反論できる人は混乱した社会の民衆の中にはいないのです。もちろんお題目のように暗唱することはできるでしょう…日本の中学生が「祇園精舎の鐘の声〜」と暗唱するように。でも宗教論戦は素人には無理。多分、ただ声のデカイやつが勝つ。カラシニコフを振り回してるやつが勝つ。

●ボクは、そんな説明を自分の中で編み上げるコトで、テロリストとイスラム教を分離しようとしている。 
●……また呆れるほど、理屈っぽい話を書いちゃった。ボク以外の誰にも役立たない。



そんで、コーランの朗唱を聴く。

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「HOLY QUR'AN - 17 CD'S SET」
●本としてのコーランをモロッコ旅行でゲットするコトはできなかった。コーランが本当に大事にされてるコトを、実感を持って知るにつれ、異教徒のボクが冷やかしでコーランを買うのは申し訳ないとも感じた。ニューススタンドでアラビア語のファッション誌や新聞を買ったりしたけど、本屋さんのご主人に「コーランありますか?」とは、とうとう聞けなかったよ。
●一方で、ちゃんとしたCD屋さんで不思議なモノを見つけた。ちゃんとしたお店だと、CD売り場の一角に立派なボックスセットが並ぶ場所が必ずあって。で、それを注意深く見ると、全部コーランをCDにしたものなのですよ。コンパクトなセットから40枚組みたいなスゴイやつまで品揃えも豊富。うわーコーランがCDになっちゃってるよーすげーなー。
●でも、やっぱり異教徒のボクが買うのは不謹慎では…と躊躇。でも欲しい。こんなの日本じゃ見たことがない、買うならこのチャンスは逃せない。どうしようどうしよう。結局、モロッコ旅行最終日、トランジットで立ち寄ったドバイ空港のターミナルの中で、購入した!それがコレ。CD17枚セット!ズッシリ重いし、パッケージも立派だけど、ブックレットやライナーノーツもない。まーあったとしてもアラビア語じゃ全く意味わかんないけどね。
●で、買ったはいいものの、正直言って完全に持て余した。去年4月にモロッコで購入して、今週まで全く放置。どういうつもりで聴いたらいいか、100%わからんし、そもそも何が収録されてるのかも全然わかんない。アラビア語ばっかだし。でも、この記事を書くにあたって、とうとうプレイヤーにCDを置いてみた!

……スゲエ。美しい。
●実は、コーランの名言を朗読してるような内容をイメージしてた。お坊さんの講話みたいなものになってるのかなと。とんでもない。そんな野暮なものじゃない!基本的に、男性がたった一人で、不思議な節回しで、アラビア語を朗唱しているのだ。しかも、CD一枚に1トラックだけ収録。60分以上の尺をこの男性はずっと一人で、朗唱を続けるのだ。楽器は全く使われていない。簡素なディレイエコーがかぶさってるだけ。実にシンプル。ただこれが本当に美しい。
音楽と言えるのか?決まったリズムはない。小節で区分けられた構造もない。伴奏楽器もない。ただし、圧倒的に「うた」だ。ある様式に依拠しているのであろう、特徴的な節回しとビブラートが、可憐でセクシーにも聴こえてくる。摩訶不思議なアラビア語の語感も、エキゾチックで素敵。これをCD十数枚分聴き続けてると、チルアウトを通り越して異世界に幻惑されていくようだ。イスラム世界を旅行した人はご存知だと思うが、モスクからお祈りの時間を告げるアザーンと同じ雰囲気。ただ、アザーンよりも圧倒的に長い。この男性パフォーマーは永久に朗唱を続けられるのだろうか。日本で似たものをあげれば仏教の念仏かもしれないが、全然比較にならない。色気がある!
東京ジャーミイの見学をした時に、説明をしてくれた男性が熱っぽく語っていたことをパッと思い出した。「コーランはアラビア語のままで聴いてもらいたい。コーランが美しいものだということが、一瞬にして理解できるでしょう」神から授かった言葉を改変してしまうという意味で、翻訳すら本来は推奨されないコーラン。ただ、アラビア語で完成されているという主張は、この朗唱を聴くことでスゲー説得力を持ってしまった。また、こうした優れた朗唱家を備えていることは、そのモスクの自慢や誇りにもなるらしい。


イスラム文化は、まだボクには遠い存在だ。宗教生活そのものにピンときてない。
●でも、知りたい。知っておかなければならない。まだ彼らのことを全然知らないことをきちんと認識して、謙虚に向き合いたい。




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