●もう9月。
リオのパラリンピックって、そろそろ始まるんだよね?楽しみだなあ。


●終盤の五輪競技を見てて思った。リオデジャネイロは素敵な街だね。
トライアスロン、50キロ競歩、マラソンの競技映像、その選手たちの背景に映る市街の気分がとても魅力的。タイルを敷き詰めた舗道がモダンな模様になってたり。建物もみんなミッドセンチュリー風で。起伏のある山の稜線がドラマチックで、美しいビーチと砂浜がすぐそばにあって、これがそのまま歌に歌われたイパネパ海岸コパカバーナ海岸に繋がってるんでしょ?いつか行ってみたいなあ。

そんな訳で、今度はブラジルの建築家だよ。
●去年の夏に見に行った展覧会のことを思い出した。
「オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産を作った男」2015年7月18日〜10月12日
で、先に言っとくと、このオスカー・ニーマイヤー、ボサノヴァにも縁がある。

オスカーニーマイヤー展

●彼が活躍したのは、1940〜50年代のコト。代表的な仕事といえば、全くの更地から作り出した人工首都ブラジリアの主要建築物、とくに国会議事堂。ニューヨークの国際連合本部ビルにも一部で関わっている。曲線を大胆に取り込んだ、未来的、SF的ともいえるようなデザインと、それを大胆不敵に展開する楽天主義。その作風からハイパーモダニストなどとも呼ばれたりもした。上のフライヤーにある、まるでUFOのような建築は、1996年竣工のニテロイ現代美術館(リオ近郊にあるらしい)。こうした斬新な感覚にボクはしびれたね。

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ニテロイ美術館の写真と模型。ユニークなのはUFOのような外観だけではない。建物を訪れた人々はまず渦を巻くような斜面を昇る。これが映画祭のレッドカーペットのような祝祭感を醸すだけでなく、美術館の不思議な外観や断崖絶壁に突き出した立地を様々な角度で眺めることで、非日常の世界に彷徨いこむような気分を演出している。大沢伸一 FEAT. BIRD「LIFE」のMVにもココがロケーションとして登場してたと思う…アレを見て一発でこの建築家に心奪われた。

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●そして、ブラジリアの国会議事堂。建物の左右に、丸いドームとそれをひっくり返したお皿のようなモノがある。これがそのまま、上院議会と下院議会を象徴しているとな。なんと明快で大胆なデザイン。オスカーは、これだけでなく、この首都の大統領官邸、最高裁判所などなどの主要建築物の数々を手がけている。
国連本部ビルは複数の建築家との協業であったようだが、議事堂のデザインに反映された曲線オスカーのスタイルが見える。へーあの国連ビルにも関わってたなんて知らなかったよ。

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●そんな仕事を成した男、オスカー・ニーマイヤーが下の写真のおじいちゃん。
●1907年生まれ、2012年に死去。なんと104歳の長寿を全うされた。20世紀のほとんど丸々全部を見てきた人物なんだね。おそらく90歳代にはなっていた時期に撮影されたドキュメンタリーが会場で上映されてたが、まーそのダンディぶりに舌を巻く思いだわ。ビシッと三揃いのスーツを着こなし、太い葉巻をくゆらせる。そんで語る言葉が「創作の源は女性、私の描く曲線は女性のカラダ」とか。90歳オーバーでこれはダンディでしょう!

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トロピカリア運動に冷水をかけた60〜80年代のブラジル軍事政権の時代はこの人も海外へ亡命。民主化されるまで母国へ戻らなかった。気骨のあるその姿勢は、左派思想〜共産主義に裏打ちされてたモノだったようで、彼に人工首都ブラジリア建設を発注した50年代の大統領たちも左派政権だった。ブラジルの1950〜60年代には楽天的で未来志向の社会改良主義が美しく花開いていて、それに実態を与えていたのが、このオスカー・ニーマイヤーのような芸術家たちだったと言えよう。
●そんな時期、同じように新国家の新文化、新アイデンティティとして注目されていたのが、新しい都会音楽・ボサノヴァだったわけだ。

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オスカーの若い頃の写真。これにビックリ!
●4人の男女の写真が楽しそうに語らう様子。手前の紳士がオスカー。中央で向き合う男女が、詩人 VINICIUS DE MORAES!とその奥さん。奥にいる青年が新進作曲家であった ANTONIO CARLOS JOBIM50〜60年代のブラジル文化を代表する「ボサノヴァ」ムーブメントの三大イノベーターのうち、2名がオスカーの友人だったとは。ボサノヴァ開花前夜、詩人 MORAES の筆による舞台に二人が協力、美術をオスカーが、音楽を JOBIM が担当という場面があったという。そしてその舞台はその後ヨーロッパに渡って映画化された。その名も「黒いオルフェ」1959年。カンヌとアカデミー賞の両方で評価された傑作になるのだ。
オスカー未来志向の洗練された建築美学と、ボサノヴァとして開花するブラジル独自の都会音楽が、同じ場所、同じ人脈から発生していたことに、強く感動する!


●さてここから音楽の話。ボサノヴァ成立の物語。

VARIOUS ARTISTS「BOSSA NOVA AND THE RISE OF BRAZILIAN MUSIC IN THE 1960S」

VARIOUS ARTISTS「BOSSA NOVA AND THE RISE OF BRAZILIAN MUSIC IN THE 1960S」1958〜1970年
●ボクにとってはおなじみの、英 SOUL JAZZ RECORDS によるボサノヴァのコンピレーション。選曲は GILLES PETERSONSTUART BAKER、線の太いダンサブルな楽曲が黄金期のボサノバとそのダイナミックな躍動感を伝えてくれてる。選ばれたアーティストも、ボサノバ第一世代からトロピカリア期にかけてのヒーローヒロインたちが網羅されてる感じ。ELIS REGINA、JOAO GILBERTO、DORIVAL CAYMMI、NARA LEAO、TAMBA TRIO、EDU BOLO、SERGIO MENDES、GILBERT GIL、MARIA BETHANIA、JORGE BEN、MILTON NASCIMENTO …。
●そして豪華な70ページに及ぶ詳しいブックレット。ボサノヴァ成立に至るまでのブラジルの社会的状況からしっかりと解説してくれてる(英語だけどね)。ちょっとウンチクを書きますよ。

1930年代のアメリカは、ラテンアメリカ諸国の共産主義化に警戒しつつ「善隣政策」と称して友好国との親密関係を作りアメリカの権益を中南米全域に広げようとしていた。文化的交流として「ジャズ大使」としてミュージシャン公演を企画したりして(皮肉にも人種差別に反対するジャズメンには協力してもらえなかった)、ブラジルなどにアメリカ文化の浸透を計ったりしていた。ともかく、アメリカは政治/文化両面で中南米世界全体に影響力を持とうとしてたわけだ。実際、アメリカ文化が各国の若者に刺激を与え、そこから新しい文化が生まれる素地となったのは間違いない。
●一方のブラジルは、GETULIO VALGAS ジェトゥリオ・ヴァルガス大統領のもと、奴隷制度や植民地主義からの脱却、産業の近代化と都市化、国民国家としてのアイデンティティ〜ナショナリズムの形成を目指していた。白人黒人先住民などなどが一体になる新しいメスチソの文化を起こして新しい社会を作る。そのためにアフリカ由来の音楽サンバや格闘技カポエイラの復興、土着信仰カンドンブレの解禁などを推し進める。政権末期は独裁化したヴァルガス大統領が自殺/失脚した後も、社会改良路線は引き続き左派政権が推進していく。ハイパーモダニズム建築家オスカー・ニーマイヤー新首都ブラジリアの建設に抜擢されるのもこの流れ。まさにボサノヴァが生まれ出でんとする1950年代は、こうした明るい未来に突き進んでいく楽天的な空気に満たされた時代だった。

●そこで三人の若者が出会う。
●一人はユニークなギター奏法を発明した若き天才演奏家 JOAO GILBERTサンバの影響を都会的なセンスで洗練させた彼独特のギター奏法がその後のボサノヴァに発展する。当時は東北部の小さな町を18歳の時に抜け出しリオにやってきたところ。
●もう一人は ANTONIO CARLOS JOBIMリオ生まれの土着音楽ショーロ、ドビュッシーやラヴェルなどの西欧クラシック、アメリカのジャズから滋養を得てきた若き作曲家。昼はレコード会社に勤め、夜はナイトクラブでピアノを演奏して生活していたが、すでに「SINFONIA DO RIO DE JANEIRO(リオデジャネイロ交響曲)」でアルバムデビューしていた。
●そして最後の一人が VICINIUS DE MORAES。アマチュア音楽家の両親によってエリート教育を受け、20歳にして二冊の詩集を出版していた詩人。ギリシャ神話から着想を得た劇作を書き、音楽を JOBIM に、舞台美術をオスカーに発注した…前述した映画「黒いオルフェ」の原作となる舞台のことだ。映画は1960年のアカデミー賞外国語部門を受賞、世界にブラジル文化の水準の高さを見せつける。
そんな三人が合体して共作したのが1956年。JOAO GILBERT の最初のアルバム「CHAGA DE SAUDAGE」演奏が GILBERT、作曲が JOBIM、作詞が MORAES
これが大ブレイクして、彼のギタースタイルがブラジル中で大流行する。ボサノヴァ・ギターのシンコペーションはサンバのパンデイロを映しとるビートで、が故に多くのブラジル青年の心をつかんだのだ。これがボサノヴァの誕生だ。
●これに続き、同世代の若き音楽家 ROBERTO MENESCAL CARLOS LYRA がリオのアパートでこのボサノヴァ奏法を教えるギター教室を始める。このアパートに当時14歳だった NARA LEAO などが集まり一大コミュニティを形成する。ボサノヴァがムーブメントになっていく。…ボサノヴァが呟くように歌うのは、このアパートの壁が薄くて大声が出せなかった、という説があるくらいだ。
「ジャズ大使」としてアメリカからブラジルに来て巡業してたジャズギタリスト CHARLIE BYRD は滞在時に JOAO GILBERTO のギターを聴いて感動!帰国してすぐにボサノヴァアルバムを録音した。それが「JAZZ SAMBA」1962年。さらに同年、ニューヨークの CARNEGIE HALL でアメリカで初めてのボサノヴァ・コンサートが行われた。出演は JOAO GILBERT、ANTONIO CARLOS JOBIM、SERGIO MENDES、CARLOS LYRA、ROBERTO MENESCAL などなど。これが大成功!早速文化の逆流が始まった。60年代のアメリカは、第一次ブリティッシュインベーション(THE BEATLES や THE ROLLING STONES たち)、モダンジャズの革新(JOHN COLTRANE らの成果)、そしてブラジルからの新型音楽ボサノヴァと、内外からグラグラ揺さぶられることになる。
●これをキッカケにして GILBERT JOBIM、SERGIO MENDES は拠点をアメリカに移す。…彼らが立身出世のためにアメリカへ拠点を移した…ただそれだけならイイ話なんだけど、実はこのあたりからブラジルが政情不安に陥るのだ…。1964年、クーデターにより左派政権は打倒され、軍事政権が成立する。

「BRAZIL BOSSA BEAT ! - BOSSA NOVA AND THE STORY OF ELENCO RECORDS BRAZIL」

VARIOUS ARTISTS「BRAZIL BOSSA BEAT ! - BOSSA NOVA AND THE STORY OF ELENCO RECORDS, BRAZIL」1963〜1966年
●ボサノヴァが世界に発信されていく60年代前半、ELENCO RECORDS というインディレーベルがリオの街に生まれた。レーベルの主宰は ALOYSIO DE OLIVIERA という男。彼もボサノヴァの歴史の重要人物。メジャーレーベル ODEON のA&Rを務めていたこの男が JOAO GILBERT と契約、TOM JOBIM の楽曲で音源を収録し GILBERT のデビュー盤として世に出した。しかし外資メジャーのボサノヴァへの浅い理解に我慢できず独立。従業員がたったの三人という小さな所帯だったけど、ボサノヴァの重要アーティストと次々に契約、珠玉のような作品の数々、アルバムの数にして約60枚をリリースした。鮮やかな白黒のコンストラストに赤の差し色という、統一されたジャケデザインでも有名。
●彼がレーベルを立ち上げた頃には、GILBERT JOBIM も(おまけにまだ若かった SERGIO MENDES も)アメリカに拠点を移してしまっていた。でもこれからのボサノヴァ・アーティストはまだ地元に大勢いる。このコンピに収録されているのは、EDU BORO、BADEN POWELL、ROBERTO MENESCAL、MPB-4、TAMBA TRIO などなど。成熟しつつあるボサノヴァのシーンから聴こえてくる音楽は、端正で都会的なイメージを超えて、アーシーなグルーヴや躍動感あふれるリズム、力強い生命力に満ち溢れてる。女性コーラスグループ QUARTETO EM CY のクッキリとした明朗さ、LENNIE DALE WITH THE SAMBALANCO TRIO の電光石火のジャズビート、ボサノヴァの多様な表情が実に楽しい。
1964年のクーデター(実はアメリカの支援で勃発)の結果、軍事政権が成立すると、言論統制がアーティストを苦しめる。OLIVEIRA も十分に努力したが、1967年にはレーベルをメジャーに売却、アメリカに渡ってプロデューサーとして活動することになる。60年代末期〜70年代初頭は、本当に人材流出が激しい時期。ボサノヴァ第一世代から、トロピカリア世代までが国外に脱出、オスカー・ニーマイヤーもパリへ亡命するのだから。OLIVEIRA は1972年に帰国するも、その後もアメリカとブラジルの間で活動、1995年にロスで客死する。80歳だったそうな。

NARA LEAO「NARA」

NARA LEAO「NARA」1964年
ELENCO の音源なんて激レアで、ホンモノにはお目にかかれないだろう…なんて思ってたら、いきなり下北沢ディスクユニオンこのCDがポロリ売られてた!特徴的な白黒赤のデザインがやっぱりクール。しかも、ボサノヴァの女神・NARA LEAO のファーストじゃないか。UNIVERSAL MUSIC BRAZIL ELENCO を再発してる(してた?)みたいね。CDには2004年って書いてある。
●作詞作曲には、ボサノヴァ第一世代や ELENCO の仲間たちがクレジットされてる。VINICIUS DE MORAES、CARLOS LYRA、EDU LOBO、BADEN POWELL などなど。ローティーンの頃からボサノヴァコミュニティにいた彼女も、このデビュー盤の時期には22歳に成長。美しい美声が可憐。だがその一方で、ボサノヴァに乗せて軍事政権を批判するプロテストソングを歌ったりも。ジャケに写る彼女の瞳が意思の強さを表しているよう。しかし彼女も、結局1968年にヨーロッパへ脱出、70年代は活動をスローダウンし表舞台から遠ざかる。80年代に復活するも、1989年、脳腫瘍で47歳の若さでこの世を去る…。





●音源。NARA LEAO「BERIMBAU」。
●作曲:BADEN POWELL/作詞:VNICIUS DE MORAES。
●曲名にある「ビリンバウ」とはブラジルの民族楽器の名前。ダンスのような格闘技カポエイラで演奏される。歌詞の中にもカポエイラって言葉が聴こえるね。



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