宇多田ヒカル、新譜。
清潔な音楽。清く潔い。

宇多田ヒカル「FANTOME」

宇多田ヒカル「FANTOME」2016年
●20年以上にわたって数千枚のCDやレコードを買ってきたボクだが、CDを発売に先行して予約購入したのは生まれて初めてかも。それだけこの新生・宇多田ヒカルに期待をしてしまった。
●キッカケはNHK朝の連ドラ「とと姉ちゃん」だ。ぶっちゃけこのドラマは残念作品だ。ハッキリ言ってつまんない。面白そうな要素はたくさんあるのだが、全部がチグハグしててスベっているのだ。モデルの題材(雑誌「暮らしの手帖」大橋鎭子&花森安治という伝説の出版人)といい、キャストの面々(主演・高畑充希、ベテラン唐沢寿明、新進女優・相楽樹&杉咲花、今ノリノリの坂口健太郎、脇を固めた浜野謙太平岩紙、オマケに元AKB川栄李奈とか)といい、実に興味深い布陣で構えている。プロデュースワークとしてはちゃんと仕事してあるわけだ。ここに「人間活動」を終える宇多田ヒカルの新曲を主題歌に据えた部分も、豪華な仕掛けにしようという狙いがハッキリしてる。
しかしこの主題歌「花束を君に」がこれまたクセモノで。牧歌的なオープニングアニメーションとも、バタ臭いほどの生命力を前面に出してるヒロインのキャラ設定からも、完全にズレている。あれ?この歌は、実はとても悲しい歌なのではないか?ちょっと聴く分には朗らかな気分にも聴こえるけど、「今日は涙色の花束を君に」というフレーズは、死者への手向けを意味してるのではないか?「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」は、ズバリ宇多田の母、藤圭子が自死し死化粧を施されたことを指しているのではないか?このドラマ・プロデューサー氏はよっぽどツキがないのか、作品のチグハグさは主題歌の内容にも発生していたのだ。
●ただ、ボク個人にとっては、このドラマの明るいトーンと、主題歌の中に落ちる仄暗い死の影とのギャップが、奇妙なヤミツキ感覚をかもす要素になってしまった。もうこの曲が聴きたい、そしてこのリリックには全然接続しないドラマ本編との落差を味わいたい、そんな欲求で毎朝のテレビをNHKにチューンしてしまうほどになってしまった。
「花束を君に」は実にシンプルなアレンジの楽曲だ。宇多田自身が確立したと言っても過言ではない、ジャパニーズ R&B/ヒップホップソウルの文脈は全く消え去ってしまって、素朴すぎるほどの歌謡曲になってしまった。かつては海外の超一流プロデューサーを召喚してゴージャスなトラックを製造していた彼女。JAM & LEWIS、RODNEY JARKINS、TIMBALAND、THE NEPTUNES が関与してたんだよ。それが UTADA 名義の米国進出が失敗した以降は徐々にセルフプロデュースの簡素なアレンジに変わっていった。そして「人間活動」を挟んだ後は…うーん、彼女、だいぶ解けたんだなー。

解けた宇多田ヒカル。シンプルに音楽を研ぎ澄まして、清く潔い世界へ。
●2006年のアルバム「ULTRA BLUE」以降、宇多田は作詞作曲プロデュースだけでなく編曲からプログラミングまで全部自分でこなすようになっている。今作も基本は全部彼女のアレンジ/プログラミングだ。これが本当に清く潔い。悪く言えばすごくスカスカ。リズムはフラットでスクエアなハイハットをカチカチ鳴らしてるだけ。ベースは手引きでナカナカにファンキーだが、バランスが悪いほど強調されてる。そんなドラム&ベースを骨格にして、アクセントを差し込むように、ストリングスやピアノ、ホーンやジャズギターが丁寧に挿入される。構造が実に簡素に出来ているのだ…その簡素さは茶道のミニマリズムにも通じるのでは。
●結果的に音数が少なくなって、宇多田自身のボーカルにスッとフォーカスが合う。ボーカルに繊細なニュアンスを込めることに関しては天才的才能を誇る彼女なので(この点は15歳のデビュー時から確信してます)、簡素でやや無骨とも言えるトラックにこの時点から生身の彩りが添えられる。どんな歌を歌っても特別なメランコリーが漂ってしまうのも彼女の声の特性。そこに対して大人の成熟を経てシリアスな響きがより地に足ついた感じになった。早熟で生意気な帰国子女、というパブリックイメージはなくなって、無色透明のシンガーに変貌。丁寧に音を選び取り音楽に感情を乗せることに専心するシンガー。清く潔いシンガー。もう様々なゴシップも全部昇華させてしまう説得力だけが残った。

彼女は R&B というジャンルからも完全に自由になってる。ブラックミュージック由来の様式から自由になって、別のダンス感覚を獲得してる。一曲目「道」のシンプルでカラリとしたトラックメイキングと軽快なメロディが爽やかで清々しい。こんなに明るくダンサブルだというのに、母の存在とその喪失がテーマになってるという逆説にグッとくる。小袋成彬をフィーチャーシンガーとして召喚した楽曲「ともだち」も明るいダンスミュージックで、重たいキック&硬すぎるハイハットと繊細なジャズギターの対比がクッキリしている上に、差し込まれるホーン隊の端正なフレーズが実にクール。リリックは同性愛者の悲恋がテーマなんだけどね。この人は悲しい感情を明るいトーンに包み、明るい感情をメランコリーに包む逆説感覚が好きなのかも。同期デビューの椎名林檎を招いた「二時間だけのバカンス」も軽快なダンサーだが、これはボチボチかな。椎名林檎のスパイシーなボーカルが稀有だってことを再認識。「荒野の狼」はベースラインとホーンアレンジがファンキーだけどその2要素だけで出来てるような簡素っぷりが見事。後半は清らかなストリングスが楽曲を美しく彩るけど。ラッパー KOHH という人物を招いた「忘却」という楽曲は、ドロドロしたドローンが基調で無理矢理ラップを乗せてみたという実験。1ミリもヒップホップしてない。
バラード楽曲としての存在感がシンプルで凛々しい「人魚」「真夏の通り雨」。前者はハープとドラムだけのトラック。スカスカだけどリッチに響いているよ。基本アコースティックピアノだけで歌う後者は、別れていく恋人の歌…今までの宇多田にはない、わずかに肉感的なリリックを真摯に歌う様子が清く思える。

●総合的に言えば、ボクはこの音楽に満足してる。しかし、今回のアルバムにジェイポップとしてヒットするような効率的な音楽はあまりない気がする。ただ、彼女は世間を驚愕させるようなビッグヒッツと共にシーンに登場し、未成年のうちからヒット曲を継続的に供給するよう周囲の大人(マネジメントを務める父親含む)に強いられてきた。その窒息寸前状態から脱出した経緯が2010年の「人間活動」宣言だろう。ジェイポップ・メガヒットという価値観から自らを解放したその期間を超えた上での成熟は、ヒットするしないに関わらず価値を持って光っていると思う。
「人間活動」の内容はボクの知るところではないが、2013年の母親の自死、2014年の結婚、2015年の出産は、女性としては大きな経験だったにちがいない。こと、宇多田と同じようにティーンの頃からスターダムにいてそのまま常識を獲得することなく晩年は精神的に崩壊していた母親の存在は、以前の宇多田には逆ロールモデルにしか見えてなかったはず。しかし、その母親の不幸な喪失と、結婚出産を経て自分が母親になったことは、宇多田の中で母親の価値を反転させる大きなショックになっただろう。
「道」にはこんなリリックがある。「私の心の中にあなたがいる いつ如何なる時も 一人で歩いたつもりの道でも 始まりはあなただった IT'S A LONELY ROAD BUT I'M NOT ALONE」幼い自分を形成したのは母親。今自分の子供を育てて母親の役割を知る。そんな気づきが見て取れる。それでも母親への大きな想いは簡単に整理することはできず「どんな言葉を並べても真実にはならないから 今日は贈ろう 涙色の花束を 君に」

「とと姉ちゃん」は面白くないドラマだったが、宇多田ヒカルの復活劇は、ボクにとっては十分に深みのあるドラマだよ。でも、自分自身の生き様ネタを使うのは一回きり。次はどんな進化をしてどんな音楽を聴かせてくれるのかな。期待してますよ。



●宇多田ヒカル「花束を君に」360度メイキング
●……へんな動画。ピントマンの女性が頑張ってるね。モニターガン見でフォーカス合わせ。





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