●週末金曜日の飲み会では、大学生スタッフ(インターン的なもの?)の若人たちと話ができてメッチャ面白かった。
●ウチの会社でインターンして、テレビ局の雑務バイトまでしてるんだから、いわゆる「意識高い」系なのかな。
●もう一人は新卒の会社を一年で退社してフリーのカメラマンをしてる若者。注目のウェブ媒体の仕事を受けてるから内情を色々聴いちゃったりして。
いつもツルンでるスタッフと愚痴をボヤくより、彼らの今の関心を追っかけてく方が面白い。
●今、ナニ聴いているの?ナンの本が面白いの?映画ナニ見た?すげーいっぱい教えてもらってウレシい。
●年末の台北旅行でディグした音源の面白さを語ったら、韓国の最先端のクリエイターを教えてくれたよ。
●そんで、お決まりは、帰りの地下鉄乗ってるあたりで彼らから facebook 申請が来るってこと。気軽なもんだよねーボク彼らとの年齢差2倍だよ。モチロン承認、もうオトモダチだよ。
●あーもっと人と会いたいな。と、思えた楽しい夜でした。

●元来シャイな性分だから、飲み会に行く前は緊張でブルーになるほど。職場の同僚の会でもそう思う。
●いつもワイフには言ってしまう。「今日は飲み会だけど、早く切り上げて来るよ」。
●でも、ハマったら朝まで帰らない。あ、昨日は学生さんが相手だから終電で帰ったよ。


●彼ら「YouTube 世代」(20歳代前半)の、音楽コンテンツへのスーパーフラットな距離感覚はやっぱスゴイね。
●話題は SUCHMOS から出発して、ニューシティホップス文脈からのはっぴいえんど=ティンパンアレー=YMOの系譜へのアーカイブ参照、そしてこの系譜の当事者による現行プロジェクトMETAFIVE がイケてると。同時に SUCHMOS のファンクテイストから D'ANGELO のようなニュークラッシックソウル、JAMIROQUAI をはじめとしたアシッドジャズ、そして STEVIE WONDER といった70年代ソウルまでを、YouTube 関連動画自動再生フローで、時代も地理も越境してコンテンツを容易に接続し理解する感覚。
●スマホのリスニング履歴を見せてもらえば、椎名林檎(東京事変)から BLUR、KULA SHAKER、SQUAREPUSHERのような90年代アクト、ネットレーベル MALTINE 系/ TREKKIE TRAX 系の現在進行形シーン、おまけに80年代の CHICAGO まで網羅してた!90年代アクトをすごく重要視してるのはビックリ。だって RED HOT CHILLI PEPPERS RAGE AGAINST THE MACHINE も好きだって言うんだよ。つまりはボクがキミら学生くんと同い年だった時に登場した連中だよ。それを今現在のエッジーな音楽とほぼ並列、というか現在の音楽よりも90年代音楽を重視して楽しんでるのがビックリ。そして、90年代育ちのボクとしてはそれがなんだか嬉しい。



「YouTubeがもたらしたフラット感覚」「90年代渋谷系状況のフラット感覚」の共通点。
YouTube が Google の傘下になったのが2006年。ここから全世界的サービスに発展していったとすれば、20歳代の彼らは小学生の頃からこのサービスに親しんでる。無料で全世界の動画/音楽を視聴できるのがデフォルトの世代感覚。ネットに溢れかえったアーカイブは、音楽から地理/時代/文脈によるバリアを剥ぎ取って、全てを均質に陳列した。
●しかし、実はこれと似た現象が90年代初頭「渋谷系」状況の中で起こっていたことは、もうちょっと評価されてもいいとボクは思っている。注目すべきは、あの時代に起こった音楽流通に対する2つのインパクト

(1)アナログレコードからCDへのメディア転換。:CDというメディア自体が登場したのは82年、CDとアナログのシェアが逆転したのが86年。この時、リスナー側に何が起こったかというと、CD以前の旧カタログも最新の新音源も、ニューメディアに衣替えして均質にピカピカの新製品としてお店に登場したということだ。この段階で、時代/地理上のバリアは無化されて音源の距離感はフラットになった。当時を知る人間としては、新譜であった THE STONE ROSES のファーストアルバム1989年と、THE BEATLES「SGT. PEPPERS LONELY HEART CLUB BAND」1967年は、等しくピカピカの新製品で、全く同じ鮮度で受け止められるものだった。

(2)外資系CDショップの上陸。1990年、英国系CDショップの MHV が渋谷に第一号店をオープンした。タワーレコードはすでにマニア向けのお店として渋谷に店舗を持ってた…タワーは一号店がなぜか札幌で1980年オープン。ここで何が起こっていたか。バリアを取り払われた新製品CDたちが、大型面積の店舗の中でABC順の秩序でレファレンス可能になったのだ。それこそまるで図書館のように。これが一層フラット感覚を促進させた。それ以前は個人経営の小さい規模のレコード屋さんが、売れ筋の歌謡曲に偏重するようなアナログ在庫を展開してただけ。しかも外資系だけに輸入盤がドッサリ入荷される。新譜入荷のタイムラグが国内外で縮まったことと、CD単価が下がったことは、ユーザーとしては激しく嬉しいことだった。

●当然、こうした流通革命は、一気に進んだものではなくて、地域偏差があった。
●極端に言えば、この特殊環境が「渋谷」でのみ整備されたから、「渋谷系」と言う言葉ができたのではないか。
タワーレコードは現在全国津々浦々のモールに点在しているが、当初は渋谷をはじめとした都心の一部でしか享受できないサービスだった。その意味で「渋谷系」渋谷という地名に結び付けられるハイブロウな都市文化だった。インターネット環境のように全国均一で享受できる文化体験ではなかった。さらに加えて、このリファレンス感覚を駆使した新型クリエイターや、そんな彼らに注目するバイヤーによって、90年代渋谷界隈はレコ屋やクラブの集積地帯に変貌。渋谷=都心を中央とした序列/レア盤を持つ持たないという序列が生まれて、どこかスノビズムすら漂う状況も醸していく。



「購入〜所有」から「体験〜参加」へ。ユーザーとしてのコンテンツに対するコミットのエビデンス。
「全てがフリー(無料)」という YouTube のフラット感覚は、学生くん当事者も「ちょっとした歪さは感じますよね」との感想は持っていた。「課金」という手続きは今も昔も重たいステップだから、そこをスキップするやましさがないわけではないようだ…彼は Apple Music という課金サービスを利用はしてたね。でも、何に「課金」するのか?という意味では、ここで「YouTube世代」「90年代渋谷系世代」違いが浮き立つ。そんな気がする。

「90年代渋谷系世代」はコレクター文化だった。DJという職業がミュージシャンと同格の地位を与えられ、彼らの選曲のセンスと選曲ソースになるアーカイブ所有が、演奏と同じだけの価値を持った。ホットな音源を物理的に所有することに価値があった。つまりコンテンツに対して深くコミットした(コミットできる)というエビデンスが、とりもなおさず「購入〜所有」という行為だった。そしてこのオールドスクールな思考から、今なおボクは自由になってない。
「YouTube世代」である彼ら若者にとって、「購入〜所有」という行為では、コンテンツに対して深くコミットしたエビデンスが担保できない。なぜなら、万民がスマホ検索一発でそのコンテンツに到達し、課金もなく瞬時に消費することができてしまうからだ。「音楽好き」と名乗るためには、それ以上のエビデンスが必要だ。彼らとの会話で普通に多く出てきた話題は、2013年のフジロックは良かった/今年は年越しライブに行った/中目黒のクラブが面白い/友人の彼氏がネットで話題のグループでDJしている/早稲田松竹で〇〇という映画を見た、などなど直接体験に紐づく要素だった。彼らにとっては「体験〜参加」の履歴こそが、コンテンツへのコミットの深みを証明するのだ。こここそ「課金」しがいのある局面だよね。
●つまりね。「モノ消費」から「コト消費」へのスライドが、ここにあったわけよ。

●ぶっちゃけ、自動車なんて動けばいいし、持ってなくてもいい。自動車の「購入〜所有」が彼らのアイデンディティを的確に証明する行為に結びつかなければ、それはコストに釣り合わない。強いて言えば、自動車に乗ってダレとドコに行ったか、という履歴の内容こそに価値があるだろう。アノ女ノ子とフジロックに行った、の方が重要な履歴のような気がする。
●うって変わって、カメラは意外と興味深いアイテムかも。かつていたカメラ機器コレクターは絶滅気味だけど(ボクの祖父がすげーコレクターだった…30年前に死んじゃってるけどね)、そのカメラ所有という事実は、カメラを用いた自己表現を実践しているというエビデンスになる。今のSNS環境(facebook、instagram から tumblr まで)がカメラを駆使した自己表現の発表プラットフォームとして最適化されてるので、彼らの行為を効果的に顕在化するしね。まーこのカメラの画像撮影機能も、スマホが飲み込んでしまいましたが。


●全然関係ないけど、彼ら20歳代の中で、欅坂46乃木坂46はホットだそうな。48グループには一ミリも興味が持てなかったけど、欅坂46「サイレントマジョリティ」はヤバイと。コレはボクも同意見。良かった、ボクの感覚ずれてなかった。ウェーイ!ここでみんなでハイタッチ。


●さー音楽を聴こう。

SUCHMOS「THE BAY」

SUCHMOS「THE BAY」2015年
●さてさて、学生インターンくんたちとの会話で盛り上がったバンドを聴こう。SUCHMOS、6人組のファンクバンド。ただ一口にファンクといっても色々な味があるわけで…彼らのエンジンは確かにファンク駆動なんだけど、ビキビキするほどのタイトなジャスト感でグルーヴを引き締めるタイプじゃなくて…イイ意味でホドけているグルーヴ感が聴く側を上手くリラックスさせてくれるタイプ。無理に過熱しない雰囲気のキーボードや、色気のあるギターが、どこか都会の洗練を感じさせてくれる。そんな気分が、いわゆるニューシティポップスの文脈へこのバンドを結びつけるのかな。

JAMIROQUAI「SYNKRONIZED」

JAMIROQUAI「SYNKRONIZED」1999年
●学生インターンくんは SUCHMOS から JAMIROQUAI へ飛躍しちゃったそうな。ちゃんとアシッドジャズってキーワードも認識してたよ、1989年頃のバズワードなのにさ。一方オッサンであるボクは1992年のデビューシングル「WHEN DO YOU GONNA LEARN」をリアルタイムで買ってるよ。当時フジテレビの深夜でやってた音楽情報番組「BEAT UK」で何回も紹介されててね。セカンドの「TOO YOUNG TO DIE」も大好きだった。
●でもね、1999年段階にはすでにこのバンドに飽きちゃってて、実はこのCDは最近まで持ってなかったんだ。このアルバムの前作「TRAVELLING WITHOUT MOVING」とヒット曲「VIRTUAL INSANITY」でブレイクしきってしまって、もうこのバンドにスリルはないなーとか思って。だって芸風でいうとそんなにバリエーションはないでしょこの人たち。だから、ついこの前、108円で購入したばっか。シングル曲になった「CANNED HEAT」は確かに聴いたことあったし、改めてかっこいいなーなんて思ってる。

JAMIROQUAI「A FUNK ODYSSEY」

JAMIROQUAI「A FUNK ODYSSEY」2001年
●つーことで、こっちも聴いたことなかった音源。シングル「LITTLE L」は聴いたことあるなー。でもこのシングルが気に入らなかったんだよ、そうそう思い出した。ファンクがシンプルになり過ぎてきていて一本調子、メロディとかコード展開のスリルがない、もうフロントマンの JAY KAY の味だけで押してると思っちゃった。「LITTLE L」に関しては今でもその印象が変わらない。ディスコ濃度が高すぎるというか。
●と思ったら、「CORNER OF THE EARTH」のようなユニークなグルーヴを備えた曲もあるんだよね。フロアで楽しいダンスチューンじゃないけど、優しいボーカルとメロディ、色気のあるスキャットがナイス。ジャズ濃度が高いよ。

THE BRAND NEW HEAVIES「BROTHER SISTER」

THE BRAND NEW HEAVIES「BROTHER SISTER」1994年
●これも最近買ったヤツ。しかもすでに持ってるのに買い直した案件。輸入盤と国内盤では曲順や収録曲が違うと最近知ったんだ。国内盤だとね、MARIA MULDAUR 1973年のヒット曲「MIDNIGHT AT THE OASIS」のカバーが収録されてるんだ。なかなか MARIA MULDAUR のレコードに出会えないでいたモンで、代わりに彼らのカバーを聴こうとしたら、二枚買いさせられることになっちゃった。でももちろん満足だよ。気持ちのイイ R&B だからね。
●このアルバムは元から大好き。「DREAM ON DREAMER」とか素敵な曲があるからさ。位置付けとしては SWING OUT SISTER みたいなポップスに一番近いポジションだったから、アシッドジャズ勢全体から見ると評価低い気もするけど、他のアルバムじゃ実験的アプローチに攻めてる場面もあるしね。

土岐麻子「WEEKEND SHUFFLE」

土岐麻子「WEEKEND SHUFFLE」2006年
さて、日本のシティポップスの系譜に立ち戻ってみましょうか。彼女は後期「渋谷系」として登場したユニット CYMBALS のボーカルだった女性。CYMBALS は完全に PIZZICATO FIVE のエピゴーネン的存在で、さほどシーンに存在感を残せなかったが、ソロになった彼女は現在に至るまでシンガーとして実直に活動している。サックス奏者である実父・土岐英史氏の影響か、しっかりしたジャズプレイヤーに囲まれて、センスのいいポップス解釈とポップな歌唱で支持を集めてる。
●このアルバムは、そんな彼女が、 大瀧詠一、細野晴臣、山下達郎などなど70〜80年代まで遡るシティポップスの名曲を数々カバーしたもの。YMO「君に胸キュン。」 SUGAR BABE「DOWN TOWN」、吉田美奈子「夢で逢えたら」にメロメロ。山下達郎「土曜日の恋人」フジテレビの80年代傑作バラエティ「オレたちひょうきん族」のエンドテーマだった曲だし、たまらんわー。ケツメイシ「夏の思い出」も殊の外素晴らしいジャジーな出来栄えでグッド。
●彼女のような存在は、90年代渋谷系と10年代ニューシティポップスを中継しているような役割を果たしているのかな。ただ、その真ん中にある時代「00年代ってなんだったのか」となると、実はボクの中で説明する言葉があまり見つかってないんだ。色々なことがあり過ぎて、そしてそれが10年代に直結してるように見えてて、2000年以降のアレコレを区別整理できてない。

PIZZICATO FIVE「女性上位時代」

PIZZICATO FIVE「女性上位時代」1991年
●ここで本物の「渋谷系」に登場してもらいましょう。PIZZICATO FIVE!しかも三代目ボーカリスト・野宮真貴の加入時期のアルバムです。彼女の存在は時代にとって重要だった!情念みたいなものを全部を取っ払ってしまった無機質でフラットなボーカルが、彼女のバービー人形のようなルックスと相乗効果を醸して不思議な立場をこのバンドに与えた気がする。彼女が歌う恋愛も約束も告白も全部意味のないフィクションです、という開き直りが、絶妙に時代感を捕まえていた。
●DJがミュージシャンに昇格した「渋谷系」の価値観では、演奏技術の高さよりも、スタジオワークやサンプリングのセンス、つまり非ミュージシャン的な才覚の方が重要だということが当たり前になった。というか、野宮真貴というアイコンが時代をそのように変えたと言ってもいいと思う。これは、FLIPPER'S GUITAR が演奏家としてもボーカリストとしても未熟だったのと相似をなしている。意味深のように見えて意味なんてないし、そもそも必要ない、大事なのは雰囲気だから。彼ら PIZZICATO FIVE が表明した以下のような姿勢が新しかったのです。これはなんらかのソースから拝借したサンプルをコピー&ペーストしてアッサンブラージュしたものであります、パクリではありません、トリビュートです、その参照元/引用元も全てマルワカリにしております。どうぞみなさん、私たちがオススメする参照元/引用元も合わせて、その雰囲気をお楽しみください。これが「渋谷系」の時代を支配していた空気だったし、こうしたアティチュードを、モデルまたはマネキンとして体現し続けた野宮真貴は、まさに時代のヒロインだった。

PIZZCATO FIVE「COULPLES」

PIZZCATO FIVE「COULPLES」1987年
そんな PIZZICATO FIVE にもキャリア初期には苦労がありまして。CBSソニーからリリースされたこのアルバムが事実上のデビューアルバム。クラブミュージックを連想させる野宮真貴時代とは印象の違う、生演奏主体のアレンジが意外な感じ。
●彼らはこれ以前の1985年に、細野晴臣主宰のレーベル、NON-STANDARD から二枚のシングルをリリースしてる。つまり、土岐麻子がなぞった日本のシティポップスの系譜に実際直結している存在なわけです。しかし細野氏にとっては YMO 散開直後のプロジェクトであった NON-STADARD、その影響かこの頃の PIZZICATO打ち込み濃度の高いテクノポップだった。ただ、この細野晴臣/NON-STANDARDとの関係は長続きせず、1986年にはCBSソニーに移籍。新天地での活動は、それ以前の反動か、基本的にしっかりとした生楽器演奏にこだわって作られている。
そもそもバンドメンバーが違う。ボーカリストは佐々木麻美子という女性で、鴨宮諒というキーボーディストも在籍。小西康陽+高浪慶太郎というメインの布陣はその後も変わらなかったが、このアルバムのセールス不振を理由に、この佐々木+鴨宮両名はその後脱退。初代に代わり田島貴男(ORIGINAL LOVE)が二代目ボーカリストとして召喚される。まーフロントメンバーが男性になっちゃうのだから、いわば第二期ともいうべき田島貴男時代はかなり気分の違うバンドになりますわ。野宮真貴の登場は、さらなるレーベル移籍(日本コロンビア/TRIAD)の時の事件。田島貴男も自分のバンド ORIGINAL LOVE渋谷系文脈で見事ブレイクしちゃったもんね。

●ともかく、そんな黎明期/第1期の音源をちゃんと聴こうと思うと……なんか、とてもいい感じ。60〜70年代のソフトロックやフレンチポップス、はたまたボサノヴァのような甘いアレンジが実に愛らしい。優雅なストリングスに柔らかいホーンやハープまで駆使してる。佐々木麻美子さんのウィスパーボーカルに寄り添う高浪慶太郎の存在感ある歌唱もナイス。アイコンとしての磁力は野宮真貴にはかなわないが、このバンドが目指している「雰囲気の音楽」を演出するにはこの佐々木麻美子さんも劣るものではない。ただライブの能力に難があったと言われてますが。

●さて、ジャケを見てみると気になる言葉が。「COUPLS; PIZZICATO FIVE TAKES TWELVE NEW DIRECTIONS」。12ってのは収録曲12曲のことだろうけど、彼らは明確に「NEW DIRECTION」=「新しい方向性」を目指してたということ。これって渋谷系の重要な潮流「フリーソウル」とシンクロしてるんです。
橋本徹氏が何枚も繰り出したコンピシリーズ「FREE SOUL」の内ジャケには、必ず「THE NEW DIRECTION OF ALL AROUND SOUL MUSIC」という言葉が記されているのだ。「NEW DIRECTIONS」! 見事なシンクロ。この「COUPLES」はセールス的に失敗したとされているけど、あまりに方向性が新し過ぎた。当時にはまだ日本市場には存在しなかったソフトロック/フレンチポップス/ラウンジミュージック文脈をど真っ正面から提起したのだから。橋本徹氏も「FREE SOUL」では既存ソウルマニア/ジャズマニアから批判を受けたというのだから、メジャーアーティストとしてはかなりの困難があったに違いない。1987年はBOOWYを筆頭にバンドブーム全盛だからね…ロックじゃなきゃ理解不能。でも、結局この新しい文脈が「渋谷系」時代には支持されて彼らはスターダムを獲得する。



●あー。全く唐突の話だけど、とうとうiPadが死んだっぽい。コイツ初代だからな。もうダメかな。


●SUCHMOS「PACIFIC」。




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