●ボクの会社の高層階の会議室からは、ビルの隙間に東京湾が見える。
●毎週の会議でこの部屋に入る時、いつもウットリとその海を眺めてしまう。今日はよく晴れてて、羽田空港から米粒のような飛行機が高く登っていく様子も見える。レインボーブリッジの上を走る自動車やお台場のヘンな形の建物たちもよく見える。夜景もとても綺麗だよ。

ただ、時々、不吉な妄想をしてしまう。あの海が大きくウネって、津波となってコチラに押し寄せたら?ボクが毎日歩く地下街はどうなる?地下鉄は?このビルも倒れてしまうのか?
●ボクは6年前の3月11日のあの瞬間にも、海の見える会議室にいて、そして同僚たちと会議室のテレビで、押し寄せる津波の中継映像を見ていた…。

3月11日は、日本の一年の中で、8月6日、8月9日、8月15日のような重たい意味を持つ日付になったんだろうな。
2011年の「震災モード」、あの奇妙な心理感情を忘れないように。
●2017年の3月が終わる前に、メモを残しておく。

細野晴臣「とまっていた時計がまたうごきはじめた」

細野晴臣「とまっていた時計がまたうごきはじめた」
●少し前に、この本を読んでた。細野晴臣さんが音楽家・鈴木惣一朗さんととりとめもない対談をずっと続ける内容。だけど、この対談が行われてた時期が2012〜2014年、つまり東日本大震災の直後あたりの時期ってワケで。帯コメが「いまは音楽の話だけをしていたい - 懐かしい音楽の話は、お笑い、隕石、演歌、原発、敬愛する友の死などを経巡り、また音楽の話へと戻ってくる。震災以降のもやもやを喫茶店でつれづれに語り明かした、3年にわたる雑談ドキュメント」

70歳を直前にした時期の細野さんは、ホクホクと雑談を楽しむ好々爺。
●大好きなさまぁ〜ずのコトを楽しそうに語ったり、古い時代の音楽への関心を熱く語ったり、再結成 YMO のライブ活動をしゃべったり。スタジオの仕事がうまくいくと嬉しくなって、その場で一人ダンスするという細野さんの告白は、可愛らしいと思っちゃった。70歳前のオジさんが楽しくて踊ってるなんて。実は、ボクも同じようなクセがある。ステキな音楽を家で聴きながらリビングや自室で一人踊っちゃう。ワイフには「なんだか今日はゴキゲンね」なんて言われたりして。

その一方で、どこか重苦しくのしかかる震災の影。
●ガイガーカウンターや反原発デモの話題が出てくる。震災直後、細野さんは線量計で放射線量を測ってたんだね…つらくなってもうやめてしまったそうだけど。選挙の話題も出る。民主党政権の崩壊から第二次安倍内閣のアベノミクス旋風とかね。震災の後は、曲が作れなくなったとか。「曲を書く気が起きないんだよ。自分と音楽の関係がちょっと変わってきちゃったんだと思う」震災後は音楽を聴くことすらほとんどできなかったそうな。時期を空けながら長い時間(この一冊で4年)をかけて積み重ねていく対談の中で、徐々にトーンが変わっていく。震災以来倒れたままだった蓄音機の足を直したら、ゼンマイ仕掛けが生きててちゃんと音が出た。SP盤レコードが聴けた。そこから「時計がまたうごきはじめて、いろんなことが起こりはじめた」

あの「震災以降のもやもや」とは、なんだったのだろう?
●あの頃のボクの気持ちも正常とは言えなかったなあ。「節電」で薄暗くなった繁華街。部屋の電球をLEDに変えてみたり。「自粛」「不謹慎」という名の無味無臭の圧力。一方でヒステリックな書き込みに荒れるツイッターが億劫で。奇妙な流言飛語…雨に当たるとハゲるよとか。音楽がうまく聴けなくなった感覚には強く共感する。ボクも同じ気分を感じた。一体、何を聴いたらいいのかわからないというか。

その頃のボク自身を振り返ってみる。
震災直後はそりゃもう仕事は猛烈な激務で。大手企業が出勤停止/自宅待機となっても、ボクの仕事は止められない質のものだったので、そりゃせっせと働いたよ。原発がボンボン爆発してるのにね。使命感や義憤すらを抱いて仕事に取り組んでた同僚たちを見ながら、その一方で「こんな時に家族を置いて仕事なんて」と思ってる自分を見つけたりもして。
その一年後にボクは人事部に届出して、今の職場に異動する。激務だけど給料の高い最前線の現場から、新設のヘンテコな邪道の部署へ転身。ボク自身が別の意味でもポンコツなので、いいタイミングだったと思う。もう仕事を変えて5年になるのか。地味な仕事だけどマイペースに楽しんでやってる。勉強することも多くて刺激もあるしね。ある意味で「働き方改革」を先取りしたのかな。かつては1日16時間も働いてた時期もあったけど、今は1時間程度しか残業しないよ。

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神保町のカフェ「ミロンガ ヌオーバ」
●震災でうまく音楽が聴けなくなった細野さんは、アルゼンチン音楽、タンゴを聴きまくってたという。そんな細野さんのお気に入りがこのカフェで、いつもタンゴのレコードがかかっているという。対談そのものをこのお店で収録したりもしてる。なんだか素敵なトコロだな。
そこでボクもこのお店に行くこととした。この本を読んでた去年暮れから数回行ってるかな。仕事終わりにコーヒーを飲みに。神保町の靖国通りとすずらん通りに挟まれたエリアの小さな脇道にありますわ。珍しいヨーロッパのビールがいっぱいらしいけど、お酒が飲めないボクはいつもブレンドコーヒー。
お店の中央にあるスピーカーに感動した。どデカイビンテージスピーカーが壁に埋め込まれている。聞けばアメリカの「アルテック」という会社の製品で、パッと見た感じじゃ1970〜60年代以前のモノとしか思えない。これが中域帯の音をしっかりと再現して聴きたい音をクッキリ鳴らしてくれる。音源はLPでプレイヤーとアンプは最新の機材(DENONだったっけかな?)だったけど、縛り付けられてるスピーカーケーブルが長い年月を積み重ねた感じでたまらん。ボクはオーディオ機材に関しては完全に門外漢だけど、この大きなスピーカーから流れる古いタンゴがあまりに耳に心地よくて、初めて行った時はテンションが上がりっぱなしだった。至福のひとときだね。ググってみると、アルテックは1941年設立の企業で、1970年代には全米の映画館のスピーカーの大半を独占してたとな。なるほど、この壁に埋め込みってのは映画館用ってことかな?

●60年代のはっぴいえんどや、70年代のティンパンアレー、80年代の YMO や90年代のアンビエントなソロ活動、00年代のユニット SKETCH SHOW によるエレクトロニカ・アプローチなどと、時代時代の最先端を目指しているようにも見えた細野さんだけど、ベースの部分で古典音楽への造詣が深い。アルゼンチンタンゴしかり、戦前ジャズバロック音楽イタリア映画のサントラ、ポルトガルのファドニューオリンズファンク古賀政男演歌の血脈などなど、本の中では様々な音楽に話題が散らばっていく。あーまだいっぱい聴くべき音楽があるんだなあ。
●細野さんには、自分以前の音楽、1930〜1960年代の音楽の遺伝子を繋いでいかなければという気持ちがあるという。それは、震災〜原発事故という負債を後世に残してしまった過ちを、埋めあわせる行為なのか。少なくとも、ボクには大きな罪悪感が心の中に巣食っている。子供たちの世代に解決のメドの立たない負債を引き渡す罪悪。広大な土地を取り返しのつかない形で汚してしまった罪悪。その後ろめたさに押しつぶされそうになってたよ。それは今でも消えないけど。


●で、いきなり桑田佳祐
震災をキッカケにして聴けなくなってしまった音楽。

桑田佳祐「MUSICMAN」

桑田佳祐「MUSICMAN」2011年
ボクは桑田佳祐というアーティストが大好きだった。このブログでもたくさん言及してる。<サザン再聴>と銘打ち、デビューから2008年のサザン活動休止までの全音源をチェックするシリーズ記事まで上げた(http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-501.html)。でも、2011年の震災をキッカケに、耳に入って来なくなってしまったのだ。
●このソロアルバムが、聴けなかったのだ。2011年2月23日、つまり震災数週間前に発売されたこの音源。ボクは即座に豪華版を購入したものだ。たっぷりの期待感すら抱いて。しかし、震災が発生してからはどうしても聴けない。時代感覚からこの音楽がズレてしまっていると感じたのだ。震災前と震災後には大きな亀裂があって、このアルバムの震災以前の空気感があまりにナンセンスに聴こえたのだ。
全17曲収録の大作は、多種多彩なアプローチをゴージャスに繰り広げている。それがもうトゥーマッチだった。そう感じた気持ちは理屈抜きのモノ。それを今の段階でムリヤリ補足すれば、東京に暮らすボクらは無自覚のうちに福島から電力を搾取して物質的享楽を貪っていた事実を、原発事故を通して永久にあの土地を汚染することで徹底的に思い知らされた、その結果に生じた罪悪感が生活をシンプルにしたいという気分につながり、ゴージャスなものに距離を置きたいという気持ちに繋がったのかと。
そしてジャケットもマズかった。震災前の発売だから桑田氏にその意図はないのだが、震災後に巻き起こる「オールニッポン」なイメージに直結するジャケになってしまった。これズバリ「日の丸」だもんね。枯山水の白砂利に、体を赤く塗った女性。しかし震災直後は「日本」「絆」という言説が吹き荒れ、あまりに重たい「政治的な意味」を持ってしまった。正直、そうした言説に関与したくなくなったのが当時のボクの本音だ。右傾化する政治情勢やヘイトスピーチ、先走る「愛国」感情などなどが後からイメージとしてドンドンまとわりついて、手に負えない状況があった。そこに距離を置きたかったのだろう。

桑田佳祐氏に寄り添えば、食道ガン発症の時期に作られた重要なアルバムだ。
2008年にサザンオールスターズが活動休止宣言、当時は実質上の解散かと世間は受け止めた。そして2010年、桑田佳祐食道がん発症。2009年には忌野清志郎がガンで死去、サディスティックミカバンド加藤和彦が自殺をするなど、ベテランの訃報が続く中の「まさか…」なニュースに誰もが衝撃を受けたはず。それでも桑田氏はその年の「紅白」で見事復活を果たす。オリジナルアルバムとしては9年ぶりの作品。彼の30年以上のキャリアの中でも重要局面に位置する作品だ。
●だから、震災から6年経った今、改めてフラットな気持ちでこの音源に向き合ってみようと思う。

桑田氏が常套手段とする風刺めいたアプローチが、震災当時は鼻についたのだった。
●特に一曲目の「現代人諸君!!」が一番ダメだった。確かに一時は盛り上がった「年金制度」だの「デフレ」だのの言及が、震災以後にはどうでもイイいじくりにしか思えなかった。マトの外れた風刺ほど寒いモノもない。しかもこれが実にコッテリしたアレンジで暑苦しい。三曲目の「いいひと 〜DO YOU WANNA BE LOVED ?〜」も民主党政権・鳩山由紀夫首相の八方美人的発言をイジるメッセージになってるのだが、これもピント外れに思えた。震災時には菅直人首相と枝野幸男官房長官のペアが震災対応を担っていた。彼ら(&東京電力幹部)の言動や行動が真っ当だったかといえば、その後の検証で甚だ微妙との批判も出てくるが、あの瞬間においては彼らの発言を唯一の頼りにするしかなかった。だからこれらの曲は正直今でもあまり好きになれない。
●一方で印象を変えた曲も。桑田氏がよく取り上げるオキナワについて言及する「SO WHAT ?」は、よく聴けば基地問題をイジるものではなく、そんな風景の中での爛れた一晩の情事をドロリとしたファンクロックで表現したモノ。亜熱帯の湿度を巧妙に封じ込めてカッコいい。
●実は、冷静に聴くと、変な違和感を抱いたのはこの3曲しかない。他の曲は贅を凝らしたゴージャスさこそあれど、今ではその華美な演出にも冷静になれる。丁寧に聴けばそのゴージャスなアレンジにも必然があることがわかるし、それはちゃんと機能している。

桑田佳祐の醍醐味は、自分が影響を受けたルーツミュージックを見事にジェイポップに昇華させるワザだ。
●ボクは彼の音楽を分解して、そこに引用されたエッセンスを見つけるのが大好き。今回は80年代回帰も目立ったしね。
「銀河の星屑」は、シンセビートにバイオリンが絡むハイテンポで軽快なロックチューン。このシンセアプローチが80年代サザン「怪物君の空」のようなスタイルを連想させた。バイオリンが絡むことで80年代 DEXYS MIDNIGHT RUNNERS「COME ON EILEEN」のようなアレンジに仕上がる。桑田氏自身のインタビューでもこの曲に関しては80年代を強く意識したと言及される。
●2010年「めざましテレビ」のテーマソングだった「EARLY IN THE MORNING 〜旅立ちの朝〜」も大味な80年代シンセビートを大々的に採用したデジロック。朝番組にふさわしくない下ネタ全開リリックをぶちかますオフザケ&スケベ路線はやはり桑田氏のテッパンネタ。「自粛」モードの下ではスベっちゃうアプローチだったんだけどね。まー今となっては他愛ないユーモアだ。

60〜70年代アプローチが冴え渡るのは、STAX 風サザンソウルの地に足ついたグルーヴが頼もしい「傷だらけの天使」かな。切れ味のいいホーンや温もりたっぷりのオルガン/フェンダーローズの音がいい。同じ60年代ソウルミュージックでも PHIL SPECTOR 風ウォールオブサウンドを採用しているのが「恋の大泥棒」。それこそゴージャスなストリングスやオーケストレーションを背負って歌う桑田節が楽しい。
「OSAKA LADY BLUES 〜大阪レディ・ブルース」は軽快なホンキートンクピアノが70年代米国サザンロック〜スワンプロックを連想させるブルースチューンだが、ソレを大阪のオバちゃんに結びつけるユーモアが桑田流歌謡曲アレンジ。同じ70年代でも英国ハードロックに振ったのが「狂った女」か。LED ZEPPELIN のようなリフロックがハードでイイ。途中でいきなりジャズロックになるのもカッコいいね。「グッパイ・ワルツ」のイビツな三拍子ジャズはもしや TOM WAITS 風では?イタナイボーカルとリリックが渋い。
「本当は怖い愛とロマンス」はタンタンとリズムを刻むピアノその他様々なギミックが THE BEATLES 風でチャーミング。THE BEATLES を連想させるといえば、最終曲「月光の聖者達」の副題がズバリ「ミスター・ムーンライト」。センチメンタルなピアノ・バラード曲が元祖「MR. MOONLIGHT」を連想させる。ただ、20歳代の若造だった4人組の原曲よりも、50歳を超えた桑田氏の方が奥行きのある音楽を作っているかもしれない。

「それ行けベイビー!!」はエレキギター一本だけで勝負する潔い歌だ。このアルバムで一番印象深い曲かもしれない。「適当に手を抜いて行こうな 真面目に好きなようにやんな 我れ行く旅の道中は予期せぬことばかり」「命をありがとネ いろいろあるけどネ それなのに明日も知らぬそぶりで」2010年大みそか、食道がんからの復帰を宣言する紅白歌合戦の出演で、ギター一本&紋付袴でこの曲を桑田は演奏したのだ。感動的な復活劇だった…震災がまだ起きてない時期の嬉しい出来事。この曲のメッセージは、病魔を克服した桑田本人だけでなく、震災で被災した人々や、チッポケな人生の浮き沈みに気をもむボクにさえ、勇気づける力がある。それは震災当時にも感じていた印象だった。

DVD「宮城ライブ〜明日へのマーチ!!〜」

●DVD「宮城ライブ〜明日へのマーチ!!〜」2011年
●さて、震災後の桑田佳祐は、速攻で状況に対応しようとした。震災直後から作詞作曲した楽曲「LET'S TRY AGAIN」チーム・アミューズ!!名義で4月20日に配信リリース。早い!そのまま5月には「LET'S TRY AGAIN の制作に着手。これが8月17日はシングル「明日へのマーチ/LET'S TRY AGAIN /ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! NAKED〜」としてリリースされる。そして、震災からちょうど半年後に当たる9月10/11日に、宮城セキスイハイムスーパーアリーナ・グランディ21で、ライブを行うのだ。なんて精力的な動きだろう。ボクが全てから耳を塞いでいたいと思っていた時に、大好きだった桑田佳祐の音楽すら聴けなくなってた時に、桑田佳祐自身は先頭を切って自分のできることを成そうと疾駆していた。自分の病気のことも顧みずに。このDVDも11月には発売され、シングル「明日へのマーチ〜」とともに売上の一部が義損金として寄付された。矢継ぎ早に渾身のクリエイティブを繰り出す機動力。

●ボクがこのDVDを入手し最初に見たのは、2015年のコト。震災から4年が経過した時期だった。それでもこのライブの様子を見ながらボロボロ涙を流してしまった。お祭り騒ぎを煽る天才である桑田佳祐が、ナイーブなまでの繊細さと優しさで、どうしたらお客さんを労わることができるのかギリギリまで考え抜いた上で、丁寧にパフォーマンスしているのが、手に取るようにわかるからだ。そして今回通して見返した時も涙が止まらなかった。アルバム「MUSICMAN」の楽曲とキチンと向き合えているからだろうか。
●この会場、グランディ21は、震災の瞬間は遺体安置所になった場所だ。大変な数の死者がここに運ばれて、その遺族が亡骸を確認するために集まった場所だ。そんな場所でナニをすればいいのか?普通の神経ならおじげつく。ましてや「自粛」「不謹慎」が世間の空気を圧殺する状況。それでも敢えて彼は「祭り」の口火を切るのだ。敢えて「普通」の「桑田佳祐」をやり切るのだ。
●それでも、細やかな気配りがなされて、その優しさが心を打つ。ライブ冒頭のさとう宗幸「青葉城恋唄」カバーが、切ないほど優しく響く。「時はめぐりまた夏は来て あの日と同じ七夕祭り 葉ずれさやけき杜の都 あのひとはもういない」。照れ臭い気分をフザケてゴマかそうとするMCはいつも通りだけど、何度も何度も感謝の言葉を繰り返して、そして黙祷の時間をくれと会場に呼びかける。その黙祷を経て怒涛のライブがスタートするのだ。
●皮肉なことにライブ本編序盤は、ボクの好まない「現代人諸君!!」「いいひと」「SO WHAT ?」が三連発。しかし強力なバンドサウンドにひたすら圧倒される。桑田の故郷・鎌倉の風景を歌う「古の風吹く社」に続き、「OSAKA LADY BLUES」の東北アレンジバージョン「MIYAGI LADY BLUES」が楽しく鳴らされる(「萩の月はベスト!」)。桑田のインタビューによれば、キーワードは「故郷」。そんなコダワリがこのあたりで響く。そのまま地元の民謡をみんなで歌ってヤリスギと思った瞬間に「MERRY X'MAS IN SUMMER」へ転換。KUWATA BAND 時代の名シングルへ連結していく。
●ライブ中盤では、アコギ一本勝負&原由子登場サザンナンバーをシンプルにセッション。「LOVE AFFAIR」がこんな優しい曲だったなんて知らなかった。そこから悪フザケなビッグチューン「EARLY IN THE MORNING」がドカドカ。女性ダンサーが大挙登場して、最後は露出イッパイのランジェリー姿で大騒ぎ。「不謹慎」モードの中では明らかに危険な表現。これをバンド全員でヤリ切るとした覚悟が滲み出る。「ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! NAKED〜」も悪フザケ楽曲だけど、みんなが笑顔。今だけは一瞬全てを忘れてただ笑っていたいだけなのだ。
●第一部終了の楽曲はチャリティアンセム「LET'S TRY AGAIN」。正直、震災当時のボクはこうしたチャリティからも距離を置きたかった。吹き荒れる「偽善」「売名」の罵り合いに関与したくなかった。でも、この場で大合唱を誘ったこの演奏はそんなノイズを吹き飛ばす純粋さがあった。バンドも観客もシリアスに現実に向き合っていたし、そのシリアスさがノイズを弾き飛ばしているのだ。
●アンコールはエレキ一本勝負の「それ行けベイビー!!」でスタート。唱歌「故郷」を味わい深く歌った流れで「月光の聖者達」が凛とした佇まいで鳴り響く。あれほど好きになれなかったアルバム「MUSICMAN」収録楽曲がこのライブでは機能しまくる。そして祭りの締めは大合唱の「希望の轍」だ。ビッグアンセム!


今朝の日経一面記事は、東芝傘下の原発会社が破産法申請をするというニュースだ。
エネルギーの安定供給源として、最先端技術の輸出品目として、原子力発電の存在は欠かせないと、現状を肯定する段階は、これで終わるかもしれない。アメリカ原発大手・ウエスチングハウス社の破産法申請はその象徴になる。この会社、東芝の傘下にありながら、巨大損失を計上して母体・東芝を倒産寸前に追い詰めている存在。
この会社は原発ビジネスで超重要な存在だった。戦後すぐにスタートした大国同士の核開発競争の中で、アメリカは原子力関連の技術を流出させないために、国内の会社に原発関連特許を集中させた。そんな会社の一つがこのウエスチングハウスだ。アメリカ型の原発を選択した日本は、この会社の特許をライセンスされることで初めて開発を進めることができた。そんな会社が巡り巡って東芝の傘下に入ったのが2006年。
●しかし、そんな会社が、今や日本の重要企業を滅ぼそうとしている。6年前は天災と技術的限界が人間の力を振り払い、福島の事故を引き起こした。しかし現在、市場原理/経済原理の上においても、原発ビジネスが人間の力に負えないものになったと証明されたのだ。


●震災から6年も経って、何が変わって何が変わってないのか? 何が終わって何が終わってないのか?
●正直、ボクにはナニもわからない。








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