職場の後輩H山のオシャレでカワイイ奥さんからCDの頂き物をしました。
●ダンナのH山ともども、病気で長期休職中のボクを大層心配してくれている様子で、とてもありがたいと思ってます。そんな彼女、ヨーコさんから一月くらい前に、メールをもらったのです。そこで「中古レコード屋に持って行ったら『50円にしかなりません』と言われたCDがあります。買いたたかれるのもアレなんで、もらって下さい」的な提案をしてくれました。CD聴いて過ごすばかりのボクにはとてもウレシい話、是非ということで譲ってもらったのです。
●ところが、届いたCDの数なんと20枚! 50円というからホンの数枚だと思ってたのでビックリ! わーなんか恐縮、ホントにありがとうございます。

そしてお話は「渋谷系」へ。
●彼女自身もメールで伝えてくれましたが、そのCDの内容は、90年代の東京を鮮やかに彩った「渋谷系」的音楽のテンコモリでした。90年代前半に学生時代を過ごしたボクにとっては、非常に大きな意味を持つこの時代、この音楽。一枚一枚CDを聴くごとに溢れかえる当時の思い出。とても簡単に咀嚼できるものではなく、ブログの文章として表現できるようになるまでに一ヶ月もかかってしまいました。ブログとしては非常識に超長文で理屈っぽいボクの文章が、今日は特に冗長になることを、コレ以降を読む方は覚悟して下さい。


90年代の音楽ムーブメント「渋谷系」とは何だったのか?

●時は90年。ボクは高校2年生だった。渋谷にUK系の大型レコードショップ HMV の日本進出第一号店ができる。センター街のドンツキ、クワトロの裏手で、現在ブックファースト(近々つぶれちゃうらしいけど)の隣にあるパチンコ屋さんのある場所。2フロア分をCDで埋め尽くしたショップは当時の感覚ではホントに巨大で、貧乏で無知な高校生のボクには、どんなアイテムでもおいてある夢の世界。
●このお店の一階のイチバン目立つ場所に、当時最先端のオシャレ音楽を集めたコーナーがあった。このお店の敏腕バイヤー太田浩さんという人物が、洋楽邦楽織り交ぜてチョイスしたCD棚。この伝説の人物が持ち込んだ新しいセンスが「渋谷系」の原点となる。「渋谷系」の名の由来は「HMV渋谷店」にあったのだ。

この90年状況をもうちょっと丁寧に考察しよう。
●これに先行すること数年前、音楽界には巨大革命が起こっていた。「CD革命」「LPレコード」という媒体から「コンパクトディスク」という新媒体へのパラダイムシフトが起こったのだ。日本でのCDの生産販売は82年、86年にLPとCDの売上げが逆転し、アナログは一部の音楽マニアだけのモノになる。新譜はもちろん、旧譜も次々とCD化されレコードショップの棚は全部CDに置き換わっていった。
●これがナニを意味するのか。多感な思春期をこの時期に過ごしたボクの目には、このツヤツヤの新製品に、新譜旧譜の区別はなかった。50年代の音楽だろうと、70年代の音楽だろうと、新譜と変わらないピカピカの新品&高音質。それが巨大メガショップに、図書館のように整然とABC順にならんでる。80年代の音楽シーンは旧世代音楽を激しく批判し過去との決別を宣言、NEW WAVE 運動を推進する。でも90年代のボクらにとって、その音楽が古かろうか新しかろうが関係がない、どれも全部CDの新製品なのだから。90年代ならではの新感覚がこの瞬間芽生えたと、ボクは考えている。ボクらはCDという名のタイムマシーンで、偏見なく自由に20世紀全ての音楽遺産をつまみ食いする感覚を備えた第一世代なのだ。

外資系メガショップ進出のもたらした意味。
●渋谷の巨大ショップといえば、アメリカ系の TOWER RECORDS。出店は意外に早くなんと1978年。90年当時は、現在の MANHATTAN RECORDS のお向かい、ジーンズメイトの2階(今はサイゼリアだっけ?)にあった。店内は洗練された今のお店とは違って、いかにもアメリカンな大味さ雑然さに味があった。邦楽はおろか洋楽日本盤すら扱わず、あるのは100%アメリカ直輸入のアイテムだけ。あのアメリカ特有の微妙に甘いニオイが、まだ知らなかった彼の憧れの国を感じさせてドキドキした。
●彼ら外資が扱う輸入盤の存在は、ボクらリスナーに大きな意味があった。まず安い!コレ超重要。現在ではイロんなシガラミで価格が釣り上がってしまったが、当時は日本盤と比べて1000円くらい安かったりしてた。金がない小僧だったボクにはチョー大切な問題だった!
●そして早い!海外の音楽シーンの動きをダイレクトに東京に伝えてくれた。日本のレコード会社というフィルターをかまさずに、マイナー盤インディー盤をドクドクとリアルタイムで供給してくれた。後で触れるが、日本のシーンと、アメリカ/イギリスのシーンが同時多発/同時進行で共鳴共振していったのが「渋谷系」というムーブメントの特徴だ。こうした市場的状況が「渋谷系」を準備したのだ。

「渋谷系」ムーブメントのあり方とは。
●回りくどい説明で恐縮だが、「渋谷系」を説明するポイントは2つ。
●その1。新しいモノがイイ古いモノが悪いという感覚から、解放された世代の音楽だということ。90年代の少年少女は、20世紀の音楽遺産をすべてフラットな目線で審美する感覚を備えた第一世代だった。
●その2。グローバルな情報伝達が加速したため、最先端海外シーンとの影響関係がより濃くなったこと。そして東京発の音楽が世界のシーンへ影響を与えるまでに発展していく。加えて急速に発達したインターネットの技術がさらにハイスピード化を押し進め、現在においてもシーンを活性化する強力なインフラとなっている。
●時間というタテ軸、空間というヨコ軸を、より自由に飛躍することができるようになった世代の感覚を表出したのが「渋谷系」なのだ。


●さて、ここからは、ヨーコさんが譲ってくれた音源を軸に、ボク個人の「渋谷系」時代を綴っていきます。

MENU 100S TRATTORIA

VARIOUS ARTISTS「A MUSICAL SOUVENIR OF TRATTORIA - MENU 100'S MAGIC KINGDOM」1998年
●元 FLIPPER'S GUITAR、現 CORNELIUS小山田圭吾氏が主宰するレーベル TRATTORIA のリリース100枚目記念アルバム。自身のユニット CORNELIUS から、渋谷系を代表する数々のアーティスト(カジヒデキ、KAHIMI KARIE などなど)、そして同時代の英米のアーティスト(PAPAS FRITAS、CORDUROY などなど)、自らが再評価&再発した60年代のソフトロック(FREE DESIGNなど)までを網羅する内容。98年という時代は「渋谷系」終焉の時期だったが、その収穫を振り返るには象徴的なコンピレーションだと思う。時間空間を超えたコンパイル感覚が実に「渋谷系」
●そもそも、「レーベルでCDを選ぶ」という発想をボクに教えてくれたのが、この TRATTORIA であり、小山田圭吾であった。91年に FLIPPER'S GUITAR が解散。その大爆発の衝撃波の中から「渋谷系」はそのムーブメントの輪郭を明らかにしていくのだが、当の爆心地にいた本人が92年に立ち上げたのがこのレーベルだ。
●正直言うと、FLIPPER'S GUITAR をボクは後追いで聴いた。解散するというキッカケで初めて存在を知ったのだ。CDをまとめ聴きしてその音楽の素晴らしさに打ち震えながら、その本丸の不在から「渋谷系」の世界に入って行った。そして小山田小沢両氏の動向をジッと見つめてた(あの時は誰もがそういう気持ちだったと思う)。
●そんな小山田氏がレーベルを始めるという。レーベルってナニ? アホな若造であるボクは、そんな認識だった。「ああ、小山田圭吾おススメの音楽を本人がレコード会社の立場に立って世に出すのね、それはステキだ!」優れたレーベルには個性や主義があり、それがアーティストそのものと同じくらいの意味を持つと知った瞬間だった。
●92年頃にはインディー、メジャー問わず様々な新興レーベルが現れた。瀧見憲司氏の CRUE-L RECORDS、VENUS PETER などがいた K.O.G.A. RECORDS、雑誌「米国音楽」が発足させた CARDINAL RECORDS ……、A TRUMPET TRUMPET なんてのもあったなあ。メジャー内インディーも活発だった。ビクター系の AJA RECORDS、EMI系の POR SUPUESTO、B級メジャー MIDI も存在感のある作品を出してた。もう枚挙に暇がない。テクノ、ヒップホップ系も含めればもっと沢山挙げられるだろう。コレがポスト FLIPPER'S 状況であり、「渋谷系」が巨大なウネリを作り始める時期だっだのだ。

BRIDGE「THE BEST OF TRATTORIA YEARS」

BRIDGE「THE BEST OF TRATTORIA YEARS」1995年
●92年~95年に活動したネオアコースティックバンドで、初期 TRATTORIA の代表選手。FLIPPER'S GUITAR の 1st の世界観を正確にトレースした忠実なる FLIPPER'S フォロワーだと思う。当時はライブも見た。確か2回ぐらい。甘くてカワイイ女子ボーカルに優しいバンドサウンドは、当時のオシャレな女の子にはたまらなかったでしょう。でもロックの粘っこさ泥臭さへの執着から自由になれてなかったボクには、軟弱に聴こえてたのも事実。
●バンドはその後分裂し、音楽的中核だったカジヒデキはソロアーティストになりスウェーデンの音楽シーンに接近、彼の地のアーティストとコラボしていく。彼経由でスウェーデンのポップスシーン(CARDIGANS、EGGSTONE など)がグッと注目された。あんなに遠い北国にボクらと同じような音楽を楽しむ若者がいるなんて、なんてステキなコトだろう。これが「渋谷系」的世界同時多発/同時進行感覚だ。学生時代、一度彼をDJに招いてイベントしたことがある。実にポップで軟弱だった(笑)。
●その他のメンバーは PETE というバンドを作った。PETE のCDはボクの混乱した部屋のドコかに埋まってるはずだが、発見できないだろう。やはり軟弱だったことは覚えている。

KAHIMI KARIE「ONCE UPON A TIME」

KAHIMI KARIE「ONCE UPON A TIME」2000年
カヒミ嬢は「渋谷系」の女神だった。圧倒的にオシャレで、圧倒的にムリ目の女の子。こんな女の子がクラスにいたら大変。野暮ったいボクが話しかけても無視。眼中にない。女子からも当然浮きまくってて、でも一向にかまわない。そんなタイプ。そんな彼女を「渋谷系」の貴公子小山田圭吾がプロデュースする。ほえー、オシャレすぎて親近感もてねえ~。と、いうことで、実は彼女のCDをマトモに聴くのはこれが初めてです! はははは、コレはボクのコンプレックス。あまりにオシャレなモノは苦手。自分がオシャレ的にイケテナイので、引いちゃうんだよね。
●そんな彼女の2000年の作品。当然「渋谷系」時代からは遠く隔たったモノだが、トレードマークのウィスパーボーカルは健在っすね。このミニアルバムでボクが注目したのは、ココでの彼女のコラボ相手。プロデュースがアメリカ・ジョージア州アセンズのバンド THE OLIVIA TREMOR CONTROL だってこと。おおお!ソコ狙ったか!アセンズ(ATHENS)はロックバンド R.E.M. の出身地として知られる街で、00年頃にはユニークなローカルシーンが注目を集めてた。雑誌「COOKIE SCENE」が度々紹介してたなあ。
●ポストロックを通過した新しい感覚で、人の肌触りを感じさせる温かいサイケデリック世界を描くバンドが、この街から沢山登場していた。OF MONTREAL、ELF POWER、そして THE OLIVIA TREMOR CONTROL。この感覚がその後のニューフォークへと継承されたと思ってる。このバンドが持つおだやかなでサイケな浮遊感は、カヒミ嬢の霞かかった存在感とよく調和してる。

ADVENTURES IN STEREO「ADVENTURES IN STEREO」

ADVENTURES IN STEREO「ADVENTURES IN STEREO」1997年
●前述した TRATTORIA のコンピ「MENU 100」に収録されてたイギリス・グラスゴーのバンド。バンドの存在はリアルタイムで知ってたけど、TRATTORIA 経由で日本に紹介されてたのは、今回初めて知った。そしたら先日フルアルバムが100円で投げ売りされてたのを発見。改めて聴くこととした。
●97年頃は、レーベル THRILL JOCKEY に集った「シカゴ音響派」と呼ばれる連中が、ポストロックという新しい表現を切り開いた時期だった。それに呼応するようにUKでは STEREOLAB というバンドも登場。この辺の音は当時大分聴いた。
●で、この STEREOLAB に似た名前のバンドを発見する。同じくUK、同じく女性ボーカル。これも見事なポストロックだろうと、ADVENTURES IN STEREO の7インチシングルを今は亡き新宿 VIRGIN MEGASTORE(当時は新宿マルイ地下一階)で買った。
●しかし、聴いてみたら、ポストロックじゃないんですよ。バカなボクは「ADVENTURES IN STEREO とか言ってるくせして、たいした冒険してないじゃん!」ポストロックは、無機質で聴くモノを突き放すような冷たさが斬新だった。このバンドは、もっと優しくて温かくて柔らかい。当時のボクはモノ足りない気持ちで、このシングルを部屋のドコかにしまい込み、また行方不明にしてしまった。
●今の耳で聴き直すと、彼らの「冒険」の本当の意味が分かる。彼らは BRIAN WILSON「PET SOUNDS」的な冒険に挑みたかったんだなと。ソフトで甘く、耳に優しく。ポストロックとはベクトルが真逆だったんだ。今では楽しく聴けるイイ一枚だ。

想い出波止場「VUOY」

想い出波止場「VUOY」1997年
●これも TRATTORIA からリリースされたアイテムだ。想い出波止場まで「渋谷系」にくくるのかよ!っていう違和感はちょっぴり感じる。このユニットはボアダムスのギタリスト山本精一さんのプロジェクト。ボアダムスは大阪アンダーグラウンドだし、あの時代の中で極北の前衛表現を突っ走っていた狂気の集団だった。
●大学生だった94年、雑誌「クロスビート」 SONIC YOUTH THURSTON MOORE が最近の注目作品第一位としてボアダムス「POP TATARI」を挙げていた。なんじゃこりゃ? あの SONIC YOUTH(ボクにとっては世界一カッコいいロックバンド)が、日本のバンドを絶賛してるぞ!? これがボクがボアダムスを知ったキッカケ。多分コレは多くの音楽ファンも同じ印象じゃないかと思う。ボアダムスは海外の評価が先行し、その後追いで国内認知を広めたのだ。ボアダムス「渋谷系」かどうかはおいといて、この瞬間、日本のシーンと海外のシーンが同時にリンクして動き出したとボクは感じた。日本発のインディ表現が世界で評価された第一波だ!
●速攻レコード屋さんで「POP TATARI」「CHOCOLATE SYNTHESIZER」を買いました。そんでブッ飛びました。禍々しい巨大怪獣が、内から湧き上がる衝動に身悶えしてのたうちながら、汚物や体液をまき散らし咆哮しまくる地獄絵を見たようだ。この経験でボクはノイズへの耐性を身につけ、サディスティックなノイズ系前衛音楽にハマり、トチ狂ったCDに無駄な散財をするような人間になってしまったのでした。
●本作での想い出波止場は、ポップスの体裁をとりはしないが、実にポップ。輪郭のハッキリした明快な音楽で、無駄な歌詞もなくメロディもないが、音そのものの質感をクッキリ見せていて気持ちがイイ。聴き飽きない音楽だ。あ、メンバーにはターンテーブリストの大友良英さんまでいるのね。
TRATTORIA は、ボアダムスの重要人物 YOSHIMI さんのユニットOOIOO もリリースしている。OOIOO もライブで見たなあ。あれもシビレた。ボアダムス本体は伝説の第一回 ”嵐の” FUJI ROCK セカンドステージで見たのが忘れられない。ツインドラムの迫力グルーヴで狂気の祝祭空間を放射していた。そしてボアダムスの主人公、山塚EYE さん。法政大学のアングライベントで、JOHN ZORNEYE さんの一対一ジャムセッションを見た。JOHN ZORN のサックスと EYE さんの雄叫び、ドッチがよりスットンキョウな音が出せるか勝負みたいな感じで、笑うしかなかった。オマケに対バンが灰野敬二。ああユカイな時代だ。


お話は TRATTORIA から外れて海外で評価された「渋谷系」へ。

CIBO MATTO「CIBO MATTO」

CIBO MATTO「STEREO TYPE A」

CIBO MATTO「CIBO MATTO」1995年
CIBO MATTO「STEREO TYPE A」1999年
●このバンドは、2人の日本人女性(本田ゆか羽鳥美保)がN.Y.で結成したユニットで、そのユニークなセンスが偏屈プロデューサー MITCHELL FROOM & TCHAD BLAKE に認められ、そのままアメリカでデビューしてしまったモノだ。音楽的キャリアはほとんどなかった彼女たちが、ポコーンとアメリカデビューだなんて最高だ。ボクには「渋谷系」的世界同時多発/同時進行の象徴に見えた。
●コラージュ感覚で組まれたループミュージックにヘタッピな英語を乗せる不思議な女の子。96年のデビューアルバム「VIVA! LA WOMAN」は、やはり96年発表のBECK「ODELAY」THE DUST BROTHERS 制作)の鮮やかなビートコラージュや、BEASTIE BOYS のレーベル GRAND ROYAL から登場したガールズバンド LUSCIOUS JACKSON のクールなループ感覚とともに、時代の波に乗り高く評価された。ヒップホップの成果が、ロックの文脈の中でネクストレベルへ昇華された瞬間だ。
「CIBO MATTO」はメジャーデビュー以前のインディ音源集だ。曲目も「VIVA!~」と重複してる。でも愉快で遊び心溢れるループコラージュや愛らしい女子声も最初っから変わってないことがわかる。荒削りで時に調子ッパズレなヤケクソ加減も愛らしい。このテの音楽が評価されたのは、90年代の重要な音楽的潮流「ロウファイ」の感覚が前提になってたんじゃないかなーと思う。
●99年の「STEREO TYPE A」はセルフプロデュースの2ndアルバム。本田ゆかさんの彼氏になっちゃった SEAN LENNON(ご存知 JOHN & YOKO のご子息)も正式メンバーにクレジットされてる。ヒップホップ的ループミュージックはより洗練され、バンドサウンドとして熟れている。メロディもチャーミングで楽しい。ただしコレを最後に CIBO MATTO は活動を休止している。
●冷静に考えると、彼女らはたまたま日本人だったけど、終始アメリカのバンドだった。だから「渋谷系」とは関係ないかもね。でもリスナーは「渋谷系」だった(と思う)。

BUFFALO DAUGHTER「WXBD」

BUFFALO DAUGHTER「WXBD」1999年
●彼らも海外から高く評価されたバンドだ。最初は雑誌「米国音楽」のレーベル CARDINAL RECORDS からのデビューだったと思う。しかし、その後に彼らに目をつけたのはあの BEASTIE BOYS だった。
●90年代のビースティーズは自身のレーベル GRAND ROYAL を拠点に目一杯楽しいコトを展開しまくってた。雑誌「GRAND ROYAL」では BRUCE LEE 特集とか LEE PERRY 特集とか趣味色丸出しの内容を勝手気ままに面白がってたし、世界中の若いバンドをフックアップしてはリリースしてた。オーストラリアからは BEN LEE、スコットランドからは BIS、ドイツからは ALEC EMPIRE / ATARI TEENAGE RIOT を発掘。他にも前述の LUSCIOUS JACKSON や、MONEY MARK、AT THE DRIVE-IN、CIBO MATTO のメンバーを含んだバンド BUTTER 08 などなどを世に送り出した。そんな彼らが日本から釣り上げたのが、この BUFFALO DAUGHTER だったのだ。ボク個人としては下北界隈で2回くらいライブみたなあ。QUE だったっけ…いや CLUB 251 だったかな…。あれ渋谷クワトロか?
ビースティーズがこのバンドに興味を持ったのは、ロックバンドという形態でありながら、シツコイほどの反復ループからくる陶酔感と、ダブ/ヒップホップに遠くつながるサウンドデザイン(ムーグ山本さんの立場?)の発想がユニークだったんじゃないのかなーと思う。
●このCDは彼らの代表作のリミックス集ということになってる。彼らの音楽が、ロックバンドでありながらリミックスという手法でより鮮度を増す特殊性を持ってることを証明している。これ結構重要でユニークっすよ。CORNELIUS も一曲手がけてる。時にダウンビート、時にブレイクビーツ、そして本質はロック。彼らはそんなアーティストなのです。


さてさて「渋谷系」を巡る旅、まだまだ続きます。
●次の4枚は、ヨーコさんからもらったモノじゃなくて、ヨーコさんに刺激されてボクが激安ワゴンから50~380円で買ってきたものだったり、他の人からもらったもの。

ホフディラン「はじまりの恋」

ホフディラン「はじまりの恋」2007年
●ありゃ、今年の新譜だよ!復活第一弾シングルだって。もう二人は組まないもんだと思ってた。彼ら一流の青春系キラキラの歌詞を、独特なボーカルと耳になじむメロディで、昔と同じように聴かせてくれた。復活おめでとう!100円で購入!
●フニャフニャした声が耳に残るボーカルギター、シン・ワタナベイビーと、ボーカルキーボード、小宮山雄飛(A.K.A. テンフィンガー・ユウヒ)の2人組。たしか下北沢スリッツ(現CLUB QUE)でライブ活動してたギターポップバンドで、96年メジャーデビュー。なぜかスチャダラパー率いる LB NATION 一派に含まれてたような印象が…(あれ、記憶違いかな…?)。とにかくワタナベイベーのどこか人を喰ったような声が、聴く者の気持ちを脱臼させる。ドコからマジでドコからフザけてるか分からないツカミドコロのなさが、面白い魅力だった。あの声でシリアスな曲をやると、意外な凄みが出るんだよね。さくらももこ原作のアニメ「コジコジ」の主題歌をやるなど頑張ってました(←「コジコジ銀座」結構キャッチーでいい曲ッス)。
小宮山雄飛のバンド、ユウヒーズのアルバム「ユウヒビール」(1996年)も好きでよく聴いた。ワタナベイベーは、竹中直人の映画「男はソレを我慢できない」の主題歌として「今夜はブギーバック」(2006年)を竹中とともにカバーした。

LOVE TAMBOURINES「CHERISH OUR LOVE」

LOVE TAMBOURINES「CHERISH OUR LOVE」1993年
「渋谷系」インディーの代表格 CRUE-L RECORDS の看板アーティストとして「渋谷系」のど真ん中にありました。実際、HMV渋谷店「渋谷系」売り場で長く定番として置いてあった…。金がない当時のボクには「4曲で1600円!?輸入盤なら1680円でアルバム買えるわ!気取るな!」という憤りでプンプン。こんなオシャレ物件一生聴いてやるもんか、と逆恨みしておりました。今や50円…。栄枯盛衰。
●今フラットな耳で聴けば、スムースなアシッドジャズ。90年代初頭の英国で大きな存在感を持ってたアシッドジャズのムーブメントは、日本のシーンにも大きく影響をもたらした。その典型例がこれ。でもやっぱりこのバンドの最高傑作はこの次のシングルの「MIDNIGHT PARADE」だと思う。フロアを煽るボーカル・エリの荒々しい声と扇情的なジャズファンク。このタイトル曲は、ただオシャレなだけだなあ。カップリング収録曲の方が、フォーキーで味がある。
●このバンドは95年に解散、エリ嬢はソロアーティスト ELLIE として活動。そして06年にラブタン時代の盟友・斉藤圭一と再合流。新ユニット GIRL IT'S U を結成している。

COOL SPOON「TWO MOHICANS」

COOL SPOON「TWO MOHICANS」1995年
●ヒップホップ系レーベル FILE RECORDS からのジャズバンド。アシッドジャズジャズヒップホップ的美学を目指したインストジャズ。粘り気の強い、走らないテンポがジワジワ腰に響くんですわ。380円で入手。
●この前にリリースしたデビューミニアルバム「ASSEMBLER!」(1992年)も要チェック音源。最近再発されたらしいけど、永らくレアアイテム扱いで見つからなかった~。当時は友達が持ってて聴かせてもらってたけど、後から探そうと思うと全然ないのよ。しかし、去年のとある日会社で後輩女子のキヨちゃんが、この「ASSEMBLER!」を握って歩いてたのでビックリ。
「なんでコレをキミが持ってるの?!」オシャレだけどキレイ目フツウ女子のキヨちゃんには、随分と不釣り合いな濃い音源よコレ! キヨちゃんボクの気迫にややヒキ気味で「…あの…姉が持ってたCDでして…」そうだよね、年齢差でいうとリリース時キミ中学生だもんね。「で、つまりは、コレ貸して!」先輩であるボクはそのままひったくるように借りて家で CD-R に焼いたのでした。……今思うと彼女、仕事で使うつもりで会社に持って来てたんだよな……彼女の都合を微塵も聞かず有無を言わさずモギ取っちゃったな……彼女何も言わないけど、結構困らせたかも。

STAX GROOVE「WELCOME TO SANCTUARY BLUE」

STAX GROOVE「WELCOME TO SANCTUARY BLUE」2005年
●コイツはDVDです。STAX GROOVE なるダンサーチームの映像集。「ジャズで踊る」を主義に掲げる彼らの華麗なステップは痛快で(前半のヘンに作り込んじゃったイケ好かない映像は無視して)、後半イベントでのフリースタイル・パフォーマンスは見てるコッチもわくわくしてくる。義弟KEN5くんからもらったモノだ。
●で要注目は彼らがステップしてみせるトラックである。フューチャージャズバンド SLEEP WALKER が手がけている。このバンドの中心人物が吉澤はじめというピアニスト。90年代アシッドジャズ時代から、MONDO GROSSO、KYOTO JAZZ MASSIVE、COSMIC VILLAGE といった日本のクラブジャズシーンの重要ユニットに参加して来た人で、ソロ名義でも活動、リミキサー/プロデューサーとしても活躍している人物。
●個人的にはバンド時代の MONDO GROSSO は大好きで(いや大沢伸一さんの俺ユニットになった今でも好きです)、ライブ何度も見た。フランス語のラップを乗せたりしててカッコよかった…。最後には自分たちで学祭ライブに招いてしまった。しかし結果は大赤字で大変な目に遭い、100万円の請求書を突き付けられたり突き返したり。ストレスから胃潰瘍になって大学を一月ほど休んで寝込んじゃった。胃カメラデビューもこの時でした。はははは。バカだね~。ライブは最高だったよ!
「渋谷系」ジャズ表現はイギリスのシーンとシンクロしながら進化していった。レーベル ACID JAZZ から JAMIROQUAI、THE BRAND NEW HEAVIES が登場し、TALKIN' LOUD からは GALLIANO INCOGNITO が登場。音楽ファンにはスリリングで目が離せない状況だった。日本からは UNITED FUTURE ORGANIZATION「JAZZIN'」「LOUD MINORITY」)が出現。そして吉澤氏の盟友である KYOTO JAZZ MASSIVE沖野修也氏(DJ、渋谷 THE ROOM オーナー)などなどが活躍。彼らが GILES PETERSON のようなDJと肩を並べ、海をまたいで活躍していくのが誇らしかった。クラブジャズは、もはや「渋谷系」とは関係なく独自の進化を続け、世界各地のクリエイターと共振しながら多様化している。

●だんだん話がジャズ寄りになってきました。次はヨーコさんからの一枚。

江利チエミ「CHIEMI SINGS」

江利チエミ「CHIEMI SINGS」1951~1972年
●突然ですが、江利チエミさんの登場です。美空ひばり、雪村いづみとともに戦後昭和の歌謡界で活躍した女性シンガー。彼女の全盛期音源からからヒップなスウィングジャズを抽出してコンパイルしたモノで発売は2006年。ビッグバンドを背負って軽妙なジャズスタンダードを英詞/訳詞で歌いこなす。当時の感覚で訳された日本語の歌詞は昭和の風情が漂って楽しい。日本の大衆音楽史にはまだまだ素晴らしい音楽が知られずに埋まっているのだなと改めて感じさせられた。
●さて、これがなぜ「渋谷系」だと言うのか? ヒントは「レアグルーヴ」というキーワード。イギリスのアシッドジャズ発生前夜は、クラブDJによって過去のジャズ音源を「ダンスフロアで踊るための機能」という観点から再解釈/再評価して、古来のジャズファンから駄盤と無視された楽曲を掘り起こす運動が行われていた。それが「レアグルーヴ」だ。
「渋谷系」は過去/現在の音源をフラットに評価するスタイルだ。良いものがあればホコリをかぶったレコードだって引っ張りだす。音楽好きの少年少女は、ギターを持たずターンテーブルを買って、みんながDJになった。そして自分たちの「レアグルーヴ」を探すために、膨大な過去音源の海に漕ぎ出していったのだ。
●そんな目線が、外国の音楽から自分の国の音楽に標準をずらすのは時間の問題だった。日本の60年代/70年代にも立派なレアグルーヴが膨大にある! ボク個人は元 SUNNY DAY SERVICE曽我部恵一さんのDJによって開眼させられた。ある時、仲間で企画したイベントに彼をDJとして招いた。そもそも日本の70年代フォークからの影響を公言していた曽我部さん、英米のグルーヴィーなソフトロックを中心にスピンする中で、ココぞという時にはっぴいえんどダイナマイツをかけてくるのだ。目からウロコの衝撃だった。「ああ DJ するってコトとはココまで自由なんだ。踊れるならばナニをかけたってイイんだ!」ソレ以前の音楽観を完全にひっくり返された瞬間だった。当時ボクは21歳の大学生。まさにコペルニクス的転換だった。
●その日からボクは、グループサウンズ(「GSの”G”はガレージの”G”!」)の発掘、そして沢田研二はっぴいえんどティンパンアレー人脈~荒井(松任谷)由実遠藤賢司、高田渡URC音源、ナイアガラ山下達郎周辺、ピンクレディキャンディーズ、クレイジーキャッツドリフターズヒゲダンス含む)、筒実京平、中村八大とムシャムシャ聴きまくった。
「渋谷系」の眼差しが、江利チエミまで到達するのは自然なことだ。このコンピの選曲者は元 CYMBALS土岐麻子。実父が日本ジャズ界屈指のサックス奏者土岐英史氏とのこと。でもボクは彼女がボーカルを務めた CYMBALS が完全な PIZZICATO FIVE のエピゴーネンであったコトに注目したい。結論、だから本作は「渋谷系」なのです。(ちょっと無茶だった?)


さーてと、お次は FLIPPER'S GUITAR と双璧をなす、あのジスイズ「渋谷系」を語ってみましょうか。はい、そうです。PIZZICATO FIVE
●ボクの音楽経験の中でそれはそれは大きな出会いでした。ヨーコさんの音源に触れる前に、リアルタイムでこのバンドを知った頃を説明します。

●92年。ボクは大学一年生。ターンテーブル2台とミキサーが部室にあるという理由だけで、ボクは放送研究会的なサークルに所属していた。自分でDJ機材揃えたのはかなり後だったなあ。同じ理由で集まるヤツが先輩後輩に結構いて、音楽好き仲間を作るのに都合がよかった。
●そこにいたのがノリピーさんと呼ばれてた2つ年上の女の先輩。華奢で背が高く目が大きな女性だった。彼女からボクは沢山CDを貸してもらって聴いてた。BLUR の 1st とか THE MONOCHROME SET とか EVERYTHING BUT THE GIRL とか。この年に PIZZICATO FIVE が出したアルバム「SWEET PIZZICATO FIVE」も彼女が貸してくれたのだ。

「SWEET PIZZICATO FIVE」

●で、スゴい衝撃を受けたわけですよ。なんじゃコリャ?!(松田優作風に)。PIZZICATO FIVE は完璧な「ポップアート」だった。

●当時のボクは、50~60年代のアメリカンポップアートにかなりノメり込んでました。JASPER JONES、ROY LICHTENSTEIN、ROBERT RAUSCHENBERG、JAMES ROSENQUIST、GEORGE SEGAL ……。彼らの芸術は「ポップ」と呼ばれているが、その言葉が連想させるような能天気な明るい表現ではない。彼らは戦後到来した大量生産/大量消費社会に対して、日常に溢れるモノと情報と記号を画題にとり、人間存在そのものがモノ化/記号化され矮小化していく様子を、悲哀や諦観を込め、または冷笑的に、時に諧謔的に、そして絶望しながら描いていた。そのひんやりとした冷たさに、ボクは強烈に魅せられていた。後期 FLIPPER'S GUITAR のリリックにも、ボクはこのポップアート的なシニカル/アイロニカルな態度を嗅ぎ取り、強烈に共感していた。
●一方、そんな一群のポップアート表現の中で、一人「突き抜けてる」男がいた。そう、ANDY WARHOL だ。コイツだけは別格だ。なぜなら彼は、ポップアートの前提を完全に理解していながら「それで、何か問題でも?」と言い放った。ヤツは記号/情報/イメージを、それ以上ともそれ以下とも捉えず、ただひたすらもてあそんだ。マリリンモンローマリリンモンロー、エルヴィスエルヴィス、それで十分! 写真に色塗ってプリントしようゼ! あとナニが要るって言うの? キャンベル缶? イイねイイね! エンパイアステートビル? 面白いから8時間撮りっぱなしの映画を作ろう。シルクスクリーンでペッタンペッタン作品を大量生産し高額で売っぱらう。そんなアトリエを「ファクトリー」と呼んだのだから徹底してる。絶望すら乗り越えた無感覚状態、ボクはコレを究極のニヒリズムだと感じた。彼はボクのカリスマだった。

PIZZICATO FIVE もある意味「突き抜けて」いた。ダンスフロアを意識したグルーヴ感を前提に、古今東西のあらゆる音楽やオシャレな意匠を、借用し編集し模倣し、ツヤツヤのポップスを鳴らした。パクリのそしりも恐れずに、むしろ元ネタを披露してリスペクト愛を表明した。バービー人形のような女性・野宮真貴をフロントに据えて、着替え人形のように様々なイメージをコピー&ペーストした。この借用編集感覚、サンプリングセンスとDJセンス。「渋谷系」が見出した重要な美学だと思う。
●そして彼らのリリックには全くメッセージがない。あるのは「雰囲気」だけ。敬愛するヨーロッパ映画や美しい女優さん、ファッショナブルなライフスタイルの気分を明確に霧散するが、ホントに100%それだけ。社会的主張も人間臭さもロマンシチズムも激情も生活の匂いも、何もない。その空虚感が「ポップアート」だった。
「SWEET PIZZICATO FIVE」の三曲目「キャッチー」のリリックが最高だった。「新しい洋服と 新しい恋人 新しい私の部屋は 東京タワーが見える とってもキャッチー」「新しいダンスと 新しいゴシップ 新しいレコードは ベースの音が低くて とってもキャッチー」ひたすらキャッチーなモノだけを羅列する感覚。
●この戦略は完全に確信的なモノだし、「渋谷系」が産み落とした重要な時代感覚だ。リーダー小西康陽さんは今でもハッキリ公言している。「雰囲気モノのそもそも何がいけないんだって感じ。逆に雰囲気で聴かないで何で聴くの?」「ミュージックマガジン」07年9月号「特集=渋谷系」から引用)重ねて言うが、PIZZICATO FIVE は完璧な「ポップアート」だった。

●大きく脇道にそれましたが、ヨーコさんの提供音源にお話を戻します。

「READYMADE RECORDS REMIXES」

PIZZICATO FIVE / 5TH GARDEN / FANTASTIC PLASTIC MACHINE「READYMADE RECORDS REMIXES」1998年
小西康陽さんが自らイニシャティブを持つレーベル READYMADE RECORDS********* RECORDS, TOKYO ……すんません、ボク正直この二つの名称の使い分け、理解してません)が97年に発足。そんな勢いに乗って発表された、いわばレーベルサンプラー的なコンピレーション。レーベルの代表アーティスト、5TH GARDEN / FANTASTIC PLASTIC MACHINE の楽曲を、ドイツのDJ LE HAMMOND INFERNO をはじめ国内外のリミキサーに預けてる。もう完璧なハウスに仕上がってます。
「渋谷系」終焉のこの時代、小西氏は新しいキーワードとして「H.C.F.D.M」という言葉を提唱していた。HAPPY CHARM FOOL DANCE MUSIC。楽しくてカワイくておバカな踊れる音楽。この考え方が、どれだけ普及してたかどうかは微妙だけど、小西さんの目指してたモノは何となく理解できる。
●新感覚音楽のゴッタ煮状態だった「渋谷系」時代から、各音楽ジャンルが成熟し、ヒップホップ、テクノ、ロックなどなど、シーンが多様化分断化された時期への移行。その中で、博覧強記の知識と超ジャンル的な音楽ファンである小西さんは、今一度ジャンル横断的なクラブシーンを作りたいと思ってたんだと思う。だから「ただバカみたいに踊れる音楽」というユルいククリをイメージしたのだろう。
小西さんのDJは当時度々聴きにいってた。実に自由でジャンルに制約されないスタイルだった。ある時は50~60年代ロックンロールモータウンばっかりで攻めたりとか。初めて聴いた小西さんのDJは92年の渋谷クワトロ。現 CAFE APRES-MIDI橋本徹さん(この人も「渋谷系」の重要人物)が主催する SUBURBIA NIGHT だった。THE KLF のヒットシングル「JUSTIFIED AND ANCIENT」と前述の「キャッチー」を上手くミックスした上で、次に繋いだのが細川ふみえ「スキスキスー」!ベースを思いっきりブーストしたオリジナルアセレート。最高になんでもアリ、最高にカッコよかった。

FANTASTIC PLASTIC MACHINE「LUXURY」

FANTASTIC PLASTIC MACHINE「LUXURY」1998年
●DJ田中知之氏のユニットが READYMADE RECORDS からリリースしたセカンドアルバム。まさしく「H.C.F.D.M」の思想を体現するニギやかでカラフルな内容。DJのキャリアが大きく目立ってたので、もっとハウシーな音楽をやってるのかと思ってたけど、軸足はフロア対応に置きつつ多様なポップミュージックに挑戦してる。どこかラウンジ感も漂わせてるし。EURYTHMICS のボサ風味カバーとか気持ちイイ。
●この時期のチョイ前から社会人ドップリ生活にハマり込むボクは、クラブ遊びから距離をとることになり、仕事がらみ以外はオールの夜遊びをほぼ辞めてしまう。だからこの人の音楽に触れたことは今までほとんどなかった。勉強になりました。

5TH GARDEN「PANORAMICA」

5TH GARDEN「PANORAMICA」1997年
●やはり READYMADE の所属アーティストであるこのバンドは、コモエスタ八重樫さんという、これまた味のある人物が仕切るユニットだ。このバンドのライブを見たのか、八重樫さんのDJを聴いたのか、記憶が定かじゃない。しかし肉眼でこの人を見た時は「濃いなあ~!」という強烈な印象。ビシッと極めたタイトなモッズスーツに、前髪パッツン、左右のモミアゲからキレイに刈り込まれて繋がったアゴヒゲ。小西さんよりも明らかに年長なんだろうなと思いつつ、その隅から隅まで行き届いた細かいコダワリに、タダモノではない美意識を感じさせた。
●この人は「渋谷系」の中で一番最初から、昭和歌謡和モノレアグルーヴの価値を評価していた人物。モッズ趣味の延長から、60年代日本の大衆文化に興味を持ち、その世界を音楽だけじゃなく、雑貨やファッション、インテリアまでひっくるめて紹介した。
5TH GARDEN は、60年代マンボ再興を目指した東京パノラママンボボーイズ(新傾向盆栽家で有名なパラダイス山元さんとともに結成)の後に作ったユニット。本作は READYMADE から出した三枚目のアルバムで、前述したような昭和の面影はゼロ。彼にとって 5TH GARDEN は昭和趣味を表明するユニットじゃなかったみたい。やはり「H.C.F.D.M」のスタイルに基づくポップなエレクトロ音楽で、カワイイ女性ボーカルあり。そしてどこか漂うラウンジ感。
「ラウンジ」って90年代中盤の世界的なキーワードだった。NIRVANA を輩出したグランジレーベル SUB POP が、ラウンジコンピ出した時に「時代変わったな」と思ったもん。レコ屋のPOPに「グランジの次はラウンジ」なんてダジャレがホントに書いてあったんだよ。クラブ文化が成熟してその楽しみ方が多様化した時期だったんだと思う。チルアウトとかもあったじゃん。
●ちなみにこれはヨーコさんのコレクションではなく、この前100円で発見したモノ。「渋谷系」タタキ売られてます。可哀想と思ったら拾ってやって下さい。

「THE BEST OF EASY TUNE」

VARIOUS ARTISTS「THE BEST OF EASY TUNE」1996年
●コチラは、オランダのレーベル DRIVE IN がシリーズコンピの形で提案していた「EASY TUNE」というスタイルをまとめた楽曲集。60~70年代ポピュラー音楽のエッセンスと現代的表現をブレンドして全く新しいイージーリスニングラウンジ音楽だ。骨格は現代のビート感覚だけど、ヴィンテージオルガンとか金管楽器などの味添えがオシャレで愉快。
ヨーコさんのくれたこのCDは日本盤で、ライナーを小西康陽氏が担当。それによると「EASY TUNE」の中心人物 RICHARD CAMERON とはコラボ仲間で、PIZZICATO FIVE のアルバム「HAPPY END OF WORLD」(1997年)で楽曲提供してもらってるという。READYMADE「H.C.F.D.M」、彼らの「EASY TUNE」、そして前述したドイツのDJ LE HAMMOND INFERNO のレーベル BUNGALOW ROCORDSPIZZICATO FIVE 自身が、アメリカのオルタナティヴレーベル MATADOR から全米デビューしていくのも90年代中盤の時期。世界のアチコチで同じ美学を共有する人々が登場してくる。世界同時多発/同時進行で、日本のシーンがリンクしていくのは最高にワクワクする感覚だった。


●こんだけ思い入れタップリに語りながら、実は92年以前の PIZZICATO FIVE を全然聴いたことがないことに気づいた。下北沢のレコード屋を巡って初期音源を探した。

PIZZICATO FIVE「ピチカート・マニア!」

PIZZICATO FIVE「ピチカート・マニア!」1986~87年
PIZZICATO FIVE は、テイチク傘下の NON STANDARD レーベルでデビューした。細野晴臣氏主宰のレーベルだ。86年に2枚の12インチシングルをリリース。その二枚をまとめたのが本作だ。コレを初めて聴いた時には正直驚いた。これが PIZZICATO…?
渋谷系以前の PIZZICATO FIVE細野さんの影響下にある NEW WAVE バンドだった。ワザと強調したピコピコ感や機械的ジャスト感のリズムが、どうしょうもなくテクノポップ。その後の PIZZICATO FIVE を考えると、正直バンド当事者には不本意だったんじゃないか、というプロデュースワーク。
●でも女性(当時のボーカルは佐々木麻美子さんという人)のか細いボーカルは、その後の野宮真貴さんのスタイルを連想させるし、歌詞の世界も PIZZICATO FIVE らしさがキチンと出ている。
●このレーベルとのお付合いはコレっきり。彼らはCBSソニー(現ソニーミュージックエンターテインメント)へと移籍する。

PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」

PIZZICATO FIVE「THE BAND OF 20TH CENTURY」1986~1990年
CBSソニー在籍時代には4枚ほどのオリジナルアルバムをリリース。それをまとめたベストがコレ。DISC 1 はスタジオ音源、DISC 2 はライブ音源。管理が悪かったらしく、ライブは結構乱暴な編集になってます。
●この時代の重要なポイントは、ボーカルに田島貴男(現 ORIGINAL LOVE)が加入してたコト。88~90年に在籍。PIZZICATO FIVE での田島氏の声、初体験でした。やっぱり、過剰な色気が迸ってる。ペラペラ雰囲気だけの歌詞なのに、田島さんが歌うとそれだけで強力な説得力が出来ちゃう。メジャーデビューして「渋谷系」のメインストリームに出て行った頃の ORIGINAL LOVEアシッドジャズアプローチと田島貴男の声がスゴかった。本作でも彼はスゴい。
●カセットから起こしたというライブ音源で、より田島氏のチカラを思い知る。ロックになってるんですよ。このまま彼が PIZZICATO FIVE に留まり続けたら時代は随分変わったでしょうね。田島氏自身がステージから脱退のあいさつをする様子もココのライブ音源に収録されてます。
●去年の夏「岡本太郎巨大壁画」特番に出て来てきてしまった田島貴男は、テレビ照明に漂白されて以前のオーラが消されてしまってた。ちょっと寂しい。

PIZZICATO FIVE「最新型のピチカート・ファイヴ」_
PIZZICATO FIVE「最新型のピチカート・ファイヴ」1991年
ソニーの姿勢に不満を持ってたバンドは、日本コロンビア(現コロンビアミュージックエンターテインメント)に移籍。所属レーベルは TRIADカーネーション、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT が在籍し「渋谷系」の一つの軸になった場所だ。メンバーは野宮真貴+小西康陽+高浪敬太郎の三人体制。この年は毎月一枚のペースで5枚のCD(一枚は高浪敬太郎名義)を連射リリース。本作は、PIZZICATO FIVE 名義での一枚目となる。「渋谷系」時代の開花。
●バンドは三代目ボーカリスト野宮真貴嬢を大々的にフィーチャーする。彼女に一問一答のインタビューをしていくトラック「女性上位時代#1」が、彼女のバービー的イメージを戦略的に構築しようという試みとしてユニーク。12センチマキシシングルCDという媒体は、当時登場したばかりだったが、収録時間が長いシングルの利点を生かし、よけいな雰囲気モンを収録させちゃうトコロに、彼ら特有の様々な遊び心を感じる。
●アートワークへの細部へのコダワリもこの時期から健在。アートディレクションに信藤三雄さん登場。ココからCDの特殊パッケージへのコダワリも始まるのだろう。流通泣かせのイレギュラー版型が今後頻発していく。バンド末期はわざわざDVDサイズでシングルのパッケージ作ってたもんね。

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PIZZICATO FIVE「レディメイドのピチカート・ファイブ」1991年
●91年の5連作の4枚目。バブル期の東京ベイサイドを彩った INKSTICK SUZUE FACTORY でのライブ音源を中心にしたモノ。しっとりオーガニックな生バンドで聴く PIZZICATO FIVE もいいですね。芸術家・沼田元気氏のポエトリーリーディングなんてコトもやってる。ジャズと詩のコラボといえば、ALLEN GINSBERG など50年代のビートニクスの連中や、GIL SCOTT-HERON を連想します。スノッブだねえ。
●ボクのバブル時代、INKSTICK芝浦スズエも行かずじまい。芝浦 GOLDジュリアナ東京も行かなかった…。東京ウォーターフロントには縁がなかったなあ。金がない学生にバブルのいい思い出はない。スズエファクトリーが滅びた後に出来たクラブへ一度行った頃がある。オールジャンルのユルいクラブで、ダンクラに合わせて年上世代が踊ってた。チークタイムまであったからビックリしたもんだ。
●以前レコード会社の人と打ち合わせしてた時、ひょんなコトからその人が当時の TRIAD に関わっていたという話題になった。ボク「90年代のトライアドですか!スゴいじゃないですか!ピチカートにミシェルガン!」一方的に盛り上がるボクに対して、その人は遠い目でどこかを見つめながら「いや~ホントに大変でしたよあの頃は。ノベルティひとつにしてもご本人のクオリティコントロールが厳しくてね……」あ、確かに厳しそう。なんか納得。



2001年3月31日。PIZZICATO FIVE は解散する。
渋谷 ON AIR EAST(現 O-EAST)。仕事がらみでこのイベントに行ったボクは、関係者控えがある2階からフロアを眺め、このバンドの最後のパフォーマンスを見た。なんだかお客もゲストもお祭り騒ぎで大混乱、小西さん自身も興奮してるのか、控え室ではスゴく饒舌で驚いた。ボクも大分興奮していたのか、どんなイベントだったか、どんな音楽が鳴っていたかよく覚えていない。ただハッキリと聴こえていたのは、90年代が終わる音。一つの時代が終わっていく音が聴こえていた。90年代は正真正銘に終わりを告げ、ボンヤリと21世紀が始まったのだ。

そして2001年9月11日。アメリカ同時多発テロが起こる。
●21世紀/00年代は新たな戦争の時代として幕明けた。大きなビルが崩れ落ちる音が耳鳴りのように響き、ボクはしばらく新しい音楽が聴けなくなった。自由に出来るお金が増えて、聴くCDの量は増えた。しかし、同時代の音楽から90年代に感じていたドキドキは聴こえなかった。耳にココロに響いてこないのだ。
●これはボクだけの感情だろうか。あの大きな悲劇と戦争へなだれ込む喧噪の中で、世界のポップミュージックは一瞬停滞してしまった。全世界を巻き込む不幸と暴力の連鎖に、既存のポップミュージックは何のリアクションも出来なかった。ダンスフロアを中心に享楽を貪った90年代音楽は、苛烈な現実社会に太刀打ちできなかった。結局これが「渋谷系」~90年代の限界なのだ。逞しい音楽が再び動き出すのには、ボクの耳に新しい音楽が響いてくるのには、数年の時間がかかった。

さらにこの年、ボクは父親になった。
●28歳で第一子を迎えたボク。個人的には大事件だった。91年の PIZZICATO FIVE「大人になりましょう」と歌った。ボクは大人になったのだろうか? 2001年のボクは、「BOSSA NOVA 2001」(1993年)に収録された曲をよく聴いていた。下にリリックの一部を紹介します。

 「マジック・カーペット・ライド」

 きみとぼくは 不思議だけど むかしから 友達だよね
 2000光年を 愛しあってる そんなふうに 感じたりしない?
 そしてふたり いつの間にか 年を取ってしまうけど
 いつまでもふたり 遊んで暮らせるならね
 そしていつか ぼくたちにも 子供が生まれるだろう でも
 いつまでもふたり 遊んで暮らせるなら
 同じベッドで 抱きあって 死ねるならね


●ワイフとボクは、2008年4月、知り合ってから20年目を迎える。二つのディケイドを二人で過ごしてしまった。いつまでもふたりで遊んで暮らせるならね。

「BOSSA NOVA 2001」PIZZICATO FIVE「BOSSA NOVA 2001」




●ここまでお付き合いした方は、よっぽどの酔狂か、ヒマすぎるかのどちらかでしょう。この長い文章を読みきったアナタ自身に対して拍手する意味で、拍手ボタンを押しましょう。
 

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