唐突ですが、今日は BRUCE SPRINGSTEEN を語ります。
●妹のダンナ、つまり義弟 KEN5 くんが、なぜか BRUCE SPRINGSTEEN のCDを4枚もボクにくれた。普段から色んなCDをプレゼントしてくれる彼だが、ナゼ今 BRUCE SPRINGSTEEN なのか、意外過ぎてビビった。コレはなにかのナゾカケなのか? 難しいナゾカケだ! 以前から自分で持ってる盤を引っ張り出したり、買い足したりして、このアメリカンロックのタフガイを、その音楽を考えてみるコトとする。

BRUCE SPRINGSTEEN は1949年生まれの58歳。
●地元やNYのグリニッジビレッジでギター片手に歌ってたトコロを、BOB DYLAN をフックアップしたプロデューサー JOHN HAMMOND に見出され73年にデビューする。その後アメリカンロックの王道を歩み続け、今年は伝説のフォークシンガー PETE SEEGER へのトリビュートアルバム、そしてオリジナルアルバムを連発、まだまだ現役最前線、「THE BOSS」との異名に恥じない活躍を続けている。
●今回取り上げるのは、彼のキャリアの前半、1973年から1984年。


BRUCE SPRINGSTEEN はニュージャージー出身。
●彼の音楽世界を一口に言うとすればどう表現できるだろうか。金も地位も将来も、何も持っていない若者の夢、現実との葛藤、苛立ち、鬱憤ばらし、バカ騒ぎ、それでも続いて行く人生、その悲哀、それを歌う…。
●ボクが一番親近感を感じたのは、彼の出身がニュージャージー出身だっていうコト。ニュージャージーってのは、ニューヨークのお隣の州。川一つはさんで目の前はマンハッタン。目の前に大都会がありながら、そのキラビやかな世界とは全然無縁の自分の無力を日々思い知らされる立場。コレって、日本に当てはめれば、千葉県のことじゃないですか!

ボクはこの千葉県で、小学校~中学校の約9年間を暮らした。
●江戸川はさんで東京都とお隣関係にある千葉県市川、船橋、千葉、木更津、柏、松戸、流山、野田…。今も昔も全部がヤンキーシティ。木更津から氣志団というバンドが出たのは偶然じゃない。ヤングマガジン連載のヤンキーギャグマンガ「エリートヤンキー三郎」は舞台が不自然なく千葉県だ。
横浜ほどの地元アイデンティティもなく、東京都のベッドタウンとして隷属してる感覚。本来なら千葉県の目玉になるスポットは、「東京ディズニーランド」とか「新東京国際空港(成田空港)」とか、勝手に東京を僭称しちゃってる。千葉県人の方々には大変失礼だが、あの土地には鬱屈とした閉塞感と倦怠感が漂ってる。

人格形成に重要な少年時代を、ボクは千葉県F市で鬱屈とした気持ちで暮らした。
●F市はギャンブルシティだ。中央競馬や地方競馬の競馬場、オートレースがある。バブル以前の競馬場は本当に殺伐とした場所で、毎週末大挙してやってくるオッサン軍団にゲンナリしてた。なぜ彼らの耳には赤鉛筆がさしてあるのか、なぜ「馬」という名前の新聞があるのだろうか。学校の先生は「ヘンなオジさんについていかないように」子供には謎が多かった…。
ダメなオッサンの集まる街には、ダメな産業もいっぱい集まる。
●駅前にはラブホテルとキャバレーとソープランドとストリップ劇場がひしめく。隣の駅には風俗街やピンク映画館があった。ボクの通った学習塾は、風俗店の入った雑居ビルの上にあった。昼間のお店からは色気のないジャージ姿でお姉さん達がビルをコソコソ出入りしてる。
後年同窓会でわが街のストリップ劇場に行ってみた。
●モギリのオジさんはスキンヘッドでアタマに入墨入ってる。場内は床一面にビール缶が散乱してて、花道の向こう側では泥酔したイラン人3人組が大暴れ、ステージのお姐さんと罵り合いを始めた。最悪だ。

F市の学校の雰囲気も殺伐としてた。
●ボクはその後、関東平野の逆サイド、東京三多摩エリアの都立高校に進学するのだが、そこで激しいカルチャーギャップに愕然とした。
●誰も教室のモノを破壊しない。廊下の天井に穴を開けない。ガラスを割らない。万引きしない。カツアゲしない。スクーターを盗んで乗ったりしない。ロケット花火をマンションのベランダに打ち込んだりしない。Hビデオを無理矢理イジメられっ子に借りさせたりしない。暴走族に憧れたりしない。改造制服を着たりしない。語尾に「だべ」をつけない。誰かを陥れてイジメたりしない。自分の腕力を試すためだけに人を殴ったり蹴ったりしない。教師を閉め出して辞めさせたりしない。…そして、夢や希望を信じたりするのがカッコ悪い事だと思っていない。
千葉県において当然だった日常が、東京の高校には何にもない。都心からの距離は変わらないのに、なぜこうもカルチャーが違うのだろうか!ココが東京都だからなのか?ああ、あの荒んで鬱屈とした日々は、千葉県特有の空気感だったのか!目からウロコの大ショックだった。

東京という大都会を目の前にしていると、ソレに対して何も出来ない自分の無力を思い知らされる。遠い地方から来る若者には「上京」という行為は、一大決心と向こう見ずの挑戦だが、中途半端に東京を知っている中途半端な距離感は、決心も挑戦も中途半端にさせる。ここに郊外特有の閉塞感が生じる。
●目の前の大都会にコミット出来ないのは自分の無力が故。息の詰まるような閉塞感が、無気力と現状維持の緩慢な時間の流れに若者を引きずり込む。自分の賞味期限が切れるのを、空虚にただ待つのが怖くて、ツルンだり悪フザケをして自分をごまかして行く人生。閉塞感。郊外の閉塞感。

●と、激しく激しく遠回りをして結局ナニが言いたいのか、といいますと…。

ロックは、鬱屈とした閉塞感の中に、静かに沈殿する。
ロックは、閉塞感が強ければ強いほど高圧に圧縮され、そして弾けるように点火爆発する。
BRUCE SPRINGSTEEN はロックの力で、郊外を脱出した。郊外の閉塞感から脱出した。しかし彼は自分のやってきた場所のウタを歌っている。閉塞感の中でもがく若者の姿を歌っている。とボクは考えるのです。


BRUCE SPRINGSTEEN「GREETINGS FROM ASBURY PARK, N.J.」

「GREETINGS FROM ASBURY PARK, N.J.」1973年
●N.J.、つまりニュージャージー州のアズベリーパークからのご挨拶。彼のデビュー作だ。ニュージャージー界隈で小さなバンドを組んだり、N.Y.のグリニッジビレッジで活動していた彼を、レコード会社は「新しい BOB DYLAN」として売り込もうとした。時代はシンガーソングライター・ブーム。その状況に嵌め込まれるように、彼もアコースティックのアプローチを強いられたというのが定説だ。
●しかし、この時点で彼はその後30年余に及ぶ盟友関係を結ぶ THE E STREET BAND を担う仲間を誘い、キチンとロックした曲も繰り出している。中でも印象的だったのが一曲目の「BLINDED BY THE LIGHT」。その後 MANFRED MAN'S EARTH BAND がカバーして大ヒットする曲だ。ボクはこの曲が BRUCE の作だということをココで初めて知った。

「光で目がくらむ。ママはいつも陽の光を直接見るなとオレに言っていたが、ソコにこそ本当の楽しみがあるんだよ」「BLINDED BY THE LIGHT」

●韻を踏むような遊び心たっぷりナゾカケもたっぷりのこの曲は、アマチュア時代の乱痴気騒ぎを歌ったモノ。サビがキャッチーで最高。この瞬間、彼は閉塞感を打ち破り、光の中へ躍り出たのだ。


BRUCE SPRINGSTEEN「THE WILD, THE INNOCENT  THE E STREET SHUFFLE」

「THE WILD, THE INNOCENT & THE E STREET SHUFFLE」1973年
●デビューアルバムから一年も待たず繰り出された2枚目。楽曲のスケールが広がり、ロック度もやや上昇。1STから参加しているサックスプレイヤー CLARENCE CLEMONS が早速大きな存在感を漂わしている。
●誰かが彼の音楽を「ストリートロック」と呼ぶ。彼の歌詞世界は確かにストリートだ。当てもなく路上をウロツく若者たちの姿が見える。

「もううんざりだ、埃っぽいアーケードをブラついたり、ゲームマシーンを叩いて生きる事に。ボードウォークの下でシーンズを脱いでくれる工場勤めのオンナの子を追いかける事に」「4TH OF JULY, ASBURY PARK」

「彼女はアパートの壁に寄りかかり男を誘う。オレは言った、一緒にブロードウェイを歩こう。こんな通りに立つ生活を辞めて、都会の生活を捨てて、夜汽車に乗ろう。…でも彼女が汽車に乗らない事は分かっている。さよなら、人は歩き続けなければならない」「NEW YORK CITY SERENADE」

●苛立ちや人恋しさをどう扱ったらいいのか、持て余している若者の焦りがジワリと滲む。そんな音楽。


BRUCE SPRINGSTEEN「BORN TO RUN」

「BORN TO RUN」1975年
●この作品で BRUCE は大ブレイクを果たす。まさに大爆発するのだ。彼独自のタフでエネルギッシュなロックンロールが完成する。アルバムはチャートトップ10に初めて食い込み、雑誌「TIME」「NEWSWEEK」の表紙を同時に飾る事になる。まさしく「BORN TO RUN」(邦題「明日なき暴走」)、THE BOSS の暴走が始まったのだ。
「明日なき暴走」を初めて聴いたのはボクが中学生の頃だった。今回十数年ぶりにこの曲を聴いたが、あのパワーと感動は全く色褪せてない。そもそもモゴモゴ何歌ってるか分からない彼の声が、曲のテンションが上がるとともにその輪郭をハッキリ輝かせて、腹の奥から湧き上がるマグマのような咆哮を高らかに響かせる。ドラマチックな展開にドキドキ。それをサポートする分厚いバンドサウンド。サックスとピアノがよく機能してグルーヴを強化する。

「昼は街で どうしょうもないアメリカンドリームを待ちわび、夜は自殺マシーンに乗って栄光へと走り抜ける。クロームホイールを履き ガソリンを積み ハイウェイ9号線で檻から飛び出す。そしてラインを超えて一歩を踏み出すんだ。この街はお前の背骨をはぎ取っちまうぜ。それは死の罠、自滅の罠だ。俺たちは若いうちにココを抜け出す。俺たち放浪者は突っ走るために生まれてきたのだから」「BORN TO RUN」

●中学生のボクは、この曲を聴いて今すぐにでもドコかに突っ走って行きたくなった。しかし、一体ドコに走って行ったらいいモノか、サッパリ分からなかったのも事実だったのだ。


BRUCE SPRINGSTEEN「DARKNESS ON THE EDGE OF TOWN」

「DARKNESS ON THE EDGE OF TOWN」1978年
● 人間、半端に成功すると絶対欲の皮が突っ張ってモメ事を起こす。前作の大ヒットを受けて、BRUCE は自分のマネジャーとの法廷闘争にまきこまれて、音楽活動を一時休止しなくてはいけなくなった。新しいプロデューサーと組み独自のロック路線を進みたい BRUCE の意向を、あくまで「新しい BOB DYLAN」路線にコダワるマネジャーが阻むのだ。
●この足踏み期間に BRUCE PATTI SMITH GROUP に名曲「BECAUSE THE NIGHT」を提供する。コレも今回初めて知った事実だ。あの素晴らしい曲は BRUCEが作ったのか!
●で、3年のブランクを経て発表されたのが本作。ピアノやサックスのバランスがその後の佐野元春を連想させる音作り。ロックの世界基準になってしまったと言う事か。BRUCEニュージャージー BRUCE ではなくなり、アメリカBRUCE にレベルアップしていく。全米の若者が持つ焦燥感を一手に引き受け、その悲哀、その苛立ちを一身に引き受けて咆哮する。

「昼間はオヤジの修理工場で働き、夜は一晩中走り回り幻影を追い求めている。もうすぐオレは何かを掴むんだ…。マトモに生きようと努力してきた。朝起きて毎日仕事に行く。でも何も見えなくなり、恐怖に襲われる。この町を爆破し叩き潰したくなる…。いいか、オレはもう子供じゃない、オレは約束の地を信じているんだ。」「THE PROMISED LAND」


BRUCE SPRINGSTEEN「THE RIVER」

「THE RIVER」1980年
●大河ドラマのつもりなのか、THE E STREET BAND を従えて、BRUCE 渾身の2枚組ロックアルバムを発表。スケールがドンドン大きくなる彼の音楽世界。30歳を超え、大人なりの分別を備えた彼の音楽は、挫折したモノたちをも描き出す。しかしまだ彼はあがく。明らかに勝負の分は悪い。でも勝負せずにはいられない。

「親父、もう寝た方がいい、夜も更けた。何を言おうと無駄だ、オレは明日セント・メリーズ・ゲートを旅立つ。この決心は変わらない。この家の暗闇が、この町の暗闇が、オレたちを打ちのめすから。でももうオレに触れる事は出来ない。親父よ、アンタが打ちのめされたように、オレは打ちのめされたりしない。」「INDEPENDENCE DAY」

「払うべき代償。払うべき代償。払うべき代償からは逃げられない。…ゲームが始まるぞ、小さなハートを動かし夜も昼も走れ。郡の境を越えた所に、見知らぬ誰かが立てた標識がある。そこには払うべき代償に屈した男たちの数が書かれている。でも今日が終わるまでに、オレがそれをへし折りドコかに捨ててやる。」「THE PRICE YOU PAY」

「オレの故郷は谷の町。そこで若者は親父の後を継ぐよう育てられる。メアリーに出会ったのは高校の頃。二人で谷を抜けドライブに行ったものだ。…川へ行き、川の中で泳いだものだ、ああ、川へよく行ったものだ…。」
「…メアリーは妊娠した。オレは19の誕生日に、労組の組合員証と上着を手に入れた。二人だけで役所へ行き、手続きをした。教会も式も笑いもなく、花もドレスもなかった。…その夜二人は川へ行き、川の中で泳いだ。ああ、川へ行ったんだ…。」
「建設会社に職を得たが、近頃は不況で仕事がない。大切だったものは、みんな消えてしまった。オレは何も覚えてないフリをし、彼女も気にしないフリをする。でもあの貯水池で見たメアリーの身体は素敵だった。今こんな思い出が甦り、呪いのようにオレを苦しめる。かなわなかった夢は偽りなのか。…川は干上がっていると知っている。が、オレたちは川へ行くんだ…。」「THE RIVER」


BRUCE SPRINGSTEEN「NEBRASKA」

「NEBRASKA」1982年
●このアルバムは高校生の時によく愛聴した作品だ。いつもの分厚いロックサウンドを全て忘れ、BRUCE は自宅スタジオにてアコギ一本&ハーモニカ一つで録音に取り組んだ。ほとんど一発録りかのような緊張感とラフさが、THE BOSS の息づかいをよりリアルに感じさせる。この時 BRUCE33歳。若者という立場に偏らず、より普遍的になったウタが、円熟味を醸し出す。

「ハイウェイの片隅で、死んだ犬の傍らに立つ男を見た。彼は犬を棒でつついている。まるで犬が甦って走り出すまで、そこに立っているかのようだった…。辛く苦しい日が終わる時、人々は何かを信じる理由を見つけるのだろうか…。」「REASON TO BELIEVE」

●当時好きだったこの楽曲がアルバム全体を締めくくる。どこか軽さを感じさせる飄々とした歌唱に、人生の難しさを引き受けた人間の覚悟が匂う。何かを信じて生きる人間の逞しさを素朴に歌い上げる。


BRUCE SPRINGSTEEN「BORN IN THE U.S.A.」

「BORN IN THE U.S.A.」1984年
●表題曲があまりにも痛快なロックなもんだから、愛国讃歌と錯覚されてしまったエピソードがあまりに有名な傑作。共和党はこの曲を選挙のテーマソングにしようとしたそうな。バカか。これは THE BOSS が腐った大国アメリカに向けて放った強烈な皮肉だ。

「オレはこの町でちょっとした問題を起こした。連中はオレにライフルを握らせて外国に送り込んだ。イエローマンを殺せと…。オレの兄貴はケ・サンでベトコンと戦った。ヤツらはまだ生きてるが、兄貴はもういない。兄貴の彼女がサイゴンにいた。彼女に抱かれる彼の写真だけが残ってる…。」
「刑務所の隣、製油所の燃え上がるガスの近く、この10年煮えくり返る思いで生きてきた。全くのどん詰まり、どこへ行く事もできない…。ボーン・イン・ザ・U.S.A.!ボーン・イン・ザ・U.S.A.!オレはアメリカで生まれた。オレはアメリカの敗残者だ!」「BORN IN THE U.S.A.」

THE BOSS の視線は、いつだって底辺を這いつくばる人々とともにある。何かが変わるキッカケを、この人生を変えてくれるチャンスを、待ち望んでいる誰かを描く。額に汗し辛い労働にいそしみ、それでも何かを信じている者を励ます。アメリカ人が彼を数十年に渡って支持し続けるのは、それだけアメリカという国が苛烈な社会であるからだ。人口の5%に60%の富が集中し、30%の国民が貧困に喘ぐ、歪んだ社会。多くの人々がどうしようもない問題を抱えて生きている。


●80年代のバブル経済、そして90年代の荒廃を通過した今。格差社会の閉塞感が、日本全土をも包み込もうとしている。真っ当な暮らしをしようにも、その門戸は日増しに固くなり、弱者を弾き出し始めた。都会から離れた地方こそ本当のピンチにさらされている。
●資本主義が凶暴な牙を剥いて、若者から夢と希望を搾り取る。そんな現代日本社会に対して、ロックが有効な武器になるかは分からない。ただ、現状打破に迷う若者はゴマンといるのは事実であり、BRUCE SPRINGSTEEN は還暦を目の前にしながら今も歌い続けているのだ。


●ボクは音楽を聴いても、歌詞にはあまり関心を払わない。今回ココまで歌詞にこだわって聴いたのは珍しいことだ。THE BOSSの歌詞に漂う焦燥感に、影響されてしまった。千葉で過ごした少年時代の、どうしようもない閉塞感を思い出してしまった。あの苦々しい思いがなかったら、ボクはこんなにムキになって音楽を聴かなかっただろう。だから、今日はちょっと、熱くなってしまったのでした。
 
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